選挙前に届きました阿智村民からの手紙を公開します。 阿智住民の手紙 まずはクリックしてご覧ください。
まず、この手紙の一住民は正直な人物であり、岡庭一雄村長の行政を冷静に、そして批判的に見て来られた方だと思います。
そこで、この手紙に私の見解を述べることに躊躇は有りますが、やはり、受け止め方に多少の戸惑いも有りますので、実直に対応したいと思います。
「章文さんの言動」とか「心中を察する」との言葉で評価していただいておりますが、正直なところ、私の言動は私個人での思いや考えで行動したり意見を言ったことは一つも有りません。ですから、心中に忸怩たる思いはなにもありませんので、心遣いに感謝いたします。
「岡庭一雄の院政を見抜き、議会に意見を言う方が現れて章文さんの訴えを取り上げた、村民の燻っていた思いを表に出した彼は昨年亡くなった。」とありますが、そんな方が居たとの記憶が有りませんが、誰でしょうか? 誰かと分からなければ話すこともできませんので、一応として、「昨年亡くなった彼」に思い当たるとすれば、水上宗光氏しかおりません。もし、違っていたのであれば、一住民様、このブログでコメントしていただきたいと思います。
ところで、今までに「阿智村を愛する村民」とか、全く記名の無い手紙が幾通も届いておりますが、それらの殆どはこのブログで公開してきましたので、この手紙についてもこの様に公開していますこと、ご了解願います。令和8年2月16日
「分かってきたことは」、と有りますので、その彼の言動において分かったのだ、とで進めますが、「岡庭一雄の院政を見抜き」とあるのは、熊谷秀樹が村長になってから、院政が敷かれたと判断します。まあ、熊谷秀樹は岡庭一雄村長が自身の息子を村長にとの繋ぎ役であったこと、それは知っていたと解釈してよろしいですね。
さて、手紙の本題に入りますが、水上宗光が「議会に意見を言う方」とすれば、全くに間尺に合いません。それは、水上宗光は佐々木幸仁と同じくして共産党であり、かつ、岡庭一雄の第一の子分であったからです。仮定として、水上宗光が議会に意見を言うのであれば、それは時雄との関連性、いわゆるホテルひるがみの森の違法行為の数々でしょう。それか、智里東農事組合に関連することくらいであって、それらはどちらかと言えば、水上宗光が岡庭一雄村長に依頼して行われた犯罪ですので、まさかとして水上宗光ではないと考えてしまいます。ただ、水上宗光は造反しましたし、実際に、時雄が横領したホテルひるがみの森の営業売り上げ(1億円とも6千万円とも言われている)にたいして、水上宗光と対立したことが関係しているかもしれません。そもそも、水上宗光は時雄側であって、岡庭一雄の官製談合(園原ビジターセンター)についても、時雄の指示で動いていましたから、考えられないことも無いのかもしれません。しかし、時雄と岡庭が対立した村長の後継者、時雄が次期村長だとの約束を反故されたときは、水上宗光はまだ時雄側についていた。そしてついには大変な犯罪を暴露したのも事実である。令和8年2月18日
水上宗光が暴露した大変な犯罪は、「リフレ昼神制度資金」のことだ。このリフレ昼神制度資金の原資は何かといえば、昼神温泉組合の温泉権利基金の積立金であって、この積立金を基にして、岡庭一雄村長と飯田信用金庫が「ホテルひるがみの森の経営危機を乗り切るため」につくられたダミー制度資金である。この犯罪も行政犯罪で有ることは言うまでもない。ホテルひるがみの森の建設資金2億円捻出のために、岡庭一雄村長と飯田信用金庫駒場支店が行った行政犯罪であるが、この様な犯罪の手口は、ヘブンス山林地代の横領と全く同じであることに注目願いたい。岡庭一雄村長とホテルひるがみの森(熊谷時雄・水上宗光・小松などの智里農事組合関係者)、岡庭一雄村長と飯田信用金庫駒場支店において行われた金融犯罪であり、ヘブンスそのはら山林地代横領も、熊谷秀樹村長(岡庭一雄村長)とジェイマウンテンズセントラル株式会社白澤祐次社長と飯田信用金庫駒場支店において行われた金融犯罪である。そしてどちらも行政犯罪であるのだ。
また話しがずれてしまったが、ここまでで水上宗光の線は消えた。では、この一住民が言うところの昨年亡くなった者は誰なのか? そして考えれば、熊谷清人(漢字不明)が思い浮かぶ。顔を見ればなんとなくわかるかもしれないが、私を応援してくれた割には面識がない。ある役場職員が言っていたのは「ショウさんの本を片手に持って盛んに意見を言っていた」とか「議会にしょっちゅう顔を出していた」である。そして冷たい雪の中で死んでいたとの話だ。熊谷清人? どこのだれかと聞けば、確か父親が村議会議員だったと言う、そう言えば、熊谷孝敬という教員上がりの議員が居たことを思い出す。たしか、昼神温泉ホテル伊那華の上原社長の兄である。まあ、すこし手〇に問題があったと聞くが、その息子らしい。私が幻冬舎から「空模様」を出版したのは令和2年2月のことだ。岡庭一雄村長と西の三悪人の実話をもとにしている。令和8年2月20日
「そんな彼が院政を見抜き、分かってきたことは「岡庭一雄の手先として佐々木氏、大島氏、吉田氏を中心に議会を牛耳っていました。」それになびいた議員もいました。」とあるが、彼が院政を見抜いたわけではなく、院政が敷かれていたのに気づいたのだろう。ここで改めて岡庭一雄の手先となびいた議員と名前を挙げているが、この議会は先の議会であって、つい最近のことである。岡庭一雄が熊谷秀樹を村長にしたのはまさに院政を敷くためで、それに従ったのは当時の議員全員である。ここにひびを入れたのは私であって、そのひびが明確に見えてきだしたのが、佐々木幸仁が議員になった時である。そこで忘れてはならないのは、櫻井久江だ。清内路村の共産党村長として岡庭一雄と共同戦線を張り、財政破綻した清内路村を合併の形にしたことを忘れてはならないが、岡庭一雄の院政にひびが入ったと知れば、恥ずかしくもなく議員となって院政を支えたのである。なぜ佐々木幸仁や櫻井久江が議員になったのかは、岡庭一雄の院政が通用しなくなったことによる危機感からで、ようするに、熊谷秀樹村長が私に追い詰められ、「岡庭一雄がやったことだ!」と声を挙げたからであり、それはやがて全村民の合唱になった。
「熊谷秀樹村長はその犠牲者です」さすがにこの言葉には驚いた。阿智村を愛する一住民? なにか違和感を禁じ得ない。この手紙を読んで感じることは、この手紙の内容は熊谷秀樹を擁護する目的であって、「熊谷秀樹は悪くない! 悪いのは岡庭一雄だ!」を言いたいのだろう。そしてこの目的は村長選挙の結果に表れている。ここまでで、岡庭一雄を岡庭一雄氏と呼んでおり、岡庭一雄村長とは一言もない。岡庭一雄岡庭一雄なのだ。これはすでに感情がなせるもので、ここで岡庭一雄に氏をつけることで熊谷秀樹村長と別扱いをしている。まったく間尺に合わないのは、岡庭一雄も熊谷秀樹も村長だということである。令和8年2月22日
「共産党職員の活用」「信濃毎日新聞へのリーク」熊谷秀樹村長を引きずり下そうと画策していました。そうですね、確かに引きずり下ろそうとしていましたね。なぜ引きずり下ろそうとしたのですか? それは確かに覇権争いでした。岡庭一雄は息子を後継者にと、そして時雄を切ったまでは良かったが、そこで時雄は開き直り岡庭一雄と対立した。そこに岡庭一雄は院政において熊谷秀樹村長を矢面とした。熊谷秀樹村長は言われるままに時雄と対立したが、時雄の開き直りはヘブンスそのはらの行政犯罪の暴露であることに、岡庭一雄はあっさりと時雄とよりを戻した。そこで浮いたのが熊谷秀樹村長なのだ。岡庭一雄の指示に従い、ありとあらゆる行政犯罪と不正を隠蔽してきたが、はしごを外されたのだ。だが、熊谷秀樹村長の行動が、その時の争いに変化をもたらした。佐々木幸仁や櫻井久江が村議会議員になった目的は、岡庭一雄の息子を村長に! であるに、熊谷秀樹村長は再選後に牛山副村長の首を取った。なぜか? 一期しか務めていない副村長の座であるに、なぜ切ったのか? それは、牛山副村長は岡庭一雄の子飼いであったからだ。操の水道料金横領や時雄の反乱においても、牛山副村長は時雄や操の指示に従っている。それは、足繫く、操や時雄の家に通うのを西地区住民は何度も目にしている。ようするに、牛山副村長は執行権を持つスパイであって、熊谷秀樹村長にとって目の上のたん瘤であったのだ。熊谷秀樹村長を引きずりおろさなければ岡庭一雄の息子は世に出られない。それだけのことだが、そこでとった熊谷秀樹村長の行動は、共産党のバックアップである。「行政犯罪も不正もすべて岡庭一雄村長がやったことだ!」これが今でも村民の間にいきわたっており、熊谷秀樹村長は正義の味方となっている。何故村民は扇動されたのか!? それは確かに共産党議員らの力によるものと、岡庭一雄の息子の失脚なのだ。
ここで思わぬ情報を見つけたのでお知らせするが、「阿智村学校のあり方」最終答申書が配布されたが、そこに驚く名前を見つけた。副委員長代田昭久である。令和8年2月25日
令和6年4月16日
阿智村学校のあり方、このような検討委員会が出来ていたなど初めて知ったが、私はこの検討委員会の答申に関心は全くない。というより、なんと馬鹿げたことをやっているのか、これはまさに、共産党による学校支配にほかならない。小中学校にする?? それは教員の数が足りないのが元であれば、主役である子供たちは置き去りだ。阿智村は合併村だとを忘れたわけではあるまいに、そして、浪合清内路を吸収した村だとを忘れていないか!? 浪合のあのとてつもない学校、清内路の新築廃校の中学校、夫々のインフラ設備の処置をどのように考えるのか、年間管理費だけでも壊すにしても莫大な費用がかかることに、そして何より学校が無くなれば地域はすたれてしまう。村の将来を左右する学校教育に、この一部の利害が有りすぎる検討委員たちの本音を知れば、空恐ろしいたくらみが見え隠れする。
代田昭久、この男が飯田市の教育長を首になったことを忘れてはいまい。なぜ首になったのか? フィリピンホステスとの同棲がバレてのスキャンダルなのか? それともコロナをホステスから移されたの悪評か? いやいや、世間は全く分かっていない。コロナをフィリピンホステスに移したのは代田昭久の方であることを、コロナ最盛期の時、東京方面へ行くとのことはタブーであり、特に、首長らと公務員はその矢面に立てられていたが、なんと、代田昭久教育長は東京へ内密に出かけていた。何を目的に出張したのか? その時飯田市教育行政に大きな変革があったことに、それは全校タブレット配布事業であった。この事業はまさに代田昭久教育長が自ら持ち込んだ事業であり、そしてメーカーも機種も代田昭久教育長が決めており、それは入札無しに決められた。その時、代田昭久教育長と商社の深いつながりを感じたのだ。それは、代田昭久がタブレット納入商社と飲み歩いており、そこに同棲ホステスが同席していたとの事実を知った。令和8年2月27日
5億円の事業
代田昭久は共産党であるが、それがこの阿智村学校のあり方検討委員会の副委員長に名前を連ねている。この男、相当なる食わせ物であることは、ネットで「代田昭久」と検索すればすぐにわかる。この男の過去の犯罪がいくつも書かれていることに、驚くだろう。飯田市は代田昭久の過去を知ると同時に、タブレット全校配布事業に疑いの目(3%の紹介料着服)を持ったことに、たとえ、佐藤健市長の幼友達であっても、これ以上教育長を続けさせることが出来なかった。そんな男が生き残るに、共産党で支配された阿智村は格好であり、それは岡庭一雄との深い関係から出来上がっているのだ。阿智村を愛する一住民は、岡庭一雄と熊谷秀樹村長の争いだというが、共産党による派閥争いに他ならない。以前、噂のコーナーでも書き出したが、下伊那町村会事務局長である岡庭一雄の子息が代田昭久を後ろにつけて阿智村長選挙に立候補するとの話、これで代田昭久と岡庭一雄がつながったのである。たしかに岡庭一雄の子息を村長にとの動きは、佐々木幸仁や櫻井久江が村議会議員になって動き出した令和2年11月から着々と進められたが、そこで降ってわいた岡庭一雄の子息のセクハラ問題、町村会の首長らはそれを隠蔽したが、同時に代田昭久の副村長や教育長の芽は崩れた。しかし、代田昭久はこの村を手に入れる野望は消えておらず、場合においては熊谷秀樹村長の後釜へと考えるのも、これらの行動(阿智村学校のあり方)から見て取れる。岡庭一雄の子息がだめであれば次の野心に打って出る。熊谷秀樹村長も代田昭久がなぜ阿智村学校のあり方検討委員会の副委員長になったのかと考えれば、阿智村学校のあり方検討委員会は代田昭久の発案から始まったとのことに気づくはずだ。ここまで村民が愚かであれば、阿智村を愛する一村民であったにしても、熊谷秀樹村長が岡庭一雄の不正を正しているとの見解であれば、やはり共産党の阿智村支配は終わることはない。令和8年3月1日
真っ当な議員
真っ当な議員が集まり、阿智村のための議会が進められる…はて、一住民はこの様に議会を見ているのだろうか? 私のこのブログを読んでおられるならば、まっとうな議員は誰一人いないことが分かるはずだ。そして熊谷議長は共産党ではありませんとあるが、熊谷秀樹村長が共産党ではないと否定していないのは、共産党は不正を正す正義の味方だと考えているようだ。熊谷議長、熊谷恒雄議員の事であるが、彼は全くの共産党であって、それは私が決めつけていることではなく、智里東地区の住民の話である。それに、全国農業協同組合が日本共産党の影響を強く受けるようになり、労働組合を構成しだしたのは1989年(平成元年)のことであれば、熊谷恒雄の共産党は疑いの余地もない。まあ、熊谷恒雄が共産党であってもなくても、熊谷秀樹村長を擁護しているの歴然の事実であって、それらは議事録において判明している。どちらにしても、熊谷秀樹は村長であるに、それを岡庭一雄村長のせいにしても法律的に通る話ではない。私は岡庭一雄を非難したことは一度もない。今までに非難したのは岡庭一雄職員であり岡庭一雄村長であるに、個人攻撃において生き延びようとする熊谷秀樹村長を擁護するのは如何なものか。岡庭一雄氏の院政と戦いつつ、村政の健全化を目指すとあるが、岡庭一雄の院政と戦うのであれば岡庭一雄の犯罪だと証明すればよいことであり、それを唯一行えるのが熊谷秀樹村長ではないのか。(阿智村を愛する一住民様、何が正しいのか見極めてください。) 熊谷操の水道料返還金横領を訴えるに、私の家の水道を止めたのは熊谷秀樹村長であって岡庭一雄ではない。なぜ私の家の水道を止めたのかは、いや、今求めているのはなぜなのか? と、熊谷秀樹村長に聞いてみたらどうかと思う。水道を止められたことで阿智村を訴えたのは 、熊谷操の横領を隠蔽した熊谷秀樹村長を追求するためである。令和8年3月3日
水道裁判は敗訴ではない
「園原簡易水道は園原住民の水道である」「阿智村は園原住民から水道料金を取ることはできない」が、訴えの本質であって、敗訴は「地位確定」において水道管を強制的に切断する権利は阿智村にあるとの判決だ。この説明だけでは分からないと思うし、熊谷秀樹村長の不正や犯罪を暴くための裁判だった! も理解できないと思うが、なぜ阿智村を訴えたのかは理解していただきたいものだ。村営水道だから村の水道だ、これが固定概念として村民に植え付けられているが、村民水道とはなにか? と問えば、答えは簡単にでる。村営水道は水道法という法律の下に設置されているが、水道法による水源の権利の中に、「河川の流水を占用する権利」とあり、水源は河川と謳われている。そこでもう一つ、簡易水道についてだが、簡易水道とは何か? と言えば、人口5000人以下の水道施設事業をいい、阿智村の水道はすべて簡易水道事業の枠内となる。簡易水道であっても水源は河川に変わりないが、では、園原簡易水道はどうなのかと言えば、園原簡易水道の水源は河川ではなく、園原住民の土地(権利山)を水源としている。そう、水源の権利は阿智村に無いのである。このことの意味は分かりますか? 要するに、河川を水源としていない簡易水道は阿智村の水道事業と言えないのである。この様な法律的見解において、園原簡易水道はその敷設された昭和45年から昭和60年まで水道料金は発生していないが、一部の公益公共施設(道路公団作業員宿舎等・農協・森林組合・郵便局)からは水道料金を徴収していたのだ。そして何より重要な事は、園原簡易水道の敷設工事費の全ては日本道路公団が負担したと言うこと、それは園原集落の中で上の組と上平組の共同水道の水源が恵那山トンネル工事において枯渇した補償工事であったのだ。これらの事実がこの裁判において証明されている。令和8年3月6日
伝聞が事実となった
阿智村を訴えた園原簡易水道の地位確定裁判において、私は何一つ証拠を持ち合わせていなかった。私の訴えは「園原簡易水道は道路公団が補償工事において敷設された」が本質の訴えで、正直裁判に勝てると思わなくあった。では、なぜそのような裁判を行ったのかと言えば、操の水道料金返還金横領を証明する考えが元であった。操の横領を証明するには、その横領された金員の性質を証明しなければならず、それには「園原簡易水道は誰が敷設したのか」が必要であったのだ。そして、長い裁判の結果は「日本道路公団が園原簡易水道を敷設した」を裁判官は認め、私は敗訴した。日本道路公団が敷設したことに、私はそれを証明する証拠は何一つなかったが、私の伝聞を認めたのは、ほかならぬ矢澤元職員の証人尋問であったのだが、その証言は「金丸信の政治力で園原簡易水道がつくられた」の一言である。いわゆる、恵那山トンネル工事において上組と上平組の共同水道が枯渇したことに、日本道路公団が補償において園原簡易水道を敷設したと証明されたのである。ここで、地位確定(水道料を支払わなくても使用できる権利)が敗訴したが、控訴しなかったのには二つの理由があった。その一つは、私が控訴しないと決めたこと、そしてもう一つは、信州しらかば法律事務所の木島日出夫弁護士が控訴を渋ったからである。なぜ弁護士が? と思いますよね、それは共産党の木島日出夫弁護士が共産党の熊谷秀樹村長を被告とした争いをるづけたくなかった?? こともあるかもしれないが、断りの理由は「松村弁護士が引き受けない」が理由であった。松村弁護士とは、もと信州しらかば法律事務所で木島日出弁護士とともに活動していたが、近くに独立した共産党弁護士であるが、私の裁判を二人で行うとして木島日出夫弁護士が決めたことに、弁護士費用が半額(15万円)で安いと散々ぼやいていた弁護士である。控訴するに新たに30万円を支払っても15万円しかならぬであれば、東京高等裁判所に二度も主張して10万円プラスでは間尺に合わないということである。私一人ではできないと木島日出夫弁護士はなきを入れてきたが、もはや私の目的は達成したことに、私は控訴しませんとしたのである。ところで、控訴すれば勝てたのか? であるが、控訴すれば確かに勝てたことに、園原簡易水道の減水の権利がそこにあったのだ。「簡易水道とは河川を給水源とする」が水道法にあれば、給水源が園原区の権利山であれば、阿智村は水道料を徴収することは出来ない。令和8年3月8日
共産党政権が続けば
園原簡易水道は日本道路公団の補償工事において敷設されたと、裁判において証明されたことに、その簡易水道の水源が園原区の権利山であれば、そこに阿智村が介在できることは何もない。しかし、阿智村は昭和60年から現在に至るまで園原住民から水道料を徴収している。これを、村だからだとか、行政だからとして許される行為であるのか? と考えていただきたい。たしかに園原簡易水道として国の許可を得たのは阿智村であるが、かといって、そこに園原簡易水道の権利が阿智村にあるとはならない。阿智村に権利がない園原簡易水道から水道料を聴収するには、園原住民と何らかの契約事項を交わす必要が有ることに、私は「昭和60年の全村水道化に合わせ園原簡易水道を村で管理したいとの要請があった。」「水道料金を徴収するがその半額は施設の管理費や将来の更新にあてる、残りの半分は園原住民に返還します。」との約束が有ったと主張した。しかし、あろうことか、熊谷秀樹村長はそれを全面否定し、その様な話しも契約も無いと開き直った。これらのことは裁判のやり取りとして記録されているが、この件を冷静に見つめれば、阿智村が水道料金を徴収する唯一の権利を自ら捨てたことになる。なぜこのように愚かな行為に出たのかは、熊谷操の横領を隠蔽したことに原因が有るのだ。熊谷操は議員の立場を利用して岡庭一雄水道係長と示し合わせ、園原住民に返還される水道料金を昭和60年から横領していた。この件を熊谷秀樹村長に告発したのが平成28年であるが、熊谷秀樹村長はそれを隠蔽した。飯田警察署刑事課知久刑事に告発し、刑事が捜査を始めたところ、熊谷秀樹村長は、矢澤生活環境課長や井原清人地域生活課長らに熊谷操との契約書を捏造させ、その契約の根拠を「園原簡易水道は阿智村に権利が有る簡易水道だ」として刑事を騙したのだ。この犯罪は岡庭一雄の犯罪ではなく、熊谷秀樹村長の犯罪であるのを村民どころか職員まで知らない。しかし、たった一人、この犯罪を詳しく知っている職員が一人いたが、その職員は熊谷秀樹村長に見切りをつけたのか、熊谷秀樹村長がそうさせたのか、辞職している。(熊谷秀樹村長は、村長選挙前の私との話し合いに「私は共産党ではない」と熊谷総務課長や市村職員の前での賜ったが、この辞めた職員は「熊谷村長は共産党です」とハッキリ言い切っている。)令和8年3月11日
裁判不要
園原簡易水道を阿智村の水道設備だとして園原住民から水道料金を昭和60年から今日まで徴収してきたことは、阿智村村営水道事業の横領犯罪である。阿智村村営水道の代表者は村長であるからして、村長の横領犯罪となる。この犯罪を岡庭一雄がやったことだと、共産党は言えますか? 阿智村を愛する一住民様、どう思いますか?
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