操家族の犯罪(横領家族)PART2

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万引き家族と言う映画があったが、そんな生易しい話しでないことに、すべてが現実のドキュメンタリーである。
操の犯罪は現在進行形であり、それも阿智村行政が深く関与していることで、すでに権力との戦いに変わっている。常識的にはあり得ない犯罪である故に、それを立証するには困難を伴ったが、幾度も争いを続ければ、ぼろを出すのは犯罪者であった。現在進行形とは、操の横領が長男の孝志に引き継がれていることだが、阿智村がそれを正当とすることは、熊谷秀樹村長が操の横領を隠蔽したことにある。
 間の抜けた村民
あらためて書き出すが、熊谷操と岡庭一雄は共産党である。昭和60年頃、操が議員で岡庭一雄が職員であるころだが、園原水道返還金の横領をこの二人が企てた。それは平成28年まで続いていたが、それらの事実を熊谷秀樹村長に告発してことの解決をお願いした。しかし、熊谷秀樹もまた共産党であって、それも岡庭一雄の後継者であれば、横領は無いものと封印されてしまった。平成29年4月、飯田警察署へ告発すれば、今度は契約書を捏造して、刑事までも騙すに至ったのは、熊谷秀樹村長である。
これを解決しようと、熊谷操を提訴して、そして村長選挙に立候補して熊谷秀樹村長の犯罪行為を村民に知らしめたが、村民は、熊谷秀樹村長を選択した。もはや戦いの相手は操や熊谷秀樹ではなく、阿智村がそれに代わるのである。
 事実の証明
操を訴えたのは令和3年8月12日であるが、熊谷秀樹村長は、私の家の水道を「水道料を支払わない」として給水停止を実行したが、熊谷秀樹村長の言い分は、「阿智村の水道である」であった。阿智村の水道ではなく園原部落住民の水道だとした事実があるに、その事実が有っての園原水道返還金なのだが、熊谷秀樹村長は一歩も引かず、阿智村の水道だと言い張っている。そう、何の根拠もないのに、言い張っているだけである。令和4年7月1日

 阿智村を訴えた
給水停止をされたなら、それは命にかかわることで、一日も早くの復旧を願い、やむなく阿智村を提訴したが、なぜこんなことになったのかと言えば、熊谷秀樹村長が操の横領を隠蔽したことにある。そう、何もかもが、熊谷秀樹村長の犯罪行為が元凶なのだ。なぜ熊谷秀樹村長が操の横領を隠蔽したのか? 今久留主総務課長はもとより、矢澤生活環境課長、井原清人地域経営課長の三名が率先して偽装工作を行ったのはなぜなのか? そのように考える村民はほとんどいない。村長のやることに疑いを持たないのは、行政に不正はないと信じる者と、共産党が多いからである。しかし、これらは犯罪であるに相違なく、操の横領が裁判において証明されたならば、その先に待っているのは熊谷秀樹村長の犯罪行為である。刑事を騙したとか、契約書を偽造したなどは小さな犯罪であって取るに足りないが、だからと言って見逃すことはない。
 自治体の損害
熊谷秀樹村長が阿智村(自治体)に損害を与えたとしたら、それは当然に熊谷秀樹村長が賠償責任を取られることだ。では、操の裁判が阿智村に損害を与えるのか? と言えば、直接的には何もない。契約書を偽造しても、刑事を騙しても、そこに損害は生まれないからだ。だが、操の横領が確定すればどうなのか? と考えれば、それは大変な状況に熊谷秀樹村長は追い込まれるのだ。操の横領は園原水道が園原部落のものだとの証明であって、阿智村の水道ではないと結論される。そうなれば、契約書によって操に支払ってきたとされる管理費や補償費は、阿智村が勝手に操に支払ってきた“使途不明金”となるのだ。令和4年7月3日

 使途不明金
行政に使途不明金は有ることではないからして、操は阿智村の金を横領してきたことになる。ただし、行政の金を横領することは、協力者なくして成しえない。このあたりが裁判において明らかになるのかと言えば、そうはならないだろう。操の横領裁判でも給水停止裁判でも、損害賠償を求めるだけで、犯罪を立証することではないからだ。では、どのようにして犯罪を立証すればよいのかは、やはり被害届が必要になる。その中で、「給水停止」は被害届が出せるのか? と、「本管切断」は、被害を受けたと言えるのか? が、焦点になるが、そのどちらも水道管の権利所在が園原住民にあると証明されなければ通用しない話である。
 争いの焦点
水道代を払わぬとして給水停止が行われた。それが違法だとして損害賠償は求められないが、行政の不法行為だとしての訴えは出来ることで、だからしての提訴である。ここでも焦点になるのは、「水道代をなぜ支払わなかったのか?」である。ここに阿智村は理由がないとしたのは当然であるが、私に理由があるとは知らなかったようである。「請求書が無かった」「亡くなった父の名での請求である」がやり取りの主題ではあったが、そこでも重要なことに、「園原水道は園原部落のものだ」「阿智村は管理費を清算して返還してきた」「その返還金を操は横領した」があった。しかし、これには阿智村は何も答えていない。だからして、給水停止が行われたのだが、裁判が始まれば、「平成28年から返還金が支払われていない」の事実が浮かび上がってくる。その時、初めて「水道料金を払わない」理由が判明するのである。
 勝敗の無い裁判
水道代の返還金が行われなくなった理由に阿智村は、「不適切な支払い」として、議会に説明しているし、この裁判においてもそれを主張してくることだ。しかし、「不適切な支払い」が、何を示しているのかが説明できなければ、不適切な支払いは理由とならない。また、阿智村は園原水道に限って「園原水道管理組合と管理契約をしている」としたが、平成28年からは、「熊谷孝志と契約」とされている。園原水道管理組合の実在は否定されているし、阿智村営水道に、個人との管理契約は存在していない。これらが給水停止裁判の最初の山場であるに、そこに操の横領裁判の行方が無くて、互いに勝ち負けはないのである。令和4年7月4日

 水道代の支払い
給水停止の裁判に勝っても負けても、水道代は払わなくてはならない。それを承知しての裁判に勝ち目があるのかと誰でも首をかしげるだろうが、この操の横領裁判に勝つことは、同時に給水停止裁判にも大きく影響する。争いの原資がどちらも「園原簡易水道」にあることがそれを示すが、被告が操と阿智村と言うところに大きな違いがある。何と言っても阿智村は行政であって、行政が間違いを犯すなどとのことが有るはずもなく、また、操の横領は確実な犯罪である。それ程大きく違うのに争いの原資が同じであることは不思議ではないか。操の横領が確実なのは、補償金の存在を操自身が認めており、その補償金を受け取ってきたと主張しているからだ。これを熊谷秀樹村長が間違いないことだとして、契約書を証拠として添付した。この事がいかほどの大罪なのかはこれから明らかとなるが、この大罪はこの裁判には何も関係がない。
 補償金は不適切
熊谷秀樹村長は、補償金の支払いを不適切な支払いとして取りやめたが、不適切な支払いであれば、今まで支払ったことを清算しなければ不適切が解消できない。支払われたままならば「取り戻せ」と議会は追求しなければならない。なのに、議会はその事すら隠蔽した。まあ、今の阿智村に道徳を説いても仕方ないが、裁判での結果に同じように取り組めば、今度は報道機関が黙っていないだろう。どちらにしても、白黒つけるのは裁判でしかできないことである。
ここで改めて補償金について話すが、熊谷秀樹村長も補償金が支払われていたことを認めているし、それには契約書が有ったとして証拠とした。では、補償金が支払われていたと言う前提において、補償金は一体誰が誰に支払ったと言うことになるのか? そのことを検証していこう。
矢澤生活環境課長は「園原簡易水道は日本道路公団の渇水による補償工事で行われた」とはっきり答弁しているので、日本道路公団から補償金が支払われたことに違いはない。では、誰に支払われたのか? が続く疑問であって、それに対しての日本道路公団は、「補償人に対して支払っている」と、これも間違いないこととしているし、弁護士法23条で申請してくれれば、それらの関係書類を提出しますとまで話してくれた。令和4年7月6日

 損害賠償金
補償金とは損害賠償金の事であるが、園原部落の住民が受けた損害は、吸水(給水ではない。議員の馬鹿どもは、吸水と給水の区別も出来ないようだ)の渇水である。トンネル工事で渇水した。これの補償を日本道路公団が行うとなれば、損害金は被害を受けた者に支払われることだ。そのことを証明できる書類は保管されていますと道路公団は言っている。だとすれば、もう答えは出ているではないか。損害賠償金は園原部落の住民に支払われたのである。
 補償金額は水道設備工事費
園原部落の住民は「補償金が欲しい」などと要求していない。渇水した吸水を何とかしてほしいと言っているだけだ。その先頭に立ったのが祖父清であって、原孝平村長なのだ。渇水した吸水を復旧するには新たな水道設備を設けることしかない。それには「水道設備が敷設できるだけの補償費を日本道路公団に求める」ことだ。日本道路公団に、「園原水道の敷設工事費に見合う金額を要求する」に尽力したのである。
 補助金と委託費
園原水道を敷設しようとすれば、まずは事業費の算定にある。それら敷設工事費の内訳書は阿智村に保管されており、開示請求で手に入っている。これを基にすれば、日本道路公団はその全額を支払った可能性は強い。全額を支払うには、たしかに渇水に値しない住戸が数件あったことで、それを道路公団が補償できることはないが、それを何とかお願いしたのが祖父と村長であったとなれば、道路公団はそれを受けたことになる。祖父が議員として尽力できることは何であったのかと振り返れば、それ以外の交渉は無いことだ。それの証拠とするのが「園原渇水害に関する覚書」である。この覚書を証拠としたのは操であるが、これら覚書があることなど操は知らないことで、いかに熊谷秀樹村長が操に協力しているのかがわかることだ。そこまで協力するは、園原簡易水道が園原住民の水道施設であることを示しているのだが、ここで一つ引っかかることが出てきた。それは、園原水道を敷設するに阿智村が工事費の一部を負担していることだ。この負担金が補助金なのか委託費なのかが判明していない。令和4年7月8日

 反対給付
委託費(国庫補助)であれば、園原水道は阿智村と園原住民の権利があるとされようが、補助金(国・阿智村)であれば、園原住民だけの権利となる。それは補助金の仕組みであるが、熊谷秀樹村長が村の水道だと言うのであれば、補助金でなく委託費だとの書類を示さなければならない。しかしそのような書類が有ればとっくに操に渡しているからして、委託費でなく補助金であることだ。
ここまで詰めればもはや村営水道だと言えなくなったが、それはもはやこの裁判では関係ががなく、給水停止裁判でじっくり阿智村の不正を追及していく。
 裁判の趣旨
この裁判は、操が横領した金を取り戻すことにある。取り戻すには操が横領したと証明することで、熊谷秀樹村長が契約書を偽造しても何も関係が無い。それは、阿智村が操を訴えているわけでもないし、阿智村を訴えても無いからだ。
操の横領を示す証拠は、操が園原部落に水道料返還金の一部を平成16年から入金していることで十分なのだ。操は単に「補償金と管理費だ」と自己理由を主張しているだけで、それの根拠の通帳を証拠としているが、園原部落に入金していることは認めている。私は、入金金額が返還金と合っていませんよと、合っていない金額を横領として訴えているのである。
操は一貫して「16万5千円が補償費だ」として、その金額を園原部落に返済してきたと言っているが、昭和60年から平成16年までは一円も入金してなく、そこの説明がついていない。また、平成16年と平成17年に30万円づつ入金しているが、そんなことはしていないと開き直っている。令和4年7月9日

 嘘を見破る
操は強く「30万円を部落に入金した覚えは無い」と主張するのは、寛とすでに話がついており、寛さえ証言しなければバレないと考えた。その30万円が通帳に記載されていても、その通帳を私から取り上げているから強気であったが、それらの通帳の写しをみなみ信州農協阿智支所から弁護士法23条で手に入れたと知れば、被告弁護士は驚くべき発言をした。「あっあ、園原部落の普通預金通帳なら提出できますよ」原告弁護士と私は思わず顔を見合わせた??
 支離滅裂
被告の反論は「平成16年に疎外熊谷寛(当時部落長)と原告章文と被告操及び被告義幸らが集まって、水道料金返還金について話し合った事実はない」と否定し、話し合っていないのであるから、30万円などの金額を返還金として支払うわけがない。と主張してきた。その上、「そんな通帳があるなら証拠とすればよい」とまで、反論されたことで、原告弁護士は「かなり強気な主張だが、熊谷さんが言っていることを裏付ける物は有りますか?あれば、ここを崩すだけで勝ち負けになりますよ」と、今度は原告弁護士が、絶対的な証拠になると言うのです。
私の記憶は確かなもので、それらを証明するにはどうすればよいのかなど端から分かっていた。「平成16年は私が部落の会計であって、それらの事の全てを把握しています。今はみなみ信州農協阿智支所になっておりますが、数年前、月川旅館を訴えたときに、昭和50年代からの口座記録を開示してくれているので、弁護士法23条でお願いすれば開示してくれますよ」と言えば、「それは裁判所を通してお願いすることだが、目的がはっきりしていなくてはダメで、何のためにその通帳の写しが必要かを示さなければならないが、間違いなく入金がありますか?」、「間違いなくありますよ。何なら、事前に阿智支所にお願いして確認を取りましょうか?」、「そんなことが出来るのか?」、「出来ると思いますよ」令和4年7月11日

 請求権と所有権と
実際に出来た。個人情報に当たらなければ確かめることはいくらでもできる。それは、平成28年度の会計も私であったからだ。平成28年にいくつかの通帳を解約しているが、それらの殆どは和美と孝志が共謀して作り上げた通帳である。そしてそれらの一切を話し、操の横領と結びつけて、「現在裁判中です」と説明したうえで、「30万円以上の入金記録があるのか無いのかだけ調べていただけませんか」とお願いすれば、それは達成された。ただし、それ以上の詳細は一切教えてくれなかったのは当然である。これで裏付けは取れたが、次には裁判官がその旨を理解してくれるのかにあった。「なぜ必要ですか?」との裁判官の声に、そんなことも説明しなければならぬことで、弁護士は少し早口で概要を話して私に振った。「平成16年は私が園原部落の会計をやっておりましたので、みなみ信州農協阿智支所の金融課で事前に調べていただきました」と言えば、裁判官は「よろしいですか?請求権にて開示請求を行いますが」と、被告弁護士に了解を取ったその時であった。「あっあ、園原部落の普通預金通帳なら提出できますよ」と被告弁護士は、慌てたように言い、「確認したら通帳は保管してあったようなので…」と、か細い声でそう付け加えたのである。
 被告弁護士の非
今更に、その様な記録も通帳もないと言い放ったのに、みなみ信州農協阿智支所から開示されると知るや、慌てて取り繕うとは呆れてしまうが、裁判官は冷静なもので、「どうしますか?通帳があれば請求する必要はないかと思いますが?」と言い、「それは原告が要求する通帳で間違いはないですか?」と、被告弁護士に再確認する。すると、「それは、間違いないとは思いますが、何しろ確認は取れていないので…ですがあることには有りますので…」と、またもやあいまいになった。
30万円の入金が証明できれば勝てるとまで言い放った弁護士である。ここまで準備して、それらは当然に第三者の証明にすぐるものはない。どちらにしても、請求は行ってくださいとお願いした。令和4年7月13日

 被告弁護士の失態
「中村弁護士は目が見えないことで、被告らの証拠をそのまま信じてしまうのではないか?」と弁護士に言えば、まあ、そういうこともあるかもしれないと軽く受け流された。確かに、あれほどの反論をしておいて、いざそれが覆されると知れば、取り繕うは、はたして誰の為なのか。これを失態と言わずして他に言葉はないが、泥棒の言い訳を反論にするは、素人でもあるまいに、であろう。
 最大の山
被告弁護士からすれば、被告としてどのような反論が出来るのかが勝負である。こちらが示す証拠の数々に、逐次反論するは裁判の流れであるとしても、絶対的な反論は「横領していない」に違いはない。「管理費と補償金を受け取っていた」は、相当なる反論であって、それも阿智村が「管理費と補償金を支払っていた」とする契約書を証拠としていれば、それら契約書を偽造だなんだと言っても裁判官には通用しない。ようするに、この反論(管理費の支払い)を覆せるだけの証拠はこちらにないのである。では、操の反論において「補償金を受け取っていた」についての反論を覆すにはどうすればよいのかと言えば、操が言うことの「補償金は16万5千円であった」を、嘘と証明すればよいとなる。ここで熊谷寛が証言すれば、それが嘘だと証明できるのかと言えば、裁判官は証言を持って事実とはされない。証言者の証言を事実とするには、その裏付け証拠が必要なのだ。しかし、16万5千円が16万5千円でなかったとしたら、それを証明する実態の証拠が有れば、完全に操の嘘は証明されるのだ。これを弁護士は最大の山だと言う。通帳記録が手に入れば、そしてそれが30万円の入金記録があったならば、大きな山は乗り越えられるのだ。令和4年7月15日

 入出金記録の開示
30万円の入金記録は出てくるのか!?原告弁護士はまだ半信半疑である。「農協は何と言っていたのか?」「間違いなくあったのか?」は、幾度も確認されたが、それほどに重要な事実であることは、たしかにこの裁判の行方を大きく作用するだろう。
裁判官は開示請求を認めてくれた。そして南信州農協阿智支所へ請求すれば、一月後にそれは開示されたのであった。
裁判所から送られてきたそれらの入出金記録を見た弁護士は、「熊谷さん、記録は出ていないよ」という。一瞬耳を疑ったが、「平成18年からのものしか出て来なかった。要求したのは平成15年からのもので、これでは何の意味もない」、そうですか、平成18年であれば年度末の金の動きが分かりますよね、でも平成16年の7月ころまでに確かに入金されていますので、その記録が出て来なければどうしようもないですね。「そうだ、おかしい、なにか出せない理由があるかもしれないので事務官に確認してみる」
そうしてその日は過ぎたが、それから二三日後、「熊谷さん、分かりました。なんか、農協が平成18年に合併しており、合併前の記録がパソコンに入っていないようだとのことなので、もう少し時間をくださいってことのようだ。そんな訳なんで、出てきたらまた打ち合わせをお願いします」…、まあ、少しは落ち着いたようである。
そしてまた一月後、その開示は行われた。弁護士から電話が入ったが、「平成16年からの物が出てきたが、その年度からで良いのかな。どうも私が見ただけではよく分からないが、30万円の入金は無いように見える」、そうですか、30万円ちょうどでなく、30万円以上の記録は有りますか?、「どっちにしても取りに来てもらえますか」、で駆けつけてみれば、「熊谷さん、30万円の入金はないが…」と言う。渡された入出金記録を見れば「…」
さて、30万円の入金記録は有ったのか!?令和4年7月17日

 濃厚接触者
先日、弁護士事務所から突然の電話が入った。それは、この裁判期日の前日のことである。「すみません。〇〇が濃厚接触者になってしまい、明日の期日に出席できなくなりました」え!?驚いたが、聞けば弁護士の家族の一人がコロナに感染したようで、外出が出来なくなったようだ。外出が出来なければ期日に出席できない。出席できなければ電話会議となることで、そんな期日に私一人が出向くわけにはいかないから、期日当日は弁護士事務所で控えてほしいと言う依頼であった。
 焦点3
拍子抜けの感はそれだけですまなくあった。期日当時に弁護士事務所に出向けば、スピーカーホンで同時会議に参加が出来るとされ、それべしの電話機が用意されたが、弁護士見習いか、その扱いが出来なくあった。ガタガタしているうちに時間は過ぎたが、弁護士は別室で他の裁判が長引いているとされた。10分が過ぎ、20分が過ぎれば、いかに何でも遅すぎる。「まだ始まりませんか?」と、女性事務員に声をかければ、すぐさま弁護士に声をかけた。そして驚くことに、他の裁判のついでに進めたようで、既に期日は終わったと言う。Oh!なんてこった!?呆れてしまったが、そんな程度で済むとは期待外れでもある。「いま、期日内容をまとめておりますので、少しお待ち下さいと弁護士が言っていますのでお願いします」と言う。果たして弁護士から何が語られるのか? と、長く待てば、今度は、もう少し時間がかかるので、後日にまた来てくださいとして、後日の日時を打ち合わせた。
来期待外れも良いところであったが、コロナでは仕方ない。そして後日に弁護士事務所に出向けば、今度はモニター越しの打ち合わせであった。「濃厚接触者になってしまってねえ、申し訳ないがそんなことで…」と始まったが、弁護士が言うには「3っつの焦点に関し主張を展開する」という。なんだ、いまさら3っつも焦点があるのかよ。令和4年7月19日

 裁判官からの依頼
3っつの焦点があるは、3っつについて主張を展開せよと裁判官から指示が出たことだ。ようするに、焦点が3っつあって、それらがそれぞれに関係するもので、3っつ目の焦点を証明できれば、最初の二つの焦点が成立すると言うわけだ。その3っつ目の焦点が、「30万円の入金記録」なのである。
 すれ違い
弁護士は万能ではない。どう勝つかとの構成と展開を組み立てるのは誰も同じで誰でもできることであるが、どう勝つかはともかくも、展開は都度違うもので、そこに適用する詳細な法律も違ってくる。今ここで言う3っつの焦点とは、何も今回の裁判に限ったことではなく、どの裁判も全く同じで焦点は3っつであり、その3っつが揃う方が勝利するのである。逆に言えば、訴える方に最初の焦点二つが無ければ、負けるのではなく却下されるのだ。
却下されなくてここまで裁判が進むに、裁判官から「3っつの焦点」を提示されたというのであれば、最初の二つに何かはっきりしない焦点があるということなのだが、ここが弁護士が万能でないとの理由である。万能であれば、最初の二つをいまさら説明するは無いことだ。何が欠けていたのだろうか? それは、焦点二つが何であるのかで見えてくる。
 主観的目的
弁護士は仕事であって、法律を良く知る者だとが社会認識であるが、原告となる者は目的を持って訴訟に及ぶことで、それら目的の多くは損害を賠償されることにある。今回の裁判も同じであるは、損害賠償請求事件であることだ。個々の内容は違っても、損害を受けた者が損害を発生させた者へ請求するに、それら損害の事実を証明することと、たしかに損害を与えたとする事実を証明すれば裁判は原告が勝利するものである。令和4年7月21日

 焦点の二つ目
請求権とは、それら損害を受けた者が、確かに請求する権利があるのかどうかということだが、裁判官は、それを焦点の二番目にしたという。今更なんだと言いうことだが、これは弁護士が言うところの「請求の原資」が、返還金であるのか補償金であるのかにかかり、返還金なら園原部落会で、補償金なら個人との見解だ。なぜここまで裁判が進むに今更請求の原資が焦点になるのかと言えば、すべては熊谷秀樹村長が作成した契約書にその理由がある。
 補償金の証明
熊谷秀樹村長は、「管理費を支払っている」として52万5千円の内、36万円を管理費とした。阿智村では、園原簡易水道以外に管理費を支払っていないとされたが、この矛盾を議員が追求しない限り裁判ではこれが事実とされかねない。そして補償金を16万円5千円とされているが、この補償金について、阿智村は何の金だとの説明は何もない。ただ、補償金とされた契約書と、補償金が含まれていない契約書が存在しても、被告らに毎年支払われた金額は52万5千円である。
この矛盾はこの裁判では関係ないとされた。それは、被告らが、補償金の支払いを阿智村から受けていたと主張しているからである。ここでも被告らは補償金が何であるのかの説明を必要としないのは、阿智村が補償金として支払っているからであるが、補償金の存在が確定されれば、それは補償金の性質上、園原部落会に請求権が無いとされる。令和4年7月23日

 焦点2と3の関連
焦点2は、焦点3の展開に大いに関連することになった。ようするに、30万円の入金が証明できるかどうかで、請求の原資が決定すると言うことになる。操の返論はあくまでも「補償金を受け取っていた」であって、その金額が16万5千円だと主張している。しかし、30万円の入金が証明できれば、補償金は16万5千円でなかったことになる。それが証明できれば、操が阿智村から受け取っていた金は補償金ではないとされるのだ。補償金でないは、すなわち返還金となることで、返還金となれば、請求権は園原部落会となるのである。
 証人尋問
被告の反論主張は「補償費」でしかない。ここが崩されれば他に反論するところはないだろう。いかに契約書を盾にとっても、それら契約書が証拠とならないは言うまでもない。あとに残っているのは裁判所の証人尋問であるが、誰が何を証言すると言うのであるのか、証言も質問も原告と被告以外に存在していない。いかに操の取り巻きが居ても、窃盗集団が発言出来るところはどこにもないのだ。
これ以上の主張は無いことで、請求権が園原部落会にあるとされれば、この時点で判決は見通せる。そして最後の審理が行われるに、はたして和解の申し入れは行われるのか?が、次の焦点だ。この裁判で、和解の道は難しい。それは、横領は犯罪であるからだ。犯罪者と何を和解するのか? と、常識的に考えてみれば、 裁判官も和解の道を示すことはない。 そして操の横領も確定する。これが何より大きいのは、すでに警察に届けているからだ。判決が下されれば、判決文を証拠に被害届が提出できるし、場合によっては告訴も有りゆる。告訴すればその時点で、全く違う展開となりうるのだ。令和4年7月25日

 勝負の期日
次回期日は9月の初めころになるが、ちょうど損害賠償請求を起こして一年たった。互いの主張が出尽くせば判決へと進むのであるが、最大の山場はこの期日にあって、その主題は、「横領の有無」となる。私の成すべきことは明確だ。そう、3っつの焦点に絞って対応することで、その中でも「30万円の入金の証明」が全てである。調査委託の結果において提出された、みなみ信州農協からの入出金記録に30万円以上の入金記録が有れば、それでこの裁判の方はつく。確かにその裏付けの証明は必要であるが、部落会計に複雑なものは何もないことで、足算と引き算で十分であるのだ。
 それから
続いてなすべきことは、園原部落会(園原部落全住民参加)の請求権であるが、30万円の入金が証明されれば、その時点で補償費ではないとされる。補償金でないとなれば管理費でもなくなるのであって、それはまさに水道料金の返還金になるのだ。返還金となれば園原部落住民に返還されることで、そうなれば園原部落会に請求権があるとなる。回りくどい言い方だが、裁判とはそのような順序たてで証明されることだ。
おそらくにして、次回の期日で大半の主張や反論は終わると思われるが、この時点において、村八分の裁判も大詰めを迎えることとなる。村八分の裁判は、「なぜ共同絶交が行われたのか?」が重要視されるのだが、村八分の実際的な首謀者が熊谷孝志と熊谷菊美であることで、熊谷孝志もまた横領の共犯者となれば、共同絶交と横領裁判の因果関係が証明される。当然に村八分の裁判の結果も見通せれば、それからは、操らの横領を刑事告訴するとなる。令和4年7月27日

 村長との因果関係
この裁判の目的は、熊谷秀樹村長を横領の共犯者として立証することにあった。警察が行政に手出しできることは、個人の犯罪と立証するところに在る。ありとあらゆる阿智村行政にかかわる犯罪を告発したが、単なる告発では受け取らないと知った。今までは、どうすれば告発できるのかと考えていたが、告発を受け取らないと知れば、告発を目的としなければ良いことだ。つねに、逮捕は結果論だと言ってきた私が告発をするのは如何なものかと反省するに、それでは犯罪を先に立証すればよい。犯罪の立証を警察の仕事だと考えた私が愚かであって、何もしない警察でなく、何も出来ない警察なのだと改めた。そんなこんなで裁判も終盤を迎えるに、これから先は、操と熊谷秀樹村長の因果関係に迫るとする。
 動機論
結果を論じるなかれであれば、それはまさしく動機が何かと言うことになる。面白くもおかしくも、対義に位置するは何か? と問えば、この犯罪の起因を知ることになる。横領は単純な犯罪だ。公共の物を不法に取得すれば、必ずや犯罪は露呈する。しかし、操の横領は発覚しなくあった。それはなぜか? それも答えは単純明確となるのだ。公共の物がお金であれば、そのお金の収支は記録される。しかるに、阿智村には操が受け取っていたお金の収支が記録されていない。そう、これが操の犯罪が発覚しなかった大きな要因なのだ。しかし、この収支をこの裁判で知ることは出来ない。
対義に位置するものが横領だけでないとなれば、横領の隠蔽があらわれてくる。横領も隠蔽も犯罪であることより、横領無くして隠ぺいは行われず、隠蔽においてこの犯罪が露呈しなかったとなれば、この犯罪の因果関係は証明されるのだ。
この裁判において、これらの因果関係が証明できるのか? といえば、この裁判だけでは難しいとなる。それは、この裁判での判決は、操の横領の証明だけしかできないからだ。収支記録が手に入れば別であるが、操の裁判に関係ないとされてしまう。令和4年7月29日

 上告控訴
この裁判に勝訴すれば、私は控訴の必要はないが、操はどうであろうか? 操の最大の恐怖は言うまでもない横領犯罪の確定であって、それは岡庭一雄はもとより熊谷秀樹村長も同じことだ。では、操は負けた時、控訴を考えるのであろうか? とした時に、控訴が出来るだけの新たな証拠が有るのかが焦点になる。その新たな証拠になりうるのが、この収支記録ではないのか。
 操の根拠
操は一貫して「補償金の支払いだ」を主張している。たとえ、30万円の入金記録を示してもそこは譲れない反論だ。そして敗訴するに、控訴をするのであれば、この収支記録しかないことで、この収支記録が村から開示されれば、確かに補償金の支払いが有ったとなることだ。だが、ここで疑問が出る。収支記録がもしあるならば、この裁判で確実な証拠となることで、それでなくとも操に行政書類の数々を渡してきたことを考えれば、収支記録など訳もなく渡せたはずだ。
 偽造不可能
契約書を捏造した熊谷秀樹村長であれば、収支記録など訳もなく偽造することだ。なぜそれが出来ないのだ? そう考えれば、水道会計にその答えは有る。村営水道の会計は村の会計とは別であって、それらの入出金は明確である。収入は上下水道料金だけで、他の収入は何もない。そこに、補償金の科目が載せられるのかと言えば、それは不可能である。
では、村の会計で補償金を支払ったとするは出来ることだが、ところがどっこい、捏造された契約書は、水道管理契約とされている。そう、補償金の証明は、どちらに転んでも出来ないとなることで、残念ながら、控訴は諦めるしかないようです。令和4年7月31日

 裁判に負けた場合
裁判に負ける可能性は一つだけある。それは、園原部落会に請求権が無いとされた場合である。では、実際に請求権が無いと判断されることは有るのだろうか? そこについては、まず、請求権とは何か? から説明しましょう。請求権 とは、『他人に対し、一定の行為を請求することができる 権利 のことでありますので、操の横領を事例として組み立てれば、『操に対し、操が横領した水道料返還金を請求できる権利』と言うことになります。どうでしょうか? 請求権は有りますよね。横領されたんですからね。操は横領していないと反論していますが、それらの判断は証拠が結果を出すことです。その証拠が何かは説明しておりますので、操の横領は確定するでしょう。
 請求者は誰だ!?
操の横領の事実は証明されますが、では、被害者は誰だと言うことになります。そこで、当然として被害者は『園原部落会』であるとし、原告として提訴に及んだのですが、「園原部落会とは何だ?」が、裁判官の疑問なのです。被害者として請求できる団体であるのか? と言うことです。ここに、任意団体は通用しないのは、法人登記団体でないのが理由ですので、「園原部落会は法人登記団体にあり得るのか?」が、最初の関門です。ここは当然として、園原部落会を地縁団体として平成21年に登記しております。なぜ平成21年にこの様な団体を設立したかは、平成18年の園原部落会計が孝志であって、孝志が操の横領を隠蔽すると同時に、30万円の返還金が16万5千円に減額されていたことを知ったのと、もう一つ、孝志が別の会計から10万円を横領していたからです。いづれこの二つの横領を解決するに、個人では訴えることに出来ない犯罪であると判断し、そのためには、園原部落会を地縁団体で法人登記する必要があると考えたからです。令和4年8月2日

 権利能力
園原部落会に請求権は有るのか? とは、園原部落会に権利能力があるのか? と言うことです。地縁団体を法人登記する目的は、それらの団体で管理する土地を登記することに有ります。ここに、園原水道の設備が不動産として認められるのかが、原告弁護士の見解でもありました。しかし、水道の殆どは埋設物であることと、浄水場も建物でないため登記の必要が有りません。では、地縁団体とは何でしょう? から入りますと、「一定の区域に住所を有する者の地縁に基づいて形成された団体」とされており、共用で管理する不動産を当該団体で登記できる団体とされており、それらの登記に関して税金の賦課が免除されるとなっております。要するに、地縁団体は「権利能力無き社団(常会・自治会等)」でありながら、不動産などの登記が出来る法人格を持つ団体なのです。ここで言うところの権利能力無き社団とは、法律上の権利・義務の主体となるための資格ないことですが、地縁団体は法人格を持つことで、一定の権利(定めた規約の範囲内で権利能力を持つ)が与えられているのです。
 園原部落会の場合
園原部落共有の不動産(山林等)が有ることで、地縁団体を設立する目的としては明確でありましたが、単にそれだけを目的とすれば、操の横領が暴けないと考えつつ、規約に定める目的として、「1.回覧板の回覧等区域内の住民相互の連絡」・「2.美化、清掃等区域内の環境の整備」・「3.集会施設の維持管理」・「4.景観保持と修景」・「5.上下水道、生活用水、農業井水の管理」の五つの項目を掲げました。どうでしょうか、五番目に、しっかりと上下水道の管理が入っております。(定めた規約の範囲内で権利能力を持つ)とされていることは、これら五つの定めた目的が規約となることで、十分に園原部落会は操に対して請求権を持つことができるでしょう。(これで認められなければ弁護士の腕が悪い)参考までに追記しますが、目的の一番目、回覧板の事ですが、回覧板を回覧することは、園原部落ではなく園原部落会で決められている目的なのです。園原部落会の代表である私に、回覧板を回覧しないはないでしょう。(笑)令和4年8月4日

 偽造書類の片つけ方
請求権が認められない? そんな馬鹿な!?が万が一あった場合について、私は控訴を考えておりません。控訴でなく、請求権がある個人として訴えを変更します。どういうことかと言いますと、操の反論主張は「補償金を受け取っていた」であり、補償金を受け取る権利は園原簡易水道組合代表である熊谷操にあると主張しているからです。園原簡易水道組合の組合員は19戸(昭和46年までの水道設備利用者)であるとしていますので、その19戸に入っていれば、請求権が存在するのです。この訴えを起こせる者は少なくとも五六名おりますので、共同での請求になります。この方法を用いれば確実に勝訴できますし、請求金額も変わることは有りません。
 変わらない事実
園原部落会に請求権が無いとされた場合は請求権者の変更手続きが必要になりますが、請求権者を変えたところで、新たな証拠の必要性や、反論主張において期日を繰り返すこともありませんが、請求権者の権利の証明は必要になるでしょうし、その確認のために期日は開かれるでしょう。このような手法があることは被告弁護士も存じていますので、被告弁護士からは一度も「園原部落会に請求権が無い」との反論はありません。
被告が主張するに、嘘の反論を行えばウソの証拠が必要であることです。偽造捏造された書類の片つけは、書類の偽造を証明するよりは、偽造された書類でもって対応することです。
 訴訟の目指すとこ
なぜ私は操を訴えたのでしょうか? このことが被告らには見えておりません。しかし、熊谷秀樹村長には、しっかりと認識しているでしょう。「金が欲しくて訴えたのだ」は、熊谷秀樹村長や岡庭一雄の取り巻きに任せておきますが、読者の皆さんには分かりますよね。そう、熊谷操の横領を確定することです。これがこの裁判の最大の目的であり、これが達成できれば、損害金などあっても無くても良いのです。令和4年8月6日

 和解が無い理由
園原部落会に請求権が無いとされた場合において、操の横領が事実でないと否定されることではなく、かえって、操の横領が間違いないものだと証明されることになります。請求権が無いとは、「操の横領に間違いはない」から導かれる結論ということです。この様な状況でありますので、裁判の論点は「園原部落会」が、請求権ある団体なのかと、操の横領の事実を証明する段階となっているのです。園原部落会に請求権があると証明するには、園原部落会が地縁団体の法人登記団体であることに併せ、権利能力無き団体ではないと立証することですが、ここに弁護士の誤解があって、園原部落は智里西自治会の下部団体と捉えていたことで、自治会は権利能力無き団体であるから、園原部落会もその様に考えていたようです。自治会と部落会は全く違う団体ですよと幾度か説明したんですけどね、まあ、弁護士ですから仕方ないです。でも、ここに来てそれに気づきましたので、準備書面で訂正するでしょう。
 5年前に出した結論
操を訴えたのは、操の横領を確定するは元より、岡庭一雄と熊谷秀樹村長の共謀犯罪を暴くことが目的でありました。5年前、熊谷秀樹村長は契約書を偽造して操の横領犯罪を隠蔽しましたが、その犯罪に対峙するにはどうすればよいのか、熊谷秀樹村長の関与を表沙汰とするにはどうしたらよいのか、園原水道を園原部落に取り戻すには何をすればよいのかの結論がこの裁判でありました。操の横領ははるか昔から知っており、私が副部落長会計になった平成16年、いやそれよりも前の平成10年頃の出来事「操が47万5千円横領している」として部落会が開かれたことで、いつか、この問題を解決しようと考えて行動してきました。議員や村長には権力が存在し、逆らえない中で起きたこの犯罪、ジレンマを抱える親たちの時代に出来なかった解決の道、その道をつくるにはどうすればよいのかは、やはり、何事も法律に基づくことだとが、結論でありました。令和4年8月8日

 知らない者はいない
熊谷操の横領を知らないもは居ません。そして、誰もそのことに口を開きません。なぜでしょうか? 知らない者が居ないのは噂話であって、口を開かないのは、「どこに証拠が有るんだ?」でありましょう。この様な世の中で権力に立ち向かうにはどうすればよいのかは、やはり証拠をつくるしかありません。権力が犯罪の温床となっていれば、そこに向かうは法律でしか対峙できないと知れば、あとはそこまでの道筋をつくればよいことです。当時、ここまで深く考えていませんでしたが、その時々に、何を成すべきかは不思議なくらい見えておりました。
 予備戦
15年前、阿智村を相手として裁判するに、身内までも強く反対された。しかし私はひるむことなく前に進んでいる。それは決心ではなく、迷うことのない行動に駆られていたからだ。「設計料を支払え」は表向きだが、そこに誰もが目を向けて、私の欲だと決めつけている。そして身内が言うに、「権力に勝てるはずがない」と「仕事が取れなくなる」であった。その様な俗世の次元に私は居なく、はるか先を見ていたのは確かであった。
 権力者岡庭一雄
熊谷時雄・熊谷操・渋谷秀逸、この三人は、岡庭一雄村長の権力の中で、数多くの犯罪を行った。それらの犯罪の証拠を集めるに、それはいつか来る巨悪との戦いにあった。阿智村を訴えたのは予備戦であったが、そこで学んだのは、「法律はルールに基づく」であった。行政が団体ならば、行政に規則あるは行政法でしかない。行政法を離脱すれば、十分に規則に反することだ。岡庭一雄の頭は行政法に向いていない、単に権力を手に入れた独裁者であると知れば、ルールに沿って物事を判断すれば、最後は法律で争えると、直感ではなく、深く心にしみ込んだのである。令和4年8月10日

 陳述書は証拠
操の横領裁判は、ここに来て反論書面は出尽くした。最大の山場は、次回の期日にあることだ。そこで私は、陳述書を用意した。二度目の陳述書であるが、それは確かな証拠になると弁護士は言う。陳述書が証拠? 一瞬耳を疑った。陳述書は経過を書き出すことで、その説明に間違いが無いとするは原告にあり、被告側は常に否定するもので、間違いや嘘は茶飯事である。そんな曖昧なものが証拠になると聞けば、なぜ? と、気になるは当然だ。「え!?この陳述書が証拠になるんですか?」、「ええ、調査嘱託で提出されたみなみ信州農協の入出金履歴に、30万円の入金があることで、その入金について説明している陳述書ですから、証拠として裁判官は採用します。証拠ですよ」なんとまあ、期待以上の説明に、それはこの裁判の終わりが近づいているのを感じるとともに、操の横領が確定するのだと、強く心に響いたのである。
 横領の確定後
私の頭は常に整理が出来ており、想定外のことが起きてもあわてることはないが、陳述書が証拠に成るとは思いもかけない収穫であった。盗伐裁判でも、二度も三度も陳述書を認めたが、証拠に成るとは知らなくあった。裏を返せば、被告らの陳述書も証拠となることで、その陳述書に嘘が認められれば、確かに証拠となることだ。証人尋問も全く同じで、裁判官の前で宣言することが、それを表している。
ここで一つの山を越えた。操の横領が事実と認められれば、この裁判の結果は言うまでもない。そこで改めて気づくは、園原水道の権利主張である。横領が認められても、阿智村に権利ある水道となれば、阿智村が示す、「管理費」と「補償費」を横領したことになる。たしかに、この裁判では阿智村は蚊帳の外だが、管理費と補償費を横領したと証明されれば、園原住民の権利ある水道とはならない。令和4年8月12日

 同時進行
阿智村との争いは、給水停止裁判にあり、それはまだ始まったばかしである。ここで、操の横領裁判が進みすぎると、園原水道の権利に支障が出るとも限らない。そこで私は、弁護士におかしなお願いをした。「この裁判、少し遅らせてもらえませんか」それに応える弁護士は、「そうだね」と、すでに私の意図を飲み込んでいた。遅らせる理由は、補償費にある。操の反論は、管理費と補償費を園原簡易水道組合の代表として受け取っていたである。そして補償費は「16万5千円だ」と言い張った。その上、「補償費が30万円だと言うなら証拠を出したらどうだ」と、私を挑発した。通帳を取り上げたことで、よほど自信があったのだろうが、裁判官に調査嘱託にて、みなみ信州農協の口座記録の開示を求めれば、被告弁護士はその強気な態度を一変し、「いや、通帳が出てきたので、こちらで提出してもよろしいが」と、早白旗をあげた。裁判官と原告弁護士は驚いたように顔を見合わせ、私に視線を送る。「調査嘱託でお願いします」私はただそう言った。
 補償費は消えた
この時点で、30万円の入金記録は確定したも同然であった。30万円の入金記録が通帳履歴にあり、その入金記録の根拠を私が説明すれば、補償費は16万5千円でなく、30万円となるのだ。補償費が30万円になれば、阿智村が言う管理費36万円は、22万5千円となる。
操の根拠はこれで崩れ去り、横領が確定する。そしてこの裁判も終了するのだが、この裁判をかけた本来の目的は、「園原水道は園原住民の権利ある水道だ」を証明することで、操の横領が確実となっても、権利が確定しなければ意味が無い。たしかに、園原部落会を認定地縁団体だとしても、請求権が認められるとは限らない。
補償費は消え、操の横領が確定しても、阿智村が、管理費と補償費でないことを認めたことにはならない。令和4年8月14日

 録音の効果
令和元年12月10日、その日に部落会は開かれたが、その部落会は、井原清人生活環境課長が、操の家までの水道管を入れ替える説明会を開くとの連絡であった。それを聞いた時、私は思わず録音することを決めた。それは、操の横領を隠蔽するための工作だと直感したからで、この場で矛盾を追及して録音で残せておけば、いつか証拠になると考えた。
 筋違い
園原水道が園原部落住民の水道だと熊谷秀樹村長は確認していた。村が敷設した水道でないことも知った。ならばどうするか、村の水道としなければ成らないと考えるはごく当たり前のことだ。この話を持ち掛けたは操の方である。操はすぐに井原清人生活環境課長を呼び寄せ、自宅裏にある中間貯水層までの配管を村がやれば、名実ともに村の水道になるとしたのだが、そこに口実が無かった。そして探したのが浄水場の集水が不足するとの無理やりと、起きてもいない漏水を表向きとした。
これを実行するに事業計画を立てず、また予算も概算として大きな金額が示される説明に、それらの矛盾を追求したのだが、さすがに「五か年計画に入っています」との、井原清人生活環境課長の回答に、それ以上の追及は出来なくあった。(井原清人生活環境課長を追及しているときに、孝志が突然「通帳を返せ!」と怒鳴っている)
五か年計画に入っているなど無いことで、それを証明することを必要として、吉川優議員に一般質問をお願いしたのであるが、その答えが「10か年事業計画に入っている」であった。笑い話でもあるまいが、それが通るのが阿智村議会であることだ。
この様な愚かな工作が何事もなく実行されることに恐ろしさを感じるが、今の阿智村には、これが異常とする思考が働いていない。それどころか、議会が一緒になって操の横領隠蔽に協力している。令和4年8月16日

 録音の行き先
操の横領裁判で、弁護士にこの話をすれば、録音は必要なしと言われたが、給水停止裁判での弁護士は、非常に有効な録音であるとされ、それは証拠となっている。そして録音はそれだけではない。熊谷秀樹村長との話し合い、井原清人生活環境課長、極めつけは給水本管を無断で切断された件での話し合い、これらの録音は相当なる録音であって、この録音をもとにして組み立てれば、すべての状況証拠は証明されることになる。
 相関図の意味
ずいぶん前のこと、操の横領を相関図にしてあらわしているが、その相関図を必要とするのは、操と村長との関係性であることだ。村長は岡庭一雄から熊谷秀樹へと続いているが、村長としてかかわったとの証拠が偽造契約書にある。契約書を偽造して操の横領を隠蔽したが、それは操と村長とのかかわりを証明する証拠となっている。まさに相関図を熊谷秀樹が裏付けてくれたのだ。この裁判において偽造契約書の捏造を暴いても大した意味は無いと弁護士は言っていたが、契約書の偽造を暴くより、この偽造契約書を利用して、村長と操の共謀を証明する方が有効なのだ。ここで勘違いしてほしくないのは、操と村長を刑事告発するを目的として共謀を証明するのではなく、この横領犯罪を事実とし、この横領がなぜ行われたのか、そしてなぜ何十年も続けることが出来たのか、その上、監査員が園原水道の返還金を監査しなくあったのはなぜなのかを、審査請求にて、国に調査をさせるために偽造契約書を証拠とするのである。契約書の偽造判断は国であって私がやるべきものではない。

 最後の抵抗
みなみ信州農協の園原部落本通帳の入出金記録は、被告操らの手元にも届いている。すでに30万円の入金を確認し陳述書をしたためたが、被告弁護士も入出金記録について何らかのコメントを出さなくてはならない。「通帳なら有りましたので提供してもよろしいが」と言ったが、「30万円を部落に入れる?」「四人で話し合いをした?」「そんな証拠があるなら見せたらどうですか」と、被告準備書面で反論した被告弁護士は、すっかりその勢いが失せていた。その証拠が明らかとなった今、被告弁護士からどのような言葉が出るのであろうか。それとも、何も言うことが有りませんと、すなおに認めるのでしょうか。どちらにしても次の期日では、何らかのコメントを出さなければならないのは確かである。
 返還金は30万円
操は「返還金ではない補償費だ」「補償費は16万5千円だ」と主張してきた。それが、16万5千円でなく30万円であったと証明された。ここで操の主張はすべて崩れたことになる。この時点で操から新たな主張が出なければ、裁判は終結へと向かうことになる。はたして操からまだ反論主張が有るのかと言えば、実際には何もない。だが、操に反論主張が無いとしても、このままに出来ない事情に、村長との契約書の問題がある。そう、契約書には「管理費36万円」「補償費16万5千円」と分かれており、返還金ではないとしているからだ。ここで主張しないと、「補償費ではない、管理費ではない、水道料金の返還金であった」と、操が認めることになる。裁判に負けても絶対に譲れないのは、「補償費を受け取っていた」であり、補償費であったとしなければ、これらの契約書は、偽造捏造されたとされ、熊谷秀樹村長の共謀が立証されることになる。だからして、何としてもは、操より熊谷秀樹村長の方が強いのである。令和4年8月20日

 補償費とは何か
盗伐裁判を思い返していただきたい。敗訴しても控訴するに、何としても平川成泰が植えた木にしなければ成らないことに、阿智村が補助金を拠出していることにある。渋谷晃一や熊谷秀二が困るより、熊谷秀樹の責任問題となるのが困るのだ。そのように、この裁判も、熊谷秀樹が操の横領を隠蔽したことが表に出るのが困るのであって、操が裁判に負けることを何としても阻止したかったのだ。
 とんま
操の横領を隠蔽する目的で契約書を偽造捏造するのであれば、村の控えだけでは無理なことで、操本人に契約書が存在していなければ何の証明にもならない。まあ苦し紛れの弁明であるが、契約書を証拠とするのであれば、契約書の内容が操の主張と整合しなければ、契約書はもろ刃の剣となる。契約書には、管理費と補償費で分けてあるのと、管理費だけのものが有る。ここで契約金額が同じであれば、補償費とは何だ? の疑問が出る。操は「道路公団の補償費だ」と弁明した。そしてその補償費は、渇水する前の園原簡易水道組合に支払われる金で、その金を受け取ってきたのは操が園原簡易水道組合の代表であったからだと反論された。好き勝手な言い分はそれなりにぼろが出ることで、これを否定するところに原告は無い。補償費が操の言う通りの性格であるのは阿智村が契約書で認めているからして、阿智村がその説明をするところにある。「補償費とは何ですか?」は、原告でなく裁判官の疑問なのである。操の言うところの補償費が16万5千円であっても、それが30万円であったとされても、補償費の実態が明らかにならなければ、誰に請求権が有るのか? に戻るだけなのだ。令和4年8月22日

 阿智村が証言者
操の横領は30万円の立証で確定することだが、補償費が事実となれば、請求権は各個人にあり、補償費が存在しなければ、園原部落会に請求権が存在することになる。ようするに、補償費の判断において損害金がどこに誰に払わるのかが決まるのだ。補償費が事実となれば、損害金の支払いは19戸(上の組と東組)に支払われることになるのだが、19戸は今現在10戸しかなく、その中に熊谷操も田中義幸も熊谷政幸も渋谷吉彦も含まれているからして、実際は6戸以下となる。
 補償費の損得
平成28年2月に操の横領を出納室長と矢澤生活環境課長に告げた後、今久留主総務課長は慌てて操との管理契約書を作成している。その時に、補償費の存在は無い。その一月後、この契約書の存在を熊谷秀樹村長に聞けば、「契約書などありません」と答えている。しかし、翌年6月には、田中義幸との契約書を刑事に見せており、その契約書はこの裁判で被告の証拠とされた。だが、田中義幸との契約書には、補償費の細目が掲載されていないのだ。 義幸契約書     クリックしてご覧ください。
契約日が「平成16年4月1日」とあるは、平成16年2月末に操と義幸と寛の四人で「30万円をl部落に入れろ」と話し合った後に「議員報酬以外に公金の受け取りは出来ない」と告げたことで、操は慌てて義幸の口座に振り替えている。「3.委託業務の金額」として、「委託費は年額525千円とする。」とあるのが何よりの証拠である。
この契約書は偽造されたものであるが、偽造を証明するより、「契約書では525千円が委託費になっています」「補償費とはどこにも書かれていません」と、否定することが有効な反論なのだ。問題は、補償費が有ったのか無かったのかが、操の横領確定後に争う項目なのである。令和4年8月24日

 悪さの付け
悪いことをすれば、必ずその付けは回ってくる。その悪しき例がこの裁判にある。「村長が横領犯罪に加担した!」そのように報道される日は近いうちにやってくる。
この犯罪の複雑さには、やはり阿智村の行政が深く関与してしまったことにある。行政が言うことは裁判官でも信用するもので、そこを切り崩すにはそうとな証拠を必要とするし、それらの証拠が有ったにしても、行政書類が優先されることに変わりはない。要するに、確かな証拠は行政書類にあると言うわけだ。私が手に入れた証拠の全ては行政書類である。それらの多くは偽造されているが、行政書類であれば裁判官はそれを証拠として採用する。ここで何も偽造と証明する必要はなく、行政書類に間違いがあることを示せばよい。それらの行政書類に間違いが無いとするのが行政であるは当然で、行政が間違いを認めることは、行政書類が証拠にならないとなるのだ。
操は多くの行政書類を証拠として提出されるに、それらの証拠が操の横領を否定する行政書類であったにしても、行政はこの裁判には関係が無いことで、大した証拠にはならないのだ。いわゆる、熊谷秀樹が操に協力して多くの行政書類を操に渡しても、操の横領には全く関係が無いと言うことだ。「阿智村との管理契約書が有ります」これが証拠ですと言って5通もの契約書を証拠としたが、それらの契約書の写しは阿智村の行政書類であって、操の契約書ではないことだ。原告弁護士が「阿智村はこのような契約書を行政書類にしている」と裁判官の前で言ってはみたが、「行政が契約書を偽造するわけがない」と被告弁護士が反論してもきたが、操の横領が消えることは無いのである。しかし、この裁判の根幹は「園原水道の権利」がどちらにあるかであって、それはまさに、給水停止裁判に大きく関係することなのだ。
 同時進行の意味
給水停止裁判と操の横領裁判は、どちらも園原水道の権利が根幹にあることで、操の横領裁判だけでは園原水道の権利が園原住民にあることが証明できない。ここを乗り切るためには、もっと多くの行政書類が必要であり、その中でも、昭和47年の園原水道敷設工事図面を手に入れる必要があったのだ。それを手に入れようと開示請求(給水を止められた話し合いにおいて、熊谷秀樹村長から「村営水道だとの証拠が有る」との発言を受けた。)を行ったら、そこで「設計図も有りますよ」との発言を受けた。だが、開示請求で設計図を得たにしても、それは私の証拠とはならないのであった。令和4年8月26日

 阿智村の証拠
阿智村が「これが村営水道の証拠です」と反論して来なければ、設計図など何の役にも立たない。それが裁判であることに、操が提出した5通の契約書にあることに気づいていた。操は「契約書が有る」と、阿智村の控えの契約書の写しを証拠としたが、これは操の証拠では無い。これを証拠とするのであれば、阿智村が「熊谷操と契約しています」と証明することであり、5通の契約書の内容がそれぞれ違うことに、それらの説明と根拠の書類を添付しなければ、証拠として採用されないことだ。では、阿智村がそこまでのことを操の裁判のために行えるのかと言えば、それは不可能であることを被告弁護士は承知しているし、裁判官も求めていない。それらの証拠が正しくあってもだ。
 逆転の証拠
偽造契約書にその説明はつかないとの結論もあるが、仮の話として、阿智村がそれら契約書を説明したとして、絶対的に必要な説明は「補償費の支払い」である。操が横領ではないと主張するに、「管理費を受け取っていた」「補償費を受け取っていた」としているが、5通の契約書のうち、補償費があるのは2通だけである。なぜ2通の契約書に補償費が含まれているのかの疑問より、補償費とは何であるのか? との説明と根拠が必要になる。阿智村に説明がつかなければ、それは横領だとする逆の証拠となるのだ。
今まで、熊谷秀樹村長に「補償費とは何ですか?」と聞いたことは無い。それは、裁判にかけるまで、補償費など聞いたことがなかったからだ。「水道料金の返還金は部落に入れろ」と操に話をつけた時に、操は「管理は俺がやってきた15万円は管理費としてほしい」と言っただけで、補償費のほの字も出ていない。平成28年、操の横領を熊谷秀樹村長に告げた時も補償費の言葉は無かった。そして、刑事を騙した田中義幸の契約書にも、補償費など記されていない。令和4年8月28日

 説明できない補償費
操の裁判は単純である。横領したかしないだけの話だ。52万5千円が、平成28年まで毎年支払われてきたのは村が証明しているし、その金を操が受け取ったのも操は否定していない。あとは、操が受け取るべき金であったのかなかったのかの問題で、それを解明するのが「補償費」なのだ。補償費なら操が受け取ることが出来るのかは置いておき、補償費が何の支払いであるのかが証明できなければ、操の主張も一部は通用する。
 架空の論点
裁判官側から見れば、補償費などは解明することでもない。阿智村が補償費として操の支払っている事実と、操が補償費を受け取っている事実が有れば済むことだ。だからして、補償費がどのような金であるのかと、操に支払う金でないことを原告が証明しなければならないのだ。だからして、まずは補償費が存在するのかしないのかから始めているのである。
これまでの経過をたどれば、補償費が存在したとするのは阿智村であって操は一度も補償費は有るとは言っていなかった。しかし、行政書類として補償費の存在を肯定されれば、まずは補償費があるとして操の横領を証明することから進めてみた。それは、「操の返金額は30万円であった」との主張だ。それに対して「補償費は16万5千円である」が操の反論であった。これを切り崩すに証拠となる平成16.17年度の通帳は被告側の手にあって、入手するには、弁護士法23条の申請であったが、ほどなく金融機関から開示された。それをもとに30万円の入金を確認することが出来、それを明らかとした準備書面は次回期日までに提出できることになった。令和4年8月30日

 阿智村の嘘
補償費であっても、操らの横領は確定することだが、補償費であると裁判官が認めてしまえば、管理費は正当な支払いになってしまう。ここを乗り切るには、次なる作戦が必要になってきたが、この作戦は、この裁判が始まる前から準備をしていた。その作戦とは、「水道代を払わない」である。一見無茶な話に聞こえるだろうが、水道代を払わなければ「払え」とくるはずで、そこでもめればと言うより、もめさせるにはどうすればよいかと言うことだ。たかが水道代、だが、払わなければそれなりの理由が必要だ。操の横領は阿智村の金をだまし取ったことではない。園原部落への水道料返還金を横取りしただけである。熊谷秀樹村長へもその様に伝えてきたから、村は、管理費と補償金に分けて隠蔽したことだ。しかし、その支払いが平成28年度分を最後に止められてしまった。「返還金が無ければ水道代を支払えぬ」を理由にすれば、水道代を払わないは十分通用する話である。そして始めてみれば、給水停止という手段に出られたことで、議会との話し合いを求めたが、肝心な熊谷秀樹村長が静かになってしまった。これでは村と争えない。争えなければ返還金であることが証明できないと少々焦ったが、操の裁判を進めれば、「補償金とは何だ?」にあわせて、「管理費を支払う理由は?」が当然出てくると考えた。それは、今久留主課長がつくった支払明細に、「組合委託は園原のみ他にはない」という吉川議員のメモがあったからだ。
 書面が語る
操を訴えるに、手に入らないもので最も重要なのが、操の個人通帳である。阿智村が、昭和61年から返還金を振り込み続けた操の通帳である。この通帳に、56万5千円の入金記録が有れば、それで終わりである。確かに補償費の支払いであれば、52万5千円が一度に振り込まれるもので、16万5千円でないとなる。これで横領は決定する。同じ日に、管理費として36万が振り込まれていれば、管理費は存在して、補償費は16万5千と証明される。だが、操はこれらの通帳を証拠としていない。令和4年9月1日

 操の個人通帳
操は、補償費が16万5千円だとする証拠だとして、個人通帳を証拠としたが、この通帳の存在に驚いたのは私である。何より、その通帳をまずご覧いただこうか。 操の個人通帳     クリックしてご覧ください。
 補償費の証拠?
昭和62年からこの通帳は存在しているようだ。現金として19万5千円を入金しているが、これを補償費だと操は言う。現金現金と続いて、令和元年から「スイドウダイ」と記録されている。平成2年1月に、「スーパーMMCへ」として54万円余りが移動されているが、補償金だとしても、この時点で横領したことになる。当然に、園原部落の会計にはスーパーMMCなどの定期預金は無い。それが分かっているのになぜ操はこの通帳を証拠としたのかは、平成2年だと民事における横領は時効となっているからだ。それと、「俺は園原簡易水道組合の代表であって、補償費を受け取る権利がある」として、主張したのである。ようは、「横領ではない」として、この通帳を証拠としたのである。
 偽造契約書との整合
平成5年から平成9年まで「ヤクバヨリ」と記入されるが、平成5年と言えば、黒柳村長と操の契約書が突然現れている年度と一致する。開示請求で黒柳村長との契約書の開示を求めたが、阿智村では不存在とされた。しかし、被告弁護士は、「私が熊谷秀樹村長から仮受けた」として、その契約書の存在を主張している。(これ、凄いことですよ)令和4年9月3日

 引き継がれた個人通帳
平成10年から「ヤクバヨリスイドウ」に変わり、平成12年には「ヤクバヨリ」に戻り、それ以降は記載が無い。つじつまが合わない通帳であるが、唯一つじつまが合うのが、平成17年3月16日と平成17年7月20日である。何とつじつまが合うのかと言えば、平成17年2月末、操と義幸と寛と私との四人で水道料金返還金の話をしたからだ。その話し合いにおいて毎年30万円の入金を約束したが、その実行は平成18年3月までである。平成18年2月20日、この通帳はその日をもって終わっている。なぜその日に終わらせたのかと言えば、平成18年4月から、この口座を引き継いだ「園原部落特別会計」が、熊谷和美部落長と熊谷孝志会計の手で始まったからである。
 №2の通帳
阿智村の支払い明細(今久留主総務課長が吉川優議員に渡した書面)には、平成16年から田中義幸の口座に振り込んだとされているし、実際に、義幸の妻正子が現金30万円を水道料金返還金の金だと届けていることで、間違いなく阿智村は義幸の口座に振り込んでいる。それは良しとしても、それまでの振込先口座はどこの誰であったのか? 支払明細によれば不明とあるが、この「操の個人通帳」からすれば、この通帳に振り込まれた形跡はない。だとすれば、この通帳は操の個人通帳であるは間違いないことになり、この通帳を№2とした、№1の通帳が存在しているはずだ。横領の証拠になる通帳であれば、№1の通帳を操は提供するはずがないが、阿智村であれば操の№1の通帳を明らかにすることは出来る。この裁判では阿智村は第三者であって、それが操に数々の行政書類を開示請求無しで提供していることからして、裁判官に「不明」だとか「紛失」などが通用しないことは言うまでもない。令和4年9月5日

 分けられた通帳
操の個人通帳に「ヤクバヨリ」として16万5千円が振り込まれているように見えるが、この入金が阿智村役場から直接振り込まれていないとすることに、入金日の日にちがそれぞれ違うことにある。4月にある毎年の監査を経て振り込まれる公金は、4月の末であることを知っていた方が良い。だからしてこの通帳は、操が阿智村から振り込まれてきた金額の一部を引き出して入金したものである。しかし、操はなぜこの手間のかかる作業をわざわざしたのかと言う疑問が出てきた。52万5千円が確かに管理費だとすれば分ける必要はないし、また水道料金返還金だとしても腑に落ちないことだ。(この疑問は後に解決する)
 補償費の通帳ではない
操はこの通帳を「補償費を受け取っていた通帳だ」「この通帳は平成18年から部落で管理されてきた」だから横領ではないとの反論をしているのだ。この主張は「平成16年と平成17年の部落会計への入金は30万円であった」で覆ることになるのだが、補償費ではないとは言えないのも事実である。操が補償費だと言っても通用しないが、阿智村が補償費だとした契約書が存在することで、補償費だとの説明は阿智村でなければできないことになる。しかし、この裁判では阿智村は第三者であって、今のところ応えるところにない。では、補償費ではないとするには、いったいどうしたらよいのだろうか。
 特別会計
この問題を解く一つの鍵に、操は自身の個人通帳を「園原部落特別会計」としたことにある。個人通帳であっても名義が自由な時代の預金通帳ならば、園原部落の名前が入ったにしてもおかしくはないが、操の目的は何であったのか? として推察すれば、操が園原部落に説明したことが理由にあると思われる。操が園原水道返還金について一貫して言ってきたことは、「俺が管理してきた」である。実態が無くともその様な言い分が有れば、園原部落とて返しようがない。だからして平成23年の水道事故(塩素流失)後に、「長年管理ご苦労様」として交代させている。令和4年9月7日

 補償費が無い
この通帳に「スイドウダイ」と記入していることは、操自身が水道代の返還金であることを示しており、補償費ではないと証明している。操は部落会でも話し合いでも、一度も補償費などと口にしていない。水道事故の時も、水道の返還金だとか、管理は俺がやってきたとしか言っていない。そして管理費を15万円はほしいと要求している。自身で約束した管理費15万円を36万円にした時点ですでに横領は確定することで、次回の期日べ操が反論できるのであれば、「管理費は36万円であった」との、具体的な証拠を示すしかない。平成28年3月に横領を指摘した時点において、今久留主総務課長が証拠としたのは「園原簡易水道組合代表熊谷操」であって、管理費を52万5千円とされていた。補償費が有るのであれば、また、操が今久留主総務課長に契約書を偽造せよと指示したにしても、補償費と管理費に分けろと言っているはずである。なによりも、平成16年の園原簡易水道組合代表田中義幸との契約書には「管理費52万5千円」とされており、補償費の一文字も無い。この契約書を被告弁護士は、「村長から直接もらった」と証言した限り、阿智村は補償費の存在を認めることは出来ないのだ。
 補償費を受け取る理由
昭和63年開設の個人通帳を証拠とし、「これが補償費の証拠です」とした限り、それを間違っていましたと取りさげることは出来ない。そこにおいて、被告弁護士は反論の趣旨を変えるであろうが、原告としては、補償費であるのか無いのかは決定的なことであって、おいそれと応じられない。だからしてこの通帳の不備を責めていくのだが、元々にこの通帳には不自然極まりないことが有る。それは、この通帳の開設が昭和63年であると言うことだ。令和4年9月9日

 三年の誤差
今久留主総務課長が作成した支払明細は、昭和60年から支払いが始まっていると記されていたが、操のこの通帳の開設日は昭和63年だ。通帳記載は嘘を言わない。管理費だ補償費だと騒ぐ前に、阿智村からの支払い期日が合わないことをどのように説明するのか。今の状況は、阿智村は園原水道に関わる支払いを昭和60年から始めているに、受け取り者だと主張する操が「63年から受け取っておりました」では、二年分の支払金が不明となる。
 証拠不採用
この二年間の不明を指摘していないのは、こちらに証拠が無いからだ。この不明を明らかにするを目的として、みなみ信州農協に園原部落の本通帳の開示請求を行ったが、昭和60年からの開示は出来なくあった。あまりにも古い記録であることと、当時はコンピューター管理でないために倉庫の中で眠っているとのこと、相当なる時間、例えば二三カ月の猶予をいただければ開示が出来るかもしれない、が、みなみ信州農協の回答であった。昭和60年からの開示を求めたのは、昭和60年に園原部落通帳に阿智村からの振込記録があったのを私が確認していたからだが、その通帳は熊谷繁部落長の要請で返していた。
昭和60年の園原部落通帳が開示されなくあったが、その代わり、平成16年3月から平成18年の3月までの記録は開示されたことで、操のウソ「補償金は16万5千円だ」を暴くことが出来た。9月9日の期日において、「原告の主張に反論が有れば、次回期日前に準備書面を提出してください」と裁判官から被告弁護士に伝えられたが、ここで被告弁護士は「ああ、横領は絶対にしていないので」と、なんとも弁護士らしからぬ言葉が発せられた。どちらにしても、操が補償金の受け取り通帳だとした「園原部落特別会計代表熊谷操」の通帳は証拠となりえなくなった。令和4年9月11日

 どうする操
操の横領を否定する者は、今や阿智村中にもいないであろう。あとは本人が認めるかどうかだけである。この裁判において否応なしに証拠が挙がるに、裁判が終わったあとを考えるべきではないか。たしかに、横領してましたなどと言うはずもないが、補償金であれ、管理費であれ、また水道料金の返還金であれ、16万5千円でなかったことは、操の反論主張は否定されるのだ。
 被告の反論構成
被告弁護士が組み立てた反論主張の根幹は、「渇水被害を受けた園原簡易水道組合の19戸は、公団の補償金を受け取る権利がある」である。これは絶対に変更できない主張であることは、この反論主張が崩れれば、もはや裁判を続けるところにない。今後の展開であるが、被告側からしてみれば「横領はしていない」の被告弁護士のささやきにあるように「横領ではない」との主張を強めると思われるが、実際に横領ではないとする証拠は何もないだろう。万が一にもあれば、それはこれまでの期日で提出されていたことだ。
 補償金は有った
16万5千円が崩れ去った以上、あとに残るは「補償金である」ことの証明だ。今までに、操は一度として補償金などの話はしていない。訴えられて初めて「補償金を受け取っていた」「補償金を受け取る権利は渇水した園原簡易水道組合の19戸だ」と主張するに、それは平成29年に刑事を騙した偽造契約書と偽造支払明細に基づくことだ。あの時、刑事を騙せとの指示は熊谷秀樹村長であるが、実際の偽造内容を指示したのは当然操である。操とて何も根拠が無くて支払い内容を指示できないとなれば、当時(昭和46年)の道路公団との交渉を基にするのは、これもまた当然のことではないか。
操の答弁書に「公団は責任を認め、阿智村が敷設する簡易水道工事費用の一部を負担した」「19戸の中には、『本来なら補償費は我々がもらえる金員だ』と主張し、阿智村が公団から受け取った金員を19戸に支払うよう求め続けてきた。」とある。令和4年9月13日

 公団が負担
水道工事費の一部を公団が負担したとあるは事実であるが、一部負担(1千万円強)したのは阿智村であって、公団は6千万円余り負担している。公団の負担金は渇水した園原住民への補償費であり、当時の園原住戸は37戸在ったが、渇水していない住戸(7戸)へは補償費は支払われていない。しかし、祖父清は園原部落全戸の水道を要望しており、公団の補償費で足りないところを阿智村が負担したことである。この経過については被告操も同じく供述していることであるが、操の主張は、「補償費は個人の権利であるから、19戸(園原簡易水道組合)の分の補償費を返してもらって来た」と言っている。これを原告である私は反論するところにない。なぜならば、操への支払いは村が勝手にやっていることで、園原部落会は補償費を返せとは訴えていないからだ。
 補償費の事実
公団が渇水した園原住民の各戸へ補償費を支払うとされたのは、操も私も、そして園原部落の全員が理解していることであるが、その補償費を元にして園原水道を敷設したいと阿智村にも公団にも要望したことも全員が承知してのことである。園原水道を全住戸に敷設するに事業費が足りなくあったことも事実、そこで公団に、「もっと補償額を上げてください」とお願いしたことである。公団はそれに応えており、工事が完了した時点で、「覚書」を阿智村と交わしている。その覚書には「補償はこれで終わりである」と「今後の管理は阿智村が行うこと」が記されている。(この覚書は被告操が添付しているが、阿智村の保管書類である。なぜこの書面が操の手に入ったのか?)補償費額は公団への開示請求で明らかとされるが、間違いないことに、一部負担は阿智村の方であることだ。令和4年9月15日

 簡易水道の意味
園原水道の事業主体は阿智村である。それは当然だ。一部負担にしても税金からなるもので、阿智村が簡易水道として県に申請しなければ認可が下りないし、実際に県への申請書も証拠とされている。では、阿智村が事業主体であるから阿智村が敷設した水道で阿智村の権利ある水道なのかと言えば、そこは全くに違うことだ。なぜならば園原簡易水道として申請しているからだ。どういうことかって? そこが分からないとこの話も分かりませんよね。簡易水道とは、その名前の通り「簡易」な水道という意味で、水道事業でないのです。水道事業でなければ村営水道ににならずして、実際に阿智村は昭和47年当時は水道事業を行っていなかったのです。大野簡水も昼神簡水も、そして園原簡水も、独立した水道設備であったのです。唯一園原水道が阿智村内の他の水道設備と違うのは、全額補助事業での簡易水道で無かったことです。それも当然ですね。日本道路公団が補償工事として設置した水道設備ですからね。
 阿智村が認めていること
給水停止における私とのやり取りで、熊谷秀樹村長は「村営水道だ!」として、水道代を払わぬ私の家を水道を停止しました。これは、まったく阿智村の言うとおり、村営水道であり、水道代を払わなければ水道は止められます。ですから給水停止の裁判で、私が勝訴することは無いのです。勝てもしない裁判に何を求めているのかは今の段階では書けませんが、まあ、操の横領に関することとしておきましょう。
さて、話を戻しますが、簡易水道であっても水道料金を支払うのは当然のことで、阿智村における簡易水道のすべては水道料金を納めておりました。しかし、園原簡易水道は、渇水被害を受けた住民の補償費を基金として敷設されておりますので、それら水道設備の権利は園原住民に有ったのです。令和4年9月17日

 水道事業化した阿智村
「『昭和60年に阿智村全地区の簡易水道が水道事業化されましたので、園原簡易水道も村で管理したい。水道料金は徴収しますが、必要経費を除いてお返しします』この様な話が部落に来た」私は最初からこのように説明しておりますし、操の横領を告げた時も熊谷秀樹村長に言っております。そして、操を訴えた訴状にも、この様に陳述しております。そして阿智村もこの事実を否定していません。
 経過書類は村の中
園原簡易水道を村営水道にしたいというわけだ。常識的に、水道代が徴収されるとなれば、冗談じゃないとなるは当然のことであるし、阿智村も水道料金を徴収するとなれば、各戸と契約することになる。これらの話を整理するに、行き当たりばったりでは出来ないことで、事前の調整が必要なことは言うまでもない。そこでだが、操はこの時村会議員でないことで、阿智村は操に一切話をしていない。では、この話しを園原部落にかけるには、いったい誰を窓口にしたのかと言えば、その時の智里西地区代表議員の渋谷勲(母方祖父)である。祖父清は引退しており、祖父渋谷勲は私の父にこの話を持ってきた。父はその時の部落長であった渋谷武彦(吉彦の父)とともに話を受けて、部落会を開いて周知している。「上の組と東組の共同水道の補償費だ」と操は文句を言っているが、村では必要経費を除いて返還しますと約束しているのだ。これほどの経過があるに、また、園原簡易水道を村営水道にするに、経過書類が無いなどはありえなく、間違いなく役場に保管されているが、開示請求したとしても、阿智村はそれを成さない。弁護士法23条を行うにしても、阿智村は拒否できるのだ。裁判官に調査嘱託を申し込むにしても、操の横領との因果関係を証明できなければ無理であるし、横領の確定には関係ないとされる。令和4年9月18日

 補償費の支払先
園原簡易水道が敷設されたのは昭和47年であるが、阿智村が村営水道事業を立ち上げたのは昭和49年3月でありますので、村営水道は園原簡易水道敷設後に設置されたことになります。また、公団の補償金員をもとに敷設工事を行っていますので、園原簡易水道の所有権は園原住民となります。しかし、阿智村は昭和60年に園原簡易水道を村営水道にしたいとの申し込みがあって、それ以降は阿智村村営水道の管理下に置かれることになりました。しかし、園原簡易水道の所有権を手放したわけではありません。
 補償費が証明する物
日本道路公団に行って、園原部落住戸の渇水に対する補償について話を聞いたことは以前に書き出しておりますが、公団によれば「補償費は補償する方にしか支払われません」と言われております。当然の回答ですが、それをもとにして補償費の取り扱いを考えてみるに、補償費は各戸均等な金額であったと思われます。共同水道が有ったにしても、湧水や井戸であっても、渇水であれば同じ条件であって、またその補償費をもとにして園原部落の水道設備を敷設するとなれば、同じ金額で無くて根拠は成り立ちません。しかるに、敷設工事費の費用大半を補償金で賄うとなれば、それは工事費の概算が先に有ることで、それらの金額が確定するに併せ、園原住戸全員の総合計額として補償費に変えたと考えられます。この想定が正しくあることは、園原簡易水道の所有権が園原住民に有ることの証明にもなることで、また操の横領の確定にもなることであります。
補償費の支払先はあくまでも渇水被害を受けた園原住民であることに違いなく、便宜上にて、園原簡易水道の敷設申請を行った阿智村に支払いがなされたものであることは、いましばらくすれば、日本道路公団(NEXCO東日本)から示されるものであります。令和4年9月21日

 返還金の証明
園原簡易水道の所有権が園原部落に有ると証明するために、操の横領裁判も給水停止裁判も始めたことであります。熊谷秀樹村長は、「園原水道は村営水道だ」と一生懸命力説しておりますが、村営水道だと言うのであれば、その証拠を見せろと迫ってみても、証拠とやらは何一つ出てまいりません。当たり前でしょ。村営水道であることイコール阿智村の水道であることではありませんからね。村民もその理解が出来なく、村長が言うところの村営水道で判断されているようですが、村営水道とは水道事業を行う団体の名称であって阿智村ではありません。水道敷設工事を行うに、阿智村は国からの補助金を得るために簡易水道敷設申請を行うのであって、その敷設された簡易水道の管理運営を昭和60年から始めただけであります。水道設備の所有権は存在していなく、その管理運営を行う団体が村営水道なのです。
 所有権の存在
園原水道が日本道路公団の補償において敷設されたことは操も認めていることで、操は、昭和60年から阿智村の管理になって水道料金を取るのだから、補償金を返してもらっているだけだと主張しています。これが正しくあれば私は裁判に負けるでしょうが、操の横領に変わりは有りません。しかし、操の主張が通ることであれば、阿智村は昭和60年に園原水道を取得したことになりますので、それを証明しなければならないでしょうね。そこででありますが、熊谷秀樹村長が刑事を騙す手段として偽造契約書を作成した訳ですが、そこで補償費と管理費に分けたことにどのような目的があったのでしょうか? 察するに、それらの分け方は操の考えで行われていますので、補償費は確かにあったと言うことになりますが、それであればなぜ「補償費を返す」とされたのでしょうか。補償費は園原水道設備の工事費に持ち入れられたことで、園原水道を村営水道にするにしても、村営水道では水道設備の所有権を求めていないことで、それに対する対価も用意できることではありません。令和4年9月23日

 裏の裏
ここでまた岡庭一雄が登場しますが、読者の皆さんもだいたいの想像が出来ることでしょう。この補償金の支払いこそが、岡庭一雄の謀略なのであります。考えてもみてください。昭和60年と言えば、黒柳忠勝が村長であったのですよ。黒柳村長が「園原水道は村営水道だ」なんて言いますか? 「補償金を園原住民に返す」なんてできますか? よく考えてみて下さい。行政ですよ!
 平成6年まで黒柳村長
昭和62年、父典章は教育長であったが、操の横領を知ったのは原武平収入役からの話である。原武平は建設課長を経て収入役になっているが、園原部落へ返金される水道料金返還金が操の口座に振り込まれていることを知り、父に相談したという。父は、昭和60年時の部落長であった熊谷千美に話を聞けば、「水道の管理は俺がする」と操に言われて、通帳の印鑑を渡したという。操はその印鑑を用いて部落預金通帳から振り込まれていた返還金を引き出している。(通帳記録に有り)
岡庭一雄が環境上下水道課長の時に、私は水道課に乗り込んで「操さは議員だから公金は受け取れないじゃないか」と、水道料金返還金のことを聞いているが、その時の係長熊谷宰光は「これは特別な支払いです」と、おかしなことを言っていた。(この時には契約書など存在していなかった。宰光に聞けば、今でも覚えていると思うが)
平成23年の塩素機故障事故において操を追求した時にも、岡庭一雄は熊谷義文議員(当時は職員)に「操さは議長になったので、義幸さに管理を変わってもらったんだ」と言わせている。このように、園原水道に関することに岡庭一雄が常に登場するのを見れば、水道料金の横領は岡庭一雄の協力なくしてなりえないものである。令和4年9月25日

 補償金の真実
水道料金の返還金を操が受け取ってきたことが横領犯罪なのだ。だとすれば、操が受け取ってきた公金は、返還金で無い! としなければ成らないのが熊谷秀樹村長の考えとなる。そのために「園原簡易水道組合」という架空団体をつくり上げ、その代表を熊谷操とし、水道料金返還金でなく管理費の支払いとしたのだ。これは平成28年3月に行われているが、その時の契約書はたしかに管理費の契約書であった。
平成29年3月末、熊谷秀樹村長に操を警察に訴えると脅している。そして刑事が調査に向かえば、「田中義幸との契約書が有り、今までの支払い先に間違いが有ったと言っています」と刑事は話している。その裏を取るために、吉川優議員は熊谷秀樹村長から契約書の写しを手に入れた。それは田中義幸との契約書であり、刑事が確認した契約書と同じであると思われるが、そこにも「管理費の支払い52万5千円」と記されている。(この契約書は裁判で被告操の証拠とされている)
 補償費が出て来ない
吉川優議員は、一般質問に合せて今久留主総務課長に園原簡易水道への支払明細を求めたところ、その書面に初めて補償費の文字が記されており、その金額が16万5千円であった。このつじつまが合わない話に私は操との契約書の開示請求を求めたところ、それは平成28年に示された契約書ではなく、管理費36万円、補償費16万5千円に分かれている契約書であった。田中義幸との契約書と操との契約書、同じでなければならない契約内容に違いがあれば、どちらの契約書が正しいかとの話になるが、これを操や義幸が説明したところで証明できないし、また、阿智村にその説明を求めることは、この裁判では出来ない。どちらの契約書も正しくないと証明するには、補償費の存在を証明することで、その補償費が、何の目的で誰から誰に支払われたのかを明らかとすることである。令和4年9月27日

 詐欺犯罪
園原水道返還金ならば単なる横領であるが、補償費の横領となれば様子は違ってくる。いわゆる金の出所が違うからだ。水道料金返還金であれば村営水道維持管理の会計からの支払いで阿智村の支出ではないが、補償費の支払いを受けていたとなれば、水道維持管理の会計ではなくなる。水道維持管理は水道料を徴収しての運営である限り、支払いは水道に関する支払いしかできないことだ。補償とは損失を補うことであって、仮に水道敷設事業で損失が発生したにしても、そこに持ち入れられる金は阿智村からの支払いになるからだ。操は、「園原水道は園原住民19戸の補償費で敷設されたとし、その補償費の返還を求めて受け取ってきた」と主張している。それが事実であれば、阿智村から支払いがなされていることだ。阿智村の支払いであれば監査もその様な了承がなされていることで、あいまいな書類は存在しないとなる。
 補償費の支払いに契約が必要か?
まずは、水道料金の返還金に契約書は必要か? の疑問から始めてみよう。それは、熊谷秀樹村長に操の横領を告げた平成28年3月の事であるが、熊谷秀樹村長は真っ先に「契約書なんてあるんですか?」との場違いな質問を私にした。なぜ場違いなのかと言えば、それは私の質問であることで、行政の定期的な支払いが30年も続くに、契約書が無くての支払いはあり得ないからだ。この時熊谷秀樹村長は何を言いたかったのかと言えば、まさに、「契約書が無いのだから返還金と言えないじゃないか」と言うことだ。この時点で、管理費と補償費を支払っていたのであれば、また、刑事を騙した契約書が存在していたならば、熊谷秀樹村長はこの様な質問を私にしていない。
次に、「補償とは何だ?」から始めれば、「損害賠償として財産上の損失を金銭で補塡ほてんする。」であるから、行政が補償を行うにはどうすればよいかと言うことになろう。これを単純に行うには、契約を交わし、議会承認を経て、行政書類として監査を受けるとなるが、これを阿智村は今まで何もしてこなかった。令和4年9月29日

 国家賠償
行政が補償をする場合、国家補償制度を用いることとされていますが、阿智村は園原水道にかかる補償をこの法律に基づいて行っているでしょうか? 阿智村行政が園原住民に損害を与えたのであれば、その損害の補填をしなければ成らないが、阿智村が何か損害を園原住民に与えたのでしょうか? 損害を与えたのは日本道路公団であって阿智村ではありませんし、日本道路公団は国がつくった外郭団体であるが行政ではありません。
 補償費は公団
日本道路公団は、園原住民各戸の水道設備の水源が枯渇したことで、その補償を各戸にした。ここに阿智村は何も関係はない。平成31年3月議会で、吉川優議員の一般質問に応え、「道路公団が園原水道を敷設した時の特殊な補助金」と矢澤生活環境課長が答弁しているが、阿智村も道路公団が園原水道を敷設したと認め、補助金を特殊と表現している。ようするに、阿智村は園原水道を敷設していない、補助金に関しても阿智村の取り扱いでないと言ってるのである。
訴訟においてはじめてこの事実が表に出たが、園原水道は阿智村が敷設したのではないのと、補償は道路公団が行ったとされる。これで補償費の存在とその補償費が園原水道の敷設費に持ち入れられたと証明されるが、それであれば、阿智村が操に払い続けている補償費は一体なんであるのか?
支払われるべき金員でないことは確かになったが、なぜ支払うようになったのかを解明しなければ、操の犯罪の種別が確定されない。横領なのか詐欺なのか、水道料金返還金であれば横領となるし、補助金だとされれば、阿智村を騙しての詐欺犯罪となる。果たして操はどちらを取るのか、それがこれからの展開で明らかとなるだろう。令和4年10月1日

 村か共産党か
操の犯罪は思わぬ展開を迎えることになるが、この犯罪の裏を知るほどに、阿智村共産党の裏事情が見え隠れしてくる。岡庭一雄一辺倒であった阿智村が、熊谷秀樹が岡庭一雄の犯罪を隠蔽することで、阿智村共産党内に亀裂が起きた。熊谷秀樹を擁護する共産党の殆どは智里東地区の者であるが、熊谷秀樹の後援会は岡庭一雄を守っているのではなく、阿智村共産党を守っているのだと弁解している。それに対して岡庭共産党は、熊谷秀樹村長のつまらぬ部分で上げ足を取っているようだ。それが議会でも話題であって、佐々木幸仁と岡庭一雄の彼女である櫻井久江が中心であるようだ。
 認めた熊谷秀樹村長
そんな内紛も置いてはいけないが、操の横領において、熊谷秀樹村長がこの犯罪を隠蔽したことは大変な状況であるに、この問題に対しては、阿智村共産党として取り組んでいるようである。「契約書を偽造せよ」は、確かに岡庭一雄の指示であるが、証拠の上では熊谷秀樹村長の犯罪である。管理費の支払いはともかくも、補償費を支払っていたとの契約書はいただけない。今更に、「その契約書は間違いであった」と、どこかで聞いたセリフを繰り返されたにしても、裁判の舞台は議会ではない。
操の裁判での証拠であれば、熊谷秀樹村長はそれに関係することは無いが、補償金が園原水道の補償金でないと判明すれば、操は管理費の名のもとに阿智村からだまし取ったとなる。操一人でそんな操作は出来ないことで、当然に職員の協力者がいたとなる。これは行政犯罪ではないし、また、時効にかからない犯罪でもある。今のところこの裁判で熊谷秀樹村長は関係するところにないが、裁判が終わればとんでもない状況になるだろう。
園原水道にかかる補償金の取り扱いがどのようなものであったかは、道路公団に聞くしかないが、この裁判でそれを求めることは出来ない。令和4年9月3日

 架空の話し
では、補償金が園原水道の補償金であったとなれば、いったいどういう展開に進むのかと言えば、これは大変な事件になるに違いが無い。阿智村の会計で補償金を返還するなどありえないからだが、熊谷秀樹村長が操らとの補償金の契約書が有ることから、これは熊谷秀樹村長と熊谷操が園原水道補償金返還と称して、阿智村の会計から引き出したことになる。これを熊谷秀樹村長が「私が偽装した物です」と白状すれば熊谷秀樹個人の犯罪になるが、これは園原水道の補償金で間違いはないですとなれば、行政犯罪となる。
 先が見えていない被告弁護士
園原水道の管理費と補償金の支払いに契約書が有るとして、「被告らは横領していない」として三通の契約書を証拠として提出された。それに対しての反論は、「阿智村の行政書類ではないか」と指摘し、本人が所有する契約書を証拠とせよとしたが、それには答えず、「村長から直接渡されたものだ」と、被告弁護士は反論してきた。おバカな弁護士だ。三通の契約書が阿智村の行政書類だとなれば、村長が作成した契約書だと確定されることになる。操の横領が確定すれば、同時に熊谷秀樹村長が共犯者であったとなるのだが、そこが読めない弁護士は、阿智村のためではなく、操のために反論しているのであるが、結果は最悪となる。ご丁寧にも、村長から直に渡された物だとして熊谷秀樹村長の署名と捺印までされていたが、被告が手に入れた物だと弁解すれば、操の横領だけで済んだのであるが。令和4年10月5日

 村営水道の会計
水道料金の取り扱いは阿智村の会計ではない。そのことに無頓着なおバカな職員はさておいても熊谷秀樹村長自身が気づいていなかった。(それらの会話はユーチューブで公開している)この程度で村長なのだから呆れるが、まあそれはさておき本題に入る。まず、管理費でも補償費でも、その会計は村営水道の会計から支払われていなければならない。だからして熊谷村長も平気で契約書が偽造できるのだが、これが阿智村の会計から支払われているとなれば、最悪の結果を招くところである。
 操の受け取り
契約書が偽造だとの証明は難しくない。阿智村長でなく村営水道管理者ではないかですむことだが、偽造契約書を村長がつくったとして犯罪ではないからして、偽造だと騒いでも熊谷秀樹を失脚させることは出来ない。しかし、偽造した契約書で不法行為をおこなえば、それは審査請求にあたれる。では、偽造契約書でどのような不法行為が行われたのかと言えば、「横領犯罪の隠ぺい」であることだ。それでは、この隠ぺい工作を行ったと証明するにはどうすればよいのかと言えば、やはり、操の横領を確定することにある。早く言えば、操が横領犯罪で逮捕されることなのだ。まあ、そうはいってもいきなりに逮捕されることは無いからして、逮捕される状態に持ち込むことなのだが、その状態をつくるのが裁判であって、この裁判で横領が確定すれば、ようするに裁判に勝てば、操を逮捕させる状態になるのである。では、裁判に勝てるのかと言えば、それはそう簡単でないことに、偽造契約書の存在があるのだ。
堂々巡りで偽造契約書に戻ってしまったが、問題は、裁判官が契約書を偽造だと決めつけられないことに有り、また、偽造であるのかどうかは、この裁判では重要なことでないのである。令和4年10月7日

横領の実態

阿智村の会計から出ている金であれば、それは横領とは言えなくなる。ここが問題なのだが、阿智村はそのことをハッキリさせていないのだ。たくらみがあってのことではなく、単に、水道会計が別であるに気づかなかったことで、結果的にハッキリできなかったのだ。
補償金であれば阿智村の金になるし、管理費であれば村営水道の会計になるに、管理費と補償費で一つの契約書であることで、どちらともいえない状況にあるが、これは隠ぺい工作で露呈した阿智村の内部事情であって実際のところにない。何が事実かと言えば、村営水道の会計から支払われていることだ。阿智村の会計から支払われているのであればこのような操作は出来ないし、監査も受けなければならないことで、如何にでたらめな監査員だとしても、何十年も続けられることは無い。
 横領で確定
金の出所が村営水道の会計からとなれば、これは間違いなく横領である。ただし、補償費だとの操の証言と補償費であるとする契約書が証拠となれば、村営水道の会計からだまし取ったことになり、詐欺犯罪も追加される。詐欺犯罪が追加されることは警察の介入があってのことだが、裁判が終われば、騙された県警は黙っているとは思えないので、まあ、任せておけば良いのではないか。
熊谷秀樹村長が偽造契約書を作成して刑事を騙したことで、村長の犯罪になると行政犯罪を心配した。それが阿智村会計からの支出でないと判明したことでひとまず安心したが、行政犯罪にならぬとも熊谷秀樹が村長の立場を利用して操の横領を隠蔽したのは大変な事実だ。このことに、いったい村民はどのように考えるのであろうか? さんざんに村民に知らせたのに。令和4年10月9日

 給水停止との関係性
操の横領を指摘するに園原部落の役員らは私を村八分としたことで、村八分と操の横領の関係性を訴えてきたが、この村八分が熊谷秀樹村長と示し合せで行われていたことに衝撃を受けた。ここまでやられるは覚悟していたが、さすがにタッグを組まれれば被害は甚大である。村八分の行為として回覧板の不回覧がさほどに影響がなかったのは、森林組合や農協には出入りしていたし、お役作業に声がかからずとも井水や道路整備も常に行っていたことにある。それだけではない。下平組の防火水槽の管理や草刈りは数十年続けている。消防団や村に何度言ったにしても、一度として草刈りをしたことはない。父が消防団長の時に、土地の一部を提供して設置された防火水槽であるに、下平組はありがたいとも思っていない。まあ、これらのことは村八分の裁判で証拠としたのでよいが、何かが間違っていることはたしかである。
そんな中で行われた村八分であるが、その村八分の延長戦として給水停止が行われたことに、熊谷秀樹村長が大きく関係しているのが判明したのである。それは、操を訴えたことで熊谷秀樹村長が給水停止を実行したことにあるが、操を訴えれば、やがて横領犯罪が確定するが、その結果がなにを招くのかと言えば、「園原水道の権利」に行きつくとなる。「請求書が無かった」とか、「父親の名前のままではないか」と騒いでも、水道代をなぜ支払わないのかの理由を熊谷秀樹村長は知っている。それがやがて表に出るとの恐怖を抱いているなかで操を訴えたからして、熊谷秀樹村長が手を打つべきことは、水道代を払わせる以外にないとなる。熊谷秀樹村長が対応しなければならないことに、「園原のA氏が水道代を払わないので給水停止をしても良いか」と、井原清人生活環境課長に議会で承認を取らせたことにある。まだ一度も支払わないなどと返答していないうちに給水停止は決定されていた。このことは、まさに操と示し合わせの村八分行為であったのだ。令和4年10月11

 給水停止の目的
熊谷秀樹村長と二度目の話し合いの席で、熊谷村長は議会を交えて話し合いを行うことを了承したが、その約束は果たされていない。令和2年7月14日の二度目の話し合いは、当日に給水停止が実行されたのであって、それに異を唱えて熊谷秀樹村長に直談判したのであるが、その給水停止執行命令書を見れば、村長印は無く、また井原清人生活環境課長が勝手に作成した書面であることを熊谷秀樹村長は認めたことで、給水停止が出来なかっただけのことだ。しかし、問題はその時点で村道内に止水弁を取り付けたことだ。なぜ村道内に止水弁を取り付けたのかと言えば、私の家に給水本管が引き込まれていると知っていたからである。
 給水装置
阿智村がつくった水道設備であれば本管は村道内に敷設されていることで、給水を必要とする住戸は、その本管から給水装置を取り付けてメーターBOXを設置する。しかし、園原水道は阿智村がつくった水道ではないことで、本管が直接各住戸まで敷設されている。昭和60年、阿智村は園原水道を管理するする目的で量水器を設置したことであって、量水器は各住戸内の本管に直接設置されている。私の家は園原東組の最下部に位置し、万が一のためにゴミ抜き用の別配管が設けられていた。このゴミ抜き用の本管は外水道として日常使用していたことで、量水器を撤去して給水を止めたにしても関係ないところに在った。熊谷秀樹村長が契約書を偽造して刑事を騙したことで、私はその事実「道路公団が補償費で敷設した水道だ。だからゴミ抜き用の別配管が家にはある。そんな村営水道は他にないだろう」と、熊谷秀樹村長との最初の話し合いで告げていたことで、「量水器を撤去しても水道は止まらない」として、村道内を横断している本管に、止水弁を取り付けていたのである。これ、確信犯ですよね。令和4年10月13日

 手の内を明かす
「ゴミ抜き用の本管が別にある」この様な事を熊谷秀樹村長に告げるのは、まさに手の内を明かしていることだ。黙っていれば、相当な証拠となるものを、私はあっさり話している。勝算があってのことなのか? 単に間抜けであったのか?
 止水弁の取り付け
ゴミ抜き用の本管があることを知った熊谷秀樹村長は、井原清人生活環境課長に命じて、熊谷泰人旧宅から私の家につながる村道内を横断する本管に止水弁を取り付けた。その工事を行っているときに泰人が偶然通りかかったのだが、井原清人生活環境課長に何をしているのかと聞けば「水道料金を払わないので給水を停止するんです」と言ったそうだ。「おい、ちょっと待てよ。ここで本管を止められると俺の家(別宅)まで止まってしまう」、「どういうことですか?」、「章文さんのメーター前から接続しているんだよ」このやり取りがあったのが令和2年7月12日なのだが、たしかに、押印が無い給水停止執行命令書を発行された二日前のことである。ようするに、熊谷秀樹村長は話し合いをする気はなく、すでに給水停止に走っていたのだが、ゴミ抜き用の本管があることを話さなければ止水弁を取り付けることは無かったのである。
どうでしょうか、皆様の家の前の村道に、止水弁が取り付けられていますでしょうか? 村営水道であれば、給水を行う義務は村営水道に有ります。本管に止水弁を取り付ける行為は、阿智村水道事業条例に沿って行えることなのでしょうか? 水道代を払わぬとして給水を停止できるとの条項は有りますが、それは給水装置(量水器)の撤去に限られております。その給水装置の撤去を行う前に村道に止水弁を取り付けているのですからね、驚き以外何もありません。令和4年10月15日

 なんでも出来る村長
岡庭一雄と言い、熊谷秀樹村長の共産党村長は、ホント、何でもやっちゃうんですね。「言うことを聞かなければ殺す!」それが阿智村の行政なのです。何か大げさに聞こえますか? 水道を止めると言うことは、生命の危険を伴うのですよ。水道代を払わなければ水道を止めると脅し、そして実行されたのです。これを訴えて争うに、阿智村に正当性が有ると思われる村民が居れば、それは阿智村共産党でしかおりません。私は「水道代を支払いません」とは言ってなく、「操の横領裁判の判決がでるまで待ってください」とお願いしているだけです。操を横領で訴えたら水道が止められた。それだけのことです。
 泰人は村長に会った
令和3年11月9日に、既得権ある本管が切断されて、泰人の家の水道も止められてしまった。(そのやり取りの録音はユーチューブで公開中)そして泰人は熊谷秀樹村長と井原清人生活環境課長に会った。「園原水道は公団の補償工事でつくられた水道だ」「操の横領は園原住民はみんな知っている」と、その様に話せば、驚くことに、「ここまで来たら引き返せない」と、熊谷秀樹村長は言ったそうだ。そして話し合いは決裂したが、ここまで来たらの発言は、泰人が言うところの園原水道と操の横領は認めたということになる。ここが重要なのだ。泰人は阿智村住民ではないが園原に家が在る。そして園原水道の権利も有る。ここまでは私と全く同じ状況であるに、私と唯一違うところがあるとすれば、泰人は市会議員であることだ。私が話し合いを求めるに、熊谷秀樹村長はそれを二年間無視してきたが、泰人が話し合いを要求すれば、それは果たされた。それであれば、同じ行政法を遵守すべき公人の立場において話し合いは行われたことになる。園原水道が公団の補償工事でつくられたことも、操が水道料金返還金を横領していることも、公人の言葉として互いが確認したとなれば、それは公式となるのである。令和4年10月17日

 非公式
今年、泰人は井原清人生活環境課長とその件で話したと言う。井原清人生活環境課長は、泰人の前では素直になるらしい。まあ、義父の前と言うこともあるだろうが。泰人が、「水道を繋げてから裁判は裁判で争えばよいじゃないか」と言ったところ、「ダメな、村長が絶対繋ぐなと言っているんで」と答えたと言う。絶対に繋ぐなであれば、切断せよは熊谷秀樹村長の命令だとなるが、給水停止執行命令書で量水器を撤去はともかくも、他人の土地に侵入して水道管を切断すれば、これは違法行為で犯罪となる。井原清人生活環境課長も、職員の立場を強調するのは、泰人の土地に無断で侵入するは泰人との個人的な考えで行ったことで、そこが泰人も強く言えないところになっている。どちらにしても、市会議員としての対応ではないようだ。
 もう一つの問題
泰人の旧宅の量水器BOX内で本管を切断し、そこに黒パイプを接続して泰人の別宅に臨時に給水を行っているが、その臨時配管を通すに、熊谷寛の土地を通らなければならない。井原清人生活環境課長は寛に会い、その了解を得て配管したが、泰人までの給水本管が私の敷地内から接続されていることで、裁判が終われば、元に戻ることになる。その場合、園原水道の本管が私の敷地内まで配管されていると証明されることになるのだが、それであれば、園原水道は村営水道であっても阿智村が敷設した水道設備ではないとなる。それを避けるために熊谷秀樹村長は、黒パイプの臨時配管の位置に水道管を新たに敷設するとして議会で承認を受けたようだ。令和2年、操の家まで本管の入れ直し工事を行ったのと全く同じ手法であるが、そこまでして阿智村が敷設した水道だとしたいらしい。この話しは訴える直前に泰人から聞かされていたが、操の横領を隠蔽した付けがこの始末である。令和4年10月19日

 寛に手紙を出す
泰人が熊谷秀樹村長に会った時か、井原清人生活環境課長との話しで出たことなのかは知らぬが、新たな配管を行うとして準備が始まっていたのは確かである。それを阻止したいが手立てはなく、提訴が早く行われることを期待していたが、準備が整わなくあった。それはそれとして、重機の故障により泰人旧宅の前で道路をふさぐに、これではさすがに工事は出来ないとしていたが、それは思わぬ状況を生み出すことになった。
 農作業が出来ない
村道上に重機が置き放しになっているとして、交通課のおまわりから移動せよと来た。移動したいし修理もお願いしているが、修理屋の都合で延ばし延ばしされていると弁解すれば、おかしなことに、村道と言っても名ばかしであるのに交通の邪魔だと言う。この村道を利用する者は私しか居ないが、他に誰が使うのかといえば、寛しかいない。村長が寛を使ったのだろうが、寛も寛で私と話が出来ないようだ。それほどの後ろめたさが寛には有るが、そうは言っても村に言うほどでもないし、農作業が始まる時期でもなかった。だからして寛に手紙を書いたのだ。「重機は故障して動かせないが、泰人と相談して新たな給水管の配管工事をさせまいとしているので、協力していただきたい」と、そのまんまの事実を書き出した。そして、農作業のトラクターの侵入には、泰人の別宅前の通路を使用してくださいとしたが、寛はそこを利用せず、「重機を置かれて田んぼが出来ないので農協へ頼んである稚苗を断った」と、言いふらされている。
経過の話しであるが、いまだ泰人の家まで給水管を敷設するとしているようだ。だが、泰人の別宅前には寛の土地があることで、そこは村道内でないので泰人が給水装置(給水引込工事)を行わなければならないが、寛は貸すことも売ることも拒否していると言う。令和4年10月21日

 何も出来なくなった村長
仮に寛が承諾したとしても、泰人はその工事を行うことは無い。いままでは、個人的な関係で井原清人生活環境課長の立場も尊重していたようだが、操の横領の実態を知るにつけ、それこそこれ以上この問題に介入することは無いだろう。住民監査請求にかかるような案件に市会議員とすればけっしてかかわることは無い。その辺りが熊谷義文議員との資質の違いではないか。
 ジレンマ
ここまで来たら引き返せないと熊谷秀樹村長は泰人に言ったとのことだが、なんとまあ情けない男であるのか。引き返せないとはどういうことか? 引き返せないとは、「追い詰められている」ことで、「戻ろうと思っても戻ることもできない」と、精神的に追い詰められていることだ。誰のせいでもない。自ら追い込んだことではないか。
操の横領を告発された村長がその犯罪を隠蔽する!? この考えられない行為を行った者は誰なのか!? 偽造契約書をつくって刑事を騙したのは誰なのか!? 操の横領裁判に公文書を許可なく提供したのは誰なのか!? 行政代執行の手続きをとらず給水停止執行命令書を発行して給水停止をしたのは誰なのか!? 既得権ある給水管を破損し、給水停止執行命令書無しで給水停止を行ったのは誰なのか!? 他人の土地に無断で侵入し、他人の所有物を破損したのは誰なのか!? そこまでのことをしておいて、「ここまで来たら引き返せない」はないだろう。抜き差しならぬ状況は熊谷秀樹村長自らが起こしたことで、身動きが取れないジレンマが発したのであろうが、市会議員の前での発言は、すでに表に出ていることだ。村長を辞するだけでは収まらないと今のうちに進言するが、ここで開き直ったにしても、抜き差しならぬはすでに司法の場での結果でしかない。令和4年10月23日

 横領裁判は前段
重機の修理は田植え前に終わっているが、寛が田植えをできないとしても、それを重機に振るはお門違いである。寛が一言、「事実を話せ」と、繁に言えば済んだ話であるのは、操の横領がここまでの経過に及んでいたからだ。たしかに、操の横領を私と同じように詳しく知るは寛であって、その寛が部落会に出て、私に賛同すれば間違いで済ませれたことかもしれない。なぜそれが出来なかったのかは寛の性格によるが、吉彦と一緒になって『やり方が間違っている』と、私を非難するのはお門違いではないか。そういえば、吉彦の父親武彦さんは、操の横領を部落長として追及した過去がある。それを聞き及んでいても操の横領を隠蔽する吉彦の考えは理解できない。互いに知られては困る事情があるようだが、こいつらには良心の呵責など持ち合わせていないのだ。
 詐欺と横領の違い
操の横領は「水道料金返還金」を不法に横取りしたことだが、操はこれを横領でないとした。訴える前は「そんなに多くは無い」と、1千5百万円の金額を否定していたが横領は認めていた。それがどうだろうか、裁判で争うに、横領でないと言うのである。まあ、当然と言えばそれまでだが、問題は横領でないとする根拠に「受け取っていたのは管理費と補償金である」としたことにある。管理費が村営水道にあること自体が矛盾であるが、熊谷秀樹村長は「管理契約をしている」として、契約書が証拠とされた。この契約書が偽造であることは証明済であるが、偽造であろうがこの裁判では問題ではない。しかし、管理費以外の支払いに、「補償費を受け取っていた」と、操は主張するのである。「公団からの補償費だ」とのことも、熊谷秀樹村長は、それを認めて同じく契約書を偽造している。さて、管理費であれば村営水道の会計からの支払うで済むことだが、実際に、村営水道の会計から支払われていると確認した者は誰も居ない。令和4年10月25日

 補償費の出所
操が言うところの補償費は、日本道路公団が渇水した園原住民に支払われた金員である。ここは被告も原告も変わるところは無いが、操の反論はこの補償費を園原簡易水道組合の代表として受け取ってきたというのである。それをもとに組み立てているからして、補償費を支払う契約書が必要になったと言うことだが、その前に、操が受け取ってきた金員の内から、補償費を16万5千円としたことの説明が必要になったのである。「16万5千円の根拠は?」とされるに、「昭和62年から19万5千円で途中から16万5千になりました」との通帳を証拠とされたが、16万5千円の根拠にはならない。しかるに、阿智村が16万5千円だと決めたのだとすれば、操にその説明は不要となる。だからして、今久留主総務課長に作らせた支払い証明と田中義幸との契約書を基にして、新たな偽造契約書(黒柳村長)を証拠として反論されたのだが、その契約書には確かに16万5千円が補償費だと書き込まれているが、残念ながら、操が証拠とされた園原部落特別会計代表熊谷操の通帳には、黒柳村長地の補償費の金額は、19万5千円と19万円の二種類であった。(黒柳村長との契約書をご覧あれ 操の契約書1  )黒柳村長最後の年、平成5年に日付を合わせ、16万5千円としたごまかし努力は大したものだが、水道料金返還金は昭和60年から始められていることを忘れていないか?
さて、問題の補償費の出所であるが、契約書によれば「阿智村」とされている。これが阿智村村営水道事業会計からの支払いならまだしも、万が一阿智村の会計からの支出であれば大問題だ。架空の金を阿智村は支払い続けていることになる。まさかと思うが、ここを確認した議員が誰もいない事に不安を禁じ得ない。
阿智村の会計からでなければ阿智村村営水道事業会計からの支払いになるが、では阿智村村営水道の会計で、この補償費の扱いをどのように処理されているかが問題だ。どっちもこっちも問題だらけだが、行政の会計であれば、明らかな説明がつかなければならない。令和4年10月27日

 村営水道と補償費
操が主張する補償費の存在は、「道路公団から阿智村に補償費が支払われた」熊谷秀樹村長の説明は「園原簡易水道は全額阿智村が負担した」であるからして、補償費を阿智村が預かっていると言う話である。そんな馬鹿なことは無いが、裁判では通用してしまうのだ。
 行政が認める
どんなに小さくとも、そして共産党に乗っ取られても地方公共団体の行政であることは、すべてのことが事実となってしまう。行政が「補償費を預かっている」と言ったわけではないが、「補償費を返還している」とした契約書が証拠とされていれば、補償費を預かっていることになる。そして操が反論するに「園原水道は阿智村の水道になったので補償費を返してもらってきた」であるからして、証拠と反論が一致するのである。
司法と行政が分立していることは、行政の執行に司法が介入できないことで、司法が行政に対して何かがあることは、憲法に違反する事件に限られるのだ。飯田市の裁判のように、行政に不法行為の疑いがあれば、やはり裁判は公開停止へと向く可能性があり、また、不法行為が明確となれば、いわゆる行政犯罪へと進むことになる。何が問題かと言えば、阿智村行政が「補償金を預かっている」としたことにある。
 言い逃れが出来ない
行政はすべてが書類であると言ってきたが、偽造であろうが無かろうが、阿智村行政は「補償金の返還」を行ってきたと行政書類で証明した。この事実だけはどこまで行っても変えることは出来ない。操の横領裁判で証拠とされたことは、操がこの裁判で負けた場合、「補償金の返還」は事実となって、不法行為が証明される。この不法行為を私が黙って見逃すと思われますか? 私は阿智村行政に起きた多くの不法行為と今まで戦ってきたのです。操の横領などその多くの不法行為の一つであって、その始まりに過ぎないのです。令和4年10月29日

 主張を変えた被告弁護士
補償費とは何であるのか、私はこの裁判を始めるまでわからなくあった。確かに吉川優議員が今久留主総務課長に支払い証明を求めるに、その証明内訳に「管理費」と「補償費」があった。そしてその支払い証明にある補償費の金額16万5千円と同じ金額が「園原部落特別会計」に、平成18年から毎年入金されていた。しかし、その通帳にも補償費の文字は何もない。16万5千円は、「スイドウダイ」「水道代」「アチムラカイケイカンリシャ」などと記されているがこれらが補償費だと証明できることではない。被告弁護士は、この通帳が補償費の受け取り通帳であると反論主張されたが、それらの入金に「現金」と記されていることで、補償費が村から支払われるに現金の取り扱いは無いのではと反論すれば、「それは私にはわからない」と、もやは言い訳の言葉しか出て来なくあった。
 補償費は誰の金
補償費とは補償金の事であるが、補償金の取り扱いは国税庁で区分される税法上の用語である。税金のかかる補償金と税金が掛からない補償金が有ることでの区分であることは、補償金の支払いを受ければ税務申告の必要があることになる。当たり前のことだが、では、今回の場合、補償金は誰から誰に支払われた補償金であるのかと言えば、日本道路公団から園原住民に支払われた補償金である。この時点で、阿智村の関与は全くない。しかし、園原住民はその補償費で園原水道を新設するとした。そして阿智村に園原水道の新設を願い出た。阿智村はそれを受け、園原簡易水道として県に申請したのである。もはやこれ以上の事実はないし、横領した操もその事実を認めている。操は「補償費を返してほしい」と阿智村に議員の立場で申し込んだのだと言う。令和4年10月31日

 横領共犯熊谷秀樹村長
操の反論主張を整理すれば、「阿智村から補償費を返してもらっている」であるし、熊谷秀樹村長も「補償費を返還しています」とした契約書を操に提供している。吉川優議員の質問に、「不適切な補助金返還であるから取りやめた」と答弁しているが、契約書まで存在する補償費を不適切とする根拠はどこにあるのだろう? まあ、共産党議会への答弁を掘り返してみても無駄であるが、不適切で取りやめた補助金返還がまだ続いていたとしたら熊谷秀樹村長もさることながら、議会はどう答えるのであろうか? それが事実となれば、熊谷秀樹村長は議会に嘘をついたことになる。
 従犯罪
平成28年3月、私は熊谷操の横領を熊谷秀樹村長に告発した。熊谷秀樹村長はそれを隠蔽し、平成27年度分の返還金は園原部落へ振り込んだとする支払い証明書を吉川優議員や刑事に見せて、「今まで支払先に間違いが有りましたので園原部落に振り込みました」と釈明した。「補助金とは何か?」との吉川優議員の質問に答え、熊谷秀樹村長は「園原住民の渇水被害による公団から支払われた特殊な補助金だ」と説明した。そして「不適切な補助金返還であるから取りやめた」(議事録による)と付け加えている。たしかに、支払い証明においても平成28年度分から「補助金16万5千円」の金額は消えており、かわりに、熊谷孝志に「管理費」として36万円が毎年支払われている。さて、これを議会は認めているのだが、驚いたことに、16万5千円は平成28年度分以降も「園原部落特別会計(スイドウ)」の口座に、熊谷操が現金を入金している。その上、今回の裁判において操は、「16万5千円は昭和60年から続いている補助金だ」と、主張している。令和4年11月2日

 熊谷秀樹村長の嘘
村長になれば嘘をつけるのか!?嘘つきが村長になったのか!?さて、あなたなら熊谷秀樹をどう考えますか? 熊谷秀樹の最大の嘘は、「村長になれば岡庭一雄の不正が分かると思った」ではないでしょうか。その様な嘘で私に近づき、そして岡庭一雄の不正を隠蔽した。これほどの嘘をためらいもなく口にできる男が村長で権力を握れば、いったい阿智村はどうなってしまうのでしょうか。まったくに、その権力が私個人に降りかかっており、この村八分においても、熊谷秀樹村長が裏で糸を引いていました。
操の家まで園原水道の配管を敷設替えすれば、それは阿智村の事業で行ったとのことで、村営水道だと主張せんがため、それは来るべき操の横領露呈に備えての伏線である。そこで追求すれば、今度は通帳を返せと孝志が迫る。あまりに準備周到なのは、その通帳が有れば阿智村からの出金が分かってしまうことで、操より熊谷秀樹村長が困るのがその通帳であることだ。だからして、部落から追い出そうは熊谷秀樹村長と利害が成立することで、ついては刑事を騙したとのことも証拠が無くなると言うわけだ。浅はかな奴らの考えそうなこと、だからしてこちらも準備していたが、やはり裁判は不可欠なもので、村八分の裁判において、操の横領証拠が手に入ったのである。
 存在した通帳
熊谷繁部落長に返した通帳の全ては、二つの裁判において存在が確認された。ついては、これら通帳がどのように存在してきたのかを明らかにする必要がある。村八分の被告らと言っても孝志がやっていることだが、「勝手に解約した」の言い訳で「水道返還金」「火渡り」「修景事業」の三つの通帳をその証拠とされた。この三つの通帳が何故つくられたのか、そしてどのような理由で解約したのかの説明は私しかできない。令和4年11月4日

 除雪をしない
もう一つの嫌がらせ行為が発覚した。これも阿智村が関係することで、さっそくに建設農林課に電話を入れた。そして i 職員を呼び出し内容を告げた。「ゴミを投棄された例の田んぼのことだが、コメに異常が出ている。中部公衆医学研究所で検査したが、どうも塩カルの被害が考えられる」、「そうですか?義文さんの田んぼも道路わきにありますが、そんな話はありませんが」、「義文のところはガードレールがあるじゃないか。私の田んぼにはガードレールが無い。それに昨年のゴミの投棄から防犯カメラを設置しているが、孝志か菊美が運転する車が塩カルを撒いてるのが写っている」、「分かりました。うちにも検査表をいただけますか」、「ああ、当然そうするが、塩カルの被害は5年前から続いている。その時も中部公衆で検査をしているので併せて提出するよ。どちらにしても今年の冬から私の田んぼの前では塩カルをまかないでくれ」、「そうは言われても塩カルを撒かないのかとの苦情もあるんで」、「それとこれとは違う話だ。塩カルが田んぼに入る部分はほんの5,6メーターじゃないか」、「分かりましたが、どっちにしても少し待ってくれませんか、…、…」
 お門違い
分かりましたは良いが、少し待ってくれとの話で、まったくに見当違いの話がついでに出た。「…、除雪のことですが、章文さんのところはもう除雪しないと菊美さんが言っているんで、そのことも含めて一緒に話をしたいと思っています」!?…!?
一瞬、何を言っているのか理解に苦しんだ? 「なに!?菊美が除雪をしない? おい、何を言っているんだ? 菊美は村八分の裁判での被告であって、村が委託している除雪で妨害行為をやったんじゃないか、それが除雪をしないなどの話に…」、「はい、どっちにしても近いうちに連絡しますのでそれまで待ってください」令和4年11月6日

 操の力
除雪は、平成8年頃から菊美が請け負っている。そして塩カル撒きは孝志が請け負っている。5年の契約更新で公募が行われることだが、そんなことはお構いなしの議会のようだ。西地区住民はそんなことは知らないし、何か言えば操に叩かれる。そんな状況が25年も続くに、今もなお操の力は健在のようだ。
 職員の質
「首長の指示は絶対だ」ある町の職員であった同級生の言葉であるが、それが頷けるのは政治活動の範囲内であるは言うまでもないが、阿智村の場合は全く違うところにそれが有る。不正であろうが犯罪であろうが、村長の指示に惑うことなく従っている。中には、率先して不正や犯罪をほう助した職員もいる。なぜだろうか? 岡庭一雄の力がまだ存在している。まだというより、熊谷秀樹が岡庭一雄の後継者だからだ。「岡庭一雄の村政に疑問が有る」と熊谷秀樹村長は宣うが、それは熊谷秀樹の言葉ではなく、岡庭共産党に背く石原衛共産党の智里東地区住民の考えである。確かに不正も犯罪もあったが、それらの不正や犯罪を正そうとすれば、阿智村共産党の内部分裂につながることだ。行政利権の殆どを阿智村共産党員が手中にしていれば、熊谷秀樹は阿智村共産党を向こうに回せない。
建設農林課の Ⅰ 職員は共産党ではないが、「菊美さんが除雪しないと言っている」を疑うことなく私に言えるのは、行政の委託業務の制度を知らない現れであって、また菊美の言い分をまともに受け止めていることでもある。係長の立場での発言であれば、建設農林課の考えでもあることだが、「おい、菊美は村八分の裁判の被告だぜ? それも村八分の実行犯ではないか」と、そこまで言っても惑うことない対応に、やはり常識的な考えは阿智村職員にないようだ。令和4年11月8日

 裁判の被告
「田中義幸選挙管理委員は裁判の被告ではないか!?」井原康人選挙管理委員長は「まだ裁判は終わっていない」と答えた。同じようなことだ。そんなことはお構いないのが阿智村の行政と議会なのだ。行政法上、議会法上、選挙法上問題ないとしても、道義上と言うか、道義にかなわなくてなんの行政であるのか? 議会は行政の何を査問するのか? 監視が最大の役目であるに、その議会が行政の暴走を後押しするとは何たることか。裁判の被告が選挙管理員などと聞いたことが無い。何のために予備委員を選出しているのか。私が騒いだことで、田中義幸選挙管理委員を2年あまして後退させたが、もともとに、被告になった時点で予備委員に代えることである。井原康人選挙管理委員長は田中義幸が被告であるを知っていた。ならば、井原康人選挙管理委員長の責任を追及すべきは議会ではないのか。
 除雪委嘱
菊美は平成8年頃から村道の除雪を行ってきている。阿智村から除雪の委嘱を受けているのだが、この長い期間菊美一人が除雪委託を請け負ってきたことに問題が有る。菊美が除雪を請け負って数年後、私の家まで続く村道の除雪は一切行われなかった。父は怒り、村に電話をすれば、「除雪機が回転できない」との回答であった。そのことは菊美も村八分の裁判で明らかにしているが、父の怒りは端的な事ではなく、父が村会議員に立候補したその年から除雪が行われなくなったことに対しての怒りである。道路が狭いとか、回転できないなど一切なく(今回の裁判でも明らかにされた)菊美の感情で除雪しなかっただけだ。そして今回も、操を横領で訴えたことでの除雪の積み上げ、だからこそ村八分となっている。
軽々な Ⅰ 職員の発言に、もはやそこでの解決は無いと悟っているが、裁判が終わるとか負けるの話しでなく、菊美の感情にまともに受け応えする職員の考え方に呆れるばかしなのだ。令和4年11月10日

 裁判の要点
操の反論は、「管理費を受け取ってきた」「補償費の返還を受けてきた」であります。管理費は36万円だと、補償費は16万5千円だと言うのです。困ったことに、阿智村も「熊谷操の言う通りです」と、契約書(偽造)までつけて操に協力しているのです。この通りであれば、操の横領は無くなりますね。何しろ契約書は行政書類なんですからね。たしかに、契約書は双方の了解を示す書面であって、行政書類として存在しなければならないものだが、同時に被告操側にも同じ契約書が存在しているものである。操は自身が保管する契約書を証拠として提出しているのであれば、私はかなり不利になるのですが、どういう訳か操は阿智村から手に入れた契約書を証拠として、無実を証明しています。これが警察であれば「どこから手に入れたのか!?」で手錠がかかりますが、民事ではそういう訳にはいかず、「開示請求なしの書面は無効ではないですか?」の反論にとどまり、裁判官もそのことに大して目にとめていません。契約書が偽造であろうが、阿智村の行政書類であろうが、契約書が有れば、それはそれで通り過ぎてしまいます。ようは、補償金と管理費の支払いが操の主張する補償費であるのか、また、管理費は園原水道の管理に支払わてたものなのかの事実関係の証明の否定肯定の争いなのです。
 操の証拠
操の反論に持ち入れられる重要な証拠はすべて行政書類です。それも、開示請求を行わなくなく阿智村から手に入れています。中には、私が契約書や園原水道にかかる書面の開示請求に対して「不存在」とされた書類でさえ、さも自分が保管していたと言いたげに操は堂々と証拠としているのです。「これは阿智村の契約書の写しですね」「なぜ自身の契約書を証拠とされないのですか?」と原告弁護士が質問すれば、それには答えず、「熊谷秀樹村長から私自身が直接いただいた」と、被告弁護士はのたまい、熊谷秀樹村長のお墨付きが用意されたのです。令和4年11月12日

 おんぼろ弁護
契約者の甲と乙が互いにかわす契約書は、甲と乙の契約書の双方が揃わなくては何の証拠にもなりません。ですが、阿智村は行政であって、行政が契約書を偽造するはずが無いと言う固定観念が裁判官に有ります。それは、行政書類であれば、その存在は認めるとされますので、契約書が偽造だとか捏造だとかの次元は全くに取り上げられません。ただし、操の証拠としても取り上げられないので、契約書の存在が判決に影響することはありません。それとおなじく、開示請求の問題が有ります。横領裁判だけでなく、盗伐裁判でも村八分裁判でも、多くの行政書類が開示請求無しに裁判の証拠とされました。この件に、原告弁護士らは行政法に違反する行為として捉えておりますので、然るべき時期にそれなりの対処が行われるでしょう。
 解明されたもの
まずはこの契約書をご覧ください。 水道施設管理委託契約書  クリックしてご覧ください。
契約日は、昭和52年4月1日であります。黒柳村長と熊谷操の契約書ですが、この契約書を見るに係が「岡庭」となっている点に注目してください。阿智村長黒柳忠勝も熊谷操も自身で署名してなく、始まりから終わりまで同一人物の書体であることから、おそらく岡庭一雄が書いた物でしょう。この契約書を証拠として、「阿智村と管理委託していた」と主張されましたが、この契約書、まさかの真坂で、手に入ると思ってもみませんでした。令和4年11月14日

 訴えの趣旨に合致
「熊谷操が村会議員に成った時に、それまで園原水道を管理していた熊谷千美さんから管理を取り上げ、園原部落の印鑑を持ち出して勝手に管理契約を行った。」これが訴えの趣旨の始まりです。この趣旨について操は否定しておりません。しかし、この管理契約書の日付を見れば、昭和52年4月1日であります。操はまだ村会議員ではありませんので、つじつまが合わないことになりますね。ですから、この契約書は岡庭一雄が偽造して後日つくったものであります。(岡庭一雄の行政書類の偽造はこの頃から始まっていたのでしょうね)また、操は「平成5年に黒柳村長と契約した」とする契約書(これも後付け偽造)を証拠としており、それ以前の契約書は無いと回答していたが、二回目の答弁で、この管理契約書が提出されている。まさか手に入ると思わなかったのは、横領隠蔽の裏工作に用いた行政書類であるからだ。(黒柳村長の3期目に原武平収入役が誕生したが、この偽造契約書において操の横領を父に告げたのである。だいたいに、役場の用紙を用いて契約書を作成すること自体あり得ない話ではないか)
祖父清が「園原水道が必要だ」として、原孝平村長と道路公団に陳情したのが昭和45年で、園原水道が道路公団の補償工事で敷設されたのが昭和47年です。祖父清は昭和47年疾病で引退していますが、母方祖父渋谷勲が議長として引き継いでいました。渋谷勲が引退して操が議員となるのはその数年後ですので、議員に成った時に、岡庭一雄と企んで横領を始めたのです。
 もう一つの矛盾
熊谷秀樹村長は「村営水道だ」「阿智村が全額負担で敷設した水道だ」としていることです。ですから「契約書が有る」として、操にその契約書4通を提供し、また、平成5年以前の契約書が無いとの指摘に、この契約書の写しを証拠としたのですが、ここに大きな矛盾が二つも現れました。議会答弁で、「日本道路公団の補償工事として園原水道は敷設された」との議事録と、今回の「水道施設管理委託契約書」がその矛盾なのですが、嘘に嘘を重ねてきた付けが回ってきたのでしょうね。令和4年11月16日

 矛盾が犯罪を暴く
この二つの矛盾を解明すれば、操の横領も熊谷秀樹村長の共犯も立証できることになります。日本道路公団の補償工事として園原水道は敷設された」は、議会での答弁で、それも議会便りにおいて全村民に配布されておりますので、これを否定することは出来ません。 吉川議員の質問  クリックしてご覧ください。
日本道路公団が補償工事として敷設した水道がなぜ村の水道となるのでしょうか? 道路公団はどこに補償をしたのでしょうか? 真っ先に疑うのはこの部分ですが、村営水道であっても道路公団が敷設したのであれば、園原水道の権利は村には有りません。また、道路公団が補償費を払うのであれば、補償する相手に払うことでしょう。(ここは公団に確認済)阿智村が補償される相手であれば、阿智村は渇水した共同水道や湧水で生活してきた園原住民の水源の確保と、共同水道を阿智村が敷設したと証明しなければなりませんが、この答弁では全くに違います。(吉川優議員はこれらの疑問を追加質問する予定でしたが、井原清人生活環境課長に「ルール違反だ」と耳元でささやかれ委縮してしまい出来ませんでした。)(月川旅館の村民説明会で勝野公人議員が時雄に詰められ、返答できなかったのと同じ状況です。)
 「水道施設管理委託契約書」の矛盾
昭和52年4月1日の操の契約書ですが、この契約書を本物とするに、昭和52年の契約日が一つの焦点でしょう。園原水道が完成したのは昭和47年です。阿智村が園原水道を管理していたのであれば、昭和47年から管理契約が必要になってきます。それが6年も過ぎて突然に管理が始まったとなれば、阿智村にその理由が必要でしょう。園原部落では、昭和60年まで熊谷千美さんに管理をお願いしておりますので、村が管理を行っていたのであれば熊谷千美さんとの契約書でなければなりません。この様なつじつまの合わないことに村長は何も答えられない状況ですが、水道の裁判においては、この矛盾に明確に反論されることでしょう。令和4年11月18日

 熊谷千美の話し
熊谷千良さんは昭和47年から園原水道の維持管理を行っている。そしてその契約書が阿智村に存在している。昭和62年ごろ、操の横領を父は表に出しているが、その時の部落長渋谷武彦(吉彦の父)は、水道料返還金を操が受け取っていることを問題とし、「水道の管理は千美だが、どういうことか?」と千美さんに話を振った。そのときに、千美さんは「俺が操さに代わってもらった」と言い、その場を収めようとしている。これは確かに事実であって、千美さんに「俺が管理することになったので代わってほしい」と、操は押印させていることは父からも聞いていた。
 判明する交代劇
もう一度操の維持管理契約書を見てもらいたいが、委託期限「昭和52年4月1日から昭和53年3月31日」の一年間の契約期間であることに注目していただきたい。通常、委託契約に関する契約期間は5年であって、それらのことは他の契約書を見ても明らかであるし、職員を経験した者であれば十分承知していることである。だが、この契約書の契約期間はたったの一年間だ。それであれば、昭和53年4月1日から昭和58年3月31日までの契約書が存在していなければならない。
この答えは簡単である。阿智村長と千美さんの委託契約書の契約期間がまだ一年残っている状況で、操は千美さんに交代を申し出たと言うことだ。途中交代であるからして印鑑が必要であって、その了解を得たとしてこのような間尺に合わない契約書となったのだ。
これはこれで良いとすれば、重大な事実がここで判明する。それは、昭和53年までは熊谷千美さんが阿智村と管理契約をしていたと言う事実である。昭和47年に園原水道が敷設されているが、それから熊谷千美さんが委託管理をしていたとなれば、その管理費用は村から支払われていたのであって、何よりも昭和60年から委託管理が始まっていたわけではないことになる。ならば、水道料金の返還金と委託管理費は関係ない支払いになると言うことだ。令和4年11月20日

 もう一つの確認事項
昭和47年から委託管理が始まったとして、委託管理期間が5年間であるとして、それならば昭和52年に管理期間は終了となる。ならば、昭和52年の契約書は間尺に合うことで、何も千美さんの印鑑など必要が無いとなるが、操は昭和52年の契約書においてどのような反論をしたいのかがぼやけてくる。確かに操は千美さんから印鑑を借りたとか、千美さんから管理を代わったとかのことは一度も話していない。そのようなことを話せばこの契約書が間尺に合わなくなることと、千美さんが先に管理していたとのことが事実になってしまう。
「千美さんが園原水道の管理を行ってきた」と私は主張しているし、操もまたその主張を否定していない中で、昭和52年の契約書が操の証拠とされた。その意味は今後の展開にどのような意味を持つのであろうか。
 阿智村の説明
この合わない契約を明確に出来るのは阿智村しかない。ようするに、熊谷秀樹村長が事実を話せば、この疑問は簡単に解けるだろう。しかし、熊谷秀樹村長は操の共犯者であって、刑事を騙した張本人、だからこその偽造契約書の作成であるし、これらの行政書類が簡単に操に渡される。開示請求なしで行政書類が公の場に出回れば、当然に社会は乱れてしまう。行政にあるまじき行為は行政において質すことしかできないが、必然的にそこまでの結果を求めることを宣言する。
この様に、昭和52年の契約書は疑問だらけにあるが、実は簡単にその疑問は解ける。いや、すでに解けているが、問題は、昭和52年の契約書を用いて操は何を言いたかったのか? こちらの主張に対しての反論だと思われるが、何を否定したかったのか? そこが明らかにならなければ、疑問を解いたとてその先が見通せない。令和4年11月22日

 契約書の意味
「昭和52年には操と阿智村の委託管理契約書が存在していた」として、園原水道が敷設された昭和47年から操が管理を続けてきたと主張している。ならば、昭和47年の委託管理契約書が存在していなければならないが、そこに大きな間違いが有る。それは、園原簡易水道が完成したのは昭和47年10月17日のことであることから、その日から昭和48年3月31日までは仮り使用期間であると言うことだ。そこに管理者を充てられないのは行政年度が始まらない単純な理由だが、だからこその委託管理契約書であって、園原簡易水道の委託管理契約が昭和48年4月1日から始まったことを示している。回りくどいが、昭和48年4月1日の委託管理者は当時の部落長熊谷千美さんであって、その契約期間は昭和53年3月31日までの5年間であったのだ。阿智村には熊谷千美さんとの契約書が存在しているが、それを開示すれば、操の横領どころか熊谷秀樹村長の共犯も発覚してしまうことで、あくまで「昭和52年から委託管理していた」とする操の契約書を証拠としたのである。
 情報提供
ブログにこの様な事を書き出せば、当然にこちらの手の内を見せたことになるし、弁護士も困惑するだろうが、操の関係者や熊谷秀樹村長がこのブログを見て策を練ろうとするは今までも同じ経過をたどってきた。事実に勝るものは無いし、それらの事実に反論することは、やがて事実を認める結果となるのは、行政は書類が全てであることと、書類に間違いが有っても修正できないことに有る。「昭和48年4月1日から昭和53年3月31日までの委託契約書を提示せよ」と要求すれば、阿智村はそれに答えるしかないのだ。ただし、この裁判での被告は操であって、操にこの様な請求は出来ない事でもないが、操は応じる必要もない。令和4年11月24日

 補償金の嘘
「水道料の返還金を横領した」が訴えであることに、操は管理費と補償金を受け取っていたが反論である。しかし、ここまでで、管理費用は水道料金の返還に関係しないと判明した。さて、これで一角を崩したが、操はまだ気づいていないだろう。変わることのない事実はこれからの展開に大きく作用するは言うまでもないが、もう一つの事実、補償金の受け取りについては、はたしてその金額が大いなる意味を持つだろう。
 返還金が安すぎる
結論から書きだせば、水道料返還金の金額が不明である。今までの経過に、52万5千円を返還金額としてきたが、現在の園原住民が支払う水道料金の合計額は200万円程度であることに、ここに管理費(操が言うところの36万円)を差し引けば160万円が返還金となるはずだ。ここに、浄水場の再整備費が過去に有ったにしてもそれらの事業費には補助金が当てられていることで、一概に、経費とされることは無い。どんなに経費として引かれても、100万円を下回ることは無い。このような考えに基づけば、操は毎年100万円以上を受け取っていることになる。(平成16年頃の水道料金合計は160万円程度と判明している)
 補償金額
操は「阿智村が水道料を取るのであれば、共同水道の権利者は補用金の返還を受け取る権利がある」として、園原簡易水道の代表者として毎年16万5千円を受け取ってきたと主張しているが、これが全く嘘の反論だとするに、受け取る権利者が不明確なのと補償金額の未確認がある。操が言う共同水道の権利者19名だと言うに、園原部落にはほかに20名余りがいた。では、その20名の人たちには補償費が支払われなかったのかとでもいうのであろうか? そしてその20名の人たちは、昭和47年から水道料金を払ってきたとでもいうのであろうか。令和4年11月26日

 自白せよ自首せよ
平成29年4月に警察に告発したが、この時点で警察が捜査していたら、今頃操は、お勤めを済まして娑婆の空気を感じていたはずだ。捜査とは操に任意出頭を求めることだが、刑事はそれをしなくあった。操を引っ張らなくて何の捜査であるのかと刑事に詰めよれば、阿智村からの支払いを先に確認しなければならないと言った。そう言われれば確かにそうだ。「部落に金が入っていない」としての告訴であって、阿智村から支払われているのかどうかは分からない。先に出所を確認すれば、「支払先が間違っていました」と、阿智村は弁解した。
 自白せよ
刑事に告訴するに「園原水道の管理費を横領した」と私は言っている。それは刑事に水道料金の返還金であると説明しても、まったくに要領を得ないからだが、刑事は詳しく知りたいとして、担当課はどこかと聞いている。この時に、補償金のほの字も出さなかったのは、補償金の話を操は一度も口にしていなかったからだ。それがどうだろう。操を民事で訴えたら、「補償金の返還を阿智村から受けていただけだ」と反論されたのである。何でもありの開き直りだが、そう考えれば、「補償金の返還」でなければ争えないと判断したとなる。ならば、「補償金」が何であるのか、そして補償金が返還される金員であるのかを明らかにすれば、もはや争うところにないとなる。
さて、横領と管理費が関係するは操の言い訳であったと証明されるが、そうなれば、操が受け取ってきた金は補償費なのか水道料金の返還金でなのかと、いくらの金額が操に支払われてきたのかが今後の焦点となる。私の訴えは「水道料の返還金横領」であって、その金額は毎年52万5千円支払われてきたと主張している。操側の証拠として、阿智村は「管理費と補償費の支払い」を元にし、52万5千円だと行政書類で示しているが、阿智村が証明したことではない。令和4年11月27日

 補償費返還のウソ
行政が「補償費を返還する」などとの契約書などつくれるはずはないが、熊谷秀樹村長は何でもやってしまう。まあ、岡庭一雄の後始末なのだが、なぜ隠ぺいしたのかと言えば、行政としてできないことをやったからだ。さすがに補償費の返還契約書までは偽造しなかったが、逆に言えば、契約書が無ければ操に支払うことは出来ない。
 覆らない事実
「園原水道は公団の補償工事で布設された」この事実を否定する者は誰もいない。この事実に争いが無いことは、阿智村行政も議会も事実としており、公式に認めているからだ。(行政書類として残っている)この裁判での訴えは、「水道料金返還金を横領した」であるが、操はこの訴えを全面否定し、「管理費と補償費を受け取ってきただけだ」と反論した。しかし、管理費は水道料金返還金と関係なく支払われていることが判明したことで、(次回の裁判期日で明らかとされる)残る操の反論は、「補償費を受け取ってきた」だけになることで、ここに「補償費の返還の事実」が今後の争いとなる。
問題は、阿智村が「補償費を支払ってきた」と認めていることにある。行政が補償費を返還することはあり得ないが、裁判では通用するのは「行政書類」という事実である。偽造でも偽装でも行政書類であれば、裁判官はそれを証拠として受け入れることで、これを偽造だ偽装だと証明しても何ら解決には至らない。
ならばどうするか? それは簡単なことである。「補償費とは何だ?」を、最大の焦点とすればよい。操に「補償費とは何だよ!?」と説明を求めればよいのだ。何も私が補償費に言及することは無いし、その補償費が何であったのかも知らないことだ。補償費を受け取ってきたは操の主張であるからして、裁判官に補償費とは何であるのか、そしてなぜ操が受け取ってきたのかを説明すればよい。補償費が最大の焦点であることは、本人にしか説明は出来ないことだ。令和4年11月29日

 金額が根拠
「昭和62年から16万5千円を毎年受け取ってきた」と主張しているが、では、受け取るべき補償費の全額は一体いくらであったのか? そして、阿智村は平成28年度から補償費の返還を取りやめているが、補償費は全額操に支払い終えたのであろうか?
操が毎年受け取ってきた補償金は16万5千円であると言う。そして昭和62年から受け取ってきたと主張する。昭和60年から水道料金が取られるに、昭和60年からではおかしいではないか。それをさておいたにしても、昭和62年から平成27年までの28年分の補助金額は462万円であるに、その462万円の根拠はどこに有るのだろうか? 熊谷秀樹村長は言う、「不適な支払いなので平成28年度から止めた」のだと。何をもって不適としたのか? 昭和62年から支払うに、それが不適な支払いであれば、責任問題である。そんな議会答弁がなされても、追及する議員は誰も居ない。
 補償金は無意味
操から言わせれば、補償金額は462万円前後だと熊谷秀樹村長は認めたことになる。だが、462万円は補助金だと熊谷秀樹村長は口にしていない。ようするに、操が受け取ってきた金員が補助金だと証明するものが操側に無いことになる。では、阿智村にその証拠が有るのかと言えば、有るのであればとっくに操の手に渡っているだろう。そう、行政書類として証明できないことは、存在しないと言うことだ。これで補償金の支払いでないことは事実になった。だが、私にも補償金ではないと決めつける証拠はないのである。ならばどうしようか。操が言うところの補償金について争いを続けるか、それとも、補助金については反論もせずに、放っておく方が賢明なのか!?令和4年11月30日

 補償のための金銭
補償金とは補償のための金銭であって、補償は何らかの補償に対して支払われる対価である。その補償金を受けた者が、それ以上の補償を求めて請求するは出来ないことだ。また、補償を行う者以外に、補償金を求めることは出来ない。この様に説明すれば誰でも分かることであるのだが、どうも、阿智村の公務員はそれが理解できないようだ。
操の言い分と熊谷秀樹村長の公文書からすれば、「道路公団が園原部落住民に支払った補償金を熊谷操園原簡易水道代表者に返還して来た」であるが、この裏付けとして「補償金を園原水道の工事費に充てた」が操の言い分であるのに対し、熊谷秀樹村長は「園原水道の事業費は全額阿智村の費用で行われている」とされ、もはやこの時点で被告側に相違点が出ている。しかし、この相違点について操の横領裁判で追及することが出来ないのは、阿智村の費用で行われているとのことは操には関係なく、操の受け止め方が「補償金の返還」であれば、そしてその証拠として専用の通帳が有れば、全くに操の言い分は通ってしまうのだ。操はあくまで横領していないことを主張するに、何が何でも「補償金の返還」としなければならないのである。
 もう一つの論点
補償金であるのか無いのかはひとまず置いておき、ここで重要なことに、「水道料金の徴収」がある。私の訴えの一つに、「昭和60年から水道料金が徴収されるようになった」があり、それに伴い水道料金の返還が約束されたと主張している。これに対して操は反論できないでいたのは、水道料金が徴収されることで補償金は返しますとの約束を村と取り付けたと主張していたからだ。いわゆる、水道料金の徴収は昭和60年からとのことに原告も被告も争いはないのである。令和4年12月2日

 困るのは村
昭和47年に敷設された園原水道の水道料金の徴収が、なぜ昭和60年から始まったのか? そこにどのような事情があったのかと言えば、やはり、全村に水道設備が敷設されたことにある。全村に水道設備が整えば、当然水道料金も平等に徴収されるものであるのだが、園原水道からは料金の徴収がなされていなくあった。道路公団の補償工事で敷設された園原水道、料金は徴収できないことで、それはそれで問題は無かったのだが、ここに議会が異を唱えたのである。ここで詳しく書けないが、文句をつけたのは、佐々木幸仁の父である佐々木春夫議員であるようだ。まあ、大した注文ではないが、村としては平等性を建前に園原住民との話し合いが行われている。
 話し合いの内容
この時の話し合いに参加していたほとんどの者はすでに亡くなっており、現存しているのは三名しかいない。そこに操も出席していないのは、操は議員であったからだ。残りの三名が誰かと言えば、熊谷秀二と私ともう一人居た。熊谷秀二は盗伐裁判の被告である故、操の立場で黙して語らない。今のところその話し合いを知るのは私一人であることで、一人では証明できない状態にある。だが、残りの一人が証言すれば、もはや操の横領は確定する。この三番目の者が誰かと言うことを教えることは出来ないが、私はこのものを必要としていないのm確かである。何をおかしなことを言っているのかと思うなかれ、操の横領裁判には当然勝つが、勝ったとしても、阿智村の犯罪が証明できなければ何も意味をなさない。阿智村行政が行政としてやってはいけないことをやったとする、確かな証拠を求めてこの裁判を行っているのである。そこが分からぬ者が、操の横領だけに目を向けて私を批判する村民が多く居る。それは、熊谷秀樹村長が、操の横領を隠蔽したとする私の訴えを嘘だと信じている、あるいは、事実と知っても共産党の支配に影響が出るとして、私を敵視していることだ。令和4年12月3日

 補償対象
阿智村は、園原水道が敷設された昭和47年から水道料を徴収してきたと主張している。これはこの裁判ではないが、水道料金を徴収していることで、園原水道は村の費用で敷設したとの理屈になっている。はたして、水道料金の支払いは有ったのか? それとも無かったのか、それが問題ではないか。
 水道料金の支払い
道路公団の補償工事で敷設された園原水道、これに水道料金を支払うと言うのであれば、いったいどこに水道料金を納めるのだ? 昭和47年まで共同水道を使用してきた上の組と東組の住民は水道料金を納めてきたのであろうか。湧水や井戸を使用してきた住民に、補償工事で水道が引かれたことに、水道料金を支払うことが出来るのだろうか。常識的に冷静に判断しても、水道料金など納めるはずがないし、請求する組織も団体も無い。なぜならば、園原水道は園原住民の財産であるからだ。それこそ、この日を境に、新たな共同水道が敷設されたのである。
 補償費の支払い
補償費が返還される? 何の補償費だ? 誰の補償費だ? 確かに補償費は存在したが、その補償費で園原水道は敷設されている。ここに補償費の返還があるならば、昭和47年から返還が始まっているはずだ。補償費の返還がいつから始まったのかと言えば、操の主張は昭和62年からとなるが、ならば、補償費の返還がなされる理由が阿智村に発生したとなることだ。誰が補償費の返還を決めたのだ? 昭和62年と黒柳村長であるが、ならば、補償費返還の書付が無ければ行政は支払いが出来ないとなるをどう説明するのか!?熊谷秀樹村長が「補償費の支払いだ」「契約書が有る」として操は行政書類を証拠とされたが、補償費の支払い理由が何も記されていないことは、補償費返還の書付が無いとなる。令和4年12月5日

 無いものは無い
昭和62年から補償費の支払いが始まったとなれば、昭和61年から水道料金の徴収が始まったことになるが、それは昭和60年まで水道料金の支払いが無かったとの証明となった。さて、この矛盾に操は答えなければならないが、操が言うところの補償費の返還はどのような理由で返還されることになったのか? ここが皆目わからない。なぜですか? と聞けば、「補償費を返してくれと言ったからだ」と答えた。誰が返してくれと言ったのですか? と聞けば、「共同水道の19戸の住民だ」と言う。19戸の内訳はと聞けば、「上の組と中組と下平の一部の住民だ」と言う。ほう、上の組と東組の共同水道ではなかったのですか? と聞けば、それには何も答えていない。操が言うところの19戸に私は入っていない。私は東組の住民であるに、東組の7戸は全員共同水道の権利者であって、上の組の一部の者が共同水道を利用していた。そんな事実は簡単に証明できるが、操はそれを否定するだけで、何一つ証明できないでいる。
 19戸ではない
19戸の住民が共同水道を利用してきたと操は言うが、19戸の住民は東組と上の組と、それに中組の一人と集会所を合わせた合計数であるだけだ。それがなぜ19戸と限定できるのかと聞けば、単純に数合わせしたようだ。操も老いたものであるが、孝志が輪をかけておバカであると言うことだ。何でもありだから嘘の証拠も平気でつくる。この辺りは熊谷秀樹村長と全く同じ、兎にも角にもつじつま合わせの後付け証拠である。19戸が共同水道の利用者だと限定されたが、実際のところは東組7戸と集会所、上の組9戸の内2戸は共同水道ではなく、中組の一人を加えれば、集会所と合わせて、16戸が共同水道を利用していたのである。孝志、おバカもいい加減にしたらどうだ!?足し算が出来なければ小学生以下であることは、さも泥棒も平気で出来るわけだと感心する。令和4年12月6日

 補償費の支払いが無い
共同水道の利用者が19戸であったとの操の反論は、最初からして嘘の繕いであると証明されるが、その嘘の19戸で、嘘の住戸を記した証拠図面の後始末は高くつくと認識せよ。最初の反論に嘘が有れば、もはや裁判官は信用しないだろう。19戸でなかったと、間違っていましたと、少なからずの言い訳は必要であるが、間違っていたとなれば、操が言うところの「園原簡水組合代表者熊谷操」も間違っていたことになる。園原簡水組合も無ければ代表者もなくなるのだが、もともとに、共同水道がなぜ簡易水道になるのかを説明しなければならぬことだ。16戸の住民が、湧水から引水しただけのことで、だからして共同水道と言うのであるが、操の言うところの簡易水道は、水道法に基づく水道設備であることを示す。いわゆる、操が言うには、共同水道を阿智村が管理してきたとが前提になっているのだ。共同水道をつくった当時(昭和34年頃)から、阿智村簡易水道として管理されていたと操は主張していることになる。
 熊谷秀樹村長の誤算
阿智村が16戸の共同水道を阿智村の水道設備として昭和34年頃から管理を行って来たと言うのであれば、園原簡易水道組合も成立するが、ここに、園原共同水道組合であれば何も問題はない。簡易水道との名称を用いたことは、阿智村の管理下にあるを示し、少なくとも、県に許可を受けた水道設備と言ことになる。馬鹿を言うではない。昭和35年に智里村から阿智村になるに、それでつじつまが合うのであれば、熊谷秀樹村長も操と同じ、小学生以下の知能となる。兎にも角にも、熊谷秀樹村長が刑事を騙すに、「園原簡易水道組合代表熊谷操」との偽造契約書を作成したことが、最大の誤算でありとんでもない犯罪なのだ。令和4年12月8日

 不明な金額
共同水道利用者が16戸であることは、操の嘘を暴くに併せ、熊谷秀樹村長の共謀犯罪までを立証することになるだろうが、ここにまだ明確になっていないことが有る。それは、補償金は幾らであったのか、そして、操に支払われていた金員はどれほどであったのかと言うことだ。
 明らかにされている金員
まず、刑事を騙すに偽造契約書を作成しているが、実は、その刑事を騙した契約書が存在していないことにある。まあ、刑事を騙したことさえ否定する熊谷秀樹村長であるからして、当然と言えばそれまでのこと、ここで騒いでみてもどうしようもない。では、熊谷操と岡庭一雄村長との契約書にあるに、そこは管理費であっても補償金であっても、52万5千円がその金額になっている。いわゆる、操は昭和62年から52万5千円もらってきたと主張し、熊谷秀樹村長も52万5千円支払ってきたとの書面でそれを裏付けているのだが、操は52万5千円のうち、「16万5千円を補償費として受け取ってきた」と、余り金額が証明できない個人通帳を証拠として反論している。しかし、残りの36万円のが振り込まれていると思われる通帳は証拠として提示されていない。その通帳を開示せよと迫れば、その必要はないと拒んでいるのが今の現状である。では、熊谷秀樹村長が52万5千円を支払ってきたとする書面であるが、それは行政書類でも何でもなく、吉川優議員の一般質問の資料として今久留主総務が求めに応じて渡したしょめんであるだけで、そこに何も事実関係が証明されていない。しかし、儀医への提供資料としていれば、まして吉川優議員の質問に答え、52万5千円の支払いを認めている関係で、その金額に間違いないとされている。今久留主総務課長が用意した書面には、昭和60年から支払いが始まっているが、操が証拠とした通帳には昭和62年からの入金記録しかないことで、当初は今久留主総務課長の書面を事実としていたが、ここに来て、昭和62年からの受取であったと修正をされた。令和4年12月9日

 通用する範囲
どこまで嘘が通用するかの状況であるが、裏付けのない反論は己の足元をすくうようだ。操の反論で確認できたのは、「16万5千円が村から振り込まれていた」とのことだけである。補償費だと騒いでいるが、補償費だと証明できる証拠は何も存在していない。唯一、補償費だと記してある書面は、熊谷秀樹村長が今久留主総務課長につくらさせた、52万5千円を管理費36万円と補償費16万5千円に振り分けた書面だけである。だが、この書面は私の証拠であることで、操の主張を裏付けるものではない。基本的なことは、「操が横領した」との事実において、横領された金員を返還せよとの争いである。
平成16年に30万円が返済されたが、平成17年分の30万円は和美に横領されていたことが操の証拠で判明した。平成18年から平成27年まで毎年16万5千円が返済されていたが、平成28年分から返済されていない。しかし、これらの金額は操が決めて返済されていた金額であって、実際にいくらの金額が返還金であったのかの証明はどちらも出来ていない。このカギを握るのが阿智村営水道であるが、熊谷秀樹村長が操の横領を隠蔽したことで、阿智村はそれら返還金の返済額を明らかとしていない。開示請求を行ったにしても、熊谷秀樹村長は当然に拒否するのではないか。なぜならば、熊谷秀樹村長は、操への支払いは「管理費36万円」「補償費16万5千円」と決めつけているからだ。
「管理費は操個人の受け取る金額だ」とし、「補償費は園原簡易水道組合の代表として受け取ってきた」との反論を覆すには、「管理費はいくらであるのか
?」「補償費とは何であるのか?」を、まずはっきりさせることに有った。そしてそれがハッキリするに、管理委託契約書(操の証拠)の解明が、大きな意味を持つことになった。令和4年12月11日

 委託管理契約書の謎
まずは、もう一度、昭和52年の委託管理契約書をご覧ください。 水道施設管理委託契約書  岡庭一雄が間に合わせに作成したものと思われるが、この契約書の契約期間と、委託契約金額にご注目ください。どうでしょうか? 何か不自然な契約書に感じませんか? 通常、行政の委託管理期間は5年間であって、また、委託者は一般公募されることであります。しかし、阿智村は慣例に倣っているようで、委託管理者はその簡易水道を利用する集落から推薦で選出される方法を取っております。ですから、園原簡易水道もその例にもれず、当時の部落長であった熊谷千美さんが委託管理を行っていたのです。「とにかく管理が大変だったので、操君が代わりにやると言い出したので代わってもらった」この発言は、操の横領が発覚したときの部落会での熊谷千美さんの発言です。操の横領を知らないことで、渋谷武彦部落長が水道料金の返還金を受け取っているではないかとの話しを部落会に出したとき、操の子分熊谷唯義が操を呼びつけたことで、操が『俺は管理費を受け取っているだけだ』との弁解に、熊谷千美さんがその場を収めようとして発言したのです。この話をもとにすれば、この契約書の存在がそれらの事実を証明してくれます。
 契約金額の謎
昭和47年10月16日に完成した園原簡易水道は、昭和48年度が始まるまで委託管理者は居なくあり、新年度の始まりに併せ、熊谷千美さんが5年間の契約を行った。村会議員に成った操は熊谷千美さんから管理を取り上げることを岡庭一雄と図り、それを実行に移すには熊谷千美さんの都合を条件としなければ変わることが出来ない。だからして熊谷千美さんから印鑑を借り出してこの様な契約を結ぶに、昭和48年からの5年間であれば昭和52年3月31日まであることで、残りの一年間だけの短期契約を行ったのである。この契約書は操が証拠としたものであるが、まったくに、私の当初からの主張が事実だと証明することになったのだ。
さて、次に気になる契約金額の事であるが、「1カ月金15,000円也」とあるは、年18万円となることだ。だがどうだ、操は昭和62年から「36万円が管理費だ」と言っている。36万円は18万円の倍の価格だが、数年間で阿智村は水道管理費を倍に上げているのだろうか? 令和4年12月13日

 補償費との整合
ここでもう一つ、操が証拠としたある通帳を見せようではないか。操の通帳   まずはクリックしてご覧ください。
この通帳の写しは以前にも公開していますが、今回特に注目していただきたいのは「195,000」の金額と、その金額が振り込まれた日にちであります。操の契約書を見れば、たしかに18万円が年額とされています。しかし、ここにある金額は18万円より1万5千円高い195,000円とされています。そして、振込年度と日にちで有りますが、昭和62年から始まり、平成4年では何故か二度も入金されています。このどちらにも相当な違和感がありますが、「金額が何故違うのだ?」「なぜ同じ年度に二度も入金したのか?」単純ではありますが、どなたも疑問に思うところであります。当然に、「この通帳は補償費の通帳ですか?」として疑問を呈し、何故16万5千円が19万5千円であったのですか? と聞けば、それには何も答えてくれませんでした。熊谷秀樹村長からの、吉川議員と刑事への説明では、「昭和60年から支払っています」とされていたのに、この通帳では昭和62年から始まっていますので、2年分が入金されていないことになります。この件も質問しましたら、「間違っていました。昭和62年から補償費の返還がされたのです」と、ようもまた、白々しくも修正をしてきたのです。この修正は、熊谷秀樹村長が嘘を言っているとの裏返しになりますが、このあたりのトロさにおいて、操の弁護士と阿智村の弁護士が違うことが災いしたようです。まあ、どちらにしても嘘つきは、操と熊谷秀樹村長の背比べになっております。
笑っていないでまじめに行きますが、もうひとつおかしなことに、「この通帳は初めて見ました。部落で管理していません」として反論すれば、「昭和62年から部落の管理にあったとして、操が園原簡易水道の代表として管理してきた」と主張されています。あっそう、田中義幸が園原簡易水道組合の代表であった時も操が管理していたのでしょうか? それにもう一つ、平成16年度の会計は私であり、平成17年度の部落長も私であるが、この通帳の会計報告は一度もしていませんよ。それに、平成18年2月20日にて終了されていますが、まだ通帳に空欄が有ることで、なぜ通帳を換える必要があったのですか? それを行った平成18年度の熊谷和美部落長と熊谷孝志会計は、操に変わって説明すべきではありませんか? 令和4年12月15日

 操の裏口座
この通帳を証拠として、「補償費を受け取っていた」「補償費の金額は16万5千円である」と反論主張されましたが、それであれば、19万5千が16万5千円に変わった理由を説明されなければなりません。
 種明かし
元々に、操は園原簡易水道料返還金を横領したのです。その金額を仮に56万5千円としましょう。これを阿智村が支払うに、操は自分の口座を指定した。それが昭和60年のことであります。しかし、操は昭和51年に熊谷千美から園原水道の管理を取り上げていたことで、管理費18万円が毎年支払われている口座が存在した。当然として、阿智村から支払われる口座を別に分ける必要はない。だからして、管理費の受け取り口座にそのまま水道料返還金が振り込まれていたのだ。
操の横領を原武平収入役から聞かされた父は、それを渋谷武彦部落長に告げ、部落会で取り上げた年が昭和62年である。熊谷啓司(泰人の父)は「返還金は半分返す約束だ」と言い、熊谷唯義は「そうじゃなかった」と操をかばう、そして操が来て「俺は管理費しかもらっていない」とウソを言う。「水道の管理は千美さじゃないか」と啓司が言えば、「俺が管理を代わってもらった」と千美が言う。こんなおかしな話を目の当たりにした私は、いつか解決しなければと、祖父と父に詳しく話を聞いている。
操はこの日の部落会を境にして、管理費の金額を返還金としてこの別口座をつくったのであるが、実際に操に支払われていた管理費は18万円であるところ、なぜ19万5千円になったのかと言えば、返還金の返済は昭和60年から始まっていたからで、一年分の管理費18万円なる金額の支払いを分割しただけのことである。令和4年12月17日

 答えは出ている
犯罪の時系列は確定しており、操の横領は確実なものとして裁判が続けられている。それは、操側の証拠の一つ一つについて、なにも根拠が示されていないことにある。いわゆるその場しのぎの証拠であって、その最たるものが「委託管理契約書」なのである。被告弁護士は、横領していないとする証拠の数々が否定されるにつけ、「横領していない」を繰り返すばかしであるが、ここに来て決定的な一言が裁判から告げられた。
 阿智村が認めたこと
この裁判の焦点は「熊谷操が水道料金返還金を横領した」であり、横領の事実があるのか無いのかを互いに証明しなければならない。操は否定するに「水道料金の返還金は無い」であって、「補償金の返還を受けていた」である。いわゆる、水道料金の返還金であれば横領は確定することになり、補償金の返還だとなれば、補償金を横領したと言うことになるのだ。何のことはない。どちらに進もうと横領したことに違いはないのである。だからして、被告弁護士が開示請求無しで公文書をを取得して「管理費だ補償費だ」と反論しても、管理費は横領に関係ないとされ、補償費であれば、操が受け取ることが出来るのかを証明しなければならない。委託管理契約書にある「園原簡易水道組合」という団体が存在している既得権ある団体だとの証明が出来なければ、補償費の横領が確定するのである。
しかし、阿智村は「園原簡易水道は阿智村が敷設した村営水道である」として、園原簡易水道の管理を熊谷操と契約してきたと証明していることから、「園原簡易水道組合」なる団体が存在しなければならない。操もまた、「園原簡易水道組合は共同水道19名の組合である」を証明しなければならないが、その様な水道組合を認めれば、園原簡易水道は阿智村の水道ではないとなる。この様な矛盾に裁判官が気づかないわけはなく、ここに来て「園原簡易水道は道路公団の補償において敷設された」と、阿智村は認めざるを得ないのだ。令和4年12月20日

 阿智村が認めた訳
給水停止裁判のことは詳しく書けないが、裁判官はこれら二つの裁判が共通していることを前回の期日において被告弁護士に告げた。給水停止裁判と横領裁判、このどちらも原告は私であって裁判官も同じであるが、この裁判の弁護士はどちらも違うことでの発言である。裁判官が言うところは、「裁判がそれぞれなのに扱われる証拠は共通している」であり、それらが原告の証拠だけであれば裁判官は言及しない。だが、被告側の証拠ときたら、開示請求無しで行政書類が乱舞する状況であるからして、「行政書類を証拠とするならば給水裁判の証拠を扱いなさい」と釘を刺したものと受け止めた。
給水裁判において阿智村は「園原簡易水道は村の予算で施工した」が最大の反論であった。しかし、操の横領裁判で「補償費を受け取ってきた」「19戸の共同水道(操は園原簡易水道と言っている)の補償金を基にして阿智村が施工した」「阿智村は水道料金を取ることになり、補償金が返還されてきた」が、反論であったことで、「補償金で敷設したなら村の予算ではない」と、裁判官に矛盾が出た。そして、給水裁判においては、「道路公団の補償費で敷設された」との、議会答弁の証拠を阿智村は認めている。
 真実と事実
事実は一つしかないが、真実はいくつも存在する。裁判において最も重要なことは、事実より真実を証明することである。園原簡易水道の真実は何であろう?その事実を詳しく知るものは操と私しか居ない。その操が嘘を言うに、熊谷秀樹村長は操の嘘に併せ、多くの行政書類を操に渡している。それらの行政書類が操の証拠として反論が続けられてきたが、それらの行政書類が有ることは、そこに真実が隠されていることになる。偽造された行政書類であれば、なにも偽造を暴く必要はない。それのらの偽造行政書類を用いて何を行ったのかを確認すれば、おのずとそこに真実があらわれるのである。令和4年12月22日

 裁判共通事項
起点をどこに置くのかと言えば、昭和42年頃の園原部落内の吸水事情にある。水道設備が整っていない山の中に家を建てようとすれば、そこに水源は必要不可欠なことで、園原部落の住民はそれぞれにその水源を確保していた。しかし、水脈とは気まぐれなもので、わずかな環境変化で水源に影響が出ることで、思うような水源が確保できない住居が現れてきた。
それは昭和34年頃か、東組7軒は水量が減り、それら潤沢な水源が確保できる園原山までの水道管を敷設する計画が始まった。そしてその計画に、やはり水源が乏しくあった上の組の7軒が加わり、共同水道が敷設されたのである。
昭和42年頃か、中央道恵那山トンネル予備トンネル工事において、その共同水道の水源が枯渇した。それはトンネル工事が原因であると公団は認め、その共同水道の敷設替えを行うことになった。
ここまでが双方裁判の共通事項の一つであり、阿智村もこれを認めていたのだが、これから先の話を阿智村は認めなくあった。
 補償費が支払われた
横領裁判では補償費の存在を操は認めていたが、給水停止裁判では補償費のことを阿智村は認めていない。おかしな話に聞こえるのは、操は阿智村との委託管理契約書を証拠とされているが、昭和51年の委託管理契約書(操)においては補償費は一切出ていないのに対して、平成5年の委託管理契約書(操)には、管理費と補償費が契約事項となっている。そう、平成5年にいきなりに補償費の存在を阿智村は認めているのだ。これをそのまま受け止めれば、昭和48年(園原簡易水道の始まり)から平成5年まで補償費は存在しないことになる。しかし、操の個人通帳には「昭和62年からスイドウダイとした科目の入金」が記載されており、操はこれを補償金だと主張している。令和4年12月24日

 共通しない事項
操の横領裁判で阿智村の行政書類が出てきたにしても、またその書面において『補償費』との記載が有ったにしても、阿智村がその記載を認めたことにはならない。横領裁判において阿智村が関与するところは何もないからだが、それで困るのは操である。操は補償費が存在しているとして「補償費の返還を受けてきた」と主張し、横領していないと反論しているからだ。ここで補償費が存在していなければ、操が受け取ってきた金員が何であるのかを操が説明しなければならない。だが、それは水道料金の返還金であるとなれば横領となり、阿智村が水道料金の返還を行って来たとの証明にもなってしまう。これを避けるために、給水停止裁判において阿智村は「村の事業費で園原簡易水道は敷設された」として、道路公団の補償工事ではないと反論していたのだ。だがしかし、吉川優の一般質問「補償費とは何ですか?」に対し「補償費とは、公団の補償工事で敷設された際の特殊な金員で有ります」と返答していることが証拠となって、下平弁護士は「園原簡易水道は公団の補償工事で敷設されています」と、裁判官に告げたようであります。
 確定した事実
「園原簡易水道は道路公団の補償工事で敷設された」これを阿智村が認めたことは、阿智村の資金で敷設していないことであり、園原簡易水道の権利は、園原部落住民の権利であることが証明されたのである。もはやこの時点において給水停止裁判の先行きは見えてきましたが、この横領裁判において影響することは、「返還金の種類」であります。いわゆる、操は阿智村から受け取ってきた金員の種類は何であったのか? 補償費なのか返還金なのか? とのことであって、返還金であれば「返還金とは何だ?」であり、「補償金とは何だ?」なのであります。私の主張は「昭和60年から徴収された水道料金の返還だ」でありますので、操は「返還金でなく補償費だ」の主張を、操が証明しなければなりません。令和4年12月26日

 出せない証拠
「昭和60年前後の園原部落普通預金口座の通帳を開示せよ」と、幾度も被告弁護士に伝えてきましたが、被告弁護士は頑なに、「その必要はない」と拒否し続けています。それはそうでしょう。その通帳が開示されれば、園原部落に水道料金の返還金が振り込まれていたことが分かってしまいますからね。
実は、以前裁判所の調査嘱託で、みなみ信州農協へ園原部落普通預金口座の開示を求めており、ある程度の開示はされておりますが、昭和59年頃の口座記録はコンピューター管理される以前のもので、みなみ信州農協が開示に相当なる時間が必要とされ、そのままになっておりました。ここで改めてみなみ信州農協に調査嘱託か弁護士法23条で開示請求をお願いすることもできますが、それよりか被告側が何故提出できないのかを追求するのが効果的であると考え、今日に至っております。まあ、その必要が無いとの返答でありますが、裁判官がその必要性を認めれば、被告弁護士も従わなければなりません。
 操の個人通帳
もう一つの手段として、村八分の裁判において、被告らの反論に、「部落の通帳を勝手に解約した」との理由において、私を村八分にした原因であるとの主張がなされています。それに対しての反論は、「私が部落長の時に存在していない通帳である」「監査を受けていない通帳である」を理由としましたが、実際にはそれら通帳のうちに、横領の証拠となる通帳が作成されていたことで、その通帳は、操の個人通帳を園原部落の通帳に移行した通帳でした。しかしその通帳に、水道返還金にしても補償費にしても阿智村からの振り込みがないことで、元の口座、いわゆる阿智村が振り込んだ通帳があるものと裁判官が判断されました。その上で、「補償金が振り込まれた部分だけの開示は出来ませんか?」と、被告弁護士に質問をしています。さて、大変な状況に操は追い込まれましたが、この質問は、これからの展開に大いに関係することでしょう。令和4年12月28日

 園原部落
村八分の裁判において、被告らは園原部落の通帳を証拠としていますが、それらの通帳が持ち入れられるに、園原部落の了解を得られているのでしょうか? 了解が得られているのであれば、昭和59年頃の預金通帳も園原部落にお願いすれば、当然として開示されるのではないですか?
孝志と菊美は、その通帳を返せと私に迫ったのです。熊谷繁部落長の言われるままに通帳を返せば、今度は部落から出ていけとの文書が届く、あきれ果てた幼稚さであるが、泥棒家族が多いことに呆れてしまう。操の横領を誰もが分かっているのに、それを質そうとする者は誰もいなく、孝志や菊美が音を出せば、黙ってそれに従う。追い出しただけでは気が済まないようで、今度は熊谷秀樹村長と一緒になって村八分を始める。こんな村が異常なのか、こんな村民が多いのか、人権侵害に村長が関与していたなど、笑い話にもならない。
 不要な通帳
昭和60年頃の園原部落普通預金口座の通帳を取り上げたのは良いが、その通帳は何も操の手元にあるわけではない。当然に、園原部落長の管理下にある。いわゆる、部落金庫の保管されていなければならない。その金庫の中には、その通帳だけでなく、操が言うところの保証金返還通帳もあれば、火渡り通帳や修景事業の通帳もあることだ。だが、操は簡単にそれら保管されているべき通帳のいくつかを証拠として提出している。ここに部落長の許可があったのか? おそらくのこと、そのようなことさえ気づかずにいるか、それとも金庫の中でなく、操の手元にある方が説明つくことだ。それでなければ、被告弁護士がほいそれと扱えるわけもなく、開示できる出来ないなどの判断もない。たとえ目が見えなくとも、弁護士の倫理義務は承知しているはずではないか。金庫の中にあるならば、それは私でも部落長に請求できることで、それが金庫の中に無ければ、それもまた部落長の責任となる。それらの分別が部落長に出来るのかといえば、それはまさに疑わしい。令和4年12月30日

 除雪しない菊美
12月12日、建設農林課の市村職員から唐突な電話が入った。「菊美さんが章文さんの裏の村道の除雪が出来ないと言っていますので、そのことでお話が有るんですが、都合はどうですか?」何を言っているのか耳を疑ったが、懲りない職員の態度に呆れるしかなかった。「除雪しない?では、今まで除雪していたのか?」、「その話は会って詳しく話しますので…」、話の途中で割り込むのは私の悪い癖なのだろうか、「ついでに言っておくが、塩カルの散布を孝志がやっているが、和美の下の田に塩カルがまかれて米に影響が出ている」そして少しのやり取りにおいて、来週ならばいつでも良いとしたが、その来週の内に連絡は来なくあった。もうその話を忘れていたが、12月23日、突然に電話が入る。「今日の都合はどうでしょうか?」昨日の今日であればまだしも、十日以上もたつのに、今日の今日とは恐れ入ったが、それは12月の定例議会が終わったことだと承知した。「今日か、なら午後三時前にしてくれんか」と話せば、「分かりました。では二時半ころ伺いますが、自宅に行けばよいですか?」、「会社だよ」、「会社ですか?」、「市村君は会社に来たことが無かったよな、分かるか?」、「ええ、では会社の方に二時半ころに伺います」
 分かるはず
驚いた。そう、とにかく驚いた。市村職員がごめんくださいと応接にそのまま案内すれば、そして応接のドアを開ければ、そこには熊谷義文議員が同行していた。声にならない声を出したかもしれないが、それより早く「おれが今年の部落長なんで」と言う。「部落長?」そう聞き返したのは、今年の部落長は藤山と聞いていたからだ。たしかに、昨年の春頃、藤山副部落長と熊谷知文書記が「部落の土地が章文さの名義になっている」と文句を言ってきたとのことで、今年度の部落長は藤山であったはず、それが義文が部落長とは、やはり、藤山が部落長になることを拒んだのであろう。なぜ拒んだのか、それは聞くまでも無いことだ。義文は議員になる前に会社に私を訪ね、その協力を受けているし、議員になれば、伏見氏の陳情書(ブログのこと)に対応し、問い合わせに来ているからして、案内に併せて同行してきたのかと思えば、やはりそうではなく、菊美の除雪拒否について部落長として確認に来たのであった。まあ、それは大義名分であることに、義文は私に伝えたいことがあったようだ。令和5年1月1日

 職員の判断能力
議員が部落長? それは園原部落か時雄が生きているときの農間部落だけの特殊な事例であることだ。議員が部落長になるなどあり得ないが、それだけの状況に園原部落は有ると言うことだ。何が一番の原因かと言えば、横領裁判の行き先が部落住民に見えてきたことにある。まあ、操の横領はみなさんは十分承知していることではあるが、裁判において結論が出れば操家族への対応が変わるかといえば、さして変わることは無い。ただし、園原部落が今まで通り操家族を受け入れるのかと言えば、それも出来はしないだろう。黙して語らぬ者たちは、何に対しても黙して語らぬものである。噂話に花が咲きすぎて、いまでは落ち葉になっている。
 感度が?
「塩カルの件ですが、あそこは日当たりが良いので撒かないようにします」それでどうでしょうかとの言い回しであるが、まあ事はそこにない。誰に向かって話しているのかと言えば、義文部落長に確認しているのである。「それでよいんじゃないか」私の代わりに義文部落長が答えるが、まあ、そこから始まる話において、菊美の除雪に難しさがあると感じていた。私には話しておきたいことがある。それは5年前からつづく米の異常であるに、その話をするために塩カルをまくなと市村職員に伝えていたのである。「電話でも話したが、中部公衆研究所にて米と土の検査をしてもらったのだが、家の前の田と和美の下の田んぼとの検査結果に違いが出ている」米の糖分がわずかだけど少ないのと、土からは塩分濃度が高く出ている。「そう聞きましたが、村道側の塩分が多いんですか?」、「そうは言っていないし、採取した土は田の真ん中だよ」特別高い訳ではないが、塩カルは除草剤にもなるので田に入れば土が変質してしまう。「除草剤は井水にも入るじゃないですか?それはどうなんですか?」、「井水は常に水が流れている。春先になればすっかり洗い流されているよ」でも、田んぼに入るのは直接だし、どうしても蓄積してしまうんだ。令和5年1月3日

 米が黒い
「分かりました。では、ガードレールが無い田んぼの脇は塩カルを撒かないようにしますので」、「ついでに話しておきたいが、実は5年前にも中部公衆で検査を受けているんだよ」そして米が黒いのと、コシヒカリなのに糖分がまるで無かったことから農協でコシヒカリと他の苗と間違えたのではないかと農協に文句を言ったとの話を始めてみた。
当時の農協の農事部課長は女の人であったが、農協で苗を間違えるわけはないとして「私が食べてみたいので米を分けていただけませんか」と言う。それは構わないとして食べていただいたが、そのあとがいけない。何の音沙汰も無いのである。これでは苗を間違えたのがあったのかもであるが、苗を間違えたとしてもあきたこまちであるからして、糖分が無いなどあり得ないし、米の黒いのも説明がつかない。米が黒いのは、何か他の成分が混じったとのこともあるが、黒いのと糖分が無いのとは結びがつかない。しかし、米が黒いのと糖分が無くなったのとが同じ年であるならば、やはり何かが混入したことになるが、それ以上は確証が無いとして今日まで来ていると話せば、「あの田圃は良い稲だといつも見ていたけど、そんなことがあったのか」と義文部落長は言う。「はざ干しで雨が降ると藁が黒くなるのは今も続いているが、糖分は戻ってきたので支障はない。ただし親戚にあげられないし、供出も出来ないよ」まあ、それは余談で良いが、塩カル巻きを止めるのはほんの5,6メートル、それでお願いできれば十分だよ。
 除雪は委託契約ではない
「それじゃ塩カルはそれでよいとして、章文さんの裏の村道の雪かきの件ですが、吉彦さん迄は三軒が使うので除雪しますが、章文さんの家までは除雪しないけどよろしいですか」耳を疑ったが、あっさりと話す割にはとんでもないことを言う。吉彦の家まで除雪して私の家まで除雪しないとのを話すのが目的で、塩カル撒きは私の要望を受け入れたとの言い方ではないか。何か感度が違うと思ったが、ここで気の短い私も市村職員に切れることは無かったのは、感度の違いに気づかない職員教育に問題があると感じたからだ。市村職員の裁量でここまでの話が出来ることではないし、阿智村とは二つの裁判が継承中である。そこに原因が有るからして、市村職員はこのような話しか出来ないのである。令和5年1月5日

 菊美は被告
「なぜ吉彦の家まで除雪するんだ? 除雪しないのであればすべて除雪しないことではないか?」、「それは吉彦さんの入口で除雪車を回転させていただけるからです」、「?、?言っている意味が分からないが、吉彦の家で回転するから吉彦の家まで除雪する?なぜそんな理屈が通るんだ?」、「章文さんの裏の村道は冬の間利用するんですか?」畳みかけるように次から次へ訳の分からぬことを言い出した。「おい、ちょっと待てよ。菊美は委託契約で村道の除雪を請け負っているんじゃないか?」「その菊美が俺の裏の村道の除雪をしないと言ってきたのは市村君じゃないか、それで相談に乗ってくださいと、そんな電話が来てから半月もたつに…」、「そうでした?」、「そうだよ、その話が先であって、菊美が家の裏の村道の除雪をしないことは何も昨日今日の話しじゃなくて、操の横領やヘブンスの地代のことで俺が騒ぎ出した7年前から菊美は裏の村道の除雪をしなくなった。妻は、毎年役場に電話をして『除雪してください』とお願いしてきているじゃないか。それがなんだよ、村の返答は『菊美さんと話してください』じゃないか。毎年除雪をしないことでの話し合いじゃないのか?」、「……」、「いいか、裏の村道は泰人も利用している村道だ。あいつは冬の間はほとんど家に来ないので一度として除雪をしていないが、俺があいつの家の前まで毎年何回も除雪してきたのは、菊美が除雪をしないからだ」「上の家に加藤が越してきて、加藤が孝志や菊美になびいて回覧板を回さぬようになったが、その加藤の家の出入り口まで突然に除雪するようになったが、そこに2mもの雪を積み上げては除雪も出来ないじゃないか。だから訴えたんだよ」、「あのう、菊美さんは除雪車が章文さんの家の前で回転させてくれないから除雪が出来ないと言っています。大きな除雪車なんで」、「はあ? 俺が回転させないと言っている?そんな話はどこから出ているんだ?」、「そう訴えているんじゃないですか?」令和5年1月7日

 裁判を持ち出すな
「そうか、じゃあこれを見ろ。これは村八分の訴状だが、菊美への訴えは二つある。一つは除雪を2mの高さに積み上げ村道使用を妨害した」もう一つは、和美の下の田んぼ、市村君が測量したあの田圃だよ。あの田圃に同じ種類の空き缶が十数本放棄されたが、その空き缶は菊美の自販機と同じ空き缶だ。そのように話し、投棄されている空き缶の写真と自販機の写真を見せれば、二人は黙ったままで聞いていた。それだけじゃない。給水停止裁判のことも知っていると思うが、「別の配管で給水している」と井原清人生活環境課長に通報したのは菊美だと泰人が言っていたが、既得権ある給水管を停止するに、泰人の敷地に不法侵入して水道管を掘り出したのは不法行為の違法行為で犯罪だ。それはそれでいずれ訴えるが、給水を停止して井水まで止めたのは菊美か孝志しかいない。井原清人生活環境課長と示し合わせた行為は、村八分を阿智村と共謀して行ったことになる。「井水は止めることは無いら」と、義文部落長が口をはさむ。「じゃあ、この写真を見てくれよ」「どう?ほら、二枚の写真とも井水に水が流れていないだろう」、ここまで話せば二人とも私の話を黙って聞くしかなくなったようだ。
 争いを増やすな
「まあ、これらのことは裁判でけりが付くからよいが、孝志も菊美も裁判の被告だと言うことを考えろ」「それに、家の前で回転させないなどと菊美が言っているが、訴状をよく見てくれ、『除雪をしないで回転するから雪が踏み固められて雪かきが出来ない』と訴えている。回転させないなどの話ではなく嫌がらせを止めろと訴えたのだ」「除雪の委託契約は5年じゃないのか? 菊美は平成8年頃から続けているが、ちゃんと公募して請け負わせているのか?」、「今は毎年の契約です」、「ん?毎年であっても契約事項じゃないか」、「今まで続けてきた人には継続と言うかたちでやっているようだ」と、義文部落長が言うが、これでは議員の発言だ。令和5年1月9日

 良い機会
まあ、どちらにしても菊美ありきでの話に変わりはないが、そこに気づかない市村職員の感覚が気になる。「吉彦の家まで除雪するが、俺の家までは除雪しない。その理由は村八分で訴えられたからだと言う話になるが、それを村が良いとして除雪しないのであれば、村八分の訴えに『今年も除雪しなかった』と追加するが、それでよいか?」、「…」、「菊美を村八分で訴えている理由は、除雪した雪の積み上げであって、村道が使えないことにある。それを村が『訴えられたから除雪しない』との菊美の言い分を取り上げ、除雪しないけどよいかと聞こえるが、そんな馬鹿な事を言ってはダメだろう」、「菊美さんは除雪機を回転させてくれないのでと言っています」、「それはさっきも言ったろう。除雪しないで回転されれば、雪が固まって困ると言っているだけで、それは訴えの内容ではない。それでも吉彦のところで回転すると言えば
それでも良いが、俺の家まで除雪しないとの理由がつかないじゃないか」、「…」、「それはそうだ。吉彦さの家まで除雪して章文さの家まで除雪しないはおかしいぞ」ここで義文部落長が初めて口を開いた。
 出て行けなど言っていない
「加藤が、今まで一度も除雪などしない奴が、家の前の村道を5mばかし除雪したのでおかしいと思ったらこの始末、菊美や吉彦と連絡を取っていたようだが、そこまでする奴ら側で村が話をしているように聞こえるが、村道利用を妨害して訴えられている菊美を村は今年も除雪者として委託契約をした。これっておかしくないか? この三人はともに村八分の被告なんだぞ!?俺に、部落から出て行けと言っている奴らだ」、「…」、「なにも部落から出て行けとまでは言っていないけど」気になったのか、義文部落長が口をはさむが、どうも、裁判の内容を全く聞かされていないようだ。令和5年1月11日

 部落は受け入れぬ
「それがなあ、裁判官から『原告の総会出席は戻せますか?』と、二度にわたり被告弁護士に聞いているが、被告弁護士は二度とも『それは無理なようです』と答えているよ。それであれば、部落から出て行けは既成の事実となる。村八分でも和解は出来るが、その回答ではもはや和解はあり得ない。問題はそれからで、村八分に村が関与していた。いや、共謀で行われたとの状況が証明されれば、前代未聞の騒ぎになる」何を話しているのか皆目分らぬようで、少し説明をしてやりました。
 三つ巴
二年前、井水のバイパス工事を自営で行ったが、市村君が進めてくれた話だから分かっているだろう? 寛と吉彦は「章文は部落から追い出されている」と、細沢建設の熊谷代人に言っているが、俺を部落から出て行けとしたのは孝志と菊美だ。それに取り巻きたちが同調したことが、ここまでの騒ぎになった。吉彦が境木を切った件もそうだ。あの時も吉彦に「部落総出で村八分にしている。この木を切ったのも共謀したのではないか」と俺は話しているが、あの境木を切れと言ったのも寛であって、吉彦と寛は昔からつるんでいるんだよ。「ああ、あの境の事なら俺も吉彦さにやられた。うちの土地の草刈りをしたら、吉彦さが『俺の土地の草を刈ってくれたのか』と言われた」、「その話しも知っているし、義文君の境と俺の境は同じであって、吉彦の言っていることが違う。今回の境木を切られた件で境を再確認したら、2mくらい吉彦は食い込んできているよ。吉彦の土地のせばりは武彦さ譲りであって、たしか勝彦の土地も吉彦が自分のところだとして草を刈っているようだな」しばらくそんな話を続けた後に、「給水停止裁判のことだが、いま、操の横領裁判と給水停止裁判は共通しており、同時に進めるよう裁判官から話があった。そこで、給水停止に併せ井水が止められた件を話せば、これもまた村と菊美が共謀している可能性が出てきている。村八分は操の横領に関連して行われたとの判断は弁護士は既につけているから、当然給水停止も村八分の一環となる」令和5年1月13日

 不正の現況は村長
盗伐も園原水道横領も、そしてヘブンスそのはらの山林地代横領も、すべて村長が仕組んだ犯罪である。月川旅館もそう、橋の架け替え不正受給もそう、阿智村の不正はすべて村長が行ったのである。すべてが行政にかかわる犯罪だからして村長となるは当然としても、それを正せる議会がこれらの不正を隠してきたことに大きな問題がある。なぜこんなことが起きたのかは、村長と議員のほとんどが共産党で有ったからだが、それに合わせ、これらの不正が刑事犯罪であることが大きくある。行政が刑事犯罪にかかわる不正を行っても、警察はそれらに介入できないことで、阿智村行政内で行われてきた犯罪は野放しになっていたのだ。
 横領はなぜ起きた
裁判を通して多くの事実が明らかになるに、その最も重要な事実は「道路公団の補償工事」において園原簡易水道は敷設されたとのことを、裁判所が確定したことにつきる。
操も道路公団の補償工事で行われたことを前提に、「補償金の返済を受けていた」と反論主張した。この横領裁判では、「補償費の取り扱い」が主な焦点であった。補償費が存在したのかしなかったのかの証拠が無かったからだ。しかし、操の求めに応じた熊谷秀樹村長は、「操さんには管理費と補償費を支払っていた」とし、それらを証明する公文書を作成し、そして刑事の捜査に対して操の無実を証明した。そのことにおいて、その時に用いた公文書の取り扱いがこの裁判の焦点になったのである。「水道料金の返還金を横領された」と訴え「補償費の返還など受けていない」とすれば「補償費は有った」と、操と村は反論する。では、返還されるべき補償費がいくらであったのかと問えば、操は答える必要はなく、村も支払い証明さえ提供できないとされた。これではまるで押し問答、これを打破するには、「道路公団が行った補償工事」の内訳を明らかにすること以外ないと考えていた。令和5年1月15日

 阿智村が工事を行った
給水停止裁判において、阿智村は「園原簡易水道は阿智村が工事を行っている」とされ、阿智村が敷設した水道設備だとして反論してきたが、これでは操の横領裁判と矛盾することで、どちらが正しいのかと裁判官はその整理を求めてきたが、ここにきて、下平秀弘弁護士から「園原簡易水道は道路公団の補償工事で行われています」として、阿智村が敷設したとのことを撤回した。何ということだろうか? 阿智村は行政である。その行政が「嘘を言っていました」と言っているのだ。これだけでも斬首ものであるに、いったい真実はどこにあると言うのか。何もかもが操の横領を隠蔽することが目的で、そこまで操をかばう理由が阿智村にあると言うのであろうか!?横領を間違いとして処理しなければ大変なことになると、熊谷秀樹村長にあれほど進言したのにもかかわらず、次から次へと嘘で固めてきた。裁判に掛かれば事実でしか争えないが、その事実さえ苦も無く嘘で変えてしまう。嘘がバレそうになれば、それもまた簡単に撤回する。その場しのぎの責任回避なのだが、これが村民が選んだ村長であれば、阿智村を守ることにどれほどの価値があるのか。
 補償費は有った
操は「管理費と補償費を受け取ってきた」としており、「横領などしていない」と反論してきたが、ここにきて、「管理費は返還金ではない」「補償費は返還されていない」との主張に対し、補償費は園原水道の敷設工事に使われていることが判明した。そしてその工事は道路公団が行ったと下平弁護士が認めたことで、補償費の返還は無理な反論となっている。裁判官は「補償費の受取通帳を開示しなさい」と被告弁護士に伝えたことで、操は、その通帳が開示できなければ、補償費の返還は無かったことになる。では、その通帳が開示されたとなれば、いったいどういう結果になるのかと言えば、阿智村が操に毎年支払って来た金員の額が明確になると言うことである。その金員が操の言う通り、または阿智村行政書類(管理費36万円補償費16万5千円)のとおりであれば操の潔白は証明されるかもしれない。しかし、金員に食い違いがあれば、そこから先に何が始まるかは、想像に難くない。令和5年1月17日

 支払い証明
原告として裁判官に幾度かお願いしてきたのは、「園原水道に関する支払い証明を阿智村から出してもらいたい」であった。その支払い証明が有れば、事件は端から解決するからである。しかし、裁判官は首を縦に振らなくあった。それは因果関係が阿智村とないとのことと、支払い証明を阿智村から出させるのとは違うことである。阿智村が出さなくとも操が阿智村からの支払いを証明すればよいことなのだが、その証明をせず反論してきたのに限界が来たのだ。補償費が有るのか無いのかについては、操は有ると言い、私は補償費は園原水道の敷設工事に使われていると主張している。有るのか無いのかではなく、補償費は有ったと言うことなのだ。あとは、阿智村がその補償費を園原簡易水道の代表者である操に返してきたとの証拠に対して、補償費は個人に支払われたもので、それを園原水道工事の費用の一部として提供していれば返されることはあり得ないと反論した。それは補償費の性格からして、阿智村が取り扱うことが出来ないからだ。だが、裁判官の見解は違うところにあり、操が受け取ってきた補償費が間違いなく阿智村から支払われているのかの証拠が必要だというのだ。操は補償費を16万5千円としている。だが、昭和62年から数年間の補償費の金額は19万5千円であって、その金額は昭和51年に契約した熊谷操と阿智村との園原簡易水道の管理費の金額18万円に1万5千円を加えた金額であることと、その後に16万5千円に変わっていることで、裁判官は16万5千円なのか19万5千円なのか、それとも補償費と管理費との金額に相違があるのかを確認したいようだ。しかし、私の考えは違う。操が阿智村から振り込まれている通帳を開示できないのは、「振込金額そのものが違う」のではないかと疑っている。金額が同じであれば、操はそれこそ最初からその通帳を証拠として反論できたからである。金額が同じであればこの裁判は私の負けであって、その様な事が分からぬ弁護士は居ないのだ。
さあ、操の振り込み通帳が開示されるのかされないのか、開示されなければ裁判官の調査嘱託にかかることで、開示されるのであれば、補償金であるのか無いのかがハッキリすることである。令和5年1月19日

 補償金でない場合
操の通帳開示においてはっきりするのは、阿智村から毎年振り込まれていた金額である。その金額が52万5千円でないとなれば、その金額の根拠は何かと言うことになる。管理費と補償費とに分かれて振り込まれていれば、たとえ金額が違っても言い訳はつくかもしれないが、おそらくとして分けて振り込まれていることはない。補償金の返還が事実であれば、阿智村は行政として特別な手段をとる必要があり、また、昭和62年から続けられていたともなれば、議会は必然的にその支払いに疑問を抱くはずである。たしかに操は議員あるはしたが、監査をごまかせるほどしたたかではない。
この様に考えれば、補償金の支払いでないとの公算が大きくなってきたが、補償金でないとなれば、次に何が起きるかと言えば、その支払い金額は何であるのかの説明が操に必要になる。残るは「管理費であります」しか言い訳はつかないが、では、管理費を36万円とされていることで、16万5千円は何の金なのかである。まあ、ここでアウトになるは言うまでもないが、もう一つの状況に、阿智村からの支払い金額が52万5千円でない場合も考えられる。52万5千円より少なければさして影響はないにしても、多い場合は大変なことになるは間違いなし、もはや「水道料金の返還金であります」としか言いようがないのだ。
 管理費の場合
管理費が操に振り込まれてきたのは事実である。この管理については元々熊谷千美氏が担っていたが、それを取り上げたのは操である。その証拠は操が自ら証拠とした昭和51年の一年契約書である。委託契約は5年とされ、千美氏が昭和48年(園原水道開設年)契約していたものを、操が取り上げ勝手に管理者となっていた。昭和62年からの契約書が存在しないのが何よりの証拠であるが、操は一度として浄水場の管理を行っていなかった。それを問題として操の管理を取り上げたのは私であるが、操はそれまでもごまかして、継続していたのである。当然に村の協力なくしてあり得ないが、岡庭一雄村長と組めば、そんな不正は造作なくできたことでもある。令和5年1月21日

 管理費でない場合
村営水道で一番小さな園原簡易水道、その浄水場の管理(目視及び時々の草刈り)で36万円は無いだろう。他の水道施設の管理費を公開しない熊谷秀樹村長は、36万円の内訳さえ示していないが、令和になれば、なぜか孝志との管理委託費は減額されていた。減額したのであれば、つじつまを合わせる目的なのだろうが、何とつじつま合わせをしたのかは、昭和52年の管理契約書と平成23年の契約書と平成28年の契約書である。ここでもう一度その契約書とつじつま合わせをした孝志との契約書を添付しますので、ご覧ください。 水道施設管理委託契約書  水道管理契約操平成23年  水道管理契約孝志平成28年 水道管理契約孝志令和3年 クリックしてご覧ください。
昭和52年の契約金額は一か月1万5千円であるからして一年だと18万円だ。平成23年の契約金額は一年36万円だ。ここで倍の金額となっている。平成28年から操の長男孝志が突然として管理契約を行っているが、その金額も36万円である。ここまででつじつまが合わないとすれば、18万が倍の36万円になったことである。昭和52年の金額が倍になることは有るかもしれないが、ならばなぜ、令和3年になって管理費の算出を年から一時間あたりに代える必要があったのかである。一時間926円はどこから出た金額なのだろうか? と考えるに、それはやはり、他の村営水道の管理単価基準しかそこにない。だとすれば、36万円の管理費は、阿智村の管理委託基準額でなかったことになる。これが余談でないことに、令和3年の熊谷孝志との委託契約書は、被告の証拠として提出されたものであるからだ。なぜ契約金額の算定を買えたのか? それは、36万円が管理委託料でなかったということだ。
36万円が管理委託料でないとなれば、操は管理委託料を別に受け取ってきたことになる。それは当然のことで、その証拠が昭和52年の契約書にあるのだ。操は「管理費と補償費の返還を受けてきた」として、52万5千円の内訳とした。しかし、管理費は管理費で受け取っていたとなれば、52万5千が補償費であるとしか説明がつかなくなったのだ。令和5年1月24日

 補償費が返される?
阿智村も操も補償費を返還してきたと主張し、それの証明がこれらの行政書類(契約書)である。しかし、補償費が返還されるとのことが、行政上できることなのか? そこは単純な話でないことに、補償費の出所が道路公団であるところだ。道路公団に聞けば「補償費は補償する人に支払う」と言われるが、園原水道に関しては補償する人ではなく、まとめて阿智村に差し入れたとの書面があることで、それらの補償費は確かに園原水道の敷設工事費に使われている。その補償費を阿智村が返している? なぜ返すのかの疑問が出るが、工事費に使われた補償費なら返しようがない。行政なら何でもできるは岡庭一雄の村政であったが、それを継承している熊谷秀樹村長が、はいそのとおりでしたよと言うから始末が悪い。まして存在しない園原簡易水道組合なるものへ、補償費を返すとは如何なものか。
 説明がつかない
吉川優の議会質問において、「園原水道は道路公団の補償工事で敷設された」と答弁したのは矢澤生活環境課長だが、議会への説明はそれでよしとしても、実際に道路公団が工事を行ったのなら、補償金は工事に使われており返されることはない。阿智村が何と言おうとも、園原部落の住民は返される話など何も聞いていないのだ。確かに操はその様に反論された。「16万5千円は補償費の返還だ」と、しかし、阿智村が補償費の返還をしたのであれば、阿智村が園原簡易水道組合へ振り込んだ支払い証明が有るはずだ。操の裁判でその支払い証明を求めても阿智村が証明することはないが、操が証明するならば、振り込まれた通帳を証拠とするしかない。阿智村が補償金を返還していると認めている限り、操がそれを証明できなくてなんとするのか。令和5年1月26日

 孝志も被告
この横領裁判の被告の第一は田中義幸であるに、被告弁護士は「熊谷操は議員であったので、田中義幸の口座を借りていた」として、田中義幸の関与は無いと反論してきた。呆れた。田中義幸に変えたのは、平成16年に「議員報酬以外に受け取ることは出来ない」との私の指摘に従ったのだと言う。呆れた。この反論が田中義幸を助けるのであればまだしも、偽造契約書を裏付ける言い訳でしかない。一円ももらわなく、口座まで貸して犯罪者になり、操に寝取られてもいまだ指示に従っている。何とも情けなくあきれた者たちだ。熊谷秀二の妻と田中義幸の妻と、林屋の林和男の妻も姉妹であるが、皆さん奥方の言うがままに揃って操に味方している。熊谷秀二など操の横領を目の当たりにしているが、私の父を裏切って迄操についた。倫理観に欠けるとは違い、人間としての異常さを感じてしまう。間違えるではない。お前らに必要なことは、嘘の陳述書を提出するのでなく、申し訳なかったと謝ることだ。
 管理の切り離し
操は管理費を受け取ってきたと反論していたが、管理を熊谷千美氏を騙して取り上げたにせよ、管理を田中義幸に変えたにせよ、管理は損害賠償請求に当てはまらない。私が請求しているのは「水道料金返還金」である。管理費を受け取ることは操と阿智村の問題であって、管理費の契約書が偽造されていようが、裁判には関係ないことだ。ただし、平成28年に操の横領を熊谷村長に告げた後に、管理を操から孝志に変えたことは、孝志が横領の主犯格に昇格したことになる。なぜか? 操が管理費として受け取ってきた金員が36万円でなかった場合、管理費の受け取りでなくなるからだ。それは当然として、補償費16万5千円でなかったときに明らかとなるのであるが、もはや、阿智村は管理費が36万円ではないとした契約書を熊谷孝志と交わしているからだ。平成29年と30年分の管理費契約は年額36万円であることに、令和2年の契約書からは、一時間当たり926円とされている。なぜ管理費の支払い金額を変えたのか? この疑問は裁判官が感じるものである。令和5年1月29日

 受け取り通帳の開示
今月末に、この裁判の期日が予定されている。「16万5千円を受け取った通帳の一部を開示しなさい」と裁判官命令が出ているが、はたしてその通帳は開示されるのであろうか。今日はその日、期日が開かれた。被告弁護士からは準備書面がいつものように提出されており、それは昨日に受け取っているが、相も変わらず横領を否定している。それはそうだが、民事においては横領犯罪を確定することではないからして、被告として昭和60年から受け取ってきた金員が水道料金の返還金ではないと証明することにある。管理料を受け取ってきたとがそれほど重要でないことに、管理費の受け取りと水道料金返還金は関係しないことにある。しかし、管理費が36万円だとされるに、その金額が阿智村から振り込まれていない場合、特に36万円以上であった場合は、管理費を受け取ったとは言えなくなる。同じように補償費の受け取り金員も16万5千円でないときは、はたして補償費の受け取りであったのか? の疑惑が出てくる。どちらにしても、52万5千円が操の通帳に記録されていなければ、操の反論はすべて嘘になるのだ。
 通帳が開示されない
操と田中義幸の通帳が開示されなかった。裁判長からの要請に何たることか。開示できないは阿智村からの受取金額が52万5千円でないことにあるが、しかし、被告弁護士は悪びれるでもなく、「ああ、通帳を探しているんだが無くしたようだ」これが答弁であった。「二人共ですか?」裁判官が聞くに、「ええ、どうもそうらしい。ですが、農協に話してもらうようにしますので」、「通帳をですか?」、「いや、記録を取り寄せると言うことなので」、「では、通帳記録は農協の方から開示されるんですね。こちらからお願いしなくてもよろしいですか?」、「ええはい、そういうことだと思いますのでこちらで用意します」、「では、そういうことでよろしいですか」と、今度は原告弁護士に確認された。「次回の期日の前に提出をお願いします」令和5年1月31日

 体の良い延期策
時間稼ぎにしか聞こえなかった。農協から開示されたにしても、間尺に合う金額の欄だけを開示するだろう。そして、金額の違うことの言い訳をすることも目に見えているが、裁判官は的確に、そしてその理由を説明した。「水道停止裁判で阿智村に支払い証明を求めてもよろしいが…」と前置きし、農協が開示できるのであれば、それでお願いしますとされた。まあ、二度も三度も催促されるに、それに従わなければ被告の主張は通らない。延期策を講じたのにはそれなりの作戦であると分かるが、52万5千の金額であれば、ここまで引き延ばすことはしないであろう。最終勧告に等しい裁判官のお願いに、今度こそは言い逃れが出来ない。果たして何が出てくるのか? 金額が違った場合の無理な説明であるに違いはない。
 最終勧告
なぜ操の個人通帳を開示せよと裁判官は言ったのかだが、それは、操の反論が「補償費の受け取り」だとして、補償費専用の園原部落通帳を証拠としたからだ。しかし、補償費専用の通帳という割には、その通帳からは補償費の補の字も出て来ない。それに、阿智村からの支払いだというに、それらの金員はすべて現金扱いとなっていた。裁判官は「この通帳以外に、阿智村からの受け取り通帳が有ると思われますので、田中さんと熊谷操さんの通帳を開示できませんか?」となった。裁判官は、「通帳の開示が出来なければ調査嘱託を架けます」と伝えている。「通帳の開示であれば、補償費の入金確認で良いですが、調査嘱託だと他の入金記録が出ますよ」の補足したのは、他の入金記録が被告の不利益にならぬようとの配慮である。それは、補償金15万5千円の入金記録だけが確認できれば良いとのことだが、被告弁護士はこの言葉に便乗するしかない。かりに、15万5千円以上であった場合、それは管理費が含まれていますと説明するか、また、52万5千円でなければ、他の理由をつけるだろう。兎にも角にも通帳記録を開示することは、嘘でも何でも説明しなければ、今までの反論主張が崩れ去ってしまう。そんな状況に追い込まれているのが操の現状である。まあ、完璧な説明でなければ裁判官は信用しないが、完璧な説明が出来るのであれば、すでに通帳は開示されていることだ。令和5年2月3日

 もう一つの問題
操の反論主張の証拠の一部に公文書が幾通も添付されていた。そのほとんどは操との委託管理契約書である。その契約書の内訳は、補償費16万5千円と管理費36万円とされている。さて、ここで、操と田中義幸の通帳記録が開示された場合、そこに説明できない金額があった場合、それらの契約書のすべても同じように説明がつかないとなるが、操の横領に関しては阿智村は第三者の立場であって、それらの矛盾を説明する必要もない。しかし、操の横領が確定した場合には、それら契約書は偽装となることで、それが公文書として裁判の証拠とされていれば、それは大変な状況へと進むことになる。何が大変か、それはこれらの契約書は刑事を騙すためにつくられた契約書であるからだ。県警は、「契約書が有る」を理由に、横領ではないと判断した。それが、民事において横領が確定すれば、必然的にも操の横領犯罪は確定する。県警は逮捕するしかないのだが、逮捕すれば操はすべて自白するだろう。何しろ、証拠のすべては裁判において確定しているのだが、さて、操はいったい何を白状するのでしょうか? まあ考えることではありませんよね。「刑事を騙した契約書」しかありませんよね。「村長が契約書を偽造した」そして「刑事の捜査を妨害した」あり得ない犯罪であるが、その犯罪は民事裁判においてすでに証明されている。これでめでたく熊谷秀樹村長は共犯者となるのだが、共産党だらけの阿智村議会は、ここでもまた熊谷秀樹村長を助けることが出来るのでしょうか。おそらく「今久留主総務課長が勝手にやったこと」「矢澤生活環境課長が契約書を作成した」このような言い訳は想定範囲ですが、それは議会には通用しますが、はたして県警は、職員の犯罪と判断するのでしょうか? 操は、「村長ではない」と言うでしょうか? 実際が職員の犯罪としても、公務員としては村長の指示なしでは出来ないことだし、操としても、職員の名前を挙げても村長の了解が出なければ出来ないことだとの認識がある。はたして、何を自白するかは、証拠に沿った事実を話すしかないことだ。令和5年2月5日

 行政に捜査できない
県警(刑事)が阿智村長と操の契約書を見せられて、これではやれない(逮捕)と言ったが、私はこの言葉を信用していない。一介の刑事であっても、そのような契約書が本物か偽造かを判断するのは朝飯前であるに、あえて口にすることに、上からの指示があったと考えている。やりたくともやれないとまでは言わないが、「行政犯罪は絶対に許さないでください」と、頭を下げた刑事である。操の犯罪は横領であるに、そこに行政が関与したとすれば、いやがおうにも行政捜査は行われる。阿智村行政に捜査が入れば、操の横領にとどまらないのは目に見えているが、行政が行政の仕組みを利用した犯罪であるとされれば行政犯罪へと進むであろう。これを避けるには村長の逮捕しかないが、議会が村長の逮捕に気づき、辞職勧告を突きつけることが重要になってくる。議会が知らないのであればまだしも、深く関与している現状であるからして、逮捕の後では言い訳一つできない。その場合、熊谷秀樹の個人犯罪でなく、村長の犯罪となる可能性が大きくなる。
 検察庁が入れば終わり
事の重大性をだれ一人気づいていなかった。良識村民であったにしても、操の横領として片つけていた。もっと始末が悪いのは、操は横領していないと思い込もうとしている連中である。こういう族は犯罪者と全く同じ思考が底にある。今の阿智村行政はこの様な連中が仕切っているが、いざとなった時に、真っ先逃げ出すのもこういう連中であろう。こういう連中が議会議員であり、また職員にも多く居ることが阿智村の不幸なのだ。それでも良しとする村民も多く居るが、もはや阿智村の助かる道は無いのかもしれない。
村長の逮捕で終わらせなければ、間違いなく阿智村は終わるだろう。その判断は私でなく阿智村の議員しかできないことだが、さてどうなることか、その時間はそう長くないのは、この裁判がもはや終盤に来ていることだ。令和5年2月7日

 阿智村が助かるもう一つの道
操の横領に、岡庭一雄村長と熊谷秀樹村長が関わってきた証拠が偽造契約書である。その契約書が二人の村長を共犯者とみなす証拠なのだが、熊谷秀樹村長には、もう一つ、詐欺罪という犯罪が加わる。村長であれば偽造契約書はつくれると弁護士は言った。公文書偽造でも罪にならないと言うのだが、目的が無くつくるのであればの言い回しである。何のためにつくったのか、そして何を行ったのかに犯罪が思慮されれば、それは行政犯罪に結びついてしまう。何の目的で契約書を偽造したのか? それは、操の言い訳「管理費と補償金の契約書」につじつま合わせをしたのである。刑事を騙した契約書でもあるが、それは、県警がいまさら騙されましたなどと言えることではないからして、それほど重要な事ではない。操は昭和60年から水道料返還金を横領してきた。その事実は間もなく立証される。そうなれば、管理費と補償金を合わせた契約書は偽造となることで、誰が偽造したのかは、契約者の甲である阿智村長であることだ。ここで、熊谷秀樹村長が「私が偽造しました」と自白すれば、それは熊谷秀樹の個人犯罪となって、阿智村に関与は無いとされるが、同時に、岡庭一雄が「私も偽造しました」と自白しなければ、阿智村長が偽造したこととなる。岡庭一雄が自白するのかしないのかに、阿智村が潰されるか潰されないのかが掛かっているのである。
 偽造が分からぬ者へ
契約書によれば、管理費36万円、補償費16万5千円とされ、合計の52万5千円が毎年操の口座に振り込まれているという。しかし、操は振り込まれている口座を開示せず、園原部落特別会計との通帳を証拠として、「これが補償費を受け取ってきた通帳だ」と主張した。しかし、この通帳の存在を知ったのは、私が会計であった平成28年度のことである。聞けば、この通帳は平成18年から園原部落に存在していたようだが、その時の部落長が操の甥である熊谷和美、そして会計が、操の長男孝志ときた。この胡散臭い話に裁判官は、「この通帳への入金はすべて現金である」とし、阿智村から振り込まれている通帳の補償費の入金部分だけで良いから開示しなさいと指示したのである。令和5年2月9日

 行政に現金払いは無い
16万5千円丁度の振り込みがあれば、裁判官はそれを信用するだろう。なぜか? 補償金の扱いに契約書が必要でないからだ。管理費は操個人が受け取る金員だと裁判官は認めても、補償金は操が受け取る金員だとされていない。「補償金を受け取る権利は19名の共同水道利用者にある」「私は(操)共同水道の代表者である」が、操の反論だ。だが、その19名が16名であり、16名の代表者が操であるとの証拠も無い。それをかりの反論事実とすれば、補償金16万5千円は阿智村から間違いなく支払われたとする証拠が必要となる。その証拠が通帳しかない事に、補償金の入金が現金扱いであったことと、補償金と記されていなかったことにある。現金の入金では誰が入金したのかが不明であることで、阿智村からの入金記録が必要ですと言うわけだ。
 遅延策
「調べてみます」「どうも無いようだ」「通帳を無くしてしまった」「農協で調べてもらうようにしている」このような言い訳にて半年以上通帳の開示がされなくあった。ここまで延ばされればと言うより、操の反論が底をつき、もはや反論が通用しなくなっていた。裁判官は判断に至る時期だと告げたうえで、「開示できなければ調査嘱託をかけます」と、最後通告したのである。調査嘱託を行えば、阿智村からどのような金員がいくら振り込まれていたのかすべて露呈することで、「それでもよろしいですか?」と、開示しなければ裁判官が命令しますと言っているのだ。補償金の入金記録だけで良いですよとは、助け舟以外にないが、16万5千円ちょうどの金額でなければ、それはまた不審の始まりでもある。ただし、もはや時間切れであることは、裁判はすでに要諦の状況にあり、これ以上の不審を解明する状況になく、原告の趣旨にそって判決が下される段階にきている。令和5年2月11日

 請求権の問題
原告の趣旨に沿って判決が下される可能性に触れたのは裁判官である。「村八分の方は、総会の取り扱いがまだ残っていますね」と、総会は毎回だとする被告側の言い分と、総会は会計報告がある年度末を指すとの私の主張の違いについて触れた。被告らの言い分は、「総会は最高決議機関であって、園原部落の決め事は毎回の総会において行われている」と主張するのだが、裁判官がいくら機械だとしても、権利能力無き団体の総会が最高決議機関であるはずもなく、また、部落会での決め事は年次の始まりか年次の終わりに確認することで、毎年変わることでもない。被告らは、相談事を決めるから最高決議機関だというのであろうが、相談事とは何であるのかといえば、ただの寄り合いである。だいたいにして、部落会は組長の寄り合い会である。ことさら総会総会と主張したにしても、そこに何の意味があるのかと言えば、私が部落会に出なくても良いと言ったからだ。菊美が、私が部落会に出てくれば俺は出んと馬鹿な事を言ったのに対して、それなら私は部落会に出なくともよいと、だが部落総会には出ると言ったまでだ。なぜ部落総会に出ると念を押したのかは、部落総会は年一度の会計報告があるからだ。部落会費を納めていれば、会計報告は受ける権利がある。被告らは、部落会に出ないの発言を取り上げるしか村八分の訴えに対抗できないことで、「毎回総会が行われている」と騒いだのである。かりに、裁判官が毎回の部落会を総会だと認めても、会計報告が行われる部落総会に出るとの私の主張を覆すものでもない。これで、村八分の訴えに関する双方の食い違いは解消するのだが、私には、まだ訴えの原資が残っている。それは、不法投棄と井水を止められたことに損害賠償を請求していないことだ。
 給水停止との関連性
給水停止の裁判は、水道料返還金が勝手に止められたことを理由として、返還がなされなければ水道料金は納めることは出来ないの主張に、阿智村は給水停止との判断に至った。だからして訴えたのだが、ここにもう一つ、既得権ある水道管まで給水停止とされたことに、権利を主張して訴えた。この既得権ある水道管の給水停止前に、突然として井水が止められている。なぜ突然に井水が止めたのかと井水役の田中友弘に聞けば、自分は止めていないから知らないと話す、では誰が止めたのかといえば、実際は孝志であるに、なぜ孝志が止めたのかと言えば、トイレの水に利用させないためである。令和5年2月13日

 そこまでする異常性格
ある日刑事が来た。それは、泰人の家までの給水管(黒パイプ)を私が切断したことによる、阿智村からの通報であった。なぜ黒パイプを切ったのかには二つの理由があるが、もっともな理由は井水が止められていたからだ。井水が止められていて何が困るのかと言えば、トイレの水に困るのだ。既得権ある水道管まで止められたことで、一切の生活に水が使えなくなった。飲水は清内路の名水に頼り、トイレの水には井水を使用していたが、孝志は井原清人生活環境課長と示し合わせ、既得権ある水道を止めるに併せて井水を止めた。しかし、井水吸水口まで足を運び、その都度井水を再開していたが、3月末に唐突として完全に井水が止められてしまった。そこで困るに、長者の池の魚である。コイやフナがたくさんいるに、既に水は底をつき、もはや口パクの状況であった。そして熊谷泰人への黒パイプを見れば、泰人の家の量水器BOXの手前にバルブをつけ、そこから枝分かれした黒パイプの先は、なんと、長者の池の井水先につながれて、水道水が垂れ流しになっているではないか。見れば、それは冬の間中、凍結防止として流されていたものであると判明したが、如何になんでもひどすぎる状況だ。これに頭に来るのは当然として、私は、黒パイプを切断し、その先を長者の池の前の井水に流し込んだ。
 寛のあくどさ
操の横領を二人していさめた寛だが、私の村八分に対しては操側に回っていた。おかしな奴だが、まさに、寛はその切断を目の当たりにして、なんともはや、井原清人生活環境課長に告ったのである。なぜそんな真似をしたのかは、故障した重機が邪魔で、田んぼを始めるに車の出入りが出来ないが理由であったようだ。田んぼを始めるのならば、井水の水が止められていることの方が重要ではないか? まあ、この様な男の思考回路は分からぬが、寛の通報にて井原清人生活環境課長は、警察に通報したのである。たまたまに、私を知っているという刑事が出向いたことで、電話にて事情を話せば、なんとまあ、その15分後には井水に多くの水が流れてきた。刑事に言われて対応したのは、その場に居た井原清人生活環境課長であるが、井原清人生活環境課長は、いったい誰に電話を入れて井水の水を流させたのであろうか。少なくとも、井水役の田中友弘には電話はかかっていない。令和5年2月15日

 訴えの追加
この事件が示すものは、井水が村八分の被告関係者らによって止められていたという状況である。村八分とは共同絶交であり、誰かを特定するものではない。だからして、十分に、訴えの原資となるのである。井水を止められたことは、井原清人生活環境課長との示し合わせだと判明したが、村八分が阿智村と共謀して行われたとなればとんでもない話になる。それに気づかないようだが、まあ、気づくのであればもともとに、こんなことは行われない。
井水が止められたことと、空き缶の不法投棄は訴えの対象になったことから、追加訴訟を行うが、ここに被告として阿智村も加えようかと考える。
 証人尋問
村八分の期日において、被告弁護士からそれ以上の反論が無いことで、裁判官から証人尋問の準備に入りますと伝えられた。原告は私であるが、被告からは誰が証人者となるのか思案に暮れる。確かに一人ではないことに、菊美の除雪積み上げがある。菊美の行為は村八分の一環であるが、除雪自体は阿智村の委託業務であるからして、業務実態の責任は阿智村にあることだ。菊美に対して賠償せよとの判決になれば、まあ、判決はそれ以外にはないが、菊美の責任は損害額の支払ですむ。しかし、村八分が委託業務の最中に行われたとなれば、村長は責任の所在を明確にしなければならない。今年もまた菊美に除雪を委託させた現状にて、いったい熊谷秀樹村長はどのように責任が取れるのか。「今までの業務発注に間違いがありました」は通用しない。委託者の資質に問題があったとしか言い訳はつかないが、それであれば今年もまた委託するに理由がつかない。いつものように担当課長と担当者の厳重注意で済ませると思うが、今度ばかしはそれは通用させない。しっかりと議会を入れて、「村が共謀して村八分を行った」と、主張するつもりである。井水を止めるにも、除雪を積み上げて村道使用を制限するも、全くに村と共謀したことは証拠として残されている。令和5年2月17日

 部落長
もう一人の証言者は部落長しか居ないが、その部落長は経過的に三名居る。はたして、その三名の内、誰が証人者となるのであろうか。これは確かに見ものである。通帳を返した方が良いと言った最初の部落長熊谷繁か、私に対しての恨みしかない義幸の長男田中和晃か、それとも何も知らない三番目の部落長熊谷冨美夫なのかと言えば、やはり「通帳を返した方が良い」と言った熊谷繁が最適な証言者ではないだろうか。なぜ通帳を返した方が良いと言ったのか? なぜお祭りにもお役にも出るなと言ったのか? 総会と部落会の違いは何か? 総会が最高決議機関というが、何を決議するのか? と、聞きたいことはいっぱいあるが、やはり、「回覧板を回すな」とは、誰が指示したのかが、一番確認することであろう。具体的な村八分の行為は回覧板の不配布にあり、誰が指示したのかに、部落長が指示したのであれば共同絶交と判断されるし、みんなの意見だとすれば、それもまた共同絶交となる。どちらに転んでも答えは同じであることに、この証言を得ることが証人尋問の効果ではないだろうか。
 組長の証言
実際に回覧板を配布する責任は組長にあるが、その組長を証言者とするには誰になるだろうか。村八分が始まった年度の組長は加藤政章(私が大家)で、次年度の組長は渋谷吉彦であるが、「一番最後で良いから回覧板だけは回してくれ」とお願いしたのは加藤政章だ。そんなやり取りを証拠としたから、加藤政章になるであろう。この男、私が大家であるが、社会的通年の考えがまるでない男である。借金で家を手放した男であればそれも仕方ないが、家で飲めないただ酒で孝志たちに組み込まれたようだが、奥さんや娘に事実関係が話せないでいるらしい。捨てるだけの回覧板用紙に、それを回せばよいとしたのは、すでに孝志がそのような方法に出ると察知してのことで、私のお願いに従っていれば、村八分で訴えることなどできなくあった。令和5年2月19日

 証言不要
空き缶の不法投棄と井水が止められた件に関しては、当然として証言者は居ないが、だからとして訴えの対象でないとはいえない。共同絶交に特定人物は不要なのだ。空き缶の不法投棄が実際に有ったのか、井水が止められたことは事実なのか、それだけで充分なのだ。そして最後に残るのは、村八分行為を止めますか? であって、それは裁判官からの聞き取りである。村八分行為は犯罪であることに注意した方が良い。相当なる理由があったにしても、公に受ける権利を共同で阻害するのは刑法上の犯罪に当たるし、不法投棄や井水権を侵害するはそれぞれの行為が犯罪になる。ようするに、村八分は個々の嫌がらせが犯罪であるに加え、村八分自体も犯罪になるのである。犯罪にならぬようにとすれば、村八分行為をやめることなのだ。
 村との共謀行為
井水がなぜ止められたのかに、阿智村が給水停止したことに関係している。生活水の一部を井水に求めたことが、村の給水停止措置と関連していることは刑事が証明してくれるだろう。そして阿智村が何故給水を停止したのかの理由が判明すれば、村八分の行為が阿智村と共謀したと立証される。そこまでのことを、熊谷秀樹村長も考えていないと思うが、少なくとも私は初めから考えている。単純に、村八分で嫌がらせが行われた程度で訴えはしない。だからして、村八分の訴訟に和解は存在しないとなる。村八分が行われたのか、そして村八分は続いていくのか、これだけの事なのだ。しかし、共同絶交を止めるとのことは、部落との付き合いを元に戻すが最条件であって、それが出来るのか出来ないのかが、裁判官から問われたのである。元に戻るのであれば、それは和解と同じ解釈になり、犯罪とするのは困難であるが、それを否定するならば、あとは私の考えとなる。令和5年2月21日

 泥棒に反省は無い
裁判官は、今後の部落との付き合いについて二度も質問している。一度目の質問に被告弁護士は何も答えず、次回の期日に確認するとされたが、その期日にも、被告弁護士は答えを持ってこなくあった。それでも裁判官は、再度の質問で、確認を取るように促した。そして前回の期日において、被告全員の考えを文書として提出されたのである。
 頭が悪い
おバカもここまでくれば訳もない。今後の部落との付き合いについてどのように考えているのかは裁判官からの質問であって、私が求めていないことに気づいていないようだ。私は村八分にあったと訴えているが、部落の付き合いをやめるとは一言も発していない。部落の付き合いを止めろとしたのは被告らであって、その具体的な手段が、回覧板を回さないことだ。除雪積上げや不法投棄、井水を止めることは単なる嫌がらせであることに、裁判官が聞くは、「回覧板は今後回しますか?」「部落総会への出席を今後も拒みますか?」であって、そこに反省が無ければ、もはや和解は無いと判断されること、それが分からないからおバカと言うのである。回覧板での通知には、阿智村とみなみ信州農協と、そして飯伊森林組合があるが、阿智村から直接送付されたとしても、回覧板を今後も回さないは理由とならないのだ。部落会には出てなくともよいが、年度末総会には出ますよと、そしてお役やお祭りは今まで通りに出ていきますよとしている。それを熊谷繁部落長に伝えて通帳を返したのだが、お祭りもお役も出てくるな、総会にも出るなとの手紙が届けば、それはもはや人権侵害となる話である。令和5年2月23日

 笑える回答
今後の部落との付き合いについて、思わず笑った回答書面が届いた。まず笑ったのが、被告らだけの回答でどうするのだ? である。「部落との付き合いを止めろと言うのは部落全員の総意だ」と、さんざん反論していたが、総意であれば、せめて現部落長熊谷義文議員の回答を用意したらどうか。まあ、それはともかくとして、被告らの回答をご覧いただき、ください。村八分被告意見書   クリックして、ゆっくりご覧ください。この回答文書へのご意見がおありでしたらお願いします。令和5年2月25日

 いきさつ
令和元年12月11日に、当時の部落長熊谷繁(寛の長男)に届けた手紙です。部落長への手紙   クリックしてご覧ください。この手紙を出した翌年の三月に、熊谷繁部落長と田中和晃(義幸の長男)次年度部落長から届いた手紙です。部落長からの手紙   クリックしてご覧ください。村八分の被告意見書とこれらの手紙を見比べていただければ、笑える回答の意味がお分かりいただけると思います。
なぜ熊谷繁部落長にこの様な手紙を出したのかは、令和元年12月10日に開かれた部落会での出来事であります。井原清人生活環境課長が、操の家までの配水管の敷設替え工事を行う説明があり、その工事に不審が有ると指摘した後に、孝志が「通帳を返せ」と言い始め、菊美が「章文さが部落会に出れば俺は出ん」と発言したのに部落住民が全員後に続いたことによります。(録音をユーチューブで公開中)このことは私にとって、操を訴えるきっかけとなりました。熊谷村長が操の横領を隠蔽している状況で、何も起こらずして操を訴えるは困難であると考えていたところ、菊美が怒鳴り出したことで、部落全員が後に続いた。繁部落長は混乱し、和晃副部落長は菊美の仲間、そんな中において、繁部落長は通帳を返せと言い出した。これがいきさつですが、手紙をご覧いただければすべて理解されるでしょうが、部落のお付き合いを控えさせていただくに、回覧板の不配布は関係なく、また、回覧板の配布に部落長や役員らが携わるに、これらの行為が共同絶交に充としての訴えです。操の横領があったとか無かったのかは、村八分に関係は無いとするのが裁判官の見解ではないでしょうか。令和5年2月27日

 共通した裁判
裁判官が、村八分の裁判と操の横領裁判を一緒に始めたのは、たんに、原告と被告の双方の弁護士が同じであったからです。しかし、私の考えはそこにあらず、村八分と操の横領は深く関係していると、裁判で立証したかったのです。ですから、笑える回答になったと、ほくそ笑んでおります。
 話の前後
村八分が始まったのは、この手紙に書かれている令和2年3月25日からとしましょう。ところで、熊谷操の横領を訴えたのはいつだったでしょうか? そうですね、部落長からの手紙にある日付から一年と5カ月後の令和2年8月12日であります。どうでしょうか? 操を訴えたから村八分にしたのではない、とのことがお分かりいただけたと思います。操を訴える前から村八分とした。誰が言い出したのでしょうか? 孝志と菊美でありますよね。村八分などと考えてなく、部落会に出て来なくするにはどうすればよいか? と考えたんでしょうね。なぜそのような考えに至ったのかは、横領の証拠である通帳を私の手元から取り上げられたからであります。そう、操が枕を高くして眠れなくあった横領の証拠、何としても取り戻したかった園原部落の古い通帳、それを取り戻そうと、それが孝志と菊美の魂胆でありました。「通帳を返せよ!」井原清人生活環境課長の前で孝志が私にしつこく迫ったのは、「敷設替えする理由と根拠が無い」との追及に、井原清人生活環境課長が言葉に詰まった直後である。それに「なぜ返す必要があるんだ?」と、応答すれば、これまずいと考えた菊美は次の行動に出た。「通帳を返さないのは横領じゃないか!」おバカなことで雄叫びをあげれば、それに呼応したのがこの被告らと熊谷和美、渋谷より州、熊谷義文議員であった。そして「章文さが部落会に出るなら俺は出ん」と、大声で怒鳴って出て行った菊美の後にこれらの者が従えば、皆さん揃って計画していたとなる。
 共犯者
園原水道返還金の横領を操が始めたのは昭和60年からであるが、その時の共犯者は岡庭一雄職員である。平成16年に役場に行き操の横領を調べたときに、それを隠蔽したのは岡庭一雄村長と田中義幸である。そして、平成17年に、和美と孝志に命じて30万円の返金を16万5千円にしたことで、これら二人が共犯者となった。そして今回の騒動である。ここに挙げた村八分の被告たちは、操の横領は無かったを理由とし、私を部落から追い出したことを認めた。どんな言い訳をしたにしても、これらの者達は共犯者となったのだ。(村八分の裁判で勝ったにせよ、それは何御ことでもない。村八分の裁判で証明したかったのは、これらの者が共謀して村八分にしたという結論である。なぜ村八分にしたのか? それは操の横領を隠したかったからだ。これは警察に通用させる裁判である。)令和2年2月28日

 被告らの自白
被告弁護士の回答書内容も相当な作為があるが、操の横領については一切触れていない。そんな文書に被告らが答えるに、渋谷吉彦の回答に「保障費(補償)は165,000円であると理解している」とある。ここで操の横領について触れる項目ではないが、管理費だとか補償費だとか、私は部落会で一切話をしていない。吉彦を被告としたのは、加藤政章の後の組長であったとの理由だけである。「部落の人達を告訴するような人間とお付き合いしたくないために賛成した」とあるが、確かにその通りに吉彦もその人達に含まれるが、自分が被告だから賛成したと言っているのに気づいていないようだ。だから馬鹿なのだが、吉彦を訴えたのは操を訴えてから後のことで、村八分はその一年以上も前に始まっている。その時点で「なぜ賛成したのですか?」の質問の返答に、「自分が訴えられたから」では、順序が逆ではないのか?
 菊美の回答
このおバカは手が付けられない。あまりにも幼稚だから除雪を積み上げるのも平気なのであろう。まあ、父親を信じたいのは判るが、孝志でさえ操の横領は認めていた。古い通帳を返さないのは横領だと大声をあげる程度のあたま、また、部落会に俺は出んと叫んだことで、私は出なくともよいと伝えただけのこと。そして最大の馬鹿は、総会の意味を何も知らないことだ。まあ、部落会が決議機関だと認識するあたり、もう一度中学性から学んだ方が良い。
部落の解釈だが、園原部落の住民だけでないと感じる。そもそも、部落などの団体は存在して来なくあった。それは、園原区本谷区の両区において、智里西地区は構成されていたからだ。区の持つ財産と権利は、共有山と耕地にあって、耕地は戸々住民の財産として振り分けられ、共有山は両区の共同管理であった。これが歴史である。では、部落と呼ぶようになったのはいつの頃なのか? と言えば、明治以降の市町村行政の末端機構として位置付けられているが、智里西地区において部落構成が行われたのは、昭和になってからだと思われる。その根拠は、両区の記録に部落単位が出ていないのと、園原区は園原部落とされ、本谷区は、農間部落・中央部落・戸沢部落の三つに分けられたのが昭和のはじめであったからだ。どちらにしても、行政の末端機構とされたことで、そこに権利能力は存在していない。令和5年3月2日

 会計団体
もう一つ、恵那山トンネルの場所に横川渡と言う集落があった。それは部落ではなく、一つの組としての単位であった。園原区から移転した家が2軒で、横川財産区から移転したのが2軒、移住者が2軒、本谷区から移転したのが1軒(郵便局)であったが、園原区に加入している。部落単位としては、園原から移転したのは園原部落と、横川財産区から移転したのは横川部落に加入されていた。この様に、部落と区は全く違う団体であり、行政の末端機構である部落が決議機関となることは無いのである。(この様な理解が出来ている住民はほとんどいないだろう)
 部落会と総会の区別
「部落会に出なくともよい」と書いたことで、「部落の総会は決議機関であって…」と、その様な言い訳であるのだが、裁判においても、被告らは「毎回部落総会をしている」「総会に出なくてお祭りや役には出るという勝手な言い分だ」とし、総会に出ないと言ったのは私であると決めつけた。そして、総会は部落の決議機関だを理由に、村八分ではないと反論されたのだ。裁判官は総会とは何か? 部落会とどう違うのか? に説明を求めたことで、「会計を持つ団体は年一回総会を開き会計報告するものだ」とし、3月末に開かれる会計報告を総会として園原部落はやってきたと説明したのであるが、被告らは毎回の会議が総会だとして反論するばかしであった。大した話しでないと思われるかもしれないが、部落会に出なくともよいとした私と、総会に出ないで他の付き合いをするはおかしいとのやりとりに、結論を出せるのは裁判官しかいない。それには、「部落とは行政の末端機構」であるとの説明に加え、会計を持つ団体は年一度の会計報告を行うのが慣例だと主張することになる。それが、裁判における証拠となるのです。
 部落は団体ではない
権利能力無き団体と言う法律用語が有りますが、部落に園原部落と名前を付けても、法律的には行政機構であるからして団体ではありません。ですから、権利能力無き団体にも分類されることはなく、「決議機関だ」などと言ったにしても何も通用するところが有りません。阿智村を例にとっても、従来は「部落長会」と称して年一回連絡会議を行っていましたが、現在は単に、部落長を行政嘱託員として、集落住民への通知を委嘱しているだけであります。その様に部落長は村の連絡係として報酬を受け取っておりますので、その部落長が回覧板を回さなかったのは、不法行為となるのです。令和5年3月3日

 自治会は権利能力無き団体
裁判官は、「原告と園原部落との今後の付き合いについてどう考えますか?」と質問したことに、被告らは揃って拒否した訳ですが、そこに操の横領が関与していたにしても拒否したことに代わり有りません。ですから、「部落は拒否していますが、原告としてはどうですか?」が、次の展開となりますが、それらに返答することは、おそらくとして証人尋問になると思います。
原告の訴えは「共同絶交」ですので、「部落から絶交行為があった」が確認されなければ訴えが通用しません。その確認に、回覧板の不配布はもっとも中心的な事実であって、その不法行為を被告らは認めており、それにはすでに争いが無いのです。
部落会に出る出ないの確認は、総会と部落会の違いに有ります。しかし、「お祭りに出るな」「お役に出るな」は被告らが勝手に決めたのですが、その理由が「部落の総意だ」「総会は決議機関」であるからして、裁判官は、被告らに確認を取られたのです。それに対して、「今後の復帰は無い」との被告らの回答ですので、「お祭りに出るな」「お役に出るな」は、被告らからの共同絶交であったとの事実確認が取れたことになります。
このように被告らに確認が取れたことで、村八分の裁判はもはや証人尋問を残すのみとなりました。
 確認事項の今後
回覧板の不配布・お祭りやお役への出席拒否・除雪の積上げ、これらが村八分の具体的な行為であったと被告らは認めましたが、ごみの不法投棄と井水を止めるは、まだ認めておりません。菊美は「不法投棄はしていない」と否定していますが、菊美がやったとは主張してなく、菊美がなぜ否定したのかは質問にあたるでしょうね。それと、井水を止めた件については、村の職員が誰かに電話をして改善されたので、その誰かが井水役である田中友弘でなければ、部落の誰かが井水を止めたとなります。ここでの犯人捜しは不要であって、井水が止められた行為も共同絶交と判断されるのです。令和5年3月5日

 今後の影響
部落が行政の末端機構であるは、自治会は行政とは関係がない団体であると理解されるでしょうが、この地区では同じような団体だとの認識が強くあります。部落で決めたことは自治会でも通用るとの考えで、「章文は智里西自治会の会員ではない」「勝手にやめたことで、園原部落をやめるのも同じ理由であった」と、反論されています。これに対して原告は反論するつもりもありませんが、部落とは何だは、裁判官に説明する必要はあるかと考えます。
 部落とは何だ
行政の末端機構であれば、行政に組み込まれている組織であると言うことになります。では、行政は部落にどのような役目を与えているのでしょうか。分かりやすくとして、行政から部落に委嘱されている事は何かと考えれば、主に、行政からの告知事項や配布書を回覧板で連絡事項を伝えることに有ります。ですから、部落長に行政嘱託員を委嘱し、費用の支払いがあるのです。
さて、部落と行政の役割がハッキリしたことで、ここで部落会費について考えてみましょう。おそらくとして、どの地区でも一定の部落会費を納めていると思いますが、この部落会費について、部落費と部落会費の違いを考えたことが有るでしょうか? 部落費と言えば、部落で賄う費用の事であって、行政の末端機構である部落であれば、部落費などを存在させることは出来ません。ですから、部落費と呼んでいる地区があったにしても、部落費でないことになります。では、部落会費となればどうでしょうか? 部落会費は部落と会費に分けられているとまず認識しましょう。その中で、「会費」の解釈をすれば、会の開催又は運営のために出席者や会員が支払う金となります。部落の連絡会議において金銭が掛かるのであれば、水光熱費が主であって、他に費用は必要としません。それらにかかる費用を想定し、一年分をまとめて支払うのが会費とされていますが、その会費を納めていれば、会議に出席しなくても、とやかく言われることは無いでしょう。令和5年3月6日

 出不足金
その昔、と言っても20年前くらいの園原部落内の事ですが、村の連絡事項で会議を開くに、余りに出席が悪いとして出不足金を支払うが決められていました。会費を集めているのに出不足金の徴収は出来ないを説明して廃止としましたが、平成18年、熊谷和美(操の甥)部落長と熊谷孝志(操の長男)会計の時から、知らぬうちに出不足金が復活されていました。この考えは和美の独断であったが、操の横領を表に出す前の年にまた私が取りやめたのですが、これも復活されています。金を集め横領を繰り返す。操の血筋は大変濃いようですね。
さて、出不足金の話ですが、総会と称して全員を集め、出て来なければ出不足金を科すとの考えを持つのはなぜなのか? であるが、やはり部落を理解できないのでしょう。部落は行政の末端機構だと知れば、その連絡会議に出不足金を科すなどあり得ないですが、和美や孝志のような者達が集まれば、それに大きな声を出すバカが居れば、何でもありなのでしょう。それが今の園原部落です。そういえば、操も孝志も和美もまた、共産党であることに大いに関係しているようだ。
 会計の話し
行政の末端機構としての活動は限られています。早い話が行政の連絡機構であることに、それは回覧板を回せば済むことでありますので、総会と称して会議を開く必要は有りません。私が部落長であった平成17年までは、役員会にて部落を回しておりましたし、回覧板では間に合わないような通知、または、園原部落だけの通知の場合は、かならず村からお達しがありましたので、それにて全員を招集しておりました。それが和美と孝志が交互に部落長をやった平成18年度から、役員会を行わず、総会と称して会議を開いていたようです。彼ら二人の後に部落長になった者は初心者ばかしであって、それが総会だと思ったのでしょう。
なぜくどくどと出不足金なの総会などと書き出したかと言えば、村八分の被告らは、孝志と和美の指示に従って、「毎回総会をやっている」「総会に出ないと言ったのは章文の方だ」と反論してきたからです。ですから、この様なおバカな反論にも、「部落とは行政の末端機構ですよ」「総会は年一回の会計報告を指していますよ」と、小学校の子供に教えるような反論をすることになるのです。令和5年3月8日

 役員会とは
部落が行政の末端機構であっても、行政から部落長に支払われる金員は、配布物と回覧板の手数料だけであります。それで一年間を部落長の任に当たれなどとなれば、誰も部落長などなり手が居りません。ですから、部落を運営する者を役員としているのです。園原部落に限らず、役員に誰が成るのかと言えば組長ではないでしょうか。なぜ組長が役員になるのかは、どこの地区も隣組が各世帯をまとめる最小団体であったからです。たしかに隣組制度は戦前に国がつくった制度ですが、それが今も続いているのが現実です。本来の目的からすれば、国民を管理するとんでもない制度となるのでしょうが、戦前の国民は従順で、その隣組を近所付き合いの範としたのです。
 向こう三軒両隣
組長が役員となるに、ではその役員の手当てをどうするかはついて回ること、そのために考えられたのが、隣組の組合費です。もともとは、隣組のお付き合いに、それではお花見にお祭りに、組ごとの決め事として会費は集められていた。部落が構成させる前の園原の隣組は4組あり、その4組ごとそれぞれに独自な決まりがあった。その様な状況において組長が部落役員になるに、組費がそのまま部落会費とされたのである。年千円のところもあれば、5百円のところもある。その様な違いがある中で一律とされたのは言うまでもないが、今の世代の者達は、組費を部落費と勘違いしているようだ。
部落会費と名打っても、部落長や会計が各戸から集金しない訳を考えてみろ。組長が直接部落口座に振り込む訳を考えてみろ。組費の集金であるからこそ、組長が集めているのだ。令和5年3月10日

 会計の報告先
ここまで書きだしても西地区の住民には分かることは無い。なぜなら、「町内会は戦争に追いやる悪な団体であった」との、共産党語録を信じるものが多いからだ。この町内会は隣組の集合体であるが、この町内会の代わりに部落組織が出来たと考えているようだ。部落ははるか昔から続いている団体だと信じ、そして部落会議は決議機関であり、毎回の会議は総会だと言い張るのだ。馬鹿に付ける薬はないが、被告弁護士もまた、この程度の内容を反論としている。「一般的に、総会とは会計報告を行う会議である」からして、全戸に呼び掛けたとして、それを総会だと称することに問題はないが、原告が主張する総会は3月の年度末総会のことであると、原告弁護士は懇切丁寧に説明している。行政の末端機構が会費を徴収するは無い、と言うより出来ないこと。まして全戸を招集したにせよ、連絡会議に決議はないし、権限もない。「お役をいつにしますか?」「お祭りはどうしますか?」「出不足を取る」を、決議だと言い張る孝志や菊美や和美の頭には、社会生活に対応できる見識は無い。時雄もそうであったが、あまりに馬鹿げた発言であることに、それを指摘すれば、「悪いか!?」の一言で片つけていた。どうも、共産党の底辺は始末が悪いものである。
 三つの裁判
裁判官は、給水停止裁判と横領裁判は事件の関連性が深いとされ、おのおのの証拠を共通せよとされたが、この村八分の裁判は、当初から横領裁判との共通性があることで、弁護士はおろか、裁判期日も同時に行われてきた。ここにきて、村八分の裁判は終盤に入り、残すところは証人尋問となっている。しかし、証人尋問するには、やはり操の横領と関係するからして、横領の裁判が同じように終盤に向かわなくては証言も質問も出来ないとなった。令和5年3月12日

 負担すべき責任
村八分と操の横領には因果関係が発生しているとし、それを証明するには裁判で争うことしかないと判断していたが、その考えは思い通り進んできた。ついでの話しであるが、給水停止裁判も全くに村八分と因果関係が有るに、これら三つの裁判はすべて共通していることを裁判官も認めている。だとすれば、これら三つの裁判が同じように展開を迎えなければ、どの裁判も終結にならないことだ。村八分裁判が終盤だとしても、横領裁判も給水停止裁判も終盤に進まなくては終わらないとなる。この様な展開となるために、これらの裁判は順番に始めたことで、その切っ掛けは給水を停止されたことにある。
 順番の組み合わせ
給水停止がなされなくては阿智村を訴えることは出来ないと、それはそれは我慢の子であった。水道代を払わぬとしたのが令和2年2月であって、その時点では既に村八分は始まっていたが、村八分の裁判から始めては、因果関係が証明できないおそれがある。ならば、給水が停止されるまで待てばよいのかとなるが、給水停止を阿智村は実行できないでいた。それは、熊谷秀樹村長が水道代を払わぬ訳を理解していたからだ。水道代を払わなければ、催促しても払わなければ、給水停止の前にしなければならないことにある。そう、財産の差し押さえだ。それが行政のとるべき手段であって、水道代を払わないとして、いきなりな給水停止は出来ることではない。だが、財産差し押さえも容易でないことに、請求は裁判所となることで、相当な理由が必要である。裁判所では調停か訴訟に進むことで解決に至ることで、それらにおいて解決できない場合に、初めて差し押さえが有効となるのだ。一般的に調停や裁判が行われれば解決することで、そこに差し押さえは不要となる。この様な理由からしてか、水道代を払わぬとしても、まったくに給水停止は為されなく、1年半も放置されていた。これで困るのは私であるに、給水停止がなされなくあれば、村を訴えることが出来ない。ならばどうする。もはや操を訴えるしか残されていなかった。このやり方はまさに正攻法で、こんなに早く村長が動くと思わなかったが、操を訴えてから二か月足らずで、突然に給水が停止された。順番に並べ、順番に選択する。まさに、順列組み合わせの成功である。令和5年3月14日

 二つの横領犯罪
操を訴えたのは「園原水道返還金横領」であるに、操も熊谷秀樹村長も、水道料金返還金には一言も触れず、「管理費の支払い」「補償費の返還」を理由として反論してきた。もはや、訴えた時点で訴訟の原資が食い違ったのである。このことをどう見るかではない。簡単な話し、「園原水道返還金横領」を否定するための抗弁であるのだ。(抗弁:原告の主張する請求原因事実と両立し、請求原因から生じる法律効果を妨げること、すなわち障害し、消滅させまたは阻止する事実を主張することをいう。)まことに分かりやすい展開になっていたのである。「管理費の支払い」と主張するのであれば、管理費の支払いなど求めていないとすればよい。「補償費の返還」だと言い張れば、補償費が返還されたとの事実を証明せよと迫ればよいのだ。だからして裁判官は、管理費の支払い証明より、補償費16万5千円が振り込まれたことを証明せよと通告したのだ。
 補償費とは何だ
補償費は損害の埋め合わせであるが、園原水道を敷設するにあたって、公団は、園原住民の湧水を利用していた住戸(16戸)に対して補償費を支払っているが、補償費を受けた住民らは、その補償費を園原水道の敷設費用に充てるとして村に納入している。そして村は、その補償費も園原水道の敷設工事に充てている。だからして、補償費の返還などある話ではない。
このように、操側の反論の骨子は、最初から崩れ去るのであるが、そこで終わらないことに、補償費の支払いがなされていたと村長が認めている限り、補償費の支払いは事実となる。ならば、補償費を操が受け取る権利があるのかと、そういうことにならないか? たしかに補償費として一定の金額が支払われているが、補償費の返還であれば、公団の支払い明細に、熊谷操の名前が無いのをどう見るかである。操は「園原簡易水道組合の代表として補償費を受け取ってきた」と反論しているが、在りもしない団体に、なおかつ、操が受け取る権利も無いことに、これでは、操が補償費返還の横領も行っていたとしか答えは出て来ない。令和5年3月16日

 管理費の金額
水道料金返還金を操は横領してきた。その金額は1500万円くらいだとしてきたが、それは大きく違うことになりそうだ。まず、補償費がいくらだったかにあるのだが、公団が支払った補償費の全額は580万円だと判明した。これは、道路公団に開示請求を行った結果であるに、そこに間違いは無い。だが、この書面が開示されたことで、ここに大きな疑問が出た。それは、補償費は、園原住民の16戸だけの支払いだと記されていたからだ。当時の園原住戸は全部で35戸在るのだが、なぜ16戸にだけ補償費を支払ったのか? 残りの19戸に補償費を支払わないのはどうしてか? それが双方の弁護士に大いなる疑問を持たせたのだが、私にはさしたる疑問で無く、この書面にて、園原水道は園原住民に権利あることが証明できると確信した。
 補償金があった事実
操は「園原簡易水道組合の代表として、補償金を受け取ってきた」と弁明し、補償金は16万5千円であるとした。熊谷秀樹村長も、管理費36万円と補償費16万5千円を、昭和60年から園原簡易水道組合代表者に支払ったと契約書で証明して見せた。これらが事実であるのかは近いうちに判明するが、ここでまた新たな疑問が出た。それは、「補償費返還は20年間である」とした、矢澤生活環境課長の議会答弁にある。吉川議員の一般質問への返答であるが、16万5千円を20年払ってきたとしても330万円にしかならず、到底580万円には遠く及ばない。580万円が余剰金との扱いであれば、580万に対する利息だけで16万を超えるからして、実質返済はなされてないとなる。これを弁明するは阿智村だが、補償金の返還が有ったとなれば、操は補償金の横領も行ったとなる。なぜなら、操は公団が示した補償金対象者に含まれていないからだ。もう一つ、公団が支払った補償金は、園原簡易水道の工事費に編入したとの覚書があることで、工事費に編入された補償費を返還するなど、行政ではありえない。令和5年3月18日

 16戸と19戸
上の組と東組の共同水道は19戸であるとしたのは私であるに、そこに反論するは孝志であったが、共同水道ではなく、園原簡易水道として、上の組と中組・下平組を含めて19戸としている。ここで操が登場しなく、なぜ孝志が証拠書面で反論したかに疑問が出たが、単純に操の代弁者だと考えていた。しかし、ここにきて、操の考えというより、被告弁護士の作戦であると感じた。それは、孝志の証拠書面であれば、「間違っていました」で済む可能性があるからだ。存在しない園原簡易水道組合だが、阿智村が行政書類において園原簡易水道の存在を認めていれば、裁判官は、園原簡易水道が昭和42年頃(渇水した当時)に存在していたと認めることになる。園原簡易水道が存在していれば、園原簡易水道組合もまた存在して不思議は無かろう。だが、上の組と東組の共同水道が有ったとなれば、それを否定できないことに操の立場、共同水道受益者がある。だからして孝志に証言させたのであろう。阿智村もまた、共同水道が有ったことを認めてしまえば、そこに阿智村の権利は主張できない。なぜならば、当時、阿智村は村営水道を一つも所有していなかったからだ。
 共同水道の存在
昭和32年頃、上の組と東組は共同で水道管を敷設して引水を行った。これに対して操の最初の反論は、「当時塩ビ管など無かった」であるが、塩ビ管の歴史と山口ラジオ店(現山口商店)からの買い付けを詳しくすれば、今度は「塩ビ管などで敷設したものを水道などと呼べるのか」と反論してきている。これには放置の状態であるが、なぜ執拗に共同水道を否定するのかが、公団の補償金支払いでハッキリした。それは、公団は「共同水道の利用者に対して新たな水源を確保します」と約束していただけであったからだ。なにも、園原水道を敷設するなど約束していなく、単純に、共同水道の水源が渇水したことによる、水源を新たに設置するということであったのだ。令和5年3月20日

 祖父の功績
公団に渇水補償を駆け寄ったのは、熊谷清議員である。それは当然に共同水道の権利者であることで、ここでの依頼に補償費など求めていない。「水源が枯渇した」「新たな水源をつくってくれ」この様にしか請求していない。

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