日本一の星空!!阿智村長の犯罪行為

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タイトル画像は『ヘブンスそのはらロープウェイ基地』です。

 他人の土地を無断で使用したとはよく聞く話であるが、無断で売り買いしたなどの話はあまりない。だが、この信じられない話が、日本一の星空で有名な阿智村では当たり前に起きていたようだ。それも売り主が存在しない団体であって、買主が阿智村であるという、全くに耳を疑う話なのですが、これらのことが、なんと30年近く隠されていたことに驚きを禁じえません。しかも、隠されていた犯罪はこれだけでなく、なんと、阿智村が横領していたとの、これもとんでもない話が露呈したのです。どのような横領なのかといえば、区の財産である共有山の賃貸借料を、これもまた30年近く横領してきたのです。行政が横領する? そんなことはあり得ないと思われるでしょうが、それが実際行われたのではないかの証拠が、存在していたのです。
これらの事実を阿智村行政と議会は認めようとせず、議員に至っては「口が裂けても言えない」とか「死んでも話せない」を理由として口を閉ざしています。このままでは阿智村の存続にかかわることで、万が一行政犯罪となれば阿智村は潰され、村民は多大な被害を受けることになります。何とかしようにも手だては少なく、県警に告発するも行政に捜査は出来ぬとされ、国に告発すれば前代未聞の犯罪だと言われる始末で、阿智村は国が潰すとの結論しかでてこない。この社会制度の矛盾にどう立ち向かえばよいのか分かりませんが、身を挺して事にあたれば、いつの日か正義の道は開けると信じます。

 盗伐裁判の和解について
無断伐採の損害賠償事件だと軽く見るでないことに、阿智村が不正な補助金の支出を行ったのが、この犯罪の起点となっている。そう、ここでも行政の犯罪にかかわる事件が起きていたのだ。原告は澁谷さんで被告は当時の自治会長熊谷秀二と、自分の土地だと偽った渋谷晃一(貢長男)であるが、三年続いた裁判は、原告の勝利となった。しかし、この判決に不服ありとしたのは、原告渋谷さんと被告渋谷晃一の双方であった。原告は弁護士に勧められたのであるが、その本意は阿智村長への不審に向いており、被告はといえば、相変わらず原告の土地ではないと原告が植えた木ではないを繰り返していた。控訴審の裁判官は土地には触れず、誰が木を植えたのかが焦点であったが、ここに来て和解勧告が三度も行われたのである。令和5年3月7日

 和解への道
二三度で終わるとされた控訴審は、以外にも一年続いた。なぜそこまで続いたのかと言えば、確かに被告側の準備書面が途方もなく提出されたことにある。次回期日が始まるというに、その間に準備書面が二通も三通も、それも前日にも提出される始末であった。その中には証拠不十分にて、または内容不明にて被告弁護士自らが取り下げた準備書面もあった。すべての準備書面に目を通し、すべての準備書面に反論するに、それらの準備書面はすでに14通にも達していた。その様な状況において裁判官から和解勧告が三度も有れば、弁護士が傾くのも無理はないかもしれない。だが、澁谷さんは、村長への不審が晴れないとの忸怩たる思いがあると感じた。私が結論するではないが、村長への不審は判決でも変わらぬことで、村長を追求するのは私の務めだと、秀二は犠牲者だと説明すれば、やはり考えるは裁判が終わった後のこと、それが相続した土地の扱いにあった。
 感情でなく考え
感情を取り払えば、物事はいたってスッキリするものだ。裁判官の和解勧告は、まさに起点に沿っていた。「互いの争いが土地にあるならば、その土地を処分することで話し合えばよい」そのように私は捉えた。澁谷さんが土地の処分を考えられるのか? ではなかろうか。管理したいの考えが変わらぬなら仕方ないが、手放す気持ちがあるならば、それはまとまる話である。だからして、単刀直入に話をしたのである。
土地を手放す考えになるに、そこに澁谷さんの気持ちが伝わらなくては意味も成さないが、相続した土地の一つが渋谷一統のお墓とされていたことで、そこに澁谷さんは願いを込めた。「石塔は稲武町に移したが、先祖代々のお墓に両手を合わせてきた」と、この願いは和解となれば弁護士から伝えられるであろうが、そこには渋谷一統に対する感謝の気持ちがある。ならばこの先に、私が出来ることは一つだけとなる。令和5年3月9日

 お世話になるは地元
相続した土地を手放すに、そこに澁谷さんの考えはない。なによりも、地元の人たちに相談することである。そこに感情を持ち込まないとするは、やはり、地元に先に相談することなのだ。だからして、私は手紙を認めた。そして熊谷義文議員にお願いしたのである。
その手紙を公開します。和解に向けて   クリックして御覧ください。
この手紙は当然として、澁谷さんにも弁護士にも渡して了解を得ています。その上で、義文議員に渡してお願いしています。ここまでが私にできることですが、和解はやはり当人同士の問題であって、これ以上踏み込むわけにいきません。しかし、自治会の役員としてかかわった者たちがこれらの経過を理解されて、秀二や晃一とともに対応されることが良いと考えます。

 和解案の提出
弁護士はすでに和解案を裁判官へ提出したようである。この手紙を熊谷義文議員に出した後ではありますが、そこには私は何も関与しておりません。どのような和解条件なのか、それは晃一が知るところでしょう。また、和解案を提出したとして、和解になるかはそれぞれの考えに有ることで、もはや手紙の返答を待たずとして、進んでしまったようです。まあ、この手紙は間違いなく晃一に届けられてはいるでしょうが、和解をするに土地の購入が基本となるは理解できたと思います。
 手紙の解釈
この手紙を自治会の役員らに見せて相談していただきたいとしたが、おそらく義文議員はそこまでのことはしないと思います。それは、晃一が控訴をしたという理由からであります。自治会で弁護士費用は払えないのを義文議員は認識していましたので、実際に自治会にて弁護士費用を支払っている現状において、過去の自治会役員に相談などしないでしょう。和解するもしないも晃一の問題だと、土地を買うにも晃一が買うものだと、もはや議員が相談に乗るは困難とみているのではないかと感じました。たしかに、和解をしても判決でも、自治会で弁護士費用を払えば、それを見過ごした議員の立場は危うくなります。まして、和解を断り判決にでもなれば、自治会で損害金を支払うと決めていた事実も露呈するでしょうし、そこに新たな問題が発生します。そのことがようやく理解できたのではないでしょうか。
この手紙は、無断伐採の裏事情を端的に書きだしていますが、これ以上もこれ以下も有りません。西の三悪人の思惑を書き記しただけでありますので、その関係者以外に感情が有るはずもなく、誰を責めることも出来ないでしょう。許す許せないを私に向けても構いませんが、三悪人の指示において無断伐採した事実は消えることは有りません。令和5年3月13日
和解案の提出につき、和解になるかどうかは晃一の考えに有りますが、和解でも判決でも結果は出ることであって、どちらになっても後の始末は残ります。近いうちに控訴裁の期日が有りますが、微妙な時期でありますので、無断伐採の件についてはしばらくお休みさせていただきます。

 アーテリー道路は村道
村八分の裁判において、操の横領の件につき、操の取り巻き連中(村八分被告)が、「横領が本当なら警察が動くはず」だとか「横領なら村が動くはず」などと、まるで小学生並みの意見書が提出されていますが、ヘブンスロープウェイ基地に続くアーテリー道路に係る地主たちも、まったくに村八分の被告らと同じ程度か、それ以上にあくどいかではないか。村に土地を売って賃貸借料ももらっているのだが、それが犯罪であることに気づいていない。「村に土地を売っていない」などとの言い訳は通用しない。換地費用として金銭を受け取っていれば、村の名義に変えたとなれば、それは売ったことである。その上で、ヘブンスから賃貸借料をもらっているから犯罪でなくしてなんと言おうか!? 税金を払っていれば脱税にはならぬが、換地費用として持ちいれられた金員が契約金(保証金)の一部だとなれば、これは横領犯罪となる。「換地費用400万円」の契約書は手に入っているが、この金は吉川建設からの支払いとされている。だが、吉川建設が換地費用など支払うところに無い。すべてが時雄の差し金なのだが、この400万円は換地費用はほとんど使われず、行方不明となっている。問題は、平成30年頃に行われた換地と称する行為であることで、ここでの換地費用は、現ヘブンスの白澤祐次社長が用意されていたというが、白澤社長はこの事実を否定している。「契約金が行方不明だ」の事件がそれを証明するが、そのことを含めて白澤社長を問い詰めれば、何一つ発言していない。だが、換地費用400万円で二度目の換地を行った渋谷章行地権者組合長は、「換地費用はヘブンスからもらっていない」「間違えて申し訳ない」と、弁解したようだが、換地費用がどこからの金なのかは一言も説明が無い。ここまでで言えることは、アーテリー道路とされた地主たちは、共同所有の土地と、澁谷ゆきゑの土地を除き、すべて阿智村名義に変わっている。阿智村名義に変えて地主たちに何も得が有ったのかと言えば、400万円を山分けしたことにある。
阿智村は、アーテリー道路に係る土地を阿智村名義にして何も得があるのか? となるが、村道であるとのことと、それらに係る土地が阿智村名義になることに損得は何もない。名義が変わらぬ土地が村道とされているもは、全国どこにもある。新たな改良を加えるならともかくも、名義は何も関係が無い。だとなればことは単純だ。契約金からの400万円を、二度に渡って横領したとの事実しか残っていない。令和5年3月15日

 時効の壁
横領犯罪の時効は7年と一応されているが、民事における時効は20年と長い。しかるに、最初の換地に関する横領が20年超えたにしても、数年前に行われた換地が最初の換地に準じていれば、そこにもはや時効の壁は無い。あきらかに刑事犯罪として、換地を行った地主たちは逮捕の対象となる。黙っていれば、私を責めていれば、それで収まると考えていたならば、もはやこれらの地主たちをかばう必要も情けも不要、横領になろうが詐欺になろうが、犯罪に代わることは無い。さんざん忠告してきたが、もはや限界に達している。
 三筆の土地が現わすもの
澁谷ゆきゑの三筆の土地が無断でアーテリー道路とされていたことに、これら地主たちの関与は必然的に現れてくる。確かに時雄がやったことではあるが、時雄が進める換地の話しにのったのは地主達だ。これを共犯と言わずして、他にあたる言葉は無い。三筆の土地裁判が進んでいくに、その裁判で何が現れてくるのかと言えば、アーテリー道路とされた地主たちは地権者組合に加入しており、それらの土地をヘブンスそのはらに賃貸したが事実となるのだ。この裁判の勝ち負けに関係はなく、それらの事実が確認されれば、換地と称して阿智村名義とするに、換地費用と称して契約金を横領したことが証拠とともに浮かび上がる。だが、換地費用を受け取った地主たちを裁くのが目的ではない。この裁判の目的は、ヘブンスそのはらから支払われるべき、両区の共有山賃貸借料を智里西地区住民に取り戻すためである。その目的を達成するには、「両区は地権者組合の一員」だと、地権者組合員の地主たちが認めることで、財産区など存在していないと、これもまた西地区住民全員が認めなければならないのだ。令和5年3月17日

 助かる道
地主たちが助かる道と、ヘブンスそのはらから支払われる両区の賃貸借料を取り戻すのは、両立することだ。地主たちが何をすればよいのかと言えば、単純に、換地費用として受け取った金員を、渋谷章行地権者組合長に返せばよい。たったそれだけのことだが、その返還のタイミングを間違えば手遅れだと知ることだ。ここに宣言するが、三筆の土地の裁判が終わる前に、両区の権利者として訴訟に至る。そこが最終のタイミングであることだ。
 気づかない地主
換地と称して、アーテリー道路にかかる1/3の地主たちは阿智村に名義を移しているが、その時の組合長は佐々木毅文である。時雄の言うまま間に従ったと聞くが、換地費用を受け取っていれば犯罪者となる。そこにきて、名義を阿智村に移しているからして、それから20年経ってしまえば、時効取得とされて、もはや取り戻すことは出来ない。ヘブンスから地代が支払われているとして甘んじていても、その金銭を受け取っていれば、法律上は他人の土地の賃貸借料を受け取っているとなる。ここに契約書とか確認書とか、覚書などの書面が有ったにしても、それらは地代を受け取る権利を証明する書面でなく、換地費用として金員を受け取った証拠になると知ることだ。
今回、渋谷章行の口車に乗って換地を行った地主たちは、時効取得となる20年の間に、「土地を返してくれ」と阿智村と交渉すれば、取り戻すことが出来るであろうか? それは非常に困難である。阿智村に名義を移すのに、換地を理由としても換地でないことは明らかであり、村道だから村の名義にとの村の要請に応えたと判断されるだろう。
そして問題は、ヘブンスそのはらが「村道に地代を支払う理由はない」となれば、村道とされた地主たちは、地代も入らず土地の権利も無いとなる。馬鹿なことをしたもんだとあきれるが、まあ、そのこと自体にも気づかないからして、助ける道は無いのかもしれない。令和5年3月19日

 お借りしていない
地主たちが助かる道は一つだけ残されている。それは、このブログを読まれている方が、これらのことを地主たちに告げて、弁護士に相談させることだ。相談料1,2万円ばかし支払えば、どう対処すればよいか教えてくれるだろう。まあ、期待は薄いが、一人くらいは気づく者がいるかも知れない。だいたいにして、阿智村の名義にすれば、それは阿智村からヘブンスが借りていることになる。それが法律だと気づけば、どうすればよいかは分かることだ。
 世代の壁
平成6年に地権者組合は設立しているが、なぜ地権者組合が必要だったかと知る者は多く居ない。それは、田舎特有の無学をさすのだが、それでもまとまったのは、「賃貸借」であったからだ。賃貸借が土地区画整理法の制約だと知らなくとも、土地を売るのではなく貸すのであれば、そしてそれが30年も約束されるのであれば、知識がなくとも迷うことは無い。そして地権者組合が設立するに、見識も土地区画整理法も理解できた熊谷恵治氏が組合長になったのであるが、この人が他界したことで、時雄が一気に地権者組合を乗っ取り、換地と称してこれらの犯罪が行われたのだ。今現在、地権者組合のほとんどは世代が変わり、地権者組合の設立そのものを知らずして、また、知ろうともしない浅はかさが、多くの混乱を引き起こしているのだ。盗伐騒動も、まったくにヘブンスの成り立ち、いわゆる地権者組合設立が元にある。なぜかと言えば、地権者組合の設立が、この地区の基準となったからである。ヘブンスが出来た。ロープウエーが出来た。そして新しい道路ができ、駐車場が整備された。この一連の流れにおいて、この地区の価値観が変わってしまったのだ。令和5年3月21日

 渋谷章行を相手にするな
毎年恒例で行われていた、地権者組合とヘブンス白澤佑次社長との連絡会議(懇親会)が4年も前から中断されているが、これに懸念する地権者組合員はほとんどいない。地権者組合員はなぜ疑問を抱かないのか? 地代が振り込まれているから気にしないのであろうか。いや、そうではない。アーテリー道路に係る地主たちとそうではない地主たちに問題意識の乖離があるからだ。4年前の懇親会で「換地とは何ですか?」「換地など不要ですよ」と指摘し、偽造契約書を地主たちにも配布した。その時点ではそれらの真意が呑み込めない地主たちであったが、それからも換地と称して阿智村名義に走った地主たちがいた。それを指導したのが渋谷章行地権者組合長である。ここではっきりと、換地行為にかかわった地主たちと関与しない地主たちに分かれたのであるが、換地にかかわる地主が多いことと、すでに換地費用を受け取っていた地主たちは、懇親会が開かれると、また私が乗り込むと恐れをなしていた。たしかにその思惑は、渋谷章行地権者組合長と白澤祐次社長との話であるが、換地の地主たちの追従は、後ろめたさに他ならない。
 賦課金の支払い
地権者組合に事務局を置き、その活動に賦課金と称して地権者組合員から地代の数パーセントを毎年振り込ませているが、その会計報告は行われたことは一度もない。この賦課金は時雄の小遣い稼ぎであるが、それに従う地主たちに本谷園原財産区も入っているからして、その集計金額はかなりな額となる。活動しているならともかくも、懇親会さえ開かれないとなれば、事務局などようもない。毎年振り込まれる賦課金は数十万円であるが、その金は渋谷章行と時雄の奥さんの懐に入っているのである。
この様な馬鹿気たことが平然と続けれれるに、それに対して何も言えない地主たちの愚かさにあきれるが、なぜそうなるのかと言えば、やはり換地と称して裏金を受け取った者達が多いことにある。令和5年3月23日

 本谷園原財産区
澁谷ゆきゑの土地を、本谷園原財産区が阿智村に売ったとする契約書が存在した。これは相当な犯罪であるが、この契約書が表に出ない限り、また、この契約書が偽造だと証明できなければ、犯罪として立証できないのも確かである。しかし、この契約書は思わぬ形で表舞台に登場した。それは、盗伐裁判において、渋谷晃一が証拠としたからだ。どのような形であっても、裁判で扱われた証拠は、その証拠が否定されない限り、事実として認証される。少なくとも、本谷園原財産区が、阿智村に売ったとの事実がこの契約書で証明されたのだ。
 村長の責任範囲
土地返還裁判において、「本谷園原財産区から購入して20年以上占有している」と契約書を証拠とされた。非常に驚いたが、本谷園原財産区が存在しなくとも、阿智村が買った証拠とされた。ここで、原告弁護士は「契約書に拘束されない」と、反論したが、本谷園原財産区が存在しない団体だと反論していない。その様な反論は意味がなく、阿智村が買ったが事実としても、登記名義は私であって、阿智村ではない。では、法務局の登記が間違いなのかと言えば、そこに阿智村は反論しない。阿智村は契約書を証拠として買ったとするに、買っていないの事実が有れば、それは全くに矛盾する。
熊谷秀樹村長の責任範囲はどこなのか? 偽造契約書を作ったことか? 偽造契約書を証拠としたことか? いやいやそうではない。熊谷秀樹村長の責任は、私にこの契約書を渡し、「村では買った覚えがない」と、主張したことにある。令和5年3月25日

 証文の行方
差出人不明の手紙が届いたことを以前書きだしたが、そこには「村長は契約書を渡していない」との文面が有った。なぜそんな手紙が私に届いたのか? それは、この契約書を反論の証拠としたからだ。平成30年初頭であるが、澁谷ゆきゑの土地は買った覚えが無いと、それを証文として私に預けた。その証文を刑事に提出したのだが、そこに村長の責任は無い。あくまでも、「買った覚えがない」の証文があることに、買ったとする契約書を裁判の証拠で提出したことに、熊谷秀樹村長の責任が出たのだ。おそらくとして、弁護士に相談して不安となり、その証文の行方を確認したくて、匿名の手紙に走ったのではないかと考える。たしかに、買ったとする契約書と、買っていないとの村長書面が有れば、裁判官はどちらも証拠採用できない。契約書が偽造だとか、本谷園原財産区は存在しない団体だとか反論してもあまり意味は無いだろう。ちなみに、盗伐事件において刑事に提出した熊谷秀樹村長の書面はコピーであって、本物は私の手元に有るからして、今後の展開を見据えて村長の証文を提出しようではないか。
同時裁判

アーテリー道路にされた三筆の土地裁判は始まったばかしであるが、おなじくして、村道園原線の無断道路拡張の裁判は思わぬ展開になっている。それは、無断で拡張された時期は、まだ父が存命であったことで、私の相続前であったからだ。村は、「自治会からの要望で道路拡張した」「章文は自治会役員で承知していたはずだ」として占有の正当性を主張していたが、仮に私が承知していたとしても、それは何の意味もない。村が強権を発動しようにも、父の了解無くして、道路拡張は行われないのである。令和5年3月27日

 場外戦
不動産の取得時効完成後に当該不動産の譲渡を受けて所有権移転登記を了した者が背信的悪意者に当たる場合」を引用され、私を「背信的悪意者」であると決めつけてきた。どういうことかと言えば、「20年以上村道であることを知りながら土地を購入した」「自覚して不動産の二重譲渡をした」と反論しているのである。契約書が通用しないのであれば、確かに反論として、それしかないのだろう。この反論には根拠が必要であるが、まずは、「自覚」と「目的」を証明しなければならない。自覚とは何か? 村道と知っていることが自覚なのかと言えば、それは全くに違う。「阿智村の土地だと知っていたのか?」である。村道であれば、誰しも村の道路だと思い込むし、裁判官も全くにそう理解するだろう。しかし、阿智村名義になっていなければ、阿智村の土地だとされない。だからして、「20年以上占有してきた」が根拠となるのである。「20年以上占有すれば時効取得が成立する」これが、現在の法律であるからして、阿智村の反論もまた、通用するものだ。だが、阿智村が時効取得を主張できるのであれば、「背信的悪意者」としての反論は必要ないことになるが、わざわざ立証が困難な背信的悪意者を持ち出した訳はどこにあるのであろうか?
 「目的」
私が、これ等の土地を澁谷さんから購入した目的がどこにあったのか? 阿智村を訴える目的は何か? を証明するに、「選挙資金を集めるのが目的だ」と主張されたのだ。飯田市の市長選挙に出たじゃないか、阿智村の村会議員選挙にも、そして阿智村長選挙にも出馬した。これらの選挙において多額な資金を必要とした。その資金回収や今後の政治活動の資金集めとしていると、あれまあ、開いた口が塞がらないが、そんなところまで踏み込んで、「背信的悪意者」だと反論主張されたのである。令和5年3月29日

 いらぬお世話様
選挙資金の反論主張にはおまけがあった。下平弁護士の意趣返しかな? 私がこのブログを始めたころ、当時の阿智村議長高坂美和子は、「どうしたらよいですか」と、下平弁護士に相談したそうだ。何を相談したかと言えば、岡庭一雄村長の行政犯罪をブログで公表していたことにある。下平弁護士に相談するは同じ共産党であるからだが、その相談に「放っておけばよい」との返答は有名な話である。放っておけばよいが、放っておけなくなったは下平弁護士の方で、岡庭一雄と下平弁護士の関係が次々暴露されれば、如何に顧問弁護士としても評判は落ちる。そして極めつけは、「月川旅館の株主地位承継訴訟事件」の裁判であった。この裁判は、私の持ち株500万円が、叔父渋谷秀逸に盗み取られたことの取戻請求事件であったが、この時の月川旅館の社長が時雄であって、時雄は下平弁護士に弁護を依頼した。下平弁護士はこれを引き受け、見事に勝利したのだが、これを最後に時雄との関係は打ち切ったという。そこに何が有るかは想像に難くないが、時雄の月川旅館のれん代請求を引き受けたのが川島弁護士であることで読み取れるではないか。
 飯田市の裁判
下平弁護士としても、これだけブログで書き出されれば相当に頭に来ていたはずだ。何よりも、15年前の阿智村を被告とした「園原ビジターセンター設計料未払い事件」の調停において、下平弁護士の「設計料を支払います」との返答に「岡庭一雄は村長を辞めろ」を私は条件とした。必然的に和解不成立になったのだが、この一件をブログや本に書き出したのは、相当に堪えたのではないか。だからして、飯田市の裁判を買って出たことは、それらの意趣返しと捉えても無理はない。
飯田荘の契約解除の件は、契約解除の通知を出す前にそれらの旨を章設計に伝えなかったことで、牧野市長も佐藤副市長も相当な窮地にあったという。そして調停に掛かれば、設計料を支払い和解するとの方向であったようだ。それを、下平弁護士が市に乗り込んで、「裁判になっても勝てる」と、調停を不成立とさせたと聞く。この話は熊谷泰人市会議員から聞かされたが、彼が嘘をつくはずも必要も無いことで、確かな事実として受け止めた。令和5年3月31日

 放っておけばよい
当時の飯田市は顧問弁護士が居なく、市長が率先して裁判へ進むことは無いことだ。話し合いが行政の基本であるからで、だからこその議会行政不介入である。当時の清水議長は盛んにそれを口にし、議会が出来ることはここまでだと念押しされたが、議会が動くには裁判しかないと、これもまた余分な口を出している。これらの件は散々書き出してたのでこれくらいにするが、放っておけば良いの下平弁護士の言葉は、どうもこの裁判で下平弁護士に返すことになりそうだ。
 村を攻撃
選挙資金を目的とした証拠は、ブログで村を攻撃していることにあるとされた。? 首をかしげるのは、ブログで書き出しているのは阿智村の行政犯罪であって、また、岡庭一雄元村長や熊谷秀樹村長が犯罪者だと指摘しているが、これを攻撃と見る弁護士はなかなかいない。村長選挙において、「熊谷秀樹村長は犯罪者だ!」と広報したが、そこに制約が無いとされたのは阿智村選挙管理委員会である。取り調べも受けなければ、選挙違反にもなっていない。行政批判するに、それがブログの書き込みとしても、直接乗り込んで声を挙げたにしても、それが攻撃だと主張されても構わないが、原告弁護士は、「放っておけばよい」と当ることもしていない。下平弁護士としても、反論するに相当な困難が有ることで、何かないのかとの状況にて、「村道であることを原告は知っていたじゃないか」の背信的悪意者に、ブログを持ち出したと言うことだ。ようするに、背信的悪意者は、下平弁護士の意趣返しとして受け止めている。まあ、それだけこのブログを読んでいることになるが、確かに情報として役に立っているのかな。給水停止裁判にて、「相手方の情報になるのでブログは閉じてください」と言われ、そのコーナーは閉鎖したが、私の性格として、事実に代わる結果は無いであり、隠すことに意味はない。令和5年4月2日

 感情的・認知的な執着
こだわりのない村民は、村長を信じるものだ。いわゆる、利害関係が無ければ社会通念で判断するは摂理なのだ。ならば、村長が犯罪者だと村民に伝えるに、もっとも効果的なのは、やはり裁判ということになる。裁判にて村民の目が覚まないならば救いようも無いが、やれるところまでやらなくして結果も出ない。感情に支配された者達を相手に何を説いても無駄ではあるが、だからして、裁判の結果で認知させるしか無いのである。
 必要なのは答え
認知とは哲学の考察であり、存在や知識の原理を求めるところにあるが、裁判も一つの認知作業と考えるべきで、そこでの答えで感情を抑えることが出来る。言い訳や愚痴は残るとしても、結果において解決するものだ。しかし、裁判においても解決しないところにあるは、結果は出ても答えが出ないところにある。それが個人であれば諦めもするが、行政であれば答えが出ないが通常であって、裁判の結果で行政を変えることは難しい。行政は法律を守らせるところで、法律に違反するは無いからだが、もし、行政が法律に違反したとなれば、いったいどのような答えが待っているのだろうか。
 偽造契約書の存在
契約書が偽造でも、行政書類であれば、または、行政が必要として求めたものであれば、法律的に偽造契約書が存在しても何ら問題は無い。ここに、本谷園原財産区渋谷秀逸総代長と阿智村山内康治村長の契約書が存在し、その契約余の内容は、澁谷ゆきゑの三筆の土地売買契約書である。この契約書をもって、熊谷秀樹村長は「20年以上前に購入しています」とされた。このことが裁判の証拠とされたのである。令和5年4月4日

 覆らない証拠
一度証拠採用されたものは、取消も弁解も出来ないのは当然だが、それらの証拠について反論するのは十分にできる。だが、原告弁護士は何も反論しなくあった。なぜか?「その契約書には拘束されておりません」この様に言い放ったのは裁判前のことである。しかし、被告阿智村はこの契約書を証拠としたが、それに対して反論一つ行っていない。ならば、その契約書を認めるとでも言うのであろうか?
 反論しない理由は二つ
契約書に拘束されないとのことは、その様な契約書に法律的根拠は無いと同じであって、 証拠にならないとのことだ。だいたいにして、法務局の登記は私であって、本谷園原財産区ではない。単純な話だ。だとすれば、被告阿智村も承知の上で、この契約書を証拠にしたとなる。いわゆる、争いの姿勢を示したと言うことだ。そうとれば妙に納得する。「背信的悪意者」の反論は、「悪意を持って土地を購入した」「村道になっていると知っている」の理由ならば、たしかに、契約書が通用しないは前提となる。契約書が通用するなら、背信的悪意者の反論は必要ないからして、被告阿智村は、契約書は証拠にならぬと理解してのことだ。
では、もう一つの理由であるが、契約書への対峙でないのは確かである。裁判が進んでないので詳しく書けないが、私の土地だと証明できることに理由がある。
 求釈明
求釈明を簡単に説明すると、相手に聞きたいこと、または、相手の証拠の裏付けなどを裁判官に求めることであります。例えばというより、この裁判で求釈明するとなれば、「契約書の相手方である本谷園原財産区につて説明願います」をぜひ行いたい。この考えはまだ弁護士に伝えていないが、弁護士であれば、その必要は有りませんよと、やさしく言われるかもしれません。令和5年4月6日

 契約相手
今回の裁判において、契約書が証拠とされ反論されたことで、その契約書の真意は問われず、また、契約書の存在も大した証拠になっていない。だが、この契約書の扱いについて、この裁判以外での使い道について考えれば、いまここで、求釈明を行うことは、たいへん有意義なことだ。裁判を利用するのではないが、証拠として扱われた契約書は、どのような状況が生まれたにせよ事実にかわりなく、扱い用においては、最も重要な証拠となる。
 偽造の証明
契約書が偽造であっても裁判に差しさわりは無いようだが、それはあくまでも民事における判断であって、こと刑事裁判ともなれば、偽造は重要な犯罪の証拠となる。だからして、契約書の偽造を証明するのであって、どのように証明するかをこれから始めるのだ。
偽造だと証明するには、契約書のどの部分が偽造になるのかを見つけることだが、それはやはり、本谷園原財産区の存在にある。本谷園原財産区は存在しないと分かっているが、それを私が証明しては意味もなく、あくまでも、被告熊谷秀樹村長に返答させる必要がある。このように書けば、熊谷秀樹村長とて、その意味は分かることで、何とか拒否するのではないか。それとも「以前のことなので分かりません」と、いつものように誰かのせいにするかもしれない。だが、求釈明において、「本谷園原財産区について説明してください」となれば、それは答えるしかない。本谷園原財産区は契約の甲であり、「私が所有している土地を売ります」で、阿智村は乙として、「あなたの土地を22万円で買います」との契約書ですから、説明できないはずがない。ただし、求釈明とするかは弁護士の判断だが、必要ないと、これも優しく言われるかもしれない。どうなるかは、次回期日後にはっきりするが、本谷園原財産区が存在しないと、地域振興補助金の支払いが、大変なことになる。令和5年4月8日

 説明不可
偽造契約書を証拠とするのは岡庭一雄村長だけでないことに、熊谷秀樹村長は、熊谷操との浄水場管理委託契約書も偽造して、被告弁護士に提出しております。これもまったく土地売買契約書と同じく、偽造契約書だとの説明がつけば、立派な犯罪の証拠となろう。これは何も私が証明することでなく、操自身が説明することだ。熊谷秀樹村長がつくった浄水場の管理委託契約書には、「管理費36万円」「補償費16万5千円」と記されているに、補償費の返還でないとされれば、必然的に偽造契約書となる。万が一、補償費の支払いであったとされた場合でも、操に補償費を受け取る権利が無いことは、公団の書面で証明された。ならば、操は補償費を横領したとなる。どちらに転んでも、操の横領は確定するのである。判決にて横領の確定ができれば、あとは世話が無い。判決文を片手に警察に出向けばよいことだ。「操と孝志と義幸を逮捕してください」とね。これで、契約書が偽造であったと証明されるが、その後が大変ではなかろうか。「偽造契約書を作成した責任追及」として審査請求を行えば、熊谷秀樹村長とて、村長の辞任は経過上であって、刑務所行は免れないだろう。
 守秘義務は通用するか
公務員には守秘義務がある。「仕事の上で知りえた秘密を外部に漏らしてはいけない」というものだが、「公務員には告発の義務がある」との兼ね合いで、どちらを重く見るは言うまでもない、不正や犯罪は守秘義務に当たらず、告発の義務を優先するのは当然で有る。しかし、熊谷秀樹村長は、不正や犯罪の隠ぺいを目的とし、職員らに守秘義務を押し付けている。それらの事実の一つ一つが、いくつかの裁判において暴かれていくのだが、これもまた大変な状況に進んでいく。「職員の不注意として処罰する」を繰り返してきた熊谷秀樹村長は、多くの職員を不正や犯罪の共犯者にさせてしまった。令和5年4月10日

 本谷園原財産区の存在
土地返還請求事件の裁判において、もっとも重要なポイントは「本谷園原財産区の存在」にある。阿智村が、これら三筆の土地を20年以上占有してきた根拠は、本谷園原財産区から三筆の土地を買ったとする契約書にあるからだ。本谷園原財産区が契約者の甲であれば、阿智村は行政であるからして、契約者の身元確認は業務上の義務である。そもそも、土地の所有者が誰であるのかは、阿智村は法務局の登記を共通していることで確認できるからして、澁谷ゆきゑの土地であるは事前に把握していたことだ。それを、本谷園原財産区の土地だとして売買契約するのであれば、最低でも、澁谷ゆきゑの土地が本谷園原財産区に譲渡されたの証文が必要ではないか。その証文は渋谷ゆきゑの相続人であっても良いが、勝野公人職員の復命書で証文の代わりとするのであれば、民法も行政法にも抵触する。それが違法行為でないとするのであれば、本谷園原財産区の存在を証明するしかない。それが証明できればこの裁判は私の敗訴となろが、証明できなければ、阿智村は裁判に負けるどころか、契約書を偽造して他人の土地を占有してきたとの犯罪になる。
さて、私が熊谷秀樹村長に「土地を買っては如何かな?」との申し入れに、それを「2000万もの請求をした金の亡者だ!」と村内に言いふらしたこと、また、村長選挙戦において、私への誹謗中傷の一つとしたことに、今振り返れば、「買っておけばよかったな」と、反省した方がよろしいかと。もっとも、簡単に買えないような金額にしたのには、この様な目論見が有ったと気づかれてもよろしいが。
 西地区のお馬鹿ども
澁谷ゆきゑの土地にある樹木を盗伐した西地区一部の者らは、「両区の存在」を盗伐裁判において明らかとした。その時の主張が「いまは本谷園原財産区だが、昔は両区と言った」であった。この様に言っているからして、盗伐した者らに、特に、渋谷晃一に「本谷園原財産区の存在」を証明させればよい。盗伐裁判で散々渋谷晃一に協力して行政書類を与えてきた熊谷秀樹村長ではないか。それに、本谷園原財産区との契約書の写しも渋谷晃一に与えているからして、相当な利害関係が発生していることだ。晃一は、喜んで本谷園原財産l区の存在を認めてくれるだろう。令和5年4月12日

 本谷園原財産区は被告人
ヘブンスの山林地代を阿智村経由で受け取っているのが本谷園原財産区である。ヘブンスの山林は両区の共有山であるからして、本谷園原財産区に受け取る権利は無い。だからして、本谷園原財産区を相手に「両区共有山の山林地代返還請求」で提訴する準備をしているが、誰を被告にするか迷っている。まあ、一番刺激がある者とすれば、渋谷秀文だろう。渋谷秀逸の長男で、次男孝人は月川旅館の支配人であるからして、相当な感情を私に抱いているようだ。まあ、親が横領を繰り返した大泥棒であれば、やり場のない怒りが向くのは理解できる。ならば、本谷園原財産区の会計として、名古屋在住の原氏に、地域振興補助金収入の金875万円を裏金として渡した責任を取るに良い機会だと考えるが、如何であろうか。まあ、彼一人とならぬは当然で、幾人かの仲間がいれば心強いと思われるので、そこは心配しなくともよい。ただし、被告となるのを恐れ、「財産区ではない両区であった」と反省する輩であれば、そこは情けにおいて対応しようではないか。
 冷静になれ
本谷園原財産区など存在していないと、たったそれだけを認めればよいことだ。では、本谷園原財産区とは何か? と問われたら、任意団体であって、平成10年頃に、渋谷秀逸と熊谷時雄と、そして熊谷操の三名がつくり上げた任意団体であるとし、「本谷・園原財産区保護誓約書」なる書面において、地区山林の、権利山・共有山を管理してきたと、事実を言えばよい。そして、地域振興補助金を毎年阿智村から受け取り、それを本谷園原財産区の活動費に充ててきたと話せばよい。たったそれだけだ。それ以上のことを話せば、犯罪者になってしまう。令和5年4月14日

 証拠がなんだ
本谷園原財産区の会計には、「ヘブンス山林地代」の名目で275万円足らずの金額を収入としている。しかし、最近の会計報告では、「地域振興補助金」の名目に書き換えられている。ヘブンスの山林地代では不味いとしたようだが、所詮は熊谷秀樹村長の浅知恵である。阿智村が地域振興補助金として拠出していれば、その受け入れである本谷園原財産区がヘブンスの山林地代では如何にもお粗末すぎる。だからして地域振興補助金としたようだが、その場しのぎで収まる話ではない。そんな姑息を行えば罪が重なるだけに、馬鹿者どもへの注進は無駄以外にない。
 弁解不要
補助金の性質に、「一定の目的」があるが、平成10年から続けられてきた補助金に、どのような目的があったのか? これがまず問われることだ。この結論に、熊谷義文議長は、「阿智村独自の補助金」だと、議会で決定つけている。国が捜査に入れば、「議会は何を持って独自の目的を審議したのか?」があることで、そこに明確な議会資料が無ければ、議会も共謀した不正拠出となる。やはり阿智村が助かる道はなさそうだが、ここにもう一つ、決定的な事実が存在する。それは、地域振興補助金は、毎年二回に分けて支払ったことにある。25年も続けている補助金に説明がつかないのに、年二回の支出に説明がつくというのか? ヘブンス山林地代を地域振興補助金に変えるに意味はなく、かえって罪が重なるだけだ。まして、本谷園原財産区が存在しないとなれば、目的は何かと問われ、それが地域振興補助金受け入れとされれば、村長に弁解は何もない。令和5年4月16日

 ダミーの目的
本谷園原財産区に関係する者たちが、地域振興補助金を受け取るために本谷園原財産区をつくり、補助金を横領した。これが、警察の見方となる。行政に入れない警察であれば、行政を騙して補助金を受け取ったと見なされることで、地域振興補助金を25年も受け取ってきた本谷園原財産区の犯罪となるのだが、ここに、本谷園原財産区がダミーだとなれば、実質的に受け取った者達が逮捕の対象となる。さて、ここで刑事訴訟法が物を言うのであるが、横領犯罪の時効は7年であることに、それでは逮捕者が誰になるのかと言うことだ。まあ、過去7年までさかのぼり、その時の総代が逮捕されるとおもうが、大変な事ではないか。
 横領の28人
本谷園原財産区には、園原部落・農間部落・中央部落・戸沢部落の4名の総代が居り、それぞれに、総代長・副総代長・会計・書記に割りつけられているそうだ。そうであれば、逮捕者は、4人✖7年=28人となりそうだが、西地区で28名もの者が逮捕されるとなれば、ほぼ全員と言ってよいだろう。「俺は大丈夫」だとか「逮捕されるわけがない」と、のたまうのもよろしいが、本谷園原財産区が昔から続いているとして、地域振興補助金を受け取ってきたのだから、横領の外に詐欺犯罪も加わるのではないか。28名ともなれば、それもやはり前代未聞の事件になるは当然で、大きな社会問題になるのではないか。
移住者を除き、西地区には60余りの住戸がある。その約半分の住戸の者が逮捕されるに、西地区の行く末はどうなるのか心配であるが、物事が進んでいけば、28名の内部分裂が起きるのも確かであろう。28名の者が、同じ言い訳が出来るとでも言うのか?頭の悪い奴らばかしで困ったものだが、この様な犯罪に、いったいどうのような言い訳がつくというのであろうか。令和5年4月18日

 にっちもさっちも
地域振興補助金を受け取ってきたとの言い訳に、「地域振興補助金に横川部落が入ってないのはなぜか?」と追及されて、説明がつくとでもいうのか? ヘブンスの山林地代を迂回して受け取ってきたがいい訳であれば、阿智村と議会が「地域振興補助金は阿智村独自の補助金」と決めつけた事実を覆すことが出来るのか?岡庭一雄も、欲にくらんだバカ者どもを騙すのは訳なかったと思うが、大きな間違いを犯したものだ。それは、偽造契約書を残したことにある。「村長は契約書を偽造しても罪にならない」と言ったのは弁護士であるが、犯罪の証拠であれば罪どころの話ではない。どう解釈したにせよ、岡庭一雄の犯罪ではなく、阿智村の犯罪となる。「阿智村とジェイマウンテンズセントラル株式会社の賃貸借契約書」この動かぬ証拠に、本谷園原財産区は存在していないことを考えろと言いたい。絶対的な証拠は、両区共有山の山林地代を阿智村が受け取っていることだ。
 蚊帳の外
契約書の偽造と、それに係る金員の入金、または、ヘブンスの支払い記録が有れば、この犯罪は確定する。それにおいて始まるのが、「不正拠出」である地域振興補助金なのだ。地域振興補助金は、両区共有山の迂回であるとされるは、ヘブンスそのはらがこの金員(地代)を支払っていることにあり、その金員が出金と地域振興補助金に違いがあるは、横領と言う犯罪となる。ここまでに、大きな行政犯罪がすでに三つも発生しているが、この先から本谷園原財産区へと捜査は進むのであろう。今のところは蚊帳の外だが、捜査が始まれば、もはや手を打てなくなり、阿智村が潰される犯罪の共犯者となれば、重大犯罪者となるは必至の事である。令和5年4月19日

 助かる道
西地区の28名が助かる道はもはやないが、罪が軽くなることはまだ考えられる。何を成すべきかはおいおい教えるが、私が掛けている6っつの裁判に、その答えがあることは伝えておく。一つ目の裁判は盗伐裁判であるが、この裁判は既に和解へと進む、そして和解になれば、今度は村長への追及となるが、この追及に「本谷園原財産区と阿智村の売買契約書」がある。この契約書は、盗伐裁判の被告である晃一が「澁谷ゆきゑの土地全ては両区に払い下げられていた」として証拠としたのだが、この契約書は紛れもない行政書類であることは、契約書の欄外に、阿智村の決済欄が載っていることにある。晃一も「本谷園原財産区は両区の前身だ」として言い訳したが、行政書類であるは否定していない。控訴裁においても、この契約書を事実として「ほかの土地は村に売っているのだから、阿智村に寄付したらどうか」と、進言されている。いわゆる、民事においては、契約書が偽造であろうとなかろうと、そこに関係は無いのだ。
 監査請求
補助金不正受給での監査請求を準備するに、裁判にかけたことにおいて、5年前であろうが十分監査請求が出来る。監査請求を行うに、この契約書を証拠とすれば、監査委員は相当なる覚悟をしなければならない。おそらくとして議会も乗り出すとみられるが、議会が過去に承認した事案であっても、議会議決に是正を求めることではないからして、議会は口をはさめない。だが、阿智村の議会は異常であるからして、口出しは当然あるとして準備するが、それらの口出しが、補助金不正受給の関与証拠となるは知っていただきたい。そして、監査請求への監査員の回答が何であったにしても、住民訴訟へとは進めずに、審査請求に移行することも伝えておく。住民監査請求であれば、住民訴訟へと進まねばならないが、そんな回り道は不要である。行政法の何たるかは、公正の確保と透明性にあり、国民の権利利益の保護に資するを目的とする、こんな当たり前のことを、議員らは勉強するべきではないか。令和5年4月20日

 軽くなる罪
監査請求するに、熊谷秀二が支障木の補助金を返済しなければ、簡単な監査請求とはならず、また議会も相当なる窮地に追い込まれるだろう。そしてまた、秀二も晃一も裁かれることになる。盗伐裁判が和解になることは、原告と被告の争いが無くなることではなく、盗伐はもとより、何も無かったことにすることだ。せっかくに、何も無かったことになるに、それが「障害木の補助金を受け取りました」との証拠が残れば、何も無かったは無意味となる。そして新たに生まれるは、「障害木補助金不正受給」だ。何ということか、5年近くも裁判を続け、原告も被告も納得がいかないまでも歩み寄っての和解であるに、これで争いも無くなると言うに、補助金を受け取ったままでは済まされないのだ。そう、私は監査請求を行うと宣言しているのだ。補助金を返さなくても返しても、その考えに代わることは無い。なぜなら、悪い奴は岡庭一雄と時雄であるからだ。
 待ったなし
簡単な話だ。現在の智里西自治会長は誰だか知らないが、その自治会長が、「平成29年の障害木補助金受取は間違いでした」として、このほど気づいた」を、ことさら強調すればよい。熊谷秀樹村長が詳しく聞くことは無いが、聞かれたら堂々と、間違いを修正したいと言えばよい。それで秀二も晃一も関係が無くなるのだ。監査請求が始まるにしても、智里西自治会に障害木補助金を支払ったのは、阿智村であるからして、そこに何が有ったにしても阿智村の問題だ。ただ、返さなくあれば全く違う。補助金をだまし取った犯罪、いわゆる詐欺犯罪が生まれてしまう。要するに、阿智村が騙されたことになるのだ。令和5年4月22日

 逃げるが勝ち
自治会は権利能力無き団体であるに、だからして秀二が訴えられた。補助金不正受給もそうで、自治会の犯罪ではなく個人の犯罪とされるのである。だから返せと言う、一日も早く返せと言う。しつこく言う、それしか助かる道は無いのだ。民事での争いは「損害金」であり、判決では損害金が確定するが、それでは犯罪は無くならないことに問題が残る。しかし和解になれば「迷惑料」となり、犯罪は無いことになる。それが和解の最大の利点である。せっかくに和解になるに、今度は阿智村を騙したとなれば、元の木阿弥だ。このような子供でも分かる理由であれば、補助金は返還することだろうが、補助金を返せば、それから先に何が有ったにしても、秀二と晃一には何も関係が無いことだ。「補助金を受け取って返した?」おかしいじゃないかの声が出たにしても、それに応えるのが議会であって、今までさんざんに「間違って切った」と熊谷義文議員は言い続けてきている。熊谷秀樹村長もまた、「職員の責任だ」として処分しているからして、補助金を返して逃げるが勝ちとなる。
 熊谷秀樹村長に義理は有るか!?
木を伐って金にした智里西製材クラブ、実際の犯罪はこれらが行った。しかし、そのような犯罪に走らせたのが、岡庭一雄と西の三悪人である。そしてそこに確かな証拠が存在した。時雄と岡庭一雄が役場に乗り込んで、無理やり村長に合意させた証拠である。勝野公人議員の発言が議事録として残っているに、それ以上の証拠はないだろうが、これはけして刑事事件の証拠でなく(証拠になる)ても、住民監査請求では絶対的な切り札だ。監査員は、障害木補助金事業の監査を取り扱い、間違いがない者として十年続けてきた事業、それが根本的に否定したのが、誰あろう熊谷秀樹村長である。「障害木補助金制度は、制度そのものが間違いであった」と、否定して処置されたとするが、それはあくまでの体裁の言葉であって、障害木補助金制度を精査して閉めたことではない。ようするに、臭い者に蓋をしただけである。一度閉められた蓋であるが、それを住民監査請求において、熊谷秀樹村長自らに、蓋を開いていただこうではないか。令和5年4月24日

 澁谷ゆきゑの土地に終わりはない
何もかも、岡庭一雄と西の三悪人の中で多くの恐ろしい犯罪が行われてきた。村民の多くはそのことに気づいているが、共産党が恐ろしいか、それらの犯罪の理解が出来ないのか、誰もその解決に向かおうとしない。その昔、民意が低い阿智村民と揶揄するご仁が居たが、民意が低いは頭が有ることで、このような犯罪の理解が出来ない村民は、その頭の構造が狂っているようだ。
 すべては時雄
確かに澁谷ゆきゑはこの土地を離れて行ったが、何も土地を放棄したことではない。それが証拠には、別れた夫と長男建典は、この地でしばらく営林署の作業員をいていたことにある。そして稲武町に越すにつけ、お墓の移転も行っていた。お墓を移転するに、親戚に無断で出来ないことは言うまでもないが、農地や山を身内に分けていたのであれば、その時点で話はついたことではないか。それを晃一は『平川文男の土地』だと言い張り、裁判まで及ぶとするに、晃一をそこまで駆り立てたものは何であったのか? そこが、この盗伐犯罪の根源にある。晃一は、誰のためでもなく、時雄に指示されて「平川文男の土地」だと主張するに、ここに晃一の得は何もない。嘘だとかの問題ではなく、父の土地だと申請したことにある。「地主渋谷貢」と申請したことに、何のまずさがあるものか。ゆきゑの土地を管理してきたのは父貢だとすれば、好泰も納得するし、それだけで村も十分な話であった。なのに、平川文男の土地だと言い張ったのはなぜなのか? これも話は簡単であった。ようするに、澁谷ゆきゑの土地は、すでに時雄らに盗み取られていたからだ。そう、アーテリー道路とされた三筆の土地の話である。この三筆の土地を搾取したのは澁谷建典が急死した直後のことで、岡庭一雄が村長になった平成10年に契約書が偽造されている。ようするに、平成10年には、時雄らは澁谷ゆきゑの土地がどこにどうあるのかをすべて把握していたと言うことである。令和5年4月26日

 欺き
晃一は時雄らに欺かれたのだ。良いように利用され、挙句の果ては泥棒の主犯とされたのだ。それでもなお時雄らに従うは、まだ他の犯罪に深く関与していることにある。それは何か? ヘブンス山林地代と換地の話、それに月川旅館ののれん代にもあることだ。分かりやすく言えば、西地区の誰もが同じ状況にあるからして、誰も彼も動きが取れないのが実情である。しかし、この汚れた状況にきれいな空気を入れ込めれば、やがてどよんだ空気も汚れも落ちることで、その切っ掛けに盗伐裁判の和解がある。和解すれば解決するとの簡単な話ではないが、少なくとも一件は落着するし、そこに加害者も被害者も居なくなれば、あとは別の問題に目が向けられる。そのようにして、一つ一つ解決しなければならないが、その一番目が「補助金不正受給」なのである。
 住民監査請求を
補助金不正受給が確定した。そう、一審の判決において補助金不正受給が確定したのである。一審の判決文は、「熊谷秀二の過失責任」であって、その過失が何であるのかは、「地主の確認を怠った」である。そう、熊谷秀二は自治会長として、地主の確認を行わなかったのだ。障害木補助金申請書の欄に、「渋谷貢」と書いたことが、熊谷秀二の過失であるのだ。これが間違いだとの判決に、補助金を返済しなくあれば、詐欺罪となってしまう。だからして早く補助金を返せと進言するに、一向に進めていないようだ。それはもしかしたら、高裁で平川文男の土地だとなればの思惑があるかもしれないが、馬鹿をやってはダメだ。仮に高裁で平川文男の土地だとの判決が出たにしても、渋谷貢で申請した事実は変わらない。ようするに、一審の判決と高裁の判決が違ったにしても、熊谷秀二の過失は変わら無いのである。晃一よ、詐欺罪にならぬよう早く補助金を返せ! 返さなくなれば、住民監査請求の結果について、責任を負うのは秀二と晃一となる。令和5年4月28日

 連休明け
補助金不正受給はすでに確定したが、これをこのまま放置するほどお人よしではない。連休が明けたら補助金不正受給を追求していくが、その時点になっても補助金を晃一が返さなくあれば、もう気にかけないとする。補助金不正受給は大罪であることを、身をもって知ればよい。それに、補助金不正受給に熊谷秀二を関係ないとするには、熊谷秀二が過失を認めることにあるが、それはすでに裁判官が証明してくれた。「地主の確認を怠った」これが秀二の過失であるが、実は、地主の確認は熊谷秀樹村長が行ったことであり、補助金の交付も熊谷秀樹村長が決定したことにある。村長が「渋谷貢の土地」だと、確認したことである。村側からの視点はそこにあり、村長が渋谷貢の土地だと決めつけたのは、熊谷秀二の申請書ではなく、渋谷晃一に確認を取ってのことだとみなされる。だからして、熊谷秀二の過失責任は、最終的に村長の責任に転嫁されるのだ。
 利害関係
盗伐裁判で争うに、渋谷貢の土地ではないとしたのが晃一である。ここで渋谷貢の土地で押し切れば、補助金不正受給にはならなかった。熊谷秀樹村長が、渋谷晃一に確認したとなれば、それで十分である。それを平川文男の土地だとしたことに、晃一も秀二も泥棒となったのだが、そこに気づかなくあるは哀れと思うが、それよりも、時雄の指示に従った付けが回ったとが真実である。好泰を説得させるために、平川文男を持ち出したのは時雄であって、時雄は自分の罪(岡庭一雄と役場に乗り込んだこと)を隠すための方便に晃一を使った。それだけのことであるが、実は、それが最も重要なことなのだ。この事実が表に出れば、晃一の補助金不正受給も無くなることで、すべてが熊谷秀樹村長と岡庭一雄、そして時雄の犯罪になるのである。令和5年4月30日

 どうしようもない事実
熊谷秀樹村長が、どのような言い訳をしても、絶対に覆されない事実が三つある。その一つ目は、「澁谷徳雄氏との懇談」であります。この懇談には、澁谷徳雄さん他、澁谷みどりさんと好泰と私、熊谷秀樹村長と市村職員の6名が出席しており、そこで「智里西製材クラブが伐採した」「補助金の支払いは終えている」と、熊谷秀樹村長が発言したことにある。ようするに、障害木補助金申請を受理したことで、智里西製材クラブが伐採したと言っているのだ。障害木補助金申請にある、「渋谷貢の土地」であることを村長が確認したことになるし、「補助金の支払いは終えている」としたのは、それら補償立木の本数も確認しましたとなるのだ。しかし、現地では全ての立木が伐採され、どの立木が障害木だったかの確認も出来ないのであれば、市村職員は何を確認して補助金を支払ったのか? と、疑いが出てしまう。市村職員に切り株の調査をさせたのだが、被害を受けた立木は、申請21本をはるかに超えた62本であった。この62本の伐採を村長が許可したとみなされるは必至であるが、その場合、伐採して金に換えた智里西製材クラブの共犯者となるかもしれないし、熊谷秀二が申請者であることは、首謀者の一人ともなろう。渋谷晃一も渋谷貢の土地として申請したのは詐欺犯罪の証拠になることで、また智里西製材クラブの常務であれば、窃盗罪の首謀者ともなる。これら二名の犯罪にならぬようと考えれば、和解するしか方法は無いのだ。和解以外の解決策は無いのだが、それでも補助金不正受給は残ってしまう。秀二や晃一側からの補助金不正受給を無かったことにするには、間違っていましたとしか方法は無いのだ。まあ、ここまで来れば西地区のおバカさんたちにも分かったと思うが、間違ったで済ますには、補助金を返すしか他に方法が無い。令和5年5月2日

 二つ目の事実
間違っていましたは秀二か晃一にしかできないことで、また補助金を受け取っているのが晃一であれば、晃一が阿智村に返すしかないことだ。それが、ことが始まったでは返せないことで、だからして早く返せと言うのだが、どうも晃一が理解できないようだ。まあ、仕方が無いので放っておくが、晃一はともかくも、秀二は十分助けられる状況に有る。それは、「間違えて切ったとしたら申し訳ない」と、熊谷秀樹村長に伝えていたのを私が立証できるからだ。確かに秀二は謝っており、また、補助金を受け取った(4月の支払い)のが次年度の自治会長であれば、もはやそこに責任はない。
さて、二つ目の事実が何であるのかは、「障害木補助金申請」の目的にある。それは「生活道路として使用するに支障が有る場合」が、この補助金の趣旨であるからで、あくまでも村道における日陰木、あるいは障害木の処分にあることだ。この目的において、当該土地の樹木を当てはめてみれば、日陰木でも障害僕でもない。申請には「樹木の枝が大型バスなどの通行に邪魔になる」として、バスの通行に限定しているが、それは、「花桃祭り」の観光バスを示していることで、普通車の通行に影響が出ることではない。まして、枝が邪魔になるに、樹木の伐採は関係ないことで、建設農林課がどの様な審査をして受理されたのかが問われることだ。障害木として判断できなくあったならば、その責任は建設農林課にあるとなる。たしかに、熊谷秀樹村長は、調査が不十分だったとの理由において、建設農林課の職員4名と、総務課の職員2名を懲戒処分(厳重注意)しているからして、この事実を認めていることになる。ならば、熊谷秀二の責任はこの問題に所在していないとなり、すでに、阿智村が補助金の支払いを不正に支出したとされている。令和5年5月4日

 村道か?
まだ二つ目の事実に到達していない問題がある。それは、当該土地に隣接する、いわゆる、交通の妨げとなる道路の管轄がどこかと言えば、それは長野県建設事務所である。如何に障害木だとしても、県道であれば阿智村がとやかく言うことでないし、まして阿智村が補助金を出せる話でもないとなる。なのに、熊谷秀樹村長は申請書を受理し、補助金の支払いに間違いは無いとされ、そして、智里西自治会に補助金を支払った。ここに責任が生じるのであれば、それは熊谷秀二自治会長ではなく、熊谷秀樹村長の責任ではないか。どうでしょうか? これが二つ目の事実ですが、この事実が隠蔽されるに、まだ、和解がどうのこうのだとの話を取り沙汰していても仕方ないでしょう。誰が悪いのか? それはもはや言うまでもないことです。
 三つ目の事実
もはや虫の息の熊谷秀樹村長ですが、とどめの一発が控えておりますので、それをこれから説明しましょう。
熊谷好泰自治会長は、渋谷晃一から提出された障害木補助金申請書に基づいて、建設農林課に提出すれば、「渋谷貢の土地ではありませんので申請書は受け付けられません」と却下されています。そうです。却下されたのです。だれが却下したのでしょうか? 建設農林課の職員ですか? それとも、櫻井建設農林課長が却下したのですか? いえいえそうではありません。熊谷秀樹村長が却下したのです。それだけのことですが、それ以上のこともありませんので、これで終わりです。
何か釈然としませんか? そうですね、何かが引っかかりますよね。熊谷秀樹村長は「却下」しているのに、なぜ翌年その申請書を受け付けたのでしょうか? 「地主が間違っていました」平川文男の土地でありますとして申請したのであれば、または、渋谷貢が澁谷ゆきゑの土地や樹木を管理してきたとして、渋谷貢が譲り受けた土地だ樹木だとして再申請したのであれば、まだわかりますが、まったくに同じ申請書であれば、その申請書が受理されたのであれば、これも熊谷秀樹村長の判断と責任で行われたことです。令和5年5月6日

 責任を取るのは村長
渋谷晃一が再申請するのであれば、または、平川文男の土地だ植えた木だとするのであれば、平川文男の名前で申請することです。それが出来なくあるに、すでに平川文男の土地ではないと、渋谷晃一が認めたことであります。訴えられてから「平川文男の土地」だと主張して争っても、では、なぜ平川文男で申請しなかったのか? で終わりです。しかし、それが取り沙汰されるのは盗伐裁判ではなく、補助金不正受給についてで始まることです。熊谷秀樹村長は、同じ内容の申請であることを承知の上で補助金申請書を受理し、そして実施状況を確認して支払っていますので、すべてが熊谷秀樹村長の判断で行われたことになります。ですから、熊谷秀樹村長にすべての責任があるのです。このことを忘れて、「澁谷ゆきゑの土地だ」「いや、平川文男の土地だ」などと言いあっても、全くに意味が有りません。簡単な話し、誰が一番悪いのか!?そう考えることです。
 不正受給ではない
補助金の不正受給とは、補助金を受ける個人、または団体が虚偽の申請を行って受給することであり、それらは大変重い犯罪となります。では、熊谷秀二は補助金不正受給を行ったのでしょうか? と考えるに、その判決はと言えば“過失”であり、その過失内容はと言えば、「地主の確認を怠った」であります。そう、地主が誰かを確認しなかったのが過失であると裁判官は判決したのです。地主の確認をしなかったことで、それが不正受給になりますか? かりに不正受給ととらえられても、過失で有りますので、犯罪とは何ません。ようするに「すみませんでした」と謝れば済んでしまいます。ですから「間違って伐ったで押し通せ」と、熊谷秀二に伝えていたのであり、補助金を返せば済むとしつこく言っているのです。令和5年5月8日

 不正な支払い
渋谷晃一はどうでしょうか? 澁谷ゆきゑの土地を「渋谷貢の土地」だと申請したが、渋谷貢の土地だとして判断したのは村長だ。ここに渋谷晃一の過失はないし、判決にもない。問題があるのは、平川文男の土地だと言っておきながら、補助金を受け取っていることにある。証拠から言えば、補助金不正受給を実際に受けたのは渋谷晃一ということだ。だが、この証拠が通用するのは刑事訴訟法における刑事犯罪の証拠であって、補助金不正受給とは関係が無い。だからして、和解となれば、万が一にも逮捕されることは無いのである。
 誰が悪い
智里西製材クラブも歴代自治会長も、そして当事者たちも、和解になれば後に残る問題は補助金不正受給だと考えなければいけない。何も無かったとなる和解に補助金が残っていれば、やはり不正受給となってしまう。誰が悪いとかのことではない。補助金を不正に受給してはいけないのだ。補助金を返せば、補助金は、不正に受給したのではなく、不正に支払われたとなる。そう、村長が悪いとなるのである。このことを見極められないことに、当事者たちのお粗末と不幸があるのだが、ここまで来れば、もはや晃一の判断に任せるしかない。盗伐控訴が和解で終われば、私は早速に熊谷秀樹村長の追及を始める。当然のこと、補助金不正受給ではなく、補助金不正支出の責任追及である。補助金が晃一から返されなくあれば、住民監査請求にて追求しようと考えているが、熊谷秀樹村長が行ったことは犯罪であるからして審査請求がふさわしくあり、切り替えての請求を考えている。長引く控訴裁の結論は、遅くとも二三か月のうちに出されるが、今月にある期日が一つの山場ではないか。令和5年5月10日

 被告は誰か
刑事裁判の被告は当然に犯罪者だ。犯罪者とは何を持って言わしめるかは、「刑法に違反した者」であるからして、熊谷秀樹村長を犯罪者として決めつけた私は、熊谷秀樹村長の犯罪を暴かなければならない。行政が犯罪を犯すことは無いからして、補助金不正支払いは、あくまで熊谷秀樹村長個人の犯罪となることだ。しかし、熊谷秀樹個人の犯罪と立証するには相当な時間と困難さが伴うが、それでもやるべきことをやれば、必ず通用することでもある。何を成すか、為さねばならないことをまず成すことだ。
 確定した証拠
裁判とは強制的に結論されることだが、結果を望むのであればその勝敗は重要になる。しかし、こと盗伐裁判においては私は第三者である。その第三者が原告に代わって費用を出して裁判に臨んだのは、勝敗を求めての裁判ではない。なぜ裁判したのかと言えば、証拠を確定するためにある。確定したい証拠が「障害木補助金申請書」であることは、もはや説明するまでもないだろう。障害木補助金申請書の取り扱いについて、熊谷秀樹村長はすでに答えを出しているが、そこに今回の障害木補助金申請書は存在していない。ようは、障害木補助金制度が間違いだとして閉めてしまったのだ。そこにおいて「熊谷秀樹は犯罪者だ」と叫んでも無意味なこと、当然に犯罪者とは他の事件にあるが、どうも村民はその様に理解できないことで、まずは障害木補助金制度における不正受給にて犯罪者と決めつけることにした。そのばあい、障害木補助金申請書は何御証拠でもないことに、この証拠が表に出ていないことにある。ここで、「補助金不正受給ですよ」と、この障害木補助金申請書を片手に住民監査請求や審査請求を行たにしても、行政も議会も簡単にきゃあ課されてしまうが、こと裁判の証拠として判決に作用したとなれば、障害木補助金申請書は、完全な証拠となったのである。令和5年5月12日

 辞職しか無い
盗伐事件において熊谷秀樹村長の犯罪を立証するには証拠が必要であるが、その証拠はすでに裁判において確定されている。何が証拠なのか? 今更だが、障害木補助金申請書が証拠である。それも一度目と二度目、二通の申請書が証拠なのだ。一度目の申請は「地主が違う」として却下した。二度目は「地主が違うことを承知」で受理した。この証拠に逆らえるとすれば、晃一が補助金を返還することにあった。「間違えて申請しました」とすれば、熊谷秀二自治会長の責任にて処理が出来たのかもしれないが、晃一は「平川文男の土地だ植えた木だ」として裁判で争ってしまった。馬鹿な男だ。間違いで済ませば、または、好泰に申し訳なかったと謝れば、すべてが事なきで終えたのである。
 熊谷秀樹の不正その二
熊谷秀樹村長は大きな間違いを犯した上に、愚かなのか、追加でとんでもない不正を行った。それは、「本谷園原財産区と阿智村」の契約書の写しを晃一に渡したことだ。なんとまあ馬鹿なことをしたものだ。晃一は早速この契約書を証拠として、「ゆきゑの土地はすべて両区に譲ってこの地を離れた」として、本谷園原財産区は両区を引き継いでいるので、阿智村に土地を売ったのだと反論したのだ。何を言いたいのかは、この契約書は裁判に証拠として用いたことで、表に出たことになる。ここで、私は澁谷徳雄さんからこの三筆の土地を買い、熊谷秀樹村長に「偽造契約書を用いてゆきゑの土地を買ったとすれば阿智村が犯罪を行ったことになる。大変なことになるから、土地を買っていただきたい」と、話を持ち掛けた。ここで安い値段であれば、渡りに船で熊谷秀樹村長は買うことになる。それを避けるには高額な請求(根拠はある)で牽制したのだが、おバカな議員どもは、その金額での請求を非難し、愚かな村民もそれに続いたことで、思惑通りご破算となった。令和5年5月14日

 その三
熊谷秀樹村長が晃一に公文書を開示請求なしで与え、それを裁判の証拠としたこと自体が不正なのだ。それを逃げ延びたにしても、渡した契約書が偽造であれば、それはもはやとんでもない犯罪となる。「補助金の不正支払いをした」「偽造契約書を裁判の被告に渡した」この考えられない犯罪を熊谷秀樹村長は実行したのですから、責任を取って辞職するのは当たり前ではないでしょうか。辞職するだけでは終わりませんよ。補助金の不正支払いは熊谷秀樹村長が行ったことで阿智村ではありません。晃一に偽造契約書を渡したのも熊谷秀樹村長個人です。確実な証拠が二つも出れば、それも、そのどちらも裁判における証拠として取り扱われたのですからもはや逃げ道は有りませんし、住民監査請求が終われば警察も視野に入ることで、刑事訴訟法において告訴も準備しておりますので、逮捕も確実となるでしょう。住民監査請求にて議会が村長の罷免を示唆しなければ、また辞職しなければ、審査請求に切り替えますので、上級行政庁(国)において、しっかり結論を出してもらいましょう。
さて、三番目の不正でありますが、「岡庭一雄と熊谷時雄が建設農林課に乗り込んで、『障害木補助金申請を受け付けろ』と櫻井迫り、熊谷秀樹村長の判断で申請書を受理し、伐採木を確認して補助金を支払った」との件について、熊谷秀樹村長が櫻井課長に命じて勝野公人議員に口止めを迫ったことを、勝野議員はこの口止めも如何な事かと議会で取り上げてたが、その件で勝野議員と熊谷秀樹村長はネゴを行い隠蔽している。勝野議員は「村長に騙された」と、嘆いているが、これが最も悪質な犯罪である。これにも確かな証拠が有るが、当然に、住民監査請求や審査請求に証拠として提出する。
今までに、口先だけだハッタリだと口さがない村民は居るが、証拠が確定しなくて何するものぞ。証拠が確定すればすべてが終わるに、証拠が確定する前に村民に知らせるは、まだ間違いとして修正できたからである。令和5年5月16日

 和解以外にない
盗伐裁判は裁判官の和解勧告に沿って調整されているが、和解案の基本は、澁谷ゆきゑ及び渋谷薫の土地を相続した澁谷徳雄さんが、それらの土地の一切を地元の方に購入していただくという前提である。なぜそれが和解条件になるのかと言えば、ほかに解決できる案が無いからだ。土地は確かに澁谷ゆきゑと薫のもので、それを買ったとする、または、それらの土地に平川文男の家が建てられていたが事実にしても、すでに時効が成立している。それを平川文男の土地だとの証言者が控訴にて突然に二人出たにしても、「なぜ時効取得が消滅する前に対処しなかったのか?」の裁判官の疑問に答えられなかった。そして土地の争いが無くなれば、今度は「平川文男の父親が植えた」との証言に、それを否定する証言者は澁谷徳雄さん一人しかいない。ようするに、多勢に無勢において、結論を出せないのである。今回の裁判は、「無断伐採された樹木の損害賠償請求」これにおいて、損害が確定しないのだ。損害が確定できなければ判決は出せない。なぜならば、平川文男の父親が植えたとを取り上げれば、平川文男の土地であるとされるし、平川文男の土地ではないとの結論とすれば、そこに誰が木を植えたにしても、澁谷徳雄さんの物だと言うことになる。
 民事の結論
民事裁判は金員の請求であるに、そこに、和解であったにしても金員を確定せねば裁判は終わらない。損害での金員が確定できないとなれば、他に金員を算出する手段を取らなければならない。それが「土地を被告に売ったらどうか」の提案である。この和解案であれば、双方は納得せねばならないし、回りの感情も収まる可能性がある。だからして、事を荒立てたと好泰を非難するより、関係が無いのに裁判にかけた私を恨めばよいとなる。令和5年5月18日

 固まらない地
土地を被告に売るとの案の了解は私にあった。それは、私が裁判にかけた本人であることに、弁護士は私に従うしかないのである。土地を売らないとすれば、あとは判決しかない。許せないなどの感情において安易に事を運べない事情は、私ではなく渋谷徳雄さんと渋谷一統にあったのだ。「平川文男の土地だ」は、まったくに嘘である。平川文男の土地であるならば、渋谷貢の名前でなく平川文男の名前に変えるはずであるし、時雄もまた、役場に乗り込む必要など全くない。平川文男の土地ではないを、一番わかっているのが晃一と時雄なのである。しかし、裁判になればそうはいかない。一度ついた嘘を繰り返さなければ、裁判に負けるからである。ここで感情的になるは、晃一や時雄ではないことに気づかなくてはいけない。時雄の悪だくみは、なにもこの事件だけでないからだ。西の三悪人の犯罪と見据え、なぜこのような悪事が強引に行われてしまうのかと考えることだ。しっかり考えれば、もはやそこに感情ではない気持ちが湧いてくる。そう、すべてが行政と議会で行われた犯罪なのである。そこを見据えることが出来なければ、悪感情はいつまでも続き、解決に至らないのだ。
 烏合を相手するな
特に、一定の集団(集落)のなかでは特殊な心理状態が生まれることがある。人は常に疎外感を恐れるもので、仲間外れになりたくないとの感覚は集団においてある一定の状況になびくと言う心理が生まれることがある。ここに例を取れば、園原部落で行われた村八分がある。横領の証拠である使用済通帳を私から取り上げたことで、操は孝志や菊美に私を部落から追い出すよう指示した。そこに便乗するは和美や渋谷より州であるが、そこまでは今までの構図であるが、そこに渋谷吉彦が便乗したのは、やはり、仲間外れの意識が強く働いたかだ。令和5年5月20日

 気質と性格
生まれ持った性格と言われるが、気質は身についた性質である。性格は形成されるが、気質に代わることは無く、人格として備わるものだ。性格の良しあしは一般論に過ぎず、悪いことをすれば性格が悪いとなる。しかし、泥棒は生まれついた気質であるが故、当人は悪い性格だとの自覚が無い。ここに権力が備われば、確かに怖くて何も言えないだろう。ただし、操が自己判断する権力とは頭をたたくことであって、それがあるから怖いと言うのである。どのような頭の叩きかと言えば、そう、まさに村八分「部落から出ていけ!」なのだ。
これと全く同じことが盗伐犯罪でも行われた。そう、間違いを正そうという熊谷好泰元自治会長を仲間はずれにしたことだ。時雄のこの行動は操と全く同じであって、自身の犯罪が表沙汰になるのを恐れ、嘘(平川文男の土地)を押し通すとの考えである。好泰が何を言おうが無視し続け、形勢が悪くなると、「地主を探し出す好泰が悪い」と言いふらす。そう、これで好泰の頭を叩いたのだ。
 村長を信じた付け
好泰が自治会長として補助金申請したことを、「地主が違います」として却下したのは熊谷秀樹村長だ。翌年、時雄が熊谷秀二自治会長の代理で同じ補助金申請を行うに、岡庭一雄を供に建設農林課に乗り込んだ。その悪事を了解して補助金申請を受理し、そして補助金を支払った。ここで誰が犯罪者なのかを考えてみることだ。これを考えずに誰が悪いと言いあっても、それは時雄の作戦に乗ることで本質に届いていない。誰が悪いのか、それは、ゆきゑの土地だと知って、それでも貢の土地だと認めた熊谷秀樹村長が一番の犯罪者なのである。補助金の不正支出、これに代わる犯罪は他にない。令和5年5月22日

 なぜ和解なのか
一番困るのは渋谷一統だからである。判決で勝っても負けても、澁谷徳雄さんの土地は他にいくつも存在している。わずかな土地もあれば山もあるが、それらの土地は十数個にも上っている。晃一が「平川文男の土地だ」と主張する根拠が「本谷園原財産区(両区)にゆきゑは譲ってこの地を離れたが、それとは別に平川成泰には売っていた」と、どちらをとっても主張に矛盾があるが、どちらにしても十数個の土地を把握していなかった。盗伐した土地と、私が買った三筆の土地だけについて、単純に主張していたのだ。山がどこにあるのか、他の土地はどこなのか? 何も知らなくあるに、盗伐した土地だけは平川の土地だとするのは、あまりにも虫が良すぎる。それでも、これらすべての土地を渋谷一統に売却するのが和解の条件となった。「土地の管理が出来ない」を正直に理由としたのは、澁谷さんの誠意である。和解するに、互いの誠意は不可欠だが、渋谷一統の誠意は見えてこない。この辺りは弁護士の影響ではないかと考える。さて、ここで「一番困るのは渋谷一統だ」としたわけは、ゆきゑの土地の一部を無断でお墓にしたことにある。ゆきゑがこの地を離れたのを良いことに、渋谷一統のお墓を移しているのだ。澁谷さんはそのことを知らずに「先祖のお墓は稲武に移した」と話されているが、その時の話は、渋谷一統のお墓が晃一の家の上にあったころである。ここで、和解とならず判決となれば、澁谷さんは必然的に「お墓を戻せ」が次の請求になることだ。ここにきて、お墓を戻すは出来ない相談であることと、無断でお墓にしたことは、両区に譲っていない証拠となろう。どっちが得かなどと言ってはいないが、どちらに誠意があるのかは分かっていただきたいものだ。感情では何事も解決しない。訳の分からぬ者には、隠された事実をさらけ出すことである。令和5年5月24日

 正当化するな
木を切って金に換えたのが誰なのか!?そこを考えるべきであろう。渋谷建典が植えたにしても、平川成泰が植えたとされても、それらの金はこの二人には入っていない。晃一が文句を言うのであれば、平川文男に木の代金を払ってから言うべきだろうし、そもそもそこがこの犯罪の元である。智里西製材クラブが伐って金に換えた。それに、金に換えたのは障害木だけでなく、その三倍もある他の樹木である。誰が弁償するのかは智里西製材クラブしかないが、それに目をつぶって和解とするのに、智里西製材クラブの者がとやかく言えることは無いと知れ。和解になれば、もはや感情に走るのは互いにやめることだ。誰でもよい、申し訳なかったと、ほんの少しの気持ちを持てば、確かに何も無かったことに近づくと思う。
 無かったことに出来ないこと
和解は良いことだし、和解で持ってこそ過去も洗い流せる。この地を長く離れ、もはや帰るところに無いとすれば、きれいにしたいは誰もが考えることで、そして澁谷さんもその気になった。これで土地の整理が出来れば、良い結果になると思うことだ。これにて確かに一件落着だが、得てしてそうはならないことに、補助金の不正支給が残っている。晃一に返還せよと言ってきたが、どうもその気に無いようだ。まあ、返しても返さなくても村長の不正支給に代わることは無いからして、せいぜい、詐欺犯罪として告発されないよう気を付けることだ。なぜしつこく警告するかは、和解が終われば、熊谷秀樹村長の補助金不正支給として、上級行政庁に請求を起こすからである。令和5年5月26日

 二言
補助金不正受給ではない。補助金不正支給である。ここでいえば、百パーセント熊谷秀樹村長の不法行為である。「岡庭一雄と熊谷時雄の要請において、申請地主と所有者に違いがあることを認識したうえで補助金を支払った」とんでもない犯罪だ。前代未聞の犯罪だ。辞職は当然だが、必然的に逮捕の可能性も考えられる。確かに一つの行為だが、ここにも三つの犯罪がある。「補助金の不正支出」「偽装申請書であるを認識していた」「他人の土地に侵入させ、木を伐ることを許可した」この三つの犯罪には、それぞれの犯罪名が確実につく、ここに阿智村顧問弁護士は介在出来ぬして、争われることではない。
 行政法違反
控訴審が終われば請求を行うと宣言しているが、まだ、監査請求にするのか審査請求にするかは決めていない。それには、行政法に基づいての進め方に詳しい弁護士が飯田市近辺に居ないからだ。離婚や契約違反程度の弁護ばかしであって、行政法にかかわる事件を経験した弁護士は誰もいない。また、行政法に詳しくある弁護士を県外で探しても、それらの弁護士の経験は行政側にあることで、そもそも、行政相手に請求を起こす立場に無いのである。しかし、住民監査請求であれば、弁護士を代理としなければ進められない。それは、阿智村に限ってだが、共産党が支配する阿智村行政と議会に対して、共産党の熊谷秀樹村長を相手に住民監査請求しても却下は目に見えることで、その先にある住民訴訟(長野地方裁判所本部)を見据え、弁護士に依頼しなければ進められない。そこで、住民訴訟をを受ける弁護士が飯田市近辺に居るのかと言えば、間尺(費用)に合わない訴訟は受け付けない、難しい訴訟は受け付けない、それが飯田市近辺弁護士の特徴ではないか。令和5年5月28日

 松川町の監査請求
三年くらいになるか、機械設備工事の入札において、松川町で談合(官製?)が行われたと住民監査請求が起きている。そこで監査請求に掛けたのは、元共産党の町議だと聞く。そして監査請求は却下され、住民訴訟に及んでいる。その結果がどうなったのかと言えば、まだ南信州新聞で報道されていない。全国紙では相手しない監査請求に、南信州新聞が食いついたのは、やはり、共産党に関係する。松川は記事にし、阿智村は書かない。これが南信州新聞である。
 刑事犯罪
補助金の不正支給はどう見たって犯罪だ。住民監査請求でも審査請求でも、どちらにしても証拠は確定される。ならば、必然的に熊谷秀樹村長の逮捕は見えてくるが、その時、いったい南信州新聞社は記事とせねばならないだろう。どうでもよい話しであるが、これら補助金不正支給の犯罪は全国的にも例を見ない犯罪であって、地方紙など端から視界に入っていないが、全国紙がどう出るのかは、やはり、各社に違いが出ることだろう。審査請求するに、報道機関全社に情報提供することになるが、どこかが記事にすれば、それは瞬く間に県内へと広がるだろう。ならば、やはり住民監査請求でなくして、最初から審査請求となるのではないか。
ここで残されたことは、盗伐裁判の和解がいつになるのかの話である。ここであらためて書き出すが、和解であっても判決と同じだと言うことを認識していただきたい。判決を望む外野も居るようだが、外野は外野、当人たちは原告と被告であって、この二人にしか答えは出せないのである。和解であったにしても「金員〇〇を原告に被告が支払え」このようにしか裁判官の主文は為されないことだ。令和5年5月30日

 和解判決日
1 被告は原告に対し、本件〇〇の行為により原告を深く傷つけたことを謝罪する。
2 被告は原告に対し、本件解決金として金〇〇万円の支払い義務があることを認める。
3 被告は前項の金員を2023年〇月末日以降、同年〇月末日まで〇〇万円支払う。
これらが一般的な和解の内容ですが、今回の和解は少し様子が違います。それは、和解条件の本題が「澁谷徳雄氏所有の土地全てを被告らに転売する」であります。なぜこのような条件になったのかと言えば、「当該土地を被告渋谷貢に売ったらどうか」が、裁判官から提案された和解案であったからです。その裁判官の理由は「原告は当該地から遠方であることで、管理が出来ないのではないのか?」でありました。まさにその通りで、早速に、私が渋谷さんにそれらを確認したのです。澁谷さんは被告らにうらみなどありません。まして、渋谷一統の本家であって、それも先祖のお墓を管理されている渋谷一統に感謝さえしているのです。その気持ちにおいて、澁谷貢さんにお世話になりたいと、そう判断されたのです。これ以上何を望みましょうか? 木を切った奴が悪い。騙した奴は許せない。そんな次元ではなく、「木を伐らせた村長が悪い」に、答えは集約されたのです。
 焦る村長
和解になるに、熊谷秀樹村長はかなり喜んだようだ。そう、判決であって、それも原告が勝訴となれば、補助金不正受給が表に出て終い、私に追及されると恐れていたからだ。それが和解であって、澁谷さんの土地が晃一の物になれば、もはや補助金の不正受給でなくなると安心したようだ。だが、ところがどっこい、「補助金不正支給で追及する」と私はブログで宣言した。和解でも補助金を不正受給した変わりなく、受給が支給に代われば最も恐ろしい結果となることで、何を思うのか、熊谷秀樹村長は、考えられないような手を打ってきた。令和5年6月1日

 章文と好泰が悪い
和解の条件をすり合わせているに、被告弁護士から、考えられないような反論書面が提出された。それをここに公開しよう。長谷川弁護士の最後の反論   クリックしてご覧ください。
 章文が悪い
「章文を鉄砲で撃ち殺せ!」この件を覚えておられる読者もいると思うが、西の谷は恐ろしい地区である。この言葉を誰が吐いたのか、渋谷晃一である。なぜ渋谷晃一がこのような言葉を私に投げかけたかは、私が裁判にかけたからである。「間違えたで済ませ」と熊谷秀二を説得したのは、このままでは訴えなければならない状況であるに、その相手が熊谷秀二であったからだ。渋谷晃一を訴えたくとも、「地主渋谷貢」とされていれば、熊谷秀二しか実施にない。だからして、一審では熊谷秀二だけに判決がでたのである。だが、補助金を受け取ったのは智里西製材クラブの常務である渋谷晃一であって、その時すでに、渋谷晃一は犯罪者になっていた。令和5年6月3日

 好泰が悪い
「澁谷徳雄さんを探し出した好泰が悪い」余計なことをしやがって、あいつらは組んでいる。これも渋谷晃一と製材クラブ二十名の言葉である。「智里西製材クラブが伐ったと聞いています」と言ったのは熊谷秀樹村長であって、それは書面化されている。これらの証拠を裁判に提出しなくあったのは、補助金不正受給は裁判に関係ないからであるが、補助金不正受給で熊谷秀樹村長を追及するには十分な証拠となる。そのように考えているが、これは熊谷秀樹村長も十分承知していることだ。しばらく前に匿名の手紙が届いたことで、これをブログで公開しているが、その文面を覚えておられるでしょうか? 私は、熊谷秀樹村長だと確信したのは、書かれている内容が熊谷秀樹村長の心配ごとであり、彼自身しか分からぬことであったからです。熊谷秀樹村長の心配事が何であるのかは、おいおい書き出しますが、まず、「好泰が悪い」を言い出した製材クラブの連中が、なぜ好泰が悪いと言い出したのかを振り返って考えてみるべきでしょう。
 組する
彼らがこぞって、「好泰が悪い」を言い出したのは開き直りからであるが、それらの言葉は当時好泰に聞こえていない。当時の言葉は、「章文を鉄砲で撃ち殺せ」であり、好泰もまた、私を心配して、そのような話も聞かせてくれた。まあ、私の叔父が割石の幸恵おばさんに(現在の澁谷家本家)聞かされたと言うからして、「園原も終わりだ」もその幸恵おばさんの話であるに、相当なる危機感を彼らは感じていたことだ。さてそこでだ、「章文が悪い!」「好泰が悪い!」と言い出したのは何を持ってのことなのか? と思い返せば、そう、答えは、この「長谷川弁護士の最後の反論」にすべてが現れていた。令和5年6月5日

 村長の心配事
好泰が平川文男に電話をしたのは、「立木の所有についての確認を行いました」であって、「土地所有権の有無を確認するためではなかった」として好泰の目的は立木の所有者を聞くにすぎなかったのだと決定つけている。なぜ今さらにそのようなことを主張するのか? と、単純な疑問を持っていただきたい。
ホンと、なぜいまさらそんなことを主張するのか? だ。和解に向けて協議するに、「好泰が嘘を言っている」と決めつけたい意図はどこから来るものなのか? 好泰は本当の事しか陳述していないのに、それを嘘と決めつけたとて、それは一審での証言である。裁判官が嘘だと考えたにしても、判決に代わることは無いし、いまさら控訴において主張することでもない。と、ここまでは読者の皆さんも、そして好泰も考えたところではないか。しかし、何の目的も無いとすれば、長谷川弁護士はこの様な準備書面は出さないはずだ。その様に考えれば、次に続く文面にこそ、その目的が隠されていることになる。
 所有者は誰だ
二枚目の9行目に、「証人好泰が、本件土地の所有者はあなたではないと、主張したとは到底受け取れない」とあるのは何を指しているのか? であるが、「平川文男の土地ではない」と、平川文男に納得させたとは言えないじゃないか!?として、何を持って平川文男の土地ではないと言ったのだ? 何の証拠もないじゃないか!?と言っているのだ。好泰が平川文男に詰問したのは「植林したのは文男の父親だという証拠はあるのか?」であって、土地の所有者が誰なのかを聞いていないとし、平川文男が「土地のことは聞いていません」「聞かれていないからそう答えただけです」とに結び付けている。ようするに、好泰は、平川文男に「土地の所有者が誰なのかを平川文男に聞いたが、文男は父から聞いていないと答えた」と証言したことに、「いや、そうではない。文男に聞いたのは植林したのは誰かと聞いただけである」としているのだ。令和5年6月7日

 村長に呼ばれたのは嘘
前段で、好泰の証言を否定しておいて、そう、本題は、そのあとにつづく「村長に呼ばれたのは嘘だ」にある。村長に呼ばれたのは好泰の嘘なのか?それは確かに村長に呼ばれたわけではない。呼ばれたわけではないが、長谷川弁護士は「嘘だ!」を限定するのではなく、「澁谷さんに有利な証言と成るよう仕向けた」と言っていることで、好泰を「技を使う人物だ」と決めつけることに目的がある。ここを読みとらっずして、長谷川弁護士の意図は計れないことだ。
 隠れた人物
確かに、澁谷緑さんと渋谷徳雄さんを探し出したのは好泰であるが、そこが何か問題なのか? 好泰が何か悪いことをしたのか? 製材クラブの者らが「地主を探し出した好泰が悪い」と口をそろえて言うに、それは悪いことをした製材クラブの開き直りであって、悔しまぎれの言い訳と同じことだ。読書の皆さんも全くそう思われるでしょうが、じつは、もう少し深く考えてみれば、もっと他に、きな臭い意図があることに気づきませんか? それは、「地主を探し出した好泰が悪い」の悪いは、何に対して悪いと言えるのでしょうか? 探し出さなければどうなりましたか? そう考えてください。
 何が有ったのか
探し出さなくても盗伐は起きた。盗伐が起きたから探し出した。これらの前後に違いは無いが、「盗伐」が行われた事実を蔑ろにしていませんか? そのように考えれば、長谷川弁護士は「渋谷晃一は盗伐を行った首謀者」だと、認めての発言だと思いませんか。長谷川弁護士は、「ゆきゑの土地だ」と「盗伐だ」を認めているが、控訴するには、その二つを絶対否定しなければならない。しかし、否定できない状況が今後生まれるとも確信したからこそ、いまここで、この様な準備書面を用意したのだ。この準備書面は、被告晃一の為ではなく、ある人物の依頼においてなされたことである。令和5年6月9日

 感情
考え方の手段として、人は感情で判断するが、感情でことに充のは悪いことではない。確かに好泰は感情で動いたし、感情で証人にもなっているが、だからこその結果ではないか。感情で地主を探したとして、正しい感情が無ければそんなことはしない。こんなことは弁護士の方が詳しいはずだが、長谷川弁護士はあえて好泰を悪者にしている。その始まりが「好泰は土地の所有を文男に確認したのではない」「好泰は文男に嘘を言った」であり、文男に確認したのは立木の所有についてだ! 文男は二人の所有者のことは聞いていない! であって、『「役場での調査の結果」と言うのは「虚偽の説明だ」』と決めつけ、好泰をすっかり嘘つきの悪者に仕立てている。なぜ、ここまで好泰を悪者にしなければならないのか?
 村長は悪くない
「好泰ら(章文)は村長に呼ばれたのではない」好泰の陳述書には、「阿智村村長にも同席していただくことで了解を得ています」と書かれているではないか。事実は「好泰と章文が地主二人を呼んで阿智村長に同席してもらうよう席を設定した」であって、自身の都合の良いように事実を捻じ曲げていると決めつけている。これもまた好泰を策略者だと言っているのだが、なぜここまで好泰の陳述書にこだわるのかを考えてみることだ。ここで好泰を悪い奴だと決めつけても、晃一が有利になることでも、文男の土地になるわけでもない。和解で事を進めるに、晃一が好泰を悪者に仕立てたにしても何の意味もなく、へたをすれば、澁谷さんに違う感情が出ることにもなる。晃一もそこまで馬鹿ではないとすれば、この反論は、はたして何の意味があるのかと、斜め横から見渡せば、誰が得になるのかが見えてきた。さあ、いったい誰の得になるのであろうか? そう、それは一人の姿が浮かび上がってくる。令和5年6月11日

 私の登場
浮かび上がる人物、それは熊谷秀樹村長しかそこに居ない。熊谷秀樹村長を元にしてこの反論を読み返せば、「章文と好泰が地主と村長を会わせようと策略したのだ」となる。村長は地主が誰かと分からないに、章文が「地主です」と言ったのだ。好泰は村長に呼ばれたんじゃなく、そういうように仕組んだのだということになる。そして、「発言力が強い者の理不尽な主張がまかり通って来た」との好泰の主張は、もともと好泰と章文には、発言力の強い者と対立関係にあったのだと決めつけている。ようは、好泰と章文には、対立関係にある人物に対しての恨みがもとにあるのだと言っている。そして、「好泰は自治会長の立場で権限を発揮した」のは、自分の為ではないと締めくくっている。
 好泰の反論
この準備書面は好泰に送っているが、好泰はそれに対して何のアクションも示していない。なぜなのかと思うが、この準備書面の内容に、多くの心当たりがあるからだと思われる。たしかに、地主二人を探し出したのは好泰であって、村長に呼ばれた形を取ったのも好泰である。これが良いか悪いかで回りは判断するようだが、好泰が地主を探し出して悪いと言っている者らは、盗伐した張本人たちである故、そこに対した意味はなく、村長に呼ばれたことなどは、盗伐者たちには全くに関係が無く、騒いでもいない。だからして、この準備書面の反論が何を意味するのかは、一にも二にも、熊谷秀樹村長の責任の逃れにしか向いていない。令和5年6月13日

 反論せよ
この準備書面は原告澁谷さんに向けてのものではなく、私と好泰に向けられたものだ。仮に和解に進もうが、好泰と私には、この準備書面に対して反論できる立場に居るが、好泰にはあまり理解できていないようだ。単純なことだが、この準備書面の本来の目的がどこにあるのかが理解できれば、好泰もきっと反論するのではないか。さて、その本来の目的についてだが、その前に、この準備書面で好泰と私を誹謗するに、その続きにおいて、私が澁谷さんから買った三筆の土地について言及しているところを見れば、三筆の土地について何かを言いたいとなるのではないか。
 二つ目の裁判
盗伐裁判のしばらく後に、「土地返還請求事件」として、阿智村を相手に訴訟を起こしたが、それがこの三筆の土地のことである。この裁判で、「本谷園原財産区渋谷秀逸総代長と阿智村長との売買契約書」が、被告晃一から証拠として提出された。まさか証拠とするなど考えてもいなかったのは、これは犯罪の証拠であるからだ。ご丁寧にも、勝野公人観光課長の復命書まで添付されるに、熊谷秀樹村長の犯罪になると知ってか知らず、こちらとして大いに喜んだものである。それは、裁判での証拠は、警察にも通用するからで、当然に、審査請求においても重要な証拠となることで、それを証拠とされたのに対して、「この契約書は通用しない」とのお墨付きは、それこそ、関係が無い盗伐裁判の弁護士までが口を出している。関係が無いは言い過ぎだが、盗伐裁判の弁護士は、「三筆の土地を売ってくれ」と和解交渉に挙げられていると、思わぬ展開を口にしている。なぜ、その様な要望が晃一から出たのかは、三筆の土地が、岡庭一雄村長と西の三悪人の行政犯罪を暴く絶対的な証拠であるからだ。令和5年6月15日

 澁谷さんの利益
「好泰とくみしている章文は、三筆の土地の名義変更が出来ないことをよいことに、阿智村を相手に訴訟を起こしていると聞く」この文面は、まさに熊谷秀樹村長の窮地をあらわしている。それは「名義変更が出来ないことをよいことに」の意味である。名義変更が出来ない? これは晃一の問題か? それは全くに違うことで、熊谷秀樹村長の代弁ではないか。名義変更できないのは偽造契約書であるからで、まさに犯罪の証拠なのだが、ここで熊谷秀樹村長の窮地は何であるのかをしっかり認識していただきたい。熊谷秀樹村長は、「村では買った覚えが無い」として、三筆の土地の契約書を私の求めに応じて渡してくれたが、それらのことで確かに偽造契約書であるを知った。この偽造契約者が証拠であるとしても、正規な手段(開示請求)で手に入れていなければ証拠にならない。しかし、盗伐裁判において熊谷秀樹村長の犯罪(補助金不正支給)がバレることを恐れ、晃一に「ゆきゑの土地は村も買っている。これが証拠だ」として渡し、晃一は喜び勇んで「ゆきゑはすべての土地と山を本谷園原財産区に寄付して出て行った」を理由として、この契約書を証拠とした。馬鹿め、裁判の証拠としたのであれば、もはやどの裁判においても証拠として使えるのを知らないようだ。だからして、私は澁谷さんにその訳を話し、熊谷秀樹村長が盗伐犯罪を行わせたのですと理解させ、三筆の土地の購入を決めたのである。そして訴えた。「10年分の賃貸借料を支払え!」「土地を明け渡せ!」としたのは、ヘブンスにかかる山林土地は、すべて賃貸借されていたからだ。そして裁判が始まるに、阿智村は「買った」としか反論できないことで、この偽造契約書を証拠としたのである。裁判に阿智村が勝てるのであれば、三筆の土地を晃一が買う必要も無いことで、また、裁判に負けるのであれば、何としても手に入れなければならないのは、熊谷秀樹村長となるのだ。令和5年6月17日

 盗伐裁判は通過点
澁谷さんも私も、熊谷秀樹村長の犯罪を暴くのが目的であるに、晃一らは、全くそこに気づいていなくあった。まあ、熊谷秀樹村長がどんどんと行政書類を持ち出して晃一に渡すに、馬鹿みたいに次から次に反論するに、それらの証拠が次の裁判へとつながるなど夢にも思わなくあったのかもしれない。そして困ったのが熊谷秀樹村長となれば、もはや自業自得の要諦ではないか。そもそも、私が澁谷さんに代わり裁判をかけるとしたは、時雄の犯罪を暴くためであった。渋谷秀逸と時雄は、ゆきゑが残した土地が欲しくてたまらなくあり、手を変え(財産区の代表)品を変え(偽造契約書)、あらゆる手段を用いて手に入れようとしていた。このことを知らぬ西地区の者らは、「この地を離れていった奴らに権利などない」の秀逸の言葉を当たり前にとらえてしまったのだが、それでも、好泰のように「力ある者の間違った行為」を許せないとの勇気に、矛先を訴えた私へとむけるしかなかった。しかし、訴えの趣旨に逆らえ得ぬと知った時雄は、「地主を探し出した好泰が悪い」と、陰で好泰を一番の悪者にし、好泰が悪いの論点にすり替えたのだが、好泰はこのことに気づいていなかった。好泰は、私への接近は攻撃を受けるとして表立っての行動をしなくなったのだが、悪い奴らは許せないとの感情が高まり、いつしか時雄と同じ土俵に上っていた。
 裁判の見方
一般の者は裁判を紛争の解決として見ているが、それだけでないことに、裁判において新たに発生する事象を問題とすることが有る。この盗伐裁判も全くそうであることは、新たに発生する事象が、熊谷秀樹村長の不法行為を証明することに進むことであって、私はこれを目的として裁判にかけている。時雄や晃一等は確かに悪い。しかし、このことは裁判の結果で証明出来ないのは、晃一が謝る対象が誰も居ないからであって、好泰との禍根が有るとしても、全くにそれは解消されることに無い。このことを、好泰自身が気づいていないのだ。令和5年6月19日

 なぜ裁判に進んだのか
澁谷さんは、「賠償請求書面」を智里西自治会へ送り、話し合いでの解決を求めた。普通であれば、「高い、負けろ」との話で解決できる金額であるに、なぜか、時雄はその話すらせず、「文男の土地だ」として開き直った。ここに疑問を持たなければ、すべてが感情に取られてしまう。晃一の不安は好泰とのやり取りだけだが、時雄にすれば、岡庭一雄と村に乗り込んだの一件がある。この事実が露呈すれば、盗伐の首謀者になるばかしでなく、補助金搾取と言うとんでもない犯罪も加わる。間違いなく刑務所行だし、熊谷秀樹村長の逮捕も免れないとなる。この不安があれば、「文男の土地だ」で押し通すしか、解決できなくなるのだが、ここが分からないと、単純に、誰が悪いとの感情戦に進んでしまう。「渋谷貢が地主」との申請に、「澁谷ゆきゑの土地だ」と職員が言ったにしても、村長の言葉とすれば「地主が違う」しかないことで、だからこその「平川文男の土地だ」が有効な言い訳となることで、「ゆきゑの土地か文男の土地か」の争いであれば、それは村長にも時雄にも関係ない、場外戦となるのである。
 裁判を望む
「これは裁判になるかもしれない」とのことを、時雄は自治会で言ってのけた。そして、賠償請求への返答に、「平川文男の土地だ」と返していることは、これで裁判とするの考えは、時雄の腹に有ったとなる。裁判は時雄が望んだもので、また、熊谷秀樹村長にとっても、部外者の立場でいられるとした。だが、世の中そんなに甘くない。裁判を最も望んだのは私であって、それは、いつもの事のように、犯罪の証拠が不十分であったからだ。令和5年6月21日

 控訴裁判の現状
東京高裁で争うとのことが、一部の村民にも影響を与えているようだ。一審で被告が負けたとのことは、まだ全然伝わっていないに、高裁での裁判が注目されるところがどこにあるのかと言えば、それはやはり、岡庭一雄元村長の恫喝事件にそれはあった。「時雄と二人で補助申請を通せと村長を恫喝した」これが共産党員に伝わっているというのだ。なぜ共産党員がそこに注目するのかと言えば、熊谷秀樹村長の責任回避であって、熊谷秀樹村長がこの話を拡げたようだ。「裁判が終われば監査請求をする」私はしつこくそのことをブログで書いてきたが、それを理解しての行動であれば、熊谷秀樹村長は、「他人の土地と知って補助金を交付した」に、言い訳をすでに考えていることになる。岡庭派と熊谷秀樹派に分かれて罵り合うに、ここまでくれば岡庭一雄が悪いとするのは熊谷秀樹派であったが、逃れない事実(岡庭一雄の恫喝)を知れば、岡庭派の党員も返す言葉が無いようだ。でも間違っていますよ。補助金の不正支払いは、熊谷秀樹村長が行ったことです。そこで何を言おうが、岡庭一雄はただの人。確かに悪人だが、それを懲らしめることは村民ではできない。
さて、控訴裁の現状であるが、和解を前提で話は進んでいるようです。一見まとまりそうでもあるが、しかし、ここに来ての被告弁護士の反論には、私が判断しなければならない。それはなにか? それは、私が澁谷さんから購入した三筆の土地、それを合わせて売ってくれなければ、和解は難しいと言っていることにある。私が買った三筆の土地は、すでに阿智村を被告として係争中にあるが、なぜ? 晃一が、その三筆の土地を売れと迫るのかは、晃一の考えでないことは確かである。令和5年6月23日

 被告弁護士の控訴裁の目的
ここで改めて、被告弁護士の最後の準備書面をご覧あれ、長谷川弁護士の最後の反論 この書面の最後に「好泰も章文も澁谷徳雄の利益だけを考えて動いているのではない」として、それは「地区の力ある者との対立が根底にあるのだ」と決めつけている。何を主張したいのかは、「好泰も章文も自分の利益で動いているのだ」である。最後の反論としては焦点がずれている。ここにきて好泰や私を悪く言ったにしても、控訴裁には何も関係が無いのだが、実はこの準備書面は、和解の調整が進むにつれて出されたことに意味がある。和解するのは晃一と澁谷さんであって、好泰も私も関係が無いこと、特に、好泰には全く関係が無い。だからして、好泰を悪く言ったにしてもどうってことは無いのだが、なぜ関係が無いのにここまで悪く言わなければならないのか? そのような疑問を持たなければ、この準備書面を理解できないであろう。実はこの準備書面、私が好泰にも送っているが、当の好泰にも意味が分からないと思われる。
 和解条件を整理せよ
和解の提案は裁判官からであるが、それを受けるとしたのも双方の弁護士である。和解したいとの単純なことでなく、裁判官の提案は「和解が解決策」だと言っているのだ。損害賠償請求が何かといえば、「無断伐採された樹木の損害」であるに、そこで一審での答えは、「根を片つける費用」を被告が支払えであった。なぜか? それは、「地主の土地に誰が植えたにせよ地主の物」とが、答えであるに、「地主は平川文男」として、土地の所有権の争いに持ち込まれたからである。だが、平川文男の土地だとの証拠がないことで、所有権の争いは却下されたが、では、実際に「切られた樹木の価値」を裁判官が確定出来なくあった。(これは弁護士の手落ち)そうなれば、澁谷さんが勝つとするに、樹木の損害額で判決とならずして、根の片付け費用を認めて損害額とされたのである。令和5年6月25日

 損害額が無い
損害賠償請求事件であるからして、判決は金額の確定しかない。これが、平川文男の土地であるならば、原告の負けであることで、文男の別訴は却下されている。この一審の判決を高裁が変えることは出来ぬからして、損害に当る金額が算出できないとなる。算出できなければどうするか、それは、損害額でない金をつくるとなるのだ。「土地を売りなさい」が、金をつくるにつながり、その金でもって和解せよが裁判官の提案なのだ。ここが理解できなければ、「和解をするな!」の感情に支配され、焦点がずれてしまうのだ。では、和解が出来ないとなれば、裁判官は損害金額をどのように算定するのかと言えば、やはり一審の判決を維持するしかない。ようするに、晃一の控訴は棄却されるのだ。
 和解は最良の手段
原告弁護士が和解に乗ったとの考えを持つ者も居ようが、それは全くに違う。原告弁護士の控訴理由は「伐られた木の評価が全くない」として、伐られた木の損害請求で控訴すべきだとして、伐根費用に上乗せを狙っていた。私は金額の問題ではないからして、控訴などする必要は無いと訴えたが、すでにその時は、澁谷さんの了解を原告弁護士は受けていたのである。澁谷さんに、控訴しても金額が増えることは有りませんがよろしいんですか? と伺えば、「村長を許すことは出来ない」との考えがあることで、私もそれに同調し、控訴をするを了解したのである。しかし、晃一側からの控訴が先になったことで、原告弁護士が言うところの伐られた木の請求がぼけてしまったというわけだ。令和5年6月26日

 被告弁護士の開き直り
原告弁護士が和解に応じるのは、やはり、伐られた木の損害請求が無理な請求であると理解できたからで、その建前において、和解を前面に出してきた。しかし、澁谷さんは「和解しないでほしい」の気持ちに応えたいと、和解には躊躇していた。弁護士が言うに、和解勧告は裁判官からであって、和解は進めなくてはならないが、和解できるかできないかはお互いの考えだから、区別してやればよいと、案外と分かりやすい説明であった。が、和解でまとめたいとの考えは強くあって、すでに澁谷さんには和解前提で伝わっていた。澁谷さんい本音を聞くのは当然のことで、和解に応じるは、5年も続いた裁判が苦痛であったかもしれない。しかし、和解を前面に進めれば、被告は必ず足元を見てくるし、どのような条件が付けられるのかは、最初から分かっていた。
 陳述書は証拠にならない
晃一からすれば、一審で負けたの現実は、控訴したにせよ覆るはずはないと分かっていたはずだ。控訴するには新たな証拠が不可欠で、それも相当なる証拠でなければならない。その証拠が、「熊谷章と原勇の陳述書」であって、その陳述の中身は「平川成泰が木を植えた」とである。これが新たな証拠なのか? この証拠で勝てるのか? その程度の証拠であることに、弁護士であれば、これは全く新たんな証拠ではないと分かっているはずである。なぜならば、平川成泰が木を植えたのであれば、伐られた木の所有権を示すものであって、それが事実であれば原告は負けること、それほど重要な事実を証明するに、単なる陳述書では証拠にならないのだ。「平川成泰が木を植えているところを見ています」と二人が口をそろえて証言台に立つのであればまだしも、証言台に立てない証言が、陳述書において証明されることは無いのである。令和5年6月29日

 三筆の土地が欲しい
「平川成泰が木を植えた」との陳述書を新たな証拠として晃一は控訴した。なぜそれを高裁が却下しなかったのかと言えば、一審において、誰が木を植えたかの確定が出来ていないことにあった。確かにそうだ。誰が植えたのかの証拠がない。だが、50年以上の年輪木であるのも確かだし、その木を伐って金に換えたのも事実である。晃一が「平川文男の親父が植えた木だ」と言っても証拠がないが、それは澁谷ゆきゑが植えたとも言えないところに、「澁谷薫と建典が植えた木だ」と言っても、これも証拠がない。どちらも記憶に頼るところであって、どちらが正しいなどと裁判官は判断できないことだ。では、「誰の土地なのか?」に限れば、それは渋谷貢の土地でないのは確かなことだ。ここが一番重要なのに、被告の皆さんと取り巻き達、そして好泰でさえ、そのことを忘れているようである。
 誰の土地か
熊谷秀樹村長の立場として、誰が植えたのかは問題でないのに、晃一は盛んに「平川文男の親父が植えた木だ」を主張し続けているが、そこにどのような意味があるのかと言えば、「一番困る者は誰なのか?」に行きつく。もっと簡単に言えば、「なぜ控訴したのか?」である。一審での判決を不服とした理由は何なのか? 90万円の賠償金が不服なのか? よく考えてみれば、「70万円を支払え」が当初の請求である。70万円が90万円でも大した変わりはないし、控訴するに弁護士費用が40万円もかかるに、そこを推してまでなぜ控訴したのであろうか? もはや弁護士費用だけで、80万円を超えている。この状況を一般的な訴訟案件に当てはめれば、100万円以下の争いに裁判に進むなどあり得ない話ではないか。ここを冷静に見れば、今回の争いは晃一の裁量で行われたのではないと判断できる。その根拠は、当初の請求先は、熊谷秀二と渋谷貢であって、その時点ですでに「弁護士費用は自治会費で支払う」と時雄が決めていたことにある。令和5年7月1日

 存分にやればよい
和解条件が出るに、それに澁谷さんが了解するに、その前に私は熊谷義文議員を自宅に呼んだ。なぜ呼んだかは、根回しの為である。和解の提案が出ることを考えていなくあり、判決がそう気にならなくあったのは、土地の所有者に影響なかったからである。「平川文男の土地だ」の反訴は一審において棄却されている。これを不服として控訴したのではなく、平川文男の土地だから木を植えたのだとの主張を繰り返すに必要な反論であったからだ。そしてその土地を買いたいとの話が過去にあったとなれば、やはり、地区の人たちの気持ちも考えざるを得ないと思ったからである。澁谷さんを説得するに、「将来の管理を考えれば、やはり手放すことも必要ではないですか?」と了解を得たことで、それを成すために、交渉をすれば角が立つ、だからして、まずは智里西自治会へ話をかけるとしたのだ。自治会に話すのに義文議員が最適であるのは、義文議員は時雄の指示に従っていたからである。なぜこうなったかを誰よりも知っている義文議員に、頭を下げて、「確かに放置されてきた土地だ」「貢さんが管理できなくなった現状では無理もない」「ゆきゑが去った後に、両区は二度も買い出しに稲武町に出向いている」これらを説明し、澁谷さんの土地全てを地区の人たちにお世話になりたいと、お願いしたのであった。
 和解したくないは被告
その時義文議員から思いもよらぬ話が出た。「晃一が反訴したとの話を聞いて、晃一はどこまでもやると言っていたので、存分にやればよいではないか」と俺は言った。と言うのである。議員の話として受け止められないが、こんな程度だからことは厄介になる。盗伐された当時、議会で盗伐が取り扱われれば、「間違って伐ったんだ」を繰り返していた義文議員である。やはり根は深いと感じるしかなかった。令和5年7月3日

 原告弁護士の理解
澁谷さんも弁護士も、裁判官からの和解勧告において、和解であれば解決できると踏んでいた。しかし、和解するに、「被害を受けた土地を売れ」との条件に、晃一らが乗るとは考えられなかった。それは、和解の考えが、被告晃一らにあるとは思えなくあったからだ。晃一が控訴するに、「なぜ控訴したのか?」の疑問が私にあった。一審の判決前にも和解勧告は当然あったが、それを蹴ったのは原告も被告も同じであって、誰が望むとかの次元ではなかった。「盗伐」の判断は私である。この盗伐を刑事事件で扱おうとしたが、その時点では「時雄と岡庭一雄が建設農林課に乗り込んで恫喝した」との事を知りえず、刑事は時雄の逮捕まで持ち込めないと言うに、やむを得ず話し合いでことを進めたが、時雄はやはり恫喝のことが眼中にあり、話し合いを拒んでいたようだ。裁判を進めるに、時雄と岡庭一雄の件は表に出なくあったが、ある日、吉川議員が議会議事録を持参で「ショウさん何か参考になれば」と来社された。その議事録を見れば参考どころの話でなく、恫喝の事実がより詳しく、生々しく書かれており、勝野公人議員と櫻井建設農林課長のやり取りが明らかとなったのだ。これは(議事録)使えるとしたは、裁判でもなければ刑事でもなく、熊谷秀樹村長の犯罪として監査請求が出来ると思ったのである。だからして、一審での裁判の勝ち負けはどうでもよく(土地の争いは無い)、早く結審するを望んでいたことで、和解より判決を選択したのである
 魔女狩りを避けろ
誰が伐った! 誰が嘘を言った! 誰が申請した! この様な話は世間であって、すべてが感情で取り沙汰されることだ。しかし、誰が伐るように仕向けたのかは、誰も表に出してこない。一番の原因は、「伐ってしまえ!」との号令をかけた、渋谷秀逸ではないのか。この号令に従って智里西製材クラブが木を切るに、他人の土地ではまったく要は為さず、まして盗伐になるは、ゆきゑの土地だと知っている秀逸でも分かることである。令和5年7月5日

 利用された村長
ゆきゑの土地にある木を切れる唯一の手段は「障害木補助金申請」であった。もともとに、秀逸と時雄と岡庭一雄村長が作り上げた障害木補助金制度であれば、これを利用しない手は無いとしたは、「交通に支障が出る」それも、観光バスと指定しての請求であった。この様に、お粗末極まりない補助金申請であるが、「障害木」と名打っての事であれば、誰もがその名称に納得してしまう。だからして好泰も、自治会長として動かざるを得なくあったのだ。しかし、行政であれば書類が全てのことで、渋谷貢の土地ではないと判れば、性急な申請であったにしても、それを受け取ることは出来ないのである。まさに当たり前の対応をしたのが熊谷秀樹村長であることで、それ以外の何物でもないが、問題は、却下された補助金申請書を、翌年度に申請したことにあった。
 カギを握る熊谷秀二自治会長
申請したとは聞こえが良いが、実際は申請したのではなく、役場職員を恫喝したのである。なぜ役場職員を恫喝したのかと言えば、正規な申請では通らないからだ。正規な申請が出来ないとのことは、秀逸や時雄が貢の土地ではない、平川成泰が植えた木ではないと承知していたことにある。晃一が裁判で反論した、「平川成泰が買った土地だ」「平川成泰が植えた木だ」であれば、平川成泰の土地で申請すればよいことで、渋谷貢で申請することではない。何をどう言おうが、渋谷貢で申請したことに変わりなく、それも一度ならまだしも、二度目の申請書も渋谷貢の土地であれば、絶対に通る申請ではないのだ。熊谷秀樹村長は、「6名の職員の不始末」として処理しようとも、補助金申請を受け取り補助金を支払ったのは熊谷秀樹村長以外、他に居ない。時雄と岡庭一雄が櫻井建設課長を脅かしたにせよ、申請を認めたのは熊谷秀樹村長なのである。令和5年7月7日

 勝野公人の出番
勝野公人議員は、任期満了を迎えるに渡り、盗伐事件の職員処分の始末に問題を定義した。それは、職員6名の処分云々ではなく、かかる盗伐裁判の結果に懸念を感じ、熊谷秀樹村長の不安(補助金不正受給)を払拭しようと考えたようだが、どういう訳か、話の方向がずれたようだ。勝野公人議員は、「職員6名の処分理由が不明」いわゆる始末書が無いと言っている。議会は村長から職員6名の処分報告を受けたが、経過も理由も説明されていない。実際に議員全員が知るところであるが、知っているのは話であって、書面での説明でなければ議会は対応したとならない。まして、「障害木補助金制度は始まりからして間違いであった」であれば、村長に責任が無く、職員の処分が先では前後が合わなくなる。裁判の結果で補助金不正受給となれば、議会も村長も、まったくに対処できなくなると言っているのだ。この勝野公人議員の質問は村民のためでなく、熊谷秀樹村長や岡庭一雄村長のための注進なのだが、熊谷秀樹村長はそうは取らず、蒸し返しの話に聞こえたようで、こともあろうに、櫻井建設農林課長を勝野公人議員の自宅に出向かせ、「これ以上の質問を止めてください」と懇願したと言う。これには勝野公人議員も腹に据えかね、この裏事情も議会で暴露したのである。あきれた話だが、どっちもどっちのごろつき村長と議員であって、不正と犯罪の隠ぺい工作に他ならない。私が嬉しくあるは、このやり取りが議事録として手に入ったことで、監査請求にて最高の証拠となることにある。盗伐したは世間話で治まるが、補助金不正支給は犯罪であって、しっかりと社会的な結果で収まることだ。村長の椅子に熊谷秀樹が座ることはもうない。令和5年7月9日

 秀二の黙秘
秀二は好泰のことを悪く言ったが、それは、好泰が盗伐を表に出したとの前提で、地区の人たちの考えで、地区の人たちのためにやった止むを得ない行為だとの言い訳から来ている。ここが秀二の間違いなのだ。時雄と岡庭一雄がやったことを知りながら、証拠上では自治会長の行為となるのだが、叔父と時雄に逆らえなく、好泰を悪く言うしかなかったと言うことだ。まあ、私が「間違って伐ったで押し通せ」「このままでは逮捕されるぞ」と責めたことへの当てつけ発言であるが、秀二のお粗末は、悪いことをしたの認識が無いことである。「間違って伐ったようだ。申し訳ない」と、一言頭を下げれば、すべてが丸く収まったことに、それを受け入れないほどの関係性が時雄に対してあったのだろう。
 盗伐控訴裁の状況
控訴裁もすでに終わりに差し掛かっていることで、実は、明日の12日、東京高裁で最後の期日が開かれる。今までの状況は、裁判官が勧める和解条件のすり合わせ段階であり、明日の期日で持っても和解以外の結果は望めない。和解にするなは外野の声でしかないが、被告もまた、和解であれば負けも同じことで、盛んに条件にケチをつけている。早く言えば、被告らは和解したくないのだ。そんな状況ですので、実際のやり取りを公開できないでいますが、明日が過ぎれば、控訴裁の焦点について書き出したいと考えています。令和5年7月11日

 証拠の無い裁判
控訴とは、一審の判決に不服がある場合の手段であるが、絶対的な証拠が無ければ門前払いである。いわゆる、証拠の採用如何において、一度で終わるばあいは、怏々として証拠の判断がものを言う。確かな証拠であれば控訴原告が勝つし、不確かな証拠であれば却下されると言うことだ。だが、今回の裁判のように、確かな証拠がないのになぜ一年以上も続いたのかと言えば、一審において、審議されていない証拠が提出されたことにある。たまたまに、被告らが先に控訴したことで、被控訴人原告の立場にされたが、控訴被告人(晃一)らの証拠に真新しいものが揃っていたのか? となれば、そこには陳述書が二通あっただけで、「平川成泰が木を植えた」「平川文男の土地だ」を繰り返している。平川成泰が木を植えたと新たに証言した者は、熊谷章と原勇である。この二人は操の同級生であって、今でも操に従うは当然だが、熊谷章は智里西製材クラブの会長であって、どちらかと言えば盗伐の首謀者の関係にある。そんな者が「平川成泰が木を植えた」と陳述するものですから呆れてしまうが、高裁の裁判官はそうは取らない。熊谷章と言う人物がどういう立場でどのような関係者だと知らないからだ。ここで私が証言できないのは、一審においての証言者は好泰であって、好泰しか証言者は居なくあったことによる。ようするに、好泰が高裁への陳述書で、熊谷章の立ち位置を証言するしかないのだ。原勇はもっとひどい。無断でアーテリー道路にされたゆきゑの三筆の土地の件について、ゆきゑの長男建典を訪ね稲武町まで行っているのに、この件をガン無視なのだ。原勇は「財産区は時雄がつくった」と私に話していることから、この男が事実を話せばすべてが明らかになり、最終的に西地区の者らも犯罪に巻き込まれなくて済むのだが、どうも金に汚くあり、また、操との関係が深くて「嘘つき勇」に終始している。稲武町へは、好泰の父である熊谷茂平氏と同行している関係で、好泰が大きなカギを握っているのだが、やはり原勇の立場を証言できないでいる。
 犯罪者のつながり
三筆の土地と盗伐犯罪を区別して捉える者が多い。これは全くにお門違いであることは、ゆきゑ(薫)が残した土地のすべてを、秀逸と時雄が手に入れようと画策したことにある。盗伐裁判に勝つには、三筆の土地のいきさつを明らかにしなければならなく、また、盗伐裁判に勝つのであれば、必然的に三筆の土地の裁判も同じ結果になる。カギを握るのは好泰だと言ってはばからないが、好泰は今蚊帳の外にいる。盗伐裁判で勝つことより、早く終わらせるを選択したのは弁護士であるが、それが和解となることに私は異論がない。ただし、まだ為せないことがあるのが残念である。令和5年7月13日

 馬脚を露す弁護士
何か大きな感度違いを感じるに、それは、被告弁護士が好泰と私を攻撃してきたことにある。その準備書面は6月25日に公開しているが、その準備書面に添えられていた原告弁護士のメモには、「和解条件である渋谷徳雄の土地売買について、訴外章文が被控訴人(渋谷徳雄)から購入した三筆の土地が含まれていなければ、当該土地の評価は5万円だ」と記されていた。要するに、私が買った土地が購入できなければ、和解条件に乗れないと言うことである。都合の良い断り方だが、それほどにして手に入れたいのは、盗伐した土地ではなく、三筆の土地であることが分かる。平川成泰がゆきゑから買ったとする唯一の証拠(理由)をないがしろにしても、この三筆の土地に固着するのかは渋谷晃一の考えの中に無いことだ。「渋谷貢の土地だ」として申請しておきながら、賠償請求が出れば、今度は平川成泰がゆきゑから買った土地だと主張を変える。そこには渋谷一統の証言があったはずだが、名実ともに晃一の土地となれば、窃盗罪ではなくなるに、それをさておいて、三筆の土地が買えなければ和解する意味が無いとまで言い張ることに、何が目的で控訴に及んだかが見えて来た。だからして、和解したくないのは被告らの方であると理解していただけると思うが、この流れをすでに読んでいた私は、三筆の土地の扱いについて、すでに手を打っていたのである。
 控訴の訳
一審での判決が覆るわけが無いことに、控訴裁においても土地の争いは側面的であり、何が争われていたかは控訴期日においての準裁判官が発した「誰が木を植えたのかを主張せよ」の助言から始まっている。この助言が有ったことで控訴裁が一年も続iいたのであるが、どこまで行っても誰が植えたかは不明となった。準裁判官の助言は空砲となることで、話し合いでの解決を裁判官が選択したのであるが、その和解案に難色を示したのが、長谷川弁護士であったのだ。令和5年7月14日

 影の存在
控訴裁においても、阿智村の行政書類が開示請求無しでどんどん使われている。なぜそんなことが出来るのかは、熊谷秀樹村長の考えにあり、澁谷ゆきゑの土地を無断で売買していたことが裏事情としてある。早い話が行政犯罪で、私の訴えで敗訴となれば、熊谷秀樹村長がの逮捕だけでは済まされないからだ。阿智村が潰されては大変だと騒ぐのも良いが、つぶされる犯罪を行ったのが岡庭一雄村長と熊谷秀樹村長であるから、本末転倒も良いが、世間は疎い。村長の言うことは村の考えだと受け止めている。そんな中でも裁判官の和解勧告は絶対的なことで、弁護士が断れるほど簡単ではない。だからして和解を進めるに、原告と被告の駆け引きが始まるのだが、その駆け引きに互いの本音が出る。その駆け引きに熊谷秀樹村長の考えがあるならば、それはとんでもない話である。控訴が晃一の考えでないならば、あと始末が大変となるが、その辺りが分からぬ馬鹿者しか阿智村にはいない。
 なぜ控訴した?
長谷川弁護士はなぜ控訴した? その理由こそが本音なのだ。形の上では一審の判決に不服とするが、民事における判決は金額しかない。一審判決の「90万円を原告に支払え」が不服とすれば、和解条件は90万円より安くせよとなる。裁判官が土地代金を和解に当てよであれば、土地の価格をいくらにするかが和解の話し合いになるのだが、これに難色を示す長谷川弁護士は、唐突として好泰と私を悪者に仕立て攻撃をしてきた。和解に関係する事案でないことは素人の目にも映るだろうが、至って場違いな攻撃の裏に何が隠されているのかが、本音として和解案に出たのだ。何が出たのか? それは、熊谷秀樹村長が一番困ることに違いはない。令和5年7月16日

 本音の正体
好泰と私を攻撃してきたところに本音が隠されていた。ここに反論しなければならないと考えるに、弁護士は必要ないと言う。なぜ弁護士は必要としないのか? 釈然としないからしてきいてみれば、「土地の評価が低すぎる。和解などしない」と、まったくに想像しない言葉が吐き出されたが、その理由が「熊谷さんの土地が買えなければ、当該土地の評価は5万円だ!」と被告弁護士は言ったそうである。弁護士は、土地代が5万円など話にならないと立腹していたのである。この話しを第三者が聞けば、いや、ごく近い者が聞いたのであれば、真っ先に、「和解などするからだ!」と、受け止めることだろうが、私は全く違う観点にいた。それは、やはり想像していた通りに事が運んだと確信したのである。
 欲しいのは三筆の土地
晃一が控訴するに、和解を求めるのであれば、それは一審において十分できた話である。当該土地を手に入れたいのであれば、それはなおさらのことで、「名実ともに自分の土地にしたい」を条件にすればよいし、自分の土地にすれば、万が一にも警察の介入などない。民事不介入で警察の動くことは無いと、弁護士からも聞いていたはずだ。だからして一番の心配事は、「補助金不正受給」に的は絞られていた。裁判が終われば、補助金不正受給で監査請求を行うと宣言していたことで、それを避けるには裁判に勝つしかないと考えるはずである。だが、熊谷秀樹村長が行政書類を持ち出すに、思わぬミスを犯していたのだ。それが「本谷園原財産区と阿智村長の土地売買契約書」である。熊谷秀樹村長として見れば、「ゆきゑはすべての土地を本谷園原財産区に譲ってこの地を離れた」との、晃一の反論を裏付けられると考えたようだが、私の判断は違った。その契約書が証拠にされたことで、偽造契約書が表に出たと判断した。そしてそのことをブログに書けば、熊谷秀樹村長の慌てぶりは言うまでも無い。裁判に負けでもすれば、例え和解としたにしても、偽造契約書はすでに表舞台に出ている。そして私から訴えられると覚悟したはずだ。ならば、どんなことをしても裁判に勝たねばならないとして、次から次へと行政書類を晃一に与えてきたのであるが、残念ながら、一審で敗北となった。もはや残る手段は控訴しかない。令和5年7月17日

 思い違い
時雄と岡庭一雄が建設農林課に乗り込んで、補助金を支払えと恫喝した。この証拠が私の手元にあるとは思わなくあったであろう。吉川優議員が以前、参考になればとして多くの書面を渡してくれたが、そこで参考になる物だけをいただいていた。吉川優議員はすでに議員を続ける気持ちが失せていたことで、彼にとっては気持ちの整理もあったと思う。「何か他の世界にいるようだ」「違う国の話に感じる」と、違和感を吐露していたが、そういえば、倉田博文も同じようなことを言っていた。「不審案件を口にすれば、議員らが妨害する」「中に入らなければ証拠が手に入らない」と。岡庭一雄村政において、正常な議員は倉田博文しかいなかったようだ。まあ、いまさらの話になるが、阿智村民の目はいまだ冷めていないので、補助金不正受給の裏をとことん暴くことが必要ではないか。
 お門違いの和解案
「三筆の土地が買えなければ5万円だ!」こんな無茶苦茶の話が出れば、流石の弁護士も和解は出来ないとなる。それは願ったり叶ったりでもあるが、それでも和解しなければならないのが、裁判官の勧告である。さて、この状況を前に進めるには、やはり、三筆の土地について言及しなければならないのだが、その様な考えは弁護士にも無ければ、澁谷徳雄さんにもない。周りに至ってはもっとひどく、和解するなの感情むき出しや、和解で治まればの他人事もあるが、監査請求に触れるものは誰一人いない。その様な状況にて何が必要なのかは、長谷川弁護士に、これ以上四の五の言わせないことである。なぜ私と好泰を悪者に仕立てなければならないのか? その意味を十分承知しているのは私だけである。令和5年7月19日

 読めていた行為
晃一の控訴に目的が無いと、弁護士であれば分かりそうなものだが、全くに読めていなかったようだ。負けてもともとで控訴などする者はいないが、晃一は何を求めたのであろうかといえば、「木を植えたのは平川成泰だ」ではないことだ。「平川文男の土地だ」として、訴えている。少なくとも訴状ではそうなっているが、裁判官は、木を植えたのを主張しなさいと、見当違いともとれる助言がされたそうだ。早い話が「平川文男の土地ではない」と判断されていることになる。たしかに、晃一も「渋谷貢の土地だ」と申請している限り、ご都合主義で訴えれば、それは却下されてしまうことだ。そして和解に進むに、晃一に何の不満が有ろうと言うものか。早い話が渋谷貢の土地になるではないか。たとえ和解でも、貢の土地となれば、補助金申請への言い訳も経ち、熊谷秀二がこだわった「間違えて伐りました」「確認しませんでした」を、通用するし、補助金の不正受給もなくなることだ。これ以上の解決は無いのに、「土地代は5万円だ」は無い。なぜそんな無茶を言い出したのかと言えば、端から和解など望んでいないことになる。和解を望まぬはこちらの弁護士のせいではなかったのか? 何かどこかで逆転しているが、そこに不思議を感じなければぼんくらである。
 長谷川弁護士の望み
「三筆の土地は訴外章文の土地である」この様に長谷川弁護士に返したのは原告弁護士であるが、「訴外章文と話をするのは無理だ」とも返している。なぜ無理なのか? この裁判に関係ないからだ。では、なぜ関係が無いのに長谷川弁護士は私の三筆の土地に言及したのかと言えば、「すべての土地を処分したい」との、澁谷徳雄さんの考えを事前に知っていたからである。なぜ事前に知っていたのかは、熊谷義文議員を通して、その意向を伝えていたからだ。令和5年7月20日

 義文への依頼
熊谷義文議員にお願いした澁谷徳雄さんの土地処分、この書面を開示します。和解に向けて   クリックしてご覧ください。(以前に挙げた書面ですがもう一度ご覧ください)
 自治会へのお願い
今一度読み直していただけたでしょうか。この文書を晃一は確認しているのですが、地元の方に、澁谷徳雄さんが両親から相続した土地のすべてを譲りたいとの考えをまとめてあるのですが、それらの土地には、私が澁谷徳雄さんから購入した土地も含んでおります。ようするに、晃一には「三筆の土地も買える」と、認識出来ていたとのことです。ですから、長谷川弁護士が好泰と私を悪く言って、「三筆の土地が入っていなければ、残りの土地の価値は5万円でしかない」とのめちゃぶりをする必要などどこにもないのです。ね! おかしな話でしょ。長谷川弁護士は晃一の代理人なんですよ。その代理人が、晃一の考えでないところで、私が購入した三筆の土地に言及することがおかしくありませんか?
 単純な弁護士
高裁の裁判官から和解勧告の話が出た時に、確かに和解に反対をした。なぜなら、「当該土地を阿智村に寄付したらどうか?」とが、裁判官からの提案であると聞いたからだ。その時は腹が立つのが先であって、「なぜ阿智村に寄付しなければいけないのか?」と、食って掛かれば、「それは、被告らが、熊谷さんが買った三筆の土地について、本谷園原財産区が阿智村に売ったとの契約書が有るからだ、それを裁判管は『以前にも村に売っているではないか』と判断されたからだ」と、平然と答えている。この話しに腹が立たなくて何とする。令和5年7月22日

 冷静になれ
こんな話に腹が立つのは誰しもがなと思うが、私は同時に不思議な感覚を覚えた。それは、裁判官が「阿智村に寄付したらどうか」の提案である。被告晃一は「平川文男の土地だ」として譲らぬに、それも告訴しても変わらぬ姿勢であるに、裁判官はこの土地を寄付せよと言う。寄付せよとは、平川文男の土地と判断できないとの考えに基づかなくては言えないことだ。ならば、控訴は土地の所有を争っていないことになるが、弁護士はそのような捉え方をしていない。訳が分からなくなってきたが、「寄付したらどうか」は、確かなことである。ならば、寄付などとんでもない話とならないか? 土地の所有で争ってみても、裁判官も答えが出せないと言うのであれば、無断伐採はいったいどういうことになるのか。土地が誰の物かと分からぬに、木を植えたのが誰かなどもっと分からない話になるではないか。阿智村に土地を寄付したとして、では、無断伐採を和解するに、どのような手段があると言うのか。
 それでも和解
土地を寄付するなど考えられないとの意思を示せば、今度は、土地を晃一に売ったらどうかと言う。その理由は、「澁谷さんは千葉であって、土地の管理が出来ないではないか」と、これもまた裁判官の話だと言うが、そこまで裁判官が言及するとは考えてもいなく、その話に対しては、即答できないとしたが、晃一に売るくらいなら、私が買うと、それが澁谷さんが一番喜ぶと言うのが精いっぱいであった。和解せよが裁判官からの話しであれば、それも良いことだとして進めてきたが、それに対して弁護士の和解案に同意はしたが、その和解案は、「迷惑料50万円、賠償金50万円」であることに、長谷川弁護士は、迷惑料としたことに強く反発したと言う。要するに、100万円の和解案には乗れないと言うことだ。一審の判決が「伐根費用90万円」であるに対して、和解案が100万円では、もともこうも無いと言うことなのだろう。令和5年7月23日

 和解は無理かも
盗伐裁判は、私が訴えたことにある。そのことは誰より
時雄と秀逸が一番分かっていることで、だからして何も手出しが出来ないでいた。好泰を悪く言うのも私への裏返しであって、そこに対した意味は無い。智里西製材クラブも全くそうで、何をどう言おうが盗伐の事実に変わりない。障害木補助金申請書に「渋谷貢の土地」だと記している限り、何をどうとっても一つのいい訳すらないことだ。私が裁判にかけたのは、なにも智里西製材クラブの犯罪を暴くことに無いのは、「森林窃盗」などは全国的茶飯事であって、そこに警察が介入するなどないも等しいことで、どんなに騒いでも社会問題とすらならない。ここに裁判の目的が有るとしたいのは時雄一人であったのだが、製材クラブの連中も、まさに時雄の汚さに嵌ったようだ。晃一の姿勢にその悪意があらわれているが、「貢の土地」としたことに合理的な理由が無いのを今回の裁判で知ったはずである。ならば、和解は最善策なのだが、これもまた、時雄の後始末を気にする熊谷秀樹村長の思惑で動き過ぎてしまった。「章文が買った三筆の土地が手に入らなければ、他全ての土地の価値は5万円だ!」このデタラメに隠されているのが、「三筆の土地はどうしても手に入れなければならい」との裏事情である。この裏事情を晃一が本当に求めているのであれば、私は三筆の土地を晃一に譲るのはやぶさかでないとし、だからして、この様な和解案が出る前からして、熊谷義文議員を間に入れたのである。「自治会にお願い」「地元の人に売りたい」「三筆の土地も含んでいます」この三つは明確に晃一に伝わっているはずだ。そして、智里西製材クラブの役員(田中義幸会長・渋谷秀文専務・田中友弘(彼には直接話している))らも、十分に承知していることである。なのに、「三筆の土地が入っていない」として、いかにも、和解に乗れないなどとの話であれば、私にはこれ以上の打開案は無い。令和5年7月25日

 秀文が決めろ
秀文、お前が三筆の土地を求めているのか? 求めていても良いが、お前が必要なら私はお前に売っても良い。それでお前がよしとして、後に残る多くの問題にお前が正面で当たれば、私は全てに協力するし、親父の汚名を晴らしたいのであればなおさらに、すべての事実を明らかにするならば、喜んで提供する。だが、お前がこの和解案の蚊帳の外に居るのであれば、私に和解をまとめる考えはない。とにもかくにも、秀文が事実を知ることに、解決の糸口があると認識することだ。お前は今もだまされていると知れ。時雄の性格として、秀逸が死んだ後、時雄は何をしたのかと今一度思い返すことだ。月川旅館を孝人のものにの遺言を、月川旅館を手放して金に換えたのは誰だ? 一番トロイのは、時雄に騙され続けた秀文だと知るがよい。そこに気づかないとなれば、今でもヘブンス山林地代が秀文のところにも支払われているとなるのだ。必ずヘブンス山林地代の横領は暴かれることだ。それも私の手が及ばないところが動いてると考えてみろ。村長が何を言おうが、村民がほざこうが、絶対的な力がこの犯罪を明らかにするのだ。
 控訴裁は終わった
先々週の期日において、無断伐採控訴裁判は終結した。原告弁護士も、被告弁護士も東京地方高等裁判所へ出向いてその手続きを取っているが、まだ和解については整っていなく、和解になるのかどうかは、すべて被告晃一の考えに有る。和解案をまとめるに、たしかに澁谷さんの土地を晃一に売るとして進めてきたが、晃一が、実際には熊谷秀樹村長であるが、私が澁谷さんから買った三筆の土地が買えなければ、他の土地はたいしてほしくないという。ならば幸いに、和解は不成立で構わないとなるが。ここまで来て駆け引きも何もないし、原告弁護士が和解でまとめたくとも、三筆の土地は別の話であることに、もはや和解の価値は、少なくとも澁谷さんにはないことだ。令和5年7月26日

 晃一の一存
晃一が、私の三筆の土地を本当に欲しいのであれば、澁谷さんの全ての土地が欲しいから始まることではないか。それが、「三筆の土地が買えなければ、他の土地全ての価値は5万円だ」という。足元を見られたのではない、どうしても三筆の土地を手に入れなければならないと言うことだ。この様な流れはすでに読んでおり、だからしての反論に、「阿智村との争いが終われば、澁谷さんの土地として売っても良いですよ」と、伝えている。これは私の回答であり、それに対して返事が来ることではないが、完全に言い分は封じている。これで、和解するのかしないのか、和解したくないのかしたいのかは、澁谷さんでなく晃一が求められたことになるのだ。
 雑音の封じ込め
正直な話、澁谷さんにとってこの争いはどうでも良く、両親が残した土地と言っても、盗伐がなければ知らずにいたことだ。もっと言えば、澁谷さんを巻き込んだ、私の責任の方が大きくある。確かに渋谷さんには損得もなく、村長の悪事を許せないだけでここまできたが、5年にも及ぶ裁判はかなり堪えている。澁谷さんの労をねぎらうには、この裁判を終わらせるにあることで、判決だとか和解だとか、そんな雑音にかまうことではない。雑音は智里西地区の良からぬ者たちでしか聞こえてなく、おそらくのこと、裁判の勝ち負けで変わることでもない。和解になったにしても、その原価は澁谷さんの土地であって、けして相手の負の行為の賠償でないことに、矛盾を感じるのが良いところである。
 本質が理解できない西地区民
そこまでして何が目的かと、今までも強く私に向けられてきたが、私とて、澁谷さんの協力なくして出来なくあり、また、目的も同じでなければ、ここまでは行えない。そのことを西地区の住民は理解できずにいるが、理解できないのではなく、隠し通したいとの不穏な考えがその裏に生じているのである。令和5年7月28日

 誰もが知っているゆきゑの土地
昭和44年頃に、ゆきゑが残して言った土地が欲しいと、熊谷誠一は稲武町の澁谷建典の元を訪れていることが、両区の古い書面で判明している。ゆきゑの土地が欲しいとのことは、ゆきゑの土地であったと言うことだ。だが、今回の控訴においては、晃一が平川文男の土地だと主張するは、ゆきゑの土地ではなく、澁谷薫(ゆきゑ夫)の土地である。ようするに、平川文男の家が建っていたのは、渋谷貢(晃一の父)の土地と澁谷薫の土地にまたがって家が建てられていたと言うのであり、その家の写真(熊谷村長が提供)が証拠として添えられていた。まったくに、一審と違う主張であることに、なぜそのような主張が出来たのかと言えば、三六災害などの県道拡幅に土地の交換文筆が行われていたからだ。分かりやすく言えば、災害の復旧工事において、県が平川成泰がゆきゑから買った土地は、別れた夫薫の名義になる前に、交換文筆で移動していたと言う主張である。降ってわいたような話であるが、なぜそのような主張に変更されたのかは、交換文筆が行われたとの事実が法務局の登記謄本で分かったからであるが、一審ではすでに、ゆきゑから買ったとして、現在のゆきゑの土地(薫の土地の横)の権利を主張していたことに、今更に反論主張を変えられなかったことに有ります。一審で負けたからこそできる訴えの変更であって、それは新たな証拠(熊谷村長が提供した写真)が添付されたことで、十分に戦うことができたのである。
 偽物写真
熊谷村長が晃一に与えた写真には、たしかに2階建ての建物が写っており、それはゆきゑの土地ではなく、明らかに薫の土地の近くであった。これが平川文男の家であるならば、たしかに晃一の反論も一理あるし、渋谷一統はおろか、晃一に与する族も平川文男の家だと合唱するだろう。多勢に無勢が、ここでもまかり通ってしまうのだ。このような争いが控訴裁で行われていても、弁護士は詳しくその内容を話さなくあったのは、「仮に家が在ったにしても占有時効が過ぎている」(家を取り壊したのが20年以内)として、充分ことは足りるとの考えであった。令和5年7月29日

 形勢不利
和解は確かに恒例として扱われるのだが、弁護士が和解でも良いのではないかとの考えに至るに、やはり、この相手の主張(写真)が裁判官に伝わっているのではないかとの疑心であろう。ここで問題の写真を公開します。災害前の写真   まずは、クリックしてご覧ください。
 写真は語る
晃一がこの写真を手に入れるに、誰が協力してくれるのでしょうか? 原睦雄氏提供と有りますが、撮影者が不明は無いでしょう。この写真の提供者は熊谷秀樹村長です。この様な写真が残されているのは役場しかありません。その理由は、教員住宅を中心に写真が撮られていることです。それに、撮影日が「昭和38
年1月」なのであれば、三四の伊勢湾台風、三六災害で消失した橋(神橋)が写っているはずがありません。ですから、その様に反論しましたが、なぜか、原告弁護は意にも止めずに取り扱っていません。「この家が仮に平川文男の家であったにしても、昭和38年に取り壊したと主張しているから、20年以上占有していたことにはならない」との理由でした。が、控訴裁においては全くに、「あの時しっかり反論すればよかった」と、まあ、口には出しませんが、それが判決に不安な要素を残したことは確かでないでしょうか。和解が不調で判決となり、最悪の場合は、ゆきゑの土地ではなく、薫の土地一筆は被告らのものになってしまう可能性はありますが、この判決でも、被告晃一には何のメリットもありません。
 平川文男の家ではない
次に、ゆきゑの土地   この図面をクリックしてご覧ください。  晃一の当初の反論は、「ゆきゑの土地を買った」であり、その土地「平川文男の家は、父貢の土地と、その隣に在るゆきゑの土地にまたがって建てられていた」と、当初は主張しておりましたが、その土地がゆきゑでなく薫の土地だと判明すれば、今度は、「薫に名義が変わっていたことを知らなんだ」としています。手連句連は被告の常であるが、ここまでの嘘を放置してもなんだかなあと思いませんか? 令和5年7月31日

 致命的な間違い
ゆきゑの土地と、薫の土地、それに平川文男の家が在った貢の土地、これらの関係背を晃一自ら図面としたものですが、ここで、絶対的な間違いがあることに、晃一は気づいていませんでした。さて、それは何でしょう? まあ、もったいぶらないで説明しますと、それは「貢の土地」なのであります。貢の土地がなぜ絶対的な間違いなのかと言えば、平川文男の土地ではないからです。平川文男の家が在ったとされる法務局の登記上の土地は、貢の土地であります。晃一の反論によれば、「平川成泰に貸していた」と言うことですが、貸していたのであれば、平川文男の土地ではありませんよね。ですから貢の登記になっているのですが、では、なぜ貢の土地なのでしょうか? 「成泰は朝鮮人であり定職を持たなくあった」とか「生活に貧しく、渋谷一統が支えていた」などと主張されていましたが、その様な人物が、どうして、ゆきゑの土地を買うことが出来たのでしょうか? ゆきゑの土地を買うお金が有れば、まずは、貢の土地を買うべきではありませんか? だって、自分の家が建っているんですよ。それも、貢の父を借りて家を建てているのです。お金が無くて支えられての生活でも、何とか金をためることが出来たのであれば、家が建てられていたと主張する薫の土地の横にある、ゆきゑの土地を買うなどとのことを、どうやって信じればよいのでしょう。「おい、順番が逆ではないか。貢の土地を買ってからにしろや」と、それは渋谷一統でなくとも注進したくなると思いますよ。
 嘘は嘘
この様な話をしても、裁判では推論として片つけられてしまいます。ようするに、証拠が無いと言うことです。では、「平川文男の家」だとする、熊谷秀樹村長が提供した写真において、平川文男の家だとの証拠になったのでしょうか? どう見ても矛盾があるこの写真が、被告晃一の証拠となるのであれば、これは推論ではないとなりますね。「神橋(カンバシ)は、流されていてないはずですよ」は、これも推論なのでしょうか。令和5年8月1日

 嘘のない証言
「これは平川文男の家ではない」この様な証言が取れました。この証言は衝撃的でしたが、やはり、周りを気にして証人には成れないと言うのです。さて、どうしたものかと長く考えておりましたが、タイミングも良く、「俺は平川文男とは同級生だった」とのご仁に、当時の様子を詳しく聞くことが出来ました。「平川文男の下に二人の弟がいた」で始まり、平川家族は昭和36年頃引っ越していったと言うのです。まてよ、昭和36年と言えば、三六災害が有った年ではないか。ならば、平川文男の家が三六災害で被災して、やむなく飯田に越したとの話と全く整合することだ。だとすれば、間違いなく昭和38年には家が無かったはずだ。そうなれば、写真にある「昭和38年撮影」が嘘であるとの証言となる。「おう!俺はいつでも証言するぞ」と、これもまた頼もしい言葉であるが、やはり、一人では信憑性に欠ける。どうしたらよいかと思いつくに、「なら、平川文男は田中義幸とも同級生じゃないか」に気が付いた。「おう、そうだよ。まだいるぞ。吉彦のアンネのみどりもそうだ」と、次々名前をあげるに、そこで気づいたのは、「義幸が同級生なら、なぜ平川文男の家だと証言しないのか?」である。盗伐の首謀者の一員である智里西製材クラブの会長さんの義幸が、「これは平川の家だ」と証言すれば、こちらは手の打ちようがない。なのに静かであることは、写真にある家は平川文男の家ではないと、分かっていることになる。
 見えて来た真実
これで、平川文男の家ではないと確信したが、私が確信してもどうしようもない。ならばダメもとで、もう一度平川文男の家ではないと話された人に会いに行ってみた。そして、平川文男の同級生から聞いた話をしたところ、もう一度写真を見て「平川文男の家は平屋建てで小さい家だったよ」と、全く持って否定したのである。平川文男の同級生は、「家の前に大きな柿の木があってなあ」と、「家の前に小屋などなかったぞ」との話を付け加えれば、それは饒舌になり、やがていくつもの逸話を聞かせてくれたのだ。令和5年8月3日

 心中
平川文男の上に二人の兄がいた。一番上の兄は熊谷常和(共産党で時雄の子分)と同級生だという。そして二番目の兄は、平川左善(サイゼン)といい、純粋な青年であったようで、朝鮮人だとの理由で結婚を反対され、天竜川に身投げ心中したと言う。昭和45年頃の話だと、同級生であったが、そうとうな衝撃を受けたと話す。そして、「俺はその頃飯田に勤めており、下宿もしていたが、家から通うに平川文男の家の前を通っていたが、その頃には家など跡形も無かったし、左善は中学二年で転校したしな」と、ここまでは全く同じ話になった。そして話が続くに、「これが平川文男の家?」と首をかしげるでもなく、「文男の家は平屋建てで、小さな家だよ。それにこんなふうに川に向いての屋根じゃ無かったよ」と続けざまにはなった話に、もはや確信にかわっていたが、そこで、重要なことに気が付いた。まてよ、(平川左善と同級生なら、時雄も同じ同級生じゃないか!)とね。
 時雄の同級生
時雄の同級生は大勢いたし、園原にも三人もいたが、西地区に残った者は誰もいない。それを良いことに時雄は嘘を言い続けたのだが、ここで気づいたもう一つのことは、「時雄も平川文男の家ではないと知っていたはずだ」である。時雄の同級生が「文男の家は平屋建てで小さな家だ」との証言は、時雄もまた、否定できない事実なのだ。だからして、時雄が生きていれば、この様な写真を証拠とすることは避けたはずだ。降ってわいた話であることは、降ってわく原因がこの写真に有ったことで、この写真を証拠としたことが、晃一の誤算となることだ。しかし、この話を弁護士に振るに、「そんなものはどうでもよい」とまできつくは言わないが、「裁判は終わっている。いまさら証拠として提出できない」と、つれない話しであったが、それでも「和解の話しで、使えるかもしれない」と、そそくさとしまい込んでくれた。令和5年8月4日

 必要なのはこれから
弁護士が和解に必要とするより、この話が重要なことは、「平川文男の兄左善と時雄が同級生」ということだ。いわゆる、時雄は何もかも承知の上で、「木を伐れ」と、智里西製材クラブに指示したのであって、好泰がその不備(地主が違う)を指摘したにしても、それは既定の事実であり、智里西製材クラブはもとより、晃一も渋谷一統も、分かっていての障害木補助金申請だったということなのだ。早い話が、渋谷一統が、どうしても手に入らぬゆきゑの土地を、実質的に手に入れようとしての犯罪であったのだ。だからして好泰を悪く言い、この犯罪を表に出した私を攻撃したのである。まあ、すべて見通していたが、この事実を証明するに裁判でしか方法がなく、その結果において、第三者二名(平川文男と左善の同級生)から、貴重な証言を得たのである。この証言を陳述書として残すことは、好泰が受けたような、いわれなき被害者を出せなくするためと考えている。とにもかくにも、盗伐当事者たちの好泰へのいじめは、すでに長谷川弁護士までその域に達し、準備書面で「好泰は謀略者」とまで名指しされれば、すでに異常な領域としか思えなく、控訴が和解になったにしても、感情禍根は続いてしまう。
 視点と焦点
今までの争いは、まさに視点のやり取りであって、本質が何かとぼけていた。いや、ボケていたのではなく、そのような争いに持ち込まれていたことだ。「誰が悪いのか!?」が焦点とされ、好泰が悪いから私に移り、そしてまた、好泰と私が悪いのだと、長谷川弁護士は開き直りでそう決めつけた。控訴裁での準備書面にその重さは有るが、原告弁護士はそこに何も感じていない。「私と好泰が攻撃されたのだから、反論してしかるべきことでしょう」と、しつこくしての陳述書の提出に、そして和解への最後通告が出来たのも確かであって、だからこその二人の証言は、被告らに強くのしかかるのだ。令和5年8月6日

 焦点
晃一を横において、焦点をずらそうとしたのは熊谷秀樹村長である。世間はそのことを知らずにいるが、焦点がなにかとは、それこそこの裁判の目的であるのだ。焦点は言うまでもない、それは「熊谷秀樹村長の補助金不正支給」にある。何をどのような言い訳をしても、今回の裁判や控訴において確定したのは、「補助金申請が行われた」との事実である。好泰の補助金申請は村長が却下され、翌年の熊谷秀二の補助金申請は何事もなく受理された。そのことが一番大きくある裁判の結果であるに、それをよそ事としたいのは熊谷秀樹村長にあった。しかし、晃一は執拗にも控訴に及んだが、その目的は何であるのかといえば、「無断伐採木の損害賠償請求」ではなかった。あくまでも、平川文男の土地だとして控訴されている。晃一が和解を選択するかはともかくも、選択しなければ損害賠償請求は残ることだが、そこに平川文男の土地は条件に無い。しかし、判決とならば、三筆の土地の内、澁谷薫の土地は平川文男の土地になるかもしれない。では、それでもって補助金不正受給は無かったことになるのかと言えば、他二筆の土地がゆきゑと薫の土地であれば、まったくに不正受給は無くならない。和解でも判決でも裁判は終わるが、そこで終わらないことに、補助金不正受給が有った。何をどう言ったにしても、晃一は補助金を受け取っているが、その弁解は控訴で行われていない。ようするに、和解でも判決でも、補助金不正受給は残っているのである。
 受給か支給か
長谷川弁護士が好泰と私を攻撃したことで、私にも反論を与えてくれることになったが、これを利用しない手は無いとして、これ幸いに、岡庭一雄と熊谷時雄が役場に乗り込んで「補助金を支払え」と熊谷秀樹村長を恫喝したことを、勝野公人議員の議会議事録を証拠として反論した。これは弁護士にも裁判官にもたいして作用しないが、少なくとも、長谷川弁護士には大いに困ることになる。それは、この事実を、長谷川弁護士は知らないからだ。令和5年8月7日

 うぬぼれが陥る
長谷川弁護士はかなりの策略者であることに、私と好泰を引っ張り出したことにある。私を引き込むことに何のメリットがあるのかは、澁谷さんから買った三筆の土地にあった。この土地をどうしても手に入れたいは晃一にないが、晃一が欲しいとしなければ和解条件に載らない。晃一もまた、熊谷秀樹村長からの「三筆の土地をどうしても買ってくれ」の依頼を断れないのは、三筆の土地が私の土地となれば、本谷園原財産区と岡庭一雄元村長の犯罪が露呈することを知ったからだ。しかし、原告弁護士は「別件であり、既に訴訟にかかっている」と、冷たく突き放しているが、当然にして私の了解を得ての返答であるに、なぜそのような返答したかを長谷川弁護士は知らずにいるからして、私への攻撃に切り替えたと言うわけだ。私への攻撃材料はない。しかし、そこに好泰を取り込めば、十分にして「策略者だ」「澁谷氏のためではない」「金もうけのためだ」の材料が整うとされたこと、そこを読み取っていたからこそ「義文議員を仲介者」としていたのである。自治会に宛てた文書を読んでいただいたとおり、私が買った三筆の土地も売りますとしてあるに、何も、和解条件にあげるまでも無いことだ。この文書の存在を知らぬして、晃一が「三筆の土地も買いたい」と長谷川弁護士に依頼すれば、どのようにして手に入れようかと弁護士は考えるものである。策も弄すぎれば目に余るが、「阿智村との訴訟が終わればお譲りします」と、私の名前で陳述すれば、もはやそれ以上の回答は無いことで、和解に向かう不測の事態は、これですべてが取りのぞかれたのである。さて、ここで和解が出来ないとすれば、長谷川弁護士側に相当なる理由が必要だが、まさかと思うが、「土地代が高い」とは、言い出さないでいただきたい。それを言ったらおしまいなのは、「金もうけのためだ」は、天に唾したことになる。
 弁護士が金儲け
私も100万円を超えているが、晃一も80万円を超えているだろう。どの弁護士も金儲けのためではないかと言いたい。控訴など原告も被告も全くに利益は無いことで、端から和解に持ち込めば、難なく終わっていることだ。それを、控訴するに、弁護士の利益しかそこに無かったが、それでも私を金儲けだと言える長谷川弁護士には敬服しかない。このおばさん、いやばあさん。老害以外に何もない。少しは人間性を持って事に当たれと言いたいが、こんな考えで和解などまとまるはずがない令和5年8月9日

 盗伐裁判の終わり
判決は10月下旬ころだが、和解もまた、最後の段階となった。そして、和解に向けての準備書面が提出された。控訴が終結してからの提出書面であるからして、それは準備書面でなく上申書であることは、もはやこれ以上のことは起こらない。「裁判官様、和解条件として採取的にまとめましたので、これ以上何も申し上げません」とするものである。ここで、この上申書を開示するについて、まずは、長谷川弁護士からの挑戦状(好泰と私を攻撃したこと)に対しての私からの回答(陳述書)を開示いたします。まずは、ご覧いただきたい。盗伐控訴陳述書   クリックしてご覧ください。
 これで終わり
長谷川弁護士が私をこの控訴裁判に引きずり出したことで、私は思わぬ拾い物をした。それは、私が澁谷さんから購入した土地についての裁判に、言及することが出来たからです。特に、「8.三筆の土地が村道にされている件について」では、「何人たりとも土地の売り買いは出来ない」を、証拠を持って主張できたからだ。人の褌を借りて相撲を取ったのだが、ありがたいことに、汚れた褌は借りるまでもなかったのが幸いでした。
控訴裁には関係ないが、控訴裁で使われた証拠であれば、それは確かな証拠となります。また、その証拠(添付資料3)を開示しないのは、三筆の土地裁判の証拠とするためですが、この証拠は、晃一も当然所有する書面であることから、熊谷秀樹村長にもすでに渡っていることでしょう。三筆の土地の裁判被告は阿智村ですが、いよいよとして、この証拠が出てくると、不安であることでしょう。令和5年8月11日

 判決を望む
和解などありえないとの考えは、正直私の本心です。しかし、裁判官からであれば、また、長く続いたことで澁谷さんの負担が大きくあれば、それもやむ無しとして、最良の和解案を探ってまいりました。しかし、晃一にはその考えがあったにしても、熊谷秀樹村長には受け入れがたいようで、どうしても私が買った三筆の土地が欲しいという。そこまでくれば、もはや村長の書付を証拠とするしかないとして、添付資料3を提出したのであるが、この添付資料3を晃一が熊谷秀樹村長に渡すと考えています。それというのも、熊谷秀樹村長が自分の書付が私の手元にあることに大きな不安を抱いていたからです。以前、私に匿名の手紙が届いたとブログに書きましたし、公開もしましたが、この匿名者が熊谷秀樹だと限定したのも、熊谷秀樹しかこの証拠(添付資料3)を必要としないからであって、それはまさに、三筆の土地を阿智村で買ってないとする熊谷秀樹村長自書の書付であるからです。晃一がこの書付を見れば、「三筆の土地は本谷園原財産区の土地であり、それを阿智村に売った」との晃一の証言は嘘となり、また、阿智村相手の土地返還請求事件裁判にも、契約書が偽造捏造されたと分かることです。ですから、晃一はこの証拠を必ず熊谷秀樹村長に手渡すでしょうし、晃一もまた、和解に条件を付けられなくなったのです。「三筆の土地が買えなければ残りの土地10筆は5万円だ」との強気に出たのは、三筆の土地が買えなければ他の土地に価値はないとの言い分です。どうしても三筆の土地が熊谷秀樹村長のために欲しくあったのですが、三筆の土地についても裁判後(土地返還請求裁判)に売っても良いと返答したことで、もはや三筆の土地を手に入れるには、まずは澁谷さんの土地を買うしかないと判断したようです。このような流れを想定して裁判を進めるに、思うように進むどころか、輪をかけて沈んでいく被告らと熊谷秀樹村長を見れば、自業自得と言うよりほかにありませんね。令和5年8月13日

 図に乗るな
和解したいは被告であることがお判りいただけたと思いますが、それでも被告らには欲が先行しているようで、盗伐被害を受けた三つの土地を、阿智村に買ってもらうとの裏約束で和解に乗っております。ふざけた話ですが、元々に、時雄と秀逸の目的もそこにあり、何かと理由をつけては村の金を収得していたのです。しかし、それにしても5万円は無いでしょう。まあ、三筆の土地が手に入らないとの前提での開き直りの金額ですので、私はどうでも良いのですが、それでも収まらないことに、原告弁護士の憤慨が有りました。「5万円だよ!?あまりに馬鹿にした金額じゃないか!」とは、やはり被告弁護士からの回答であったからです。私にはどうでも良くても、裁判ですから、弁護士としては当然にそのようにとらえることでありました。
 30万円
私の陳述書が多少効いたようで、和解にするにはある程度の支払いが必要であることに、今度は30万円でと言ってきた。30万円!?その提示に今度は私が憤慨した。私の試算では、三筆の土地も加えての評価は200万円である。200万円は確かに高い金額であるが、澁谷さんを引っ張り出した以上はそれくらいで購入しなければ申し訳ないとして、もし、澁谷さんに売る気があるのであれば、私に売ってくださいとするは私の責任対処である。しかし、西地区の馬鹿者どもにこの思いが知れたならば、またもや澁谷さんや好泰に非難の目が向くのは必至であって、それは澁谷さんにも詳しく伝えていない。そんな中で、盗伐被害を受けた三筆の土地は、少なくとも7,80万円の価値は十分にあった。それを30万円では、もはや和解などどうでもよく、また、控訴で負けたにしても、渋谷貢の土地横の澁谷薫の土地20坪程度だけがその対象であれば、判決の方がよほど良いとなる。他二筆の土地が残れば、少なくとも樹木の損害賠償は通ることで、そして盗伐も確定する。そう、私は和解には猛反対となったのである。令和5年8月15日

 最後の提示
それでも和解は進めなければならない。最後に残るは和解条件の整理と土地の売買価格であるのだが、問題はまだ、和解条件に残っていた。その問題とは、「陳謝」であります。和解するに、何が原因でこうなったのかの話し合いまたは、主張・反論がなされてきておりません。「無断伐採された樹木の損害賠償せよ」がこちらの訴え趣旨であって、被告らもまた、「平川文男の土地だ」が反論でありました。ここでやりあうに、一審では、「熊谷秀二自治会長に過失がある」とされたが、控訴においては、熊谷秀二の過失について何も取り扱われていない。それは、熊谷秀二の過失は、一審のとおりであって、そこに原告も被告も反論するところが無いからである。しかし、和解へと進むに、原告弁護士は「和解金50万円」としている。その理由は、熊谷秀二自治会長の過失に対する請求であるのだ。
 過失とは
過失とは、注意義務に違反する状態や不注意をいい、特に民事責任あるいは刑事責任の成立要件とされていることで、まさに今回の事件の直接的な原因である。熊谷秀二自治会長が、「役場で確認すべき事柄」とされたのは裁判官であることから、その判決に不服が無いと原告も被告も認めたことからして、熊谷秀二は過失責任を取らざるを得ないのである。その熊谷秀二自治会長に陳謝せよは当然のことで、それが前提に無ければ和解などどちらも出来ないことだ。その様な事が分からなく、むやみに争うことがいかにお粗末であるのかを晃一が理解できなければ、今回の和解は成立しない。平川の土地だとか、平川の家が建っていたと争うことは、熊谷秀二の責任を回避することでもできることでもない。晃一は、自分勝手な判断において、熊谷秀二がどのような立場に置かれているのかを、何も考えていなかったのだ。令和5年8月17日

 陳謝せよそして恨め
熊谷秀二の馬鹿さ加減にあきれるが、嘘をつき通して時雄を守り、晃一らに秀二一人の責任とされ、その上でもまた、晃一にも製材クラブにも、そして自治会からも見放されたのに、まだ気づいていない。晃一が和解しないとでも思っているのか、それとも自分は関係ないと考えているかのどちらかであるが、ここにきて和解となれば、陳謝無くして事は収まらない。たしかに、和解するは「無かったことにする」ではあるが、それはこの件につきこれ以上争わないとの意味であれば、感情を取り除くは出来ない。だからこその和解条件に、原告澁谷さんは「陳謝せよ」を求めているのだ。まあ、弁護士の考えであるが、本来であれば、和解には「和解金」が必要であることで、和解条件の始まりは、「和解金50万円」「土地代50万円」が、原告弁護士の提示であった。
 噛みつく長谷川弁護士
「和解金50万円などとんでもない」と、長谷川弁護士は嚙みついたようだ。それもそうだ。平川文男の土地だ。平川文男の親が植えた木だと控訴するに、和解金など支払えば、それら一切を否定するも同じ、だからして金額の問題ではなく、和解金自体を支払わないというのである。冗談ではないは澁谷さんの方であるが、いったんは和解に乗るに、和解金が払えなければ和解には応じられないとするは、これもまた大人げないとになる。弁護士は断っても良いとは言わない。それが不自然であると感じるは私だけであるが、私もまた金額の問題ではないとしているし、澁谷さんも全くにそこにない。あまり詳しく話さない弁護士が言うには、「土地代50万円の根拠が欲しい」とだけ、50万円と勝手に決めておいて、後先の話ではないか。盗伐被害を受けた土地は三筆で65坪あるが、それも村道でなく県道に接することで、智里西地区とすれば一等地である。それを50万円では、根拠も何もないと、口には出さぬが言ってみた。「この少し上流側の土地は、坪3万5千円で本谷園原財産区が買っていますよ」とね。そう、例の脱税事件を持ち出してみた。令和5年8月19日

 裏事情を知った澁谷さん
私の考えは、正直和解などどうでもよく、早く裁判を終わらせることにあった。和解が早いなら和解で良いし、判決が早ければ判決でもよいとしていたが、結局のところ、和解を進めなければ判決も遠のくと判り、和解を進めたことだ。そこで澁谷さんを説得するに、やはり裏事情を話さなければ前に進めないとして、「地主が違うのを分かっていた熊谷秀樹村長が一番悪い」と説明した。その細かな説明に、熊谷時雄と岡庭一雄が建設農林課に乗り込んだ事実を話したのである。そこまで話せばさすがの澁谷さんも、「村長の対応が変だと思っていた」「そんなことが行政で許されるのか!?」と、立腹したのである。そしてついには、裁判が終わっても村長の責任追及に協力しますと、なんでもしますと言われたが、その本心は、澁谷一統が世間に掛けた迷惑の詫び状に現れていた。
 本当の解決
熊谷秀二は何としても澁谷さんに陳謝しなければならないのは、熊谷秀二の責任ではないと証明するためである。そこを澁谷さんが理解したことで、和解の条件に、「熊谷秀二と渋谷貢(晃一)の陳謝を求める」を、第一としたのである。陳謝をまずしなさいと、陳謝が有れば和解金は不要だとした。この条件が初めにのめなければ、和解にはならない。土地を売るのは二の次三の次で、いかに二人の陳謝が必要なのかは、この二人をこれから先に巻き込まないためである。たしかに、このような裏事情を知れば誰でも同じく考えるもので、誰が一番悪いのか、一番悪い者に責任を取らさなければ、この盗伐犯罪の終わりはないのである。一番悪い者、それは熊谷秀樹村長である。そのことが、この裁判において立証されたのは、長谷川弁護士が好泰と私を悪者に仕立てたのが切っ掛けであった。私を悪者にしなければ私の出番はない。まして控訴裁判ともなれば、原告弁護士でさえ、「熊谷さんの考えじゃない」と、冷たくあしらわれていたが、最後の最後に、「これは熊谷さんでなきゃ説明できない」とに変わっている。令和5年8月21日

 私の証拠
和解でことを進めるに、陳述書において和解をまとめるなど出来るのかと思われるでしょうが、まあ、まとめるのはともかくも、前に進んだ、いや、前に進まざるが得なくなったのは確かではないでしょうか。「私が澁谷さんから買った三筆の土地については、裁判が終了すれば転売しても良いです」と回答すれば、長谷川弁護士とてそれ以上の答えは求められず、また、三筆の土地を買うとも言えなくなった。それが当然なのは、三筆の土地について阿智村と訴訟中であるを知っていながら「章文の三筆の土地が転売条件に入っていないじゃないか」と言ったことにある。だからして私の陳述書は、長谷川弁護士はもとより、裁判官にも理解された内容であったのだ。そして、私の三筆の土地は和解条件から外されたが、ここで少し考えていただきたいのは、「訴訟状況に有る三筆の土地」を長谷川弁護士はなぜ買いたいとの意思を示したかである。争いにある土地を買うなどあり得ないが、それでも買うというのはいかに何でも考えられないが、買えないと分かっていての私への攻撃なのかとも思うが、実はそこに、もう少し深い事情があるのではないか。
 阿智村は負ける
私が澁谷さんから買った三筆の土地は、それこそ無断で村道とされている。行政だから何でもできるとの話は岡庭一雄と熊谷秀樹に任せておけばよいが、驚くことに、阿智村は「売買契約書が有ります」として証拠として付けた。その証拠をよく見れば、盗伐裁判の一審において、晃一が「ゆきゑはこの地を離れるに本谷園原財産区に土地を譲っていた」との証拠とした契約書と同じであったのだ。熊谷秀樹村長が晃一に渡したことは判明しているが、高裁の裁判官はその売買契約書について「以前にも阿智村に土地を売っているではないか。和解の前提として、被害を受けたとされる土地を阿智村に寄付したらどうか」と提案されたのである。令和5年8月23日

 裁判官が知った事実
高裁の裁判官は、例え偽造の契約書と分かっていても、阿智村という行政にゆきゑ名義の土地が転売されているを事実として、このような和解条件を出したのであるが、その提案はとてもじゃないが受け入れられない。しかし、高裁の裁判官がこの偽造契約書で阿智村が買ったと判断したのはどうしてなのかが、とても気になる。この契約書で登記は出来ないが、たしかに阿智村は金を払っている。ならば、澁谷ゆきゑの土地は売買されたとなるが、どうもこのあたりを判断したのではないか。そうであれば、下平弁護士も全く同じ見解をしているとなる。と、盗伐控訴より阿智村被告裁判が気になった。阿智村の登記であろうがなかろうが、三筆の土地を購入したのは確かなことで、ならば、この契約書は偽造とならない。偽造でなければ犯罪にはならぬして、もはやこの契約書を証拠にするのは無理もない。だからして証拠の第一としたのではないか。
 寄付が和解条件になるわけは
裁判官は三筆の土地が阿智村に買われていたを事実としただけで、登記がどうのと言ってはいない。だが、盗伐土地を阿智村に寄付すれば、土地を買っての和解は出来ないとなる。全く矛盾した提案であるからして、裁判官は別の和解案を考えてたはずだ。だとすれば、土地を外してまでの和解案を進めたのは、いったいどのような考えであったのだろうか? 他にどのような件で金をつくれるのかと考えれば、それはやはり二つの条件しかない。その条件は、伐採木の損害と、伐根費用の二つであるに、この伐根費用は90万円だとが一審での判決でもあった。土地を寄付して一審の判決を和解とするのでは、被告らにとっては何も得るものはないし、控訴自体も無意味になり、一審の判決は和解でも何でもないことになる。令和5年8月25日

 伐採木の損害
伐採木の損害は被告と原告に大きな開きがある。原告の積算額は150万円程度であるが、被告らの見積もりは高くて45万程度であった。仮に45万円だとして和解案となれば、今度は原告が承知しない。仮に、盗伐被害の土地を阿智村に寄付したとすれば、和解へ進めないとなるは必至であるに、それでは土地を寄付せよとした裁判官の考えはどこにあったのか? に迷い、話は振出しに戻ってしまうが、振出しに戻るとなれば、原告弁護士の最初の和解案、「迷惑金料50万円と土地代50万円」がまた、浮かび上がってくる。そう、伐採木の被害を被告が言う45万円とすれば、迷惑料は和解案として請求できるのだ。振出しに戻ることで見えてきた和解案、それは、和解するには「被告の陳謝が必要」ということである。被告は二人、熊谷秀二自治会長と渋谷貢であるに、渋谷貢は名前が使われただけであるとなれば、陳謝するのは熊谷秀二一人となる。阿智村に土地を寄付するのであれば、熊谷秀二が迷惑料の50万円を支払うことになる。これを熊谷秀二が了解するかはともかくも…
 誰が責任を取るのか
被告弁護士はにべもなく迷惑料50万円の支払いを拒否したことで、少なくとも阿智村に寄付するは無くなったが、被告弁護士が迷惑料の支払いを拒否するのは、何も迷惑をかけていないとか、平川文男の土地だと主張していることではないことで、熊谷秀二に迷惑料を支払う考えが無いことにある。なぜ熊谷秀二は迷惑料の支払いを拒否するのかは、当然に、熊谷秀二が申請したことではないからだ。時雄と岡庭一雄が村に乗り込み、補助金の支払いを強制したことの事実は、これもまた長谷川弁護士に伝わっていることで、それが裁判で取り扱われれば、完全に被告の敗訴となるし、控訴も出来ることではない。だからして必死に熊谷秀二を守らなくてはならないと、長谷川弁護士は奔走してきた。ここまできて和解となるに、熊谷秀二を登場させたなら、もはや熊谷秀二はすべてを話すだろう。令和5年8月27日

 和解したいは被告
和解が出来ないとして判決となるのであれば、被告らの主張は通らない。それは長谷川弁護士は理解していることだ。ならば原告も和解しなければよいではないかとのことも言えるが、それは外野の考えである。熊谷秀二が被告でないと、本来の被告は熊谷時雄だと、そのことを私も被告らも知っている中で、それでも被告は被告となる。そこで私に軋轢は生まれないが、時雄と言いだせない被告らにはフラストレーションが募ることだ。他人の土俵で、それも他人のふんどしで相撲を取ろうとしても、その土俵に上る気持ちは一切ない。だとすれば、もはや和解は被告らに取れば渡りに船であって、一刻も早く向こう岸に渡りたいとなる。
 金額だけ
こうして和解は進むにつれ、被告らは「30万円ではどうか?」との金額を示してきた。五万円を30万円にしたのであるから、十分の対応と言いたいようだが、元々に金額でない原告としても、足元を見られる対応はできない。言い値でなく、根拠を持つ金額とするのは裁判を経たゆえの和解であるからだ。裁判官は片田舎と言うより、山深い山ばかしに数個の住戸だとこの地を見ており、木の価格も安ければ、土地代も二束三文の考えにある。なぜかと言えば、裁判官の根拠は課税評価額を基にしているからだ。元宅地であっても植樹されていたとなれば、宅地として評価しても最低の評価となる。だからして、「価値がない土地で争うより寄付しなさい」と言えたのだろう。5万円を30万円にあげたにしても、そこは裁判官の口出しは不要なことで、あくまで、土地の評価には根拠が必要なのである。令和5年8月29日

 答えを出した
「すべての土地を地元にお世話になりたい」との話は、熊谷義文村会議員に伝え、自治会で買っていただきたいとしたが、その話は晃一ひとりに伝えられたようだ。「とことんやれよと俺は言ったが」と、義文議員は吐露していたが、お門違いも良いところではないか。議員とすれば、誰を気づ付けるわけでもなく、また、どちらが正しいとも出来ることではない。少なくとも、好泰を悪く言うは義文議員も同調していたことだ。時雄一人を守るためにここまでの争いにする晃一の考えがどこにあるのかはともかくも、ゆきゑの土地であるを誰もが認めているから争いになったのではないのか。平川文男の土地であれば、時雄と岡庭一雄は村に乗り込むことはしない。誰もが分かっているのに「平川文男の土地だ」と、言い張ってきたが、和解するのは「ゆきゑの土地だ」と認めることなのだ。そしてこのことが原告には最も必要なことで、ゆきゑの土地だからこそ渋谷貢に買ってもらいたいのだ。晃一よ、間違ってはいけない。貢と澁谷さんは身内であって、幼友達であって、二人とも今でも生きていると言うことを。「親父はボケており俺が代理です」と言って裁判に及んだが、誰が悲しむかと言えば、澁谷さんと貢さんではないのか。ここまで来て死んだ時雄をかばってみても何も得るものはお前にはない。ましてこれで済むことでもないとなれば、やはり晃一、お前も澁谷さんに謝ることだ。
 最終提示
和解案の最終提示を澁谷さんは行った。それは、「三筆の土地と隣接するわずかな土地二筆を加え、金60万円とする」「お墓の土地は譲渡します」であった。三筆の土地と隣接するわずかな土地は65坪であるに、智里西地区の宅地は1万円を相場としていることで、60万円とした。お墓の土地を譲渡するとは、先祖の墓を守ってきたのは渋谷一統であるとの思いからであり、貢さんに感謝をしているとのことであった。令和5年8月31日

 裁判官の文句
澁谷さんの土地は全部で10筆(私が買った三筆の土地は別)であり、それらすべてを譲渡するとして始められた和解であるが、最終の和解条件としては、二つの土地と二つの山林を加えなくあった。それに対して裁判官は怒ったと聞くが、まあ、怒ったとの表現は弁護士が受け止めた感情であるに、裁判官が何を言おうとしたのかはすぐに理解できた。「10筆すべての土地を譲渡するが和解の条件であったはずだ」そのような発言かと思う。10筆の土地すべてを手放すのが和解の土台であるに、それを6筆だけと言えば、裁判官でなく被告弁護士が怒り出すことだ。だが、長谷川弁護士が文句を言ったとか、怒り出したとかは言っていない。ならば、裁判官は「10筆を6筆とした理由は何か?」であると思われる。さて、10筆を6筆とした理由は何であるのかと、弁護士はその理由を裁判官に説明しなかったのはなぜなのかを、これから説明していきます。
 売るに売れない事情
10筆の土地を6筆としたのは当然私の考えだ。なぜかって? それは売りたくないからだ。10筆の土地を買うに、30万円だとの金額はバカバカしいにもほどがある。和解など元々したくはないに、裁判官の勧めだと言いながら、早く終わらせたいは弁護士の考えである。澁谷さんを煽り、五年も続く裁判につかれたとを理由とされた。そして和解が進むにつれ、「陳謝しない」「5万円だ」と、足元を見られるバカバカしさである。なぜこんな展開になったのかは、控訴を勧めた弁護士にある。そこにきて「裁判官が…」「裁判官が…」と、如何にも私の手落ちだとに腹が立っていたが、そこには私なりの考えがあった。それは、売るに売れない事情は、被告らと村長との癒着を証明するに、売れに売れない土地があるのだと、それを和解条件に出したかったのである。令和5年9月2日

 山林が売れない理由
二つの土地と二つの山林としたが、現状は、一つの土地と三つの山林であることは、一つの土地は登記上は畑であるに、荒れ果てて山林と化していた。山林であればと言うよりほか二つの山林もそうであるが、坪いくらでは土地代を算出できない。要するに、山林であれば「山林価格の算出」が必要であると言うことだ。では、山林価格をどのように算出するのかと言えば、立木評価(調査)を行うことになる。いわゆる、山林であれば土地の価値ではなく、その山林にある立木の評価ががその価格になると言うことだ。山林所有者であれば当然知っていることであるが、晃一にどうやらその知識は無いようで、また、裁判官にそれを分かれと言うのも無理な話である。ならばどうするのかと言えば、全くその通りに説明すればよいことで、当然としてその様に弁護士には伝えていたが、なぜか弁護士は、そのことを裁判官に説明しなかったようだ。
 不満は無い
もう一つの土地40坪程度であるが、今回の和解に加えなかった土地がある。なぜ加えなかったのか? それは加えることが出来ない状況にあるからで、どのような状況なのかと言えば、その土地は既に整地され、阿智村の土地の一部にされているからだ。阿智村の土地? と言えば、澁谷さんから購入した三筆の土地についても、阿智村は「本谷園原財産区から購入している」として契約書を証拠とされているが、はたしてこの土地についても阿智村は本谷園原財産区から買っていたのであるのか? 不思議な話が続くが、これを不思議に思わないのが渋谷晃一なのだ。「本谷園原財産区は両区のことだ」「ゆきゑは両区に土地の全てを譲渡してこの地を離れている」として、散々に一審で争っているが、別口(誠一は両区の代表として稲武町に建典(ゆきゑの長男)を訪ねて土地を譲ってほしいと依頼している)でつけた証拠では、譲られていないことを証明してしまった。譲られていれば階に行く必要などない話とでオチがついたが、この土地も全く同じこと、本谷園原財産区が無断で整地造成し、使用しているのである。令和5年9月4日

 呆れる話
次から次に、おかしな話がいくつも出てくるが、この様な話を何も知らない奴らが、今の本谷園原財産区を運営しているのである。この和解に乗せられない土地は、時雄と秀逸が、本谷園原財産区の金を使い、名古屋在住の原忠明氏から購入した土地(約270坪)に隣接していることで、これらの土地に併せて造成し、花桃祭りの出店場所として使用している。そしてこれを晃一に売るのであれば、現在の状況を晃一が自ら確認して、その解決から入ることである。だからして、売るに売れない土地だとのことを弁護士に伝えていたのである。弁護士がこの話を裁判官に伝えていないのは弁護士の考えによるが、裁判官から怒られたにしても、全くにお門違いの話である。
和解できるのか

ここまで来て、この様な状況にあるに、それでも裁判官は被告弁護士に、「6筆の土地を60万円で購入するかしないのかの検討を次回までにせよ」と伝えてというが、はたして晃一は買うと言うのであるのか、それとも買えないとして和解不成立を選択するのか? であるが、私はどちらでも全く構わない。しいて言えば、今後の展開にを見据えれば、和解不成立の方が全くに良いことだ。しかし晃一は買うだろう。それは和解不成立など出来ないと被告弁護士から聞かされているからで、考えられるところは、残りの4筆も売ってくれと、それも60万円に含めてくれと、その様な虫の良い話になるだろう。だが、そんな話に乗れないことは被告弁護士も重々承知しているからして、残り4筆については後日で良いからと、その様な結論になると考えられる。それは、阿智村の土地の一部として造成されている土地を何としても手に入れなければならないからだ。令和5年9月6日

 行政に時効は無い
和解せよは裁判官の結論であるからして、どちらにしても盗伐裁判の控訴裁は終わることだ。それも後一月余りにおいて結果は出るが、和解でも無かったことにはならないし、判決でも晃一が勝つことは無い。ならばなぜ和解するのだといぶしがられると思いますが、正直な話、私にも良く分りません。確かにここまで長く続く裁判であれば、相当な覚悟で臨んだにしても嫌気も指すだろうし、諦めも有ることでしょうが、不思議に私はそのような考えは一切ありません。それどころか、そう慌てることは無いと、双方に良い着地点が見つかれば、それが一番だと考えています。しかし、それとこれとは関係ないとでも言いましょうか、なぜこの争いが起こってしまったのか、その背景を世の中にハッキリとさせなければ、この事件の解決は出来ないと考えます。誰が一番悪いのか!?一番悪い者に社会的な責任を取らすべきだと、強く心に決めています。
 誰が一番悪いのか
結論から言えば、熊谷秀樹村長です。その次に悪いのは時雄と岡庭一雄であるが、それ以外の者はこれら三人に都合よく振り回されただけであります。では、熊谷秀樹村長が一番悪いとし、何故に一番悪いと言えるのかと言えば、「ゆきゑの土地だと分かっていましたが、時雄さんと岡庭一雄さんがどうしても補助金を支払えと言うものですから、私は喜んで申請書を受け取り、伐採後の現地も確認せずに、渋谷晃一さんに補助金を支払いました」「何か悪いことですか? 元村長さんが決めた補助金制度ですよ。その元村長さんと、智里西自治会の会計時雄さんが『西自治会の要望だ』どうしてもと言われるものですから、西の自治会の為だと考え、村長権限を発したのですよ」なんて熊谷秀樹村長は言っていましてね、村税はこういうところに使うんだと、それは堂々とした言い回しでした。しかしね、私はそれは良いことではないと、小学生でもわかるんではないですか?とね、吉川優議員さんにお願いしていろいろと注進させていただきましたが、議員さんらもね、「何か問題でも?」「地主なんて西地区に居ないじゃないか」なんてね、まるで相手にしてもらえなかったんですよ。令和5年9月8日

 密談が得意な村長
しばらくしておかしな話が吉川優議員から知らされた。「職員6人を処分した」「一番軽い厳重注意ですよ」はて、とても良いことをした熊谷秀樹村長は、なぜ職員6人も処分したのであろうか? 聞けば、産業建設課の課長と係長と担当職員だという。その中に、たしかに担当者である市村職員は地主と熊谷秀樹村長の話し合いの席に居た。その市村職員が責任を取るとのことは、いったいどういう訳なのだろう?? 今久留主総務課長と係長、それに担当者の三名も処分されたというが、建設農林課だけでなく、総務課の職員が処分されるというのはどういうことか? ここも全く不明であったが、その後に大きな展開があったようだ。
 責任転嫁
まずは、熊谷秀樹村長は建設農林課の職員へ責任転嫁した。その理由は、「補助金申請書受理の不始末」いわゆる、地主の確認を怠ったという理由である。つぎに総務課の職員を処分した理由は、同じく、総務課に回ってきた補助金申請書の地主を再確認しなかったという理由である。さすがに熊谷村長は抜かりはなく、上手に責任転嫁して職員に罪を擦り付けたのだ。「地主の確認を怠った」そういえば一審の判決理由(熊谷秀二自治会長が地主の確認を怠った)も全く同じであることに感心した。「確認を怠ったのは村の責任であるからして補助金の支払い自体に問題は無い」これであれば、まったくに村長の責任追及は出来なくなる。
 思わぬ展開
そして物事はとんでもない方に展開することになった。地主と私と好泰に、村長と市村職員との話し合いに始末はついていない。熊谷秀樹村長が地主に応えたのは、「智里西製材クラブが木を切ったと聞いている」だけであって、その他のことは何も言っていない。「好泰君が自治会長の時に地主が違うと却下されてますが」と、言ってはみても「はあそうですか」ととぼける。まあ、その時は村長と時雄は犬猿の仲でありましたので無理もないかと思っていたが。令和5年9月10日

 勝野の怒り
最近の勝野公人は熊谷秀樹村長を目の敵とし、岡庭一雄寄りに変わっていると聞くが、その辺りの原因の一つに、この盗伐事件の裏事情がある。そしてその裏事情の証拠が手に入っていることで、私はこの裁判をかけているのである。なぜ盗伐を裁判にしたのかは、この熊谷秀樹村長の犯罪を表に出すことにあるのだが、勝野公人と熊谷秀樹村長とのやり取りの議事録があったとしても、それだけでは熊谷秀樹村長を追及できないことで、裁判において証拠を確定することにあった。そして一番の証拠である「支障木補助金申請書」をもとに「他人の土地に補助金を支払った」が事実とされて「熊谷秀二自治会長の過失」が判決となった。これで補助金の不正支出が確定したのである。つぎに始めるは熊谷秀二の過失責任の追及であるが、その過失は熊谷秀二の過失でないことに、勝野公人の議事録が証拠となるのである。勝野公人議員と熊谷秀樹村長とのやり取りはどのような内容であるかは、「村長はゆきゑの土地だと知って不受理を決定したではないか」と、好泰自治会長の申請を受け付けなかったことに言及した。この言及の証拠は何かといえば、好泰自治会長の申請書である。この申請書を好泰から手に入れてから始めた村長と地主との懇談に、まさか熊谷秀樹村長の責任として追及されるなど考えても居なかったのだろう。
 熊谷秀樹は犯罪者だ
村長選挙で公言するに、まさか勝野公人議員とのやり取り議事録が私の手に入っているなど考えてもいるまい。たしかに吉川優議員から手に入れた議事録であるが、今の議会に開示請求しても出てくることは無い。そして勝野公人さえ知らない事実であるに、なぜ勝野公人は熊谷秀樹村長を目の敵としたのであるかは、熊谷秀樹村長との裏約束が反故にされたことにある。令和5年9月12日

 不正支給は犯罪だ
熊谷秀二自治会長が「渋谷貢の土地」だと申請したことが、裁判では熊谷秀二の過失と判断されたのであるが、熊谷秀二が申請書を提出していないとの事実を証明しているのが勝野公人議員の議事録である。そしてこの議事録は二つあるのだが、今までに一つの議事録しか無いとしてきた。有るとした議事録は勝野公人議員が熊谷秀樹村長に「無断伐採の件は熊谷時雄と岡庭一雄が櫻井課長にごり押ししたことではないか」との内容であるに、無いとしてきた議事録は「櫻井課長を俺の元に差し向け口を封じるとはどういうことか」との内容である。この議事録が私の手に入っていることを勝野公人は知っており、熊谷秀樹村長は知らないのである。
 首になる要素は二つ
時雄と岡庭の二人が櫻井農林建設課長に「地主は違うが補助金を支払え!」と要求し、熊谷秀樹村長はそれに応えて補助金を支払った。これは熊谷秀樹村長の不正支給である。この事実を正式にお目手に出すは、住民監査請求だ。監査請求を監査員に起こせば、監査員が共産党であろうと却下は出来ないが、おそらくとして監査請求の期限(一年以内)を持ち出し棄却すると思われる。しかし、監査請求の期限の始まりをどこからとするのかには、相当なる理由があればそこが始まりとなることで、当然としてその理由も付けての住民監査請求にするからして、却下は出来ないとなる。では、棄却できるのかとなれば、監査員は調査をしてその結論が相当なる理由であれば却下出来るだろうし、共産党員であれば、そんなことはいともた易く行うだろう。しかし、却下してもその先に住民訴訟が控えていれば、相当なる理由が無ければ訴訟に負けることで、却下した監査員の責任は刑事罰にも等しい。次に、勝野公人議員への口止め工作はどのような訴えになるのかと言えば、内容からすれば、まさに審査請求に係ることだ。審査請求であれば監査員は関係なく、それは議会が扱うことである。令和5年9月14日

 辞職が適当
住民監査請求と審査請求を同じ事件で別々に請求することは出来ないからして、どちらかにまとめることではあるが、住民監査請求をしてから審査請求に切り替えることもできるようだ。ならば、審査請求の方が手っ取り早いし、議会がかりに村長の処分が出来なければ、上級行政庁への請求となるからして、最良の手段と言えよう。まあ、時間は十分あることで、場合においては、他の不正も併せての審査請求もありえるからして慌てることは無く、じっくり証拠をまとめるとしよう。
 盗伐控訴の影響
被告である晃一が先に控訴したことで、原告である澁谷さんが被控訴人にとされているから戸惑うこともあるが、何より和解はすでに既成事実のようだし、どちらかと言えば原告弁護士が妥協感覚であるようだ。和解であって、土地が売買されるのであれば、そこに弁護士の成功報酬は無いことで、言っては悪いがもはや片付け仕事の雰囲気である。まあ、正直私も金の問題ではないからして、早くまとまるに越したことは無いと考えている。盗伐裁判が方着いてからが私の出番であるに違いなく、審査請求するに十分な証拠も手に入っているが、控訴期日を重ねるに、思わぬ証拠が他の裁判で大きな意味を持つことになった。その証拠が何かといえば、本谷園原財産区と阿智村長の売買契約書であるのだ。この売買契約書は、澁谷さんの土地三筆が無断で売買されたとの証拠なのだが、熊谷秀樹村長は土地返還請求事件の裁判の証拠として使われている。なぜこの契約書を証拠としたのかは理解できないが、効力がないのはすでに規制事実であって、今では逆に村長の足かせとなっているようだ。盗伐裁判に有利と見て晃一に村長が渡した契約書であるが、盗伐裁判においても全く効力が無かったが、半面、その契約書が有ることで、和解条件に大きく作用したのである。令和5年9月16日

 三筆の土地を買った理由
土地返還請求事件の被告阿智村の下平弁護士は、「なぜ澁谷さんの土地を買ったのだ?」と、核心を突くような反論をしてきた。さて、なぜ買ったのでしょうね? もうじき分かると思いますが、私が澁谷さんの土地を買った理由を聞きたがるのはなぜなんでしょう? 阿智村に関係ないと思いますがどうでしょうか。土地を買うに、売り手と買い手がいて、売値と買値が合えば契約は成立ですが、そこに何か問題があるのでしょうか? 問題があるとすれば、澁谷さんの土地を無断で他人同士が売買契約をする? その方が問題ではないでしょうか ? それも売り手が存在しない団体であって、買い手がなんとまあ行政だというのですから驚きも何もあったものではありません。この始末をつけないで、私が澁谷さんの土地を買った理由を説明せよなんて、そんなバカげたことに対応するほど暇ではありません。そんな事より、偽装契約書を証拠として時効取得を主張した、下平弁護士こそ説明責任があるのではないか。こんなものを証拠にして、行政犯罪となれば、それは下平弁護士の責任ではないですか? 熊谷秀樹を守るとして、岡庭一雄を守ろうとして、肝心な阿智村を守っていないのに、顧問弁護士と言えるのでしょうか。
 盗伐の流れ
私が澁谷さんの土地を買うに至ったのは、当然に盗伐事件が起きたからです。この犯罪が起きなければ、澁谷さんと出会うことも無かったし、裁判にかかることもありません。盗伐犯罪を表に出した好泰を責めたことは、渋谷一統の恥さらしであって、好泰に非がないと知れば、今度は私を悪く言うどころか鉄砲で撃ち殺せとまで合唱した。挙句の果ては私の両親迄登場させて、園原も終わりだと罵る。これが渋谷一統の姿だからして、澁谷さんもこの地に未練が無くなったのである。なぜ澁谷さんの土地を買ったのかより、なぜ裁判にまで及んだのかを知るべきではないか。令和5年9月18日

 晃一に聞け
下平弁護士は、「なぜ澁谷さんの土地を買ったのか?」を私に聞くより、「なぜ澁谷さんの土地を買おうとしているのか?」を晃一に聞いたらどうか。晃一は「章文に売ったとされる三筆の土地も売れ」と条件を付けるに、なぜ章文が買ったとされる三筆の土地にこだわるのかは、晃一にしか分からぬことだ。阿智村が本谷園原財産区総代長渋谷秀逸と売買契約して取得したとされるに、晃一はその売買契約書を盾に「ゆきゑの土地全ては本谷園原財産区のものだ」として反論しているのに、いまさらにゆきゑの土地全てを欲しがる理由はどこにあるのだと、下平弁護士が聞くことだ。私は所有者である澁谷さんから購入しているのは高裁の裁判官も知ることで、私に所有権があることは認めていることだ。下平弁護士よ、なぜ澁谷さんの土地を買ったのかは、澁谷さんが私に売りたいと言ったまでのことで、その購入価格については、阿智村が本谷園原財産区から買ったとされる金額と同じである。なぜ同じなのかは、阿智村が決めた金額であるとの理由であって、私の提示する金額を大きく下回ったのことである。
 法律用語
私を「背信的悪意者」として貶めようとされているが、この様な言葉は法律用語に無いことで、とても弁護士が使うところにはない。その様な文言にて反論をされるのかは理解に苦しむが、まあ、偽造契約書を証拠にするような弁護士であるに、他に反論の余地が無いとみるのは、そう遠くない見解である。重箱の隅をつついても、重箱をひっくり返してみても、ゴミや汚れの無いさまに、もはや両手を挙げて頭を下げた方が良いのではないか。たった一言、「熊谷秀樹村長の違法行為でした」と言えば、和解に向かうこともできる。阿智村の顧問弁護士であれば、まずは阿智村を守ることが先決ではないのか。令和5年9月20日

 和解調整
「陳謝せよ」澁谷さんの最低条件はこの言葉であるが、長谷川弁護士は執拗にそれを否定している。なぜ否定するのかは「補助金不正支給」にそれは有る。晃一にとっては和解するに、澁谷さんの土地が手に入ればよいことで、それも堂々とした売買契約である。それであればどの後ろ指を指されようとするものぞ、で、まさに勝ち取ったと言えるものだ。しかし、熊谷秀樹村長にあってはそうはならない。陳謝するは「間違っていました」を前提とするもので、何が間違っていたのかは「地主が違っていた」と言うことだ。地主が違って困ることは晃一に無いからして、まさに地主が違って困ることは、地主が違うと分かっていて補助金を支払った熊谷村長にあることになる。だからして、陳謝はその事実を認めることであるからして、熊谷秀樹村長としては、陳謝されては困ると言うことだ。しかし、その様な展開になることは、すでに澁谷さんに伝え理解していただいていることで、陳謝無くして和解は相ならぬと、ただそれだけのことである。
 時効取得の主張
和解案は既に整理され、あとは金額の問題だけになっているが、そこにおいて厚かましくも陳謝せずの姿勢は変わらぬことで、やむを得ずか何かは分からぬが、裁判官が「陳謝文」をまとめるという異様な展開になっている。それというのも、盗伐に係る三筆の土地(近場の小土地二筆含む)とお墓の土地をつけて60万円としたが、残りの土地4筆が含まれていないと言われたことで、残りの土地4筆は主に山林であって、値段が出せないとしたことに、原告弁護士はそれを和解期日で伝えていなかった。だからして裁判官にも「なぜ残りの土地を含まないのか」と、突っ込まれたようである。第三者(森林組合)の評価が必要だと一言を伝えておけばよかったのだが、その説明が無かったことで、陳謝せよが薄らいでしまったのだ。令和5年9月22日

 後手に回る原告弁護士
和解は金にならないとの考えは弁護士にあるが、だからと言って根拠のない金額は示せないことだ。しかし、長谷川弁護士は周到なもので、「話が違う」を前面に、最も重要な部分を和解案として請求してきた。それは「無断伐採した土地は時効取得とせよ」「残りの土地は売買契約で良い」の二点であるに、なぜそのような条件を付けるのかと言えば、無断伐採した三筆の土地を「時効取得」にして、当初から所有の権利は平川文男にあるのだを証明したいからである。時効取得は晃一には何も関係ないことで、補助金不正支給を無いとするための時効取得であるのだ。どこまで行っても抜け目がないが、そこを見抜けないと思っていたのであろうか? そのようなことは端から見抜いていたが、和解条件とされなければ断ることも出来ないから放置していたのである。「澁谷徳雄の土地すべてを売れ」「章文に売った土地も売れ」「10筆すべてで30万円しか払えない」こんな虫の良い和解条件が本気で通ると考えていたなら丸出しである。
 和解を断る理由
高裁の裁判官が和解を勧めるから和解しなければ、などはある話ではない。元々に盗伐が筋であるに、いつから時効取得が主役になったのか、そのような馬鹿な話に乗る原告弁護士ではない。調子に乗るなと言いたいが、調子に乗せるよう仕向けたのが私であるに、そこのところは原告弁護士に謝っておこう。上手の手から水が漏れるにさほどの策は不要であって、頭の良い弁護士ほど攻め手が正当でない。「澁谷徳雄の土地を買っても良いが、購入者はそれぞれの土地によって違う」との条件は、私にとって被告弁護士の手の内が見えたと受け止めた。それは、澁谷さんは「渋谷貢であれば売っても良い」が、土地を手放す条件であるからだ。令和5年9月24日

 土地を買ったのは私
購入者はそれぞれ違う? なぜそれぞれ違うのか? 簡単な話し、盗伐された三筆の土地は平川文男の名義にしたいからである。時効取得とするのも、また、時効取得が拒否されたにしても平川文男が買えば、「平川文男の土地だ」と言えるからで、それは熊谷秀樹村長の不正支給を無いものに出来ると考えているからだ。そんなことが? としても、今の阿智村議会は共産党議員で占められており、そこはどうにでもなると考えてのことだ。
 和解の判断は誰がする
高裁において和解がこれほど取り沙汰されるのは、被告である晃一と平川文男が先に控訴したからだ。控訴するのが原告澁谷さんが先であれば、「和解しますか?」と聞かれるのは晃一側である。そこで和解しないと答えるは当然で、だからして期日が開かれるとなる。まあ、それらのことは置いておくが、高裁の裁判官が仮に和解に前向きならば、その根拠がどこにあるのかを考えるべきではないか。そして和解の話が始まる頃に振り返れば、裁判官は最も重要なことをさりげなく言っていたことを思いだす。「阿智村に寄付したらどうか?」「原告は遠方なので土地の管理が出来ないではないか?」この二つの発言が最初の和解提案であった。特に、「村に寄付せよ」は、盗伐された三筆の土地に限っていることで、それらを村に寄付せよは、当該土地の所有を巡って争っても損害賠償に当たらないとの前提であることだ。早い話が、大して価値のない土地の所有を争っても、どちらに転んでも金にはならないと言っていることで、とくに、澁谷さんへは「管理できないじゃないか」と、勝ったにしても土地を管理できなくて何するものぞ、なのである。裁判官がこのような話をするには、土地の争いでないことで話し合えと言っていることになるのだが、では、和解するに、何が前提とされるのかである。損害賠償請求の争いに有るに、土地の所有の争いは損害には当たらない。ならば、土地の所有以外で争うのであれば、当初の請求である「無断伐採」されたその代償の争いと言うことだ。原点に返れとが和解の前提条件であると、少なくとも私は判断しているが、そこで言えば、「木の価値」が焦点になることだ。令和5年9月26日

 判断は私
原告弁護士が言うに、「裁判官は木の価値をまるで過小評価している」とのことは、裁判で勝ったにしても損害賠償額はまるで少ないということだ。民事であれば、金額の代償が基本なのは言うまでもないが、残念なことに、澁谷さんも私も、金の問題で訴えてはいない。晃一らは、なぜ裁判に及んだのかを考え直すことだ。好泰が問題を定義したからではないし、地主を間違えたことでもない。まして熊谷秀二が自治会長として、地主が違うことを分かっていて補助金申請したにせよ、そんなことをとやかく言っているのではない。好泰が自治会長として地主の間違いに気づき、そして申請を却下したのは当時の自治会役員らである。その中でも渋谷勝幸は晃一の本家であるに、そして自治会の役員として確認して却下しているに、すべてを好泰が悪い、訴えた章文が悪いと、本末転倒の考えにおいて晃一につくに、そこには大義も言い訳も何もない。そして嘘の陳述書を並び立てる原勇や熊谷章、これら中央部落の者全員どころか、西地区全体を巻き込んで騒ぎ立てる。ここで考えるべきは、裁判まで進んだ裏事情であるに、それがこれから表に出て行くに、その時になってもまだ、同じように喚き散らすことが出来るとおもうのか。
 秀二への手紙
和解してもしなくても、補助金不正受給に変わることは無いと、裁判で持ちいれられた多くの証拠が物語っているのを忘れるな。だからして、今のうちに考えを改めなくては取り返しがつかなくなるのだ。秀二を助けるわけではないが、秀二が無実であることは証明しなければならない。だから何だと言われればそれまでだが、事実が表に出れば、誰もが納得する答えとなる。令和5年9月28日

 そういう訳
和解の最終判断は私であるに、晃一も勝幸も何か間違えていないか? 私が和解したくないのは、澁谷さんが和解など考えていなかったからで、澁谷さんがなぜ和解したくなかったのかと言えば、身内である幼友達の渋谷貢の子供が木を伐って金に換えたとが信じられなかったからだ。貢の子がなぜそのようなことをしたのか? その理由を聞きに熊谷秀樹村長に会えば、「智里西製材クラブが木を伐った」「補助金は渋谷晃一に支払ったと思う」「間違って切ったとしたら申し訳ない」この三つの話ししかされなくあり、何が何だか、まったく理解できなくあった。(これは私も同じように感じている。)両親が残した土地の木を伐られたとの事実、それがどの様な理由において行われたのかを好泰から聞かされたが、その時点では木を伐られたことなど気にも留めず、両親が残した土地が生まれ故郷にあったとの喜びが先で、「ああ、もう一度故郷に帰れるかもしれない」と、子供たちと再びこの地を訪れ、「ああ、ここに別荘でも建てて管理しようか」と、そんな思いでいるうちに「平川文男の土地だ」と、晃一が反論していることを好泰から聞いて、平川文男の土地だという晃一に不信感を持ったのである。しかし、補助金不正受給でやり取りする晃一に幻滅し、ならば出るところに出て解決するしかないと、このような経過に至ったのである。人生を実直に生きられた方は、「人を騙してまで」との行為を許すことは出来ず、まして村を騙した晃一を非難したのである。好泰を騙したことは村を騙したことだと、そんな者が渋谷一統に居るのかと、その恥ずかしさが先に立っていた。だからしてこの長い裁判を続けられたことで、忸怩たる思いのままに過ごしてきたのだ。そのような澁谷さんが和解に及ぶなど到底考えられることではなく、法律でしっかり判断したくあったのだ。令和5年9月30日

 和解に至る経過
和解? 和解の話が出たのは弁護士からだが、まるでその考えに無かったことで、弁護士とやりあったのは私である。澁谷さんの思いを代弁できることではないが、和解=負けだとは、世の中はそう判断するものだ。弁護士は言う、「判決であれば、もしかしたら一つの土地は取られてしまうかもしれない」と、それは、平川文男の家が建てられていたとの反論である。この嘘は完全に反論で来た訳ではないというのが弁護士の見解で、ならば、なぜ反論できなくあったのかと今一度問いかければ、地元民二名の陳述書に有るという。「平から成泰が植えた木だ」「平川成泰の家が在った」このように、原勇と熊谷章が陳述しているのが事実とされるというのである。被告と原告のやり取りではなく、第三者の証言が重要視されるというのであるが、これをもって多勢に無勢だと、そこがもしかしたら敗訴になる理由だというのである。「20年以上の占有が認められない」と言うのは、平川文男の家が」建てられていたのが20年を切っているとの根拠であるが、そもそも、平川文男の家が其処に在ったかどうかも確定していない。
 写真は語る
晃一が証拠とした写真を紹介しますので、まずはその写真をご覧ください。平川文男の家??   クリックしてご覧ください。そしてその写真を見せての、平川兄弟と同級生の陳述書をご覧いただきたい。平川兄弟同級生の陳述書   引き続き、クリックしてご覧ください。
この写真を持って晃一は「平川文男の家」だと主張しましたが、平川兄弟の同級生二名は、全くにそれを否定しています。さて、いったいどちらの言い分が正しいと思いますか?令和5年10月2日

 提出しない弁護士
平川兄弟の同級生はかなり多く居ますし、時雄もまた同級生であったことを思い出してください。そしてこの写真、なぜか時雄が生きているうちには証拠とされていませんでした。晃一はこの写真をどこから手に入れたのでしょうか? 晃一は写真にあるこの家を平川文男の家だとして、この家が澁谷薫の土地に建てられていたのだと主張し、そしてこの家と写真左側にある教員住宅の間にある澁谷ゆきゑの土地を、ゆきゑから買ったと主張していますが、不思議なことに、文男の同級生も、文男の兄左善の同級生(時雄も同級生)も、この家は文男の家だと証言していません。しかし、この陳述書は控訴裁では、なぜか弁護士は証拠として提出しておりません。それを弁護士に問えば、「文男の家が仮にその場所にあったとしても、時効取得にかかる20年間を満足していない」からだと言われました。いわゆる、文男の家は20年間存在していないのを被告弁護士が自ら証明したので、いまさら証拠にしても意味が無いというのです。いやいや、時効取得云々を求めてこの陳述書を出したわけではなく、晃一の嘘を見破るための陳述書なのだと、私はそれが目的で用意したのであるが、晃一に渡らぬ無くして日の目を見ないなら、せめて、晃一も読んでいるこのブログにおいて公開するのである。
 不思議な裁判
元々の訴えは、「無断伐採による損害賠償請求」なのだが、いつのまにか平川文男が参戦して、そして土地の所有争いに変わっていた。文男の主張は家が建っていたであって、その家があったにしても時効取得は成り立たないと立証された。ならば、後に残る争いは無いと考えるのだが、なぜ被告弁護士は裁判を続けるのか? である。そして争いは元の損害賠償に戻れば、今度は「木を植えて占有していたんだ」に切り替わった。令和5年10月4日

 和解条件
和解とは、裁判上の和解と私法の和解が有ると言うが、さしずめこの裁判は私法の和解とでも言っておこう。それは、悪いことをした奴らに反省の弁が無いからで、どうしても陳謝が先に無ければ、それは裁判上の和解とになってしまうものだ。和解とは無かったことにすると言われるが、無かったことにするには無理がある。それは、実際に行われたことに起因すのだが、もともとに、この三筆の土地に植えられていた木をどのような目的で切ったかにある。晃一が「木を伐って売ってしまえ」と、ある面純粋な泥棒を考えたのであれば、このような事件にはならない。好泰とて、「ああ、木を伐ったんだな」で、通り過ぎること、また、私であっても、「貢さの親戚が植えたと言っていたし、章行に盗まれるから切ったのかな?」と思う程度である。そしてその土地を花桃祭りに利用しようが、公営住宅を建てようが、それはそのまま受け入れただろう。だからして、なぜ「障害木補助金申請」を行ったのか? に、疑問が尽きることだ。この疑問が見えていたことに、この裁判の目的が私にはあった。好泰は裁判にかけるなどとの考えは何もなく、自治会長として何とか補助金申請を通そうとしたのがだめであった。だが翌年同じ申請が行われて木が伐られていたことに、私と同じような疑問を感じたのである。その疑問をまっすぐ熊谷秀樹村長にぶつけたところ、村長の返答に多くの疑惑が出たのが始まりである。このときに村長は何と言ったのか? 「智里西製材クラブが木を伐ったようだ」「戸沢部落から補助金の申請がされている」「詳しいことは分からない」この三つしか言っていないのである。この話しで分かることが何かありますか? 分かるどころか、疑惑が増すのではありませんか? この話を聞いたのは、私と好泰だけでなく、渋谷徳雄さんも渋谷みどりさんもその場にいたのですよ。これが村長の対応なのに、何か間違ったことを、好泰も私もしたのでしょうか? 令和5年10月7日

 争いは村長の勧め
村長のこの対応に、一番疑惑を抱いたのは澁谷さんである。「村長が何も知らないってことは無いだろう」この言葉が第一印象であった。このころの好泰はまだ村長を信頼しており、村長に会わせば解決してくれると思っていたし、私は私で、時雄と熊谷秀樹村長の確執を利用していた時だ。澁谷さんも好泰も拍子抜けの感が強くあったが、私はすでに訴えるところへ進めていた。裁判にかけるは私の考えで、そこに何が有ったのかは、刑事が言うところの森林窃盗であった。「木を伐って売ったでは森林法にかかることで、盗伐としても刑事犯罪では難しい」では、時雄と秀逸の指示で木を切らしたではどうかと聞けば、「証拠に薄い」である。窃盗で裁くにしても森林法であれば軽犯罪、それこそ民事で解決しなさいよと言うことだ。だからして裁判とするほど疎かではないが、訴えて争うことで何かが見えてくると確信していたのは、吉川優議員から手に入れた勝野公人の議会質問であった。時雄を訴えるとするは村長へのモーションであって、本気で訴えようとは考えてなかったが、それを後押ししたのが「ゆきゑさんの土地を村で買っている」との村長の発言で有った。その言葉に強く不審を持ったのは、時雄もさることながら、岡庭一雄の存在にある。ゆきゑの土地を村で買っている? この思いもよらぬ一言に何を思ったのかは、時雄と岡庭一雄が組んで地代を横領しているということだ。ヘブンス山林地代を横領しているだけでなく、この地に居ない人たちの土地を手に入れるのは、すべてが金になると踏んでのことで、それは渋谷秀逸や操とも組まなければ出来ないこと。だからしてこの盗伐犯罪も、起きるべきして起きたのである。岡庭一雄の院政に敷かれていれば、熊谷秀樹はただの操り人形だ。ならば利用するに越したことは無い。令和5年10月8日

 村九分
前にも書いたが、高裁の和解について結論を下すのは私である。いわゆる、和解するしないは私の胸三寸であるということだ。確かに渋谷さんが原告であるが、もともとに裁判へと進めるのは私の考えであることで、そこに澁谷さんが協力してくれたこと、裁判費用も当然私であって、そこに考えることは何もない。私の目的は、いかに熊谷秀樹村長の犯罪を暴くことにある。だからしての裁判であれば、そこに一番困るのは晃一でもなければ熊谷秀二でもなく、不正な支払いをした熊谷秀樹村長である。「平川文男の土地」だとしなければ不正支払いになるとなれば、平川文男の土地だとならなければ不正支給は確定するとなる。だからして、平川文男の時効取得を認めることはあり得ないのである。
 和解条件
「当該土地を村に寄付したらどうか」との発言が裁判官から有ったと聞く、ならば、村に寄付したらどのような和解案になるのだろうか。平川文男の時効取得が認められないどころか、和解解決金さえ捻出できないのに、寄付した後での和解案などあり得ないではないか。ならば村に寄付せよは例えであるとなるが、そんなバカな藩士を裁判官がするとは思えない。弁護士特有の言い回しだと受け止めているが、次に続いた「渋谷貢に売ったらどうか」が、釈然となる話になる。そして渋谷貢に売るのを前提に話が勧められれば、今度は、相続した土地(山林も含む)のすべてを売れという、それも5万円しか出さないというのである。あまりに馬鹿にした話であって、それ以上の金額を求めるならば、私が買った三筆の土地を加えれば金額を30万円にあげても良いと来た。冗談かと思えばさもあらん。私が買った三筆の土地が手に入らなくて困るのは誰かと言えば、熊谷秀樹村長しかそこに居なかった。令和5年10月11日

 引き算での答え
当該土地三筆と、そのほかの土地7筆を含めて30万円が最終金額だと言ってきた。それも当該土地を時効取得とせよとが付録とされた。その上のその上に、陳謝はしないとまで言ってきた。この時点で私の頭は切れていた。馬鹿な者たちだこと、私が裁判にかけたのはこの裁判で勝つことではない。元々に、この裁判は無断伐採された樹木の損害賠償請求であって、土地の所有を争うことではない。それがいつの間にか所有権の争いになるに、この地に居ない澁谷さんに勝ち目など無いことだ。考えてもみろ、「ゆきゑの土地にまたがって平川文男の家が建てられていた」などとの反論に、「時効取得が成立する20年間に文男の家は存在していなかった」と、一審の裁判官に判断されたことを、それだけで提訴の価値が有ったと判断したのは私である。其れでは控訴が持たないとされるに、裁判官が「木を植えたのを主張せよ」との助け舟が出されたのは、一にも二にも、澁谷さんが千葉に居住するとの理由である。土地を取り戻したにせよ管理できないではないか、ならば、それらの土地を阿智村に寄付したらどうか、と言ったのは裁判官の提案であることは、土地の争いが無理であるとの証明ではないか。だからして和解を勧めただけであるに、今度は「章文に売った土地も加えろ」と和解案に加えたのは晃一である。早く言えば、私が買った土地を手に入れるのが目的であって、それが出来なければ無理難題の和解案を提案するとは、もはや開き直りの醜態である。しかし、当該土地三筆に加え、一番価値がある山林二筆と、お墓に農地で、すべてで10筆になるに、それを30万円!?こんなバカな話に乗ると本気で考えているのか? 少なくとも澁谷さんには、すべての土地を200万円で購入すると伝えていることを聞かなかったのか? 和解不成立で当該土地三筆が晃一の物になったにせよ、山だけで、40万円の価値が有るに、澁谷さんでなくとも、こんなバカな和解に乗れることは無い。令和5年10月13日

 なぜ和解に進めたのか
長谷川弁護士の手の内を知ることにあるのだが、それがもろに露呈したのが私が買った三筆の土地の取り扱いにある。和解案が出ることは、判決に無理があることを表している。そうとなる事実(証拠)が無ければ登記上の所有者が優先するのは当たり前だ。好泰が言う通り、「領収書が有るのか?」が、唯一の証拠なのだ。平川文男の親、成泰がゆきゑの土地を買ったのが事実であれば、金を渡すときに領収書をもらわないなど常識としてあり得ない。その常識に逆らえなかったのは晃一であるに、それを澁谷さんを探し当てて確認した好泰が悪いという。尚さらに悪いのは、裁判にまで進めた私だという。それはもはや憎しみに変わったようで、すでに村九分の状態である。人権侵害を越している西地区の住民の社会感覚はもはや手が付けられない。だからして、時効取得にこだわるのもうなずける。時効取得とは、まったくに泥棒であるを証明することだ。「この土地に木を植えて20年以上管理してきたのは俺だ!」晃一は全くこう言っているのです。そう、ゆきゑの土地だと言っておらず、「澁谷薫の土地に木を植えたのは平川成泰だ。それを俺の親父が20年以上管理してきた。だから時効取得において文男の土地になる」として、澁谷薫の土地であることを認めたうえで、「木を植えた」「管理してきた」を理由に時効取得が成立すると主張するのである。だから盗人にも三分の理があると言うのであろうが、このでたらめがなぜこの裁判に通用するのかと言えば、「平川成泰が木を植えた」と、嘘の陳述書を書いた原勇と熊谷章にその原因がある。渋谷一統に関係ない地元の者二人が口をそろえれば、裁判官は判決が出しやすくなる。それは、澁谷さんの親薫と兄建典が植えたとする証言は、建典の長男の奥さん緑さんの身内の証言一つだけであるからだ。まあ、この辺りが弁護士の差だと言えばそれまでだが、裁判に負けようが、時効取得での判決は泥棒だの証明となるだけのことだ。令和5年10月15日

 時効取得の取り扱い
和解を勧めるに、確かに時効取得の考えは原告にもあった。それは法務局への登記手段である。法務局に登記するには、当該土地の名義変更理由が必要であって、その登記理由には、「相続」と「売買」と「時効取得」の三つしかない。いわゆる、時効取得を登記理由として捉えていたのだ。そこで、『和解には金が必要だ』が基準であるに、時効取得では金を生み出せない。だからして、澁谷さんが相続した土地を売って金にしたらどうかが裁判官の提案であった。山の中の荒れ地であって、その評価は低いとまで裁判官が口出しするに、それも一つの提案だと弁護士が勧めた理由は、『和解は金にならない』5年も裁判を続けて期日が増えれば手間だけがかさむ、そんなところが弁護士の基準なのだ。まあ、私は私で次の段階が重要(熊谷秀樹村長の追及)であって、早く終わらせたいが正直な話、だからして澁谷さんを説得するのも私の役目であった。澁谷さんが納得する唯一の答えが、『貢とは身内の幼友達だ』『先祖のお墓や木を管理してきたのも貢だ』『貢に売るなら納得します』これを絞り出すように言ったのは、やはり手を下ろす理由が澁谷さんにもあったと言うことだ。そして最後まで、章文さんと好泰さんには大変迷惑をかけたとの思いを伝えてくれた。
そうしてやっと和解の土俵に上がったが、そこにきて横着(本来の目的)にも、私が買った三筆の土地について、『この土地も含めろ』と条件が出た。私が買ったと知るに、それを条件に入れろは有る話ではない。そこは弁護士がすでに答えていたが、裁判官には伝わらなかった。「既に訴訟状況に有ります」「私の土地になったら転売してかまいません」との返答をすれば、もはやそれに触れることは出来なくなった。ならば、残りの土地7筆(お墓も含む)の価値は5万円だと言う。馬鹿も休み休みは弁護士が言った。それでも和解を勧める裁判官に、もはや私に和解の考えはなかったが、「陳謝が有れば検討します」「私は澁谷さんにすべての土地を200万円で買うと文書を送付しています」を伝え、せめて60万円でお願いしますとしたのだが。令和5年10月17日

 陳謝はしない
「30万円は譲らない」とごねたのは被告弁護士(晃一)である。それは作戦と見たが、そこでも裁判官が調整するとなった。一日も早く終わらせたいとする弁護士に、もう一度土俵に上がれとは言えなくあったが、和解するに金の問題ではないは私であって、陳謝が無ければ和解の土俵に付けない。「まず陳謝だ!」と力強く言った弁護士の姿はそこになく、「陳謝は間違って切ったが前提だが、間違って切ったではゆきゑの土地だと認めることになる」と、被告の考えを代弁したが、原告としては、「間違って切った」は、譲歩しての和解前提であるに、そこで陳謝が無ければ泥棒だと言うしかなく、まさに和解の土俵に上れないのである。まさにイタチ返しののやり取りであるが、そこにもまた裁判官が割り込んだ。陳謝の文書を裁判官がまとめると言うのだが、ここで不思議に感じるのは裁判官の和解勧告である。なぜ和解しなければいけないのか? 平川文男の親が木を植えて、貢が管理してきたとの反論主張を認めるならば、それはそれで判決で良いではないか。時効取得だとで、ゆきゑと薫の土地を晃一の物にすればよい。澁谷さんは「無断で切られた木の損害賠償」としての訴えに、「時効取得で平川文男の土地だ」として敗訴しても、泥棒の開き直りとして溜飲も下がるし、何よりも他の土地が盗られなくて済む。たいして価値がない土地だとの裁判官の判断であれば、そのような土地に何の未練もない。だからして、和解する考えは澁谷さんにも私にも元々ないのであって、ただただ、裁判官に踊らされているのだ。こんな状況に早々と「和解しません」と弁護士に告げていたが、弁護士は裁判官の勧めには対応しなければならないと、無駄な時間を過ごしてきた。そして陳謝の文書が裁判官から出されるに、これはまさに陳謝ではなかった。令和5年10月19日

 遺憾の意
高裁の裁判官が三人いるのは合議制によるものであるが、今回の裁判官が一人で対応するのは、予備審問によるものと思われる。だからして証拠を求める過程に、被告らに対して「木を植えたのを主張せよ」と、証拠を求めたと思われる。これを片手落ちだと弁護士が憤慨したが、私はそうは思わなかった。どちらかと言えば、「木を植えたのを主張せよ」は、すでに土地は平川文男のとではないと確定したと言っていることで、残る時効取得の主張は木を植えたとしかないと言うことだ。一審の判決もそうであったが、「木の根を片つける費用90万円を認める」との判決は、澁谷さんの土地でなければ出せない判決である。だからこそ、長谷川弁護士は控訴するに、「平川文男の時効取得」をしつこくも訴えたのである。土地の時効取得が認められない一審の判決に、控訴してもなお「平川文男の家が二つの土地にまたがって建てられていた」との土地の時効取得は認められなかった。だからしての助け舟は、残る訴えの可能性をつぶさせるものなのだ。しかし、長谷川弁護士は嘘の陳述書しか手はないとして、原勇と熊谷章、ようするに、渋谷一統でない年配者を選んだのである。渋谷貢はボケない昔、原勇を信用できない嘘つきだと、構うことなく方便していたが、渋谷一統が知らぬはずはない。陳述書は証拠にならぬと言うが、それでも提出されれば取り上げることだし、その陳述書が嘘であっても、ただそれだけのことだ。ただし、判決を左右するほどの証拠能力は陳述書にはない。だからして、和解などは全くに考えに無いことで、しぶしぶ応じる被告弁護士の態度を見れば、原告弁護士が和解に乗る気が理解できなかったのだ。令和5年10月21日

 陳謝が消えた
和解する第一条件は陳謝であると、それが無ければ和解の話しさえ乗れないとしたが、いつの間にか陳謝がお置き去りにされたのは、弁護士の請求にあった。和解の話が始まるに、確かに和解には陳謝が必要だ。まずは謝らなくてことは始まらないに、そこに異を唱える弁護士が居たとすれば、和解の話は始まらない。では、なぜ陳謝が置き去りに押されたのかと言えば、「陳謝料50万円の請求」に事の始まりは有った。弁護士いわく、和解に陳謝は当たり前で、陳謝料(慰謝料)を請求するは当然である。との考えだ。しかし、被告側とすれば、平川文男の土地だと請求するに、まず謝れはともかくも、そこに金を払えとはどういうことか! が、もっともな言い分になった。弁護士は御託を言うが、それが相手に通じなくては何ともならない。そこにきて、土地代は50万円だとの提案に、被告らは「5万円が妥当である」との回答であった。そこで頭に来たのがこちらの弁護士というわけだが、どうも実態を抜きなやりとりから始まってしまった。陳謝料を50万円としたことが全てとは言わないが、和解金を100万円にしよとの考えは無理もないと思われたが、和解するに金額から詰めるのは、やはり無理があったのかもしれない。まず、陳謝していただけないか? とすれば、謝らなくては始まらない和解について、簡単であろうが形式的であろうが、それなりに妥協できたのではないか。たしかに、和解は双方の主張を取り下げることだ。取り下げるにも理由がいるが、納得できる範囲とすれば、陳謝に金を必要とする弁護士の考えは間違っていたのかもしれない。
かくして陳謝に金は不要となったが、そこにかこつけての土地の評価5万円はいただけない。その様な金額で和解できるとは彦P雲思っていないことは、土地を買い受けるの条件が、時効取得であったからである。原告弁護士は時効取得を登記理由の一環と捉えていたし、被告弁護士は、平川文男の時効取得の権利を主張したいがための理由であった。豚舎を金に換えたいとする考えが否定された弱みに付け込まれた形だが、そこに裁判官が輪をかけたのが、陳謝を「遺憾の意」に変えたことにある。令和5年10月23日

 和解しない
遺憾の意は全くに陳謝ではない。いかに陳謝を金で贖うが否定されたにしても、陳謝が遺憾の意に変われば、そこに和解の原点が無くなってしまう。そう、この時点で和解の和は私から飛んで行った。時効取得だとの判決でも納得できるのは、時効取得とは泥棒であることで、「この土地は20年以上実質管理してきた」が法律で認められるだけのこと、だから泥棒だと言うのである。放置される土地が増えてきたことで、その解消に法整備がされたこと。その法律での判決であれば、「平川文男の土地だ」と反論されても「時効取得ですよ」で敗訴となっても、「平川文男の土地ではない」が、「時効取得との法律において平川文男の土地だとする」となる。そしてこの様な結果が最も私たちにとって重要なのだ。私たちとは、澁谷さんと好泰と私の三人であるが、この三人が世間に訴えたのは「澁谷ゆきゑの土地の樹木が勝手に伐られ売られてしまった!」「 村が無断伐採に関与した」で、この犯罪が何事もなく行われる西地区の異常さと、無断伐採に補助金を支払った村の異常行政である。だからして、時効取得の判決は、私たちにとって最大の勝利となるのであって、泥棒はどこまでいっても泥棒だと、法律でその様に判断することが重要なのだ。
この様な考えで和解しないと結論したのだが、それでも弁護士は執拗に和解を進めていた。そう、執拗にである。なぜ和解にこだわるのかと聞けば、和解はあくまで裁判官からの提案であって、裁判官の提案に沿うのは当然のことであるのだと、あまり理解できない説明に終始していた。だからして、陳謝が遺憾の意に変わっても、和解を進めるに変わることは無く、和解しないと言う私に、ここまで来たのは澁谷さんが和解しても良いと言っているからだと頑張られた。そして、最後の和解期日に及んだが、その期日においてまたも、裁判官から勝手な解釈が出たのである。令和5年10月25日

 和解決裂
今度は弁護士が頭にきた。「被告に偏っている」と発奮したのは、やはり盗伐被害を受けた三筆の土地全てを時効取得だとのまとめ方にあった。平川文男の親が木を植えた。それを渋谷貢が管理してきた。だから時効取得が認められる。時効取得であるから陳謝はしない。時効取得だから三筆の土地は売買とならない。残りの土地代は40万円とする。これが裁判官が調整した最終提示であった。これを見て頭に来たのが弁護士であるに、私はさほど気にしなかった。なぜなら、既に和解しないと決めていたからだ。時効取得は泥棒であると、散々口にして和解へと進めたのは弁護士である。いわゆる、時効取得の主張であれば澁谷さんの土地だと認めた前提だからして、こちらが歩み寄る必要はないと、ただし、裁判官は土地の評価が非常に低い。判決では金にはならないし、万が一の場合は、三筆の土地は時効取得となるかもしれない。だから和解は一つの手段だというのだ。はあ、しかし私にはそうは聞こえていなかった。時効取得で敗訴となっても、盗られる土地は三筆の土地だけである。それで何か困るのか? 裁判官さえ、土地の評価がまるでないとするに、その様な土地に執着する必要は全くない。負けてが元だと判断できるのは、澁谷さんが相続した土地の内、純粋に価値がある土地と言えば、桧が植えられている山林にしかない。ご存じの通り、山林の評価は立木の価値で決まること、坪いくらの話ではない。すでに私はそれら山林も含めて、澁谷さんから買い受けている。そして登記を移そうとするに、待ったをかけたのは弁護士なのだ。「今は裁判中なので、終わってからの方が良い」訳の分からぬ話でも、それに従いお待ちしていただけで、そこに持って和解の話となり、今度は他の土地全てを手放せと来た。都合の良い被告らの条件に、私が本気で対応したと思ったのであろうか? まあ、弁護士もそう思ったのだから無理もないが、頭に来るのは私の方である。だからして、最初から和解などありえないのである。令和5年10月27日

 裁判官が折れた
弁護士は頭に来たと、そして何を私に念押ししたのかは、「ここまで相手よりの和解はあり得ない。時効取得を全面的に認めるは敗訴と同じ。あくまでも時効取得は登記上の手続きだと私は言っている」そうだそうだ! 頑張れ弁護士、和解したくないんだから、ここで決めてくれ!!って、心の中で叫んでいたが、何か少しニュアンスが違う。時効取得は泥棒だと盛んに言われるに、時効取得は登記上の問題だと説明されるに、時効取得を全面的に認めるのは頭にくるは、今まで言ってきたことと何かが合わない。三筆の土地は時効取得だ。だから陳謝はしないとは被告弁護士の和解条件であって、そこに裁判官が沿ったにしても、ここまで来て頭にきたはない。頭にくるは私であって、弁護士は最初からそのやり取りをしていたことだ。だからして、弁護士が頭に来たのは、裁判官の時効取得の取り扱いが「登記上の時効取得ではない」と、理解したに他ならない。陳謝はしない、平川文男の土地だと認めろ、その上で40万円ですべての土地を売れと、それが裁判官の和解調整であることに、ここは弁護士が頭に来るのではなく、私たち三人がふざけるな! と言う話ではないか。誰が見たとて、そう思いませんか?
 最高裁へ
「熊谷さん、こんなふざけた和解などない。これなら判決で良いではないか。時効取得で敗訴なら最高裁へ訴えればよい。どうですか、すぐ澁谷さんに確認してもっらえないか」と、ことは性急になった。早速に澁谷さんに連絡したが、返事は聞くまでもないことで、それを弁護士に告げれば、あとは「和解不成立」になるのは話すまでもない。ここで何かほっとした。和解しないとの考えを、形が違っても弁護士が受け入れたことは、正直な話、戦いは被告だけでないと、つくづくそう思った。令和5年10月29日

 最高裁へ
最高裁へ進むとのことも弁護士は澁谷さんに伝えており、澁谷さんもすでにその覚悟は出来ていたようだ。まあ、最高裁が大げさだとは言わないが、最高裁へと言うのは弁護士の考えであって、それも三筆の土地すべてが時効取得との判決になった場合であることは言うまでもない。和解において裁判官の案として出された時効取得、だからと言って、判決もそのままであるのかと言えば、そうも言えないことに、三筆の土地にはそれぞれに状況が違う。まずは、澁谷ゆきゑの土地一筆と澁谷薫の土地二筆が有るに、平川文男はゆきゑの土地を買ったと言い、薫の土地にはまたがって家が建てられていたと主張している。またがって家が建てられていたのが兎も角も、もう一つの薫の土地には、そのほかの理由もない。そしてその土地が県道に面しているのであるが、道路に面していなければ家が建てられないのに、その矛盾に気が付いていない。そして弁護士も、時効取得が気に入らないと言うだけで、道路に面してなければ家が建てられないとの反論を一度も主張していない。「それは関係ない」「家が建てられていたとしても、20年経過しないで取り壊していると言ってるんだから時効取得にならない」と決めつけていた。たとえ、平川文男の親が植えた木だとして、家が建てられていたとのことを否定しておかなければ、木を植えたとのことも否定できないのではないのか? と思うに、それは素人の考えなのであろうか。控訴の期日に参加できない原告と被告、弁護士だけで進められる和解期日、何か本質から離れていると感じていたが、和解するも弁護士の判断だし、今度もまた和解しないと言い出したのも弁護士からだ。こんな状況でいつも振り回されるのは、澁谷さんであることに気が引ける。令和5年10月31日

 明日の天気
最近の天気予報はよく当たる。そして一度決心したことは、明日になっても変わることはない。ない、ない… 和解しないとの弁護士の判断は、私たちの意をようやく汲んでくれたとの思いであり、長く続いた裁判に、ようやく終止符を打てることになった。そうなれば、あとに残るは澁谷さんの誠意に応えることだ。澁谷さんにとっては、思いもよらぬことに巻き込まれたとの感であろうが、その様な事はおくびにも出さず、渋谷一統が悪いとか騙されたとかの不平を言わずして、村が、村長の対応がおかしくないかと、行政にある不正だけは許されないと、まったくに好泰や私の考えに同調してくれた。そこで裁判に負けたにしても、「時効取得は泥棒である」との、弁護士の言葉で十分なのだ。私に出来ることは澁谷さんの土地を買うことだけであるが、そこに和解条件が重くのしかかっていた。
 土地の価値
澁谷さんが相続した土地は、令和2年に手放すと話されており、私は既にそれらの土地の評価を澁谷さんに提出していた。当然に、私が買える価格であるに、それでも西地区の相場によるものであった。澁谷さんは別荘でも建てて(盗伐された土地)両親から相続した土地を管理したいとしていたが、それを手放すとした決心は「平川文男からの別訴」である。これは想定外であって、澁谷さんは弁護士費用の捻出に困り、土地を売る決心をしたのである。そこで私に相談されるに、「弁護士費用で良いので」は、20万円であるからして、まとまった土地であれば、とした。そして例の三筆の土地を購入したのだが、これらの土地を私が買ったのはこのような理由である。弁護士費用20万円に消費税が2万円、それで22万円の買い出しになった。令和5年11月2日

 山の価値
正直な話、澁谷さんが相続した土地の内、一番価値があるのは山林である。それこそ、盗伐された土地に澁谷さんの父親が植えた桧と同じものが、それらの山林にあることで、私は直ぐに飯伊森林組合の阿智支所長に「立木調査をしてください」とお願いした。しばらくたっても音沙汰無しはおそらく組合長からの指示だと感じたが、既に諦めており、自分の足で山を見た。確かに桧山林であって、それは見事な山であった。この場所なら県道迄転がすだけで出しも良い。ならば一本いくらでも勘定できると言うものだ。30万で買いだしできれば十分元は取れる。しかし森林組合では経費がかさみ金にならないだろうと、そこまで考えるに、少しでも高く買ってあげたいは、正直私の誠意である。そこで10万上乗せしたが、それはまだ切り出しせずとした場合の将来価格であった。
 想定結果
22万円で買った三筆の土地の評価は65万円であるに、どのような評価をしたのかは、土地形状が変わっていたことによる。ヘブンスは三筆の土地をアーテリー道路として造成されており、地主らは地権者組合なる組織においてヘブンスと契約していた。本来ならば澁谷さんは地主であるに、なぜかそれらの地代はどこかに消えている。この辺りは裁判が終わればはっきりするだろうが、その時に暴かれる事実は相当なものだ。なにしろ、阿智村と本谷園原財産区との間でこの三筆の土地を売買契約していたとの契約書を阿智村は証拠にしたからである。どんなことをしても手に入らなかったこの偽装契約書、それを熊谷秀樹村長は証拠としたことで、阿智村自ら表に出したのである。
この様な経過になっているが、これら三筆の土地を買ったときにはつゆ知らず、65万円の評価がなぜ22万円になったのかと言えば、当面の話し、澁谷さんは平川文男の別訴に対する裁判費用だけが必要であったからだ。まあ、捉えずと言おうか、裁判が終われば評価額も変わるだろうし、山林もまたその価格は変わることになる。しかし、和解をしないことは、澁谷さんの考えもまた変わるかもしれない。令和5年11月4日

 弁護士が怒る
盗伐被害を受けた土地は売買でなく時効取得として扱う、が裁判官の調整案であるに、それに噛みついたのは澁谷さんでも私でもなく弁護士だ。いわゆる、「登記上の理由における時効取得ではない」と、これでは三筆の土地どころかそのほとんどが時効取得の扱いだ。ならば和解の必要など全くない! 敗訴の判決と同じではないか! と発奮した。そのとおりである。その通りであるが、それを進めていたのは弁護士であって、私はすでに和解しないと決めていたではないか。「裁判官が和解を勧めている」から始まって、「裁判官は土地の評価が低い」を理由に和解金が下げられてもいる。もはやその時点で「和解する必要はない」と澁谷さんが判断したのは、私の評価額と被告らの買い上げ額とに大きな開きがあったことで、澁谷さんは私への譲渡を決めていた。澁谷さんは登記にかかった費用と弁護士費用の一部にでもなればとするに、私の評価の半分でも十分と考えていた(実際には足りないが)。私の気持ちとすれば、澁谷さんを巻き込んだ感があって、少しでも高く買ってあげたいと考えているに、晃一らの要求はひどくあって、澁谷さんの土地評価を30万円とした。この30万円は私の評価の1/4~1/5の価格である。これでは和解する必要は全くないに等しいのは、盗伐された土地がすべて時効取得とされても残りの土地の評価は60万円以上になることだ。だからして和解など何もする必要はないし、裁判官に従う必要もない。それを正直に弁護士に伝えたことであるに、そして弁護士も和解しないと判断されたのに、裁判官にそれを伝えれば、「強く言い過ぎました」と裁判官が謝ってきたので和解調整は続けると言ってきた。弁護士の優柔不断な発言に呆れたが、「最高裁へ行く!」と言い切った弁護士の言葉はともかくも、澁谷さんと私の考えが変わることはない。だいたいにして、結論を出すのが原告だとのことをもう少し考えていただきたい。令和5年11月6日

 和解を続ける意味
舌の根も乾かぬうちに、とは全くこの話しであって、和解しないと決断せよと催促したのは弁護士である。弁護士の考えはともかくとして、決断を今度は無かったことにせよとでもいうのであろうか。まったくにあきれた話であるに、「裁判官が謝ってきた」「きつい言葉であった」「判決日を延期しますので和解調整を続けて下さい」と、如何にも裁判官からのお願いだと言うのであるが、何か勘違いしているのではないのか? 和解しないとの決断を促す弁護士の理由は、「時効取得を認めるのは負けたと同じだ」の発奮であるが、澁谷さんと私の考えはそんなところに向いていない。和解しないのは和解したくないからだ。被告弁護士の和解条件が「陳謝しない」「売買しない」「すべての相続土地を売れ」であって、盗伐した土地三筆は時効取得だから売買しない。ようするに、盗伐した土地については金を払わないと言っているのだ。その上で、残り6筆の土地を売買契約で取得するが、その価格は30万円だと言うのである。もはやこの時点で和解しないは澁谷さんと私の考えであるに、弁護士は「裁判官の勧めだ」「裁判官の土地評価は低い」において、和解調整を続けてきた。この様な経過をたどるに、弁護士は「時効取得は受け入れられない」として、和解拒否を言い出したのだが、そのような理由より、和解しないとの発言だけを喜んで受け止めたのである。しかし、又も弁護士の決断はどこかに飛んでしまい、裁判官が和解調整を進めてくださいというのだから、そういうものだと言っている。そう言うものが通例であったにしても、損をしてまで和解することは無いことで、せめてもの対応は、「陳謝無しでもよい」「時効取得でもよい」これら相手側の要求は受け止めます。ただし、当該土地とお墓の土地については売っても良いですが、残りの土地については売りません。が、返答であると、弁護士に伝えたばかしである。令和5年11月8日

 何か文句が有りますか
澁谷さんが両親から相続した土地はすべてで13筆あった。その内の三筆を私が買ったのは、平川文男が別訴してきたからである。もともとに、別荘でも建てて良心が残した土地を管理したいが澁谷さんと言うより子供たちの考えであったが、裁判へと進む中で渋谷貢の子供である晃一が盗伐の首謀者であると知るに、また、見も知らぬ平川文男から「俺の親父の土地だ」との訴えを起こされたことで、もはやこの地への愛着心が無くなった。その上に、弁護士から「別訴で有りますので弁護費用は別になります」との請求されれば、土地を手放すしかなくなった。しかし、訴訟に関係する土地は手が付けられないからして、他の土地を売るしか方法はない。そこで相談があれば、澁谷さんを巻き込んだ私の責任は重い。だからして買える土地を買ったのだが、今度はその土地を買ったのは金もうけのためだと熊谷秀樹村長は言いふらした。それをまともに受ける者の浅はかさはさておいても、澁谷さんにとっては踏んだり蹴ったりである。では、私が澁谷さんの土地を買うに、アーテリー道路とされている土地だけを買って澁谷さんの誠意に応えられるのかと言えば、その様な考えで澁谷さんは私に売るとでも思うのか!?と言いたい。澁谷さんが土地を手放すとの考えに至れば、すべての土地を手放すと言うことだ。その思いに応えるに、アーテリー道路にかかる土地だけを買うなどで対応できることではない。
 土地返還請求裁判との共通点
ヘブンスの開発行為にかかるすべての土地は、土地区画整理法に基づき「賃貸借」として行われた。法律に基づいて地権者組合が設立されて、阿智総合開発株式会社との賃貸借契約が行われている。とうぜんとして、駐車場にかかる土地も、ロープウエイの基地も、そしてアーテリー道路とされた土地も、すべてが賃貸借契約である。その契約は今もって成立しており、それ以外の契約書など存在していない。(岡庭一雄村長と西の三悪人はこの契約書を偽造した。)令和5年11月10日

 売買できない土地
区画整理法で構造改善された土地については、いかなる理由があったにしても売り買いすることは出来ない。しかし、不思議なことに、澁谷さんが母ゆきゑから相続した土地三筆(田や畑)はアーテリー道路の一部として形状が変更されており、それら三筆の土地の売買契約書が存在していた。それも、三筆の土地所有者が本谷園原財産区総代長渋谷秀逸(西の三悪人の一人)であって、購入したのが阿智村長山内康治であるのだが、本谷園原財産区は岡庭一雄村長と西の三悪人がつくった似非団体であり、それらの団体をつくった時には山内康治村長ではなく岡庭一雄が村長であった。簡単に言えば、契約書を捏造したのである。なぜ澁谷さんの土地三筆がこのような契約書においてアーテリー道路とされていたのかについては、端的な話し、この三筆の土地の賃貸借料を岡庭一雄村長と西の三悪人が着服するが目的であったのだ。三筆の土地の賃貸借料は年12万円ほどだが、25年も経過すれば、すでに300万円を超えている。証拠からして、それら地代の横領は阿智村となることで、裁判が終われば、必然的に行政犯罪となってしまう。土地区画整理法において売買できない土地を売買したことは、それだけでも、法律を守らせるべき行政が自ら法律を破ったことになるのだが、この犯罪を裁けるのが行政(上級行政庁)であることに、その矛盾が出てしまう。しかし犯罪はそれだけではない。必然的に「契約書の捏造」との犯罪もまた、阿智村が捏造したことに違いなく、行政が民法に違反したとの、とんでもない犯罪になる。そしてそして犯罪はそれだけではないことに、澁谷さんが受け取るべき地代を阿智村行政が横領したとなれば、刑事訴訟法でも当たれない重大な犯罪となるのだ。果たしてこれだけの事実が判明するに、下平弁護士は阿智村の顧問弁護士として、いったい何を守って争うのか。そこのところが大きく間違っている。令和5年11月12日

 盗伐裁判の行方
阿智村の顧問弁護士であれば、村民の代表弁護士との自覚を持つべきではないか。阿智村が訴えられたとして、村長個人を守るべきではなく、阿智村をいかにして守るのかとすれば、熊谷秀樹や岡庭一雄の個人犯罪として位置づけなければ阿智村は守れない。裁判に勝とうとするのではなく、根本的な問題が何であるのか、その問題は犯罪に当たるのか、と判断すべきであって、事実を隠したり曲げたりして争うのではなく、事実を事実として解決を図るべきだ。本来ならば、このような役目は議会が担うことだが、阿智村の場合、その議会が正常に機能していないどころか、まったくに隠蔽の立場にある。だからしてとまでは言わないが、私が裁判に至ったのは、行政法に基づき正攻法において村長や議会に話し合いを申し入れてきた結果におけるものだ。話し合いがことごとく齟齬されれば、もはや法律手段しか残らなくあった。それを考えていただきたい。
さて、肝心な盗伐裁判の行方であるが、和解調整がまだ続いているようだ。和解しないとしたのは簡単なことで、裁判官の調整が相手側に偏っていると弁護士が判断したからである。それで和解しないは了解のもととして伝えたが、裁判官から強く言い過ぎたとの発言があったとのことで、修正した和解案が出たと言う。今更ながらの話しと私は受け止めるだけ、このような和解調整において、いったい何が解決するのであろうか。間違ってはいけない。澁谷さんは無断で切られた木の損害を請求しているだけで、土地の争いではないのだ。和解不成立として判決に及んでも、一審の判決を覆すほどの証拠がないからしての和解案だと私は考えている。たとえ、盗伐された三筆の土地が時効取得で被告の物とされても、時効取得は泥棒だとの判断で充分である。令和5年11月14日

 巻き込まれた原告
盗伐裁判に及んだ原因は何か? アーテリー道路とされた三筆の土地の裁判に及んだ原因は何か? これら二つの裁判の原因が全く同じであると、いったい誰が思うであろうか。なぜこのような犯罪が行われたのか、誰がこのような犯罪を行ったのか、そこを考えれば答えはすぐに出てくる。だからして答えから書き出すが、これらの犯罪を計画したのは時雄と秀逸であることだ。この二人がこのような犯罪を計画したのは平成6年からであって、その始まりはヘブンスそのはらの賃貸借料にあった。両区の共有山である京平(現スキー場がある山林地名)に多額の賃貸借料が両区の収入になる。当然のことだが、両区としても、そのような大金の収益経験が無いことで、収入後の取り扱いが宙に浮いていた。(両区は区会議員制度であって、本谷区三名、園原区二名の区会議員がいた。)二人はこの賃貸借料を横領しようと考えたのではなく、この賃貸借料を二人の考えで扱おうとしたのである。
 両区の再編
ヘブンスそのはらの開発事業が第三セクターで行われることは、二人にとっては好都合であった。それは、岡庭一雄が観光課長としてコクサイの石田社長と昵懇であったからだ。ようするに、岡庭一雄と組めば、(もっともそれ以前に共産党どうしの繋がりがある)ヘブンスそのはらの開発事業の全てが把握できると言うことだ。そこで、まずの作戦が「区長になる」ことであるが、それには時雄の立場は全くないことで、秀逸が本谷の区会議員に成らねばならない。区会議員の任期代わりを待てば、既に間に合わなく有って平成6年にしてようやくとして議員に成った。そこで秀逸が動いたのが、「園原から二人の議員であれば、今度は操が必ず出てくる。それを阻止するには部落単位の議員としたい。園原・農間・中央・戸沢で四名の構成にしたい」と、父の元へ秀逸がお願いに来た。令和5年11月16日

 本谷園原財産区
だからして秀逸の考えがいきなり始まるわけではないことに、取りあえずとして、叔父である熊谷啓司(泰人の父)を園原区の議員として送り込んだのである。区会議員が新しくなるに、そこで区長になった秀逸は提案した。「財産区として始めたい」なぜそのような提案をしたのかはもはや言うまでもないだろう。
 開発区域の地主
ヘブンスそのはらを開発するに、それら対象区域の地主は個人地主と団体地主の二つに分かれている。団体地主は両区と神坂神社であるが、この両区の持山を共有山と言い、スキー場がある山林と、ロープウエー基地の一部と周辺の山林も両区の共有山である。これらの共有山の登記名は阿智村となっているが、それは単なる登記上のことであることは、実際に、小野川村から智里村、そして阿智村と名義が変わっていることでもわかる。いわゆる『入会権共有財産をもとに構成された村形成』が小野川村であり、智里村に合併する時点で共有財産として区分けされ、無課税処置として当該村の名義とされたのである。これら歴史を知らない地区民が多いことで、岡庭一雄と西の三悪人はこれを利用して、「両区が地代を受け取ると税金がかかるので、登記名である阿智村に一旦地代を振り込み、両区へ返還する」との方便において地区民を納得させ、その後、「地代は一般財政に組み込むので補助金交付の形になる。補助金は両区に交付出来ないので両区を本谷園原財産区に変えてください」とされた。これが行政犯罪であるのだが、このことを理解する村民が誰もいない。公開質問状、ブログ、議員選挙村長選挙、文書全村民配布で知らしめてきてもこの状態である。まあ、もはや手遅れであるが、後悔先に立たずのレベルでないことに如何ともしがたい。令和5年11月18日

 地主の内訳
両区も神坂神社も地主の一人であって個人地主と同じ条件でなければ地権者組合など設立できない。同じ条件、なにが同じ条件なのかと言えば地代以外にそれは無い。田・畑・山林・原野と土地種別ごとの単価を統一することで同じ条件を整えたのである。ならば両区も地権者組合の一員であることに変わりなく、全く個人地主と同じ立場であった。このように地権者組合は設立されたのだが、個人地主に一つの問題が生じた。それは、この地に居ない地主の取り扱いである。この地に居ない地主は10人足らずだが、それぞれに状況が異なっていた。その状況の違いが何であるのかと言えば、家屋を引き払っての移転者と家屋を残したままの地主である。ここにどのような状況が生まれたのかは、土地を売りたい地主と地代を求める地主である。家屋を残しての地主は地代を求めて地権者組合に入るが、家屋があっても無くても、いわゆるこの地に帰る考えのない地主らは、やはり土地を売る考えも有ったのだ。
 売買できない理由
このように、土地を売りたい地主の取り扱いに困ったのは、土地区画整理法において「土地の売り買い禁止」があるからで、当面としては、誰もが地権者組合への加入を余儀なくされた。具体的にどのような処理が行われたのかは、この地を離れた地主らに連絡を取り、当面は地権者組合の一員となるを了解させたのであった。これは書面に残すことは出来なくあって、単なるお断りの手段であったが、実際の移転者でも、地権者組合に入っている地主は今も居る。そして、土地を売りたい移転者への対応は全くにできなくあったのは、土地を売りたいは全ての土地の事であって、土地区画整理法にかかる土地だけでなかったことに難しさがあった。この悪しき例が、県道から始まるアーテリー道路脇にある原氏の土地であった。令和5年11月20日

 秀逸と時雄の策略
原氏はアーテリー道路として一部土地を売っているが、土地区画整理法において売れないことに、何故売ることが出来たのだろうか? 答えは至って簡単だ。村が買ったからだ。駐車場とするのであれば、土地は売れない。道路であるから売れるとのことは、道路は売り買いの対象にならないからだ。だからして原氏は村に買い取ってもらったと言うわけだ。でも、アーテリー道路とされたほかの地主は村に売っていない。なぜなんだろうか? それも簡単な話であって、この地に住んでいるからだ。逆から言えば、原氏はこの地を捨てて名古屋に移転した人であるということだ。この地に住んでいる人が地主であれば、土地区画整理法において売買できないこともあるが、もともとに売買したくないのである。もともとに売買したくないのは事実なのかと言えば、その話は平成2年までさかのぼる。平成2年、その頃からヘブンスそのはら開発事業の話が生まれていた。噂段階に有るに、早速に取り組んだのは秀逸と時雄と私である。その辺りの話は前のブロブに散々書き出しているので今更だが、地区の考えを一つにしようとして「智里西開発協同組合」なる団体を設立している。智里西地区全戸が株券を持って設立した登記団体であるに、その目的は何であるのかは「土地は売らない」とが大前提であった。なぜ土地を売らないのかと言えば、「良からぬ者に売った後始末」分かりやすく言えば、土地ころがしや反社会団体の入植を拒んだのである。そのためには地区の土地評価基準を決めるとのことで、土地種別ごとに単価を算出しており、それはこの団体の設立前の月川旅館・パークランド・門前屋などの賃貸借料へも適用している。そして肝心なこの開発事業において、阿智総合開発株式会社と契約したのも、この賃貸借料の坪単価なのである。この事実を否定したのが岡庭一雄村長と西の三悪人なのであるが、なぜ否定しなければならなかったのかは、原氏以外のこの地を去った地主たちにその理由があったのだ。令和5年11月22日

 この地を去っていた地主たち
ここに、この地を去った数名の地主が居る。その地主たちの土地が開発区域にかかったとして、阿智総合開発株式会社はどのような手段を取るのであろうか? と、普通に考えれば良い。この地を去ったとしても絶えてしまった地主もいない。連絡が取れなければ村の出番である。だかして実際に、無断伐採を受けた澁谷ゆきゑの長男にも稲武町まで会いに行っているではないか。この様に、この地を去った地主たち全員に連絡が取れたのだ。しかし、地主たちの考えがそれぞれであるのは、貸したい売りたいが基本であるに、ここに岡庭一雄と西の三悪人の思惑があった。どのような思惑なのかと言えば、開発区域にかかる土地は永久的に地代が入ることで、それがこの地から出て行った地主に支払われるが我慢ならないのだ。「50年も前に出て行った奴だ、構わん伐ってしまえ!」この様な怒号を挙げたのが渋谷秀逸であり、そして澁谷ゆきゑの土地に植えられていた樹木が伐採されている。この事件をなんと見るか。単に木が欲しくあったのではない。ゆきゑの土地を手に入れようとしての木を伐れである。50年も前に出ていった、この様に言えるのは、まったくにヘブンスそのはらの時と同じである。
 それぞれの地主
県道からのアーテリー道路の始まりに、佐々木春男氏の土地がある。しかしこの土地は阿智村名義に変わっていた。謄本での詳細は、確かに平成3月に売買とあるが、はたして佐々木春男氏は、この土地を売りたいのであったのか? この様な疑問を持つには理由がある。それは月川旅館の地主も佐々木春男氏であるからだ。当然に、この土地の賃貸借料も智里西開発協同組合がヘブンスと同じく算出した単価での賃貸借であるに、ならば、地権者組合の一員であるに本来ならば変わりないはずだ。だが、なぜかアーテリー道路にかかる土地だけを売買している(実際には三筆がアーテリー道路にかかっています。)。売りたくて売ったのでないことに、なぜ売らなければならなかったのか、そこが問題なのであります。令和5年11月24日

 渋谷秀逸の力
もう回りくどい話はよそう。単純に経過に沿って書きだせば、阿智総合開発株式会社と地権者組合が契約を交わしたのは平成6年であります。その時の地権者組合代表は熊谷恵治であって、両区区長は熊谷茂平であった。ここに渋谷秀逸は、地権者組合員でなければ両区の議員でもない。そう、平成6年は月川旅館の社長の立場しかないまったく蚊帳の外に居た。そしてもう一人、渋谷秀逸よりも蚊帳の外の熊谷時雄がいたのであるが、これら二人がヘブンスそのはらの開発事業の蚊帳の外であれば、我慢ならぬは当然でもあった。時雄は地権者組合員であったし、智里西開発協同組合の専務でもあったが、あまりにも周りから嫌われており、開発組合の専務も追われていた。(時雄の後に私が専務になっている。)それが我慢できなくても立場が無ければどうしようもない。そこで手を打ったのが「渋谷秀逸を両区区長にする」との裏工作であった。両区の組織形態は、本谷区三名、園原区二名の区会議員制度であって、その本谷区の平成7年度の区会議員に立候補していたのだ。(平成6年に澁谷ゆきゑの土地が開発区域にかかると分かれば、二人はその土地を手に入れようと、ゆきゑの長男建典氏を稲武町に訪ねている。そこで断られたことで、平成7年、渋谷秀逸は両区区長であったが、前年の区長茂平氏に代行を依頼して、建典氏を訪ねた。建典氏は土地は売らないとしたが、地権者組合へも加入していない。(この辺りのことが、三筆の土地返還請求の裁判で明らかとなっている。))
さてそこで渋谷秀逸の力であるが、アーテリー道路にかかる佐々木春夫氏の土地について、「売ってくれないか?」と交渉したのである。佐々木春夫氏はにべもなく「月川旅館に貸してある土地も買ってくれれば売っても良い」ようするに、50年も前にこの地を離れた地主だから土地を売ったらどうかと持ち掛けたところ、売るならすべての土地を買ってくれよ、とそういう話になったのである。月川の土地を含めただけでも一千万を超えてしまう、そして破談となったのだ。令和5年11月26日

 時雄の出番
佐々木春夫氏が阿智村に土地を売ったのは平成8年である。平成8年8月にヘブンスはオープンしたし、地権者組合へ賃貸借料が支払われたのも平成8年からである。何か時系列が整わないが、そんなことはお構いなくか? 土地区画整理法において『構造変更にかかるいずれの土地も売買を禁ズ』は、絶対的に遵守しなければならない。ならば、佐々木春夫氏だけが土地を売るなどとのことが出来るはずもなく、明らかにおかしな事実である。そこで考えられることに、時雄が騒いでいた「換地をせよ」に行きつくことだ。しかし、平成8年の時雄の立場は何もなく、秀逸の腰巾着で騒いでいただけであるが、ならば、このような操作を行わせたのが誰であるのか? となれば、渋谷秀逸しかそこに居ないだろう。土地区画整理法で土地の売買が出来ないことは周知の事実であるし、平成7年の始めには開発行為の許可も下りている。そして、工事が始まるについても、設計図面が元にある。この設計は専門業者が作成したものだが、この工事の責任者が誰であったのかと言えば、吉川建設の渋谷より州である。ここまで書き出せば、頭の良い方はすでに見えてきたことだろうが、澁谷ゆきゑの長男建典氏を稲武町に訪ねた熊谷茂平両区区長(秀逸の代わり)・原勇地権者幅組合長・勝野公人観光課長・牛山職員(運転手)らに同行していたのが渋谷より州工事代人である。なぜ渋谷より州工事代人が同行したのかと言えば、土地区画整理法に基づく開発行為の設計図面の説明が必要であったからだ。土地の売買はしてはならないと、当たり前の説明に行くに、土地の売買をしたとの契約書が存在した。それも、渋谷建典本人でなく、本谷園原財産区と阿智村長の契約書である。さあ、ここまでくれば、何かが見えて来たのではありませんか。令和5年11月28日

 騙しの手口
土地の売買はならぬとした土地区画整理法の許可において始められた工事であるに、佐々木春夫氏から土地を阿智村が買っていたとなれば、法律を守らせるべき行政が、自ら法律を破っていたことになる。そうか、法律違反か、そう考えれば納得するが、ここで冷静になれば、法律違反か? との疑いが出る。その疑いの元は、平成8年の契約であることだ。土地区画法の申請は遅くとも平成7年初頭であるに、それでなあくては平成8年8月までに造成工事は完成品となる。単なる逆算だが、その裏付けに澁谷建典の元へ訪ねた平成7年の初めがある。ここで色よい返事がもらえなければ、裏付けがない申請となってしまう。澁谷建典は土地を売ったのであろうか? 今更ながら、土地を売るとの念書の一つも入っていないのを見れば、土地を売ってくれとの話ではないし、また、売り買いが出来ない開発行為に、行政である阿智村も、申請者である阿智総合開発株式会社もけっしてその様な話は出来ないことだ。そして元に戻れば、佐々木春男氏が阿智村に土地を売るなども全くできない事である。ならば、佐々木春男氏の土地が平成8年に阿智村名義に変えられたのは、いったいどのような目的があったのだ。
 智里西開発協同組合の立場
智里西地区(横川部落含む)の全戸が参加した組合組織、その組織は何の目的でつくられたのかは、仲介者の役割である。その仲介の根拠が何かといえば、智里西地区の土地評価基準であることだ。早い話が「土地の売り買いをしない」が基準であって、それはヘブンスそのはらの開発事業における「土地区画整理法」からきているのだ。ようするに、ヘブンスそのはらの開発事業に併せて智里西開発協同組合は設立されたのである。ここにリフレッシュモデル推進事業の月川旅館・パークランド・門前屋(園原ふれあい館)が先行したが、いずれの施設土地も賃貸借契約である。令和5年11月30日

 阿智村名義にする目的
やらなくてよいアーテリー道路の村名義、やる必要もない村名義、売り買い出来ない村名義、なのに村名義にした。なぜだろう? 平成8年と言えばまだ山内村長の時代だ。如何に岡庭が好き勝手にやろうとしても、課長ではできることではないが、コクサイの石田社長からの手回しであれば簡単なこと、それでもそれなりな理由が必要であろう。ならば何をもってして村名義にしたのだろうか? と考えれば、アーテリー道路と命名したことに理由があった。平成7年に土地区画整理法に基づく開発行為の申請を挙げた段階において、すでにアーテリー道路の名称は入っていた。アーテリー道路と名付けたのは道路が動脈との意味で幹線道路のことを指す。ロープウエー基地までの専用道路だからして名付けた名称だが、必要にして名付けたのかと言えばそれほどの事でもない。ただの道路としても大差無いことに、名前がどうのこうの理由ではなかった。ならば、どうしてかとの疑問に答えるに、事業予算の状況が垣間見えてくる。コクサイと吉川建設の企業体として始められた工事が進むにつれ事業費が膨張するはいつものこと、そう珍しい話しでないが、そう言ったにしても銀行はよい顔をしないはずだ。ならばその打開策に何かないかといえば、アーテリー道路を阿智村の予算で造ればよいとなる。そう、このくらいの知恵は岡庭一雄に相応しいではないか。第三セクターとして阿智村も参加していれば、いやと言えないのが現状である。岡庭一雄の浅知恵でも構わないが、そうは言っても経験が無ければそこまで考えつかない。何が経験なのか? そこにはヘブンススキー場の造成と施設工事を行う取り付け道路の敷設に大いなる経験があったのだ。令和5年12月2日

 林道の申請
スキー場の工事用取り付け道路を敷設するに、阿智村は県に林道の敷設を申請している。なぜ林道の敷設を申請したのかは林道であれば国の事業となるからで、当然に工事費の削減にその目的があるのだが、それでもスキー場までの全線を林道化は出来ないことで、造成地の手前300mで林道は終わっている。そこから先は阿智総合開発株式会社の予算で行われたが、相当なる軽減につながっている。この様な手法をアーテリー道路にも当てはめるは確信的であり、阿智村の予算でアーテリー道路を造るために形だけの村道申請が行われたのである。形だけでも議会を通すには地主の承諾が不可欠であることで、アーテリー道路にかかる土地を阿智村名義にしたと言うわけだ。だからしてアーテリー道路の道路台帳を見れば、阿智村の所有地は1㎡もない。これが実態だが、ここで大きな問題が一つ出た。それは澁谷ゆきゑの三筆の土地であった。全上に書き出したように正当に事が運べば、この地を離れた地主らも、佐々木春男氏のように地権者組合に参加し、そして形だけの村名義にも協力したのだが、澁谷ゆきゑの土地については、既に行きがかり上の問題が出ていた。それが何かといえば、渋谷秀逸と時雄が事前に動いていたからで、なぜ事前に動いたのかと言えば、当然にして二人が澁谷ゆきゑの土地全てを手に入れようと画策していたからである。吉川建設の渋谷より州工事代人から造成工事の土地図面を手に入れて(実際は岡庭一雄が渡している。)、ゆきゑの長男建典を稲武町に訪ねている。(建典の長男澄雄と妻の緑は毎年のように渋谷秀逸が経営する釣り堀青木屋を訪れており、秀逸とは旧知であった。)なぜ訪ねたのか、「土地を売ってくれないか」である。それも、ヘブンスそのはら開発事業のことは一切話さずしてであった。そして断られたことで、では、今度は地権者組合に入ってくださいとか、形だけの村名義にするなどとの話を、両区総代になったばかしの渋谷秀逸が行けるわけがない。ここを乗り切るに、前年度の両区区長であった熊谷茂平氏に代理をお願いしたが真相である。令和5年12月4日

 茂平氏の証拠
盗伐裁判において、好泰は父茂平氏の日記を証拠としている。その日記には何が書かれていたのかは、原勇(地権者組合副組合長)・勝野公人観光課長・牛山職員・澁谷より州の同行者の名前と「良い話が出来た」の一文である。地権者組合の原勇副組合長が同行しての良い話、そこに土地を売ってくれ等の話がつくなど、あり得る話ではない。まあ、それに近い話をしたと言うならば、建典はこの三筆の土地だけでなく他すべての土地(11筆)につて言及することだ。これらの話が事実だと言うに、信じることが出来ないならば、原勇に聞け、渋谷より州に聞け、勝野公人だってよい。牛山前副村長でも操でも、渋谷章行だって誰でも良い。こいつらは嘘に嘘を重ねてまだ生きているではないか。
 犯罪と言わずして
たまたまに、アーテリー道路にかかる土地についての争いであるが、ゆきゑの土地がアーテリー道路でなく駐車場として使われていたとしたらどうなのだろうか。ここで阿智村は何かを言えるのかとすれば、「阿智村の駐車場だ」と言うことになる。このような言い分を地権者組合は認めると思われますか? 冗談じゃない、阿智村が何か関係しているのか? と、まるで取り上げることも無いことだ。アーテリー道路が村道でも歩道でも、駐車場でもロープウェイ基地でも何でも、土地区画整理法で申請した範囲については、すべてが賃貸借であって、売り買いできないことである。阿智村が村道にかかる土地を村名義にしたとして、そこに売買契約書は存在しない。佐々木春夫氏も原勇も熊谷信夫も売買契約などしていない。売買契約書が無いのであれば、阿智村の土地とはならない。しかし、ここで澁谷ゆきゑの土地についてだけ売買契約書が存在した。それも澁谷ゆきゑや長男建典の名前などまるでない、本谷園原財産区という架空の名称が使われていた。そのことに、阿智村は「本谷園原財産区から購入してます」と、裁判の証拠として反論してきたのだ。令和5年12月6日

 道路の定義
道路の定義は法律においてそれぞれ決められています。村道と言えば「村で管理している道路」となりますので、そこに村の所有物との定義は存在しません。ですから、アーテリー道路が村道であっても村の所有とは限らないので、村道であるのかどうかは全く関係ないことです。また、村の所有だとされても(換地と称して村名義ぎ変えています。)名義が村であるのかにおいて村道だとは言えないのです。訳の分からない話しになりますが、村道だとかただの道路だとか、そんなことは土地区画整理法にはなにも関係ないのです。土地区画整理法で決めれれている制限は、「土地区画整理法の範囲の土地は売買できない」とのことだけですので、換地と称して名義を村に移したにせよ、売買契約で名義を変えたことではないのです。なぜ名義を変えたのかは、村道として補助金を村から出すための議会対策でありますが、手間料として換地費用が契約金の一部から支払われていますので、議会対策のために名義を変えさせた、かんちとしょぷしています。これも行政犯罪です。
さあどうしましょうか、一つの裁判いおいてまたもや行政犯罪が露呈しましたが、この様な事に下平弁護士は気づいていないのでしょうか? 弁護士であればと言うより、共産党の阿智村顧問弁護士なんですから、気づかないとすれば、換地の件を知らないのでしょう。換地と称してアーテリー道路にかかる土地の地主を騙して名義を変えさせた。そして換地費用だとして契約金を持ち出して分配した。このことはこのブログに散々書き出してきましたので、このブログの隅から隅、またユーチューブまで熱心にご覧いただいた下平弁護士であれば、知らなかったでは済まされないでしょうね。裁判において下平弁護士はこのブログの記事もユーチューブも証拠とされましたが、そこでいったい何を訴えたいのでしょうか? 私への反論に用いることでなく、岡庭一雄と熊谷秀樹の犯罪を立証する方が、顧問弁護士の役目ではないでしょうか。令和5年12月8日

 偽造契約書
ここにもう一つの行政犯罪があらわれそうです。すでにこの契約書(本谷園原財産区と阿智村)は公開していますが、不思議の一つに、下平弁護士はこの契約書をなぜ反論証拠として用いたのでしょうか。明らかに偽造契約書と分かるものを証拠とするには、証拠としなければ戦えないとの前段があるとなりますが、はて、その前段とはいったい何でしょうか。察するに、訴える前に話し合いを求めた弁護士の通知書を送付したが、その時点ですでにこの偽造契約書を証拠として話し合いに応じられないとの返答があった。だとすれば、この時点において偽造契約書を証拠とすることを決めていたようだが、弁護士からの通知書に応えるに、熊谷秀樹村長が判断できることではない。ならばこの時点ですでに下平弁護士に相談したとなる。まあ顧問弁護士なら当然だが、この契約書を証拠にする必要はなにかと言えば、行政書類として残っていたことに、その契約書を熊谷秀樹村長が渋谷晃一に渡したことが理由にある。そう、渋谷晃一はその契約書を証拠として盗伐裁判に及んだのだ。私はその契約書を澁谷徳雄さんから手に入れて、熊谷秀樹村長に詰め寄っている。「これ、村長あなたが晃一に渡したんでしょ」とね。裁判で扱われたとなれば、それは言い訳出来ない事実、ならば「村は買っている」と、証拠にしなければならなくなった。たしかに、この裁判では契約書が偽造であろうが何も関係ないし、裁判に負けたとしても、議会へは「山内村長との契約書で私には判断できなくあった」が通用する。まあ、この辺りが本音だろうが、この裁判に勝つを目的としてない私に注意を払うことをお勧めする。令和5年12月10日

 盗伐控訴裁の結果
無断伐採の控訴裁が二年もかけて終結するに、裁判官は最後の最後に和解を勧めてきた。和解協議だけで半年以上、なぜここまで長く続いたのかと言えば、証拠が何一つなかったからだ。唯一の証拠は「障害木補助金申請」であって、そこには澁谷ゆきゑの土地所有者名ではなく、渋谷貢との名前が書かれていたが、この書面で証明できることは、村の補助金をだまし取ったとのことだけである。それはそれで重大な犯罪だが、これを犯罪とするには並大抵でないことに、被害者は阿智村であることに、阿智村の被害届の犯罪であれば、いかんともしがたい。住民監査請求との手もあるが、そのようなこと弁護士が引き受けるわけではない。間接的な犯罪であっても、裁判において無断伐採が認められれば、十分に住民監査請求が出来たものを、裁判が引き延ばされれば監査請求の期限一年はあっという間に過ぎた。これにて熊谷秀樹村長の関与は追及できなくあり、行政法による解決は出来なくなった。私が求めていた解決は住民監査請求であるに、一年が過ぎようとするに、それはすでに諦めへと変わったが、それもやむないことだが、ここで終わらせては澁谷さんを巻き込んだ責任が取れない。知らずにいれば迷惑もかけなくあったし、目的である住民監査が出来たなら言い訳も聞いてくれたかもしれないに、何とも言いようのない懺悔である。しかし、澁谷さんはそこになく、私の身内が起こした迷惑だと、せめてゆきゑの名前で申請してくれればよかったものをと、渋谷一統であるを恥じていた。このような考えであるに、和解の二文字は澁谷さんにとっても思わぬ方向であったのは確かである。和解であれば無かったことに出来ると、そこは金の問題ではないと、和解に傾いていた。弁護士も長く続いた裁判に嫌気が垣間見れたし、これ以上の手間をかけないは日ごろの言葉に現れていた。そこで弁護士の和解案が提案されたが、その第一の条項が「陳謝していただきたい」は澁谷さんの願いでありました。和解金額は弁護士の割り振りで、迷惑料(陳謝)50万円、土地代50万円の100万円とされた。だが、これに噛みついたのが被告弁護士である。「陳謝はしない!」これが強く抵抗されたのだ。この一言に澁谷さんが憤る。令和5年12月12日

 陳謝をしない!?
何を言っているのか! 金の問題ではない、金など要らない、とにかく謝れ! 謝らない和解などあり得ない! と、これは私も全くで、和解の話し合いに乗るに陳謝無くしてあり得ないと弁護士に強く言い渡したが、弁護士はそこになく、50万円の迷惑料が高いだのと、訳の分からぬことを言いだした。弁護士がこのような言い方をするのは、和解でまとめたいとの考えであることで、それは弁護士費用と大きく関係している。
 弁護士費用とは
弁護士費用は最初に払うもので、あとは成功報酬となる。ここでお判りいただけるのは、勝訴しなければ成功報酬は無いと言うことだ。ならば、和解となればどうなるのかと言えば、和解報酬金との項目が追加される。早く言えば、勝てる見込みが無ければ和解に持ち込むことが金になると言うことだ。その辺りでこの裁判を読み取れば、弁護士は勝てる見込みがないとなれば和解に持ち込みたいとなるのだ。ここが分かっていてもどうしようもないことに、私が原告でないことにある。ようするに、裁判期日に参加できないのだ。和解したくないとしても、裁判官が和解を勧めると言われればその通りに受け止めるしかなく、そんな言い回しに反発するが関の山である。結果論であるが、無断伐採での損害賠償がいつの間にか土地の時効取得に持ち込まれ時点において、和解しないを押し通すべきであった。時効取得の争いは、そこに金銭は発生しないもので、裁判に負けたにしても、土地を盗られるだけで済む。そして、その結果において弁護士に支払う報酬金は発生していない。土地を取られるではなく、土地を盗られるのだ。そこの違いが分かるからこそ、和解したくなかったのだ。いかに金の問題でないとしても、土地代より和解報酬金が高いことに、どうしても澁谷さんに申し訳が立たない。令和5年12月14日

 和解成立
報酬金のことは何も気にしてなかったが、最後の最後まで和解を拒否してきたことに、被告に陳謝の気持ちが無かったことにある。なぜか? 普通に考えれば謝らなくて和解へとは進めない。弁護士も和解の第一条件を陳謝として、まずは謝っていただくから始めたが、被告弁護士は猛烈に反論してきたと言う。ここで不思議に思うのは、和解を勧めた裁判官にある。和解するに陳謝が必要だとする原告に、それを拒否する被告において、裁判官は仲裁に入ろうとしない。なぜなんだろう? 確かに和解金の請求は陳謝前提の請求だが、そこで和解金が高いならば(晃一は当然高いとの判断だ)金額の交渉になるはずだし、そうでなければ「陳謝するなら和解しませんよ」となるはずだ。これで結構だと、和解などこちらもしたくないと、ここで不成立となるはずだし、弁護士も陳謝無くして和解は進められないと返答したはずだが…和解の当初から躓くに、それでも和解期日は続けられていた。段々と折れていくのは弁護士であって、相手のペースにはまるのかと、つまらぬところが気になった。そんな進め方に不満は募るが、少し冷静になれば被告弁護士の思惑が見えてきた。なぜ陳謝しないのか? 陳謝しないの本意はどこなのかと、そこはもっとも単純なことで、謝ればどのような結果になるかと言うことだ。謝れば無断伐採を認めることになる。それは晃一ひとりの問題ではなく、いや、晃一からすれば謝った方が得であるに、そこが謝れないとすれば熊谷秀二に問題があるとなる。熊谷秀二に問題が出るとなれば、それは被告としての立場である。熊谷秀二は自治会長として補助金申請をしたことだが、これらの土地が澁谷ゆきゑの土地であるを知っていた。それは熊谷好泰が自治会長として、同じ申請をして村に拒否されたとの経過もあるし、それを許せないとして好泰は証人席にも立っている。だからして、謝ることは自治会の立場として謝ることになる。ならば、自治会が崩壊する危険をはらんでいることで、弁護士費用も自治会から出ているからして、弁護士は智里西自治会から雇われている格好なのだ。依頼者を守るのが弁護士の仕事であれば、絶対に陳謝は出来ないのである。裁判官がその間に入らぬことは被告弁護士の立場を理解していることで、絶対に譲れぬ条件(陳謝しない)であれば、和解調整では扱えないのである。令和5年12月16日

 空回り
弁護士は言い出した。陳謝しないがえらい強弁で取り付く島もないと、だからして、和解金では無理だと言う。そして土地の売買で和解金を生み出したいと、しかし裁判官の土地評価は低いという、何が何だか分からないが、そうまでして和解などしたくはないと言えば、いったん受けた責任があるではないかと言う。これではどっちの弁護士なのか分からない。まあ、確かに金の問題ではないが、陳謝しないの代わりが「遺憾の意」だと言うのである。この時点で遺憾の意がなんだとの受け止めであったが、そのうちに、遺憾の意が持つ意味について考えれば、たしかに被告二人に非は無いとなる。「ゆきゑの土地と間違えたのは阿智村である」と、被告二人は言っていることになるのだが、これを裁判官が修正したことに大きな意味があったのだ。私が常に求めていたのは、熊谷秀二をどのように助けるかである。時雄に騙されて矢面に立った馬鹿な男だが、実質的な加害者でないことに、被告のままではいかんともしがたくあって、その解決をどうするのかは、時雄と岡庭一雄が村に乗り込んで無理やり補助金を出させた経過を表に出すことだと考え得ていた。しかし、和解において陳謝と寝れば、熊谷秀二の責任になることで、それは自治会長としては当然だが、ここにきて遺憾の意であれば、熊谷秀二の責任ではなく、澁谷ゆきゑの土地とした阿智村の責任になることだ。この責任を裁判官が現わしたのが遺憾の意と言うことになるのだ。ここまで理解できれば、遺憾の意でもっての和解案は、私にとって最良の選択となったのだ。澁谷さんには思うような解決金が支払われなく申し訳ないが、盗伐の事実が裁判官において証明されれば、これ以上の結果は無いのである。そして澁谷さんは了解されたが、そして和解は成立したが、これで終わらせるほど私はお人好しではない。令和5年12月18日

 村長との会話
盗伐事件において、この犯罪の責任は熊谷秀樹村長にあると言ってきたが、当事者はおろか、村民の誰一人として気にしてなく、既に昔話になることも無い。いわゆる、村民の誰一人盗伐事件に関心が無いのだ。なぜ関心が無いのかと言えば、村民の金が使われていないと考えているからである。だからして村民の金が無駄にと言うか犯罪に使われたと言えば色めき立つだろうが、今のところそこまで行っていないのが現実である。だからして、盗伐裁判が和解となって遺憾の意が証拠となれば、村民の金が無駄に使われたとの証拠と言う訳だ。さて、その証拠をどう使うのかは、それも当然に、不服審査請求(住民監査請求等)となる。しかし、この請求には時効の壁も確かにあるし、その時効をクリア(法律的)出来なければいかんともしがたい。その方法が何かといえば「遺憾の意」になると考える。行政法に詳しくあれば理解できるだろうが、どうも被告弁護士や熊谷秀樹村長は理解できていないようだ。さて、関連しての話に、勝野公人元議員は、最近になって足しげく役場に出向き、さんざんに村長の悪口を言っているようだ。職員があきれるほどの悪態だと言うに、何をほざいているのかと言えば、どうも盗伐裁判の後始末のようである。そう、遺憾の意の意味が分かるからで、そこにおいて補助金の正受給が明らかになるのを恐れての悪態である。「あの時に片付けをちゃんとせよと言ったのに、それを櫻井課長を俺のところによこしてじゃないか。ほれみろ、ショウはこれから始めるぞ!」と、言っているのだ。まあ、勝野公人元議員の気持ちもわからぬではないが、そもそもとして、勝野公人元議員も、さんざんに隠蔽していた責任があることで、自身の恥の上塗りだと私は見ているが、ほんの少しでも村民の立場でものを見れば、私の行動に同調するというより、私に先んじて行動するのをお勧めする。それが勝野公人元議員を村民が認める唯一のことである。村長との会話が隠ぺい工作だったと、それを明らかにするのが勝野公人議員の最後の役目ではないのか。盗伐裁判において誰が一番損をしたのか、それは村民であることだ令和5年12月20日

 三人寄れば文殊の知恵
行政法に基づき審査請求等を行うときに、やはり弁護士に依頼しなければ困難となるは、その先に住民訴訟が控えているからだ。阿智村に審査請求の類を起こせば、共産党の監査員と共産党の議員では、請求を却下するは見えている。そこはすでに織り込みであって、この裁判をお願いするに住民監査請求を行いたいと弁護士に伝えていたが、やはりこの弁護士は空返事であった。まあ、この弁護士に限ったことではないが、金にならないことは引き受けない。そして熊谷秀樹村長の汚いことは、阿智村の顧問弁護士(下平弁護士)が居るに、人権相談の弁護士として原弁護士に依頼している。この時点で阿智村相手の争いは引き受けられないとの口実が出来たのだろう。だからして、給水停止に係る訴訟を依頼すれば、私には難しすぎるとか何とかの口実をつけて、しらかば法律事務所に振ったのである。飯田市を相手の訴訟をお願いすれば、飯田市の訴訟を引き受けたことがあると、弁護士倫理にかけるなどとほざいたが、この弁護士に倫理など元々存在していない。ならばなぜ依頼したのかと言われるだろうが、共産党の弁護士とのこともあったが、阿智村(中関)の弁護士と言うことで、岡庭一雄共産党と熊谷秀樹共産党の間でどのような立ち回りをするのかを見たかったからだ。しかし、しらかば法律事務所の木島日出夫弁護士は、同じ共産党であったにしても全く違う。この人と話せば、本来の共産党の姿勢をつくづく感じる人格である。さすがに参議院議員であったと感心する。まあ、だからと言って住民訴訟を受けるのかと言うと、そこは全く違う見解になろう。それを感じるに、もう一人の弁護士にそれら経過を説明した上で話を聞けば、大した価値にならないと、それより一番重要な犯罪一つで勝負をすべきではないかと、そのような見解であった。もう一人の弁護士とは、飯田市にあるほかの弁護士事務所の弁護士であるに、まったく違う依頼の中でも、十分に相談に乗ってもらった。令和5年12月22日

 それでもやる
住民監査請求でも審査請求でも、弁護士に依頼するほどではないのは、私の目的は常に違うところを見据えての行動であるからだ。だからやる、それも近いうちにだ。なぜそこまでするのかは、盗伐事件がなぜ起きたのかを阿智村民に明らかにするためであって、それにおいて熊谷秀樹村長の責任追及をすることにある。議会は何をやったにしても村長の責任を追求することは無い。そんな議会を相手にせず村長を追い込むには、審査請求で十分だ。住民監査請求も出来るが、議会が却下すれば住民訴訟となるし、住民訴訟で争えばまた一年先になる。そんなトロいことをするよりも、審査請求であれば、長くて半年だ。そう、だからして来年早々に審査請求を行えば、その請求中にもう一つの審査請求も行える。次から次に審査請求すれば、毎回同じように議会は当たれない。そう、頭は使うものだ。まあ慌てることが無いのは、無断伐採和解時点からの請求であり、それには時間は十分にある。
 盗伐事件の裏事実
裁判が和解になったことで、如何にもばつが悪いのは晃一と秀二である。どちらも被告だが、この二人が嘘を言ったことでここまで裁判が長引いた。そこで判決ならばある面すっきりしたであろうが、和解であれば、言い訳一つできないとなる。世間は和解をどう見るのか? 裁判上の和解とは無かったことにするのであるが、それは同時にどちらも正しくないとなる。だが事実が残るのは澁谷ゆきゑ名義にある樹木を無断で伐採したことだ。誰が伐採したのか、智里西製材クラブである。ここに晃一や秀二は関係しないし、秀二は全くに無関係者となる。何も関係ない者が他人のふんどしで裁判で争ってきたのだ。ようするに、秀二の言うことは誰も信用できないということになる。今さらに秀二は黙して語らないが、後悔の念が残るは秀二一人ではないか。令和5年12月24日

 澁谷ゆきゑの土地だ
不思議なことに、裁判が和解になったら被告側? の者から事実が語られる結果になった。なぜか不思議だが、澁谷ゆきゑの土地で、澁谷薫と建典が植えた木だと、今になって言い出した。なぜ今になってそのような話が聞こえてきたのかは、やはり「時効取得」が和解条件であったことによる。弁護士が言うところの「時効取得は泥棒だとを認めることなのだ。それはそうだろう。他人の土地だと分かっていたが、20年以上管理してきたので俺の土地になったということなのだ。時効取得とは、相続者が絶えて名義が変わらぬ土地が全国に多くあり、これらの土地から税金も取れなくあれば法律を変えるしか無い。その産物が時効取得なのだよ」と、偉そうに説明されたが、そんなことはとっくに知っていた。知っていなければ裁判にも進めないに、だが、世間はそんな法律に無頓着で、今回のような事件が起きて初めて知る法律であるに、それでも関心がある住民では、時効取得の和解がどんなものだろうかと、パソコンを使えない老人は聞いて回ることだ。だからして、盗伐事件の被告らは、和解にはなったけど泥棒の烙印が押されたのである。製材クラブの面々よ、泥棒して泥棒になった今の気持ちは満足ではないか。晃一よ、お前は貼れて大泥棒となったのだ。まあ、盗伐した土地の名義を平川文男でなくお前に移すようだが,、悪党の烙印が謄本になるに、今の気持ちが知りたいものだ。これで満足か? とね。しかしこれからの方が大変になるぞ、泥棒が手にした土地の使い道だが、個人的以外の使い道は無いと知った方が良い。「ゆきゑの土地に間違いない」と、地元の者達が言い出したことは、晃一もやはり泥棒であったと言う烙印である。あ、そうそう、私のことを鉄砲で撃ってしまえと罵ったことも多くの地区住民は知っている。私はこれを許していないことも記憶にとどめておけ。これから先に、いろんな場面でお前や勝幸に出くわすが、私はお前らを許していない。令和5年12月26日

 村九部
渋谷勝幸は私の父と従弟であるが、私よりかなりの年下だ。ことし、母親が亡くなったが、私の家から嫁いだことを忘れたわけではないと思うが、亡くなっての知らせはおろか、香典までを受け取らぬとした考えはどこから来るのか。本来ならば葬式の一切は私が取り仕切る義理であるに、私が裁判にかけたことの恨みだと言うが、どこまでお粗末なのかに言葉も無い。勝幸の父勝雄さんが無くなった時に、渋谷一統だとして渋谷貢さん(晃一の父親)が取り仕切るに「俺は何も分からない。申し訳ないが代わりにやってくれないか」と、幸恵おばさんとともに頼まれているが、村八分で人権侵害になるに、村九分とは恐れ入る。何も知らないやつらがゆきゑの土地ではないと、平川が買ったとか木を植えたとか、泥棒をしておいてほざいたが、そんなところで何が解決すると言うのか。一番の解決は謝ることしかない。誰が植えたとか誰の土地だとかいう前に、無断で木を伐って金にしたやつらが頭を下げれば、こんな争いにならなかったはずだ。それもこれもすべてが時雄と秀逸の采配であるに、嘘を言ってここまでされるに、人として恥ずかしくないのであろうか。まあ、村九分にするくらいの奴らであれば、さも当たり前の考えなのだろう。たしかに裁判は和解で幕を閉じたが、これで終わったわけではない。これから始まるのは、熊谷秀二と渋谷晃一の補助金不正受給である。村を騙して補助金を受け取ったことがこの裁判で立証された。これはとんでもない犯罪であるに、村民として追及するのは当たり前のことである。行政に時効があるは住民監査請求の一年であるが、正当な理由が有ればその限りでない。今回の裁判において判明した補助金不正受給、それが正当な理由にならないなどと考えない方がよい。令和5年12月28日

 新たな証言者
「ゆきゑの土地だ」「建典が植えた木だ」と、ここにきて新たな証言が出てきた。それも無断伐採の裏事情を詳しく知っている者の証言である。なぜ今になってなのかは特に意味はないが、今までに証言しなくあったことに問題がある。なぜ今まで言えなかったのかは当然に、言えない事情があったと言うことだ。こんな奴らしか西の谷に居ないからして、好泰が嘆くのもわかるし、ハラスメントを受けるのも無理はない。ここはどうしても改善できないのか、山の中独特の変わらぬ風潮なのかと言えば嘆かわしいが、そのような状況であっても正しく向き合えば、決して打破できない問題ではないと考える。今まで言えなくあったことが言えるようになったのであれば、それは改善への始まりであると捉えたい。間違いを起こせば責任を取るのは当然のことで、責任を取らないからして問題になるし、取らなければならない責任であれば、間違いを修繕することだ。今になって「ゆきゑの土地だ」と言い出したのは少なくとも間違いを認めたことであるし、反省の弁でもある。だからして今となったにしても、そこを責めてはいけないし、責任を取らすことでもない。間違いは必ず修正できると信じれば、解決は向こうからやってくる。慌てることでもないし、片つけることでもない。まあ、この一年の反省でもあるが、盗伐裁判はまだ終わっていないことだけは確かである。
さて、切れは良くもないが、このコーナーもぼつぼつ閉め時でありますので、ここでひとまず終了します。元旦になれば、三筆の土地裁判を中心とした新しいコーナーを始めさせていただきます。その進展において、盗伐事件の後始末についても発信してまいります。令和5年12月30日

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