日本一の星空として一世を風靡した阿智村は、今消滅の危機にある。それは村民のほとんどが心のうちに抱く不安でもあるが、その前兆は、岡庭一雄共産党員が、平成10年2月に阿智村長になった時点から始まっていた。そこで最初に行った行政犯罪が何であるのかは、それこそ日本一の星空となったヘブンスそのはらでの、両区所有の共有山山林地代賃貸借料の横領であった。結論から書こう、両区共有山の賃貸借料は380万円有るに、その地代に税金がかかると言い出し、税金がかからぬようにするには登記上の名義人阿智村に一旦賃貸借料を収め、阿智村は地域振興補助金の名目において本谷園原財産区へ毎年、二回に分けて振り込むとした。この提案を始めたのが岡庭一雄村長なのである。これを岡庭一雄と始めた西地区の者が、熊谷時雄(共産党)と渋谷秀逸、そして熊谷操村会議員(共産党)の三名である。これを西地区住民は「村長の提案だ」と「村が決めたことだ」と信じ、本谷園原財産区が両区の代わりとされた。
ここまでの話を嘘だとか、どうのこうだとのたまう村民は誰もいないと思うが、その辺りが阿智村民の民意の低さであることに、なぜそんな必要があるのか? と、考える村民が誰もいないことが恐ろしい。西地区住民がこの話を受け入れるには、西の三悪人に逆らえない委縮の感情があったことによるが、「弁護士の話しだ」とが、まことしやかに伝えられたことに大きな理由があった。阿智村の顧問弁護士と言えば下平秀弘弁護士であることで、熊谷泰人が直接話を聞けば、そのような相談が熊谷時雄から有ったので木下伸二司法書士を紹介したと話したと言う。(木下司法書士は時雄の指示で本谷園原保護誓約書を作成している。)しかし私はこの話が園原部落にあった時から異を唱えた。「共有山の収益に税金がかかることなどあり得ない」「マネーロンダリングと言ってもやる必要はない」と声を挙げていたが、それらは既成事実として進められた。これが行政犯罪になるとはその時思わなくあったが、今まで両区に支払われていた山林地代がなぜ迂回されるのか? その必要性がどこにあるのか? と疑問を抱き、そこを解明するには本谷園原財産区とは何かを調べる必要に駆られたが、それをやるには財産区の総代か山林委員を務めるにあった。しかし、私の声は西の三悪人も聞こえていることで、一向に財産区の役員になるは出来なくあった。そこで叔父である渋谷秀逸に詳しく話を聞けば、叔父がこの犯罪の首謀者であるのに気づいた。このままでは大変なことになると、私なりに手を打ったのが、「園原部落の役員を回り番にせよ」の提案であった。操の飼い犬である田中義幸と熊谷秀二と熊谷義文、とくに、義幸と秀二は毎年交代で部落長と会計を務めており、そこには操の水道料返還金横領が隠されてもいた。この二つの犯罪を修正するには、まずは園原部落の部落長を務めることにある。そして私は当たり前の提案をした「部落長は誰でもやれる。誰もが一度経験することが必要だ。それには部落長と会計だけでなく書記も役員とした三名での執行部としたい。書記会計部落長と順番に経験すれば誰でも出来るようになる。各組から役員候補者を選出し、順番に役員になればよい」と提案すれば、何も分からぬ者は賛成することで、秀二も義幸も従うしかなかった。そしてその後に続けたのは、自治会役員は部落長が終わった翌年とし、財産区の総代や山林委員も誰もが一度は経験する必要が有るとした。そして私の順番になったのが平成12年である。なぜこのような提案をしたのかは、西の三悪人は私の指摘を表に出さまいとして、自治会の役員や地区の役員に私を充てまいと工作していたからだ。令和6年1月1日
財産区の会計になった
計算づくの作戦は功を成し、ついには財産区の会計になった。総代長に成ろうとしたが、そこにはすでに時雄の手が回っていた。両区の総代はと言えば、そもそも区会議員制度であるからして、本谷区三名、園原区二名の五名で構成されており、その中から区長を選出していたが、本谷園原財産区の総代は、戸沢部落・中央部落・農間部落・園原部落の4名とされたのは、園原での総代を二名とすれば、園原の意見が強くなる(操をけん制する時雄と秀逸の考え)との恐れからである。まあ、そんな姑息な話はどうでもよいが、私の総代長を阻止するに、農間部落の総代熊谷友一郎(秀逸と時雄の子分)に役員任命を仕切らすことから始まった。「俺が一番年上なので」と口を開き、「久利の方が章文より上なので、久利、お前が総代長をやれ、おれは副総代長をやる。若いところで康司、お前が会計をやれ」と、一気にまくしたてた。もはや見え見えの口上だが、私に書記をやれと言うことだ。澁谷久利は戸沢部落で自衛隊を退職して、次男であるが家を継いだ秀逸の子分であるに、佐々木康司と言えば中央部落で私より10も下だが、父徹(開発協同組合の組合長経験者)の病死で急遽家督を継いだ何も知らない若造だ。こんな見え見えの時雄の手は読み切っており、だからこそ総代になるとの情報を秀逸叔父に告げていた。私が総代になれば何をやるかは見え見えで、絶対に阻止されると分かっていた。絶対になれない総代長の座を、私が本気で欲していると思わせてたのは、おバカたちへの牽制球であることで、本来の目的は本谷園原財産区の金の動きである。なぜ迂回するのか? それを知るには会計役しかない。そんな私が総代長に成ったとして、けして本丸には近づけない。そう、私が一番欲したのは、会計役である。会計になれば金の動きがすべてわかると言うもので、それで裏事情が十分に判る。だからしての策にはまったのは時雄であるに、そこで友一郎に言ってみた。「友一郎さん、おかしくないか? 一番年上なのはわかるが、それで久利さが私より上で総代長なら、次になる会計役は私が順番だ。そういうことで良いかな?」そして私は会計役になった。令和6年1月3日
引き継ぎ
それは早速始まった。「この金は表に出してはダメだ」と、会計報告に載せてない定期預金通帳を引き継ぐに、その金が何の金なのか? そこにすぐ目が向いた。見れば2千万円以上の金が定期にされていた。(たしか2800万円くらい)それが賃貸借料にしては多すぎると感じたのは、会計帳簿に記載されているヘブンス山林地代は270万円であったからだ。270万円の収入は阿智村からとされ、ヘブンス山林地代と記されており、そのうちの120万円が毎年定期預金に増加積み立てされていた。120万円が平成8年から積み立てられれば、600万円ほどとなるが、2800万円では数字が合わない。残り1200万円はどこから来た金なのか? 調べてみても何も分からない。そのうちに、第三セクターとして株出資した両区の金員200万円が、第三セクター解散後に戻ってきていない。どこに消えたのだろう? そう言えば、2000万円の保証金はどこにあるのか? たしかに両区が預かるとの話しであったが、補償金なら供託されているはずだと、次々に疑問が湧いていた。
契約書が無い
阿智総合開発株式会社と地権者組合が契約を交わすに、私は智里西開発協同組合の専務の立場で立ち会っている。
(★智里西開発協同組合とは、昭和63年に、智里西地区に、国庫補助事業である「リフレッシュモデル推進事業」(宿泊施設・山川体験館・歴史万葉ふれあい館:設計は章設計)の計画が始まるにつれ、平成3年にはスキー場の開発も計画されることから、西地区民全員が『開発にかかる土地の売買はしない』を申し合わせた、智里西開発協同組合(地区民全員が株主)が設立されています。)
智里西開発協同組合は契約の仲介者であることに、立会人として、阿智村と同じく押印署名している。契約をまとめるに、地権者組合員は個人地主20名以上・両区・神坂神社(ミサカジンジャ)であるが、土地種目も面積もバラバラであって、それぞれが契約書を交わすのは困難なことに、土地種目別の賃貸借料を決めての契約であることで、それらの理由において契約書ではなく確認書との形で行われている。(土地種目別の賃貸借料は智里西開発協同組合が決めている。)令和6年1月5日
不審な会計報告
本谷園原財産区の会計は不審だらけであった。他人の土地に、それもヘブンスとは関係しない土地であるに、財産区の会計から賃貸借料が支払われているし、神坂神社の会計報告も財産区を管理する山林委員会で行われていた。なぜ神坂神社の会計報告を山林委員会で行わなければならないのか? 神坂神社は園原部落所有の氏神様であって、お札の販売や賽銭等が収入源で、神社庁の管理下にある。なにも財産区と一緒に会計報告をする必要はどこにあるのか、まったく理解できなくあった。
(★山林委員会とは、平成10年に本谷園原財産区を設立した時に、総会を開かずとして委員会制度を設けたと言う。園原部落・農間部落・中央部落・戸沢部落の四部落から二名の委員選出で構成されていた。これらは、時雄と秀逸が作り上げたものだが、県の財産区条例に基づかずの根拠ない団体である。)
ここで余談だが、部落とは何であるのかを全く理解していない村民が多く居るのに驚くが、部落とは行政の末端組織、いわゆる行政の連絡機関であるのだが、時雄と秀逸、操のおバカは財産区の構成を部落単位にしたことに、財産区の唯一の根拠さえ成り立っていないのだ。まあ、どちらにしても両区の山林地代を横領する目的でつくられた組織、でたらめであることはそれだけ泥棒の証明になることだ。
ここでもう少し神坂神社の会計報告について述べておくが、時雄らが神坂神社の会計報告を盛り込んだのには、やはりここにも横領犯罪が有るからだ。それは、現在のヘブンスそのはらロープウェイ基地と駐車場がある一帯は神坂神社の所有地であることで、そこには多額な賃貸借料が阿智総合開発株式会社から支払われていたが、その地代のほとんどが消えている。その横領の手口が何であるかはすでに判明しているが、今まで隠されていたことに、やはり本谷園原財産区の設立にある。令和6年1月7日
秀逸との対立
渋谷秀逸は私の母方叔父である。だからして、これらの策略に気づくにつけ、都度意見を言ってきた。しかし、既に月川旅館でも数千万円の横領を行っていた叔父には、意見ではとても修正できなくあった。しかるべき手段として、本谷園原財産区の会計において、絶対に修正しなければならないことだけに的を絞り、私は前に進めた。それは隠されていた「ヘブンス山林地代」を表に出すことであった。私が会計になったこの年の前期会計は田中東であるが、この男はどうでもよいので省略するが、「この通帳は会計報告に載せるなと言われている」との引継ぎで出た説明に有った。その通帳は確かにヘブンス山林地代の通帳であるに、会計報告されていないおかしな通帳である。会計報告するなの理由が「西地区に多額な金が有ると分かると議員らから反発が出て、これから地区の開発に村から金が出なくなる」と、時雄と秀逸からの申し入れで会計報告に載せていないというのだ。まるで幼稚な話であるに、元々に議員から追求が有ったのは、伍和の小笠原啓二議員(社会党)が、地域振興補助金の取り扱いがおかしくないか? と質問したことにあったと言う。この話を聞いて、正常なのは小笠原議員だと感じたが、これに乗じたと言え、会計報告に載せないの理由にならない。だからして、ヘブンスから支払われる地域振興補助金の性質を徹底的に調べたのだ。
横領の手口
ヘブンス山林地代を横領するとは、それは大胆な話であることに、たとえ秀逸や時雄が企んだとしても、村が関与しなければこんな話は通用しない。例によって「村が決めたことだ」「村長の話だ」のレベルであって、それを信用させる何かが有るはずだとしたが、そこで出てきたのが「覚書」である。覚書とは必要な事項を書き記した書面であるが、そこに署名押印があれば契約書と全く同じに取り扱われる文書である。その内容にこそ、この横領の手口が記されているとなる。この覚書の存在を確認したのであった。令和6年1月9日
覚書の内容
確認書において締結された両区(神坂神社含む)の賃貸借料は380万円余りである。この380万円がそのまま両区の会計に支払われたのはたったの二年間であるに、三年後には270万円に変わり、そして地代ではなく地域振興補助金として阿智村から本谷園原財産区の会計に振り込まれることになった。そしてこの金の流れを確定するに、そこに契約書が存在した。その契約書は後ほど公開するが、かりに、税金が掛かるを利用したとして、なぜ契約書が必要になるのであろうか? そして阿智村名義であれば、本谷園原財産区の山林でないことになる。本谷園原財産区の山林でないとすれば、契約書など必要ないではないか。この訳の分からぬことに答えを出したのが覚書の存在なのだ。その覚書の内容と言えば、「阿智村の名義であっても所有権者は本谷園原財産区である」と書付しており、地域振興補助金の名目で年2回に分けて本谷園原財産区に支払えとある。この異常な覚書にてこの犯罪を表に出したのが平成27年であり、平成28年3月には、操の横領告発に併せて熊谷秀樹村長に告発している。その時すでに議長あてに公開質問状を提出し、「地域振興補助金は不正な支払いだ」としたが、高坂議長は対応しなくあった。平成29年に、高坂和男議長と熊谷村長と私の三人で地域振興補助金について話し合いを持ったことで、熊谷村長は地域振興補助金の支払いを止めた。それが二年も続いたが、それに反発した秀逸と時雄が、この覚書を盾にして熊谷村長を脅しに入った。この脅しに耐えられなかったのは熊谷村長より岡庭一雄である。西の三悪人との謀略において始めたヘブンス山林地代の横領だが、時雄の開き直りで暴露されれば岡庭一雄の終焉を示す。そうなれば、熊谷秀樹の後に息子を村長にとの裏約束も反故となるし、なりよりも逮捕が待っていること。癌で余命宣告の時雄に怖いものは無い。逮捕収監の前に死ぬのであれば、死なばもろともの覚悟は相当に強い。そして覚書を片手に脅しを打てば、地域振興補助金を支払い続けるしかなかったのだ。令和6年1月11日
覚書が犯罪の証拠
バカ者どもがやることは、どこか間が抜けていて面白い見ものであるが、何も分からぬ村民では、村が潰されたってどうってことは無いのだろう。
さて、話はここで終わらないことに、おまけの話(犯罪の裏付け証拠)が平成30年12月25日に起きていた。まずはその内容をご覧あれ。(議会の回答 クリックしてじっくりご覧ください。)
滑稽
まずは冒頭からして笑ってしまうが、この台本のすべては時雄の作文であることだ。私の追及にやむを得ずして地域振興補助金を止めた熊谷秀樹村長に対して、秀逸も時雄も打つ手がなかった。もはやこれまでかとするに「死なばもろとも」で岡庭一雄に迫れば、それに応えて熊谷村長は地域振興補助金の再開を決めたのだが、今更に再開しますでは通用しない。ようするに、議会が再開を決めなければ実行できなかったのだ。そこで、本谷園原財産区の総代長に子飼いの吉彦を据え、義文が議長であるから時雄と二人で文書の原案をまとめている。この文書を吉川優議員から手に入れていた私は、これが犯罪の証拠になると、ほくそ笑んでいたのを思い出す。まあ、ここまでお粗末だと大した証拠にはならないが、時系列での説明には十分ではないか。さてそこで、「本谷園原財産区」との表題であるが、この団体が存在していない団体であるとの主観が無ければ、この文書を単に見ても意を介さないのではないか。だからしてここで改めて認識していただきたい、本谷園原財産区は存在しないと。(アーテリー道路にかかる三筆の土地の裁判で、本谷園原財産区が存在していない証拠を示していますが、財産区という区は存在しないと理解してください。)そのような認識をもってこの文書を読み返していただければ、大変な文書であることに気づかれるでしょう。令和6年1月13日
再調査・財産区の権利・村の指示
「行政に対して再調査を行った」「財産区の権利は正当なもの」「村の指示に従った」この三点は相当な内容であることは、「毎年270万円の地域振興補助金の支払いがある」ことに対して、議会が「再調査を行い本谷園原財産区の権利を確認して村の指示通り再開を決めました」と、冒頭から言っていることになる。要するに、熊谷秀樹村長が不正な支払いだと判断して支払いを止めた補助金であるに、その判断が間違っていたと、議会が結論付けたのである。
補助金交付規則
「〇ヘブンスそのはら地代に係る地域振興補助金は、補助金交付規則の対象外であること」として、「請求書のみで支払う方法は補助金交付規則対象外」であるとされているが、請求書のみで毎年支払う補助金制度が阿智村で制定されている条例があるのかどうかではないか。条例策定は議会が行うもので、その議会が補助金交付規則の対象外であるならば、補助金交付規則を最初に示さなければならない。もともとに、県にもない補助金交付規則が阿智村にだけ存在しているなど、論議の土台にも上らないではないか。
「平成29年に、村が補助金申請の方法を変更したいと突然財産区に申し出た内容は不適切と言える」とあるが、熊谷村長は地域振興補助金の支払いを止めただけで、支払方法の変更を申し出たことではない。「県からの指導」とあり、県に聞いたがとあるが、県が補助金の流れなど説明するはずもない嘘っぱちだ。「村監査員の指摘があった」として、勝野公人議会選出の監査員が指摘したのは個人の意見でありそれも口頭であって正式なものではなかった、とされているが、この件に対して勝野公人議員は時雄に逆らえなかったのは「澁谷ゆきゑの土地搾取」に一役買っていたからであるが、情けないのはこの件で「俺は議選監査員を辞める」と騒いだことである。時雄に逆らい、地域振興補助金の支払いを不正だと騒げばある程度男を上げたかもしれないが、所詮はこの程度としてさげすめば良い。岡庭一雄の仲間に見られるは結果であるが、阿智村にはこの程度が多すぎないか? 令和6年1月15日
村民からの税金逃れの声
「村民からの声は無かった」「ブログの引用であった」で片つけられたが、私は村民であり、ブログは告発である。「本谷園原財産区は正当な権利で地域振興補助金を受け取っていた。村と議会は本谷園原財産区の信頼を損ねてしまった」として本谷園原財産区に陳謝しているが、地域振興補助金が迂回地代だと判明してもなお、また、本谷園原財産区が存在しない団体であると分かっていたにもかかわらず、議会がこのような答申を出したことの意味は、地域振興補助金として継続させるための方策である。すべては時雄の仕組んだことだが、それに従った熊谷義文議長は相当に重い罪となろう。(この件に関しては村民感情による責任論)
議員は認識せよ
この嘘っぱちを並べたて、このデタラメを議員らは認識したとして「議選監査員の責任」「行政と議員監査員の陳謝」が必要と結論付けているが、勝野公人議選監査員は陳謝したのであろうか? 翌年(令和元年)8月27日に開かれている「月川の運営等に関する説明会」は時雄の独断場であったが、そこで勝野公人議員は時雄と岡庭一雄の顔色をうかがい、子飼いの発言に終始しているところを見れば、しっぽを丸めて義文議長に謝っていたことがうかがえる。負け犬の見本みたいな男である。聞けば、この後に「俺は議選監査員を辞める」とのたまい辞めたようだが、ここまでの意気地なしだとは思わなくあった。この犯罪が表に出るにそう大して時間はかからぬが、その時になってああだこうだと騒いでも誰も振り向かないだろう。役場へ出向いて騒いでいるようだが、そんな間抜けな事をするより、私にすべての事実を話したらどうだ。そうすればこのブログにおいて公表し、汚名をそそぐことは出来る。今一番のことは「澁谷ゆきゑの土地」に関する復命書を作成した裏事情を公表することだ。2月に証人尋問が行われるが、証人尋問が過ぎればもはや舞台は無いと知れ。令和6年1月17日
行政の陳謝
本谷園原財産区は議選監査員と行政に対して陳謝を求めているが、熊谷秀樹村長はそれに従ったのであろうか? 平成30年12月25日といえば、12月定例議会の終了後に開かれた全協だが、このとき、熊谷秀樹村長は章設計の応接室に居た。そう、「岡庭一雄を逮捕させるためには何でもします」と言った時だ。ここに吉川優議員が同席しており、二人して村長の発言に耳を疑った。岡庭一雄の傀儡が岡庭一雄を逮捕させると言うが、これをまともに聞くことはなく、なぜこの事を言わなければならないのかが気になった。まあ、私たち二人を信用させようとのことだが、逮捕させるなら証拠が必要と迫るに、「おかしな契約書がいっぱいある」と「私は契約書を集めるのが趣味なんです」と、全くに乗ってきた。そしてその通り、おかしな契約書がいっぱい渡されたのだ。(ここで渡されたすべての契約書を三筆の土地の裁判で、私の陳述書に添えて提出した。だからすでに熊谷秀樹村長に渡っているが、その件は別のコーナーにて説明します。)このように、熊谷義文議長が本谷園原財産区にたいして陳謝文を作成している最中、熊谷秀樹村長は私の事務所で密談していたのだが、ここで議長の作文は出ていない。義文議長に熊谷秀樹村長は蚊帳の外と言うことだ。まあ、議会が進めることに村長の関与はないし、どうせ時雄の言うがままの筋書きであれば、それで良いですなのだろうと、吉川優議員も私も考えていた。だからこそ村長を呼びつけたのである。「あんな奴は早く死んでもらわにゃ困る」と役場内で口にするほどの熊谷秀樹村長が、時雄の指示に従いだしたと吉川優議員から聞けば、その裏に何があるのか勘繰るより、今のうちに証拠を手に入れるのが先決となる。熊谷秀樹村長は今になって後悔して、「村長は何も渡していませんよ」「阿智村のために一生懸命頑張っている村長を貶めることは止めてください」との匿名の手紙を私に出すのであれば、これらの契約書が証拠になった今は、さぞかし悔やんでの事であろう。令和6年1月19日
偽造契約書の存在
平成31年1月中頃、熊谷秀樹村長はいくつかの偽造契約書を吉川優議員に渡したのは、「熊谷さんに直接渡せませんので吉川議員を通して受け取ってください」との話しからであるが、この事実を三筆の土地裁判の陳述書で明らかにしたのは、渡された偽造契約書の中に三筆の土地売買契約書が有ったからだ。その時は澁谷ゆきゑの土地であるとは分かりもせず、村長が言う「村では買った覚えがありません」と聞いていただけであったが、その売買契約書が盗伐裁判において渋谷晃一からの「ゆきゑの土地すべては本谷園原財産区に譲渡されていた」とされ、この三筆の土地を阿智村に売っていたと言うのであった。さすがに驚いたが、ここで最も疑問に感じたのは、本谷園原財産区との団体が岡庭一雄と西の三悪人において設立されたのは平成10年であることに、この契約書の契約日は平成7年とされていたことだ。であれば、少なくとも平成10年までは名実ともに澁谷ゆきゑの土地だとなる。ならば、この澁谷ゆきゑの土地の地代を横領することを目的に、この契約書が偽造されたことになるではないか。
契約書偽造の目的
ゆきゑの土地に関しては他のコーナーで詳しく書きますが、このように、岡庭一雄は行政書類を整えることで多くの行政犯罪を行ってきたことになるが、はたしてこのような偽造行政書類を作る目的はどこにあったのか? と考えれば、すべてが議会対策と言うことになる。今の議会の様に共産党が支配していれば、そんな手の込んだことも不要であったかもしれないが、岡庭一雄が村長のころは、まだ共産党議員はに三人しかいなかった。まあ、操の様に隠れ共産党議員もいるからして何とも言えないが、ここで一つ思い当たることがある。それは小笠原啓二議員が「地域振興補助金の支払い方」について言及したことに、岡庭一雄村長は「契約書が有ります」として答弁したのではないかと言うことだ。この契約書はゆきゑの土地ではなくヘブンス山林地代のことだが、たしかに阿智総合開発株式会社石田貞夫と岡庭一雄村長の契約書が存在していた。この契約書も熊谷秀樹村長から渡されたものであるが、この契約書の日付は平成12年であった。令和6年1月21日
後付けの目的
阿智総合開発株式会社との賃貸借契約書は一つだけであることに、阿智総合開発株式会社はそれ以外の契約書を必要としないことにある。平成7年に締結された地権者組合との契約書は「確認書」とされており、そこで決められたことは土地種目別の坪単価であった。これがそのまま契約書とされ、地主たちへは阿智総合開発株式会社から直接地代が支払われている。地権者組合の構成は、個人地主25名程度と神坂神社と両区であるのだが、ここに問題となることは何もないが、阿智総合開発株式会社から吉川建設に経営が変わるに、当初契約と全く同じに確認書として吉川建設と契約を交わしている。当初の確認書と吉川建設との確認書は両区の事務所(現在は自治会館とされている)の耐火書庫に保管されているが、一部の地権者にも写しが配布されている。熊谷秀樹村長から渡された契約書には含まれていないのは、岡庭一雄村長に必要な契約書ではなかったからだ。逆から言えば、この二通の確認書が存在していれば、岡庭一雄村長の犯罪の証拠となることで、だからして時雄はこの二通の確認書や関係書類を焼却したのである。確認書が存在していることを熊谷秀樹村長は全く知らぬこと、だからして「村にちゃんとした契約書が有りますよ」と、躊躇なく吉川優議員に渡すことが出来たのだ。さてここで、阿智村の横領の証拠となる契約書であるが、この偽造契約書を作成するにどのような目的が有ったのか? そしてこの契約書において何が行われたのか? そこが明らかにならなければ、この犯罪を立証することは出来ない。
両区を財産区にする
個人地主の地代はそれぞれに支払われるもので、そこに何も問題は無いが、両区の山林地代と神坂神社の地代については、西地区の者は知っていなければならないことだ。しかし、神坂神社の地代がいくらであったのかは、当時からして何も知らされていない。だが、本谷園原財産区の管理者である山林委員会は、神坂神社の会計報告を受けて、それを承認してきた。ここがきな臭いと感じたのが、私が山林委員になった時である。令和6年1月23日
時雄が神阪神社の会計
神坂神社は氏神様であるに、古の氏神であれば熊谷氏しか居なくあった。まあそれはさておき、神坂神社は園原住民の神社であって、本谷は別の神社(山の神様)が農間部落に在った。今から15年前くらいになるか、園原部落だけでは手が回らないとして、本谷区(農間・中央・戸沢の各部落)も加えて管理するようになった。今考えれば、これも時雄の仕業であるが、神坂神社の管理を他区へお願いするのであれば神社総代を置くべきだとして、二名いる神社総代を三名増やし五名にせよと言うのだ。その流れで勝手に決められてしまったが、その二年後、時雄が神社総代として乗り込み、会計をやると言い出したのだ。ここに何かあると勘繰ったのは私だけ、早速にその目論見が表に出てきた。
名義を変えろ
ヘブンスロープウェイ基地は神坂神社の土地であるが、その土地を阿智村名義に変えろと言うのである。ヘブンスに万が一のことが有ったら困る。その用心のために阿智村に名義変更しておけば防げるではないかと言うのだ。話だけでもめちゃくちゃだが、議員様、議長様になった時雄には手がつかず、誰もかしくもしたがった。ここに異議を唱えようにもこの時点では私に何も立場が無かった。なぜ名義を変更する必要があるのかと、普通の者ならそのように考えることだ。如何に西地区民の程度が低くとも、当たり前に抱く疑問ではないか。「なぜですか?」と聞けばよい。たったそれだけのこと、でも誰も何も言えない。それほどに時雄の権力があるのかと言えば、その裏にいる渋谷秀逸のにらみを誰もが感じていたからだ。私も叔父に詰め寄った。なぜそんなことをやるのかと、だが叔父は「俺も良く分からん」と、まったくに関与していないと言った。しかし、私には叔父と時雄の考えで進められていると感じていた。そしてそれが現実になるに、そう時間はかからなくあった。令和6年1月25日
神社地代も横領
秀逸と時雄の考えはすべて本谷園原財産区の設立にある。なぜ両区として今まで通りやれないのか、そこに何も理由は無い。しかし、秀逸と時雄には相当なる理由があった。それが「地代の横領」なのである。どうしてそんなことを思いついたのか? は、地代を横領しなければならない事情があったからだ。最も大きな事情はひるがみの森の経営不振である。温泉給湯権利基金の使いまわしでやりくりしたし(これも犯罪)、そこでも横領を重ねていたようだが、どうも泥棒癖は生まれつきかもしれない。秀逸も月川温泉で横領していたし、どうも根っこはその辺りではないか。そこに岡庭一雄や操が加われば、泥棒集団と言って過言は無い。地代を横領しようと考えるに、どの地代を横領するかであるが、その前に多額な金があるのを知っていた。その金の第一は、「立木補償費4500万円である」この立木とはヘブンスのスキー場造成で伐採される立木であって、毎年150万円の支払いで30年の契約期間の支払いとなっていた。そして平成12年(本谷園原財産区設立)時点で、すでに少なくとも1千万円近くまであった。これを横領するには、この金を管理しなければならない。しかし、この金の管理は両区であって、それはヘブンス山林地代と一緒に支払われていた。ならば考えることはただ一つ、両区の権利を手中に収めることだ。そして考えられたのが「本谷園原共有山」を「本谷園原財産区」に変えることである。しかし、ここではい変えますよとはならない。だからして相当なる理由「両区では税金がかかると弁護士が言っている」、「財産区にすれば税金はかからないと弁護士が言っている」としたのである。だからして始められた本谷園原財産区、そしてその証拠となる契約書が存在したのである。その契約書とは、「甲:阿智村長岡庭一雄、乙:阿智総合開発株式会社代表石田貞夫」であり、この契約書の写しは、熊谷秀樹村長から吉川優議員に渡り、そして私の手元にある。令和6年1月27日
続けられた横領
澁谷ゆきゑの長男建典氏が無くなったのは平成15年初めであるに、本谷園原財産区が設立されたのが平成12年であるに、平成7年の売買契約書(アーテリー道路になっている三筆の土地)に、本谷園原財産区が契約者であるはずはないが、逆から言えば、平成7年の売買契約書にしなければ横領出来なかったことになる。そう、平成7年とする目的は、平成7年に地権者組合とヘブンスそのはら(阿智総合開発株式会社)との契約が締結されていたことによるが、この契約が行われて土地区画整理法に基づく造成工事が始まるに、その造成の中心となるアーテリー道路にかかる地主たちが地権者組合を設立したから工事が始められるに、澁谷建典氏が地権者組合員でないとはあり得ないことだ。平成12年に本谷園原財産区を設立したのは、それまでの地権者組合長熊谷恵治(阿智農協参事)が他界したことによるのだが、この人が生きていれば「税金が掛かる」などの理由で本谷園原財産区の設立はありえない。(恵治氏は農協金融のプロであった。)恵治氏が余命いくばくも無いと知って、岡庭一雄村長と西の三悪人が企んだ横領なのである。そして建典氏も先が無いと知り、三筆の土地地代を横領しようと考えた。だからしてつくられた偽造契約書なのだが、この事実を明らかに出来るのは勝野公人と佐々木幸仁・水上宗光らであるが、事実を話すのは誰が早いかだけの話だ。立つ鳥跡を濁したら、末代まで残ると考えた方が良くないかい。まあ、そう遠くならぬうちに表に出るが、この三人は岡庭一雄の共犯者であれば言い訳もできないのではないか。
本谷園原財産区の問題点
岡庭一雄と西の三悪人が本谷園原財産区をつくったとして、そのこと自体が問題となるは無いが、その設立の目的がどこに在ったのかが問題なのだ。岡庭一雄がハッキリと『両区へ直接支払えば税金が掛かる』と言ったかどうかの証拠はないが、西地区民は『両区では税金が掛かると弁護士が言った』を事実として受け止めてきた。そしてその弁護士は誰かと聞けば、熊谷操さえ「おう、弁護士が税金が掛かると言ったんだよ」で、名前一つ出ていない。このことでさえ疑問を抱くに、操の子分渋谷より州(ヨリクニ)は横に居て「マネーロンダリングだと騒いでもそれが問題になることは無い」と同調していた。そう言えばこの男、園原住民でも何でもなく操が連れ込んだ応援団だが、勝野公人の復命書にしっかり名前が出ていた。「稲武町への同行者『阿智総合開発株式会社渋谷より州』」とね。ならば、澁谷ゆきゑの土地代を搾取した共犯者ではないか。そして澁谷ゆきゑの樹木を盗伐した渋谷晃一の身内でもあるが、このことはこれらすべての犯罪に深く関与していることになる。(ここでついで言っておくが、現地権者組合長の渋谷章行(時雄の子分)は「あれはゆきゑの土地で薫が植えた木だ」と、今になって事実を話している。)令和6年1月29日
税金が掛かる
税金が掛かるかどうかと、このあたりを理由とするお粗末さが岡庭一雄と時雄に在ったとなるが、これらいくつもの行政犯罪を国税局に告発する前に飯田税務署に告白していたのは、「両区の山林に税金がかかるのか?」を確認することであった。税金がかかると村長が言えばそれなりの根拠が有るはずだと、ならばその根拠は何かと知るには税務署に聞くのが一番と、まあ、こんなことは誰でも考えることだが、そして飯田税務署を訪ねたのであるが、そこまで行くにもかなり厄介であった。正面玄関からの話でないことに、だからとして密告でもない。手探りであるが、兎にも角にも税務署へ電話をいれてみた。いきなりこの話を出しても通用しない、だからと言ってどの部署にどのような話から始めればよいのかと、これも場当たりであったが、やはり脱税の告発として始めるしかなかった。告発であれば告発の専門官がいるはずと、そしてアポを取ったのが平成29年4月某日である。なぜこの日なのかと言えば、税務署に告発するに、税金がかかるの話しだけでないからだ。そう、操の横領もあれば月川旅館の脱税と国庫補助金の取り扱い、飯田市官製談合にかかわる脱税行為、四つも五つも告発するに、それらの証拠を用意しすれば、一抱えでも収まらない量である。この際だからと考えたのも確かであるが、すべてを話すには時間が足りなかった。操の横領を警察に告発するタイミングで始めたが、税務署での対応は単純であって、必要な書面をコピーするのと、話の概略をメモに取るだけであった。何か物足りないと感じたのは、刑事の対応と全く違ったからだ。冷めていると言えば分かりやすいが、冷静沈着に事を進めるとも違う、何かおざなりを感じていた。そしてそれは期待通り、単純明確な答えに現れていた。「行政に税務署は関与できない」である。当たり前の話しであるが、正面切って言われればいかんともしがたい。ならば民間から、そう、ヘブンスの方から調査できないのかと突っ込めば、何も無くては始まらないと言うのである。ようするに、ヘブンスそのはらの脱税告発ならばやれると言うことだ。全くにその通りと理解するに、それでも刑事が言うところの行政犯罪になるのではと聞けば、たしかにそのとおりと、だが、それも税務署が関与にあらずといわれれば、成す術がないとも思わなくあった。しつこいと言われればそれまでだが、これから何をどうすればよいのかが見えて来た。令和6年1月31日
二度目の告発
税務官は気になることを言った。それは「ヘブンスそのはらに脱税があれば」である。ならば、月川旅館での税務署の摘発は脱税であって、それも渋谷秀逸社長の横領が先に在った。これを山林地代の横領が元に有れば、行政としても告発は十分可能だと感じていた。そして本谷園原財産区を調べるに、税金が掛かるとして山林地代を迂回する。それは脱税と判断されるが、そこに証拠となるものは無かった。ようするに、話だけが先行しており、それを裏付ける書面が何も無かったのだ。本谷園原財産区への入金を調べても135万円が二回に振り分けて阿智村から入金されるに、阿智村と本谷園原財産区との契約書や書付が何もない。契約書がなぜ無いのかと聞けば、補助金だから契約書など必要ないと言う。ならば、補助金が毎年支払われるなど無いと言えば、これは特殊な補助金だと言う。これではまるで押し問答、だが、行政側から見れば、補助金であろうがなかろうが、契約書の類が無ければ振り込むことは出来ない。だが、行政書類が容易く手に入ることはなく、まして犯罪が隠されていれば、熊谷秀樹村長としても警戒するだろう。この様に手をこまねく中で、熊谷秀樹村長に異変が出た。それは、吉川優議員の懸念から「村長がおかしい。月川温泉の建て替えに補助金を出すと言っている」ちょうどその頃好泰からも「議会を傍聴したが村長の発言が今までと変わってきた」と連絡が有るに、吉川優議員に再度聞けば、どうも村長の動きが怪しいと言う。ならば、村長に直接聞いてみるとしたのが平成30年12月議会定例会の最中であった。令和6年2月2日
このタイミングで面白い葉書が届いたので、ここに公開します。まずはクリックしてご覧ください。 匿名の葉書2 このはがきは匿名で有りますので、このコーナーにおいて返信させていただきます。
匿名者
以前、封書でありましたが、「村長は村の文書を渡しておりませんと言っています」「村長は村をよくしようと頑張っている」とか、「あなたが持ち出したとしか考えられません」などと、今回と同じ内容の手紙が届いており、ブログで公開しておりますが、この匿名者は以前と同じ方のようです。手紙の内容からしてもしかしたら熊谷秀樹村長が書いたのかもと考えましたが、今ここで、同じ内容のハガキが届けば、やはり女性の方のようです。熊谷秀樹村長でないとの理由はですね、三筆の土地の裁判で村長から渡された契約書のすべてを証拠として提出したので、下平弁護士から熊谷秀樹村長に届いているのです。ですから熊谷秀樹村長ではないと言うことです。熊谷秀樹村長はこの女性に対して「そんなことはしていない」と言っていたようですので、このような手紙の内容になったのでしょう。さて、ここまででもはや興味はこの女性が誰か? に移りましたので、私の想像にてお答えいたしましょう。
女性の不安
この女性、まったく変わらぬ心配事は「公文書の公開規定違反」を熊谷秀樹村長が行ったことでありましょう。熊谷秀樹が行った多くの犯罪の中身ではなく、単純に、村長としての不法行為を心配していることになります。この女性が熊谷秀樹に近い方でなければこのような心配はしないのではないでしょうか。常識ある方で熊谷秀樹を心配するのであれば、熊谷秀樹が行った犯罪の中身を心配することで、村長の不法行為など心配することではありませんし、村長が渡した公文書の中身を知りたいとなるでしょう。令和6年2月3日
共産党の政治
この女性は共産党です。それも熊谷秀樹村長の政治に深くかかわっていた方でしょう。そう、おそらくとしてここ10年以内の議員ではないでしょうか。そして下平弁護士ともつながり(共産党として)ある女性です。では、この女性がどの様にしてこのような心配事に行きついたのかを、もう少し詳しく説明しましょう。
女性議員の誕生
阿智村の村会議員には、常に共産党議員が二名居りました。特に智里東からの議員が共産党だとのことは、石原衛と言う智里農協組合長上がりの共産党議員が人物であったことによります。石原衛は社会党でしたが、党はほかの候補者を公認していることから、やむを得ず共産党の公認を受けたいきさつがあります。その頃の智里村は小中学校の先生のほとんどが共産党であって、その影響を受けた団塊の世代が青年団(今の民青)をとおしてどんどん共産党思想が形成されておりましたので、その青年団を後ろ盾にして石原衛は選挙を打ったのです。その頃の青年団に居たのが岡庭一雄や熊谷操なのです。櫻井久江や高坂美和子などは囲い女史と言っても良いのではないでしょうか。まあ少し遠回りから始めましたが、学校の先生のほとんどが共産党だとのことはお判りいただけたと思います。そこで、阿智村の議員に女性が登場した時のことを思い出せば、平野女史ではないでしょうか。この方の夫は平野千秋で教員上がりの村会議員でしたね。この平野千秋は父が村会議員に立候補すると届けれれば「60票を60万円で買ってくれ」と、打診されております。当然に断っていますが、その土壇場において妻を急遽立候補させたのです。(信じられない話だと思われるでしょうが、平野氏の地元では有名な話ですよ。)平野千秋は生粋の共産党でしたので、ここで高坂美和子は「村政に女性を!」を選挙スローガンとしてトップ当選を果たしたのは、女性の浮動票を集めることに成功したからです。しかし、この選挙方法に色めきだったのはほかならぬ岡庭一雄、村長選をいかに戦えばよいのかに、共産党を一時抜けた形にして吉田博美県会議員を後ろ盾にしたのです。(ここもさんざん書き出したのでここまでにします。)令和6年2月5日
吉川さんに聞く
「議会で村長に問うたようですが」? そんな裏話をどうして知っているのですか? 「文書取り扱い規定に違反して」とあれば、私が盗み出したことにはならないでしょうが、議会として放置できない? 何か話がちぐはぐですね。議会は既に村長に確認した訳でしょ。村長が私に渡してないとの返答ならばそれで良いでしょうが。いつものことですけど、まだ何も始まっていないのに村長に議会は問うたのでしょ。おかしな話は私でなく議会ではないでしょうか。公文書を勝手に持ち出したのが村長などと、操の横領裁判でも給水停止裁判でも、そして三筆の土地の裁判でも、議会に裁判の状況が知らされていないのに議会は村長責任を早くも口にした。そんなことが有るのでしょうか? まあ、阿智村の共産党議会では通用する話のようですね。それにしても「吉川議員に聞く」とまでのこと、匿名者はそのような考えで議員でおられたのでしょうか。お粗末極まりないですね。吉川議員に聞くとの考えは、村長が言うところの「渡していない」を信用せずとした議会の考えになります。ですからちぐはぐだと言うのですが、そこが分からない匿名者であれば、この様な手紙を私に出すことは止めましょう。時間の無駄ですからね。だいたいにして、追い出された吉川優氏が、このくそ議会に何か物を言うのであれば、皆さん村を潰した犯罪者ですよ! だと思いますよ。
匿名者二回目の登場
ここでまた一つ、匿名者が登場したようですので、ここに公開いたします。怪文書 クリックしてご覧ください。
操は警察から言えば重要参考人であることだが、操の横領裁判いおいては最大の重要証人尋問者である。これは「操さんの尋問は欠かせません」と、裁判官が言わしめたほどである。しかし、被告弁護士はそれに反して、操の証人尋問申請を取り下げるとされた。そしてその理由こそが、匿名者から突然届いたこの怪文書に有ると言う。ではごゆっくりこの怪文書をご覧あれ。令和6年2月6日
操の仮病
操はこの手紙を読んで倒れたと言う。緊急搬送で市立病院に運び込まれたと言う。そしてあっさり帰されたと被告弁護士は言った。緊急搬送されて帰された? このこと自体がおかしな話ですよね。今全国的に話題となっている「救急車のタクシー利用」と全く同じで、帰りに買い物でもしてきたのでしょう。では、なぜこのような臭い芝居をしたのかと思えば、「証人尋問を避ける」狙いがあったからです。その辺りについてはもう少し後に説明しますが、この操に届いた匿名の手紙につてかなりおかしなところがいくつかあります。まずは「ブログの引用」ですが、このコーナーを始めたのは今年に入ってからですが、わざわざ取り上げるには内容が薄いところである。ここでの一番は「100万円を村が横領している」であるが、この匿名者からすればたいして問題ではなく「村長から渡された」とのことが重大なようだ。この様な観点は先の匿名者と全く同じであるから、やはり、同じ人物だと考えられる。次に、私のブログをそのままに写し取ることは、パソコン利用者でなければできない操作であることに、年配者では無理ではないか。まあ、誰かに依頼したとも考えられるが、その誰かも同じ共産党だろう。その次は、「操に送る内容か?」ということだ。公文書を村長が渡したのではないかと心配していると結んでいるが、こんな話、操に送り付けても意味が無い。だが、操はこの手紙を読んだとたんに倒れたと言う。はて、どこに操が興奮するようなところが書かれているのか? そして極めつけは「熊谷秀樹村長支援者様」である。これは宛名なのだろうか? それとも差出人なのか? まあ、この辺りに、操の目論見と一致するところがあるようだ。
自作自演
まずは、操の身近にパソコンを扱える者が居るのかと言えば、甥の熊谷和美である。和美であればブログを写すなど朝飯前で、それこそ操の横領の証拠を捏造するに、パソコンを利用しているからしてあり得る話だ。そこで和美と想定してみれば、「熊谷秀樹村長支援者様」が大いに意味を持ってくる。操は確かに熊谷秀樹村長の支援者様であることに、それであれば、熊谷秀樹村長村長支援者様が頭に来るはずだ。だからして、差出人は熊谷秀樹村長後援者様は差出人となる。そこで、思わず「様」をつけたのは、代筆者が居たと言うことだ。差出人自身が書いたとなれば、間違っても「様」をつけることは無い。令和6年2月8日
操が説明できる場
この匿名者が本当に熊谷秀樹村長の後援者だとしよう。そこでだが、「嘘だということを説明してほしい。」と結んでいるが、操にこの様な事が説明できるのであろうか? この簡単な疑問に行き着くに時間はかからぬが、この怪文書(操が言っている。)で、操が証人尋問できなくなったと言うのである。あまりに馬鹿げた猿芝居だが、その辺りはこのコーナーでは不要であることで、操の横領裁判については、別なコーナーを立ち上げますので、しばらくお待ちください。
さて、話を戻すにどこまでかと言えば、やはり税務署の下りとなろう。二度目の税務署訪問で訴えたのは、「地代の税金」である。まさかとして、「25名の地主に税金をかけていますか?」などは答えられることではない。ならば、「このような場合課税はどうされていますか?」である。だが、このような場合の事例が無くてはそれも聞けないことで、なにを事例としたのかは「名古屋在住の原氏の土地(250坪くらい)を阿智村に寄付して脱税した」を持ち出してみた。すでに時効が成立しているが、アーテリー道路に隣接している土地であるからして、まったくに都合がよかった。そこでの返答はあっさり過ぎて戸惑ったが、「名古屋の税務署扱いです」は、なるほどに感じた。時効前に名古屋税務署に告発すれば脱税で検挙されたと言うことだ。ここで少しお利口になったのは、ヘブンスそのはらの地代横領はいまだ続いていること、そう、じっくりと証拠を集めて告発すれば、脱税では収まらない大事件となることだ。確かに始まりは脱税であるが、管理官が言うところに「警察との合同捜査」となるだろうとも、そこで警察が行政に手出しできなければ税務署も手出しできないとなる。しかし、行政に手出しできる捜査機関がどこかと言えば、国税局しかそこにない。令和6年2月10日
飯田信用金庫
行政と同じく、税務署は金融機関への捜査権はない。それは警察も同じであることに、ならば、やはり国税局は金融機関へ直接乗り込めるとなる。このように、ヘブンス山林地代にまつわる犯罪は、飯田信用金庫も関与していることで、そこに警察や税務署の捜査が出来ないとなれば、国税局に行くのに迷いは無かったのだ。ここに早くも気づいていたのは吉川優後援会の伏見氏である。なぜかと言えば、伏見氏のご子息がマルサであって、国税局へ告発せよと進言されていた頃のタイミングであった。税務署が言うところを参考にすればマルサでも扱えない犯罪と言うことなのだ。
信金も潰す
国税局の管理官が言う、阿智村をつぶすならヘブンスも信金もその前につぶすことは当然でもあるが、飯田信用金庫の不正はこれだけではない。昼神温泉組合の基金を運用して時雄が経営するひるがみの森へ多額な融資をしたこと(リフレ昼神制度資金)は、阿智村との合同犯罪であるし、もっと恐ろしいことは、鶴巻荘の積立基金の5億円をヘブンスの購入資金に充てたことだ。それがなくして一介の従業員である白澤佑次がヘブンスの社長に抜擢できることではない。村民の誰しも疑問に思うことを、飯田信用金庫はやって見せたのだ。この告発も県警に行っているが、手が出せないのはともかくも、手を出せるだけの能力を備えていない。その能力があれば、県警の特捜班を使えばよいことだ。証拠がないとか何とかでごまかしているが、証拠を集めるのが警察の仕事だとを忘れていないか。まあ、県警に愚痴を言っても意味が無いのと違う、証拠はすでに渡してあることで、国が介入するのと全く違う捜査であることなのだ。国が潰そうがどうしようが、県警は刑事訴訟法に当たる犯罪であれば、逮捕起訴するのは必然的な結果なのだ。令和6年2月5日12日
契約満了
隠しても隠しきれないことに、すでにヘブンスそのはらと地権者組合の賃貸借契約は満了を迎えた。そう、平成7年の契約から30年が経過したのである。この重要なことに、地権者組合の誰もが何も言わないのはなぜか? 現在の地権者組合長は渋谷章行である。この男、言わずと知れた時雄の子分であるが、操とも深くつながっている。そして昨年12月に、突然地権者会議を開くとの通知が来た。何が突然なのかと言えば、地権者組合の会議は平成30年まで毎年開かれていたことで、ほとんどの会議は月川旅館で行われていた。組合長が通り一遍の挨拶をし、ヘブンスの白澤社長が「お世話になっております。借金経営で頑張っておりますので、地代については今まで通りで協力願います。つきましては粗酒粗肴ではありますがゆっくり御歓談ください」と話すだけの会議である。このくだらない会議に出席せず月日は流れていたが、平成30年の会議通知において、久しぶりに出席ししたのは、当然として渋谷章行組合長と白澤祐次社長を追求するためであった。
渋谷章行組合長への追及
時雄の残した悪行為は、「アーテリー道路を換地せよ」である。なぜアーテリー道路を換地しなければならないのかは、アーテリー道路を阿智村の所有とするためだ。換地とは名ばかしであって、実際は阿智総合開発株式会社(ヘブンスの当初経営会社)が残した契約金(保証金)2千万円を横領するためであった。そして裏に隠された本来の目的は、阿智村とジェイマウンテンズセントラル株式会社との賃貸借契約書を本物とすることにアーテリー道路を村名義にする必要があったのだ。
平成12年、岡庭一雄村長と西の三悪人(+渋谷章行)は、両区の地代と立木補償金(4500万円)と5000万円(阿智村から地権者組合に支払われている不明金)を横領する目的で「本谷園原財産区」をつくり上げた。そしてそれは実行されたのだが、阿智村が地主となるには「山林地代に税金が掛かる」の理由で通用しないことに、確かに阿智村が地主だとの証拠が必要となる。それにはアーテリー道路を村道として村の財産としなければならない。だからして、換地と言う名のもとに、アーテリー道路にかかる地主らから買い上げたのである。令和6年2月14日
換地とは何か
平成30年の地権者組合の会議において、「換地とは何か?」と渋谷章行組合長に直球を投げてみた。答えられるはずがないが、他の地主たちも換地は村が進めることで従っている状況であった。そして白澤社長に偽造契約書(白澤社長と岡庭一雄村長)の一つを見せて、これは何ですかと聞けば、黙って下を向いたままであったのは、そう、もはやこの時点で勝負はついていたのだ。換地の本来の意味はこの際どうでもよいことで、なぜ岡庭一雄と時雄はアーテリー道路を村道としなければならなかっのだ? であるが、そこにはヘブンス山林が阿智村の名義であったことによる。「両区の山林でも登記上は阿智村の名義になっている」「両区へそのまま地代が振り込まれると税金が掛かる」「税金が掛からぬようにするには、いったん地代を登記上の阿智村に収めることだ」これが岡庭一雄と時雄の作戦なのだが、おかしなことに、西地区の者全員がこの考えに従った。そしてそれが実行されるに不平は無く、380万円が270万円に減ったにしても、そこに気づく地区民もいない。まんまと毎年100万円を横領できたが、実際にある問題を岡庭一雄は抱えていたようだ。「両区の山林に税金などかからない」との私の追及である。私の指摘を防御するには、ヘブンスにかかる土地を阿智村所有の土地とし、ヘブンスから阿智村に地代が支払われるようにしなければならない。そして目を付けたのが「アーテリー道路を村道として所有する」であったのだ。まず最初に目を付けたのが澁谷ゆきゑの土地であり、都合が良いことにゆきゑの長男建典氏は余命いくばくもない病の床に在った。だからして偽造契約書において乗り切れば、あとは、アーテリー道路とされた他の地主たちを換地と称して名義を阿智村に移す。そしてアーテリー道路にかかる土地の所有者が阿智村となったのだ。この形であれば、「アーテリー道路の所有者としてヘブンスと契約が出来る」そして地代は阿智村に収められるとした。しかし、それではアーテリー道路にかかる地主たちは納得しないことで、「換地費用を払いますよ」「地代は今まで通りヘブンスから直接支払われますよ」として、実際に換地費用が各地主たちに振り込まれたのである。(このことを三筆の土地裁判で証明した。)令和6年2月16日
地主の横領
換地費用として、吉川建設から400万円が支払われていると言うが、実際は契約金(保証金)の横流しである。2000万円ある契約金がこの時に消えた。どこに消えたのかは岡庭一雄と西の三悪人のところへである。ここを詳しく言えば、まずは、阿智総合開発株式会社は第三セクターであったとを念頭に入れていただきたい。ようするに、契約金(保証金)2000万円は第三セクターが供託していると言うことだ。この第三セクターが解散して吉川建設単独の経営になるに、吉川建設はこの契約金を引き継げますか? この常識的な話をどこかにおいて、「吉川建設は契約金のうちから換地費用400万円を地権者組合に差し入れた」を本気としてはいけません。でもね、吉川建設と地権者組合は『400万円を換地費用として差し入れます』との契約書が存在しているのです。不思議な話ですよね。
第三セクターへの出資金は八十二銀行と飯田信用金庫が基本的な出資を行い、そこにコクサイの石田社長と吉川建設の吉川社長が出資、そして阿智村が1000万円の出資、両区(本谷区と園原区)が200万円の出資、(石田社長の子飼いであった竹村設計が1千万円)この第三セクターが解散したことは、夫々の出資金がそれぞれに利息を付けて返されて初めて法的に解散できる。阿智村は行政なのですからね、法的に解散しなければ第三セクターは解散できません。
さて、話は戻りますが、吉川建設は返された出資金1000万円を契約金(保証金)として供託するに、そこには何も問題は在りませんよね。ならばどこに問題が在るのでしょうか。そこの問題を明らかにするには、平成12年の村長が誰であったのか? そこを考えてみましょう。まあ、言わずと知れた岡庭一雄ですが、ここでもう一つ気づいていただきたいのは、時雄が村会議員になったときであります。そこが最も重要であって、村長と議員の立場を大いに利用したのです。どのように利用したのかの一つは、『両区の出資金200万円を時雄が横領』『阿智村の出資金1000万円を岡庭一雄村長が横領』したのです。そう、ヘブンスそのはらに関わる横領犯罪の原点は、この横領から始まっていたのです。令和6年2月18日
地権者組合とヘブンスそのはらの契約満了について
昨年の12月下旬において、6年ぶりに地権者組合の会議が開かれることになりました。しかし、出向いてみれば、渋谷章行組合長がいきなりとして「役員改選」を言い出したのです。そこで好泰(地権者)は、「今までの進め方に多くの疑問がある」ようなことを言いだしたのですが、とりあえず組合長の話を聞いてからとなだめれば、「組合長・会計・副書記・本谷園原財産区・神坂神社の5名の役員がいるが、組合長と会計だけが変わる」と言い出した。そこで、次の組合長に誰が良いか、推薦が無いようなので私の方から腹案を言うが」と始めたことで、「はい」と手を挙げて、「私が立候補します。阿智総合開発株式会社と地権者組合との契約に立ち会っていたのは現在では私だけですので、ヘブンスとより良い条件で再契約したいと考えています」と、立て続けに話せば、組合長は絶句し、好泰自身も何も言わなくなりました。一通り話せば、「お前さんは阿智村と裁判しているじゃないか、それが組合長になるのは如何な事か」と組合長は口を開いた。そこで、「裁判と組合長の人選に何か関係が有りますか?」と言えば、「それは判らんけど」と、すっとぼけた顔をする。まあ、私が組合長になれば、すべてバレてしまうとの懸念であって、絶対に阻止されると見えていたが、そこで尚さらに「財産区の役員がいると聞いたが、本谷園原財産区ってことかな?そんな団体が地権者組合に居るんですか?」と言えば、「ああ、財産区は組合員だ」と言う。ほう、本谷園原財産区と言う団体は地域振興補助金と言う形で両区の山林地代を受け取っていると聞くが、それであれば組合員ではないではないか。地権者組合はヘブンスと契約しているのに、阿智村とヘブンスが契約して、地域振興補助金と迂回されている本谷園原財産区であれば、それが山林地代の代わりなので、村とその財産区とかやらが契約していることではないですか。ならば地代が村から払われていることで、それであれば地権者組合に入って役員だとはおかしいじゃないか。ヘブンスの山林は両区の財産であって、そこに税金が掛かると言い出して迂回したのは岡庭一雄村長と時雄と秀逸さんではないか。それはそれで行政犯罪と言う大変な犯罪だが、そこをおいたにせよ、ならば、ヘブンスそのはらの白澤社長は阿智村と契約していることになるが、そんな契約書のことなど私は聞いたことも見たことも無い。おかしいじゃないか。令和6年2月20日
契約書は有る
「犯罪だか何だか俺は知らん。お墓に行って聞けよ」この悪態を渋谷章行組合長は吐いた。お墓に行って聞けよは、時雄と秀逸が死んでいないと言うことだが、組合長が言う言葉ではないとして、「税金が掛かるとして阿智村に両区の山林地代がヘブンスから支払われるなら契約書が有るはずじゃないか!」と追及すれば、「契約書ならあるぞ」と言い、それを回して見せてきた。驚いたのは、私が熊谷秀樹村長から吉川優議員の手を介して手に入れていた偽造契約書と同じ契約書の写しが其処に在った。(阿智村長岡庭一雄と吉川建設吉川光圀社長との270万円の賃貸契約書)好泰はそれコピーして全員に配ったが、「両区の山林地代をなぜ阿智村と吉川建設が契約しているのだ?それに両区の山林地代は380万円だが、110万円の契約書はどこにあるのか!?」と言えば、「俺は知らん。阿智村が契約しているのだからそれでいいんだ」と言う。だったら、阿智村が地権者組合に入って居なけりゃおかしいじゃないか、阿智村と契約しているなら本谷園原財産区が地権者組合員であるはずがないと言えば、もはや章行はパニックであって、そこに、「換地費用として400万円吉川建設から受け取っている契約書を持っているが、その400万円はどこにあるんだ?」と言えば、それもまた驚いたことに、「400万円の定期はここにある」と言い、またもその定期預金通帳を回して見せてきた。もはや重症である。このことがいかに恐ろしい犯罪であるのかを渋谷章行組合長は全く分かっていなかった。まあ、泥棒だからして感度が違うようだが、この辺りは操や孝志と全く同じで、章行がいかに操とつうつうであったのかがわかる。「おい、これは大変な事じゃないか、これは吉川建設から2000万円の保証金をだまし取ったことで、詐欺になるぞ!そして今まで隠していたことは横領だ。大変なことにならないよう、早く吉川建設にこの400万円の定期預金は返すことだ」と言えば、「おうそうだな、返すは…」と開き直ったようだ。しかし、ことはそこで治まらない。なぜならば、「親父が残した資料を見ていたら阿智村から地権者組合に5000万円の金が入っているが、この5千万円はなんの金ですか?」と、またもやとんでもない話が出た。令和6年2月21日
横領は1億円を超える
阿智村から地権者組合に5千万円の金が入っている? いきなりな話しであり、好泰からそのような話はこれまでに一切聞いていなかった。好泰が何を言いたいのかはすぐにわかったのは、渋谷章行組合長が「それは義信の土地を…買った…」と、しどろもどろの話が出たからである。ここで新たに義信との名前が出たことで、ついでと言うか重要なことなので説明するが、渋谷義信は時雄の家と深い親戚関係にある。時雄の方が年下であるが、父鷹次郎(高利貸し)から義信は多額な金を借りていたことで、時雄に従っていた。義信は飯田市にある佐久間電機に長く務めており、のれん分けの様にしてに東羽場松川橋近くで佐久間家電を開設している。使い込み社員がいたりして、また金回りも悪くして倒産したが、そこにおてすべての財産が担保に取られていた。そのような状況の中で始まったヘブンスの開発事業、そしてアーテリー道路にかかる土地に、抵当権設定された土地が存在した。義信は当然として地権者組合員として阿智総合開発と交渉する側にあったが、義信の考えは「高額で土地を買い上げてほしい」であった。それも当然だろう。抵当に入っている土地がアーテリー道路になったとしてもわずかな地代しか入ってこない。そんな話では数千万円の借金を抜くことは出来ない。だからして、買ってくれと交渉するはやむを得なかった。しかっし、買えない事情が阿智総合開発株式会社側にあった。それが「土地区画整理法では土地の売買が禁止されている」である。国の許可での造成工事に、そこにかかる土地を買い上げるのは、絶対に出来ないのである。だが、それで治まる義信ではなく、買ってくれなければ俺の土地は貸さないと、そう、地権者組合を抜けたのである。
ここまでの話を聞けば、好泰が言うところの5千万円の話がぼんやりと見えてきたと思う。しかし、話はそんなに簡単ではなく、義信が業を煮やして地権者組合を抜けたとすれば、義信の土地がアーテリー道路になっている訳はない。令和6年2月23日
行政犯罪の始まり
義信とのもめごとは平成6年であります。まてよ、阿智総合開発株式会社と地権者組合の契約は平成7年ではないか? ならば、義信は平成7年の契約時には、すでに地権者組合を抜けていたことになるが、そんな話は聞いていない。どうも、この辺りがきな臭く、義信に5千万円が渡っていればそれはそれでおかしな話だし、好泰が言う通り、5千万円が消えていれば、地権者組合の誰かが横領したことになる。
渋谷章行組合長の不審行動
換地が間違いだったと、換地費用の400万円は吉川建設に返すとか、岡庭一雄村長と吉川建設とのヘブンスそのはら山林地代の賃貸借契約書があったとか、まことにきな臭い話が出るに、そこにおいて好泰は5千万円の使途不明金があると言い出したことで、渋谷章行組合長は開き直り、地権者組合の会議を打ち切った。そこで私は、「換地費用は詐欺ではないか!」「契約金を横領しているじゃないか!」「徹底して追及するぞ!」と章行に言い放ち、帰路につくに、そこに好泰がこれ以上ない顔つきで出てきて車に乗り込もうとした。そこで私は好泰に近づき、「驚いた」と言えば、「絶対に許さん!」と言いはなすと、そこに章行が何とも言えない顔つきで出てきたことで、好泰は章行に一瞥もくれず帰って行った。だが、話はそこで終わらない。12月24日の日曜日の早朝に、招かざる客が突然来た。これにはさすがの私も驚いたが、その魂胆は見えていた。
外で薪割する私に妻が呼びに来た。「お父さんお父さん」と、かなり慌てた様子に何事かと聞けば、「ちょっとちょっとお客さん」ん? 誰かと聞けば、「あのう、昨日の、ほら章行さんとか、そうじゃないかと」ん? 章行!?本当にか? どこにいる、玄関外か? 「玄関の中にいる」玄関? なんだ、玄関に入ってきたのか? そうか、と言って玄関に向かえば本当に章行が居た。これには確かに驚いたが、何の用事に来たのかはすでに察していた。「やあ、昨夜はどうも、俺も何のことかよくわからなかったし、お前さんが組合長に立候補したのを反対したわけじゃない。お前さんが裁判しているって聞いたんで、それがヘブンスに関係していると思ったのでああ言ったが、なにも組合長になるのを反対したわけじゃないんで、裁判がなんだ関係ないならお前さんに組合長をやってもらいたいと思って…」令和6年2月25日
信用するバカ
この話しを書き出しても、誰も信じない話ではないのかと、そんなつまらぬことを心配するが、これが渋谷章行なのだ。同級生でも有名な嘘つきであって、それも金に汚いと評判な奴が渋谷章行と言う男なのだ。時雄にくっつき、操にこびて泥棒を繰り返した男が、私の家にまで乗り込んでのこの行動に、いよいよ切羽が詰まったと感じていた。まあ、立ち話も何なのでここに座ってと、「おい、座布団を持って来い」と言った矢先に、すでにお茶を出そうとしていた妻は、即座に座布団を用意した。「おかあちゃ、申し訳ないな、いただきます」と、気持ち悪い愛想をふるまっていたが、一息ついたころに、「昨日言ったように、ヘブンスとの再契約が重要なことで、その交渉が有利に出来るのは私しか居ないではないか」と言えば、「いや俺はなあ、裁判をやっているって聞いたんで、それが何だかわからんで、それだけが心配だっただけだ。今聞いて安心したんでそれだけの事なんで…」章行の話などどうでもよいが、その魂胆がどこにあるのかを知りたくあり、少々突いてみた。「分かっていると思うが白澤祐次は終わりだよ。だからと言ってヘブンスが潰されるわけではないし、社長交代で話はつく、そこに地権者組合が巻き込まれちゃダメではないか、だから昨夜はあのように強く言ったんだよ」と言えば、「ああ、それは判るが、あれだがな、正樹の会計を外してやらな、正樹は信金を首になってしまうと言うんでな、そこを考えてくれんか…」、「そうだなあ、確かに首になるが、信金も行政犯罪で潰されるんだし、まあ、そうは言ってもなあ、何とかしなけりゃだが、好泰が言う正樹の会計を続けろだが、会計など必要ないじゃないか、いつから会計を置いているんだっけ?」、「時雄が組合長の時に俺が会計になったんだが…」、「地権者組合で皆生など必要ないので、ヘブンスと有利な再契約の話が出来るまで、当面は会計を残すと言う形で良いんじゃないか?」、「あのう、なんだが、康司はどうだ。今は書記をやってもらっているんだが、康司がうってつけだと思うだが」、「いまも言ったとおり、会計など必要が無い。それに康司は月川旅館の社長になって、時雄と組んで村からのれん代6千万円を脅し取った共犯者だ。そんな男を会計などにはできない」、「なんだ、お前はよくそんな話を知っているんだ?俺なんか何にも知らないよそんな話は…」ここまで嘘を言えれば立派なもんだと思ったが、この男、いったいどこまで腐っているのだろう。令和6年2月27日
章行の名前は出て来ない
渋谷章行、相当なる悪者であるが、まずはこの男の正体を暴く、スクールバスの運転手として、長く給食センター付の阿智村職員であった。その跡を継いだのが熊谷義文で同じく給食センター付きの格下職員である。私の中学三年のスクールバス通いは章行の運転であったが、毎朝ビールを二本空けての飲酒運転を、知る人は少ない。子供の頃の野球のやりすぎで右腕の方を壊し水平まで上げるのがやっとのことだと聞くが、この症状を身体障碍者だとの認定を受けさせたのが操である。だからして、本谷区の田中春彦議員を応援せず、他地区である操の選挙応援を陰で行っていた。時雄と深い関係になったのは、時雄と秀逸に近寄った平成8年頃かであるが、金の匂いを嗅ぎつける能力は確かなものだ。さて、話はくだらないところになったのでこの辺りで本題に入れば、章行が私に組合長になってくれをまともに受けるところに無いはお分かりいただけただろう。そこで、少し章行を安心させるために「章行さ、俺が持っている証拠に章行さの名前は一切ない。だから心配しなくても良いですよ」と前置きして「私が組合長になるのは、一にも二にも、ヘブンスと高額な地代で再契約するところにあるので、そこしかないですよ」と言えば、「おうそうだなあ、じゃあ、俺はもう一度地権者組合を開催するんで、そこで俺の方から組合長の人選を進めるんで、それでいいか?」、「そこはどうでも良いですよ」、「じゃあ会計話ってことでいいんだな」、「だって会計など必要ないじゃないですか、何か会計を持っているんですか?」、「いや、そうじゃなけど、組合員から部金を取っていたんで、あれは払戻すって形でいいのかな?」、「それは役員の人選が終わった後に俺から振りますよ、そこで測ればよろしいじゃないですか」、「そうだなあ、でも好泰が言う金のことだがなあ?」ここで好泰の話をし出したのは、「5千万円お金が阿智村から地権者組合に入っているじゃないか!その金はなんお金だよ」との、好泰の追及に在る。章行が一番心配したのはそこなのだが、その始末をどうつけたらよいかと、ようするに、好泰をどう抑えたらよいのかと、その相談が本音であったようだ。そこで、「好泰は感情的に親父が残した資料で騒いだだけだよ。証拠にはならないことで心配することじゃない。義信さのことは俺も詳しく知っているから、会社の倒産で数千万円の謝金があるから、賃貸じゃ間尺に合わないから、村にすべての土地を買ってもらったって話だ。そんなところで良いんじゃないかな」と、不安を取り除くように話せば、はい、それで話は終わりです。令和6年2月29日
熊谷秀樹村長の不安
義信さんの奥さんは、月川旅館の事務として働き、渋谷秀逸の女であった。義信とのもめ事に付き合ったことで散々な経験(休業日の夜中、露天風呂に二人で入っているところに義信さんに踏み込まれた。)をしているが、時雄と言い、操(他人妻を妊娠)と言い、(章行は時雄の後妻と)西の三悪人とその子分は他人の妻に手を出すのがお好きなようだ。まあ、これも盗人の典型かな(笑)
さて、渋谷章行がもめた地権者会議の翌朝に私を訪ねてくることは、それこそ寝耳に水の心境であるが、誰の手回しかは気づいていた。そして歯の浮くような話に私が本気で受け止めたと思うのか? 何よりも、前の晩に章行に突きつけた言葉は「徹底的に追及する!」「お前らは詐欺と横領をやったのだ!」であるに、その翌日に章行が章行の意志で来ることなど考えられないことだ。また、私に組合長をやってほしいとの理由に、「裁判」を持ち出すなどあざとくあって、裁判が影響する者は熊谷秀樹村長しかいない。しかし、ここは章行の申し出に乗るは分けあってのことだ。それは好泰が言うところの5千万円が全く見えていなかったからだ。好泰は「親父が残した資料だ」と言って、すべての書面(契約書がほとんど)を私に渡すに、今までに5千万円の話を聞いたことが無かったからだ。好泰はひどく興奮しており、絶対やっつけると息巻いていたことは、私が組合長に成るを望んでいないだろう。いわゆる、すべての疑惑を解決するまで今の役員はそのまま残れと、それが条件だったからだ。ならば、章行はこの足で好泰のところへ行くのだろうか? ふと、妙なことが頭に浮かんだが、いや、今までさんざんに章行を追求してきた好泰であれば、章行はとてもではないがそれ合あり得ない。ならば、熊谷秀樹村長が出向くのではないのかと、そんな気がしていた。令和6年3月2日
嬉しくない予感的中
新年が明けるに、早々に渋谷章行から「地権者組合役員改選の通知」が来た。そしてその会議に出かけてみれば、章行が早速に私のところに来て、「やい、悪いがなあ、この間の話し、少し様子が変わってなあ、役員は俺から発表するで、承知おきしてほしい」、はあ、もう始まった二枚舌男。そして様子を見るに、「それではみなさんお集まりいただきましたので、今日出られん方も委任状をいただいていますので、これで地権者組合の会議は成立しましたので始めさせていただくが、先に言っておきますが、この組合には個人地主以外に五つの団体が組合員として名を連ねております。それで、今回の役員改選についてはこれら団体から役員を選出しないことになりましたので承知おきください」ほう、早速に始まったのは、「本谷園原財産区など存在していないじゃないか!?」の前回の追及に対して手を打ってきたのだ。前回では、「組合長・副組合長件会計・本谷園原財産区から一人・神坂神社から一人の4名の役員が居ます」と言われたことに、私が財産区などの団体は無いじゃないか、両区の山林地代に税金が掛かるとして阿智村に地代を入れ、それを本谷園原財産区に迂回することは行政犯罪じゃないか!と、追及したことに、早速に手を打ってきたのだ。いまここに、本谷園原財産区が架空の団体だとして困ることは地権者組合に無い。困るのは熊谷秀樹村長であると、章行は言っていることだ。この話において、熊谷秀樹村長が根回ししたとすぐに気が付いたが、黙って話を続けさせた。
好泰の寝返り
「先だっての会議で好泰君から話が出たのは、いろんなことが分からない組合員が多いので、今の役員がしばらく続けたらどうかと言うことだったが、それでいいか?」と、好泰に確認した章行は、続けざまに、「いま好泰君から確認が取れたので、今の役員を残すと言う形で、俺が副組合長として残る。そして組合長には常和君にやってもらいたい。会計は康司君で、それでお願いしたい」あれ、少し様子が違うどころか、全くに違うではないか。これは大変だが、好泰はこれで納得するのかと目をやれば、「はい良いと思います。私が役員を残せと言ったのは、新しい人がいきなり組合長をやるのは無理だし、そういうことであったので、組合長の人選に賛成です」この話にはもっと驚いた。好泰の寝返りは青天の霹靂だが、ここまで豹変するは熊谷秀樹村長のお出まししかない。そして熊谷秀樹村長は好泰に何を言ったかは、「好泰君の伯父(佐々木毅文前組合長)さんも好泰君の従弟(熊谷正樹会計)も仲間(横領仲間)なんだよ」である。そしてヘブンスが潰れたら元も子も無いのだと、つくづく説得したのだろう。それにしてもこれほど簡単に寝返りするとは、好泰の正義感は一体どこに在ったのだろうか。令和6年3月4日
熊谷好泰と言う男
長く私とともに盗伐裁判を戦ったと世間の人体は見ているかもしれないが、全くそこに無い。私は、好泰と吉川優は令和2年12月の始めにともに切り捨てていました。なぜ切り捨てたのかと言えば、やはり好泰の一挙一動は、すべてが自分本位であったからです。
事件の始まり
盗伐が事の発端だとほとんどの人は見ているのではありませんか? そこがとんでもない間違いなのです。盗伐は経過上の犯罪であって、事件の始まりは秀逸と時雄が澁谷ゆきゑが残した財産(土地)のすべてを搾取するために仕組まれた犯罪なのです。たしかにヘブンスそのはらの開発事業が始まるに、その一帯にゆきゑが残した土地が多くあった。そこに目を付けたのが時雄と秀逸であって、そしてその犯罪は用意周到に始められたのですが、その一段階で躓いてしまったのです。ゆきゑの長男建典を稲武に訪ね、「土地を売ってくれないか」と話をかけた。だが、ヘブンスのことは秘密としたことで、建典は話が全く見えていなかったのです。そして一年後、阿智総合開発株式会社が開発にかかる土地の地主らと事前協議を重ねるに、必然として建典を稲武町に訪ねた。本来であれば両区総代長の渋谷秀逸がいくはずであるが、悪意ある事前の買い出しがバレるとして全総代長の熊谷茂平に変わってもらった。そして建典に話をかければ、秀逸と時雄の話は当然に出る。出来る話でないことに、茂平が同級生のよしみで話をまとめた。ここまでの経緯は勝野公人と原勇と澁谷より州に聞けばよい。これが間違いだと言えるものは誰もいないし、この三人は大罪の共犯者であることに、いずれは阿智村が受ける損害の請求先になるは覚悟をするべきである。そして建典は平成15年に死んだ。平成15年に何があったのかと考えるに、阿智総合開発株式会社は解散され、吉川建設が単独の経営者となって、「㈱ヘブンスそのはら」が設立(岡庭一雄村長と吉川建設の契約書が存在)された。吉川建設の経営になった時に、本谷園原財産区が勝手に設立されて両区の地代が地域振興補助金と言う形で迂回されたのだが、その話は他のコーナーで詳しく書いています。ここで、ゆきゑの土地の搾取をしなければ成らない事情が岡庭一雄村長に発生したのである。それは、「(株)ヘブンスそのはらと阿智村の契約」であります。どこをどのように切り取ったにしても、税金がかかるとの方便が通用したにせよ、阿智村と(株)ヘブンスそのはらと契約する根拠は何もない。ならば、飯田信用金庫とて融資を続けられなくなるは必至であるに、そこで考えられたのが「阿智村所有の土地を存在させる」なのであります。令和6年3月6日
好泰の勝手
この辺りのことも後ほど詳しく説明しますが、とにもかくにも阿智村はアーテリー道路を村道としたことは事実、それがための換地であって、吉川建設も換地費用にと400万円が取られたと証言した。そこで、ゆきゑの土地は換地と言う手段を用いたにせよ通用する話ではない。だからして売買契約書を偽造したのだが、時雄と秀逸と操はそれをよいことに、ゆきゑのほかの土地も手に入れようと考えたのだ。そして始められた犯罪が、自治会を通して障害木申請を行い、大義名分で更地にすることであった。ようするに、このような裏事情を知らない好泰は、単純に、「騙された!」との感情だけで突っ走ってしまったのだ。
盗伐裁判の真実
ゆきゑの土地の木が伐られたことは息子から知らされたが、ほどなくして好泰から電話が来た。それは酷く興奮しており、俺が自治会長の時に他人の土地だから伐れないと言ったのに伐られてしまった。あの土地は貢さの土地ではない。村が澁谷ゆきゑの土地だと、50年ばか前にここから出て行った人の土地だ。冗談じゃない! と、あらかたの話が伝えられたが、私も父からあの土地のことを聞いていたし、貢さんもからも本家の土地で俺が管理しているが、章行の奴め、この桧の木を10本も切って自分の小屋を建てやがって! との話も聞いていると話せば、絶対に許せんと言っていた。それからしばらくして、澁谷徳雄さんと澁谷緑さんを探し当て、村長に話を聞くから私にも付き合ってくれと言う。そこには訳があった。それは、木を伐るのが目的でなく、秀逸さと時雄が花桃祭りのためにこの土地を利用しようとしているのだと、だから村の補助金を大義名分にして伐ったのだと教えたことに、だからして熊谷村長に地主を会わせれば、いろんなことが分かると進めたことによる。そして村長に会うに、その様子は全くデタラメであった。しかし、好泰は自分がだまされたことに執念を燃やしており、裏事情を知ろうともしない。最も困ったのが、熊谷秀樹村長を信頼していることであった。岡庭一雄と時雄が村に乗り込んで無理やり補助事業にしたのだと、そこまで話しても信じようとしない。まあ、信じるより先に、許せんと言う気持ちが強くあったのだろう。しかし、時雄と正面切って渡り合う度胸もなく、自治会でも何も言えず、陰で悔しいを連発していた。たしかにそうだ。好泰は村八分にあっていた。私もそうだが、好泰には耐えられなくあって、ついには、私とつながっていると思われないためにと、ブログでは俺の名前に君付をしないでほしいと、妙なところまで気にし始めていた。令和6年3月8日
裁判での証言
裁判におよぶは私の考えで、岡庭一雄や熊谷秀樹の関与を証明しようと考えたのだが、好泰はまったくそこにない。「こんなことが許されてよいのか!?」と、澁谷徳雄さんをそっちのけの考えしかなくあった。徳雄さんは、両親が残してくれた土地の喜びであって、ここに別荘でも建てると言ったのは、木を伐られた土地である。しかし、好泰の許せんを無視出来なく、同調するしかなかった。熊谷秀樹村長は嘘で固め、徳雄さんは何が何だかわからずして、正直、裁判へと進むに抵抗があった。好泰の気持ちに応えるには裁判しかないと、ようやくその気になって自治会に伐採賠償70万円を請求したことに、時雄の返答は、「平川文男の土地だ」であった。これでは裁判しかないと、そして長く続いたのだが、好泰は常に和解には反対だと、徳雄さんにプレッシャーを与えていた。裁判費用(弁護士費用)は私が面倒みるとしたが、徳雄さんは裁判に至る経過において、それでは私の気が済まないと、裁判が終わったら清算しますと言われたが、私はそれを受けなかったのは、徳雄さんを巻き込んだとの思いである。別荘でもがくずれたのは、被告が貢の息子だと知ったからであり、土地を売って弁護士費用にと考えたようだ。そして判決が出るに、「伐採木の根片付け費用90万円を被告は支払え」であった。ここで良しとしたのは私だけで、弁護士は控訴して伐採木の費用を請求すべきだと言う。澁谷さんもどういう訳か控訴に傾いたが、そこで被告から控訴されたの通知が届いたのである。弁護士費用30万と出張費が20万追加されて控訴に及べば、被告の反論はひどくなるばかしであった。そのような状況が長く続くに、被告晃一から思いもよらぬ証拠が出た。その証拠とは、「原勇と熊谷章の陳述書」であり、その内容は「平川成泰(文男の父)が植えた木だ」で統一されていた。嘘で固めた陳述書を読めば、ここまでする西地区住民の異常さは、もはや手がつかないと感じた。令和6年3月10日
徳雄さんの身に成れ
裁判官からの和解は以前から出ていたが、そこで頑なに徳雄さんは和解を拒んだ。私が聞くたびに、「好泰君に悪い」「好泰君に聞いてみないと」が、いつもの返事になっていた。そこにおいて何度かメールで好泰に和解の考えを伝えたが、「徳雄さんの土地を安く買って村長に高額な値段で売りつけたことは村中で評判だ。そんな章文さには協力できない」と、まったく的外れな対応であった。徳雄さんの状況を一番知る好泰がこの対応であるに、私は徳雄さんの為に、三筆の土地を裁判としても、そこでの請求額は10年分の地代だけであることを告げ、そして裁判で勝ったにしても、その地代は徳雄さんに支払うのだと説明しても、好泰の考えは変わらなくあった。好泰は人として一番大切なことを忘れているようだ。澁谷徳雄さんを巻き込んだのは好泰であると言うことを思いなおせ、自分がだまされた悔しさを否定しないが、その悔しさを晴らすのが目的に見えてしまえば、誰もそこに同調できないものだ。たしかに漬物工場でも好泰は時雄らに騙されている。感情的になるのも無理はないが、そこで争っても何の解決に至らない。私が好泰を切ったのは漬物工場の一件に在るのだが、好泰がだまされたことに対して相談に乗ってほしいとの話に、私はそれを否定したのは、徳雄さんが裁判で苦慮している時に、まだ自分のことを優先したことにある。「徳雄さんを巻き込んだのはお前じゃないか」喉から出かかるのを抑えたのは、好泰は本谷園原財産区の存在を認めていたことと、熊谷秀樹村長を信頼して物事を量ったことにある。それがために徳雄さんは大変な思いに至ったのを、好泰はまったく気にしていなかったのがすべてなのだ。
好泰の悪口を言っていることではない。自分が自分がとの考えは、時雄や西の取り巻きたちに言い分を与えてしまう。何事も間違いだとの考えで、人のために戦うのであれば、法律は正しく作用することを伝えたいためだ。今回、地権者組合の会議において「村から地権者組合に支払われている5千万円はなんの金だ!?」だと激しく追及しておきながら、自分の身内が犯罪に関与したことが判れば、また、熊谷秀樹村長がネゴ話を持ち込めば、すっかり様変わりして「俺はそんなことを言っていない」と、二枚舌を使ったことは、もはや時雄やその取り巻き達よりも始末に悪い。令和2年3月12日
好泰も共犯者
バカな男に成り下がった。好泰の正義は一体どこに在ったのだろうか? 徳雄さんの裁判で証人尋問を受け、そこで涙まで流したと聞くが、その涙もまた自分の為であったようだ。ここまで熊谷秀樹村長を追い詰めるに、ここにきて取り込まれるとは、もはや好泰を助けるところに無くなった。あれほどに盗伐を非難していたのに、その盗伐した者らの仲間に成るとは、いったいこの男、何をもって盗伐裁判委およんできたのだろうか? 「和解するな!」と澁谷徳雄さんを責め、そして許せないの感情だけで突っ走っていたが、それでもまだ許せるところは有った。この様な不条理に巻き込まれたとのことは、私も察して余りある。だが、ここに来て盗伐犯罪の首謀者らと手を組んで、地権者組合の犯罪を隠蔽するは、もはや好泰は盗伐犯人よりも悪くある。いままでに、澁谷徳雄さんに事実を話そうかと何度も迷ったが、もはやその時点に無い。ありのままを澁谷徳雄さんに伝えるしかなくなった。
もう一人の犯罪者
熊谷正樹と言う男、これも相当な悪であった。父恵治氏は立派な人で、地権者組合の初代組合長であるに、この人が居たから時雄を抑え込んでいた。(恵治氏の屋号は谷屋と言うのだが、本家(熊谷友一郎)から喧嘩別れして別家として独立した。その家から熊谷時雄の親鷹二郎氏が別家している。熊谷常和の祖父は熊谷友一郎の家から別家している。)恵治氏が死んでからは時雄の天下であって、渋谷秀逸と熊谷操と岡庭一雄村長とでこの大犯罪を計画している。時雄のあとを渋谷章行が地権者組合長になったのだが、この時点で熊谷正樹は会計となった。この熊谷正樹は飯田信用金庫の職員であるが、今現在はどっこかの支店長のようだ。さて、ここからが本題なのだが、吉川建設の保証金2千万円を横領してきたとのことは、信金職員であれば分かること、それが、「このまま会計を続ければ首になるので代わってほしい」が、昨年12月の地権者組合の議題であった。令和6年3月14日
首になる?
首になるならとっくに首になっているはずではないか。それがここに来て(契約期間終了)、なぜ会計を辞めると言うのか? その答えは、『会計をやめなさい』と、小池貞志理事長から指示があったことによる。ここで小池貞志理事長が登場するのはなぜかって? そんなことは簡単な話である。地権者組合の会計になるに、理事長に相談なくしてなることは無い。ならばどうして熊谷正樹は地権者組合の会計になったのかと言えば、小池貞志理事長の指示であるからだ。なぜ熊谷正樹を地権者組合の会計にしたかは、ヘブンスとの契約が満了するからである。ヘブンスとの契約が満了となれば、次にどのような手段に出るのかと言えば、白澤佑次社長と地権者組合の契約に変えなければならないこと、それは、岡庭一雄村長と白澤佑次社長との契約書を無効とする目的があってのことで、その証拠である契約書が私の手元にあると考えての手段である。しかし、私がこのまま地権者組合に居れば、否応なしに足がつく。そこで私の追い出しが図られたのが、二度目の地権者組合の会議であったのだ。
この様な裏事情を読めなくしてなんとする。12月の地権者組合の会議で好泰に責められて一言も発せぬ意気地なしの熊谷正樹が、二度目の地権者組合会議で、今度は私に出て行けと、地権者組合から抜けろと言い放つに、これだけの様変わりが出来ることを不思議に思えば、それだけの後ろ盾があることになる。私を地権者組合から追い出すとの算段は熊谷秀樹村長と小池貞志理事長の指示であることは、私抜きでなければこの犯罪を続けられないからである。馬鹿な奴らであることに、この犯罪が表に出ないとでも思うのか! 三筆の土地の裁判が終われば、必ずこの犯罪に行きつくことだ。令和6年3月16日
小池理事長に会う
熊谷正樹よ、近いうちに小池貞志理事長に会うが、今のうちにもう一度、小池貞志理事長に何を話すのかを考えてみろ。
地権者組合に会計の必要は全くにないが、いつから会計役が出来たのかと言えば、吉川建設が阿智総合開発からヘブンスそのはらの経営を引き継いだことにある。なぜ会計が必要になったのか? それは「換地費用400万円」が、吉川建設から支払われたことによる。だが、この金を扱うに地権者組合では会計が無かったことで、時雄は急遽「地権者組合員から部金を徴収する」を言い出した。この部金とは、地権者である者は地代の数パーセントを毎年地権者組合へ事務費として支払え、と言うもので、それは自動的に引き落とされる仕組みになっていた。しかし、ここで時雄の狡さは巧妙であることに、これらの部金の横領も考えていたのだ。特に、財産区の契約金額は大きくあって、そして組合員全員からの部金を会わせれば、数十万円にはなる。それがどのように使われたのかの会計報告は数年しか行われていない。それから20年も経てば、部金だけで数百万円を超えることだ。(この金は時雄と章行で分配されている。)
この様にして会計がもたれてた。そして換地費用としてアーテリー道路にかかる数人の地主に金が支払われたと聞くが、その換地が間違いだったと章行組合長は言う。? 何がどのように間違いであったのかと言えば、換地費用として400万円を吉川建設から預かっていたと言う。ならば、既に支払われた換地費用の400万円は、いったいどこの会計から持ち出したと言うのであろうか? この疑問に行きつくに、好泰は何もここに言及していない。今まで私はこの換地は不正だ犯罪だとして好泰に説明するに、「佐々木毅文は俺の叔父(義理)さまなのでお手柔らかに」と、なぜか気のない返事をしていたが、この辺りが寝返りの原因だろう。
さて、信金小池理事長に会うに、何を話すかは当然のことに、熊谷正樹職員の事である。「地権者組合の会計として横領の疑いが有ります」と、直球勝負でよろしいかと、その報告は次回にも出来ると思います。令和6年3月18日
飯田信用金庫が首謀者
今までに、岡庭一雄と西の三悪人がこれら犯罪の首謀者だとしてきたが、ここで全くに、飯田信用金庫がこれら犯罪に大きく関係しているとの証拠が出た。考えてみれば始まりからしてそうである。「行政犯罪に飯田信用金庫が深く関与している」と疑ったのは、飯田信用金庫が阿智村の指定金融機関であることで、阿智村の金すべて握っているのが飯田信用金庫ならば、岡庭一雄村長は飯田信用金庫に相談しなければ何もできないとなる。そして当然に、ヘブンスそのはらについて、その大きな転換期が阿智総合開発株式会社の解散にあった。元々に、岡庭一雄はコクサイの石田社長との蜜月であって、吉川建設の光圀会長とは全くにつながりはない。このことを念頭において、阿智総合開発の解散劇を振り返れば、コクサイの石田社長が藤田建設と組んで伊那谷道中を始めたことが原因であって、おそらくとして、石田社長と吉川光圀社長の間に隙間風が吹いたことなる。この辺りの変わり身は石田社長の得意とするもので、吉川建設は残り物の始末をする羽目になったのだが、光圀社長の話はそのような悲観的な話でなく、「こんな良い事業は無いと信金が60億円投資した」といい、吉川建設はヘブンスの開発工事でかなりの利益を上げている。どちらかと言えば、人の褌で土建業で儲かったと言うのだ。そして8年間の経営において、赤字も出ないところで阿智総合開発株式会社は解散したが、「出資金のすべては生産している」と、どこにも借金が無かったと話した。会社を解散するには当然負債のすべては清算することであるから不思議な話ではないが、ここで気づくのは、飯田信用金庫が融資した60億円がどの程度回収されていたのかであろう。そしてこの件において、白澤佑次社長は気になる話を阿智村中で言っているが、「まだ借金経営です」は、この60億円が未だ回収できていないとの発言であることは、私の想定を裏付けるのに充分であった。令和6年3月20日
小池理事長の話し
何年前であろうか、小池貞志が理事長に成ったとのことで表敬訪問しているが、調べてみれば令和元年の秋頃か、たしか原建設の会長、ホテル阿智川の山口会長が癌で亡くなった頃のことだ。その会話は録音しているが、この時私は本質の質問をしている。「白澤祐次社長に3億円の担保は有ったのですか?」である。ヘブンスそのはらの従業員であった白澤祐次がいきなりとヘブンスそのはらの社長になるに、ここに不自然を感じない村民は誰も居ない。だが、公然とそれを口にする者は私だけであることに、小池理事長は私を向か入れている。そして一番重要な事を私は聞いた。それに用意されていたのは「有りますよ」であった。白澤祐次に3億円もの担保が無いことなど承知の上で、これほどにハッキリ言い切るのは、そう言わなければ話の辻褄が合わないことにある。ここで口ごもってしまえば私に突っ込まれると、私の性格をよく知る小池貞志は考えたのであろう。しかしてこれで私の用は無くなったと、ではこれで帰ってくれと、その様な顔つきになったのは言うまでも無い。ここで確信したのが、「ヘブンスそのはらの転売価格は3億円」であるのだが、これをまた事実とするには、吉川建設がいくらで手放したかによる。だからして吉川光圀会長に会ったのだが、5億円くらいですか? と聞く私に、「そんな高くはない。たしか3億かそこらだよ」と、あっさり言ってのけたのだ。
今になって3億円を確認したことは、ヘブンスそのはらの経営権がいくらなのかが確定できていなかったことにある。なぜ経営権を確定する必要があったのかは、これだけが証拠として証明できなかったからです。これにて一件落着とではないですが、これ以上のことは必要が無いと言うことです。令和6年3月22日
私はこの週末にある行動を起こします。それはやがてどなたの耳にも聞こえていくでしょうが、それは長い間続いた阿智村行政犯罪の始末であることに違いありません。阿智村行政の不始末を質すのは、それが国でなければできないことだと、世間の皆様にお知らせすることです。
このコーナーを続けるにしても、また、新しいコーナーを始めるにしても、阿智村がこれからどうなるのかのタイムリー発信になります。
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