阿智村を被告とする裁判は、『土地明渡請求事件土地1~3』・『土地明渡請求事件土地4』・『地位確認請求事件』は、この三つで有りますが、そのうちの土地明渡請求事件土地4につきましては私の勝訴となりました。一つ勝てば充分なのは、この一つにおいて、阿智村が国において処分されると決まったことによります。当然として国に直接告発いたしますが、それまでに十分な時間が無いために、このコーナーにおいて、なぜ勝ったのか、どうして二つの裁判は負けたのかについて、詳しく説明してまいります。まずは、土地明渡請求事件の判決文から公開いたします。土地明渡請求等事件判決文 クリックしてご覧ください。令和6年4月17日
勝った裁判
土地4は、田んぼであります。その田の周辺(約半分)の幅1,2mから2mくらいが村道に無断で占用されていたことに、裁判官は「無断占用です」阿智村は原告に占用した土地の一部を明け渡せ、とが判決です。ただし、損害金の算出については長野県のコシヒカリ標準単価ではなく、全体収穫量をもとにして算出すべきとありました。損害金はわずかな金額ですので、ここは請求いたしません。阿智村はこの判決を受けましたので、早急に明渡に入らなくてはなりませんが、まだ一向にその気配はありません。共産党の村長と共産党の議会ですので、何を考えているのか分かりませんが、一定の間に話(明渡内容)が無ければ、裁判所へ強制執行を求めますので、国が阿智村に代わって明渡等が行われることになりますが、その場合、相手は阿智村と言う行政でありますので、即時潰されることになります。まさか、ここまでの馬鹿とは思えませんが、共産党のやることは全く持って分かりませんので、大いに考えられるのではないでしょうか。しかし、今この様なこと(強制執行)が執られますと、私は同時に飯田市行政犯罪の証拠を国に出さなければならなくなりますので、この勝訴した裁判の経過において、飯田下伊那の危機が迫っていることは確かであります。ですから、4月19日の金曜日に阿智村役場に出向き、櫻井農林建設課長に面談を求めましたが、課長会議で席を外していますとのことで、市村係長に話そうとしましたが、「まだ役場に来ておりません」と、あからさまな嘘を言われ、やむなく総務課の係長を呼びつけ、「今度の日曜(今日)から通行止めにすると建設課長に伝えておけ」としました。ですので、明渡が完了するまで、片側通行になることです。こうもしなければ、目が覚めないでしょうからね。令和6年4月21日
去らない危機
村道拡幅工事が無断で行われたことに、岡庭一雄村長と熊谷操議員の補助金搾取犯罪が控えております。どのような犯罪かと言いますと、熊谷和美の離れ取壊し費用100万円を阿智村が補助金として支出したのです。これだけのことですが、大変な犯罪であることに、この補助金を支出するのが目的で私の土地が無断占用されたのですから、大変でしょう。無断占用も阿智村存続にかかる犯罪ですが、この補助金搾取も阿智村存続にかかる犯罪ですので、この裁判いおいて、すでに二つの行政犯罪が確定しております。では、この裁判でまだ他にも行政にかかる犯罪は有るのでしょうか? ありますねえ、まあ間接的でありますが、もう一つ二つ、行政犯罪が有ると思いますよ。さっそくに、何が始まりますかと言えば、無断占用された土地の返還がされるに、その経過として現在の擁壁等が撤去され、実際の道路境に新たな擁壁等が設置されることになりますが、その工事において、井水の回復工事も同時に行われることになります。なにしろ、現状の井水は消えてなくなっているからですが、その辺りを明確にした図面が有りますので、ここに公開いたします。不法占拠された土地 クリックしてご覧ください。
「熊谷和美不法占拠部分」と有りますのが、私の土地を不法に占拠しているとなりますが、「水」と有りますのが井水であります。この井水も熊谷和美が不法に占拠しております。令和6年4月24日
農地法第5条違反
熊谷和美の父親敏一氏に、私の父が農地として貸しているのは、敏一氏の奥さんが、この貸した部分で野菜をつくりたいとの話があったからです。快く父は貸しましたが、また敏一氏も、30年分の賃貸借料だとして60万円を一度に支払ってくれました。まあ、30年と言えば、生きている間と言うことになりますね。しかし、敏一氏が亡くなると、和美はこの土地を宅地として使用するようになり、井水もまた使えなくなったのです。さすがは操の甥ですね。正直呆れてものが言えませんが、和美も共産党だと言えば、世間の皆さんも納得されると思います。何でもありの共産党は、つくずく何でもできるのだと思い知らされますが、ここにもう一つ呆れる話が存在しました。それは、どうも農業委員会の委員長もまた共産党のようで、この無断占用を告発しても、一切お構いなしで今日まで来ておりますね。農地転用せずして宅地として、そこにも別棟の倉庫兼車庫を建てておりますが、阿智村はすでに無法地帯となっているようです。そう言えば、「農地で貸した私の土地が宅地造成されています。井水が使えなくて困っています」と、阿智村農業委員会に告発したのは一昨年、そこでいきなりな電話が入っていますが、いったい誰からだと思いますか?
こいつも共産党
「熊谷和美さんが今うちに来ているんですが、和美さんの家の東側の土地、田んぼかな、熊谷さんのお父さんから買っていますが、そこを農地転用したいので印鑑をもらえないか?」…はあ? …「木下司法書士ですがお世話になります」といきなり電話が入るに、それこそ話の内容もいきなりであった。木下伸二司法書士の事務所は伊賀良大瀬木北原商会(自動車)の前にあるが、自宅もまた伊賀良北方にある。事務所も住宅も章設計でお世話になったのは、木下伸二の奥さんが原武平さんの娘であったことで、原武平さんが収入役であった頃に紹介されてのことである。そして武平さんが無くなってしばらく後に、それこそ本谷園原財産区の存在を確認するに、熊谷泰人は下平秀弘弁護士を訪ねた。令和6年4月1日27日
弁護士と司法書士の関係性
「本谷園原財産区保護誓約書? 法務局関係なら木下伸二司法書士を紹介します」と、下平秀弘弁護士は時雄に言った。そして時雄は捏造した保護誓約書を木下伸二司法書士につくらせていた。木下伸二司法書士は、たしかに保護誓約書をつくったのかと言えば、それは確かな事ではない。法務に関係ない書面をつくるほど馬鹿ではないと思うが、時雄の話を聞いたことは確かだと思う。そしてある程度の指導はしたかもしれないと感じるのは、実際つくられて保護誓約書が存在しており、いまでも本谷園原財産区はその保護誓約書に沿っているようだ。こんなことはどうでもよいが、私が気にするのは下平秀弘弁護士が木下伸二司法書士を紹介したことにある。ここに、共産党を感じないわけにはいかないからだ。そしてその木下司法書士から敏一さんに貸している土地の登記を移してほしいとの電話が入るに、和美もまた共産党であることで、木下司法書士も共産党であったのかと、確信したのである。電話での話し方が横柄であることに、もはや敵に対しての態度であると感じ取った。売ったわけではない、貸しただけだと言っても、売ったのであれば敏一さんの名義になっているはずですよと言っても、取り付く島もなく、「あっそう、話にならん」と言って電話が切られた。全くに常識が有ると思えない司法書士であるが、それだけ和美が追い込まれていると感じていた。
強制執行
判決日は3月27日であるが、阿智村からは何の音さたもない。だからっして、文書を送り付けた。まずはその文書をご覧いただきたい。土地明渡について クリックしてご覧ください。
『計画書を策定せよ』:現状復旧を要求するに、どのように復旧するかの計画書を提出せよと、当たり前の請求を行うに、それは判決後一月が過ぎるに、なんの報せもないからである。南信州新聞の誤報記事をまともに受け、阿智村は控訴したものと考えている住民が多く居ると思うが、阿智村は控訴などしていないし、控訴期間などとっくに過ぎている。令和6年4月30日
5月27日まで
『復旧工事期間の補償』:復旧工事期間の補償をするのは当然の請求であるが、そこに迷惑料を請求するのは、この不法占拠が行われるに、補助金の不正支給が元にあっのこと
コメント