PARTー1では佐藤健と牧野光郎の確執として始めたが、飯田荘の契約解除による裁判の紹介ばかしで二人の確執は何も書けなかった。PARTー1の続きとも考えたが、あまりに分かりづらいので新たなコーナーとして始めます。が、そうはいっても、やはり飯田荘の裁判が公開停止のままで判決を迎えたことと、敗訴の結果において控訴に至る経過を読者に伝えなくては、佐藤健市長の思惑が見えてこない。このような理由からして、まずは、裁判記録を公開しながら、二人の新旧市長にどのような確執があったのかを書き出したいと思います。
章設計の訴え
訴状の趣旨は「設計料を支払え」であります。飯田市と章設計は、飯田荘新築工事の実施設計業務の委託契約を交わしたことで、実施設計業務にとりかかったところ、飯田市が言うところの「基本設計」に、不良部分が発見された。市はこれを認め、その修正は計画平面図(平面プラン)を章設計が作成して打ち合わせを行うとされたが、その翌日になって市はこの修正を否定し、基本設計通りに設計せよと迫られた。担当課である地域計画課長に計画平面図を提出し、その説明を行ったところ、事業課である長寿支援課長が説明を中断させたことで、地域計画課長から、契約書18条に沿って提案書として提出せよ指示された。提案書を提出したが、地域計画課の回答は、基本設計に添うことを約束し、その旨の承諾書を提出せよとされた。それらの指示に従うことなく、市長に陳情書として提案書を提出するとしたところ、健康福祉部と建設部が提案書の説明を聞くとされ、説明と話し合いが行われた。その翌日に建設部長が突然来所され、基本設計を誰が作成したかの確認が取れないと話され、当社の提案を確認された。その後、建設部長は再度来所され、「章設計の提案はすべて受け付ける」「基本設計からやり直してもらっても構わない」「基本設計料も支払う」「工期も章設計の都合で良い」「相向かいの居室だけは飯田荘の希望なので残してくれないか」と話された。これに「基本設計料は不要です」「工期は市の都合で遅れた21日間の延長で構わない」「居室を東側に向けるのは飯田荘の希望です」「今後は、監督員と飯田荘の担当者と当社の三人で進めさせてください」とお願いした。飯田市の計画平面図にそって設計は進めていたところ、ボーリング調査を行うことに監督員の承認が取れないことで調査が行えなかったが、建設部長が監督員に注意したことで着手できた。だが、ボーリング調査を始めたところ、監督員は突然ボーリング調査を中止させた。監督員から「工期が近づいているので成果品の打ち合わせを行いたい」と通知があったが、何度電話を入れても数日間連絡が取れなくあったので、直接地域計画課長に成果物を提出した。成果物の提出後10日以内に検査が行われるのは契約条項で記されているが、一月以上行われないことで、請求書を提出した。
以上の内容をまとめたのが訴状で有ります。令和5年3月6日
飯田市の反論
成果品が契約工期内に提出されなかったことは契約不履行であるため、契約を解除した。これが反論であるべきだが、契約解除通知は契約書にある契約工期終了後の二十日後であった。その通知を内容証明で郵送したというが、当社が留守で郵便局に一週間据置されことで普通郵便に切り替えて二十日後に届いたようだ。だからとしても、当社は契約解除のことは知らないが、成果物は契約工期満了の6日後に提出しているが、土日を挟んでいることと、成果物について打ち合わせをしたいとの監督員に提出前日まで連絡がつかなかったのを理由とした。
被告飯田市の準備書面
口頭弁論が開かれたが、早速に裁判官は裁判の公開を禁じた。行政相手ではよくある話だと聞くが、裁判が公開停止になる理由は『著しく社会秩序を乱す恐れのある場合』しかないことで、それは万が一飯田市が負ける場合を示していることになる。まあそれはともかくとして、被告準備書面をご覧あれ。飯田市準備書面1 クリックしてご覧ください。
裁判ですので、互いが主張を繰り返すものですが、それらの主張と反論はこの様な準備書面においてやり取りをするのです。当然として、原告も被告も十分なやりとりで準備書面は幾通も行われていましたが、ここで原告側の弁護士に思わぬ状況が生まれてしまいました。それは、「緊急入院」というアクシデントです。個人情報になりますので詳しく書けませんが、この病気にて半年が遅れ、その後にもまたコロナ感染が二度も有り、併せて1年もの間が空いてしまったのです。もはやアクシデントでは済まされない状況にて、思うような打ち合わせや準備書面が出来ず、そんな中ですでに証人尋問へと進んでしまいました。令和5年3月8日
都内弁護士の不便さ
いま行われている裁判は、ズームにおいて進められますので遠方の弁護士であっても、また原告と別々でも裁判期日に参加できますが、コロナの真っただ中においては、電話期日しか行えませんでした。当然として私は参加できず、何がやり取りされていたのかは、弁護士からのメールでしか確認できませんでした。その様な状況にて審議がどれほど費やさされたのかも知らずに、裁判は終結へと進んでおりました。弁護士が言うところの論点は「契約延長の合意」が有ったのかどうか、そこが最大の焦点だという。ようするに、木下悦夫建設部長が平成28年12月28日に章設計に来て、「章設計の提案はすべて受け付ける」「基本設計の費用も払う」「工期はいつまででもよい」と話したことが事実と認められれば、章設計の訴えは通ると言うことだ。
飯田市の反論
工期延長の合意が焦点になるのは以前から分かっており、それには熊谷泰人市会議員の証言しかないと判断していた。そこで泰人に証言者と成るようお願いしたのは、裁判が始まって半年後の事であった。市の不正を質すと意気込むんでいた泰人は、その不正の深さに恐れをなし、また他の議員らから四面楚歌とされたことで意気消沈していた。そんな中で証言を依頼すれば、「俺は章設計の立場にあって証言者になれない」と半泣きになった。相当に精神的に落ち込んでいた。やむを得ずとして、証言は無理だと弁護士に話せば、やはりそれは厳しいという。そして月日が流れるに、今度は弁護士の方が病気になったというわけだ。そんな中、「泰人とは元通りになった。証言も取れますよ」と弁護士に連絡していたのだが、病気のせいか、コロナの後遺症か、それとも多くの裁判を引き受けている書面に紛れていたのかはともかくとして、弁護士から「聞き逃してごめんなさい」と話されたのは、証人尋問が終わった後であった。令和5年3月10日
証人尋問
正直な話、何も反論できない中で証人尋問が始まるに、私もまた証言者として法廷に立てることで、そこで陳述書のまとめに入ったが、そこであることに気づいた。まてよ、これらのことはすべて書き記し、弁護士に渡してあったではないか。なのにいまさらとして、何を証言するというのであろうか。たしかに陳述書の作成には慣れていたし、まとめることに困難はない。しかし、証人として何を証言すればよいのかと、焦点がぼけていることに気づいたのだ。どのようにまとめればよいのかと迷うに、そこに、思ってもいない展開がまっていた。被告側の陳述書が先に届いたのである。
被告証人
このころ、被告側からの証言者が決まったと言う。「原章さんが被告側の証人のようですが」工期延長の合意については木下さんだと思いますので、木下さんの証人を求めますが、他にどなたか請求する証人はおりますか? いつもいきなりな連絡が来る。この弁護士の特徴なのかと思うが、即答するに、「原章は業務妨害について質問してください」と言えば、「それはあまり関係しませんよ」、「それは分かりますが、原章にはほかに聞くことが無いですよ」、「事業課だと主張されておりますので」、「事業課ですか、でも、ボーリング調査を中止させる権限はないでしょうに」、「それは検討します」そこで、最も証人に必要だと考えていたのは、遠山広基前地域計画課長であった。噂では、病気になって入院したが、精神的におかしくなって辞職したという。なぜおかしくなったのか? 深刻な病気でおかしくなったのか? いや、話しはそんな単純ではないと感じた。それは、「なぜ成果物を受け取ったのか」の批判が遠山地域計画課長に向けられたと聞いていたからだ。気が小さくて誠実な人であれば、そんな責めに追いやられれば、そんな中で大病を患えば、精神的におかしくなっても不思議な話でないと私は考えていた。市が遠山広基を証人にしないのであれば、遠山広基が出てきたら困ると言うことになる。令和5年3月12日
被告陳述書
「被告側から証人者の陳述書が出てきました」として、原章と木下悦夫の陳述書がメールにて送られてきた。とても面白い陳述書であるが、ふたを開ければ、下平弁護士が指導して作成したと、証人尋問において暴露されている。陳述書を下平弁護士が指導した? 確かに初めての経験であれば、その書き方としても教えてもらうはあることだが、内容に修正を加えたとなればいただけない。何をどのように言い間違えたのかは、原章の証人尋問と、この陳述書に食い違いが出たことによる。さて、何を言い間違えたのか、その辺りは証言の重要な要点であるに、陳述書を読まなければ始まらない。まずは、原章の陳述書をご覧あれ。原章長寿支援課長陳述書 クリックしてご覧ください。
原章は豊丘村だったのですね。聞くところによれば、ある大学の法律学科を出た自称エリートのようです。法律に詳しいとして、章設計への契約解除を画策したようですが、この陳述書ではその片鱗が伺えません。まあ、佐藤健は東大ですから、足元にも及ばないでしょう。私も含めてね。その様な状況からすれば、章設計への契約解除は、やはり佐藤健が副市長として決めたと思われます。そこでですが、牧野光朗と佐藤健の確執ですが、独断で契約解除をしたとなれば、やはり、牧野光朗市長の立場として、何かのきっかけにはなったでしょうね。令和5年3月14日
不要な証言者
弁護士は、「原章の証言は必要なし」と、決めつけていました。ようするに、原章に質問することは特にないというわけです。原章は業務妨害したではないですか!?それを質問したらどうでっすか? と言えば、「工期の前日にボーリングでは間に合わないとの理由が有ります」と、聞かされていない話が出たが、原告弁護士の発言とは思えない。そう、被告の反論に対し何も否定していなかったのだ。弁護士に言わせれば、工期延長の合意があればボーリング調査の妨害は主張できるが、合意の確認が取れなければ、原章に質問しても意味が無いと言うわけだ。そうは言っても業務妨害を主張しなければ、原章の言い分を否定できないじゃないですか、と食い下がり、では、何を原章に質問するのですか? と聞けば、「契約の事業課であるかです」と、さらりと言ってのけた。そうか、ここでピンと来たのは、「地域計画課に契約に関する権限がある」を主張していたのを思い出した。それは当然に、平井監督員や木村係長が「実施設計しか発注していない」と当社に圧力をかけたことにある。発注に言及した者が地域計画課であれば、必然的に地域計画課に契約に関する権限があるとなる。これを被告弁護士が盛んに「事業課は長寿支援課だ」「契約書に関する権限は長寿支援課にある」と主張していたことを思い出した。
原章の陳述書の内訳
やはり、原章は冒頭から「建設部に、…契約や契約変更などについては行えません」と、否定している。ここで何を言おうとしたのかは、「木下建設部長が当社と交渉をした事実」を否定するための前哨戦である。木下部長は、章設計の提案をすべて受け付けるとし、「工期はいつまででもよい」とした。その上で、「相向かいの居室は飯田荘の要求だから、それだけは聞いてくれないか」と発言している。ここで確かに工期延長を了解していることは、契約の変更を示唆したことになる。弁護士が言う通り、「工期延長の合意」が有ったのかどうかが、最大のポイントなのだ。木下部長が当社と交渉したのは事実だが、それを木下部長は否定するしかないのであって、そのために、「建設部に契約の権限はない」と、否定していることになる。令和5年3月16日
原章の証言台
たしかに、原章に質問するは、契約の権限は建設部に無いのかであって、それ以外には何もないとの意味がようやくと分かった。それであれば、木下悦夫もまた、同じことを陳述することになる。要するに口裏合わせなのだが、被告弁護士の作戦は、「木下悦夫の章設計訪問の理由」をぼかすことなのは間違いない。木下悦夫が契約に関する発言をしたにしても、「契約に関する権限は事業課の長寿支援課です」「工期延長は契約変更を示します」「木下建設部長が何を話したにしても契約に関する権限は有りません」との筋書きを立てるためだ。ここは見えていたが、こちらの弁護士はノー天気であって、「質問時間(15分)が気になり、すべて聞けませんでした」なんて、二つばかしの質問で終わらせたのは、原章の受け応えに被告弁護士がストップをかけたからです。
緊張した面持ちで裁判官の前に立つ原章は、原告弁護士の尋問に戸惑うことなく答えていたが、二さんの確認をした中で、たしかに陳述書との食い違いが出た。その時である。被告弁護士が立ち上がり、原章に駆け寄って「この陳述書は私が原さんの証言をもとにまとめた書面です。今の発言は、証言と違いますよ。もう一度確認して訂正してください」この状況に驚くとともに、陳述書を弁護士がまとめたとの発言に、え? 弁護士が陳述書を作成した? そんなことが出来るのか? と、違和感を感じたのだ。私の陳述書は一字一句自筆であって、その内容も弁護士に相談したものではない。弁護士に確認したのは「これで良いですか?」であって、弁護士はそのまま提出している。それが、「陳述書は弁護士がまとめました」などの理由で、原告弁護士の質問を遮るのですから、よほどまずい返答であることはたしかだ。そんな程度で発言を撤回出来るのことに驚いたのです。(これらの経過と撤回された内容は後日書き出します。)令和5年3月18日
木下悦夫の証言台
「記憶にありません」なんか、一昔前の、国会でのひとこまを見るような情景が浮かんできた。予想はしていたが、何か小説の世界にも似た現実感の無さである。記憶に有りませんが、まだまともな言葉であると思えたのは、木下悦夫の「覚えていない…」が、か細く聞こえたせいであろう。覚えていない? おぼえていない 何を覚えていないというのであろうか? しっかりと、章設計に出向いたことは覚えているではないか。ここで、木下悦夫の陳述書を提示します。木下悦夫陳述書 クリックしてご覧ください。
章設計を契約解除したことで、建設部長から副市長に大出世した木下悦夫の証人尋問は、それはそれは酷い有様でした。令和5年3月20日
一昔
「退職して長いので、昔のことは覚えていませんが”…」とても良い枕詞ではないか。この言葉から始まった木下悦夫の証人尋問、すでに記憶にありませんは始まっていた。この言葉に驚きはしないが、裁判官は少し違っていた。「そんなに前のことですか?」いきなりな尋問であった。初めて証人台に立つ木下悦夫には分からないだろうが、冒頭からして裁判官が発言することは無い。ここで戸惑ったのか、「あっ、えっえっ、私は辞めたので…」少し間をおいて、「その年に辞めたんで…」いつ辞めたのかと確認されるに、「平成29年の3月で退職しています」
これは全くの嘘である。確かに飯田市の退職年齢は59歳であるが、退職して一年間は再雇用されるのが習わしで、その一年間は公務員としての籍がある。これは裁判に直接関係ないからしてこのような嘘も通用するのだが、言い回しとして退職したは、記憶にありませんに繋げる方便であろう。59歳で退職し、60歳の一年間は公務員として再雇用、そして61歳に副市長になるに、そこで昔のことは覚えていないは無いだろうが、言いたくないことは覚えていないで乗り切れは、被告弁護士の指導である。これらを承知して証人尋問する原告弁護士は、「木下悦夫氏の証言が必要です」と請求していることで、何を聞き出そうとするかは「章設計へ出向いたのはどのような理由ですか?」しかない。一番重要な「工期延長の合意」について尋問しても、答えるはずはないからだ。しかし、敵もさるもので、「 良心に従って真実を述べ、何事も隠さず、偽りを述べない旨を誓います。」との宣誓であっても、記憶に有りませんは、嘘でも偽りでもないとなる。答えるはずが無いと分かって尋問するは、証人の口の滑りを期待することであって、冒頭からして「覚えていない」で始まれば、原告弁護士は「工期について話し合われましたか?」などと、直球尋問はしていない。何を質問するかは聞いていたが、どういう訳かいくつかを飛ばしてしまった。後での話だが、やはり時間が気になったとの言い訳であった。確かに被告弁護士は老練であるし、行政という強い立場にあることで、もはやこの裁判の結果は見えていた。令和5年3月22日
認証調べ
民事においての証人尋問は、相当なる場合を除き儀礼的である場合が多い。何を言わんかは、判決は既に決まっていると言うことだ。だからして、証人尋問に何を求めるかは、証人の口の滑りに期待することになる。はたして、被告側証人に、口の滑りは有ったのだろうか? 木下悦夫に何を尋問したいのかは、当然工期延長の合意の話である。合意が有ったのか無かったのか、が、あまり必要ないことは、木下悦夫は無いと言うし、私は有ったと答えることになる。押し問答であれば答えは出ない。ならば、木下悦夫に質問するのは、「平成28年12月28日に章設計に出向いたことは間違いありませんか?」から始まることだ。木下悦夫は陳述書の中で「熊谷章文氏と4回あった記憶が有ります。」として、章設計へ出向いたとは言っていない。しかし、章設計へ出向いてきたことは4回あり、市庁舎内で提案の話をしたのが一度ある。だからして、4回会ったは違っているが、そこは攻めるところでもない。問題は、「どのような用事できたのですか?」で、あって、そこに対する木下悦夫の陳述書は、「工期延長の検討するよう…」とあり、工期延長の話をしたことは認めている。しかし、「社長は同席していない」と否定していることは、契約事項に関する権限がある社長は居なかったと否定することで、自分も契約に関する権限は無いと主張していることになる。これは、建設課(地域計画課)に、契約に関する権限は無いと言うことだ。これほどまでに契約権限にこだわるのは、木村理子係長と平井隆志監督員が「実施設計しか発注していない」を理由として、章設計を恫喝したことにつながる。この二人が実施設計の発注に言及すれば、この二人にも契約に関する権限があることになる。
ピンボケ
このように、契約に関する権限は長寿支援課にあって、建設部や地域計画課にないと執拗に反論するが、では、市長に確認を取って提案書に返答しますとした、遠山広基地域計画課長は、市長不在でも回答書を発行している。これは契約事項にかかわることで、それを地域計画課長がやってのけた。そう、契約にかかわる権限は地域計画課にもあると言うことだ。令和5年3月25日
嘘を暴け
木下悦夫の陳述書には、「基本計画による実施設計をお願いした」とあるが、飯田市の基本的な反論は、「市が作成した基本設計に従え」である。この違いは大きいことだ。木下悦夫は「基本計画」と、ことさら“計画”を強調しているのは、“設計”と“計画”では、まったく違うことになる。計画とは、案であることで、この意味は小学生でもわかるが、設計は、制作方法を図面化することにある。これを今回の裁判に当てはめれば、木下悦夫は「飯田荘を新築する計画案を作成した」と主張していることで、設計をしたとは言っていない。しかし、被告弁護士は「基本設計を地域計画課が行った」を根拠としており、「基本設計に章設計は従わなかった」と反論してきた。いわゆる、基本設計か基本計画かにおいて、まったく違う展開になることだ。
基本設計が鍵
この様にハッキリしていることに、なぜ章設計が負けたのかと言えば、裁判官が計画と設計の違いが判断できないことにある。それは当然のことで、原告弁護士が設計と計画の違いを主張しなくあったのが原因だ。被告弁護士は、「飯田市の提供図面は基本設計なのか?」と地域計画課の木村理子係長や平井隆志監督員に確認しているが、この二人は今となって、基本設計でないことに気づいていた。だからして、「基本設計に従え」と章設計に指示していない、「基本計画に従え」と言っただけだに修正を図ったのだ。あらためて、木下悦夫の陳述書と原章の陳述書を読み返してみれば、木下悦夫は一度も基本設計とは言わず、基本計画と記してある。原章に至っても、入札資料は基本計画と称し、入札資料に用いた資料の一部にあるタイトル名を「基本設計説明書」と、呼んでいるだけである。令和5年3月26日
控訴の価値
裁判は弁護士任せであることは、経験者であれば理解できるだろう。たしかに弁護士の理解不足が大きな原因だが、そこまで読み取れなかったのは私の責任である。しかし、負けて見なければ、それに気づかなかったことも確かだ。だからして控訴とするに、負けた原因が「基本設計の取り扱い」であると判断できたのは大きくある。基本設計の取り扱いとは、基本設計とは何だから始まることで、基本設計の定義に基づき、基本設計の何たるかを説明すれば、必然的に行政業務ではないと結論付けられる。行政業務でなければ、地域計画課が基本設計を行ったとする主張は成立しない。もはやそれ以上はさして説明もいらぬことではあるが、裁判官にはもっと詳しく説明しなければならないだろう。まあ、それを控訴において主張することになるが、ここまでのことで、十分に控訴債で争えると考えている。
隠した目的
ある日突然に指名通知が送られてきた。そこで何を考えたのかは、「地域計画課と綿半と設計事務所協会の官製談合を暴こう」との思いである。飯田荘の設計が欲しいのではなく、飯田荘の設計を行うことにおいて、官製談合の証拠を集めようと考えた。ならば、何としても落札しなければならない。どこよりも安く入札しなければ落札は出来ないが、わずかな差において落札してもそれほどの効果は無いとしたが、まさか、工事事業費が示されていないことは驚きであった。行政が発注する建築設計委託業務の特記仕様書は、全国共通の台紙(ひな形)があることで、そこには建築物の概要が示されるが、その概要において最も重要な項目は「工事予定金額」である。国土交通省告示第15号による設計料算出には、「工事予定金額」が必要不可欠なのだ。令和5年3月28日
行政書類の不備は証拠
特記仕様書に「工事予定金額」が示されていないことは、それだけで不正な特記仕様書となるのだ。この様な不正な発注様式を30年以上も続けているのに、そこに官製談合が有ると分かっているのに、市会議員の連中は見向きもしなかった。飯田荘の入札も全く同じであるが、章設計が契約解除されたとして、これらの状況を陳情書にて議員らに伝えても、その陳情書ですら取り扱かわなかった。なんなんだろうか!?現実の出来事なのか!?どこの自治体でも同じなのか!? あまりにばかげた状況にて清水議長と永井副議長に催促を求めれば、「訴えれば良いじゃないか!」そこもまた信じられない対応であった。
国に訴えるために
飯田市自治体で解決できないと知れば、もはや最後の手段を選択するしかない。だからして県警に告発した。そこでの対応に捜査二課が就いたことで、あらゆる証拠を渡してみたが、やはり絶対的な証拠に欠けていた。「設計料が3.5%と決められている」この証拠が挙がらないのだ。たしかに、入札資料である特記仕様書に工事予定額が示されてないは重要な証拠である。しかし、示されていないの裏付けとして、3.5%の設計料へとつながる証拠は無い。過去の入札結果で逆算し、3.5%を割り出したにしても、それは裏付け証拠であって、実態の証拠とならない。ならばどうするか、それは、飯伊建築設計監理協会のどこかの設計事務所から、「設計料は事業費の3.5%でした」との証言を得るしかないが、それは私がやることでなく、二課の役目であると構えていれば、まずいことに、熊谷議員が一課の刑事に会っていた。県警に告発したとを熊谷議員に伝えたことで、彼とすれば、何かの役に立つと刑事に会ったのだろうが、刑事は3.5%の設計料が決め手としていれば、当然として熊谷議員に聞くとなる。そこで3.5%だと言えばよいが、「俺は知らない」と答えたことで、すべての状況が変わってしまった。令和5年3月30日
独占禁止法違反に関する事件
そして捜査二課の刑事は、熊谷議員に会いたいという。なぜか? それは、3.5%の設計料を聞き出したいからだ。熊谷議員の性格からして、一度刑事の前で話したことに、その話が変わればとの迷いがあった。だからして同じように、「知りません」と答えたはずだ。だが、知らないと答えたことで、新たな疑問が捜査二課に出たのである。
刑事の無知
「設計料は事業費の3.5%で決められていた」これは、私が刑事に告げていたことだ。刑事が、3.5%を官製談合の証拠だとしたのは、「公正取引委員会は、『設計料を3.5%に決めているのが官製談合だ』と言っていた」と、私が話したことによる。だからして、熊谷議員に「設計料は3.5%に決められていたのですか?」と、質問したのだ。ようするに、捜査二課の刑事も、3.5%が証拠だと判断していたとなる。では、3.5%が官製談合の証拠とであれば、どのような条件で成立するのでしょうか。
官製談合とは、発注者側の公務員又は特別公務員らが談合に関与して、特定な業者に落札させるしくみであるが、ここで、3.5%を証拠とするならば、地域計画課の職員が、事業費の3.5%に充金額を入札参加業者に知らせていなければ成らない。しかし、地域計画課の職員は落札予定金額を業者に知らせていないし、3.5%であることも知らせていない。そして熊谷議員が「3.5%のことは知らない」と返答すれば、設計料が事業費の3.5%であることはけして証拠とならないのだ。この時点で、3.5%は、官製談合の証拠にならないと気づいたのだ。令和5年4月1日
支離滅裂
捜査二課の刑事は、熊谷議員から話を聞いたことで間違いに気づいたようだ。「設計料は事業費の3.5%に決められている」は、官製談合の証拠ではなく、独占禁止法の証拠であることを。独占禁止法であれば、警察に捜査権はない。そう、捜査は検察庁か公正取引委員会が行うことなのだ。県警に告発したは裁判前であるからして、既に5年にもおよぶが、その間捜査二課は何をしていたのかと思えば、何もしなかったことになる。官製談合は県警の管轄で、だからこその捜査二課だと考えていたが、とんだ思い違いをしていたようだ。正直な話、捜査二課は動かないと感じていた。それは、阿智村の例があったからだが、阿智村も同じ官製談合であるに、当時の二課刑事は突然及び腰になっている。私が渡した証拠は官製談合であるに、岡庭一雄を贈収賄で挙げようとしたことに、動かないを感じたのだ。
わずかな差
「もっと大きな金が動かないと」岡庭一雄を贈収賄で挙げると言った捜査二課の刑事は、私が岡庭一雄に直接官製談合を告げたことで焦り出し、挙句の果ては、官製談合で挙げるには、もっと大きな金が動かないと事件性に薄く、起訴出来ないとも言っていた。当時はそう言うものかと納得したが、今思えばとんでもない間違いであった。官製談合に金額の差は無いからして、官製談合ではなく、やはり飯田市と同じく、独占禁止法と判断したからだ。岡庭一雄は入札価格を漏らしたわけでなく、原建設に工事が回るよう便宜を図ったことである。これはまさに独占禁止法に掛かる犯罪であって、なおかつ、行政犯罪につながる事件であったのだ。
今思い返せばの話であるが、それは飯田市との裁判で負けたことによる判断であることに、飯田市もまた、官製談合ではなく独占禁止法に掛かる犯罪であると断言する。ならば、独占禁止法に掛かる犯罪の証拠を確定すれば、そう、検察庁に告発できると言うことだ。令和5年4月3日
振り出し
章設計が飯田荘を落札するに、そこに、私の目的が何で有ったのかと言えば、飯田市行政に長く続いてきた官製談合の是正にあった。官製談合の証拠をつかもうと、それが飯田荘を落札する最大の目的であった。だからこそ、絶対に落札しようと考えたのであって、それが1千万円以上の設計料であろうとも、センセーショナルな金額での入札はそれ自体が波紋となり、何かが浮かび上がるとの期待があった。そしてそれは、熊谷泰人議員から早くももたらされたのであるが、確実な証拠にはなりえなかった。
馬から落ちて落馬して
確かに地域計画課の入札資料はお粗末極まりなかったが、その資料がそのまま証拠になるとは考えなかった。建築士の性とでも言おうか、より良い飯田荘にとの思いは、いつしか官製談合の是正より上回ってた気がする。しかし、地域計画課の抵抗は強く、その裏事情が見え隠れすれば、いやがおうでも引き出されていた。そんなときに、木下悦夫建設部長が交渉に来たのだ。
交渉に乗らぬ馬鹿
章設計の提案はすべて了解する。基本設計料も支払う。設計工期はいつまででも良い。こんなおいしい話を断るバカはどこにいるのだろうか!? しかし、私の口から出た言葉は、「熊谷議員と二人で官製談合の是正に取り組むと言ったのは誰だ!」「こんな交渉をするな!」「こんな話は必ず世間に聞こえていく、その時に、お前は熊谷議員を守れるのか!」と、怒鳴りつけていた。これを世間では馬鹿と言うのだろうが、私にはきっとそうせざるを得ない何かが有った。だからこそ、契約解除されて、そして訴えることが出来たのである。なるべきしてなった結果であるが、まだ答えは出ていない。令和5年4月5日
目からうろこ
勝つに越したことは無いと言うより、勝てないなどと考えていなくあった。そして判決が下されるに、敗訴がそれほど衝撃でもないことに、変な感情が湧いてきた。それは、木下悦夫建設部長の交渉を断った時に似た、訳の分からない期待感のようなもので、これから先がすでに見えていたのかもしれない。たしかに、証人尋問を終えた後に弁護士と話し合えば、既に控訴を前提として、まだ争いは続くものとしていたし、控訴に向けて何を証拠とするかまで打ち合わせていた。そんな状況にて、敗訴が衝撃でなかったのかもしれない。
果報は寝て待て
控訴期間は判決後15日以内である。控訴訴状をまとめるに、それは例文にそって承服しかねないとすればよいし、それは弁護士の事務手続きであることだ。そして控訴訴状は長野地方裁判所飯田支部に提出されたのだが、そこから先は弁護士の作戦なのか、単なるズボラなのかはあずかり知らぬが、高裁に訴状が送達されるに、いくらかの費用が掛かるのを、一月近く放置していたようだ。そんなこととはつい知らず、50日以内に準備書面をまとめなければならないと、それは寝る間を惜しまずまとめ上げれば、「まだ事務手続きが済んでいません」と、間の抜けた言葉が返ってきた。それも良かろうとするのは、何かが有ってそうなるものと、すでに流れに身を任すのはいつものことである。何かが無ければそうはならないし、何かが有ればそうなるものだ。そこには相当なる意味があることで、それは果報は寝て待てで、あるのかもしれない。
既に控訴した。まだ準備書面はまとまっていないようだが、新たな証拠が揃えばそれまでのこと、短期の勝負であれば、まだ足りない何かのために、十分な時間は良いことである。令和5年4月7日
判決文の公開
一審の敗訴において、控訴するに十分な状況にあるとなれば、そこが気になるのは誰しもがものだ。だからして、ここで判決文を公開したいと思い準備しましたが、ここでやはり、控訴準備書面が整うまでは公開しない方が良いと、思い直しました。申し訳ありませんが、今しばらくお待ちください。ここで思いとどまった理由の一つに、下平秀弘弁護士が、このブログを参考にして反論していたと分かったことにありますが、飯田市の裁判と阿智村の裁判(土地返還請求)の原告弁護士(青南法律事務所)被告弁護士(下平秀弘弁護士事務所)が同じであることに、阿智村の裁判において、「ブログで阿智村を攻撃している」として「背信的悪意者」と反論されたことに有ります。この反論は、このブログを詳しく閲覧してなければ起こせない反論であって、いかに、飯田市の裁判においても、このブロブで情報を得ていたことが、反論で分かったからです。
背信的悪意者の反論の一つ、「ブログで阿智村を攻撃している」は、熊谷秀樹村長を攻撃していると見なされ、それは村長選挙に出馬する目的での攻撃だとされました。これに原告弁護士が反論しないのは、「政治批判は当たり前」であって、ブログでもSNSでも、そして選挙における直接批判でも、政治に対する批判は住民の権利であり、攻撃には当らないとした、常識的な対応でした。たしかに、「熊谷秀樹村長は犯罪者だ!」と広報しても、それは、政治批判の一つであると、阿智村選挙管理委員会は認めています。
このような経験により、今の時点で、判決文を公開するのは、下平弁護士に反論内容を伝えるようなもので、少なくとも、控訴が始まってからの公開とするようにと、思いとどまりました。令和5年4月9日
佐藤市長と牧野前市長の確執の本質
控訴が始まりましたら、判決文と併せ、控訴内容についても詳しく発信します。それまでお待ちいただくに、佐藤健と牧野光郎の確執の本質について、書き出したいと思います。
確執はあったのか!?
二人は市長選で争った。それだけで確執は生まれるものだ。選挙であれば全くその通りだが、しかし、二人にそれほどの確執があったのか? と考えるに、市長副市長での8年間に、対立も確執も何もない。牧野光郎は佐藤健を後継者として向かい入れているし、佐藤健も副市長として8年も勤め上げているからして、どこからどう考えても確執などあるはずがない。ならば、確執はいつから始まったのか? と考えれば、やはり、佐藤健の副市長を切ったころだろうとなる。なぜ切ったのか? その理由を一部の議員に話したそうだが、「もう一期、市長をやりたい」が、始まりなようだ。ほう、もう一期市長をやりたい。それだけが理由だとすれば、余りにも他愛ないが、もう一期やりたいの考えを示さなければ、それも通用しない。牧野光朗の説明を聞けば、「全国市長会の副会長である」「市長をもう一期やれば会長になれる」「菅官房長官と親しく、総理大臣になれば飯田市にとってメリットがある」そう言ったようである。身勝手極まりないとみるか、さもあらんとして理解するか、それぞれの判断でよろしいかと思うが、さて、この話を聞いて、納得できる議員(市民)は居たのであろうか? 一般的に、身勝手な言い分だと見られるが、その理由うんぬんより、佐藤健を切る必要があったのか? と、少々考えてみたらどうだろうか。私はその様に考えているので、副市長、理解してもう一期副市長を続けてくれないかとすれば、そこに問題は出て来ない。令和5年4月11日
佐藤健の行動
びっくりするような話が聞こえてきた。何がビックリしたのかと言えば、首を切られた佐藤健の行動である。それも、首切り後、間髪入れずに駆け込み寺に飛んで行ったとのこと、そして寺住職に、「副知事にしてもらえませんか!」と、懇願したというのだ。??一瞬、何のことか、誰の事かと戸惑ったが、この話は、佐藤健が牧野光朗市長に引導を渡された後のことで、なんと、県庁に阿部知事を訪ね、懇願したようだ。阿部知事とは同じ総務省での先輩と後輩であるようだが、副市長を首になれば、総務省に戻ったところで席がなく、出戻りを厚遇するほどの情けもない。もはや出世は無いに等しいとなれば、頼るところは阿部知事しかなかったのだろう。そして阿部知事への私的訪問だが、副知事とはよく思いついたものだ。そこにはやはり副知事は市長より立場が上、意趣返しはあることで、恥も外聞もなくすがったのだろうが、残念ながら、阿部知事は私的な用件に対応するほど暇でなかったようだ。ようするに、門前払いを食らったのだ。しょぼしょぼと総務省に戻るに、やはりそこには窓際族の一員とであった。
なぜ佐藤健を切ったのか?
話しは元に戻るが、佐藤健の行動を聞くにつけ、やはり見えていないのは牧野光朗市長の考えである。総務省から鳴り物入りで迎えた佐藤健、そして後継者とするは牧野光朗市長のお声がかりであって、誰が決めたものではない。その牧野光朗市長が、「もう一期やりたい」だけで佐藤健を切るはずがなく、そこにはやはり、切らなければならない理由が有ったはずだ。そしてその理由が佐藤健も納得せざるを得ないからして、後ろ足で砂もかけていないのだ。さて、その理由こそが犯罪につながると見るは、ここまでの話を聞けば、そこに興味を持たないはずはない。令和5年4月13日
思いつく犯罪
あの時、そう、佐藤健が首になる寸前に、飯田市ではいったい何が起きていたのか? それは紛れもなく「かぶちゃん農園詐欺犯罪」である。都内を中心にケフィアの詐欺犯罪は広まっていたが、鏑木社長の自殺において火がついたのか、警視庁は飯田市にあるかぶちゃん農園の本社を家宅捜査した。全国的な詐欺犯罪の騒ぎは、それこそ全国に伝わったが、この事件の渦中に飯田市があり、まさに、かぶちゃん農園を誘致した責任が牧野市長に降りかかっている。
牧野市長の恐れ
かぶちゃん農園詐欺事件において、牧野市長は「残念だ」の一言を発しただけだ。何が残念なのか? 牧野市政が生んだ詐欺事件であるに、相当な市民の税金をつぎ込んだのに、残念だけで済ます議会が信じられないが、残念だけで済んだ理由も分からない。議員らも、誰一人としてこの詐欺犯罪に口を開いていない。それほどの事件であるに、飯田市が深くかかわっているのに、この沈黙は不自然極まりが無い。何を恐れるのか? 不正受給があったのか? 不正受給であれば共産党議員が黙っていないだろう。それが、共産党議員が真っ先に口を閉ざしている。この不可解さの裏にある事情こそが、牧野光郎市長が佐藤健副市長を切った理由ではないのか。
議会の不思議
これもまた驚く話であるが、議会が市長選挙で動いたと言う。議会が市長選挙に介入したというのである。
当時の議長は、何人かの議員を連れて牧野光郎市長に直談判をしたそうだ。なにを交渉したのかと言えば、「出馬しないように」とが談判であると言う。出馬するな? 何を言っているのだろうか? 議長や議員らが、牧野光郎市長に、選挙に出るななどと直談判する方が異常ではないのか!? この話しも全くに妙で、議会がなにを血迷っていたかである。令和5年4月15日
清水議長
当時の議長は清水勇議員であるが、この議員、その一年前に私の事務所を訪ね、「訴えてくれれば議会は動ける」と、発している。実際に訴えたら議会はどう動いたのかと言えば、「反訴を承認する」であった。この程度の議長が、牧野光郎市長に選挙に出るなとは、まったくお粗末極まりない。「佐藤健はあなたが総務省にお願いして呼んだのではないか」後継者としたのは牧野市長だと、そのように説得したようだ。この話しを聞けば、何か間違っているのでは? は、議長の方だ。「総務省から呼んだのは牧野市長じゃないか」は、佐藤健の首切り時点で放つ言葉だ。佐藤健が市長選挙に出るとなっての注進は、それこそ議会の務めではない。まあ、議長と言うより、会派のぞみとしての発言だと思うが、それにしても、この時点で議会は牧野市長から離れていたことにある。「信用していたのに裏切られた」落選した牧野光郎は悔し紛れに愚痴ったと聞いたが、当時この話を聞くに、裏切り者は代田昭久教育長ではないかと感じたが、いやはや、牧野派の議員が裏切っていれば、投票用紙に牧野光郎の名前は無かったことになる。
浮かび上がる疑惑
やはり、牧野光郎市長は相当なる覚悟で佐藤健副市長を切ったことになるが、それほどの事情に何が有ったのかは、やはり、かぶちゃん農園詐欺犯罪しかそこにない。警視庁がかぶちゃん農園飯田本社に家宅捜査に入って一月後、牧野光郎市長は突然に佐藤健副市長の首を切った。そう、まったくに突然にだ。それこそ、与党である会派のぞみの議員は、誰一人予想していなかったのか? たしかに、牧野光郎に市長選挙に出るなと注進したとなれば、その裏事情を知っていたことにはならない。佐藤健の首切り原因を知っていれば、会派のぞみは当然牧野光郎についたはずである。令和5年4月17日
警視庁の結果
警視庁は飯田市かぶちゃん農園の家宅捜査に入ったが、では、その結果がどうであったのか? は、何も知らされていない。警視庁は雲の上の存在だと言った県警の刑事は、かぶちゃん農園詐欺犯罪について多くを語らないのは、内容が分かっていることにあるか、それこそ関与できない状況に有ったことになる。だが、警視庁を雲の上の存在と称するは、少々お門違いだ。警視庁は東京都を管轄する警察機構の一部であって、署員もまた、ノンキャリアが多いからして、地方警察とたいして変わりない。ただし、警視庁のトップは警視総監であることで、検察庁長官の次に位置するからして、地方警察の本部長など比べ物にならない。この辺りからそのような感覚での発言だが、ここで誤解のないことに、警視庁は、東京都内の犯罪に特化していると言うことだ。早く言えば、飯田市かぶちゃん農園に家宅捜査に入ったのは、ケフィアの詐欺犯罪摘発の一環として行ったことになる。
震える疑問
都内の犯罪だから県警では手を出せないことだが、それでも捜査協力は当然であって、飯田市本社の家宅捜査にも県警は同行している。そこで、不思議に思うのは、かぶちゃん農園の破産は、ケフィアの破産が原因だとされたことだ。かぶちゃん農園が先に破産したのではなく、主な取引先のケフィアが倒産して甚大な被害を被ったとされている。ならば、かぶちゃん農園は被害者であって、家宅捜査を受ける対象にならないと考える。なら、なぜ鏑木社長は自殺したのか? なぜ警視庁は被害者であるかぶちゃん農園の家宅捜査を行ったのか? そこに疑問が出てくるが、ケフィアの子会社であれば、手形の行き来は当然で、不渡手形が連発していたことによる捜査だと見れば、ある程度納得がいく。令和5年4月19日
伊那谷道中
1997年(平成9年)9月に伊那谷道中はオープンしているが、この伊那谷道中を事業化したのはコクサイの石田貞夫である。ヘブンスそのはらのオープンが平成8年8月であることから、その一年後には完成したとなるが、この伊那谷道中からして、吉川建設吉川光圀社長とコクサイの石田社長が距離を置き始めたころだ。さてそこでだが、この伊那谷道中とかぶちゃん農園の詐欺事件とどのような関係にあるのかだが、かぶちゃん農園の鏑木社長は、平成30年9月「ケフィアとかぶちゃん農園は別の会社」と発言しており、飯田水晶山温泉ランド(伊那谷道中)もケフィアの関連会社だとしたうえで、財産処分されている。それだけではない、かぶちゃんメガソーラも28億円の負債を抱え倒産している。これらの件につき「残念だ」を連発する牧野光朗市長には、いったいどのような思惑が有ったのか? これまでの経過を見れば、牧野光朗には相当なる責任があるが、議員の誰一人追求しないのはなぜなのか? そこを考えるに、かぶちゃん農園が市田柿を扱ったことに、答えがあるような気がして成らない。
ケフィアの進出
ケフィアが飯田市に進出したのは2005年(平成17年)7月である。そして、三年後の平成20年10月より株式会社飯田水晶山温泉ランドが南信州ケフィアランド伊那谷道中として運営を開始している、しかし、その時点ではまだ、市田柿には手をかけていない。市田柿を扱うようになったのは2011年(平成23年)ころである。ならば、平成23年に飯田市に何が有ったのかを調べれば、ある事実が浮かんできた。「2011年5月 佐藤健飯田市副市長に就任」なぜ突然に総務省から佐藤健を副市長に向かい入れたかであるに、なぜ突然に佐藤健の副市長の首を切ったのかが、かぶちゃん農園市田柿詐欺犯罪に関係すると疑うは、そう遠くない推察ではないのか。令和5年4月21日
佐藤健の経歴
今現在公表されている経歴には、総務省時の経歴は無く、簡単なものだ。だが、古い経歴を見れば、県庁へ三度出向している。数年の出向後、総務省に戻り数年を過ごすのが好例だが、なぜか、大分県庁への出向後は、直に飯田市に副市長として就任している。何を言いたいのかは、かぶちゃん農園が市田柿を始めた同じ年の2月に飯田市に副市長として就任し、その11月の市田柿生産工場の落成式に鏑木社長とツーショットしているのだ。これを偶然と見る向きは居ないが、ここに、牧野光郎市長が介在したと言うのであれば、どのような経過が有ったのだろうか?
仮面の正体
牧野光郎市長が佐藤健を必要として乞うたのであれば、その乞うた理由は何であったのか? 牧野光郎市長でなく、誰かが佐藤健を推薦したならば、なぜこのタイミングであったのか? この二つの疑問はまったく一致するに、そこに市田柿が存在する。そう、市田柿が佐藤健を乞うたのである。笑い話ではないことに、市田柿が無くて、佐藤健は大分県庁から飯田市に直行しなくあったのだ。県庁から市への執行は格下げであるに、そのような人事に佐藤健が従うに、副市長の座は絶対である。副市長の座を空けるには、数年の根回しが市にも総務省にも必要であるを考えれば、いかに、佐藤健が急場しのぎであったかが伺える。要するに、総務省からの働きかけか、天の声でしか総務省の役人は動かせないのである。だからして、佐藤健の副市長就任要請は、牧野光郎市長が乞うたのではなく、牧野光郎市長が請うた形であったが事実となるのだ。考えてもみろ、牧野光郎市長が佐藤健を必要との姿はどこにも見えないし、そのようなお役も与えられていない。そんな状況において佐藤健が副市長になるに、やはり天の声しか聞こえてこない。5年4月23日
お目付け役
清水議長と二さんの議員が、選挙にならぬよう進言したと聞くが、そこで牧野光郎市長に何を説いたにしても、牧野光郎市長が佐藤健を必要として乞うたのでなければ、義理も恩義も無い。まして市長の座を狙う敵であるのに、選挙をするなの進言は、まさに、寝首をかかれることだ。「信頼している者に裏切られた」これは、与党である会派のぞみに裏切られたと言うことだ。
さて、話はかぶちゃん農園に戻すが、佐藤健と鏑木社長との関係がここに明らかとされたが、佐藤健とて総務省の役人である。「飯田市の副市長に出向させてください」は、あり得る話ではない。ならば、総務省が佐藤健に白羽の矢を立てたとでも言うのであろうか? そうであれば話はすんなりだし、総務省がかぶちゃん農園のお目付け役としたのかもしれない。だが、総務省がそこまでの役割を持つのかと言えば、想像できる話でもない。だとすれば、残る選択肢は宮下一郎代議士しかいなくなるが、宮仕代議士とて、陳情が無ければ地場産を自ら拾い出すなどやらないことだ。
やはり柿
ここで一つ、重要なことに気が付くが、市田柿を始める前に飯田市に進出していたケフィアは、伊那谷道中を買い取り、メガソーラー(かぶちゃん電力株式会社)を始めていることにある。これはマルチでもなければ詐欺でもない。環境庁の環境資源支援政策で行われている事業であることで、伊那谷道中もまた、コクサイの石田社長の売り逃げに批判は集中したが、ケフィアの算入で何とか持ち直した経過が有る。この時に、「伊那谷道中かぶちゃん村」に改称しており、はじめて「かぶちゃん」が登場している。平成24年には、再び「南信州かぶちゃん村」に改称して、かぶちゃん農園代表取締役鏑木武弥が就任しているのだが、この様な経過を見れば、やはり「かぶちゃん農園」が始まったころが大きな山場ではないだろうか。令和5年4月25日
市田柿で再生プラン
『かぶちゃん農園経営不振』早い話、ケフィアが傾いた再建策に、市田柿が利用されたのである。もっと分かりやすく言えば、最後の悪あがきが市田柿であったと言うことです。かぶちゃん農園、市田柿、このような単語が独り歩きするに、いつしか市田柿=かぶちゃん農園と世間が認識していったのですね。柿農家にとってこれほどない状況であったのが拍車をかけ、市も、全面的に受け入れることにまい進したのでしょうが、ここで市に無いものはお金でありました。そのようなことはケフィアでは必然的なことで、市に金を与える総務省との太いパイプが代議士を動かし、佐藤健に白羽の矢が立ったと言うことです。お膳立てはすべてケフィアが行い、牧野市長は天の声として佐藤健を副市長に向かい入れたのだが、そのかぶちゃん農園がもはや虫の息であれば、誰が責任を取るのかは見えていたことだ。
川路の再開発
太陽光エネルギーで市に入り込み、つぶれかかっている伊那谷道中をよみがえらせた。それだけで十分な経過をたどるに、その時すでに親会社が傾いていた。そんなことはつゆ知らず、かぶちゃん農園に最大な支援を与えたことで、牧野光郎市長は得意満面であったのだろう。だからして、かぶちゃん農園が望むままに川路地区を大開発したが、そこに市民の目が行き届かなくあったことに気づかなかったようだ。
ここに不思議な話が出てくるが、かぶちゃん農園は閉鎖倒産したが、かぶちゃんメガソーラは、メガソーラいいだと社名変更して、環境モデル都市飯田の目玉商品になっている。まあ、債権者が中部電力や市であれば、簡単な話であるが、ならば、かぶちゃん農園はなぜ再建しなくあったのだろうか? 令和5年4月27日
グループ会社
警視庁が家宅捜査を行ったのは、かぶちゃん農園飯田本社だけでなく、かぶちゃんメガソーラも同時に行っている。まあ当たり前のことだが、報道はそのように伝えていない。たしかに、ネームバリューとすればかぶちゃん農園で充分であるし、ケフィアのグループ関連会社が40もあれば、書き尽くせることでもない。それはそれとしても、メガソーラは生き残ったのである。
さて、それなりの結果が出ているに、警視庁がかぶちゃん農園飯田本社に家宅捜査に入った一月後に、牧野市長は佐藤健副市長の首を切っている。ようは、この事実をどう見るのかである。どう見たとしても、佐藤健の首切りは、かぶちゃん農園に関係しているとしか考えられないではないか。牧野光郎市長が佐藤健を乞うたのであれば、首を切る理由は何もないし、切る必要もない。もう一期やりたのであれば、それこそ佐藤健に協力を求めることではないか。それをいとも簡単に首を切るは、牧野市長の考えではないとならないか?
佐藤健の視点
佐藤健は退任のあいさつで、「必ず飯田市に戻ってきます」と、力強く宣言している。これは私の耳で聞いているが、牧野市長が首を切ったのであれば、とてもそんな挨拶は出来ないだろう。ならば、総務省からお呼びがかかったしか思えないし、何よりも議会(議員)も騒ぎ立てていないことで判断できよう。そして清水議長の動き「佐藤健と選挙するな」は選挙前のことで、佐藤健副市長の首切り時点でないことは、牧野市長と佐藤健副市長に確執が無かったことをあらわしている。そう、佐藤健は総務省に呼び戻されたのであって、佐藤健も呼び戻される理由に納得していたことになる。だからして、「飯田市に戻ってきます」と、力強く宣言できたのである。令和5年4月29日
負け戦
総務省に呼び戻された。それは牧野市長も議員らも納得させるに十分な理由であるが、裏事情は少し違っていたようだ。なぜ呼び戻したのかって? それはかぶちゃん農園詐欺犯罪に佐藤健が深くかかわっていたからで、だからこそ、牧野光朗市長も議員らも、静かに見送っているのだ。さて、牧野光朗市長の視点に切り替えれば、牧野光朗市長にとっても、佐藤健の更迭は晴天の霹靂であったと考える。たしかに、佐藤健を副市長に迎えるは、牧野光朗の後継者としていれば、この時点で後継者が居なくなることで、それは、もう一期市長を続けるに良い口実となる。多選の批判が有るにしても、非常事態ではそうもいっていられない。だからして早々に、五期目への出馬を決めたのであるが、まさか、佐藤健が戻ることなど予想もしなかったのには、かぶちゃん農園詐欺犯罪が相当なる状況なのを示しているし、自身が責任の所在を明らかにしなくとも、すべての責任は佐藤健(総務省)にあると考えていたに他ならない。そして、無投票で行けると踏んだのも確かなことだが、まさかの真坂、佐藤健が出馬するなどと夢にも及ばなかったようだ。この様な背景があれば、佐藤健が覚悟を決めて総務省を辞めれば、議員らの殆どが応援するもうなづけることで、牧野光朗市長に降りろと迫るにも、相当なる理由がついたはずだ。
噂の域を超えた
兎にも角にも佐藤健は市長になった。副知事にしてくれと阿部知事に懇願したには驚いたが、確かに総務省に戻っても既に出世は無くあると思ったことだろう。無理もないが、東大出の優秀な頭にしては、少々みっともないことをしたものだ。今になって議員らが口さがなく話すは、やはり、市長としての器にあらずと感じていることで、それは職員の評判からしても「佐藤市長は何も出来なくて高田副市長が全て仕切っている」がまことしやかな話でもないようだ。令和5年5月1日
県会議員選の結果
何より驚いたのは、熊谷元尋の不出馬である。一期目に出馬するに、地元高森町市田辺りでは評判は良くなく、苦戦が予想されたが高得票で当選した。飯田下伊那地区になったことが幸いしたのであるが、この男、元々共産党である。岡庭一雄が選挙カーに乗ったと騒がれたが、そこに不思議はない。(今回の熊谷美香共産党へは堂々と岡庭一雄は応援しているが、共産党を除名したとの話はどこに言ったのか?)
なぜ一期で辞めるのか? その理由は聞こえてこなかったが、共産党が改革信州(社民系立憲民主党など)の会派に居たのでは批判も出たことだろう。まあ、余談であったが、ここで県会議員選挙について書き出したのは、新井信一郎が市会議員から県会議員に立候補したことにあり、落選後での発言にある種の違和感を感じたからである。新井信一郎は早くから古田芙士の後釜を狙っていたが、なかなかに古田芙士が辞めないことと、あまりの評判の悪さに抑えられていたが、さすがに古田芙士が落選の憂き目にあえば、もはや俺の出番と見るは無理もない。しかし、市会議員としての実績も芳しくないところにおいて、どうしても議長になりたいの野心は、今回の県会議員選が控えていたからだ。会派のぞみが、熊谷泰人派と清水勇派に分かれた原因は、新井信一郎を応援する清水勇と、自身の議長選を見据えての、会派未来の伊坪隆を議長にとの方向性の違いである。清水勇が議長になるに、それこそ根回しは熊谷泰人議員であったが、章設計への契約解除に伴う裏事情を解明しようとする熊谷議員と、隠ぺいに走る清水勇議長と対立構図になっていた。清水勇議員が会派未来の代表として新井信一郎を推せば、熊谷泰人議員は、それまでの会派未来との関係性を重んじたが、その結果は見えていたことだろう。そして新井信一郎は一回の議員となったのだが、県会に出るための足掛かりでは、さすがに評判は落ちることで、それでも立候補するのは、もはや市会議員として立場がないのもあらわしている。令和5年5月3日
市長選に出る
選挙結果は大概の予想とおりの落選であるが、その挨拶に違和感を感じたのは、来年にある市長選挙への立候補を口にしたことにある。? この挨拶に、違和感を覚えた市民は相当いたのではないか。敗戦の弁は、自身の力足らずを述べることで、真摯に現状を受け止めることだが、次の県議選への意欲を述べるならともかくも、まったくに見当違いな市長選について意欲をにじませるはあり得ない発言ではないか。まあ、これが新井信一郎の評判の悪さをあらわしているのだが、それにしても市長選挙を口にするは、相当にそのような過程が選挙戦で出ていたことになる。「万が一落ちたら市長を狙え!」これがささやかれていれば、敗戦の弁で口にしてもはばからないし、臆面もなく、当人も相当にその気になっていたと思われる。
本気度
新井信一郎が市会議員になるに、土木工事の栄和は飯田市の指名業者であるが、それを口さがなく言う周りの者はいない。そして、綿半鋼機と地域計画課の癒着についても、知らんふりどころか肯定する始末がある。しかし、熊谷泰人議員が章設計の役員だと言うだけで、それを取り上げる議員は多く居た。綿半の癒着に踏み込めば、清水議長や永井副議長までが乗り出し、熊谷泰人議員の口を封じた事例も有るし、公開質問状を議会に提出しても、無視されてもいる。綿半鋼機の存在は、恐ろしいほどに議員らに浸透しているし、新井信一郎は「綿半は市に多額な寄付を行っている。綿半鋼機を使うのは当然だ」と公言してはばからない。そんな新井信一郎が市長になろうとするに、現状の飯田市を変えるとの信条が有るとは思えないし、佐藤健を批判できるだけの質を持ち合わせてもいない。ただし、私は大いに賛成するが、その前に、牧野光郎がこのまま野に居るも不思議であるからして、それぞれがそれぞれに市長選を争えば、思わぬ収穫も有るのではないか。令和5年5月5日
熊谷泰人議員が議長になった
議員となって三期目に、議長になるは大したものだ。まあ、周りが周りと見ればさもあらんが、会派のぞみの分裂が功を奏したのは言うまでもない。さて、議長の任期を平穏無事に過ごせるのかと言えば、やはり来年の市長選挙があることに、相当な対処が必要となるだろう。それはやはり、新井信一郎の動向が大いに気になるところであって、万が一新井信一郎が出馬となれば、会派のぞみの分裂が尾を引くことになるだろう。しかし、新井信一郎がその気になるに、それは県議選において獲得した表の多くは飯田市であって、郡部は全くに伸びなかったことにある。案外に、佐藤健の向こうを張れば、万が一もあるかもしれない。何を向こうとするのかは、やはり“あの事”しかないと見るが、はたして暴露するだけの勇気が有るのか、その辺りが決め手となろう。
暴露が決めて
新井信一郎が市長選に臨むとすれば、相当なる批判票を必要とする。批判票を得ようとすれば、その前に批判することだ。国会議員の選挙を見ろと言いたい。何かにつけスキャンダルを前面にして批判しあうことだ。選挙とすれば罵り合いも見ものであって、何がスキャンダルになるのかは関心ごとでさえあるが、さて、佐藤健の何を暴露すれば、最大のスキャンダルになるかといえば、やはりかぶちゃん農園しかそこにない。今更の感はいがめないが、かなりの事実を議員らは知っていよう。ようするに、牧野光郎と佐藤健が争った理由に踏み込むのである。後継者として向かい入れた佐藤健を、総務省から呼び戻されただけで切り捨てたのは牧野光郎である。なぜ呼び戻されたかの本当の理由を議員らは知っている。それを表に出せるだけの勇気が有れば、十分に戦えるのではないか。令和5年5月7日
不思議な話
清水議長と何人かの議員が牧野光郎市長に面談を求め、佐藤健と市長選挙で争わないよう進言したとの話だが、この話しを振り返れば、清水議長の任期中であったことだ。まてよ、市長選挙の時は湯沢議長であることに、ならば、この面談はいつ行われたのだろうか? 議長の任期は二年であるから、少なくとも二年目の前半であろうか? だとすれば、章設計が契約解除された翌年と言うことだ。ならば、確かに佐藤健が総務省に呼び戻されてから一年後、いや、一年も経たずしての話しである。牧野光朗市長が五期目を目指すと宣言したは、佐藤健が去ってから半年後に有るに、その時点では牧野光朗市長も佐藤健が総務省を辞めると判断していないが、清水議長を含め、多くの議員らは既に予感していたことになる。それは「副知事にしてください」と、阿部知事の元へ見参したことが広まっていたからだ。まさか、佐藤健が「阿部知事のところへお願いに行きます」と、議員らに話したとは思えないが、なぜ、そんな裏話を議員らは知ったのか?が不思議である。
応援団
兎にも角にも、「選挙をしないように」などと、牧野市長に面談する議長や議員らが居たことに驚くが、それは、民主主義に反する行為であるし、はたして、その真意はどこにあったのだろうか? 考えるに、清水議長が牧野下ろしを始めたとは思えないが、相当なる行動であることは確かでないか。そして大半の予想通り、佐藤健が市長になった。その勝敗の行方に大きく作用したは、議員らの造反以外にないと思われる。なぜ議員らは造反したのだろうか? とくに、会派のぞみは与党であるに、現職につかない選挙とは異例ではないか。
かくして佐藤健は市長になるに、牧野市長の政策を継続している不思議もそこにある。50年先の飯田市を見据えるスローガンは、子供に受けても政策ではない。何か公約を実行したのかと思えば、公約そのものが牧野光朗とラップしているではないか。令和5年5月9日
特任教授
牧野光朗は一昨年、愛知学院大学特任教授に就任しているが、「市長としての経験を生かし、地域政策についての知見を学生に伝えてほしい」との大学からの要請だという。大学教授になったようだが、特任教授であることは、短期の腰掛でもあることだ。そうしてみれば確かにまだ若く(62)実績も十分であって、また悔しくもあり、まだ市長に未練があると考えられるが、一万票の差は大きくあって、腰は切れないと見るがどうだろうか。まあ、解散した後援会が復活できるのであれば可能性は十分にあるし、他に対抗馬が居ない現状では、万が一は残っているかもしれない。
さてさて、来年に迫る市長選に向けて動きがあるなら、そろそろ始まる時期に差し掛かっているが、今のところ対抗馬の姿は見えない。牧野光郎に未練があれば、もはや遅かりし由良之助になったのではないか。案外に、新井信一郎の寝言が現実味を帯びるかもしれないが、まあ、腰を切るには相当な熱量が必要だろう。人物はともかくとしても、目指していたのが県議であれば、もはや市会には戻れぬことで、このまま埋もれるかもしれない。どちらにしても、今の時点では噂も経たずして、秋口が最終期限となるに、何かがあるのかもしれない。
さて、途中経過にて面白情報を書き出してみたが、そろそろ控訴に向けて、現実な状況を少し知らせておきます。
控訴は15日以内に行っていますが、こちらの事情で訴状をまだ提出していません。ですから、控訴裁判はまだ始まっていないのです。そこで、なぜ一審で負けたかの大きな理由を二つ挙げて説明したいと思います。世間では、行政相手に勝てっこないが定説ですが、その勝てっこないのにも理由があったのです。令和5年5月11日
行政とは
立法を守らせる機関が行政であることは、行政は法律を国民に守らせる業務を行っていることになる。ならば、裁判官の判断に「行政に違法性はない」が初めから有るとなる。ようは、行政に間違いは無いとのことであって、勝負は最初から分かっていると言うことだ。行政業務はすべて書類であることで、契約解除するにしても書類で済むとなる。書類がそろっていればそれ以上に必要な証拠は無いと言うことだ。
勝負にならない
ただし、それら行政書類に間違いが有れば、それは全くに違う展開となる。間違いの書類で契約解除などできないからだ。だからして、慎重に契約解除できる理由が成立するよう待っていたと言うことだ。その理由は一つしかない。それが「契約工期の満了」であった。「工期内に成果物の提出が無い」確かにこの理由は最大なものだ。契約したのに契約期間内に成果物が提出されない。そんな不届きなことを法律を守らせる立場にある行政は許すなどできないと言うわけだ。これはもはや逆らえない事実なのである。
裁判がまさにその一点に絞られたのは、下平弁護士(被告)の作戦である。契約工期内に成果物の提出が無いのを確定するには、木下悦男建設部長が章設計に出向き、工期延長の提案した事実を否定しなければ成らない。それには、木下悦夫を副市長にした効果があることで、「そんな話をしたことは無い」の証言で済むと考えた。しかし、木下悦夫副市長がそれを否定できないことに、熊谷泰人議員の存在がある。そう、章設計を訪ねるに、熊谷泰人議員が仲立ちしたからだ。だとすれば、熊谷泰人議員の口を封じるしかないが、幸いに、熊谷泰人議員が四面楚歌の状況にて精神が乱れ、証言を拒絶したとの話が聞こえてきた。もはやそれで充分である。(実際に、熊谷泰人議員は証言を拒絶したが、そこに理由があるは、熊谷泰人議員は捜査二課と接触していたからである)
これにてすべての反論が整えば、あとに残る問題はただ一つ、それは、時効になる寸前で章設計が訴えたことにその問題があった。令和5年5月13日
議会は市民の代表
飯田市の弱点は「違約金の請求」にある。契約解除の理由は工期内に成果物の提出は無いであるが、それらは契約書に基づく理由である。しかし、契約解除するのであれば、同時に違約金も請求しなければならないことで、それは必然的に解約解除通知に記されていた。ようは、契約解除の通知を章設計に出したは良いが、章設計がそれに応じるには、違約金を支払うことが必要であるのだ。当然に章設計が違約金の支払いなどするわけがない。そこで飯田市は何をしたのかと言えば、保証人である飯田信用金庫上飯田支店に「補償金を支払え」と通知したのであるが、そこが全くのお門違いであって、違約金の支払いに保証人は何の関係も無かったのだ。飯田市は困ったことに、章設計に対して何の話もなく契約解除をしたことで、違約金を請求するすべが無くなっていた。そして放置されること三年、これで時効成立となるわけで、違約金の支払い無しであっても契約解除は成立すると考えていた。
寝耳に水
章設計の訴状に驚いたのは飯田市である。まさか訴えられると思わなかったのだろう。議会も完全に章設計を遮断し、熊谷泰人議員は章設計から籍を抜いた。市民の立場である議会が市民である章設計の陳情書を無視したのであるが、そこには、木下克志議長が章設計の陳情書を取り扱わなかった不備があることで、議会の不始末を隠蔽したのが理由である。まあ世の中そんなものだが、訴えられたことは、同時に議会の不始末も取り沙汰されることで、そこを恐れれば契約解除を正当化するは議会も同じ事情になっていた。令和5年5月15日
反訴の承認
「違約金の支払いが無い」この様に反訴しなければ、飯田市は争えないと知った。それはなぜかと言えば、違約金の支払いが無ければ契約解除が成立しないからであり、違約金を支払えとの請求を起こさなければ飯田市は負ける。単純な話だが、おいそれと反訴できない理由に議会の承認が有った。行政が市民を訴えるとの異常事態であるが、市民の立場にある議会が市民を訴えることをおいそれと承認できないのも当然だ。ここに必要なのは、議会が章設計の契約解除の状況を把握し、中立の立場で臨むことが議会の使命なのだが、飯田市の議会も異常であって、すでにその義務が果たせない状況にあったのだ。
議会の不始末
熊谷泰人議員が木下克志議長に提出した章設計の陳情書、それを蔑ろにしたことですべてが始まり、そして終わっていたのだ。責任を取りたくない木下克志議長はその時すでに議長ではなく、その判断は清水勇議長に引き継がれた。清水勇議長が何をしたかと言えば、熊谷泰人議員を抑えることと、「訴えてくれれば議会は動ける」との嘘を章設計に伝えたことにある。そして章設計は訴えた。なのに新しく議長となった湯沢啓二議長は「時効を避けるために承認した」と、のうのう言ってのけた。この時点で議会は何をすべきかは、章設計を議会に呼び、今までの経過を議会が聞くことにある。裁判でも全く同じ、原告と被告、双方の考えを聞くことから始められ、双方の意見が出尽くすまで幾度となく期日が開かれるのであるが、飯田市の議会は章設計に何も聞くところが無く、そして反訴が承認された。市民の代表である議会が、「飯田市の主張を認める」と、早々と結論を出してしまったことで、この時点で章設計は負けたのである。
これらの経過に民主主義は存在しないが、それでも飯田市は正しくあって、議会もまた市民の立場にあると言うことらしい。令和5年5月17日
控訴の理由
負けたから控訴した。飯田市も議会もそして市民も全くにその通りだが、はたして国はどう見るのだろうか? 長野地方裁判所飯田支部は地方であって、高等裁判所は国である。いわゆる裁判官の格が違うと言うことだ。盗伐裁判を例にとれば、長野地方裁判所飯田支部での判決は原告の勝利であったが、被告原告共控訴に及ぶに、現状は和解に向けて進んでいる。なぜか? 簡単な話しだが、証拠に乏しいからである。では、飯田市を相手のこの裁判での判決は飯田市側の全面勝利であるが、では、確定的な証拠が有ったのか? といえば、証拠などどこにもない。ただ、被告らの陳述書が証拠となっただけだ。その陳述書が証拠にされたにも、「木下悦夫前副市長の証言を信用する」とが裁判官の判決である。これをどう見るのかではなく、裁判官が、飯田市の勝訴に向けて判決しやすいように理由とされただけである。(この捉え方は弁護士でなければできない)被告飯田市が勝訴するに、証拠が何も無ければ確定できないからして、木下悦夫の陳述書(陳述書は証拠)を信用できるとしたのだ。
逆転の要素
原告章設計が控訴するには、一審で用いた以外の新たな証拠が必要となる。その新たな証拠が無ければ控訴しても却下とされることで、いかに控訴が困難なのかを表しているが、当然に、新たな証拠を用意できなくて控訴などしない。これ以上書きだすと下平弁護士に情報を与えてしまうが、まあ、控訴に構えても仕方が無いし、いずれ分かることでもあるからして、大枠だけは説明しておこう。
「木下悦夫の陳述書に対抗する」そう、飯田市の唯一取り上げられた証拠、木下悦夫の陳述書であるが、その陳述内容を形だけで信用すると言った裁判官、まずは、この信用部分を否定することに最初の証拠が必要となることだ。令和5年5月19日
目には目を!
裁判に情け容赦はない。完全までに叩きのめすことだ。それが一審で出来なくあったのは、すべて熊谷泰人議員の裏切りにあった。どのような裏切りなのかと言えば、自ら仕掛けた「綿半と地域計画課(建築課)と設計事務所協会との官製談合」の隠ぺいである。具体的に言えば、章設計からの要請「証人尋問」を断ったことだ。なぜ断ったのかと言えば、議員の座が危うくなると判断したからである。飯田市を相手に裁判するに、議員が証人になるとを恐れたからだ。裁判官は「木下悦夫の証言をは信用できる」とされた。それは、「章設計へ行った記憶はない」「何を話したかも覚えていない」このようなとぼけた証言が出来たのも、熊谷泰人議員が証言しないと分かっていたからだ。木下悦夫が章設計に来る理由も、何を話すのかも知った上で、木下悦夫を向かい入れたのも熊谷泰人議員であるからして、木下悦夫の証言を否定出来るのは熊谷泰人議員しかいないのだ。その熊谷泰人議員が「俺は証言しない」と泣き言を入れたことで、一時は証言をあきらめたのだが、いざ証人尋問が近づくに、熊谷泰人議員は正常な状態に戻っていたことで、改めて弁護士に相談した。だが、肝心な弁護士が故障していた。
不都合
飯田近辺で数人の弁護士に依頼するも、飯田市が相手だとどの弁護士もしり込みした。それぞれの言い訳にさすがは商売だと理解は出来たが、釈然としないは仕方なく、東京弁護士協会にて青南法律事務所が紹介された。「訴えることは出来ますよ」もはやそれだけで十分であるに、勝敗はすでに蚊帳の外でもあった。どのくらい裁判が進んでいたのか、始めて一年が経過するに「工期延長の合意が重要です」と、弁護士から連絡があった。令和5年5月21日
壊れた弁護士
裁判期日は電話にて始められていた。ようするに、原告が参加できない期日である。原告が社長であれば私の参加はできるはずもないが、実際は、私でしかできない裁判である。確かに、始まりの頃は被告弁護士のもたつきにあり、それは「反訴する」しか、戦えない現実があったからだ。反訴の承認を議会で受けるに飯田信用金庫の陳述書を必要としたのは、「飯田市が飯田信用金庫に違約金の請求が出来る」を証明したいとの考えだが、単なる保証人の飯田信用金庫がその様な陳述書を書けることはない。しかし、少なくとも議会には、飯田信用金庫が章設計の保証人であり、違約金の支払い義務があるとの文書が必要であることで、ここに政治力が働いたのは言うまでもない。だからして「章設計は飯田信用金庫に債務がある」との書面が飯田信用金庫から提出されたのだ。(飯田信用金庫がこの書面を飯田市に出したことで、『飯田荘設計料違約金90万円の債務保証が有ります』との書面が今でも送られてくる。💻データーに入れた付けである)
市長を追求しない議会
飯田市の特徴なのか、松本や長野市ではとてもあり得ない構図が飯田市では通用している。議会が市長に寄り添っているのだ。『首長と議会は両輪である』と言われるが、その両輪を動かすのも議会が担っている。議員らは、企業の負託を受けているようで、市民の立場にないのが飯田市の市会議員であるようだ。飯田市の請求のままに、市民の話も聞かず反訴を承認する。まるで法的手続きを取らない魔女狩り集団ではないか。この現実を目の当たりにして、熊谷泰人議員は「委員会が違う」として、何も言えなかったと口にした。情けない男である。一言、「章設計からも話を聞くべきだ」と、湯澤議長に注進していれば、裁判で争うには至らなかった。令和5年5月23日
議長になった
熊谷泰人議員が議長になった。選挙にならずして議長になった。他に人材が居ないのか、根回しがうまくあったのかと言えば、会派のぞみの分裂にその理由が有った。会派のぞみは何故分裂したのか? それは、新井信一郎が県議選に出馬するに、議長の箔をつけたかったのである。当時の会派のぞみの代表は清水勇であるが、実質は熊谷泰人議員が仕切る立場に居たことで、議長の席を熱望する会派未来の伊坪議員が熊谷泰人議員に近づいていた。新井議員と伊坪議員を並べ立てれば、信用度も実績も伊坪議員が上であるが、会派未来は三人しかいない事で、会派のぞみの協力無くしてなりえない。湯沢議長時には原和世議員を副議長にさせたのもその伏線であった。しかし、清水勇議員は、章設計の契約解除の件において熊谷泰人議員と深い溝が出来ており、メンツもあってか、それとも新井議員に土下座でもされたのか、新井議員を議長候補として譲らなくあった。まあ、会派から議長を出すとの考えは清水勇議員の大義であって、それなりの格好は出来たものの、あまりに新井議員の評判が悪くあったことで、社民系ですら割れてしまったのである。戦う前から勝負は決まっていたが、それでもメンツは保てたのかもしれな。そして今回の議長の席に、熊谷泰人議員が就くのは既定路線であって、根回しもあったかもしれないが、他に議長格が居ないのも事実であった。二年前の議長選において、もはや清水勇議員は終わっていたのだ。
証人者
熊谷泰人議員が議長になれば、いや、熊谷泰人議員は議長にならなくとも、議長の器に上り詰めていたことは、それなりの構図が議員らに出来ていたことだ。ならば、清水勇議員との溝は埋まらなくとも、清水勇議員からのチャチは入ることはすでに無い。「証人には成らないできない」との感情も既に無いことでもあるし、控訴審に向けての展開に、熊谷泰人議長に何が出来るのかが、一つのポイントとなろう。令和5年5月25日
議長の立場
「俺は章設計の人間だ。だから証人には成れない」このように熊谷泰人議員は当時言っていた。章設計の人間とは、章設計の株を持って顧問として席を残したことを言うのであるが、そこのどこに証言者となれない理由があるのかと言えば、なにもない。また、章設計の顧問の肩書より、市会議員としての社会的な地位が優先するのは言うまでもないだろう。熊谷泰人議員は証人になれないのではなく、証人になりたくないとの感情を私に告げただけである。議員として証言すれば、それが知れ渡れば、現状でさえ四面楚歌であるにとの感情で、パニックになっていた。確かにそれ以上は酷だと判断したことを、弁護士にその旨を告げたのである。弁護士は熊谷泰人議員からの証言が重要だと判断され、「私が直接お話をお聞きすることは可能でしょうか?」と持ち掛けられたことで、その時点(証人尋問)が来たらお願いしますとしていたが、弁護士の頭にその記憶が忘れていたようだ。
重要な証言
弁護士が熊谷泰人議員の証言を求める理由は、「木下悦男建設部長がどの様な理由で章設計に来たのか」「工期延長の合意について話があったのか」の二点である。この二点を熊谷泰人市会議員から証言が取れれば、工期延長の合意が有ったとみなされるからだ。「契約工期までに成果物の提出が無かった」が飯田市の契約解除理由であるのだが、木下悦男建設部長の来所とその内容が明らかとされれば、契約解除の理由が不実事項となる。ようするに、章設計が勝つか負けるかは、熊谷泰人議員の証言一つにかかっていたと言うことになる。熊谷泰人は、15年前、阿智村相手の裁判で弁護士役を行っているが、やはり、不断の発言が出来なくて敗訴の経験があるが、もともとに、「行政相手では勝てっこない」の常識的な考えが元にある。「どうせ勝てない裁判だ」「飯田市の言うことを聞いた方が良いと言ったのに」の考えが変わることが無かったのであった。令和5年5月27日
病気に勝てない
飯田市の裁判はとにかく遅れた。始まりの半年間の遅れは被告弁護士の理由にあったが、その後に大きく展開が変わるのであった。「理解できない」この言葉は原告弁護士から放たれているが、建築設計が特殊な業務である故、業務形態と実施内容が理解できないのである。「私が理解できなければ裁判官も理解できないですよ」その言葉は深く私の胸に突き刺さり、証拠が確定できない裁判の困難さを感じさせた。それからと言うもの、如何に建築設計を理解させるかが私の役割となっていた。
把握不可
確かにそうだ。建築設計の業務など一般人に分かるはずもない。まして資格業務であれば、専門分野であってそれに代わるものは無い。素人の、それも家を建てた経験も無い弁護士であれば、設計以前に建築も分からないとなる。それを分からせようとするに、いつかかるとも分からぬ電話を待っても詮無きことで、やがて一方的に資料と説明文を送り付けることになった。しかし、弁護士はそれらの資料に目を通さず(忙しいが理由)期日直前に慌てたように進めるのであった。準備書面をまとめるにその原文構成は常に私であって、弁護士はただ内容を弁護士文書にまとめるだけである。これは何もこの弁護士に限らず、操の横領裁判や村八分の弁護士も全くに同じであるが、正直、いつ、設計のことを理解されたのか、私にはその記憶が無い。
心証の悪さ
東京ではそんなものなのかと思うほどに、原告弁護士はマイペースであった。一週間前には裁判官と被告弁護士に準備書面を提出するのが一般的だが、まさに、それらの常識は最初から持ち合わせていないようで、裁判の二日前に届けるから始まり、ついには、裁判期日の前日に送り付けることも、そして裁判当日にFAX送付になった時、「何か変だ?」と、原告弁護士に違和感を覚えるに至っていた。令和5年5月29日
コロナの時代
コロナは裁判にも大きく影響していた。私が参加できない飯田市の裁判で、つねに電話会議にて進められていたことにおいて、期日の状況が全くつかめなくあった。そこで突然に連絡されたのは「工期延長の合意は有ったのですか?」ん? と、一瞬の間を置くに、「ええ、それは前にも話しましたが、平成28年12月28日の日に木下悦夫建設部長が当社に来て、工期はいつまででもよいと言われています。ですが、工期の延長は2月いっぱいで構いませんと答えています」、「そうですか、それを証言できる方は他にいらっしゃいますか?」ん? このことも前に話しているし、なぜ聞き返すのか? と思ったが、「熊谷泰人市会議員が居ますよ」と言えば、「本当に証言してくれますか?」と言う。それは、熊谷泰人には、裁判が始まる前から証人を頼んでいたことで、それに酷く反発されたことを弁護士に話していたことで、その様な聞き方をされたのであるが、その時点では既に熊谷泰人は元に戻っていた。
証言と証人の違い
熊谷泰人が証言を拒んだのは、裁判による証人尋問においての証人になるのを拒んだことで、証言を拒んだわけではない。だからして、木下悦夫建設部長が章設計に来た訳も、何を話したのかの証言は陳述書として十分に対応できるとして弁護士に伝えていた。そして次回の期日について準備書面を作成するに、ぱたりと連絡がつかなくなった。準備書面をまとめてメールするに、何も返事が来ない。しばらく待つが、いよいよ次回期日まで半月となれば、もはや焦りは私にあって、ついには電話を入れてみた。出ない!? 何度かけても出ることはなく、そのままにおいて期日が一週間前に迫っていた。令和5年5月31日
入院
弁護士と連絡がつかなくなって一月余りが過ぎ、ついには期日前日となった。もはやあきらめ加減で電話をすれば、そこでようやく声が聞こえてきた。「すみません…コロナにかかってしまって…」なんともはや、返す言葉も無かったが、「え!?」とは、心の中の声であるに、そして冷静に「入院はされているのですか?」、「いえ…病院に行きましたが、ベットが開いていなくて…」、「はあ、それで大丈夫なのですか?」、「まだ、体が重くて…」、「感染してもうどれくらいたつのですか?」、「半月ほどです…」、「それは大変ですね」と言った後に、今度の期日はどうされるのですか? 「ちょっと無理なので、裁判所に電話して延期させてもらいます」、「そうですか」もはやどうしようもない。お大事にとしか言えなくなった。
そして裁判所
このころ、ヘブンスの白澤祐二社長に対して、「澁谷さんの土地を購入しましたので、賃貸借に関して話をしてください」とお願いしていたが、数カ月たつに、何も返答が無かった。やむをえず、調停の準備を始めていたが、裁判所の事務内でいくつかの書類をいただくに、奥の方から「熊谷さん」と、声が掛かった。はいと向けば、女性の事務官が近寄ってきた。そう、飯田市の裁判において既に顔見知りであって、そjこでお世話になりますと挨拶すれば、「飯田市相手の準備書面がまだ届いていないのですが、瀬川先生から何か聞いておられますか?」と言う。一昨日に話したばかりだが、まだ裁判所に電話を入れていなかった。「あ、すみません」と言ってはみたが、コロナにかかったことを言ってよいのかどうか憚れたので、「体調が悪くて今回の期日を延期させていただきたいと聞いていますが、そのことは裁判所の方へ連絡を入れるとのことでした」、「そうですか。連絡がありませんので、では、こちらから伺ってみます」令和5年6月2日
それから二か月後
最初の期日延期は被告弁護士からであるに、そこだけで半年以上が遅れ、そこから裁判官の夏休みで二か月が遅れた。そして始まった二回目は、すでに9月も半ばを過ぎていた。その次の期日は年を明けているが、その始まりにコロナと言うことである。確かに嫌な予感はその時に感じていたかもしれないが、私も焦りがあったと思う。なりよりも熊谷泰人の証言が重要としていたことで、早すぎる依頼をしたからだ。熊谷泰人に証人尋問を頼むなら、それは裁判の終わりであることで、始まったばかしで気にすることではなかった。それもタイミングが悪くあったのは、泰人が捜査二課と接触していた時期でもあったからだ。「設計事務所協会と地域計画課の癒着」は、確かに話さなければならないが、「設計料が3.5%」とは、泰人の性格からして話していないだろう。刑事が一番聞きたいことを話せなければ、泰人は何とも言えない負い目を感じていたはずだ。それに合わせ、「地域計画課と綿半の癒着に手を付けたい」と清水勇議長に宣言したことで、議員らから総スカンを食らっていれば、精神的に追い込まれていたはずだ。
信頼関係
泰人は「木下悦夫との信頼関係が無くなった」と話しているが、この言葉こそが木下悦夫建設部長と二人して、設計事務所協会と地域計画課、そして綿半との三つ巴の官製談合を是正しようとしたとの発言であるが、木下悦夫建設部長が私に追い返されたことで、もはや二人の間に亀裂が入ったと言うことであった。何を言っているのか!?私は、「熊谷議員と二人で不正を正そうとされるに、当の本人が交渉に来てはダメだ。熊谷議員の立場をなんと考えるのか!」と泰人を心配して追い返したのに、当の本人にこの思い違いがあることで、証人尋問に出られないと騒いだのである。令和5年6月4日
弁護士の入院
何といったらよいのか、原告弁護士はコロナにかかってしまったが、その前にも疾病で入院していたのだ。何度連絡を入れても返信が無く、電話をかけても音沙汰もない。そうこうするうちに期日は迫ったが、ようやく連絡がつけば、入院していたという。細かく聞けずに期日は延期、そして数か月の月日は流れた。もはや電話では用を足せず、たまらずして上京したが、それで打ち合わせに臨んだにしても、もはや半病人ではどうしようもなかった。たしかに重病であって、その表情は別人なのかと思わせるほどで、強い言葉はかけられず、思うような打ち合わせも出来なくあった。そして次の期日が迫るのだが、そこでコロナにかかったというわけだ。泣きっ面に蜂どころではない。裁判官の印象も悪くするに、まだ、原告が私でないことで、裁判期日に顔も出せなければ、どのような状況なのかは弁護士の言葉でしかなかった。口数の少ない弁護士に、ただ聞かれることのみ答えていたが、すでにその時には、熊谷泰人議員は正常に戻っていた。そこで「熊谷議員が証言できますよ」と伝えていたのだが、病み上がりの弁護士に、それは届いていなかった。
二度目のコロナ
もはや言葉も出ない。それは、また原告弁護士の都合で期日が引き延ばされたのだ。「体調が悪い」これだけで、裁判所もあっさり延期がされる。良いか悪いかと言えば、私にとっては全く想定外のことである。公開する。東京の弁護士に依頼したからとか、打ち合わせが不十分だとか、それらを口にしても愚痴になるだけで、もはやお手上げ状態であった。なるようにしかならないが、最後の手段、そう、証人尋問が残っていた。そしていよいよに、その時期が決まったというに、熊谷議員の証言は、??、え!?何も聞いていないが実情であった。令和5年6月6日
何かが足りない
「熊谷議員の証言はどうするんですか?」の問いに、証人尋問を残すだけだと言う弁護士は、唐突に言い放った。「証言してくれるんですか?」 はあ? 何を言っているのかこの弁護士は、カチンとくるなんてものじゃない。確かに熊谷議員からは証言を拒否された。そしてそのことも弁護士に話しているが、その時に「私が熊谷議員と話すことは出来ますよね」「私が聞きとればそれで十分です」と、何も証言台に立つ話ではないと言われていた。だからして、熊谷議員が正常に戻りましたよ。いつでも話せますので先生の都合を教えてください。議会開催時を避けていただければ、私が連絡を取りますと、しっかり伝えていたのだが、どうも、緊急入院と二度にわたるコロナ感染でどこかに飛んでいたようだ。
弁護士の開き直り
参りました。マイペースも良いところで、期日に参加も出来ない中、手をこまねいたのは、なにも被告弁護士の反論だけではなかったのだ。不安がよぎる。こんな状況で勝てるのだろうかと。「私が理解できなければ裁判官にも伝わりません」それは頼もしくもあったが、忘れていましたと言うならかわいげもあるが、証言してくれるんですか? はいただけない。「先生が直接話してみると仰られたじゃないですか!」「ですから、話せる状況になりましたと伝えてあるじゃないですか!」もう、弁護士であろうが病み上がりであろうが、こんなとぼけた対応では我慢がならぬ。だが、ならぬ我慢もしなければならぬが、裁判である。「被告側の証人が問題なので、とくにこちらから証人を立てる必要はありません」そうは言っても、「熊谷議員の陳述書が有った方が良いのでは?」と聞き返せば、「何を陳述するのですか?」え!?「相手は否定するのが分かっていますので…」と、そこまで言われれば、返す言葉はもう出ない。令和5年6月8日
証人尋問
熊谷議員の証言は不要だという弁護士に、ある程度は納得いったが、証人尋問が迫るに不安はかなり大きくなっていた。木下悦夫はすでに「工期延長の話はしたことが無い」と、陳述書で書き出しており、章設計へは行ったが、それは工期が迫るが、飯田市の意向をくんで残された期間で設計がまとまるのか?と確認しただけだとされ、この絵にかいた嘘を否定出来るのは熊谷議員しかいなかったからだ。弁護士が「工期延長の合意があったのかどうか」そこが焦点になると言われるに、こんな状態で証人尋問に及んでも、追いつけないのではとの不安である。
負ける気配
結果論でもあるが、もはやこの時点で気配を感じていた。病気になった弁護士はいつもより口数が少なく、私が質問しなければ答えない状況にあった。あまりなマイペースなのか、病気やコロナの後遺症なのか、顔つきまで変わったとまで感じ取るに、不安だけが増していた。だが、原告の証人は私だけだが、妙に自信が湧いており、尋問が楽しみでもあった。誰に何を質問されても頭の整理は出来ており、まして嘘つき被告の代理人弁護士が相手なら、ディベートで戦いたいとも考えていた。
そして当日
証人の経験は二度目であった。そう、前回は岡庭一雄村長を相手とする裁判であるに、これもまた行政相手の負け裁判である。基本的に行政相手で勝てることは無く、つねに司法は行政に有利に進むものだ。法律的に正しくあっても、行政事態を裁くことを司法は出来ない。それば現実と分かっていても、だからこその負けになると分かっていても、行政の不正、権力の横暴に立ち向かう者がいなければ、不正は是正できない。現実に、市長が相手でなければ職員でもない。誰も臆してやらないことに、全力を尽くして取り組めば、是正するに気づくが行政でもある。令和5年6月10日
証人尋問当日
今度ばかしは「高速バスで来てください」と、いつも送り向かいしたことを思い出していた。社長が出迎え、そして、裁判所に向かうに、食事しながら事前の打ち合わせとなった。やる気が有るのか、事前打ち合わせを直前に、それも昼食の合間では社交辞令でしか受け止められないが、何かいつもと違う感じはしていた。裁判所に着くは、やはり証人に立つのは緊張するもので、盛んに腕時計を確認するが、やがて法廷に入れば、すでに被告らは揃っていた。傍聴席には被告ら以外に男女の姿がある。報道機関だと思うが、記事になるかは分からぬことだと、変なところに気を回していた。
被告証言
被告の証言台に立つのは、原章と木下悦夫である。この二人は当然初めての経験だろうが、落ち着かない様子は青ざめた顔いろと、こわばった表情で感じ取れた。裁判官が入廷する。全員が立ち上がり迎えるに、さあそれではこれからだというが、「被告証人は退出してください」と、事務官から声が掛かった。(あれ? 退出するんだ。そうだっけ…)なんか張り合いが一つ抜けた感じはしたが、よくよく考えれば、私の証言を被告証言者は聞く必要もないし、聞くことではないと理解できていた。もともとに、「原章の証言は不要です」と、弁護士から聞かされていたのは、原章が何を証言したにせよ、契約解除の話しかないことで、工期延長の合意など、原章に関係が無いことなのだ。「木下悦夫に証言の必要がある」と、申し出たのは、被告飯田市が木下悦夫の証言を不要として申請したことで、いかに木下悦夫を証人に立たせては拙いとの考えがあることで、それはまさに「工期延長の合意」を木下悦夫が否定していたことにあるのだ。令和5年6月12日
食い違い
たいして内容を覚えていないが、原章の証言において、被告弁護士と原章の打ち合わせに食い違いがでた。原告弁護士は原章に質問するに、どうも陳述書と違う返答をしたようだ。ここで慌てたのが被告弁護士であって、原告弁護士の質問に割って入り、「あなたの陳述書は、私があなたから聞き取りしてまとめていますが、この部分、もう一度内容を確認してください」とあとは小声で聞こえなかったが、相当な食い違いがあったようだ。まあ、どちらにしても原章の証言は大したことでなく、「事業課は地域計画課ではない」を強調し、木下悦夫が章設計へ行って何を話そうが、建設部長には権限が無いを繰り返していた。
弁護士の戸惑い
さて、問題の木下悦夫の証言であるが、原告弁護士の追及を大いに期待していたが、それはかなり拍子抜けであった。なぜか? それは、私の証言における打ち合わせた質問を飛ばしてしまった弁護士の不始末にあった。後先の話になるが「すみません。時間が気になっていくつか質問を飛ばしてしまいました」と弁解の言葉が出ている。そして、裁判官が私にした質問を取り上げ、「普通、裁判官は原告にあのような質問をしませんが、どうも気になります」と、話しをすり替えている。そして付け加えたのは、「裁判官の工期延長をなぜ書面で行わなかったのですか?」の質問に、即答で答えられたのはさすがでしたと、お褒めの言葉をいただいたが、何のことは無い。その質問は弁護士が私にすることであった。裁判官が言うのは、「契約書に沿えば、工期延長の要望は書面の提出とされている。その書面が無いではないか」とのことであって、工期延長の要望は、地域計画課長の指示(契約書18条に沿って提案書を提出せよ)にしたがい提案書のなかで行っているが、一度目の提案書では、「工期延長は認めない」との回答があったが、二度目の提案書(木下悦男建設部長の設営)でも同じく要望しているが、それに対して回答が無かった。このような経過をすらすら述べたことで、原告弁護士の言葉になっている。令和5年6月14日
木下悦夫の嘘
さあ、いよいよ木下悦夫の番になった。のどが渇くのか、生唾さえ呑み込めない様子がうかがい知れるが、原章と同様に、かなりの緊張感は手に取れる。何を聞くのかは承知しているが、何を話すかが見ものである。どちらにしても、工期延長の合意がカギとなることだ。記憶にありませんは有名な答弁だが、まさかの真坂、木下悦夫が同じことだを言うなど正直漫画の世界である。
ボケた
私はボケています。そう言っているのと同じであって、記憶にありませんならまだましだ。「記録によれば、たしか三度くらいは章設計に出向いたとされていますが…」「何を話したのかは覚えていません」原告弁護士の質問に答えるに、覚えていませんの割にはスラスラ言葉が出る。木下悦夫の答弁は予想通りではあるが、そこで費やす時間に対した意味は無い。しかし、原告弁護士は執拗に質問を続けているのは、章設計で向いた事実を認めているからだ。用事が無ければ出向く必要も無いことで、どのような用事で出向いたのか、それを繰り返し質問するが、「しばらく前の事なので…」「大した用事ではなかった…」を、ゆっくりと、時間が過ぎるのを待つような話しぶりである。少しむかついたが、それが演技であるとも分かっているが、原告弁護士の追及が生ぬるい。肝心なことを聞いてくださいよ。12月28日の御用納めの日に、熊谷泰人議員と打ち合わせて章設計に来たことを、なぜ質問しないのかと、いら立ち始めていた。令和5年6月16日
誰にも会っていない
原告弁護士は、盛んに時計を気にし、質問を選んでいるように見えた。そして最後の質問になるに、「平成28年の12月28日に章設計にお見えになっていますが」、「そうですか、よく覚えていませんが…何度か行ったと記録されていますのでその日だったかもしれません」覚えていないのに言葉に詰まっていない。一生懸命ごまかそうとする態度は有りありだが、「その時にお会いしたのは疎外熊谷ですけど、それで間違いはありませんか?」と、「はい」ここは即返答したが、私に会いに来たことは認めたことになる。「どのような話をされたのでしょうか」、「よく覚えていませんが…」「工期の延長についてお話しされたのでしょうか」、「何を話したのか…もうかなり前のことなので…よく覚えていません…」覚えていないことを覚えているじゃないかと腹が立つが、「工期延長の話をしたかもしれません…が、工期について私は事業課で無かったので合意をするようなことは出来ないので、工期について話したのは、契約期間内で設計が完成できるのか心配でしたので、聞いたような記憶が有ります」話すこと話すこと、でたらめを話すにここまで多弁であれば、覚えていないなどまるで嘘と言っているようなものだ。
最後の質問
そして原告弁護士は、いよいよ核心の質問をした。「章設計では他に誰かにお会いしていませんか?」そう、この質問が一番重要なことは、熊谷泰人議員と打ち合わせ(章設計の提案を認める)して章設計に来たことを示し、熊谷泰人議員が木下悦男建設部長を向かい入れた事実を認めれば、工期延長の話があったことを認めることになる。要するに、熊谷泰人議員の証言がなくとも「工期延長の合意」があったとみなされるのだ。令和5年6月18日
分かれ道
はたして、木下悦夫の発言はどう出るのか、どうこたえるのか? 耳が焦点になった。「あ、あ…」何か言葉になっていないが、ええともああとも訳の分からない言葉が出たが、「会っていないと思う…」聞こえづらいが確かにそう言った。「誰とも会っていないのですか?」弁護士がまたも聞くに、今度はハッキリと「会っていないと思います」との声が聞こえてきた。間の抜けた時間が流れるに、これで終わりなのか? と、弁護士から次の質問が続くと思ったが、その期待はむなしくなくなっていた。なんだ、何をやっているんだ弁護士は、怒りの矛先は木下悦夫ではないことに、何とも言えぬ脱量感を感じていた。そう、これは負けるかもしれないと言う不安感が体中を走り回った。
へたくそな弁護士
「熊谷泰人議員が向かい入れていますが、熊谷泰人議員とはどのような関係があるのですか?」そう持ち出すとばかし思っていたが、誰かと会っていませんかの質問は的を得ていない。これでは木下悦夫を助けるような質問であって、記憶にないと言い張る証言者を追従するようなものだ。しかし、これで終わったことも事実、まあ、証人尋問で藩あ穴が変わることは無いと知りながら、負けるのを認識するは辛いことでもあった。
帰りの車中で弁護士はすでに言い訳の話に終始していた。「とにかく時間が気になって…」「熊がすぃさんへの質問を飛ばしてしまってすみませんでした」「裁判官があのような質問するとは思いませんでした」と、ずいぶん多弁となっているが、それであればもっと追及してほしかったと、がっかり感が締めていた。令和5年6月20日
戦い済んで日が暮れて
高速バスに弁護士を送るに相当な時間が有った。どこかで食事でもは準備していたが、食事抜きで流石に見送ることは出来ないと、ある食事処の座敷にあがったが、食欲は互いに感じていなかった。何か既にあきらめにも似た状況であるに、話は裁判ではなく、世間話に移っていた。これで正解だったのだろうか? そんな考えが過ぎるが、それは弁護士の口数の少なさにも表れていた。弁護士は食事を残した。たくさんでしたとの言葉は体裁だろうが、重苦しい空気に変わることはなく、盛んに時計を気にしだしていたが、食事が済めば立ち上がることで、それではよろしいかとのタイミングに、「ちょっとトイレに…」と言って席を立たれた。案外と長く感じる時間は、間の持てない状況には助かるが、そこですでに勘定を終えていれば、そのままの足で「御馳走様でした」で車に乗り込む。そしてバスターミナルに送るに、最終便には、まだ時間は40分も残っていた。待合に待つに、8時になりましたのでシャッターを下ろしますと、座っていた席を立つように促され、少々ばつの悪さを感じたが、そこで「熊谷泰人議員の証言は筆余に感じましたが?」と、嫌味に聞こえても構わぬと口にしてみた。何も言わぬ弁護士に、「負けたら控訴しますので、その時には熊谷泰人の証言を必ず得ます」と、他に何が必要ですかと、勢いに任せてあれこれ聞いてみたのは、その時負けるとの予感が強くあったからだ。何が悪くて負けるのか? どこが足りなくあったのか? そんなことばかしが頭に浮かべば、この弁護士で正解だったのだろうか? と、改めて自問するのであった。
常識と行政
社長は常に言っていた。「負けるはずはない!」と、それは、契約を交わして業務を遂行すれば、それが未完であっても成果物は有る。その経験は、社長は測量士として、県の仕事を多く経験しており、行政がそんな間違い(契約解除)をやることはけしてないという常識論からくるものであった。しかし、裁判は常識の世界ではなく、いかに証拠が物を言うかであって、嘘でも何でも行政書類は、その事実だけが残ってしまうのだ。令和5年6月22日
負ける予感
振り返ってみた。あの時、飯田市の弁護士は飯田市相手の裁判を誰もから断られた。中には、「行政相手に勝てない」と、素人のような弁護士も居たが、その事実の中で東京の弁護士に依頼すると決めたのである。財務省に勤める従弟に相談すれば、「東京弁護士協会所属の弁護士であれば、どなたも引き受けてくれると思いますよ」と、そしてある女性弁護士に出会った。確かに張り合い無さはあったが、頭の良さは言うまでもなく、それは頼もしく感じていた。その女性弁護士が、今夜は嫌に口数が少なく、また、妙に体の力も抜けていた。コロナを二度も経験すれば確かに普通の状態ではないだろうが、そこまで気を使えなく見送った。最終バスが走り去るに、あとに残るのは敗北感でなのだが、不思議に負けるのが悔しくもなかった。それは、負け惜しみでも何でもない。負けるには負けるだけの理由があり、その理由が判決で分かるからして、まさに「負けるが勝ち」の面持ちなのである。一審で勝ったとしても飯田市は当然控訴するし、控訴できるだけの証拠を新たに出してくるだろう。それであれば、高裁での戦いは苦しくなるし、正直この弁護士では戦えないとも考えていた。女性だからではなく、コミュニケーションが取れないことに不安があったからだ。当初の依頼にある条件を弁護士につけていた。いや、つけていたというより、ある条件を絶対だとしてお願いしたことが有るが、それが全くに理解されていなかった。そう、負けるとする不安は、そのお願いが実行されなかったと考えていた。だからして、裁判は負けるかもと思い、負ければ原因が分かるととの思いを巡らせば、きっと、最初のお願いに行きつくと考えていた。このお願いが何かと今書きだせないが、やはり、このお願いが全く裁判で扱われなかったのである。令和5年6月24日
再発
弁護士の病気が再発したのは、それから間もない時であったが、その前に、なんとか東京高裁に控訴手続きを行うことが出来た。しかし、それからが大変なことに、何を新たな証拠とするのかであって、新たな証拠が無ければ控訴は負けてしまう。何を証拠にするか、それは証言に頼るしかないと、如何に熊谷泰人議員に渡りをつけるかと、そればかしを弁護士に迫っていた。「三月には議会が始まる。それ前に面談していただきたい」そのようにお願いしていたが、いつになっても連絡がない。しびれを切らしてメールしても、一切返信は来なくあった。今日は裁判か、移動中ではまずいかも、そんな気を回して電話をかけなくあったが、さすがにひと月も連絡なしであれば、もはや遠慮は不要として、それでも昼休みに電話を入れてみた。しかし、何度鳴らしたにせよ、いつまでもなるばかしであって、留守電にも切り替わらない。なんだ? どうしたんだ? またコロナにかかったのか? また再発したのかな? そんな気を回しても、出ないものは出ない。
横着
極まりなく横着である。弁護士とはこんなものかと腹が立ってきた。それからと言うもの毎日電話するに、そして突然に途中で切られた。あれ? 切られると言うことは、生きているのは間違いないようだ。あまりな状況に、死んでいれば仕方ないと思うほどになっていたので、冗談抜きでそんなことも考えていたが、そうこうするうちに電話が鳴った。「はい!もしもし」、「移動中ですので後ほど電話します」とんだ肩透かしだが、それでもつながったことに安堵を覚えていた。どのくらいで電話がかかってくるのか、移動中であれば電車だが、30分か一時間か、そして待に、一向に電話はならない。待てど暮らせどの宵待ち草は、とうとうその日に電話は鳴ることは無く、もはや怒りを越してあきらめムードとなっていた。令和5年6月26日
受付は飯田裁判所
控訴訴状の提出は飯田裁判所であった。てっきり高裁へ直接提出するのと思っていたが、そこまで詳しく話さない弁護士に、少しいら立っていたが、とにもかくにも控訴は出来ていた。盗伐裁判での弁護士は「50日以内に訴状を出さなければならない」として、かなり私を圧迫したが、この弁護士は全くに正反対の態度であった。やがて電話が鳴るに、もはや力は抜けていたが、続く話に思考がパニくっていた。「まだ手数料を裁判所に納めていない」? ? まったくに想像しない言葉が返るに、何を言っているのか理解が出来なくあったが、要約すれば「飯田裁判所に控訴訴状を提出したが、裁判費用の支払いをまだ行っていない。ですから、東京高裁まで訴状が送達されていない」との話であった。「はあ…」「はあ…」との生返事しか出て来ない。そこまで頭を整理するに時間はかからなくあったが、まだ50日の一日目も始まってないとのことは理解できた。
高裁での受付
それから事務費は支払えたのか、そこまで聞く気にもなれなくあったが、高裁に書面が送達されたかどうかも分からなくあり、いつが50日の始まりとすればよいかも判断できなくあった。しかし、「3月には議会が始まるので、それまでに」のお願いはすでに間に合わなくなり、その確認に電話を入れ、メールも送るが、またもや弁護士と連絡がつかなくあった。ちょうどその頃、阿智村相手(三筆の土地明け渡し請求)の裁判期日があって、その打ち合わせで毎日のようにメールを送るに、ようやくとして連絡が入ったが、それは被告(阿智村)からの準備書面がメールで送られてきただけであった。その準備書面に反論するのかは期日において決めることだが、しかし、何も打ち合わせが出来なければ、そこは不安しかない。横着はともかくしても、何か異常な状況が起きているとは気づいていた。令和5年6月28日
期日放棄
こんなことが有るのだろうか? いや、裁判において、こんなことが出来るのだろうか? それは、三筆の土地返還請求事件の期日四日前の木曜日、はるか前に送付しておいた反論書面について、ようやく弁護士と連絡が付き、その打ち合わせを終えていた。「明日中に送付(飯田裁判所)しますので月曜日の期日には間に合わせますので…」本来ならば、一週間前には送付しなければならない準備書面であるが、この弁護士にはそのような常識(?)は気にしないようで、これまでもたびたび大着が見えていたが、さすがに今回ほどのギリギリは今までになかった。
ズームでの期日
コロナの影響は裁判に画期的な革命をもたらせていた。それまで遠方の弁護士はスピーカーを卓上の真ん中に置き、電話で期日に参加していたが、今は、ズーム(パソコン画面)でテレビ期日である。顔を見ての期日は確かにやりやすく、また、コミュニケーションにも大いに役に立つ。そしてそんな中で始められる期日に出向ければ、事務官は妙なことを私に言った。「〇〇先生とは連絡が取れていますか?」 ? 何を聞かれたのか一瞬戸惑ったが、「まだ準備書面が届いていませんが?」これもまた、信じられないような言葉が続いた。騒ぐわけにはいかない法廷で、「え? 届いてないですか? 遅くなりましたが、木曜日に打ち合わせてますし、金曜日に送付すると言っていましたので」、「そうですか,先ほど電話を入れましたが、連絡が取れていません」もはやパニックは私であって、どうしようにもそれ以上対応できない。あたふたしていれば、そこに裁判官が入ってきた。立ち上がり、頭を下げて迎えるに、事務官が「ズームがまだつながっておりません。もう一度〇〇弁護士に電話を入れてみます」と、退出した。私が焦ってもどうしようもないが、間の持てない状況に、腰を下ろすことも出来なくあった。令和5年6月30日
裁判官の問い
事務官が戻るに「連絡が取れました。呼び出してみます」といって、パソコンを操作しだした。ホッとするも、なかなかに画面がつながない状況に、またもや落ち着きを無くしていた。そして、驚くような現実が告げられたのである。「準備書面が届いていません」この言葉に絶句した。それは、「明日の金曜日には裁判所に送付します」との言葉が耳に残っていたからだ。どうするんですか? 月曜日の期日に間に合うんですか? 立て続けに質問するに、「今日中にまとめて明日送付します」と、弁護士は言っていたからである。月曜日の期日5分前に法廷に入るに、いつものように期日が始められるとして準備するに、事務官の言葉はそんな私の考えを打ち崩していた。(届いていない…どうしたのか…準備書面の細かな打ち合わせはしたはずだ…なにかあったのか…また、入院でもしたのだろうか…)走馬灯のようにいろんな思いが駆け巡っていた。
厳粛
裁判期日に及ぶに、それは身が引き締まる状況は、原告でも被告でも全く同じではないだろうか。弁護士としても、その姿勢は垣間見て余りある。なのに、今私の前で繰り広げられる光景は、その場の空気を一変するものであった。「準備書面が届いてない」その言葉を聞けば、いったい私はどう対応すればよいのかと、あたふたするばかしでそれ以外場は持てなくあったが、「つながったかな?」の、何気ない事務官の言葉に、何か複雑な思いがしたのは、(つながらないでほしい…病気であってほしい…準備書面が無いのをどう言い訳するのか…)と、その場を逃げ出したいような気持が湧いていたが、繋がればすべて弁護士がこの状況を解決してくれると、そう、すべて弁護士のせいに出来るのだと、つまらぬ考えがよぎった。令和5年7月2日
体調が悪い
確かに垢ら顔であったが、くりくりとした大きな目は病気でないと感じ取れたが、事務官は遠慮なく質問する。「準備書面が届いていませんが?」直球であった。少し目が泳いだが、「すみません体調が悪くて…」、「…、…」これで終わりである。あっけないと言うのか、裁判でこんな感じでも良いのかと戸惑うが、そこは裁判官、さして問題ないがごとく、いつものように始められた。何がどうのとは書けないが、それは瞬く間に終わりが告げられ、次回期日日が打ち合わされるに、互いの都合が確認されたが、さすがに原告弁護士にくぎを刺すように、「〇〇先生、次回期日日は〇月〇日でよろしいですか?」を、最後にまた確認した裁判官の発言に表れていた。
言い訳
5分と経たずして閉められた期日、裁判官も時間が余ったのか席を立たない。裁判官の横に座った私はばつが悪く、腰を上げることも出来なくあったが、「〇〇先生はどうかされたのですか? 病気なのですか?」と、裁判官は私に聞く、もはや二人の視線(被告弁護士と事務官)は私に向いていた。病気か? と聞かれれば答えなければならない。そして話すのは、弁護士の言い訳しかなかった。確かに私に言った、「入院していました」は、病名まで話さなければ説明できないが、裁判官とて、プライバシーにかかわることをどこまで話せばよいか戸惑うに、ある程度の説明はしてみた。しかし、そこで口出しされたのは被告弁護士であった。確かに振り回されているとの感はあるが、弁護士の都合が裁判に通用するのも確かなことで、場合においては引き伸ばし作戦でもあろう。体調が悪いは当人の言い訳であり、それまでの過程に不満があるは私であるが、この場で責めることでもない。ここは私が頭を下げれば済むことだと、ただひたすらに謝る自分がいた。令和5年7月4日
東京裁判
原告弁護士の体調の悪さは、飯田市相手の控訴裁判にも大きく影響していた。その典型的な事例が「熊谷泰人議員の証言」である。木下悦夫建設部長が平成28年12月28日に当社を訪れるに、それは熊谷泰人議員と打ち合わせの上で、尚且つ、熊谷泰人議員が木下悦夫建設部長を向かい入れていることで、木下悦夫がどのような用件で章設計を訪れるかを承知していたことである。また、ついたて一つ隔てた応接室と事務室、そこで木下悦夫建設部長が何を話したのかを聞き取っているに、それを熊谷泰人議員は証言を拒んだ。それは、議員としての立場において、他の議員らから四面楚歌にあう状況にて感情的であったことだが、議員らが一段落するに、また、再選において新たな立場が出来たことで、そして、何より私とのわだかまりが無くなったことにおいて、熊谷泰人議員は証言する状態に戻っていた。そして弁護士にお願いしたのは、弁護士とのやり取りにおいて証言できるとされたことで、熊谷泰人議員から直接の聞き取りをお願いしていたことによるが、そのことをすっかり忘れていたようで、また、病気において混乱したことで、すでに裁判が証人尋問まで裁判は進んでしまったことにあった。
木下悦夫の陳述内容
証人に及ぶに、必要として陳述書を提出しなければならない。木下悦夫も例にもれず、陳述書を提出した。以前にも開示したが、今一度ここで添付しますので、改めてご覧ください。木下悦夫陳述書 クリックしてご覧ください。令和5年7月6日
証言のポイント
木下悦夫に尋問する一番のことは、「工期延長の話をしたのかどうか」であり、工期延長の合意が有ったのかどうかではない。章設計は当然に、「工期延長の合意は有った」と証言するし、木下悦夫もまた、「工期延長の合意はしていない」と答えるからして、ここに事実は存在しない。ようするに、「工期延長について話しましたか?」が、最も重要な事なのだ。ここが重要な事であって、証人尋問を受けるに「良心に従って真実を述べ,何事も隠さず,偽りを述べない旨を誓います。 」と宣誓すれば、嘘は言えないことで、「工期延長について話しました」は、嘘を言えない発言となる。だからして木下悦夫は陳述書において「いまの工期で足りないとしたら工期延長を検討するように担当課に伝えることもあるがいかがか」と書き込んでいる。まあ、持って回った言い方であるのは、下平弁護士が手を加えているからで、この文書のおかしなところは、こんな回りくどい言い方を実際にしないところである。「飯田市指示に従えば工期延長を認めるがどうか?」が、普通に話す内容ではないか。木下悦夫が建設部長だとしても、私よりかなり年下であれば、敬意を持っての言葉になる。だからして、「設計工期はいつまででもよいし、市長が県に頭を下げれば済むことですので…」が、実際の言葉である。
隠されている二つの言い訳
工期延長の話をしたのを事実として、ここで下平弁護士が策を弄しているのは、「…検討するように担当課へ伝えることもあるが…」の文面である。何に怯えているかと言えば、「木下悦夫建設部長に工期延長の合意を取り付ける権限は無い」を立証するためである。木下悦夫建設部長に契約書の変更権限が有るとなれば、章設計に出向いた時点で、木下悦夫が交渉権限を持って出向いたと認証され、工期延長の話をした時点で、合意が有っても無くても、合意が有ったと見なされるからだ。だからして、飯田荘の新築工事に、「事業課は長寿支援課であり、契約事項の変更権限は長寿支援課にある」と、反論主張を重ね来ているのである。令和5年7月8日
熊谷泰人議員不在
証人尋問に熊谷泰人議員をとは、すでに諦めていたことだが、陳述書の提出は考えていたし、その考えも弁護士に伝えていたが、病気が理由なのか物忘れなのか、すっかり忘れ去られていたようだ。熊谷泰人議員が陳述書を出さなければ、当然として証人尋問にも立たないとなる。それを見越していれば、木下悦夫の陳述書も変わることであるし、証人尋問も変わってくる。要するに、被告弁護士は作戦を立てやすくなったと言うことになる。
要点は二つ
「長寿支援課が事業課だ」は、確かにその通り、だが、長寿支援課でなければ契約事項の変更が出来ないのか? となれば、それは全くに違うことで、契約書は飯田市長と章設計の社長にあることで、この二人にしか、契約書の変更に関わることは出来ない。そう、法律的においてであるが。では、被告弁護士が主張する「事業課」について、事業課とは何を指しているのかから主張を紐解けば、「事業計画も事業費も長寿支援課が決めている」が前提にあることだ。果たしてそうであるのかと言えば、ここで言うところの事業計画とは新築飯田荘の規模を決めることにあり、また、事業費も決定することを指しているが、建築技術者がいない長寿支援課でそれが出来るのかと言えばあり得ないことである。この様に紐解けば、地域計画課の技術者が、計画段階から携わらなければ事業計画も予算も立たないとなる。この時点で事業課云々は破綻するが、あえて争いにしたのは、木下悦夫に権限がないのを主張するだけの目的で無かったことが伺える。それは、「計画段階から地域計画課が携わっていない」が、露呈していたからであった。どういうことなのか? と言えば、地域計画課が基本計画(基本設計)を行っていないと言うことなのだ。令和5年7月10日
官製談合
飯田市が一番恐れているのは何であろうか? この裁判に負けることであるのか? そんな簡単な話ではない。木下悦男建設部長が章設計に来た理由は何なのか? 契約変更の権限が無いと言うのであれば、章設計に足を運ぶ必要もないことだ。証人尋問に召喚されるに、陳述書や証言で「章設計には記録によれば三回出向いたようですが、」などと、他人事のように陳述しているが、三回も章設計に出向くに、用事が無くてなんとする。木下悦夫は佐藤健副市長の代理として最初から章設計に出向いている。それを隠したい考えがあって、「私には何も権限がない」との返答に終始した。そうまでして隠すのは、木下悦夫が章設計に初めて来たときの言葉に表れている。
地域計画課の犯罪
「平井を問い詰めたが、誰が書いたのかを言わない」開口一番はこの言葉であった。なぜこの言葉を吐いたのかは、寺澤保義健康保険部長・原章長寿支援課長、木下悦夫建設部長・木村理子地域計画課係長・平井隆志監督員らと章設計との会議において「1級建築士でなければ基本設計は出来ないが、木村係長も平井監督員も1級ではない。誰が書いたのですか?」と問い詰めれば、二人ともうつむいて黙していたことにある。誰が書いたのかわからぬ図面を基本設計だと押し通す姿勢に、藤本設計が基本計画図面を書いたとの裏事情がある。その裏事情をすでに木下悦夫建設部長は知っていた。なぜ知っていたのか、それは、熊谷泰人議員から聞いていたからだ。令和5年7月12日
二番目の言葉
誰が書いたのかを平井は言わないが、との言葉の後に、飯田荘に出向いたとを口にしている。「手が回っている」(木下悦男が行ったときにはすでに長寿支援課長から根回しがあった)と発したが、もはや飯田荘の担当者を叩いてもどうにもならないと言うことだ。まあそれは当然だが、この言葉に強く感じたのは木下悦夫建設部長の正義感である。職員の身でありながら、また、熊谷泰人議員から聞かされた綿半と地域計画課の関係、設計事務所協会との官製談合の状況、何をとっても、大変な犯罪に有るに、それを少しでも改善せんとして、動いていることにある。そんな姿を見れば、信用するは誠意であることで、木下悦男建設部長に任せておけば、何かを変えることが出来ると期待した。そしてそれをより現実的にしたのが「地域計画課は解体する」「入札制度は指名入札を止めて一般競争入札に切り替える」との二つの発言であった。
地域計画課の解体
この二つの言葉には続きがあった。「地域計画課は解体するし、入札制度も一般競争入札に切り替えると副市長が言っている」(ん?副市長?確かそう言ったよな)私の頭を駆け巡るのは、行政の平等性担保という30年の刹那願いである。入札制度を改めるは、もはやそこに官製談合も業者談合もない正常な行政の姿であるに、そんな願ってもない展開の話を木下悦夫が持ち込んでいるのだ。この言葉を聞いて舞い上がらない者はいないだろう。そして私も間違いなく、木下悦夫建設部長の言葉を信じようとした。無理も無いだろう。「私の言葉ではない。副市長の指示で私は章設計に出向いてきた」と、まさにそう言っているのであって、「解体する」「入札制度を変える」の強烈な言葉を建設部長が章設計に対して発言しているのだ。興奮しない訳がない。(しかし、このいきさつは裁判では通用しない。そこに行政相手の裁判のむずかしさがある。)令和5年7月13日
議員の仕事
章設計の社長を議員に送り出すに、それはすでに私の考えであったことで、タイミングも良く進んでいくに、期待するのは熊谷泰人の国家公務員の経験であった。設計事務所は業者であって、行政からの目線はすでに上にあり、頭を下げる感覚が公務員と業者では全く違う。頭を下げられていた者が頭を下げる側に回る経験は、やはり他の者では判断できないだろう。そしてまた、頭を下げられる立場になれば、それも、頭を下げられていた公務員が頭を下げる立場になれば、もはや何をかいわんやである。そう、期待するは行政の平等性の担保であって、指名競争入札の是正である。30年以上も続く官製談合に手を付けるとなれば、おいそれとして出来るとは思えないが、泰人であれば、何かを期待するに充分であった。議員になれるかは、やはりそれなりの資質も野心も必要であるが、昨今の議員はそれほどにないことに、公明党や共産党の政党選挙が大きくものを言う。それらをのけての出馬であれば、地区地域の推薦が無ければ通用しない。そのような議員がほとんどであれば、公務員と民間の経験で、行政の不正や業界の裏事情を経験した者は、何とかしようと考えるか、まったく逆に裏事情にはまるかのどちらかを選択する。期待するのは前者であって、そこに泰人は適任だと考えていた。
指名通知
10年以上完全に干されていた章設計に指名入札の通知が来た。なぜ10年以上干されたかは、地域計画課に倉田と言う係長が着任したことによる。この男がやがて地域計画課を我が物として、綿半の子飼いとして課長にまでもぼり詰めるのだが、鈴木設計の大沢社長(当時)と同級生であったことが輪をかけた。「章設計は談合やぶりをする。指名に入れるな」で、実行されたことだが、章設計もまた、飯田市からの指名は無いものとしていた。それが突然の指名通知、それも「特別養護老人ホーム飯田荘新築工事」という、大きな仕事であった。ここで不思議にならぬはずがない。なぜ突然に指名されたのか? 大きな事業だがどうしてか? 倉田が退職したからか? いろんな思いが駆け巡ったが、たしかにそれは入札参加の指名通知に違いは無かった。令和5年7月15日
木下悦夫の登場
財政課に入札資料を取りに行くに、すぐのすぐでは他の設計事務所とバッティングすると考えた。それは、「章設計が指名されていると気づいていないのでは?」との考えがあったからだ。章設計が指名されるはずがないは、章設計が飯伊建築設計監理協会(談合団体)に入っていないからであるが、地域計画課もまた、章設計が指名に入るとは考えていなかった。それもそのはずで、地域計画課が官製談合の巣窟だからである。そんな状況にて、財政課に慌てて行けば、他の設計事務所は私の姿を見て警戒をする。いわゆる、談合が出来ないと考えるからだが、それでも地域計画から情報が回れば同じことだとも思えたが、警戒するに越したことは無いし、何よりも章設計が指名された理由が分からなくあった。
入札資料の不備
財政課から入手した入札資料に目を通せば、それは全くに不十分な資料であることに、基本設計図面が一枚もないのに、基本設計図は市(地域計画課)で行っているされており、地耐力調査も設計に含まれていたが、地耐力調査を行わなければ基本設計は出来ないことだ。そして最も重要な科目が記されていなくあった。それは、「特別養護老人ホーム飯田荘新築工事の事業費」である。事業費は概算設計書において算出されるもので、概算設計書は基本設計がなされなければ算出できない。ならば、基本設計は入札資料に記されている通り、地域計画課が行っていることになるが、ならば、なぜ事業費が記されていないのかは、事業費を明らかにすれば、「事業費✖3.5%」で、設計料が算出できるとなる。飯伊建築設計監理協会との官製談合は、設計料が事業費の3.5%とされていることで成り立っている。だからして、事業費が記されていないことが、官製談合の証拠となるのである。令和5年7月16日
警察は二の次
30年以上前から飯田市の不正を正そうとしてきたが、やはり世の中は不正を必要悪だと考えている。政治の無関心がそのような社会を生み出しているのだが、飯田市の不正が正せないことに、飯田下伊那の共産党のだらしなさにある。長野県の市の中で、市民団体が存在しないのは飯田下伊那だけである。なぜか? それが共産党の本質だからである。たしかに警察にも告発したし、捜査二課も飯田警察署に室を設けているが、警察が動いたにせよ、実際に逮捕者が出ていない現状では警察は何もしなかったに等しい。証拠が出ないとの状況はすでに答えとされているが、証拠などあっても無くても同じであって、二課の解散が全てを物語っている。まあ、警察に頼ったわけではないが、警察であれば答えは出たことだ。警察は、「3.5%の存在」を証拠とするに、その答えを熊谷議員に求めているが、お門違いな捜査であることは、熊谷議員は議員であって、章設計の社長ではない。3.5%の裏を取るのであれば、飯伊建築設計監理協会に属している設計事務所にあたりをつければよいことだが、それをやらなくして証拠が出ないなどとは、当初からやる気が無いのと同じである。告発されれば動かざるをえないが、かたや、官製談合となれば同じ行政の立場があることで、3年の公訴時効を見据えるのは、一つのやり方なのであろう。官製談合防止法などあってないに等しいのは、官製談合はすでに過去の遺物として捉えようとしていることだ。
佐藤副市長の判断
木下悦夫建設部長がいったん退職するに、佐藤副市長が解任された後、牧野市長は木下悦夫を副市長に抜擢した。この人事に疑問を抱く者は、おそらく職員の中にも多く居ただろう。そして幹部クラスの部課長の間では、木下悦夫が章設計との交渉役であったことが、疑問を疑惑に変えていたはずだ。「地域計画課は解体する」「入札制度を改める」これを佐藤副市長の指示で章設計に伝える理由は、「官製談合を表に出さないでほしい」の考えしかないことだ。令和5年7月18日
抑えられない章設計
木下悦夫建設部長はたしかに正しき人のように見えた。そう、途中までは。それが一変するに時間がかからなくあったのは、宮使えの悲しき事だと考えたいが、そんなに殊勝でないところにあるは世間の常である。佐藤副市長が言っていると前置きし、いかにも不正に取り組むとした姿勢をわざわざ言うことがわざとらしく、その言葉を吐いた時点において、この男、木下悦夫を信用できないと判断した。考えてもみろ、地域企画課を解体するなどあり得ない話だ。だからして、そのままの言葉を熊谷泰人議員に伝えた時も、首を傾げ、「解体すると部長が言った?」と、信じようとしなかった。はたして地域計画課は解体されたのかと言えば、その気配は全くなく、不正の張本人である木村理子が、建築主事に出世している。確かに、建設業者の指名競争入札は改善されたが、それも私が市長選に出馬して、入札制度の改革を訴えた後先の結果であるを多くの市民は知らないが、建設業界が疎ましく思わないのは、官製談合を行っていないからだ。談合は業界内のことであり、それこそ必要悪ではなく、業界の平等性を実践することであり、それに不満を唱える業界人は誰もいない。ただし、建築設計業界はそのような状況になく、まさに官製談合の中で右往左往していることで、飯田市もまた入札制度を改善しないのは、改善すれば官製談合を認めることになるからだ。せっかくに、県警が公訴時効を気にしていれば、そこで入札制度を変えたとなれば、官製談合を認めるようなものだ。熊谷議員が指名競争入札を止めるように提言したようだが、佐藤市長がそれに応えないのは、そのような裏事情が有るからである。令和5年7月19日
交渉役
木下悦夫が章設計に来て「章設計の提案はすべて聞く」「設計工期はいつまででも良い」と私に話したことがすべてであるのだが、この事実のとらえ方に民事と刑事の違いがある。民事からすれば、「合意に至りましたか?」が焦点であって、だからして木下悦夫は証人尋問でそれを否定しているし、盛んに「私には権限がない」を繰り返している。裁判官は木下悦夫の証言を採用したことで一審では負けたが、木下悦夫は証人尋問の何たるかを理解していないようだ。原告弁護士は「章設計に出向いた時に社長さん以外の誰かに会いませんでしたか?」と尋問しているが。「はい、誰とも会いませんでした」と答えている。まさに、この尋問が最も重要なことであるが、被告弁護士も木下悦夫本人も気づいていなかった。また、尋問した原告弁護士も民事的な尋問としているが、私は刑事も念頭にいれており、必ずこの尋問をしていただきたいとお願いしていたのである。
目的は官製談合の是正
行政を相手に裁判しても勝てるはずがないは世間の常識であり、飯田市もまたその例に漏れない。世間の風当たりは阿智村と全く同じ厳しいものであるが、私は全くに意に返していない。裁判に勝つとかに関して次元が違うのは、積み重ねることができるのは、「真実」しかないと考えているからだ。嘘でもってことを進めれば、破綻するのは嘘を重ねる不正の族であることに、一つの嘘が暴かれれば、そこから崩れるのは言うまでもない。だからして、木下悦夫を証人とするのは、この裁判で絶対に必要なことであり、この男の証言に、必ず嘘が出ると考えていたことだ。そして嘘を言った。そう、とても重要な嘘を言ったのだ。令和5年7月21日
二つの嘘
「社長さん以外の誰かに会いませんでしたか?」この原告弁護士の質問に、弁護士もまた気づいていないのは、私のことを「社長」と表現したことにある。私は社長ではなく所長であって、だからこそ証人になれていることだ。それに、実際の社長は木下悦夫に会っていない。だが、弁護士も木下悦夫も完全に勘違いし、社長を私だと思い込んでのやり取りであるが、さすがに裁判官はそのようなところに無かった。裁判官は、このやり取りにおいて(所長だけでなく社長にも会っているんだな)と、思い込んだはずである。それは章設計にとって不利か不利でないかは分からないが、さほどに影響ないことに、木下悦夫は章設計に出向いて、何を話したかは、おおむね認めていたことにある。そして、「社長以外に誰かと会いませんでしたか?」が、さほど間違っていないことに、原告弁護士の考えは「熊谷議員とは会ったのではないですか?」と聞かなかったことにある。その時の私はその尋問をしなくあったのが不満であったが、今となれば、まさに正解な尋問となっている。
誰とも会わない
さて、木下悦夫はなぜ熊谷議員と会ったことを言わなかったのだろうか? 社長以外に会っていませんか? と尋問されるに、即答で「誰も会っていません」と答えている。まさか、熊谷議員と事前に打ち合わせたのか? は、凡人の邪推だが、それにしても、原告弁護士がそのような質問をしないとでも思ったのか、または、熊谷議員と会ったことを話せば拙いと、瞬時に判断したのであろうか? そう考えれば、熊谷議員と会ったと言えば、木下悦夫は拙いと考えたはずだ。それは、木下悦夫が章設計に出向いた訳を、熊谷議員は知っていたからだ。確かに拙い、工期延長の合意があったのかなかったのかより、交渉に出向いたとの私の主張が事実となることだ。令和5年7月22日
木下悦夫の過失
飯田市の勝ち負けに関わるところに木下悦夫の証言があるは、一にも二にも、「工期延長の合意」の有無にある。工期延長の合意が有ったとみなされれば、契約工期内に成果物の提出が無かったは、絶対的な契約解除の理由となるからだ。だからして、木下悦夫の証言が、この裁判のすべてと言っても過言でなかったのだが、それにしても原告弁護士の質問内容に、正直これでは負けると覚悟したほどであった。私が「工期延長の合意があった」と言っても、木下悦夫から「工期延長の合意は無かった」との証言が出れば、それはどちらも証拠がないと、そうなってしまう。
準備書面の後先
最近、給水停止裁判をお願いしているしらかば法律事務所の木嶋日出夫弁護士から、陳述書面の提出についてご指導願ったが、どうも、陳述書は、証人尋問用に用意するもので、それも、審議が尽くされ、証拠のすべてが出そろったうえで、それら証拠に基づいて、また、来るべき証人尋問を見据えたうえで提出するものらしい。それは全くに初耳に聞こえたのは、盗伐裁判も、操の横領裁判も、そして村八分の裁判も、すべてが陳述書を準備書面に添えて争ってきたことにある。だからして、準備書面をなぜ早く出してくれないのか? 都度反論するに、なぜ準備書面を提出してくれないのか? と焦ってもいたが、それは私が所長であって、原告で無かったことに理由があったようだ。だからとして、木下悦夫もまた、証人尋問者として召喚されたことで、陳述書を提出して証人尋問に及んだと言うことである。木下悦夫側から見ても同じように、陳述書の提出において証言者が分かるとなれば、原告側が私だけであることに、安どの表情を浮かべたことだろう。そう、熊谷泰人議員が、陳述書を提出していなかったからだ。そして確認していたはずだ。三年も続いた期日においても、熊谷泰人議員は一度も登場していないことを。令和5年7月24日
否定できない事実
木下悦夫が章設計に来たことを否定できないのは、木下悦夫が来たことを認めているからだが、では、どのような用事で章設計に行ったのかとなれば、そこに明確な答えが無い。「心配していました」で通ることで、だからしてそのようにしか答えていない。「飯田市の意向に沿って実施設計を行うなら、工期延長について担当課と掛け合っても良い」と言ったに過ぎないと証言しているのだ。この証言のどこに間違いがあるのかと言えば、その様に言われればそうではないと否定できない。否定できないところは、否定する必要も無しであって、木下悦夫が章設計に出向いて、工期についても何らかの話をしたことは否定する必要もないのである。なにか、証人尋問そのものが宙に浮いた形であるが、原告弁護士も「工期延長について合意したのではないですか?」と、尋問できないのだ。
否定できる事実
工期延長の話はしたが、合意に至ったわけではないと、それは、私に権限が無いからだと、木下悦夫は言っているのである。これを否定しても否定できる要素など何もない。唯一の可能性は、「熊谷泰人の証人尋問」である。熊谷泰人は飯田市の市会議員であるが、章設計の役員でもある。章設計の人間だから証人には成れないなどと寝ぼけたことを当時言っていたが、それは何より捜査二課が動いたことによる怯えであって、議員が証人になれないなどありえない話である。それほど感情的になっていれば、例え証人になったとしても、何を話すか分からないと、弁護士もまた熊谷泰人の証言をあきらめていたのだ。しかし、三年も裁判が続くに、また、泰人も二期三期ともなれば落ち着いたようで、証人にならずとしても、陳述書は書ける状態であった。せめて、陳述書を証人尋問に備えて提出していれば、木下悦夫は絶対にとぼけることは出来なくあった。令和5年7月25日
変わらぬ判決
熊谷泰人議員の陳述書が提出されていれば、たしかに木下悦夫は事実を認めるだろうが、それでもそれなりに、「工期延長の話をしたが、私には権限が無かった」と、強く主張したことだ。それは、議員であっても、行政の仕組みに口出しできないからで、何を話したのかの程度で終わってしまう。それであれば、章設計敗訴の判決に変わりないとなるが、果たしてそう言いきれるかと言えば、裁判官は全く違う観点から証人尋問を見ている。ようするに、証人尋問は儀礼的なことだとの振り出しである。証人尋問の前に既に判決は決まっていることで、よほどのことが無い限り、証人尋問において判決が変わることは無い。早く言えば、熊谷泰人議員の証言などどうでもよいと言うことだ。結果的に章設計は敗訴したのであるから、まさにこの想定は的を得たことになるのだが、では、負けると分かっていて、原告弁護士は指をくわえてみていたのか? といえば、それは全く違うことで、そう、弁護士は体調が悪くて思考が働いていないのが現実であった。お願いしたことがいくつも有ったのにそれらの願いは全くに裁判に影響する重要な課題であったのに、何一つ実行に移されなかった。そして、それらの願いが実行されていないと知ったのは、証人尋問の当日であった。目も当てられないお粗末だが、この様な状況になるは、必要にしてそのような状況になったと、私はいつも肯定的にとらえている。負け惜しみでないことに、だからこその控訴である。
証言の価値
敗訴するとして、木下悦夫の証言が左右するのかと弁護士に聞けば、「裁判官は判決を出しやすいように証言を認めるのではないか」と言う。それは、すでに判決は証人尋問の前から決まっていることで、勝訴する方の証言を採用すると言うことだからして、その結果通り、木下悦夫の証言を信用するとされている。この判決文をどうとるのかと言えば、「木下悦夫は事実を述べている」との結論である。この結論は私にとって大きな事実であり、また、一審を不服とするに、最良の事案であると考えた。令和5年7月27日
証言の嘘
「木下悦夫は事実を述べている」であれば、本当に事実を述べているのかと、そこが気になるではないか。木下悦夫の証言内容は、「記憶がはっきりしない」が大半であって、これと言った証言内容は無い。私の記憶に強く残っている証言は、「章設計の社長以外に、他の誰かと会っていませんか?」の質問に、「誰とも会っていません」と答えたことと、裁判官が異例に質問された、「市の意向に従わなかった図面とは度の図面を指すのですか?」の問いに、全く答えられずにいたことに、裁判官が、「この、図面番号5の、平面じゃないのですか?」と図面をまくりながら確認したことだけだ。これでもって、裁判官が木下悦夫の証言は信用できるとされたことに、たしかに、判決は事前に決まっていたことなのだと、妙に納得したのである。
嘘を言った木下悦夫
「飯田市の基本設計図に従わなかった」これが反論主張の趣旨であり、裁判官はこの反論を取り上げて、章設計の敗訴理由の一番目とされている。そして、木下悦夫の証言を信用するとの判決理由は、4番目の理由であり、これら4つの敗訴理由が判決文に明確に書かれている。残り二つは追々書き出すが、さて、木下悦夫は嘘を言った。そう、「章設計へ出向いたときに、私以外と会っていない」と、確かに言っている。「真実を述べます」と宣誓していれば、これはうその証言となるではないか。ここで、「熊谷泰人議員が向かい入れたのではないですか?」と、突っ込んだ質問が出来なくあった原告弁護士に、私は早速その理由を聞いたが、これもまた、聞いてもたいして意味が無いと、あっけない返事であった。これで納得できないは、木下悦夫の嘘を暴けなかったことへの怒りではなく、熊谷泰人議員へ、事前に陳述のお願いをしなかった弁護士に向いていた。令和5年7月28日
負けて得るもの
判決当日、社長と二人して法廷に出向くに、少なくとも勝てると二人とも考えていたが、まさかの真坂に、裁判官は冷酷にも「棄却」の二文字を発していた。確かに唖然とした。負けることは無いと考えていたからだ。だが、反面、負けるとすれば、何が原因なのかもうっすらながら感じていた。木下悦夫の証言なのか? それもあるかも知れないが、もっと違うところに原因があると考えていた。それは建築設計業務と言う特殊な業界を裁判官は理解していないと考えていたからだ。なぜそのような考えに至ったのかは、裁判官が私に質問した内容に、その気配があったからである。
弁護士も素人
原告弁護士は二度ばかし、「私が分からなければ裁判官には伝わりません」要するに、設計業務の何たるかを弁護士が理解できなければ勝てないと言っているのだ。おう!?何たることか、素人に建築設計のイロハを最初から教えなければ、この裁判に勝てないのか!?この一言は非常に衝撃だった。損害賠償の法的手続きが弁護士の仕事であるが、損害賠償の中身については全くの素人だと言うのであるが、それは無理もないことで、建築士は国家資格であることに、まったくに、弁護士と肩を並べる資格業務の業界であることだ。確かに建築のイロハは知らなくて当然だが、だからといって損害賠償に至る内容が、「私が理解できなければ裁判官にも伝わらない」のであれば、この素人に、一つ一つ教え込まなければならないのだ。そしてその具体的作業に入るに、手に取るように教えなければならぬとしても、東京と飯田ではあまりに遠すぎることであった。幾度東京へ出向いたのか、そしてわずかな時間で教え込むに、その一つ一つの確認作業は、やはり誤解を生むものであった。このような状況にて期日を重ねたにしても、結果として負けたことは、弁護士に建築設計の何たるかを、やはり理解させるのは無理であった。令和5年7月30日
裁判官の質問
証人尋問が終わり帰路につくに、興奮した車中で弁護士は言った。「裁判官があのような質問をするのは初めてです」あのような質問? 何のことかと戸惑うに、それはやはり、設計と言うものを理解していないことでの質問なのかと思えば、どうも、いつもと違う裁判官の質問内容にそれを感じたようだ。「飯田市の意向に沿っていないとする設計図面はどの図面ですか?」の質問であろう。その質問は、まるで飯田市よりの質問であることに、弁護士は気づいたのだ。そして、その質問は、すでに章設計が負けるとの感じを覚えたのであろう。
設計図面
ここで大きな事実を原告も被告も考えざるを得ないのだが、その観点が、素人と専門家ではまったく違うことにおいて、大きな事実か、やり過ごす程度の事なのかの判断がついていない。そこで、裁判官の質問を思い返せば、「設計図面」との前提に、その大きな事実の原点が違うことに気づいたのである。そう、「設計図面」の取り扱いである。設計図面とは何であるのか? ここが、専門家と素人の大いなる食い違いである。素人が考えるところの設計図面は、一枚の用紙に、建築物の図が記されていることにあるが、専門家、ようするに、建築士であれば、設計図面とは、一つの建物が完成できるまでの全てに必要な図面のことを指している。それは数十枚からなる物で、中には、図面など少しも描かれていない設計図面もある。それらの一切を設計図面と言うのであって、一つだけ、または一部の図面を持って設計図面とは言わない。だからして、裁判官が質問するところの「飯田市の意向に沿っていない設計図面はどれですか?」の質問そのものがおかしくあると言うことだ。しかし、双方の弁護士も全く持って裁判官と同じであり、それは、その質問に何の意味があるのかさえ、一枚の設計図面もまた、設計図面と考えていることだ。令和5年7月31日
感度の違いが判決となった
原告弁護士が言うところの「裁判官があのような質問をするのは初めてです」は、通常、被告にする質問でないと言うことなのだが、それは「飯田市の意向に沿っていない」との、前置きがあることを指している。ようは、飯田市の意向に沿っていないを主として判決に及ぶ恐れを感じたと言うわけだ。確かに言われてみれば、「意に沿っていないと言うのはどの図面なのか?」は、おかしな質問だ。それに、「この平面図ですか?」も、まったくに誘導尋問である。裁判官が踏み込んで質問するに、まさに被告飯田市よりであれば、違和感を覚える弁護士は、この時すでに敗訴を感じ取ったのであろう。
控訴の準備
判決はひと月半後の12月半ばとなるに、原告弁護士は最後の抵抗を見せた。それは、証人尋問をもう一度確認して、最後の詰めを行いたいと申し出たことにある。いわゆる、最終準備書面の提出を行いたいと言うことだ。その申し出に、裁判官は戸惑う表情を見せている。「ん?やっても無駄ですよ」とも言いたげな顔つきに見えたのは、私も敗訴を感じていたのだろうが、同時に、負けるのであれば、その原因は何なのかと、既に予防線を張っていた。負けるのであれば、やはりそれは、相手が行政だとの一言に尽きる。どの裁判でもそうであろうが、行政とは社会の仕組みであって、それらは法律上に成り立ち、法律を守らせる立場であることだ。その行政が間違いを犯すことは無いと言うより、間違いなどあり得ないとの前提が有る。行政を負けにできなければ、行政が勝つ要素が必要となる。早い話が、被告飯田市の土俵で相撲を取らされたのであり、その行司役である裁判官は、端から飯田市に軍配を上げていたと言うことだ。これでは確かに負ける。行政相手に勝てるはずが無いと、世間の常識になってしまうのだが、それでも私がへこたれないのは、「負けると分かっていれば、弁護士は受けるはずがない」との考えである。飯田近辺の弁護士ならともかくも、あっさりと「訴えることは出来ますよ」と引き受けた、この弁護士を私は深く信頼した。令和5年8月2日
行司差し違え
弁護士が訴えることは出来るとすれば、勝てると言うことだ。それ以外に何が有ろう。それが負けそうだとなれば、なにかそこに原因が有るはずだ。そしてその原因は何かと分かっていた。そして判決は下されるに、それはあっさりと棄却の二文字であったが、そこで特に感情が無かったのは、すでに控訴へと進めていたからである。思い起こせば、証人尋問の後の打ち合わせにおいて、弁護士を責めることが出来なくあったのは、やはり、証人尋問の中途半端さにそれは有った。裁判官が私に聞くに、「工期延長願いを出さなかったのはどうしてでしょうか?」は、全くに的を得ない質問であったこと、その質問をなぜ私にしたのかが分かってきたのだ。木下悦夫には「飯田市の意向の図面はどの図面ですか?」の質問が飯田市よりだとするのは、「飯田市の意向を聞かなかった章設計」との前提があることに、「工期延長願いが出ていませんね」の質問は、「工期内に成果物が届いていない」の裏返しであると、ようやく気づいたということだ。だからして、負けるかもしれないの覚悟はその時にしたし、控訴するには何が必要なのかもハッキリと見えていたのである。
工期延長願い
裁判からのこの質問に、正直何を言っているのかすぐに理解が出来なかったのは、「こんな質問を私にしてどうするのか?」と「工期延長願いなど、一番最初の打ち合わせから行っている」と、主張してきたからであるが、くどくも確認している程度だと、その時はそう考えていた。この質問に答える間は不要であって、「当初の打ち合わせ記録に有りますが、最初からお願いしております」「地域計画課長の『契約書18条に沿って要望書を提出してください』の指示において牧野市長に提出した要望書に、『工期延長願い』は書き出しております。1回目の要望書への返答には、『工期延長はしない』との回答でしたが、二度目の要望書、佐藤健副市長が扱った要望書にも、同じように工期延長願いを書いています。二回目の要望書への回答がありましたが、そこには工期延長に対して何も回答は有りませんでしたので…」(まだ続く)令和5年8月3日
話しすぎ
「回答がありませんでしたので、工期延長は認めてくれたと判断しましたし、木下悦夫建設部長が、三度も章設計に、いや、正確には1月の末にも来ていますので4度ですが、三度目に来ました12月28日の時に、『工期延長はいつまででも良い』と言われたので、それが回答だと考えていました」、「あ、はい分かりました」と裁判官は簡単言うが、私はまだ話足りず、もやもや感が残ったが、いつものことだが、やはり興奮して話し過ぎたと落ち込んだ。「最初の要望書にも二度目の要望書にも、工期延長願いは書き出しています」このように単純明確に話せばよいことだと、頭では分かっているが、私の悪いところか、相手が誰であろうと、言いきらなくては気が済まないよだ。まあ、何を話しても無駄と言うことは結果が示しているのだが、裁判官は、このとき迄まで工期延長願いを出していないのだと考えていたようだが、そのことの方が恐ろしくないか? 公明正大と言うより、裁判官は機械だと言われるが、この裁判官は故障していたようだ。これで裁かれた結果が、章設計の敗訴であるに、不条理を感じるどころか、ああ、これでは無理もない。裁判官は何も分かっていなかったんだと、反省ではなく、控訴へ進むきっかけになったは言うまでも無い。
流石です
弁護士は、このやり取りを見ていて「流石でした」とつぶやいた。一瞬、何が流石なのかと戸惑うに、どうも、裁判官の質問に即答できたことなのかと思えばそうではなく、裁判官がそのような質問「工期延長願いを提出しなかったのですか?」をしたことに、それは弁護士の主張が甘くあったことでの反省の弁であると、工期延長願いを出していますよと、反論していなかったのだと、そう長くない時間で理解できたが、今更に弁護士を責めても、裁判はすでに終わっていた。証人尋問は儀礼的だと言われるが、それにしても、章設計を負けとするに、裁判官の回し方に腹が立つのは私だけなのか。令和5年8月5日
平面図と決めつけた
裁判官が木下悦夫に質問したのは、質問ではなく、確認であったと気づいたのは、もうしばらく後のことであった。弁護士が言うところの「裁判官があのような質問をすることは、通常ない」との言葉が妙に耳についたことで、確かにそのような感じはしたが、だからとして、それがいったいどう作用するかは見えてなかった。裁判官は何を聞いたのか? 「平面図ですか?」と聞いた。たしかに、平面図ですか? は、尋問したのではなく確認したことになる。そう、裁判官は、飯田市が主張する「飯田市の意向に従わない」について、「従わないはどの図面についてですか?」と聞いたことだ。そしてその図面を平面図だと木下悦夫に証言させて、「基本設計に従わない」の飯田市の主張を取り上げた。だからして、弁護士は、あのような質問はおかしいと感じたのであろう。このような裁判官の確認作業において、章設計の負けは最初から決まっていたのだと思えば、これも裁判だと割り切れることではない。何が間違っていたかは、裁判官がそう判断せざるを得なくした、食い違いがどこかに有ったはずだと、私はそう考えた。
設計業界
今回の裁判の焦点はどこにあったのか? と、今一度整理すれば、「設計料を支払え」と「契約解除した」の二点であるが、そこに起因するのは、設計図面である。「設計をしたから設計料を払え」は、設計図面が証拠であるに、「契約解除した」は、設計図面が工期内に提出されなかったが理由である。そこでの争いであれば、設計図面がある章設計は有利となることだ。工期内に設計図面の提出が無かったを理由とされても、工期が過ぎてからの契約解除はふつうない。この時点では章設計に分があるが、しかし、「契約解除したから違約金を支払え」は、契約解除が有効か否かにかかり、それが議会が承認したとなれば、契約解除は議会が認めたことになる。ならば、ここで章設計が勝訴するに、飯田市が負けたとならば、議会の責任は逃れられない。裁判官がそこまで考えていたとは言わないが、「市の意向に従わなかった」が飯田市の反論である限り、議会もまた、章設計は飯田市の意向に沿わなかったが、反訴の理由としてあったことになる。令和5年8月6日
焦点のずれ
最初から危惧していたことに、設計者は私一人であって、それも原告ではないことだ。何を言いたいのかは、今回の裁判では設計の専門家が誰も居なかったと言うこと。主張する原告章設計にも、また、反論する被告飯田市にも、建築設計士は誰もいない。それは、白か黒かを判断できるのが誰もいないと言うことだ。弁護士が持ち出す法的根拠は民法や商法であって、建築士法や建築基準法が扱えないことで、原告や被告が建築関係の法律を持ち出すにしても、建築士でなければ答えが出せない。私が1級建築士として意見を述べたにしても、原告側では証拠として採用されないのだ。何とも歯がゆい状況にあるに、まったく違う土俵で争っているとわめいても、もはや手の打ちどころが無いのである。
設計者の責任
この様な争いの結果が敗訴となれば、なぜ負けたのかは「焦点のずれ」ではないかと判断するは誰でもだと思う。設計図面は単なる商品だと裁判官は判断したのであるが、商法では確かにそうも取れるが、忘れられていたことに、「設計図面とは建築士が設計した図面」と言うことにある。分かりやすく言えば、国家資格の建築士しか、設計図面は作成できないのだ。ならば、章設計が設計した設計図面は、建築士法を遵守した設計図面と言えるが、飯田市が設計した設計図面は、建築士法に基づかない、誰が書いたか分からない設計図面となる。誰が書いたのかわからない設計図面を、裁判官は「設計図面」と判断したことになれば、はたしてこの判決は、正しかったと言えるのだろうか。令和5年8月8日
基本設計と実施設計
「飯田市が言うところの基本設計は、基本設計ではありません」と、証人陳述書で訴えたのだが、もはやその時は、飯田市勝訴に決まっていたのであった。基本設計ではない。それは建築士全ての見解であるに、そこに答えを見いだせないは、いかに飯田市行政が強いと言うことだろう。「基本設計に従え」この姿勢を入札時から崩していないのは、入札資料に用いた資料を基本設計だとしたことにある。どこの行政に、入札資料を基本設計と出来るのであろうか!?それが飯田市地域計画課の官製談合をあらわしているのだが、地域計画課が入札資料を「基本設計だ」といえば、それは飯田市行政はおろか、設計事務所協会までがそのように判断するのである。なぜそのような異常状態が35年も続いてきたのかは、一にも二にも、飯田市の官製談合は、議員らの無知さ加減において、議会も行政も承知しての官製談合であったからだ。確かに県警捜査二課に告発したし、捜査二課もそれなりに動いたが、行政と議会が承知しての官製談合は、もはや県警程度では手が付けられない行政犯罪になっていたのである。
動かない議会
動かない議会は、動けない議会であるのだ。熊谷泰人議員が、綿半と地域計画課、そして設計事務所協会との官製談合を是正しようと奔走するに、そこに待ったをかけたのは、何を隠そう、綿半の族議員である。そして共産党議員までもが口をつぐめば、もはや四面楚歌も良いところであった。そして極めつけは、捜査二課が熊谷議員とコンタクトを取ったことにある。このコンタクトにおいて、熊谷議員は生気を失った。そして「基本設計は市でもできる」と、まったくに見当違いの発言に走ったのである。何が熊谷議員を変えたのか、それは捜査二課のいつもの手段ではなかろうか。そう、思い起こせば岡庭一雄と原建設、そして鈴木設計との三者がらみの官製談合に、私は捜査二課に接触したが、そこで二課の判断は、「官製談合ではなく横領で挙げたい」そう、それが県警の判断なのだ。なぜか、それは県警も行政の一員であることだ。令和5年8月10日
基本設計とは何か
建築設計業務は、基本設計と実施設計、そして管理業務の三つに分かれている。世間で浸透した競技設計とかコンペとか、プロポーザルなどは基本設計の範疇であって、どのような施設をどれくらいの予算で行うのかと、それを具体的に設計するのが基本設計である。単純に、飯田市が入札資料とした図面を基本設計だと言ったにしても、それは基本設計ではない。このような簡単な話がなぜ裁判官に受け入れられなかったのかは、今のところ想像でしかないが、「基本設計に従え」との言い分は、入札資料が基本設計だとの概念ではなかろうか。それが弁護士の差と言えば、まったくに、下平弁護士の反論主張に分があったことになる。行政が基本設計だと言えば裁判官はそれを信用するし、基本設計に従わなかったと言われれば、では、どの図面に従わなかったのだと、具体的な事例をつくり上げた結果となろう。どちらにしても章設計は負けたが、その負けの最大の判断は、基本設計の取り扱いにあったと言うことだ。
証拠がない
裁判官が入札資料を基本設計だと判断され、平面計画図を基本設計図面と限定した。このことが判決の確定理由であったと判明すれば、基本設計を裁判官は理解していないとなる。裁判官がなぜそのように判断をされたのかも想像できれば、控訴に向けて「基本設計」は最大のポイントであるし、十分に戦うことができると考えた。じつは、基本設計の何たるかは建築士であれば必然的に説明できることで、それが出来なければ建築士と言えない。飯田支部での裁判であれば、飯田市の設計事務所に勤める建築士であれば、第三者として証言できると言うものだが、残念ながら、飯田市の設計事務所協会に属する設計事務所は官製談合の主役であるに、間違っても章設計の要請に応える建築士は誰もいない。令和5年8月12日
謀反(むほん)は章設計
おかしな話だと思うは私だけであることに、飯田市行政と議会に立ち向かえば、それを世間では体制に逆らう造反だという。確かにそうだ。行政が「契約解除」すれば、それだけで悪者になる事で、そこに言い訳も理由もない。行政は常に正しく、行政に従うのが住民の務めであることだ。「契約したのに工期内に間に合わなかった」これが公式な理由であれば、議員らも含めて何の落ち度が行政に有るのかということだが、業界から見れば、「工期内に間に合わなければ工期延長がある」と、これも必然的な救済策が契約上存在する。例を取れば、「建設工事者が工期内に間に合わなければ工期延長願いを提出する」が常識となっている。工期内に間に合わなくても行政に困ることは何もなく、最大にして、三か月の工期延長は常識となっている。では、なぜ設計業界だけに工期延長を認めないのかであるが、それも契約上存在しない事項であることは、設計事務所であれば誰でも知っている。だが、飯田市は章設計に対してその契約上の常識をあてがわなくあった。なぜか? そこに理由も無ければいい訳もないのだが、しいて理由を挙げるとしたら、当初から契約解除に目的が有ったということになる。常識としてではない。法律上において契約解除などできることではないし、行政が進んで行うことでもない。契約解除にならぬよう、指導するのが行政の務めなのだ。それがいとも簡単に契約解除となるに、飯田市の行政は契約解除とならぬように努力したのではなく、契約解除するにはどうすればよいのかと、法律上ぎりぎりにの選択をしたのである。なぜ契約解除したのかより、どうすれば契約解除ができるのかと、その選択をしたのだ。行政が契約解除ができる方策を模索するとは、何とも呆れたことではあるが、佐藤健副市長が選択した契約解除であれば、そこに、章設計に対しての個人的な感情が有ったことになる。果たしてその個人的感情とは!?が、裁判の裏事情であったのだ。令和5年8月14日
契約書とは何だ
契約書とは、「契約が締結したことを示す文書」であるに、行政においての契約書は、行政発注業務上においてなくてはならない書面である。要するに、契約書は絶対的な書面であって、契約書が有る限り、契約内容に沿うのは双方の務めであるのだ。だが、一方で、双方の了解の元であれば、契約解除も出来るとされる。だからして、飯田市が章設計と契約解除をしたければ、契約解除したいと申し出ればよいことだ。だが、飯田市は契約解除の申し入れを行わなくあった。なぜか? それは契約解除の申し入れを行う理由が何もないからである。当たり前の話だ。契約するに、飯田市は入札を行って最低価格金額の業者と契約をするに、契約解除などの問題が行政側に起こるはずはないのだ。だからして、飯田市は章設計との契約を解除することは出来なかったのである。
排他的派閥
飯田高校を出たを自慢する薄ら馬鹿たちはおごりが強くある。それに、飯田市という小さな行政体に飯田高校出身が派閥をつくれば、あとは何をかいわんやである。その辺りの縦割りは見事なもので、上の指示に従うというより、下の考えを上が支持するという構図であろう。だからして、地域計画課の賄賂職員らは、入札前から決まっていた「鈴木設計落札・藤本設計下請け」を荒らした章設計を敵視し、あらゆる方法で嫌がらせをして、何とか契約解除に持ち込もうとした。それが「実施設計しか発注していない!」「実施設計が出来ないのですか!?」において、章設計を契約解除しようとしたのだ。この経過が事実なことに、一審においての争いは、「実施設計の発注である」「基本設計は飯田市で行った」「基本設計に従わなかった」が焦点とされ、「工期内に提出されなかった」を契約解除の理由として反論主張されたのであって、裁判官も、この三点に沿って判断され、工期内に提出されなかったを判決として取り上げたのである。令和5年8月16日
控訴の理由
裁判官の判決を受け入れられないと、それはごく簡単な内容で控訴するに、それは単なる控訴期限での間に合わせであることは、裁判を経験された方なら分かると思います。控訴するのは誰でもできるが、控訴訴状が取り上げられるとは限らない。「新たな証拠」の如何によっては、却下されることもある。要するに、一審で用いていない証拠が用意できるかできないかによって、決められるということだ。控訴訴状の提出は、判決日から15日以内とされているが、その訴状はしごく簡単な内容で済む。「一審の判決は到底受け入れられない」の一言でもよいのだ。そして、控訴訴状を提出した後の50日以内に、新たな証拠をつけて控訴理由書を提出することになるのだが、実際に、章設計の控訴訴状は15日以内の1月末ころ提出している。しかし、新たな証拠をつけて控訴理由書を提出したのは、6月の末である。そう、50日以内どころか、180日以内での提出で有るに、そこにどのような経過が有ったのか、また、50日以内がなぜ180いないでも公訴出来たのか?
飯田信用金庫との癒着
青南法律事務所(都内)の弁護士に依頼したのは平成31年4月であるが、それから判決に至るに丸4年もかかっている。たしかに下平弁護士の作戦か? 裁判が始まったばかしの令和2年6月頃は、被告飯田市側の不備で期日が進まなくあったのは、「飯田信用金庫上飯田支店の陳述書を提出します」との申し入れが下平弁護士からあったことによる。しかし、飯田信用金庫は陳述書の提出を拒否している。それも当然であることは、飯田信用金庫上飯田支店は、契約書の章設計の保証人であったからだ。章設計の保証人である飯田信用金庫に、どのような陳述書を出させようとしたかは、契約解除による「違約金の支払い」にあった。飯田市が章設計を契約解除するに、正式な契約解除理由は「契約不履行」であるに、ならば、契約不履行として違約金(95万円程度)の支払いがなされていないことにあった。契約解除から三年も経過するに違約金の支払いがなされてないことは、飯田市が違約金の請求を怠っていたからに過ぎない。行政であるに、違約金の支払い請求無しで三年も経過するに、飯田市の監査が通ることは無い。ならば、なぜ監査員は放置したのかと、議会は追求せざるを得ないと思われるが、議会もまた、それを追及していない。考えるに、章設計に請求を出さなくあったことは、即ち、監査にもあげていないのである。令和5年8月18日
監査員との癒着
飯田信用金庫の元役員が、飯田市の代表監査員であるに、そこに何があるのかは、想像に難くない。仮に、章設計の違約金未払いが監査に上がったとしても(上がっていない方がおかしい話)そこは目をつぶることであった。その前提には、「章設計が訴えることは絶対にない」との確信が佐藤健副市長にあったことで、だからして三年放置できればすべては収まると考えていたからだ。だが、章設計は提訴した。そこで慌てるは、違約金支払い請求が監査に上がっていないとなる。あわてて請求書を出したにしても、章設計は長寿支援課に返している。ならば三年間も放置していた理由は見当たらなく、やむに已まれぬ手段として、飯田信用金庫へは違約金の支払い請求を続けていいたとのストーリをつくり上げたのであるが、それを証明するに、飯田信用金庫の陳述書が必要になったということだ。何でもできる行政だが、さすがに金融法までは越権行為であったようだ。
遅延の理由
この様な下平弁護士の目論見が破綻するに、そこで半年は送れているが、それからの遅延はどうもこちらの弁護士に事情があったようだ。たしかにコロナに二度もかかり、そのほかの病気で二週間も入院すれば、それだけで期日は半年以上延びることになる。そこにおいて準備書面が滞れば原告としても言い訳は出来ない。コロナ後のズームによるテレビ裁判と違い、当時は電話による期日であったことで、何がどの様に滞っているのかは何も分からなくあった。そして一審の判決には丸三年かかったが、原告弁護士の体調は戻ることはなかった。何とか控訴が出来たと思っていたが、50日以内の控訴理由書の提出に打ち合わせが無く、不安に思う連絡も全くつかない状況であった。指折り数えれば、もう50日に二週間となく、電話やメールで日に何度も連絡したところ、驚く話に、まだ東京地方高等裁判所に訴状が届いていないというのだ。令和5年8月20日
飯田裁判所留まり
呆れた話であるが、控訴訴状は飯田裁判所で止まっていた。止まっていた? そう、止まっていたのだ。訳が分からない私は弁護士を責めた。「どういうことですか?」そう、誰でも考える疑問を口にした。「まだ、申請手数料を支払っていません」あっさりと、簡単明白な答えが返ってきたが、一瞬どころか、しばらく訳が分からなくあった。申請手数料を払っていない? それであれば控訴訴状は提出できるのか? ふたつきも経つに、まだ通用するのか? 様々な考えが頭に浮かぶが、全くに理解できなくあったが、「これから手数料を払います」と、これもあっさり言われてしまった。返す言葉もなく、ため息しか出なくあったが、落ち着いて考えれば、(なるようにして成る)であり、為せば成るとは全くに反対の状況であることに気づき、はたと我に返れば、焦りがあることでの啓示と感じた。
時間稼ぎ
控訴するに必要不可欠なものは、「新しい証拠」である。それが何かと分かっていたし、弁護士にも伝えていたが、十分な状況でないことに、それらの準備が整わなくあった。そこで、形式通りの控訴をすれば、訴状を受理されてからは50日しか時間は無い。だが、すでに50日に経過するに未だ訴状が受理されていなければ、これから先にまた50日があることになる。なるようにして成るでなく、なるべくして成るであれば、まさに天が時間を与えてくれたのだと勝手に解釈した。時間を買えるとの言葉は最大の褒美であって、これ以上の恵みは世の中にない。天が与えてくれた時間だとして、弁護士の不始末を好意的に受け止めていた。そしてその通り、与えてくれた時間は思いもよらぬ方向へと進んでいくのであった。令和5年8月22日
弁護士の限界
そしてまた50日が近づくに、やはり弁護士との連絡は途絶えたままであった。50日と50日では100日にもなるし、これではさすがの私も参っていたのだが、ようやくにして連絡が取れれば、いまだ体調が戻っていないという。そしてついに限界は「弁護を代わってください」と、冷たい言葉を投げかけていた。
弁護士の交代
これほどの事件は一人では無理かもしれないと、契約時に弁護士は口にしていたことで、弁護士の交代はそれほどのことではないと感じていたのだが、いざとなればそう簡単な事ではなく、弁護士側の環境に交代の難しさが有った。東京の弁護士の殆どがそうなんだろうか、弁護士の世界では当たり前のことなのか、個人弁護士と団体弁護士の差であるのかと言えば、やはり会社組織とは違い、基本的には個人の弁護士であったと言うことだ。青南法律事務所への依頼で有るに、契約においては個人弁護士との契約である。たしかにそれは、個人が弁護を受けたことだ。まったくに、青南法律事務所も会社形態であって、個人弁護士が7名ほど居るだけだ。そして弁護士を交代するのであれば、その内への移行となるのだと勝手に解釈していたが、やはりそこは複雑であって、そう簡単でないとされたのである。弁護士の交代はぎりぎりのこと、そして交代を受け入れた弁護士の高度は素早くて、まずは飯田裁判所へ弁護士交代の理由を通知されたのだ。そのためか、その時点でまた多くの時間稼ぎが出来たのである。
文句を言うは下平弁護士
土地返還請求(三筆の土地)の裁判期日後に、裁判官は「〇〇先生は病気ですか?」と、突然に話しかけられているが、そのあとに下平弁護士が私に近づき、「控訴されてから三か月も過ぎたことで、高裁へ出向く費用の請求が飯田市に出来なかった。大変な損害ですよ」と、訳の分からない愚痴を言われているが、流石に金勘定だけは大したものだと感心したのを覚えているが、それが年度替わりはおろか、控訴理由書を提出したのは6月の末である。令和5年8月24日
半年後の提訴
弁護士の交代から控訴理由書を提出するまでにも、やはり三か月が経過しているが、その三か月の時間稼ぎが出来たことで、新しい証拠が手に入ったのであった。こうなると、弁護士交代は思わぬ効果を得たことになり、最初の弁護士には申し訳ないが、病気になるは、なるようにして成ったというべきことなのかと、又も都合よく解釈している。そうして新しい証拠を手に入れるべきとしてお願いするは、やはり後退された弁護士に依頼するしかなくあった。
もう一つの壁
裁判に負けたのには、やはり負けた理由がある。その負けた理由の全てを覆さなければ、控訴では勝てないことは当然だ。はたして、なぜ負けたのかの理由は一体どのような理由であるのかと、それは判決文を読み取れば、ある程度は理解出来た。そこで、交代された弁護士が前弁護士からすべての裁判書類が引き渡されれば、少し時間をくださいとなった。その少しは少しでないことに、控訴理由書が間に合うのかと、またもや弁護士に振り回されることになったのだが、弁護士からはがっかりするようなひと言が寄せられた。「ちょっと難しいですね…」ちょっと難しい? なんのことかと思えば、控訴しても勝てないと言うことのようだ。控訴訴状を出すについてその様な事を弁護士から言われていないのは、「控訴は出来ますよ」のことは、控訴は誰でもできるとのことで、そこに勝ち負けの話は無いと言うことだ。その程度のことは私も分かっているが、控訴しても勝てないとのことは、弁護士の見立てであって、それも判決文から判断されたことでもある。しかし私がめげないのは、絶対的な証拠は何であるのかが見えていたことで、その絶対的な証拠が、当初の弁護士では手に入れることが出来なかったのが負けた原因であると、強く考えていたのである。令和5年8月26日
弁護士は誰でも同じ
当初の弁護士に交代のお願いをすれば、最終的に紹介されたのは、個人的な付き合いがある弁護士のようだ。大学の先輩後輩なのか? それとも…などは要らぬせんしょであるが、飯田の弁護士とかなり違って見えるのは、やはり金にならない裁判、行政相手の裁判は門前払いの弁護士との差であった。そして期待するのは新しい証拠であるは言うまでもないが、そのことをどうお願いするのかに迷っていた。
負けた理由
負けるわけがないと考えていた裁判に負けたのだから、負けるわけがないの詰めが甘かったのだと判断したが、負けるわけがないと考えていた理由があいまいになった。負けるわけがないと考えたのは何であったのか? そこに気づかなくして控訴に勝てないと、一つ一つ確認すれば、それは、「契約期間は拘束されていた」であり、それは設計図面で証明できると考えていたことにあった。地域計画課の木村理子係長は、「基本設計に従え」と言って、当社の提案を見向きもせずにいたことと、ボーリング調査を妨害したことで、設計図面が何もないと考えており、必然的に工期内では一枚の設計図面も提出されないと考えていたようで、「工期内に成果物の提出が無い」を契約解除の理由に出来たのだ。だからして、成果物の提出をしたことに慌て、裁判では「完成品ではない」と反論したのである。この反論において、「成果物は完成品でないが受け取っている」「受け取っていれば契約解除の理由にならない」と、考えていたのだ。それが負けたとなれば、「工期内に成果物の提出が無い」のを、裁判官が認めたということになる。ばらば、それを覆す新たな証拠が必要となることだが、その時点では皆目見当がつかなくあった。しかし、私はある種の予感を抱いており、その予感が的中すれば、工期内に成果物の提出が無いなどの理由はどうにでもなると思っていた。令和5年8月28日
争う場所
工期内に成果物の提出が無いなどが契約解除の理由になるならば、工期内に成果物の提出をすればよいことで、何よりも、工期内に成果物の提出が出来るのかと、そこを気にするのが発注者である。なんの話もなく成果物の提出が無いとしての契約解除は理由にならぬして、判決が「工期内に成果物の提出が無い」を理由とすれば、判決を出しやすい理由でしかない。設計業務の契約に限らず契約解除はつきものであるが、契約解除に至るには双方の納得でしかできないことだ。さて、それでも一審の判決理由に「工期内に成果物の提出が無い」が有るかぎり、そこにもまた新しい証拠が必要となるのだ。
熊谷議員の証言
一審における熊谷泰人議員の証人尋問が断られているに、そこに泰人自身の断り理由は関係なく熊谷泰人議員を証人にするに、原告章設計は何を求めていたのかは、「木下悦夫建設部長の話の内容証言」であった。熊谷泰人議員はこの話の内容を聞いていた市会議員である。ここに、章設計の元社長とかは何も関係は無いし、その話の内容を話せないと熊谷泰人議員は拒否したことではない。単純に、「俺は章設計側の人間だから証人になれない」と、勝手に解釈していただけである。勝手に解釈しせざるを得なくあったのは、振り上げた拳を自身で降ろしたことにあるが、そんなことも裁判では何も関係が無い。しかし、そこで熊谷泰人が証人として証言できなくあったことに、結果的ではあるが、相当なる新しい証拠の手掛かりとなった。相当なる新しい証拠とは、熊谷泰人議員が証言をする! である。木下悦夫が証人尋問を受けるに、原告弁護士からの「章設計では社長さんの他に誰か会いませんでしたか?」の質問に、「ええ、誰とも会っていません」と、少し間をおいて言っているが、そのことが嘘だとの話ではなく、熊谷泰人議員が証言するは、「木下悦夫建設部長の話の内容」であることだ。令和5年8月30日
新しい証拠
「工期内に成果物の提出が無い」が、契約解除の通知に記されていれば、工期内に成果物が届かなくあったことが契約解除の理由であるのは当然だが、その工期内がいつであるかに違いが出た。飯田市はあくまで「契約書に記してある平成29年1月27日までだ」とし、「契約解除の通知」は契約書に基づいているとした。しかし、木下悦夫建設部長が「設計期限はいつまででも良い」と、章設計に交渉したのが事実となれば、契約解除の通知は無効となる。ここが最大の駆け引きであるが、木下悦夫建設部長は章設計に来たことを否定できないからして、「何を話したか覚えていない」、「記憶にありません」と言っている。記憶にありませんでも通用するのが裁判だ。そして裁判官は「すでに退職しているから利害関係がない」とし、木下悦夫の証言を信用するとした。簡単に言えば、私の証言より木下悦夫の証言を取り上げたのである。なぜ私の証言を否定するに至るのかは、すでに飯田市勝訴と決めており、判決を出しやすいように木下悦夫の証言を採用しているからだ。
一つの敗訴原因
「木下悦夫の証言を採用する」これは大きなヒントになった。私は章設計の人間だから、利害関係にあるを取り上げたことになる。木下悦夫もまた職員の立場で有ったに、木下悦夫には利害関係がないという? 冗談ではない。木下悦夫はその後に副市長になっているから十分反論できると考えたが、控訴に盛り込むにはいささか薄い。ならばどうするか? 私の証言が信用できなければ、第三者の証言を用意すればよい。第三者が居るのかと言えば、熊谷泰人議員しかいない。それは、平成28年12月28日、木下悦男建設部長を章設計に向かい入れたのが熊谷泰人であるからだ。令和5年9月1日
熊谷泰人証言の現実性
熊谷泰人市会議員は、章設計と距離を置いたのではなく、私との距離を置いたのである。「飯田市の基本設計は藤本設計が書いている。談合でもめて、鈴木設計の下請けとして入札したようだ」との情報を私に伝えたのが熊谷泰人であり、それが議員らから四面楚歌の原因でもあった。そして「相当なる覚悟を持って官製談合を是正する」と、清水勇議員に放った言葉は、いつしか「木下建設部長の言うとおりにした方が良い」に変わっていた。そこに何があったのかと言えば、保身が生まれたのと覚悟が無くなっただけのことだ。当たり前のことだとするは世間の通りであって、私も異論はない。元々に、鈴木設計との官製談合を言い出したのが泰人であって、出来もしないことに走っただけのことだが、いただけないのは、捜査二課に呼ばれてからそのように変身したことだ。県警は泰人議員に証拠を求めたが、それは簡単な話し「設計料が3.5%に決められている」の事実を話せばよいことであったのだが、それが言えなかったことに、誰の密告かと、それが出回るのが分かっていたからだ。官製談合を是正するは議員の本望であるとしたのが泰人議員であって、それが密告に変われば非難に変わる。それが怖くて逃げだしたということだ。だからして私との距離を置いたのであるが、そこが元に戻るに何があったのか? そこはあえて言う必要もない。とにもかくにも、熊谷泰人議員は、議員として証言することを承諾したのであった。控訴するに足りないもの、それは熊谷泰人議員の証言である。何が重要なのかと言えば、熊谷泰人議員は平成28年12月28日、木下悦男建設部長を向かい入れ、そして木下悦男建設部長の話をつい立て一つ隔てた事務室で聞いていたとの事実である。この事実を熊谷泰人議員が証言するのであって、これもまた新たな証拠の一つとなるのである。令和5年9月3日
陳述書
控訴訴状の提出後、弁護士が病気になる、弁護士が交代すると、幾度となく困難が立ちはだかったが、結果的において、それらの困難がすべて良い方向へと導くのであった。何が一番かと言えば、初心に戻ることが出来たからで、判決文を読み直すほどに問題点が見えて来たことだ。問題点、それこそが敗訴の原因であるは言うまでもないが、その一つに、熊谷泰人議員の証言が有った。熊谷泰人との関係修復に時間がかかることはなく、もともとに兄弟関係にあれば、何をどうすればよいのかなどは言うまでも無いことで、すでに一審の途中において、証言の承諾を得ていたのである。ならば一審に間に合わせばよかったではないかとは、ごく当たり前の意見も有ろうが、それはそこ、病気の弁護士に伝えていても、もはや証人尋問に向かい組み立てる余裕が無かったのである。忘れていましたは弁解の言葉で、弁護士が口に出来ることではなく、「本当に証言できるのですか?」が言い訳の回答であっただけだ。しかしこれが正解となるは、木下悦夫から「誰とも会っていません」の証言を引き出したことにある。確かに裁判官は木下悦夫の証言を信用するとされた。だが、その証言に何であろうとも嘘が有ったとなれば、それだけで充分ではないか。それほどに熊谷泰人議員の証言が信用されることになる。
重大な事実
木下悦夫の証言で裁判官は何を信用したのかと言えば、「工期延長を認めていない」の一言である。「平成28年12月28日午前十二時少し前に章設計に行った」「鉄骨造を止めて木造にしてもらっても良い」「敷地を平らにしてもらっても良い」「既存擁壁を撤去して直用壁を設置しても良い」「基本設計料は支払います」「工期延長はいつまででもよい」「相向かいの居室だけは飯田荘の希望に沿ってください」などの発言を、「その様な事を話したかもしれないが…」と前置きして、「工期延長については、基本設計に沿って設計してくれればその様に市長に伝えると話したが、基本設計をやらせろと繰り返すばかしで交渉は決裂しました」と証言したのだ。令和5年9月5日
何を否定するのか
熊谷泰人はどのように証言すればよいのかは、木下悦夫の発言を否定することではない。ありのままを正確に証言すればよいのだ。それだけで充分なのは、一審の裁判官は木下悦夫が私に話した内容を事実とし、工期延長の話もしたのも認めた上で、「合意に至らなかった」との証言だけを採用したからだ。熊谷泰人が証言する中で、「合意に至らなかった」と伺える事実があるのか、それを今度は高裁の裁判官が確認することになる。だからして、熊谷泰人が木下悦夫と私との会話を衝立一つ隔てた事務室内で聞いたことだけを証言すればよいことで、何一つ否定することではない。
粛々と
熊谷泰人は議長になった。彼の性格からしてそこに意気込みは無いが、議長であることで為すべきことを成せる立場になったのは大きいことだ。「一般指名入札にせよ」と、章設計の訴訟後に地域計画課に強く働き掛けて、建設工事は指名競争入札から一般競争入札にすべて切り替わったが、肝心な設計業務入札は指名競争入札のままで、「飯田市には小さな設計事務所ばかしだ」が、その理由だという。一介の議員ではそれ以上の力が無いと嘆いていたが、地域計画課が設計事務所の入札を一般指名競争入札に切り替えない理由はそんな簡単な話しではない。ようするに、官製談合を認めることにその抵抗があるのだ。章設計がなぜ指名競争入札に指名されたのか? 章設計をなぜ契約解除にしたのかについて、裁判で争ってしまった。その裁判が行われている状況で一般競争入札に切り替えたならば、必然的に地域計画課の入札制度に問題が有ったとなり、裁判に大きく影響を及ぼすことで、入札制度をあらためることが出来なかったのだ。令和5年9月7日
被告弁護士のミス
市長選での訴えの一つに、「入札制度を改革する」を挙げていた。そしてそれは図らずも佐藤健市長が自ら改革した。なぜ入札制度の改革に手を付けたのだろうか? 市長選での私の公約であるに、正しい入札制度であるならば改革の必要は無いはずだ。それでも改革するは、すでに熊谷議員が声を大きくしていた「建設工事の入札は30年以上99パーセントを超えている」である。章設計への契約解除を不良行為としても、そこで声を挙げれば「章設計の人間だ!」の揶揄で元の木阿弥になる。しかし設計業界へのけん制としても飯田市の指名方法の不審に手を付けなければ改革などできはしない。そして議会で取り上げたのは、単純に、「入札制度について県に指導願う」であった。この方法であれば、綿半族議員も反対できぬとなるし、佐藤市長へも大きな牽制球となるのだ。
大きな一歩
そしてそれは実行された。「建設工事の落札比率」を例に挙げれば、市民はこぞって応援するが、それでもやはりそれらの経過を記事とする報道機関は一社も無かった。この辺りも飯田市行政と報道機関の関係性にある。渡れぬ川が有るのか、島流しの地区なのか、とにかく気骨が感じられなく、しっかり蓋がかぶせられているようだ。まあ、それでも大きな改革がなされたのは事実であって、そこまで持ち込めたのは熊谷泰人議員の力が大きくあった。同調する議員が数名いたことも助けであっただろうし、伊坪議員を議長にさせたのも大きくある。新井信一郎が万が一にも議長であれば、…その先は察して余りある。ここで談合が無くなるとの話ではないが、少なくとも官製談合につながる飯田市行政が建設工事の入札への関与は無くなったのである。それでも建設業界の談合は続いているようだが、その談合は必要悪でも不正でも何でもない。飯田市行政ができなくあった平等性を、業界が自ら実践していることなのだ。令和5年9月9日
裁判の目的
章設計は一方的に、それもだまされて契約解除された。「地域計画課は解体する」「入札制度も改める」この二つの言葉は、木下悦夫建設部長が平成28年12月の初めに章設計に来て始めて話しているが、平成28年12月28日にも全くに同じ言葉を発している。この事実を木下悦夫の証人尋問のときに質問しなかったのは、今回の裁判に関係ないことであるからだが、実は、私にとってはとても重要な事なのだ。だからして執拗にというよりか、令和2年4月5日に青南法律事務所の弁護士に依頼するに、真っ先にこのことをお願いしている。「飯田市地域計画課と飯伊建築設計監理協会の官製談合を暴きたい」とね。だが、弁護士は冷たくに、「この裁判と何の関係が有るのですか?」とあっさり聞かれるに、「状況証拠としてですが…」が、精いっぱいの返答であった。しかし、元々にふってわいた飯田荘の設計で有るに、ここで官製談合を暴きたいと思うに、どうしても譲れない事でもあった。どうしよう、民事において刑事犯罪の証拠をつくるにはどうすればよいか。二課の刑事は「設計料が3.5%であると証明できれば良い」として、熊谷泰人議員の証言に期待したが、議員であるから裏腹の黙秘になっている。議員が言えない設計料3.5%では、談合をしない章設計が証明することは出来ない。ならば、設計料が3.5%であるとの証拠は有っても無いとなる。
新たな証拠
そこで考えるに、官製談合の証拠を私が手に入れるにはどうすればよいのかであるが、同時に、何が官製談合の証拠となりえるのかが、正直分らなくあった。確かに手探りではあるが、なんとなく見えていたのが、木下悦夫建設部長の開口一番、「地域計画課は解体する」「入札制度も改める」この二つの言葉であった。木下悦夫が官製談合を認識しているのは熊谷泰人議員から聞かされたことで、彼は彼なりに調べたはずだ。そこで行きついた明らかな状況は、章設計が1/3の価格で落札したことにあった。確信した木下悦夫建設部長は、佐藤健副市長に内々に報告したことであるが、それを確信したのが、要望書による二度目の話し合いである。一度目の話し合いを拒否したのは原章長寿支援課長であって、二度目が開かれるなど夢にも思わなかったはずだ。しかし話し合いに至ったのは、官製談合を佐藤副市長が認識したに他ならない。令和5年9月11日
特命係
木下悦夫建設部長は佐藤健副市長から秘密時な指示を受けていた。それは、長寿支援課と地域計画課の関係性であるし、長寿支援課長であった中村重信飯田荘所長の動きであった。なぜ中村重信飯田荘所長に目を向けたのかは、すでに藤本設計を地域計画課に紹介したのが中村重信飯田荘所長だと判明していたからで、そもそもこの事実が官製談合になるのだが、熊谷泰人議員が注進した「綿半と地域計画課と飯伊設計監理協会との三つ巴の関係性」を端的にあらわしていたからだ。
官製談合の是正
少なくとも、木下悦夫は章設計が1/3の安価で落札したわけを熊谷泰人議員から聞いていた。私が何を望んでいるのかを理解したのだろうか、とにもかくにも私に会いに来た開口一番は「誰が書いたのか平井に聞いても何も話さない」「飯田荘の所長にあったがすでに手が回っている」である。今さらに振り返れば、確かに木下悦夫は佐藤副市長の指示で動いていた。では、結果的に章設計を契約解除するとの考えに至るに、佐藤副市長の決断はいったいどこにあったのだろうか? 章設計のためで有れば契約解除などの手段はとるはずもなく、大義としてもあり得ないこと、ならば、章設計を契約解除するとの考えは、中村重信飯田荘所長を、木村理子と平井隆志職員を、そして原章長寿支援課長を、ついでに寺澤保義健康福祉部長を守るための切り札であったことになる。ようするに、官製談合が表に出るのを防いだ結果なのだ。何のことは無い。木下悦夫は最初から隠蔽工作に走っていたのだ。「こんな交渉をするな!」「必ず表に出る」「その時、熊谷泰人議員をお前は守れるか!?」と叱りつけたのは、既にそんな予感が私に働いていたのだろう。飯田市を相手に裁判するに、設計料などが目的であれば、それは私の本分ではない。官製談合を是正するとの強い思いは、昭和の時代から続いているのだ。令和5年9月13日
官製談合の証明
章設計の提案は何でも聞くと、木下悦男建設部長は私に言った。そして、基本設計料も支払うと、工期はいつまででも良いと、これもとんでもない条件迄示された。木下悦夫建設部長が何故この様な条件を章設計に提示したのかと言えば、官製談合を表に出してもらいたくないからだ。木下悦夫が章設計にこの様な条件を出したことを否定していないのは熊谷泰人議員の同室にあるのだが、この際それはどうでもよいことだ。私は木下悦夫の条件を一蹴したのは熊谷泰人議員を守るとの考えに有ったが、その様な考えに至るのは、熊谷泰人議員が官製談合を是正しようと動き回っていたからである。たしかに、熊谷泰人を議員に送り込むに、私はそれを期待したし、泰人も一期目では難しいと言ってもいたが、早くもそのチャンスが訪れたのが飯田荘の設計入札にあったのだ。
裁判の目的
行政を相手に勝ってこないは世間の常識であるし、実際に行政を相手では勝つことは無い。行政が負けるとなれば和解に持ち込まれるし、負けたとなっても最高裁まで行かねばならぬが行政である。そこまでやるのかに、損害賠償請求事件では確かに困難だ。法律を守らせるのが行政である限り、どのような法律に手委縮したにしても行政は常に逃げ道がある。だからして、無意味な裁判だと弁護士はしり込みするのか、または、負けると分かっていての仕事であることだ。だが章設計は訴えた。そこに何が目的なのかは、官製談合の是正しかない。県警に告発するに、どのような証拠も常に状況証拠であって確定できる者は何も無かった。県警が要求するは熊谷泰人議員の証言であることに、すでに証拠の無さに気づかされていた。ならばどうするのか、それは、新たな証拠を確定するしかないのである。令和5年4月15日
最高裁までの道のり
一審で章設計は負けた。だからして控訴したが、控訴には新たな証拠を必要とする。その新たな証拠が何を生み出すかは、期待するは官製談合の証拠である。しかし、民事裁判で官製談合の証拠など何も関係がなく、また、民事で官製談合の証拠が出来るなら、とっくに県警が逮捕に走っていることだ。確かに何を言っているのだと自分でも説明できないが、そもそも、飯田市を相手に契約解除を無効として訴えるに、いったい何を目的としていたのかである。どの弁護士も逃げ腰なのは勝てないばかしではなく、行政に向かう不利さを承知していることで、それでも引き受けてくれた青南法律事務所の弁護士も、訴えることは出来ますよであって、勝てるなどは一度も言っていない。商売として引き受けたとして不満はなく、訴えることに意味を見出しただけである。それでも何を見ていたのかははっきりしており、そこに向かって三年の歳月をかけた。
行政にかかる犯罪
佐藤健副市長が章設計を契約解除したのは、やむを得ぬ事情からということだろう。木下悦夫建設部長が章設計と交渉したのは最後の手段であって、そこで私が受け入れなくあったのは、「官製談合に蓋をするな」である。だからして木下悦男建設部長はにべもなく役目を終えた。要するに、官製談合を表に出すと私は宣言したことになるのだ。ここで設計料が欲しくあれば、私は言いなりになって、それでもまた私の考え通りの飯田荘が出来たことだ。これを世間では馬鹿と言うのであるが、そんなバカが設計料が欲しくて裁判にかけると思われますか? なぜ裁判にかけたのか、そして控訴まで及ぶ目的がどこにあったのかは、やはり官製談合を表に出す準備以外にない。行政にかかる大変な犯罪である官製談合を表に出すこと、順番からしてまずは県警に告発したのである。令和5年9月17日
警察の次
県警はたしかに捜査に動くに、そこで止まるのは県警の都合であって、それ以上の期待が出来なければ、その次に出来ることは裁判である。刑事訴訟法で告発し、民法において事実確認をするのは証拠を固めるためでもあるが、書面として残すことに意味がある。民事での敗訴は損害賠償が認められないだけであって、事実がゆがめられることではない。また、官製談合にかかる証拠が出なくあったにしても逮捕が目的でないからして大したことでもない。確かに逮捕が有れば解決は早いが、行政の混乱は多くの負をもたらすことでもある。県警からしても本気で取り組めば、「3.5%の設計料」を確定するはたやすいことだが、そこまでしないのは、あまりに影響が大きいを危惧してのことだ。17年前の捜査二課班長黒澤刑事の言葉、「官製談合でやるより贈収賄でやりたい」を思い起こす。
約束
佐藤健副市長は章設計に約束をした。何を約束したのかは「指名競争入札を止めて一般競争入札にします」「地域計画課を解体します」この二つである。早く言えば、この二つを守らないから訴えたのだ。地域計画課の解体などあって無い話であって、そんな空約束を騒いでいるのではない。30年も40年も願ってきた「一般競争入札の実施」これだけが章設計の、私の唯一の願いである。この願いを叶えると佐藤健副市長は三度も約束したが、一度も守らなかったのだ。この約束を守らせるためにはどうすればよいのか!?否応なしに守らせるに、あらゆる法律に基づかなければそれは達成できないことで、それはまだ継続中なのである。確かに建設業界は指名競争入札から一般競争入札に切り替わるに、市長選への立候補で「落札比率が99%以上だ!」と声を挙げたことにあるが、そこには議会からの進言を取り上げた形としてすでに是正された。しかし、設計業務委託は「指名競争入札を続ける」として、議会からの進言を拒んだという。令和5年9月19日
順番に正確に
権力者に向かい「約束を守れ」と訴えるに、相当な手段が必要であるは言うまでもないし、今までに私のような手段を用いて行政の不正に立ち向かった者はいるのであろうか? 弁護士でも言うは「裁判を利用している」であるが、司法と行政の分立であれば、全くに弁護士の言葉は当てはまらない。裁判は利用するものであって、裁判に正当性を求めるなどは弁護士自身が一番分かっているのではないか。
ほとぼり
裁判に負けるに、なぜ控訴してまで裁判を続けるのかは、契約解除で片付けられないためである。佐藤健副市長は副市長の立場で、なぜ章設計を契約解除しなければならなかったのかは、官製談合の露呈を避けるためである。市長でないのに市長権限を行ったことは、相当に牧野光朗市長の不信を買ったことだ。それが原因で副市長の座を追い出されたとまでは言わないが、かぶちゃん農園にかかる不信は相当であるに加え、官製談合の扱いを独断で行ったとなれば、もはや不信などのレベルではない。相当な怒りを覚えたはずだ。もし、あなたが牧野市長であれば、冷静に考えなくても理解できるのではないか。この様な佐藤健が市長になるに、そして建築設計業界だけが指名競争入札が残されるに、この政治不信を払拭しなくて何の戦いであるのか。一般競争入札に変わるまで、章設計の戦いは続くのであって、だからしての控訴であるに、時間がかかるのではなく、長い時間をかけるのは、ほとぼりの冷めないうちにとの考えであるからだ。令和5年9月21日
一審の判決
ここで一審の判決文を掲載するが、一審の裁判においてどのような事実関係が立証されたのか、そして敗訴するに、どのような理由であったのかを読み取っていただきたい。判決 クリックしてご覧ください。
敗訴理由は4つ
敗訴の理由は、3ページに有る「3 争点(1)(2)(3)(4)」のいずれにも原告に非が有ったと判断されたことによる。では、実際のところはどうであったのかは、今までにブログに書き出していたとおりであって、それが裁判官に通用しなくあったと言うことだ。この4つの争点にどちらの証拠が有効であったのかは言うまでもなく、片や飯田市は全ての証拠が「行政書類」と言う強みである。どんなに不十分でも、また偽装捏造されていたにせよ、行政書類さえあれば、裁判官はそれを正しいと判断するのだ。裁判官は機械だからとするは慰めにもならないが、(1)の「基本設計の委託」が拒否されたなら、(2)~(4)は、ただの付けたし理由である。令和5年9月23日
控訴に向けて
(1)「原告が実施設計業務のみならず基本設計も委託されたかどうか」これがこの裁判の原点である。この答えは簡単だ。契約書では「実施設計」と記されていますので、契約書による基本設計の委託はされていない。だからして争いになるに、「委託されたのかどうか?」には、互いの証拠が必要となるのだ。委託されていないければ裁判が起こせないのだが、では、委託していないとする飯田市の主張がどこにあるのか? は、「基本設計は飯田市で行っている」「基本設計図書は入札資料だ」であった。この反論に対して「入札資料は基本設計図書ではない」と再反論すれば、そこに裁判官の判断は無かった。ようするに、裁判官とすれば、基本設計図書の有無は契約に関わらないとされたのだ。いわゆる、「設計」と言う特殊な業務形態が理解されないのか、そこまで踏み込む必要が無いのかのどちらかであると言うことだ。ならば、設計と言う特殊な業務をしっかり説明すればよいのではないかと思われますが、それには第三者(設計技術者)の意見書が必要となる。「実施設計の前に基本設計が必要」この基本的な常識は、建築士法と言う法律の中でのことであって、それが民法で争うに、さして影響しない法律を持ち出しても意味が無いとの見解は弁護士にあった。
基本設計とは何か
「入札資料は基本設計図書ではない」これは紛れもない事実であるに、また、飯田市に限らずどの自治体であっても、入札資料を基本設計図とは言えないことだ。だからして、飯田市もまた、「基本設計に係る設計図面と測量データーは契約後に提供する」(入札資料)とされていることで、基本設計が実施設計の前に行われることだを事実とされている。飯田市は、単に、入札資料を実施設計だと主張しているだけのことである。ならば、飯田市が言うところの基本設計図はどの設計図であって、それを基本設計だとされるのであれば、その基本設計通り設計できることになるはずだ。令和5年9月25日
実施設計とは何か
「実施設計しか発注していない」これは確かなことであるからして、また、飯田市が入札資料を基本設計だとしていれば、飯田市が言うところの基本設計通りに実施設計が出来るのかどうかが次の焦点となっている。しかし、入札資料が基本設計だとは、どのような根拠であっても成り立たないことで、基本設計が存在していないのは周知の事実となった。そこで問題は元に戻るのであるが、基本設計無しで実施設計が出来るのか? につて、ここの法律的解釈が無いことにあった。設計業界から言わせれば、「基本設計」「実施設計」「監理」の三つが資格ある建築士の生業とされるに、この一つだけでも契約事項として実施出来るからで、三つが三つとも一人の設計士が行うことでもない。この様に判断されれば、たしかに「実施設計だけを発注している」が正当だとされてしまう。裁判官の第一の焦点、「基本設計も委託されたのか?」は、完全に飯田市の主張が通ることになる。
実施設計が出来るのか?
では、飯田市が言うところの基本設計において「実施設計が基本設計の通りできるのか?」が次の焦点になるのだが、それは当然できないからこそ「基本設計ではない」と反論したのだ。基本設計とは、その設計のままに実施設計できることであり、変更する必要も無いことだが、基本設計より、より良い提案が有れば、それを変更し、尚且つ、変更にかかる費用(設計費)も支払えるとのことは契約書に記されている。だからして、まずは「基本設計から始める必要が有ります」と提唱し、入札資料である基本設計の不備を指摘したのであるが、これを飯田市は拒否している。そして重大なことに、一審の裁判では、この「基本設計の不備」が何も判断材料になっていないのである。(基本設計の不備が取り沙汰されないのは損害賠償事件(民法)においての争いであるからです。)令和5年9月27日
履行期間の延長
「木下部長の承諾により、履行期間が延長されたかどうか」これが争点2であるが、既に「木下部長の承諾により…」とされ、承諾の有無が争点とされている。そこのところが章設計の敗訴として進められる「基本設計の委託は無い」をもとに「承諾は無かった」と論決の筋書きだと原告弁護士は言うのであった。この裁判は章設計の負けだと、負けにするにはあらすじが必要であって、まずは事実を確認するところから始めるのだ。木下部長が章設計に行ったのは否定できない事実であって、それに理由があるとするのは三度目の来訪だけだというのだ。たしかに、一度目も二度目も「地域計画課は解体する」「入札制度を改める」とだけ言っているが、それは実施設計にも基本設計にも、そして損害賠償請求にも何も関係はない。それが機械が判断できることだとすれば、最初に「基本設計を依頼した事実はない」と、インプットさせれば、あとはナビ案内で目的地に向かうだけなのだ。
履行期間の延長
木下部長はどのような話で章設計に出向いたかについては、私のこのブログを参考にしたようだ。だからして、話した内容を否定できなく、話したけど物別れに終わったのだと、そのような展開に持ち込んでいる。その話で焦点となるのは「木造にしてもらっても良い」「既存擁壁を壊して直擁壁にしてください」「敷地を平滑にしてください」「基本設計料も支払う」との、契約上に関わる重要な案件を口にしたことは認め、たんに、「工期延長は合意していない」と、「工期はいつまででも良い」との話を否定せずして合意していないとの論法に出たのだ。話したけど合意はしていない。それにはどちらも証拠は無いが、唯一、熊谷泰人議員の証言がないことで、逃げ切れると考えたようだ。確かにその論法が成功したのは、やはり熊谷泰人議員の証言が無かったことによる。令和5年9月29日
木下部長は信用ある
工期延長の合意は無かったとの裁判官の結論は、「木下部長の証言は信用できる」であった。言い換えれば、私の証言は信用にあたらないということになる。裁判官の前で宣誓するのは、嘘偽りの発言をしないということだが、嘘をついた木下悦夫の証言を信用できるとは、まさに司法は行政側にあることだ。まあ、行政に間違いが有るとするには相当なる証拠が必要であるからして、そこを嘆いてもどうしようもないが。しかし、敗訴の一つとして木下悦夫の証言を信用できるとするは、ここに一つの要因があることで、木下悦夫の証言は信用できないとする証拠が有れば十分に控訴出来るとなるはずだ。其れには当然とした熊谷泰人の証言が必要であって、それを泰人が承知するかどうかであるが、証言できないとする理由は泰人には無いことで、今更に、木下悦夫との付き合いも何もないことだ。何よりも、「熊谷泰人議員をお前は守れるのか!?」が、木下悦夫の交渉を追い返した原因であるし、飯田荘の設計うんぬんよりも、泰人を官製談合に巻き込みたくなかったからだ。そのことを泰人は議員の立場で反対に走ったのは、飯田市の言うことを聞いた方が仕事になるのでは? との考えであって、その感情のもつれが泰人を遠くに置いたのである。しかし今、泰人は議長になって議員としての立場が全くに変わり、四面楚歌の筆頭であった清水勇議員とは完全にたもとを分けている。もはや飯田市議会は清廉な状況で有るとして構わないが、今回の裁判が今一度波風を立てることに、そうは遠くない。令和5年10月1日
争点三番目
設計図面が飯田市の要求に沿っていたのか? このことが三番目の争点とされた。これについては設計者と発注者の間で明確な取り決めはないが、分かりやすく言えば、発注者の要求通りの設計図面であるのかどうか? なのだ。なぜこのようなことが争点になるのかが不思議であるのは、発注者は当該計画物の設計を依頼しているのであることだ。設計とは国家資格があるもので、関連する法律に基づかなくてはならなく、十分に発注者の要望に応える中で、より良い建築物を設計することが業務である。だからして当然に、飯田市の要求に沿った設計が成されていることになるのだが。しかし、ここが争点であるとされたのには理由がある。それは、完了検査を行って「飯田市の要求した設計図ではない」が不合格の理由であったからだ。飯田市の要求に沿っていない? 漠然とした話であるに、では、どの部分が要求に沿っていなかったのであるのか?
意匠と構造
設計は意匠と構造と設備の三つに分かれているが、夫々に建築基準法を適用しなければならない。意匠とは、建築物の見た目のことである。どのような間取りにするのか、どのようなデザインにするのかは、建築物にとっては最も重要な要点であるに、やはりそこにも建築基準法を順守する業務も含まれている。いわゆる、間取りもデザインにも、法律が適用されるということだ。だからして、そこに施主の好き嫌いが出てもやむを得ないが、それが建築基準法を順守する上での設計であれば、発注者は単に、デザインの好き嫌いである。だからしてデザインは基本設計で決定することであって、その基本設計がなされていなければ、実施設計は出来ないとなるのだが。飯田市は基本設計を行っていないのは認めざるを得ないが、そこに踏み込めば不利になるとして「要望に沿っていない」を前面とされた。しかし、間取りとデザインは好みであって、気に入らないが理由では契約解除の理由にならないのでは…。令和5年10月3日
完成していない
争点3については明確な判断が出来ないと考えており、正直あまり不利とは考えていなかった。しかし、ここが敗訴の原因であったことに、正直驚いたのである。「飯田市が要求した平面計画図に沿っていない」この言葉を木下悦夫から引き出したのは裁判官である。「完了検査不合格の理由として挙げている『市の意向に沿っていない』とは、具体的にどの図面を指すのですか?」と、裁判官は木下悦夫に質問したのだが、「裁判官があのような質問をすることは無い」と驚いたのが原告弁護士である。いわゆる、誘導尋問と同じであって、「原告の請求を棄却する原因として『発注者の要求した設計ではない』を理由にしたいが、要求に沿っていない設計図面はどれですか?」と聞いたことになる。たしかに、この様な質問を裁判官がすることは普通ないが、考えられるとすれば、民法での争いであって、契約事項の基本は『実施設計』だけの発注であるのだ。だからして「基本設計は発注していない」の前置きが必要であって、基本設計は入札に用いた設計図面だと、それが建築基準法に沿っていなくとも、または不備があったにしても、飯田市の要求に応えていないのは章設計ではないのか、ということになる。
とどめの一発
もうここまでで勝負は決まってしまった。そして争点四に移るのだが、それはただの付けたしである。「契約工期内に成果物の提出がない」実際に工期内に提出しなかったのだから、それも確かな事実になってしまう。木下悦夫が「工期はいつまででもよい」と言ったのを証人尋問で否定すれば、確かな証拠はすでにない。この前に熊谷泰人の証言が有ったのであれば、木下悦夫は嘘を言えないことで、章設計に来て交渉したのを認めざるを得ないが、泰人の証言が無いとなれば、私の証言など吹っ飛ぶことだ。令和5年10月5日
高裁への準備
設計業界で一番問われていることは「建築士は清潔高貴であらねばならない」である。なぜかは今更の話であるが、この清潔高貴を公務員に求められないのは、公務員は公務を行うだけであるからだ。公務を行うに、そこに嘘は必要ないことで、裁判官はそのように判断するものなのだろう。設計業界と公務員の戦いにあると私は考えている。だが、判決は「原告の訴えを棄却する」で、簡単に言えば、設計業界が負けたのだ。まあ、飯田市については、設計業界も公務員も同じ穴の狢であるから比べることでもない。
原告が負けるとのことは「訴えることが出来ますよ」の、弁護士の話しはいったいなんであったのか? 訴えることが出来るは、勝てるということではないのか? そのように考えるは、敗訴しての悔し紛れではなく、冷静に、なぜ負けたのだろうか? 負けた原因は何であったのか? に、答えがあると考えられるからで、そのように考えれば、「飯田市の要望に沿っていないとは?」に気づいたということだ。訴えることが出来ますよは、法律的な解釈であって、勝ち負けの判断でないことになる。判決は勝ち負けのどちらかしかなく、勝っても負けても理由がある。その理由が何かと分からなければ、次に進むことが出来ないのだ。完全に負けたと納得すれば、それは判決に従うことだが、なぜかそのような考えに至らないのは、私の悪い癖なのであろうか。
控訴
判決文を読み直しても、どうしても負けた気にならないのは、なぜ負けたのかが分からないからだ。負けた気にならないのは、やはり4つの争点である。この4つの争点すべてに負けるとした理由が私に無いのだから仕方がない。そして4つの争点すべてに再反論できるのかと考えれば、それは難なく見えていた。4つがすべてではない。最初の一つに確かな反論が出来れば、それは十分に次へと進めることが出来ると、判決文を読み直すたびに強く思えたのである。令和5年10月7日
新しい証拠
少なくとも、控訴するには新しい証拠が必要とされる。新しい証拠が無ければ控訴は受け付けられないという。新しい証拠とは何かといえば、一審において使われていない証拠と言うことだ。それが何に当るのかは、やはり一番に思いつくは木下悦夫の証言にある「章設計では熊谷建築士以外誰にも会っていません」との嘘を暴ける熊谷泰人議員の証言である。この証言をどのような形で新しい証拠とするには、それは対して困難でないことに、すでに泰人は元の状態に戻っていたことにある。泰人とて、何も最初の証言を拒んだわけではないと、俺は章設計の人間だから証言しても取り上げられないのではないのかというところであって、証言自体を拒んだわけではなかった。だからして代わった弁護士から「陳述書を書いてくれませんか」の依頼であれば、分かりましたと躊躇なく応じたのだ。
さて、これで控訴が出来る状況となったのであるが、熊谷泰人議員の陳述書だけで裁判が持つのかと言えばそれはあり得ない。泰人の陳述書は木下悦夫の嘘を暴けるほどの内容を持つわけではなく、「木下悦夫は私が案内した」「木下悦夫の話は聞いていた」であって、木下悦夫が工期延長を認めたとは言えないのである。もっとも、工期延長の合意があったかもしれないと、あいまいな判断になろうとも、まして合意が認められる状況になったとしても、それは争点2だけのことである。本質的な証拠が無ければ、やはり訴えることが出来たとして、勝てることでは無い。ならば絶対的な証拠が必要となるのだが、そこを見出していなければ、私は控訴など考えもしなかった。なぜ負けたのかの原因が分かったとでも言おうか、やはり、設計とは何なのかを裁判官に分からせなくして、この勝負は望めないのである。そこで考えていたことは、初めからお願いしていた第三者の設計士である。令和5年10月9日
これほどの適任者
変わった弁護士にいの一番にお願いしていたことは、「都内で法律に強い建築設計士を探してください」である。その様な知り合いはいないとの返事は前の弁護士と同じ出あったが、建築士法的に裁判に係る建築士は居るはずですので、その方面から探してくれませんかとお願いした。そしてそのお願いに応えてくれたのは、これ以上の適任者はいないであろうと言うほどの人物であった。では、ここでその人物の略歴を紹介します。
建築検査学者
東北大学院工学研究科博士(工学)資格:一級建築士・性能評価員・建築物調査員・CASBEE建築評価員・免震部建築施工管理技術者・免震建物点検技術者・既存住宅状況調査技術者・既存住宅状況調査技術者
おどろくほどの資格を持ち、そして博士であった。その上に、「建築法令・検査に関するセミナー」「国交省建築学会委員会等多数」の講演を行っており、建築に係る裁判も多く手掛けていた。もはやこれ以上の人物はいないと、強く安心したものである。そして早速に博士とコンタクトを取れば、冷静であるが、対応は冷たく感じたのである。言葉使いや声のトーンにおいての感じだが、冷静であるは冷たく静かであると言うことで、博士ならさもあらぬと、妙に緊張が走った。電話口のせいであろうか、「判決文を見なければ何も分からないので、まずは判決文を送付してください」と、最初はそれだけで終わってしまった。判決文はそのあとすぐに弁護士から送られたようだが、そこで少し間が空いたのは、博士の都合であった。令和5年10月11日
新しい証拠2通目
熊谷泰人の証言と博士の意見書の二つの新しい証拠が揃えば、はたして他に何が必要か!?ではないか。そうして一審の判決を読み返せば、そこには「平面計画図に沿っていない」が見えてきた。そう、弁護士がいぶかった裁判官の質問である。「市の意向に沿っていないとする図面はどの図面のことですか?」に続いて「№5の平面計画図でよろしいですか?」である。これはまるで誘導尋問であって、この質問で章設計は負けると弁護士は判断したことだ。その一番の理由であると思われることに、どのような証拠が必要なのかは見えてなく、漠然とした思いだけが残っていた。そして少しの不安を残しながら、博士の意見書は準備されたのであるが、その始まりに、「建築確認申請は章設計の委託業務として請負契約に含まれていますか?」の質問に、すでにその時博士は何を言いたいのかが見て取れたのだ。そう、建築確認業務が含まれていれば、建築確認の申請許可がおりるまで契約は終了しないと判断される。その時はそう考えたのだが、博士の考えは少し違ったところに在って、建築確認申請が行える基本設計図書が飯田市に揃っていたのか? に疑問を持ったようである。それもそのはずで、基本設計とは、そのままの設計図面で建築確認申請が行える設計であることに、鉄骨造では倒壊する恐れがあるとか、鉄骨造では敷地からはみ出すとかはあり得ないのである。もはやその指摘だけで充分であると思われるが、さすがに博士は見解と根拠が違うことで、それも理に適う意見書でなければとしてまとめられたが、その意見書を見れば、誰でも章設計が勝つのではと思うほどの内容であった。まだその意見書を公開できないが、泰人にその意見書を見せたところ、すすんで陳述書を書いたほどである。令和5年10月13日
迫る控訴準備書面
正直な話、私はその意見書を見て舞い上がってしまった。そう、喜び勇んで先が見えなくなったのだ。そして何度も読み返すごとに湧き上がる感情は、これは勝ってしまうかもしれないという、まさに青天の霹靂であった。どうしよう、そう、そうなったらどうしようかと、既に捕らぬ狸の皮算用をしたのである。我ながらお粗末だが、それほどの意見書であることに、何がそこまでの判断になったのかと言えば、「誰が書いたのか分からぬ設計図面に建築基準法にかかる瑕疵が有れば確認申請は行えない」との書き出しである。飯田荘の実施設計請負業務契約に確認申請業務が含まれていれば、建築基準法を順守して長野県に建築認申請を行って建築許可を受けるのは章設計であるに、仮に基本設計図面だとしても、設計図面には管理建築事務所の許可番号や1級建築士の登録番号や署名押印がなければならないが、飯田市から提供されている基本設計図書と言われる図面には、それらの明記が何もないと指摘したのである。まさに、私が一番主張したかった、「入札資料に持ち入れられたのは基本計画図面であって基本設計図書ではありません」「よってこの基本計画図のレイアウトを変更しなければ建築が出来ません」を、博士が懇切丁寧に意見書としてまとめてくれたのだ。この意見書に根拠を持って反論できる者は市には誰もいない。まして下平弁護士は建築課でもないし、木村理子が建築士の資格があるにしても公務員であって、まさに官製談合に深く関与している身であれば、何も言えないことだ。まあ、当たり前の話であるからして、計画図面に木村理子の名前は能勢頼のである。
このように、根本的なところが切り崩されれば、飯田市が法律的根拠を持って反論できるところはないと思ったが、それでも控訴であれば、新たな舞台が始まるものと、その時はそう考えていた。令和5年10月15日
見落とし
今なら冷静に考えられるが、一度舞い上がった感情はいかにもしがたく、一つの重大な反論を忘れさせてしまっていた。そう、建築士の義務である。『なぜ管理建築士なのか』、『なぜ1級建築士なのか』、『なぜ建築確認申請業務を行うのか』この三つの主張を忘れたいたのだ。一審での判決の一番は、『平面計画図に沿っていない』であった。それに対して博士は「建築確認申請業務を請け負っていますか?」と聞いてきた。そこで気づかなくてはいけなかったのは、『建築確認申請業務は建築士の業務』であることだ。ならば、その建築士の業務を行うに、瑕疵がどちらに有ったのかを主張することである。博士は、「署名捺印が無い設計図面は基本設計図ではない」との証明をしてくれたが、基本設計図面とは、その図面だけを持って建築確認申請業務が出来ると言うことだ。なのに、その図面が基本設計図面ではないとされるに、その図面では確認申請業務が行えないと、そこだけを考えていたことに気づいていたのに、肝心な役目を忘れていたのだ。肝心な役目とは、『建築確認申請を行うには確認申請の許可を受けるという義務がある』その義務の遂行が出来なくあったことを、一度も主張していない。これでは、民法だけで裁かれることに、それ以外の手段を忘れていたことになる。民法は一つの法律であって、建築士法も建築基準峰も一つの法律であるのだ。契約事項は確かに民法だが、民法で争えば『飯田市の意向に沿っていない』は、被告に有利な主張になるは当たりまえ。そこの解釈には建築士法も建築基準法も存在していない。この二つの法律で一度も争っていないのだ。令和5年10月17日
手遅れ
勝つかもしれないと思ったのは、確かに博士の意見書にあった。それが確信に変わっていくのだが、さもありなんを感じ取っていただきたい。そこで、博士の意見書を公開します。意見書 (2) クリックしてご覧ください。この意見書を読めば、勝つかもしれないは大きな期待となった。そして、いよいよ控訴の訴状を提出したのである。令和5年10月19日
控訴裁の始まり
訴状の提出が出来たが、まだ熊谷泰人の陳述書が出来上がっていなかった。それほど急いでいないことは、控訴の争いが始まるものと考えていたからだ。だからして泰人との打ち合わせはすべて弁護士に任せたことで、私はただ連絡役として渡りをつけただけである。泰人の証言がまとめられるに、その主観がどこにあるかを斟酌するわけではないが、役割が何かは気になった。そして二人の打ち合わせはズーム(テレビ会議)で行われたようだ。そしての連絡は泰人でなく弁護士からで「熊谷さんから聞いていたことと熊谷泰人さんの話に食い違いは有りませんので、たたき台をまとめていただけませんか?」と来た。泰人の陳述書を私がまとめてはおかしなことだと言えば、泰人は議会が有って時間が取れないので了解済ですなんて、もっと訳の分からない話になった。まあ、分かりやすく言えば、陳述書の台は弁護士が作成するものだが、今回の裁判は前の弁護士から代わっているので詳しく分からないと言うのだ。だから、熊谷さんと泰人さんの話に食い違いが無いので、ならば熊谷さんが書く方が間違いがないからだと言う。分かったような分からないような、しかし事実をまとめるにさして困難が無いことだから、早速に取り掛かった。書き出してみれば確かに、事実に勝るものなしであって、弁護士が何を主観とするかは、やはり、木下悦夫建設部長が章設計に来たこと、そしてどのような話であったのか(ここが最もっ重要)、その話を泰人が聞いていた。の三点であるが理解できた。
そして書きあがるに、弁護士に送付して確認すれば、これでいいですと、あっさり了解されたが、かくいう私は、かなりの物足りなさを感じていた。その物足りなさが官製談合であって、その官製談合が全く見えていなかったからである。令和5年10月21日
内緒で付け加え
だからして、了解を得た陳述書に勝手に付け加えたのは、その官製談合に関わる重要なことである。何を書き足したのかは、「木下悦夫建設部長が章設計に来て『入札制度を指名競争入札から一般競争入札に改めると副市長が言っている』『地域計画課は解体すると副市長が言っている』と何度も話されたと熊谷所長は話していたが…」である。なぜその様な事を書き付け加えたのかは言うまでもない。木下悦夫がこの様な事を話したとの事実を証拠として残すことに目的があったからだ。なぜ章設計を契約解除するに至ったのかは、何も章設計が木下悦夫の交渉を断ったことではない。『設計を続けさせなければ官製談合を表に出す』と牧野市長を脅かしたことにある。どこの世界に市長を脅す設計事務所が居るのかと、そこのあたりから考えていただきたい。この脅しに応えられる状況がすでに牧野市長に無かったのは、佐藤副市長がすでに『契約解除通知』を送付した後であったからだ。牧野市長にとって、『官製談合を表に出す』は、寝耳に水であって、何らいきさつ一つ知ってはいない。そこに持って、『入札制度を改める』『地域計画課は解体する』を副市長の発言として木下悦夫建設部長が章設計に告げたことは、結果的に牧野市長の発言となるのである。
馬鹿者市長や副市長がこの程度だとしても、章設計が金が欲しくて裁判に掛けたのだと騒ぐ議員や周りの職員の多いことか、そして確かに市民らも、全くその通りの受け止め方である。民事で損害賠償とくれば、その様に考えるのが普通のことで、それ以上もそれ以外も無いが、その様に進めなければ裁判にもかからないとすれば、そこに来て行政が相手だとなれば全くに勝ち目が無いと思うのは当然であろう。令和5年10月23日
官製談合の証明
そういう私も、そのとおりであって、金が欲しいとしなければ訴えることも出来ないのだ。まあ、契約して設計を行って提出して検査も受けたのだから、設計料を請求するは当然のことだが、設計料を払ってくれなければ訴えるしかないし、訴えなければ事実として残らない。そして裁判を進めて証人尋問に移ればそこの要点は「木下悦夫が章設計で何を話したのか?」にある。損害賠償事件であるからして「工期はいつまででも良い」と言ったのかどうかが求められる内容であるが、そこに私の目的はない。この工期云々は「工期内に提出されていない」を契約解除の理由とされていたからであって、それを木下悦夫は「そのような発言は有ったかもしれないが、市の基本計画に沿っていただけたらが前提にあった」と、逃げたのである。しかし、私の本来の目的は官製談合の証拠であって、工期がどうのこうのなど正直どうでもよかった。ただ、裁判に勝てばより官製談合の証拠が近づくことであると、そればかしを考えていたが、証人尋問でも一切官製談合にかかわる証言は出ていない。それに、熊谷泰人議員の証言もなければ、官製談合を裏付けるものは何も無いとなった。
控訴理由も官製談合
なぜ控訴したのか、それは控訴が出来るからである。新しい証拠が有れば控訴はいつでもできる。だからして控訴した。しかしそれだけでは無駄な控訴であるし、控訴しても負ければ何の意味もない。だからして、控訴する本当の理由は、官製談合の事実を証明するためであった。だからして、官製談合の詳細を書き留めた陳述書を提出しようと準備したが、そして博士もその準備書面を読んでいただき、「告発に当たる陳述書であるから、時系列に注意し、丁寧な言葉でまとめた方が良い」と意見が述べられた。令和5年10月25日
弁護士の意見
さあ、これで控訴の準備はまとまったとしたが、そして弁護士との打ち合わせに入るに、相当な期待をしたのは「告発に当たる陳述書」と博士に判断されたことであった。これほどの専門家が言うのであれば、もしかしたら官製談合での告訴も夢ではないと、そうであれば今回の裁判は相当に価値があるし、実際に告訴が出来るのではないかと、大いに期待した。平成30年に県警には告発しているし、捜査二課が動いたの事実であって、もはやそこに時効の壁(三年)はない。ならば、今度も県警へとなれば、それはもはや告発でなく告訴になることだ。控訴で告発にとれる陳述書が証拠となれば、そこに被告飯田市が反論しなければ、それは官製談合の証拠として十分となる。たしかに告発の陳述書であれば、飯田市の弁護士は触れることはない。ならば、告訴の証拠として通用すると、そう遠くないところに見えて来た。
陳述書は不要
しかし、ことは思い通り進まないもので、せっかくの陳述書はもくあみとなるのだが、その答えが「熊谷さんは一度陳述書を出していますので不要です」の弁護士の見解はあまりある。仕方が無いとあきらめたが、どっこい、博士が言う「告発に当たる陳述書」は、これからの行動に大きく関係すると考えた。なにか? それは、私の目的「飯伊建築設計監理協会と地域計画課、そして綿半との三つ巴の官製談合」の絶滅である。熊谷泰人議員が地域計画課長に何を言おうと、絶対に受け入れない「設計業者は指名競争入札」を一般競争入札に変えるには、やはり、これらの官製談合を表に出すしかない。裁判で扱えないは刑事犯罪であることだ。令和5年10月27日
一審の重要性
日本の裁判制度は三審制であるが、そして控訴は一審の判決に不服がある場合の訴えが出来るとされるが、まずは、一審の判決が覆されるなどは通常あり得ない。そこには相当なる証拠が必要だが、そのような証拠とは何か? を先に見出さなくて控訴へは進めない。当然として必要なのは、「なぜ負けたのか?」の答えが見つからなくてはどうすることも出来ない。今回、負けたら控訴に進むと弁護士に伝えていたが、控訴へ進めるだけの状況にないと言われていた。ようするに、弁護士は負けるとの状況に有ったことになる。なぜ負けたのかを弁護士は言わない。なぜ言わないのかは、原告側の弁護士にあることだ。「訴えれますよ」と引き受けたのは、勝てるとして引き受けたわけではないと、無言であるのが現わしている。そして弁護士が交代となるに、後を引き継いだ弁護士は、もっと内容が分からなくあり、判決文を読んで「この判決では控訴してもまず難しいでしょう」と、簡単に答えているが、新たな証拠が何であるのかを話せば、それで一応進めましょうかとなった。その新たな証拠が何であるのかは、私以外の建築士の意見書にあった。その建築士を探してくれたのが弁護士であり、その建築士が博士であったことに、また、判決文を読み込んで、「これでは負けるでしょう」と訴えの趣旨に建築士の責任が入っていないと、まったく違う観点から意見書がまとめられたのである。そしてその意見書に沿って証拠をまとめれば、そこに熊谷泰人議員の陳述書が必要になった。熊谷泰人議員は協力的で、弁護士との直接面談で陳述書が提出されたのであるが、ここで弁護士はもう一つ、熊谷泰人議員に依頼したことがあった。令和5年10月29日
証人尋問
これで十分戦えるとして、訴状をまとめて提出したのであるが、控訴に進むに、相手(飯田市)はどのような反論をするのかと、いや、博士の意見書を見て、どんな反応を示すのかと、そこが気になったのは、「被告は反論してきますので、簡単には終わらないと思います」との弁護士の話しがあったからだ。そう言えば、盗伐裁判の弁護士が言った「控訴はだいたい一回で終わるもので、続いたとしても一二回、そういうもんだ」とを思い出すが、それが何のことは無く一年半も続き、その上で和解でうんたらくんたらを経験すれば、こちらの弁護士の話しが妙に納得する。それに、期日を重ねることで、それらの展開が読み取れれば、まったくに控訴の価値がでるもので、負けたにしても次の展開が見えると言うものだ。(次の展開とは、官製談合についてどのように進められるかである。)そこで、弁護士は、「飯田市はおそらく反論してきますので、熊谷議員さんに証人出頭をお願いしたい」と言って来た。? 突然な話であるに、陳述書を提出するに証人尋問を? そんな話は予想もしていなく、熊谷泰人議員は議長であるに証人として東京高裁まで出向くなどありえないしその様な話しが有っても断るだろう。だからして、それは私からはお願いできない。先生の方から依頼していただけませんかと返せば、「陳述書だけでは弱いと思います。やはり直接証言する方が裁判官に伝わりますので」として、熊谷議員に話してみるとであった。どのような依頼をしたのかは知らないが、熊谷泰人議員からは何も話は無かった。そして弁護士からもそれきりであったことに、私の方から聞いてみれば、やはり結果は想像通り、陳述書には全面協力するが、証人として出向くのは無理ですと、断られたようである。そんなこんなで少々バタバタしたが、あとは高裁が始まるまで、月日の過ぎるを待つばかしであった。令和5年10月31日
そしてその日
訴状を提出してから何日過ぎたであろうか、あと二週間余りとなったころか、弁護士から唐突に電話が入った。それは予定していたシナリオが大きく変わるほどのことで、少々理解するに時間がかかった。「熊谷さん。急ですが高等裁判所へ来ていただきたい」と言われるに、「控訴期日には出席できますか? いや、私は社長ではないので傍聴するだけですが」とお願いするに、「飯田市は反論してきますので控訴は何回か開かれると思います、タイミングを見て一度で向かれますか?」とのことであったのにいきなりと、最初の期日から来てくださいと、それは何でだろうと気になった。弁護士は言う、「飯田市から反論書面が送られてこないのですよ」だから、期日は一回で終わると言うのである。一回で終わりそうなので、今回来ていただかないと、との話しであった。にべもなく「あ、はい。行きます、行きますので」と、即答したが、それでなおさら不安になるは、飯田市はなぜ反論して来ないのだ? とであった。弁護士にそれとなく聞いても、反論が無いから一回で終わるとの理由だけで、それ以外も無ければそれ以上も無かった。勝手に解釈するに、反論が無いのは反論できないのかな? との思いである。たしかに、博士の意見書を読み直せば、全く持って道理が通っており、これで負けるとしたら? などとは思えず、これなら勝てるかもしれないと、その思いが強くあった。
東京高等裁判所
日比谷公園の近くに最高裁判所と高等裁判所があるが、日比谷公園には一度行ったことが有る。公園をであれば楽しきことだが、それは日比谷公園に隣接する公正取引委員会への用事であって、それも飯田市の官製談合を告発したときに、日比谷公園の地下駐車場に車を停めたとの、あまり良い思い出ではなかった。しかし、慣れは恐ろしく、高等裁判所がその近くで有ると知れば、まさにその気は増すもので、今度は日比谷公園をゆっくり味わって来ようと、そんなところも考えてしまった。令和5年11月2日
当日
午後からか午前中からの裁判だったか、はやその時間さえ忘れているに、しっかり覚えているのは、高等裁判所へなかなかたどり着けなかったことだ。前の日は行きつけの某ホテルに泊まったが、弁護士が東京であることで何かと不便なのは日帰りが困難であることだ。だからとして行きつけのホテルが出来ることだが、そこで日比谷公園までの移動時間を調べれば、わずか20分ほどと出た。しかし、余裕が必要なのは言うまでもなく、大概として渋滞は都内の常である。そして出かけるに、渋滞はそこそこであって30分も早くついた。しばしの時間調整でと車内で休むも、それが悪い前兆であった。10分と休まずに表に出たが、何の因果か風景が違う。そこで迷うに右に行けば、それらしき交差点に出た。悪いことは続くもので、何かしらのビル建設現場に出くわすことになったのだが、その工事現場で入口にガードマンが居たことで、「すみません。高等裁判所はどこか分かりますか?」と聞いてみた。親切心は時としてあだになることもあるが、案内されたのが全くの正反対であって、日比谷公園の外周を一周する羽目になった。刻々と迫る開始時刻、それはすでに15分を過ぎていたが、まだ最高裁判所を見つけることは出来なくあった。その時、弁護士から電話が入った。助かったと思うほどに、「熊谷さん。どちらのロビーに居ますか?」など、聞かれても返事が出来ない状況に、まだ迷っていますと言うのが精いっぱいであった。「えっ!?」驚く弁護士の声に状況を説明したが、近くのビルを口にしたとして何かが分かることではない。弁護士は立て続けにいろいろな建物を口にしたが、それでも田舎人のつらいところ、会話自体が成り立たない。そのうちに目標物は見えてきたが、その時点では通りの反対側に居た。ようやくと言うかなんというか、汗だくだくになってロビーに飛び込めば、それもまた反対側のロビーであった。スマホを握りしめ、弁護士の誘導に10分以上話したが、もはや開始の4分前、案内されるままに法廷へ入ろうと、そこで弁護士が「ちょっとトイレに」と言って肩透かしにあう。トイレから出た時にはすでに2分を切っていた。令和5年11月4日
高等裁判所の法廷
初めての経験は緊張することだが、それも高等裁判所であればなおさらに高鳴るものだ。そっとドアを開けて弁護士が入廷するが、たしかに大きな法廷に、裁判官が三人座っている。そして私は傍聴席の真ん前に座れば、すでに女性事務官が弁護士に声をかけた。そう、もう一二分で始まるのである。私が弁護士の横に座れず傍聴席に居るは、私が原告ではないからであるが、そんなことはたいして意味がない。被告側の席に座っているのは下平弁護士であるに、まったく一審の法廷と同じ状況である。しかし傍聴席には多くの者がいくつかのに分かれて座っており、同時進行とも思われる裁判の最初が私たちの裁判であった。時間正確に始まるのかと思えば、いまだ準備の最中なのか全くに始まる様子もない。まだかまだと見ていれば、それは唐突として始まった。事件名が読み上げられ、双方の弁護士の確認から入るに、内容は何も言わずして、「裁判費用の請求は被告は行えません。訂正してください」と、裁判官は下平弁護士に向かって声をかけた。? 下平弁護士は「…え? はい…裁判費用の取り消し?」と、何か的を得ない返答に、裁判官はまたも同じく説明したが、分かりましたと言ったのかどうかはともかくも、理解されたようであった。そしてこれも、いきなりと言うのか、下平弁護士に裁判官はまたも声をかけた。「和解の考えは有りますか?」
和解
高裁の、それも始まりの期日にいきなりの和解提案に驚いたものの、それが高裁の当たり前のことだとは気づかずにいた。なぜ和解の話をするのか? 一瞬頭に浮かんだが、それと同時であるのか下平弁護士は立上り「ありません」と、少し小さな声で聞こえつらかったが、確かにそう言った。和解の考えに有るのかに対し有りませんとの返答は、和解を拒否したことになる。令和5年11月6日
何かが違う
和解の話に驚いたのは盗伐裁判でのことで、弁護士から聞くに、控訴の最初の期日において和解などの話はなかった。ただ、「裁判官は『木を植えたのを主張せよ』と、被告の味方をした!?」と息巻いていたことである。控訴は一二度の期日で終わるものだと聞いていたが、それが一年半も続いていることに、飯田市相手の控訴であっても、やはり長くかかるかもしれないと思っていた。しかし、『1回で終わりそうだ』との話で控訴に出てみたが、ここで和解の話がいきなり出ることにとまっどった。なぜ和解の考えがあるかと聞いたのだろう。そして下平弁護士もまた、即座にありませんと返答したのは、やはり当たり前の進行なのか? そんなつまらぬことが気になった。原告弁護士に確認したのは訴えの趣旨であって、被告に確認するは和解への考えであった。裁判官は淡々と話し、和解の考えがないを確認すれば、『では、判決日を〇月〇日にします』と、これもあっさり過ぎるくらいの進行であったが、ものの5分とかからぬ裁判に肩透かしを食らった格好で、これなら出向く必要などなかったと、そんなことが過ぎった。裁判が終了すれば、もうここに居る必要は何もない。弁護士から促されるままにロビーへと戻っていた。何か弁護士は話足りないのか、話をするほどではないのか、何かを話していたが全くに耳に入らなくあった。そこで「和解の話が出ましたが、そのことをどう受け取ってよいのですか?」と聞いてみれば、「え…ええ…」と、何とも言えない返事であった。「いや、控訴において和解の話が出るのですか?」と、今度は手短に聞けば、「ええ、ありましたね」と、これも答えにならない返答である。まあ、弁護士から見れば当然ともいえるのだろうと、納得するしかなかったが、何と驚くことに、そこに、下平弁護士がニコニコして近寄ってきた。「ああ、ああ…」と、挨拶にもつかぬことを言っているが、ああ、ああってなんだよと、下平弁護士の行動に戸惑った。令和5年11月8日
余裕をかますのか
何を話すのかと言えば、「なにか台風が来るとかで、昨日の内に来ていてよかった」と、とりとめのないことを言い出した。なぜ声をかけにわざわざ来たのか? 何か目的があるのか、それとも余裕しゃくしゃくとでも言いたいのかと、うがったことしか頭に浮かばなかった。何を言っているんだ。何で近寄ってきたのかと思いながらも、「ああそうですか。私も昨日の内に来てましたが、車で来られたのですか?」と、これもどうでもよい返しである。「いや、バス出来ましたが、そのバスも事故かな?なんか渋滞があって遅れたんですよ」と、どうでもよい話を続けるが、今度はこちらの弁護士が怪訝そうに眺めるに、紹介せずにはいられなくなった。「下平弁護士さんです。飯田市の弁護士です」と言ってはみたものの、今さっき、被告の席に座っている弁護士を眺めたのではないのかと、そんなつまらぬことがまたも頭に浮かんでいた。まあ、被告の弁護士であれば大して気にすることも無いのか、話を遮られてのことなのか、それほどの会釈もせずに会話は途絶えた。そこそこと引き上げる下平弁護士の姿など気にはしなく、「先ほどの話ですが、和解の考えは有りますか? との裁判官が聞いたのは控訴では当たり前のことですか?」と再び聞けば、「そうですねえ、そんなに気にすることは無いと…」と、又も的を得ぬ返事であった。しかし、私の頭から和解のことが離れずに、すごく気になっていた。和解和解、盗伐裁判の和解程度の話しでないことに、盗伐裁判でも和解調整が進むに、この控訴裁判もまた和解の話が出るに、和解をどのようにとらえればよいのかと、正直混乱していたが、下平弁護士が簡単に和解を拒否したのが皆目わからなくあった。なぜ拒否したのか? 勝訴の勝算があると言うのか? 博士の意見書を見たはずだが、あの意見書を読んだとて、それでも簡単に和解を断るとのことは、手も足も出ないかまったくに逆であるのか、そう、まったくに読み取ることが出来なくあった。令和5年11月10日
一つの法律
今からして思えるのは、民事訴訟の原点である証拠に行きつく。証拠が有れば訴えることは出来るし、証拠が有れば勝つことも出来る。しかし、被告となる飯田市にも証拠はあることで、それも最も強い証拠であることは、すべてが行政書類であると言うことだ。考えてみれば、行政書類は行政法に基づく書面であれば、それ以上の証拠が社会に存在しない。いわゆる、証拠での争いは最初から勝負にならないのである。だからして「訴えることは出来ますよ」が弁護士の対応であったのを思い起こせば、勝つとしての裁判を求めたことではない。あの頃の私の思いは「官製談合の証拠集め」であり、捜査二課が求めるところの確かな証拠をつくることにあった。二課の要求「熊谷議員に併せてください」を断れば、それでも熊谷議員は二課と会うに、「設計料は3.5%で決められていました」を知らないと否定した。この時点で操作は行き詰まり、二課は動かなくなっていた。ここで熊谷議員を責めたとて何が解決しようものぞ、それより、二課に突きつける絶対的な証拠が必要であることは、設計料が3.5%ではないことだ。それ以外の絶対的な証拠、それが何であるのか見えているが、証拠と確定しなければただの紙屑である。官製談合を刑事訴訟法で訴えるに証拠なくしてあり得ないが、手に入らない証拠を手に入れるには、まずは訴えることだとして、「訴えることが出来るのであれば、勝ち負けにこだわらない」としたまでのことだ。それでも勝てない裁判を受けるわけにはいかないと弁護士が言うも当然であるに、それがここまでの原動力である。はたして官製談合の証拠は手に入ったのかと言えば、正直な話し、一審の結果だけでは十分でなかった。だからしての控訴でもないことは、新たな証拠が無くて控訴に及べない状況であった。令和5年11月12日
新たな証拠が官製談合の証拠
なぜ一審で負けたのか? 勝つための証拠が足りなかったのである。それは同時に、官製談合とするに、その証拠も足りなくあったと言うことだ。だとすれば、勝つための証拠でなく官製談合の証拠を満足すれば、もしかしたら控訴に及ぶ新しい証拠が見つかるかもしれないと、そう考えた。まずは証拠の整理から始めるに、そこに官製談合につながる証拠は有るのかと見直せば、「入札資料に事業費が明記されていない」とのことが目に付いた。行政が用いる建築設計の入札資料とは、国土交通省告示第15号に沿っていなければならない。では、国土交通省告示第15号とは何かだが、それは設計料の算定基準が詳細にわたって示されている資料である。分かりやすく言えば、建築物の規模と用途、事業費などを当てはめて計算すれば設計料が算出できる資料である。だからして、事業費が明記されていなければ国土交通省告示第15号を用いて算出できないこと。さて、これを官製談合の証拠とするに、いったいどう扱えばよいのだろうか。
入札資料
飯田市が用いた特別養護老人ホーム飯田荘入札資料では、事業費の明記が無いことで国土交通省の告示を用いることは出来ない。それを飯田市の勝手だと裁判では反論してきた。そうだ。たしかに飯田市の勝手である。だが、もう一方で、行政であれば法律や国の条例に沿うのは当然のことで、国土交通省の告示に沿っていない入札資料であれば、そこに法的拘束力はない。しかし、飯田市は「市の意向に沿っていない設計図だ」として検査不合格としたし、また裁判官も「飯田市が示す平面図に沿っていない」が判決理由であった。ならば、国の条例に沿っていない入札資料の一部を切り取って、法律的な根拠となりえるのか? 令和5年11月14日
二つ目の証拠
「特別養護老人ホーム飯田荘建設工事実施設計業務」の入札資料であるが、そこには「基本設計は不要」とあるが、肝心な基本設計図面が存在していない。この事実をなんと見よう。地域計画課の木村理子と平井隆志職員は、入札資料にされた基本計画図を持って散々に「基本設計図だ」「基本設計図に従え」「基本設計図に従わねければ契約を解除する」と言われ続け、ついには契約解除をされた。その上に、しゅん工検査においても「基本設計に従っていない」を理由に、検査不合格とされた。そして、裁判官汚判断も「平面図(基本計画図)に沿っていない」を理由に敗訴となった。そこで歯向かうに、「基本計画図は基本設計ではない」であった。ここに民事における証拠はないとしても、刑事における、ようするに、官製談合の証拠となる事案は無いのであろうか?
基本設計の要点
建築士法において、基本設計は建築士の業務とされている。ようするに、建築士でなければ基本設計はできないのだ。ここで飯田市が言うところの基本設計図を見れば、建築士が設計したとする図面でないことに、それを木村理子と平井隆志職員を問い詰めれば、どちらも資格ある建築士でない事と、どちらもそれら図面を作成したと言っていない。いわゆる、誰が書いたのかわからない図面を持って、「基本設計図だ」と主張したのである。平井隆志職員は、熊谷泰人議員の質問に対して「私が書きました」と言ったそうだが、残念ながら、平井隆志職員が書いたとて、平井隆志職員は資格がある建築士と言えない。ならばどうやったにしても、基本設計図は存在していないことになる。令和5年11月16日
存在しない基本設計
行政の入札資料において、基本設計でもない図面を用いて基本設計だとし、「基本設計は行わなくても良い」「基本設計に基づき実施設計を行え」としたことに、何か違法行為は無いのであろうか。常識的に考えても違法行為があると感じるのは誰しもがものだが、そこには「行政」と言う大きな力があることで、行政であればとして正しいと判断してしまう。そこで気づくのは、では、行政でなく民間がこのような内容で入札を行うとすれば、違法行為に当たるのかと考えてみた。そこで新たな疑問が出てくるに、民間であれば、そもそも基本設計、実施設計などと区別しないことに気づく、ならば、基本設計無しに実施設計は出来ないことになるが、そこが出来るとした飯田市行政にはどのような根拠があるのであろうか。そして行政にある根拠が何かといえば、それは法律しかないことで、設計業務の入札にかかる根拠の法律は何かと言えば、それは建築士法となる。では、行政が建築士法を扱えるのかと言えば、建築士法は建築設計業務にかかる法律であることで、行政とは一切関係がない。ならば、建築士法は建築士が扱う王立と言うより、遵守しなければならない法律であることだ。しかるに、行政は法律を守らせるべき立場であることに、自ら建築士法を無視した入札資料を持って、「入札資料は基本設計だ」は、虚偽の発言であることに、また、それらの資料に従えと強要するは、少なくとも強要罪との法律に抵触することだ。根拠のない資料を基本設計だとするのは偽計業務妨害に当たることで、行政だからとして許されることにはならないが、それら資料に従わないを理由に契約解除したことは、民事において争えることではない。このように、官製談合でなくても多くの犯罪が存在していることになるが、では、なぜこのような犯罪になってしまうのかと言えば、章設計が落札したことにすべての理由が行きつくことだ。令和5年11月18日
もう一つの証拠
基本設計が無いのに基本設計に従えとしたのは確かに種種の法律に抵触するが、これをもってして控訴の新しい証拠とはならない。すでにその様な事を主張してきたからで、いまさら「業務妨害だ」としてもこの争いには関係ないことだ。飯田市は「基本設計は発注していない」で十分で、基本設計に従えは入札資料に従えと言った程度に過ぎず、入札資料は基本設計ではなく基本計画だと言いなおしている。それを反論しない弁護士は、やはり業務妨害程度だと判断したことにあった。しかし、この件について明確に反論したのが博士であって、「誰が書いたのか分からぬ図面を持って設計図面とすることは出来ない」「建築確認申請の業務も請け負けおえば、構造的欠陥は設計者の生涯責任となる」とされた指摘は、まさに的確な意見書であった。
入札参加資格
飯田市は特別養護老人ホーム飯田荘の実施設計に関し、1級建築士が一人しかいない設計事務所を指名しているが、それは地域計画課の内規に関わる指名であった。それまでの飯田市は1級建築士が入札参加できる最低基準を決めており、その基準は「1,000万円以下の設計費」であるのだが、実際には長野県の指名基準「1級建築士が一人の場合は800万円以下の設計費に限る」に従っていた。そして特別養護老人ホーム飯田荘実施設計費の設計費用は2,500慢円であったのに対し、なぜか1級が一人の章設計が指名された。ここに疑問を抱くのは普通のことで、なおかつ、10年もの長い間指名が一度も無かった章設計に、指名通知が送られてくるなどあり得ない話ではないか。令和5年11月20日
官製談合の始まり
官製談合の証拠をなんとするか、それは、官製談合の始まりにある。何が始まりなのかと言えば、藤本設計が飯田市に営業をかけたからであった。そしてどうなったのかと言えば、飯田市は藤本設計を指名した。そう、もはやこの時点で官製談合を行ったのである。なぜか、藤本設計を指名するためには、まず、藤本設計を指名できるように内規を変更する必要があった。そして内規の変更が行われた。内規の変更をして、なおかつ藤本設計に設計業務を回せるにはどうすればよいか。それには藤本設計に基本設計を行わせることにあった。基本設計を藤本設計に行わせたのだから、入札は実施設計のみとなった。このとおり、藤本設計と飯田市は共謀して入札に及んだと言うことになる。これが官製談合の証拠であるに、こんな単純な事実がなぜ表に無いのか? そこが問題ではないか。
もう一つの官製談合
藤本設計は飯伊建築設計監理強化の談合に参加し『基本設計を行ったので婿様にしてほしい』と主張した。そこで鈴木設計は『飯田市に営業かけないを条件に飯伊建築設計監理協会の設計事務所を指名している』『鈴木設計の下請けに入れ』として納得させ入札に及んだ。そう、ここでもう一つの官製談合が発生したのである。鈴木設計の『飯伊建築設計監理協会の設計事務所を指名する』『飯田市に営業かけないとする条件がある』は、飯伊建築設計監理協会と飯田市の官製談合である。さあ、整理してみればこんなに簡単な話しだ。さて、そこにおいて官製談合の証拠とやらは一体どこにあるのであろうか。令和5年11月22日
それぞれの証拠
藤本設計との官製談合の証拠は『基本設計図』と『内規の変更』であるに、それは散々に裁判の証拠とされている。「基本設計図ではない」と否定すれば、「基本設計図だ」「基本設計に従え」と、これらのことも証拠とされた。ならば官製談合の証拠とするには、「設計者の署名無き設計図面は基本設計図ではない」の、博士の意見書が裏付けとなる。「基本設計に従え」は書面として残されており、飯田市も認めた事実である。ようするに、基本設計図でない図面を持って基本設計図だとして入札条件に及んだことになる。これを官製談合の証拠とするには、まずは違法な資料を入札に用いたとの行為を違法としなければならないが、そこは前後しても特に変わることはないだろう。つぎに、「内規の変更」であるが、「1級建築士を1人とし、2級建築士を0.5人として、1.5人の設計事務所を指名に入れる」との変更を行ったことは裁判に関係無いからどこにも出ていない。では、このことを表に出すにはどうすればよいのかであるが、これは特に心配していない。これらの事実は入札結果表(飯田市発行)にて比較対象すればよい。偶然にでも、当日の実施設計入札には、特別養護老人ホーム飯田荘の他に上郷公民館の実施設計入札が行われていたことで、1.5人の設計事務所、(藤本設計・基設計・環境プランニング・章設計)四社は、上郷公民館の実施設計入札には指名されていない。このことで十分、1.5人の内規変更が証明できることだ。では、内規変更が官製談合の証拠となるにはどうすればよいのかだが、それも特に心配ないことに、「なぜ内規を変更したのか?」と、疑問を呈すればよいことだ。令和5年11月24日
内規変更が証拠
「内規を変更したのは入札参加できる設計事務所を多くしたいがためだ」と、この様に返答されればどうしようもないが、だが実際に、熊谷泰人議員の質問に対してそう答えている。内規を変更する。それには相当なる理由が必要だが、実際に入札参加の設計事務所を多くしたいがためであったのかと言えば、まったくにその気配はない。多くするが目的ならば、同時に行われた上郷公民館の実施設計入札には、1.5人の設計事務所は指名されていないのをどう説明できようか。まったくその場しのぎの受けごたえであるが、そんなことを言えたのも熊谷議員が平議員であって、尚且つ、四面楚歌状況であれば、職員(寺澤保義・原章)がなめただけである。しかし、しっかりと表に出た時に、職員はこのような洙田発言は出来ることではない。しっかりと表に出ることは無いとなめ切っているのであろうが、実際に裁判の証人尋問に立った原章長寿支援課長は、のどが渇くのか、相当に生唾を飲んでいたし、弁護士の質問に返答が合わず、下平弁護士が慌てて待ったをかけている。一審では負けたが、裁判が表に出ることだと考えているようなら、それは全くお粗末なことで、何のために裁判にかけたのか、それも三年もの長い間を経て裁判に及んだのか、その辺りを考えてしかるべきだと忠告しておこう。だからして、内規の変更が官製談合の証拠だと言うのであって、内規の変更が表に出ない裁判であれば、内規の変更をどのように説明するかとの話になる。ようするに、いまここに書き出したことの裏付けが有れば、それが証拠になると言うわけだが、その証拠とやらは何かと言えば、やはり、特別養護老人ホーム飯田荘と、上郷公民館の入札結果表であることに違いはない。令和5年11月26日
他の証拠
そのほかに完成談合の証拠が有るのかと言えば、なにか忘れてはいませんか。当初からさんざん言ってきた「設計料3.5%」ですよ。設計料が3.5%であると決められていた。これほどはっきりした証拠は他に無いでしょう。この証拠だけで官製談合は立派に成立するんですが、問題は、3.5%で決められていたとの証拠がないのです。飯田市の職員、それも地域計画課の職員が一人でも、「設計料は3.5%でした」と証言すれば、警察にですよ、そう証言すれば絶対的な証拠になりますが、残念ながらその様な職員は誰もいないし、また公務員の守秘義務と言うことで、正直に話せば罰せられてしまうのです。ですから、職員の証言など、全くにあり得ない事なのです。では、他に方法が無いのかと言えばそれもなく、議員にその証言を求めることなんですね。議員であれば職員以上の証拠能力が在りますので、最大の証言となるでしょう。ですから、平成30年12月末に県警捜査二課に告発すれば、刑事は間髪入れず、熊谷泰人議員に会えますか? とお願いされたのです。しかし、熊谷泰人議員はそれらのことを何も話さなくあった。だからして、証拠とはなりえなくあったのです。でもね、熊谷泰人議員の証言が証拠となる理由を見つければ、何も熊谷泰人議員の証言を必要としないでしょう。そこに気づけば、あとはどのようにして理由見つけるかにあるのだが、何もしなければ何も見つからないことで、だからしての裁判としたのです。章設計が特別養護老人ホーム飯田荘の設計業務を請け負うに、相当なる理由無くして契約を解除された。契約解除に至るには、どのような理由があったのか、そう、表向きの理由でない裏事情、それを暴くには裁判しかありません。令和5年11月28日
控訴の目的
博士の意見書で控訴が可能になった。その博士に見せた資料は私の陳述書であった。そして博士は言った。「多分に告発の要素が含まれています」と。そうなのだ、陳述書を書けばどうしてもそうなってしまう。同じ内容が繰り返し書かれているとか、系列に整理せよと言われても、まとめようがない複雑さであって、それも40年も続いた官製談合であれば、時系列なんてとてもまとめられない。しかし、同じことを繰り返したにせよ、時系列がまとまらないにせよ、弁護士でもない博士が告発だと読み取れるのであれば、そうとな内容であることだ。だが、弁護士からは「特に陳述書は必要ありません」と、あっさり退けられている。それは確かに不要だが、陳述書が証拠扱いになればそれ成りの効果は有るはずだ。博士が言う通り、たしかに告発だ。そう、告発のためにここまで頑張ってきた。負けると分かっていながらここまで進めるに、迷いが無かったのは、特別養護老人ホーム飯田荘の設計業務に有る官製談合の証拠を確定したかったからだ。官製談合は確かに重大犯で、関与した民間会社は潰される。自業自得と言えばそれまでだが、岡庭一雄の官製談合もあって、警察に頼れば無かったとされる経験で、警察に頼らずの告発をどうすればと考えてきた。機は熟したか、控訴において告発の目的は達成できるのか? そんなことばかしが駆け巡るに、そこでハタと気づいたことが有る。告発、告発とは何だ? 告発は捜査機関に犯罪を届けるだけのこと、いわゆる、捜査機関がその告発を受けて捜査に入るには、それほどの証拠が必要である。ならばとして、証拠集めのために裁判してきたが、もしや、裁判で勝った場合について、改めて告発したとして、それで捜査機関が動くかと言えば、それはまるで期待できないことに、告発での犯罪捜査については、捜査機関の判断によるしかない。令和5年11月30日
告発では駄目
岡庭一雄村長と鈴木設計と原建設、それぞれが絡み合う官製談合を県警に告発したが、二課の班長刑事からは、思いとどまらせられた。なぜか、確かに刑事の言い分(潰される会社の家族)も分かるし、それに見合った成果が少ないも分かる。しかし、一介の刑事班長の判断でないことに寒気がしたのも事実である。ならば、飯田市の官製談合はもっと大規模であって、鈴木設計だけが潰されるなどのレベルでないのは、綿半と言う県内大企業が控えている。当然として天下り先でもあるが、潰されての被害は相当なもので、それこそ刑事辺りが判断できることではない。ならば、捜査二課が「3.5%の設計料が証拠だ」などと言っても、そこには綿半の関与はない。綿半が関与するのは鈴木設計へのリベートであって、そこに地域計画課と綿半の関係がある。綿半のわの字を口にした時点で、県警はこの官製談合に蓋をしたのだ。それらの証拠がどこにあるのかと言えば、実は、捜査二課の刑事に二度目の告発を行ったことにある。
県警の裏話
平成30年12月28日の午後1時30分に、飯田警察署1階個室で捜査二課の刑事二名と会ったのが最初である。飯田荘に関わる官製談合の構図を書面化して話せば、熊谷泰人議員に会わせてくれと言った。従弟なら会わせるが議員としてならそちらがやることだとはねのけた。そして泰人は議員として会っているが、設計料が3.5%だとのことは口を割らなくあったようだ。なぜかといえば、自身が密告者となるを恐れたのだろう。確かにそれは有る。岡庭一雄村長と鈴木設計、原建設の官製談合の時に刑事が私を抑えにかかった時も「熊谷さんが密告者との風評被害が出ますよ。家族のことを考えてください」と言っている。そして「岡庭一雄の贈収賄については山内元村長さんから聞いているので、そっちでやれば岡庭一雄と鈴木設計の社長二人だけで済む。鈴木設計や原建設が潰されて、その家族の被害を考えれば…」と私を誘導しているが、その結果どうであったのかは言うまでもない。捜査二課は消えていた。令和5年12月2日
警察を信じるな
警察の言うことなど信用するなは定説であろう。ならば、飯田市の官製談合を挙げると言っても信用できる話ではない。だから信用してなかったが、どうも熊谷泰人の様子がおかしくなった。「綿半と鈴木設計、設計事務所協会と地域計画課の官製談合を暴く!」と息巻いていた張本人が、それに、飯田荘の基本設計を藤本設計が書いたとか、設計監理協会の談合調整において藤本設計が怒られた上に鈴木設計の下請けに入ったとか、その様な裏話が次々と泰人から語られるに、ついには「命がけで不正を暴く」とまで言い切って清水議長と対立していたのに、ぱったと音信不通になった。なぜか、そう、音信普通になったのは、捜査二課に呼ばれた後である。二課の刑事に呼び出され、そして何か引導を渡された。その引導が何かといえば “密告者” のレッテルである。議員であれば尚さらに『風評被害に耐えられますか?』などと言われれば、臆すも何も、そこまでの覚悟など最初からない。震えあがると同時に、貝になったのである。無理もない。警察がそんな考えをするなど普通の者では思いもつかない。そういう私も岡庭一雄の官製談合で経験したが、私に臆すがないことで二課の刑事が臆している。刑事が風評被害に言及すれば、泰人でなくともそれまでであろう。一課の刑事に会いに行くまでは威勢が良かったが、二課の刑事によって思いとどまった。そこを責めるわけではないが、刑事の考えはどれも同じである。官製談合で挙げることは無いと、ならばなぜ二課の刑事に会ったのかと思われるだろうが、行政にかかる犯罪であれば、警察意外にどこへ告発できると思うのか。告発は国民の義務であって、逮捕に至るかどうかは警察の考えで決まること。この矛盾が分かっていても、日本には警察しかない。令和5年12月4日
公訴時効
官製談合の公訴時効は三年である。平成28年9月に特別養護老人ホーム飯田荘実施設計業務は契約に至った。その時点から三年間が時効期間である。だからしてとっくに時効になっていることだ。そんなことも分からずして騒いだりしない。だからして控訴事項になる前に、もう一度捜査二課に接触したのである。なぜ接触したのか? それは平成元年から熊谷泰人議員の態度が急変したからである。その気配に気づいたのは、裁判において熊谷泰人議員の証言が必要になったことで、それを熊谷泰人議員にお願いすれば、そう、もはや正常な感情ではなくなっていた。その辺りのことは散々書き出しているので省略するが、何かあったと見るは当然で、それが捜査二課の呼び出しの後であれば、何か引導を渡されたことにあると、勘ぐったのだ。岡庭一雄の二の舞ならば、捜査二課はすでに飯田警察署から引き揚げていることで、それを探るためにもう一度捜査二課の刑事に連絡したのである。直接連絡できるのは、二課の刑事二人から名刺をもらっていたことにあるが、それでも手順を踏む必要がある。だからして飯田警察署の一課係長刑事に事前に確認した。「捜査本部が飯田に置かれていましたが、今も捜査は続いていますか?」とね、単純な事ではあるが、刑事はばつが悪そうな顔をした。それでも「ここにはもういませんが…」その返答で十分なのは、官製談合をやる考えは県警に無いとのことが見え見えであった。それでも告発を無かったことにはできないだろうと、念のために連絡を取ることにしたのだが、改めて名刺を見直せば、二課の二人の刑事はそれぞれ別々の所轄に分かれていたのだ。この名刺で読み取れるのは、確かに官製談合をやるとのことで専用の捜査本部が飯田警察署内に置かれていたことが分かるが、今現在その本部が所内に無いとなれば、すでに解散されていることになる。おかしな話ではないか、公訴時効前に解散されるなど、あり得ない状況であることを。令和5年12月6日
でかすぎる犯罪
私には二つの考えがあった。それは当初の刑事が言うところの「私にはデカすぎました。行政犯罪は絶対許してはいけません。熊谷さん頑張ってください」において、所轄の刑事で出来ないことを、捜査二課がついたとて果たしてやれるのか? もっともな疑問と思いませんか? それに20年前の岡庭一雄の官製談合の件もあるに、二課の刑事を信じようにも信じられないことだ。だが、官製談合の事実を残そうと考えれば、逮捕があるとかはさして問題ではなく、県警が官製談合の告発を受けたことが重要であって、知らぬ存ぜぬをとされても告発した事実に変わりはない。そう、私はこの事実が証明できれば良いのだ。刑事訴訟法で罰を与えるのは私の範疇に無いことで、まして私の役目でもない。だからして、公訴時効が成立する三年目に、今一度の確認の意味で捜査二課の刑事に電話を入れたのである。そこでの刑事の反応は、まさに私に見透かされたがごとく、妙に興奮していた。「なんで私に電話をよこすのですか!?」こんな言葉が電話口から流れれば、読者の皆さんなら、いったいどう対応するのでしょうか? 私も正直戸惑いました。この人、いったい何を言いたいのか? 的を得ない言葉ほど後ろめたさを表していると、私にはそのようにしか受け止められなくありました。後ろめたさ、それはすでに捜査本部を解散していること、それ以外にないと、この受けごたえで理解しましたが、この刑事、そこまでにすればよかったが、少しかまえば反応は早かった。「え? まだ捜査は続いているんでしょ?」と言えば、「私が下だから電話したんですか」と、これも怒るような言い方であったが、ちぐはぐな返答に、慌てる様子が手に取るように感じました。令和5年12月8日
下っ端
そう、確かにこの刑事は下っ端だ。下っ端だから電話を入れたのだ。捜査二課は独自な捜査が捜査二課班長の独断で行われることで、すべてが班長の判断であるに、その刑事班長に電話を入れれば、何も様子が分からなくなる。だからして下っ端に電話を入れたのだが、刑事との会話はかみ合わないことはすでに捜査本部が解散しているのを知ってのことで、これ見よがしに話すのを見透かされたようだ。まあ、電話で言い合っても詮無きことで、ただ二課の捜査が終わっているのを確認しただけである。そして確かに終わっていると、下っ端刑事の態度で充分であった。県警などこんなもので、やるなと上から指示が有ればまだしも、捜査二課の班長辺りが捜査の打ち切りを決められるのは、相当前に判断されたのだろう。そして相当前がいつなのかと言えば、「綿半と飯田信用金庫が官製談合始まりに深く関与している」とを県警で確認できたときではないか。岡庭一雄村長と鈴木設計・原建設の官製談合程度をやれない県警に、綿半や信金が関与している官製談合などやれるはずはない。それとなく捜査本部を立ち上げたにせよ、それは単なるモーションではなかったか。確かに熊谷泰人議員と接触を持ったが、設計料が3.5%を証拠とすれば鈴木設計と地域計画課の範囲で治まるが、綿半の二文字が熊谷泰人議員から出れば、もはやそこから先は進めない。このような経過であれば、何よりも熊谷泰人議員が半泣きになるのも頷けるし、その後に捜査本部をたためることにもなる。そう遠くない話とすればすべてのつじつまが合うとなるが、まあ、そのような詮索よりも、県警が官製談合として挙げる考えが無いが分かったのが大きな収穫であった。損害賠償請求で訴えるにも官製談合の証拠を集めるが目的であるに、県警には逮捕する考えが無いと分かれば、あとは警察に頼らずして官製談合を表に出すにはどうすればよいかと、考えることだ。令和5年12月10日
裁判に勝つこと
負けるとして訴える者は誰もいないと言うより、負けることが分かっていれば弁護士は受けることは無い。だからして飯田市相手の損害賠償の請求は法律的において訴えるに値すると弁護士は判断したことにある。しかし、原弁護士も他二名の弁護士も飯田市相手の裁判を受けることを拒否された。倫理に反するとか、行政相手に勝てないとか、好き放題の言い分においての拒否は、単なる言い訳に過ぎず、飯田市からの依頼が無くなるとの計算づくの返答であった。だからして必要に迫られれば、あとは飯田市外の弁護士となるに、松本でも長野でも、飯田市相手ではというより、行政が被告であれば出来ませんと、要するに金にならない(勝訴の見込みがない)訴訟は受けないと言うことである。そこでだ、やはり東京は違うことで、単純に内容を見ての判断は「訴えることは出来ます」であることに、これでようやくと先が見えだした。だが、勝てると一言も言わない弁護士に、勝てる裁判を希望していない。官製談合にかかる証拠を手に入れたいと、そんな場違いの要求をすれば、告発や告訴は無理ですと、そこをやるには相当なエネルギーが弁護士に必要になると、その様に念押しされていた。裁判に勝つを目的としなくても、官製談合の証拠を手に入れたいと、本音の本音で話してみても、裁判は引き受けてくれたのである。だからして、裁判に勝つことを要求しない原告に、勝つための証拠は何かといわれても、官製談合の証拠しか目に入らなかったのだ。そうして裁判が進み、結果的に敗訴となったが、そこで手に入った証拠のうちに、官製談合の証拠はなく、これで負けてはまだ足りないとして控訴するに、今度は全く違う証拠を出すことに専念した。その証拠が何であったのかは、第三者の建築士の意見書であったが、これを要求する前に、弁護士の様子が一変した。令和5年12月12日
病気の弁護士
一審の証人尋問までは何事も無かったが、判決を待つ間に弁護士と連絡が取れなくなった。何かあったのか? なんて考えもしなくあったが、妙に残っていたのが、「裁判官は普通あのような質問をしない」との話である。普通の普通が分からないが、あのような質問とは「被告の要求に応えていないのはどの図面ですか?」であるに、裁判官は図面一枚を証拠として取り上げたのだ。その図面とは平面計画図である。そう木村理子係長が盛んに言った「基本設計に従え!」の平面計画図だ。基本設計ではない、平面計画図だと反論したが、その反論の論点がずれていたことに気づいてなく、裁判官の質問がどの様な意味を成すのかが分からなくあった。しかし、発注者の言うことを聞かない設計者との烙印を押されるに、たった一枚の平面計画図が飯田市の勝訴へと導いていた。一審で負けたことの最大の理由がここにあるのだと、だからしてこの判断を覆すにはどうすればよいのかと、それには第三者の建築士の意見書が必要だと、その一点に絞っていた。この見解は弁護士にも受け入れられ、控訴が可能な案件だとして第三者の建築士を探してもらったのだが、その建築士の意見書を見て確信したのは弁護士も同じであった。これであれば勝てるかもしれないとの自信は私より弁護士が強くあったことが、目の前にあるもう一つの疑問に気付かなかったのだ。そして控訴裁に及ぶに、飯田市からの反論がなされないと弁護士は慌てだした。その要因は、「控訴すれば必ず飯田市は反論してきますので、熊谷泰人議員の陳述書は慌てなくて良いです」と、言ってたことに、反論がなされなければすぐに陳述書が必要となることで慌てたのであった。そして間に合わせた陳述書であるが、飯田市が反論しない、なぜ反論しないのかとその時は考えなくあったし、第三者の建築士意見書にて反論が出来ないのだと、勝手に解釈してしまった。令和5年12月14日
控訴の行方
飯田市が反論しないことは、控訴において争わないとのことで、既に判決に及ぶと言うことである。そして控訴裁の期日が迫るに、弁護士は早急に熊谷泰人の陳述書を提出せよと言う。泰人と弁護士との直接な話で陳述書はまとめられたが、その陳述書に官製談合にかかわる書き込みを加えることを忘れていない。この書き込みが結果手的に大きな意味を持つことになるのだが、弁護士も泰人もそこに気づいていなかった。弁護士は私の陳述書を不要としたが、そのもっともな理由は「官製談合にかかわる陳述書では意味をなさない」との理由であったが、実は私にとっては官製談合がすべてであるのだ。弁護士は官製談合に関心はなく、警察への告発を依頼しても引き受けることは無かったが、まずは控訴裁で勝てそうだとの感触は得ていたようだ。それというのも、博士の意見書が大きな理由であった。
和解の考え
高等裁判所は地方裁判所とは全くに違うが、それは建物の構えからして威圧感がある。確かに神聖な気持にもなるが、それは高揚感と言っても良く、もしかしたら勝てるかもしれないと、大きな期待は確かにあった。それに輪をかけたのが、裁判官の発言に、「和解の考えは有りますか?」と、被告弁護士に確認したことにあった。下平弁護士は立ち上がり「ありません」と確かに言った。和解? ここまで来ていきなり和解? 私の頭は混乱したが、それが整理できないうちに裁判は早くも終わってしまった。判決は〇月〇日、この法廷にて、とか何とか言っていたような気がしたが、頭に残るは和解のことばかし、だからして弁護士に即確認すれば、弁護士はさも当たり前のように「そうでしたか…」との気のない返事、ならば和解の話はどうでも良いことで、それ以上聞く気もしなかった。令和5年12月16日
議長の立場
熊谷泰人の陳述書では、当然のごとく「市会議員」「議長」の立場が強調されて紹介されている。そのことは大した意味はなくただの紹介であるに、私には違って見えている。そこは、一審の判決理由の一つに、「木下悦夫の証言は信用できる」があったことによる。木下悦夫は建設部長の立場であったが退職した今では飯田市と利害関係にないと結論された。このことに対して、では、市会議員の立場ではどうだ、行政を質す市民側の、それも議長であれば十分に信用できると言えないのか!?の上げ足主張になると、その様な浅はかな考えがあった。飯田市を勝たせるための付け加えだと弁護士は言うに、それでも気が済まないは私の性格による。ま、それにしても泰人が議長になるは、とても良いタイミングであったと見るは、今のところ私だけである。そこは私に有利に運ぶとの考えではなく、どちらかと言えば、木下克志・清水勇・湯澤啓次議長のような立場に泰人が成ったとの考えで、議長であればなおさらに、私の立場に立つことは無いと、その様にとらえているのだ。泰人は行った。控訴債で章設計が勝つとなったら、粛々と市長の責任追及を行うと、そう、それが議長の立場であるに、逆から言えば、章設計が負けたにしても、同じように淡々と扱うだけだと言うことである。飯田市が負けた場合、最高裁へ上告するかどうかと言うことだが、それはけっしてあり得ない。ようするに、議会は上告を認めないと言っていることだ。一審で勝ったのに控訴された。では、一審で負けた場合に飯田市は控訴したかどうかである。それは、控訴するとして議会に承認っを求めるに、議会では調査無くして承認できないとの理由がある。まして一審で反訴の承認を行うにしても、市民側にある議会が章設計と言う市民から何も聞き取りを行っていないからだ。令和5年12月18日
成り行き
どちらにしても控訴裁の判決は出ることで、その結果において双方のこれからが大きく変わっていくだろう。勝っても負けてもそこで終わらせないのであれば、控訴と言ってもただの通過点だ。熊谷泰人議員の言葉を借りれば「市は最高裁まで行く、だから訴えることを考えず木下部長の提案を受け入れたほうが良い」であるに、控訴で章設計が勝ったとしても、最高裁までの争いは覚悟の上と言うことだ。だが、現実はそう甘くないところに飯田市は在る。議会が上告を認めることは絶対にない。というより、出来ないのだ。飯田市が負ければそれで終わり、だからして熊谷泰人議員は前言を撤回し、「市が負けたら、粛々として市長の責任追求に入る」と言わしめた。ならば、章設計が負けた場合においてのみ、最高裁への訴えは行われると言うことだ。では、最高裁で争えるのかと、少し裁判に詳しき者は首をかしげることだろう。たしかに、最高裁は証拠で争うことは出来ないし、訴えるだけの法律的根拠が無ければ門前払いでもある。そして今のところ、法律的根拠が見えていないのも確かであるが、それは高裁で負けた場合での方向であることで、負けたら負けたで考えればよいし、それを考える土台はすでに見えている。まだまだ終わらない飯田市との争いは、はたしていつまで続くのかと言えば、官製談合が白日の下に晒されるまでは続けることだ。なぜそこまで執着するかは、飯田市行政の不正は市長の方針に有らずして、建築課(地域計画課)と綿半と、そして鈴木設計が昭和の時代から積み上げてきた官製談合であるからだ。市長とて手出しが出来ない状況であるからして戦うのであり、この官製談合において多くの設計事務所が不利益を被ってきた負の歴史があるからである。令和5年12月20日
修正できない行政
章設計が契約解除されたとして、それを不服として裁判で争っても、この官製談合は解決しない、いや、解決しなかった。それほどにずぶずぶな背景がこの犯罪の裏にある。なぜ章設計を契約したのか? 裁判で争うに証拠上では「契約工期内に成果物の提出が無かった」の契約解除通知である。だがこれは契約事項の執行であって契約解除の実際の理由でもないし、まして官製談合の証拠でも無い。だからしてこの裁判では官製談合の証拠は挙がらない。それを控訴までして争うに何の意味が有ろうと考えだしたきっかけが、私の陳述書が不要とされたことだ。控訴で仮に勝訴となって損害賠償金が支払われるだけであるし、熊谷泰人議員が粛々と市長の責任を追及するとしても、前市長の判断との言い訳において、せいぜい数か月の減俸で済ましてしまうだろう。とてもとても佐藤の首を取るまで進めない。それよりか、官製談合に完全に蓋をされるのも確実だし、指名競争入札の改善も望めない。勝っても何も意味が無いと、そんな気持ちが漠然と湧き出していたが、それでも勝てるかもしれないの喜びが勝っており、とにもかくにも控訴に集中していた。そんな中で、判決の日にちが決まったのである。待ち遠しい、いや、来ない方がよいかもしれない、それでも決まってしまった。そんな複雑な気持ちが交差するに、勝てるか負けるかとの考えは消えていた。それは、官製談合をどのように表に出せばよいのかであって、何か法律的に対処できないのかと、行政法で争えないのか? と、そんな事ばかしであった。そんな中で、阿智村相手の裁判を二つ進めるに、やはり行政法において官製談合を表に出せる手段に気づいたのであった。そこに気づけばおかしなもので、裁判などどうでも良いやと、少しでも早く終わってくれと、勝つに越したことは無いが、負けてもどうってことは無いと、複雑怪奇な感情が占めていた。令和5年12月23日
二か月
控訴において判決期日が決まるに、それは長く二か月半後であった。まあ待つこと自体は苦痛ではないが、勝つ場合と負ける場合の整理がついてなく、漠然として待は私の性に合わなくある。勝つとの気持ちでいればと言い聞かせたのは事実であるが、負けるとの思いも無かったわけではない。そして結果が近づくに、何がどうなったのか、勝ったのか負けたのか。勝った場合はどうなるのかより、どうしたらよいのかと、官製談合は表に出せるのか、負けた場合はどうすればよいのか、指をくわえてこのまま待つのか、それとも最高裁へ行くのかと、混とんとんと整理がつかない感情であった。そのような混沌に突然として目が開いたのは、負けた場合は最高裁へ行くと、そこだけははっきりしてきた。それは、最高裁で争える新たな根拠が見つかったからだ。最高裁は証拠で争えないと、法律で争えなければ受理もされないと、そんな中で見えて来た根拠が何であるのかは、そう、建築士にある資格である。何の為の資格なのか、なぜ国家資格なのか、その最も顕著な事実が判明したのである。当然として法律に基づく事実ではある、それに気づいたのは単純なことであった。建築士の資格は国家試験だと、国は建築士にどのような資格を与えるのか、建築士にはどのような権利があるのかと、その法律を調べたのである。単純にして正解は、建築士の権利が法律で決められていたことにあった。建築士の権利とは何か、それは基本設計は建築士でなければ行えないと、法律が示していた。建築士でなければ行えないとのことは、基本設計を決定するのは建築士の権限で行われると言うことで、施主が求める計画案ではないのである。建築士の権限が法整備されていれば、この一点で裁判には勝てることで、そこにおいて新たな不安が生じてしまった。令和5年12月25日
控訴は通過点
一審での判決は「市の計画平面図に沿っていない」が結論であるに、建築士の権限が法整備されていれば、市の平面計画図に沿う必要はないと結論される。まあ、常識で考えたにしても資格が無い者が書いた図面に従って設計せよなんてことが通用するはずがない。だが裁判官はそう判断したと言うことだ。なぜだ? それは弁護士の腕の違いとでも言っておこう。下平弁護士は行政の代理人であって、原告の弁護士は設計業務の何たるかも知らないし、まして建築士の資格や権限など知る由もなく、期限内に成果物を提出出来ないことが契約解除につながるのかとの一点に絞っていた。ここで行政の強みが出るのは、行政は法律に沿う業務であるということだ。「契約工期内に提出が無ければ契約違反です」で、契約解除は有効とみなされてしまった。そこで弁護士は「成果物の提出は少なくとも検査に間に合う10日以内に提出しました」と反論し、検査が行われなったのは被告の責任だとした。そこで契約解除通知では判断できなくなり、下平弁護士は作戦を変えたのが「基本計画図に沿っていない。市の要求に応えていない」であった。ここで私が気付いたのは、基本設計が基本計画に変わっていたことだ。これを弁護士に伝えても手ごたえがなく、ずるずると期日だけが経過した。そして控訴へ進むに迷いはなかったが、弁護士の様子がおかしくなった。そう、精神疾患になってしまった。今だから言えるが、その兆候はすでにあったことで、かみ合わぬ意見交換にいらだちながら期日を進めるに、そして裁判官からも「〇〇先生は病気ですか?」などと聞かれても、生返事で答えるしかなかった。悪循環の結果敗訴となったが、控訴するについての不安はそのことだけであり、控訴に向かう新たな証拠の準備を進めていた。令和5年12月27日
控訴で負ける?
そして控訴に向かうに、強い見方が博士であったし、熊谷泰人議員の陳述書も大きな証拠となった。しかし、設計者の権限に気づいた時、もしかしたら控訴でも負けるのでは? との不安がよぎった。博士の意見書は「建築確認申請書の業務も請け負っている」を前提とし、「建築士の設計でなければ設計図面と言えない」「市の提供図面は構造的欠陥がある」「構造設計は生涯責任である」を指摘した。確かにこの意見書は建築基準法に基づく設計者ならではの指摘ではあるが、一審の判決理由は「市の意向に沿っていない」である。はたしてこの意見書において一審の判決を覆すことが出来るのであろうか? と考えた時に、市の意向とは何だと言うことに気づいた。平面計画図に沿っていないなどの単純な話でないことに、それは素人が書いた図面でもそれに従えとの判断にとれる。ならば、設計者に依頼する設計図面とは、なんであるのか? 素人の書いた図面が通用するならば設計者はいらないではないのかと、これもまたどうどうめぐりの思考である。設計者の役割とは、施主が要望する建築物を具体化し、各種の法規に基づいて安心安全な建築物を設計することにあるが、ここを裁判官が否定したわけではない。裁判官は単純であるに、飯田市の意向に沿っていないとしたが、それは、各種の法規に基づいて飯田市の意向に沿えることが出来たと判断したことになる。ならば負けるはずだし、控訴においても負けるかもしれないと、不安になったのだ。たしかにそうだ。設計者の役割は確かにその通り、だが、設計者の権限からすれば堂であるのか。そもそも設計者の権限とは何であるのか。令和5年12月29日
大きな花火🎆
このコーナーも12月31日をもって終了しますが、来年に、とても大きな花火が打ちあがりますので、それに合わせて新たに花火の内容を書き出します。
はたして
設計者(建築士)の権利とはいったいなんであるのか? 控訴はどうなったのか? 最高裁はあるのか? そのことも花火が打ちあがった後に報告いたしますが、設計者の権利については重要なことですので、ここに説明いたします。
業務独占資格
建築士は国家試験における行為独占資格を有しています。行為独占資格とは「一般の人が行うことを禁止している行為を、特に行うことを許されている」ことですので、独占的に行うことが出来る資格を有していることになります。従って、基本設計を行うについては、独占的に行える資格があることになります。これを飯田市の裁判案件に例えれば「飯田荘の基本設計を行える資格および、基本設計を独占的に行える資格」を章設計は有するとなりますので、飯田市の指示に従う必要も無ければ、計画平面図の間取りに沿う必要も無いとなります。
国家資格を有する建築士が、一般の人(職員)の指示に従うことなどあり得ないことですが、民事であれ沿えば単純に、「依頼した内容と違う」が焦点になってしまうのです。弁護士も建築士法や建築士の権利についてなど全く知らないことで、そこにおいて争った結果が章設計の敗訴の原因でありました。しかし、建築士の権限に気づいたのは控訴に及んだあとのこと、もはや控訴の結果もあきらめせざるを得ないと考えるのは、今のところ私だけである。だからして心はすでに最高裁へ向ており、最高裁で争うことが世間の、いや飯田市の住民に必要あると、今の時点ではそう考えております。令和5年12月31日
このコーナーも本日をもって終了いたしますが、来年早々にも花火が打ちあがるかもしれません。突然の打ち上げ花火に、それは報道においてお知らせできると思います。冬の花火は心が震えますが、恐ろしい震えになるに違いないのはお許しください。
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