2021年3月5日、今日このサイトを始めるに感慨深いものが有る。それは、人生の集大成をまとめられると言う喜びにも似た感情が沸き上がっているからだ。 このサイトに前編として、「社会の形ルールと法律の違い」から始めて六年目に達しようとしているが、四十年も前からの行政における数々の犯罪を書き記してきたことは、私の人生そのものの写しでもある。いつのころなのか、それも人が持つ普遍的な行動なのかは分からぬが、何かが狂っている気がしてならなかった。若さゆえの突っ張りか、性格が為すものなのかも見極めず、ただ思うがままの行動がいつも先にあったことはいがめぬが、一度として後悔しないのは、変わった性格が災いしているのかもしれない。 最近、「空模様」というタイトルで初出版したが、ブログをまとめるについて振り返れば、世の中の矛盾が法律や制度において引き起こされているのに気づかされた。矛盾であれば答えは出ないし法律であれば従うしかないが、少なくとも制度は変えることが出来る。
ブログは五百万字を超え、アクセスも158万にも達しようとしていますが、それらをくどくも書き続けたわけは、それら多くの犯罪の全てを知っていただきたいとの思いと、行政犯罪において国に潰される現実において、如何にしてそこに立ち向うかは、やはり、住民がこれら犯罪の根底にある矛盾に気づかなければ、何事も成せないと考えたからである。 「自治体は力だ!」「権力が全てだ!」「金がものを言う!」これらの声は内に外にあり、そこに一人立ち向かう無謀さは家族を巻き込む不安もあった。しかし、常に私の行動は不思議なほどに思った通りの結果を招いてきた。それは、何ごとにも臆さず、誰のせいにもせず、腹に一物を置いてそれを隠さず、とした立ち振る舞いにあったと自負している。
今、飯田市も阿智村も過去例を見ない状況を迎えつつあり、やがて、ブログで書き出してきたような結果となるに、それを傍観し、ただ、指を加えているわけにはいかない。私が始めて私が終わらせるとの考えはなく、如何にして最小限の被害とするかが課せられるのであって、あとはただ、天明に向け進みゆくだけである。
思いがけない一枚の写真
2011年、かぶちゃん農園の本社は飯田市に完成した。「鏑木社長と佐藤健副市長が仲良く並んだ笑顔の写真が南信州新聞で報道されていたよ」少々昔の話だが、すっかり覚えていたようで、ケフィアの詐欺事件が勃発した頃のお茶もみ話でもあった。それから数日後か、数か月後で有ったか覚えていないが、鏑木社長の訃報が聞こえてきた。「自殺した?」亡くなったとの話しより自殺で有ったとの話がそれを広めたことは言うまでもないが、何人かは、「自殺かな?」と疑問を持つ者は当然のように居た。まあ、それはどうでもよくない話としても、そこは警視庁に任せるしかないが、どちらが真実にしても闇に葬られるだろう。
今回新しいサイトを立ち上げるについて、その仲良し写真がネット上に有るかもしれないと検索すれば、そこに驚く写真が見つかった。一瞬、佐藤健副市長の写真と見間違えたが、これは宮下一郎代議士とのツーショットであった。何も無断で掲載したわけでもなく、スパイショットでもないが、宮下一郎のホームページに掲載されている紹介写真でありました。この写真を見て「代議士であれば完成祝いに招待されるものだし、それが議員活動の宣伝でもある」とか、「しゅん工式では当たり前の場面だ」と、佐藤健副市長とのツーショットを掲載した新聞社の記者は言うであろう。だが、ひねくれた私はそうは到底みられない。この写真の意味するところの観点に思い当たる節があったからだ。 令和3年3月15日
政界とのパイプ
社会は弁護士や報道記者であれば、企業と政治家の関係性において、何か(犯罪)が有れば、当然に政治家の存在をそこに見る。半ば既成事実として、「今度は誰だ!?」という事であるが、このツーショットを見る限り、特に愛想が良い宮下一郎であっても、この笑顔は、鏑木社長より一歩引いている。写真をそのままに見れば感じるのではないか。鏑木社長の立ち位置とその姿勢に、上下関係を感じるのだ。振り返れば、この写真は2016年10月1日の「かぶちゃん農園『柿照姫センター』1号竣工式」の一枚である。この時の宮下一郎代議士は衆議院財務金融委員長であるが、鏑木社長と政界のラインの一つとみてよいのではないか。国会の常任委員会である財務金融委員長の席に就くと言うのは相当な権限を持つのであり、仮に、「飯田市に予算を回せ」などは朝飯前のことだ。それでなくともリニアの駅をつくるに、飯田下伊那を統一する現状の力は宮下一郎にあって当然のことなのだ。まあ、少なくとも相当な金がかぶちゃん農園関係に流れたものとみて間違いはないだろう。まあ、警視庁が捜査するに、「かぶちゃんの森の発電所」や「伊那谷道中かぶちゃん村」などなど、数えきれない関連会社がある。その数えきれない関連会社の事業展開に協力してきた飯田市は、相当なる予算をつぎ込んでいるが、たとえ総務省から金が回ってきたにしても、決済は飯田市が行うことだ。そしてその関連会社ともども破産宣告したとなれば、国の金を湯水のように使った費用対効果を、議会はどのようにして監査承認が行えたのだろうか!?
やっぱり潰される
かぶちゃん農園詐欺事件は終わっていないが、これほどの関係ある団体や組織、それに国会議員まで関与が疑われるような犯罪に対して警視庁はどのように立ち向えるのかと心配するが、ここまでになれば、もはや警視庁の出る幕ではないとも感じている。「官製談合に監査委員が組している」との告発に、「国は飯田市を潰します」との答えであった。管理官の言葉そのままであれば、かぶちゃん農園詐欺事件に絡むは、それも飯田市と言う地方公共団体の犯罪とされよう。一つだけで治まらない飯田市の行政犯罪、もはやそこを扱うは、管理官もため息をついた「検察庁の特捜」しかないのである。令和3年3月17日
点と線を結ぶもの
飯田市の行政犯罪と言う大枠のくくりでまとめてみれば、犯罪者とか犯罪の拠点とかは大きく三つに振り分けられる。当然に頂点に立つは飯田市であるが、左の一つは国であり、右に並ぶは民間である。飯田市を扱うは市長副市長と職員、それに議会議員である。国はどうかと言えば、そこには補助金しかないが、それら補助金の決定権がどこにあるのかと言うことになろう。さて、人の金とはよく言ったものである。国の予算は人の金、たしかに国民全体の金である。その金を扱うのが官僚なのだ。人の金であれば気楽に何にでも使えることからして、その金を思い通りに使おうとすれば、高級官僚たちは何を考えるのであろうか? 年金破綻にしてもそうだが、湯水のように使われた年金のしわ寄せを受けるのは国民である。もともとに、湯水のように使われなければ年金は破綻していないのだ。そこに国民が気づかないのは、政治家が年金破綻について責任追及して来なかったからである。政治家に金が流れていたから追及できないのであって、高級官僚から忖度を受ける政府政治家が、年金制度の破綻でないものを、団塊の世代が多く若い世代が少ないのが理由だとして「年金破綻」と決めつけた。人口が多いときに多くの年金が積み立てられていれば、団塊の世代が少なくなるに破綻するはずなどない。積み立てられていた年金が官僚たちの食い物とされ、数百億のリゾートホテルや福利厚生施設を次々建設し、それらの事業費からピンハネした上に天下り先として官僚会員制度で運営していた。これらの事実を追求せず「年金破綻」と位置付けたのは、自民党政権なのだ。
高級官僚の飯の種(高額給与)では物足りないと、人の金ならばどうってことはないと、日本全国の予算付けに含みを持たせ、その含みは自分の金だとすれば、回収係が必要となる。それが、総務省から出向される出世前の高級官僚予備軍なのである。そのような視点で飯田市の行政犯罪を追えば、飯田市の右側に居た国とは総務省の高級官僚であって、それらの者の考えで、かぶちゃん農園も飯田荘も、そしてリニアの駅も、相当なる時間をかけて計画されていたのではないかと考える。だからして、かぶちゃん農園は闇に葬るとし、飯田荘は証拠を掴まれた章設計を契約解除し、官製談合も議会と相談して無いこととしたのである。だが、この様な単純な犯罪に騙されるほどやわに出来てはいない。「章設計契約解除」のそぶりを見せれば、その時点で企みがあると察しはつく、そこにおいて佐藤健が総務省に呼び戻されれば、大概の裏は見えてこよう。なぜ呼び戻されたのかって? それは、佐藤健が集金係であったからだよ。令和3年3月19日
選挙戦を振り返れ
選挙戦の前、私は牧野と佐藤両候補者の不正や犯罪を書き出した文書を配布した。近隣町村長や議会議長に至るまで。これらの行為は非難されてしかるべきで、また、両候補者にとっては選挙妨害そのものだ。だが、誰一人私を訴える者はいない。警察であっても、公の団体にこの様な文章を配布した事実を確認しているのに、私を逮捕していない。なぜなんだろう? 私の文書を受け取ったまちづくり委員長は警察に届けたのであろうか? 当然に届けることで、内容など確認しなくてもそうしなければいけないのが、この様な団体の長たる責任である。やはりと言うか、その様な届け出が為されていない。弱った。誰か一人くらいはそのような社会的常識を行う責任者は居てしかるべきだが、これでは文書配布が無駄になってしまう。私はそのようなことで悩む振りをするが、これも想定内のこと。世の中がずる賢く出来上がっているから起きた不正であって、常識が通用するのであれば犯罪など起きないのだ。
目的は別のところ
阿部知事に直訴した。だからと言って阿部知事が対処することはない。それは、別の地方公共団体であるからだ。では、なぜそんな無駄なことをするのかと思うだろうが、そう考えるような者達がいまだ多く居るからであり、そこが実態とかけ離れていることを示すためでもある。「公務員の義務」は行政法ではないが、公職(特別公務員・公務員)は、不正や犯罪と知りえた時点において告発しなければならない法律がある。県職であれば、末端にまでそれが行き届いているはずであるが、倫理に掛けるものが多く居るせいで、それらの法律は作用していないのが実態ではないか。だが、さすがに知事ともなればそれはあり得なく、事実としてその内容に当たれなくとも、警察に届くことは秘書が代行しているのだ。県庁の天辺には長野県警が棲みついている。真下の最下階に知事室はある。だからして当然に、それらの文書は県警に届いていることになるのだ。私が出来ることはそれしかなく、また、それが為されるものとしての直訴であるのだ。知事が不在でも居留守でも、そんなことは関係なく、その様な文書は必ず警察の手に渡る。警察に渡れば、逮捕するとかしないとかは、県警の判断になるのである。飯田市が潰されようとしているのに、未然にそれを防げないは県民のせいでもなければ市民のせいでもない。警察に届いていれば、すべては警察の責任になるのである。令和3年3月21日
県会議員は県民市民の代表
知事の責任を問うのでないことがお分かりいただけたところで、県会議員の責任について少し述べておこう。それは、知事とは違い、県会議員の飯田下伊那代表議員は、それら責任がかかることにあって、責任を取らなければならない状況にある。県会議員の役割など説明する必要もないが、地区割で定数が決められていれば、少なくとも飯田下伊那代表議員と言うことになろうし、飯田下伊那の住民も、飯田下伊那のために働いてくれるとして投票しているはずだ。そのような立場に居れば「飯田市が国において潰される」「飯田市長の犯罪がある」「議会議員も共犯している」との、文書が飯田下伊那の住民から正式に届けば、それに当たらんとして何するものぞ。それを無視して市長選に必勝の激励をすることは、少なくとも飯田市の住民をないがしろにしているではないか。犯罪に当たれなどと記してないし、解決せよとも言っていない。少なくとも県会議員であれば、その様な問題にどう当たればよいのかの判断が出来ないはずがない。知事や職員が手を下せないのは、公共団体のくくりの制約であって、何もしないのと訳が違う。だからして、県警本部に告発しているのである。県会議員であればこの様な問題を共有すべきで、特に小池議員は議長の立場にあった。それがどうだ。何一つ聞こえてこないし、放置していたと議会事務局は言っている。議会で取り組めないとすれば政治政党で動けばよいことで、だからこその政党だと考える。小池議員は自民党、小島議員と熊谷議員は民主党、川上議員は公明党として明確に活動しているのであれば、私に事実関係を確認すべきではないのか。少なくとも私はこれら4名の議員に、議員になる前からこれら犯罪は告げている。それがどうだ、ここまで表に出しても何一つやらないではないか。それが議員だとすれば、飯田市が潰されたときにおいての責任は、当然にお前たちに有る。それが県民の答えだ。
行政に不正があるのを前提とするわけではないが、不正が起きないような仕組みを作るのが議員の務めだと私は考える。行政に都合の良い条例でなく、県民の考え、市民の立場を保全する条例が必要であると考える。それを行えるのが議員であって、それがための代表議員である。国会議員の声は政党代表であることだが、県会議員や市会議員の声は住民を反映することでしかない。令和3年3月23日
心して臨め
飯田市行政に在るいくつかの犯罪を、確かな証拠を基に解明していきたい。それは、飯田市が行政犯罪において潰される前に、何としても成さなけべならないことである。これらの犯罪が確かにあることをまず市民は知るべきなのだが、これら行政にかかわる犯罪のほとんどに議会議員が深く関与していることで、けして議員の口から語られることはない。語られないのが何よりの証拠なのだが、語られなくとも語らなければならなくなる状況に追い込めば、それは必然として現れてくる。まあ、目に見えるようになればおしまいだが、行政法で守られている公職の者が、その行政法において裁くことが出来れば、もしかしたら市民の負担は少なくなるかもしれない。
長野県知事 阿部 守一 殿 令和3年3月9日
建築主、飯田市長牧野光朗の確認申請建築物、「特別養護老人ホーム飯田荘」の、建築基準法違反について
平成29年11月30日交付、建築確認、「29飯建第29-97号」の「特別養護老人ホーム飯田荘」は、1階を鉄筋コンクリート造、2階を鉄骨造とした、建築できない構造において建設されております。
既設施設でありました特別養護老人ホーム(鉄筋コンクリート造、地下1階、地上2階)は、築38年程度の構造物であり、同施設を運営する飯田市社会福祉協議会は施設の改修を望んでいたが、佐藤健副市長(当時)は、飯田荘の改築を推進し、既存施設は現飯田荘が完成されたのちに取り壊されております。
これら施設の改築事業費は国庫補助金で賄えていることに加え、終活施設として重要な役割を担っている特養施設において、この様な違法行為が公然と行われたことに関し、県民として憤りを禁じえません。ついては、特定行政庁である阿部知事の責任は大きく、この違法建築物の行政処分について、強く行政代執行が行われるよう求めます。(この続きは「飯田市 行政にかかわる犯罪の実態」のコーナーをお読みください)令和3年3月24日
特別養護老人ホーム飯田荘が違法建築物であるとして、長野県阿部知事に送った書簡であるが、この書簡を持参するとして秘書課に連絡を入れれば、「違法建築の情報提供については住宅部にて受け付けます。つきましては、担当課長にその旨申し伝えますので、そちらに直接送っていただければと思います」とされた。少々拍子抜けであったが、言われるままでなければ致し方ない。3月9日に送付すれば、その一週間後に連絡があった。「調査を始めますので協力をお願いします」担当者は知り合いであったが、もろもろの昔話の後にそう告げられた。これから先は「飯田市 行政にかかわる犯罪の実態」のコーナーをお読みいただければと思いますが、違法建築物と断定されれば、当然に特別養護老人ホーム飯田荘は取り壊しを余儀なくされますが、それら補助金の返済と取り壊し費用は市民が負うことになります。
違法建築は犯罪でありますので、長野県は県警に告発または告訴しなければなりませんので、逮捕者が出ることになります。鈴木建築設計事務所・勝間田建設・土屋電気・飯田工業らに加え、それらに協力した関係者も含まれるでしょうが、官製談合と同じく、それらの会社は潰されることになります。
施主である飯田市はどうかと言えば、行政の「違反建築とは知りませんでした」などの寝ぼけた発言や、議会の「違反建築は県の責任だ」との言い逃れは通用しませんので、行政犯罪に進む可能性が出てくるでしょう。「飯田市が潰されるはずがない」などの、程度が低い職員や議員は危機感がなく逃げ回っておりますが、事の重大性に市民が気づかなくてはどうしようも有りません。
違法建築の認否
飯田建設事務所建築課長に、「地下があるではないか」と追及したところ、「半地下は最初からありました」と言う。「半地下はピットで地下じゃない。地下1階があるのではないか!?」と追及すれば、「鉄骨の基礎は地下下までつながっていますので」と言う。地下では無いと否定しないところから始まったのだが、林建築課長は、私が帰るとすぐ飯田市地域計画課に電話を入れている。
建築課を後にした足で飯田市議会事務局に出向いたが、吉川事務局長が留守であったので電話を要求した。しかし、その日に電話が無く、翌日に電話を入れ面談すれば、「違反建築は県の責任だ」と、これも違反建築であると認めた言い訳を行っている。(この時、飯田荘が違反建築だと一言も話していない)議員全員との面談を求めたのだが、一週間後吉川事務局長から電話が入り「議員全員が『違反建築は県の責任であるから、章設計とは会う必要がない』と申されましたのでお伝えします」との会話が録音で残っている。公開質問状を提出するについて吉川事務局長と会えば、「飯田荘の違反建築は県の責任だと言ったのは私の個人的な発言です」と訂正している。それはどうでもよいが、吉川事務局長に限らず、議員全員が違反建築は認めているようだ。
これからの展開が面白くあるに、それら詳細を進展ごとに「飯田市 行政にかかわる犯罪の実態」のコーナーに書き出します。零話3年3月25日
代田昭久教育長のコロナ感染の事実
「私が感染源者だと言うのは誹謗中傷だ!」と、報道機関に声を荒げたと言うが、公人が誹謗中傷を受けたと言うのであれば、公にそれを否定しなければいけない。それが公人の最低限成すところであるが、議会がその事実を隠蔽しようと最後の議会で寸劇をまたもや興行したようだ。
在る報道機関が取材に来た。「ブログを読んでいますが、ブログでは代田教育長が感染源者だと書いてありますがその根拠を教えていただけませんか?」と言う。そして「代田教育長は『感染源者ではない誹謗中傷だ』と仰っています」と続けた。
ブログを読んでの取材であればすべてを話せるが、「公開質問状の会見に出られなくて申し訳ありませんでした。他の取材が入っておりましたので」と前置きされたから、ブログなのか質問状の内容でよいのか迷ってしまう。まあ、堂々たる取材姿勢はいつものことで、考えて答えるほど頭が回らない。
完全なる根拠が有れば報道すると言うが、完全なる根拠もその裏が取れないと言う。これでは話が前に進まない。タイミングよく、吉川議会事務局長から電話が入った。それは、公開質問状への返答期日(3月15日)であったからだが、その内容はさんたんたるものでありました。「あのう、公開質問状の期限が今日と言うことで電話を差し上げました。議員全員、質問状には返答しないと言うことになりましたので、そういうことでお願いします」と言う。馬鹿を言っちゃあいけない。「何を寝ぼけているんだ。私は湯沢議長に質問状を提出している。議長への質問状に、議員全員が返答しないとのことで、それもなぜお前が代弁するんだ」まあ、返事はないものとしていたので構わないが、その質問状の取材を受けている最中に、あまりのタイミングの悪さにいら立った。
保健所に聞いた
代田教育長が感染源者だと言うことは保健所に直接聞いたことであって、その事は公開質問状に書き記しているが、取材に来た報道機関には質問状を渡してないので、直前に読ませて取材を受けることにした。「議会は代田教育長に弁明させるようですよ」記者は言う。だからして頭が回りだした。「代田教育長に自分が被害者だと言わせて終わりにすると決めたようではないか。それで質問状へ返答しないとするのはあまりにもでたらめじゃないか!」ちょっと切れた。吉川議会事務局長は慌てた。それへの返事が面白く、それにて少しかまってあげた。「誰に聞いたんですか!?」、「誰?何を言っているんだ。議員は何人いると思ってるんだ?23人だぞ、23人がみんな同じことを考えていると思うか?」、「▽◇。//aこ👍…」何か言ったと思うが、捨てセリフを言って電話を切った。令和3年3月27日
書くに書けないもどかしさ
報道機関とはさすがなもので、代田教育長が感染源者までは調べていたようだ。だからして私に裏を取りに来たと言うわけだ。「ブログに書かれておりますが」は相当なもので、それこそ誹謗中傷であればブログは終わっていること。だからして何かを知っているのだとしての取材であろう。だが、「保健所に聞いた」は、裏ではない。報道機関が保健所に取材できないからだが、それでは記事に出来ないのか? とは少し違う。記事にするのかどうかと、記事に出来るのかは別なことで、私から裏が取れなくあったにしても、議会が正当に代田教育長に質問すれば、それは事実を話さなければならない。そのような前提がすでに行われそうだとして、私に取材に来たのだ。
だが、正当な議会は存在せず、代田教育長を被害者だとしての筋書きは出来ており、陳謝と言う陳腐な寸劇において治めてしまったのだ。それが飯田市の現実なのだが、それでよいとする議員らは何を考えているのだろう。4月の改選に近くあることが足かせとなっているのであればまだ良いが、そこを追及できないほど不正に絡んでいるとしたら、やはり飯田市は終わってしまうだろう。
報道機関殿、裏は取れますよ
私に取材に来た報道機関は、多くの根拠を持っていた。中央通り3丁目や4丁目をボカシも入れずにニュースで取り上げるなど見事なもので、すっかりと代田昭久の足取りを追っていた。代田教育長と同席していた3名がそのまま感染するに、その3名が誰から移されたのかは言うまでもないだろう。報道機関がそこまで知るに、議員らのだれ一人その事実を知らないなどはあり得ない。だが、23名もの議員は、代田教育長は被害者だとして片つけてしまったようだ。市民にそれらの声は聞こえていないが、それがバレないなどと甘く見ない方がよい。また、再選せずの議員らもよく聞いておけ。辞めたとして助かる道は無いものだ。想像できないほどの行政犯罪になるに、そこに責任を取らなくて済むほど世の中甘くはない。(詳しくは本日の新しいコーナーと他のコーナーで書き出します)
さて、「保健所に聞いた」を事実にするに、報道機関はブログを読んでいるとした。だからして目にも入るように伝えておく。「保健所との会話記録は録音してある」さあどうだ。これを追求する報道機関であればそれを渡すが、生半可な姿勢であればブログの世界にしておいた方がよい。令和3年3月29日
裏の裏
東京都の非常事態宣言が解除されたことに反応する飯田下伊那の住民を見ていると、不思議な感覚に陥る。東京が解除されれば飯田も安心となるのかが不思議なのだ。上っ面を見るのが染みついているかのようだが、その様な捉え方が代田教育長のコロナ感染をそのままに受け止めてしまうのだろう。「ホステスから移された」は、飲み屋での定番であって、それが東京の夜の世界でコロナが広がったように飯田の住民は思い込んでいるから、代田教育長の嘘を信じてしまうのだろう。そこに来て、「フィリピンのホステスだ」は、日本人でないからコロナにかかるは当たり前だという概念と、「フィリピンの女と同棲している」とうスキャンダルでとどめを刺してしまう。まあ、代田昭久の作戦勝ちだと言うことになるが、それを信じ込ませたのが佐藤市長の偽装であって、後押ししたのが市会議員らであるのだ。この程度で騙される市民感覚も確かにあるが、報道機関の報道の仕方にも原因があると私は思う。代田教育長とW半の二人、それにフィリピンの同棲女、これらの足取りをはっきり掴んでおり、それに沿って放映までしているが、そこから先を伝えることはしない。個人名を出せないとかの問題ではなく、4人が立ち寄った店名を放映しているのであれば、「1月13日感染の4人は、同じ飲食店を利用したようです」と報道すべきなのだ。それであれば、それ以上の感染を心配するに保健所の調査が裏付けとなるし、東中学校や浜井場小学校を特定地域に含めた訳も市民は理解できる。それから先のことは「教育長、感染源者としての責任を」と、議員らは追求しなければならなくなるのだ。
新たな疑惑
ここまでの事実の中で、佐藤市長が県のコロナ感染情報を操作する必要はない。「公務員」を「特別公務員」とすることも必要ないし、「代田昭久教育長が感染しました」から、臨時記者会見を開けばよいことだ。ホステスから移されたとか、そのホステスがフィリピンの女が代田昭久と同棲しているなどの事実はどうでも良いことだ。それをなぜ情報操作したのか? と疑えば、どうしてもコロナ感染者情報の備考欄が空白であったことに気づいてしかるべきだろう。1月15日の4名感染者にも順番で番号が振られており、その前後の感染者の番号と順番につながっている。だが、肝心の備考欄が空白で、誰(番号)の濃厚接触者なのか、新たな感染源者なのかが記されていない。保健所の報告には、少なくとも代田教育長の番号が他の3人の備考欄に記され、その番号の濃厚接触者と書かれているはずだ。令和3年3月31日
触れない何か
コロナ感染情報の個人情報を公表できないとするは、感染者に対して思わぬ弊害が出たからに他ならない。だが、感染者名を公表しなければなおさらに、感染者が特定できてしまう恐ろしさが田舎にはある。いわゆるお隣さん感覚で、人より早く知りたいとのおかしな感覚が輪をかけ、SNSの時代が後押しするのだ。茶飲み話が楽しみの世代にとって、子供や孫から聞かされる新鮮な情報は自慢であってそれ以外なものはない。「差別をやめましょう」などと騒げば、火に油を注いでしまうのだ。そこが牧野光朗前市長の失敗とするところで、個人情報と差別の使い方を間違えたのである。
感染者を保護するような処置や対策は間違いである。少なくとも感染者はそれなりに自己責任を感じるもので、今更名前が知れたってどうってことはないと、まあ、開き直りでなく、それが唯一取れる責任と感じるものなのだ。それより、自身が感染したことで、どれだけの迷惑をかけたかの自責の念が強く働き、被害が少ないようにと願っているはずだ。二次被害が出た場合において、それら責任のなすりが来るを恐れるのではないか。だからして、牧野光朗前市長の失敗は、「感染源者の行動範囲」を隠蔽したことにつきる。誰が感染したと言うより、感染が広がらないのを優先しなければ、保健所の追跡調査が意味をなさないではないか。
今回、代田昭久教育長のコロナ感染を保健所に聞いて感じたのは、「保健所の追跡調査は完璧」と言うことだ。先へ先へと手を打ってるのを知れば、それが安心材料であって、また、感染者の行動範囲や濃厚接触者を把握していると聞けば、どのように気を付ければ良いかと判断できることになる。牧野前市長のコロナ対策失敗を生かせる状況になかったのは職員の能力不足と隠蔽体質にあった。「ユーミンで感染が広がった」との事実を公表しないことで、あるお店が噂において潰れてしまった。なぜ公表しなかったのか? と今更ながらに後悔すれば、職員のつまらぬご注進がそこにあったのだろうし、ユーミンが潰れてしかるものと考える市民もいただろう。だからして、牧野光朗を選挙において結論を出したのだ。令和3年4月2日
腐った野郎
佐藤健市長は保健所の情報に手を付けた。これはもはや犯罪である。保健所からの報告に忠実に従えば、少なくとも小中学生に感染するはなかったし、500店舗の飲食店を時短要請する必要もなかったはずだ。これが、市民が選んだ市長であるに、飲食店のほとんどが、佐藤健を非難するはどうしてか。
飯田市のコロナは昨年の3月27日に始まった。飯田下伊那の住民はそれらに恐れをなし、ある重要な事実に気づかずにいた。だからこその牧野前市長のコロナ対策失敗、何がそうさせたのか? それは、飯田市のコーナーをご覧あれ。
沈静化
コロナは正直触れたくはない。よその県であってほしいし、飯田まで来ないでと思うは誰しもがもの、だからして少しでも早く忘れたいと思うのかもしれないが、誤った情報にも気づかないのはやはり報道機関のせいではなかろうか。
飯田に初めてコロナが来た時の二次感染は一抹で治まるが、あとに残した傷は大きかった。それがどうだろう、正月明けの「代田教育長コロナ感染」の報はうわさとして瞬く間に広まり、二次感染の多さも比べ物にならないが、沈静化も早かったと感じるのは私だけであろうか? 佐藤市長の緊急記者会見は、何も代田教育長が感染したとして開かれているわけではない。飯田駅前から続く一定エリアの飲食店に時短要請する会見と、長野県がそれら店舗に一律4万円の営業補償するというものであって、代田教育長がコロナに感染したという情報は、遠慮がちな記者の質問にうなずいているだけである。
記者会見ユーチューブを多くの市民が目にすれば、私と同じ疑問を抱いたかもしれないが、ここまで仕組まれた記者会見に報道機関は協力し、あまつさえ、「公民館の会議で感染した」とまでの記事を掲載した新聞もあった。時短要請を受けた飲食店関係や周辺住民は「ホステスから移された」が事実であって、それはまだ近づく情報かもしれないが、「会議で移された」を事実と捉えている市民がいるのは、誤報記事の影響でしか考えられない。誤報で有名な田舎新聞のなせる業なのだが、誤報が通用する市民感覚には、都会も田舎も関係ないということでよろしい。まあ、代田教育長と佐藤市長の作戦勝ちでもあるが、そこを追求できる記者が居ないのは、それこそ田舎の表れである。どこかの誰かが「飯田高校が一番だ」とのたまっていたが、それがこの状況を生み出しているのだ。「腐った野郎」は代田昭久や佐藤健だけではないようだ。令和3年4月4日
ある店主
「教育長でしょ!あの人は」「なんであの人にあんな多く投票する市民がいるのよ!」「飯田高校が一番だなんて、あんな選挙は聞いたことがない!?」と、代田教育長のコロナ感染から発展する話の始末は、「うちの娘も飯田高校だが、バカ女でどうしようもない」と、飯田高校を自慢して選挙に協力した娘を嘆いていた。
飲食関係から足が遠のいたのはコロナの影響であるは間違いないが、丘の上が閑散したのは代田教育長がコロナに感染したに他ならない。それを許せないとの感情は、『あの人は教育長でしょ』であり、『ホステスと同棲していた』が引き金になっている。だが、一歩郊外に出れば「代田教育長は公民館の会議で感染した」がまかり通っており、代田教育長が被害者だと認識する市民は多い。お粗末な新聞記事のおかげだが、そうとばかし言っていられない事情も見え隠れする。丘の上の話が広まったにしても、どちらに転んでも代田教育長は被害者なのだ。なぜそのようになってしまったのかと言えば、佐藤市長が情報操作したからである。それらの裏を公開質問状にしたためたが、それでも隠蔽するのが議員らである。私はこの議員の態度を不思議に思う。いい加減な議員ばかしだと思う前に不思議に思うのだ。どうして代田教育長を追及できないのだ? なぜに議会で陳謝させてことを治めてしまうのだ? そこには公明党議員も居れば、その様なことを追求しなければならない共産党議員も居たはずだ。なぜだ? どうしてだ? それを市民に問うても、やはり同じように首をかしげる市民も居れば、議員感覚と全く同じ態度の市民も居る。飯田は不思議なところだ。市民団体が存在しない理由もそこら辺に在るのだろう。
考え直せ
リベートを受け取りに、裏金を運んだのが事実に聞こえてこなくても、商社の接待を受けていても同棲しているホステスに移したのも、それらのすべてが表に出てなくとも、そして真っ赤な嘘の「被害者」であったにしても、「教育長として責任を取れ」と、どうして言えぬ。教育長にどのような理由があったにしても、生徒に感染させた原因は代田昭久にある。それだけで、責任を取り辞職すべきではないか。いつから議員らは倫理まで扱うようになったのだ。市民はお前らにそんな権利を与えているのか!?令和3年4月6日
市会議員選挙
四年前、たしかに市会議員選挙改選に期待した。熊谷議員再選に向けて、牧野市長と対峙せよと迫った。「章設計への妨害を止めさせよ」「佐藤副市長が約束したとおり、地域計画課を解体させるよう迫れ」「言うことを聞かなければ不正を表に出すと脅せ」この三つの条件を要求するのであれば、お前を応援するとした。約束は果たされなかったが、応援した。少なくとも当落線上の票は私の同級生が駆け回ったものだ。それから何かをしたのかと言えば、章設計から離反しただけだ。この狡さは何も熊谷議員だけでないのは分かっているが、議員が大切なのだろう。多くの票は確かに期待表であって、地元のために何かをしてくれたが評価でもある。だが、有権者も忘れていないか? 何かを期待する前に、清廉潔白な議員で居てほしいと。信用が第一で、その信用に対して応援するのが本来の選挙。マニュフェストは政党が叫ぶもので、市民をしあわせにすると約束するのが公約だ。くさい物の蓋を開けるのが議員であるは、市民の平等性を担保する唯一の手段。それが、仲良しクラブの要望ばかし聞いていてはどうしようもない。この様な議員ばかしであるから、私の公開質問状に何一つ答えられないのだ。
期待する新候補者
23人の議員のうち、15派が再選を表明した。質問状に答えなくとも、再選しなくても、犯した罪からは逃れられない。何をほざくと言うなかれ、何もかも、すべて国は知っている。来るべき時に、なるべくして成るのは当然であるが、何も知らなく立候補する者に、今飯田市行政と議会の中で、何が起きているのかは届けなくてはならない。新人12派が揃ったと言う。その中で、共産党や公明党はどうでもよい。この様な団体は市会議員として相応しくなく、それこそくその役にも立たたない。だからして、残りの新人候補者に、質問状と今までの経過を記した文書を持参した。それらの状況と感触を報告するが、これらの行動に対して期するものはなく、ただ騒ぐことに意味があるとの思いである。令和3年4月8日
南信濃 西森六三
遠いから郵送した。会いたいとは思わない。南信濃の現職は「湊 猛」話したこともなければ会ったこともないが、不正や犯罪とは遠いところにおり、質問状も意に介さないだろうが、何かが起きているのだとは感じているだろう。だからして郵送するに、読めば畑湊猛に話を聞くだろう。
ネットで検索すれば「整体師」と出た。詳しく知れば、2005年の飯田市合併時に増員議員選に立候補しているともある。整体師は最近生まれた言葉で、民間資格において開業できるとあるが、やはり、それ相応の知識と技術はついて回るもので、体の原理を知り、その人に会ったケアを行うものとされている。私自身、同級生に整体師がおり、数か月に一度お世話になっている。人の体にさわれば、話もする。懇意になれば親身にもなる。そのような人が議員を目指すは一物を感じるもので、それなりな期待は抱かせよう。16年も前に議員になろうとした。変革の時に動けるとは頼もしい限りだ。
このような人なら、送付した文書を読めば総枠を知るだろうし、何をすべきかは言われるまでもないだろう。確かに選挙運動として叫ぶことはできないが、後援会では話題の中心とするのではないか。令和3年4月10日
佐藤道成
一番最初に会った。私のことを知っていた。それもかなり詳しく。この人に最初に会おうとしたのは、以前の勤め先が南信スバルであったと知った時だ。確かにどこかで会っているような気がしたが、それは中学の親友が南信スバルに勤めていたからだ。親友秦野正一は8年前癌で亡くなった。
会えて話が出来たことは幸運であった。この人の考えは一朝一夕にあらず、人生そのものが行動に出ている気がした。以前、牧野光朗の対抗として市長選に出るとして決意した経過が有ると言う。それが何より物語っており、軽く目を通した文書において、「議員らは、なぜ返答しないんですか?」と、素朴にも単純明確に言い当てた。そう、それがなぜ出来ないのか? そこに闇が存在し、それが飯田市が潰される要因なのだ。
生い立ちや交友関係まで話してくれたが、それは腹に一物が無く、失礼になるかもしれないが、私の行動によく似ている。ブログを読み続けていると言っていた。交友関係に私との接点も多くあった。だからして期待してやまないが、なるべき人に成っていただきたいのが選挙である。
伊賀良地区の候補者は4人も居る。野崎直仁は問題外だし、公明党の宮脇邦彦は当選するから出馬している。残るは、現職新井信一郎。この男、親が伊賀良の土着権力者であって他に何もない。熊谷議員から聞くに、「綿半は寄付をしているから使うのは当然だ!」と、公言してはばからないと言う。だから飽きられたのか、なるべくして後援会幹部は離れたのか? レクサスに乗ってゴルフ三昧が不評を買ったのかは分からないが、野崎直仁とは仲が良く、ユーミンでの懇談姿が幾度も目撃されている。令和3年4月12日
関島百合
松尾で無所属で立候補を表明しているが、木下容子の後釜だと言う。社会党である。おっとっと、社会党は既に死語、社民党が良いのかもしれないが、飯田下伊那でも残っているらしい。同級生と同じ常会であるを知り、家まで訪ねたが留守であった。同級生に文書を託しておいたが、数日後近くに行ったので様子を聞いてみた。「お前のことを知っているって言ってたぞ」「話したことが有るとも言っていた」はて、思いがつかない。昔の知り合いかもしれないが、選挙事務所が出来たと言うので顔を出すことにした。
やはり社会党
ガラス越しに見える姿に見覚えは無い。軽いあいさつで言葉を交わすに、「〇〇さんから文書をいただきました」「その件ですよね」「出かけなければいけないんで」と、そそくさの仕草が嫌に気になる。奥の方で年配の男が私を見定めているが、いかにも社会党の雰囲気を醸し出している。やはり、同じように見えるは同じような人たちだからと、妙に納得する。しかし、関島百合氏に見覚えが無い。はて、どこで会ったのか? 何を話したのか? と巡らせているうちに、「先輩議員の方たちがいらっしゃるのに」と言った。もうこの一言で十分である。話にならない女と見た。社会党でも社民党でもどうでもよいが、だからしての社民党だと、これも同じように納得したのである。
思い出すその姿
用事があると、時間に合わないと、それはやむを得ないが、何か言い方が出来るはずで、それが結論を言ってしまえば取り付く島もない。要するに、はしごを外されたのであった。帰りの車で思い出したのは、確か新聞記者だと聞いていた気がした。そうか、市長選での取材に、選挙事務所に顔を出していたあの女ではないかと気づいたが、それこそ尚さらに、社民党で新聞記者ではもはや話にならないことに気づかされたのである。令和3年4月14日
小平 彰
鼎下山の木下克志の後釜だと聞くが、そこはどうでもよいし、特に期待することでもない。まあ、とにかく会うことだ。そして文書を渡せばよい。常識があるから立候補するのであって、議員に成れば現状を把握することから始めるのは誰でも同じこと。
何人かの知り合いに選挙事務所を聞けば、元竹寿司の跡だと言う。そこに向かうが看板もなければ気配もない。何週回ったであろうか。何度信号で停まり確認しても、そんな様子は全く見られない。あきらめた。そして小平彰評を聞くことにした。「人物? 知らないなあ」「あいさつ回りには来たよ」「下山で出るって話だ」同じ言葉を聞くだけであったが、人物評価は挙がっていない。若いせいもあるだろうし、決めつけられていないことは良いことだ。
自宅を探した。なんとまあわかり辛いが、小さな看板が立っていた。東側に回れば、なんとなくそんな気がしてチャイムを鳴らした。「はあ~い」奥さんらしき声のトーンで、そして玄関ドアが開けられた。感じの良い奥さんで、受けごたえもかしこまっていない。気さくとも違うが、話しやすい人である。マスク姿では気づかないと思ってあいさつしたが、話の内容と名前を言えば、気づいたようであった。「主人はあいさつ回りに出かけておりまして、いつ帰るとも言えないのですが」それはそれで、こちらが勝手に出向いただけのこと。簡単に説明して文書を渡したが、受け止め方は簡略でなく、ある程度の状況は知っているようだった。やはり、市長選に出た意義は少なからず影響を与えたようである。
木下克志は、私の義兄の妹の旦那である。義兄は市会議員に成るのを快く思っていなかった。それは応援するとかの意味ではなく、議員に向いてないのに、野心が強すぎると感じていたのだ。議員に野心は必要だと、私自身も思っているが、義兄が感じた野心は疚しさを出してはならないと言うことで、野心が見えてしまうと見透かされると言う意味である。そこに行けば熊谷泰人議員の持つ野心は全くに違う。何のために議員に成るのか、地元のために尽くせるのかの自信が野心であって、それをわきまえている。残念なところは、議会と行政の振り分けを一緒に捉えてしまうことにある。それは、国家公務員を20年も続けた経験からなるもので、行政側の考えで物事に当る与党のようなものだ。令和3年4月16日
佐々木博子
問題はこの女性候補者だ。何が問題なのかと言えば、福澤清を選対委員長とした。今まで、現職の議員を委員長にするなどあっただろうか? ここに最初の不自然さを見たが、福澤清とてそうではないか。橋北で三期12年もお世話になったのに、後ろ足で砂をかける行為だと、考えないのであろうか? 不正に関与した福澤清とはもはや拭えないだろうが、汚れた足でも平気なようだ。佐々木博子と福澤清の関係を聞けば、「福澤清の選挙を手伝った関係だ」と言う? 鼎上山が選挙区だと言うが、数年前に母親と二人で移り住んだようだ。ただ、羽場曙町が本当の地元だとしてあいさつ回りするのは、苦しい状況が見て取れる。女性票がかなり見込めると思われるが、浮動票が頼みの綱とみている。
直面する不正や犯罪に立ち向かえるのかとみれば、それは全くに気配がないし、さわれることもできないだろう。特に、福澤清の評判がよろしくないに、私の文書を捨て去る太々しさは、ほかに向けていただきたい。
橋爪重人
票田が少ない下久堅で出ることは小林真一と競い合うということになる。片や公明党であればとの考えは地元ではあるようだ。上久堅の同級生の案内で面談したが、まあ、まとまった票は集まるのではないか。かいつまんで話した飯田市の不正に、出ばなをくじかされた感も見て取れた。今起きている現状を知れば、右往左往しようとも取り組まざるを得ないだろう。信金と綿半の関係者が選対の中心であると言っていた。さんざんに、信金と綿半の不正を話した後にだ。まだ若いが、そう、考えも若すぎる。これでは不正議員らに取り込まれ、声を上げることもないだろう。正直期待に値しない。令和3年4月18日
下平恒夫
下伊那農業高校の後輩であるようだ。専業農家で農業政策を中心においての出馬は、さすがのものとみる。初対面での感じもそのままで、人当たりもよく考えもしっかりしている。竜丘地区とすれば大票田だが、三人出ているから厳しいという。あいさつ程度で文書を渡して話したが、大概のことは知っているようであった。「当選しなければ」は、農業政策にあることだが、当選すればやらざるを得ないは理解しているようだ。「親子二代が居れば」の話は、農家としての継続に自信を示す。今の飯田市に理念を持っての出馬は理想的でもあるが、これから起こる変化においては少し遠い夢だ。ただ、できもしないことを公約に挙げるほかの候補者より、優れていることに違いはない。
筒井誠逸
座光寺から突然の出馬である。大票田の座光寺が荒らされることに危機感を感じたのかと思えばそうではない。何か違うところで動きがあったようだ。会社に訪ねるに、やはりあいさつ回りで忙しく、奥さんが相手をしてくれた。感じは良い。そしてわきまえても居た。設備工事の社長会長としての実績は大きくあるのだが、やはり、建設業界の一員として、常識的な考えであることはいがめない。その常識が飯田市の不正の根幹なのだが、この年代でこの立場だと、まったくもって体制派の考えにあることだ。文書を渡して奥さんと話せば、感が良いのかある程度の噂なのか、受け止め方は深くあった。まあ、議員となって直面すれば、勝たれることは何もない。はたして、後ろめたさだけでも感じてくれればよいが。令和3年4月20日
他はどうでもよい
橋南で奥村晃好が出るとした。なぜか、忘れていて文書も足りず、かといって調べても探り当てることが出来なかった。橋南? 原勉から後に誰か居たのだろうか? ハラベンは後継者も残さず、自身の肩書や再就職先に奔走した奴だが、橋南での候補はやはり居ないと見た。選挙事務所の報が聞こえないと思えば、出馬断念したようだ。要するに、後援会が立ち上がらなかったと言うことになる。自力で出れば先が開けるに、その様な気骨が無ければ騒ぐでないと言いたい。
共産党や公明党
こんな奴らはどうでもよい。党を名乗って市会議員の選挙をするなと言いたい。くその役にも立たない政党を盾に選挙しても、公明党だ共産党だとの議員活動は国政でやっていただきたい。だいたいにして、不正を行った牧野や佐藤市長を何一つ追及できなく、市民を証拠もなく訴えるような政党にいったい何の価値があるのか。
腹立たしいが、当を借りれば当選できることが卑しくある。
下馬評
特に期待するものは何もないが、せめて現状を知っていただきたいと文書持参で面談するに、やはり、当落線上にいる者は見えてくる。下馬評とはいかぬにしても、要素は十分にあるものだ。三人落ちの議員選に沸き立っているかと思えばそうではない。すでに選挙は決まっており、いつものようなお祭り騒ぎにおいての下馬評は、正直覚めても居る。そんな中で、現職が一人落ちると私は考えている。
貧乏くじ
落選する者は落選することで、当選しようとの意気込みでの落選は貧乏くじかもしれない。人のことを言っているのでなく、市長選、村会議員戦に続いて立候補した自分の話である。「市長に成る」として選挙をした。「立候補する」として村会議員選挙に出馬した。似ているようで非なるものだが、そこは当人でなければ分からないだろう。当選しようとか、落選するのではないかと考えたことは一度もないが、人は、「当選できっこない」「落選するのは当たり前」との判断で、貧乏くじとは言っていない。そんなところで市議選を見れば、「貧乏くじは誰だ?」が、いつものように始まっている。この差を感じない者を私は鈍感だと思っている。令和3年4月22日
選挙結果
お待たせしたが、下から順番に名前を挙げておこう。「野崎直仁」伊賀らに移り住んで四年足らず、「今年は100万円赤字する」として、荒廃地を取得して米を百表作っているが、市は何度頼んでも何も助けてくれないとして、私のところに来た。高々三年の農家経験で、すでに音を上げたご仁である。自分のことを考えての立候補、それは既に見透かされている。十数票取ればよいところではないか。
二番目、南信濃の「西森六三」地元ではなかなかの有名人物であるらしい。それだけの行動力は今の飯田市に刺激を与えられると期待するが、何分地元表が少ない。また、身内の協力が見えないと、新人では難しいのではないか。500はいかないかもしれない。
さて、三番目であるが、新人二人は決まっているとして、三人目は現職の落選になると思われる。たしかに、三人目も新人として読めば、下久堅の橋爪重人は厳しい状況にあると思う。小さな票田で公明党の現職がいる。公明党は厄介で、創価学会の票だけだとみれば間違いで、「地元代表だ」としての選挙戦を振り返ればわかるだろう。まあ、上久堅のほとんどは橋爪に流れるとすれば、最後の席は拾うと思う。
佐々木博子は複雑である。女性票を期待するは新人関島百合も同じこと、しかし、関島百合は社民で木下容子の後継である。いわゆる組織票は安泰となるうえで、情勢票の上積みもあるだろう。関島は毛賀地区で木下徳康と争っているが、木下徳康は評判が悪い。当初は木下徳康が三番目とみていた。
木下容子は羽場地区で熊谷泰人と二度も争っており、二度が二度とも木下容子が圧倒している。その分熊谷泰人は票の上積みを期待しているようだが、それほど地元票は木下容子に行っていなかった。少し絡みすぎてしまったが、女性票を浮動票とみるのは間違いで、独身である佐々木博子は女性受けはしないものだ。
ほかの新人で気になるは、やはり佐藤道成ではないか。伊賀ら地区は大票田だが、ここで4人の立候補はさすがに多い。たしかに野崎を無視しても、公明党の新人宮脇邦彦は強くある。そうなれば、後援会組織を持たない佐藤道成は厳しいものとなるだろう。
だが、そこのところを深く考えれば、佐藤道成はなぜ出馬したのか? に疑問を持つべきだろう。顔役、土着権力の強い特殊な伊賀良地区、上郷出身で伊賀良北方に居を構えてもよそ者だ。そのような爺のいじめはひどくあって、それも周りは当たり前にとらえているのが現状だ。そのような地区で4期も当たり前として新井信一郎が居る。軸権力者に逆らい、向こうを張って出馬するには相当の覚悟と信念があると思われる。
三人目の現職は、新井信一郎だと私は見ている。それでなければ、飯田市はつぶされるにふさわしいはずだ。令和3年4月24日
選挙結果
市会議員選はやはり地区票の集計であった。土着風潮は歴史的なものなのかと考えさせられるが、地元の代表となれば、市会議員はそれでよいのかもしれない。
これから話題になるは議長の席である。当然に会派のぞみは熊谷泰人を推薦し、会派未来は伊坪隆を推すだろう。福澤清の後釜は佐々木博子、三人の会派は継続することになる。社民は二人、共産党も二人、この辺りは問題でないが、公明党がどう動くかにかかる。永井一英を議長推薦するのも見えてくるが、のぞみと組するのは歴史的で、前期と後期で分け合う線が妥当案だ。会派未来が四人になれば伊坪隆の目も浮上する。まあそうなれば、会派未来を消滅させるのが条件となろう。どちらにしても、会派のぞみが熊谷泰人と新井信一郎に割れなければの話だが。
最後の議会
飯田市としては最後の議会になるだろう。何を書いているのだとお𠮟りを受けるかもしれないが、行政犯罪はそのような結果しか出ないのであって、法律で対処できない犯罪であると知れば納得がいくだろう。今までを当たり前だと見るは、不正や犯罪が行政や議会であっても知らない顔をすることだ。何をどうしようと勝手ではないと思い知り、子供たちに何を残すのかを問えばよい。令和3年4月26日
知らないでは通らない
佐藤市長と議会議長への公開質問状を新人議員に渡している。これまでにその経過を書き出しているが、踏み込んだ話はしていない。議員に成ったとして、すぐにこれらの問題にあたる必要はないが、いづれはすべての事件について対応せざるを得なくなる。そこまで頭が回る新人議員は一人も居ないし、前期の議会で解決したとされれば、たとえ気骨がある議員であっても取り付く島もない。
公開質問状を新人候補者に配るにおいて、無駄なことだと考えなかった。少なくとも事実は知ったこと、文書を横に置いても知った情報となる。これから何が起こるにしても、知った事実を放置するか取り組むかで、その後を市民が評価するだろう。現職議員後援会は、「うちの議員」と前置きし、「地区代表だ」「地区のために頑張っている」との思いれで私を批判する側にいるが、結果はそのままに返っていくだろう。
民主主義の根幹である選挙は人権の一種であるが、選挙において選ばれた議員は住民の権利(人権)を遵守するのを目的としなければならない。住民の権利は多種であるが、議員に託す地域の課題は、多くある権利の一つでしかないことを住民は知るべきだ。社民党系が口にする「議員は飯田市全体の課題に取り組むべきだ」は、あるめん的確な指摘であるが、それを推し進める能力に欠けている。公明党はどうかと言えば、公明党ほど中途半端な党は実にない。最大の理由は、自民党と同調しながら中国とのパイプを維持しているからだ。「中国へは布教活動しない」との密約を交わしているのが何よりの証拠であって、その様な宗教活動を重視する公明党には期待するところが何も無い。それこそ「人権」を主張しようものなら「創価学会の信者になれ」と勧誘されるだろう。令和3年4月28日
何のために公開質問状を提出したか!?
章設計がごたごた言っているとか、市長選のしこりだとか、その程度において後援会へは説明しているだろうし、市民もまた、その様な事への関心も示さない。大体にして、最初の公開質問状に返事が来ないものを二度まで出すことに、異常性や馬鹿らしさと言う概念でとらえられていると思う。どのような関心ごとでも、噂と同じ、のど元過ぎれば何とかで、選挙が終わればそんな話はどうでも良いことになる。
砂を嚙む
公開質問状の当事者は、佐藤健市長・代田昭久教育長、現職議員等であるが、彼らは砂を噛んでも十分に味わっていることだろう。再選した議員においても全くその状況にある。仮にも議員で、それら質問状に二度まであたれば、とても無視できる内容ではない。報道機関とて同じこと、質問状での質問は既に行われている。「返答しません」との回答は二度ともあったが、それが質問状への正式な回答となっている。何よりも、質問状を受理して、それら内容を鑑みての回答であるに違いはなく、公開するしないも、いつものように関係は無い。市長や議員が質問状に見合った返答が為されなくとも、または、それら質問の工程や否定が無くとも、回答は行われている。
例えば、「代田教育長はコロナの感染源者だ」とのことは質問ではなく、「代田教育長が感染したことを公表しなかったのはなぜか?」が、質問なのである。それに対して報道機関は「教育長さんが感染源者ではないかと言われておりますが?」と質問し、「誹謗中傷だ」と代田教育長は答えている。これは外野の声であるが、議会はそれにすっかり反応した。令和3年4月30日
体裁の整え
議会は形態であって答えを出せるものではない。形だけを整えば、それで通用する。答えを出すのは議長であって、その答えには責任が伴う。うがった言い方であれば、「湯沢議長は責任を取った」と言うことになる。「癌で半年だ」とは、嘘ではないがそれほどでもないようだ。議長を最後にも格好はよい。だが、後継者については全くに不自然であった。「どういうことか?」一連の騒動、とくに、市民(章設計)を訴えることに意見を言った同級生は、「裁判でハッキリしてもらえばよい」との返答に力を落とした。そして、「癌でもうやる気がないようだ。話にならない」とも言っていた。
第三者か見ても、湯沢議長の返答に首をかしげるだろう。市民を訴えるに議会の承認が必要なのは、議会は市民側の査問機関であるからだが、湯沢議長はそれら経緯や経過を社会文教委員会にまかせ、議長として判断していない。それを同級生が指摘したのに対して、判決でよいとしたは、議長としてあり得ない。
市長側に立つ議会
少し騒ぎが起きれば、「首長と議会は両輪である」などとのたまうが、そんな機能性は飯田市議会に存在していない。どの議員も不正に染まりすぎて、市長や職員側で判断しているのが現状である。社会文教委員会で最初に起きた不正は、「章設計を契約解除する」を、認めてしまったことにある。このあり得ない事実があるために、そしてそこで責任を取らない議員が居たために、すべてが狂ってしまったのだ。 令和3年5月2日
誰が一番悪い
一番悪いのは牧野光郎前市長であるが、この男は犯罪までの頭が回っていない。総務省から言われれば、代議士から声がかかれば、それに応えるのが市長だと考えている。佐藤健を副市長にしたのも総務省の声がかりだ。ケフィアかぶちゃん農園とともに突然やってきた。詐欺事件が起きれば早々に引き上げさせ、警視庁の捜査に手心を加えさせる裏の力は総務省にあるが、あとの始末に市長にさせるとは、世の中高級官僚で動いているのが見えてしまった。ここでやっとこ気づいた牧野光男、自分の首が危ないと見るや変わり身は早かったが、総務省の力にはかなわぬと見た。そして、いまは主犯になろうとしているが、唯一の逃げ道は秘密を厳守することにある。
私の秘密
いくつもの不正が絡みついたために、何が秘密かさえ分からなくなってしまった。一番の秘密は何であったのか、それは私と佐藤健しか知らないであろう。そして私はその秘密を暴露するに、しっかりと裏付けを取っているのだが、あまりの犯罪に、世間がついてこれないところがある。分かりやすく書いても信じないのがなりよりだが、どんなに難解なパズルであっても、PCに組み込めば答えは完全に出てしまう。つたない文書であっても、すべての事実を書き込めば、いづれ答えを導いてくれるのだ。令和3年5月4日
契約解除の理由
契約解除に明確な理由がないから訴訟になった。ようするに、契約解除の本当の理由が分かれば、それが秘密だということになる。案外に答えは単純明確で、過去の書き出しにすべての答えがあるのだが、ここまで書き込んでしまうと、正直私自身が整理つかないところに在るようだ。
そういうわけで、簡単明瞭に整理すれば、章設計を契約解除するに、「どうしても契約解除しなければならない」との結論に至ったと言うわけだ。「どうしても」は、契約解除しなければ困ることが有ると言うことになる。その困ることが何かと言えば、「犯罪が露呈する」以外にない。ずいぶん物騒な話になってきたが、物騒どころか「佐藤健は犯罪者」だと決めつけ、このコーナーを始めている。何も初めてのことではない。市長選の前、佐藤健の後援会に、「佐藤健はかぶちゃん農園詐欺事件の被疑者である」と文書を送り付けている。どうだ、相当な話ではないか。だが、ここで気づいていただきたいのは、後援会に送り付けた佐藤健の犯罪は「かぶちゃん農園詐欺事件」であって、章設計を契約解除するに至った「犯罪が露呈する」とは何も関係ないことだ。かぶちゃん農園詐欺事件は、佐藤健の経歴の中で浮かび上がってきた想定であって、それが経過的に被疑者と断定できる状況になったということである。確かに想定だが、その想定に至るについて、警視庁の情報が伝わってきたのは確かである。私の書くことが想像の世界であるならば、佐藤健は後援会に約束したとおり、「章設計を名誉棄損で訴える」を実行すべきではないか。令和3年5月6日
露呈する犯罪とは
平成28年12月28日、のちに副市長に成る木下悦夫建設部長は章設計と交渉した。ここに、熊谷泰人議員の同席が有った。これが章設計を契約解除する始まりになるのだが、ではそれまでの経過の中において、犯罪と言えるようなことが飯田市行政側にあったのか? と言うことになろう。
確かに居意地悪をされた。その原因は、「章設計が、飯田市の意図する設計落札業者でなかった」からだ。何とかして追い出そうとされたのは事実で、それらは振り返って読み返せば、事細かく書いてある。確かに不正はあった。福澤清議員と吉川建設の役員が、「藤本設計に飯田荘の設計をさせろ」と口利きを佐藤副市長にしたのも事実、抜け駆けだとして怒った鈴木設計が、業界談合で落札候補者になり、藤本設計を下請けとしたのも事実。これらの裏には「飯田市の設計料は3.5%」との官製談合が存在していたのも事実。だが、これらのことが露呈するとの危険性は、木下悦男建設部長が間に入り奔走したことで一応のおさまりを得た。だからして章設計に交渉に来たのだ。
何を交渉した?
「設計工期はいつまででも良い」「鉄骨造を止めて木造にしてください」「敷地を平らにして段差をつくらない提案も採用します」「基本設計が必要ならやってもらって構わない。設計料は払います」このように、驚くほどの譲歩を見せているが、なぜこんな甘ごとをわざわざ言いに来たのであろうか? 要はそこである。そこが何かということで、章設計へ行って交渉せよと指示したのが、佐藤健副市長だったのだ。令和3年5月8日
交渉は決裂していない
木下悦夫建設部長はまとまる話だと考えていたと思う。それは、熊谷議員が前触れもなく当社に来て出迎えた様子からでも分かるが、二人の間では解決した話であったようだ。だが、私は断った。それも、章設計と交渉してはならない、交渉することではないと断っている。要するに、交渉する話ではないと言うことだ。章設計は設計業務を請け負っており、よりよい提案をしていることであって、それが何らかの条件になることはない。だからして、いろいろな条件のうち、設計に関していない件について断ったのだ。そう、「設計工期はいつまでも良い」について、「9月18日の契約において、10月末まで市の都合で延期された分だけの延期で構わない」として、2月いっぱいまでの延期をお願いしている。「基本設計料は必要ない」基本設計として実施設計を行うので、基本設計の話はどうでもよいと伝えている。
なぜ契約解除に走ったのか
「鉄骨造を止める」「敷地を平らにする」他にあれこれ提案を採用すると話されたが、それらは平井監督員と飯田荘の担当者との三者で検討していきたいとお願いしている。だからして交渉は交渉でなくなっただけで、決裂したわけではない。副市長を首になった木下悦夫であるならば、もはや何も気にするところはないだろうから、事実を知りたくば聞けばよい。
木下悦夫建設部長は、とんでもない事実を私から聞かされたのだ。だからして、それをそのまま副市長に伝えるは、結論として、章設計を契約解除するしかなくなったのである。この件は、熊谷市議から聞かされていたが、熊谷市議自身も、これが原因だと分かっていない。(そこが恐ろしい)令和3年5月10日
本日11日は、飯田市コーナーの更新日ではありませんが、ある方からコメントが有りましたので、少し説明いたします。
飯田市も阿智村も、日々書き出すコーナーは今までの継続でありまして、くどくもありますが、いままで書けなかった部分を書いているつもりです。有料コーナーを設けたのは、資金難の為では毛頭ありません。警察に伝えられない事や証拠内容などを書き出しております関係上、警察や報道機関が閲覧できないコーナーとしております。
警察に逮捕させることや解決を目的としておりませんし、市長に成って不正を無くしたいとも考えておりません。市長に成るは、二次産業や三次産業への特化選挙に異常性を感じ、農林業に目を向けるべきとした考えからであります。行政における不正は確かにどこにもありますが、それを当たり前とする住民感覚に目を向けなければ、本来の社会が成り立たないでしょう。反省すべきは住民であって、犯罪者一人一人に罰を与えることではありません。
いたるところ、阿智村も飯田市も犯罪が多すぎて、またそれら犯罪に係る者たちが行政の執行権者であったり議員であったりで、とても複雑であります。確かに分かり辛いのは有りました。分かりやすく書けば、その先を知りたくなるのはどなたも同じでしょうが、私はその先が見えており、それを避けたいがために混乱させようと考えていました。ですが、阿智村も飯田市も、もはや限界に来ている状況でありますので、これからは、現状現況に合わせて書いていく所存であります。
訴訟
今現在、章設計は飯田市と争いの中にあり、裁判と言う最終手段において結果を求めております。損害賠償請求ですからお金においての結果となりますが、今回の裁判については裁判官から公開の停止が為されております。(ネット検索で『裁判公開の停止』で検索すれば、いかに大変な状況なのかと判断できると思います)そのような状況において、飯田市との裁判に関する内容は書くことが出来ません。
近いうちに阿智村で三つばかし提訴いたします。ひとつは『土地無断使用』もう一つは、園原部落をあいてに『人権侵害』です。特に、『土地無断使用』の裁判は、行政犯罪や岡庭一雄の犯罪、熊谷村長の犯罪、それに、へぶんすそのはら白澤社長の犯罪など、盛り沢山に出てまいります。これも有料コーナーにて新たに始めたいと考えております。ほかには、盗伐裁判の判決後に補助金詐欺として提訴しますし、園原水道について、水道料の返還を求めて裁判を起こす予定です。これらの訴えにおいて、その裏にある犯罪の立証を求めることを目的としています。
飯田市の有料コーナー
議会に提出した質問状の内容を『飯田市行政にかかわる犯罪の実態』、佐藤市長に提出した質問状の内容を『佐藤健飯田市長の犯罪』で提示し、それに併せて書いております。すべて犯罪でありますので、いずれ住民訴訟を起こしたいと考えておりますが、そこまで進めるに、何分議会議員が市民側に居ないため協力を得ることが出来ません。開示されるべき文書も拒否されております。また、新人議員に質問状と関係文書を渡しておりますが、誰もかも、見向きもしない有様です。「よくモチベーションが続くなー」と、なかば揶揄ともとれる発言が寄せられますが、一人戦うに辛さは有りませんが、困難さはどうしてもついて回ります。正直、裁判費用も大変ですし、貯金もそうあるわけではありません。法治国家でありますので、国民に与えられた権利を行使したいのですが、行政にある証拠が手に入らない限り、訴えることも出来ません。どなたか、応援した議員に、必要とする文書を手に入れていただけるようお願いできればありがたいのですが。
市民団体
飯田市には市民団体が有りません。長野市にも松本市にもオンブズマン団体は有りますが、どういうわけか飯田市だけにオンブズマンは有りません。どの市民団体も弁護士がその中心的立場におりますので、早く言えば、飯田市にはそのような弁護士が居ないと言うことです。オンブズマンの役割は『行政の不正をゆるすな!』でありますので、『行政と争っても勝てるわけはない』と言う飯田市の弁護士たちでは、もともとに、金儲けだけが目的なのでしょう。
犯罪があるから解除された
わたしが、知りすぎた男になったのだ。藤本設計の口利き不正や、綿半と地域計画課の癒着を騒いだのは熊谷議員である。そこに章設計は何も介在していない。熊谷議員が勝手に騒いだのである。そこの始まりが、今回の市議選において、会派のぞみが分裂するきっかけとなっている。
犯罪を質問した
有料サイトで公開質問状に目を落としていただければ、すべてが分かるでしょう。そう、私は隠されている犯罪を質問しているのです。このような質問状を受け取れば、議員誰一人受けごたえ出来るはずがありません。いつものように、返答がないことを承知のうえで、質問しているのです。どうしてそんなことをするのかは、やはり追い詰めることであって、窮鼠猫を噛むではありませんが、どこかで逃げ道をつくっておけば、そこに向かってしり込みするでしょう。一度退散した猫にもはや現役としての力はなく、また、自分を守ろうとして必ず人のせいにするでしょう。そうなれば自然と口は軽くなり、正直になれるものであります。公開質問状は公開しなくても十分にその効果はありますし、烏合の市民に何を問いかけても無駄であって、そこに期待を寄せるものでもありません。そんなわけで、近いうちにもう一度、新しい議会に質問状を提出する予定があると申し上げておきます。令和3年5月12日
会派のぞみ分裂の裏側
5月1日付けの南信州新聞で会派のぞみの分裂記事を目にしたが、少し驚くとともに、その裏に見え隠れする汚物が何であるのかは、十分に伝わった。会派のぞみの分裂を市民はどのような目で捉えたのだろうかと思えば、そこに対して関心を寄せる者はほとんどいないだろう。よくて、「議長選に絡んでいるな」くらいだろうが、実は、そこが最も重要な事なのだ。議長選に絡む? と成れば、新しい会派の代表が熊谷泰人議員(8名)と清水勇議員(6名)であることに違和感を覚える。会派のぞみの古株は新井信一郎であるが、この男はとかく評判が悪い。古田芙士元県会議長でさえ「あのバカ小僧が!」と、他陣営を回っていたほどだ。会派のぞみであれば、熊谷泰人議員が議長になることは他の会派議員も認めるところで、それが分裂したとなれば、新井信一郎を議長にとの動きが会派のぞみで出たと言うことだろう。
表向き
ここまでの推察はある程度の市民であれば想像がつくだろうが、「そんな程度で分裂か?」 と考えれば疑問がいくつも出てくる。前期と後期で分け合えばよいではないかとなるからだ。8名と6名での会派と成れば14名であって、選挙前の12名より2名も増えている。圧倒的な力の政治が出来る会派となるに、分裂はそこに意味をなさない。であれば、分裂に公明党(3名)や会派未来(3名)の思惑が作用したのか? との疑いも出るが、会派のぞみから副議長の座を与えられることで、前議会を無難に乗り切っているからして、この二つの会派も影響が無いことである。
表向きは「発展的分裂だ」(熊谷議員)と公言しているが、そんな生易しいことで分裂までの熱量を持ち合わせる者はいないだろう。だとすれば、何か途方もない理由がその裏にあると言うことだが、それを勘繰れば、まず、「熊谷議員と清水勇元議長の仲たがい」に目を向けてはどうか。それに加えて、清水勇元議長と武村圭史議員は社会文教委員会で疎通していたことにも気づけば、分裂の理由は、これからの議会運営をどちらが握るかにかかっており、その最たる目的は、議長として過去を清算するのか隠蔽するか、ハッキリとした理由がそこに存在しているはずだ。令和3年5月14日
選挙違反が出た
令和3年5月14日、信濃毎日新聞・南信州新聞に「市議選選挙違反」の報が載った。新人議員の後援会が事前運動したらしい。報道機関がハッキリ書くは、違反者が任意同行を求められて飯田警察署の取調室に居ると言うことだ。(選挙違反の新人議員は誰なのかは『飯田市行政にかかわる犯罪の実態』の有料コーナーに書き出しています)
選挙違反陣営はどこだ!
火の無いところに噂(煙)は立たない。清水勇議員を代表とする希望とかいう会派に入ったのが噂の新人議員だと聞くが、その会派はやはり新井信一郎議員を議長候補としている。6名の分裂会派が候補者とするに、それが原因の分裂だとみるのは当然だが、それだけで分裂までとはいかない。その理由に、熊谷泰人議員が議長選に立候補していない。
誰が選挙違反したのかは議員全員が知るところだ。その新人議員が居る会派で議長候補者を出すについては抵抗があるが、もはや目的に向かっている状況であれば、突き進むしかないということにもなる。果たして裏事情を知られずして、見事議長に新井信一郎がなれるのだろうか。
会派未来
伊坪議員はもともとに、会派のぞみに居た者だ。市長選のしこりにおいて分裂しているが、のぞみに戻りたいとするは聞こえていた。このような過去を振り返れば、伊坪隆議員が議長に名乗りを上げるのは規制路線で、それも十分な勝算があってのこととみれば、会派のぞみが分裂するに、そこも一つの原因であったとするがよい。要するに、評判の悪い新井信一郎を議長にするのであれば、会派のぞみはまとまらないと、それであれば、議長選後の再編成もあるとするは、これら議長選の駆け引きだ。
公明党は会派のぞみに歩調っを合わせてきたし、政党での活動ははっきりしている。会派未来はイデオロギーもなければ理念もない。そのように考えれば、会派未来3名と公明党3名、新生飯田8名で、すでに14票となる。勝負をする前に決まっている議長選挙、私はこのようにみている。令和3年5月16日
本当の裏事情
熊谷泰人議員が議長選に名乗りを上げないは、彼は利口であるからだ。飯田市にある多くの不正を知りすぎれば、今動くべきかは誰よりも分かっている。不正に取り組んでも議員らに疎ましくされれば、暗黙を取るはやむを得ない。だが、それは隠ぺいと同じであって、その時点で並みの議員に成り下がる。蝙蝠男を一度演じれば、もはや自らを律するにも余りある。だが、飯田市議員はレベルが低かった。それは市民が知らぬところが平然と続けられていたせいでもあるが、慣例と恒例の使い分けが出来ないせいだろう。
別れた訳
男女の別れと同じく、一緒にいるのが嫌になったのだろう。市民は単純で、その様な感覚に毛が生えた程度であるのが幸いだ。私は偏屈で、嫌になっての嫌が気になるのだ。別れたと聞けば、互いが納得しての結果だと見るは当たり前、だが、どっちが割ったのかと問えば、清水元議長が別れを切り出したのも当たり前なのだ。「新井信一郎を担ぐ」が表向きの理由だろうし、議長選に向かえば市民も同じ見解とみるは必至、だからしてのやじ馬は、どっちが議長になるかが下馬評の最たるところだろう。同じくして、わたしも「伊坪隆議員が議長になる」と、下馬評評価したのであるが、それにはそれなりの根拠があると言うことで、その根拠が隠されている不正につながっていくのであります。
裏事情
新井信一郎議員一本に会派のぞみが絞れなかったと見るはその通りであるが、では、いったい誰が新井信一郎議長を阻んだのか? と考えてみたらどうだろう。熊谷議員か? それとも? と思い浮かべてもそこから先が思い浮かばない。では、熊谷議員が反対したのか? とすれば、反対する理由は何もない。そうなれば、新井信一郎を議長にするに、会派のぞみが分裂する理由などもっとないことになるではないか。令和3年5月18日
キーマンは福澤克憲議員
だんだんに、裏事情が見え隠れしてきたが、まずは伊坪隆議員が議長になる状況を示そうではないか。したたかな男は、勝算無くして議長に立候補するほど馬鹿ではないし、会派未来は成れて副議長と甘んじている。伊坪隆議員が議長となれば、新生いいだと一緒になるは見えている。ようするに、会派未来を消滅させるのが、議長に立候補できる条件と見た。
そして始まった
一応想定通り伊坪隆議員が議長になった。この程度の流れに鼻を高くしないが、その裏事情が面白くある。「キーマンは福澤克憲議員」としての見出しを今こそ説明しようではないか。福澤克憲議員は今は無き社会党であって、羽場地区から出ていた熊谷泰人議員のライバル木下容子と会派市民パワーを組んでいた。福澤克憲が社会党系であるは、飯田市役所職員として職員組合の代表を務めていたからであり、高得票はその職員の支持によるものだ。だが、この男が清水勇や新井信一郎と組したことにその裏事情があるのだ。清水勇が最大会派のぞみを出るのは熊谷泰人との確執もあるが、その辺りは別段で書くとして、割って出る議員らに与し、尚且つ、社民党系である木下容子の後継関島百合を袖にするとは、相当なるわけが福澤克憲にあることだ。社民党を捨てた結果は次回に持ち越されるが、裏切られた後援者の気持ちはもはや社民系に戻ることは出来ないだろう。飯田下伊那には多くの社会党が居るのは確かだ。それが、個人の理由において政治信念を曲げるとは、それほどの事情があると言うことになる。
共通事情
裏を返せば、清水勇や新井信一郎、それに岡田倫英、そして福澤克憲に、共通した事情があるのだ。そこで、共通しているものが何かと、その様に略歴を見れば、新井信一郎を除き、他の三名は社会文教委員会の委員を務めていることが分かる。特に、清水勇は藤本設計事務所の口利きをした福澤清前議員が社会文教委員長の時の議長であって委員であり、章設計契約解除を経過上承認している一人でもある。熊谷議員に「行政が章設計を違約金未払いで訴えることに対して『市民を訴えるのは時期尚早だ』と反対した」と話し、それを口止めした。熊谷議員は内緒にしてほしいとその話を私に伝えたが、清水議員に責められたようで、「俺はそんな話はしていない」と、私の電話に開き直っている。「証人には成れない」と、断られた時の話しである。令和3年5月20日
共通犯罪
共通の裏事情があると言うことは、そこにある不正に関与するも共通していると言うことだ。岡田倫英議員は社会文教委員であって、江戸浜町の飯田荘近くに自宅が有り、藤本設計とのつながりも深い。ここまでくれば話は見えてきたのではないか。清水勇議員とともに会派のぞみから出た議員らは全員社会文教委員会の委員であって、福澤克憲議員もまた委員として関連しているということだ。
議長選に関心はないとしても、議員の駆け引きはいつものことだとしても、そこに絡む裏事情は複雑であって、それらに共通するにおいがするのであれば、少し興味を持って考えてみたらどうか。
共通認識
ななめ読みをしていただいても結構だが、私が記すに無意味はけしてない。何よりも、私自身が書くことにおいて整理をしてるとみていただきたい。官製談合の継続、かぶちゃん農園詐欺事件、飯田荘改築に絡む贈収賄と違反建築、タブレット配布リベート、これらの犯罪と思われるすべてが、佐藤健市長と代田昭久教育長の登場において始まっていることに気づけば、少なくとも、これら議員の共通認識は、市長教育長の犯罪に、大きくかかわっているということで、互いが身を守ろうとして市民を離れ、行政側についたということではないか。令和3年5月22日
飯田高校が一番だと言う立派な市民らよ、それほどに頭が良いのであれば、このような犯罪は詳しく書かずしても簡単に解明されるだろうし、議員選や議長選の裏に何があるのかは、言われなくてもわかっているのではないか。だからして、飯田高校卒業生で立派に解決されて、やっぱり飯田高校だと市民に言わしめてみたらどうか。
県警に何を期待するのかは市民それぞれの判断であろうが、犯罪を簡単明瞭にして、証拠を届けても警察は何もしない。訳の分からない爺が市長選に立候補して騒いだ。ブログでおかしなことを書いている。本を書くのは売名行為だ。このような揶揄を気にすることはないが、誰にもわかりやすいのであれば、こんな話は物語でしかない。
何かをしようと考えていない。佐藤健や代田昭久が憎いわけでもない。警察が逮捕すれば終わるのか? 明日から飯田市はよくなるのか? 当面の不正がなくなって何になる? そんなことは頭の片隅にもない。ただ一つ、行政に平等性がなくして社会は成り立たないと、そこに正しさを求めなくては、子供たちに何を残せるのだ。
不思議な現象
これが良いとも思わなかったが、騒ぐためのブログは十分に用を足した。多くの読者が居たことは、それなりの状況を生み出してくれたのも確かである。法律で扱えないもどかしさと死んでいる報道機関はいかんともしがたいが、確かに国の助言は的確であったかもしれない。新しいサイトを開くきっかけは五万字にも及ぶ容量オーバーであったが、関連する犯罪の整理が一段落したのも事実で、一応のまとまりで終わることが出来た。新しいサイトは少数の閲覧にとどまっているが、ここで不思議な現象が起きている。古いサイトのアクセスが、依然とほとんど変わっていないのだ。くどいとか文才がないと揶揄されるに、今までの読者が古いサイトを読み返すことはないだろう。だとすれば、古いサイトを見ていない読者が増えたことかもと、案外に、そこに何の現象をみるは希望的観測なのだろうか。
新しいサイトは正直読者のために始めたわけではない。阿智村も飯田市も、犯罪に関与している者はもう見ることはないし、関心ある人が見ても、たいして期待に添えていない。想像とか憶測とかに見られていたことを、事実として進めるに、読者に理解されても何の意味もない。
肝心なことは何一つ書いていないことに気づいた人は、これから起きることに目を向けて、何をかいわんやを後で知っていただきたい。肝心なことは、私が書きだしていくことのすべてが犯罪だと言うことだ。犯罪だからして私が答えを書くわけにはいかず、理解されても何も応えられないのである。
議会が始まる
伊坪隆議長が誕生したが、伊坪が議長になって変わることは何もないだろう。章設計との裁判だとか、飯田荘の違反建築などどこ吹く風だ。確かに、章設計の裁判において勝とうが負けようが、形の上で議会は関係ない。「負ければ上告する」とのたまう議員もいたようだが、お門違いも甚だしく、口にする議員のお粗末さが残るだけだ。
関心は社会文教委員会
飯田市が負けるのは損害賠償請求であるからだが、それで負けたとして賠償額を支払えば済む。それで市長が責任を取ることはなく、飯田市としては「判決でなければ支払えない」とする、行政機関の処理であることだ。上告などと騒ぐことでもないし、まして、議員が口にすることでもない。なのに口にした。そこが問題なのだ。必要が無いことを口にするに、そこに疚しさを見るは、不届きな議員ばかしが居ると言うことだ。その不届きが議長選の結果であり、会派のぞみが消滅したことにある。議長選に垣間見られた裏事情が、今後に大きく作用するのである。
熊谷議員が利口だと言ったのは、こずるさばかしを言うのではなく、責任を取る議員らを明確にしたのを指してのことである。何よりも、腹心である木下徳康を社会文教委員長に据えたのに表れており、そこに清水勇元議長との駆け引きが見られるのだ。清水勇元議長は当然に社会文教委員長を狙いに来る。そこを止めるには議長に立候補しないと言うのが熊谷議員の考えであって、清水勇元議長は新井議員を議長しなければ成らない人事なのだ。まあ、見事な作戦だったが、木下徳康議員に、社会文教委員会を仕切れるかに今後が掛かっている。令和3年5月24日
対峙するのは代田昭久教育長
木下徳康社会文教委員長に対峙する行政側は、代田昭久教育長である。それが当然の姿であって、実権は、代田昭久教育長が握っていると言うことだ。さあ、これで概要が見えて来た。熱心な読者なら、ほとんどの筋書きが読み取れたのではないか。考えてもみろ、職員に命令できる役職は、市長副市長と教育長しかいないのである。木下委員長が対峙するのは、まごうことなき代田教育長であって、退治できなければ同じ船で沈んでいくだけだ。
大きな波
木下社会文教委員長に何が出来るのかではなく、何が起きていたのかを表に出せるのかが重要だ。隠ぺいは常に行政側にあり、社会文教委員会も操られてきた。清水勇議員のお粗末さは、行政側の隠ぺい工作に気づかず、後始末において自身の責任を逃れようとしたことにある。どうしてそうなったのかは、ひとえに議長であったと言うことだ。大きな波はもうそこに見えているに保身に走るお粗末さは目に余るが、何かの裏がなければそこまでしないのが世の常であって、波に溺れても助ける者は誰もいない。
清水元議長からの視点
木下克志が議長の時、熊谷議員から飯田荘改築にかかわる不正を聞かされた。「それをやるには覚悟がいる」と熊谷議員に助言しているが、その後議長になれば「三つに分けて解決する」と、章設計の陳情に対応している。何を三つに分けたのかは録音してるが、一度口にしたことにおいて確かに動いたのは動いたが、お跡がよろしくなかった。「陳情書として取り扱わない」との返答文書には驚かされたが、それよりも「裁判にならなければ議会は動けない」との耳打ちにもっと驚いた。社交辞令なのか、解決すると口にした恥ずかしさなのか、言ってはならぬことを口にしたのである。令和3年5月26日
裁判にかけたら逃げた議長
「この録音を聞いてみるか?」までは言わなかったが、湯沢議長と章設計の対面に、呼びもしないのに顔を出し、「こっちにも証拠がある。議長、早く切り上げてくれ」と声を上げたのにも驚いた。反訴を慌ててしないようにのお願いに、こっちにも証拠があるとは行政側の言葉である。
臨時ニュース!!
『先日行われた市会議員選挙において、男性新人議員の運動員が告示前に票の取りまとめを依頼したことで、公職選挙法事前運動の禁止に違反したとして書類送検されました』令和3年5月27日お昼のニュース
南信濃の西森六三議員の後援会会長が公職選挙法違反で書類送検された。任意同行で取り調べた結果、本人の自白により逮捕送検となったと言うことだ。大々的にニュースとして報道されたが、阿智村に比べたら大した違反ではない。大した違反ではないが、選挙違反は違反であって、連座制が適用されれば議員失職となる。西森六三議員は「僕が全然知らないところで起こっていたこと」として、関与を否定していると言うが、そんな能書きは通用しない。「運動員による選挙違反が立証された場合、候補者は、選挙違反に対する関与の有無を問わず、その当選が無効とされる」のが連座制である。
少なくとも逮捕送検されたのは後援会会長である。どこにそのような言い訳が通用するのか? 新人であっても常識的でないのは、一種の思想を持っているのではないのか。一般論から言えば、「責任を取り辞職します」が、本来の姿であって、そこに向かわなければ見苦しい。言い訳を言えば次回が無い。また、タイミングを外せば飯田市選挙管理委員会の姿勢も問われてしまうし、刑が確定すれば検察が動く。西森六三よ、引導が渡されたものと気づいたほうが良い。
この選挙違反を横から見れば、案外に地元が関連していることに気づく。後援会会長は臆すことなく文書を配布するに、それらの行き先は当然に南信濃に限定される。地区代表で後援会がまとまれば、入れたくない者も従うことになる。このあたりが山の中の常識で、従わなければ私のように村八分とされるのだ。土着利権は根強い。飯田市はどの地区をとっても地区有力者が仕切っているのだ。市長選において企業が後ろにつくのと全く一緒、選挙は利害と扇動で行われるものなのだ。
この様な選挙違反は常にあることで、当然に市長選でもあった。町村選挙ではもっとひどい選挙違反があるし、実際に、阿智村会議員選挙における選挙違反は7名の候補者が堂々と選挙違反をやって当選している。警察はこの数十年間、飯田下伊那の選挙違反を見逃してきた。そう、数十年間である。まさに県警のずさんな姿勢が垣間見れるが、県警から言わせれば、「飯田は、暴力団、詐欺犯罪、殺人事件が多いせいだ」がすべてを物語っている。「犯罪が多すぎて手が回らない」そう言っているのである。令和3年5月28日
引っ掛かり
凡人は、それこそ面白おかしくこの選挙違反を眺めているだろう。それが警察の言う平和であるが、少しでよいから全体を眺めていただきたい。そう、数十年間の鎮静にさざ波を起こしたのは、長野県警察であると言うことを。
群集心理と密告
警察と報道機関の関係まで掘り下げないが、報道機関はどこでどのようにこの選挙違反を取り扱ったのだろうか? 阿智の選挙違反についてはさんざんに情報を与え、信毎はやっとこさ記事にした。南信州新聞にも、信毎と同じ時点で同じ情報を提供したが、一切記事にしていない。それがどうだろう。市会議員選挙においては、まだ逮捕されていないのに記事にしている。大概の市民は「密告されたのだ」と、さも、それが事実だとして南信濃地区の地域性をネタにしている。平成の大合併で、上村南信濃村を飯田市に編入し、南信濃地区とされているが、その南信濃村で西森六三はかなり評判が悪いようであった。(親戚身内の話)「南信濃の議席をなくすな!」は確かにまとまりの一つになるが、そうはいっても人の感情までは抑えきれない。また、上村では西森六三の評判など関係ないし、合わせて700票余りの票田では外に活路を求めるのは当然で、だからこその当選でもある。
このような選挙は市民の知るところであって、密告もまた、人の感情に蓋はできないの現れであるが世の常だ。簡単に判断するのはその程度でよいとする群集心理でもあるが、少し頭が働ければ、「この程度で逮捕するか?」がかすめるものである。まあ、私自身がうがっているのですが、あまりにも阿智村と比べてその違いを感じるからで、連座制が適用されなければ逮捕しない選挙違反であることが、それを一層強調するのである。令和3年5月30日(実情は飯田市行政にかかわる犯罪のコーナーに詳しく書いています)
異種の期待
この逮捕に私は大いに期待した。飯田下伊那の暗雲が雲外蒼天に変わるきっかけとなるとみるは、今のところ私だけであろう。そこに期待するは、そう、確かに異種なものではあるが、あいまいなものでないことも確かである。
どうする西森六三
うわべの情報なのかそういうものなのか、選挙違反も密告がネタとして広がっている。人々の決めつけはそれからをすでにない物とするが、希望的観測は警察にとっても願ったりであろう。
選挙違反対策本部は町村選挙では置かない。市に限っての事情は警察にあるが、選挙違反対策本部だからとして、入ってくる情報はそれだけではない。要するに、4年の間に二度ある市の選挙において、多種な情報収集が出来る機会だと警察は見ているのだ。堂々と聞き込みが出来る対策本部は警察官総出で当たるとされ、警察官は私服で聞き込みを行う。いわゆる、選挙違反の聞き込みだけではないと言うことだ。しかし、選挙違反にかかる情報が出てしまえば放置できなくなるのも当然で、そこに逮捕がなければ、今後の聞き込みに住民は応えてくれなくなる。このような考え方は警察だけでなく、告発を受ける機関であれば同じスタンスである。だからして、選挙違反を多くの者が警察官に告げれば、任意同行、逮捕起訴と進めなければならないのが警察なのだ。そのようなことが南信濃地区であったと言うことだが、それらのことでの情報は「密告」とは言わない。たしかにそれら文書があり、それが一枚でなかったのも事実であろう。判決が出るのを待ち、連座制の適用がなされるまで待つのであれば、警察は西森六三を逮捕するだろう。西森六三よ、悪いことは言わない。選挙違反を受け止めて辞職せよ。辞職が先であれば、逮捕されても起訴まではいかないものだ。
警察の本音
五年も前から飯田市にある官製談合を告発してきた。設計事務所業界と地域計画課の犯罪である。そこにかかわる設計事務所が鈴木設計で、綿半が地域計画課と癒着していた。掘り下げれば綿半と建設業界と地域計画課にも官製談合が有り、そこは根が深く市長も議員も、そして監査委員も関係していた。あまりに大きくなる官製談合は国への告発につながったが、県警がそれを知らぬはないことで、私も熊谷議員も告発は当然にしているのである。そのような状況が四年も続くに、二度における選挙違反対策本部は、十分に飯田市の情報を得るに至ったであろう。令和3年6月1日
長野県において、飯田下伊那の犯罪件数は特出していると言う。(警察談)だが検挙数は県下で最下位とくる。この矛盾がどこからくるものだとすれば、一にも二にも県警の判断とするところだ。長野県警は他県の警察に比べてどうかと言えば、確かに失敗が多すぎる。連合赤軍で全国区になっているが、赤軍が長野県に入るを防げなかったのは汚点として残っている。では、松本サリン事件での県警の対応はどうであったのか? これはまさに本部長の失態に他ならない。見込み捜査の最たるものであるが、河野さんを犯人に仕立てたことで、都内地下鉄サリン事件を結果的に防げなかった。逮捕は結果論だとするに、県警の不始末さはそれらを否定するに十分なのだ。頭の良い幹部が居ないと言えばそれまでだが、それにしてもどこまで体たらくを続けるのであろうか。
本部長の本音
もはや時間が無いからハッキリ言おう。県警本部長は官僚であると言うことだ。キャリアで構成される人事において、関係官庁との関連は身内同士である。かぶちゃん農園詐欺事件の管轄は確かに警視庁であるし、警視総監と本部長では格段の差がある。かぶちゃん農園飯田本社に土足で乗りこまれても何も言えないことも事実だ。ここで佐藤健副市長は総務省に呼び戻されているが、それは総務省の官僚だからできる神業だ。佐藤健がかぶちゃん農園詐欺事件の被疑者であるから呼び戻された。これが長野県警のタブーとされた。ここが、警視庁と県警の格段の差が表れていることなのだ。早く言えば、佐藤健に手を出せないのである。
警視庁は佐藤健を逮捕することはあり得ない。ここをやってしまうと総務省本体がぐらついてしまう。それは、ケフィアの詐欺事件の裏が総務省だと証明されるからだ。佐藤健をやれないことは、同時に牧野光朗前市長もやれないことになる。「官製談合だ」として証拠を突きつけても、熊谷議員を呼びつけても、警視庁からやるなとくぎを刺されているのだ。(ここまでのことを書けば、警視庁が私を逮捕するのではないか!?)令和3年6月3日
怒りの矛先
私は怒っていた。確かに県警のふがいなさに強い憤りを感じていた。だから刑事に声を上げた。「本部でやると言ってやっていないじゃないか!?」それは、阿智村も飯田市も同じであって、煮え切らない刑事の対応に業を煮やした。「熊谷さん。やっていますよ」地検からおしかりを受けた刑事は私にそう言った。リップサービスなのかどうなのか、「熊谷議員さんが来てくれました」そう笑顔で付け加えたのであった。そして二課が動いた。
ここまでは今現在書けることである。今何が起きているのかは、もう少し先になるが、大体のことは有料サイトで書いてあります。読者にも、そのような動きを知りたいと言う方もおられるでしょうが、そういう方はアクセスしないことをお勧めします。
名誉棄損は無用の長物
ドキュメンタリーに小説を求めるならば、それはお門違いである。生の声は常にセンセーショナルで、そこに文章は存在しない。関心は理解力によるが、そこには個人差がある。学力で読み取れるならば読む必要もないことだ。事実の記録は生々しくあって、そこに言葉を当てはめてなんになろう。そう、私は小説家ではないのだ。
『空模様』たまたまに本にした。騒ぐ手段の一つと考えた。そして風化しないことも願いであった。阿智村行政犯罪の一部を書きだしたに過ぎないが、これから続けられるかは何とも言えない。本は読みやすいが、それは単に記録でしかなく、現実は感じてもらえない。誤字脱字もあるし文法もないが、やはりブログの発信が私には向いていると思う。
名誉棄損は刑事上も民事上も責任を負うもので、言わずと知れた他人の名誉を気づつけるものだ。まして、私が毀損している者たちは、個人でなく公人である。そこの中で、誰一人、私を名誉棄損で訴える者はいない。阿智村も飯田市も。ここに不自然を感じなくて、このブログを読み返して何になろうか。警察であったにしても、ここまでのブログがあるに、そして私が名誉棄損で訴えられるものならば早速に逮捕するだろうし、それを待ってる節も感じ取っている。だが、だれも私を訴えない。最近であれば代田昭久教育長がまさに当てはまるが、「誹謗中傷だ!」と報道機関の取材に答えるならば、誹謗中傷を証明しなければいけない。それが公人のあるべき姿であって、報道機関もそれを促すべきだろう。私に事実かどうかと取材にくる前に、そこを越してからが筋道ではないか。令和3年6月5日
意気地の無い者たちへ
後ろめたさのレベルではない。実際に犯罪者のとる行動は逃げの一手でしかない。ほとぼりが冷めるとしても、さめるのは世間であって、犯罪が隠せるわけはない。代田昭久教育長がなぜ私を名誉棄損で訴えないかは、犯罪が露呈するからだ。報道機関は『代田教育長が感染源者であるとブログで書かれておりますが』として、感染源者を主題として取材した。おいおい、そこが誹謗中傷なのか? 名誉棄損なのか! 違うだろう。私はブログで『代田教育長は非常事態宣言発令中の東京へ滞在している』と書いており、教育長たるものがその様な行為をしたのを責めている。コロナの感染源者などどうでも良いことだ。何かピントがずれてないか? 感染源者が誹謗中傷の対象ならば、それは報道機関の方が、飯田駅周辺の飲食店へ誹謗中傷したことになる。視聴者は、飯田駅周辺の飲食店でコロナが発生したと判断したからだ。
世間は、代田教育長にフィリピンの愛人がいたことに驚いており、またそこを基準として代田昭久は教育長にはふさわしくないと呆れている。そんなものだが、それを誹謗中傷となぜ言わないのか? 世間の関心はそこにあって、ネットで代田昭久の検索が始まったのではないのか。そういう私も検索したが、私より早く市役所職員の常識ある者は、「ネットを見れば代田教育長がよくわかる」と、情報発信している。報道機関もそこから攻めれば、議会も放置できなかったと思う。それが出来ないところに田舎のトロ臭さが有って、そこに飯田高校の一番が重なるものだから、悪循環から抜け出せないのであろう。
飯田高校を一番とする訳ありの者達は、静かに非難ごうごうだと聞く。怖いものに立ち向かうに群れが必要とする考えはまさにそこで、そう言う者を烏合の衆と私は呼び、固定的な思想集団であるとも考えている。社会の不合理を形にはめ込み、通り一遍の理屈で解釈して、そうなるものとして決めつける。だからして、彼らは行政にある不正を必要悪だと決めつけているのだ。本心から。令和3年6月7日
時が解決しない
これから始めることは解決手段でないと前置きしておくが、少なくとも、解決につながる可能性はあるかもしれない。社会を無視するわけでもないが、機構に携わる者達では対処できない事は確かではなかろうか。それこそ、飯田高校が一番だとする者達、東大出を崇拝する者達がその頭の良さを発揮すれば、少し近づくかもしれない。まあ、最低でも矛盾に気づくのは出来るかも(新しいコーナーで発信)
無能な者達へ
羊たちとは違う、虎の威を借る狐たちだ。周りに高学歴や高収入を得るものを一番とし、権力を手にした者に力らが有るとの視点で社会を決めつける。少しばかしのななめ読みを経験とし、さも社会の裏を知っていると自負する者達は、その概念にそぐわなければ排除するしかないのだろう。いわゆる、自分の理屈に合わないのだ。そのような狐は社会の裏を宣うにしても、そこにある矛盾に気が付かず、騙されているのが羊でないことも分かっていない。あえて言うが、権力と権威のはき違えに気づいていないのだ。都合の良い合理主義者とでもいえば分かるかも、感情に作用されないは冷静さにはつながるが、それ以上が無いことも確かである。
まあ、能書きはこれくらいにして、矛盾が何であるのかを少し書き出しておきます。
制度と機構
社会秩序の維持には制度が必要であるが、その制度を扱うのが機構とされれば、機構において社会が管理されていることになる。では、機構において制度管理する従事者は機構の一部であると言えるのだろうか。いわゆる、パーツとして正常な役割を果たしているのであろうか!?
この様な事に疑問を抱かないのが合理主義者である。ようするに、従事者を人として見ていなく、機構の一部と決めつけているのである。機構の一部であれば誤作動しなく、たまに起きる不良事故はパーツの取り換えで済む。これが、国が作り上げた制度なのである。間違いが起きるとした思考回路は機構に存在しない。万が一起きる事故は不良パーツが原因であって、パーツの交換を行うに、いちいち国の許可は必要としていない。令和3年6月9日
防衛本能
この様な制度の中で働くには、公務員と言う絶対的な資格がパーツとなりえるのだが、残念ながら、パーツは人であって感情が有る。住民サービスにその感情が向けば言うことはないのだが、そこは公務員としても全く個人差が表れてしまう。機構を維持するに許認可制度は不可欠だが、その取扱いは常に機構側にある。そこに外的要素がなければ正常な状態で機能するだろうが、個人差に付け込む外的要素が掛かれば、もはやその機能は違うものになる。
行政の制度
大雑把な話をしても、それこそ何を言っているのかとなるからして、許認可制度の公務員の考え方を説明しよう。上から下への教育はどの業界にも存在し、経験を持ってそれにあたる。紙に書かれていない教育こそが教えであって、それは社会制度を円滑に進めるうえで最も重要なことだ。「許可してあげたい」これが公務員の姿勢であって、行政サービスの基本である。制度は締め付けでないのを端的に言い表せば、そういうことだ。ここに問題が出ないのは、住民と行政の信頼関係であるのだが、住民でなく、特定住民(一定地域の住民や団体)と行政との関係で制度を扱う場合、往々にして、その前の話を必要とする場合がほとんどだ。ようするに、口利きが存在してしまうと言うことになる。
闇政治
認可制度は行政と住民(国民)との契約であり、そして平等が前提でもある。日本全国共通なのであるが、政治家の口利きを当然としたのが今までの政治である。そこは警察も甘んじており、政治とは、政治家とはそのために居ると考える者は少なくない。そしてそこに、権力の存在を強く持ってしまうのである。令和3年6月11日
平等が存在しない行政
まあ、こんな世の中は資本主義の民主主義の典型だとすればそれも良いが、ここでお門違いが生まれているのに気づかなければ、行政の不正は留まることを知らないだろう。「お門違い?」と疑問を持てばまだよい方で、言われるままに信じれば、「トロくさい」と思われているかもしれない。何がトロくさいのだ? それは、知らぬが仏と言うことだ。
自衛本能
行政業務に自衛が必要かと考えるに、それは業務の内容によるだろう。一般的な公務員としてとらえれば、地方公務員の世界、いわゆる、地方公共団体における公務員に自衛が必要なのかと言うことだ。
さんざん口にし、そして直接に声を上げてきたが、官史の義務が全くなされていない。不正と思慮するだけでの告発は、あって無い法律なのだ。実際に、公務員が不正と思慮して警察に告発したと聞いたことがあるかい!? 無いだろう。考えることもないと思うが、私はそう思慮する多くの不正を知ってしまった。そしてその疑問に行き着くに、やはり、地方公共団体に義務する公務員は、自衛本能が身についていると実感するものである。
相見互い
「許可してあげた」、「許可できるようにしてあげた」これは、社会通念上、常識かもしれないが、「許可になるよう便宜を図った」は許されない。だが世間では常識だとし、政治家の関与があっても、「どこにでもあることだ」とするし、当たり前とする者もいる。それが政治であって、政治家の言うことを聞くのが公務員だと、それこそ公務員がそのように考えているだろう。令和3年6月13日
服務規程はルール
ルールは法律でなくとも遵守することだが、中には、「首長の指示は公務員の務め」として、服務規程的感覚でとらえる公務員が居る。それも良いだろうが、最低限のルールが服務規定だと知れば、コントロールされていると気づく公務員も居るかもしれない。そのような公務員に期待するが、なかなかに表の声は聞こえてこないものだ。
有名人
少し前、そう、代田昭久教育長がコロナにかかって騒いだ頃に、面白い話が聞こえてきている。私は私なりに保健所に話を聞き、代田昭久が感染源者だと判断した。そして、それからの不審は、代田昭久を調べることで多くの過去を知ることが出来た。それは、インターネットで『代田昭久』と、個人名で検索したことにある。
代田昭久は有名人であった。名前だけでこれほどの内容が検索できるとは思わなくあったが、同時に、佐藤健市長と幼馴染であることや、飯田高校の先輩後輩、そして、飯田市の教育長に任命される前後の不正関与、これらについて、代田昭久教育長を悪く言う市役所職員が居たのである。まあ、悪く言うはともかくも、「ネット検索すれば過去が分かるよ」「とんでもない男だよ」と聞こえてきたのであった。
ネットで知る本性
生活の中で自然にこぼれでる愚痴は、案外に的を得ているものだ。まあ、誰が見ても代田昭久の教育長人事は不審に変わるものはないが、不思議なのは、当時の議員の誰しもが、不信のふの字も出していないことに気づく。代田昭久の過去の不正は、それぞれの自治体のそれぞれの議員が取り上げ、議会にかけて代田昭久を追放したとある。そして、そこに絡むのは常に市長であって、その市長に口利きをしたのが代議士となっている。令和3年6月15日
間抜けな議員
間抜けならばよい方で、癒着からくる知らぬ存ぜぬは、市民に対しての背任行為ではないか。兎にも角にも、ネットの記事を読んでみろ。 ネット検索 1 ネット検索 2
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この記事を読んで、まだ代田昭久のことを擁護できる者は居まい。常識ある市民は知らないだけで、その知らないと言うところに議員の責任がある。少なくとも、私は公開質問状でそれらのことを質問している。この時点でも間に合ったはずだ。
「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」
「第七条 地方公共団体の長は(略)委員たるに適しない非行があると認める場合においては、当該地方公共団体の議会の同意を得て、これを罷免することができる。」
独立性が高い教育委員を罷免するに、市長に任命権が有る教育委員を議会が罷免することは出来ないからして、市長が「罷免しなければならない」と言う状況を議会がつくり出さなければならない。武雄市の議会(議長)は、それを行ったのだ。議長に覚悟無くして、または証拠なくしてそれらを遂行出来ないが、市民側にある議長の覚悟として事実関係を積み重ね、市長の任命責任を突きつけ、代田昭久教育監を罷免したのである。書かれている内容からして、市長がそれなりの責任を取られたことで、代田昭久は告訴を免れている。この様な情報を飯田市役所職員の何人かは知っていたことになるが、これを無視したのが他ならぬ議員たちなのだ。
議員様の言い訳
令和3年3月1日、湯沢議長に公開質問状を提出いたしました。それらの詳細は「飯田市 行政にかかわる犯罪の実態」のコーナーに掲載しておりますが、この質問状に対しての返答は、「飯田荘の違反建築は県の責任だ」を、吉川議会事務局長が代弁しただけでありました。この、「飯田荘の建築違反は県の責任だ」は、吉川議会事務局長は以前にも発言されておりまして、職員の立場で軽々に話すことではないと釘を刺しております。(二度とも録音しております)
この様な経過を鑑みますと、代田昭久教育長は、飯田荘の違反建築にもかかわっているのではないのかとの疑念を抱きますが、それは違反建築の結果において明らかとされることでしょう。令和3年6月17日
代田昭久の目的
東京都杉並区立和田中学校不祥事「文書訓告の行政処分」、神奈川県鎌倉市教育委員会教育長候補の教育委員に選任する人事案提出による不祥事「国会議員推薦状捏造」、佐賀県武雄市全校タブレット配布に伴う教育監に就任「不正入札における罷免」これほどの犯罪(不祥事)を起こした男が、なぜ? どうして? 飯田市の教育長になったのか。これらのことを飯田市の議員らは何も知らないと言うが、知らない方がおかしくないかい!?
提出した公開質問状の全てをここに公開します。これを読んで、市民の皆様は、「どこにでもあることだ」と、傍観されるでしょうか。
令和3年 3月 1日 飯田市議会議長 湯澤 啓次 殿 熊谷 章文
【公開質問状】
去る令和3年1月7日に、吉川議会事務局長を通して議会議員全員との面談をお願いいたしましたが、後日、吉川議会事務局長から電話が入り、「会う必要なし」との返答をいただいております。しかしながら、当方がお願いした「二年前に議会議員の皆様全員に提出いたしました公開質問状の返答がまだ届いていない件に関して」と、「特別老人ホーム飯田荘建築工事の違反建築について議会の対応をお願いしたい」との内容に、「公開質問状の返答はしないと議会で決定している」および、「飯田荘の違反建築物は県の責任である」との理由において、当方との面談を断るとされましたが、二年前の公開質問状については、当時、吉川議会事務局長が議員の皆様の代理として当方に訪れ、「議員個人で対応することになりました」の返答をいただいております。また、飯田荘の違反建築物については、何もそれら事象について説明も根拠となる建築計画概要書も見せていない段階において「違反建築は県の責任」だとの返答は不適切であると考えます。
つきましては、それら返答及び対応に対していくつか質問させていただきますことと、飯田市における最近の事業についての質問及び、代田教育長のコロナウイルス感染について質問いたします。
飯田市議会として、事実関係を確認されたうえで、返答いただきたく存じます。
質問 1.飯田市小中学校全校タブレット配布事業について
質問 2.代田教育長のコロナ感染について
質問 3.二年前の公開質問状への返答が成されない理由について
質問 4.特別養護老人ホーム飯田荘の違反建築について
質問 5.その他
質問 1.飯田市小中学校全校タブレット配布事業について
・「飯田市ではコロナ禍の状況と言うこともあり、予定より早く一人一台タブレット端末の配布が実現しました。」飯田市立和田小学校、(学校からのお知らせ)を見れば、タブレットの全校配布はコロナ禍の前から決められていたことになりますが、議会は、いつこの事業を承認されたのでしょうか。
昨年の春に、一部学校においてパソコン(パーソナルコンピューター)が全生徒に配布されておりますが、保護者の一部から「端末が無い家庭はどうするのか?」の質疑が上がり、全生徒からパソコンが回収されております。
この件と、タブレット事業化との関連性について説明をお願いします。
・タブレット全校配布事業における総予算事業額を公表してください。併せて、一部学校に配布されたパソコンの事業額及び、回収費用にかかった損失額も公表してください。
大型予算事業であり、国からの補助金も受けておられる関係上、公開入札は当然行われていると思われますが、何社が参加して、どの業者が落札したのか公表願います。併せて、パソコン納入時の入札状況も公表してください。
・パソコンやタブレットは、多種多様な機種と、製造メーカも多く存在しておりますが、それら機種の選定に議会は関わっておられますか。
タブレットやパソコンはオープン価格でありますので、入札に及ぶ業者は商社か家電量販店になるかと思われます。その場合、機能の選別を先に行い、それら機能を満たす機種の選択及び、それら選択機種が三社以上のメーカが制作していることと、入札に参加された業者が、それぞれのメーカを取り扱っている必要が有ります。その様なことを踏まえて、入札が行われたことを確認されておりますでしょうか。
・採用された。または、入札において決定された機種の選定に、代田教育長の意見や考えが反映されていたでしょうか。
タブレット配布が事業化される前にパソコン配布を行っておりますが、その事業においても、代田教育長の意見や考えは反映されていたでしょうか。
・代田教育長の任命についてお聞きします。
2015年12月18日、代田昭久氏を、教育長候補の教育委員として議会は承認されておられますが、代田昭久氏は、過去、東京都杉並区立和田中学校の校長当時、男性教諭の女子生徒わいせつ事件の隠ぺいにおいて監督責任を問われ、文書訓告の行政処分を受けておりますし、神奈川県鎌倉市の教育委員への推薦状(国会議員)を自作自演したことで、教育委員を辞退した経過が有ります。この様な事実を調査せず、承認された理由を説明願いたい。
質問 2.代田教育長のコロナ感染について
・飯田市ホーム、「新型コロナウイルス関連情報」の、令和3年1月15日の「飯田市内における新型コロナウイルス感染症陽性者の発症状況等」では、女性20代会社員(1月12日発症)、男性30代会社員(1月12日発症)が、1月13日の飯田保健所のPCR検査で陽性が判明し、自宅療養とされています。
男性50代公務員(1月12日発症)、男性50代会社員(1月12日発症)が、1月13日の外来・検査センターで陽性が判明し、公務員は1月15日に医療機関に入院、会社員は自宅療養とされています。
後に、この公務員は代田昭久教育長と判明していますが、代田教育長は公務員でなく特別公務員であることに加え、特別公務員が感染した場合は公益性が高いと思われますが、市長が公表しなかった理由は、ご存じでしょうか。併せて、議会議員が感染した場合の公表基準を定めていないようですが、議員が感染した場合は公表を前提といたしますか。
・佐藤市長の臨時記者会見が令和3年1月16日に開かれておりますが、代田教育長の感染が判明したのが1月13日です。飯田保健所の話によれば、1月13日に飯田市には伝えており、佐藤市長は代田教育長の感染を知っていたようですが、臨時記者会見で、代田教育長の感染を公表しなかったのはどうしてでしょうか。また、議会議員の皆様も、佐藤市長と同じく代田教育長の感染を知らされたのですから、「代田教育長の感染を公表せよ」と、市長に進言されることではありませんか。
・飯田保健所の話によれば、「代田教育長は、発症した直前に『東京都への滞在歴がある』と認めたため、県にも飯田市にも報告しているとのことですが、令和3年の1月15日の新型コロナウイルス関連情報では記されておりません。議員の皆様は、この事実を知らなかったのでしょうか。特別公務員である議員の皆様が飯田保健所に問い合わせを行えば、それらについて事実確認が出来たと思われますし、教育長が感染したとの事実において、確認すべきことだと思われます。放置された理由をお答えください。
・佐藤市長の臨時記者会見では、時短要請を行うエリア選定について、「丘の上の一定地域の飲食店」と示し、その理由において「この一週間の感染拡大の経路は、接待を伴う飲食店を介しているのがかなり多い」と話されておりますが、それらを理由とすれば、代田教育長は、当日発症した50代の男性と30代の男性の二人と同席していたことになりますが、それは事実でしょうか。
・代田教育長と、同席していた二人の男性の勤める会社はどちらでしょうか。また、その会社はタブレット納入業者と関係はありますか。併せて、代田教育長と同席した女性20代の会社員は、クラスターが発生した中央通り一丁目の地下にある、接待を伴う飲食店の従業員だとのことですが、その接待を伴う飲食店で感染が確認されたのは、代田教育長とともに飲食されていた、その三人だけであることが判明しております。そのことに関して、佐藤市長から説明を受けておられるでしょうか。
・丘の上の飲食店時短要請エリアに、東中学校と浜井場小学校が含まれておりましたが、代田教育長と、その同席していた二人の男性が、両学校を訪れたことにおいて、エリアに含めたのではないかと推察しております。議会は、それらの事実関係を調査すべきではありませんか。
・議員の皆様は、代田教育長が「東京に滞在してコロナに感染した」との事実を確認されても、それが原因で、小中学生を含む多くの市民に感染が広がった現実について、代田教育長に対して道義的な責任を追及されておりませんし、佐藤市長に対しても、任命責任を問うておりませんが、その理由を説明してください。
・代田教育長が、タブレット納入業者の接待を受けていた場合、タブレット全校配布事業の業者選定において、またそれらの入札について、不正が行われたのではないかと考えます。また、コロナウイルス感染情報において、佐藤市長の隠ぺい工作が事実となった場合でも、議会は公正な業者選定や入札が行われたとして承認されておられます状況において、万が一、不正が事実となった場合、議員の皆様はどのような責任を取られるのでしょうか。
質問 3. 二年前の公開質問状への返答が成されない理由について
・令和3年1月7日に、吉川議会事務局長を通して、「二年前に提出した公開質問状に、どの議員からも返答がない」として、議員全員との面談を求めましたが、後日、吉川事務局長から電話が入り、「『二年前に返答しないと議会で決定した』との返答です」とお話がありました。しかし、二年前は、吉川議会事務局長が章設計までおいでいただき、「議員個人で対応することになりました」との返事しかいただいておりません。二年前の返答と今回の返答に食い違いが出ましたので、吉川議会事務局長にその旨を伝えましたが、「忙しいのでこれでよろしいですか」と電話を切られてしまいました。
議会議員の皆様の返答は、吉川議会事務局長の返答と、間違いないことでよろしいでしょうか。
・二年前の公開質問状の内容につき、報道機関へのプレリリースやブログにおいて公開してきましたが、その中において、議会議員が不正に直接関与しているとのことも書き出しております。そのことについて、事実がどうであったにしても、私に対して名誉棄損などの訴えが起こされておりませんが、そのことと、質問状への返答をしない事との関係性はおありでしょうか。
質問 4. 特別養護老人ホーム飯田荘の違反建築について
・2017年(平成29年)9月23日の南信州新聞の紙面(添付資料1)において、「介護予防拠点棟も設置」との見出しに、「新『飯田荘』の実施設計」と題した記事と、「新『飯田荘』の完成予想図」(飯田市提供)も掲載されております。
記事の末尾には、「実施設計を巡っては、当初の委託契約業者と基本設計を踏まえた市の方針とが折り合わず、新たな契約業者が策定した経緯があり、当初計画より半年ほど遅れている。」とありますが、この紙面に掲載された完成予想図は、「実際の設計図に基づいての完成予想図だ」と、認識されておられますか。
そのことについて伺いますが、飯田市では、完成した飯田荘の情報公開されている完成図(添付資料2)を見ますと、既設間知ブロック擁壁の上に平屋建てとされている完成予想図と違い、完成図では既存間知ブロックを取り壊し、2階建ての建物となっております。そうなりますと、紙面上にある「当初の委託契約業者と基本設計を踏まえた市の方針とが折り合わず」とされている、「市の方針」と折り合わないのは、どの部分であったかを説明願います。
・飯田市が、章設計に迫った市の方針は「既存間知ブロック擁壁の上に平屋建ての建物を建設せよ」でありました。ですが、完成した飯田荘を内覧いたしますと、地階が鉄筋コンクリート造、その地階の上に立つ構造物が鉄骨造とされ、その鉄骨造に木造が接続されております。しかし、飯田荘の建築確認申請の建築許可、および、完了検査を行った飯田建設事務所建築課において、飯田荘の建築計画概要書(添付資料3)の情報開示された写しにおいては、鉄骨造一部木造とされ、2階建てとして完了検査合格とされております。
建築確認申請当時は1階建てであった建築物を、2階建てに変更するのであれば、建築確認申請の取り直しを行わなくてはなりませんが、建築確認申請取り直しの申請台帳を閲覧するに、それら建築確認の取り直しが成されておりませんでした。しかるに、議会は飯田荘の建設現場を工事中に見学されておりますが、2階建てであると言うことは現場を見れば分かることだと思われます。1階建てが2階建てに変更されていることを、現場監理を行っている木村理子係長、平井隆志職員から説明を受けておられるでしょうか。
・工事着工時に、現地において地盤調査を行ったと聞き及んでおりますが、その調査において必要な地耐力が得られないために、設計を請け負った鈴木建築設計事務所が、構造計算を行った西沢構造計算事務所に、構造計算のやり直しを指示していたことはご存じでしょうか。
・構造計算のやり直しにおいて、章設計が提出した成果物の一部、「平成28年度特別養護老人ホーム飯田荘新築工事に伴う地盤調査報告書」を用いて、構造計算のやり直しを行ったことはご存じでしょうか。
・構造計算のやり直しにおいて、地下室を設けることと、それに伴う工事予算が約5千万円増額されたことを、議会は承認されておられるでしょうか。
・建築計画概要書は、設計を行った鈴木建築設計事務所において、建築確認申請書と同時に提出される書類であります。地下室として、構造計算及び、設計変更がなされておりますが、飯田荘建築計画概要書に、「地下1階建て・地上1階建て」と申請されるものが、地上2階建てとして申請されていたことはご存じでしょうか。また、この建築計画概要書は、鈴木建築設計事務所が、建築課の完了検査終了時に、監理者である木村理子係長の了解を受け、差し替えを行っておりますが、それら変更や差し替えの件は、社会文教委員会協議会に報告されているでしょうか。
・飯田荘建築計画概要書の写し及び、「公文書公開決定通知書」をご覧いただき、修正2箇所を確認すれば、それら修正日時が、令和2年12月16日とされております。しかるに、章設計が情報開示請求した日付は、令和2年12月16日でありますことは、これらの修正が意図的に行われたことを示し、また、公文書を偽造したと言うことになりますが、そのことについて、「違反建築は県の責任だ」との返答でよろしいでしょうか。
・令和3年1月7日、飯田市議会事務局を訪ね、吉川議会事務局長に、「飯田荘の違反建築について、議員の皆様全員とお話ししたい」と申し入れました。吉川議会事務局長は、「違反建築は県の責任だ」として、私見を述べられております。後日、吉川議会事務局長から電話が入り、「議員全員が『違反建築は県の責任であるから、章設計とは会う必要がない』と申されましたのでお伝えします」とのお話がありました。しかるに、吉川議会事務局長とお会いした1月7日の日に、まだ飯田荘の違反建築の内容は伝えておりませんし、議会事務局長が私見を述べるのは如何な事かとたしなめておりますが、同じくして、議会議員の皆様は、吉川議会事務局長と同じ見解で、「長野県の責任だ」と判断されましたが、その根拠をうかがいます。併せて、吉川議会事務局長が「違反建築は県の責任だ」と、令和3年1月7日におっしゃられたのは、その時点ですでに飯田建設事務所建築課長から、「飯田荘は違反建築だ」との話が来ていたと言うことでしょうか。
・2017年9月23日付けの、南信州新聞に掲載された完成予想図(添付資料2)が、市議会社会文教委員会協議会で示されて、議員の皆様はこの完成予想図とおり完成するものと承認されたわけですが、実際に完成した建物(添付資料4)と比べてみて、同じ建物であると判断されましたでしょうか。
・飯田市で情報公開された、特別養護老人ホーム飯田荘の完成設計図を閲覧いたしますと、2階の平面図を1階平面図とし、1階(地下と思われる階)の平面図が開示されておりません。飯田荘の建築計画概要書(完了検査済)では、2階建てと記されておりますが、それであれば1階(地下と思われる階)の平面図を開示しなければ、情報公開とは言えません。そのことについて、議員の皆さんが疑問に思われなかったのは、それらの変更が成されていることを、承知されていたのではありませんか。
・情報公開された1階平面図は、完成建物を見る限り、2階平面図であると思われます。食堂棟(鉄骨造)部分の階下に設けられている電気室が1階となりますが、1階を鉄筋コンクリート造とし、2階を鉄骨造とする建築物は構造的に認められておりません。そのことが違反建築物であることを示しておりますが、この建築工事の監理者である、木村理子・平井隆志職員が、それら建築工事の変更を了解し、構造的に建設できると判断された経過を、議会が工事現場を見学された折に説明を受けておられるでしょうか。
・飯伊建築士会に公開質問状(添付資料5)を提出しました。福澤健治支部長は、「違反建築物だ」と認められ、「県建築士会本部において対応する」とおっしゃられました。今後、長野県建築士会が中心となって、特別養護老人ホーム飯田荘の建築物調査が行われると思われますが、「違反建築物である」と長野県建築士会が判断されれば、特定行政庁に届けることになります。特定行政庁が届け出を受理されることは、それらの経過を鑑みて、特別養護老人ホーム飯田荘の、取壊し命令書が発行されることになります。併せて、建築基準法違反だけでなく、行政法違反や、刑事訴訟法に抵触する犯罪も見受けられることからして、関与した関係者はもとより、確認申請の申請者である飯田市長の責任は、大変重いものと推察されますが、議会も、これら違反建築の件を承知していながら工事竣工を承認されたことは、議会も、これら不正や犯罪に関与したことになります。そのような危惧が有りながら、「飯田荘の違反建築は長野県の責任だ」とされた対応は、あまりにも無責任だと考えます。議長である湯沢議員は、それらに関して、責任の所在を明らかにすることを要求します。
・特別養護老人ホーム飯田荘の新築事業予算は当初6億円でありましたが、8億円に増額された事業内容は確認されておられるでしょうか。確認した、あるいは承認した経過が有れば、その詳細をお聞かせください。
・特別養護老人ホーム飯田荘の事業計画において、設計料として6千万円が計上されておりました。しかるに、鈴木建築設計事務所が落札した金額は、2千4百万円程度です。残りの3千6百万円の使途を説明してください。
使途がない場合、または、補助金に適さない金額は、国へ返還しなければなりませんが、その様な処理はなされておりますか。
・特別養護老人ホーム飯田荘新築事業は、国庫補助事業であるとお聞きしましたが、違法建築物として取り壊し命令書が発行された場合、補助金の返済は市民が負担するのでしょうか。違反建築物にかかわった、設計事務所や建設業者の責任や、議員の皆さんの責任はないのでしょうか。
・特別養護老人ホーム飯田荘の運営を、飯田市社会福祉協議会に委託されておりますが、飯田市社会福祉協議会は、当初の基本設計図が変更されて、2階建てであることを了承されていたのでしょうか。また、取壊しが執行される場合、入居者の退所が余儀なくされますが、入居者の安全管理や健康管理について、飯田市社会福祉協議会が責任を持たれるのでしょうか。
質問 5.その他
・代田昭久教育長が、令和3年1月13日にコロナウイルスのPCR検査で陽性が判明し、15日に入院加療されました。代田教育長は、その一週間前に東京に滞在歴があると、飯田保健所は飯田市に伝えていると話されておりますが、佐藤市長は、それら公表しなければならない情報を公開しなかった件は、ご存じでしょうか。併せて、議会議員の皆様は、代田教育長が「東京に滞在していた」、代田教育長が「感染源者」との情報を知ったのはいつ頃でしょうか。
・令和3年1月15日のコロナウイルス感染症陽性者の発生状況等(2021年1月14日長野県発表資料より)によれば、代田教育長は、その日に感染が確認されたほか三名と飲食を供にされており、その三名に感染させた感染源者であると飯田保健所は飯田市に伝えているそうですが、他の三名との関係性において、20代女性感染者は、代田教育長の内縁関係にあるホステスだとのことですが、事実でしょうか。
50代の会社員と30代の会社員は、代田昭久教育長と中央通り3丁目辺りで飲食をともにし、その後、中央通り1丁目の地下にある、内縁関係の女性が務める、接待を伴う飲食店で一緒に飲食されておりますが、このことは、50代の男性と30代の男性から、代田教育長が接待を受けていたのではないでしょうか。この様な事を聞き及んでおられますか。
・時短要請を行うエリアの選定区域に、飯田東中学校と浜井場小学校が含まれておりましたが、飲食店でない学校をエリアに含むことは、代田教育長が、この二校を当日訪れたことと関係ありますか。
・代田教育長が、非常事態宣言中の東京都に出向いたのは公用でしょうか。公用でない場合、また、代田教育長が感染源と判明していることを踏まえ、代田教育長が、小中学生まで感染を広げた感染源者となれば大変な事実と思われますが、議員の皆様はご存じなかったのでしょうか。また、代田教育長に対して、責任追及を行う考えはありますか。併せて、佐藤市長が公表しなければならない情報を隠蔽したことに対して、その責任を求める考えは、議員の皆様にはおありでしょうか。
・代田教育長とともに飲食されていた、50代と30代の会社員は、タブレット全校配布事業に関係ある会社員でしょうか。万が一、タブレット全校配布事業に関係ある会社員であれば、不適切な接待を受けたことになります。
議員の皆様は事実関係を調査し、市民に対して報告する義務があると思われますが、如何でしょうか。
・代田教育長は、2016年(平成28年)4月、議会の承認を受け教育長に就任しておられますが、佐藤健元副市長が、代田昭久氏を推薦したのではないでしょうか。議会は、代田昭久氏の教育長人事を承認するに、身辺調査などは行われていないようですが、代田昭久氏を適任とされ、承認に至った経過を説明願います。
・代田昭久氏の経歴において、「2010年の和田中学校教諭わいせつ事件の隠ぺい」、「鎌倉市教育長候補教育委員推薦状偽装」などの経歴が明らかになっておりますが、飯田市教育長候補の教育委員として了解され、その後、教育長の任命を承認されておりますが、この様な過去の経歴をご存じなかったのでしょうか。併せて、昨年の4月に、代田昭久氏の教育長再任が承認されております。この時点においても、代田昭久氏の再任するに、議会は何も疑義を唱えておりませんが、4月の時点では、すでに牧野光朗前市長が五選を宣言しており、佐藤健氏も市長選に立候補すると表明されておりました。しかるに、代田昭久氏は、木下悦夫副市長とともに、牧野市長の五選を支えるとして、副市長教育長の立場において、この一年を経過してまいりましたが、木下悦夫副市長は、突然に副市長を辞任され、驚きを隠せません。
この件に対して、木下悦夫氏の辞職は、佐藤市長の報復人事であったのかの懸念を持ち合わせておりますが、では、代田昭久氏は、牧野光朗氏が市長に再選されれば、副市長として活用するとの約束事が有ったと、牧野光朗陣営から出ております。それが事実でなくとも、木下悦夫氏を切って、代田昭久氏をそのままの職に置くことの中で、その代田昭久氏のコロナ感染問題において、それら公表すべき事実を隠蔽し、尚且つ、今になっても代田昭久氏の責任を求めずとどめ置く佐藤市長に対して、議会の皆様はどのようにお考えでしょうか。
・かぶちゃん農園詐欺事件はまだ終了しておりません。かぶちゃん農園を飯田市に誘致するに当たり、それらを扱ってきたのは、牧野光朗前市長と佐藤健市長ではありませんか。
・牧野光朗前市長は、後任として佐藤健元副市長を指名されており、議員の皆様もそのように承知されていたと思われます。しかるに、佐藤健氏が市長選立候補を公表された昨年3月前に、突如として牧野光朗氏が五選を目指すとして立候補を表明されております。議会において、市長選への立候補表明は恒例的に6月の議会と聞き及んでおりますが、牧野光朗氏は、後継指名していた佐藤健氏の対抗馬として、それも2月と言う異例な時期に立候補を表明されました。市民でなくとも、この様な選挙戦に違和感を覚え、不詳私が立候補を表明したのも、これらの経過は、「ただならぬ状況である」と、考えた所以であります。しかしながら、議員の皆様は、この様な異常な選挙戦にもかかわらず傍観され、また、二年前の章設計の公開質問状に何ら答えずして、併せて、何も根拠を示されない状況で、「章設計反訴』を承認されております。公開されている「章設計反訴の議事録」において、議会が、一般市民を訴えようとする飯田市に対して、何章設計から弁明も聞かずしての一方的な承認は、議会の違法行為に当たると考えます。そのことに関し、議員皆様はもとより、特に、議会副議長の立場でありながら、筒井長寿支援課長との申し合わせによる問答を繰り返した、原和世議員の弁明をお聞かせください。
・かぶちゃん農園詐欺事件について、それら大型事業を推進された、牧野光朗前市長と佐藤健市長は、責任の所在を明らかとされておりませんが、議会の皆様は、市民が不安に思うこれらの詳細について、佐藤市長に説明を求める考えはおありでしょうか。併せて、今回の市長選を顧みられて、かぶちゃん農園詐欺事件が背景にあったと思われるでしょうか。
以上の質問につき、令和3年3月15日までにご返答いただきたく存じます。また、公開質問状を提出するに当たり、報道機関にプレリリースとして会見を予定しておりますことをご了承ください。
再犯
代田昭久は飯田市の教育長になって何をやったのか!? ではない。代田昭久は、飯田市の教育長になって、タブレット全校配布事業を行ったのだ。要するに、タブレット配布事業をやるために飯田市の教育長になったのである。
私は代田昭久のことを何も知らなかった。ましてタブレット全校配布のことにも関心はないし、そのような事業が行われているのかさえ知らなかった。ほとんどの市民は何も知らないと思うが、議員らは当然のことすべて知っていたと言うことだ。
ここで不信を感じていただきたい。「議員は何をしていたのだ!?」と、そして、「何を隠しているのだ?」とも。
価値のない報道機関
だいたい、このような不信に関心を持ち、それを記事として社会に訴えるのが報道機関である。それは、報道機関とは常に正常な行政がどういうものなのかを一番わかっているからである。記者のレベルが違うのか? 報道姿勢が行政よりなのはわかるが、コピーを報道して満足はあるまい。「代田昭久氏は武雄市で教育監を罷免されていますが!?」と、たった一言議長に質問すればよい。信濃毎日新聞は、無いことも事実として追い詰めるのが得意な新聞社ではないか。実際の不正を代田昭久は行っているし、タブレット配布の裏側を知っているんだから簡単な話と思うが。だいたいにして、私がこの公開質問状を提出し、記者会見を要望したのだからして、そこに出向いてこない信濃毎日新聞社の姿勢は一体どこにあるのだろう。イニシアチブを私に取られるとしたのか、以前の過ちの再燃を恐れたのだろうか。どちらにしても報道機関がだんまりしているところが通常ではない。令和3年6月19日
権力の恐ろしさ
佐藤健に恐れているのだろう。警察どころか警視庁でも手を出せない、総務省の後ろが怖いのだろう。特に、かぶちゃん農園の鏑木社長の自殺(?)が尾を引いているのかもしれない。確かにそこは、法律が通用していないからだ。共産党が怖いと言う刑事が居れば、記者などは全くの会社員、誰も守ってくれないのである。
代弁を求めるな
私がなぜ市長選に立候補したのかは、報道機関は知っていた。それもそのはずで、それまでは報道機関を信じて情報提供してきた。一部を除いて。そこでだが、市長選の所信表明するに、そこに記者が望む代弁を求めてなとする。記者に質問すれば、「ここは記者に質問する場ではない」と決めつける。さも、取材に来てやっているんだの考えは良いが、求める答えが違っているではないか。市長選の会見は、当然に公約であって政策を語ることにある。だが、その場で飯田市の不正を暴けと言う質問は如何な事か。確かに市民の訳知りもそうであろうが、私が不正を口にしてどうするか。あまりにもお門違いの会見は、報道機関の方ではないのか。とくに、「私も市民です。実際のことを話していただきたい」としつこく迫るNHKの記者が居た。記者に質問するなと言いながら、私も市民ですはおかしくないか。確かに私が詳細を言えば、それはスクープにもなろうし、警察も動かないわけにはいかないだろう。だが、そこで解決するものは何もないし、飯田市が潰されるに、その観点が無い市民を愚弄するのかと言うことになろう。歴史が変わるほどの犯罪だと言うに、不正を暴きたいのであれば、そこから始めるのが記者魂であろう。
技術屋は嘘をつけない。それは答えが有るからで、間違った答えを言えば、それは嘘になるからだ。サラリーマンに、事務屋に倫理を求めてどうするのかは確かにある。記者などは最たるもので、丁稚方向の経験さえ積まない。大学を出て、暗記作業を身に着けて、それが通用する世界である。本来のスクープがなんなのかもわからないだろう。上に立つ者の責任かもしれないが、保身に走る上司に責任などありはしないが、それが今の社会かもしれない。報道はうわべだけでよいとするのは、それほどのことに世間が慣れているせいなのか。
権力に逆らえないは、その権力の階下に在る者達であるのだが、行政の取材に制限が掛かれば困るとした考えが報道の記者たちにあるのは知っている。「どこの自治体にも事情が有るものだ」を口にする者は、「どこにもこんなことは有る」との者と、同類であることに気が付いたほうがよい。令和3年6月21日
卵が先 代田昭久が先
ある報道機関が取材に来て「私がコロナの感染源者と言うのは誹謗中傷だ」と、代田教育長が言っております。との話は、ここまで踏み込んだ取材をしていると、私は少し安心したのである。報道機関にも確かに違いがあって、そこをとやかく言う必要もないが、観点の捉え方の違いは大きく今後に影響を与えると私は感じている。その話を聞くに、私は「教育長と言う公人が、誹謗中傷であると言うのであれば、私を名誉棄損で訴えるべきではないか」と即返したが、いまだかつて訴えられていない。
カギを握る飯田荘
飯田市を相手に損害賠償請求で係争中であるが、同時に、「特別養護老人ホーム飯田荘は違反建築だ」と、阿部知事にも県議会にも告発した。それにおいて、県建築住宅課は今調査中である。途中経過ではあるが、ここでいくつかの疑問が生じている。その疑問の最たるところは、「違反建築は県の責任だ」と言い放った飯田市と議会である。飯田荘は地下が存在しているのではないか。そうであれば混構造の審査を受けていない違反建築となるが、そのことについて議員全員との面談を求めたいと議会事務局長に依頼した。その時点において吉川議会事務局長は「違反建築は県の責任だ」と言ったのである。この件に関して、飯田建設事務所建築課長に「飯田市地域計画課に電話を入れたのではないか?」と聞けば、「私は電話していない。建築課の職員に聞いてもらって結構だ」と言っている。そこでだ、建築課長は「私は言っていない…」として、私ではないと言っていることだ。当然に、吉川事務局長に会いに行った時点での即返に、誰かが飯田市地域計画課に電話を入れていなければ、違反について答えられるはずがない。そしてそれは近いうちに判明するが、私は、前建築課長であるとする。
電話の意味
「前建築課長が電話をしたようだ」は、かなり重要な証拠と成るだろう。電話が無かったとすれば飯田市が違反建築を行ったとなるし、電話があったからこそ、「違反は県の責任だ」と言えたのである。さて、そこでだが、前建築課長はなぜ電話を入れたのだろうか? と考えてみよう。そこは言うまでもない、疚しさが有るからだ。その疚しさは、飯田市に対して便宜を図ったと言うことだろう。どのような便宜かって!? それは、「混構造の審査を免れさせた」のことである。令和3年6月23日
違反の違反たるところ
私は端から「飯田荘は違反建築だ」と言い切って、知事にも県議会にも告発した。県に不審が無ければ調査にも乗り出さないだろうが、調査に出たと言うことは、県職員は違反建築でないと言う結果に導きたいからである。この様な不正は嫌と言うほど味わっているに、そこを知らずしてまんまと県職員の手車にのると思わない方がよい。私は違反建築でなくともよいとした、騒ぐことが目的で行動しているのだと、気づく者はおるまい。
腐っている公務員
仲間内の告発は自分の身を危うくする。この様な考えは、高級官僚に限った話ではない。自治法において公務員は、「公共の利益のために勤務し、且つ、職務の遂行に当っては、全力を挙げてこれに専念しなければならない。(地方公務員法第30条)」とされ、「服務上の義務規定に違反した場合は、懲戒処分の対象となる。」とされているのだが、義務違反と不正行為は違うものである。だが、公務員はそれらについて分別はなく、「公共の利益」の判断は、個々がそれぞれに判断し、不正であったにしても同じように、公益、または首長の指示に従うものとして全く意に介さない。官史の義務などの法律は、まったく存在していないのが実態だ。
犯罪集団に調査せよ?
犯罪者に犯罪の実態を調査せよと、こんなバカな話はないが、公務員に、公務員の不正を調査せよとしても、全く同じことである。議会に告発しても、まず内部調査が先だと言う。これは飯田市に例を取ってきたが、長野県も全くに同じである。
覚えておいででしょうか、5年前、阿智村の橋の架け替え(県の事業)について阿部知事に直接告発したが、阿部知事は幹部を集めて隠蔽に走らせた。こうなれば、岡庭一雄前村長や熊谷時雄元議長の犯罪など暴けるはずがない。警察に告げようが、肝心要な阿部知事が隠蔽すれば、それはもはやなかったことである。二番煎じだと分かっていても、やはり阿部知事に告発するしか、行政の不正は手段が無い。令和3年6月25日
違反建築は県の責任
阿部知事(秘書課の判断)は、建築住宅課が調査すると言う。違反建築の係はその課だと言った。議会事務局では、再三の要求に応えるでもなく、まず建築住宅課の調査を待たなければ議長にも上げられないと言う。もはやこの時点で終わりである。
無いことにしようは、なかったことにすることだ。「違反建築ではありません」と、端から言っていることだ。議員にしても「知らなかった」で済まされる。思い起こせば、一年前、さんざんに知事と議会に告発した。それらに対しての答えは、「飯田市は県と同列の公共団体である」いわゆる、治外法権だったと言うのである。それも、職員に言わせている。体制とはそういうものであると、公務員が刷り込まれているのだ。ここに「官吏の義務」など通用しない。ここには、地方自治法しか通用していないのだ。
体制に逆らえば、それは国賊
官吏の端くれであっても、官吏に変わりはなく、生涯、官吏側からの見方が身についているものだ。公務員は都合よく、退職後の再就職は外郭団体と言う、まさに官吏の世界で保障されている。だからして、公務員は、仲間を守るのである。
裏社会を知らぬものはこのようなところに疑問を持たないが、社会の矛盾を感じた者であれば、そのような疑問に行き着くものだ。このような話は論理的思考で理屈を理由にすれば、案外早く結論に結びつく。順番を整理すれば答えが見えてくるものだが、答えが先にあれば、単純に順番を整理すればよい。なぜそうなるのか? の疑問が端から存在していれば、答えは全くに簡単なのだ。だからして、「違反建築ではない」が端から答えとして出ているのである。
隠ぺいはお家芸
「違反建築は県の責任だ」この言葉が飯田市からも飯田市議会からも出ていることに注目していただきたい。そう!これが飯田市の答えなのである。この答えに論理的思考力は必要ない。なぜならば、結論が出ているからだ。ここに飯田市公務員の隠ぺいはないが、このように仕向けてきた事実は隠蔽されている。令和3年6月27日
県と市の位置関係
国庫補助金は県を通してくるものだが、総務省の官僚が副市長であれば、それは単に手続きでしかない。それを端的に表したのが、先の副市長木下悦男である。「設計期間など章設計さんの都合でよい」この言葉は、木下悦男が建設部長の立場において、章設計に来て交渉した時の言葉である。残念ながら録音していないが、熊谷市議は同室しており、正直に話すことが出来れば証言してくれるだろう。
何を言いたいのかと言えば、飯田荘の改築資金は佐藤副市長が総務省から持ってきたとのことと、飯田荘の建築確認申請許可は、建築基準法を扱う飯田建設事務所建築課が審査すると言うことである。どちらも官の形態であって、公務員が行っているから、頭の良い方ならば、ここだけですべてが理解できよう。
官官癒着
飯田荘が違反建築だと言う根拠は、現状造成地の上に建設されるとした当初の基本設計(飯田市提供)が、完成してみたら造成地の上でなく、造成地を取り壊して、傾斜地に建てられたからである。「地下を造ってはいけない」「既存間知ブロックの擁壁は取り壊すな」「敷地の傾斜(レベル1,500差)はそのままに建設せよ」それが飯田市の絶対条件であった。「造成地であれば地耐力は盛土下で得るから、段差を利用した地階を設け、電気室や機械配管室とすべき」「既存間知ブロックは、鉄骨造(基礎が大きく敷地からはみ出す)ならば壊さなければ建設できない」「建物の外部にもバリやフリーが必要」とする章設計の提案をことごとく否定して、章設計を契約解除とした。しかし、完成した飯田荘を見れば、すべてが章設計の提案通りできていた。その中で、確認できないのが「地下室の存在」であった。
西沢構造設計の証言
「r2の混構造では建築確認が取れない」西沢構造設計事務所は飯田市の計画案に対して「この計画(鉄骨造)では建物が倒壊してしまう」と明言し、それらの根拠を証拠として章設計に提出されている。それがなぜ構造計算が行われたのかと言えば、鉄骨造一棟での計画を、二棟として切り離したからである。しかし、木造二棟と鉄骨造二棟の混構造とした場合、造成敷地の平均地盤において、たかさ13m以内(混構造r1の緩和規定)を超えてしまうことになった。やむを得ず、造成敷地にある段差(レベル1,500m)を1m下げ(これは章設計の提案)鉄骨造2階建ての建物の高さを13m以内としたのだ。この様にして、飯田荘の建築確認申請はr1の混構造として飯田建設事務所建築課に提出されたのである。令和3年6月29日
既存間知ブロック擁壁は取り壊された
飯田荘の完成予想図を見れば、北道路側や東側にある土台部分は擁壁に見えるが、完成した飯田荘を見れば、RC造の建築物である。ここに地下室が有れば、r1の混構造ではなくなってしまう。いわゆる、地階がRC造で、その上に鉄骨造2階建てとなるのだ。建築課長が言う「RC造の上に鉄骨造は建設できる。r2の混構造で県の適判審査を受けている」は、すでに地階が有ることを認めているのだ。だが、建築課長は「RC造の地階の上に鉄骨造を建設する場合は、鉄骨造の柱脚がピンであることが前提だ」とも言っている。ここは専門用語で一般では理解できないと思うが、早い話は、飯田荘は混構造の適判審査を県で直接受けている。と明言しているのだ。
開示請求
建築確認申請書において、r2の混構造であるかないかは簡単に分別できるが、その答えは今少し先延ばししたい。それは、県が違反建築物の調査を行っている最中であるからだ。県の調査担当者がどのように報告書を阿部知事に挙げるのか、知事はどのように議会へ報告するのか、その時点まで答えは先送りする。だが、「地下は有る」として認めたことは大きく、既存間知ブロック擁壁がすべて取り壊されてRC造の地階なっていることは、ここが裁判の焦点になることは伝えておく。
飯田市に情報開示請求して完成設計図の一部(基本設計図)を手に入れているが、確認申請書の副本と5千万円の増工事設計図書の開示請求は断られた。「係争中」を理由に挙げたので、章設計でなく私個人で同じ開示請求を行った結果、全く同じに断られた。これはあり得ないが、やはり、行政なら何でもできるのだろう。
訴える前に、勝間田建設に「現場で用いた設計図を見せていただけませんか」とお願いしている。そこもやはり断られた。その時の返答が「設計図は飯田市で情報公開されている」であった。「飯田市で公開しているからそれでよいではないか」と思われるだろうが、情報公開している設計図書は、完成図であって設計図ではない。いわゆる、修正が加えられた設計図書を公開していると言うことだ。それが分かっていて、勝間田建設は断りを入れてきた。このように、飯田市も勝間田建設も、何かを隠したいと言う思惑が見えて来たのである。何を隠そうとしたのか? 何を隠さなければいけないのか? その様にめぐり廻れば、「地下室が有る」としか思い当たらない。完成した飯田荘を見学しても、外から見ても地下室の存在は確認できない。かといって、見学不可部分の厨房下を、確認するすべもないことだ。
違反建築は犯罪
地下が有るとなれば、鈴木建築設計事務所と西澤構造設計事務所は、地下が有るとして設計したのだろうかの疑問が残る。そこで手に入れたのが、飯田荘の建築確認申請書の正本の写しである。副本が手に入らなければ正本を手に入れるに限る。そして県であれば係争中は関係ないことだ。そんなこんなで確認申請図書で確認すれば、地下室は存在していない。だが、厨房下にピットはあると示されていた。これで見えて来たのは、飯田建設事務所建築課を二度目に訪れたときの建築課長の話であった。
「地下室が有るのではないか。有ればRC造と鉄骨造の混構造になるから建築できないではないか!?」それに対して「最初から地下室は有った」と返答した。それに対して「厨房下に有るのは地下室出なくて配管ピットではないか!?」「電気室とか機械室として地下室が有るのではないか!?」と切り返せば、どこかで見た空中浮遊が始まったのだ。令和3年7月1日
臨時速報!!
不幸なことが起きてしまった。再選で次点となった前市会議員が亡くなったと言う。新聞では深読みできないが、警察が入ったと言う死であれば、思い量らずにいられない。ここをタブー視してはならぬと私は思う。
次点であったことが不幸を招いたのだろうが、人の口にの恐ろしさを感じられぬにはいられない。私は西森六三の評判の悪さを西森六三の身内から聞いていたので、落選するだろうとした。後援会長の選挙違反逮捕の報に驚きもしなかったが、評判の悪さが裏にあるとのことも身内から聞いた。要は、票は入れたけど当選するとは思わなかったと言うことだ。
西森六三の後援会の連中は何を思うのか、「密告したのは俺じゃない!」と、盛んに口にしたことだ。その裏返しがどこに向くのかと言えば、そこはもう言うまでもない。
後援会長を逮捕することに意味があるは、連座制の適用が前提にある。連座制が適用されなければ警察は後援会長など逮捕しないが、そこの理解ができない者が多いのだろう。
公職選挙法で連座制を紐解けば、「刑が確定したとき」とある。それは確かに一定の時間を要するが、もう一つ重要なことに、「たとえ候補者自身がその行為にかかわっていなくとも、候補者本人に当選無効、立候補制限を科す制度。」とある。このことを西森六三が知らないとは言わせない。知っているからこそ、密告者の限定が必要なのだ。汚い男だ。少なくとも後援会の会長が逮捕されたのである。その時点できれいに身を引くべきではないのか。そうすれば、いや、そうしていれば、不幸など何もない。西森六三一人が責任を取ることで、世の中は落ち着いたのではないか。
警察にもメンツがある。犠牲者が出たとなれば、連座制に持ちこめないなど間違っても言えない。もはや、西森六三の逮捕は、長野県警の既定路線でしかない。
報道の責任はそこにないのか? と気になるに、レベルの低さが思い浮かぶ。そこは何かと言えば、記者が居ないのだ。記者の務めとは何か!?言うまでもない、事実を伝えることである。では、その事実とは何かといえば、目に見えていることではないのだ。
簡単に報道倫理を口にするが、ガイドラインでものを言うは、単に法律云々の話である。命がけで取材すれば、報道倫理、報道の自由、記者の役目に気づくはずである。誰もかれもが第三者的な目でいては、マスメディアはネット社会に取り込まれ、趣味娯楽の世界の仮想空間となるだろう。
田舎であるが故の緩みで甘えていては、人生をかける仕事がむなしくなる。「連座制が適用される前に、辞職すべきではないですか!」私が記者ならそう言っている。令和3年7月3日
裁判の焦点
確認申請書を見れば飯田市の反訴はとりあえず捨て置くが、飯田市の反論は、今のところ具体的なものは示されていない。まあ、章設計が訴えたのであるからしてそれも当然であるが、章設計訴えの論点から言えば、「飯田市が要求する内容に答えていない」が、設計料を払えないとする理由であった。さて、章設計は飯田市の要望に沿った設計を行っていなかったのだろうか?
軌道修正は飯田市
確かに行政は何でもできる。民法を無視し、契約解除やった。成果物を受け取れば、検査不合格として処理された。飯田信用金庫が違約金を支払わないと通知すれば、議会と相談して隠してしまった。どうでしょうか!?この飯田市行政を、これでも章設計は悪者なのでしょうか? 章設計が一体何をやったのでしょうか? 牧野光朗市長の怒りを買った理由は何であったのでしょうか? 佐藤健副市長と代田昭久教育長は、飯田荘を章設計が設計すると、何に困ったのでしょうか? この様な不自然さが行政と議会で行われるに、身内である熊谷議員が真っ先に逃げ隠れしてしまった。これを見て公務員上がりの知り合いが、「議員と言ってもそこは出来ないよ」と、ごく自然に言うに、これが今の世の中なのだと、今更ながらに驚いた。公務員から見れば、まさにこれが行政の常であると言うことなのだ。そして、そこは当たり前のことで、行政に逆らえばスケープゴートの見せしめが始まるだけだという。しかし、この話を聞いて気が付くに、熊谷議員も公務員であったことだ。公務員側から見れば、まさにそれが当たり前だとする考えである。だが、同級生に聞けば、全くに私の話に融合する。中には県職員も居た。そしてこういった。「あいつらは隠すことがうまい」絶対的な証拠をもって始めなければ、全部隠されてしまうと、そう言うのであった。絶対的な証拠とは何だろう? ごまかされた行政書類のことを言うのか? それとも…
絶対的な証拠、それは法律的な証拠である。令和3年7月5日
勝負は有った
特別養護老人ホーム飯田荘の実施設計業務の通知がFAXで届いた日から、私はその絶対的な証拠をすでに感じていた。そのことは以前に書いているが、長く続く官製談合は、私の手で解決できるものと固く信じたのである。だからして、すべての会話に録音するは、当たり前のこんこんちきだ。
疑惑の解明
端から魂胆を持ち、そこを悟らせまいとしてきたのは私である。そして気が付くに、契約解除の理由が変わったことだ。まさに、裁判の焦点がそこにある。契約解除通知を改めてみれば、「工期内に成果物が提出されなかった」とあり、「違約金946万円の一割に当たる違約金94.6万円を支払え」とある。だからしての反訴であろうが、間違っちゃあいけない。飯田市は、成果物を受け取って検査を行っていると言うことだ。請求書を提出するに、原章長寿支援課長と遠山広基地域計画課長は「全額は払えないが」と言っている。(これは反論されていない)請求書が出てから検査を行ったのは飯田市だ。もはやその時点で成果物を認めたことになり、そこも反論されていない。検査を行うに、契約書に有る検査期間10日以内を不履行したのは飯田市である。そこに持って、検査不合格とした。その理由がしゃれているではないか。
探したけれど見つからない
井上陽水の歌と同じで、検査不合格理由が見当たらない。お粗末にも底が有るが、「完成設計図書ではない」「飯田市の意向に沿っていない」が、検査不合格の理由だと言う。まあ、裁判もそこでしか争えないのだが、争わなくては支払えないのが行政だから、ここはひとつ我慢と行こう。
反訴は争いの唯一の手段だと弁護士は言った。だが、反訴の弁論が届いていない。なぜならば、飯田信用金庫上飯田支店は、陳述書を書いていないからである。気が付いていただきたいのはそこである。飯田信用金庫上飯田支店の陳述書が有るとして、反訴を議会が認めたことが、どれほどのことなのかに気づいていただきたい。
詳しくは飯田市の終わりのコーナーに書き出していくが、公開の停止になる理由もそこにあるとし、飯田荘の違法建築が裁判にどのように影響していくのか、また、行政犯罪とされるのか、市長教育長の犯罪が露呈するのか、兎にも角にも、違反建築は犯罪である。令和3年7月7日
県の調査状況
阿部知事への直訴は事務的に扱われるが、扱う職員によってかなりな差が結果に出るだろう。飯田市と議会が「違反建築は県の責任だ」と言ったのは大きな事実である。違反建築した本人が、それら違反を認めた上で、責任は県に有るとした。そこまで言えるのは、それだけの状況が飯田建設事務所建築課にあったと言うことだ。そうであれば、県住宅部の職員が調査したとして、仲間内である飯田建設事務所建築課に責任あるとした調査結果は出ないことになる。その上、「違反建築ではありません」と、県の調査職員はすでに口に出している。先が思いやられるが、この際であるからして、県住宅部職員の不正も暴いてしまおうではないか。
違反の範囲
違反建築と言う法律用語はない。法律的には、「違法建築物」と言う。俗にいう違反建築の違反は交通違反の違反と同じであって、それは幅広い物である。交通違反のような目に見える違反も有れば、地中深く眠ってしまう違反も有る。特に、昨今起きている建築物事故の事象は、これら地中深く眠っているのが原因とされる。飯田荘を例にとってみれば、建築違反による事故が目に見える時は、数十年後の今日であると言うことになる。
姉歯事件を覚えておいでの方はよくわかると思うが、構造計算のコンピュータ計算に入り込める建築課の人材はいない。だからして起きた偽造犯罪である。その結果において、建築確認申請者である施主は、行政処分としてホテルの取壊しを余儀なくされている。莫大な借金を残し倒産しているが、これが法律である。
長野県では自殺者が出た
姉歯による詐欺事件において、系列ホテルの建築違反が次々明らかになるに、飯田市や松本でも同じ事象が起きている。そこで県施設課は何らかの責任を取ったのかと言えば、建築確認申請を担当した係長を魔女狩りしただけである。その係長は飯田市鼎出身の〇〇さんで、悲しからずや川中島の河川敷で焼身自殺している。それが長野県住宅部の歴史であって、その住宅部が飯田荘の違反建築の調査するに、今更違反と言われてもとの考えしかないと、想像するまでもない。令和3年7月9日
伏魔殿は公務員に在り
焼身自殺の件は、以前のブログに詳しく書いているので読み直していただきたいが、行政が責任を取るのはまれであって、たとえ、審査機関としての審査に間違いがあったにしても、それを間違いだと認めることは皆無である。
行政書類に間違いは無い
岡庭一雄や熊谷秀樹村長のように、書類を偽造するのを当たり前とするのであればまだしも、県の保管書類に間違いは無い。有れば黒塗りで開示すれば済む。何を言いたいのかと言えば、「飯田荘は違反建築です」と言っても、「関係書類を調査しましたが、違反でありません」としか答えは返ってこないと言うことです。保管書類に間違いがなければ、違反ではない。いわゆる、書類調査しか出来ないし、また、それ以上の調査を行うシステムも存在していません。万が一書類の間違いが有ったにしても、それを補完する書類を捏造するのです。そう、阿部知事に直訴しても無かったことにされるのは当たり前だと言うことです。
県住宅部の調査員は一人であって、それもそれら書類を作成してきた仲間内の職員である。「違反ではないですよ」は、二度目の電話において口にされていますし、直接の話では、調査内容を序列して、「飯田荘は違反建築物ではありません」と、すでに答えを出してしまった。
通用する職員権限
一度も現場を見ようとしない。建築確認申請書の正本を見直し、飯田建設事務所建築課長に確認を取り、中間検査の様子をうかがって問題なしとした。これが調査員の中間報告であった。
「情報提供協力要請」このような通知書が私の手元に届いたのは、動かない秘書課の対応に、さんざんに働きかけた後先のことであるが、「熊谷さん覚えておりますか〇〇です」との電話口に、ああ、この男かと、何とも言えない無力感を感じたのは、「その節はお世話になりました」の二の句に表れていた。そう、お世話どころか振り回された男である。
思い起こせば、15年ほど前になるか、県立木曽病院の増築事業の施設課監督員がこの男であって、章設計が設計監理を行っていた。木曽病院の要望と施設課の計画に反故があり、この男は完成3か月前に現場放棄した。そう、トンずらしたのである。機械設備・電気設備の監督員はそれぞれいたが、統括である代表監督員であるこの男が工程会議に出て来なくあった。現場の混乱を収め、工事を完了させたのは私であるが、書類の整合だけは私の手の届かぬところであって、残っていた二人の監督員(施設課職員電気・機械設備監督員)は、工事監理契約の二か月延長を偽装してほしいと依頼された。要するに、「完成が二か月遅れたので、4月5月の監理契約書を作成してほしい」が、二か月延長の監理費用は払えないと言うのである。いわゆる、担当職員が責任を取らず、すべて設計事務所の責任で後処理すると言うことだ。(こんなふざけた話は施設課に限らず、どこの市町村でも日常茶飯事で行われている)
章設計の社長は現熊谷市会議員であるが、どこの社長の例にもれず、「県の言うことを聞いた方が良い」言うことを聞かなければ、これからの指名に影響すると言った。もはや敵は内に外にいるのだが、この偽装は私には出来ない。かたくなに社長を抑えつけた。
このような状況において、施設課から電話が入った。「今度担当になりました〇〇ですが、何とか契約書を作成してもらえませんか」と言う。そういえば、4月に入っていた。移動にて担当が代わるのは、前年度の事業が二か月先に延びた結果であろう。だが、それは施設課の都合であって、章設計に関係ない。やりもしない延長監理の契約書など作れるはずもない。だが、担当者にとっては現場と書類の整合が出来ないことになれば、始末書どころの騒ぎではないし、県行政にもかかわる事象になるは目に見えていた。
助け舟
新しい担当者に告げたのは、「正式な依頼となるよう、住宅部長までの報告を行うこと」「機械設備と電気設備の施設課監督員二名からそのような電話を章設計の社長に入れること」「現場放棄した男から私に電話を入れること」であった。
トンずらしたこの男から電話が入ったのは直後である。何やら言い訳を並び立てていたが、それのどれもこれも、工程会議のたびに注意してきたことで、これでは工事が遅れてしまうと、二人の県監督員には口を酸っぱくして伝えていたことだ。私は十分に𠮟りつけた。「迷惑をかけて申し訳ありませんでした。私は移動になりましたので、何とか…」平身低頭なったものだが、「後任が責任を取ることだ。まずそれを後任にお願いし頭を下げよ。それが出来ればあとは社長に任す」
その時の男が、飯田荘違反建築の調査担当者だと言うのだ。先が思いやられると思うと同時に、運命めいたものも感じたのは確かである。令和3年7月11日
見たくもない火を見た
火を見るよりも明らかなのは、無責任な男が「お久しぶりです」と電話をよこしたことにある。「ああ~何ということだ!?」議会まで根回しをして「行政側の調査では隠蔽される恐れがある」と、ハッキリ伝えているところにおいて、この男が調査員だとのことは、その心配を端から増幅させることだ。これであれば、情報提供に協力など出来ない。そう判断したのである。「〇〇さん、協力要請を文書で行えば、内部調査ではなくなってしまう。議会側はあくまで内部調査の状況を見て対応すると言っているが、そこをどのようにお考えか」、「え!?文書ではまずかったですか?章設計さんからの情報提供だと聞いていますので、章設計さんに協力願えることだと思ってましたが」、「飯田市とは飯田荘の件で訴訟状況にあるとのことは聞いていますか?」、「ええ、聞いていますが裁判は関係ないんじゃないですか?」、「その裁判が公開停止にとされたとのことは聞いていないのですか?」、「それは知りませんが、公開停止って何ですか?」 ため息が出た。この男のいつもの対応がまた出てしまった。仕方なしに公開停止の意味を告げ、私の情報提供は告発書にすべてまとめている。それ以外の情報は裁判の証拠と成るゆえ、公開停止であれば証拠をそちらに渡すことは出来ない。と、伝えたところ、「それでは調査できませんよ」と言う。なんとまあ呆れたものだ。違反建築の調査を行うのであれば、まず、県に保管されている建築確認申請書および中間検査、完了検査の一切の書類を確認することに有る。それら書類に不備が無いかどうかをまず確かめることで、それらに問題が無いのであれば、現場(飯田荘)と、建築確認書類との整合を行うことではないか。それらを手付かずにして、「協力要請」で他の情報提供を行えとは、この男、やはり、どうしようもないところは変わっていない。かなり腹が立った。「いきなり公文書発行はないでしょう。少なくとも要請されるなら、こちらに来て挨拶してからが普通ではないですか?」、「あ、そうですか。文書を送ったことがまずかったですかね」、「そういうことを言っているんじゃない。あの時もそうだが、あなたが調査員なら、あなたの調査に万が一齟齬があったとあとで判明すれば、責任はあなたにあって、違反建築の調査と全く関係ないところの問題が出てしまう。そうならないために事前調査を先に行うべきだと申し上げているのです」、「RC造の地下の上に鉄骨造が建築できないと言っていますが、建築できますよ」、「そんなことは言っていないからよく読んでくださいよ。RC造の上に鉄骨造を建設するのであれば、r2の混構造の審査が有るのではないかと言っています。その審査が行われていないのであれば違反建築ではないのかと言っているんです」令和3年7月13日
答えが先に有る
飯田荘が違反建築だと告発が有れば、知事秘書課の対応はこれでよかったのか? 実際に違反建築だとなれば、責任は建築確認申請書において審査し、中間検査において基礎構造躯体構造を検査し、完了検査において合格としたのは県である。それら関係書類を確認しても、そこに違反建築は存在しない。そんなことは誰でも分かることで、だからして、「違反建築は県の責任だ」と、飯田市行政も議会も軽く言えるのである。
施設課の隠ぺい体質
このブログを始めたころに、長野県の不正に関してもコーナーを設けている。その中で、綿々と続く県施設課の無責任体質を指摘しているが、設計や現場において厳しく検査を行っても、関係書類の一切はすべて処分されてしまうのを指摘し、それらの行為はその場しのぎの隠ぺいであると指摘している。施設課に限らず、三年での移動は都合よく、残された書類に不備があっても、燃やされてしまえば後の祭り。それが実際に行われているのだ。確かに永久的に保管できるものではないし、会計検査対象の7年を過ぎれば保管義務もない。それが恒例のごとく行われていれば、不味いことは最初から隠しているのである。設計図書は完成した施設の管理とし、それ以上の物は県側には残さない。今回のように、完成して二年余りのは残っているが、それであっても建築確認書関係だけである。建築確認申請で許可する、許可されたであれば、そこに違反などあるはずがない。例えば、見逃し(気づかない部分)での事象と成れば、それが飯田市が言うところの「県の責任」であることだ。
確信犯は飯田市
だが、飯田市が、「気づかない部分」を意図的に行っていたとなれば、「県の責任」の意味合いが違ってくる。そこがどこにあるのかが、県に保管されている建築確認申請書類だけでは分かることはない。それらの疑いがあることを私は告発したのであって、県の書類に齟齬がなければ、現場を確認する、飯田市や設計事務所、工事者に聞き取りを行うことではないか。大体に、「絶対的な証拠が有る」と調査者に告げているのであるから、そこの答えを私に求めてはどうしようもない。だから、こんな男が調査者になったことを嘆くのだが、意に介せない男は「違反建築ではありませんよ」と、軽く言うのである。令和3年7月15日
県の責任
無責任男から始まってしまったが、飯田市と議会は「県の責任だ」と二度回し私に伝えている。そこで言う県の責任は、たしかに建築確認申請書を許可した責任は県であるし、完了検査も建築確認申請の一環で行われたことだ。だが、飯田市は工事を始めてから「基礎工事の変更」を行い、その増工工事に5千万円も追加をしている。それだけの増工工事を行ったにしても、建築確認の取り直しが行われていないことはなぜなのか?
計画の変更届
行政書類の出し渋りをするのはいつもの風景だが、私たちには知らない、わからない書類も存在している。特に、建築確認申請関係の書類は複雑難解であって、素人の目では目を通すことも出来ないだろう。
飯田市に開示請求して手に入ったのは、完成図の数枚である。完成図であるから現場に合っており、そこで違反を見つけることなどできない。そこで、建築確認申請書の副本の開示請求を行ったが、当然のこと開示されなかった。次に、増工工事の設計図書の開示も行うが、同じ結果であった。議員らはそれら設計図書は手に入るどころか、それら設計図書の説明を受けて、5千万円の増額を認めているのであるが、それを外部に出すことはしない。市民から見れば隠蔽だが、議員らに言わせれば、守秘義務と言うであろう。うまくできていると感心するのは、開かれた行政や議会運営は言葉だけであって、それが恒例だとの考えが染みついているのが議員であるのだ。こういうところを突くのが共産党なのであろうが、飯田下伊那の共産党議員は、消費税だとか憲法九条だとか、まったくに市民とかけ離れたところにいる。またしても愚痴になってしまったが、飯田市から得られる情報は、すでに手が加えられていると言うことだ。
市がだめなら県
飯田建設事務所建築課から手に入れていたのは、建築概要書の写しであった。そこにありえない手が加えられていることで、建築課長に疑問を持った。課長は狼狽え、あらぬことを口走ったが、そこを責めても大した成果は現れぬ。だが、狼狽えることの裏には疚しいことがあるのが常であって、それがぼんやりではあるが、大体見えていた。そう、答えは、建築確認申請に基づき、中間検査や完了検査を行った、建築主事に事情を聴くことである。
建築概要書において、検査者の名前は判明していたが、課長は係長だと言い、すでに異動でいないと言った。それが、建築主事は前課長であって、私は何もわからないに変わった。そして、担当したのは前課長の建築主事ではない、移動した係長でもない、資格のない担当者だと言い換えた。なぜ、このように手連句連したのであろうか? やはり、現場検査において、何か手心を加えた形跡があるのではないのか? と、疑問を持つのは誰でもであろう。令和3年7月17日
なぜ隠す!?
飯田市も県建築課も隠すことばかし、このようなことで今まで通用してきたのは分かるが、同時に、今までは私のようなしつこい男が居なかった表われでもある。しつこさは生まれ持った性分だが、そこに平等性の担保が示されなければただの文句になってしまう。
違反建築を暴くのは至難の業であるが、隠されていることを表に出すは案外簡単だ。だからして、建築確認申請書の正本を開示請求したのであるが、それはあっさりと開示された。次に、正本と副本に相違はないかと、飯田市に副本の開示請求を求めたのであった。しかし飯田市はそれを拒否した。「係争中である」の理由も当然だが、正本と副本を並べても、そこに変わりはあるわけではないし、県の調査に飯田市の副本も関係はないことだ。無駄足と言うなかれ、分かっていて行うは、行うことに意味があることだ。県の立場と市の立場、建築確認申請書において、そこに行政法(特定行政庁)が存在するは県だけであって、市は単なる施主であるのだ。そのことを思い知らさなければ、飯田市の議員らが、「違反建築は県の責任だ」が、お門違いになる。早い話が、開示請求とするのは行政書類であるが、建築確認申請書副本は建築許可書であって、行政書類ではないと言うことです。建築確認申請書副本通りに施工していれば、違反建築となることはなく、万が一にも責任の所在は存在しません。
監理者が市役所職員
飯田荘基本計画時では2級建築士であった飯田市地域計画課係長木村理子が、1級建築士の試験に合格したのを受け、早速に飯田荘の監理者として届け出が為されております。飯田市職員が監理者と成れないことは有りませんが、平井隆志地域計画課職員が現場監督員であって、監督員が監督する監理者が、上司である木村理子であれば、全くにおかしな構図になる。そのことに異議を申し立てているが、いっこうに気にしない議員らは、査問する観点が間違っていることにも気づかないようだ。行政であれば何でもできるのだろうが、はたしてそこに平等性の担保は存在するのであろうか。令和3年7月19日
地耐力が出ない現場
工事を請け負った勝間田建設株式会社は、木村理子監理者の指示において地耐力調査を行った。載荷試験を行ったのは土木管理総合試験所であるが、その結果、「所定の荷重維持が困難となったため試験を中止とした」との報告書が木村理子監理者に提出されているが、議会はそれらの報告を受けているのであろうか。
5千万円の増工工事
飯田荘が完成したとき、「基礎工事の変更により、5千万円の増工工事を行っている」と、熊谷議員は言っているが、基礎工事の変更で5千万円の金額は相当なものだ。この事実において完成した飯田荘を確認すれば、そこに多いな変更が見られた。それは、完成予想図では道路段差が擁壁で設計されているのが、完成した飯田荘は、擁壁でなく建物の外壁となっていた。この外壁の中に地下が有れば、それは違反建築になるのではと、最初の疑問がわいたのである。それだけのことであるが、どういう訳か、建築概要書では、地上2階建の申請となっていた。「2階建て?」おかしい、基本計画では平屋建てであったし、擁壁は既設の間知ブロックを残すとされていたし、それを直用壁にすべきだと要求すれば、それが飯田市の要望でないと契約解除されている。
変更するのは構わないし、2階建てでも構わないが、地階を設けての2階建であれば、それはr2の混構造になる。仮に、地下が無くて地上2階建ての混構造で、軒の高さが9mを超えれば、それはr3の混構造となって適判審査が必要だ。だが、西沢構造計算は、「審査の必要がない、平屋建ての鉄骨造と木造の混構造で設計した」と言っていた。だとすれば、つじつまの合わない話が重なるに、県の確認申請はどうなっているのだと、飯田建設事務所建築課に乗り込んだのである。そこでの建築課長の対応に疑問が生じ、ついには、情報開示された建築計画概要書に、偽造の疑いが出たのであった。まあ、あまりの不始末に整理がつかず、ついには県に告発したが、それがまた、お粗末な奴が調査と称して隠ぺいに走った。
これが今の状況であるが、つい先日、県の調査担当者と建築課長と3人で会議を持った。そこで確認できたのは、「平成29年9月に確認申請書が提出されたが、鉄骨造2階建てだとして、r2の混構造で県の審査が必要になり、確認の取り直しを行っている」とのことが、説明された。令和3年7月21日
またも出た疑問
驚いたのは、確認申請当初において、すでに建築確認の取り直しを行っていたことだ。そして、もっと驚いたのが、確認申請を受理(収受)してからの審査において2階建てであると指摘され、r2の混構造の審査を必要とするに、確認の取り直しをした経過が何も示されていないのだ。いわゆる、変更前の図面と変更後の図面が無く、構造計算書においては、当初の構造計算書のままであったのだ。2階建てとは、どこなのだろう? そこで改めて、飯田市から情報開示されている基本設計図を確認した。そこでいくつかの疑問が生じたのは言うまでもない。
第一の疑問
第一の疑問とは、違反建築ではないのか? と、最初に感じた疑問のことである。それはやはり根本的なことで、地階が有るのかどうかであった。この件を建築課長に最初に質問した。「RCの地下が有れば、鉄骨造とRC造の混構造では建築できないのではないか?」とね、その質問に対して、建築課長は狼狽えた。そして曖昧な答えに終始するに、ついには情報公開された建築計画概要書に、あり得ない偽造が発覚したのであった。その時すでに、「地下は有ります」と建築課長は答えている。それは地下ではなくピットではないのか、厨房の下にピットの計画は最初からあったことで、私が言っているのは地下室が有るかどうかだ。とまで言い切っている。それに対しては「担当した者は当時の課長であって、移動で居ないので聞いてみます」として逃げられている。後日、建築課長と二人して対面したときは、「課長ではありません。係長でもありません。平の職員でした」に言い換えたが、中間検査や完了検査に向かわせるに、平の職員で済ませるには、あまりに不十分な検査と言えるのではないか。ようは、平の報告をそのままに、係長や建築主事が何一つ、確認をしていないと言うことであり、その様ないい加減な審査や検査を行っていたのがバレるとして、言えなかったと言い訳するのであった。(これも録音が有りますよ)令和3年7月23日
不正や犯罪になるには
行政機関の検査だ審査だと聞けば、誰でもその一末に不安を抱かないものだろう。だが、実際はこのようにいい加減であって、そこには行政同士という仲間意識が存在していると言うことだ。これを許すか許さないかも個人感覚で当たられるところに、行政においての不正が発生し、やがてそれは大きな犯罪へと進んでいくのだろう。
申請書との食い違い
飯田荘が違反建築物だと言う確証は無かった。西沢構造計算事務所は「構造計算のやり直しをした」と私に告げている。なぜやり直したのかと聞けば、「地耐力が不足であった」と言っている。そして、「最初から章設計の地盤調査報告書でやるべきだと言ったのに、飯田市は章設計の地盤調査報告書は使うなと言われた」このように付け加えている。それは確かなことだと言えるのは、当社の地盤調査において、支持地盤は「GLから8.500下に存在していることが分かっていたからだ。飯田市が行った地盤調査は、GLから5,000下までで終了しており、GLから1.650下に支持地盤があるとされていた。どちらの地盤調査が正確で正しいのかを、西沢構造設計は言っていたのである。そのようなことを確認しようと建築確認申請書を手に入れれば、飯田市が行った地盤調査報告書が添付されていた。だからこそ、疑いはより深くなったのだ。
盲点
建築確認申請書一式は完ぺきな書類であって、そこで違反はあり得ない。だが、添付されている書類に間違いがないとは誰にもわからない。そこが問題なのだ。地盤調査報告書を見ても、その報告書のつづりに間違いがなければ、添付されていることで良しとするのが現実である。深く掘り下げて、どこの地点でどのくらいの支持力地盤があるかどうかなどと、現場検査において地番調査報告書を持参して検査することなどやってはいない。それも、平職員がそれほどの検査能力を要していないことなど、ある面常識ではないか。このようなことは茶飯事で、「合格させる」が前提にあるのを良しとするのが善意であって、ここが不合格になれば、大きな損害が建設業者に出ることになる。ましてそれが行政機関同士であれば、検査などあって無いがごとしであって、そんなことを突くような者が悪者とされるのである。令和3年7月25日
狐はキツネ
飯田荘は最初から違反建築であった。なぜ偽装申請を行うことになったのかと振り返れば、そこに犯罪が隠されていたのは言うまでもない。その犯罪を暴くことは私の役割ではないが、不正を許さないとの姿勢で臨めば、やがて犯罪も明らかになると考えている。
原点にかえることが必要で、原点に戻れば、解決もまた可能となるだろう。何が原点なのかと言えば、「章設計が1/3の予算で飯田荘の設計を落札した」ということだ。「鈴木設計が落札して藤本設計が下請けで設計する」これが、飯伊設計監理協会と飯田市地域計画課の官製談合の構図であった。だが、ここだけを焦点にするは議員の連中と世間である。これは長年続いてきた建設業界と飯田市行政の官製談合であって、そこに飯田信用金庫と綿半が複雑に絡み合い、監査委員まで談合に関係するという、前代未聞の行政犯罪である。そこまでは警察も国も知ることになったが、それら長年続いてきた官製談合を利用して、佐藤健市長と代田昭久教育長の横領犯罪が有るのを誰も気づいていなかった。牧野光朗前市長と佐藤健市長、そこに加わったのが代田昭久教育長なのだ。
三大犯罪
代田昭久という男を知るに、それは途方もない犯罪者であることが判明した。きっかけは、やはり飯田荘の改築事業である。長く疑問であった「築38年の飯田荘をなぜ取り壊したのか?」単純な疑問だが、建設業界では考えられないことで、昨今の公共施設の耐震化にも相反する事実であった。飯田市に限らず、長野県でも公共施設の改築には慎重だ。耐震化で改修すれば半永久的が可能となるとして、老朽化に伴う更新工事が行われている現状である。だが、飯田市は飯田荘の取壊しを決めた。そう、飯田荘が改修を望んでいるのに、取り壊すことから決めているのだ。これが結果的に取壊しとなるならば、市民もそれを理解するだろうが、端から壊すと決めるのであれば、議員はそこに目を向けるべきだろう。熊谷議員もそうだ。市民の財産を、耐用年数まで程遠くあるに、取り壊すことはないだろうと、建築士の端くれなら疑問を呈するべきではなかったのか。令和3年7月27日
気づいている熊谷議員
「代田教育長は出来る人だ」ちょうどそのころ熊谷議員がつぶやいているが、その時それを聞いてもピンとこなかった。おそらく、熊谷議員は今は気づいただろう。
改修計画で進められていた飯田荘が、急遽新築されることになったとの話は、原章長寿支援課長から聞いている。「なぜ取り壊すのですか?築38年では耐用年数まで行っていませんが」と聞いた時の返答である。「予算が付いたので」「改修工事も金が掛かるので」と言うが、これは回答ではないごまかしの言葉であった。
地耐力不足は設計ミス
建築工事の予算は6億円であった。設計料は別枠で6千万円、その他に、厨房機器や備品代が数千万円あったと思われる。ここまでが補助対象の事業予算であって、だいたい7億円であった。既存飯田荘の取壊しに1億円の予算が有るが、ここに補助金は扱えない。総額8億円で臨んだと思うが、計画が大きく変わったのが、5千万円の基礎工事変更設計であるだろう。この予算をねん出するに、ここに補助金を重ねることは難しい。基礎工事の変更が地耐力不足が原因だとしたら、補助金を充てることは出来ない。理由なき増工とみなされるからだ。もう一つ、大きな問題が出ている。それは、この設計変更は「誰の責任か?」と言うことだ。西沢構造設計は、「飯田市提供のボーリング調査報告書で構造計算せよ」と、鈴木設計から指示されている。このボーリング調査報告書では、出来ないと断ったが、どうしてもやれと言われてやむなく構造計算を合わせたとも言っている。その結果が、構造計算のやり直しである。その構造計算のやり直しにおいては、当然のごとく飯田市から新たなボーリング調査報告書が提供されている。だが、このボーリング調査報告書が建築確認申請書に添付されていない。ここが違反建築物になる根拠となるのだが、ひとまずその話は置いておく。
構造計算のやり直しが必要と成れば、西沢構造設計は費用が発生する。鈴木設計に求めるに、鈴木設計は「飯田市からの提供なので」を理由に応じていない。では、鈴木設計は飯田市に変更設計のやり直し費用を請求したのかと言えば、それは絶対にありえない。官製談合の相手に請求するは、おかしな話になるからだ。変更設計の費用は発生していないとなるが、それでは、斉藤工業に新たなボーリング調査を依頼して、1,328,000円を支払った事実はどうするのか!?令和3年7月29日
責任の転換
ここまでの経過の中で、5千万円の増額について議会が承認するに、はたして責任の所在を明らかにしているのであろうか。「基礎工事の変更により5千万円の増額が必要になりました」だけでは、到底承認できない。「なぜ?5千万円もの増額工事が必要なのか?」が、議会の役目である。如何に出来レースだとしても、昨今のビデオ撮影で記録が残される、議事録に掲載されるのであれば、受け流しとはいかないだろう。少なくとも、「5千万円増工の理由は説明されているはずだ」この5千万円の増子予算に、斎藤工業に支払われた1,328,000円が含まれているのに、変更工事の設計料が含まれていなければ、そこを質疑するのが議員の役目であるが、それも行われていない。
これは想像ではない。増工工事が設計者のミスである場合を除けば、増工の理由は現場状況にあって、それらの責任の所在は飯田市行政側にあることを示すことであって、少なくとも斎藤工業に支払って、鈴木設計に支払わないなどの区別はできることではないのだ。
木村理子の責任
1級建築士は個人資格であって、職員の個人資格を用いて現場監理者に充てるのはいかがなものか。これを熊谷議員に指摘しても、行政は何でもできるんだと、馬鹿な話で終わっている。木村理子は平成29年に1級建築士になったばかしであって、現場監理者の経験など何もない。それを「行政なら何でもできる」として、監理者とさせるのには、木村理子を監理者としなければ成らない理由があると言うことだ。このことについては熊谷議員が興味あることを言っていた。「木村係長が悪いんだ」章設計への契約解除につながる原因をつくったのが木村理子と言っているのだが、本当にそうであれば、木村理子に監理などさせないし、建築主事にもさせないはずだ。建築主事が飯田荘の監理者となるのも不思議な話だが、やはり飯田市は何でもできるのだろうし、議員らの頭の構造も、そうなっているのであろう。令和3年7月31日
裁判前
冷静であれば間尺に合わないところがいくつも見えてくる。まず最初の疑問は「斉藤工業にボーリング調査費を払ったのはなぜか?」ではないだろうか。斉藤工業は入札において飯田荘のボーリング調査を請け負い、地盤調査報告書を提出しており、鈴木設計事務所は、その地盤調査報告書に基づいて設計を行っている。建築確認申請書にもその地盤調査報告書が添付されており、長野県庁住宅部施設課において、混構造建築物の審査も地耐力の確認も行われて建築の許可が下りている。併せて、中間検査も完了検査も合格とされており、そこに地盤調査報告書の差し替えは無い。
不明な出費は監査請求
斉藤工業が二度目のボーリング調査を行ったとのことは、飯田市地域計画課が必要として発注されたのであるし、当然長寿支援課も議会(社会文教委員会)にも承認を得ていることである。だが、この地盤調査報告書が扱われた形跡がどこにも残っていないのはなぜか? 必要として再調査が行われてのであれば、また、1,328,000円もの金額が支払われたのであれば、それこそ成果物として残っていなければならない。
成果物とは、対価である。その成果物が必要として扱われていなかったとしたら? その成果物が違反建築を証明するものであったとしたら? いったいどういうことになるのであろう!?
隠蔽か偽装か!?
複雑に見えて簡単な話である。なぜかと言えば、二度目のボーリング調査を行わなければならなかった理由を、地域計画課はもとより、議会議員全員が知っているからだ。当然に工事を請け負った勝間田建設も知っている。だからして、工事現場で用いた設計図書の掲示も、載荷試験調査報告書の掲示も拒んでいるのだ。
その様な小細工で章設計を妨害しても、飯田建設事務所建築課において情報開示を行えば、すべての物が手に入っている。残っているのは、「なぜ情報の開示を拒んだのか?」の疑問だけである。勝間田建設がこの偽装や隠ぺいに絡んでいなければ、率先して情報を開示することではないのか。令和3年8月2日
県の調査
違反建築ではないとかかるは当たり前のこと、建築許可を下ろし、中間検査も完了検査も合格としていれば、今更違反だとされては、すべてが県の責任になってしまう。それこそこんなことはどこの自治体でも行われることだろう。それを見越してこの様な調査に協力するのは、やはり隠蔽するとしたことにおいて不条理が発生するのであって、その不条理を突き詰めていけば、何を隠そうとしているのかが見えてくる。作戦と言えば作戦だが、この様なやり方でなければ、早々に不正行為の証拠など見つかる者ではない。
最終手段
違反建築ではないかとの情報提供は、特定行政庁・都道府県又は国土交通省とされている。特定行政庁は建築主事を置く地方公共団体の長とされているため、実際はやはり知事への告発となることである。まあ、告発は法律的な意味であるから、ここではあくまで情報提供なのであるが、この様な曖昧な言葉を用いるのが行政業務の最たるところでもある。県民からの情報提供が有れば、それはやはり調査を行わなければならないはずで、今回のように専門技術者が居る住宅部施設課がそれに当たることも、全くにその通りでもある。だが、住宅部施設課の専門技術者は、県下建設事務所建築課の建築主事も兼ねている(移動)ことからして、自分たちが許可した建築物の違反建築調査を行うという、何とも矛盾した状況であることはいがめない。県建築課で建築許可を下ろしたものが違反建築物であったとなれば、県住宅部の責任となるは当然で、だからしての調査は、有ってなきがごとしは言うまでもないのだ。
そこまで分かっていて尚もそれに従うは、制度に沿うことが重要であって、また、「違反建築にするな!」との姿勢であれば、調査過程においてもその様な態度や受けごたえが見受けられえることになる。だからして、こちらは最小限の情報提供に抑え、調査についての記録を残すことが必要なのである。令和3年8月4日
録音を嫌う県職
不正や犯罪が立証されるに、内緒での録音が功を奏することが最近多くなってきた。裁判においての証拠と成れば、それで結論が出ることも少なくない。そんな中で、一つの録音の中身をここで書き出してみる。ここに登場するは、斉藤工業の関係者であるが、それは録音されていると気づいての会話である事に注目いただきたい。
熊谷議員の同級生
斉藤工業とは古い付き合いになるが、窓口はすべて熊谷議員であった。当然に当社の部長時代からであるが、それは熊谷議員の高校の同級生が斉藤工業に居たからである。その同級生は長く斉藤工業に勤め、ボーリング調査の一切を仕切っていた。よその内輪に口出しするわけではないが、熊谷議員からは「社長は口出ししないし、斉藤工業は〇〇が全部やっていて、金額も任されている」と、それこそ二人の掛け合いでこちらも任せていた。
平成29年1月25日の飯田荘ボーリング調査開始につき、「市の課長が来て、『中止せよ!』『撤去せよ!』と言われて、うちの職人が返ってきた。どうしたらよいですか!?」と、電話をよこしたのも彼である。当然に直接電話ではなく、その前に熊谷議員に連絡した後のことである。それほどに、飯田荘にかかわる佐藤健副市長の蛮行を知っていたのだが、その時点で早熊谷議員は、藤本設計の口利きや設計事務所協会との官製談合に口を閉ざしていたので、当社に対して協力的ではなかった。
お門違い
「飯田荘のボーリング調査は斉藤工業がやるようになった」との話は熊谷議員からである。またそれにかかわる情報も熊谷議員から幾度かあったが、常に「内々に」が、そこにあり、私に情報提供するのは議員としてあるまじき行為だと感じているようだった。飯田荘にまつわる不正を見つけて調べたのは熊谷議員であって、不正に関して章設計は何も関係ないし、関与することも出来ない。なのにそれが内内であれば、自分の立場ばかしであるのが分かっていない。だからこそ叱るのだが、まあ今の世の中、熊谷議員の方が正常らしい。令和3年8月6日
行政に詐欺は無し
設計事務所の業務範囲として含まれていた飯田荘のボーリング調査を分離して、新たに入札を掛けたにしても、そこに何もないという。少なくても道義的な責任は有るかと思うが、行政業務が書類であれば、そういうものなのだ。だが、その扱いに不正が有れば、これはその職員個人の犯罪となることを知らないらしい。
章設計のボーリング調査を採用
「章設計から請け負った飯田荘のボーリング調査を報告書としたい」と、ボーリング調査を請け負った斉藤工業は、飯田市地域計画課にお願いしたと言う。これも熊谷議員が斉藤工業の田島から聞いたと話してくれた。それには明確な理由があった。「正確なボーリング調査を行って、支持地盤の確定が出来ている」ということだ。しかし、地域計画課は斉藤工業に対して「入札指示通り、5mの深さを2か所及び、木造棟二か所をスウェーデン式サウンディング試験で行え」と、強く指示したそうだ。
無駄な試験・食い違う試験
章設計が斉藤工業に発注したボーリング調査は、支持地盤の確定である。盛土造成地のボーリング調査であれば、当たり前の調査であって、これに代わる調査は無い。
地域計画課の基本計画は、鉄骨造二棟と木造二棟の混構造である。混構造で計画する場合の地盤改良工事は種類を変えてはならないとされている。どういうことかと言えば、支持地番まで到達するに地盤改良工事をパイル(杭打ち)とした場合、鉄骨造も木造も同じパイル工法を用いなければならないと言うことである。令和3年8月8日
計画から違反
藤本設計事務所が計画したことが、地盤調査においても露呈してしまった。地域計画課がどんなに否定しても、熊谷議員が口を閉ざしても、「飯田荘は藤本設計が事業計画した」と言う事実は変わらない。それを実証したのがこの地盤調査なのだ。基本計画が鉄骨造と木造の混構造である場合でも、地盤調査は混構造として調査するわけではない。混構造としても一体化した一つの建築物であるからだが、地盤調査の方法もボーリング調査しか選択できない。地域計画課も当初の発注には、ボーリング調査を2か所せよとの指示を出している。章設計は、その2か所の場所と深さを疑問として、「盛り土が一番高い個所と、盛り土でない部分の2か所を調査すべきだ」「2か所5mではなく、盛り土が高い部分は10mにすべきだ」と、提案している。地域計画課もその提案については、「増工を認める」として文書が届いている。
違反建築の始まり
斉藤工業に発注したのは、「鉄骨造の部分は一棟ごとに5mのボーリング調査、木造部分は一棟ごとに2か所スウェーデン式サウンディング試験」である。ようするに、地盤調査発注時から建築基準法に抵触しているのである。こんな地盤調査報告書では構造計算できないと、西沢構造設計事務所は「章設計が行った地盤調査が必要だ」と、地域計画課に告げているのです。それを無理やりにも「どうしてもこの地盤調査で構造計算をせよ」とされ、やむを得ず基礎の構造計算を行ったのであるが、その結果、「ラップルコンクリートで支持層まで到達する」という設計になったのである。
支持層までラップルコンクリートで到達するは、支持層までが5以内の場合に持ち入れられる地盤改良工事であって、ごく一般丁な工法ではあるが、問題は支持層の確認が地盤調査において明確であることだ。当初のボーリングデータにおいて、それら支持層がGLから-1,650となっており、設計も基礎下が-1,650に到達するようになっている。だが、工事着工時の2か所の載荷試験において、盛り土が一番少ない個所の載荷試験は地盤沈下が激しく、載荷試験が中止とされている。この結果において、設計変更が為され、約-1,000m下に支持層が有ると変更された。この時に地域計画課は、斉藤工業に対し、「再ボーリング調査の発注」を行っているのだ。令和3年8月10日
住民監査請求
西沢構造設計が載荷試験の結果において構造計算の基礎部分やり直しを行っているが、それらの変更設計は、変更の届け出として提出されていなく、単に、後付けの書類として残されていた。それをたいして騒ぐわけではないが、飯田市の申請として便宜を図ったことに変わりない。
飯田荘のボーリングデーター クリックしてご覧ください。 飯田荘ボーリング 陳情書返答表紙
実物を見れば、おかしなところに気づきますので、順追って説明します。前置きしておきますが、斉藤工業の調査に不備や不良が有るわけではありませんので、その辺りを誤解しないでください。
〔 数量総括表 〕
ボーリング66Φ 計画数量計10m 実施数量計10m これは、飯田市が「ボーリング調査は二か所5mづつ」の指示を変更しないために、それに従った実施報告です。陳情書への返答には「データー不足は別途協議」と書かれていますが、これは章設計への回答に応えたもので、それを当初から認めて発注すれば、章設計でもよかったではないかとなるためです。
〔 調査位置平面図 〕
問題あるは、丸印のボーリング調査位置であります。後ほど公開しますが、章設計が行った調査個所は、図面左上の敷地内で、盛り土高さが最大のところです。「章設計の地盤調査を報告するのはまかりならぬ!」と、斉藤工業に強く伝えたために、そこを避けて行う必要があったものと思われますが、問題はそこだけではありません。飯田市の当初の指示は、鉄骨造の部分1箇所、木造の部分1箇所であったのです。「鉄骨造を食堂棟と管理棟の二つに分離するのであれば、食堂棟の盛り土が最大の場所1箇所と、管理棟の盛り土が最大になると思われる箇所の2箇所のボーリングが必要で、木造棟が二棟あるならば、木造棟も同じような考えで、合計4か所のボーリングが必要です」と、指摘したのは当社であります。ですから、返答書には「ボーリング増工は認める」となったのです。令和3年8月12日
〔ボーリング柱状図〕
さて、一番の問題がこのボーリング柱状図です。何が問題なのかと言えば、すべてが良好地盤であるからです。「玉石混りの砂礫」と「砂礫」ですと報告書に記されているのは、良質な地盤層であることを示し、それが5mの深さまで到達していれば、これらの地耐力が十分とれると判断され、測地点からー2mでN値(貫入度)50N/㎤に達しています。これを分かりやすく説明すれば、「建築物の基礎は、基準GLからー1,500のところに設置すれば良い」との結論になります。
章設計の判断
何か大きな勘違いが当初から飯田市地域計画課に存在していました。藤本設計事務所に基本計画をさせたことにおいて、その計画から離れられなくなったと言うのが本音でしょうね。地耐力があるとかないとかと言うより先きに、地域計画課の基本設計は、「現状地盤の上に鉄骨造平屋建てを建築する」ことが目的でした。そこには、「造成敷地をそのままに、敷地内で収まる計画」であったのです。「鉄骨造では造成敷地からはみ出てしまいます」との問題を提起したのが章設計であって、「造成地の上では地盤改良工事が必要です」と、指摘したのも当社です。「木造で出来る建物を、高額な費用をかけて鉄骨造にする必要はないのでは?」「木造であれば、地盤改良も不要であって、何よりも造成敷地内で収まります」と進言したのも当社です。
これら提案のすべてを否定して章設計との契約を一方的に解除したことで、このような地盤調査報告書が必要となったのですが、「この調査報告書では構造計算できません」と西沢構造計算が告げているにもかかわらず、強引に進めた結果、5千万円の増工工事が発生し、建築確認申請の偽装が行われたのです。令和3年8月14日
章設計の裁判が示すもの
「ボーリングデーターの地盤は良すぎる」との疑問を呈して、「大きな勘違いが地域計画課にある」と指摘しました。その根拠は「盛土造成地をなんと見るのか!?」であります。盛土造成であれば、その盛土部分に地耐力などありません。これは専門家でなくとも常識の範囲です。ですから、盛土部分下の地盤の調査が必要になるのですが、地域計画課は「ボーリングで深さ5mを二か所調査せよ」を、斉藤工業に指示したのです。それでは、盛土下まで到達しません。
盛土土質
斉藤工業のボーリング調査では、「玉石混りの砂礫」と「砂礫」として、二箇所とも良質な土質であると報告が上がっております。しかし、これらの調査土質は盛土部分の調査であって、盛土下の土質を調査したものではありません。ですから、この地盤調査報告書は何の意味を持たず、西沢構造設計は「盛土部分の地耐力は計算の基準になりません」と断っているのです。これらの報告が鈴木設計から地域計画課にもたらされても、それを無視し、建築確認申請を行ったのであります。
ぼんくら主事
飯田建設事務所建築課が盛んに狼狽えるのは、「現地の確認」をせずに、建築確認審査に当たったことにあります。ようは、地盤調査報告書のチェックを怠ったのです。建設用地を確認していれば、造成敷地に建設されるとは一目瞭然ですからね。「盛土下の地盤はどうなっていますか?」は、当然審査の重要部分です。
傾斜地を住宅用地として造成するに、そのほとんどを搬入土で盛土造成を行っています。搬入土を良質とするのは当然の工事であって、それらが玉石混りの砂礫となっているのは、おそらく松川ダムの搬出土ではないでしょうか。その盛土部分だけを調査せよとは、やはり地域計画課のお役人仕事です。まあ、「ボーリング調査を中止せよ!」とした原章長寿支援課長の顔も立てたのでしょうが、そこまでして章設計を契約解除する理由はどこにあったのでしょうか!?令和3年8月16日
斉藤工業は知っていた
章設計がボーリング調査するに、正確な測量図をいただけるとして待っていたが、契約期間が終了する一週間前にそれら測量図のデーターが届きました。それも、「長寿支援課から渡すなと言われていた」との、言い訳を添えてです。そしてボーリング調査を始めたのだが、原章長寿支援課長と平井隆志地域計画課監督員は、斉藤工業に「調査を中止してボーリング調査機を撤去せよ!」と言う暴挙に出たのです。斉藤工業は「飯田市に言われたので仕方ない」とし、作業を中断した。それは、当社の下請けとしてはあるまじき行為であるが、再開せよと伝えてもそれに応じることは無かった。
平井監督員は姿をくらまし、遠山地域計画課長は居留守を使う、木下悦夫建設部長は知らんふり、この状態で行き場を失ったのは当社であった。電話に出た地域計画課の職員に名乗らせ、「原長寿支援課長から電話を入れさせよ!何時でも構わん。電話が無ければ明日の朝いちに乗り込むぞ!」と脅した。原章課長から夜7時過ぎに電話が入る。おどおどして言い訳に終始したのは言うまでもなかった。
再開後も妨害は続いた
斉藤工業の田島に翌日電話を入れた。「市と話はついた。ボーリングを再開してください」とお願いしたが、その時田島はすでに裏事情を知っていた。それは、熊谷議員から聞いていたからだ。なかなかに報告書は上がらず、催促すれば「遠山地域計画課長から電話が来て、提出するなと言われた。本当に大丈夫ですか?」と、内輪の事情に入り込んできた。ここまでの経過を知る斉藤工業の田島が、最後の最後に開き直ったのが、今年の4月である。斉藤工業に乗り込んだ、そして、「当社が依頼したボーリング調査データーを飯田市に提供したのではないか?」と、単刀直入に聞いたのである。(録音している)令和3年8月18日
なぜ逃げる
斉藤工業の社長を知っていたが、社長からすれば私を知らない。それはたいしてどうでもよいが、いきなりに田島を訪ねるわけにはいかない。それは、同級生である熊谷議員からすべてを聞いて、飯田市側に回った者であるからだ。社長から攻めなければ事実は出ないとして、社長を訪ねて乗り込んだのである。
目的は証言
社長は外回りで留守だという。その時、既に田島は事務室影に居たようだ。30分で戻ると奥様は言う。それでは時間を見計らって再度出向きますと伝えた。1時間くらいは経ったであろうか。再度の訪問に奥様も居なかった。突然の訪問であっても田島は察していた。内容を社長に話すも会うのは避けろというわけだ。「ごめんください」と、二度も三度も言うに静かで物音ひとつしない。これは居留守だと思った。それは、車を降りるときに、駐車場を確認していたからだ。
社長車らしき車が車庫にあれば、社用車で出かけたと思うのは当然で、二度目の訪問に社用車を見かければ、社長は戻っていると分かること。それが事務所に誰も居ないとなれば、もう一度駐車場を確認すればよかった。確かにらしき車が有れば、もう一度「ごめんください」と、一層声を張り上げた。不味いと思ったのか、寝ぼけ眼のような若造が、「はあい」と、顔を出した。「社長さんは戻られましたか?」、「あ、は、分からないけど」こんな調子で対応されれば、いかにもの様子が手に取るようにわかった。これで私が帰るだろうと、それ以上の話が続かない。だが、こんな程度で引き下がるようではなめられたものだ。「そうですか。奥さんですかね、社長は30分くらいで戻ると言ってたので、奥さんに聞いてもらえませんか?」、「あ、はあ…」バカ小僧だが、「そう、では、田島さんはいますか?」そう振った時、その若造の目が泳いだ。その視線の行き先は、出てきた方に振られていた。間違いなく全員いると、その時確信したのであった。令和3年8月20日
負い目を抱かせる
姑息な手段は次の一手がつかないことを、このような者達は気づいていない。負い目を抱けば、言い訳が始まりになるのだ。田島は居た。社長を訪ねるに、まさか自分に振られるとは思わなくあったのだろう。若造は打ち合わせになく困って視線を送る、もはや逃げられないとして、田島が出てきたのであった。
視線は泳いでいるし、ばつが悪そうな顔つきなのだろうが、私はこの田島を知らない。林業科の二つ下の後輩であるが、与太でもない限り、記憶にないは誰でもだ。だが、田島は私を知っている。だからして、ばつが悪くなるのであった。
録音のスイッチ
特別なあいさつを交わすこともなく、田島に話を聞ければよいとすれば、どうぞと言わすように、左側にある応接へ視線を送れば、もう、靴を脱いでスリッパを履いていた。この時、いつもはしないあることを私は行った。胸ポケットで、すでにスイッチを入れてある録音機を取り出して、田島の目の前でスイッチを入れなおしたのである。それを目ざとく見る田島は何かを感じただろうが、それを仕向けているとは気づいていない。そう、無断録音がとやかくでなく、録音すると見せるのは、田島が正直に話せない状況を作り出すためだ。このようなやり方は意味がないと思われるかもしれないが、私には先の先が見えていた。
二重の構え
牽制である。嘘は言わせないとする無言の示しだ。録音されると知れば、嘘はけして言えなくなる。何を話してもらうわけでもなく、こちらの質問に答えてくれる必要もない。とにもかくにも、嘘は絶対に言えなくなるのだ。令和3年8月22日
居ない社長が登場する
こういう時の先輩は都合がよいが、田島という男、私に対して敬意を払っていない。それは、私が与太でなかったということだ。回りくどい話は不要だが、私はそれが出来ない。いつもの癖であると、親しい者は知っている。私の話し方には威圧感があると言われるが、それは、疚しさが有る者に限ることだ。普通に対面して話せば、やさしい人だと言われている。まあ、最近の私はそこに居ないのは確かであって、常に顔つきも悪くなっているだろうし、こういういい加減な奴の前では、それはいっそう険しくなるものだ。田島にとっての立場は複雑であろう。第一に、章設計依頼のボーリングデーターを利用したことに有る。これが事実としてある限り、何もかも嘘で固めなければならないのだ。背任行為であるが、社長はそこを知っていない。
悟りは社長
詳しい話は録音で聞かせるに、そこはしばらく後になる。だからして、単刀直入にするが、「章設計依頼のボーリングデーター、それを飯田市に提供しなかったか?」と、本題から始めたのだ。逃げ惑う、「覚えていない」「忘れてしまった」「どうだったか」すべてがこんな調子であった。まあ、これが録音機を見せた成果であろう。「記憶にない」は、有名な言葉だが、出るべきところに出れば、それは通用しないだろう。そして結果的に何がそうさせているのかの探りを入れた。「泰人から何もかも聞いているだろうが、あいつは章設計を裏切った人間だ。だが、田島君とのやり取りは正直に話している。章設計のボーリングデーターを採用したいと申し入れたことや、支持地盤はそのデーターでなければ分からないなどの話を泰人にしているが、それをどうのこうの言っているわけではない」令和3年8月24日
社長の登場
20分くらいは経ったであろうか、もぞもぞとして落ち着かないは田島であった。さかんに、誰も居ない事務室に視線を送る。私の場所では死角で見えないが、何か気配は感じていた。そして、おもむろとまではいかず、ぎこちない社長が登場した。何かを確認するようなまなざしで私を見る。言葉使いでそれなりの男だとも感じたのか、にこやかな体面はさすがに社長である。「はじめまして」と言う社長に「初めてじゃないですよ」と声をかける田島に驚きを隠せない。どぎまぎしながら名刺を差し出した。「あそう、初めてじゃ…」、「いやあ社長さんにとっては初めてですよ。私が勝手に知っていただけですから」と、その場を収めたが。何か不自然なやり取りに聞こえるだろうが、斉藤工業の社長をなぜ知っているのかと言えば、三十年近く前にさかのぼる。たしか、先代は若くして亡くなっており、子息も若くして二代目となった。そんな関係で、あまりやりてではないとの評判であった。私が知っていて向こうが知らないというのは、初めて対面したときの場所に有る。思い起こせば、コンテックナガイの先代と、あるクラブで斉藤工業の二代目と隣り合わせた。クラブと言っても今のような女女ではなく、落ち着いた社交場である。「斉藤工業の二代目だ」そう紹介されただけである。だからして、斉藤工業の社長としては、たいして気にも留めなかったのだろうが、人辺りの良い感じは当時のままだった。
席を立つ田島
気になったのは田島の言葉である。「初めてじゃないですよ」と、なぜ言えたのか? 社長と知り合いだと信じ込んでいた言葉だ。答えは簡単。熊谷議員からそのように聞いていたと言うことだ。章設計は熊谷泰人社長と田島の関係で、ボーリング調査は斉藤工業に依頼してきた。田島から聞かされたのだろう。「斉藤工業は田島が全て仕切っており、社長は何にもできない。田島が居なくなればやっていけないだろう」と。そんな話を聞くたびに、「社長は知っているよ。感じは良い人だが、確かに急に社長になったからなあ」と受けごたえていた。だからして、社長と知り合いだと田島は思い込んでいたのだろう。令和3年8月26日
なぜ斉藤工業を訪ねたのか
アポをせず出向いたのには、わけが有る。電話を入れれば逃げられると思ったからだ。それは二か月前のこと、田島に電話を入れていた。「章設計と申しますが田島さんは居られますか?」、「すみません。出かけておりません」、「何時ころに戻られますか」、「あのう、何時に戻るかは…遅くなる時もあるし…」、「そうですか。社長さんは居られますか?」、「社長も出ておりまして」、「そうですか。では改めて電話しますので」そのようなやりとりを、奥さんでしたでしょうか。
一週間後また電話を入れた。確かそのくらいは経っていた。またも田島はいなかったが、社長とは話が出来た。当社が依頼した飯田荘のボーリングデーターのことをご存じかと聞けば、それはやはり田島が居ないと分からないという。現場経験のない社長であればそんなものかもしれないが、やはり、会社の作業量を把握しない社長であるは、聞いた通りなのかもしれない。
ブログを読んでいる
少し内容を話してみれば、思いもよらぬ言葉が出た。「ブログを前から読んでいますので分かっています」と言う。そう、それはやはり田島からなのか? と思ったが、ついでの話に、おい、そこなのか!?と、少々がっかりした。「二年ばか前になるかなあ、斉藤木材と斉藤工業を間違えて書いているが、あそこは直していただきたい」、「はい?」と言ったが、「は?あ?」が正直なところ、ブログの中身ではなく、誤字脱字のことで少々がっくりしたが、たしかに、斉藤工業の社長にとっては、裏営業の斉藤木材と一緒にされてはとんでもない話だ。それこそそれに気づき、申し訳ありません。すぐに修正しますとして謝った。そして続けるに、「ブログを読んでいてくれたのはうれしいです。ありがとうございます。ところで、田島さんとその件で話をしたいのですが、いつならばよろしいでしょう」と言えば、「ああ、田島と話して伺いますよ」と言う。「え!わざわざ来てもらうことではないんで、こちらから伺います」、「かまいません。伺いますよ」
これがその時の会話であるが、一週間待とうが、二週間経とうが、何の電話もならなくあった。それから一か月以上たった、市会議員選挙前に、ついでのついでに立ち寄ったのだ。令和3年8月28日
事実を聞かされた社長
電話の後に、田島に話したのであろう。章設計へ二人で言って話をしようと。だが、田島はそれができない状況なのは言うまでもない。「章設計から依頼された飯田荘のボーリングデータ、あれを飯田市に提出しています」そういうことだ。それが分かっているから会いたいというのに、それを言われるとして、会いに来なかったのだ。そんな折に、私が訪ねてきたと知れば、会わない方にとするは当然であるが、会えないとするは、やはり疚しさがそこにあることになる。
事実は重要ではない
なにか間違っていることに、社長は気づいていない。章設計のボーリングデーターを飯田市に提出しても、そこは章設計と斉藤工業の問題であって、何も恐れることはない。なぜならば、章設計は請求されるに、ボーリング費用を払ってないからだ。「何か問題でも?」何もこのボーリングデーターは、当社に既得権がありますよと言えば、章設計に会うは、恐れることではない。なのに会えないは、会えない理由が他にあることになる。だからして会いに行ったのだが、社長は気づいていない。
「本当のことを言え」と私は田島を責めた。泰人からすべてを聞いているとも言った。なのに、何度聞いても「どうだったか覚えていない」を繰り返す。それが録音機を見せた成果なのだ。一番聞きたいこと、「章設計に提出されている飯田荘のボーリングデーターを飯田市に提出したか?」たったこれだけのことを覚えていないと言い張る田島に、「飯田荘は違反建築だ。違反建築と成れば、勝間田建設や飯田工業は潰されるだろう」その話は、田島にしては初耳か? いやそんなことはない。ブログを読んでいるという社長は、そのことを知っている。そんなときに社長が現れれば、社長が言い訳をすることになる。令和3年8月30日
社長の言い訳
社長が同席しても私の追及は同じであって、社長はただ横に居るだけであった。そしてまた、田島が変な動きを始めた。同じように目が泳ぎ出した。陰で見えないが、事務室の誰かと目配せをしているのは分かる。そして、「これから病院に行かなければなんで、もう時間なんで…」と、言い出した。午後三時前のこと、健康な田島がそんな時間に病院の予約とは、あまりに見え透いた嘘である。誰と目配せしていたのかって? それは奥さまですよ。奥様が大きな字で、「病院に予約が有ると言って!」と書いたA4用紙を掲げていたのだろう。読めないと見て、何度も何度も背けるに、そんな見え透いた手でも、逃げ出したい気持ちはよくわかる。「そうか、だったら早く本当のことを言ってください」そして身を乗り出せば、「んん、覚えていないなあ」
覚えていたようだ
逃げ口上で席を外したが、それにおいて社長のバツが輪をかけた。呑み込めていないようだが、二度目のボーリング調査を飯田市に提出していたのは分かったようだ。まあ、分かっていて同席したのだろうが、あとはそれ、いい訳しか言いようがない。「市に出したのかどうかも含め、もう一度調べて私の方から連絡しますんで…」と、言い出した。言ってる意味が分からないが、もはやこれまで、録音的にも十分であった。章設計のボーリングデーターを市に提出していない、とは一度も言っていない。出したかどうか覚えてないと繰り返しただけだ。田島が何を気にしたのかと言えば、事実が泰人から知らされていたことであった。本当のことを言えないは、後ろめたさだけではない。実際に、章設計のボーリングデーターにおいて、基礎構造の構造計算をやり直したことに有る。工事が始まり、載荷試験において不同沈下した。それは、西沢構造計算事務所が言う、「章設計のボーリングデーターでなければ構造計算が出来ない」を証明し、斎藤工業の田島が地域計画課に要望した、「章設計へ提出したボーリングデーターを採用してください」を断られたことにつながるのである。令和3年9月1日
社長の一言
「飯田荘のボーリングを斉藤工業が落札したんだけど、田島が『地域計画課に、章設計へ提出したボーリングデータを使わせてください』と言ったが、木村係長が駄目だと言ったようだ」突然に、熊谷議員は私にそう言った。平成29年、4月末のことである。田島としては章設計など気にしていない。会社のことと泰人と同級生であると言うことだけだ。場合によれば、同級生が市会議員に成ったとのことは、会社内でも対外的にも優越感であるのはいがめない。だからして、そのような馬鹿を市に対して平気で言えるのだ。章設計の契約解除で落札(市との談合)できた飯田荘の二度目のボーリング調査、厚かましくも「章設計のデーターを使わしてください」など、その様な驕りが無ければとても言えない。そんなお門違いに、熊谷議員も当たり前としたのだ。そう言えば、章設計が契約解除された後に、「斉藤工業のボーリング代だけは払ってやれよ」と熊谷議員は言ったそうだ。どの口が言わせたのだろうか。これが元章設計の社長の言葉であれば、章設計を契約解除するとの佐藤健副市長と、通じていたとみるは間違いない。
気骨が無い
情けない話しだ。芯が無いのは生まれ持ってのものであるが、それにしても、自分さえ良ければの考えなのだろう。そう言えば、熊谷議員が『藤本設計が飯田荘の計画図を書いた』との話は、エフエムディー設計事務所に勤める後援会の熊谷(松井)から聞いたので間違いはないと盛んに言っていたが、いざだんまりを決め込むと、「そんなことは分からん。ハッキリ言ったわけじゃない」と、言葉を濁わしたのと同じだ。自分で始めておきながら、圧力が掛かれば身内でさえ裏切る。そんな中で章設計は、契約解除されるなど、そんな不祥事を本当に起こしたと言えるのか。令和3年9月3日
逃げる手を掴む
幾度、自問自答を繰り返したのだろう。正しいこととの見極めがぼんやりした気がする。章設計は、本当に契約解除されるような不祥事を起こしたのだろうか? 飯田市を訴えれば、世間は章設計が悪いと決めつけられるに、金が欲しいんだというやつも居る。斉藤工業の社長にしても、ただ、ブログが面白いから読んでいただけだ。それが思わぬ展開になれば、同じように、奴らの側に回ってしまう。
必要なもの
田島に会おうと斉藤工業に出向いたわけではない。それは、田島では何の意味もないとしていたからで、社長に会うことに本当の目的があった。ようは、社長の証言が欲しかったのだ。田島が事実を言おうとも、それは従業員の話である。ようするに、出るところに出れば、何の意味もない。喧嘩でも通用しない戯言だ。それが、「飯田市に二度目のボーリング調査を提出したかどうかも含めて連絡します」を引き出した。これで十分で、この発言を録音出来たことが大きくある。社長が言ったか言わんが重要なのだ。
質問事項
約束通り電話が入るとは期待していないし、電話で話が付く内容でもないと、互いが理解してもいる。であれば、次に何をすればよいのかは、初めから準備していた。そう、聞きたいことを文書にすればよいことだ。追って連絡しますと言ったかぎり、それも録音されていたと田島から聞けば、事後処理としての対応はやらざるを得ないだろう。さあ、事後処理として必要なことは、「飯田市に、二度目のボーリング調査を提出した事実」だけである。
質問内容は詳しく書けないが、文書においてFAX送信したのである。章設計のボーリング調査を使用したかどうかは必要ないが、斉藤工業はそれを一番気にしている。そう、コンプライアンス違反だからだが、元々に企業倫理が働く会社であれば、こんなことはしないだろう。令和3年9月5日
勘違いするな
裁判に必要な証拠ではないが、世間はそう見ることだろう。裁判内容は書けないとしてきたが、この話は関係ないから少し説明しておく。
飯田市の反論
「成果物と裁判資料に相違がある」として、飯田市が反論してきたのは事実である。まあ、それぐらいしか反論できないと思うが、そこに、「ボーリング調査報告書は提出されていない」も事実である。ボーリング調査報告書を受け取っていないと反論するのは、飯田市にとってとても重要なことだ。代わりに、章設計にとってはどうってこともない。成果物として提出するに、「ボーリング調査報告書は後日になりますが、それが遅れた理由は分かりますよね」と、遠山広基地域計画課長に伝えているのと、提出が遅れた理由を反論としているからだ。
章設計のボーリング調査報告
飯田建設事務所建築課から手に入れた建築確認申請書には、斉藤工業が行ったボーリング調査報告書が添付されていた。それで建築許可が下りるに、工事が始まって現場にて載荷試験が行われた結果、不同沈下して地耐力が無いことが判明した。その時点で、監理者である木村理子は鈴木設計に相談し、構造計算のやり直しを指示した。鈴木設計は、西沢構造設計事務所にそれを伝えたところ、「基礎の構造計算のやり直しには、章設計のボーリング調査報告書が必要だ」とした。しかし、成果物として提出されていないことや、仮に提出されていたとすれば、章設計を契約解除した理由が揺らぐとし、斉藤工業にそれら報告書の提出を求めた。令和3年9月7日
出鱈目が通る飯田市
斉藤工業は章設計から依頼されての業務であっても、章設計から金がもらえないと判断していたようだ。まあ、それとこれとは深く関係ないが、二つ返事で引き受けたのは言うまでもない。だが、この二つ返事が問題であったのだ。
依頼したのは鈴木設計
形式的には飯田市が依頼したことになるが、飯田市が依頼するに、「追加調査委託契約」を結ばなければならない。それは随意契約で賄えることだが、実はここに問題が出ていた。いわゆる、追加調査を依頼するに、それらの理由として、「不同沈下」を事実としなければ成らない。それらを順番に積み上げたとすれば、稟議を通すだけで時間がかかり、工事の進行に支障をきたしてしまう。また、実際にボーリング調査を行うとすれば、一二週間を要することもあるが、何よりも掘削を進めての現場であれば、ボーリング調査などできることではない。このようなことは、載荷試験で不同沈下した時点で結論が出ることで、鈴木設計は監理者である木村理子に話もせずして、斉藤工業の田島に「章設計のボーリング調査報告書を渡してくれないか」と、お願いしたのである。
証明する物
このことが有るからして田島は口ごもり、熊谷議員は章設計と縁を切ったのであるが、この事実を裏付ける証拠が出てしまった。それが、「計画変更の届出」であるのだ。計画変更の届け出の日付を見れば、斉藤工業が言うところの「再度ボーリングを行った」の時間的な余裕が証明できないのと、飯田市との追加調査委託契約日付が前後していることの整合が出来ない。令和3年9月9日
契約書は不正の証拠
計画変更届には、西沢構造設計の構造計算書と、載荷試験結果報告書が添付されている。それに加え、変更設計図があるが、確かに基礎工事の変更設計をしている。これら計画変更届の書類は、飯田建設事務所建築課に開示請求を申請して得たものであるが、なぜかその書類を見て釈然としなかった。
計画変更届け出書ではない
計画変更届とは、軽微な変更と認められなかった場合である。だが、建築課の建築主事は「軽微な変更です」と説明した。軽微な変更なら、計画変更届の提出など不要であって、存在することの説明にはならない。矛盾する言葉を口にするのは、やはり飯田建設事務所建築課に負い目があるからだ。そして、その負い目と言うものが、飯田荘違反建築を証明するカギとなるのである。
ここで気づくのは、何も慌てて飯田荘の違反建築を証明する必要はないことだ。違反建築でなければ言い訳しないし、県施設課がわざわざ調査することもない。少なくとも疑わしい状況であるは違いなく、県側の説明で片つけることでもない。とにもかくにも、「追加地盤調査報告書」なる物の存在が表に出なければ、どこもかしこも明らかとならないのだ。
存在しない追加地盤調査報告書
飯田荘の建築確認申請書の正本写しを、開示請求で手に入れた。その申請書に添付されていた地盤調査報告書は、斉藤工業が受注した、『5m二箇所』の調査報告書であった。それら報告書を見れば、現状地盤から2,650mm下部は、良質な土質であって、地耐力が有るとされている。その調査報告書に沿って構造計算がなされたが、工事に入っての載荷試験で、不同沈下が認められた。そこで慌てて構造計算をやり直したのだが、計画の変更届には、追加地盤調査報告書は添付されていない。令和3年9月11日
構造計算の根拠
住宅の建設であっても、地盤調査は建築基準法で義務つけられていることだ。建築確認申請書の副本の開示請求を飯田市に起こせば、章設計とは訴訟の中にあり、それを理由として開示できないとされた。そこで怯むはずもなく、個人の名前で請求すれば、今度は単に訴訟を理由につき返された。続いて、「変更設計図書の開示請求」を行ったが、全くそれも同じ理由において開示されなかった。だが、ここで気づくに、「変更設計図書の存在」である。開示請求の理由に、変更設計図書は存在しないとは、一言もなかったのである。
悪いことは出来ないものだ
行政であれば、隠蔽・偽造は出来るが、存在は消し去ることが出来ない。まして、建築基準法と言う法律の下での認可であれば、それ自体の偽造は出来ることではない。ここまで分かればどなたでも出来ること。飯田建設事務所建築課に、開示請求すればよいと。飯田荘の確認確認申請書の開示請求は難なくできたが、林建築課長の怪しい動きが一層懸念を強くした。どのように追い詰めるかのシナリオはその時すでに出来上がっていたが、まずは、林建築課長を落とすことだ。正当な手段において要点をつけば、公務員の対応は決まっている。出来ることと、出来ない事の二つしかない。散々に建築確認の疑問(疑惑)をついたところで、「現場において載荷試験を行っているようですが、その結果構造計算のやり直しをしたと、生前の西沢構造設計から話しを聞いている」構造計算のやり直しならば、建築確認申請の取り直しになると思うが?如何でしょう。令和3年9月13日
確認の取り直し!?
「計画変更届を受け取っている」かなり間をおいて、林建築課長はそう言った。これも録音しているが、計画変更届は、確認の取り直しと言うことだ。ここで詰めても良かったが、まずは証拠をと我慢をし、「では、その計画変更届は開示請求できますか?」、「あ~え~と」、だんだん言葉が怪しくなった。明らかに躊躇している。意地悪く、「計画変更届も確認申請に基づくわけですから、確認申請書の正本が開示出来て、計画変更届が出来ないことは無いでしょう」、「あ~出来ると思いますけど、あ~どこまで出して良いのか、あ~変な意味ではありませんよ、あのう~自分も良く見ていないんで、前の課長のことですから」、「でも有るんでしょ!課長さんはそれを見てそう言ったんでしょ」、「あっああ、分かりました。時間がかかるかもしれませんが…それでよろしければ」(録音からの拾い出しです)
計画変更届!?
計画変更届は書類申請であって、建築確認申請と全く同じ申請様式となる。当然にそれとして、開示請求を行った。だが、開示された計画変更届は、その様な申請書類ではなかったのだ。(裁判の証拠ですので添付できません)
驚いた!?とにかく驚いた。確かに構造計算の一部(基礎変更部分)と、基礎工事変更設計図は添付されているが、これは計画変更届ではない。驚いたのにはもう一つの訳が有る。阿部知事に飯田荘の違反建築を告発し、阿部知事は施設課の担当部署に調査を指示した。その調査担当者がいい加減な男であるは以前記したが、そのいい加減な男の本領がまたも発揮されていたのだ。阿部知事(秘書課長)は違反建築調査を指示したとしても、施設課はその考えに無い。要するに、違反建築は確認申請許可を下ろしている建築課の責任であるからして、「違反建築では無い」と言う調査を行うのである。これが行政であって、当たり前の姿なのだが、そんな裏を知り尽くして私は行動している。だからして、飯田荘の違反建築を証明するには、飯田市とか建設業者・設計者はどうでもよく、この様な県の対応を記録することにあるのだ。令和3年9月15日
載荷試験報告書!?
飯田荘の工事現場で持ち入れられた設計図を手に入れようと、飯田市を訴える前から勝間田建設に接触していた。営業部長である橋本は顔見知りだが、章設計の物件が入札に係る時しか営業に来ない。だが、呼びつけて「現場で用いた設計図を見せてもらえないか?」と、単刀直入にお願いした。当然に、飯田市の不正の何もかも橋本部長に話してからお願いしたのであるが、「私は構いませんが、一応社長に聞いてみないと」早かった。返事は翌日に来た。「すみませんが、社長はだめだと言っておりますので」、「そうですか」、「設計図は情報開示されていますので、市に請求すればよいのでは」、「開示請求されているのは精算設計図であって、現場に併せて修正されていますから、現場で使用した設計図がとお願いしたのですが」、「申し訳ありませんが、社長が駄目だと言っているのでどうしようも有りません。すみません」勝間田建設の社長は三代目だ、二代目社長とは懇意にしていたが、顔も知らなければ名も知らぬ。
見せられない理由
現場で使用した設計図など、終わってしまえばゴミ箱入りだ。やましくなければどうでもよいことだ。何も、コンプライアンスにかかるわけでもないが、そのコンプライアンスにかかると断ってきたのが、基礎工事着工前に載荷試験を行った、土木管理総合試験所であった。
勝間田建設に設計図を見せていただきたいとお願いして断られたのが二年前、そして必要な書類を求めて飯田建設事務所建築課に開示請求したのが昨年12月、飯田荘が違反建築だと騒いだのが今年の1月である。十分な時間において、必要な書類が次々明らかになるに、今度は、「計画変更届」の開示請求であった。受け取った計画変更届をみれば、おかしなところがいくつも有った。令和3年9月17日
載荷試験報告書
正本されていない載荷試験報告書にまず違和感を抱いた。そこに書かれている試験結果にもっと驚いた。これが載荷試験なのか? その疑問を解くには、載荷試験を行った土木管理総合試験所から、正式な載荷試験報告書を手に入れるしかない。土木管理総合試験所とは、時々において試験調査をお願いしている関係で所長の対応は良く、担当が戻り次第連絡しますと来た。待つこと数時間、「コンプライアンスになるのでお渡しできません」と、いきなりの返答であった。コンプライアンス? なぜそんなことを言うのか!?各所の地盤調査を資料とするなど、建設業界では当たり前で、地盤調査が義務付けられる前は、近隣の地盤調査報告書を提出すればよかった時代が有る。「コンプライアンスは関係ないのでは?」戸惑う様子は、以前の話しぶりと違いオクターブ高い声だからだが、「勝間田建設さんから渡さないように言われていますので」との話には参った。おいおい、そんな言い訳は無いだろう。そこがコンプライアンスなのか?
建設会社の困惑!?
渡せないとするは、渡せない理由がある。そこに勝間田建設が登場するは、勝間田建設の意図ということだ。現場で使用した設計図と同じであって、設計図や地盤調査資料を渡したら、勝間田建設が困る理由があるということだ。なぜ困るのか? 建築確認申請の許可を受けて載荷試験や中間検査も行って、完了検査も合格した飯田荘だ。私ごときが違反建築だと騒ぐのが聞こえたとしても、堂々とそれを拒否すればよいことだ。なにも隠す必要はないと思うが、そうは思いませんか読者の皆様。令和3年9月19日
報告書の存在
現場における地盤調査結果報告書が飯田建設事務所建築課に提出されていないことは確かである。計画の変更届らしき物に、地盤調査結果報告書は添付されていない。表紙らしき物と、調査内容らしき一枚の用紙が有るだけだ。「これが地盤調査結果報告書ですか?」そのように問えば、「そうですよ」と、いとも簡単に施設課の調査担当者は答える。おい、答えるのは課長じゃないのか!?「え?これがですか?正式な報告書ではないじゃないですか。表紙だって斜めコピーで黒ぼけているし」、「間違いありません」今度は課長が答える。まあ、話がかみ合わないが、こんな物が行政書類として、それも許可申請書類として通用するなどあり得ない。二人はそれで押し通してしまった。まあ、この二人は必死で隠蔽しようと頑張ったと思います。この計画変更届が正式な届け出ではない、と言う絶対的な証拠はほかに有るが、二人にこの時点で話せば、それも簡単に修正されてしまうだろう。だからして言っていない。(建築審査会へ)
読めた筋書き
土木管理総合試験所から地盤調査結果報告書が手に入らなかったことで、飯田建設事務所建築課に「現場において載荷試験が行われていますが、その報告書は提出されていますよね?」と、聞いたことで手に入った地盤調査結果報告書であった。これで間違いありませんと言ったのは、施設課の調査職員と建築課長である。であれば、これが飯田荘の地盤調査結果報告書だとすればよい。それだけのことだ。その上で確認すべきことは、章設計が行った調査結果報告書(ボーリング調査)がこの計画変更届の添付書類として、構造計算のやり直し資料として、持ち入れられたのかだ。西沢構造設計は、「章設計が行ったボーリング調査報告書(10m)でなければ地耐力(支持地盤)が分からない」として設計当初から鈴木設計に伝えている。だが、開示請求を受けた飯田荘の建築確認書正本には、斉藤工業が行った(5m)の地盤調査報告書が添付されていた。それは確かに斉藤工業が落札した地盤調査委託業務の報告書である。令和3年9月21日
計画の変更届の疑惑
土木管理総合試験所が行ったとされる地盤調査結果報告書らしきものは有るが、これが正規な報告書であれば、建築確認申請書に添付されている地盤調査報告書と整合しなければならない。要するに、飯田荘の建築許可は添付されている地盤調査報告書の地耐力(支持地盤)において許可されたもので、現場において要求される地耐力が出なければ、添付されている地盤調査報告書の支持地盤では建設出来ないとなる。「地番調査報告書添付の義務」が課せられている限り、確認申請書通りでなければ、それは違反となるのだ。
隠ぺい体質
建築課長と調査職員は不思議なことを言った。「現場で確認した」これは「地耐力が出ないとの地盤調査結果報告書(載荷試験)を受けて、建築課はどのような判断をされたのですか?」と聞いた時の返答である。(録音)「現場で支持地盤まで基礎が到達しているのを確認できたのですか?」基礎工事に立ち会ったのかと言えば、「写真で確認した」と言い直した。それも、ボーリング調査報告書の土質で判断したと言ったのだ。馬鹿な返答をしたものだ。建築確認申請書の許可をするに、地盤調査報告書(ボーリング調査)において支持地盤を確認することだ。その報告書通りの支持地盤が現場で確認できないとして、目視で、それも事後写真で確認して許可を与えたとしてなんとするのかだ。馬鹿も休み休み言えと言いたいが、これが隠ぺい体質の何者でもない。
隠ぺいするは当然に、そこに不安が有るからだ。章設計が行ったボーリング調査報告書が有るを知らない建築課は、このようなお粗末な言い訳で押し通せるとしたのだろうが、かえってぼろを出したようだ。令和3年9月23日
公務員はみな同じ
平成17年度の木曽病院増築工事の施設課担当者がこの調査職員である。この男、工期を三か月残してトンずらした。いわゆる、現場放棄して行方不明になったのだ。何が理由なのかと言えば、必要な許可申請を行っていなかったのだ。何度も注意した。施設課の電気設備担当者や機械設備担当者が毎回工程会議に来るに、このままでは工期に間に合わないと、さんざん注意していたが、工事は中断したままで、工期が来てしまった。
泣きつく施設課
「熊谷さん、申し訳ないが二か月工事監理を延長してもらえないか?」こんなバカなことを施設課は言うのです。当時は熊谷議員が社長であった。社長は「施設課のお願いなのでそうしたら」と、分かり切ったように言う。行政の言うことは聞くことだ。との考えは、全然変わっていない。「返事をするな」大きな声で制して電話を替わった。「工程会議のたびに、監督員が現場放棄して工期に間に合うのかと何度も言ってきた。それを無視したのはあなたたちじゃないですか」工期が終わっても建物が完成しないのは施設課の責任だ。当社が応じることはない。と突っぱねた。「あのう、二か月間だけでよいので監理を延長してもらえませんか」、「そうですか、では2カ月の監理費用を清算してくれるなら良いですよ」、「おいくらでしょうか?」、「おいくらってことは無いでしょう。今回の契約期間で割り返せば、計算はそちらで出来るでしょ」「そんなには……」それで電話が切れた。しばらくしてまた電話が入るが、その前に、熊谷社長が口をはさむ。「言うことは聞いた方が良いんじゃない。金は出ないと思うよ」そんなことは分かり切っていることだ。施設課との付き合いは私の方が古く、責任を取らないのはいつものことだ。金など出るはずもなく、契約延長で助けてやっても、二か月の延長の責任は設計事務所のせいとされる。それが施設課のやり方だ。いつまでもそんな理不尽に付き合っていたら、腐った役人どもは反省もしない。だから、絶対に返事をするな。令和3年9月25日
契約書だけでよい
「二か月分は払えません」、「そう、分かった。では、車両費と保険料だけでよいですよ、二か月分のね」、「もう一度検討します」翌日、行方不明の監督員から電話が入った。「迷惑をかけて申し訳ありませんでした」ここまでは良い。「何とか監理の延長が出来ないでしょうか」これはいただけない。気が短い私は「何を考えているんだ。散々言っただろ。今まで逃げてばかりで話もせず、ここまで来て監理を延長してくださいなどよく言えるじゃないか。ふざけるな!」「良いか、先日から担当者が変わったとして、見も知らぬ者から電話が入り、監理を延長してくれとか、訳の分からぬことを言っているが、設備も電気も、お前より上の者が同じ監督員として工程会議に出ているに、事情を知っている者から一言の陳謝もない。新しい担当者(部下)に電話を入れさせて、どこまでも汚い真似をするじゃないか。お前ら三人の責任じゃないか!」ここまで言って終わりにした。「お前が謝るのは私じゃない。『迷惑をかけて申し訳ない』と、新しい担当者に言うことだ!それが出来たら新しい担当者から社長に電話を入れさせろ。そうすれば、契約書を作成する」
公務員は責任を負わない
熊谷議員は当たり前のように「公務員保護法が有る」と言っていた。その様な考えの者に、不正に取り組めと言っても無駄なことである。行政における公務員の業務に関して住民に損害を与えたとしても、公務員は責任を負わない法律があるからだが、それらの法律は公務員保護法でなく、国家賠償法と言う法律で、「国や公共団体の責任」とされているからだ。公務員の経験があってもこの程度の知識、これでも市会議員の内で熊谷議員は評価されていると聞く、よほどほかの議員の程度が知れる。
まあ、話が長くなったが、この様ないい加減な施設課の職員が、飯田荘の違反建築調査者だと言うのだ。令和3年9月27日
施設課職員土屋・建築課長林
こんな者から「熊谷さんお久しぶりです」なんて電話が来れば、普通の方なら寒気がするだろう。さあ、名前を挙げた。これから先は、この二人にすべての責任を取っていただく。公務員保護法や国家賠償法などと言う前に、いかに隠ぺい体質が有るのかを中心に進めていこうではないか。
嘘はつきもの
公務員に限らず、責任の範囲に及べばうそを言ってごまかすか逃げるかの者はどこにもいるだろう。今の世の中、責任の言葉は全くに死語なのだ。確かに責任の二文字は重く、責任を取るなど聞いたこともない。だが、事件になれば必ず責任は取らされるものだ。民間であれば社長は退き、社員は依願退職が良いところ。だが、公務員は確かに違う。そこがこういう族を増長させているのである。
それでは、林建築課長や土屋施設課係長がどのような噓を言ったのか、具体的な事例を挙げて説明しよう。(録音)
地下室は無い
最初のウソは林建築課長である。「飯田荘は2階建てですか?地下が有るのですか?」建築課に出向きそう聞いた。「地下は無いです」、「では地下に見えるところが1階で、2階建てですか?」、「ピットが有るだけです」、「厨房下のピットは計画にありましたが、地下室が有るんではないですか?」計画概要書を見せ、「8分の1以下の地下室はあるが、地下1階とはなりません」、「2階建てになってますが、どこが2階なのですか?」、「これ以上は担当した係長が移動しているので聞いてみないと分からない」
私が聞いているのは「地下が有るのか無いのか?」であって、林建築課長が言うのは「地下1階はありません」です。建築基準法では地下1階に入らないが、地下が有ることを暗に認めた発言です。その地下室が有るか無いかで大きく考え方が変わるため、互いがけん制しあっているのですが、このあいまいさが結果的に大きな嘘につながるのです。令和3年9月29日
隠し事
担当した係長が移動して詳しいことが分からないと言う。しかし、移動したのは係長でなく、課長であった。なぜこのような嘘を最初に言ったのか? すでにこの時点で隠ぺいに入っていたのである。完成した飯田荘を見れば、立派な施設が出来たなあ程度で終わってしまう。だが、建築士であって、飯田荘の事業内容を知るものは、多少違和感を持って完成した飯田荘を見たであろう。それは、入札にかかった飯田荘の事業計画書及び、基本計画説明書・基本計画図からは、全くにかけ離れた建物であったからだ。プロが見れば、どう見たとしても地下室の存在を認識するもので、工事途中で眺めたプロは、地下、あるいは1階部分が鉄筋コンクリート造で、1階、あるいは2階部分が鉄骨造で建設されていれば、「建設できない建築様式ではないか?」「混構造ではないか?」と疑うものである。尚且つ、木造建築物が鉄骨造に接続されていれば、平面的混構造と上下間混構造の建築物が建築可能か? と、混乱してしまい、これは地階部分を基礎として扱っているのではないのか? と、混乱した頭を少し冷やすものだ。
ここまでが正常な建築士であれば判断できること、だが、私はそれ以上の事情を知っているからして建築課に乗り込んだのである。そして次に繰り出したのが、「概要書では2階建てになってますが、飯田市の発注は平屋建てに限定されていたはずですが、概要書では図面が無いので2階建が確認できません。それに、面積が確認の後に変更されたようですが、面積の変更は確認の取り直しになるのでは?」
この時点で林課長は浮足立った。目の前をあちこち歩きまわり、訳の分からないことをぶつぶつ言っている。それを見かねたように係長が私の前に来て、「確認の取り直し台帳です」と言う。その台帳を見れば、確認の取り直しはされていない。またもや林建築課長は、担当した係長に詳しく聞きますとしてその場を濁した。当面の証拠は建築概要書であった。「これ、開示請求できますか?」と言えば、「あっあ、出来ますよ。県民室で担当者が居ますので案内します」令和3年10月1日
公文書偽造
開示請求で概要書を受け取るに、その表紙に書き込まれた追加文書が有った。これは公文書偽造である。その時の疑いは、「なぜこんな書き込みをするのか?」であったが、書き込まれた内容は、違反建築に関するものではなく、開示請求においての、開示できない部分であった。だが、書き込み自体は公文書偽造に違いはない。
隠し立て
地下が有るのか、2階建てなのか? いきなり建築課を訪れ、そして質問したのは、「混構造ではないのか?」を確認したかったからだ。西沢構造設計に構造計画の相談をしたときに、「r2の混構造では大変になる」として、鉄骨造・木造の構造計画を否定しているが、完成した飯田荘はもっとひどかった。それは、鉄筋コンクリート造と鉄骨造の縦方向混構造であったからだ。「どのように混構造の審査を受けたのだろうか?」一にも二にも、それが一番の疑問であったのだ。審査を受けていれば、地耐力が無くて基礎工事の変更を行っていれば、混構造の再審査も必要になる。それが、何の遅れもなく完成していれば、設計士であれば誰でも疑問に思うことだ。だからしてその疑問をぶつけただけなのに、「移動した係長が担当していたので分からない」の、林建築課長の対応はいかにも不自然だ。
混構造の審査を行っていない?
建築計画概要書は常に閲覧できる書類であるが、建築確認申請書の正本はそうはいかない。公文書開示請求において、初めて手に入れることが出来る。だが、林建築課長であれば、建築課に保管してある正本を即時閲覧できることだ。そこをしなくて「移動した係長に聞かなければ分からない」は、ありえない返答なのだ。何かを隠そうは、えてしてつまらぬ発言をするものだ。令和3年10月3日
書類が語るもの
行政とは然るもので、書類だけがものを申すことだ。果たして土屋や林課長は、私にそれらの行政書類を示すことが出来るのか? そして、「違反建築でない」とした、明確な証拠を示すことが出来るのか?
そして始まった違反建築の調査であるに、はなから「鉄筋と鉄骨の混構造は出来ますよ」と来た。そして、特に違反は見つかりませんと言う。何を根拠にものを申すのかと言えば、個人的な見解を示しただけである。混構造で出来ますよは答えではない。混構造で適判審査を行っているのかを知りたいのだ。だが、それは一言も話さないときた。しかるに、林建築課長と三者での話し合いを求めるに、土屋の思うところで進める気は毛頭なかった。違反建築は県の責任だと言った吉川議会事務局長もしかり、部外者が事前に知る違反建築とは何なのか、それらの隠し事が有れば、県が隠蔽していることになる。たしかにいきなりの建築課訪問で慌てたのかもしれない。しかし、混構造ではないのかに、即答できない建築課長はいかにも不自然で、移動した課長を係長とするのもあざとすぎるではないか。もはやこの時点で、違反建築と判断したのであるが、答えはここで出さずとした行動は、やはり、騒ぐことに意味が有る。阿部知事から県議会議長と回れば、もはや放置できないは機構の機能、機能の行政書類は、そうは簡単に手に入らないのである。
施設課の隠ぺい体質
今まで幾度も書き出してきた行政の隠ぺい体質は、すべてが自己防衛の公務員が為すことであって、自分のことしか考えないとの言い訳が「上の指示に従った」で通用してしまう。だが、建築基準法や契約事項などは行政法で扱えない。そこに目を向けていれば、あとは証拠がものを言う。証拠を手にせずして何を始められようか、証拠が手に入るまでは、頭を下げてお願いすればよいとした。令和3年10月4日
言い訳は行政書類
県職員が表立って発言するに、それらはすべて行政書類を基にしている。早い話が、行政書類が無ければ何も言えないのだ。書類が整っていなければ、阿智村のように後先の書類を作るだろうが、流石に県であれば、それは考えるところに無いだろう。「違反建築だ」と言えば、「違反ではありませんよ」と返すに決まっている。だが、違反ではありませんよに裏付けが無いと来た。何を根拠に違反でないと言えるのかは、追及以外にないことだ。三者の話し合いの前に手にしたいものは、証拠でなく、追及するネタである。
知らぬが仏
当初から気になっていたのは、土屋職員の二度目の電話での話、「混構造で施設課で審査を行っています」最初の電話では、「混構造で出来ますよ」だけで、「林課長に聞いてみなければ分からない」と、混構造の審査については言及していなかった。だが、二度目の電話では、混構造の審査を県で行っていますと言う。その食い違いを指摘すれば、混構造の審査は別の部署で行っているのでと、まさに知らぬが仏の言い方であった。しかし、混構造の審査を行っていれば、適判審査を受けたことになるのではないか? と疑問が浮かんだ。建築基準法では、木造と鉄筋コンクリート、木造と鉄骨造においての混構造しか制限が無いことで、鉄筋コンクリートの上階を鉄骨造にするなどと言う、混構造の例はない。それでなくとも完成された飯田荘は、木造と鉄骨造のエキスパンションジョイントによる混構造である。たとえ、木造と鉄骨造の混構造審査を受けたにしても、鉄筋コンクリートと鉄骨造の上下間の混構造と成れば、三つ巴の審査が必要になるはずだ。それを、いとも簡単に、「混構造の審査は県で行っていました」は、理解できない事であった。令和3年10月6日
知は力なり
現場放棄した監督員が、人のせいにする課長が、50年の経験ある建築士に何を説くのかと言いたいが、彼らは行政と言う後ろ盾を持っているし、建築確認申請の許可を与える特定行政庁の立場もある。いわゆる、行政(公)権力が有るからして、何を言ったにしても、あれこれでその場を誤魔化せれば済むということだ。県職であった同級生が良く言っていた。「あいつらはごまかすのがうまい」とね。「施設課で混構造の認定審査を行っている」と言われても、こちらでは確認しようがないし、それ以上は個人情報にかかわると言われれば、手も足も出ない。彼らはそれを知っている。そして、ここまでと言う線引きも、彼らの都合において為されるだろう。「何も問題ありません」「違反建築ではありません」は、一番最初の言葉である。答えを先に出して、そこに併せて内部協力と言う、職員同士の暗黙が存在していれば、成す術もないのも確かであろう。
アレンジ能力
ごまかしは、行政職員の最後の手段であるとすれば、その先には何もないことになる。このような者を相手するに、理屈では通用しない。少なくとも経験は私の方が上であるし、彼らは答えを出せる立場にない。例をもって詰めて行けば、必ずぼろが現れるものだ。言い訳させたら成功で、行政の立場で言えることと言えないことを教えれば、あとは法律に沿って進めればよいことだ。これからどうしようかなど考えたことはない。どうなるのかは鮮明であるが、そこに向かうに、隠されている疑惑が何であるのかを表に出るように仕向けるだけである。そして、その仕向は方程式からなるもので、その式に彼らを組み込むことである。知は力なり、その力には、根拠をアレンジできる強みがあるのだ。令和3年10月8日
へこたれないのが取りえ
私を動かすものは何であるのかは分からないし、その様な概念に陥ることもないが、疑問が有る限りその答えを追求せずにいられないのは確かである。飯田荘の設計を解除されたとかは揶揄の言葉であるが、それは一向に気にならない。それよりもはるか先から、飯田荘改築の疑惑と、官製談合を知っているからだ。
為すべきこと
設計にせよ建築にせよ、そして数多くの入札物件を、一般競争入札制度にあらためることである。長野県が入札制度を改革して、はや20年であるが、飯田市だけが改まらない。佐藤健が市長となっても約束を守っていない。はて、一般競争入札にするのがそんなに難しいことなのか? いやいやそうではない。あまりにも癒着が進みすぎていて、どうすることも出来ないと言うのが本音である。その裏には綿半と言う、どうしようもない存在が有るからで、それが金融機関まで手を伸ばせば、誰が市長になろうが、手がつかないのだ。まてよ、手がつかないのではなく、手をつかせないようにしているのが市長だと、どうしてそんな簡単なことに気が付かなかったのだろう。
本家本元
佐藤健市長に二度目の質問状を提出するに、それは当然として返却された。答えたくないのでなく、答えられないと思うは私だけで、世間は何も知らないことだ。質問状を無視するに、それも秘書課にやらせるのは市長だからである。このように考えれば、「章設計契約解除は市長の指示であったことだ」ここに議会が協力したのは、あまりに犯罪に関与した議員が多く居たからである。たしかに、議員らは契約解除へと進む行政側の意を知らぬが、ここに一人だけ知っていた議員が居た。令和3年10月10日
違反建築と官製談合
熊谷議員は不正や犯罪から一番遠くに居たはずだ。だが、それら犯罪を知ることは、同時に、大きな力も感じたのだろう。不正の内は良い。議員として質せる力に過信すれば、成り上がりとされても市民からは称賛される。だが、市長副市長が絡む不正となれば、そこに進む覚悟は到底持てないものだ。「綿半と地域計画課には昔から癒着が有る」までは、意気込んでいた。そこで騒ぐのは小さきことで、大した覚悟も必要ない。そこに清水勇議員が「不正を正すなら立場が悪い。章設計と縁を切るべきだ」と注進する。そこになぜ章設計が登場するのかと言えば、「章設計をなぜ指名した」との声が、議員らにも届いていたからだ。そう、議員らにとっては、談合に参加しない業者は邪魔なのである。
指名競争入札制度
章設計をなぜ指名に入れたのだ!?それが、お門違いの言葉に聞こえるのは、飯田市以外の議員であろう。飯田市にとっての指名競争入札は、競争ではなく談合入札だと、議員らは理解しており、だからこその口利きが、市長とのパイプとして成立しているのだ。章設計を指名したのはどこだ!誰だとなれば、財政課に聞くまでもないことで、そこに熊谷議員が登場したと言うわけだ。「木下悦夫建設部長と設計事務所の官製談合に取り組んでいた。綿半と地域計画課には昔から癒着が有る」と、当時の熊谷議員は発言しているし、「土木の談合を無くしたのは木下建設部長だ」と持ち上げてもいた。そして、「財政課に『指名願いのある設計事務所はすべて参加させなさい』と、したのは木下悦男建設部長だ」と、章設計に来て自慢げに話した。それだけに張り切れば、清水勇議員に同じ話をするは目に見えている。令和3年10月12日
外された梯子
今、清水勇議員と熊谷議員は対立軸の中に居る。それは、会派のぞみが分裂したことで、市民もそれに気づいているだろう。なぜ対立したのか? 確かに議長の席を巡る争いに見えるが、実際はそんなことではない。伊賀良の新井信一郎が議長の器でないことと、会派が分裂するは全く違うところにある。分裂するは、清水勇議員が熊谷議員を議長とする選択を無くしたことだ。清水勇議員にすれば、章設計契約解除に関して熊谷議員を助けたつもりのだが、余りに不利な情報が伝わることで、熊谷議員を責める側に回った。確かに何もかもブログに書いたし、熊谷議員からの口止めも無視した。不正を隠蔽する議員が対立するは、どちらに負が多くあるのかやり取りだけだ。兎にも角にも、「熊谷議員から聞いたと思うが」の、清水議長と永井副議長の発言は目に余る。それまでは、一切熊谷議員を悪く私は言っていないことをブログで読み返せ。その一言で事実を書きだしたが、彼らは、すでにそこのところにいなかった。
議長の一言
分科会であろうが全協であろうが、議長の発言は結論であって、だからして飯田市は章設計を訴えていない。今回の裁判ではそのところは何も関係ないが、「議長が止めた」とする事実は残っている。その事実があるに、章設計を反訴する飯田市に、それを承認するところに議長はいない。だが実際は承認した。それも良い。責任を取らない議員が何をやろうが、そんなことは知っちゃあいない。だが、事実はブログだけで残るわけではない。
熊谷議員は国家公務員経験者で測量士であった。章設計に来て、2級であるが建築士にもなった。そんな男が議員となるに、「違反建築かどうか?」で、迷うことはない。「現場の地盤が悪くて構造計算がやり直された」これは議員で得た情報であるが、斉藤工業の田島からも聞いている。「変更設計で5,000万円の増工事があった」は、議員として知った事実である。令和3年10月14日
建築士の見解
そして、「完成した飯田荘を見に行けば、設計と違うところが分かるのではないか」と私に言ったのは、個人的な見解なのだ。何も疑問に思わなければ、そんなことは言わないものだ。鈴木設計は、基本計画通りの設計をしたものと思っていたし、完成した飯田荘を見学したいなど設計士であれば、絶対に思わない。だが、熊谷議員の話に興味をそそられたのは、「設計変更した」の一言であった。設計変更したとのことは、変更する理由がある。それが地耐力不足からくるものだと知れば、設計士である熊谷議員は、そこに何かが有ると気づいていたのだろう。
地下か二階建てか
熊谷議員に言ったのは「地下が有るのではないか?」地下が有れば、混構造として審査を受けたはずである。審査を受けたとしたら、工事は一時中止となるはずだ。そこまで話せば、熊谷議員とて、違反建築だと言う私を信じることになる。あとは、その問題に触れないようにしただけのこと、だが、逃げるに逃げられないは、清水勇議員である。議長として、章設計への対応は、あまりに無責任であったからだ。
これから
違反建築は議会とは遠いところにあるのだろうか? 違反建築は県の問題だと言った吉川議会事務局長は移動した。このように、議長が変わるだけでなく担当者も変わる。そして、誰も責任と取る必要は無いように見える。いまさら違反建築などどうでも良いのだ。令和3年10月16日
勝間田建設を忘れていないか
違反となれば、議会の中で、誰かが責任をとれるのかといえば、まったくにそこにない。違反建築は県の問題だは大きな違いであるに、ある面、県の問題なのかもしれない。そこに、施工業者の責任が無ければである。確認申請の許可までは設計事務所の責任であるが、工事に入れば施工業者の責任となる。飯田荘の建築工事と電気工事は勝間田建設が請け負った。電気工事の下請けは、土屋電気であった。機械設備工事は飯田工業が請け負っているが、この際業者の談合はどうでも良い。
契約の性質
建築工事の場合、工事に入れば現場の責任はすべて請負業者にあって、下請けは当然だが、機械設備が分離であったにしても、現場を借りて工事をすることになる。それを部金といって、請負額の数パーセントを支払うのが常だ。それほどに、請負業者の責任の度合いが強い。現場内で起きた人的事故は当然であるが、工事不良などの事故も、設計者とか監理者の責任とはならないのだ。「設計ミスだ!」と騒ぐのは、設計事務所と業者の関係性にある。鈴木設計事務所に限らず、飯田市の設計事務所のほとんどは施工業者と利害関係にあるからして、間違っても設計ミスなどは発せられない。
検査・調査
図面においての建築許可には、それを裏付ける事前調査や計算が必要なことは言うまでもないが、それらの状況を現場において確認するのは施工業者の責任である。だからして当然の義務において、地耐力載荷試験が行われたのであった。そして、調査が中止された。令和3年10月18日
最初の隠ぺい
載荷試験が中止された。この事実を知っているのは、議員では誰もいない。当然に、当時の副市長佐藤健にも届いていない。なぜならば、地域計画課の職員木村理子が監督員であるからだ。載荷試験における重機が沈んで試験が不可能になった。この様な話は近頃聞いたことが無い。いわゆる、事前にボーリング調査を行っていれば、載荷試験など不要であるからだ。実は、ここに違反建築へと進むカギが隠されていた。
成るべきして
章設計は、盛り土下5mまでボーリング調査したが、飯田市が斉藤工業へ指示したのは、「盛り土上から5mを2箇所」であった。そしてその通りの報告書が建築確認申請書に添付されている。それはそのまま評価され、建築許可が下ろされた。それは、盛り土であっても地耐力が有るとした報告書であったからだ。だが、西沢構造設計は、「章設計のボーリングデーターでなければ計算できない」と伝えているし、急遽分離発注されたボーリング調査を談合で請け負った斉藤工業でさえ、「章設計のボーリングデーターを使わせてください」と、地域計画課に伝えている。それらのことが何を意味しているかは言うまでもないし、素人の判断でも、盛り土で地耐力が出るはずが無いと考えるものだ。盛り土部分だけのボーリングデーターが建築確認申請書に添付されていれば、建築主事は「これでは地耐力の確認が取れません」と指導するはずである。それがなぜ出来なかったのかと言えば、「ボーリングデーターを分析しなかった」との建築主事の怠慢か、「ボーリングデーターが、改ざんされていた」のどちらかしかない。今のところ両方とも考えられるが、ここで最初の違反が始まったのも事実になった。令和3年10月20日
地盤改良工事の選定
章設計が行ったボーリングデーターでは、盛り土上から下部8.5mのところに、厚さ2.5mの支持地盤が有ると報告されている。この調査を行ったのは斉藤工業であるし、西沢構造設計には、ボーリングデーターを渡していない。それなのに、西沢構造設計は「章設計のボーリングデーターでなければ構造計算が出来ない」と、鈴木設計に当初から告げていた。なぜそのような要求をしたのかと言えば、鈴木設計の設計が、すでに章設計が提案していた設計と同じであったからだ。
四つの提案
1.敷地を平らにする。2.直擁壁で敷地を広くする。3.段差を利用して階下に電気室を設置する。4.木造にする。これらの提案は木下建設部長がすべて了解しているが、章設計を契約解除したことで、表に出せなくあった。これらの提案を、何も鈴木設計が真似したわけではない。通常の設計士であれば、誰もが同じ提案をするであろう。しかし、地域計画課はそれらすべてを認めることが出来なくあった。二度にわたり、それらすべての提案を拒否していたからだ。まあ、これらの提案が採用されていた事実が裁判の焦点だが、そこは既に通り越している。
西沢構造設計の結論
4.番目の、木造にするは、流石に受け入れなかったのだろう。木造で出来るとしても、鉄骨造でやれと強行した限り、そこは譲れないことだ。まあそれはどうでもよいが、少なくとも残り三つの提案は、鈴木設計と全く同じであった。そこが引き金となるに、鉄骨造でやるかやらないかは、それこそ飯田市の希望でよいことだ。(裁判でも、そこの争いは何もない)令和3年10月22日
ラップルコンクリート
敷地を平らにしても、直擁壁で敷地を広くしても、そして段差を利用して電気室を設けたにしても、木造であれば、構造計算で困ることは何もない。木造に構造計算は不要であって、また、盛土上にも建築できるからだ。そして重要なのが、木造であれば、混構造が発生しなく、建設費も安価であって、良いこと尽くしなのだが、すべてを木造にしてしまうと、章設計を契約解除した理由がなくなってしまう。そこはどうしても鉄骨造と木造の混構造にしなければ成らず、平屋建てであれば、混構造も免れると考えたようだ。(ここは西沢構造設計の指導)
素人の意見
さて、ここで地耐力の話に戻るが、斉藤工業にしても、地耐力が無いのに報告書をごまかすことは出来ない。そこで、斉藤工業のボーリングデーター報告書に間違いや偽造が無いことは、建築確認申請書に添付されていたことでも判断できることだ。では、なぜ現場の載荷試験において、試験が中止され、構造計算のやり直しが行われたのであろうか。
ここはひとつ、結果論からでなく、経過上から見直す必要がある。まず、ボーリングデーター報告書において、どれくらいの地耐力が報告されていたのであろうか? この答えは簡単である。報告書が確認申請書に添付されていると言うのであれば、必要にして十分な地耐力が盛土でも有ったと言うことだ。必要にして十分な地耐力、それはどれほどのものであるのかを数字で示しても、素人が判断できるものでないのが残念であります。令和3年10月24日
必要最低限
盛土において地耐力が出ないと言うことは無い。どんな地盤でも地耐力は存在する。では、構造的に必要な地耐力とは、どれくらいあれば良いのであろうか? ひと昔前と言っても、30年くらい前のことであるが、ボーリングにおいて地耐力を調査すると言うことは、鉄骨造や鉄筋コンクリート造に限られており、木造住宅においては、ボーリング調査など不要であった。それは、木造建築物と言えば住宅や小屋が多く、在来工法での建築、いわゆる、大工が建築できる建物が多くあったからだ。木造の基礎は布基礎であって、せめて底板を広くし、標準的な有筋を施すのは今でも続けられている。それで十分なのは、地耐力を5tと想定していたからである。
必要耐力
地耐力を5tと決められていたのは、土質に限らず、また盛り土に限らず、どこの地盤を調査しても、5t以上の結果を得られることで、それであれば、地耐力を最低の5tとすれば、木造の基礎は布基礎とし、5tの耐力で基礎底板の幅を決めたのである。ここからすれば、飯田荘の木造部分は5t以上の地耐力が有るとの想定で、布基礎の幅を決めればよいと言うことになる。しかし、盛り土地盤であっても、松川ダムなどの子砂利を搬入していれば、造成数年後には思った以上の地耐力が出ることが有る。それが今回のボーリングデーターには、「地表から1.5m~5mまで非常に密な玉石混じり砂礫層が有り、50tの耐力が認められた」とあるのだ。これは驚き以外にない。なぜかと言えば、章設計のボーリングデーターでは、「地表から8.5m下部に、耐力27tの礫混じりシルト質砂層が2.5mが認められる」とあるからだ。令和3年10月26日
どちらも斉藤工業
斉藤工業はボーリング調査会社である。章設計からの発注に、おそばせながらも報告書を提出した。同じところを、今度は飯田市がボーリング調査を発注した。もう、この時点で異様な事実だと考える方が正常ではないか。同じ場所を同じ調査をすれば、同じデーターが得られるはずである。だが、同じデーターでないのが建築確認申請書に添付されていた。それだけではない。章設計が依頼した調査では、「6.5m下部に耐力27t厚さ2.5mの支持層が有る」とされているのに対し、飯田市が依頼した調査では、「5mまで50tの耐力が有る」とされていたのだ。おかしな話だ。あり得ないことだ。と判断できるのは、章設計だけである。県建築課においては、添付されたボーリング調査しかないことで、その報告書を信じることだ。
違反建築とのつながり
確認申請図書において、違反建築であるはずがない。なぜならば、違反にならないよう県建築課が指導するからだ。それは何も飯田市に限ってのことではなく、建築確認申請は、許可を下ろすための手段であるからだ。それでは、なぜ県建築課はこれらの重大事項を見落としたのかなれば、現場を確認していないからであろう。工事前の現地において、それは誰の目にも映る盛り土造成地であると言う判断だ。盛り土の上に鉄骨造の建築をするのであれば、地盤改良工事が必要だの判断は出来ることで、地盤改良工事にどの工法を採用しているか、申請図書を審査すればよいとなる。一般的には杭打ち(パイル)を用いて地盤改良を行うのであるが、飯田荘の申請では、ラップルコンクリート工法が持ち入れられていたのである。令和3年10月28日
設計変更
飯田市は、入札に用いた資料を「基本設計図だ!」と言い張った。基本設計図通りに、間取りも構造も屋根も外壁も変更するなと、頑なに言い続けた。どのような提案をしても、指示に従わなければ契約を解除するとまで言った。それらはすべて、鈴木設計事務所が落札できなかったことで、綿半が、飯田市地域計画課を動かしたからであった。だが一つだけ、飯田市はその変更を認めていたのである。裁判資料であるから公開できないが、それは「ボーリング調査」であります。「5m二か所」が、入札資料に記されているが、盛り土だけで5mに達する。鉄骨造を二棟にすれば、二棟ごとの調査が必要だ、木造は木造で、それぞれの調査が必要と提案しており、それを受け入れ「5mを超える場合及び、箇所が増える場合は、別途費用を支払う」と、変更どころか、契約書18条に沿って認めているのであります。
矛盾が功を成す
変更を一つでも認めたことは、飯田市は、章設計の提案を受け入れたことになる。ここはとても重要で、当然、裁判にも大きくかかわることだ。章設計の提案を受け入れないとしても、それが理由な契約解除ではない。契約解除の理由は、あくまで「工期内に成果物の提出が無かったこと」とある。だからこそ飯田信用金庫は、章設計を訴えてから始まる話だと言ったのである。それを放置させたのが、清水勇議長であった。清水でも湯澤でも伊坪でも議長に変わりなく、議長の結論は議会の結果である。まあ、ここは違反建築を書き出しているので、この続きは「飯田市の終わりに」で読んでいただきたい。令和3年10月30日
逃げ道
ボーリング調査の変更を認めると、二度の提案に対して二度ともそれを認めていることと、完成した飯田荘が章設計の提案すべてを採用していたことは、もはや飯田市に逃げ道は無い。章設計がボーリング調査を行ったことを飯田市はかたくなに隠蔽しているが、なぜそれを隠すのかに、飯田市の不安が有る。なぜ隠すのか? と考えれば、それが表に出れば命取りになると言うことだ。たしかに、「ボーリング調査を中止せよ」として、斉藤工業に指示したのは原章長寿支援課長と平井監督員であるが、それらのことは、裁判においても認めている。それ以外の理由を考えれば、またもや違反建築と指名入札に行きつく。そこを紐解くのは行政法だ。いわゆる、行政としての不備が、この二点に存在しているとなる。
抜け道
章設計への依頼にボーリング調査は含まれていた。契約解除したとして、鈴木設計にボーリング調査を含めないなど理由が無い。まあ、理由が無くとも自由であるが、では、ボーリング調査だけを指名競争入札として、斉藤工業が落札したことに、何も疑いは無いのか? とすれば、「章設計のボーリング調査データーを使わしていただきたい」との要望が斉藤工業から有ったのは事実、それは熊谷議員が認めている。だが、これを隠す必要はないし、実際に拒否して、5m二か所のボーリング調査を行わせている。その調査報告書に基づき、設計が行われ、確認申請が行われているが、ここまでの経過にも何も問題ないし、章設計を契約解除したことも、関係するものでもない。では、いったい何に、飯田市は恐れているのだろうか。令和3年11月1日
露呈と露見
ここまでが表に出たとして、不都合は露呈するが、悪事がバレるまではいかない。それに、裁判は後のことで、飯田荘が完成するまでの期間に、章設計は登場していない。陳情書を議会に提出しても、公開質問状を市長・議会の双方に出したにしても、何も対応されていない。なぜかを振り返れば、一にも二にも、質問内容にその答えは有った。要するに、佐藤市長の犯罪を指摘した内容であったからだ。
市長の犯罪
かぶちゃん農園詐欺事件だけでないと見るは、議員も同じだろう。まあ、原和世や新井信一郎のようなノータリーンも居るが、詳細な質問を否定出来る議員は誰もいなく、質問状に及べば、市長の犯罪にふれる恐れが議員らにあった。そのうちで、佐藤市長が最も恐れた犯罪は何かといえば、飯田荘改築事業にまつわる、章設計との争いにその答えが出てくるのだ。飯田荘の改築事業の立案時から進めれば、犯罪の整理は出来る。だが、それはまだ慌てることではない。今必要なのは、飯田荘を建築する過程において、何らかの隠ぺい工作が行われていたことを、違反建築を焦点にして紐解くことであり、違反建築は犯罪だと知らしめるには、このボーリング調査が大きなカギになっている。令和3年11月3日
計画の変更届
県建築課から、飯田荘の計画変更届なる書類を開示していただいたが、どうみても、計画の変更届の書類ではなかった。この書類が計画の変更届なのかどうかを確認するために、昨日4日、元県施設課職員と会った。元県施設課職員と言う紹介は誤解を呼ぶので改めるが、施設課の職員が他の部署に異動しただけの話だ。だからして現役の技術職員である。まあありきたりの職員であるが、特に取り上げるとしたら、よく話すことぐらいである。早く言えば、おしゃべりのタイプに近いかもしれない。
話しを戻すが、この者に、開示請求で受けた飯田荘の計画変更届を見せた。開口一番が、「なんか怖い書類ですね」であるは、妙に的を射た言葉であった。
間に併せ
この職員の口はここまでにするが、これら書類は行政書類の体を成さずの想定に間違いはなかった。この様な書類を、行政書類として取り扱う必要が飯田建設事務所建築課にあることになるが、何よりも、計画変更届が通用するとしても、届け出の提出時期と現場進行の前後が合わない気がする。ここを証明するに何が必要かを考えれば、章設計を敵とする勝間田建設の証言だ。飯田荘現場で持ちいた設計図を見せていただけないか? のお願いは二年前、「市で公開している」として、完成設計図書を見れと無碍にされた。完成した飯田荘に合わせた完成設計図では意味もないことで、5千万円の増工事の内訳を聞けば、「社長に止められている」で打ち切りであった。今回、載荷試験報告書を土木管理総合試験所にお願いすれば、「勝間田建設から渡すなと言われている」と、けんもほろろであるに、そこを突破するは困難であるようだ。令和3年11月5日
問われる責任
責任が取れない公務員というより、無責任職員と評する方が適切だ。彼らは如何にして責任逃れするかが常である。その様な体質は変えられないが、案外に、その責任を取らない公務員を利用すれば、この様な困難は軽く乗り切れる。公務員が責任を取らなければ、誰が責任を取るのかと言う話だ。
負い目の不思議
勝間田建設がこのような態度をとるは、後ろめたさに他ならないが、飯田市の立場にあることで、その裏にあるのが「指名入札」と言うことだ。後ろめたさは違反建築にあることで、いかに載荷試験がそこに絡んでいるかがうかがえる。それにしても気づいていただきたいのは、違反建築となれば、建設業者としてどうなるのか? ではないだろうか。如何に飯田市の立場になって章設計を妨害しようが、違反建築となれば、もはやそこに言い訳もない。
建設業界に反省なし
指名入札を望んでいるのは飯田市の建設業者であって、それが談合の元でもあるが、あまりにも歴史があって、疑うことが出来ないようだ。「談合のために指名入札がある」と思い込めば、指名から外されないようと、飯田市の指示に従うという悪循環だ。このような癒着は必ず改まることで、行政の不良は続くことは無い。それが40年も続いた飯田市を異常と思わなければ、かならずその付は建設業界に回るものと知るべきだ。令和3年11月7日
違反建築の責任
公務員が責任を取らなければ、誰が責任を取るのか? 行政に責任が無いとすれば、誰が責任を取るのか考えてみろ。飯田荘の監理者は木村理子である。建築基準法によるところの責任はこの女に掛かっているが、違反建築と成ればこの女の責任だ。だが、この女は飯田市の職員で、地域計画課がこの職員を監督員にしている。これが曲者なのだ。ここが綿半との癒着であって、これが利益誘導や官製談合の起因であるからして、事が起きれば木村理子個人として処分されよう。飯田市はこのような手段において、いざと言うときの防護策としているのだ。
違反建築は業者の責任
姉歯事件を覚えているだろうか。姉歯は確かに逮捕されたが、違反建築の責任を取ったわけではない。違反建築は、建設した業者の犯罪なのだ。だから言う、飯田荘が違反建築になれば、勝間田建設と飯田工業の犯罪なのだ。そこが理解できないバカ社長が、章設計を攻撃してなんとするかである。章設計は、勝間田建設の犯罪とならないように、証拠を集めていたのだ。
最近、当社が設計した飯田高校屋根改修工事を勝間田建設が落札した。落札後の挨拶に当社を訪れることはなかった。それは儀礼でも何でもない。当社が監理者であるに、当社に話が無くて進まない。飯田高校の発注であるが、基本は長野県教育委員会である。施設課の職員が教育委員会に出向しての担当者であるが、その担当者に渡りをつけても、工事が出来ることではない。令和3年11月10日
不正落札
そしていきなり顔合わせが始まった。飯田高校、県教育課工事担当主事、そして私である。そこで私は言い放った。「勝間田建設さん、契約解除してください」この発言に驚くなかれ、なるべくして成り、発言せずして収まらない場面であったからだ。なにも、飯田荘に関して根に持っていたわけではない。まあ、勝間田建設は当然そのように思っただろうが。
不正落札は、いつものように談合が行われていたからだ。そこは何も飯田市建設業界だけの問題でなく、県教育委員会の発注様式に問題が有るのだが、どちらにしても、談合が行われたことに間違いはない。そもそも、章設計がこの工事を落札したことにも問題が有るのだ。それもやはり、県教育委員会側の発注様式が、建設工事の発注と同じであることにある。
学校発注
長野県は、田中康夫知事から一般競争入札、希望参加型方式に切り替えた。それは、やはり、県職員と土木建設工事者との犯罪(贈収賄)の発覚による。不思議なことに、公務員の贈収賄は摘発され、この様に入札制度まで改めるのに、官製談合の証拠が有っても警察は市長を逮捕せず、入札制度も改まめない飯田市だ。行政が相手だとか、大きすぎる犯罪だとかは、長野県警の程度問題であって、刑事訴訟法はそんな猶予を与えていない。こうなると、飯田市の犯罪が多い理由は、警察の体たらくにあるのだろう。
またもや話が飛んでしまったが、この様な工事について、県教育委員会の発注を行わず、学校発注とされるところに問題が有るのは確かになった。令和3年11月12日
本音と建て前
勝間田建設に契約解除せよと言う理由は談合ではない。ここを詳しく言えば、県教育委員会の責任追及となるだろう。木っ端役人はそれに怯え、つまらぬ画策をしてしまった。ここを詳しく書くわけにはいかないが、結論として言えるのは、「発注者は発注者の立場で、もめ事は業者に任せること」この一点に限る。何とかしようとすれば傷口は広がってしまうことを、それこそ木っ端役人は気づかない。そんなわけで、始末をつけるに、勝間田建設は、どうしても章設計に頼らざるを得なくなったのだ。
下請け業者
「勝間田がとれば、章設計に頭を下げなきゃならん」これは、ある下請け業者の言葉であるが、同じく、入札に参加した別の建設業者の言葉でもあった。何をかいわんやだが、飯田荘違反建築に対しての話しであることだ。建設業界では、「飯田荘は違反建築だ」が定説になってるようで、勝間田建設が談合で主張するに、その様なちゃちを入れていたと言う。建設業界は飯田荘の裏事情を知ってるようで、章設計が騒ぐのを知ってか、いろんな情報が入るものだ。だからして、勝間田建設が抱える不安を口にして、談合の席に着いたようである。
そんなこんなにおいて、勝間田建設の橋本部長が章設計に来た。表向きは飯田高校の契約についてだが、章設計に行けば、何が待っているのかは、言うまでもないだろう。肝心な話に触れる前に、まずは、飯田高校屋根改修工事が契約できるかどうか、それは章設計の考えにある。令和3年11月15日
行政の狡さ
橋本部長に見せたものは、「計画の変更届」なる書類と図面である。それが飯田荘の関係書類であるは、一べつだけで分かったようだ。飯田荘の平板載荷試験報告書を土木管理総合試験所に求めるに、「勝間田建設株式会社様の許可なく情報開示できません」と文書にて断られるに、その平板載荷試験報告書が添付されているそれらの書類を見て橋本部長は、少したじろいを見せた。「県建築課に情報開示請求して手に入れましたが、これは飯田荘の平板載荷試験の報告書であることに間違いありませんよね」と言えば、「はいそうです」と、素直である。「これ、西澤構造設計で基礎の構造計算をやり直し、鈴木設計との連名で提出した書類ですが、これを見ると、基礎の変更設計も行われておりますよね」、「ええ」、「よく見てください。計画の変更届と題されておりますが、どう見ても計画の変更届の書類ではないですよね」、「……」、「計画の変更届を提出したのは知ってましたか? 勝間田建設さんが平板載荷試験を行っているのですから当然知ってますよね」、「うちでやってますが、詳しくは知りません」、「まあ、それはよろしいですが、肝心なところを見てください。ほら、ここ、建築課の収受印が有りませんよね。これでは、正式な計画の変更届になりませんね」、「あ!ほんとだ。押されてない」、「どういうことか分かりますか?」、「いえ、分かりません」、「収受印が無いと言うのは、建築課は受け取っていないと言えるんですね、審査をしていないとも、これ、奴らの手口なんですよ」、「……」、「勝間田建設さんは、平板載荷試験で不動沈下し、調査を中止したと報告されてますね。そして二度目のボーリング調査が行われて、それを基に基礎工事の構造計算をやり直した。二度目のボーリング調査は行われておりますか?」、「いえ、やってません」これで終わりである。令和3年11月17日
違反建築決定
「現場では基礎工事に入っており、そこでボーリング調査が行える状況ではなかったです」答えが出てしまった。まあ、勝間田建設としては隠す必要が無いことだが、どうも本質を分かっていないのは、四代目と言われる社長であるようだ。章設計を敵とみなすのは、飯田荘の違反建築を暴くと見てのことだろうが、違反建築でなければ、敵に回す必要はないし、まして、平板載荷試験報告書を堂々と渡せば済むことだ。そのように考えれば、この平板載荷試験報告書が、違反建築を暴く証拠になるとみて間違いないだろう。
考えを変えろ
橋本部長が最も驚き、そして理解されたのが「収受印が押されていない」である。
そうか、よく聞いてほしいが、この計画の変更届が出されたのは、少なくとも中間検査の後だ。勝間田建設が平板載荷試験をやったとして、西沢構造計算が構造計算をやり直したとして、この計画変更届が正規な書類であって、尚且つ、基礎工事前にボーリング調査が行われていたとしても、受付がなされていなければ、法律的に通用しない。県とすれば、「よくわかりません」「受付していませんので」で通ってしまう。三年程度で移動になる、県職の奴らが責任を取ると思うか? 「そうですね」、違反建築になれば、県が許可した県が完了検査したといっても、県が違反建築の責任を取るか? このように、受付していない計画の変更届が有るとのことは、奴らの常とう手段なんだよ。いいか、この状態であれば、飯田荘が違反となった場合、誰が責任を取るのだ? 行政機関に責任を訴えても通用しない。鈴木設計に計画の変更届の責任を求めても、鈴木設計は責任を取るような設計事務所か? 西澤さんは違反建築の何たるかを私に伝えているが、死んでしまっては、証明してはくれない。令和3年11月20日
違犯建築は誰の責任
飯田市は、議会もそろって「違反建築は県の責任だ」と口をそろえているが、それは、既にそのような対策が有ると取るべきで、あんに、違反建築を認めていることにもなる。そこを読んでかからないと、「違反建築は業者の責任だ」に変わることは当然だ。橋本部長が理解できれば話は早いが、ここまで勝間田建設を意固地にさせるには、まだ何か隠していることがあると踏んでいた。その隠し事を明らかとせねば、確かに勝間田建設の責任とされよう。しかし、橋本部長にそこまで求めても無理であるのも分かっていた。
建設業者の視点
「設計図通り工事をした」これは業者の口ぐせであり、あえて設計ミスと指摘した言葉でもある。相手が鈴木設計だと、勝間田建設は間違ってもこの様な言葉は発せられない。原建設と違い、それを常識ある建設業者だと言うのであるかは別としても、建設工事においては、この様な状況に陥るケースは多々あるのが現状だ。そして、飯田荘の隠し事も、この関係にあるとして見れば、あんがい楽に隠し事が分かると言うものだ。
飯田市の視点
「飯田荘建設工事の現場監理者は木村理子」建築確認申請書にその様に記されているが、「行政の発注工事に職員を監理者にすべきではない」と、私は初めから言っている。それも大きな声で何度も言っているし、文書にして抗議もした。しかし、例によって「何が問題だ?」「1級建築士であれば誰でもできる」それは、議会も全く同じ見解だ。飯田建設事務所建築課林課長も例の土屋職員も口にした。この様な視点は、責任逃れの発言と驕り体質以外何もない。令和3年11月22日
建築士法
設計業務を営むに、管理建築士が所在する設計事務所でなければ、その業務に当たれないと建築士法で示されており、その管理建築士が行える業務として、「基本設計業務」「実施設計業務」「工事監理業務」の三つが有る。建築確認申請業務は、建築士法に基づいている。建築士法に基づけば、工事監理業務は建築士法の取り扱いとなる。ここの境を認識できない連中が、ただ、建築基準法を勝手に理解して発言しているのである。分かりやすく言えば、木村理子が確認申請書を申請できるのか? と言うことだ。「飯田市の職員でも1級建築士であれば工事監理者と成れる」これができるのであれば、木村理子が設計して、木村理子が管理者として確認申請を行えばよい。出来るならやってみろ。裁判で争うことが無いからして、こじつけがましく言っているが、市の職員が鈴木設計の代わりに確認申請が行えるのかどうかの問題だ。
建築審査会
飯田荘は、遅かれ早かれ建築審査会にかかる。その時、「木村理子が監理者である」が、取り沙汰されるは必至であって、監理者が有効ならば、飯田荘の違反建築は木村理子の犯罪とされること。監理者が無効と成れば、県建築課の責任は逃れられないし、違反建築は申請者である飯田市の責任とされよう。
さて、建築確認申請に対しての見解はこれまでだが、違反建築とされた場合、大概は工事施工者と設計者が処罰される。どのような処罰課と言えば、どちらも会社が潰されることだ。この重大事実が前にぶら下がっているからして、勝間田建設は必死に抵抗しているのだ。令和3年11月25日
能力の問題
違反建築は県の責任だと宣うに、違反建築になれば、県は責任を取らない。「確認申請書に間違いはない」章設計が県に調査を依頼したが、今の段階での回答は「飯田荘は違反建築ではない」である。なぜならば、県に提出されてる確認申請書や中間検査申請書、完了検査申請書などの書類に、違反建築であることを示す書類が一枚も存在していないからだ。
許可申請の目的
当たり前のことだ。これが県職員の仕事である。許可申請とは、如何に行政の責任にならずとした届け出であって、何かが起きても申請者の責任だと決めつけるためのもの、この話に理解できない方がいるのであれば、今一度、姉歯事件を振り返っていただきたい。建築許可を下ろしたのは特定行政庁や建築主事でなく、民間の検査確認機関であったから事件になった。これが建築主事の扱いであれば、建設業者だけの犯罪とされ、確認申請書を提出した設計事務所は、公文書偽造でも挙げられているはずだ。この事件(構造計算書の捏造)は、長野県にも波及した。長野県は建築主事が取り扱うに、県の責任は無いとされ、この確認業務を取り扱った建築主事の島岡さんは、川中島の河川で焼身自殺している。責任感が強い人は、取らなくても良い責任を、死をもってあがなったのだが、この悲しみを、家族の立場で考える人は居たのだろうか。私は、少なくとも忘れていない。
単純に考えろ
勝間田建設は違反建築であることを認識しているし、斉藤工業もまた、章設計の地盤調査報告書を用いたことを必死で隠している。なぜこんな無駄な努力をするのであろうか? と考えるに、そこに指名競争入札と言う官製談合の世界が有るからだ。行政に頭を下げる馬鹿どもの考えそうなことだが、行政に逆らえば仕事が来なくなる恐怖心が有るのもいがめない。だからして、章設計が助け船を出していることに気が付かないのだ。単純に考えろ、そうすれば、物事が見えてくる。令和3年11月27日
確認申請書が全て
行政書類としての建築確認申請書は、そこに記されている物が全てだと言う表しである。そこに、勝間田建設の名前が有るか? 斉藤工業とあるは、地盤調査報告書と言う書類であるだけだ。この建築確認申請書において、責任が追及される会社であるのか、冷静になって考えてみろ。県が書類上(建築確認申請書等)では違反は見つからないと言うのに、何に怯えて抵抗するのであるのか。身を守ろうとすれば穴におちる、正当性を主張しようにもその場が無い。違反建築だと騒ぐ章設計に抵抗するより、違反の指示は飯田市からのものだとはっきり言うことだ。たしかに、言いたくても言えない状況は分かるが、今表に出さなければ結果が出てからでは、一切通用しないものだ。違反建築はその経過結果において犯罪と成ろうが、逮捕されてから何を言っても無駄なこと。その時点においては、県も飯田市もすべてに手を回し、業者の責任とされていることだ。だから言う、今ここですべてを明らかとせねば、間違いなく、違反建築は業者の犯罪となるのだ。
会社が潰される
斉藤工業の田島よ、お前の頭では無理かもしれんが、会社が潰されれば何とするのか? そんなことは絶対に無いと言い切れるのか? 法律を犯せばなんとなるか、単純なところに答えは有る。章設計の地盤調査報告書を用いても犯罪ではないことを知れ、談合入札しても飯田市の指示であったと言えばよい。その程度の談合に警察は介入しないが、違反建築を隠していれば、それは大犯罪として会社は潰される。その一切の責任を、田島よ、お前はとれるのか? 令和3年11月30日
責任は誰にある
県も飯田市も行政だ。行政が責任を取ることはない。たとえ市長の指示であったにしても、それは個人の犯罪とされよう。これくらいのことは誰にでも分かると思うが、業者はそれが分からないようだ。まあ、飯田市の業者だけであるのは言うまでもないが、行政に気を使っても、困ったときに助けてくれないのが行政だと知ることではないのか。違反建築とされれば、勝間田建設や斉藤工業だけではない。機械設備を請け負った飯田工業も全く同じ、(ここは正直どうでもよい)鈴木設計も同じ結末を迎えることになる。そんなことになるわけが無いと高をくくっているだろうが、どっこい、私はそんなに甘くない。令和3年12月2日
コーナー終了のお知らせ
このコーナーが、文字数の加減でいっぱいになりましたので、今日で終了させていただきます。この続きは、「飯田市の終わり」のコーナーの中で、書き出しますので、引き続きご覧いただければと思います。
違反建築が業者の責任と成らぬように努力していますが、勝間田建設も飯田工業も、そして斉藤工業も協力的でないために、苦労しております。鈴木設計は当事者ですので免れませんが、飯田市が首謀者だとするには、県に責任逃れをさせる必要が有ります。「建築確認書や中間検査、完了検査の書類に、何の不備が無い」というのが県のスタンスですので、県に、「飯田市の責任」とさせればよいことです。関係業者の皆さん、章設計は業者です。理不尽な飯田市行政に立ち向かう正義感を持つことをお勧めいたします。
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