岡庭一雄と西の三悪人(熊谷操・渋谷秀逸・熊谷時雄)は、盗伐被害を受けた渋谷徳雄(渋谷ゆきゑ)さんの所有する土地三筆(正確には4筆)を、偽造売買契約書を作成して搾取していた。平成7年のことである。
それら三筆の土地は、現在、ヘブンスそのはらのロープウェイ基地までの取付村道として使用されてきたが、驚くことに、それらの土地にヘブンスの社長白澤祐次は、賃貸借料を支払い続けている。当然に、それらの地代は、岡庭一雄と西の三悪人が管理する、飯田信用金庫の裏口座に振り込まれているのだが、その裏口座には、園原財産区・本谷財産区、それに神坂神社の地代もともに振り込まれている。
この恐ろしき犯罪を暴くために、「土地を返せ!」と、阿智村を訴えたのである。そして裁判は3月15日に始まったのであるが、早速にいつもの手、「まだ引き受けていないので、口頭弁論は次回にしていただきたい」と、下平弁護士から泣きが入っている。次回は、5月半ばであるが、裁判の展開はさして重要ではない。令和4年4月22日
新たな展開
西の三悪人と岡庭一雄が契約書を偽造して他人の土地を売り買いしていたのであれば、これら四人の者を相手に訴えればよいことだと村民は判断したのか、それともこの犯罪も西地区の問題であって、それを村に持ち込むなとした感情論から来るものなのか。どちらにしても余計なことと見ているのは確かであるが、ここまで腐ったのは赤い村であることが大きい。
私とて驚いた。他人の土地を売り買いするなどありえない話であって、またそれが、阿智村が契約者であったことにえも言えない恐ろしさを感じたものだ。この話は、時雄に死んでしまえと罵っていた頃の熊谷秀樹村長本人から知らされたのだが、村が買ったのであれば、登記は村になっているはずで、そこを疑うことは無かったのだが。
盗伐裁判で事実を知る
渋谷ゆきゑさんの土地にある樹木が無断で伐採され、その首謀者が岡庭一雄と西の三悪人だと判明した。その時点で、渋谷ゆきゑさんの土地が無断で売買されていたことを思い出し、これら四人が渋谷ゆきゑさんの土地すべてを取り上げようとした共謀犯罪だと確信したのであるが、証拠が無かった。偽造契約書は熊谷秀樹村長から手に入れていたが、偽造契約書が使われたと言う証拠が無かったのだ。令和4年4月24日
現地を知れ
何の話だか分からぬ読者のために、初めから話を進めよう。まずは、現地の写真と現地の公図を見ていただきたい。現地写真 土地搾取公図 クリックしてご覧ください。
搾取された土地は公図上の緑色で囲われた部分であるが、ヘブンス基地までの村道に形状変更されている。黄色で塗りつぶした三筆の土地は、盗伐被害を受けた土地である。これら写真と公図をご覧いただければお分かりいただけると思いますが、これらの犯罪はすべて、平成7年から計画されていたと言うことです。渋谷ゆきゑさんの長男建典氏を訪ね稲武町に行ったのは確かな事であるが、その時はまだ渋谷ゆきゑさんは存命しており、今回相続した渋谷徳雄さんとは連絡がついていた。その上、徳雄さんと長男建典氏とも連絡はついていたのだ。そして何より、渋谷徳雄さんは渋谷秀逸妻と熊谷操妻と同級生であって、同級生の間でも連絡はついていたのである。だからして、熊谷時雄は渋谷徳雄さんに『スタンドのために寄付をお願いします』との手紙を出すことが出来たのだ。渋谷徳雄さんと連絡を取ったのは自治会長であった好泰だと、そこを汚い奴だと責めたようだが、泥棒達のへ理屈に終わりはない。
偽造契約書の作成年度
渋谷建典氏と私の父と、好泰の父熊谷茂平氏と、渋谷幸恵おばさん(渋谷勝幸の母、盗伐者の渋谷晃一の本家、私の家から嫁いでいる)は同級生であって、中学生の建典氏の家が学校火事のもらい火で全焼したのちに、盗伐された土地に小さな家を建てていることを知っているが、何を思ったのか、渋谷幸恵おばさんはそれを否定し、朝鮮人である平川泰三が渋谷ゆきゑから買った土地だとの渋谷晃一の言い分を事実としてしまった。その上で、私が代理で裁判にかけたことに対して腹を立て、「園原も終わりだ」と、罵られている。何がそうさせるのか理解に苦しむが、熊谷操に寄り添う渋谷より州が、幸おばさんと本家別家の関係にあることが関係していると考えられる。いわゆる、西の三悪人の所業を正当化する輩に、洗脳的に取り込まれたのだ。問題は幸おばさんより息子である勝幸であって、私は幾度となく時雄の犯罪を話して時雄に近づくなと言っていたが、渋谷晃一とは幼友達で親戚であるからして、時雄の嘘を信じるに至ってしまった。令和4年4月26日
盗伐裁判で得た物
熊谷秀樹村長から渡されていた偽造契約書、これを偽造とする前に、盗伐裁判において、被告渋谷晃一から同じ契約書が証拠として提出された。まずは、被告渋谷晃一が証拠とした契約書を公開します。 土地偽造契約書 クリックしてご覧ください。
乙第17号証として提出されたこの契約書をもとに、「渋谷ゆきゑがこの地を離れる時に、土地の全てを本谷園原財産区に寄付をした。その土地が村道(アーテリー道路)工事にかかることで、本谷園原財産区は阿智村に渋谷ゆきゑが寄付した土地を売っている。このような状況から、渋谷ゆきゑはすべての土地を整理したもので、残りの土地(盗伐土地)を平川成泰に売り渡したとしても何らおかしなことではない。」と、陳述して、この契約書を事実としているが、この契約書が存在したと証明したことになった。熊谷秀樹村長は岡庭一雄に怒られていた。「なぜ契約書を渡したんだ」と、吉川優議員の要請に応え、すべての契約書の写しを渡したことを後悔していたが、盗伐裁判でこの契約書が有れば、平川成泰が渋谷ゆきゑの土地を買った口実になると考え、渋谷晃一に渡したのである。その証拠が、この契約書の上部に設けられている阿智村の決済欄だ。操の横領と同じく、阿智村の決済欄が有る契約書を用いて、さも契約書を本物だと見せかけたのだ。熊谷秀樹村長の不法行為には呆れるが、この偽造契約書において今回の裁判のきっかけとなったのはありがたく、また、この契約書において、阿智村と本谷園原財産区の犯罪(地域振興補助金)も実証されることで、ついには、ヘブンスそのはらからの両財産区地代横領詐欺犯罪も立証できることになる。
裁判で扱われた証拠の類は、それらの存在を確実なものにする。ようするに、私がいくつもの裁判を行うのは、裁判の勝敗よりもこのような証拠の類を表に出すことである。たとえ裁判で負けたにしても証拠はそのまま残ることで、また改めて立証する必要もないのは、刑事訴訟法にて訴える場合においても、警察の捜査にても、全くに証拠として扱われるのだ。令和4年4月28日
警察を動かすこと
これからも新たな訴えを起こすことになるが、当然にその訴えの原資は犯罪であって、それも熊谷秀樹村長と岡庭一雄が関与する犯罪ばかしである。なぜこうも阿智村行政には犯罪が多いのかといえば、岡庭一雄が村長であったからだ。岡庭一雄はとにかくでたらめな男であった。こんな男が村長になるに、犯罪が起きない訳がない。この訴訟もそうであるが、元々に他人土地を搾取するなど、如何に共産党だとしてもそこまでは考えられないだろうが、いとも簡単に実行するは、空恐ろしき思考の持ち主である。こんな男が二人(時雄)そろえば、何が行われても驚きはしない。
阿智村の矛盾
平成7年、ロープウェイ基地までの取り付け道路を造成するに、渋谷ゆきゑさんの土地であることを公図から確認して、長男建典氏のところへ交渉に行ってるが、盗伐した土地については渋谷ゆきゑの土地ではないとして争った。どちらも公図や登記は渋谷ゆきゑとあるのにだ。ここは矛盾でなく、岡庭一雄の後始末として行われている。吉川建設の工事代人渋谷より州を渋谷建典氏のもとに向けたのは、渋谷より州が渋谷ゆきゑさんの親戚であるからだ。熊谷茂平氏も同じように、同級生であるから渋谷秀逸の代わりとさせた。このように手抜かりなく進めたことで、渋谷建典氏は話を受けている。
工事用道路
アーテリー道路は工事用道路として一番最初に工事が行われているが、この時点において渋谷建典氏がこの話を受けていたとするのであれば、賃貸借契約しかないことだ。他の地主も賃貸借しかしていないし、登記が移らない土地を売るなど常識外のことである。だが、売買契約書が存在した。それも渋谷建典氏が契約者の甲でなく、本谷園原財産区が売主だと言う。そして買ったのが阿智村だと言うのである。令和4年4月30日
契約書が有る
阿智村はこの契約書を本物だとして、文句があるなら本谷園原財産区に言えと来た。これが熊谷秀樹村長の公式な対応であるのは、弁護士からの通知書への返答であったからだ。これにはさすがに頭を疑った。バカとかどうかとではない。村長たる立場の者がこのような返答をするのか? という常識論だ。
階級闘争論
共産党が話し合いを拒否するのは、自分たちの考えこそが正しくあるとの信念と、現社会が支配層による階級社会だと考えているからです。とにもかくにも現社会を変えるには、支配層を被支配者層(共産党)が打ち破らなくては発展が出来ないとするのが、マルクスレーニン主義の教えなのです。この考えを現在の阿智村に置き換えれば、岡庭一雄と言う共産主義者が、選挙において村長になったことは、階級社会を打ち破った英雄としてとらえ、岡庭一雄は村長として阿智村を発展させたと、いわゆる、被支配者層の社会になったと認識しているのです。岡庭一雄村政のすべては階級闘争での勝利結果であると受け止めている現状において、私のように岡庭一雄の村政を批判すれば、共産党は牙をむいて攻撃を仕掛けてくるのです。共産党に不正とか犯罪とかの認識が無いのは、支配層が制定した法律に基づく不正や犯罪は階級社会の産物であって、共産党の社会には不正や犯罪は存在しないという、勝手な理想論から来るもので、まさに、話し合いを拒否する理由となるのです。
被害者意識
弁護士からの通知書では「三筆の土地の無断使用」について、話し合いを請求しております。それに対しての返答が、「本谷園原財産区から購入している」として、それを示す契約書が添えられて、「契約後に何かあれば、本谷園原財産区が責任を持つと記されている。本谷園原財産区と話し合ってください。」と言うものである。この返答は、法律を無視する考えであって、話し合いはしませんと意思表示されたものである。令和4年5月2日
自ら示した犯罪の証拠
弁護士からの通知に対して、それを拒否する熊谷秀樹村長の考えはどこにあったのか? 並の者なら話し合いを選択し、このとんでもない犯罪を犯罪とならぬよう努力するものだ。だが、熊谷秀樹の考えはそこにない。なぜか? それは至って簡単な話、熊谷秀樹は共産党であるからだ。行政の長であれば民主主義を遵守するもので、話し合いしか解決の道は無いが、話し合いをしないのが共産党だ。思い出していただきたい。ホテル阿智川の山口会長と岡庭一雄が温泉の権利でもめたとき、「下平弁護士に依頼して訴える」と言い切った岡庭一雄、とにもかくにも共産党は話し合いをしないのだ。
他人の土地を勝手に売り買いしたのに、それが大変な事実などと考えてもいないのだろう。村は本谷園原財産区に騙されたとの立場であるからして、文句があるなら本谷園原財産区に言えと、まるで被害者意識なのだ。この様な族が相手であれば、法律でしか解決できるものではないが、これほどに多くの犯罪が有り、そのどれもが村長が関与する犯罪であるからして、やはり、阿智村はつぶされてしまうだろう。
被告は行政
どのような内容にせよ、行政を訴えるとすれば、ほとんどの弁護士は受けることは無い。「行政を相手に勝てる見込みがない」とする固定観念がどこから来るもんかといえば、やはり、金にならないが本音であるようだ。しかし、飯田市を相手とする損害賠償請求事件の弁護士は、この事件についても二つ返事で引き受けてくれたところを見れば、弁護士の能力の差だと言えなくもない。とにもかくにも相手は阿智村であって、その阿智村が負けたとすれば、そこはやはり行政犯罪のくくりとなる可能性が強い。なぜならば、ここからヘブンスそのはらに関わる多くの犯罪が立証されるからである。令和4年5月4日
二回目の期日
口頭弁論は被告弁護士(下平秀弘弁護士)のたわ言で裁判官が書面で確認するだけで終わっている。原告弁護士は、「口頭弁論は出なければなりませんので飯田に行きます」として準備していたが、行かなくて済みましたと喜んでいた。裁判官も弁護士も飯田市の訴訟と全く同じであるに、裁判官が驚いているようだ。「熊谷さんは多くの訴訟を行っていますね」と、操の裁判で弁護士に漏らしたようだ。確かに多くの裁判を同時に行っているからして、またそれらの裁判が飯田市や阿智村と言った行政を相手する、または、行政が関連する裁判であることに驚いたのだ。いかに何でも一人の者が、社会の中心である二つの行政団体を相手に裁判するは、全国的に見てもそうは有るまい。このような異常な状況にあるに、飯田下伊那の住民は、まったく気にしていない。
まだある提訴
有るはずの契約書が存在していない。無いはずの契約書が存在する。何を頓珍漢なことを言っているのか自分でも混乱するが、まさに、この裁判がそれを顕著に表してくれるだろう。あるはずの契約書とは、ヘブンスそのはら白澤佑次と地権者組合の契約書である。無いはずの契約書とは、岡庭一雄村長とヘブンスそのはら白澤佑次との契約書である。有るはずの契約書を手に入れるには困難であるに、無いはずの契約書は手に入っている。これをどのように扱うかが、刑事訴訟法で裁けるか、行政犯罪のくくりとなるかの瀬戸際だ。これが理解できない者たちを相手するに、そこが一番苦労する。有るはずの契約書は、有るものとしてかかればよいことで、手に入れる必要は無いのだが、有るものとしてかかるには、やはり争いを起こさなくてはならない。どことだ? それは、有るはずの契約書の甲であることだ。令和4年5月6日
おかしな地主たち
ここ三年間、地権者組合とヘブンスそのはらの懇親会に呼ばれていない。なぜか? それは、懇親会で「岡庭一雄村長との契約書が二通あるが、その説明をお願いしたい」と、迫ったからである。白澤佑次はうつむいたままで一言も話せなくあったが、地主たちの様相はもっとひどく、話しの中身を全く理解していない。なぜ財産区の地代の契約書が岡庭一雄村長と白澤佑次の間で交わされているのか、その疑問を疑問と感じないのだ。おかしな地主? いや、それ以上に異様な者たちである。如何に山の中であろうとも見識が無いとしても、他人の山を賃貸借するなどありえないと、そのように考えられない者たちに尋常でないものを感じている。こんな調子であるからして、他人の木を盗伐しても、他人の土地を売り買いしても、まったく気にならないのも無理はない。皆さんそのように生きてきたのだ。
自分事
他人事として見るは人の性(さが)なのか、自分事として考えればこの様な犯罪は起こらないものだ。自分の土地が誰かにだまし取られたとすれば腹を立てるどころではないだろう。まして、財産区は自分たちの権利が有るもので、その地代が誰かに横領されているとなぜ思わないのか? これを冷静に見つめれば、この犯罪に多くの者が関与していると想像できる。何だかんだでおこぼれをいただいていれば、それこそよそ事でなく自分事として考えていることだ。根が深い、このような状況であれば、何もなくして解決はつかないし、犯罪に手心を加えればいつまでも続いてしまう。令和4年5月8日
突きつける犯罪
地主たちに、この恐ろしい犯罪に参加ていしただきましょう。いやおうなしに仕向けるは、そのほとんどの準備は整った。あとは仕掛けるタイミングだけである。何をもってタイミングとするのかは正直決まっていないが、近いうちに何かが起こる状況にあるは確かなことだ。盗伐の上訴判決であるのか、操の横領裁判の判決であるのか、はたまたこの裁判の行方であるかも知れないが、どちらにしても必ず結果が出ることだ。まあ、一番分かりやすいのがこの裁判だとは思うが、ここにはまだ白澤祐次が登場していない。まてよ、地主に参加願うには、やはり白澤祐次がその中に居なければ始まらないだろう。それであれば、白澤祐次へのコンタクトを先にしなければ、呼んでも出て来れないかもしれない。さて、思案六法の境地であるが、もう一枚引くに越したことはないだろう。
本谷園原財産区
そんなわけで、白澤祐次に先に案内状を送るとして、その案内状をつくるには、やはり本谷園原財産区へ何かを仕掛けなくてはならない。餌を何にするのかであるが、それこそ「本谷園原財産区と阿智村長の売買契約書」しか付けないと来た。盗伐裁判において、「本谷園原財産区の土地だ!」としたのは渋谷晃一であり、その証拠が本谷園原財産区が保管するこの契約書であった。今更に、「これは村の契約書だ」なんて、とぼけたことは言えないだろう。万が一その様な発言が出れば、お縄になるのは渋谷晃一だけでは済まないことだ。令和4年5月10日
事業報告書
何年ぶりであろうか? 本谷園原財産区から事業報告書が送られてきた。なんのことか分からないと思われるので簡単に説明するが、事業報告書とは、ヘブンスそのはらから園原財産区と本谷財産区の山林地代が迂回されるようになった平成10年ころに始められた事業報告書であり、前年度の決算と次年度の事業計画が記されている。近いうちに公開しますので、その時に詳しく説明しますが、この事業報告書がしばらく私に配布されなくなったのには、操の指示と孝志の考えにあります。
回覧板
いま、村八分の裁判を行っておりますが、この裁判の原資は「回覧板が回ってこない」であります。そう、回覧板と同じく、この本谷園原財産区の事業報告書も配布されなくなっていたのです。詳しい話は村八分のコーナーでご覧いただければと思いますが、裁判において『回覧板が回ってこない』と訴えて期日が進むに、ここにきて、村からの回覧は村から直接送らせる手続きを取ったようであります。ですから、本谷園原財産区の事業報告書も配布しないと、本谷園原財産区も訴えられるとの危機感を感じたのでしょう。
何しろ、岡庭一雄と西の三悪人が行ってきた多くの犯罪は、それらすべてが網の目のようにつながっており、一つが絡めばすべての犯罪が寄ってきて、それもまた絡み合うものですから大変な状況になるのです。ですから、一つ一つを着実に解決していかなければなりません。大変な状況と思われるかもしれませんが、私にはこの網の目がしっかり見えておりますので、淡々と進めております。30年も続けられた犯罪ばかしですので、解決に至るまでもまた、何年もかかることであります。
さて、本谷園原財産区から直接この事業報告書が送られてきたことで、とても良いタイミングとなったのは、この事業報告書が、この裁判において非常に重要な証拠となる可能性が出てきたことであります。令和4年5月13日
熊谷秀樹村長の証拠
令和4年5月13日、この裁判の最初の期日が開かれました。本来ならば二度目の期日ですが、下平弁護士が「まだ依頼されたばかしで訴状の確認が取れていない」などを理由とされ、最初の口頭弁論が開かれなくありました。(下平弁護士は阿智村の顧問弁護士でありましたよね。だとすれば、時雄の請求に応えて6千万円もののれん代を支払うに、川島弁護士をに依頼したのはなぜでしょう?顧問弁護士でもないのにね。それに200万円もの弁護士費用を支払っていますが、下平弁護士の弁護料は、2,30万円です。このようなおかしなことが行われて税金が使われましたが、このことを問題としない村民はなぜでしょうか?理解に苦しみますが、赤い村であればそんなものでしょう。不正を追及する共産党が不正をやっているんですからね。)
この日の期日
反論してきましたよ下平弁護士はね。「契約して購入した」「時効取得」この二点について証拠をつけて主張してきました。これも当たり前の反論ですが、偽造契約書において購入を正当出来るのであれば、世の中何でもありになっちゃいますね。こんなバカなことを下平弁護士は反論としているわけではありませんが、時効取得(20年以上経過しているため)を主張するには、契約していたとの証拠が無ければでませんので、偽造契約などではないと、一応そのように主張しているのです。
織り込み済
他人の土地を行政と任意団体が売り買いすると言う前代未聞の犯罪であるが、この犯罪をどのように証明すしたらよいのかと考えていた。たしかに、平成7年の売買契約書が唯一の証拠であるが、この契約書が表に出なければ何の意味もないし、犯罪そのものも時効と言われても仕方ない状態でもあった。使い道に困り果てていたが、思わぬところでこの契約書が表舞台に登場したのである。令和4年5月15日
まさかのまさか
この契約書が盗伐裁判に有利に働くと考えるあたりがお粗末だが、まさに最高の舞台でこの契約書が表にその姿を現した。今一度、その契約書をご覧いただき、じっくりとその異常性に気づいていただきたい。 捏造契約書 クリックしてご覧ください。
展開の妙味
常識が有れば一目瞭然でしょう。任意団体が土地の所有ができるのであれば、法務局も民法も必要がない。その団体がまた財産区と来たもんだからいたって悪質な企みであるに、これを堂々として契約書とするに、岡庭一雄も熊谷秀樹も全く大したものである。毒を食らわば皿までもの心境なのか、全く理解できない。
この契約書は乙第3号証として、被告阿智村の証拠として提出されたものであるに、その反論もまた、「契約書が有る」であった。たしかに阿智村が購入したとは事実であって、阿智村も当然に支払っていると思うが、この契約書において支払いが出来たとなれば、それはそれで大問題である。熊谷秀樹がこの契約書を私に提供するに、気になることを言っている。「阿智村で購入した経緯はない」とね。これを事実とすれば、この契約書は全くの偽造となることだ。今更阿智村の支払明細は記録として出て来ないと思うが、本谷園原財産区への入金記録が有れば、それはそれで確かに買ったとの証拠となるだろう。阿智村が本谷園原財産区にそれを求めることは簡単であろうが、支払われていないとなれば、藪から蛇であるが、さて、何が事実か嘘なのか、このあたりがこれからこの裁判で明らかになっていく。幸いに、この裁判は公開停止とならなく有るに、しっかりとダイレクトでお知らせしていこう。令和4年5月17日
認める阿智村
財産登記が出来ない任意団体、不動産を購入することが出来ない財産区、どれをとっても成り立たないこの契約書に、下平弁護士も弁護するところに無いようだ。だからして、この契約書を被告の証拠として提出されたのは、早く言えば開き直り、「財産区と契約して何が悪いんだ!」ということなのだが、この契約書を原資として、「時効取得」を主張するのが目的なのだ。この時効取得、盗伐裁判でも全く同じ展開がみられたが、それは被告渋谷晃一が、「伯父平川成泰が渋谷ゆきゑから購入したものだ!」として、時効取得を主張したのである。だが、この事を証明する契約書や領収書が無いことで、あっさりと退けられている。分かりやすく言えば“嘘”であって、渋谷晃一の汚さが露呈したのであるが、今回は、同じ渋谷ゆきゑさんの土地を購入している阿智村が契約書を証拠として出してきた。
制約されない
原告弁護士が通知書において熊谷秀樹村長に話し合いを求めるに、「契約書が有る」を理由として拒否してきた。それに対してもう訴えましょうとする原告弁護士に、今一度話し合いを求めてくださいとお願いしたのは私である。その理由は、契約書の取り扱いが不明であったからだ。原告弁護士はそれに応えて熊谷秀樹村長に二度目の通知書を送付したが、その内容は、「当方はその契約書に拘束されておりません」であった。拘束されていないは、本谷園原財産区との契約書は関係ないとの宣言であって、その文面が何を意味するのかは熊谷秀樹には分からない。だが、下平弁護士にははっきりと分かることである。
村長は偽造契約書を作成できる
開き直りがここでも出てきたが、ここで操の裁判の原告弁護士が、「村長であれば偽造契約書を作ることは出来る。ただし、契約書の内容が捏造された物であり、その契約書において金員が移動していれば、それは犯罪だ」を思い出せば、下平弁護士が偽造契約書を証拠として時効取得を主張することは出来ることなのだ。ようは開き直り、平成7年に契約書を交わし、阿智村はこの土地三筆を買っているから、時効取得は成立するのだと言っている。令和4年5月19日
必ず争われる事項
時効取得徒過善意取得とかは、不動産における訴訟においてはつきものであって、ここが事前に打ち崩す状況に無ければ訴えることは困難である。
他人の土地であっても、20年使用すれば自分の土地になる。こんなバカげたことが現実になるのが時効取得なのだ。これを分かりやすく説明すれば、泥棒であると言うことだ。たしかに、人の土地を自分の物にするのであるからそれは泥棒だ。泥棒とは盗人のことで、他人の土地を盗んだことになる。盗まれても良い土地であるならば、そして20年も経過すれば致し方ないかもしれない。だが、泥棒を地方公共団体がやっては、いくらなんでもまずいだろう。
世間が知らず
本谷園原財産区と阿智村とが、渋谷ゆきゑ・薫さんの土地を売り買いした契約書が有る。これは阿智村が泥棒したとの証拠であるが、泥棒の時効は7年であるに、それは遠い昔の話になってしまった。地方公共団体が泥棒するなどありえないことだと思うのは世間であるが、法律では行政も民間も無いことで、すべてが法の下に平等である。
下平弁護士がこの契約書を証拠として、「この日から阿智村が占用してきた」と、時効取得を主張してきたのである。法律的に「阿智村が泥棒した」とされても、世間がそれを知らなければ、まったくに問題とならない。だからして、恥も外聞もなく、時効取得を主張するのである。
むなしくなるような話であるが、これを知らずして訴えるほどお人好しではない。平成7年の話になるに、今年で27年も経過したことで、当然時効取得は主張されるものとして準備している。だが、何もこちらの手の内を見せることでもなければ、本来の目的も違うところにあるからして、賃貸料の請求を10年分として、土地明け渡し請求と併せて提訴しているのである。令和4年5月21日
ヘブンスの答え
飯田裁判所に調停をかけたのは「私が購入した三筆の土地に賃貸借料が支払われていない」であって、その相手方は、ジェイマウンテンズセントラル株式会社白澤佑次社長である。白澤佑次は当然として調停に出向かなくあったが、裁判官に対して出て来ない理由は「お借りしていない」である。この時に、白澤佑次が調停に出向くならば、裁判官には「借りています」と言ったであろう。それは、裁判官の前で嘘を言えないとするものと、実際にお借りしているからだ。考えてもみろ。阿智村が村道とすることは構わないし、村道としても個人の土地を賃貸借するは全国どこにもあって、また、お借りしていても賃料を支払っていない土地も多くある。当たり前の状況としてあるが、さすがに国道や県道はその所にない。それは、村道の新設や拡幅には「提供」というおかしな慣例があるからである。
証拠が無い
ヘブンスの白澤佑次を相手として調停したのは、白澤佑次の出方を確認したもので、白澤佑次を相手として争うところにないからである。とにもかくにも阿智村はこの道路を村道としていることで、訴訟の相手は阿智村であると弁護士も確認しているが、白澤佑次がお借りしているとなれば、村道であって村道でないと言うことになる。村道をヘブンスそのはらが借りることはないからであるが、だが実際は違うところにこのからくりがあるのだ。
時効取得の無効
時効取得は当然主張されるとして、「10年間の賃貸借料」を請求したのだが、その意図を下平弁護士は当然分かることで、「契約書が有る」として契約書が証拠として提出された。以前公開した、本谷園原財産区との契約書であるが、契約に至る経過の復命書まで添付してきたのには少々驚いた。そしてその復命書は、勝野公人前議員の書き込みであるが、以前公開した復命書とは少し様子が違った。これは正直、私には最も必要な文書となることだが、当然にこの裁判でのことではなく、大きな犯罪の証拠となる物だ。令和4年5月22日
手薄な反論
時効取得だけで反論できるなどと下平弁護士は考えていないことは、時効取得も主張できない訴訟も併せて行ったことにある。どのような訴訟を合わせて行ったのかと言えば、私の田んぼに、村道拡幅が了解もなく行われていたからだ。その田んぼとは、空き缶の不法投棄や選挙妨害ビラが置かれていた田んぼである。その拡幅工事が行われたのは平成18年頃だと言うが定かでないことに、阿智村は事業年度を明確にしていない。その理由は、拡幅した部分に村税を賦課し続けていたからだ。村道を拡幅して個人の土地を占有するのであれば、拡幅した部分に賦課しない行政上の手続きが取られることだが、それを怠っていた。まあ、怠っていたと言うより、わざとそうしたのだと言えるのは、拡幅したほかの土地については無課税処置がとられているからだ。
20年以内
この事件について阿智村は時効取得を主張できなく見当違いの主張をしてきた。道路拡幅は自治会の要望であって、自治会から買収土地代が支払われていると言う。とても??な反論であるが、自治会からの要望だとするに、私が智里西自治会の役員であって了承していると来た。私が自治会の役員をやったのは平成17年であるが、その時はまた園原部落の部落長でもあった。私が部落長なら園原部落に話が来るもので、自治会が勝手に要望することではないが、その様な反論の意図がどこに有るのか私には読めている。
平成17年の智里西自治会は、澁谷博亮(共産党)が自治会長で、熊谷時雄が会計である。村会議員が自治会の役員をやることは出来ないと言えば、「悪いか!?」とのたまい、議員が会計をやれないと言えば、それは横を向いて無視をする。なぜ時雄が自治会の役員になるのかと言えば、当時は部落長が自治会の役員も兼ねていたからで、平成16年12月の部落会で私が部落長になったとの話を渋谷吉彦から聞き、私が自治会へ行けば改革されるとの恐れがあったからだ。私は常々言っていた。「部落会で1万2千円も徴収するに、自治会で同じように1万2千円も取ることはおかしい」令和4年5月24日
少し自治会の話し
今までも書き出したが、時雄がつくった自治会のあらましは、多額の自治会費を徴収して、当時80万円以上の預金を持っていた。「自治会の役割とは何だ」「自治会が会費を貯金してなんとする」「会費は他の自治会と合わせて3千円にせよ」が、私の改革案であった。
阿智村の自治会は岡庭一雄村長が共産党会議と同じ形態を模写してつくり上げている。(村会議員選挙を例にとれば、自治会が中心になって候補者を選別して選挙運動をしている。これ自体が選挙違反だと村民は気づいていない)
当時、私は岡庭一雄村長の自治会構想自体を批判して反対の立場にあった。そんな私が自治会の役員になると言えば、時雄は何としても自治会役員にならなくてはと、部落で手を挙げて出てきた。村会議員が自治会の役員になると言うのに、そこに疑問を持つ者が誰も居ないことに驚くが、今振り返れば、その程度の住民たちであるということだ。まあ、議員選挙を見れば何も西地区だけでないと呆れるが、だからしての赤い村なのだろう。
20年以内
自治会の要望において村道が拡幅されたの反論は良いとしても、被告は阿智村なのだから「村道〇〇線拡幅工事」との事業実施報告書を掲示すればよいことだ。少なくとも村内業者が施工(ユーチューブで施工業者ががコメントしています)するに、事業書類が揃っていないはずはない。事業書類において「熊谷典章氏から提供された」との行政書類を証拠として反論すれば、この訴えなど吹っ飛んでしまう。なぜそれが出来ないのか? と言えば、熊谷典章はそれらの話を一切聞いていないからである。確かに介護は受けていたが、ボケてはいない。何よりも決定的なことは、拡幅した部分の土地所有者は私であって、そして17年間税金を支払ってきていることだ。今から、17年前であれば、時効取得も通用しない。令和4年5月26日
平成18年の部落長
私が自治会役員で道路拡幅を地元要求事業だと言われるに、私はその話を知らない。仮に、その様な書類が出てきたにしても、平成17年に要望したのであれば、事業実施は平成18年度と言うことになる。この話が良く分らない読者に、この部分のみを先に公開します。まず、訴状をご覧ください。
訴 状
長野地方裁判所飯田支部民事部 御中 令和4年1月21日
第3 本件土地1乃至4の占有状況 2 本件土地4の占有状況
(1)原告は、現在、本件土地4全部から本件土地4を除く土地を田として利用している。
(2)原告が本件土地4の林地である3482番9に植えていた樹木が、被告により無断で伐採された件で、令和2年4月頃、飯田警察署と被告建設農林課職員2名とで現地確認を行ったところ、本件土地4に道路が拡張されていることが判明した。
(3)以上のとおり、被告は、本件土地4に道路を拡張し、本件土地4を占有している。
第4 損害
2 本件土地4の損害について
本件土地は、本来であれば、原告が、田として利用し、コシヒカリを栽培してもうけを出しているはずであった。
本件土地4の面積は76.5㎡であり、収穫高は約0.8俵である。そして、長野県における5kg当たりの単価は2195円であるところ、1俵60㎏であるので、本件土地の収穫高の0.8俵の年間の価額を算出すると、2万1072円となる。
60㎏÷5㎏=12 12×2195円=2万6340円 2万6340円×0.8俵=2万1072円
被告は、現在に至るまで不法に占有を続けているのであるから、原告に対し、少なくとも10年間の収穫高を支払う義務がある。
従って、被告は、原告に対し、2万1072円×10年=21万720円の支払い義務を負っている。
以上が、訴状でありますが、この土地4とは、熊谷和美(操の甥)の家の前の田圃であります。拡げる必要のない道路をなぜ拡げたのか? なぜ私の土地だけが無課税処置がとられていなかったのか? その辺りの裏事情をこれから明らかとしていきます。令和4年5月27日
誰が計画したのか?
熊谷章文ユーチューブの「佐々木幸仁副村長の不法占拠、操家族の不法投棄及び煽り運転」を先にご覧いただくと、何となく見えてくるものが有ります。まず、このユーチューブタイトルにあるように、「佐々木幸仁副村長の不法占拠」でありますが、この拡幅工事は佐々木幸仁の陣頭指揮で始まっております。必要な道路拡張工事であれば、前年度から事業計画を議会に諮り、計画図と事業費を説明した上で、「地主にはこのように了解を得ています」とするものでありますが、これらの一切を行っておりません。佐々木幸仁副村長が在る土木業者に拡張計画図を書かせ、いきなり工事に入っております。
財産区の地代横領
以前にも書きだしましたが、信濃比叡本堂が完成し、園原ふれあい館が操の物とされ、門前屋が豆腐製造及び飲食店として生まれ変わりました。豆腐加工機器設備の一千万円調達は、伍和丸山た地区館に設置されるべき物を、熊谷操議長岡庭一雄村長の画策で門前屋の物となった経過も書き出していますが、それほどにでたらめな行政が行われていたのです。なぜ操にこれほどまでのことを岡庭一雄が行ったのでしょうか? なぜ時雄は村会議員としてこのことを了解したのでしょうか? このことに疑惑を感じない者は、お馬鹿か仲間内か、それとも他人事として見ている連中でしょう。
操は財産区の地代横領の画策者ではなく、それらの悪事は時雄と渋谷秀逸と岡庭一雄の間で進められていた。それらの事実を知ったのが、園原資料館が園原ビジターセンターに変わった官製談合の少し前である。俺も仲間に入れろとするは操のやり方でもあるが、それは時雄が許さなくあった。だからしての条件に、「園原ふれあい館を払い下げろ」から始まり、豆腐加工機1千万円の横取り・改修工事の補助金1千5百万円・ソーラーシステム設置と、ありとあらゆる要件のすべてを達成しているのだ。令和4年5月28日
観光バスの乗り入れ
ホテル山口会長が操に協力するは、すべて金になったからだが、その裏では、コクサイの石田をライバル視していた。その石田がヘブンスそのはらを立ち上げたとなれば、それは一層「園原の開発は俺がやる」が強く腹の底にあった。園原の開発は私の父との約束事であったが、そんな父が病に倒れれば、そそくさと操に乗り換えたと言うわけだ。まあそんなことはどうでも良いが、門前夜に客を呼ぶにはどうすればよいかが課題であった。
内輪差
現地をご覧いただければ理解されると思いますが、大型バスがこの場所を通る場合、下から上がってきて左に大きく回れば、そしてすぐに右に大きなカーブとなる。これが大型バスにはきつくあり、まして下りとなれば尚さらに、内輪差において脱輪の危険があった。
ホテル山口会長は、昼神温泉から観光バスをあげると約束し、それは達成されたが、運転手からそのような苦情が頻繁したのである。「カーブを取れ」それは、私の田を削ることにあったのだ。
自治会は出城
争いを始めて見て気づいたことに、岡庭一雄の村政がまた浮き彫りになった。すべてが場当たり的で、問題が出れば担当職員のせいにする。それで命を落とした職員が二人出ているが、それでも4期16年も続けられたのは、共産党の後ろ盾があったからだ。自治会は共産党の出城であって、後先に岡庭一雄の村政を調整するところにあった。今回の裁判にて被告弁護士の反論は、「自治会から要望された事業である」とされ、見たこともない智里西自治会の要望書が証拠と出された。驚くことに、「原告は、当時自治会の役員であって、この事業を要望した立場にある」と反論してきたのだ。たしかに平成17年度は、私は自治会の産建部長の立場にあったが、時を同じくして、園原部落長であったことを忘れているのではないか? 当時の自治会役員は、各部落の部落長で構成されていたことを思い出せ。令和4年5月31日
魑魅魍魎の里
平成17年を思い出せば、操の園原水道返還金横領の話をつけた翌年であって、園原資料館の事業化も決まっていた頃だ。そして時雄は私を敵対視しており、章設計を資料館設計から外すことだけが念頭に有った。その頃の話に、また、時雄が村会議員であり自治会の会計の立場であれば、何を裏工作していたのかは推して量る必要もない。それでは、この要望書とやらをここに公開いたします。 自治会要望書 クリックしてご覧ください。
確かに要望書は有るようです。ですが、要望書が有ったところで、私の田んぼが無断で占有されていないとする証拠にはなりませんね。少なくとも、事業実施計画書と設計図が添付されて、尚且つ、私も含めての各個人の承諾書が示されなければ、争うところにもなりません。
誰が書いたのか?
当時の会長は渋谷博亮(共産党)ですが、それらの黒塗りに何の意味が有るでしょう。個人情報ですか? 自治会長に個人情報は当てはまりませんし、だいたいにして、渋谷博亮の名前がなければ、渋谷博亮が書いたと証明できないではありませんか。本当に渋谷博亮が書いたのであれば、私は渋谷博亮に直談判いたします。
この要望書、「平成18年度村予算への要望書の提出について」とのタイトルに有りますが、要望書を二回も出すなどあり得ない行為だと思いますが、それにしても、平成17年8月12日付で要望書を提出しているのであれば、8月12日付の要望書を供に証拠としなければ、これだけで要望書であると認められません。
二枚目に、「事業等計画書(予算要望書)」のタイトルで、いろいろと書き込まれておりますが、これを渋谷博亮氏が書いているのであれば、「1.園原熊谷睦子宅~ふれあい会館(村道2-16)」と書くのではなく、「~門前屋」と書いているのではありませんか? ふれあい館の名称はリフレッシュモデル推進事業で使用された名称であって、役場内でしか使われておりません。令和4年6月1日
実施は平成18年なのか?
この書体は時雄の字ではありませんので、一応渋谷博亮が書いたものとしておきますが、この日付を事実として拡幅工事が行われたとしたら、平成18年の11月以降となります。田んぼを拡幅するのですからね、農閑期でなければ工事は出来ないでしょう。それにしても、平成17年度の自治会役員が私であることと、翌年に工事されたとするに、私は自治会役員でも部落長でもありません。そんな立場の私にたいして、知っていたとか時効取得だとか忙しい反論をしておりますが、そんな嘘を言うより、「自治会議事録」とか「園原部落書記記録」を証拠とすればよいことで、取り巻きである智里西自治会長や園原部落長に提供してもらえばどうでしょうか? それが出来なく証拠もない中でそこまで言えば、阿智村として恥ずかしくないのでしょうか? まあ、常識がないからこのような事件が起こるのであって、泥棒を犯罪とも思わぬ連中が村長や議員や職員なのですから、始末に負えません。
立会い無し
章設計は建築設計だけでなく一般測量を行っていますので、この様な事業にかかる測量を手掛けております。行政関係の発注においては、行政から事業計画が示され、測量する部分の公図と地主承諾書が提供されます。また、測量開始には行政職員と地主が参加して境界の確認を先に行い、境が確認できたところで測量に入ります。他人の土地に立ち入るのですからね、地主に断りを入れなければ訴えられてしまいます。
世間にはそのような常識が有りますが阿智村にはないようで、私はこの拡幅工事の承諾もしていなければ、立会いに出席しておりません。この事実に対して阿智村は言い逃れることは出来ません。令和4年6月3日
建設事務所砂防堰堤
平成17年度における園原部落長として受けた話に、「建設事務所の砂防堰堤工事車両の通行」が有りました。砂防堰堤の工事車両、言わゆるダンプの待避場所の確保をしたいとの申し入れであったのですが、操と時雄と岡庭一雄村長はこの建設事務所からの申し入れを利用して、村道の拡幅を計画したのです。
拡幅不要
飯田建設事務所の砂防堰堤工事におけるダンプの待避場所は、月見堂の前と寛家の前にすでに確保されており、そこを利用したいとの申し入れであって、特に拡幅を希望されるものではありませんでしたが、それを部落内に通知すればバレるとして、話しだけが独り歩きしたのです。どこまでも恐ろしい奴らですが、正直そこまでとは思っても見ず、私が部落長を辞める平成18年3月まで待っていたのでしょう。平成18年度の部落長は熊谷和美であって、和美は邪魔な離れを無理やり道路にかかると嘘の申請において、村から100万円をせしめたのである。
準備してない訴訟
今回訴訟に及ぶに、私の田圃を加えたのは確実に勝てる事件であるからだ。しかし、この事件は最近まで知らなかった。たしかに田圃は取られたと知ってはいたが、まさか登記もそのままで、税金まで払っていたとは驚き以外になかった。それにしても呆れるほどの内容だが、たしかに測量図は有って佐々木幸仁副村長が私の田圃を好き放題にしたようだ。この話を私に何もかけずしてよくそこまで出来たと感心するが、どちらにしても無断占有は泥棒と言う犯罪となる。
被告は犯罪者
村だからなんだと言うのだ。裁判になれば単なる被告であってそれ以外にない。この犯罪も20年過ぎていれば時効取得を主張されたであろうが、ところがどっこい、平成18年の事業であればまだ15年しか経っていない。吉彦と寛は嫌がらせで境木を切ったのだが、そこから判明したのは災い転じてなんとやらである。
民主主義がない村
ならばこれもアーテリー道路の土地と併せて訴えようと考えたのではなく、阿智村と話し合いで解決しようと熊谷秀樹村長に渡りをつけようとした。だからして、測量を先にと、その時にお願いしたのである。境木の件には産業建設課の千葉と市村職員が当たり、この田んぼの状況も確認して、測地すると言った。すぐにはかかれないがとの話も聞き入れた。そして年度が替わるに、それらしき話が無いことで、千葉職員を役場に訪ねれば、既に異動で居なくあった。何か不自然を感じたが、それでは市村職員をとして話を聞くに、「遅くなっており申し訳ありません」と言う。別に構わぬが、村長には報告してあるのか? と聞けば、課長に報告してます村長に報告していると思いますであった。そして早急に測地しますと返事も動きも良かったが、ここで思わぬ話が始まった。「あのう…この田んぼのお隣は熊谷和美さんのお宅ですが、ここの境も測地しておきますか?」と言う。なぜそんなことを言い出したのかと聞けば、「和美さんが宅地として使われているところも章文さんの田んぼのままです」と、これも全く気が付かない話であった。 田んぼ現況測地 クリックしてください。(緑色:井水・黄色:宅地に形状変更部分・橙色:道路とされた部分)令和4年6月7日
農業委員会も制圧
市村職員が測地するに、思いもかけない状況がまた浮かび上がった。それは、父の代に熊谷敏一(和美父)に分けてあげた土地が、登記も変えずに宅地とされていた。敏一さんは確かに宅地にするためとして父に話が有ったのだと思うが、それが宅地にされていないと言うことは、農転をかけていなかったことになる。なぜ農業委員会に申請をしなかったのだろう? 敏一さんも農業をやっているから売ることが出来たし、農地として登記を移すことが出来たはずだ。
思わぬ電話
私の土地のままで、私が税金を支払っているのであるから、道路拡幅と全く同じ状況ではないか。だからして市村職員に、「これ、農地転用がされてないってことだよね。だったら村の責任において対処してくれないか?」もっともな話でしょう。父は農地を売ったのであって、農地転用は父の責任ではない。まして税金を支払い続けていたとなれば、まだ私の土地となる。敏一さんも死んでいないとなれば、和美がこれを解決しなければならないが、和美は例によって私を敵対視しており、話が通用する相手ではない。まして共産党ともなれば、それ以上かかわるのは危険でもある。農地を宅地とするには農業委員会へ第5条申請をすることになるが、20年以上も放置されていたとなれば、そこは阿智村が解決しなければならないことで、農業委員会の不始末と言うより、智里西地区の農業委員の責任となることだ。
そしてしばらく経つに、思いもよらぬ電話が入った。「木下司法書士ですが…」、「あ、どうも」と返事はしたものの、一瞬何の電話であるのか戸惑った。確かに長く章設計は関連登記の一切と管理をお願いしていたが、本谷園原財産区の保護誓約書を時雄の指示でつくったのを知り、それ以来疎遠になっていた。そんな木下司法書士から突然電話がはいれば、嫌な思いしか浮かばない。そしてそれは、確かに嫌な話であった。令和4年6月8日
常識がないのは共産党の常
「熊谷和美さんが今事務所に来られているんですが」と始まった一声で、すべてが呑み込めた。「和美さんの家の前の田の件ですが、章文さんがお父さんから相続されていますよね」そんなことは当たり前だろ。お前に相続登記の一切を頼んだじゃないかと、心の中でつぶやいた。「田の一部が和美さんのお父さん敏一さんと章文さんのお父さんとで売買契約されていますが、まだ転用をしていないとのことで印鑑等をいただきたいんですが」考える時間を与えないとする話し方は依然と何も変わらない。当たり前の話だとの言い方に既にカチンと切れていた。「はあ、それで?」あいまいに答えたのは、市村職員が課長を通して農業委員会に報告する前に、和美に直接話して手を打とうとしたと判断したからだ。生返事は木下司法書士も感じたようで、「よろしいですか!?」と催促する。「何がよろしいのか分からないが、なんの話しですか? 確かに父は敏一さんに土地を分けたと言っていたが、まだ私の土地であったと驚いている」、「転用をかけるには先に登記を移さないとできませんので」、「そんな一方的に話されても、訳が分からないじゃないですか」、「村に言ったのは章文さんじゃないのですか!?」、「はあ?」ここで完全に切れた。
返えしてください
「村と話したのは村道拡幅の事で、その拡幅で和美は道路拡幅にかかっても居ない離れをかかったように見せかけて、村から100万円ももらっているではないか」、「そんな話は関係ないです」、「関係あるから話しているんだ。いいか、村道拡幅は平成18年で、和美が部落長でそれに当たっており、その時に村が和美の不動産を買い上げたとすれば、父が分けた田の登記が移っていないと分かったはずじゃないか!」ここまで話したら木下司法書士の話しぶりが変わった。「その時点で話があればまだしも、それをそのまま放置しておいて、今度はそれが見つかったから登記を移せと言うのか。あまりに虫が良い話しじゃないか!」、「税金は清算すればよいのでは?」これは上から目線である。まあ、共産党の奴らはみんなそうだ。自分たちが一番頭が良いと思っているようだ。それでも和美も木下司法書士もよく似ていると感心するが、頭を下げることを知らない。普通であれば、「迷惑をかけて申し訳ない」と和美が頭を下げ、「お世話になりますが」と木下司法書士も挨拶するものだ。令和4年6月10日
それじゃいい
「税金がかかるのは田んぼとして収益を上げているからだ」清算すればよいとはどういうことか、6俵以上の収穫が4俵弱となれば、道路拡幅と併せて2俵減ったことになる。細かい話だがそれが20年も続けば、40俵を超えてしまう。それを税金だけを清算すると言う考えはいかがなものかと強く言った。「そうですか、それじゃ押印はしないのですか!?」何という対応をするのか? 木下司法書士はこんな男であったのか。奥さんはもと阿智村収入役原武平さんの娘であるに、あの頃(父と盟友)の対応とまるで違う。この一言で、和美のことは飛んでしまった。「そういう問題じゃないじゃないか。話の前後が違うと言っているのに、ハンコウを押せとかどうかのことじゃない」、「あ、そう。それじゃ結構です」ガシャンと電話を切った。あきれた。一方通行がここまでだとは、これが木下司法書士の正体であろうが、手を切っておいてよかったと、今更ながらに納得したものである。
司法書士の違い
株式会社は三年に一度株主総会議事録を法務局に届けて更新しなければならないとし、平成元年から木下司法書士にお世話になってきたが、同年である林司法書士に聞けば、そんなことは不要だ。一度手続きをすれば更新する必要が無いとの話で、5年前から林司法書士との付き合いになった。そのはらSSのガソリンスタンドの時も、木下司法書士は「社団法人にするべきだ」との指導で話を進めれば、時雄になびいて「そんなことは言っていない」に変わってる。こんな男がいきなり電話を入れてきて、挙句の果てが開き直り、あきれたものだと変に感心した。
これで話は終わるかと思えば、ここで終わるわけがない。村道拡幅は20年以内のことで時効取得を主張できない阿智村、和美が宅地として使う私の農地は20年以上の時効取得が成立する。令和4年6月12日
権利の証明
「所有の意思をもって、平穏に、かつ、公然と他人の物を20年占有すると、時効によりその物の所有権を取得することができる。」(民法162条)この法律が、阿智村にも和美にも通用するのだが、この田んぼに限って、それは全く正反対に作用する。阿智村が道路拡張を行ったのは平成18年であるから、まだ15年しか経過していない。そいうことで、時効取得は成立しない。よって、阿智村はこの裁判に敗訴する。当然であろう。他人の土地を平穏に、かつ、公然と20年も専用していないからだ。さて、代わって和美に占有されている土地であるが、これは確かに父が敏一さんに土地を分けているようだ。そして20年少し経過しているのも事実である。平成29年に操を刑事告発したが、その時点であれば20年以内であった。では、20年以上経過しているからして時効となっているのかと言えば、それは訴えていないのであるから時効も何もない。争っていないので法律を持ち出すことが出来ないのである。だからしての木下司法書士の態度、まあ性格にもよるが、「清算すればよい」は捨てセリフとしか聞こえてこないのだ。和美は何を困っているのか? 農転をかけていないから困っているのである。いわゆる、農地法に違反しているのであるのだ。農地法に違反すればどのようなことになるのかと言えば、「3年以下の懲役、または300万円以下の罰金」と、前科一犯と言う犯罪者となることだ。
土地を返せ
阿智村建設農林課の千葉係長と市村職員は、これらの事実を農業委員会に通報せずして和美に連絡をしている。これは職員の判断で出来ないことであるからして、熊谷秀樹村長の指示であることはいがめない。それに、和美は智里西自治会長の立場にあるが、自治会長が農地法を遵守せず罰金を食らったとなれば、それは一大事であろう。まあ、何でもありの共産党政治、農業委員会も院政が敷かれていると見ることで、この様な状況にあるは間違いないとして、すでに手を打った。今の状況で土地を返せと訴えても、当然として時効取得が立ちはだかる。だからして、「所有の意思をもって、平穏に、かつ、公然と他人の物を」の、“所有の意志”と“平穏”をうち破ることに目を向けている。令和4年6月13日
困っているのは誰だ
時効取得とは泥棒したと言っていることで、泥棒にも三分の理があるとの法律である。和美は泥棒であることに恥ずかしさを持ち合わせてないが、阿智村が泥棒ではいかに何でも浅ましい。弁護士は政治的解決であたることだと言うが、共産党に牛耳られた阿智村にそれを期待するのは無理である。阿智村が時効取得を主張していないのはこのような理由であるが、それであれば、阿智村は完全に泥棒したことになる。
測量図が示す
「田んぼ現況測地」をご覧いただきたいが、黄色の部分が敏一さんに分けた田であるが、確かに移転登記が為されておりません。農業をやっている敏一さんであるから、登記を移すに何も問題ないと思われるが、なぜ登記を移さなくあったのでしょうか? 登記さえ移しておけば、例え農転をかけていなくとも、すぐに転用できたはずであります。なぜだろう? そこの答えに導くには、黄色の部分の左側にある井水が大いに関係あるとして考えなければなりませんね。
井水は公用
井水には井水権があって、それを損なわせることは行政であっても出来ません。ですから、敏一さんは登記を移しても宅地にならないと知っていたと言うことになりますが、そうなれば、農転をかけないことに意図があったことになりますので、「所有の意思をもって、平穏に、かつ、公然と他人の物を」に抵触してしまいますねえ。そうなりますと、はたして時効取得は成立するでしょうか? 令和4年6月14日
権利の譲渡
敏一さんは井水の布設替えを考えなかったのでしょうか? 井水を新たな境界へ移設すれば宅地はつながりますよね。そのような工事は可能ですし、部落に話をすれば了解を得ることも出来たかもしれません。なぜそうしなかったのでしょうか?
問題点の整理
現状の問題点として挙がるのは、法務局の登記は私の名義であることと、私が税金を支払っていることがある。行政的には農地転用を申請していないことと、井水を占用している問題点がある。登記や税金は私が争いを起こさなければ今までのように平穏であるが、農地転用申請については、ことが明らかになった限り始末をつけさなければならないのは行政側の問題となった。そして、井水の無断占用は法律違反になることで、農地転用とは全く関係が無い。この様に、まず解決しなければならないのは農地転用と井水の占用であることだ。とくに、建設農林課が農地転用を先に進めるよう和美に連絡したことは、農地転用の不整備責任が阿智村側にあるということになるが、農地転用を進める場合、私が印鑑を押さなければそれを始められない。だからしての木下司法書士からの電話であって、だからしての断りでもある。捨てセリフで電話を切ることは、私が嫌だと言えば出来ないことだと木下司法書士は判断したことであるが、そこで収まらないのが農業委員会だ。しかし、仮に私が印鑑を押したにしても、農業委員会が宅地に転用できるとは限らない。それは、井水の占用が解決できる内容でないからだ。
出来ないことは出来ない
木下司法書士が和美に何と言ったのかは知らないが、私が印鑑を押せないとしての理由はハッキリ伝えているだろう。「井水の占用は解決できない」印鑑を押したにしても農地を宅地とすることは出来ないと伝えた。仮に押印したにしても、井水が縦断している限り宅地はつながらない。かといって、分筆のままでは、建物を建設しなければ宅地とはならない。これが農地法であるに、先にこれらの問題を解決した上で、初めて押印できることになる。令和4年6月17日
取り壊す以外に解決の道無し
敏一さんは田んぼとの仕切りに間知ブロックを積み上げて敷地整備をして宅地化をしているが、この工事を行うに、重機が田んぼに侵入して田が荒れた。その後遺症は今でも残っており、トラクターにしても柔らかすぎる耕土にはまり込む。そして田植えをすれば、苗は水下に潜り込むか、浮き上がって根付かない。これを二十年以上我慢して植えなおしてきたに、和美はバカヤローと私に叫ぶ。何か間違ってないか? これが当たり前だとする者はいないと思うが、聞こえていかなければそんなものだ。「地区からの要望で道路を広げた」「金を出して買った土地だ」これが正義の言葉であるようだ。
農業委員会の役割
農業委員会は農地法に沿って農地の管理をしている。「農地法に基づく売買・貸借の許可、農地転用案件への意見具申、遊休農地の調査・指導などを中心に農地に関する事務を執行する行政委員会として設置」敏一さんに父は農地を売った。その事実は変わらない。返してくれと言ったにしても、20年が過ぎていれば返す必要が無いと言うのは民法である。ただし、そこには条件が付属している。その条件が「所有の意思をもって、平穏に、かつ、公然と他人の物を」所有の意志は良いだろうが、平穏に、かつ、公然にはどうであろうか。農転をかけていなければ平穏でないし、許可が下りていなければ公然ではない。まして、違法な占用を20年以上続けてきたのが明るみになった。これでも民法が通用するのであれば、試してみても良いのではないか。
さて、ここで誰が困っているのかといえば、私は困っていない。阿智村が無断で占用してきた私の土地を取り戻そうとしているだけだ。だが、ここを進めていくに、あちらが良くてこちらが悪いとするのは、法律的に出来ることではない。令和4年6月18日
農業委員会に告発
ひと月くらい前になるが、この一件の詳細を阿智村農業委員会に告発している。まあ、熊谷秀樹村長の手で握りつぶされていると思うが、近々、農業委員会の内田有一会長へじかに乗り込むつもりだ。この告発が届いていなければ、それはそれで重大な問題になるし、届いていれば三か月以内に対処しなければならないとなる。はや、一月は過ぎた。農業委員会の総会は会長が必要と認めれば開催できるとあるし、傍聴もまたできることである。これほどの事件は無いことであるが、どちらにしても農地法によって裁断されるが、それも万が一行われないとなれば、県知事に総会の開催を求めて請求する。まあ、農業委員会の会長ともなれば、この様な事件にどう対処すべきは熟知であって、そう心配することでもないだろう。
請求権
敏一さんに父は土地を売ったが、それらの土地は父の名義のままで、そして今でも税金を納めている。これを解決するのは和美であって私ではないに、和美は単に印鑑が欲しいだけ、それを拒む私にはそれなりの理由は有るが、法律的に争えば時効取得が目の前に立ちはだかる。返してくれと言っても買った土地だ返さないと言われればそれまでで、それから先は法律的解決しかない。どちらが訴えるにしても、時効取得が争いの焦点になることだ。印鑑を押さないとはっきり告げたが、それで和美が困ることはない。しかし、農地のままであれば、違法な占用であることに違いはない。法律に違反していれば時効取得が成立しないのかと言えば、現実に買ったとする証拠が有る限り、そうはならないかもしれない。それであれば、土地を返せと言う請求権は全くないのかと言えば、それもまた別問題であって、それの根拠は税金の支払いである。木下司法書士が言うとおり、「清算しますので」は、税金を払っているのが私であることへの弱みであるのだ。時効取得を主張するには、税金を払っていないことがネックであると言っているようなもの、それであれば、清算するは何も税金だけでなく、諸問題も含めて清算しなければならないとなる。令和4年6月20日
生産評価額
阿智村の無断占有に対しての損害請求は、土地の明け渡しと今までの生産評価額である。いわゆる田んぼとして、米の生産評価額を算出して請求している。同じように、和美が占有している部分においても、米の生産評価額が存在するのだ。分かりやすく言えば、占有されている面積から収穫できる米の金額を算出して請求できると言うことになる。そしてその裏付けとなるのが税金なのだ。木下司法書士が税金の清算を口にしたのは、税金を払っているのが私であれば時効取得が認められない恐れがあるからだが、それに生産評価額が加われば購入額を上回ってしまう。
農転は農地法
吉彦が私の杉の木を切ったことで、阿智村と和美の不法占有が露呈した。ヒョウタンから駒の出来事だが、とても大きな事件になるに違いない。特に阿智村の不法占有は行政だけに、単純な解決はあり得ない。早い話が、この裁判だけで終わることはないのである。和美に関してはまだ争いを起こしていないし、私から仕掛けることでもない。「平穏に、かつ、公然と他人の物を」という、時効取得で判断できないのは、敏一さんが購入したと言う事実がある。購入したは絶対的に敏一さんの権利であって、そこは認めていることだ。だが、この購入についても当然話していない事実がある。それは和美も承知していることで、この裏話があるからこそ和美は強気に出られないのだ。今の段階でこの話を書き記すことは出来ないが、農地法に違反しているのは和美であることで、ついては和美がまず農地法に対応することが先となる。
売買契約書が有ったにしても、それらは農地法には関係なく、和美は現状において農地法を遵守しなければならない。農地法に違反していますと阿智村農業委員会に告げたのは建設農林課の職員である。その結果、「ハンコウを押してもらいたい」と強気な発言は木下司法書士だ。ハンコウは押さないのではなく、今の状態では押せないと返答した。私の承諾なくして農地転用はかけられない。令和4年6月22日
想定結論
農業委員会に違反状況が届けられた今、農業委員会はこの件に対して何らかの通知を出さなくてはならないだろう。当面は、「農地転用申請」を求めることではあるが、それは困難だと私の方から通告した。「農地を宅地に使用している」「井水を暗渠にして宅地使用している」この二つの告発を農業委員会会長に告発したが、井水については農業委員会では対処できないし、また、井水が堺であれば、宅地に転用することは出来ない。ようするに、農業委員会でもどうすることも出来ないと言うのが現実なのだ。
唯一の解決策
宅地にならない土地を敏一さんはかったことになる。そう、承知して買っているのだ。では、具体的な解決策としてどのようなことが考えられるのかを想定すれば、違法状態が何であるのかを整理して、違法状態の解消をすることから始めることだ。少なくとも、違法状態は二つあると明確なっている。農地として購入したとの証拠は領収書であって、宅地として売っていないことは証明される。であれば、まず宅地状況を農地に戻すことである。それは和美が行わなくてはならないが、たいして難しいことではない。井水を境にして農地とすればよいのだ。何も間知ブロックを壊せと言うのでないし、そんな権利は農業委員会にもない。具体的には、耕土に入れ替えて、何か作物を作ればよいことだ。
和美の考え一つ
少なくとも作物を生産することから始めなければならないが、それには少なくとも2,3年の経過と生産記録が必要で、確かに農地として使われたとなれば、私は印鑑を押すしかないだろう。そうなれば名実ともに和美の土地となることだ。ただし、和美がそのような殊勝な考えに至るかは、まったくもってそこにないだろう。だからして、このような正当な手段は解決策とはならないのだ。令和4年6月23日
井水の移動
可能かどうかは全く分からないが、井水を移動するのも一つの方法ではないか。農地を宅地とする場合、建物を建てて初めて宅地となることだ。それ以外に宅地とするには、現状の宅地につなげるしかない。現状の宅地につなげるには井水を移設するしかないのだが、それには井水権利者の同意が必要である。この井水を利用する者は、田んぼの順番に、熊谷文彦、熊谷勝彦、熊谷義文の三名であるが、この者らは同意することに困難は無いだろう。しかし、忘れてはいけない。実は、この井水を利用する者に私もいたことを。井水が埋め立てられたので、やむを得ず防火水槽への取入れ水を利用しているが、権利があるのは十分であろう。だからして、和美は私に頭を下げなければ、井水の移動は出来ないのだ。
不法でないこと
農地を宅地にしていることは当然不法であるし、井水を埋め立てて宅地使用しているも不法である。しかし、何らかの訴えを行わない限りこの不法行為は改まらない。だからして農地法で告発した。阿智村農業委員会でこの不法行為が改まらないなどありえないことで、審議が難しければ県農業委員会が乗り出すことになるのだが、どちらにしても答えは、原状復帰としかならない。それは、法律に違反している状態であれば、農業委員会は審議できないからだ。建設農林課が、「早く農転申請をしてください」と和美に連絡したのは、バレないうちに進めないと大変なことになるとの現れであるのだ。
農地に間知ブロックの擁壁をつくっても不法ではないが、宅地にするための構造物だとなれば違法構造物になる。「間知ブロック擁壁を取り壊せ」と農業委員会で言えなくとも、2mを超える構造物は、建設農林課に届け出を行う義務がある。その届け出は当然されていないし、宅地にもなっていない。それどころか井水を埋め立てて宅地として使用していれば、何をどうしても原状復帰は最低限の条件ではないか。令和4年6月25日
忠告もここまで
私が印鑑を押さない限り、農地転用の申請は行えない。その現実を和美が受け止める時期はすでに過ぎた。和美は、このまま放っておけばよいとする木下司法書士の言葉を真に受けたにしても、阿智村農業委員会は放置できなくなっている。さて、今後どのような展開が待ち受けるのかを想定してみようではないか。
売買契約の成立
和美は買ったことを強調しているが、その事実は領収書の存在である。木下司法書士も、その領収書を和美から見せられたので電話が出来たのだ。だが、領収書だけで売買契約が認められるのか? と言えば、それはまた違う争いになることで、売り買いした物が和美の物であるとは言えない。和美は敏一さんの一切を相続するに、この土地の土地も相続しているのか? と問われれば、返す言葉はないだろう。和美には妹と弟がいるに、この土地の相続の了解を得ていなければ、時効取得を主張することは出来ないが、この様な法律を木下司法書士は知らない。また、売買契約書や領収書が存在しても、税金や生産評価額がそれらの金額を上回った場合において話し合いをすることになった場合、土地は売買でなく賃貸借であることが前提になる。賃貸借に時効取得は存在しないからして、アーテリー道路となっている私の土地についても、全く同じ見解(法律的解釈)となることだ。売買契約を成立させるためには、まず清算の詰めを行わなくてはならないし、清算が出来るのであれば、売買契約を破棄しなければならない。矛盾した見解に聞こえるだろうが、印鑑を押すのは私である。
押印の条件
後先にならぬよう初めから言っておくが、私は印鑑を押さないなどと言ってはいない。印鑑を押すには上記に挙げた数々の条件をクリアしなければならないのに、今までの和美の行動において、押せなくなったと言っただけである。和美に頭を下げてこいなどと無駄なことは言わないが、法律的に整うようにしなければ、何事も解決しないのを教えるだけである。令和4年6月27日
擁壁を壊すしかない解決策
押印の条件はただ一つ、阿智村農業委員会の回答に従うことだ。親同士が、何をどのように考えていたにしても、農地であることに変わりはない。農地に擁壁をつくって宅地使用したのは和美の父親であって、和美はそれらの土地を相続していない。私は木下司法書士に依頼して、その土地を父から相続した。和美は父親が購入したものだと主張するが、それらは農業委員会には何も関係がない。農業委員会は農地転用の申請をせよと言うだけだが、それが行われなければ農地に戻せとの答えしか出せない。
悪質な行為
宅地と農地の境に井水があることを敏一さんは知っていた。だからして、購入しても宅地にならないと知っていたことになる。これは、とても悪質な農地法違反ですので、取壊し命令と罰則(3年以下の懲役と300万円以下の罰金)が科せられます。しかし、和美はこの土地を相続しておりませんから、知らなかったと言えば、罰則は与えられないかもしれませんが、すでに役場からの通報で農地の転用を計ろうと行動したことは、知らなかったでは済まされません。知らないはずはもともとありませんが、どちらに転んだにしても、取壊しと罰則は当然の事でしょう。それ以上もそれ以下も有りませんが、取り壊して農地に戻された状況で、和美はまだこの土地を買ったとして、私と争いを起こすことは可能です。それだけですね和美に残っている方策は、だから言うのです。常日頃の行いを反省せよと。操の横領を隠蔽したり、部落から出て行けなどと馬鹿なことをしたり、もう少し人間として成長しないと、この様な問題には対処できませんよ。まあ、共産党の和美に何を言っても無駄でしょうし、逆恨みとして田んぼに何か放り込まれれもしたらと、そちらの方が心配です。令和4年6月29日
行政の違反
この田の村道拡幅工事は、園原部落の要望で自治会から申請があったと阿智村は反論しています。それらの証拠書類とやらを見れば、明らかに後付けで作成された文書でありました。それはそうでしょう。それらの申請が行われた平成17年度は、私が園原の部落長であり、私が自治会の産業建設部長でありましたからね、偽造書類だと根拠を示す必要も無いことでした。謝れない行政
偽造書類の作成は岡庭一雄や熊谷秀樹村長のもっとも得意とすることであるが、それらが偽造でないとする被告弁護士の判断は一体どこにあるのだろうか。平成28年、下平秀弘弁護士は高坂美和子議長の相談を受け、私の公開質問状への回答に「放っておけばよい」と言ったそうだが、それが今ここにきても変わっていないようだ。だが、裁判ともなれば放っても置けないと思われるが、如何に返す言葉が無くとも、偽造書類いと分かるものを証拠としてはいけない。裁判は経過であるもので、答えは判決後の姿にある。負けまいとして反論するのも良いが、行政の顧問弁護士であるとの常識をわきまえて、間違いを犯してはならない。
反論できない事実
平成18年度の事業であれば、20年以内であって時効取得は発生しない。偽造書類で反論したにしても、承諾書も無ければ立ち合いもしていない。この二つの事実があるかぎり、阿智村はこの裁判に勝てることはない。損害賠償額は少額であっても、田んぼは元に戻さなければならないのだ。
この結果として残る問題は、和美の不法占有の件である。阿智農業委員会が擁壁の取り壊し命令が出せなくあっても、この裁判が終われば法律的に同じとみなされることで、阿智村農業委員会は和美を起訴しなければならなくなる。それの方が大ごとではないか。仮に、裁判中に、阿智村農業委員会が和美に対して擁壁の取り壊し命令を出したとなれば、この裁判は争うことにない。令和4年6月30日
正しき者が悪質者
田んぼへの不法占有はすでに答えは見えているが、アーテリー道路とされている三筆の土地無断占有はどうであろうか? この土地がアーテリー道路として無断占用したのは平成8年8月8日であるに、確かに25年も過ぎている。当たり前に時効取得を主張するのかと言えば、そうでもなさそうだ。もともとに、20年以上経過していることなど承知の上で訴えるに、時効取得が主張できるかできないか、それを知らずして訴えるほど暇ではない。
変わらぬ反論
それでも一応時効取得を反論としてきたが、これは原告弁護士が熊谷秀樹村長に二度通知書を提出して話し合いを求めるに、「本谷園原財産区との契約書が有る」を理由とした経過が有るからだ。これは当然下平弁護士の知るところであって、いまさらに理由は変えられないとのことである。だが、思い返していただきたいのは、原告弁護士は「そのような契約書に拘束されておりません」と熊谷秀樹村長に伝えていることで、それは、損害請求の内容にある「10年分の賃貸借料の請求」にある。いわゆる、本来の地主でない者との契約書など関係が無いとすることに加え、10年分の地代請求のは、20年以上の時効取得を反論させないためであって、これは元の地主渋谷徳雄(ゆきゑ)では出来ないことである。
弁護士の差
本谷園原財産区との売買契約書、それをあくまで主張するのであれば、その裏には時効取得を見据えてのことだ。まあ、他の理由において反論できるのであれば、原告弁護士の通知書を無視できないだろう。熊谷秀樹村長としても、弁護士からの通知書が届くに顧問弁護士に相談なくして返答は出来ない。まして、通知書はあくまでも訴訟に至るとの意思表示でもあるに、相当なる準備をしていたことは想像に難くない。令和4年7月2日
地縁者組合が頼みの綱
最近、智里西地区に、「グランピン施設モッキ」がオープンしたようだ。何かと言えば、早い話がオートキャンプ場です。近くに時雄(現在は息子)が経営しするオートキャンプ場があり、何年も前からそれらの施設を増設するとして、例の智里西製材クラブや自治会が熊谷秀樹村長に要求していたところ、盗伐裁判や操の横領裁判で熊谷秀樹村長の関与が表沙汰になることや、村長選への協力を願う中で、熊谷秀樹村長がヘブンスの白澤祐次社長に働きかけ、阿智村観光協会が協賛すると言う形で始められたようです。まあ、悪の不正循環ですが、税金が湯水のように流れても、村民が良いとしていますから良いでしょう。
隠れた条件
熊谷秀樹村長は、なぜこのように西地区へ村税を運ぶのでしょうか? その辺りに、何か隠された目的があるようですね。はてなんでしょう? その答えは、この裁判に有ります。今の状況で熊谷秀樹村長にとって最悪のものとは何か? であります。それは「時効取得が主張できない」と言うことです。本谷園原財産区との偽造契約書が有るにしても、それらはこの裁判に通用することではありません。別に弁護士に相談しなくても常識的に考えて、他人の土地を他人同士が勝手に売り買いしても、それらは何の証拠にもなりません。それが通用するのであれば、世の中犯罪ばかしになってしまいますよ。この笑い話にもならない事でも、とりあえずの策として反論主張しなければとのことですが、これは、昨年に送り付けた通知書において、熊谷秀樹村長は下平弁護士に相談して分かっていたことです。では、その様な最悪を脱するにはどうすればよいのか? と考えたのが、「アーテリー道路を阿智村名義にする」という、手段でした。今までも時雄は「換地だ!」として、アーテリー道路になっている一部分を阿智村名義にしてきましたが、それらは地主らの反発もあって、一時中断されておりました。令和4年7月4日
地権者組合とは何だ
西地区のバカ者どもは、岡庭一雄や西の三悪人に騙されていたことにようやく気付き始めましたが、そこには「自分さえ」の考えがあり、ヘブンスそのはらから賃貸借料が入ることに被害が及ばなければ良いとした本末転倒の考えがある。時雄はそこに付け込んだのだが、間違えてはいけない。地権者組合をなぜ設立したのか? なぜヘブンスそのはらとの契約は地権者組合であったのかと、今一度整理して考えなければ、大変なことになってしまう。
地域振興補助金は犯罪
地権者組合を設立してヘブンスそのはらと契約するに、なぜ本谷園原財産区だけが阿智村から地代が支払われるのか? この簡単な疑問に気付かないバカ者どもが西の谷の住民である。「税金がかかる」との話はさすがに信じなくなったが、阿智村から地域振興補助金として本谷園原財産区に支払われる金は、まだ、地代だと信じている。いや、信じ込もうとしているのかもしれないが、熊谷秀樹村長がそういうのであればそれでよいとした考えのようである。しかし、当の熊谷秀樹村長はこの件が命取りになると知っている。知っているからこそ、グランビア施設モッキを造らなければならなかったのだ。
議会の間抜け
「地域振興補助金は阿智村独自の補助金」だと議会は決めつけて、その支払いは財産区の地代ではないとした。それは熊谷秀樹村長との裏話であるが、そんなことも村民にはどうでも良いようだ。何ともはや救いがたい状況であるが、もはや救う必要が無いとの考えに至れば、この地域振興補助金が、いかに違法な支払いであるのかと、この補助金が阿智村をつぶすのだと言う現実をこれから見せつけることになる。議会の間抜けが唯一のチャンスをつぶしたのは、地域振興補助金を正当化するより、両財産区の地代の迂回だとするべきであった。それでも行政犯罪になるのだが、その支払いに間違いが有ったとすれば、村長一人が責任を取ることで収まったかもしれない。令和4年7月5日
なぜ地域振興補助金を継続したのか!?
話しは少し変わるが、操一家に村八分にされたことで提訴したところ、阿智村から配布物や回覧物が直接送られてくるようになった。それに併せ、本谷・園原財産区からも、事業報告書(決算報告書)が送られてきた。その会計報告に、地域振興補助金の支払いが今も掲載されていた。この事は、阿智村からまだ同じように地域振興補助金として本谷園原財産区の口座に振り込まれていることになるが、阿智村の監査員は、この地域振興補助金の支払いを続けていることを認めているのはなぜなのか? 議会が地域振興補助金を特別な補助金としていても、補助金の支払いは議会ではなく行政であるに、確かにヘブンスそのはらからの地代だとすれば、補助金の名目に変えての支払いは監査が通らないことだ。この様な馬鹿気た監査を例え共産党だとしても認められないからして、地域振興補助金は村税を財源としているのに間違いはない。
誰を訴えるのか
阿智村独自などとの持って付けた話でも財源が有っての監査であるに、それが地代であれば監査は通らない。監査が通っていることは、地代ではないとの証明だ。これにて答えは必然的に導かされる。両財産区の地代は阿智村に支払われていないことになる。であれば、地代は一体どこに支払っているのだろうか? この疑問を解くには、やはり訴えることしかないことで、それに対しての弁護士の見解を先に確かめなくてはならない。「誰を訴えるのか?」である。
アーテリー道路になっている三筆の土地の訴訟について、真っ先に弁護士に相談したのは、「誰を訴えたらよいのか」であった。それは、ジェイマウンテンズセントラル株式会社白澤祐次社長なのか、はたまた阿智村なのか、ということだ。私はその前にジェイマウンテンズセントラル株式会社白澤祐次社長を相手取り調停をかけたが、それは「地代が支払われていない」であって、それに対しての白澤祐次の回答が、「お借りしていない」であった。借りていなければ、損害賠償請求先は阿智村となる。いや、阿智村と限定されたのだ。令和4年7月7日
損害賠償請求先
ヘブンスが借りていないとの結論であれば、無断使用しているのは村道とした阿智村だ。そして阿智村も、村道として使用していることは認めていた。しかし、村道として使用している土地は数十か所あることで、それらの土地の半分以上は個人地主のままであった。個人地主のままであるのは当然のことで、地主らは村道であろうが駐車場であろうが、すべての土地を賃貸借とすることで地権者組合を設立したのである。だが、時雄と岡庭一雄は村道として使用する土地を換地と称して阿智村名義にすることを推し進めている。ここに疑問を持たなければ、これらの犯罪が見えてこないのだが、時雄の画策はすべて金であって、いかに他人の金を自分の懐に入れることを考えていた。時雄にとって、村道部分を阿智村名義にして何の得が有ったのか? そこが、この犯罪の焦点なのである。
時雄の土地
時雄の土地は少なくあって、それはロープウェイ基地の駐車場入口の手前にある駐車場内の一部である。平成8年のオープン時を覚えていれば、駐車場の真ん中にポツンと穴が開いていたことを思い出していただきたい。当時の時雄は周りから嫌われ、浮き上がった状態で駄々をこねていた。開発組合に専務を外され、地権者組合の役員にもなれずして、いわゆる立場が何もないことでの駄々である。「換地をすべきだ」と、換地の意味も知らず声を挙げたが、周りはついていかなかった。それが一変したのは、時雄の頭を押さえていた者が次々と亡くなり、岡庭一雄が村長になってからである。そして村会議員になれば、あとは「村の考えだ」として、岡庭一雄村長と策略を重ねてきたのである。
財産区との兼ね合い
園原財産区も本谷財産区も、山林を基にした財産区である。正式な名称は“耕地”であって、もとは山林を示していなくあった。山林原野についてはその地区を治める一族(氏)の決まりにおいて、入植者に対して制限を設けていた。園原耕地、本谷耕地、そして小野川耕地を三耕地として小野川村が形成されている歴史があるが、それらの流れの中で、国は財産区の財産には賦課しないとして特別地方公共団体として認めている。
これを悪用しようとしたのが、時雄と岡庭一雄である。「財産区所有の山林土地は当該市町村の名義とする」を用いて、阿智村の名義にして、実際のところの賃貸借料を横領するとの画策である。令和4年7月9日
西の三悪人
岡庭一雄と西の三悪人の本領発揮が、ヘブンスそのはら開発事業にかかる、両財産区の賃貸借料の横領にあった。その中で、ヘブンスそのはらのスキー場の山林地代横領に関しては、地域振興補助金において発覚しているが、神坂神社の土地代と、アーテリー道路にかかる地代の横領に関しては、この裁判において明らかになるのである。
共通点
岡庭一雄と熊谷秀樹の共通点と言えば、臆せずも契約書の偽造にある。ヘブンスそのはらとの契約書、操との契約書、それは目を覆うばかりの恐ろしさだが、振り返れば、時雄の謀にも多くの偽造文書が存在している。盗伐裁判においても時雄が作成した文書が証拠とされたり、他人の地代を横領するにも偽造契約書が存在する。なぜこのような偽造書類を用いたのかと言えば、行政は書類がすべてであるからだ。村長が作成した書類であれば、それは公然として通用するとしたやり方は、それら犯罪が漏れ出ることはないとする考えのようだ。
同じ手口の犯罪
野熊の庄月川の犯罪を思い出していただきたいが、時雄と秀逸は「事業費の1/3を負担した」として、月川の建て替えを要求した。その嘘を村民説明会で暴露して阻止たのは私であるが、それらのことが何も表に出ていない。その後、月川ののれん代として熊谷秀樹村長は6千万円を時雄に支払った。ここで問題としなければいけないのは、1/3の事業費負担に関して、偽造した書類を熊谷村長は作成していることだ。
次に、しばらく前になるが、名古屋在住原氏の土地を阿智村に寄付をした形にして脱税を促し、本谷園原財産区は原氏に875万円を支払った。村は、1千万円の補助金を出してこの土地を公園化したが、実際は整地されて本谷園原財産区の管理地とされている。これには確認書なる書類が偽造されて、その内容は、「名義は阿智村だが本谷園原財産区の権利ある土地」とされている。実際に、花桃祭りで300万円ものショバ代を得ていたのは時雄と秀逸だ。ここでの手口も偽造された書類であって、それは行政書類とされている。令和4年7月10日
三筆の土地代の行方
盗伐被害を受けた渋谷徳雄さんから私は三筆の土地を購入した。そして阿智村を訴えた。「10年分の地代」と「土地明け渡し請求」である。これに阿智村は「本谷園原財産区との売買契約書が有る」として、20年以上の占有で時効取得を主張してきたが、地主でもない者との売買契約など関係ないことと、10年の地代請求は時効取得をも否定するものだ。
期日の重ね
しかし、裁判はこれら双方の主張と反論を繰り返し、期日を重ねることで結果が出されるものであるからして、分かっていてもこれらの反論には弁護士が法律をもって否定する。
偽造契約書を偽造と証明する必要はなく、財産区では土地の取得が出来ないとの法律根拠を示せば、契約書の効力は無効となることで、同時に地代の請求が認められることになる。
この様に、すでに結論は導かれているが、ここで重要なのが、「地代の支払い」であることだ。地代の支払いがあると証明されれば、平成7年から、この三筆の土地に地代が支払われていたとの疑いが出てくる。そうなれば、ヘブンスそのはら白澤社長に、“賃貸借の支払い証明”を請求できることになるのだ。
重要な証拠
熊谷秀樹村長は、慌てて村道になっている部分の土地を阿智村名義に変更したが、そんなことをしても全く無駄なことで、村道になっている部分の土地にも、ヘブンスそのはらから地代が支払われているとなれば、たとえ20年以上の時効取得をもってしても、占有は認められないのが法律である。
一人の地主でも、「賃貸借料をいただいています」と証言すればそれで終わり。また、たった一人の地主が証言を拒んだにしても、三筆の土地に地代が支払われていれば、それでも終わることなのだ。令和4年7月12日
土地明け渡し
一人の地主が証言を拒む、賃貸借料支払い明細がなくとも、この裁判が終われば、勝っても負けても賃貸借料は立証されることである。ならばどうなるのか? それは三筆の土地に賃貸薬量が支払われていたことになり、誰がその賃貸借料を受け取っていたのかが判明することになる。これは詐欺犯罪だ。この二刑事素養法における時効は成立しないのは、賃貸借料は今も支払われているからだ。私は、時雄が三筆の土地の賃貸借料を受け取っていたと考えているが、時雄が死んだ後も支払われていることに変わりはないことで、それが誰なのかは想像に難くない。
導火線に火はついた
三筆の土地裁判は、多くのことを明らかにするが、その中でも、本谷園原財産区と阿智村が三筆の土地の売買契約を行っていたという事実である。この契約書に沿って、土地売買代金と三筆の土地に植えられていた樹木の補償金が支払われている。早い話が行政犯罪だ。当然ではないか、行政ともあろうものが、財産区は土地を取得できないと知っているのに、また、本来の地主が誰であるのかも知った上に、契約書まで偽造して村民の税金で支払っているのだ。これを行政犯罪でなくして何とするのだ。
犯罪者は阿智村と本谷園原財産区となるが、本谷園原財産区は本来の財産区ではない。財産区は園原財産区と本谷財産区であって、本谷園原財産区などと言う特別地方公共団体は存在しない。これは確かに理屈であるが、これを単なる理屈でなくさせるには、本谷園原財産区を訴えることだ。なぜそんなことをするのかと疑問に思うなかれ、そうしなければ、何の関係も悪いこともしていない財産権者まで、犯罪者になってしまうからである。このことが理解できるものは今のところ誰もいないと思うが、だんだんに、私の行動において分かるようになっていく。そう、操の横領と同じことで、やはり、法律において進めることであるのだ。まずは、犯罪を確定することなのだ。令和4年7月14日
地主が受け取る地代
村道とするに、何も村が買い取る必要は何もない。実際に、阿智村名義に変えたにしても、地代は支払われているではないか。それであれば、渋谷ゆきゑさんの土地も買う必要はないとなる。実際に、売るにしても相続の関係で名義を移せないと渋谷ゆきゑさんの長男建典さんは話していると勝野公人観光課長が記録するに、名義が移らないのを分かっていて阿智村が買うはずがない。熊谷秀樹村長がそのような契約書を持って主張するのであれば、これは裁判後に上級行政庁へ告発することになる。当然として、そのためにこの裁判をかけているのだが、やはり共産党の連中はそこが読み取れないようだ。村長と議会が結託すれば、何でもできると思い込んでいるようだが、このような犯罪を重ねるに、上級行政庁へ告発すれば、そこから出る答えは一つしかない。ついでに言っておくが、特定行政庁がどこであるかは総務省となる。地方公共団体を束ねる総務省が、これを放置できると考える方がお粗末な話だ。県警の刑事の言葉を忘れていないと思うが、「ゴミの片つけはすべて行います」を噛み締めたほうが良い。
誰が地主か
ヘブンスそのはらの白澤社長は、この三筆の土地に地代を支払っていないと言ったが、これが嘘であるのは言うまでもなく、支払っていないのであれば、堂々と調停に出て来られるはずだ。このような嘘をつかなければならない理由は分かるが、なにも白澤社長だけが証言者でないと知ったほうが良い。それは、白澤社長がヘブンスそのはらの社長になったのは平成23年であるからだ。平成18年から平成23年までの5年間は、ジェイマウンテンズグループ(オリックス)株式会社が経営をしており、地代の未払いであれば、ジェイマウンテンズグループ株式会社に、三筆の土地代支払明細を弁護士法23条で請求するからである。また、それらの請求は20年間まで遡れることで、そこには吉川建設が控えている。どちらにしても白澤社長などどうでも良いことで、嘘を言えば罪が重くなるだけのことである。令和4年7月16日
請求のタイミング
阿智村からの答弁書はやはり20年の時効取得を主張するものだが、こちらは20年前までの請求はしていない。ここで時効取得の争いは無いも等しいが、裁判の順序として期日を重ねることになる。弁護士が飯田市被告の裁判と同じく、阿智村被告弁護士も下平弁護士となりことで、次回の期日は飯田市の期日と同じくされたが、少し様子の違うことに、飯田市被告の裁判期日は証人尋問となる。それは電話期日でないことで、双方の弁護士が出廷する。しかるに、飯田市の後に開かれる阿智村の期日に関しても、弁護士と私が出廷することで、ダイレクトな展開となることだ。すでに阿智村からの答弁書は届いていることで、それらの反論主張を覆す準備書面は整理されている。
高額な請求
認められない時効取得と分かっていても、熊谷秀樹村長としてはそれしか手はないようだ。また、調停でなくいきなりな訴えとしても、原告弁護士は話し合いを求めて二度も通知書を送っている。それらを拒否したのは熊谷秀樹村長であることを、被告弁護士は十分に承知している。それだけは無い。二年前には、これらの土地を買ってくださいと熊谷秀樹村長と話し合いを行っている。議会に相談するとされたが、そのまま放置したのも熊谷秀樹村長であるに、それらは都合よく被告弁護士に伝えられているようだ。「2,000万円を超える高額な請求だった」として、私を“背信的悪意者”と決めつけるような反論をしてきたが、話し合いを一度も行わない者が、高額だとか悪意者などと口にすること自体がお粗末である。背信的悪意者とは、信頼や約束を裏切ることであって、どこをどう切り取っても、ことごとく約束を裏切り、信頼にかけるのは熊谷秀樹村長である。これをそのまま熊谷秀樹村長に返すとするのが、こちらの準備書面なのだ。この準備書面にどのように応えられるかが、次々回の期日となることで、その辺りが弁護士法23条の時期ではないかとタイミングを計る。令和4年7月18日
争いの焦点がない
誰もが確認できる事実として、私が渋谷徳雄さんから購入した三筆の土地が村道として使われていることにある。ここに何の言い訳が出来るというのであろうか、出来るとすれば、御免なさいしか残っていない。なぜここまでに至ったのかと言えば、それもまた熊谷秀樹村長の責任となるからである。お粗末な男だ。岡庭一雄の犯罪として当たればとてつもない信用を得たであろうし、阿智村を救った村長として末代まで名前が残ったものを、それがなぜできなかったのかと言えば、共産党だからとしか他に理由が無い。
妬みの矛先
単純な事件であるに、相手が行政だとなれば、とても困難な争いだと世間は見る。そして阿智村民も、いつものように訴えた私が悪いのだと、これも当たり前のように口にする。なぜなのか? それは、智里西地区に対する村民のやっかみなのである。ヘブンスそのはらが第三セクターで始まった時から、当時の黒柳村長への多選批判は、「西にばかし金を運んでいる」であった。そのようなしこりは以前からあり、へき地へき地と馬鹿にし続けた智里西が、どこよりもメジャーとなることへの妬みが今も続いているのだ。
西のもめ事
操の横領、月川旅館の脱税と横領、ヘブンスの地代横領などを表に出したころ、岡庭一雄でさえ、「章文は仲間じゃないか」として、西地区のもめ事として片つけようとしていたが、大概の口さがない者たちも、こぞって復唱していたものである。そこまでになるに、その原点がやっかみや妬みであることに嫌気がさすが、案外にそのような連中もまた、妬みであることに気づいていることだ。恥ずかしさに気づけば変わるであろうが、いやしき者は変わることはない。しかし、私はそのような疚しき者を相手にして、天に唾するがやがて来ることを教えてあげなければならないのだ。岡庭一雄も熊谷秀樹も村長であることで、行政が犯罪を行えば、その責を負うのは村民であるということを。令和4年7月20日
阿智村が負けた時を考えろ
佐々木幸仁は、弁護士費用の承認するに、「私が行政に居た時は、職員の不始末など無かった」と熊谷村長を責めたという。それに応えた熊谷秀樹村長は責任取ると口にしたが、「責任を取ることは辞職することだが」と、これもまたよく言えたものだと感心する。その発言に狼狽えたのがまた熊谷秀樹村長で、辞職の責任ではないと泣きが入ったそうだ。知らない人は知らないが、知ったとしても笑い話にもならない。
心得違い
佐々木幸仁よ、そうはいってもこの訴えは、岡庭一雄とお前がやったことがもとではないか。熊谷秀樹が保身のために、お前らの犯罪を隠蔽したことでの訴えだ。ここで熊谷秀樹が辞職でもすれば、それらのすべてが表に出ることになる。そうなってもまだ、「責任を取れ」と言えれば大したものだ。まあ、熊谷秀樹村長が辞職せずとも、表に出るに違いはないが、岡庭一雄はともかくも、お前は議員であるから説明責任は当然に出ることだ。心得違いする前に、今から言い訳でも考えておくがよい。
否認できず
阿智村の反論に、認否の否は見受けられない。いわゆる、こちらの訴えに対して、その訴えの内容を認めている。要するに、阿智村名義の土地ではないことは知っていたと認めているのだ。それは当然そうであろう。阿智村の土地なら売り買いは出来ず、私が渋谷さんから購入することは出来ないからだ。もうこの時点で答えは出ていると思わないか? 盗伐裁判でも全くに同じ、渋谷ゆきゑさんの土地だと法務局が証明していれば、買ったとか占有しているとか言ったにしても、登記上の名義は動かしようも無いのだ。これが民間であれば、売った買ったで証明できなければ争うことも出来るが、行政であれば、買ったのであれば名義が移らなくては買ったことにならない。阿智村も行政であれば、法務局もまた行政である。行政業務としての手続きが取られていなければ、この裁判に負けた時、阿智村は行政法違反に問われるのだ。令和4年7月22日
あり得ない結論
行政が行政法に違反した? 確かにあり得ない。その場合、法律的処置として、上級行政庁はどのような結論が出せるのであろうか。また、行政が行政法に違反したとする違反行為と、他人の土地を売り買いしたことは別の犯罪であって、ここに適用されるのは、刑事訴訟法における詐欺犯罪である。刑事訴訟法において行政を処罰すること、いわゆる、行政を書類送検できることはない。だとすれば、書類送検されるものは誰なのか? と言えば、契約書に署名押印がある山内康治となると考えられるが、本人はとうに亡くなっている。実際には岡庭一雄が西の三悪人と共謀しての犯罪だが、これを証明できる勝野公人元議員は、不正を質す考えなど到底持ち合わせていない。では、この犯罪が宙に浮いてしまうのかと言えば、ぜんぜんに心配する必要はないのである。
村長が犯罪者
山内康治としても阿智村長であるに、それは村長の犯罪と言うことになろうが、では、熊谷秀樹村長の犯罪になるのかと言えば、まさにそうなることだ。なぜ熊谷秀樹村長の犯罪になるのかと言えば、熊谷秀樹村長はこの契約書の存在を認知し、そしてこの契約書で土地を購入していると反論しているからだ。熊谷秀樹村長がこの契約書を事実とすることは、この契約書がどのような目的でつくられたものなのかと承知していたことになるからだ。
民事と刑事の違い
民事において所有権の争いをしたにしても、また、所有権が阿智村にあっても無くても、契約書そのものを作成したのは阿智村長であって、それら契約書が他人の土地を手に入れるために作成されたものであると証明されれば、この時点において刑事犯罪となる。刑事犯罪はあくまでも個人の犯罪であって、行政の犯罪とはならないのである。令和4年7月24日
否定する村長
熊谷秀樹村長は「渋谷ゆきゑさんの土地を購入したことはない」と、文書にしてそれを証明している。このことをすっかり忘れているようであるが、この争いにおいてその文書が私の証拠として出ていくに、どこまでしらが切れるのか楽しみでもある。村長としては「契約書が有る」で押し切れようが、熊谷秀樹とすれば、「買った覚えはない」は、否定できない。
宝の山
裁判において、互いが主張と反論を繰り返すが、主張にも反論にもそれを裏付ける証拠を必要とするのは言うまでもない。ここで、原告が用意する証拠に嘘が無いは必然のことであるが、被告側はそうではない。嘘も平気につくは、元々に犯罪を自覚するのであって、それらの反論証拠は嘘の塊と言って良いだろう。通常の裁判であれば驚きもしないが、被告が行政であれば、嘘などあるはずがないとの先入観が立つものだ。しかし、なんでもありの阿智村行政は、簡単に行政書類を捏造してしまう。そしてそれを証拠とされれば、行政書類として通用してしまうのだ。
「行政を相手に勝てっこない」は、行政側の立場での視点ではあるが、世間でも全くにそのようである。しかし、勝とうとしての視点であればそれも頷けるが、そのような証拠を求めての裁判とであれば、被告らの証拠は宝の山となることだ。何をバカなことをと言うなかれ、訴えるに、完璧な証拠が揃っていれば訴えるまでも無いことで、十分に話し合いで解決できることだ。十分な証拠が無い中で争いを起こすのであれば、手に入らない証拠を求めるに、他に方法は無いことである。たとえそれが偽造や捏造であっても、そして行政書類でも、間違っているのが被告であれば、必ずや正しきことへ修正されるものだ。そのために法律があり、司法の場があるのだ。令和4年7月26日
契約書は半面証拠
原告弁護士は、通知書において『契約書に拘束されていない』と、熊谷秀樹村長に伝えている。それは、これらの契約書に法律的根拠が無いからだ。考えてもみろ、土地に何も関係ない者同士が売買契約書をつくったにしても、それ何か影響するところがどこかにあるのか? それとも、その契約書でもって、村の金を横領しましたと自首でもするのかい? まあ、そんなことが出来れば私も苦労しないが、このような契約書が有るとし、それでもって阿智村の土地だと主張してしまった今では、もはやこの契約書は、半面証拠以外に使い道は無しである。正直、私はこの反論主張を待っていたし、この契約書が証拠として裁判にかかることを期待した。それは、私がこの契約書の写しを持って証拠としても、何も証拠とならないからだ。被告である阿智村が「このような契約書が有ります」とすることしか、この契約書は表に出て来ないのだ。
正答が無い選択肢
犯罪者を相手するに、お前は犯罪者だというのが最も手っ取りばやく、そして何が犯罪かと告げるのが最良の追い込みである。確かにそれを口に出すにはそれなりの状況と証拠が必要でもあるが、大概にして犯罪者であれば、その時点で身構える。そしてそのあとに、証拠の隠滅を図ろうとすることだ。しかし、これが行政となれば、証拠の隠滅は不可能に近く、よくして証拠を偽造捏造となる。岡庭一雄と熊谷秀樹の違うところは、岡庭一雄は始まりからして偽造や捏造証拠をつくっていたことと、熊谷秀樹は事が起きてから証拠を捏造偽造したところにある。どちらも姑息な犯罪手法であるが、それが通用する議会に恐れ入る。さすがに共産党の世界だと感心するが、偽造でも捏造でも、証拠として残さなければならない行政であれば、その間違いが指摘されたとき、もはや修正が出来ないと知るべきであった。令和4年7月28日
住民の権利
県警が、行政に捜査できないのを裏返せば、住民にはその権利はあることで、それらは地方自治法に明確に条例化されている。その中で、これは犯罪ですよと熊谷秀樹村長に告げたのが、この契約書である。操の横領を隠蔽するとして契約書を偽造するも犯罪であるが、この契約書の犯罪はそれらと訳が違い、他人の土地と知っていながら売買契約書を作成して阿智村の土地としたことにある。一般社会においても、このような犯罪はめったに起きないことで、これが阿智村の行政内で行われたことは、それこそ前代未聞の犯罪である。
足がかり
阿智村をつぶさないとして苦しんだこの五年間で、村民は全くそこに意識が無いどころか、不正を質そうとする私が悪いという。見識が無いことと民意が低いのが元々で、物事の分別もつかないとなれば、これから先は気にするところにない。そして段階的に訴訟を始めたが、この訴訟は行政犯罪を解明する糸口となった。ヘブンスそのはらの地代横領が最大最悪の行政犯罪としたが、この犯罪は、もしかしたらそれを上回るかもしれない。それは、ヘブンスそのはらの始まりに絡む犯罪であることで、この犯罪から地代横領が始まっているからだ。阿智村と本谷園原財産区はこの契約書で渋谷ゆきゑさんの土地を搾取しただけでなく、この土地に支払われる賃貸借料も横領した。その金が時雄に流れていても、横領したのは阿智村となる。阿智村が横領したのではないというのであれば、時雄が横領したとの証拠を示すのは、阿智村であることだ。
いずれこの様な展開に裁判は進むが、とにもかくにも、この契約書を盾にしたのは熊谷秀樹村長の大いなる間違いである。原告弁護士が言う、「その契約書に拘束されていない」を、素直に受け取れば、まだ言い逃れは出来たかもしれない。令和4年7月30日
親切は聞くものだ
令和2年の8月に、熊谷秀樹村長に面談を求めているが、熊谷秀樹村長はこの面談文書を証拠として、私を背信的悪意者だと反論してきた。「法外な金額を吹っかけた」として、この様な請求は計画的であり、市長選や村議選、そして村長選挙などによる政治資金を得るために画策されているので、「背信的である」と言うのだ。ブログにおいて阿智村を攻撃しているとか、根拠を伴わない公開質問状や文書配布などで阿智村を混乱させていると言うのが理由であるらしい。まあ、反論に事欠く苦肉の策であろうが、これを反論とするのであれば、この反論に対して申し開きをせねばならない。これも思ってもみない反論であることだが、私としては、村民配布の文書を表に出せる格好の機会として捉えている。ようするに棚から牡丹餅の心境だ。
法外な金額!?
令和2年8月の熊谷村長との面談は、順序良く進めている。水道代の支払い拒否による給水停止の話し合いを進めない熊谷秀樹村長に対して、次なる話し合いが「渋谷ゆきえさんの道路になっている土地三筆を購入していただきたい」であった。まずは、渋谷徳雄さんが相続されたと、そして、渋谷徳雄さんは遠方であるから私に代理人となって村との話し合いを進めていただきたいと依頼されたことも文書で熊谷秀樹村長に提出していたが、その文書を証拠とされて、「計画的だ」と反論されたのだ。面白い。私の筋書き通りである。この文書を証拠としたいのは私の方であって、それは、熊谷秀樹村長が、これらの話を聞いていなかったとか、知らなかったとかの言い逃れを避けるために文書を渡していたからだ。ここでまず、熊谷秀樹村長は、これら三筆の土地が誰の所有者であったのかを認めたことになった。令和4年8月1日
事実認定は済んだ
大概の者は、犯罪や不正を否定するに、それを認めさせることは自白しかない。民事においてそれら自白は事実認定であることだ。「渋谷ゆきゑさんの土地が村道になっている」事実を認めさせたうえで、「確かに渋谷ゆきゑさんの土地だと知っていた」を自白させることが事実認定となるのだ。悪いことだと思わずことに及ぶは確信犯だが、このような契約が悪いことと思わぬ者はいない。まあ、刑事犯罪は結果論であるからして確信犯は据え置くが、「渋谷ゆきゑさんの土地だと知っていた」は、否定できることでも状況でも無いことに、渋谷ゆきゑさんの長男に稲武町に出かけことは、渋谷ゆきゑさんの土地だと知ってのことで、勝野公人がつくった要約書は、渋谷ゆきゑさんの長男が話したとの証拠にはならない。そのような状況を知った上で契約書を反論証拠としたは、「渋谷ゆきゑさんの土地だと知っていた」と自白と同じことになるのだ。被告弁護士の勇み足と見るかはこちらの勝手だが、まさかのまさかで、この契約書が被告の証拠となるは考えもしなくあった。
換地の理由
確かに、阿智村は何一つ反論できることは無い。地主の了解を得ずして村道にしたこともことだが、その村道にヘブンスそのはらが賃貸借料を支払っているとなればなおさらだ。そう、村道になぜ賃貸借料が支払われるのか? そこを紐解かずしてこの裁判は語れない。
なぜ賃貸借料がヘブンスそのはらから支払われているのか? それを考えれば、まさに、渋谷ゆきゑさんの土地を、本人または、相続者の了解も得ず村道にしたのかが最初の慰問であることだ。この疑問を解けば、あとは絡まった糸がほつれるように見えてくるだろう。そして、この疑問の解明に証拠を持って立ち向かうのがこの裁判である。この裁判を進めるに必ず出てくる事実認定が「換地」であって、換地がなぜ行われたのかが疑問を紐解く鍵となる。令和4年8月3日
地主達よ、よく聞け
ロープウエーの基地とされた地主、駐車場とされた地主、そして村道とされた地主達よ、よく聞くがよい。騙されていたと聞くがよい。このままでは犯罪者の仲間内となることだ。よく考えろ。なぜ村道にされた地主だけに換地を必要とするのだ? 実際に換地をしない出来ない地主たちが居るではないか。そこのところを考えれば、なぜ自分たちだけが換地をするのかに気づくはずだ。地権者組合が設立され、阿智総合開発株式会社と賃貸借契約するに、村道とされた部分だけを換地にしたいとの話はあったかい? そんな話は誰も聞いていないし聞いたこともない。では、いつからその換地と言う話が始まったのだ? そのように振り返れば、熊谷恵治地権者組合長が亡くなった後ではないか。時雄が言い出し、佐々木毅文を組合長として岡庭一雄が扇動している。「村道になった部分を阿智村名義にしてもらえませんか」とね。ここで、地主たちの誰もが「なぜ換地をするんですか?」「土地がとられてしまうのは困るんですが」などの不安を口にしていないのは、「阿智村名義にしても賃貸借料はこれまで通りですよ」との話があったからだ。
換地費用
ここで、時雄は「換地費用の400万円は吉川建設が負担する」と話している。この400万円は契約金からの金であって、吉川建設は負担していない。もともとに、村が村道として換地をするのであれば、村が代替え地を提供してのことで、それら手続きにかかる費用は村が出さなければならない。換地とは、代替え地があっての換地であることだ。この程度の知識や見識が無いのが地主たちであるのだ。まあ、これでは騙されても身から出た錆ですね。それにしても、おれおれ詐欺と同じことを岡庭一雄村長と時雄は行ったんですよ。これが共産党員の犯罪です。令和4年8月5日
共謀犯罪
このままでは犯罪者の仲間内になりますよとのことは、この換地費用の取り扱いになります。なぜ、時雄と犬猿の仲にあった佐々木毅文が、時雄と同調して換地行為を行ったのか、その裏にある事情が犯罪者の仲間内になることなのです。
消えた400万円
普通に考えればよい。駐車場と道路に貸している地主であれば、村道部分を阿智村名義にするとして、何の得が有るのかと考えれば、阿智村名義にする必要はないじゃないかとなる。地代が支払われていれば、駐車場でも村道でも同じであって、村道のために名義が移るとなれば、自分の土地ではなくなるとの不安が出るはずだ。そこに対してどの地主からも文句が出ないとなれば、「地代は今まで通り支払ってもらえます」という約束と、「村に名義を変えても一筆入れます」との、万が一の保険があることになる。
どうでしょうか? 地主の皆様、私の言っていることに何か一つでも間違いは有りますか? 何もないでしょうね。ところで、ここまでの説明だけでは不十分が有りますので、ここで補っておきますが、佐々木毅文と時雄の犬猿の仲を指摘しているのは、その話と換地のことにつながりが有るからです。
共通点
農間部落の方なら説明するまでもないですが、意外と、時雄と佐々木毅文には“金”という共通点があります。時雄の金への執着は並の者では計り知れないが、佐々木毅文はさほどのことは無い。大金と小金の違いとか、悪党とケチの違いと言えばもっと分かりやすい。
少し遠回ししたが、佐々木毅文を地権者組合の組合長にしたのは時雄である。なぜ佐々木毅文を組合長にしたかは、うるさい奴はおだてておけが表向きで、本音は佐々木毅文のケチを利用したことにある。令和4年8月7日
換地費用とは何だ
個人の土地を阿智村名義にするに、登記作業は司法書士の仕事である。それに費用を払うのに400万円もいるのかとの疑問を持ったのは、この話を聞いた当時のことだ。換地費用は村が払うもので、村であれば司法書士を依頼することも無い。
この様に順番に考えれば、換地費用はいらないことだ。だとすれば、換地費用の400万円は、いったいどこに使うというのだ? 換地に関して使うところない金を、それも400万円用意したのはなぜなのか!?
半端な数字
400万円とは半端な金額である。100万200万ならまだわかるが、換地費用に充てる金を400万円としたことに根拠がない。この半端な400万円の金額が、半端な金額でないとすれば、それは最初から400万円と決めていたことになる。では、誰が換地費用を400万円と決めたのかと言えば、それは時雄であることだ。時雄が400万円と決めたのであれば、時雄はこの400万円の出所も決めていたことになる。時雄は自分の金は一円たりとも支払う奴ではないことに、この400万円は時雄の裁量で用意できる金でないことだ。では、いったいどこにこの400万円が有るというのか?
順列組み合わせ
数学は学問であることに、このような問題(400万円)を解くには順列組み合わせの公式に当てはめれば答えは出るものだ。だからして、くどくもこの400万円のことを順番に書き出してみたが、どうやらもう一つの組み合わせが必要なようである。もう一つの組み合わせとは何なのかと考えれば、それは、時雄が言うところの、「換地費用は吉川建設が用意した」との話を思い出せばよい。令和4年8月9日
ごわさん
どうやら公式に当てはまったようである。ここで御破算として、400万円は、地権者組合に支払われた契約金の一部であるから始めることだ。「400万円は換地費用として吉川建設が用意した」時雄のこの話にこだわるところは、「吉川建設が用意した」ではない。吉川建設が用意しようが村が用意しようが、それは関係無いことで、問題は「400万円は換地費用」にある。必要が無い換地費用であれば、何のために用意したのかで、必要が有るから用意したとのことだ。換地手続きに費用がかからないとなれば、換地費用以外に使われるとなる。では、この400万円は何に必要であったのか? ではなかろうか。
浮いた契約金
ヘブンスそのはらからの契約金も今更の話だが、原点に戻り整理すれば、時雄がこの400万円を換地費用とした理由が見えてくる。簡単な話として、契約金を用意したヘブンスの経営者は変わっても、契約金を受け取る側は変わっていない。どこが受け取ってきたのか? 本谷園原財産区か? それとも偽造契約者の阿智村か? いやいや、契約金を最初から受け取ってきたのは地権者組合しかいない。その契約金は今どこにあるのか?400万円以外の契約金は、西の三悪人の財布に入っている。そんなバカなと思うなかれ、契約金がどの金融機関にもないことが、そのことを表している。
契約金が不明と言ったのは誰か
契約金が不明だと言ったのは誰なのか? 熊谷秀樹村長に、「契約金が不明です」となぜ言ったのか? 契約金が不明だとなぜ知った? 三つもなぜ???が続けば、契約金が不明は事実ではないのか。
契約金が不明だとヘブンスそのはらの社長白澤佑次が言った。白澤佑次は、岡庭一雄の指示で熊谷秀樹村長に言っている。契約金が不明だと知ったのは、岡庭一雄から聞いたのだ。令和4年8月11日
払っていない契約金
白澤佑次は契約金を地権者組合に入れていないことは、地権者組合の私が言っていることだ。今まで、私が言うことで一つでも間違いが有ったかな? まあ、信じたくない者もいれば、どうでも良い者もいるし、世間でも関心がないことだ。だが、この話しは西地区よりも、昼神温泉と阿智村民に大きく影響するのである。考えてみることだ、ヘブンスそのはら白澤佑次社長が、地権者組合に契約金を払っていない中で、熊谷秀樹村長に「契約金が行方不明だ」と言ったこと。払っていない契約金が行方不明だとなぜ言えたのか? それは、白澤佑次は、契約金は地権者組合に払っていないけど、契約金がどこかに有ることは知っているし、その契約金が行方不明だとも知っているということだ。契約金を払っていない者がなぜ地権者組合員に地代が払えるのか? そこだけ考えてみても、犯罪の匂いがプンプンするではないか。
回答
あまり長く、くどく書き出せば、何が言いたいのかが分からなくなるに、ここで400万円の出所と、時雄が何に使ったのかの答えを出しておきます。
400万円は、阿智総合開発株式会社(吉川建設引継ぎ)の契約金(2000万円)の一部です。
換地費用として用意した400万円は、地権者組合の一部の者で山分けをしています。
都県者組合の一部の者とは、村道(アーテリー道路)として使用されている地主達です。
当時の佐々木毅文地権者組合長が、時雄の言うままに換地を進めたのは、400万円が目の前にぶら下がったからです。
村道とされている地主の全員は分かりませんが、その中には、私が渋谷徳雄さんから買った三筆の土地も含まれています。
現在の地権者組合長は渋谷章行ですが、契約金の行き先は知らないと答えているようです。村道とされていない地主たちは、皆さん騙されていることに気づいてください。令和4年8月13日
なぜ400万円なのだ
契約金を整理すれば、阿智総合開発、吉川建設までの契約金は2千万円とされている。今現在その契約金がどこにあるのか、いくら残っているのかを知るは、操と章行と時雄の未亡人だけである。ここで、白澤佑次が契約金を出してないことで、400万円の出所が不明となったが、なぜ400万円なのかは明確となった。
地権者組合の構図
契約金は地権者組合に支払われているが、その管理は本谷園原財産区とされていた。飯田信用金庫の貸金庫に定期預金として保管されていたが、今現在、どうなっているかは分からない。2千万円の契約金が1千万円に減っていたとか、時雄が死ぬ前に2千万円に戻ったとか言われているが、事実がどこにあるのか、現地権者組合長渋谷章行の知るところにある。
どちらにしても、当初の契約金が残っていることに違いは無いとして、時雄が応用したのは、おそらくオリックスが用意した契約金1千万円であると思われる。そのからくりは後ほど述べるが、ここで、地権者組合の構図を表せば、大きく分けて本谷園原財産区と地主20人余りである。地主らが20人いたにしても、本谷園原財産区との賃貸借規模において六四となるはいがめない。1千万円なら、600万円と400万円となることで、これが換地費用400万円の根拠なのである。
時雄は、600万円を横領して、残りの400万円の始末を考えるに、地主たちに400万円を分けろでは、残りの600万円はどうするんだと気付かれる。そこで400万円を必要ない換地の費用にすることを考えたが、この作戦は一人では出来ないとなった。「村道なので換地をしていただきたい」それは、岡庭一雄の手で行われたのだが、契約金の横領共犯者でなければ、そんな話に乗ることは出来ない。令和4年8月15日
証拠隠滅
実は、400万円の換地費用は、本谷園原財産区と神坂神社の賃貸借料横領の、証拠隠滅のためであったのだ。要するに、400万円は浮いた金であって、その始末のために換地を言い出したのである。考えてもみろ、阿智総合開発株式会社と地主らが契約を交わすに、道路とされる地主らに、換地の話があったのかどうかと、今一度地主らは思い出すことだ。確かに時雄は換地を言い出しているが、時雄が換地を言い出したのは、開発組合の専務の地位を追い出されたことへの反発であって中身が無かった。だからして地主らは総スカンしたが、時雄は悔しくて自分の田んぼだけ造成させなく、何年か穴が開いていた。だからして、時雄は地権者組合に入っていなくあった。そんな時雄が換地を言い出したのが、熊谷恵治組合長が亡くなってからだ。それほど必要な換地であれば、澁谷ゆきゑさんの土地も、換地されていたはずではないか。
汚いのは換地した地主達
400万円を換地費用として、道路になっている地主らに400万円を分け与えているが、換地されて阿智村名義となれば、そこに賃貸借料は発生しない。だが、道路になっている地主らは、今も地代を受け取っている。これを犯罪と言わずして、何が犯罪となるのだ。ふざけんじゃねえよと言うのは、道路とされていない地主たちにあることだが、その裏事情にいまだ気づいていないようだ。
瀞い地主
そのトロい地主に私も入るが、400万円の使い道は判明した。この時点で、換地費用を受け取った地主らを責めることではない。換地費用を受け取った地主らは犯罪者であって、知らなんだ、村がやったことだは通らないと身に沁みればよい。それこそ、西の三悪人の共犯者として、末代まで語られることだ。令和4年8月17日
解決は裁判で
残りの600万円がどこに消えているのかと、村道とされているのに換地していない地主らの地代は、誰の口座に振り込まれているかを調べることにある。それは順序良く進めなければならないが、いづれにしても解決に至るには裁判しか他に方法はない。だが、何もなくして訴えるは出来ないことで、それには、損害がどこかに発生している必要がある。損害がどこにあるのか? と考えれば、やはり契約金しかないことで、何よりも、契約金1,000万円の一部であることを証明しなければならない。
発生していない損害
今のところ、地権者組合に損害が発生していないのは、地代が支払われていることにある。地主の誰もが地代を受け取っている限り、損害は発生しないことだ。仮に、地主たちの誰かに地代が支払われないが有ったにしても、それは白澤佑次との話であって、契約金にかかる損害ではない。では、換地費用とされた400万円は損害にあたらないのかと言えば、400万円が地権者組合との契約金の一部であると証明されれば、十分に損害となる。だが、「400万円は換地費用としてヘブンス(時雄は吉川建設と言っていた)から支払われた」と、地主らが受け止めていれば、そこに損害は発生していない。換地に手続き上の費用がかかるはありえないが、400万円の出所が分からなければ、換地に費用が掛かったと言われればそれまでであるし、実際もそのように処理されている。
ここで常識的に考えれば、「契約金はどこにいくらあるのか?」の疑問に行き着くことだが、なぜかその疑問を抱く地主は一人もいない。なぜなのか? そこに、この犯罪の恐ろしさがあるのだが、なぜ地主らは契約金に関心を持たないのかと言えば、契約金の意味するところを知らない地主ばかしであることと、その契約金の横領に関与している地主が居ることであろう。令和4年8月19日
最大の証拠
本谷園原財産区は地権者組合の一員であるが、両財産区に支払われる地代は阿智村を経由している。ここに不思議を持てば、「他の地主らにはヘブンスから直接振り込まれるに、なぜ財産区だけが阿智村から払われるのか?」に行きつくことだ。「税金がかかるからだ」の嘘が通用しなくなった今、阿智村も説明がつくことではない。
ここで三年前を振り返れば、それは熊谷秀樹村長と時雄の争いにあった。何をどのように争っていたのかを思い出していただきたい。熊谷秀樹村長が「あんな者は早く死んでもらわな困る!」とまで時雄を悪く言ったのはなぜか? それほどに熊谷秀樹村長を追い詰めていた時雄の言動は何であったのか!?熊谷秀樹が村長として権限を行使しても、時雄は逆らい続けた。なぜか? それが分からずして最大の証拠は表に出ることではない。
村長の決断
高坂和男が議長であるとき、私は熊谷秀樹村長に、議長との三者会談を依頼したが、その時に話し合われたことが、時雄との争いの原因である。村長と議長に依頼したは、「地域振興補助金交付を止めていただきたい」そう、たったこれ一つをお願いしたのだ。阿智村が本谷園原財産区に交付する地域振興補助金は、ヘブンスそのはらから本谷園原財産区に支払われる山林の賃貸借料だとされていたが、財産区への地代に税金がかかることなど無いとし、このような行為はマネーロンダリングであり、行政犯罪になると忠告した。それに二人は何も言えず、黙って聞くだけであったが、ほどなくして、この地域振興補助金の交付を止めている。そしてそれは二年続くに、時雄らはたまらず、熊谷秀樹村長を攻撃しだしたのだ。
熊谷秀樹村長の決断であるが、問題はそこではない。地域振興補助金の交付を村長が止めることが出来たのはなぜか? とに、目を向けなければ最大の証拠は見えてこないのだ。令和4年8月21日
流れない金
単純な話しであるに、なぜ気づかないのであろうか。村長が補助金の交付を止めた。なぜそんなことが出来たのか? いきなり止めての一年目、時雄は身動きできずに困り果てていた。それが二年も続くに、時雄は叔父秀逸を伴い、何度も熊谷秀樹村長に「地域振興補助金を支払え!」と請求した。それも、岡庭一雄村長と交わした覚書(地域振興補助金の支払い約束)を片手に持って、「地域振興補助金の支払いは村との約束事項ではないか!このように覚書が有る!」と、議会を間に入れて散々に熊谷秀樹村長を攻撃している。高坂和男議長から熊谷義文議長に代わったのをきっかけに反攻に転じたのだが、この時のこの話に、議員誰もが疑問に感じていない。
地域振興補助金じゃないだろ
時雄や秀逸が言う、地域振興補助金とやらは、本谷園原財産区の賃貸借料に税金が掛かるとの理由で阿智村を通して迂回している補助金だとされてきた。だからこその覚書であるに、それが事実なら、熊谷秀樹村長は地域振興補助金の交付を止めることは出来ない。なのに、二年間もその交付を止めたことは、いや、止めることが出来たのは、地域振興補助金は本谷園原財産区のヘブンスの賃貸借料でなかったからだ。ヘブンスの支払いが村に振り込まれているのが事実であれば、熊谷秀樹村長は「直接支払ってください」で済むはずで、その結果において地域振興補助金交付は自動的に止まる。なにも、「地域振興補助金の交付を止めます」などと、議会や議長の了解を取り付ける必要もないことだ。それに、時雄や秀逸は、一度も「本谷園原財産区に支払われる地代を支払え!」などと口にしていない。「地域振興補助金の交付は覚書での約束だ」だけを言っている。
ここまで話せば、大概のことは理解できたのではなかろうか。本谷園原財産区のヘブンス山林賃貸借料は、阿智村に振り込まれていない。阿智村は、永遠として、本谷園原財産区という任意団体に、地域振興補助金の名目で、いまも275万円が毎年交付しているのである。令和4年8月23日
議員が馬鹿だから
地域振興補助金の交付記録を求めて開示請求をしようと考えているが、岡庭一雄が村長になって三年目の平成12年に、この地域振興補助金が交付されるようになった。年度末の関係で、平成11年分から記録されているが、この平成11年には、すでに時雄はこの賃貸借料345万円を横領している。345万円とは、財産区の地代300万円と神坂神社の地代45万円である。地域振興補助金の交付が行われるに、岡庭一雄は議会対策として「財産区に直接支払うと税金がかかる。村に支払ってもらい、村は補助金の名目で財産区に支払うようにする」と説明したはずである。はずであるとの理由は、白澤佑次との契約書が存在していたからだ。そのように議会に説明しているから、白澤佑次とも同じ方法でなければならないことで、同じように議会対策として契約書を偽造したのである。議会にこれが通用したのは、議員らが馬鹿なのと、岡庭一雄に逆らえなかったからであるが、こんなバカなことが平然と行える岡庭一雄は相当な悪であることに違いはないが、岡庭一雄とて、何の見返りが無くてここまでの悪を働くとは考えられない。
繋がらない補助金
熊谷秀樹村長が地域振興補助金の交付を取りやめたのは、ヘブンスから地代が振り込まれていないことにある。では、いつからヘブンスそのはらは、財産区の地代を阿智村に払わなくなったのだろうか? ここに疑問を持てば、熊谷秀樹が私の会社に出向いてきた平成28年3月のことを思い返してみることにした。熊谷秀樹村長と懇談したは、熊谷操の横領のことであったが、「あなたはなぜ村長になったのですか?」の質問に、「私は岡庭一雄の村政に疑問を持っていた。村長になれば、その疑問が分かると思った」用意していた話にしても、まったくに作り事でないとすれば、地域振興補助機の交付を止めるにしても、その裏付けが村長に有ったことになる。令和4年8月25日
責任の範囲
熊谷秀樹が村長になった時点において、ヘブンスそのはらから地代が振り込まれていれば、それは熊谷秀樹村長が引き継いだことになる。そうなれば、阿智村はつぶされるだろう。村長が行った犯罪となれば、それしか結果は出て来ない。しかし、熊谷秀樹村長は、そのような状況に陥るとは考えていなく、たんに岡庭一雄が行った不正だと考えていたようだ。そして、ヘブンスから振り込まれていないことを確認していたから、このまま通り過ぎると甘く見ていた。だが、私からヘブンス地代のからくりを聞いたことで、だんだんと、地域振興補助金の取り扱いについて悩み始めていた。そしてどうしようもなくなったのが、議長を含めての話し合いであったのだ。
時雄の目
そのころの時雄は月川旅館を取り戻そうと必死であって、その裏には岡庭一雄との確執もあった。地域振興補助金のからくりに、まさか岡庭一雄が手を付けると考えていなかったが、ある日、それは唐突として始まった。「契約金が行方不明だ」白澤佑次が時雄を裏切ったのだ。考えれば、白澤佑次は鶴巻荘の積立基金5億円のおかげで社長になれたこと、岡庭一雄とは切っても切れない関係にあるに、その男がわざとらしく、熊谷秀樹村長にその話をするは、まさに時雄への牽制球であった。そして熊谷秀樹村長は、地域振興補助金を交付しないを決定した。そこに時雄が逆らえないと、これは岡庭一雄の入れ知恵なのだ。だが、そこでへこむ時雄ではなく、地域振興補助金を支払わなければ、鶴巻の基金5億円をばらすと、最後の手に打って出たのだ。これは効いた。岡庭一雄どころか熊谷秀樹村長も参ったになった。こうなれば、あとは時雄の思いのままに、月川旅館の改築工事へと話を進めたのである。令和4年8月27日
職員のだんまり
「地域振興補助金の支払い理由はなんだ?」と、山口総務課長に聞いてみた。それはさんざんに、「財産区の地代は村に振り込まれていないと村長は言っている」「それであれば迂回資金とならないが、地域振興補助金を支払う理由がないじゃないか」と詰めた上での質問である。しかし、山口総務課長は口ごもることなく、「それは約束ですので」と、あっさり答えた。「約束? 何の約束なんだ?」と、続けたが、それ以上何も発せなくあった。これで間違いなく、財産区の地代は村に振り込まれていないと確信したが、地域振興補助金もまた、間違いなく毎年同じ金額が交付されていることが判明した。
監査請求対象
地域振興補助金の支払いは不法な補助金交付だと監査請求すれば、そこに何と監査員は答えるのだろうか。どのような理由や根拠があったにしても、財産区の地代と同じ金額であることは説明できることではない。しかるに、本谷園原財産区での受け入れはどのようになっているのかと言えば、「ヘブンス地代」と、会計報告に記されている。財産区の決済報告書を証拠に監査請求すれば、もはやその時点でアウトになるだろう。
まあ、ことは簡単に見えるが、今の阿智村は監査員までもが共産党であって、でたらめな監査が続いているに、そこにこの様な証拠をもって請求しても却下の二文字で片付けられることは見え見えである。しかるに、住民訴訟を起こせることだが、そこに進めるにはこの程度では証拠に薄い。だからして何をすべきかは、契約書の存在であるのだ。ヘブンスそのはらが経営するに、それぞれの経営者は契約書無しに継続は出来ないことで、当然にそれぞれの契約書は存在しているはずだ。令和4年8月29日
振込先
個人地主の誰もに、ヘブンスそのはらから地代が振り込まれるに、両財産区の地代はヘブンスそのはらから振り込まれていない。ここに不思議を持てば、阿智村から振り込まれている地域振興補助金は、両財産区の地代であると判断されることになる。そこにきて、両財産区の会計報告に、「ヘブンスそのはらの地代」と記されていれば、言い訳できる者は誰も居ない。さて、ここでだが、本谷園原財産区なる団体を追及しても何の意味も無いことに、本谷園原財産区は地権者組合の一員であることだ。私も同じ地権者組合の一員であるのだが、ここはひとつ、地権者組合の一員として、地代を支払ってくれるヘブンスそのはらの白澤社長に質問状でも出してみようかと考えている。どのような質問状なのかと言えば、『契約書と契約金』についてである。「地権者組合との契約書を見せてください」「地権者組合との契約金はいくらでどこの金融機関に預けておりますか」の二点と、「換地費用の400万円はどこから支払われていますか」である。どうでしょう、地権者組合の一員の私であれば、当然に質問できる権利はあるでしょう。
順序が違う!
権利は有りますがお門違いですよ、と言われてしまいますね。地権者組合の一員であれば、そんな話、契約相手に聞くことがおかしいでしょう。契約者の甲と乙の話は契約時点で確認が出来ていることで、契約者の甲が知らないはずがないですからね。笑い話にもならないですが、実はね、私は何も知らないんですよ。おかしな話でしょ? それでね、知らない者は私だけであるのかと思ったら、好泰君も知らないって言うんですよ。ほら、知らない地権者組合の一員がまた一人増えました。
無い袖は振れぬ
それでは、知らない者は私と好泰君だけでしょうか? そのように考えれば、換地費用の400万円がどこの誰が用意した金であるのかが分らなければ、どの地権者も知らないということになりますね。400万円の金の出所が分かっていれば「そんな金は換地費用に使えないじゃないか」と判断できますからね。そうなりますと、好泰君以外の地権者のほとんどが知っていないことになりますね。
さあ、だいぶ煮詰まってきましたが、契約書と契約金の在処を知っているものが一人だけ存在していることになりますね。いや、知っていなければならない者がいるということですが、それは誰でしょうか? 令和4年8月31日
質問できること
ヘブンスそのはらの白澤佑次社長に質問できることが一つだけあります。それは、「換地費用の400万円はあなたが用意したのですか?」であります。実は、これに近い質問を、地権者組合の懇親会で渋谷章行組合長と白澤祐次社長に聞いております。渋谷章行組合長が、盛んに換地が遅れているとか、換地費用が400万円あるとか、繰り返しているのでね、おもわず「質問よろしいですか?」と手を上げて、「換地とは何ですか?換地費用とは何ですか?」と言ってみたんですよ。そしたらね、今は挨拶なんで、そのことはまたの機会になんて言うものですからね、それじゃこれをちょっと見てくださいと言って、岡庭一雄村長と白澤祐次社長との財産区山林地代の契約書を見せて、「これ、熊谷村長からいただいたものですが、この契約書に覚えは有りますか?」と、白澤祐次社長に聞いたんですよ。そしたら白澤祐次社長は黙り込んで何も言わなくなっちゃったんですよ。ですから、「吉川建設との契約書に、2年分の地代に相当する2,000万円の保証金を半年分の相当額として保証金を400万円に変更するとありますが、この400万円のことを換地費用にしているんじゃありませんか?」と、突っ込みましたらね、もううつむいて青くなっちゃってね、そしたら常和という共産党のおバカがね、「これから一杯やるのにそんな話なんかやめろ!」と大声を出したんですよ。
消えていた保証金1,600万円
渋谷章行組合長にもう一度400万円は換地費用ですか? と聞けば、白澤祐次社長が、「400万円は換地費用ではないです」と、やっと声が出たんです。良かった。あのまま卒倒されたらと思うとね。こんなことが有りましたので、「400万円はなんのお金ですか?白澤祐次社長が組合に入れた保証金ですか?」は、質問できることなんです。吉川建設との契約時に、2,000万円の保証金(契約金)を400万円に変更しているんですから、白澤祐次社長とて、400万円を保証金にするは当然の事なんですよ。しかし、最初の2,000万円はいったいどこにあるのでしょうか? 令和4年9月2日
保証金の行方
吉川建設との契約書は確認書という形で残されていますが、実は不可解なことがいくつも有ります。その一つに、確認書は2通存在しているんですよ。最初の確認書はコクサイの石田社長がヘブンスから手を引き、伊那谷道中に走ったことで、吉川建設が後を引き継いだのだが、保証金2,000万円もそのまま引き継がれている。その時の確認書の地権者組合長は熊谷恵治である。しかし、二つ目の確認書が存在したのは、吉川建設がオリックスに身売りする直前であり、その時の地権者組合長は佐々木毅文であるのだが、なぜこの確認書が存在したのか不思議である。その確認書には、「2年分の地代相当分の保証金2,000万円」「400万円の保証金」などと書かれている。オリックスへの身売りの前に、なぜ改めて確認書を交わしたのか? と考えれば、時雄が中心になっていることからして、400万円(個人地主保証金分)を横領したと考えられる。この時に、2,000万円の保証金のうち、400万円が時雄に持ち出されて、残りの保証金1,600万円(定期預金)が信金駒場支店の貸金庫に入っていたと考えられる。時雄が400万円を横領したとのことは、換地するに換地費用が必要ないことと、換地費用を受け取った地主は居なかったからだ。
帰ってきた保証金
実は、信金貸金庫の中にあった補償金は1,600万円でなく、1,000万円であった。私が岡庭一雄と西の三悪人の犯罪を暴き出したことで、この保証金横領の発覚を恐れ、時雄は1,000万円(400万円含む)を戻している。この経過の裏話に、月川旅館の騒動が深く関係しているのだが、時雄が月川旅館の社長になったとして、時雄はそれらの金を用意できる状況になかった。それは、ひるがみの森旅館での横領が発覚し、追い出された身であったからだ。だからして、返さなくては横領がバレる保証金であっても、一文無しで返せなくあったのだ。令和4年9月4日
叔父にすがる
叔父渋谷秀逸は、次男の孝人に月川旅館を譲るとしていたが、それには旅館払い下げにかかる取得税1千万円が必要であった。払い下げは叔父が要望したことで、また、数億円の預金がある叔父のこと、1千万円の金に困ることは有らずして、当然として払い下げを受けると考えていた。しかし、払い下げを受けずに時雄を社長とした。この事に世間は疎いが、私が叔父に逆らったことで、私が社長になりたいのだと、叔父は世間に吹聴した。この時叔父は確かに金は無かった。それは次男嫁の在所(寿司屋)が2億円余りの負債を抱えて倒産し、そのほとんどに叔父が保証人であった。そんな状況で月川旅館の払い下げに1千万円の取得税が必要になれば、はたして叔父は何を考えたのだろうか。
時雄と叔父の裁量
月川旅館への橋の架け替え費用一億円の月川負担金3千万円を、財産区の金(地域振興補助金)で賄おうと計画したのも叔父と時雄である。それを阻止したのも私であるが、何事にもヘブンスの地代や契約金を利用しようとする叔父や時雄を見ていれば、この月川旅館の払い下げに、ヘブンスの契約金1千万円を回すと考えるは想像に難くない。実際に、契約金は貸金庫に眠っているだけであったし、1千万円が消えていた時期も後で判明している。いかに時雄とて、一人で横領は出来まいことだ。すべてを時雄と叔父の裁量で行われていた過去を振り返れば、騒ぎが大きくなってから1千万円の契約金が出てきたのもうなずける。兎にも角にも、2千万円の保証金は、私が騒ぐまで1千万円は消えていたし、そして今でも保証金の取り扱いは不明のままである。令和4年9月6日
渋谷章行組合長に物申す
単刀直入にいこう。「オリックスとの契約書を見せてください!」「オリックスとの保証金はどこに有りますか?」この二つの質問が勝負手である。誰に質問するのかって? それは当然渋谷章行地権者組合長である。組合長であれば、そのような重要な書類は保管しているもので、当然として全組合長の時雄から引き継いでいることだ。(実際は時雄が焼却している)そんなものは知らないとか、引き継いでいないと言えば、組合長として責任追及すればよいことで、私には地権者組合員としての権利がある。
盗伐裁判との関連性
この質問を渋谷章行組合長にするのはもう少し後になるだろう。それは、この質問は渋谷章行を横領の共犯者と決めつける質問であるからだ。だからして勝負手なのだが、この質問をするにはもう少し横領の証拠が必要なってくる。どのように証拠を集めるのかは頭に入っているが、一つにはこの裁判でのやり取りが大きなカギになっている。
今現在、この裁判は原告弁護士の個人的な理由において停滞しているが、それを良い機会として捉えるに、盗伐の控訴裁の判決が近づいていることにある。盗伐の控訴裁において被告弁護士は何度も準備書面を修正し、それはすでに7回目に及んでいるが、渋谷晃一もそれに合わせて、陳述書や証言などの証拠を山のように添付している。晃一はそれらの証拠を反論に有効だと考えたようだが、私にとっては、岡庭一雄と西の三悪人の犯罪に関係する証拠になっている。令和4年9月8日
高裁まで
盗伐の控訴裁は、原告は損害額を不満として控訴するに、被告は占有権の主張を再度求めることで控訴している。原告が損害額の不満とするところは、盗伐された樹木の損害評価がゼロであったからだ。それは「樹木の占有権利者が不明である」が判決理由でもある。それを不満とする原告に対して、被告晃一は、「土地の占有権者は平川だ」と、改めて控訴している。もはやこの時点で争いの焦点がずれているが、被告が誤解するに、「樹木の占有権」を主張するには、澁谷ゆきゑの土地の占有が先にあると判断したことだ。被告弁護士がこのような判断をしたとは考えずらいが、そこまで土地の占有権を主張するところに疑問を感じた。晃一がこの控訴審に勝てると判断しているのか? と思えば、晃一にそんな頭も技量も腰も無い。時雄が始めたことで、しつこくも自治会が後ろ盾なのかとしても、それこそ弁護士がいる限りそれはあり得ないことだ。
平川成泰が植えた木だとする証拠とは
高裁の裁判官が指摘したのは、「樹木の占有権を主張せよ」ということだが、家屋と同じで、木を切った今では土地に対しての占有権はもはやない。木を切らずしての争いであれば、原告はもしかしたら負けたかもしれない。そう考えれば、平川成泰が木を植えたと証明できれば、賠償金の支払いは無いことになる。一審においての熊谷章や原勇の証言は、「澁谷ゆきゑの土地に平川成泰の家が在った」であって、それらの証言は否定されている。そのような二人が、今度は「平川成泰が木を植えた」と証言しても、高裁には通用しない。令和4年9月10日
黙して語らず
原勇も熊谷章も操の同級生だとするに、もう一人、黙して語らずの同級生が居る。それは熊谷幾久と言って、学校の火事で燃えた渋谷ゆきゑの隣家の住人である。この人は普段から寡黙であって、この様な話に乗る人ではないが、聞くところによれば、平川成泰の家が在ったとのことは話していたようだ。平川の家があったことを否定する物は居なくても、平川の家が災害で流されたことは、私の年代であれば誰でも知っている。そして重要なのは、平川の土地だと主張するに、アーテリー道路にかかる、渋谷ゆきゑの土地を阿智村が買ったとする「確認書」なる書面を証拠としたことにある。なぜこの確認書が平川の土地であると証明できるのかの疑問はさておいて、阿智村が売買契約書でなく確認書を用いたところに疑念を抱くことにある。
法律の遵守は行政義務
飯田市との争いに、契約解除という民法の扱いがある。民法上で契約解除が有効であれば、章設計は訴えることが出来ない。純粋な話は、行政は法律を遵守し法律を執行する立場にあるということだ。純粋の意味を知らないバカ者どもが、復命書なる書面にて売買契約が出来たと言う。それらの復命書において渋谷ゆきゑの土地が阿智村のものになれば、アーテリー道路になっているこれら三つの土地は、阿智村の名義になっている話だ。明治だ昭和だの話しではない、平成7年の話しである。
この復命書なる書面のことは何も知らなくあった。ただ、渋谷ゆきゑの土地にある樹木が勝手に伐採されて転売されたとのことを、叔父渋谷秀逸と熊谷時雄が画策しての犯行だと知っていただけである。(ここで今一度、確認書なる書面をご覧いただこう。復命書 )令和4年9月12日
使えない証拠
この復命書なる書面を仮に有効な書類であるとした場合、平成7年2月7日でもって渋谷ゆきゑの土地の権利は阿智村の物になったと言うことだが、ここでもう一つの証拠とやらを見ていただこう。 土地売買契約書 クリックしてご覧ください。
不適な契約書
この契約書は前のブログでも公開していますし、村長選挙に合せて全住戸へ配布していますので知らない村民は居ないと思いますが、理解できる村民はほとんどいないでしょう。それほどに阿智村民の見識は低いのであります。
この契約書でもって、「土地売買を行っている」と、熊谷秀樹村長は原告弁護士の通知書(土地無断使用の告知)に返答されましたが、原告弁護士からの回答は「それら契約書に拘束されていません」と返している。この契約書が偽造であっても無くても、この契約書はこれら三筆の土地を購入した契約書とみなされないと原告弁護士は指摘したのです。さて、この契約書のどこを見て、原告弁護士はそのような回答が出せれたのでしょうか。まったくもって簡単な話し、他人の土地を売買しているからです。実際にこの契約書が有効であれば、これら三筆の土地の名義は阿智村となっているはずです。現実に私の名義でありますので、このような契約書は何の意味もありませんからね。ですから、裁判が始まっても、阿智村はこの契約書を証拠として出せないでいるのです。「村道として20年以上占有してきた」とが、阿智村の反論であります。
見識ある者がこの契約書を見れば、阿智村長が横版でないことに気づきます。今までに、行政との契約を交わすに、印刷で「阿智村長」とある契約書を見たことは有りますか? 令和4年9月14日
犯罪の証拠
見識がより深くあれば、財産区が登記ある山林を転売することなどあり得ないと気づき、ついには、この契約書は見せかけの書面であるのでは? と疑惑をもつでしょう。民間同士の契約書であっても、この様な契約書が有れば不審に思うところで、まして行政との契約書であれば、「なぜこんな物が?」と疑念を抱き、ついには、これは大変なことだと確信にいたります。それほどな契約書で有りますが、これが行政書類として存在しており、「契約しています」として表に出たのである。
裁判での効果
裁判官から見れば、これらの書面と契約書は額面通り受け止めることになります。たしかに本谷園原財産区と阿智村が三筆の土地を売買契約をしていますとね。ですから、これらが証拠として提出されれば、原告弁護士の回答通り「拘束されていません」と答えるに併せ、なぜ拘束されていないのかを証明することになるでしょう。ですが、被告弁護士はこれら契約書を証拠としていません。それは、裁判には通用しないと判断できているからです。
この様な事は準備段階にて互いが承知することですが、阿智村としては、司法でこの契約書が扱われることの方が重大なのです。下平秀弘弁護士は私の意図が分かっており、「ブログで誹謗中傷している」とか「選挙資金を求めるために阿智村を訴えている」とかで、違う土俵での争いを求めていますが、それはそのまま他の裁判でお返しすることになるでしょう。
他人の土地を売り買いした!!阿智村は本谷園原財産区の土地だと思っていたとしても、行政が登記できない土地を購入すること自体出来ることではありません。これら契約書の存在は、私の思惑とおり、行政犯罪の証拠となるのです。令和4年9月16日
裁判の目的
盗伐裁判でも横領裁判でも、そして給水停止裁判においても、私は裁判に勝つを目的としていません。何度も言ってきましたよね。私が裁判に何を求めているのか、もう読者の皆さんには分かりましたよね。私が正しいと言っていません。行政にある不正を正すことが目的でもありません。誰を助けることも無ければ、誰かに助けてもらいたいわけでもありません。間違っていることが修正されれば良いのです。
不動産略奪
阿智村は時効取得を主張しています。平成8年からですから確かに通用しますよね。『所有の意思をもって、平穏に、かつ、公然と他人の物を10年または20年占有すると、時効によりその物の所有権を取得することができます(民法162条)』法律にはこのように記されておりますが、その法律の根拠となるものが、『長年の事実状態の尊重や、昔のことになると権利の証明が難しくなる、などの理由』であります。
さて、この法律があることは承知の上ですが、この法律が通用するのはヘブンスそのはらアーテリー道路になっている三筆の土地であって、私の田んぼが村道拡張で無断で占用されていることは、時効取得にあたりません。こっちはこっち、あっちはあっちの二つの裁判でありますが、いずれも原告は私であって、被告もまた阿智村であることです。時効取得一つを取れば、アーテリー道路の三筆の土地は確かに不利ですよね。ですが、その不利を承知の上で争いを起こしたことを考えてみてください。
『所有の意志を持ち、平穏に…』から始まる時効取得の条項は、それらが満足されていると証明できなければ始まりませんが、はたして阿智村は『所有の意志』と『平穏に』をどのように証明できるのでしょうか。令和4年9月18日
所有の意志
阿智村はいつどの時点で『所有の意志』を持たれたのでしょうか? 阿智村は行政で有りますので、所有の意志を通達しなければなりませんね。ですが、地主には所有の意志を持ちたいと伝えていません。どこにそのような証拠が有るでしょう? 行政はすべてが書類であって、言葉で証明することは出来ませんが、裁判においては、その言葉も通用するのです。ですから、その言葉を原告である私が証拠をもって否定しなければなりませんが、果たして否定が出来るのでしょうか? ここは弁護士に相談しても出来きませんので、まずは、『所有の意志』を、いつどの時点で持たれたかを、逆にお聞きすることから始めたいと思います。
時間稼ぎ
早く訴えたいとしたのは、これらの裁判が盗伐裁判に大きく関係するからであって、盗伐裁判で持ち入れられた被告晃一と原告渋谷徳雄さんの証拠が、この裁判の展開を左右するからであります。正直なところ、盗伐裁判は一審で終わると考えていましたし、この裁判に関する十分な証拠も揃ったとしていましたので、一刻も早くこの裁判を始めたかったのです。しかし、弁護士の都合において半年以上遅れたことと、また、盗伐裁判が控訴とされたことにおいて、それらの経過を見るに併せ、この裁判はもう少し時間が必要と考えた次第であります。一審では『切り株の片付け費用』を認めるとしの判決でして、土地についての争いは無いとされたので勝訴に変わりはないものの、弁護士が「絶対に樹木の損害は認められる」と控訴を勧められたのと、原告渋谷さんが「村長との結託は許せない」また、犯罪として処罰されるべきとの強い思いから控訴に踏み切りました。しかし、控訴をしなくとも、被告晃一が控訴しましたので、結果は同じでありましたが、被告晃一が改めて『平川文男の土地だ』と主張したことで、控訴審が終わるまで証拠の確定が出来ないのであります。令和4年9月20日
二度目の否定
控訴審が始まるに、被告晃一の主張の一部『平川文男の土地だ』は実質的に却下の状況でした。伐採された樹木の損害請求ですから当然と言えばそれまでですが、土地の争いが無くなったことは、原告渋谷徳雄さんの土地であると判断されたことになります。控訴審においても被告晃一は平川文男の土地だと再度主張していますが、樹木の占用だけを主張せよと改めされたことは、土地については一審の判決に従えとのことであります。土地に関しては争うことなかれ、それは法務局の登記で証明されている。法務局の登記を書き換えるには、それらの土地を平川文男が購入するしかない。だからして、「和解の条件はこの四筆の土地を売れ」であったのです。
法律的裏付け
控訴審が意味するのは、渋谷ゆきゑの土地を相続した者は渋谷徳雄であるを法律が認めたことであります。木を植えて50年60年占用したとしても、土地の所有者は相続した者であると、法律が決めてくれたのです。当然と言えばそれまでですが、これらのことは渋谷ゆきゑの土地すべてに行き渡りますので、渋谷ゆきゑの土地全ては渋谷徳雄が相続したと認められたと言うことです。この結果は三筆の土地の争いにも影響をもたらすもので、土地の所有者が同じであれば、法律的判断に変わりないは言うまでもないでしょう。
「村道として、所有の意思をもって、平穏に、かつ、公然と20年以上占有してきました」と反論されていますが、「村道として20年以上占有しても土地の所有者に変わるものではない」となれば、例え村道で占有されたにしても、永久的に阿智村の土地とはならないことなのです。そう、兎にも角にも阿智村の土地ではないと証明されることが重要なのであります。阿智村の土地でないと証明されることは、即ち、阿智村はこれらの土地を賃貸借している状況となり、土地所有者が賃貸料を請求すれば阿智村はそれに応えなければなりません。何と言っても、阿智村は行政でありますから。令和4年9月22日
時効取得を考えて
訴えれば当然にして時効取得を主張される。時効取得を主張されても土地の所有者であるを証明するためには、賃貸借料の損害額請求期間を10年として、20年以上の請求を行わないようにして訴えました。これらのことは弁護士であれば想定内であると思われるが、だからして阿智村の反論は「20年以上の占有での時効取得の主張」であることで、また、私が渋谷ゆきゑの土地を購入したことを知らなくあったとして、「原告は村道になっていることを知っていて購入した」と、私の訴えが恣意的であると反論しているのです。「金儲けが目的だ」「選挙資金が目的だ」と、まあ、これが行政の反論であるのかと、耳を疑うような文面であるのは、それほどの状況をあらわしている。その中でもひときわ目についたのは「ブログ」の件を反論としたことにある。確かにブログで阿智村行政の不正や犯罪を書き出すに、下平秀弘弁護士のことも随分書いている。さすがに頭に来たのだろうが、ブログを取り上げたことは、それほどに堪えているのだろう。笑ってしまうが、それが判決に影響するようであれば、もっと面白くなるのだが。
証拠とできない契約書
澁谷ゆきゑの三筆の土地を、本谷園原財産区から阿智村が購入したとした契約書が存在する。訴える前に、熊谷秀樹村長は、その契約書を証拠として「阿智村は当該土地を購入している」と添付して反論していたが、どういう訳か裁判が始まったら、下平弁護士は、その契約書を証拠として提出していない。阿智村が契約書を交わしているのであるから堂々と証拠とすればよい。売買契約書があれば、何も時効取得を主張する必要はないと思われるが、なぜ証拠としないのだ? 令和4年9月24日
盗伐裁判での証拠
阿智村と本谷園原財産区の契約書を、晃一は盗伐裁判で証拠とした。そう、もう法律的に表に出ている証拠なのだ。この思いがけない証拠は、晃一が「渋谷ゆきゑの土地はすべて本谷園原財産区に置いて行ったものだ」との主張に用いた物で、それも阿智村が保管している契約書を添付している。この証拠で熊谷秀樹村長と晃一は互いに大きな間違いを二つも犯しているが、未だそこに気づいていないようだ。その一つは「他人名義の土地を売り買い出来ない」のと「本谷園原財産区は存在しない」との二点である。晃一の勘違いと言うより、智里西地区のおバカさんたちは、「両区」を財産区だと思い込んでいる。だからして、「渋谷ゆきゑの土地に関して記録がある」として、本谷園原財産区と阿智村の売買契約書の裏付け書面を証拠の一部としているが、それらの書面のどこにも本谷園原財産区の名称は無く、代わりにある名称は「両区」とある。両区は財産区ではなく、智里西地区の区割りであることだ。
耕地
小野川村の歴史を知らぬ者達は、叔父と時雄がつくった「本谷・園原財産区保護誓約書」なるもので、本谷財産区と園原財産区が存在するとしてきたが、財産区などという名称は、智里西地区では「横川財産区」だけである。財産区と呼ぶには対象山林の自治体への届け出が必要で、それは阿智村が形成されたときに移行されるものだ。だからして駒場財産区はそのまま残っており、駒場財産区に含まれる横川部落は「駒」で地番を表している。
小野川村は、本谷耕地・園原耕地・小野川耕地の三耕地で形成されている。簡単に言えば、財産区でなく「耕地」である。昭和9年に智里村になる時に、共有山の一部を提供して負荷を免除されているが、それは財産区として届けていなかったことにある。この話が信じられないのであれば、園原にある薬師堂(月見堂)の土地の謄本を見れば、小野川村とか智里村とか、まして阿智村などの名義になっておらず、単に「耕地」として登録されている。そのことを見るに、耕地は、村が形成される前の村の呼称であることだ。令和4年9月26日
本谷園原財産区保護誓約書とは
本谷園原財産区保護誓約書は、小野川村が智里村に合併されるに、渋谷勲が言い出した、「三耕地は解散したい」から始まっている。ここでよく記憶していただきたいが、渋谷勲は耕地とは言っているが、財産区のザの字も口にしていないことだ。小野川村の構成(本谷3人園原2人小野川5人の総代)のままでは、小野川が一番大きな地区となることで、智里村では主役となるに、智里村ではイニシアチブは取れないこと、しかし、小野川と別れれば、本谷園原で5人は小野川と対等になる。それくらいの野心家であって、智里村では助役となっているのだ。(智里村:大野村中野村小野川村横川集落昼神集落)
その日を境に、智里西地区は両区と称して活動してきた。村会議員は本谷園原で一人づつ、それは阿智村まで続いたのである。
さて、前置きはここまでにして、本谷・園原財産区保護誓約書とは何であったのかだが、簡単に言えば、本谷と園原が耕地として所有していた山林財産(共有山:キョウユウザン)を当該自治体に財産区として登録しようとした申請書類の一部である。そう、登録しようと試みたと言うわけだ。しかしとん挫した。なぜそのような話を知っているのかと言えば、父典章がその申請時の事務局長であったからだ。(言い出しっぺは渋谷勲)「本谷・園原財産区保護誓約書」とのひな形(ほとんど表紙)が何十枚も書棚に有ることで、「これは何?」と父に聞いたことで、父は「申請前にダメになった」と一言、それだけの話である。だからして、本谷園原財産区など存在しない団体なのだ。(私の年代なら、村民運動会の開催者が両区の区長であったことで分かるはずだ)何度も言ってきたが何度も言う、本谷園原財産区とは、ヘブンスの地代に税金がかかるとして阿智村に地代を振り込む代わりに、阿智村は地域振興補助金として振り込める先が必要としてつくり上げられた団体なのだ。令和4年9月28日
すべてが偽り
園原と本谷を両区としても、そこに会計が有ったにしても、両区との団体は両方あることで、それらを一つの団体としなければ行政は一つの補助金を出すことは出来ない。阿智村はヘブンスそのはらの山林地代だと出来ないことで、地域振興補助金としたが、行政がヘブンスそのはらの山林地代を受け取ることは出来ない。なぜならば、ヘブンスそのはらの山林は“共有山”として登録されているからだ。
横領犯罪に行政が関与
岡庭一雄と西の三悪人は、どうして「税金が掛かる」と言い出したのかは、山林地代を横領しようと考えたからだ。そしてそれは実行された。ヘブンスそのはらから支払われる山林地代は、西の三悪人が管理する裏口座に振り込まれている。なぜそこまで言えるのかと言えば、両区が所有する共有山の地代を阿智村に振り込むことが出来ないからだ。これが本当に阿智村に振り込まれているのであれば、例え共産党の監査員としても、通るはずがないのである。阿智村が地代を受け取りましたとして、ヘブンスそのはらに領収書を書けますか? 振込口座に残ってしまえば、犯罪の証拠になってしまう。岡庭一雄が村長権限を行使しても、飯田信用金庫はそれが出来ないことだ。もっと簡単に言えば、税金を徴収する行政が税金を取らないはあり得ないことである。
岡庭一雄と西の三悪人が横領したとの絶対的な証拠が有る。それは、阿智総合開発株式会社代表取締役石田貞夫と阿智村長岡庭一雄の賃貸借契約書の存在である。これもおバカな熊谷秀樹村長から手に入れたものだが、村長選の前に全村民に配布した文書では公表していない。この賃貸借契約書は、ヘブンスそのはらの山林地代の契約書であって、白澤祐次社長との契約書と全く同じものである。令和4年9月30日
法律の世界ではない
議会対策用に作成したと思われるが、この契約書を見れば明らかに後日作成した物でもある。この契約書は県警へも、そして国にも届けていない。なぜ届けていなかったのかと言えば、その時点でこの契約書の判断が出来なかったことにある。
契約書の内容はヘブンスそのはらの山林地代であることは、白澤佑次との契約書の裏付けとして作成したと考えていた。白澤佑次がジェイマウンテンズセントラルの社長として山林地代の契約を交わすに、その契約内容が白澤佑次が社長になった時点で始まることは無いとしたいがために、阿智総合開発株式会社石田社長の時から契約書が有ったと見せかけるためだと考えた。あながち間違いではないが、昼神温泉エリアサポートが第三セクターであったとなれば、石田社長との契約書は違った意味を持つことになる。
証拠は語る
石田社長との契約書の日付は平成12年であることは、岡庭一雄は平成12年の契約書を必要としたと考えられるが、平成12年に何があったのかと言えば、思い当たる節は地権者組合側にはない。しかし、時雄が村会議員になったころだとすれば、この契約書を作成するには時雄が絡むことは当然だし、岡庭一雄よりは時雄の考えだろう。まあ、知らぬ間に阿智村が地主となるは、相当な理由であるに違いはない。そこで考えるに、ヘブンス山林地代の横領が始まったのが平成12年からだとすれば、この偽造契約書の持つ意味は大きく前進する。ヘブンスそのはらの山林地代を横領せんとして岡庭一雄と西の三悪人が始めた日ならば、阿智総合開発と阿智村の契約書は絶対に必要になる。
行政であるから必要な契約書、契約書なくして金は動かせない。しかし、他人の土地から収入を得るために契約書を偽造する行政とは、いったいどの世界の出来事なのだろうか。令和4年10月2日
後日用意した契約書
平成12年は父典章はまだ村会議員であった。父が居れば時雄はそんな真似は絶対に出来ないことで、当然として、父が引退した後のことだ。岡庭一雄は平成10年2月に村長になるに、一期目はかなり慎重であったが、無投票で二期目ともなれば、ずいぶんと驕りも出ている。そこに時雄の村会議員が加わり、上原耕平や熊谷操らと悪事を企むのも思いのままであったろう。そんな状況において阿智総合開発石田社長との契約書は偽造されたのだが、それは平成17年、18年頃とみて間違いないようだ。どうでしょうか、昼神温泉エリアサポート第三セクターが設置された平成18年と結びつくではありませんか。
何のための契約書
阿智第三セクターの社長は石田貞夫と吉川光圀であるに、なぜかこの契約書には石田貞夫の名前しかない。それを見ても偽造だと分かるが、そもそもヘブンスの山林地代を阿智村が契約するはあり得ないことだ。「税金が掛かる」がいい訳であったが、税金が掛かるのであれば阿智村の会計に収入しなければならない。だが、税金が掛かるとの言い訳が嘘と分かったことで、石田社長との契約書は税金が掛かるが理由でなくなった。だとすれば、何の目的で契約書がつくられたのかが見えてくる。(吉川光圀社長の名前が無いことは、吉川光圀氏はこの契約書のことを知らないとなる。知っていれば、吉川建設がヘブンスの経営を始めたときにも同じような契約書を必要としたはずだ)
熊谷秀樹村長は、水道料金未払いの話し合いの席で「山林地代は村に振り込まれていません」と発言している。それが聞きたくて水道料金を支払わなく話し合いに持ち込んだのだが、この話し合いは録音に記録されている。熊谷秀樹村長も録音を知った上でこの様に話しているからして、たしかに阿智村の会計には振り込まれていないだろう。万が一振り込まれていれば、阿智村は潰されてしまう。令和4年10月4日
新たな疑問
ヘブンスの山林地代が阿智村の会計に振り込まれていないとなれば、いったいどこに振り込まれているのだろうか? ヘブンスそのはらの白澤祐次社長は間違いなく振り込んでいるからして、それこそ間違いなくどこかの口座に振り込まれているはずだ。いままでは、「本谷園原財産区」との裏口座に振り込まれているとしてきたが、確かにそれであれば振り込むこともできようし、金の流れもおかしくはない。ただ、それが山林権利者に渡っていないだけのことで、それはいずれ横領として表に出てくる。しかし、横領が叔父や時雄や操だけであれば、熊谷秀樹村長が地域振興補助金の支払いを止めたとき、横領もそこで止まるはずではないか? これら三人の者の横領が事実であれば、熊谷秀樹村長は絶対に地域振興補助金を止め切ったことだ。それが再開されるには、やはりそこに岡庭一雄が絡んでいなければならない。岡庭一雄が絡んでいるとなれば、岡庭一雄も同じ横領犯である。
二つ目の支払先
西の三悪人だけであれば、叔父と時雄が死んだ時点で横領は発覚する。また、二人の相続者が横領を続けていることになるからして、それが事実であれば、相続者が抱えきれることではない。この様に考えられれば、横領は西の三悪人だけでないことになる。では、いったいどの口座に振り込まれているのであろうか?
案外と簡単に答えは出てくる。それは、地域振興補助金の支払い方法を誰が決めたのだということだ。この様な金の流れを考えるに、そこに関連できる者と言えば、岡庭一雄しかいない。村長であって、コクサイの石田貞夫社長と特別な関係であって、ヘブンスそのはら開設の張本人であれば、金の流れを思いつくは朝飯前の事であったろう。令和4年10月6日
任意団体
岡庭一雄と地域振興補助金の関係性の前に、本谷園原財産区についてもう少し詳しく述べたいが、そもそも財産区そのものを知らない読者にも分かるように、常識論で述べてみたい。
財産区と区
財産区は市町村の一部とされることは市町村合併の歴史からなることで、合併される前の財産(山林等)が、その権利ある地域(区)で公の財産事務処理を行う特別地方公共団体の一部と定義付けられている。ようするに、当該地の地方公共団体に含まれる特別地方公共団体(財産区)でなければ、財産区ではないと言うことだ。
では、区とは何であるのかだが、区は今で言う地区と同じようなものだと考えてもそう遠くはない。町村の合併をもとにすれば、やはりその地区(区)が、独立して区域内の財産事務を行ってきた歴史がある。財産区に変わる公共団体が区であるというより、大きな単位が財産区であって、小規模が区と考えるべきだろう。だからして、智里西地区には「本谷区」と「園原区」が存在していた。
両区とは
小野川村の形成時は、小野川区・本谷区・園原区を証して耕地と呼んでいた。三つの耕地が集まって小野川村を形成したのである。その時の地区割りが区であることは、財産区でないとの証明に合わせ、区が財産の区分であったことになる。
それでは、小野川村の財産はなんであったのかと言えば、それぞれが持ちあった山林区分であって、それらの管理事務が行われていたのである。
耕地と共有山
耕地とは一般的に名前の通り耕す土地であることだ。では耕地がなぜそのまま法務局の謄本に残っているのかと言えば、それは共有財産である土地を耕地として登記したからである。
山林を持ち寄って共有山となし、その共有山をそれぞれの区が共同で管理してきたのであれば、そこは合併村が管理できることではない。令和4年10月8日
もう一つの真実
それはヘブンスそのはらが始まる前のことである。コクサイの石田社長と吉川建設の吉川光圀社長の考えに、園原にスキー場を開設するなどとの考えはなくあった。コクサイの石田社長に「ロープウェーを架けるならホワイトシーズンを考えたらどうでしょうか」と、本谷区と園原区の共有山に、スキー場の建設を推薦した。
紹介した山林は京平(キョウダイラ)と呼ばれる本谷区と園原区が管理する共有山であることと、智里西地区を治めるのが両区であることにおいて、第三セクターに地主として加わったのである。出資金は200万円、阿智村が1千万円、吉川建設もコクサイも1千万円であることから200万円は安価であるが、出資者は「両区」となっていることにすべての答えがある。
本谷園原財産区の始り
智里西地区の住民の誰でも良いが、両区のことを本谷園原財産区と呼びだしたのはいつからなのか、知っている者が居たら答えていただきたい。例えば操でも良い。本谷園原財産区に歴史があるのなら、それを説明されよ。盗伐裁判で、本谷園原財産区と記させた契約書を証拠とされたが、それは澁谷ゆきゑの土地を搾取した偽造契約書であることだ。偽造契約書であるは本谷園原財産区が存在しないことで偽造としたのではないが、晃一が証拠としたそのほかの書面にはすべて「両区」と記されている。晃一よ、なぜ両区の書類を証拠としたのだ? 本谷園原財産区が存在しているのであれば、両区の書類では証拠にならないではないか。両区の書類が証拠であれば、本谷園原財産区との契約書は偽造となることだ。両区を本谷園原財産区だと称しても良いが、契約書に呼称を用いることは犯罪になると知れ。まして阿智村との売買契約書であるに、これほどのことが躊躇なく行えた岡庭一雄村長は、相当なる犯罪者であることだ。令和4年10月10日
底知れぬ怖さ
本谷園原財産区が存在し始めたのはいつごろか? それは平成7年頃かもしれない。当時、私は智里西開発組合(西地区全戸が加入)の専務であって、阿智総合開発株式会社(阿智村)と地権者組合の契約に立ち会って、契約書の乙か丙になっているが、その時に、確かに本谷・園原財産区の総代長渋谷秀逸とあったが、渋谷秀逸はこの契約に立ち会っていなかった。なぜかと私は渋谷秀逸に聞いたが、「俺は契約には関係ないので」と言ったのを思い出す。しかし、両区の総代長は熊谷茂平さんであったか、地権者組合の代表であった熊谷恵治さんと横並びに座っていた。どうもこのあたりから時雄と秀逸と操は、本谷・園原財産区という任意団体をつくろうと画策していたようだ。
税金が掛かる
契約と同時に契約金は用意されていたが、その金額は1千万であって、残り1千万円は、造成工事(ロープウエー共)が完了する平成8年まで待ってほしいとのことで、当然として地権者組合(地主)に支払われる賃貸借料(土地代)も、平成8年の工事完了からの支払いであった。
ヘブンスそのはらのオープンは平成8年8月8日であるに、そのセレモニーの地権者組合の代表は開発組合であったが、それは、地面者組合の交渉口が智里西開発組合であったからである。この時の村長は山内康治さんであって、岡庭一雄はその気配も無かったが、裏では西の三悪人とこの犯罪を企てていた。岡庭一雄は観光課長の関係でコクサイの石田と親しくなり、目に余る行動に山内村長は岡庭一雄を生活環境課長に配置換えしているが、この時すでに村長選挙への布石を打っていた。
兎にも角にも、岡庭一雄が村長になってから渋谷秀逸は「財産区への地代に税金が掛かる」と言い出した。叔父の手前、そのおかしな話に文句を言えなかったが、園原部落の会合において、京平の地代に税金が掛かるとして阿智村に地代を支払うのはおかしな話だと、私は操の前で切り出したのである。令和4年10月12日
下平弁護士の登場
熊谷泰人が、下平弁護士に話を聞きに行った。それは「京平のヘブンスの地代に税金が掛かると言ったのは下平弁護士みたいだ」と、私が泰人に話していたからだ。なぜ泰人が下平弁護士の元を訪れたのかは、阿智村を訴えた裁判で、原告(章設計)の社長として自己弁護を行い、下平弁護士と親しくなっていたからである。
泰人は「本谷園原財産区保護誓約書」は下平弁護士が作成したのではないかと聞いたと言う。下平弁護士は、「時雄さんから依頼されたが、木下司法書士を紹介しました」と返答されたと言うが、泰人は、この時点で本谷園原財産区は存在していないと確信したようだ。財産区のことを何も知らない弁護士に財産区のことを聞きに行ってこの結果であるに、それでも収穫が無かったのか「飯田市に住所が有るのだから財産区の権利は無い」として、脱退届を出せと孝志に請求されたことに、「家が在り部落会費も出している」と返答しているようだが、少々お門違いな気がする。泰人は、市会議員選挙において秀逸や操に応援依頼した経過が有るからで、それもやむを得ないのだろう。ちなみに、操に出向いたのは叔父(父方)であって、流石に泰人は行ってはいない。
思わぬ成果
叔父の分別の無さが、かえって良い結果を出したこともある。最初の立候補時に渋谷秀逸に選挙協力の願いに行ったのは、私と泰人である。その四年後はすでに西の三悪人のことを追求し始めたころで、渋谷秀逸のところには泰人一人で行ったようである。そして昨年の4月の市議会選挙では、それに叔父が同伴している。泰人が言うには、その時の渋谷秀逸はかなり動揺しており、本谷園原財産区は税金対策のためにつくった任意団体だと認めたようである。しかし、税金対策が嘘だとのことは泰人も分かっていることで、いづれ問題になるので直した方が良いと伝えたようだ。秀逸は「そうだなあ」と頷いたと言う。令和4年10月14日
操に会ったのは叔父
操家族の横領は、阿智村では知らぬ者はいない。泰人も同じ祖父を持つに、操のところに選挙応援に出向くはあり得ないと強く否定したが、叔父が行ったとのことは否定しなくあった。恥ずかしい話だが、叔父の節操のなさにはあきれる。「章文を抑えてくれ」と、秀逸叔父は叔父に言ったそうだが、「同じ叔父ではないか、直接話したらどうか」と言ったというが、泰人とはずいぶん違う観点だ。
泰人は下平弁護士と話したときに、本谷園原財産区は存在しないと理解していたが、孝志が「地元から離れれば財産区の権利はない。放棄文書を出すように」と詰められた時、「家もある。部落とも今まで通りおつきあいをする」と返答しているところを見れば、少し感度が違う対応である。やはり、市会議員になれば不正や犯罪に立ち向かうのではなく、もめ事に関わりたくないと言うのが本音のようだ。
財産区をつくった目的
時雄が財産区をつくると秀逸に話したとのことだが、その目的は当然ヘブンスそのはらからの山林地代を横領するところに有ったが、同時に、権利者を減らすことも考えたようだ。時雄が下平弁護士に「財産区をつくるにはどうすればよいか」と聞けば、財産区のことなど何も分からぬ弁護士が言えることは「規約をつくればよいのでは」の、助言である。なぜそんな助言が出来るのかは弁護士ならではのもので、任意団体でも目的が必要だとする法律的解釈なのだ。(まあ、行政書士的かな)
理解できない時雄は下平弁護士に規約の依頼をしたのだが、それは司法書士の分野だとして、木下司法書士を紹介したのである。その足で木下司法書士に向かったのかはともかくも、「本谷・園原財産区保護誓約書」のひな形は出来たようだ。(本谷・園原保護誓約書の題目は、父親の世代が財産区登記を準備した時に残されていたものである)令和4年10月16日
保護誓約書
保護なのだから山林を保護することで、それを誓約書に認めるとなるが、その中身を見れば保護にあたる条項は何もない。何が主として保護誓約書に書かれているのかといえば、「権利放棄」と「財産権は相続だ」である。公開しても良いが、余りにばかばかしいので要望が有ればにしておく。
時雄は、この保護誓約書を5年に一度見直しをするとのことで委員会を設置したが、それが5年後に行われなく(時雄が議長になった年と重なったため)翌年の開催になった。その委員に私は進んでなっている。四部落から二名ずつの委員であるが、園原部落のもう一人を和美に決めたのは私であるが、それは、和美の父親敏一さんから、「何も知らないんで頼む」と言われていたからだ。なぜそんな話を敏一さんとしたのかといえば、敏一さんの家の前に在る田んぼの一部を分けてあげたからである。(この話は、敏一・和美、父と私の四人で行っている)
手に負えない
分けた田んぼは宅地とされ間知ブロックで造成されたが、農地のままで私の名義である。だからして今でも税金を納めている。宅地と田んぼの間に井水が有ることで、農地転用がかけられないことで、それでは売買できないとの話になったとき、「私と和美が了解していればよいので」が、敏一さんのお願いであった。(この件は、これからのもめごとになる)和美はアルファシステムの副社長であるが、この話を境にして、アルファシステムの新社屋の設計依頼があった。しばらくは良好な関係であったが、部落の会計役を行った頃からおかしくなっている。
さて、問題の見直し委員会であるが、その時に、熊谷好泰君が農間の財産区総代とし参加している。初めて見る本谷園原財産区保護誓約書に戸惑ったのは、本谷・園原保護誓約書と記されていたことにある。令和4年10月18日
別々の財産区
勝手に財産区を始めたにしても、財産区の財産が何であるのかが示されてなく、また、本谷・園原とあれば、別々の財産区が存在することになる。この様な幼稚な手口であるに、それに気づかなくあったのは、すでに本谷園原財産区として始められていたからだ。散々に、「ヘブンスの地代に税金が掛かる」「謄本は阿智村になっている」が先行され、それに対して異を唱えての財産区の存在であれば、その財産区がなんであるかを確かめるに、本谷・園原財産区保護誓約書を確認しなくてなんとするが、私が見直し委員会の委員になった理由である。
見ればおかしな条項がいくつも有るが、それらを指摘すれば時雄は返答に困り、「意見として伺う」で締め、「はい、他の意見は?」に振る始末。それはおかしくないかといえば、「悪いか!?」で、開き直る。これでは見直し委員会もくそも無い。そして横に居る原勇は「保護誓約書は時雄がつくったものだ」と、私に小声でささやく、そして「議長になったので様になっている」と、ぼやくのであった。
原勇の話ですべてが呑み込めたが、何のために本谷・園原財産区を始めたのかの理由が分からなくあった。単に、財産区として権利を主張することなのか、財産権者として区民を縛り付けることが目的ではないのか? それとも、地区を離れた者から権利山を奪うことなのか? と、まだ私は霧の中に居たのである。
財産区を知らない年寄り
村八分のコーナーで書き出しているが、現園原部落長である熊谷富美夫の父親敏治さんが、冨美夫が初めて部落の付き合いを始めるに、「冨美夫が部落に出ていくが頼むな」と言われ、そして「俺は財産区が何だか知らない。教えてくれんかな」と言われたことが有る。聞けば、部落の付き合いについて冨美夫には教えたつもりだが、財産区は全く知らないというのである。さもあらん、操と年が変わらぬ敏治さんは、長く森林組合の作業員としても働くに、園原財産区が有れば知らぬはあり得ない事、その人から財産区の説明を求められたにしても、私はもっと知らないのである。令和4年10月20日
操も知らない
私が父から聞かされていたのは、本谷・園原財産区保護誓約書は、財産区として智里村に登録するためにつくったと言う話しだけである。この事は、昭和9年の合併時の記録として残されている。これらのことは操は知っているが、園原に財産区があるとは一度も言っていない。今になれば長老だが、園原部落の成り立ちなど全く知らない。それは、操は家を継ぐ長男ではなかったからだ。
操には兄がおり、それが熊谷秀二の姉を妻として家をやるに、その兄が、突然(姑との折り合い)に家を出て、春日井に越してしまったことで、次男の操が跡を継ぐことになった。だからして、園原部落の生い立ちも、区であることも深く理解できていなく、まして区が共有山を持ち寄って小野川村を構成したのだとのことも、聞きかじりしかないのである。だからして、園原部落のもめ事が起きた時にも、私の発言に何一つ逆らうことが出来ないのである。だからして、私を部落から追い出す以外に逃げ道は無いと判断して村八分を実行させたのである。
だからして
すべての出来事に理由があるのは、原因と結果が出ているからだが、同じく、理由が見つからなければまだ原因が判明していないことになる。だからして、原因を探るには、今の状況がなぜ起きたのかと、順序良く過去を振り返ればよいとなる。
それに沿って、村道にされた澁谷ゆきゑの土地を結果から探るに、その結果とは何であるのかをもう一度振り返ってみる。
結果とすれば、澁谷ゆきゑの三筆の土地が村道とされていることだ。謄本が澁谷ゆきゑのままでは阿智村は買ったことにはならないが、それであれば賃貸借を行っていることになろう。令和4年10月22日
次のだからして
村道になっている他の地主たちは、地権者組合として賃貸借契約を行って賃貸借料の支払いを毎年受けているが、渋谷ゆきゑの土地に賃貸借料が支払われた形跡がない。白澤祐次社長に聞けば「お借りしていない」との回答であったが、お借りしていなければ他の地主たちからもお借りしていないでなければならない。他の地主たちは、換地と称して村道になっている部分を阿智村名義に変えているが、なぜそんなことをしなければならないのか? そこにこの犯罪の理由があることだ。
時雄は執拗に換地を進めているが、そして換地費用として400万円が「吉川建設が用意された金」として説明された。換地費用に400万円の金が掛かるとはあり得ないが、地主たちはその400万円五色めきだったのは言うまでもない。
お借りしています
白澤祐次の発言からすれば、村道になっている地主たちの内で、渋谷ゆきゑの三筆の土地だけをお借りしていないとなることだ。おかしな話ではないか。他に地主たちに賃貸料を支払うに、渋谷ゆきゑに対してだけ賃貸料を払わないとは。だからして、ここをまともに考える必要はなく、賃貸料が支払われているとすればよいことだ。問題は誰に支払われているのかと言うことであろう。偽造契約書のとおりであれば、阿智村は本谷園原財産区から買ったと言うことにあるが、それであれば阿智村が白澤祐次から賃貸借料を支払ってもらっているとなるはずだ。行政がそんなことをするはずが無いと言うのは岡庭一雄を知らないことであって、岡庭一雄と時雄の本質を知れば、全くに納得が出来る話になろう。令和4年10月24日
阿智総合開発株式会社の存在
白澤祐次社長のでたらめで騒ぐより、阿智総合開発株式会社当時の金の動きを知ればよいことだ。阿智総合開発株式会社が地主たちに賃貸借料を支払うに、澁谷ゆきゑの土地にだけ賃貸料を支払わぬことは無いはずだ。では、阿智村はこの偽造契約書を見せて「阿智村に地代を払え」と言うであろうか? 当時の岡庭一雄は村長でなく、時雄も蚊帳の外であるに、そんな操作が出来るはずも無いとすれば、単純に地代は支払われていなかったことになる。なぜ澁谷ゆきゑの土地にだけ地代が支払われなかったのかと言えば、長男建典氏が亡くなったからである。
事実と嘘の堺
澁谷ゆきゑの長男渋谷建典氏の元へ、熊谷茂平氏(建典同級生)と原勇(地権者組合副)の二名に、澁谷より州(吉川建設代人)、勝野公人観光課長と牛山職員が出向いたことは確かである。それは平成7年の二回目の訪問であるに、熊谷茂平氏は「良い話が出来た」と日記に記してある。しかし、ここで土地を売るとかの話は当然ないことで、阿智村が土地を売ってくださいの話しであれば、阿智村が出向くことだ。原勇地権者組合副組合長が同行するは、地権者組合に加わっていただきたいしか他に用事は無い。ここまでが事実であるが、これから先に本谷園原財産区と阿智村山内康治村長の売買契約書が存在した。この契約書の写しを熊谷秀樹村長は渋谷晃一に渡し、「澁谷ゆきゑはすべての土地を両区に払い下げて行った」と盗伐裁判で主張したが、澁谷ゆきゑと澁谷薫の土地はすべてで10筆あるに、すべてが払い下げる状態にないことと、土地の所有者とされた本谷園原財産区と両区の整合が取れないことで、契約書の存在は無効とされた。これらが嘘であることで、澁谷ゆきゑと澁谷薫の土地は、相続された渋谷徳雄さんの土地として盗伐裁判で確定している。令和4年10月26日
建典氏の死亡
平成7年2月に渋谷建典氏と話し合いを持ったのは事実として、また、土地の賃貸を了解したのも事実として、そこで困ったのが、突然に渋谷建典氏が亡くなったことだ。さて、澁谷建典氏が亡くなったのはいつなのか? そこが最大の焦点となることは、生きていればこの様な契約書は存在していないからだ。
澁谷建典氏は少なくとも平成7年2月7日以降に亡くなっているが、まだ死亡日時を教えるわけにはいかないのは、平成7年3月2日付の契約書との整合が取れないと見ているからで、賃貸借契約をしようにも、仮に売買契約をしようにも、当の本人が居なくなればなにも成せない。しかし、工事は何事もなく行われた。なぜ工事を行うことが出来たのか? それは、地権者組合と阿智総合開発ですでに契約がなされており、契約金(保証金)の半額、1千万円が支払われていたからである。澁谷建典氏が亡くなっても困らないのは、渋谷建典氏の長男澄夫氏が居たことにある。
証人にならない勝野公人
熊谷茂平氏がいない今、実際のところは正直不明であるが、少なくとも、他の4名は生きている。特に、原勇は今でも地権者組合員であることだし、事実を聞くに嘘は言えないだろう。また、勝野公人前議員は自身のお粗末さに気づいていても、また、牛山前副村長は共産党であったにしても、裁判官の前に立てば嘘は言えない。渋谷より州はどうでもよいことで、どこに居ても不要な存在である。では、原勇に事実を聞くか? と考えるに、この人の発言がなんになろうか。盗伐裁判においても嘘の陳述書を書いたような男だ。こんな男が本当のことを話したにしても、まるで信用に値しない。
裁判は始まったばかしであるが、売買契約書が本物として勝野公人前議員の復命書が証拠として提出されている。この復命書の説明を勝野公人前議員に求めるとなれば、勝野公人前議員は応じるであろうか? 令和4年10月28日
契約書の作成は平成8年以降
熊谷秀樹村長は重大な過ちを犯しているが、当人はそこに気づいていない。勝野公人前議員に、この契約書について説明を求められることを考えていないようだ。この契約書を本物とするには三つの焦点があるが、その一つが勝野公人前議員の証言である。勝野公人が「この復命書とおりであります」として、渋谷建典氏が本谷園原財産区に土地の所有権があると認めたと証言することだ。これが出来るのであれば、いずれ勝野公人が証言台に立つであろうが、常識として、それが有りえないのは、本谷園原財産区が存在していないことにある。勝野公人前議員は、本谷園原財産区が存在すると確認していないし、実際に存在していないことにも気づいていない。今となってだが、存在しない団体との契約書が存在するに、勝野公人前議員は、「この復命書とおりです」と、証言すれば、この復命書のについての責任が求められるのは勝野公人前議員となることだ。
二つ目の焦点
本谷園原財産区との契約書を阿智村は証拠として反論してきたが、この契約書が本物なのは行政書類であることだが、ここで本谷園原財産区が存在していなくとも証拠となることだ。泥棒から買っても罪にならないのは、泥棒だと知らなかったとの言い訳が法律的に通用するのであって、本谷園原財産区が存在しない団体であっても、契約上では違法とならない。だからして堂々と証拠とされたようだが、これは阿智村の考えであることは、私は登記上阿智村の土地ではないと確認して購入していることにある。阿智村が購入したのであれば、登記上も阿智村ではないか? が言い分であるが、これは正直通用しない。だからして、阿智村が買ったとする契約書と復命書に関して、「私には関係が無いこと」としている。令和4年10月30日
三つ目の焦点
阿智村の名義になっていない。いわゆる、本谷園原財産区から購入したとすれば、これら三筆の土地は阿智村の名義になっていることだ。ここが最大の焦点であるのは、村道にするに、換地(交換文筆)において阿智村の名義に変更できると言うことだ。しかし、渋谷ゆきゑの土地は換地も交換分筆もされていない。
問題の始まりは、両区(時雄は本谷園原財産区とした)の権利ある土地が阿智村名義になっていることで、ヘブンスのそのはらの山林地代の支払いにある。本来ならばというより、最初の山林地代の支払いは両区になされているが、その後、西の三悪人がつくった任意団体「本谷園原財産区」へとそれは変わった。財産区に地代が入れば税金が掛かるとの嘘を作り上げ、登記名の阿智村へ山林地代を振り込むとした。それにおいて阿智村は、地域振興補助金の名目で本谷園原財産区へ地代を迂回する方法を取っている。これが行政犯罪なのだが、とりあえずその話は置いて進めるが、本谷園原財産区(両区)が金を出して買った土地も同じく阿智村名義になることで、それらの土地が村道(アーテリー道路)になったり、駐車場の一部として使用されることに、時雄は換地を言い出したのだ。早く言えば、それらの土地にも地代が支払われることで、その地代の横領を考えてのことだ。これを証明するに、アーテリー道路からロープウエー基地までの駐車場を含めた土地のあちこちに阿智村名義の土地が有り、それらの土地は本谷園原財産区の土地だとして地代を受け取っている。
契約書を本物とする三つ目の焦点は、阿智村は渋谷ゆきゑの三筆の土地の代替え地(換地)を用意すればよいことだ。これは法律的に認められる交換分筆であって、行政が公道をつくる、または拡張する場合の手段である。それが出来ないことが、この契約書が本物でないことを示している。ここに気づかない被告弁護士であるが、盗伐裁判でも同じことが起きている。令和4年11月1日
交換分筆による所有権の移転
交換分筆は司法書士の分野であって弁護士では詳しくないが、時雄は当然として木下司法書士にこの話を相談していた。木下司法書士の答えは、「換地」である。ただし、それは実行できない換地である。なぜならば、代替え地が無いからだ。ようするに法律的に可能な方法が換地であって、実行するのであれば代替え地が必要だと言うことになる。では、出来ない相談を実現するにはどうすればよいのかと、時雄と岡庭一雄は考えた。その答えが、村道とされている地主らと話をつけ、阿智村の名義に変えることだ。村道とされている地主のほとんどが、換地を理解して名義を阿智村に移したのが事実となれば、澁谷ゆきゑの土地が阿智村名義でなくても、それは単に澁谷ゆきゑの相続権がある長男が、他の兄弟の都合で換地手続きが出来なかったとの言い訳になる。そのためには、長男建典氏が了解しているとの証拠が必要であって、それが勝野公人が作成した復命書であるのだ。
実行された換地手続き
地権者組合長の熊谷恵治氏が亡くなったことで、地権者組合長は佐々木毅文氏に代わっているが、これは時雄にとって好都合であった。何も知らない佐々木毅文組合長は岡庭一雄村長が言うがままに時雄に従い換地の話を地権者組合で始めたが、さすがに自分の土地を阿智村名義にするに不審を持ったはずだ。「賃貸料はどうなるのか?」「なぜ換地をするのか?」とね。しかし、時雄と岡庭一雄はそのような不審が出るのは承知のうえで、しっかりと手を打っていたのでだ。その手が何であったのか? それは言うまでもない「400万円の換地費用」である。「換地は吉川建設の要望である」から「換地費用は吉川建設が用意した」などが、まことしやかに、村道にされている地主たちに説明されたのだ。令和4年11月3日
換地費用支払い契約書
阿智村の名義にしても地代は今まで通り支払われる。その上、換地費用として400万円が対象地主たちに支払われる。こんなおいしい話が出れば、佐々木毅文組合長とて、反対する理由はない。しかし、おいしい話には裏があることで、話しはそれほど進まなかった。なぜか? それは400万円が底をついたからだ。なぜ底をついたのか、それは、時雄がわしづかみした手が大きかったからである。
間尺に合わない
換地と称して始めたまでは良かったが、元々に時雄と岡庭一雄には二つの狙いがあった。一つは澁谷ゆきゑの土地である。何が狙いなのか? それはこの三筆の土地賃貸借料だ。その地代を横領するに、澁谷ゆきゑの長男建典氏が死んだとなれば、この話しを知る者は他にいない。だが、澁谷ゆきゑの名義のままでは吉川建設が時雄に地代を払うことは無い。それを何とかしようとすれば、本谷園原財産区の土地だとすることだ。これは時雄のいつもの手である。「財産区が買った土地だ」「財産区の土地だ」「財産区では登記が出来ないんだ」「京平も阿智村名義だ」これを何度も聞いたことがあるだろう。時雄はそのために本谷園原財産区をつくったのだ。
澁谷ゆきゑの三筆の土地のうち、道路敷とされている部分がある。その土地に関して、時雄は財産区の土地だと言ってきた。そして財産区の総代たちは、毎年そこの草刈りをしてきた。おかしな話ではないか。阿智村に本谷園原財産区はその土地を売っている。なのに、その土地は財産区の土地だとして草刈りをする。間尺に合わない話だが、それを信じて今もなお草刈りをしている馬鹿者どもがいる。もうぼつぼつ気づいたらどうだ。時雄に利用されてきたことを。令和4年11月5日
寄付した土地
話しは少し前に戻るが、県道のアーテリー道路入口の250坪の土地は、地域振興補助金で名古屋の原氏から購入した土地だ。その土地を阿智村に寄付したとして、阿智村はそれらの土地を公園にしたが、実際は整地して花桃祭りに使用している。この土地も時雄は「本谷園原財産区の土地だ」として、阿智村に確認書を一筆書かせている。岡庭一雄村長とのやり取りだが、これも村民は許すらしい。今でもその土地を使用して、300万円を超える場所代を上げているが、時雄が死ぬまで渋谷秀逸と叔父の懐に入っていたが、いまは一体どうなっているやら。どちらにしても違法行為に違いは無い。
換地再開
岡庭一雄村長と時雄は、換地を理由に400万円を吉川建設の契約料(保証金)から引き抜くに確認書を交わしている。その確認書をまずはご覧あれ。 換地確認書 クリックしてご覧ください。
「保証金は地代の半年相当分(400万円)として、地権者組合に差し入れる」???な文言であるに、ここに違和感を抱かない地主たちは、何を考えていたのだろうか? と不思議だが、この確認書、ほとんどの地主たちは知らないらしい。令和4年11月7日
換地費用の支払い
「換地費用は阿智村役場及び株式会社ヘブンスそのはらで負担する」換地に費用が掛かる? 換地は土地区画整理事業で行われるものであるが、ヘブンスロープウエイ基地と村道開設で土地区画整理事業を取り入れたのか? 出鱈目も良いところだ。佐々木毅文が理解できないとしても、ここまで作為をもって換地を推し進めたことはまさに行政犯罪である。これを時雄と岡庭一雄だけの責任として処理できないことは、これから先にある行政犯罪と併せて告発することにある。
換地費用が犯罪
時雄と岡庭一雄が行ったことは換地でないと理解されましたか? 換地でなければ換地費用は無く、換地であったにしても費用は土地区画整理事業費で賄われるものだとなれば、一体何が行われたのでしょうか? 結論から言いますと、契約金(保証金)の400万円がこの二人に横領されたのです。
時雄と岡庭一雄は地権者組合長にいったい何を吹き込んだのでしょうか? 「村道なので阿智村に名義を移してほしい」このお願いは有っても構いませんが、「換地しなければならない」として、阿智村に名義を移したのであれば、これは詐欺犯罪です。そして行政犯罪にもなります。「換地費用は吉川建設と阿智村で支払う」とし、実際に吉川建設が換地費用を支払っていたのであれば、そこは詐欺にはなりませんが、吉川建設の保証金を換地費用に充てたとするならば、ここに横領の罪がもう一つ加わります。その上、400万円を換地費用として佐々木毅文地権者組合長に説明した上で名義を阿智村に移し、400万円の一部を受け取っていた地主がいれば、その地主も詐欺横領の共犯者となるでしょう。令和4年11月9日
佐々木毅文の説明任
佐々木毅文は健在ですが、当時のことをあまり覚えていないと話しているようです。覚えていないのであれば、間違いなく共犯者となります。何しろ、地権者組合員である私は聞いていないのですからね。たしかに、村道とされている地主たちだけに換地を必要としたのであれば、私を含めたほかの地主たちは関係ないとされても言い分は通るかもしれません。ですが、換地費用が吉川建設から用意されたとなれば、まったくに話は変わってきます。吉川建設が村道とされている地主たちだけに費用をねん出するはあり得ないからです。村道とされなくても、駐車場や建物が建てられている地主は全くに同じことで、何も換地は村道だけにあらずとなります。常識的な話として、土地区画整備事業として換地を用いれば、すべての地主に換地が必要となることです。阿智村が換地費用の400万円を用意したと言うならば、それは換地費用でなく買収費用となりますので、阿智村に名義を移した地主たちと売買契約を結ぶことです。
澁谷ゆきゑの名義
だいたいにして、村道とされた地主たちの土地は阿智村の名義に変わっているが、渋谷ゆきゑの土地を購入したと契約書まであるに、なぜ阿智村の名義に変わっていなく、渋谷ゆきゑの名義のままだったのでしょうか? 渋谷ゆきゑ名義の土地を購入して私の名義に変わったことで、私に換地の話しが無いのはなぜでしょう? 私が購入してからも、半分以上の地主は換地と称して阿智村に名義を移しました。なぜでしょうか? 400万円の換地費用がまだ残っていたのでしょうか? まあ、残っていなければもっとおかしな話になりますが、どちらにしても、村道とされている地主5名(私を含む)以外の地主たちは、今年の初めまでにすべて阿智村に名義を移していますので、換地費用を受け取っていることでしょうね。(これは詐欺犯罪になりますね)令和4年11月11日
消えた400万円
当初の換地に吉川建設が400万円用意したとの話は、時雄と岡庭一雄の作り話であります。確認書には「換地費用は阿智村とヘブンスそのはらで負担する」とはありますが、400万円とは記されていなく、400万円は地権者組合に差し入れる保証金だとしている。保証金を差し入れたらその時点で保証金でないことになるが、もはやこの時点で400万円を搾取するためにつくられた確認書だと見破れるではないか。こんなでたらめが通用する時雄と岡庭一雄の世界は、それを信じる西地区民の知能の低さと浅ましさが後押ししているようだ。
終わった換地
確認書に「平成16年3月31日までに実施」とあるは、もはやその時点で換地は終了しているとなる。だがどうだ、換地は終了していないとされ、時雄が死ぬ半年前に内密に再開されていた。不思議な話だ。終わっているはずの換地が終了してなく、私がこの話をブログで発信すれば、慌てて換地の再開がはじめられた。なぜか? それは、400万円の横領が目的の換地は平成16年3月31日に終了していたからだ。実際に、平成16年3月31日までに阿智村名義に変わっていたのは全体の三分の一にも満たない。地主もほんの数人であることは、換地費用とされて用意された400万円は大半が残っているはずだ。なぜかと言えば、アーテリー道路の全地主の土地を換地するに400万円が用意されたことにある。三分の一しか阿智村に名義が移っていないとなれば、400万円も三分の一しか使っていないことだ。400万円の三分の二は約270万円だが、少なくとも300万円は残っていなければならない。
換地とうそぶいても、阿智村に名義が移るとなれば法律的に売ったとなる。田んぼでも山でも傾斜地でも、同じ値段で計算しても坪当たり1万は高すぎるくらいだ。100万円を1万で割れば100坪で、その4倍では400坪になるが、400坪では県道から澁谷ゆきゑの土地まで届くかどうかである。令和4年11月13日
契約金行方不明と換地の関係
読者の皆さんも想像がつくと思うが、平成16年の換地費用のうち、少なくとも300万円は時雄の懐に入っている。それが判明するに、吉川建設からジェイマウンテンズグループ株式会社に経営が代わったことにある。
換地が行われたとか換地費用が吉川建設から払われたとかの話しは、20年以上の話しであるに、そして換地は終わっていたはずであるに、なぜ換地が令和になって再開されたのか? それは、私がこの犯罪を表に出したからである。平成28年、私は議会に公開質問状を提出した。阿智村行政にかかる多くの犯罪を指摘し、質問するに、「地域振興補助金」の不明会計を指摘した。岡庭一雄と西の三悪人にとって最大のピンチで有ったろう。その中で、ヘブンスそのはらの契約金(保証金)が行方不明だと騒げば、時雄にとっての最悪は、この換地費用である。契約金の一部400万円を換地費用に充てたとするに、すでにその400万円は懐に入れてしまった。そしてジェイマウンテンズセントラルとの契約金からも、同じように400万円を換地費用だとして受け取っていたことがバレることを恐れ、換地がまだ終わっていないとして再開したのだ。しかし、契約金は2千万円であることに、ジェイマウンテンズセントラルの白澤祐次は、「契約金が行方不明だ」と騒いだのだ。
堂々と換地は再開され、そして地権者組合と白澤祐次の懇談会で、渋谷章行組合長は「換地の再開を宣言した」そしてその換地に異議を唱えれば、また、岡庭一雄村長と白澤祐次社長の偽造契約書を突きつければ、それ以後の地権者組合との懇談は中止され、渋谷章行組合長は「400万円は換地費用ではない」と否定し始めた。
またもや消えた契約金
ジェイマウンテンズグループ株式会社がジェイマウンテンズセントラル株式会社に経営が移るは同じ会社であることだが、ジェイマウンテンズグループ株式会社はそのままに経営の拠点をほかに移している。その時点において契約金はジェイマウンテンズセントラル株式会社に引き継がれていることだ。どちらにしてもみなみ信州農協に預けられていない。吉川建設の時までみなみ信州農協に預けられていたはずだが、ジェイマウンテンズセントラル株式会社は飯田信用金庫駒場支店にその契約金を預けていることになる。令和4年11月15日
契約書も消えた
今現在、ジェイマウンテンズセントラル株式会社との契約書が存在しない。当然と言うか、必然に契約書は存在しなければならないが、はたしてその真相はどこに有るのだろうか。ジェイマウンテンズセントラル株式会社との契約書が存在しないと言うことはジェイマウンテンズグループ株式会社との契約書も存在しないことになる。果たしてそうなのかと考えるに、契約書が存在しないなどありえないことだ。どちらの会社も法人登記されており、同じようにヘブンスそのはらを経営するに契約書は不可欠である。だとすれば、契約書はどちらの会社にも、また、地権者組合にも存在しているはずである。
その契約書を渋谷章行地権者組合長は知らないとは言っていないし、それを聞いてもいない。そして契約書が有るのかと言えば、時雄が焼却して消えている。それが分かっているから聞かないだけだが、渋谷章行の言い訳を聞いても証拠にならないことだ。早い話が、ジェイマウンテンズセントラル株式会社の白澤社長に契約書の開示を求めればよい。それが出来るのが地主の権利であるが、地主たちの頭はそこにない。自分に地代が支払われればそれで良いと考えている。
正常の境目
阿智総合開発株式会社から吉川建設までの経営に不審や問題があったのかと言えば、契約書に限っては問題ない。問題が有るのは、換地費用として地権者組合に400万円を差し入れたことだけである。その確認書で金の動きを確認すれば、2千万円の保証金が400万円に変更されたと言うことだが、残りの1600万円については確認書で明らかにされていない。ここを吉川建設がどう説明するかだが、ヘブンスそのはらからの撤退は吉川建設の申し入れではないと判明している。おそらくに、この確認書において1600万円の保証金は時雄と叔父の懐に入ったと考えられる。いわゆる横領だ。これを証明するには、吉川建設が撤退するに、保証金の2千万円を返してもらったのかだが、吉川建設からの撤退でなければ、2千万円耳を揃えて返すは契約書に基づくことである。令和4年11月17日
見えて来た契約金
吉川建設は当然として2千万円の保証金を返してもらったはずだ。だからして、2千万円の保証金はみなみ信州農協から消えたのである。ここに不正も横領も無いことに、保証金は債務の担保であるからで、債務が無ければ吉川建設が回収するのは当然のことである。
この様に常識(法律的)で考えれば、ジェイマウンテンズグループ株式会社が保証金を積み立てなければならないし、ジェイマウンテンズグループ株式会社と地権者組合の再契約が必要となることで、おそらくとして、西の三悪人だけで契約書を交わしているのではないか。いつ誰がどこと契約したのかに西地区住民の関心が向かないことに、ヘブンスそのはらとの契約は地権者組合と本谷園原財産区が行っていると認識しているのと、個人地主には地代が直接支払われることで、ヘブンスそのはらの山林地代も本谷園原財産区に支払われている地域振興補助金だと思い込んでいるところにある。
最初の間違いに気づけ
本谷園原財産区が存在しない団体だと気づいたと思うが、その前に、両区と言う地域団体が西地区の歴史であったことを思い出すことだ。時雄と叔父が本谷園原財産区をつくる平成7年までは、西地区の決定事項はすべて両区が行っていた。それらの歴史的資料は区の事務所(現状は自治会館と呼んでいる)の書庫にわんさか眠っている。阿智総合開発株式会社との契約書には、熊谷茂平両区総代長の名前が記されていることを知れ、そして、地域振興補助金が両区の権利ある共有山の地代であることを確認すれば、阿智村を通して山林地代が支払われることに、なぜそのような支払いになのか?と疑問を抱くはずだ。 誰が本谷園原財産区をつくって税金がかかると言い出したのか、そして、山林地代のすべてが入金されていないことを知れば、立木補償費の4500万円がどうなっているのかに行きつくはずだ。
何が間違っていたのかを自ら知りえなければ、そしてその解明と解決を自ら行わなければ、共犯者となることを自覚せよ。令和4年11月19日
修景事業を確認せよ
地域振興補助金はヘブンスそのはらの山林地代だとするに、その金の一部で修景事業を始めたのは叔父と時雄である。何に使おうが勝手であるとするのは大きな間違いだ。行政が名ばかりであったにしても補助金として拠出するに、それらの金が修景事業に消費されるのであれば、修景事業が地域振興に適合していなければならず、それが毎年の拠出であれば、都度、間違いなく修景事業に持ち入れられたとの決算報告を阿智村に挙げなければならない。それは、阿智村が修景事業を地域振興の目的として承認したとの前提が有るからだ。まあ、それらの書類が整っていないのも確かだが、叔父と時雄にはそれが大義名分となるからである。今現在、修景事業と名打っても道路わきの草刈り程度であって、それらの金額は本谷園原でも50万に満たないだろう。この事業が始まるに、各部落30万円としているが、30万円の4部落であれば120万円である。この120万円の金額に注目すれば、地域振興補助金の全額270万円から差し引けば、150万円が残ることになる。半分以上の金額が残るとなれば、270万円の拠出根拠が無くなるのは阿智村ではないか。
補助金は補助金
このわずかばかしの修景事業に、毎年270万円も補助金を拠出するのは構わないとしても、叔父と時雄は毎年120万円を貯金している。補助金が貯金できるとは驚きであるが、実際の使い道は、総代や山林委員の人工代であり、他人の土地の地代支払に充てられたり、また、それらの地代が時雄や叔父の懐に入っている現状を知れば、本谷園原財産区を利用して村民の税金を横領していることになる。
さて、阿智村は地域振興補助金を否定せず、今も続けているのだが、補助金とは行政の支援策であって、その支援に基づかなければ返還しなければならない。議会は、「阿智村独自な補助金」だとしてその支払いを認めているが、一度として監査されていない補助金の支払いであれば、住民監査請求はいつでも誰でも起こすことが出来ると認識すべきではないか。令和4年11月21日
ヘブンス地代
本谷園原財産区との似非団体を時雄と叔父と操はつくった。なぜこのような架空の団体をつくったのか、それは、まさに村民の税金を横領するとの目的からだ。そんなバカな話があるのかと思うなかれ、何よりも地域振興補助金が今も支払われているではないか。その地域振興補助金を受け取る団体は本谷園原財産区である。その本谷園原財産区は、地域振興補助金を補助金とせず、ヘブンス山林地代として受け取っている。支払先である阿智村が地域振興補助金は特殊な補助金であると説明しても、その補助金を受け取る本谷園原財産区が「ヘブンス山林地代」として決算報告していれば、それ以上の説明は不要であることだ。その上、本谷園原財産区が架空の団体だとなれば、そこには犯罪しか存在していない。行政が存在しない団体に補助金を支払えば、それはまさに行政犯罪となる。
この事実が表に出るのはそう遠くはない。それは、この「土地返還請求事件」の裁判において、阿智村は本谷園原財産区と売買契約書を交わしており、それを証拠として時効取得を反論主張しているからだ。存在しない団体への補助金支払いがあることに加え、そこにきて存在しない団体との売買契約書を証拠として争えば、もはや阿智村の言い訳も通ることは無い。そこに気づかぬ熊谷秀樹村長の愚かさに、村民は阿智村の未来を託したのである。
お家取り潰し
この犯罪を指摘して私は国に告発した。管理官は阿智村の取り潰しを示唆したが、私には騒ぐことしか解決の道は無かった。さんざんに騒いだうえ、選挙で行政の不正・犯罪を訴えたのは住民意識を高める選択であったが、それらが浸透しても解決に至らないのは、この犯罪の根があまりにも深いからである。いわゆる、現状の村政では、解決できないほどの犯罪であると言うことだ。ここで国の力を借りられないのは行政犯罪と認識していることでもあるのだが、もう一つ、岡庭一雄が共産党であったとのことが、大きく作用している。阿智村行政内にある多くの犯罪には、やはり多くの共産党員が存在していることで、不正を追及する政党が、まさに不正を隠蔽する側に回っていることに多くの原因がある。令和4年11月20日
契約書の存在
行政が契約書を必要とするのは、民法を遵守る立場にあるからと、法律を守らせる行政が範を示すことでもある。しかし、岡庭一雄と熊谷秀樹はこれらの契約書を乱用して、多くの行政犯罪を生み出した。そしてそれらの契約書は阿智村内部で議会対策に使われており、村民には何も知らされてきませんでした。なぜこのような出鱈目が通るのかは、すべて行政が行っているからです。「村が決めたこと」「議会で承認を得た」と始まれば、そこに疑いを持たないは当たり前のこと、それらの心理を利用した悪質な犯罪です。そして、それらの犯罪の根源が、この裁判で熊谷秀樹村長が証拠としたこの契約書に有るのです。
偽造契約書の始まり
渋谷ゆきゑから三筆の土地を買ったと言うのであればまだしも、本谷園原財産区から三筆の土地を買ったとし、その上、三筆の土地に植えられていた桧などの幼木も「立木補償費」として契約が結ばれ、阿智村から金が支払われている。この契約書を熊谷秀樹村長から手に入れたのは、平成30年の初頭であるが、この時の熊谷秀樹村長は「村が買った覚えはない」として、それら契約書の写しが渡されている。買った覚えが無いとはよくぞ言ったものだが、盗伐裁判では、同じ契約書(阿智村所有)の写しが渋谷晃一の証拠とされ、「澁谷ゆきゑが本谷園原財産区に払い下げて行った土地だ」として、渋谷ゆきゑはこの地を引き上げる時、本谷園原財産区にすべての権利を渡しているとされた。しかし、この反論に原告弁護士は何もこたえていないのは、盗伐裁判にこれら契約書は何も関係ないからで、盗伐裁判の訴えの趣旨は「無断伐採された樹木の損害賠償」であって、土地の争いにはなかったからである。しかし、この契約書の存在は大きな犯罪の証拠になると確信したのは、なぜこの契約書が阿智村に必要であったのか? の疑問であって、やがて、渋谷ゆきゑの長男建典氏が突然亡くなったことに端を発していることが判明したのである。いわゆる、澁谷ゆきゑと澁谷薫の土地の全てを我が物にしようとした叔父と時雄が、必要にして作り上げた契約書であると判ったのだ。令和4年11月25日
買えない土地
地権者組合はなぜ出来たのかの単純な問題だが、土地は売るのではなく貸すのだとの基本的な考えで地主らが設立したのである。売ってしまえばわずかな金だが、賃貸料は永遠とつづく、それが目的であっての地権者組合、だからして、土地を売る者は誰も居なかった。土地を売った者はそれなりの事情があって、それらの者は地面者組合に入っていない。
渋谷建典氏の元へ勝野公人観光課長が行ったことは確かである。何しに行ったのかは明確に書かれていない。そして、土地を売るとも買うとも書かれていない。なのに本谷園原財産区と阿智村の売買契約書に添付された復命書であることは、「澁谷ゆきゑの土地の件で長男建典氏のもとへ阿智村役場の職員が出向いた」との事実だけは証明されるのだ。
この契約書を否定するのは簡単だ。「土地の売買ではない」「村道として貸しただけだ」と言えばよい。「財産区に払い下げた土地だ」「村は売ってもらった」と肯定も出来る。そう、相反しても何でも好きなことは言える。何でも言えるが、契約書が残っていることは、契約書が唯一の証拠であるということだ。
この契約書が表に出て来なければ、澁谷ゆきゑの土地は阿智村が買っていたとは誰も知らなかった。時雄は「財産区の土地だ」として、平成12年ころから財産区で草刈りを続けて管理してきている。誰もが「財産区の土地」だと認識していた。財産区の土地であればヘブンスそのはらから賃貸料が入るはずであるが、そんなことに気づく者もいない。何でも時雄の言う通り、疑う者など誰もいなかった。それがどうだろう? 澁谷ゆきゑの土地に植えられていた樹木が無断で伐採されたことに、好泰君は自治会に異を唱えた。「ここは澁谷ゆきゑの土地だ」「澁谷貢の土地ではない」として、前年度の申請時に役員全員で確認したじゃないかと、抗議したのである。令和4年11月27日
肯定と否定
盗伐は裁判になり、そして澁谷ゆきゑの土地であることは認められた。現在は控訴中であるが、それは損害金額の大小についてである。盗伐された土地に隣接している三筆の土地が、本谷園原財産区の土地だと言うが、この件を否定する関係者は誰もいない。否定できないのは、本谷園原財産区を財産区だと思っているからである。この程度の者がいまだこの地区に居ることが問題なのだ。この地区には「両区」と称される小野川村形成時の団体が有り、その両区がこの地区の最高決議機関であった。それが突然に本谷園原財産区となるのだが、この団体は時雄と叔父と操がヘブンスからの地代等を横領するために作った団体であるのだが、それを信じ切っている、いや、今では信じ込もうとする者が、これら三悪人のたくらみを引き継いでいる。
馬鹿の証拠
本谷園原財産区でなく両区であることは、操や孝志も認めている証拠がここにある。この帳簿は偽装された物であるが、まずはご覧あれ。平成16年帳簿 クリックしてご覧ください。
この帳簿の写しは、横領裁判において孝志が証拠として提出した物である。なぜこの帳簿の写しが偽造であるのか、また、操や孝志が本谷園原財産区でなく両区であると認めているのかは、この帳簿の写しとやらを見ていただきたい。右上にある「184」は、何年も続いている帳簿であることを示しているが、まずは、「帳簿に印刷文字は打ち込めない」まして、パソコンワードでの書き込みは、和美がアルファシステムのパソコンソフトを利用したことで明らかである。だからして、184ページ目に貼り付けたと言うことだ。そして不思議なことに「平成16年度園原部落会計書(報告)」がお題となるは、これは帳簿ではなく、会計報告書であるを示しており、これらの会計報告書が帳簿に張り付けられて、園原部落は年度末総会を今でも続けていることになる。令和4年11月28日
重要な事
ついでに言っておくが、この年から園原部落は監査が始まった。そして、監査員の熊谷昌寿さんは、出て来なくあったのだ。この年の部落長は熊谷寛である。寛がパソコンを使えるとは聞いたことはないが、あいにくこの年の会計は私であって、私はこの184ページに自筆で記入している。その証拠は次ページを見ていただきたい。偽造帳簿 クリックしてご覧ください。185ページであるが、この貼り付けた用紙の左右にはみ出ている数字はへたくそな私の文字であって、流石に糊付けできないと見て重ねてのコピーであるからして、184ページのようにうまく隠せなかったようである。(証拠を捏造すれば、それだけで犯罪だよ)
偽造帳簿185ページの「5月27日阿智村収入役364,000円」この欄を修正する目的でこの偽造帳簿が作成されている。なぜか? それは、私が熊谷寛部落長から受け取った30万円を振り込んでいるからである。まあそれらのことは「操家族の横領」のコーナーで詳しく書くとして、これらの帳簿を偽造するに細かいところまで目が行き届いていなかったようだ。それは184ページに記載されている「4・園原修景事業(普通預金口座による)入金30万円両区より」である。本谷園原財産区であれば、ここに「本谷園原財産区より」と書くべきことではないか。
そもそも、修景事業の通帳は田中義幸修景委員長が管理しており、田中義幸が「両区より」と記載していたことで、その会計報告は昔から続くこの帳簿には記載されないことだ。その様な経過を和美も孝志も、そして代替わりしたほかの者達も何も知らない。だからしてこのような書面になるのだが、事実として、本谷園原財産区が存在しない団体だとのことを証明していることになる。このことは操の横領裁判には関係はないが、この裁判では最も重要になる事実となる。令和4年11月30日
存在しない団体との契約書
行政が存在しない団体と売買契約書を交わしていた。このあり得ない話にこの裁判の原点が有る。この存在しない団体を作り上げたのが時雄と叔父と操である。時雄はこの団体を既成事実とするために、下平秀弘弁護士を訪ねている。何を依頼したのかと言えば、「本谷・園原財産区保護誓約書」の作成依頼である。(本谷・園原財産区保護誓約書は、小野川区との分離を求めるに、渋谷勲(祖父)が財産区にしようと準備した表紙だけの書面である)
下平秀弘弁護士を紹介したのは共産党つながりの岡庭一雄であるが、下平秀弘弁護士は「これは木下司法書士の分野だ」として、これも共産党つながりで時雄に木下司法書士を紹介している。(このことは、熊谷泰人に下平秀弘弁護士がいきさつを話している)木下司法書士に作成させた本谷園原財産区保護誓約書をもって、これが昔から続いていた財産区だと、地区の者に知らしめたのである。
両区との関係性
ここに偽らざる事実があるのは、阿智総合開発との賃貸借契約を行ったのは、両区長の熊谷茂平(好泰の父)さんである。契約日は、平成6年7月26日で、地権者組合代表熊谷恵治・原勇、智里西開発協同組合長田中春彦、阿智村長山内康治が立ち合いでの署名押印がある。ここに本谷園原財産区総代長渋谷秀逸の名前が無いことは、渋谷秀逸は、次年度(平成7年)に両区長になっているからである。渋谷秀逸は両区の区長であって財産区の総代長ではない。だからして、渋谷ゆきゑの土地を払い下げたのが事実としても、本谷園原財産区とは何も関係が無いのである。
しかし、ここに本谷園原財産区総代長と阿智村長山内康治の、渋谷ゆきゑの土地売買契約書が有るに、また、契約日が平成7年3月2日とあることは、本谷園原財産区が平成7年から存在していることを示しているが、両区の資料からして、本谷園原財産区などとの団体は存在していない。令和4年12月1日
阿智村が詐欺をした
もう一つの絶対的な事実がある。それは、阿智村が保管する甲の契約書はあったにしても、両区には乙の契約書は存在していない。片方だけの契約書でもって、熊谷秀樹村長は「村は本谷園原財産区から買っています」と、主張している。何とも不思議な話だが、これで契約が成立していたなどは子供だましも良いところではないか。どこかのお馬鹿が遊び半分でオレオレ詐欺を働いたわけではない。列記とした阿智村と言う地方公共団体の契約書である。裁判で証拠としたことは、間違いなく阿智村の行政書類となることだ。
民間に置換
地方公共団体でも団体であることに変わりなく、まったくに民間団体と同じ位置づけに法律はある。株式会社としよう。その会社が保管する書類にある土地の売買契約があったとする。しかし、その土地の売主はこの世に存在していない人物であった。そしてその土地を購入するに、株式会社はそれら土地の登記を行っていない。ここで、本来の地主が登場して、その株式会社に「俺の土地を無断で地形変更(造成)して駐車場にしている」として、訴えた。株式会社は契約書を示し、「20年以上も善良に占有していた」と主張し、土地の権利は株式会社にあると主張したのだ。たしかに、泥棒から買ったにしても買えば権利は株式会社にある。そして20年以上占有していれば時効取得も成立する。これでは訴えはすぐに却下されることでもある。しかし、裁判は却下されずに継続された。はたして、裁判が継続されたわけは何であるのか? また、泥棒から買ったにしても存在しない者から買ったにしても、時効取得は成立するのであろうか? そして、株式会社が存在しない相手だと分かっていて契約書を作成したとなれば、株式会社は犯罪行為、いわゆる詐欺を働いたことになるのではないのか!?令和4年12月3日
隠れた真実
本来の地主は、訴える前に株式会社と話し合いを持っていた。どのような話し合いが行われたのかと言えば、「お宅の会社が駐車場として使っている土地は私の土地です。ぜひ社長さんと話をしてもらえませんか?」と連絡したうえで、社長の都合で話し合いの席を持っていただいた。地主は「この土地を御社が駐車場として造成され、駐車料金を取っているようですが、この土地は母親から相続しました私の土地です。今更元通りにしてくださいとは言いませんが、代わりにこの土地を買ってくださいませんか」とお願いしたのである。この時に、社長は「契約書が有る」とか「会社の土地です」とかは一切言わず、「分かりました。一応役員会にかけなくてはなりませんので追って連絡します」と返答しているのだが、一年経っても二年経っても、何も連絡は無かったのです。
その頃、「地主は足元を見て大金を吹っ掛けた」とのうわさ話は聞こえてきていたが、社長は高いとか、負けてくれないかとは一切言わず、請求内容の説明を受け了承している。高いとか吹っ掛けたとかの話は、どうやら役員から出た話のようだ。
会社がつぶされる
役員会にかけて返答すると言うのは社長であって、それは「買ってくれませんか?」とのお願いに対しての返答である。買うか買わないのかの検討を役員会で決めることなのだろうが、買う意思も無くて高いだの吹っ掛けているのだの話はないことだ。ばかげた話ではないか、地主が指摘しているのは「他人の土地を無断で造成して駐車場にした。その上で駐車料金を取っているのであれば、これは犯罪ではないか。犯罪にならないようにするには、土地を買うしか方法が無いのでは?」と、善意の提案をしているのである。これに対して、高いだどうだの返答であれば、元通りにして返してくれよとなるは当然ではないか。詐欺犯罪としたくないも善意から来るものだが、盗人猛々しいもたいがいにせよ! 令和4年12月4日
買えない理由
社長は知っていた。存在しない売主だと知っていた。誰の土地だと知っていた。なぜ知っていたのかと言えば、存在しない団体と土地の売買契約書は交わせないからで、地主の土地だとのことは、法務局から要約書を取りよせていたからだ。
しかし、この話は小説でも何でもない事実であることだ。それも会社でなく法律を守らせる行政が行ったことである。あまりにも想像できないことで、これが現実に行われるなど、それこそ想定外の事件となっている。この犯罪を警察が捜査しなく、民事司法の場で裁くは驚きだが、話は簡単に進まないし、また、結果においても想像できることではない。行政が犯罪者となるは法律外にあるが、司法はやはり判決を下すしかならない。ここに和解が成立しないのは、双方が歩み寄るところがないからだ。阿智村が契約書を盾にせず、間違っていましたと陳謝するならば行政犯罪とはならないが、熊谷秀樹村長は保身のために村民を裏切った。そして裏切られた村民も、訴えた私が悪いと判断しているようだ。だからして救いようがないのだが、おそらくのこと、権力が全てだとの妄信の住民が多いのだろう。善悪の問題ではないと理解できないでいる。結果においても魔女狩りが始まるだろうが、阿智村が潰されて泣きを見るのが村民であるのは、村民の責任ではなかろうか。
話し合いの目的と結果
熊谷秀樹村長に高額な値段を突きつけたとことで、私が私利私欲でことに及んでいるとの村民が多いと聞くが、この程度の村民ゆえここまでのことになる。何をどう言っても、金で判断する者に道理と倫理は作用しない。少しの良識が有れば、阿智村は土地を購入できないと気づくはずだ。それは、阿智村はすでにこれら三筆の土地を買っているからだ。そう、村民全戸に配布した文書にも添付してある偽造契約書のことである。この契約書が盗伐裁判で晃一の証拠として裁判所へ提出された。「本谷園原財産区は、これら三筆の土地を阿智村に売っています」として、表に出してしまったのだ。令和4年12月6日
言い訳が通用しない
偽造契約書であっても公文書である。一昨年のことであるが、晃一はご丁寧にも阿智村が保管する甲の契約書の写しを証拠とした。この契約書が裁判官に提出されれば、阿智村はこの契約書を本物とするしかなくなったのである。盗伐裁判において、澁谷ゆきゑの土地が両区に払い下げられていたとすれば、盗伐した土地も平川成泰が買ったとする有力な証拠となると判断したようだが、これが大きな間違いであって、澁谷ゆきゑが両区に土地の全てを払い下げたと言うのであれば、両区はそれらの証拠となる書付が存在していなければならなくなる。澁谷ゆきゑと連絡取れないとして長男である澁谷建典氏の自宅を訪ねて稲武町に出向くに、例え、ゆきゑが存命してなくとも、払い下げが事実であれば、書付の一筆は書くはずであるし、それが両区に渡されていなければ、その様な話は無いとなる。個人的な話ではない。両区と言う代表議員が管理する団体が、書付等の文書無くして確認できることではない。
熊谷秀樹村長の愚かさ
晃一に渡した契約書は、阿智村が保管していた行政書類であった。そして、熊谷秀樹村長が私の求めに応じて吉川優議員に渡した数々の契約書類の中に含まれていた契約書の写しと全くに同じであることは、まぎれもなく熊谷秀樹村長が晃一に渡したとする事実となった。だからこそ、私は村民全戸にこの契約書を添付して、阿智村の行政内で犯罪が行われていると村民に告発したのである。吉川優議員の手を通して渡った行政書類を私は証拠に出来ないとあきらめていたのだが、熊谷秀樹村長自らが、その行政書類が本物であると証明してくれた。これほどの降ってわいた話はなく、だからこそ「村で買ってもらえませんか?」と、熊谷秀樹村長に話をかけたのである。令和4年12月7日
三つの買えない理由
熊谷秀樹村長が判断しているのではなく、すべて岡庭一雄の指示で動いていることが今回の事件でも発覚しているが、これらの土地を阿智村が購入できない理由がある。もうお分かりだと思うが、阿智村はこれらの土地をすでに買っていたからだ。買っているのに買ってくださいと言っても変えるはずがないのはそういうこと、全くに単純な結論で有ります。では、なぜ熊谷秀樹村長は私との面談時に「村ではすでに買っていますよ」と言えなかったのかといえば、それは盗伐事件の時に、「村では買った覚えが有りません」と、私に一筆入れていたからです。そう、その文書が私の手元に有り、それを片手に熊谷秀樹村長に買ってくださいとお願いしたのですから、熊谷秀樹村長はすでに買っていますと言えなかったのです。
嘘つき村長
時雄に早く死んでしまえと言っていたころですから、時雄を追い込むには何でもしますとの感情で、その様な文書までつくられたようですが、ここに来てその文書が自分の首を絞めだしたのでしょう。買っていたのに買っていない。買っていないのに買っていた。どうにも説明がつかないところにおいて、またまたトチ狂ったのが、例の偽造売買契約書である。その契約書を渋谷晃一に渡し、「本谷園原財産区から阿智村は渋谷ゆきゑの土地を買っている」これが証拠だと、晃一に渡したのです。晃一は村長から渡された契約書であれば、それは間違いない物として「澁谷ゆきゑは本谷園原財産区に土地を譲渡していた」とする証明にと考え、平成6年に本谷園原財産区の代表が澁谷ゆきゑの長男建典に会いに行ったとする両区の文書を探し当て、それの裏付けとしたのだが、おバカなことに、その書類は両区の書類であって、本谷園原財産区のではなかったのだ。令和4年12月9日
宙に浮いた本谷園原財産区
私が熊谷秀樹村長に買ってくださいとお願いしたときに、確かにその偽造契約書は熊谷秀樹村長から吉川優議員に渡り、そして私の手元に届いたが、それは、平成30年12月に章設計の応接室にて熊谷秀樹村長と吉川優議員と私の三人が面談したときに、私がそれら契約書の写しをお願いしていたからである。だからして、これを証拠として熊谷秀樹村長に買ってくださいとお願いしたわけではないし、この偽造契約書でもって熊谷秀樹の犯罪を暴こうとしたことでもない。この様に手に入れた証拠など、熊谷秀樹村長が渡していないと否定されれば、なにも通用しないからである。では、吉川優議員が「確かに熊谷秀樹村長から渡されました」と証言したにしても、吉川優議員が正式な手続きの上で手に入れていなければ、阿智村の行政書類と言えないのである。だからして、こちらから買ってくださいとお願いするしか方法が無く、熊谷村長に面談を求めたのである。
買われては困る
正直、熊谷秀樹村長が「分かりました買いましょう」と了解されては困るのがこちらの理由である。おかしな話に聞こえるかもしれないが、私の目的はこの恐ろしい犯罪の実態を暴くことにあって、その犯罪が行政犯罪にならぬよう、熊谷秀樹村長個人の犯罪としたいのである。この目的を達成するには、「阿智村が存在しない団体から購入した」と言う事実を表に出すことで、そのような事実を証明するに、初めてこの偽造契約書が証拠となることだ。高く売るためとか、裁判の証拠にするなどの陳腐な理由ではない。県警がこの偽造契約書を証拠として、熊谷秀樹個人を逮捕させるに必要な偽造契約書なのである。
だからしてこの三筆の土地を買えない理由となるよう、少しでも高額となるように計算したのである。言っておくが、やみくもな金額でなく、すべて根拠をもって請求していることは、近い時期に計算書を公開して説明します。令和4年12月10日
買うと言った
この時点ではまだ、これらの土地を購入していない。渋谷徳雄さんの代理人の文書として、熊谷秀樹村長に面談を求めている。それは、いずれ始まる争いに備えて、録音とともに確かな証拠にするためである。この偽造契約書を熊谷秀樹村長は否定しているのは、「こんな契約書が有りますが、村では買った覚えがない」との話において、この偽造契約書がなぜ存在するのかもわかっていなくあった。村で買ったのが事実であれば、澁谷ゆきゑの名義のままで残っているはずが無いと、当然として判断しているのだが、段々とその犯罪が分かるに併せ、このままでは自分の身が危ないと感じ始めたようだ。どうするか、それにはこれらの土地を買うしか解決しないと考えたようである。当たり前の話しであるが、ここで買われて困るのは私の方であって、買わせないとするには高額な金額を吹っ掛けるのも一つの手段ではあるが、それはあくまで買ってくださいとの前提が無ければ話にもならないことだ。買ってくださいと話をするには、やはり「村長から渡された契約書は偽造です」とのことを、しっかりと熊谷秀樹村長に確認させる必要があると考えたのである。
かぶせ
どのように理由をつけたにせよ、澁谷ゆきゑの名義であることは、阿智村が買ったことにはならない。勝野公人が職員として復命書を書いたにせよ、そんなものは内輪の事情であって、法務局の登記に変わるものでもない。この様な事は言わなくても分かるが、それを突きつけて話をすれば、熊谷秀樹村長は買うと言うしかなくなってくる。それを録音にとれば、有力な証拠になると考えた。しかし、これでは本当に買うと言うかもしない。それは、まだ偽造契約書について、何の争いも起きていないからである。いわゆる、偽造であるかどうかより、熊谷秀樹村長はその契約書の存在を否定していることで、村では買った覚えが無いと発言しているからだ。こんな契約書が有るが、村では買っていませんよと言えば通用するし、村道として使用するに、澁谷ゆきゑの名義であっても構わないことだ。私の請求で初めてその事実を知ったとされ、私が買ってくださいとの要請であれば、それでは買いましょうとの理由となる。令和4年12月12日
換地の理由
一般的なことだが、村道の拡張であれば、その利用者が地主となる場合、購入費用は発生しない。その代わりとして、拡張部分を村道としたうえで、その部分を阿智村名義とする。では、新設村道の場合はどうであろうか? これは全面的に買収であることは言うまでも無いことだ。しかし、それには区画整備事業として、換地を行わなくてはならない。その様に定義してこのアーテリー道路に当てはめれば、まず第一に、村道でなくわたくし私道として始められたことにある。それは、一人の地主を除いて、他の地主20人余りが賃貸借を望んだからである。ロープウェイの基地にしようが駐車場にしようが、そしてわたくし私道にしようが、区画整備事業にかかるすべての土地は賃貸借と決まったのである。それらの造成費用を安価とすることは当然だし、その手段として村道とすることもまたしかり、村道とすれば事業費予算でなく阿智村の財政で敷設できる。だからしての第三セクターであって、たとえ賃貸借の土地であっても村道となることだ。
地代の支払い
賃貸者契約はヘブンスそのはらと地権者組合で行っているが、地権者組合員のそれぞれの名前は明記されていない。それは、地代の支払いがあることでの契約であって、地権者組合員になる者は、地代の支払いがその証明となる。ここで言っておくが、私も地主の一人であるが、当時は父親が地主であり、その権利を相続している立場である。この契約への立会いは智里西開発組合の専務として同席しているが、智里西開発組合も契約者の丙となっていることで証明されている。この様に、区画整備事業の範囲以内の地主は、全員が地権者組合員であることだ。だからして、澁谷ゆきゑの長男建典氏が地権者組合員であることに、何の疑いも無いのである。この事が分からぬ住民が西地区には多く居ることで、やれ「ゆきゑの土地は譲り受けた」だの、「平川文男の土地」だのと騒いでいるが、譲り受けたのであれば名義が変わっていることで、平川文男の父親が澁谷ゆきゑから買ったのであれば、少なくとも領収書が有るはずだ。令和4年12月13日
契約書が証拠
地権者組合を甲として、阿智総合開発株式会社を乙としていれば、この二者の間での契約であることに違いなく、澁谷建典が地権者組合の組合員であることは、当時の両区総代長熊谷茂平氏が稲武町まで出向いていることでも分かるが、なぜ熊谷茂平氏が出向いたのかを知らなければ、これらの話しが理解できないだろう。
両区とは
智里西地区は、本谷区と園原区、それに横川財産区の三つの集落に分かれており、本谷区と園原区は小野川村の形成時から両方の山の財産を共有してきた。両方の山の財産とは「共有山」と呼び、分かりやすく言えば、ヘブンスそのはらが有る山林が共有山である。そのほかの山は個人権利の山であって、そこに両方の区は関与するものではない。小野川村時代は小野川5人、本谷3人、園原2人の区会議員を選出して、小野川村の区議会として村政を担っていた。その様な関係からして、小野川村が智里村となった後に、小野川区とは分裂し、本谷区と園原区において、区会議員はそのままに両区は活動していたのである。具体的な活動内容は、今でいうところの自治会のようなもので、この地区の最高決議機関であった。たしか、昭和50年代に入ったころからか、区会議員制度が、区長・副区長・会計・書記・監事制度に置き換わっている。これは、中央道園原インター設置を目的として、旧体制であった区議会議員では国への陳情に対応できないために置き換えたようだ。(それらの経緯は両区事務所の保管文書で分かる)
平成5年の区長が熊谷茂平氏であったのと、熊谷茂平氏が渋谷建典と同級生であったことから、阿智村役場の要請に応えて稲武町まで会いに行っているが、それが西地区の者には分からないらしい。「なぜ会いに行ったのか?」と考えれば分かりそうなものだが、「澁谷ゆきゑの土地は両区に譲渡されていた」との嘘情報に振り回されているようである。令和4年12月16日
澁谷ゆきゑの土地
なぜ会いに行ったのか? 簡単な話である。「澁谷ゆきゑの土地にアーテリー道路が掛かる」として、話し合いに行ったのである。「村道を開けるので協力していただきたい」とお願いするに、阿智村は売ってほしい言ったというのが問題の根源である。澁谷ゆきゑ名義の土地であるから阿智村は建典を訪ねるに、他の地主らが賃貸借で話がまとまるに、行政が売ってくれと言ったのであれば話は壊れてしまう。だからして、熊谷茂平氏が澁谷建典と話をして「良い話が出来た」と記しているのは、これからの展開に向けて足並みがそろったのを示していることだ。この時に、万が一にも澁谷建典が阿智村に売るとの話であったならば、今現在、名義は阿智村になっているはずである。個人でなくて行政であるということを考えれば、名義が移らない土地を購入することは行政では出来ないのである。こんな常識を知らない西地区の住民が恥ずかしいが、それにしても、ここまで来ても阿智村の土地だとか、澁谷ゆきゑが在りもしない財産区に土地を譲渡したとか、平川成泰に土地を売っていたとか、こんなバカげた話でまだ右往左往するのがお粗末すぎる。考えてもみろ、澁谷徳雄さんが何の問題もなく、すべての土地が相続できている。澁谷建典が本当に土地を売ったのであれば、その時点でも簡単に名義が変えられていたはずだ。
二度目の訪問
盗伐裁判に絡むことだが、「熊谷茂平が行く前に時雄らが会いに行っている」との話が聞こえてきた。この話しが不自然に聞こえたのは、時雄がなぜ建典のことを知っていたのか? と言う疑問である。まてよ、建典に会いに行ったとして、時雄一人ではないはずだ。時雄が誰と行くのかといえば、それは叔父である渋谷秀逸しかいないとなる。それに渋谷秀逸は平成6年度の両区区長であって、当然の立場に有ったことだ。熊谷茂平氏が両区区長として阿智総合開発株式会社と契約を交わすに、その契約は地権者組合の代表としてであって、だからしての訪問には、地権者組合の代表として契約者の立場にあったからである。令和4年12月18日
叔父と時雄はなぜ行った
熊谷茂平氏や勝野公人観光課長に吉川建設の澁谷より州が同行しているが、それは建典の土地がどの様にアーテリー道路にかかるかの説明であることは言うまでもないが、いきなりとするには話が請求ではないか。やはり、叔父と時雄が先に建典に会いに行ったのは事実であることだ。さて、時雄が建典に会いに行くに、その目的は何であったのか? その時の時雄は地権者組合長でもないし副でもない。開発組合の専務でも何でもない。何の立場もない者が建典に会いに行くに、用事が無くてなんとするか。「アーテリー道路にかかる」は村の仕事であって、だからして勝野公人観光課長が出向いていることだ。ならば、何をどう考えたにしても、澁谷ゆきゑの土地に関して何らかの話に行ったことになるが、叔父と時雄が会いに行くに、叔父もまた何の立場も無いのかと言えば、平成7年1月1日から両区の区長と言う立場があった。叔父と時雄の考えそうなことは、澁谷ゆきゑの土地を取り上げようとする魂胆しかないが、そのもとになる考えが何かといえば、「この地を出て行った者の山を誰が管理するんだ」という言い分が、泥棒にも三分の理が有るとの勝手な解釈である。
時雄の目的
本谷園原保護誓約書なる規約をつくり、さも本谷園原財産区が昔から続いてきたとして始めたのは時雄と叔父と操であるが、その保護誓約書の中身と言えば、「この地を離れた者に財産権は無い」とするものだ。この誓約書は両区が管理する共有山だけでなく、個人権利で有る分割山や権利山について、この地を離れた者に権利は無いとするもので、分かりやすく言えば、個人権利を放棄させるために用意された保護誓約書である。時雄と叔父はこの保護誓約書をつくり、澁谷ゆきゑの土地(山林)の全てを取り上げようと画策した。だからして、この保護誓約書を澁谷建典に見せて、「西地区には本谷園原財産区保護誓約書が有りますので、この地を離れている澁谷ゆきゑの山林について権利はすでに消滅しています」と話し、山林の処分をしていただけないかとの話に出向いたのである。令和4年12月21日
馬鹿につける薬無し
馬鹿な事をしたものだ。澁谷建典は父薫とともに、森林組合の職工であった。西地区の殆どの山を植林するに、分割山や権利山に直に携わってきた歴史そのものであるに、登記ある山や分割林についてそこに権利が無いなどの話をすれば怒るのは当たり前ではないか。それにしても呆れてしまうのは、時雄の泥棒癖とその行動だ。こんなことを思いつくに、何が目的であったのかと言えば、「アーテリー道路に澁谷ゆきゑの土地がかかる」との情報を岡庭一雄から得て、その土地を手に入れようと画策したことだ。
賃貸借契約
兎にも角にも、叔父と時雄が建典に会いに行ったのは事実であるが、財産区の話しは建典は理解しなくあった。しかし、建典の了解が得なければアーテリー道路は出来ない。その辺りを考えれば、例え時雄であったにしても話を壊すわけにはいかない。最低限のつなぎとして、「阿智村からお願いに参ります」が、建典の怒りを治めた言葉である。
時雄は帰るなり、「村が行けば話は出来る」と岡庭一雄に伝え、岡庭一雄は早速にその準備にかかるのだが、阿智村が先頭で行ける理由はなく、両区に同行するとした。だが、そこですでに問題があった。そう、両区の区長である渋谷秀逸は、すでに建典に会いに行っていたからだ。区長が代表で賃貸借契約するに、その区長が「財産権は無い」とか、「地区に払い下げていくものだ」などのことで建典を怒らせてしまったことで、もはや渋谷秀逸は行くに行けない状況にあった。そこで目を付けたのが前区長であり、地権者組合の代表で阿智総合開発株式会社と賃貸借契約を行った熊谷茂平氏であるのだが、これもまた都合の良いことに、茂平氏は建典と小学校の同級生であったのだ。
分けて考えるな
これが真相である。この話に誤解が有るのは、アーテリー道路にかかる澁谷ゆきゑの土地が山林ではないと西地区の住民が考えていることにある。なぜならば、それらの土地はもともと田であったからだ。長年の放置において、それらの土地の一部に桧が植えられていたことで、登記上は山林に代えられていた。そのことが多くの誤解を招く結果になったのだ。時雄と叔父は何を根拠に建典と話をしたのか? 分割山だとか権利山だとか、財産区の話をするに、そこが田であれば出番が無い。叔父や時雄は当然として、アーテリー道路にかかる三筆の土地が、田でなく山林として登記されていることを知っていた。だからして、茂平氏が建典に会いに行くに、澁谷ゆきゑ名義の山林すべての始末について話に行ったのである。令和4年12月23日
良い話し
茂平氏は、「良い話が出来た」と日記に書いている。この証拠は盗伐裁判でも扱われているが、良い話しとはいったいなんであったのか? そもそも、茂平氏は渋谷秀逸区長の代理で建典に会いに行ったことで、その要件は何であったかと言うことだ。何であったのか? ここは想定でしかできないが、実際に会いに行った5名のうち、茂平氏だけが亡くなっている。その亡くなった茂平氏が「良い話が出来た」と言っているのだ。
四人のユダ
勝野公人が観光課長の立場で会いに行ったのは、当然に公式な訪問である。何を公式にお願いしたのかと言えば、「スキー場開発事業にかかる協力要請」でしかない。何の協力かと言えば、「村道に澁谷ゆきゑの土地がかかる」とのお願いだ。本谷園原財産区と阿智村の売買契約書の存在を先に知った者は、この始まりを理解せずに、阿智村が澁谷ゆきゑの土地を買いに行ったと決めつけたことに、ここまで大きくな感情のもつれとなった。いわゆる、「村が偽造契約書など作るはずがない」との固定観念だ。
阿智村が訪ねるに、地主にあたる誰もが賃貸借と決めているのに、それも行政がいきなりに「売ってください」などはあり得ないし、またそのような要件で出張許可が下りるはずもない。これらの経過を知る勝野公人がだんまりを決め込むのは、嘘の復命書を書き、偽造売買契約書の作成に協力したことにある。これが岡庭一雄村長の指示で行われたとの裏付けは、時雄と敬遠の中であった勝野公人を教育長にしたことにある。勝野公人は自分の出世のために村民を裏切った男に成り下がったのだ。いずれこの犯罪は白日の下に晒されるが、その時点で弁解しても誰も許すことは無いだろう。まだ遅くはない。今の時点で事実を話すことが、人間としてやれることではないか。
もう一人、阿智村職員が運転手として同行しているが、それが牛山前副村長であると知れば、多くを語る必要はない。勝野公人の要件を知らないとは言わせないが、共産党であれば、嘘を言わない方が身のためであろう。副村長としてあまりにも多くの噓と偽造行政書類を作成した。岡庭共産党でなければ、石原衛の顔に泥を塗るなとだけ言っておく。令和4年12月25日
最低な男
ここに最低な男を二人紹介するが、「・人を騙す・平然と人を傷つける・人の不幸を喜ぶ・都合が悪いと逃げ出す・自分の利益しか考えない」は時雄くらいで、一つくらい外れているかもしれないが、これら二人も全くにその例を見ない。まずは渋谷より州であるが、この男も勝野公人観光課長の要件に同行している。なぜ同行したのか? と考えてみるがよい。吉川建設の土木工事代人が同行するに、「澁谷ゆきゑの土地にアーテリー道路を計画した」との説明以外ないことだ。澁谷ゆきゑの土地にどのように村道が計画されるのか、そしてどの範囲の土地が必要とされるのかについて詳しく話せば、はたして建典は、やみくもに反対するであろうか? いや、もろ手を挙げて土地を売りますなどと言い出すのであろうか? 役場が突然訪ねたのであれば、怪訝に対応し、まずはあいさつ程度で済ませるだろう。だが、勝野公人観光課長が公式に訪ねるに、アポイント無くしてあり得ないことで、それは当然に行われている。事前に相談内容も伝えていることで、だからして説明も受けられたことになる。
ここで、建典の立場で考えてみよう。長男建典が相続すべき渋谷ゆきゑの土地が多くある。そのうちで、いくつかの土地が村道にかかるとの話が来た。聞けば、他の地主たちは地権者組合を設立して、村と足並みをそろえて開発事業に取り組んでいると言う。そこまでが理解できれば、相続しても価値のない土地が金になるとの算段は誰でも思うことだ。ここで良い話が出来なければ、渋谷より州は澁谷ゆきゑの土地を避けてアーテリー道路を計画しなおすだけである。そしてこの話が事実なことに、今回澁谷ゆきゑの土地全てを相続した澁谷徳雄さんが、この時に、兄建典から話が有ったことを認めているし、盗伐裁判において、これらの経過を証拠として提出してもいる。
ここで渋谷より州を最低な男とするのは、「澁谷ゆきゑの土地に村道をかけた」設計図を作成したことにある。それが誰の指示で行われたのか? 岡庭一雄の指示であったのだ。令和4年12月27日
阿智村が出向く謎
本谷園原財産区と阿智村が、澁谷ゆきゑの土地の売買契約書を作成した。なぜこのような犯罪が行われたのか? と考えるに、「澁谷ゆきゑの土地を売ってくれ」との話が先にあったものと思われる。誰が何の目的でなどは今更だが、叔父と時雄が始めた話である。叔父や時雄が澁谷ゆきゑの土地に目を付けたのは、澁谷ゆきゑの土地であったからだ。盗伐された土地もそうであるが、平川成泰の土地であるならば、渋谷貢に話をすればよいことだ。渋谷秀逸区長の後は、渋谷貢が区長になっているではないか。澁谷ゆきゑの土地であるから、何とか手に入れようと二人は奔走した。そして稲武町に建典が居ることを渋谷貢から聞きだして、「売ってくれ」と話しに行ったのである。渋谷貢にしかわからぬ澁谷建典の移転先であることは、澁谷ゆきゑの土地を相続する者は澁谷建典しかいないことで、常識的な話である。晃一が言うように、平川文男が相続しているのであれば、茅野市に住む平川文男のもとに時雄も秀逸も行けたはずだ。盗伐犯罪で晃一は嘘をつきすぎで三悪人の取り巻きたちは混乱しているが、時雄と秀逸が「50年も前に出て行った奴だ。切ってしまえ」と指示されたことを原点として、間違っていましたと謝れば、裁判までは進むことではなかったと、反省すべきである。
秀逸と時雄が、澁谷ゆきゑの土地を売ってくれと話をするに、すべての土地について言及するのは当たり前のことで、唐突な話として建典が躊躇したのであれば、秀逸と時雄はその話が継続できたはずだ。それが出来なく熊谷茂平氏が出向くわけは、この二人の話が断られたことにある。継続していたのであれば、秀逸が両区長として先頭で行くのが筋ではないか。熊谷茂平氏が同級生であったなどは次いでのこと、茂平氏には地権者組合の代表とした契約者の立場しかないことで、同級生であるからこそ信用され、良い話となったのだ。令和4年12月29日
阿智村の立場
もう一人の最低な男、それはこの話に同行した原勇である。原勇の立場と言えば、地権者組合の副組合長である。その男がなぜ同行する必要があったのかと考えれば答えはすぐに出てくる。地権者組合長の熊谷恵治氏は糖尿病を患っており、すでに定期的に透析を受けていた。だからしての代行同行なのである。
地権者組合とは何だ!?ヘブンスそのはらの開発事業にかかる地主たちの集まりであって、ここに土地の売買は無い。その立場の代表が、建典に土地を売ってくれなどとの話しに同行すると考える方が馬鹿げている。ここは常識的に考えることであるが、いまだに、同級生のよしみだとか、山の話しだとか、ついには阿智村に土地を売るとの話であったとか、いつまでもその低い次元で判断するから感情的になるのである。第三者の立場で見れば、「地権者組合に入っていただきたい」ここにしか結論はいかない。
最低の例
好泰の父茂平氏は、共同で漬物工場を経営していた。その役員と言えば、熊谷逸雄(熊谷浩二:元消防署職員・現阿智村職員)代表として、熊谷智徳(東山道社長)・小松勝文(元智里東農事組合社長)、そして、熊谷時雄らである。その漬物工場はアーテリー道路県道入口下流50mにあったが、その土地代の賃貸料を本谷園原財産区が長年支払ってきた。? なぜ本谷園原財産区が漬物工場の地代を払うんだ? の疑問は当然だが、時雄に言わせれば、ヘブンスそのはらの山林地代(地域振興補助金)は、そのような使い方しかできないと言う理屈らしい。こんなバカな話が通用するのが、岡庭一雄と西の三悪人である。まあ、そこの話は置いておき、最低な男の話を始めるが、その漬物工場がある土地は二筆に分かれており、その半分を熊谷茂平氏の名義になっていた。話に聞けば、その土地の元の地主が原勇であると言う。令和4年12月31日
本谷園原財産区の土地
漬物工場がつぶれて十数年、そこでのいざこざは当然時雄のたくらみにあったが、そこは私のあずかり知らぬことである。だが、好泰にとっては青天の霹靂な話であるは、「その土地は本谷園原財産区に売った土地だ」と、原勇が公言したことにあった。なぜ原勇はその様な嘘をついたかと言えば、確かに原勇の土地であって、その土地を園原農産(漬物工場の会社)に売っていたからだ。園原農産でその土地を登記しなかったことは購入資金が無かったことで、熊谷茂平氏が個人で購入したことにある。園原農産で金を出していれば当然園原農産で登記されることだが、時雄はそれらの土地は熊谷茂平氏から借りているとし、その地代を本谷園原財産区から支払わせていたのだ。ようするに、ヘブンスの山林地代が地域振興補助金と言う形で本谷園原財産区に支払われる、それらの金を用いるために、『本谷園原財産区の土地だ』としなければならない。それを押し通すために『本谷園原財産区に土地を売った』と、原勇に言わせたことだ。これらは外野から見れば分かることでもあるが、好泰自身が本谷園原財産区を認めていることで、大いに混乱したのである。時雄の取り巻きたちと同じ次元で戦えば、どうしても感情的になってしまう。好泰はかなりな苦労をして、法律的解決で父の土地を取り戻したが、感情は消えることは無いだろう。
ここでもっとも言いたいのは、原勇は「本谷園原財産区保護誓約書など時雄がつくったものだ」と公言しながら、この様な嘘を平気で言うことにある。そこに損得が無くて嘘をつかないと見れば、時雄と同じく、人の物を騙して取り上げることに違和感をもたない人間であると言うことだ。そう言えば、盗伐控訴審において原勇は、「平川成泰が植えた木だ」との陳述書を提出したことで、被告らの反論となりえている。嘘であっても、同じ地区の者が証言すれば、多勢に無勢と言うがごとく、相手の言い分も通ることになる。このことを、好泰は強く感じることではないか。原勇の嘘、「本谷園原財産区に売った」をそのままにした結果が、盗伐裁判に影響しているのを考えるべきだ。令和5年1月2日
三重苦
好泰がなぜこうも時雄にいじめられてきたのか? それは間違いなく時雄に逆らったからだ。時雄から言わせれば「俺が自治会長にしてやった」がある。好泰はより良い自治会にしようと頑張ったが、それはまさしく時雄の不正や犯罪を暴き出す結果となった。ただ、原勇が言うところの本谷園原財産区が昔から有ると信じたことで、それらの矛盾に戸惑い、正面で対立したようである。まあ、今の段階で本谷園原財産区がどうだこうだと言ったにしても、聞く耳を持たない族には通用することは無いのだが。
事実の判断
原勇がなぜ澁谷建典の元に同行したかは地権者組合の副組合長であるからだが、地権者組合が同行するを考えれば、その目的がなにかと判断しなければならない。「土地を売ってください」が阿智村役場のお願いであれば、地権者組合が同行する意味はないが、そこが分からぬ者が多いのは世代が代わったことにある。どうしても村の言うことや嘘を言う者に惑わされ、その都度の判断になってしまう。考えや感情でなく事実を積み上げれば、原勇は同行せねばならぬ立場であったことに気づくはずだ。熊谷茂平氏の同行で良いとすれば、茂平氏が地権者組合の責任者であることで、原勇が同行するのであれば、茂平氏では用をなさないとなる。そこまで考えれば一つの事実が見えてくるが、それは、熊谷茂平氏は区長でもなければ地権者組合長でもないことだ。山の話であれば区長の役割、ヘブンスそのはらの話しであれば、地権者組合長の役目である。ここでもう一つ付け加えておくが、澁谷建典の土地は、その時点ではすべて山林であることだ。
もう話は見えてきただろう。山の話にしてもヘブンスそのはらの話にしても、そして村道の話しであったにしても、澁谷建典の元へ訪ねるは、「地権者組合に入ってください」しか、そこに話は無いのである。令和5年1月4日
自身に置き換えろ
澁谷建典の土地(山林)が、村道にかかる土地だけであったならば、それは売り買いの話は出るかもしれない。しかし、その時点の澁谷建典の土地は12筆もあるとなれば、話はそこに向かないものだ。元々田であった土地だけを建典は売ると思うのか? 売るのであれば「すべての土地を買ってくれ」でなければ話しにもならない。こんな話しは自分自身の考えに置き換えれば、おのずと判断できることではないか。熊谷茂平氏が同級生のよしみで何を話すのか? 権利山や分割山の話しだと考える者が居るようだが、当時、茂平氏の立場は前年度の区長であって、存在しない財産区を代表したわけでもないし、権利山や分割山などは両区と全く関係が無い個人権利である。まして、澁谷建典は権利山や分割山を所有していないし、主張もしていなかった。
この様な状況で原勇が同行した事実を鑑みれば、原勇はこれらの経過を直接経験し、澁谷建典のところへ出向いた理由も熟知していることになる。それは渋谷より州も同じで、何もかも知っていなければならない立場であり、これら二人が事実を話せばすべてが明らかになることである。
沈黙の理由
渋谷より州(くに)がこの件に関して何も言わないことは、「地権者組合に入ってください」とのお願いが事実であったことによる。うるさくて汚くて強引で、お頭の悪いより州が、この要件が事実でなければ、「村が買ったのは事実だ」と、大声をあげて騒ぐはずである。盗伐裁判についてもそうで、「澁谷建典は財産区にすべての土地を払い下げている」と、証言するはずだ。それがこの男の本性であるに、何一つ発言せず沈黙している。なぜだ? 私の発言を常に否定して、バカヤローとまで叫ぶ愚か者が、この二つの裁判に対して、親戚である渋谷貢(晃一)の立場に立ってなに一つ反論していない。令和5年1月6日
最低の男の出番
原勇の立場はどこにあるのだろうか? この男はなぜ澁谷建典の元を訪れたことを何も話さないのだろう? 話さないのか話せないのか、より州とは全く違う立場に居るが、沈黙を続ける理由はどこにあるのだろう。渋谷貢はこの男のことを悪く言っていた。それは、やはり、土地を狭むことにあるようだ。
時雄がつくった本谷園原財産区と知りながら、茂平氏に売った土地を財産区の土地だと好泰に言う面の厚さに驚くが、このような嘘を平気で言える者が、「平川成泰が植えた木だ」と、晃一から求められるままに嘘の陳述書を書いている。大した証拠にならないが、控訴期日を延ばす手段としては効果的であった。それをもとにして和解に持ち込もうとするのが盗伐裁判の被告弁護士である。このような裏事情を知らぬ者たちは、原勇が個の利害で動いていることを知るべきである。
日和見
原勇は典型的な日和見男のようだ。陰では悪口を言い、形勢を見ながら有利な方につく、そのあげく、得にならぬなら平気で嘘を言う。一度で良いから事実を言ってみろと言いたくなるが、性根は治ることではない。この男に言わせるべき事実はたった一つ、「なぜ澁谷建典のところに同行したのか?」に答えることだ。たったこの一つの質問に応えることで、すべての事実が明らかになるが、おそらくのこと、原勇は何も答えないだろう。なぜ答えないのかは、原勇の性根によるものでもあるが、私の言っていることが事実であるからに他ならない。私が言っていることに間違いが有れば、日和見男として、阿智村の立場に立って証言するだろう。まあ、盗伐裁判で「平川成泰が植えた木だ」と平気で嘘が言えたのは、近所付き合いに過ぎないが、澁谷建典のところに行った内容に嘘の発言が有れば、それは共犯者となることが分かっているようだ。令和5年1月8日
本質を知らぬ者
私がやっていることは正義でも何でもないが、間違いを正そうとするのは、間違いのままではいつか終ってしまうからだ。数学でいえば答えが間違っていることで、それではその先に進めない。ただし、答えの間違いばかしを指摘しても何も解決しないのは、その間違いの本質を知らぬからで、本質を知りえれば、また、答えも正しく導かれるものだ。盗伐も、盗伐したと責めたとして、そこに何の解決が有るものか。許せんとかうるさいとか、その様な感情に先走り、解決に向かうところを見ていない。この裁判も全く同じであって、澁谷ゆきゑの土地を勝手に売買したとか、村が買っているんだから事実じゃないか。とか、それらの行為ばかしに目が向いている。「その契約書に拘束されていない」とは、阿智村の弁護士が「売買契約書がある」を証拠に、時効取得を主張されたときの原告弁護士の返答である。行政であろうが無かろうが、偽造契約書は答えではない。では、アーテリー道路にされた渋谷ゆきゑの三筆の土地に、いったいどのような間違いがあるのだろうか? その間違いが何かと証拠をもって臨めば、案外正しい答えは見つかるものだ。
三大間違い
まずは契約書である。存在しない本谷園原財産区と阿智村が渋谷ゆきゑの土地を勝手に売り買いした契約書である。これ以上の間違いはないと思うが、それが間違いだとするには、相当な困難を伴う。それは司法と行政は相まみえないもので、契約書の存在自体は認められてしまう。その契約書が偽造だとの証明は出来ないが、本谷園原財産区が存在しない団体だとはいずれ証明できる。しかし、今の段階において「本谷園原財産区は存在している」と、西地区の多くの者が発言すれば、まさに盗伐裁判の原勇と熊谷章のように「平川成泰が植えた木だ」と陳述したのと同じく、裁判官は多勢に無勢で判断することも考えられる。令和5年1月10日
復命書の存在
復命書の存在は、阿智村長が勝野公人観光課長に「澁谷ゆきゑの土地を買いだせ」との命を受けたとを証明するものだ。この復命書は契約書の裏付けとして作成されており、澁谷建典が渋谷ゆきゑの土地を本谷園原財産区に譲渡したと書かれている。これらもやはり盗伐裁判において熊谷秀樹村長が晃一に渡し、晃一が「伐採した土地は平川成泰が買ったもの、それ以外の土地は本谷園原財産区に譲渡している」との反論主張にもちいれられた。そして控訴においても裁判官はこの証拠を取り上げ「澁谷ゆきゑの土地は阿智村に譲渡しているのだからこの土地も阿智村に寄付すればよいではないか」との和解案が打ち出されたのだ。このように、裁判官からしてみれば、偽造契約書であっても通用するのが行政書類と言うことである。
否定しなかった弁護士
一審において、この偽造契約書と復命書が証拠として出されたとき、私は当然にこの契約書の偽造とその根拠を弁護士話し、本谷園原財産区は存在しない財産区であるとつげて、そこを反論していただきたいとお願いしたが、弁護士は「これは大した証拠でない」として、不要な反論だとされた。たしかにその時点においては、反論に値しない事であったが、控訴において和解案としての裁判官の判断がそこにあるとすれば、一審で否定すべきことであったと指摘したが、弁は弁護士が立つもので、和解しないならどちらでもよいことだとはねのけられた。しかし、この裁判において同じ偽造契約書と復命書が阿智村側の証拠とされるのを分かっていたことで、そこにどう立ち向かうのかとしてこの裁判の弁護士に相談すれば、いともあっさりとして、「関係ありません」との答えであった。関係ないは最も分かりやすく、また、それらが被告阿智村の証拠になることは、反論主張として成り立たないからであると判れば、いまさらに否定する意味も確かにない。令和5年1月12日
最大の要点
盗伐裁判もこの裁判も、全く同じ裁判であることに誰も気づいていないことは、物事の中心が見えてないことにある。確かにそれぞれの立場で視点は変わるもので、原告や被告が違えば裁判も違うように見えてしまうだろう。だが、冷静にして沈着であられれば、物事の中心は見えてくるものだ。その物事の中心が何であるのかといえば、「澁谷ゆきゑの土地が十数筆存在していた」と言うことだ。これこそが変えようがない事実であって、そのすべての土地を澁谷徳雄が相続した。澁谷ゆきゑがこの地を去ってから、例え一筆でも他の者に譲渡されていたのであれば、澁谷徳雄はそのいくつかを失っていただろう。法務局の謄本が何も正しいとは言わないが、澁谷ゆきゑがこの地を去ってから60数年も経つに、それら土地についての争いが何一つなかったことが、法務局の登記の正しさを証明している。まして阿智村は地方公共団体であって、法務局の登記を同等に扱える行政にあることは、阿智村が契約してこれら三筆の土地を購入したのであれば、法務局の登記も出来ていただろうし、そうしなければならない業務を司っている。
次の段階
ここで中心は明確になった。では、いったいなぜ偽造契約書が存在したのか、が次の段階である。答えはいたって簡単「澁谷建典が売らなかった」からだ。買うにしても借りるにしても、「復命書」との書類において、勝野公人観光課長・牛山職員、渋谷より州、原勇・熊谷茂平の四人が、稲武町に住む澁谷建典の元に行っていることは事実、ここで売るとの話が良い話しであれば、阿智村に名義は変わっていることだ。しかし、阿智村の名義でない状況で、もはや復命書で「本谷園原財産区から買った」とも通用しなくなった今、登記できなかったを説明できることは何もない。また、阿智村が村道として借りるとの話しであれば、「地権者組合に入ってくれ」が、村がお願いできる唯一のことである。渋谷より州はなぜ同行した? 阿智総合開発株式会社の工事責任者である立場であれば、やはり、「地権者組合に入ってください」のお願いでしかないはずである。令和5年1月14日
建典の死
次の段階である偽造契約書の存在は、売ることも貸すことも出来なくなった建典の死にあった。だが、この死を喜ぶ者が居たことで、この偽造契約書がつくられたのだ。ここでのポイントは建典の死がいつであったのか? ではないか。復命書によれば、平成7年2月7日に建典に会いに行っていることで、確かにこの時点では生きていた。しかし、復命書の内容では「ゆきゑは既に処分したと思う」「お金ももらっていたと思う」と書かれており、土地の処分が明確でなかったことが示されている。明確でないことを阿智村も認めているのであれば、まずは、土地の処分を明確にするとのことが先になることだ。ようするに、「本谷園原財産区にゆきゑの土地全てを譲渡した」との書付が必要ではないかと言うことだ。阿智村が三筆の土地を購入するとの話が事実であれば、まずは、本谷園原財産区と建典との話を詰めることで、そこに熊谷茂平氏や原勇が同行しても何の意味も無い。渋谷秀逸が本谷園原財産区の総代長として、建典と譲渡書を交わすべきである。
良い話が出来たとは、譲渡書の書付であったかもしれないが、それであれば、譲渡先は本谷園原財産区ではなく両区であることだろう。なぜならば、平成7年には、まだ時雄と秀逸は本谷園原財産区をつくっていなかったからだ。
行政の範囲
少なくとも平成7年までは建典は生きていた。そこにこの様な契約書と復命書が存在するのであれば、阿智村は、本谷園原財産区と建典との間で交わされた譲渡書、あるいは念書を基に、本谷園原財産区と仮契約書を交わすことは行政的に出来ることだ。それであれば、建典が死んだにしてもこの様な問題は発生しないはずであるし、行政ならば必然的な手続きであることだ。行政であれば法律的手続きで進めるのは当然であるし、それでなければ契約など出来ることではない。この様な手続きが行われなく契約書だけが存在するとは、行政的ではあり得ない。まあ、これらを簡略して「その契約書には拘束されていません」と反論したのであって、この契約書が阿智村の反論であるならば、法律を守らせるべき行政が自ら法律違反したことになる。令和5年1月16日
目的は地代の搾取
阿智村は澁谷ゆきゑの土地を購入する必要はない。なぜならば、ヘブンスにかかわるすべての土地は賃貸借と決められていたからだ。ゆきゑの土地だけを購入するのであれば、上記に書き出したような手順でしかすすめることはできないし、ヘブンスも阿智村に地代を払わなくてはならない。何よりも、建典が書付一つも残していないことは、本谷園原財産区でも両区だとしても、譲渡していないのは事実である。
この様な偽装工作しても、ゆきゑの土地を手に入れることが秀逸や時雄には必要であったと言うことだ。なぜだろうと深く考える必要はない。それは、村道とされた三筆の土地の内、道路敷にされていた土地を「本谷園原財産区の土地だ」として、時雄は草刈り等の管理を役員らに毎年続けさせてきている。今でも草刈りは続けられているが、阿智村に売ったとされる契約書が有るに、なぜ草刈りを続けてきたのか? と言うことだ。こもことを西地区の者に納得させるに、「財産区の土地は阿智村の名義になっている」との、ヘブンス山林地代と同じ理由を用いていることだ。分かりやすく言えば、「財産区の土地は阿智村名義だ。そのようにして税金が掛からぬようにしている」という、ヘブンス山林地代の税金が掛かるとのことと同じだとしている。山林地代に税金が掛かるから名義人である阿智村に地代は支払われるとの逆の言い分だが、このお粗末さに気づく西の者がいないのに呆れてしまう。まあ、それは良しとしても、草刈りをして本谷園原財産区の土地だと言うのであれば、そこに地代は支払われていることになる。阿智村に売った土地を本谷園原財産区が管理する必要は他にないではないか。
ヘブンスそのはらは、この三筆の土地に地代を毎年支払っているのは間違いはないこと、そしてその振込先は、当然として時雄が管理する口座であることだ。時雄が死んだ今、その通帳を管理する者は渋谷章行である。
まだ居る被害者
この様に、村道とされた地主のうち、やはり澁谷ゆきゑと同じくこの地を離れた者が何人もいる。それらの内で分かりやすい例を挙げれば、花桃祭りの出店場所として利用されている土地が有るが、これら土地の元地主は名古屋在住の原氏であった。原氏の土地はすでに村道として一部をヘブンスと賃貸借しており、残りの土地を空き地としていたが、その空き地を渋谷秀逸が買いだして、阿智村に寄付した形にして税金逃れをしたことは依然詳しく書き出している。この土地の買い上げ金870万円余りは地域振興補助金(ヘブンス地代)で支払っているが、しかし、寄付した限り阿智村の土地であって、そこに存在しない本谷園原財産区の権利は無いが、時雄のこと、「本谷園原財産区の権利ある土地だ」として、阿智村に一筆入れさせてある。令和5年1月18日
土地区画整理事業
ヘブンスロープウェイ基地周辺の開発事業は土地区画整理事業で行われている。土地の区画・形質の変更、公共施設の新設・変更に関する事業だ。ここでいう公共施設とは、村道のみであることに注目していただきたい。ならば、阿智村が個人の土地を村道(公共施設)として形質の変更は出来ることで、買い上げる必要もないし、換地をするのであれば、それは地主の要望によるものだ。そして地主らは共同で、この土地区画整理事業に参画した。
土地区画整理法を紐解けば、民間施工と公的施工の二つに分かれている。公的施工は国の利害に関係する(災害等の緊急対策)と有るからして、ヘブンスの場合は民間施工の様式が取り入れらている。ここでもう一つ、民間施工の中にも「土地区画整理組合」と「土地区画整理会社」の二つの分類が有るが、借地権者が7名以上いる場合は「土地区画整理組合」となることだ。
このように、一定地域の3,000㎡を超える範囲を開発するには、開発行為の届け出を行うか、土地区画整理法に基づき土地区画整理組合を設置しなければならないが、ヘブンスの場合、第三セクターとして発足しているのと、借地権者が多数いることにおいて土地区画整理組合を設置している。地権者組合を設立したのは、何も地代や契約の窓口団体の役割だけではなく、土地区画整理法に基づく届け出の団体が必要であったからだ。この様な知識がない者が時雄を含む西の三悪人であるからして、この様な幼稚でかつ大胆な犯罪を行うことが出来たのであろう。
換地の不要論
土地区画整理において換地が不可欠なのは、宅地の存在である。いわゆる、区画整理内に宅地が含まれていれば、そしてその宅地が形状変更の対象地になるのであれば、換地は必要不可欠なものとなる。しかし、幸いか否か、ヘブンスの開発行為内に宅地は一つも存在していない。ならばなぜ時雄は換地を持ち出して、あまつさえ、換地費用まで請求したのか? という新たな疑問が出てくるが、それはやはり、澁谷ゆきゑの土地を時雄が扱ってきたことにある。令和5年1月20日
組合の理由
阿智総合開発株式会社と契約したのは地権者組合である。なぜ地権者組合との名称にしたのかは、土地区画整理法に基づく、土地区画整理組合の設置にあった。組合だから組合長が必要であり、両区であろうが存在しない本谷園原財産区であろうが、土地区画整理法においては通用しないのだ。だからしての契約書に組合長として契約者甲に有るが、両区の区長であった熊谷茂平氏は、両区という肩書は記せなかったのだ。(建典のところへ茂平氏が出向いたのは、地権者組合に入っていただきたいとの理由がお判りいただけましたか)
偽造売買契約書の顛末
澁谷ゆきゑの土地三筆の、本谷園原財産区(渋谷秀逸総代長)と阿智村長(山内康治)との売買契約書が被告阿智村の反論主張の証拠である。この証拠を持って下平弁護士は「平成7年から阿智村が購入して占用してきた」として時効取得を主張された。この反論に対して「村道とされている土地のすべては賃貸借している」と反論したところ、なぜか下平弁護士は、当初の反論主張を取り下げた。?な話だが、取り下げの理由は説明されない。改めて、主張立証を組み立てるとのことだが、契約書が偽造であったとのことはさして関係ないらしい。おかしな話になってきたが、弁護士であれば法律のすべてに精通しているとの妄想は振り払った方がよい。単純に、そして事実のみを積み上げれば、おのずと見えてくるものは真実しかない。この裁判でも勝ち負けを私は求めていないのは、真実が明らかになれば、その先の解決が見えてくるからだ。
さて、その真実をまず探ろうではないか。秀逸と時雄がなぜこのような偽造契約書を作成したのか? その契約書を用いることにどのような理由があったのか、そこがこの犯罪の原点である。
判明した事実
契約書を作成した時期は、岡庭一雄が村長になってからである。それは、山内村長で有れば、このような契約書を作成できないからだ。地権者組合は土地区画整理法に基づき組織されたもので、地権者組合が国への届け出申請者であるに、阿智村が土地を買って地権者組合に入ることが出来ないからだ。令和5年1月22日
次の事実
偽造契約書をつくって何をしたのか? が次の事実であるが、それは当然に地代の横領である。今回の裁判での請求額も賃貸借料であるが、これら三筆の賃貸借料は17万円から22万円程度であると計算できる。それは地権者組合と阿智総合開発株式会社との年貢単価表によるものだが、横領が目的でなければこんな回りくどいことはしない。25年も経てば、その地代はすでに500万円を超えてる。たった250坪程度の土地であるに、他の地主たちはその数倍の地代を得ていることで、時雄の考えに従ってきているが、渋谷章行のように100万円を超える地代を得ていれば、時雄様様になるのも頷ける。章行の地代もうさん臭く、時雄と仲間であれば、他人の土地の地代搾取はお手の物だろう。この裁判に判決が出れば、それらの横領も明らかになることだ。
換地も横領
吉川建設が換地費用の400万円を用意したとして、時雄と岡庭一雄村長は換地を進めた。土地区画整理法での換地は宅地が対象であるに、宅地が無い区画整理に換地は発生しない。このような知識を地主が持てないのは当然だが、この400万円につられて欲をかいた地主が居た。それらの地主は当然に、村道とされた地主達だ。当時の組合長は佐々木毅文であるが、知識がなく時雄に従ったと思うが、400万円の一部を受け取っていれば横領となる。知らなんだでは済まされないことに、この裁判の結論があるが、今のうちに事実関係を公にすることが必要ではないか。まして、400万円では村道の1/3しか出来なかったものを、犯罪の露呈を恐れて慌てて時雄は継続したが、それに対しても契約金の一部を持ち出した。それが白澤佑次社長が騒いだ「契約金が行方不明だ!」である。時雄が死んでも続けなければと、渋谷章行はそのために組合長になったのだ。これで村道とされたほとんどの地主たちは、阿智村に名義を移し、新たな400万円の一部を受け取っている。お粗末な地主達よ、お前らも横領の犯罪者となったことを知れ。令和5年1月25日
匿名の手紙
日本一の星空!阿智村!行政犯罪の事実!のコーナーで書き始めていますが、数日前、匿名の手紙が届いた。その内容を見るに、どうもこの裁判と深く関係すると思われる。同コーナーと同時に進めていこうと思うが、村民に聞こえていない現状では、匿名の手紙がこのタイミングで届いたことは、何か功を成すのではないかと考えた。匿名の手紙 クリックして今一度手紙をご覧あれ。
手紙の意味
大まかに言ってみれば、私を批判する手紙であるが、熊谷秀樹村長を守ろうとしているのは良く分る。何から守ろうとしているのかと言えば、この裁判で違い無いが、吉川議員に渡していないとする契約書は、澁谷ゆきゑの土地を買ったとする契約書の事を言っている。「村が買った覚えが有りません」との一筆を私が手に入れていることも嘘ですとあるは、近々に熊谷村長とその件で話し合ったことを表している。どちらにしても熊谷村長の話を丸々信じているようだ。
これらに反論する前に、この匿名者はなぜ熊谷秀樹村長にそのような話を聞いたのであろうか? この裁判のことはそれなりに関心ある村民には聞こえているが、そこから先を知りたいとして熊谷秀樹村長にと面談したとは思えない。それは、「いま裁判中なので村民との対話を控える」として、直接的な懇談を熊谷秀樹村長は避けているからだ。その様な状況であれば、この匿名者、選挙管理委員・教育委員会等の行政に関係する者、あるいは議員の内の誰かである可能性が高い。特に議員であれば、弁護士費用の承認をするに、熊谷秀樹村長から事実関係を聞くのが役目であるし、また、共産党議員であれば、身内感覚で心配になるものだ。前期の議員であれば、それらの契約書が吉川優議員の手から私の手元に渡っているのを知っているが、新人議員であれば、全くにその話を信じないものだ。
私のことを「章文さん」というのは、私より年下か女性ではと思うが、末尾に「若くて一生懸命頑張っている…」とをみれば、女性であって、なおかつ、熊谷秀樹より年上であると考えられる。年上で女性議員は櫻井久江しかいないが、澁谷ゆきゑの契約書の件を詳しく知らないのは、まさに新人議員であるとなる。教育委員会や選挙管理委員会の委員らは、私の事より熊谷秀樹村長を知り尽くしているし、阿智開発公社の理事や役員らであれば、死んでも言えない事情をよく知っている。そんな者が、この様な手紙を書くことはない。
「岡庭一雄さんや時雄さんを逮捕したいと村長が言ったということも嘘としか思えません」このことも、熊谷村長に聞いたのでしょうね? 時雄を逮捕したいと熊谷秀樹村長が言ったとブログに書いていませんし、岡庭一雄を逮捕したいとのことも、「吉川優議員と私の前で、開口一番『岡庭一雄を逮捕するなら何でもします』と口にした」であり、それはブログだけでなく、月川旅館改築事業の村民説明会で、私が直接熊谷村長に発言していることだ。そうなれば、村民説明会に出ていた人物ではないとなる。令和5年1月27日
契約書の事実
吉川議員の求めに応じて契約書を渡していない、村が買った覚えが有りませんと熊谷秀樹村長がこの匿名者に話したようだが、たしかに熊谷秀樹村長は、吉川優議員にこの契約書を渡しておりません。吉川優議員に渡した契約書の類は、ヘブンスそのはらに関係する契約書だけであります。ですから、熊谷秀樹村長は嘘を言っておりませんよ。ですが、三筆の土地を買ったとする売買契約書の写しは熊谷秀樹村長から直接頂いております。それは、「岡庭一雄を逮捕させるためには何でもします」という前、盗伐の件にて、渋谷徳雄さんと好泰と村長(市村職員)と私の四人で会った直ぐ後のことです。その頃の熊谷秀樹村長は「あんな者は早く死んでもらわにゃ困る」と時雄のことを吹聴していましたよ。そのことは職員の方が詳しいと思いますが、はたしてそこまでのことを熊谷秀樹村長に詳しく聞くご仁が居られるでしょうか?
買った覚えがない
12月7日付の「私の求めに応じて吉川議員」…「1月11日と12日の契約書も渡していないそうです。」この日付はブログの日付ですね。そうすると、このご仁はブログを見ながらこの手紙を認めたと言うことになりますが、いまさら数年前のブログを読み返すところに、このご仁の意味するところは何でしょうか? 「熊谷村長を陥れることはやめてください。」と結んでいますから、熊谷村長を守りたいのでしょうか。「また12月9日の『村が買った覚えが有りません』との一筆を章文さんが手に入れているということも嘘ですか。」この文書に相当な違和感があるのは、ここまでのことを熊谷秀樹村長が他人に話すのか? という疑問です。村が買った覚えが無いとする文書の存在は、熊谷秀樹村長と私しか知らないことで、また、この裁判の証拠ともしていません。なぜかは、この文書は切り札であるからです。熊谷秀樹村長は「本谷園原財産区との契約書が有ります」としてわざわざ拾い出してくれた契約書、その契約書を私に見せ、「村は買った覚えは有りません」と言っている。買った覚えが無いのであれば、村長の署名捺印で文書にしてくださいとお願いし、そして刑事に証拠として届けたが、刑事は「盗伐された土地の地番が入っていない」とされ、熊谷秀樹村長に書き直しをお願いした。ですから、「村が買った覚えがない」とする書面は二通存在しているのです。令和5年1月30日
自作自演
女性が書いた文書ではないかとして、女性が読めばどう判断するのかを知りたくあった。「これ、熊谷村長が書いたんだよ」阿智村の状況に詳しいある女性の方にこの手紙を見せたところ、開口一番思わぬ指摘がでた。熊谷秀樹村長の自作自演だというのである。これには正直驚いたが、さもあらん。言われてみれば、相当なところに納得がいく。女性目線であればとしたが、女性であるから気づく感覚なのだろう。たしかに、女性が手紙を書く場合、ワードなど用いないし、字もきれいであろう。それがなんだ、この郵便番号の数字を見れば、まったくに女性の文字に見えていない。手書きであれば誰だか分かってしまうとの考えだと思うが、数字の方が特徴が出るものだ。熊谷秀樹村長の数字書きを見れないが、役場職員であれば、この特徴的な数字を誰が書いたのか、少なくとも熊谷秀樹村長であるのか無いのかは判別できるのではないか。まあ、そんなところはどうでもよい。熊谷秀樹村長の自作自演だとすれば、まさにこの手紙の内容の全てが当てはまり、いかに熊谷秀樹村長がこの裁判で窮地に追いやられているのかが手に取るように見えて来た。
反論できない状況
「阿智村はこれらの土地を平成7年に購入している」として、本谷園原財産区との契約書を証拠とされ、時効取得を主張してきた。そして、私のことを「背信的悪意者」と名指しし、選挙資金のために訴訟に及んでいると決めつけた。それの証拠に、「ブログで阿智村行政を批判している」「多額な要求をしている」とされた。これらの反論に対して「契約書には拘束されていない」「土地代の請求はしていない」「賃貸料の請求である」と反論したところ、どういう訳か、被告弁護士は反論主張を取り下げ、改めて反論主張の立て直しをしますとされた。このような例のない状況に原告弁護士も戸惑っているが、まさにその状況を鑑みれば、熊谷秀樹村長が書いた手紙である、に近づいてきた。それは、「『村が買った覚えは有りません』の一筆を章文さんが手に入れていることも嘘ですか。」の文書に現れている。令和5年2月1日
買ってはいない
「阿智村はこれらの土地を平成7年に購入している」を前面に時効取得を主張したのに対し、「村は買っていません」との熊谷秀樹村長の書付が出てくれば、もはやこの時点で阿智村の負けである。そのことが不安であるから手紙を書いた。そう考えれば辻褄はあうが、もう一つ気になる文書が「章文さんか吉川さんが不正な手段で手に入れたか章文さんが偽造されたかですね」であることに、これは契約書を熊谷秀樹村長が渡していないを前提に書いている。たしかにそうだ。これら契約書を渡したがために追い詰められたことで、その責任の痛感は相当なものだろう。だが、そんなに心配しなくとも、実際の犯罪者は岡庭一雄と佐々木幸仁であって、契約書を渡したことを気にするのも当人たちだ。あとの者はこれら契約書の存在すら知らなかったたわけ者(愚か者)と言うことになる。
「不正な手段で手に入れた」? これはなぞなぞか? 村長が渡す以外に手に入らないもので、それが熊谷秀樹村長の責任である。行政書類を偽造するとの発想はあまりに幼稚すぎるが、熊谷秀樹村長の言い訳であれば、まさにこの程度の知能しかない。ここでも思い出すが、熊谷秀樹が商工会に居たとの話を自らするに、「私は税金プロだ」と言った。そして専務の横領を見抜いたが、それを表に出さないよう頑張ってみたが、そのことを信毎に記事にされたことを根に持ち、信毎を悪く言っていたが、どうも、この手紙の内容(逃げ口上)とラップして成らない。
封筒が表すこと
茶封筒であるが、この様な業務的封筒を一般個人が用いるだろうか? 若い人も使わぬが、行政職や公務員・議員であれば全くに馴染んで見える。「若くて一生懸命頑張っている」との文書も、この茶封筒であれば妙に適した文書に見えるではないか。そこまで来れば、やはり熊谷秀樹村長しか居なくなるが、この様な手紙を私に出すことにどのような目的があるのかは、やはりブログで何かを期待したと思われる。まあ、熊谷秀樹村長でないとしても、この手紙の目的は「村は買った覚えはない」に集約されているが、買った覚えのない土地は澁谷ゆきゑの土地であることに、阿智村が買ったとするのは本谷園原財産区の土地であるようだ。地番が同じでも地主が違えば、はたして裁判官はどちらの主張を信用するのであろうか。令和5年2月4日
このコーナーがいっぱいになりましたので、本日をもって終了しますが、裁判の次回期日(3月半ば)にあわせ、再開します。
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