阿智村長の犯罪 給水停止裁判

阿智村

 天の導き
私はツイているのだろう。夢枕に立つと言えば分かりやすいが、それはそれでおとぎ話になる。だが、考えての行動に無いことは、何かの導きとしか言いようがない。そんな夢物語で話を進めると、いつものように嘘だでたらめだが始まるが、それはそれでよい。たしかなことは、今起きている現実は、あり得ないような出来事であるからだ。
 始まり
給水停止裁判といって、何かぴんと来ない読者がおられると思うが、さすがに私も取りまとめようがない話である。給水停止とはどのようなことなのか? 給水停止がなぜ裁判にまで進んだのか? 考えれば暇がないが、順追って話せば見えてくるものが有る。そう、始まりを詳しくすれば、私の意図が見えてくるはずだ。そしてなぜ裁判となったのか、なぜ給水停止が阿智村長の犯罪なのかと、しっかり見えてくる。
操の水道料返還金横領に始まる一連の騒動に、熊谷秀樹村長は岡庭一雄の指示ですべての隠ぺいに走った。元々は園原簡易水道の村営水道の取り扱いにあるに、いったん隠ぺいに走れば止めることが出来ない。しかし、隠そうとしても隠せないことに事が進めば、さすがに対応せざるを得なくなる。それが水道料金を支払わぬとした抵抗であるに、なぜ水道料を払わぬとしたのかは、操の横領を表に出すための準備であった。
共産党に牛耳られた阿智村行政と議会に対して、どのような正義を持って対峙したにせよ、それははかなき抵抗であるのは、すでにすべての手を尽くした敗北感による。何を告発しても一度として動かぬ県警と、行政法に基づく解決が不可能となれば、社会の法律にて争うしか残されていない。そう、最後の戦いが司法の場での争いであった。しかし、司法の場へ持ち込むとしても、証拠が無ければ黙阿弥であるに、それを成し遂げるための証拠集めが、警察への告発と行政法による手段であった。その手段は功を成し、必要な証拠はほとんど手に入っていた。これから進める司法での争いに、唯一足りなくあったのが、阿智村を相手にする裁判であった。令和6年1月2日

 訴えの趣旨
阿智村を訴えるには、阿智村から不法行為を受けなければならない。変な話だが、何もなくては訴えることも出来ない。どのように阿智村を、いや、熊谷秀樹村長をけしかけるかは、既に頭の中にあった。手始めは、村長との話し合いである。村長に何を求めるのかは「操の横領告発」を行ったことに、村長が何も答えていないことにあるが、それを追求しようにも熊谷秀樹村長はすでに逃げていた。幾度役場に出向いても、私の顔を見れば姿を消すし、直通電話をかけても出ることは無い。役場に電話を入れ呼び出すにしても、名乗れば留守となる。このような状況に、村長との話し合うにはどうすればよいのかと思いあぐねていた時に、村八分行為が始まった。そこにおいて早速に、あることに気づいたのは、渋谷秀文(秀逸の長男)が水道料調査員をやっていたことにあった。彼の役目が何であるのかは、水道メーターを検針し、水道料金請求書を渡すことにあるが、その時すでに秀文は私を敵愾心しており、二カ月に一回の検診におざなりであった。妻の留守に検針し、顔を合わせまいはポストへの請求書投函であって、時には検針すらせずに、請求書も無いことがあった。そこに気づいた私は、これは使えると直感し、「請求書が無いのに払えない」として、自動引き落としを止めることにあった。そこで農協金融に出向けば、確かに私の口座から引き落とされるに、請求書の宛名は、10年も前に他界した父であることに、二重の不審を抱いたのである。なぜ父の名前のままなのか? 村営水道の管理はどうなっているのか? との疑惑に答えられるのは村営水道事業者代表の村長でしかない。そして始めたのが水道料の未払いである。そう、私には水道料を納めないとした理由が出来たのだ。
 二つの疑問と園原水道
園原水道の正式名称が園原簡易水道だと知ったのは、操を訴えてからのことであるが、簡易水道とは単純に、小規模水道の総称(5千人以下)だけのこと、そこに大した意味はないが、阿智村にとっては最大の理由である。そのことは裁判が進むにつれて見えてきますので追々に説明しますが、水道料金を徴収するのは単純に、水道事業経営の運営費である。水道事業は一般的に市町村が行うとされている。しかし、園原簡易水道は道路公団の補償において設備された園原部落住民の水道でることに、だからこそ昭和48年から昭和60年まで園原部落が管理者となって、水道料金は阿智村に徴収されてこなかった。令和6年1月4日

 歴史を知らない村長
岡庭一雄の言うがままに操の横領を隠蔽した熊谷秀樹村長は、私を避けることで乗り切ろうとし、操家族と示し合わせ、私を村八分に追い込んでいた。私が村八分に合う訳は、操の横領の証拠である園原部落の使用済通帳と帳簿を返したことによるが、それが私の手元にある限り、操も熊谷秀樹村長も枕を高くして眠れない。いつ何時、その通帳を表に出されるか分からないからだが、熊谷村長も馬鹿ではないと見え、操の横領控訴時効となる5年が過ぎるまでが勝負と見たようだ。
 横領隠蔽の手口
操の横領を県警に告発したのは平成29年4月7日であるに、熊谷秀樹村長は早速に、今久留主総務課長と矢澤生活環境課長に指示して、操との契約書(園原簡易水道管理契約書)を偽造した。なぜ契約書を偽造する必要があったのかは、水道料返還金(52万5千円)を補償費返還金(16万5千円)と管理費(36万円)の支払いに置き換える必要があったからだ。なぜ置き換えるのか? それは操が言うところの「俺は園原簡易水道管理組合の代表である」とし、昭和60年に村が管理することになり水道料金が徴収されるとなった折、道路公団から阿智村に支払われた補償費(水源枯渇による)が、園原簡易水道組合に返還されることになったと主張していたからだ。この嘘に合わせて契約書を偽造する必要があったことで、熊谷秀樹村長は刑事の捜査を免れたのだ。まあ、刑事も上から「行政へ立ち入るな」の指示でのおざなりであるが、これを覆す証拠が使用済通帳と帳簿であることで、これが通用するのが控訴時効の5年であった。平成29年4月から5年と言えば、令和4年4月であるが、この間に私が動けば終わりと見て、私から通帳と帳簿を取り上げる策を練ったのである。それはお粗末な手段であるに、私がそれに乗っかり通帳と帳簿を返したことで、今度は私を部落から追い出さなければ追及されると考え、それが村八分へ進んだと言うことだ。令和6年1月6日

 村八分にさせた
私家族への村八分が始まったのは令和2年3月末である。だが、その2月にはもう、水道料の自動引き落としを止めていた。そう、村八分が始まると分かっており、それを確かな村八分としなければ成らないと決め、数々の嫌がらせが繰り返し行われても、二年間じっと耐えていた。なぜ村八分を誘発させたかはさんざん書き出したのでいまさらであるが、熊谷秀樹村長は、まさか水道料を支払わないとは思いもよらなかっただろう。
 水道料を払わない結果
水道料を払わなければ督促されることで、それ以外に阿智村の対処は無い。払ってくださいと、催促されるだけである。しかし、水道料を払わぬとしていきなり「給水停止」とはならない、いや出来ることではないが、熊谷秀樹村長はなんでもやってしまう。そう、二回(2カ月に一回の支払いを二回止めた)の支払いを行わなかっただけで、「支払いが無いので給水を停止します」との通知が来た。なぜこのように村長は焦ったのかは、そこに私の意図を感じたからである。そう、平成28年3月に操の横領を村長に告発したに、その時に園原水道の沿革をさんざん説明し、水道料が返還されてきた経過も説明した。だからして私が水道料を払わぬとしたことに、私の意図を感じたのだろう。たしかに井原清人生活環境課長から電話が入り、水道料金を支払ってくださいとの催促はあった。しかしその電話への返答は、「村長との話し合いを求める」であるに、それを受け入れられない村長は、「水道料の支払いが無ければ給水を停止します」との通知に置き換えた。おい、いくらなんでもそれは無いだろう。水道料金を払わないは請求書が無いのに自動引き落としされていたからだと説明し、詳しい話は村長に直接話すとした。そして話し合いに持ち込めば、「水道料金を払ってください」の一点張りが熊谷秀樹村長であった。私が操の横領に話を進めても、そこに一向に応じなければ、解決の糸口もつかめないとして、議会を交えての話し合いを村長に要求すれば、それは熊谷さんが勝手にやることだと意にも介さない。話し合いは物別れに終わったが…令和6年1月8日

 給水停止執行命令書
村長との会話はすべて録音しており、ユーチューブにて発信しています。
何を慌てたのか、村長は給水停止執行命令書を発行した。それは令和2年7月の大雨が降り続くある日のことであった。井原清人生活環境課長と小笠原係長の二名が突然に自宅に来て、給水停止執行命令書を突き出し、これから給水を停止しますと妻に迫った。対応できない妻から電話が入るに、井原清人生活環境課長に電話を代われば、水道代を払えば停止しないと言う。全くのでたらめに驚く暇もなく、そんなものは受け取るなと言えば、既に置いて帰って行ったと言う。なぜ村長はこんなに慌てるのかと言えば、私の意図を確信したからだ。兎にも角にも水道代を払わせれば、ことを納められると考えていたようだが、私は既にこの行動を予感していたのは、その前日に、私の家に配管されている水道本管の道路上に、止水栓を取り付けたことにあった。( 止水栓取付写真  クリックしてご覧ください
倉田設備の作業員が雨具を着ていますから雨降りだと分かりますが、重要なことは、止水栓を取り付けての給水停止執行命令書であって、端から話し合いで解決する考えが熊谷秀樹村長に無かったことです。これが熊谷村長のやり方なのですが、なぜ給水停止するに、水道管本管に止水栓を取り付ける必要があったのでしょうか? 裁判においても、阿智村は見解を一切述べておりません。「水道代を払わないので給水を止めた」阿智村水道事業条例に従ったと言うのですが、給水停止を行うには、たんに量水器BOX内の水道メーターを撤去し、水道管を封印すればよいことで、本管に止水栓など取り付ける必要は全くありません。では、その様な必要ないことをなぜ行ったのでしょうか? それは、私の敷地内まで水道本管が敷設されていたからで、尚且つ、本管末端にゴミ抜き用の水栓が一カ所あって、その水道管を使用する権利が私にあったからです。このことを熊谷村長に散々話しておりましたので、本管を止水しなければ私の家の水道を停止できないと分かっていたからです。令和6年1月10日

 不法侵入と違法行為
そもそも、止水栓の取り付けは個人が凍結防止のために行う工事であって、本管に止水栓を取り付けるなど水道事業で行えることではありません。そんな馬鹿なことを熊谷秀樹村長は倉田設備に発注したようですが、実際に現場で倉田設備に指示したのは泰人の義理従弟である井原清人生活環境課長でありました。泰人との親しさにおいて考えもしなかったのでしょうが、村道上での掘削において本管らしきものは出て来なく、焦った井原課長は泰人の旧宅敷地まで掘り進んだのでした。その時の感想を泰人に話したのが、「水道本管が村道内に有ると思ったけど無かった」であると泰人は言った。ようするに泰人の旧宅前の村道に水道本管は敷設されていると考え掘削したところ、そこには私の家に配管されていた水道本管が有ったと言うことなのだ。本来ならばその水道管は本管でなく給水装置の水道管であることに、その様に考え掘り進めば、なんと、水道本管は泰人旧宅内にまで繋がっていたと言うことなのだ。これが一回目の不法侵入であり、私の家に伸びている水道本管に止水栓を取り付けたことになるのです。
 二回目の不法侵入
一回目の不法侵入は令和2年7月であって、その止水栓を取り付けた後に「水道代を払わないので給水停止します」と私の家に来たのが井原清人生活環境課長でしたが、その給水停止執行命令書に村長印が無いのを指摘したことで給水停止が出来なかったが、その前に、この止水栓を取り付ける工事を行っている時に、偶然にも泰人が通りかかったのだ。そこで「何をやっているのだ?」と井原課長に問えば、「水道代を払わないので止水栓を取り付けて給水を停止するのです」と、まともに答えたそうだ。おいおい待ってくれ、ここで水道を止めれば、俺の家の水道も止まってしまう。おれは水道料を払っているんだから、俺を巻き込むなと、なんだかわけのわからに事を言ったようだが、私は泰人の一言、「俺を巻き込むな」に切れていた。令和6年1月12日

 現場が語る
話しだけではわからないので、私の家の水道管敷設図をいずれ示して説明しますが、裁判の証拠なので最後の期日が終了した時点(1月16日)までお待ちください。
泰人の一言で切れた理由は、飯田市の官製談合を封印した泰人の姿勢にやりきれなさを感じるに、操の横領に対しても「父から聞いていた」を隠し、「操さんにも言い分がある」とのたまい、私の家から水道管を接続していることさえ忘れ、井原清人生活環境課長が義理の従弟で親しくあり、彼を擁護する中での発言であったからだ。これにて泰人を突き放せばさすがに泣きが入り謝ってきた。元に戻るに差しさわりは何もなかったが、そこで語られた内容が大きくあった。泰人が給水停止の裁判に大きくかかわったのは、井原清人生活環境課長が泰人の旧宅内に入り込み、倉田設備に命じて本管を掘削したことににある。それが泰人に断りもなく行われたからして事実を話すしかなくなったようだ。要するに、泰人の敷地内に無断で侵入し、掘削した行為は阿智村の不法行為と違法行為だが、これは泰人が被害届を出して成立する犯罪である。それを井原清人生活環境課長が身内であるため、そこまではと考えたようだ。まあ、それは良いとしても、止水栓を取り付けるに泰人が通りかかり、「ここで水道を止めれば俺の家の水道管まで止まってしまう」と、井原清人生活環境課長に話したことが重要なのだ。この時点まで、井原清人生活環境課長はおろか熊谷秀樹村長も全く知らない話であるに、それは「私の家にはゴミ抜き用の水道本管が敷設されている」と話したのは「村の水道なら個人宅内に本管など敷設しないだろう」の説明であるに、本管を止めなければ私の家の給水停止が出来ないと考えてのことだ。そして実行するに「俺の水道も止まってしまう」と、泰人が話したことで、量水器の撤去にとどめたのである。この泰人の発言は裁判に大きく影響することになるのは、既得権ある配水本管が確かに私の敷地内に配管されているのを阿智村も確認していたことになるばかしでなく、既得権ある給水を停止することは何人たりとも出来ないからだ。令和6年1月14日

 泰人の陳述書
泰人はこの裁判でも証人になることだろう。それは園原簡易水道の権利に関わる証言に併せ、操の横領も証言できるからである。井原清人生活環境課長に言ったそうだ。「操の横領など部落の者はみんな知っていることだ」とね、そして「給水停止などやめて裁判すればよいではないか」ともね。だが「村長が絶対にやめない」と吐露したそうだ。熊谷秀樹村長がなぜ給水停止に及んだのか、そして頑なに給水停止を続けるのかは操の横領を隠蔽したことにもあるが、実際はもっと重要なところに在る。それは「園原簡易水道から水道料金を徴収した」とのことだ。園原簡易水道は道路公団の補償において敷設されたことは紛れもない事実であって、裁判官が判断することではない。そのような水道から水道料を徴収するには当然として園原部落住民の同意が必要であって、その同意があったのかどうかが裁判で争われているが、焦点はそこではない。水道料金を徴収するが管理費等の経費を除き水道料をお返しするとの約束があって、それが平成28年まで続いていたのだが、それを平成28年度を持って水道料の返還をやめたことにある。これがこの裁判で立証されれば、阿智村は権利無き水道施設から水道料を徴収していたことが事実となるのだ。その結果がどうなるのかは想像するまでも無いだろう。そこでだが、私が水道料を支払えば阿智村の水道だを認めることになり、ついては操の横領も無いとなる、だからして熊谷村長は何としても水道料を払わせようとした。しかし、私はかたくなに拒んで1年が経過するに、操を横領で訴えたことにおいて園原簡易水道の権利が明らかになれば、熊谷秀樹村長は失脚どころか阿智村自体が危機にさらされる。まあ、阿智村の危機など考えない族であることは言うまでも無いが、村民は相当なる負担が強いられることになる。さてここで、私の家の水道管敷設状況を公開します。(  自宅水道配水管状況 クリックしてご覧ください)令和6年1月16日

 餓鬼の首
ここに分かりやすく公開するのは私の家の水道管付設状況である。青線が水道本管ですが、この本管が熊谷泰人旧宅敷地内に配管されており、そこから私の家の外流しまで繋がっております。もはやこの時点で園原簡易水道は阿智村が敷設したのではないとお分かりいただけると思います。阿智村に限らず、飯田市においても水道本管は公道内のみに配管されるもので、その公道内から各戸への配水管の敷設は自営工事であり、この引込配水管を水道事業条例では給水装置と称しています。ようするに、水道本管が個人敷地内に配管されることはあり得ないのです。もう一つ、この図面でおかしなことに気づくと思いますが、熊谷泰人新宅までの給水装置(引込管)が二本有りますが、一つは離れに接続されています。この離れは平成の初めころに熊谷泰人の父啓司が手作りした建物ですが、そこへの給水を行うに、外流しの給水本管から取り出しています。早い話が水道料を払わないのを承知の上で、勝手に接続していたことになります。なぜ水道料を払わなくても良いのかは、外流しまでの水道本管はゴミ抜き用に設けられた配水管で有りますので、既得権が私にあると言うことになります。まあ、熊谷啓司にはありませんが、父が了解したのでしょう。そしてなおさらおかしなことは、平成15年頃に建てられた熊谷泰人新宅でありますが、そこへの給水装置は私の家の配水管から接続されています。この給水装置の工事を行うに、熊谷泰人は阿智村に許可申請を行っておりますので、阿智村も私の敷地内に水道本管が配管されていることを承知していたのです。(井原清人生活環境課長は泰人の給水装置申請書を片手に「泰人さんもきちんと申請して水道料金を払っているではないか」と私に迫りましたが、俺の家から接続するに俺が許可したから給水装置を取り付けることが出来たんじゃないか。それが園原簡易水道は園原住民の権利ある水道だとの証拠ではないかと熊谷秀樹村長の前でどやせば、慌ててその申請書をしまい込んでいる。(この録音はユーチューブで発信しています。))令和6年1月18日

 A止水栓
私の家の給水を止めたのは令和3年10月28日ですが、A止水栓の取り付けは令和2年7月の雨降りの日でした。令和2年7月と言えば、熊谷秀樹村長と二度目の話し合いをしている最中で、水道代を払うとか払わないとかの話しでなく、「秀文(検針者)の請求書が無い」「父の名前のままだ」が解決していない時でした。ですから、この止水栓の取り付けはすでに私の家の給水を停止すると決めていたと判断できます。また、村道内の本管を止めなければ私の家の給水を止めることが出来ないとも判断していたことになります。では、なぜこのように性急に給水停止を行わなければならなかったのでしょう?
 操の横領隠蔽工作
平成28年3月に熊谷操の横領を熊谷秀樹村長に告発すすに、その横領の証拠は何であるのかの基本的な事実は「園原簡易水道は道路公団の補償工事で敷設された」である。これを熊谷秀樹損料が理解したからこそ操の横領を隠蔽しているのだ。なぜか、水道料返還金は阿智村の金であるからだ。操は園原部落の会計から横領したのではなく、阿智村の金を横領したのである。これが園原部落の金であれば、熊谷秀樹村長は隠蔽する必要など全くない。いわゆる、岡庭一雄村長と熊谷操議員の公職者が共謀して阿智村から金をだまし取ってきたのだ。だからして村長が「横領ではない」とすればよいことで、行政が警察に被害届を出す必要も無いとなる。これが熊谷秀樹村長がとった隠ぺい工作なのだが、ここで隠しきれないのが「道路公団の補償工事」であって、これが表に出れば村長の隠ぺい工作が破綻する。だからして、何としても私に水道料を支払わせたいとしたのが給水停止なのである。私は言った。「水道料返還金が平成28年を最後に支払われていない」と、返還されなければ水道料を払うことは出来ないと熊谷秀樹村長に迫ったのだ。この分かりすぎるくらいの請求に、熊谷秀樹村長がとった最後の手段が止水栓の取り付けであって、そしてそれは実行されたのである。令和6年1月20日

 止水栓の付け
令和2年7月の止水栓の取り付け前に、操や孝志菊美と熊谷秀樹村長との間に何があったのかを考えてみることだ。操の恐怖と熊谷秀樹村長の不安は「横領の発覚と隠蔽工作の暴露」である。これを取り除くに何が必要なのかは、私から横領の証拠を取り戻すことしかない。横領犯罪が発覚(警察に届けた日)したのは平成29年4月であれば、単純横領でないからして時効は5年先の令和4年4月となるが、操や熊谷秀樹村長にはこれほどの頭が無いことで、時効は三年先だと考えたはずだ。だからして令和2年4月までに、何としても証拠を取り上げなければならない。そして始められた私への攻撃は「通帳を返さないのは横領だ」であって、そこに熊谷義文議員までが協力すれば、私は通帳を返すことしかない。そして通帳が返されたと分かれば、今度は、部落に近づけまいとしての村八分、その村八分の実際が「回覧板を回すな」「章文の家の村道は除雪するな」であった。この二つは全て阿智村行政であるからして、村八分の裁判では「訴える先は阿智村ですよ」「国家賠償法で争うべきです」と、裁判官は言わしめている。ようするに、阿智村の協力無くして行えない村八分だと判断されたのだ。だから和解になるに、ここが世間に伝わらない。まあそれはよいだろうが、通帳を取り戻して村八分にして部落から追い出せば、これで枕を高くと二人は思ったことだろう。しかし、村八分が始められた令和2年3月から先の5月に、熊谷秀樹村長からして思いもよらぬ事態が勃発した。それが「水道代の未払い」である。この水道代の未払いが何を示すのかは、熊谷秀樹村長にはすぐ理解できたことで、だからして何としても水道代を払わせようとしたのが、給水停止なのである。「園原水道は道路公団の補償工事で行われた」こんなことは、歴史を振り返らなくても分かっているのは、「公団からの補償費を横領した」と、熊谷秀樹村長に話していたからだ。実際は水道料返還金の横領であるが、私は操が言うところの「公団から補償費が返されている」を、そのまんま、熊谷秀樹村長に伝えていた。令和6年1月22日

 補償費の返還
操は公団から返される補償費を横領していますと、平成28年3月に熊谷秀樹村長に告発した。だからして、熊谷秀樹村長が操の横領を隠蔽するに、「補償費の返還」を基にして、偽造契約書を作成して刑事を騙したのである。馬鹿な男、これが私の作戦であると気づくはずもないが、水道料返還金を補償費だとしたことには二つの理由がある。操の水道返還金の横領を知ったのは昭和60年のことで、それは父から聞かされた。そして渋谷武彦部落長に父は伝え部落会が開かれた。そこで操の言い訳が「俺が水道の管理をやっているので、その口座に振り込まれているかもしれない。調べてみる」であった。ここに異を唱えたのが熊谷啓司(泰人の父・父の弟)で、「水道の管理は千美さではないか」であった。熊谷千美は「部落に言ってなく申し訳ないが操さんに代わってもらった」であった。ここまで聞くに、つじつまが合わぬ話ばかしであるが、ここに公団からの補償費だとの発言は誰からも出ていない。そして15年後の平成16年、操が火渡り売上金から数千円猫糞したことで、操と義幸と熊谷寛部落長と私とで話し合いがもたれたが、そこで水道料返還金を持ち出せば、「公団からの補償費を受け取ってきた」であった。昭和60年の部落会での言い訳は「間違って口座に振り込まれている」であって、公団からの補償費を受け取ったなど一切話していない。嘘を言うのは泥棒の性分だが、なぜそのような嘘を言わなければならないのか? 一つには、操は私が部落会に出席していたのを忘れていたこともあるが、とっさの追及に言葉に詰まり、公団の補償費を持ち出したのである。この時に、公団の補償工事なのに公団から補償費が支払われたなど有るはずは無いとしたが、その場を収めるには「公団の補償費は毎年45万円あるが、俺が管理してきたので15万円ほしい。残り30万円は部落に入れる」の操の言い分で話をつけた。しかし、平成28年2月末、その約束がなされていないどころか、部落に入っていた金額が16万5千で、公団からの補償費の返還とされていたのだ。これほど悪い奴は見たことが無いと刑事に言わしめたが、たしかにこれほどの悪事は無い。なによりも、園原部落住民に返される金であって、それを横領した罪は重い。令和6年1月24日

 補償費で通す
この犯罪を暴くには「水道料返還金」として進めることは出来ない。操が言うところの公団からの補償費が、本当に阿智村から返されていたとしたら横領でなくなってしまう。それを確認するにはどうすればよいのかと言えば、「補償費を横領した」と言えばよい。そう、だからして熊谷秀樹村長に告発する前に、矢澤生活環境課長に対して「水道の管理は操さんではなく田中友弘だと届けてある」「公団から返還される補償費は部落に返されるものだ」と言ったのである。その様に言ったからこそ、今久留主総務課長はそのままに操に伝え、「園原簡易水道は園原簡易水道管理組合代表の操さんが管理しております。管理費とともに公団からの補償費をお返ししています」として、「管理契約書52万5千円」を作成し、私に見せたのであった。だが、ここで私が追求したのは「園原簡易水道組合など無い」であったことに、既に対応できなくなていた。そして熊谷秀樹村長に告発するに、「操は公団から返される補償費を横領しています」としたことで、田中義幸との偽造契約書(契約金額52万5千円)がつくられたのだ。この契約書の金額52万5千円は実際に村から操に振り込まれていた金額であることは裁判で判明している。その一年後、警察に届けたことで慌てた村長は、刑事を騙す目的で二通目の偽造契約書を作成した。ここまでが経過であるに、熊谷秀樹村長は刑事を騙したことで乗り切ったと考えたようだが、私はそんなに甘くない。警察の逮捕では7年分しか戻ってこないことで、それで解決とはありえなく、操の社会的抹殺は当然だが、岡庭一雄や熊谷秀樹村長を許すわけにはいかない。それを実行するに、水道代を払わぬは、最良の判断である。
さてさて、止水栓を取り付けたから話は飛んでしまったが、水道本管に止水栓を取り付けなければ完全停止は出来ないと熊谷秀樹村長は知っていた。なぜ知っていたのかは私が話したからだが、そこで止めれば泰人の家の水道が止まるとのことは私と泰人しか知らぬこと。だからして止水栓を取り付けられたことに私は何も異を唱えていない。止めてみろよ。そうなれば訴えが二人になる。令和6年1月26日

 余分な事
たまたまに泰人が通りかかったことで、取り付けた止水栓で給水を止めれば、泰人の家の水道も止まることに気づかれてしまった。そして、穴を掘っての状況において、確かに泰人の言うことだ事実と確認したのだ。その事実とは、給水本管が泰人旧宅敷地内に配管されており、そこから泰人の言えと昭久の家に分岐され、その反対側に分岐されている水道本管は私の敷地内へ続いていたのだ。井原清人生活環境課長は泰人に言ったそうだ。「水道管は村道にあると思った。びっくりした!?」止水栓を取り付けようと穴を掘ったことで気づいた事実だが、それでも止水栓取り付けは村長命令、泰人が「水道など止めずに話し合ったらどうか」への返事は、「村長が絶対に譲らない、どうしようもない」であったという。このように、たまたま泰人が通りかかったことで、村営水道ではないと疑いを井原清人生活環境課長は持ったことになるが、やはり村長の命令は絶対であるらしい。そして周到に給水停止が準備されたとなるのだが、お粗末なことに、経験のない給水停止が起こす騒動がどの様なものなのかが分からなかったようだ。そして給水停止は即実行されたのだが、その停止方法はやはり止水栓による停止であったのだ。
 給水停止命令書
このお題目の書面において、豪雨の中私の家に来て、「水道代を払わないのでこれから給水を停止します」と、いきなり妻に突きつけた。何も分からぬ妻は動揺し電話が入るが、井原清人生活環境課長がこれほど強く出れるには、止水栓で給水停止すると言うことだ。仮に給水停止を実行するのであれば水道メーターを撤去すればよいことで、それであれば私はこの給水停止を受け入れている。しかし、止水栓での給水停止は、既得権ある水道管迄止まってしまう。これをやられたら訴えるしかないことで、それだけの状況にない村長に追及しておかないと、裁判に持ち込むにしても状況証拠が整わなくあった。だからして、「払わないとは一度も行っていない」と制し、とにかく村長に会わせろと迫ったのである。このとき出された給水停止命令書に村長印が無いことで、これでは証拠にならないと判断しただけのこと、そして給水停止の話は間延びしており、操を訴えるまで実行されなかった。そう、操を訴えたから給水停止が実行されたことであって、操の横領が確定するまえに、なんとしても水道料を支払わせたくあったのだ。令和6年1月28日

 余分でないこと
余分なことは泰人の「俺の家の水道も止まってしまう」であったが、余分でないことは「操の横領は部落の者は誰でも知っている」である。園原水道は道路公団の補償において付設された水道だとのことも、井原清人生活環境課長に伝えたことは大きい。それまでは熊谷秀樹村長に従っていたにせよ、阿智村が敷設した水道だと信じ切っており、操の横領も補償費の返還だと考えていたからだ。裁判においても今後も井原清人の出番はないが、熊谷秀樹村長を信じられなくなったのは確かではないか。さてそこで、止水栓での給水停止は泰人の家まで止まってしまうことに気づいた井原清人生活環境課長はどのような報告を村長に挙げたかであるが、当然として泰人新宅までの給水装置届出(給水接続申請)を確認している。その申請書において確かに私の宅地から接続されていると知ったことだが、その申請書にはゴミ抜き用水栓までの本管は書き込まれてなく、分岐点に設置された止水バルブ(図面:B止水バルブ)から接続されていたことで、量水器を取り外せば給水停止が出来ると考えたようだ。しかし、その時点では村長と私の話し合いの最中であって、それも議会を交えての話し合いを村長が了解したことで給水停止を実行できなくあった。議会との話し合いは当然反故にされたのだが、そこに来て新たな問題が始まったことで、村長は私に手出しできなくなっていた。その新たな問題とは、無断でアーテリー道路とされた澁谷ゆきゑの三筆の土地の事である。この時点(令和2年7月)では、この三筆の土地は私が購入しており、村長に対して「澁谷ゆきゑの三筆の土地が本谷園原財産区と阿智村とで売買契約をしている契約書が有るが、この契約書、以前村長が吉川議員に渡した契約書のいくつかに含まれていましたが、盗伐裁判で被告晃一から『本谷園原財産区の土地だった』として証拠と付けられた契約書の写しと全く同じですが、村長、あなたが晃一に渡したんではないですか?」と追及したことにあった。熊谷秀樹村長は明らかに動揺し、そして給水停止に踏み込むことが出来なくなっていた。令和6年1月30日

 そして給水停止
そんな状況の熊谷秀樹村長が、なぜ突然として給水停止を強行したのか? それは紛れもなく、熊谷操を訴えたからである。操を訴えればどういうことになるのかと言えば、「水道料返還金の横領発覚」と言うことになる。操は「補償費の返還を受けていた」であり、熊谷秀樹村長は「補償費と管理費をまとめて操に払っていた」が、刑事を騙した説明であるに、そして契約書を捏造し、「補償費の返還は不適当と判断したので、平成28年をもって終了した」と、吉川優議員の一般質問に答えていた。その答弁に使われた書面は今久留主総務課長が刑事を騙したときに用いた「昭和61年からの支払い証明」である。そう、すべては「補償費の返還」を基にして契約書が作成され、多くの捏造行政書類をつくっていたのだ、操を訴えるに、偽造契約書や今久留主総務課長がつくった支払い証明が証拠とされれば、そして補償費の返還ではないとなれば、熊谷秀樹は犯罪者となる。それを阻止するには「水道料金の支払い」を何としてもさせなければならない。水道料金を支払うのは阿智村の水道施設だと認めることになるからだ。
 馬鹿丸出し
共産党のせいなのか熊谷秀樹がお粗末なのかはともかくも、私が水道料金を支払わないは計算づくのこと、それに気づかなく給水を停止しても、既得権ある水道本管が私の家に有ったことで、また、そのことも熊谷秀樹村長にくどくも説明していた。だからして村道を掘り返して止水栓を取り付け、完全停止を目論んだのだが、私が説明したとおり、水道本管が個人宅内まで配管されていると知った。これでは阿智村がつくった水道でないと気づいたのだが、もはや手の打ちようが無かった。だからしての給水停止は、水道メーターの撤去しかなかったのだ。ここまでが村で出来ることであり、村長もここまででやむを得ないと考えていたのだが、油に火を注いだのが孝志と菊美の泥棒兄弟であった。令和6年2月1日

 既得権
法律的根拠において従前の権利を保持していることを既得権益と言うが、これを散々熊谷秀樹村長に言ってきた。「私の家には既得権ある水道本管が有りますよ」とね。しかしこれを認めれば操の横領もまた認めたとなる。その辺りを駆け引きと見たようだが、こちらにはそんな暇はないことで「給水停止は出来ませんよ」と、言い続けていただけだ。確かに水道法(第37条)によれば、水道料金を払わなければ給水停止は出来ると記されているが、だからと言って給水停止が実行できないことに命の危険がある。それを盾にして給水停止できないとしつこく反論したのだが、私の本意はそこになく、きちんとした法律的根拠を持っていた。その根本的定義は水道法第37条に「河川法における河川を水源とする簡易水道」と限定されていることだ。園原簡易水道の水源は河川法による河川からではなく、山林沢の湧水を水源としていることで、給水停止が出来る条項に適用されないとなる。ここまでを熊谷村長に知れと言うわけではないが、下平秀弘という立派な弁護士が顧問なのだから、一言の相談が出来たこと、それをせずしての給水停止は、自分の手首を差し出すようなものだ。だから馬鹿と言う。だから共産党の政治は恐ろしいと言うのである。法律的解釈なしでの給水停止は人権侵害となる。それも生命の維持を危険にさらす犯罪行為になるのである。
 注意勧告
「給水停止は出来ない」「水道法に給水停止は出来るとあっても応用することは出来ない」「給水停止は生命の維持にかかわることだ」この三点を何度も言ってきた。(三回の話し合いは録音しています。)そう、さんざん注意勧告はしてきている。それでも給水停止は行われたが、この裁判において、「給水停止は出来ることではない」と、原告弁護士は論理的に主張してきたが、水道法37条においては一度も主張していない。なぜか、主張する必要が無いのではなく、万が一の敗訴の場合に、そう、次の展開、控訴に控えているのが私の考えにある。下平弁護士もこのブログを隅から隅まで読み返しているようですので、私は先に手の内をさらしてあげます。令和6年2月3日

 正々堂々と
裁判ともなれば勝ち負けを考えるはどなたも同じだが、おかしなことに私は多くの裁判をしているが、何一つ勝ち負けを考えていない。それはこれらの裁判に勝訴したとしても、行政にかかわる犯罪は何一つ解決しないからである。では、なぜ裁判にするのかと、それこそ阿智村の共産党はこぞって批判するだろうが、裁判とするのは証拠の確定にその考えがある。熊谷秀樹村長から手に入れたにせよ、それこそ匿名者が言う通り盗み出したにせよ、それだけではただの紙屑でしかない。そう、警察に届けても証拠とならないのだ。ただの紙屑を証拠として確定するために裁判にかけているのだが、弁護士にはそのような考えはなく、またそれらの証拠に基づき次の段階に進もうとしても、そこを受ける弁護士は誰もいない。なぜならば、行政にかかわる犯罪は法律で裁くことが出来ないからである。
 操の証拠
最も分かりやすい事例をここに説明しますが、特に匿名者の女史はとくと理解あれ。
操が横領したとの証拠は園原部落の通帳と帳簿にあるのだが、残念ながら私の手元にないことで、吉川優議員から渡された書面一つと、その書面に基づいて行った一般質問の議会たよりと、開示請求で手に入れた契約書(操と村長の契約書)だけを証拠として訴えたた。とてもわびしい証拠であるに、そこにおいて被告弁護士は反論するためにどのような手段をとったのかと言えば、見たこともない契約書(操と村長・義幸と村長・孝志と村長)三通を証拠とされて反論したのだ。「契約書が有る」と言ってね。だが、その見たこともない三通の契約書に村の決済欄があることで、「これは被告らが所有している契約書ではない」と反論したことで、なんと、被告弁護士は、「この契約書は村長に個人的にお願いして手に入れたものだ」と、回答された。驚く反論であるが、そのことはともかくとして、熊谷秀樹村長は個人的な考えで公文書を持ち出したことになった。この裁判記録はやがて議会に報告されるが、その時になって「熊谷章文氏に公文書を渡していません」の答弁が通用するでありましょうか? 令和6年2月4日

 この裁判の証拠
相手は行政である。それも共産党が支配した阿智村である。証拠のすべては阿智村に眠っていることで、それを手に入れることは不可能である。だからしてこの裁判でも、証拠は阿智村の中にあることだ。この裁判で最も必要とする証拠は「道路公団から阿智村に支払われた補償費」である。国が設立した日本道路公団と地方公共団体の阿智村とで補償費のやり取りがあれば、そこに契約書に値する書面が存在することは言うまでもない。いかに50年前の書類としても地方公共団体には保管されている。しかし、熊谷秀樹村長はこれを証拠としていないのは、「園原簡易水道は日本道路公団の補償において布設された」が事実となるからだ。熊谷操の横領を隠蔽したことで、「園原簡易水道は村の予算で布設した」が根拠となったのを、愚かな村長は気づいていなかった。その場しのぎで刑事を騙すは成功したかもしれないが、所詮警察は刑事訴訟法でしか当たれない。警察がどうのこうのは犯罪者の心理、熊谷秀樹もこの時点で犯罪者となったのだが、園原簡易水道の権利がどこにあるのかとの争いに、証拠が無くては立ち向かえまい。この裁判での被告阿智村の反論は、村史を証拠として「国庫補助を受けて村の予算で布設した」である。しかし、吉川優議員の一般質問への答弁で「700万円の補償費が道路公団から支払われています」との議会だよりにて再反論すれば、今度は「矢澤メモ」(公団からの補償費700万円のうち工事に500万円要したが、残り200万円の扱いについて議論があった。)という、議会答弁用に用意されていた書面において、「この200万円を園原簡易水道組合代表熊谷操に返してきた」と言うのであるのだが、さて、ここで新たな矛盾が出たのは、村史には「700万円は起債」と記されていたことで、起債は村の借金だから公団の補償費ではないとされていたことにある。矢澤が言う公団からの補償費700万円と、村史にある起債700万円は、さて、偶然の一致なのであろうか!?令和6年2月1日

 重要な証拠その2
操は「道路公団からの補償費の返還を園原簡易水道組合代表者として受け取ってきた」として、ある証拠を出してきた。それは、阿智村長に宛てた日本道路公団の覚書であった。とりあえずその覚書を見ていただきたい。覚書(道路公団)   クリックしてご覧ください。
 覚書が示すもの
この覚書は以前にも公開していますので、ご覧いただいた読者もおられると思いますが、改めてご覧いただき、その矛盾に気づいていただきたいと思います。
まずの矛盾は、この覚書は操が横領していないの証拠とされた物だとを認識してください。右上に「乙第6号証」とされていることでもお分かりいただけると思いますが、この証拠、操はどのように手に入れたのでしょうか? 公団の覚書を一介の議員であった操が持っている? 覚書の日付は昭和47年10月であって、この時の操は35,6歳で議員でも何でもない。この様な書面を手に入れることは不可能である。ならばこの覚書、誰がいつ操に渡したのか!?それこそ、匿名者の最も気にするところではないのか。まあ、何でも簡単に渡す熊谷秀樹村長であるのに違いないし、村長でなければこの様な書面は持ち出すこともできない。ならば、文書取り扱い規定に村長が違反したとなるが、ここでもまた熊谷秀樹の生き残る道は無い。さて、次の矛盾であるが、この覚書の日付に注目していただきたいのは、この覚書は園原簡易水道が完了した後で交わされていたことになる。ならば、何をどう見たとしても、工事費に要した補償費でないと考えられるではないか。そして、「園原簡易水道の管理運営」と限定されているところを見れば、管理に要する補償であることになる。令和6年2月7日

 補償人者と補償額
操はこの一枚の覚書だけを証拠としたのはそれなりの訳がある。そのもっとも重要な理由は「補償金額」を隠すことであった。操が言うところの補償金額は「毎年16万5千円である」だが、この16万5千円自体が19万5千~19万円になり、そして16万5千円と定着するに6年も経過している(園原部落特別会計通帳)が、それについての説明はない。では、私が訴えるまで村は16万5千円をどの予算から拠出していたのだろうか? 補償費の支払いならば、明確な予算が組まれているはずであるが、それを聞き出すために、吉川優議員に一般質問を行わせたのである。「岡庭一雄を逮捕させるためには何でもします」と熊谷秀樹村長が媚びるものですから、ならば操に払ってきた金員の出所と金額を明らかにせよと言えば、「今久留主総務課長に用意させます」との返事、ならば今久留主総務課長に吉川優議員が聞けば、「何に使いますか?目的が無ければお渡しできません」ときた。「ショウさんどうしましょう? 今久留主総務課長はそう言って渡してくれません」と電話が入るに、ならば、「一般質問に使う資料だと言ってください」と言えば、その通りに伝えたようで、「質問資料用に支払いの内訳をまとめました」といって、渡されたのが、水道関係支払明細   クリックしてご覧ください。この文書である。この文書、公文書でも何でもないただのメモであるが、ここに示された金員が操の口座に振り込まれていたのが裁判で証明されている。そして確かな証拠となったのだ。(ただし、施設管理費と補償費の分けは関係しない。)阿智村は、この支払が不適切だとして平成28年度に終了しているが、なぜ不適切なのかの説明は無い。平成28年度までの支払い合計は15,744,000円にもなるに、道路公団の補償費がそんなにあったのか? 園原簡易水道の事業費は1300万円だが、さて、この計算が合わないとは小学生でもわかる。(16万5千円が補償費であれば、4,950,000円となるが、495万円の根拠がない。)行政が個人の口座に金員を支払うに、契約書の類が無くてなんとするのか、また、毎年同じ金額を支払うに、支払い証明が一つも存在していないとは、どういうことなのか。そこを質問するのが議員の役目ではないのか。令和6年2月8日

 覚書の交換
この覚書に「下記の通り覚書を交換するものとする。」と、あることで、日本道路公団(NEXCO中日本)に開示請求を行った。そしたらとんでもない物が出てきた。そのとんでもない物とは、「補償契約書」(以前公開済)である。何がとんでもないのかと言えば、「580万円阿智村長に支払います」にある。吉川優議員の質問に対して矢澤生活環境課長は「道路公団の補償工事で敷設された」と答弁しており、その答弁資料には「700万円の補償費が村に支払われたが、そのうちの500万円しか使っていない」とあり、200万円の取り扱いが当時問題視されたと書き記されていた。(矢澤メモはこの裁判の被告阿智村の反論証拠とされている。)公団から開示された補償契約書によれば、700万円のほかに580万円が敷設工事完了後に支払われていることで、合計として1280万円が支払われたことになる。ならば、そこに計算が合わなくなるは、国庫補助金の400万円を受けた阿智村の会計処理である。工事費が1300万円(村史による)であるに、公団からの補償費で賄えるとなれば、国から補助金400万円をだまし取ったことになるではないか。
 正常な村
昭和47年の村長は原孝平氏である。伍和・会地・智里の合併後の二代目村長であるが、当然として共産党ではない。だからして正常な村であるに、そこで国から補助金をだまし取るようなことは無い。そこを原点とすれば(当たり前の解釈)村史の書き込みに問題があることになる。村史によれば「国庫補助金400万円」「記載700万円」「村補助金100万円」「地元負担金100万円」とあるが、そこにおいて国庫補助金に間違いは決してない。だとすれば、起債700万円と村補助金100万円と地元負担金100万円に間違いが有るとなる。どのような間違いなのかと言えば、まずは起債700万円は道路公団の補助金であろう。そこが矢澤メモと一致するところであれば、道路公団からの補助金700万円を一般財源に組み込んだうえで起債と表現してもおかしくはない。令和6年2月11日

 地元負担は無い
さて、起債700万円は公団からの補償費で間違いないとすれば、残りの阿智村補助金と地元負担金に間違いがあるとなるが、まずは地元負担金については、まったくに負担するところに理由は存在しない。なぜならば、道路公団の渇水補償において補償敷設される園原水道に、どの住民が喜んで工事費を出すのであろうか。だからして村史にある『地元負担金100万円』は間違いである。次に『村補助金100万円』ついてだが、この金員の取り扱いは何かと言えば、国が補助金を出した場合は当該自治体は事業費の一割を補助金としなければ成らないとされているからして、阿智村として出さなければならない補助金となる。補助金であるからして、起債とは全く違う性質となのだが、どうもこの辺りがきな臭い。それは、矢澤メモにある「公団から700万円が入金されたが、実際には500万円しか使っていなく、そこが問題とされていた」であるのだが、これは全くの創作文書であることだ。700万円が事業費に全額使われなければ公団は500万円しか出さないことで、700万円が確かに必要なことは、事業費1300万円の設計書が存在しているし、工事を請け負った吉川建設も1300万円で契約している。このように、道路公団はたしかに700万円を補償費として阿智村に支払っている。(操はこの補償費を返してもらっていると最初は言っていた。)
このように、順追って整理すればすべての事実は見えてくることだが、ここで気にするのは、矢澤メモの200万円の行き所である。どこに行ったのかと勘繰れば、村の補助金100万円と地元負担金100万円しかそこに無いとなるが、そうであれば、200万円をどこから持ってきたのか? が、次の疑問となる。令和6年2月13日

 補償契約書
だんだんと謎が解けてきたが、裁判がこのように進むわけではないことをお断りしておくが、裁判で最も疑問とされるのが、道路公団から開示された覚書と補償契約書である。補償契約書として580万円が工事が終わってから阿智村に支払われている。工事が終わっての支払いに大した意味は無いが、考えようにおいては、園原簡易水道事業費が焦げ付いたことともとれることだ。1300万円で予算を組んだし、恵那山トンネル工事の鹿島建設の下請けである吉川建設が施工もするし、これが順調なら580万円が工事が終わってから支払われることは無い。ならば、工事費用に不足が出たと、そういうことにならないか?
 増工工事の存在
工事を行うに、増工工事が発生することはよくあるが、園原簡易水道を布設するに、どのような増工工事が出たのだろうか。それは、この工事の概要を知ろうと、設計図書の開示請求を行ったことにある。そこで見つめたのは、「80万円の増工契約書」の存在であった。どのような増工なのかと言えば、配水管を布設する掘削工事において、水源地から100mくらいの10m程度の範囲に岩盤が露出しており、その岩盤の一部撤去と迂回が余儀なくされた増工であった。たしかに簡単な図面と設計書が存在していたが、少なくともここで80万円の増額が出たことに違いは無い。そこにおいてそれ以上の増工工事が無いとなれば、後に残るは管理費用の捻出にある。道路公団が補償工事として園原水道をつくるのであれば、管理は部落で行うことで、村が関与するは全くない。しかし、阿智村は、農協や診療所まで含める計画であって、実際に完成後に即、接続を行っている。ならば阿智村が管理しなければならない状況になると分かっていたはずだ。令和6年2月15日

 580万円-80万円
ここですでに500万円となったが。この500万円をどのような理由において阿智村は償却したのであろうか。580万円は一般財源に入れたと村はこの裁判で証言しているが、一般財源に入れるは村の金としたことになる。では、村の金となった580万円は、いったいどのように使われたのであろうか? この疑問を解けば、園原簡易水道は園原住民の権利ある水道と証明されるのだ。そしてその答えは私には見えていた。それは、阿智村が主張する「阿智村の費用で阿智村が敷設した水道だ」の証拠として“村史”を証拠につけたことだ。? 少し法律や裁判に詳しい方なら分かると思うが、村史が証拠になるのか? との疑問である。阿智村が確かに園原簡易水道を阿智村の費用でつくったのであれば、事業予算書をその証拠とすればよいことだ。その事業予算書には設計図面もあって設計書もあるし、何よりも吉川建設との契約書もあることだ。いわゆる、事業予算書は事業の実施をまとめた行政書類として永久に保管されていることで、あとから次々出された設計図面や契約書などがあれば、事業予算書が見つからないはずがない。なのに村史を証拠としたのは、事業予算書を証拠としてできない訳があることになる。なぜ予算書を証拠として提出出来ないのかは、『道路公団から700万円が補償費として阿智村の一般財源に収取された』と予算書に掲載されているからである。それ以外の理由が無いことは、道路公団は園原住民のために補償費を支払っているからだ。(どうですかな岡庭一雄・佐々木幸仁・水上宗光の共産党トリオのみなさんは、私のこの話を嘘だと証明できますかな。それこそ、嘘だの証拠をが無ければ、ただの戯言になりますね。)
村史では、国庫補助金400万円と起債700万円があるが、矢澤メモでは「700万円が道路公団から支払われたが、そのうちの500万円しか使っていない」とされている。もはやこの時点で、起債700万円は道路公団からの補償費であることにならないか!?令和6年2月17日

 200万円が余った?
道路公団は工事が終わってから新たに補償費580万円を阿智村に入れているが、なぜ工事が終わってから支払う必要があったのか? それに、その補償費は『湧水と井戸を水源とする住戸者』に限られていたのか? この疑問は全くに裁判でも大きく取り上げられていますのは、「補償費が支払われた」が事実と証明されたからです。道路公団から補償費が支払われたとなれば、それだけで私の主張が証明されることになり、園原簡易水道は道路公団の渇水補償として敷設されたとなったのです。しかし、これだけで判決が出せないことに、この580万円が園原簡易水道布設にかかる事業費に使われていたとしなければ、絶対的にならないのです。
 被告弁護士の失態
被告弁護士の下平弁護士は、私が散々にブログで悪口を書いていますので、また、岡庭一雄村長の犯罪を知ってもなお、また、熊谷秀樹村長の犯罪を知っても、阿智村を守るとせず、村長を守るとした裁判の進め方に終始したことにおいて、争いの焦点がぼやけてしまったようです。土地返還請求事件においても「阿智村が買っていた」との契約書を証拠としながら、「時効取得を元とした背信的悪意者」とのレッテルを私に張り付け争ったことにおいて阿智村が負けた場合の阿智村消滅危機の状況をつくり上げてしまいました。そしてこの裁判いおいても、恵那山トンネルと園原集落の状況を知りもしないのに、また、操の横領を知ったにしても、ここでもまた同じ共産党の熊谷秀樹村長を守ろうとして、つじつまの合わない証拠をでっち上げてしまいました。そこにおいて、道路公団から開示された580万円の入金についても、おなじ覚書と補償契約書が村に保管されていたことを承知の上で、「道路公団からの補償費は無い」と反論したことで、ここでも全くに、阿智村が潰される状況をつくり上げてしまいました。阿智村が潰されたとき、最も悪い奴は、下平秀弘弁護士かもしれません。令和6年2月19日

 一般会計
ここで前もって言っておきますが、この裁判においても「今久留主総務課長が作成した園原簡易水道補償費の扱い書面」が、重要な証拠の一つに取りあげられていますが、これ、証拠にならないのです。なぜならば、行政書類ではなく今久留主総務課長のメモ用紙であるからです。吉川優議員は、たしかに議会質疑の資料として私に渡してくれましたが、行政書類でも無いただのメモを、操が横領していないとした証拠にして、中村弁護士も争っていますから、早い話し、今久留主メモも村史も、全く証拠として取り扱われておりません。

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