村八分(人権侵害)の裁判 熊谷操の復讐!

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【写真:自宅裏村道に積み上げられた除雪】
令和2年4月4日、配達証明付きの封書が届いた。それは、前年度の部落長と新年度の部落長からの手紙でありました。
村八分の手紙   クリックしてご覧ください。
熊谷繁は熊谷寛の長男であって、熊谷寛は平成16年度の園原部落長で、私と二人して、熊谷操の昭和60年から続く水道料返還金横領をいさめ、平成16年から園原部落へ30万円ずつ返す約束を取り付けた者である。田中和晃は田中義幸の長男であるが、田中義幸は操の指示において、水道返還金(525,000円)を阿智村から受け取り、毎年操に届けていた者だ。それに、智里西製材クラブ顧問である操の指示において、渋谷ゆきゑさんの樹木を盗伐し、飯伊森林組合北部支所において競り市に掛け、その売り上げを着服した智里西製材クラブの会長である。
操の横領をとがめた熊谷寛の長男と、熊谷操の指示において犯罪を重ねた田中義幸の長男が二人して、私を村八分にしたのである。
ここで皆さん不思議な感じに、操の横領をとがめた熊谷寛の長男がなぜ村八分の当事者となったのか、そこが気になるのではないか。

 婿養子
熊谷寛は婿養子であるゆえか、子供である繁にハッキリ物を言えないようだ。平成16年の部落長では、何かにつけ副部落長であった私に相談を入れており、操の水道料横領についても声を荒らげていたが、繁には事の顛末が話せなくあったようだ。寛のこの様な性格からして、息子である繁に事あるごとに詳しく話してきたが、それでも孝志は怖いようで何も言えなかったようである。熊谷寛の家は、もともとは当家の別家であって、田地田畑は当家の近くにある。その様な歴史を寛は知らないが、操とは距離を置いていたはずだ。しかし、彼の性格が災いしてか、それなりのもめごとを幾度も起こしている。
 操の不安
平成29年4月に刑事に操の横領を告発するに、会計であった私は監査を拒んでいる。それは操の横領において、部落に入れるとした30万円が、操の甥である熊谷和美と孝志の偽造通帳において、16万5千円に変えられていたからである。こんな通帳を残すことは出来ないと解約しているが、この解約通帳と古い通帳の全ては返さなくあった。通帳を私が持っていることで操の牽制が出来たのであるが、操にとってはそれら通帳が命取りであり、何とか私から取り上げようとしたのが村八分の顛末なのだ。岡庭一雄と熊谷秀樹に頼み込み、偽造契約書において刑事の捜査を逃れていたが、犯罪の証拠である通帳が私の手にある限り、それこそ枕を高くして眠れない。通帳を返せの顛末は録音してあるが、通帳を返さなければ部落会に出てくるなと、それは孝志や菊美(操の長男次男)、熊谷義文議員、渋谷吉彦、渋谷より州らが寄ってたかって罵るに、そこに便乗しての部落長である熊谷繫が、「とにかく通帳を返せ」と私に迫ったことで返している。取り戻せたと操は喜んだついでに、私を村八分にしただけのことだ。令和4年4月1日

 手の内
「部落から出ていけは良かった」これ以上の村八分はないことで、いろいろと手を増やしてくれる。このような話をするに「なんだ、操ってこの程度の男か!?まるで小学生じゃないか」と、誰もがその幼稚さに驚くが、はったりだけの共産党とはそんなもので、時雄の仕返し行動と全く変わることは無い。
 村八分の内容
今回訴えるに、やはり嫌がらせの具体的な事象を証明しなければならない。そしてこの準備は、手紙が届く前から行っていた。「一番最後で良いから、回覧板を回してくれないか」と、五年前に当家の別家空き家に移転してきた加藤政章に頼んでいたのだ。加藤政章とはメルクス(昨年首)勤務で、飯田市にある自宅の差し押さえで引っ越してきたのだが、私が大家であることに驚く者はいない。生ごみの埋め立てや部落のことなど、いろいろと面倒見てあげたが、どうもこいつは食わせ物で、孝志のウソにはまり込んだと言うより、家で飲めない酒をお祭りで飲めることがご機嫌だったとか。これが私の後の組長なので、組長の引き継ぎにそうお願いしたのだ。案の定、回覧板どころか森林組合や農協の配布物まで回されてこなくあり、それが二年も続いた。だからして加藤政章も多く居る被告に含まれているのだ
回覧板だけで充分であるが、嫌がらせの実態は多いに越したことが無いと弁護士は言う。そこにおいての第二弾は、ユーチューブでも発信した、空き缶などの「田ぼへの不法投棄」である。幼稚な仕業はあきらかに操の息子しかいないが、実態は嫌がらせそのもである。
まだまだある嫌がらせ、それは井水の水が止まることだ。井水の水が止まったのは、昨年の11月であって、落ち葉が覆う空井水は、写真がそれを示している。たまに流れてくる申し訳程度の水は、孝志が経営する門前屋の汚水、たまったものではない。令和4年4月3日

 水道の停止
井水が止められた11月の始め、それは、阿智村が私の家の給水を停止した後にある。早く言えば、阿智村の給水停止に併せ、孝志が井水を止めたのである。なぜ止めた。それは、井水の水でトイレを流していたに他ならない。「園原水道返還金の横領を元にする損害賠償請求」で、操を訴えた令和3年8月12日以降、操はその仕返しに井原清人生活環境課長を自宅に呼び寄せ、私の家の給水を停止するようにと指示をした。(これ、嘘のような話だが事実です。)井原清人生活環境課長は、早速に議会へ給水停止執行の議決を申し込んだ。9月定例議会の全員協議会においてその議案は了解され、10月の末に給水停止は実行された。
 報復手段の幼稚
給水が停止されても困らなくあったのは、本管の別配管があったからで、それは台所と温水器につながっていた。いわゆる、量水器を通らない水道管が有ったのだ。この配管は林家の熊谷泰人市会議員の離れ住宅にもつながっており、それは、園原水道が園原部落の水道であることを示していた。当面の問題はトイレ排水であって、それは井戸水で賄っていたのである。しかし、どうってことなく生活していることに疑問を持ったのが、加藤政章である。孝志や菊美から水道を止めるとの話を聞いていた加藤政章は、普段と変わらぬ生活をしていることに気づき、孝志へ告げ口していた。それを聞きつけた菊美は、ある日の夜、加藤政章の家に用事で訪れたと見せかけ、確かにお風呂が使われていることを確認した。次の日、早速に電話を入れ、井原清人生活環境課長はその様子を確認に来た。(このくだりは熊谷泰人市会議員が井原清人や熊谷村長に会って確認している)令和4年4月5日

 孝志の命令
それはいきなりであったと言う。妻から電話が入ったのが、11月12日、「朝から倉田設備の車が来て、泰人さんの古い家の前で何かをしていた、それで水道が全部出なくなった」これは犯罪である。見境のつかなくなった井原清人生活環境課長は、菊美の通報に業を煮なし、早速に倉田設備に指示したようだ。設備業者の口癖に「村の水道管でなければ接続できない」があるが、水道法と保健所をはき違えている。村に言われれば何でもやると言うのは、村の指定管工事業者でありたいからで、村が言えば何でもできると思い込んでいる。他人の土地に侵入し、他人の所有物を毀損すれば、それは村に指示されたとして犯罪でないと言えるのか? 行政に捜査できないとする警察に、実行犯が逮捕出来なくて、その言い訳は通用しない。(この犯罪はそう遠くない頃に明らかとなる。それは、阿智村を訴えたからだが、その内容は、給水停止仮執行の訴えである。長野地方裁判所に本日提訴したが、この詳細は近々、別のコーナーで発信します。)
 引くに引けない
給水停止執行命令書の無効は法律的に対処できるが、熊谷秀樹の勘違いは確信犯であって、何事も熊谷操を訴えての仕返しで行われている。ようするに、何も根拠や証拠がなくて、ただ、村なら何でもできるの発想である。だからして、思想を持つ者はまるで馬鹿だから厄介なのだ。引くに引けないは、熊谷泰人市会議員が井原清人生活環境課長と熊谷秀樹村長に会って、「操の横領は部落の者全員が知っていることだ」と話せば、「泰人さんまでの本管配管を行いますので、水道管を切断したのは了解してほしい」と頼まれたそうだ。「そんな無駄なことをやっても意味ないじゃないか」と言えば、「ここまで来たら引くに引けない」と、開き直ったそうだ。令和4年4月7日

 積み重なる罪
熊谷泰人の旧宅に入り込み給水本管を切断すると言う暴挙はこのように行われたが、熊谷泰人市会議員も、井原清人生活環境課長の後先の話に、「うちの水道が使えれば良いが俺を巻き込むな」と、全くに逆の立場でものを言っていた。それがコロッと変わったのは、私が引導を渡したからである。どのような引導かと言えば、事実を話したまでのことで、事実を知れば頭の良い泰人だから、どのように対処すればよいのかとして、単純に義理の従弟である井原清人と熊谷秀樹村長に会いに行き、私の話との整合を取っただけである。
 園原部落の水道だ
祖父清は泰人にとっても同じであって、祖父の名誉を守るに迷うところにない。「祖父清が公団と交渉して園原全域に水道を敷設したのが園原水道だ」「操の横領は部落の者みんなが知っている」このようなことを話した上で、なぜ章文さんの水道を止めたんだと、まあこんな具合に迫ったようだ。「水道代を払わぬとして量水器を撤去したのは俺には関係ないが、本配管を止めることは出来ないじゃないか。村の水道じゃないのだから」と言えば、「泰人さんのところまで村道に配管しなおしますので」と言ったそうだ。「村の金を使ってそんな無駄なことをすれば、監査請求されるぞ」と言えば、「ここまで来たら引き下がれない」と返したそうだ。これが阿智村の村長だから恐れ入る。誰に対しても、権力で解決すると考えているようだ。このような話を聞くに、やはりバカと共産党に話しても何も解決しないと改めて忠告し、長野地方裁判所に提訴することを伝えておいたが、泰人の証言が後日必要になるかもしれない。何といっても市会議員、証言より警察に操の横領を届けたほうが良いのかな。令和4年4月9日

 写真の説明
給水停止執行命令書において量水器が撤去されたが、別本管を切断して切り回しすることは法律上許されない。それは水道法にないからである。しつこく言うが、量水器の撤去を了解しただけで、給水停止は認めていない。だからこその阿智交番所長を立ち合わせた。水道法における給水停止は、いくつかの条件が揃わなくては実行できないとされている。例えば、居住実態が無いとか、既に死亡しているとかの付帯条件が伴わなければ、給水停止は水道法をもってしても執行できないのだ。それがライフラインの所以なのだが、その程度も知らずして、顧問弁護士にも相談せずして、議会の承認を得ただけで水道法をとり扱ったとなれば、それは法律に反したことになるし、所有権の無い水道本管切断は、刑事犯罪となる。この様な証拠が揃ったことで、今回長野地方裁判所本局に提訴したのだ。
 操の一人舞台
阿智村智里西地区は、西の三悪人と言われた熊谷時雄と渋谷秀逸が死んだことで、いまや操の一人天下となっている。やりたい放題し放題、なんでもありの乱戦場は、熊谷秀樹村長の全面援助において、とんでもない状況になっている。ただし、攻撃対象は私だけであるが。それにしても、「ここまで来たら引き下がれない」は、いかに何でも他市の議員の前で村長が口にすべき言葉ではない。幼稚な泥棒犯罪者は、阿智村は治外法権だと見ているようだ。それもそうだ、県警が何もしないことは、彼らにとってはそれが法律だと思い込む。
さあここで、このコーナーの写真について説明しておこう。タイトル写真に用いた写真は、雪の積み上げである。こんなに雪が降ったのか? はともかくも、ここ10年ばかし同じ状況にあるは確かなことで、これが操の攻撃の一つになっている。
この場所は私の家の裏側村道で、どういう訳か毎年この様に雪が積み重なる。この積み上げられた雪を除雪するのは私だけであって、この村道を利用する熊谷泰人も一度も除雪したことはない。令和4年4月12日

 雪は解ける
ここ10年間、毎年の恒例になった雪の積み上げは、それもまた毎年阿智村役場に苦情を入れる。そして変わらぬ役場の対応は「熊谷菊美さんに直接言ってください」である。この対応は私にではなく、妻や娘が犬の散歩にも行けないとして電話を入れるのであるが、職員の応対は決まってこの言葉だそうだ。大したものだ、一糸乱れぬ職員の連係プレー、これは思想つながりがなければできない事でもある。菊美さんに言ってくださいとの返答であれば、妻や娘が思うところは始末に負えないである。役場がそうであれば、「給水停止と同じこと」として、受け止めるのも無理はない。
 村道の実態
この村道の行き先は、熊谷泰人旧宅までであるが、私の農機具置き場の出入り口でもあり、軽トラはもちろん、トラクターや農作業機も出入りする。熊谷泰人の新宅はこの村道からもいけるが、侵入道路として阿智村に届けている道は、私の家を挟んだ反対側(東側)にある。
この様な雪の積み上げは、操の横領を表に出した平成28年から特にひどくなっているが、この積み上げ雪の除雪を小型除雪機で都度行って来たものの、今回は除雪機が通用しなかった。かといって手掻きで除雪するも、雪を寄せる場所もない。これだけの雪がこの場所だけであるはずがなく、どこから来たのかと言えば、渋谷吉彦宅前からここまでの20m、道路の雪をここまで寄せているのである。菊美は操の次男、阿智村から村道の除雪作業を請け負うのは操の顔で独断されているが、20年前で、年間65万円であることから、今では80万円を超えているだろう。それだけの金をもらってこの様な悪質なことをするのだが、それも当たり前だとするのが熊谷秀樹村長なのだ。水道を無断切断して、「ここまで来たら引き下がれない」と、操の家族と一緒になっての悪事であるが、この話、バカバカすぎて本気にされない不幸がある。ここを打破する気はないが、これは十分に村八分の一端となるも確かであって、このタイミングで私に仕掛けるとは、願ってもない愚かな行為であった。令和4年4月14日

 限界
村八分で訴えるに、この雪の積み上げが切っ掛けにもなった。妻や娘は村八分と言っても、回覧板など大したことでもなく、操に与する者らの不正も知って、園原住民の意気地なしと倫理観の無さに呆れているだけである。そんな中での給水停止、それでも淡々と生活を送るに、この雪の積み上げには相当頭に来たようだ。
 通帳を返せ
村八分の裁判するに、それは全国的な人権侵害の情報をネットで見ていたが、具体的な事象があれば、どの裁判も原告が勝利している。そう、現代社会の中で人権侵害は最大の社会問題なのだ。ここで、具体的な事象として始めるには、すでに二年前から原稿は出来上がっており、「今後、部落とのおつきあいは遠慮ください」このような手紙において準備は出来ていた。それは操の次男菊美の言動から始まっていた。「通帳を返せ!」これは園原水道の浄水場から操の家までの水道管を敷設替えするとの部落説明会があり、園原水道を村の水道とせんがための熊谷秀樹村長の画策であるのは見えていたが、それらの工事がなぜ行われるのか、設計図は有るのか、既設配管はどうなっているのか調べているか、の質問を繰り返していた。(会議録はユーチューブで発信中) 突然に「通帳を返せ」と孝志が怒鳴りだしたのだが、通帳を返せのことは、昭和60年から平成28年までの古い通帳を私が管理していたからだ。なぜこの通帳を返せと孝志が言うのかと言えば、この通帳に操の横領犯罪の証拠が有るからで、この通帳を私が持っている限り、枕を高くして眠れないとの操事情があったからだ。
役場が帰ってから菊美が怒鳴りだし、その言い方に学が無い。「部落の通帳を持っているのは横領ではないか!」と声を出すのである。続いて孝志が怒鳴る。「返せよ!なんで返さんのか!」必死な血相で二人が怒鳴りだせば、それに乗じて渋谷より州も声を荒げ、極めつけは渋谷吉彦だ。親父の武彦は、平成の始めに操の横領を追及しているのに、操側に立って同じ怒鳴り声をあげる。なぜ寝返るのか? と不思議に思うなかれ、吉彦と時雄のヘブンス契約金横領を知っている操に、弱みを握られているのである。令和4年4月17日

 準備万端
その翌日通帳を返した。「とにかく通帳を返した方が良い。そして親父と二人で部落で話してくれ」と、当時の部落長熊谷繁(父寛)が、盛んに言うので渡したのであるが、私にはこの時点で村八分が始まると分かっていた。そう、時雄のやり方と全く同じであったからだ。気に入らなければ頭をたたく、通帳を返さなければ部落から出て行け。この様な倫理観の無さは今始まったものではない。操の組は上の組(カミノクミ)と言って、元は9軒あったが今はたったの三軒で、そのうちの一人が田中義幸だ。都合により出て行った家も有るが、操に追い出されたと嘆く家も2軒は有る。なぜそのような恨み節なのかと言えば、山の権利にその原因が有る。園原部落は園原財産区であって、その権利においては明治時代に出来上がっており、別家には与えられていない。園原財産区の継続にはそれなりの費用が掛かることで、例えば集会場を建設しようとしてその費用を賄うのに、財産区山林の一部の地上権を財産権者に購入させて費用としていたが、それらの権利山は月日がたつほどに、また相続出来ない山であることに、操はそれに目を付けた。まだ、山が金になる時代である。代が変わるのをきっかけとし、知らぬうちにそれらの権利山は操の山となっていた。その様な権利山が堰堤や河川整備にかかるとなれば、植林木に多額の補償費が出る。それらの工事業者との窓口に、操が園原の実力者と称して口利きをするのだ。実際に、熊谷賢吉(亡、妻は生存)さんの山が堰堤工事にかかり、その補償費は200万円とされたのだが、賢吉さんの妻に手渡された金額は100万円であった。(40年前の話、当時の200万は大金である)それに対して文句を言えば、半分は俺の権利山だと言うのだ。もう一軒は田中利彦(亡)さんであるが、やむなく園原を離れるに、その引っ越し先も伍和とした。同じ阿智村なら園原財産区の権利は残るとしていたが、そこに操が口出しをした。「園原を出れば財産区の権利は無い、山は部落に置いていけ」と説教するのである。令和4年4月19日

 コソ泥
「俺が買ってやる」「家も土地も買ってやる」だから権利山も俺が買う、菊美の山にして菊美を財産区の権利者とさせる。勝手な理屈だが、その裏付けは飯伊森林組合の理事の立場にあった。飯伊森林組合の理事になるは大概が現役村長か村長経験者だが、阿智村の場合は平野千秋という組合長が当時君臨しており、それに付け入った操が阿智平谷浪合清内路の代表理事となっている。理事の立場を利用しての勝手な理屈はそのまま脅し文句が通用したようだが、田中利彦氏が納得したのであればそれも良い。だが、田中利彦氏と会えば、話は妙なところへ飛んでいた。
 猟師仲間
祖父から続く猟師の家系は山の中の暮らしに有り、血は争えないのか私も一時猟師をやっているが、田中利彦氏もまた鉄砲を担いでいた。一緒に横領をした経験はないが、伍和に越したにしても猟師は勝手知ったる園原の山であった。山で行き会えば、昔のよしみか猟師仲間の感覚か、笑顔で話し込んだことが有る。年齢が離れていることで共通の話題は猟師の話しであったが、「操さに山を60万で売ったんだが、金を払ってくれなくて困っている」との、場違いの話に困惑した。操のコソ泥は園原中で知らぬ者はいなかったが、この話も、父から聞いて知っていたからだ。そしてある日のことが頭に浮かんだ。そう、田中利彦氏は、その話で父を訪ねて来ていたからだ。「金を払ってくれない」との話を、なぜ父に話しに来たのかと言えば、園原財産区は父が代表であったからである。鎌倉時代から園原に居住してきた私の家系は、当然に周辺山林の権利を有していた。神坂神社もその一部であるが、この辺りは「空模様」の本で詳しく書いている。里山は熊谷一党に分割しているが、多くはそのまま園原財産区の所有として、小野川村を形成した歴史が有る。父の代に、園原財産区の山林の一部を分割して、園原住民にその権利を買わせて、その費用でもって集会所を建設したり井水を整備したのだが、それを仕切ったのが別家の熊谷初穂(祖父と従弟)と、父であった。(当時の書付は残っている)令和4年4月22日

 悪党の見本
熊谷初穂さんの家は、門前屋の近くにある茶室が有るところに在ったが、ほどなく横川渡(恵那山トンネル入口付近の集落名)に移転している。横川渡は恵那山トンネル工事で移転が余儀なくされ、初穂さんは駒場に移転した。恵那山トンネルで園原を離れた住民は数件あったし、他の都合で離れる者もいたが、当時の園原財産区の決め事は、「権利の買い上げ」であった。財産権者の権利をはく奪することは出来ないからして、園原を離れるに財産区の権利を買い上げるとしていたのだ。ここに言う田中利彦氏も熊谷賢吉氏も、一律50万円で買い上げていた。(この話を操は知らないと言うのは、今までの嘘がばれるからだ)
買い上げる権利はあくまで財産区の権利であって、個人所有の山林が含まれないことは当然だが、操はその頭にない悪党である。
 初穂氏の権威
分割山を中心に進めた熊谷初穂さんと父は、それら分割山に植林を勧めている。そのために、桧の苗を園原財産区が提供している。里山に近い分割山は飛ぶように処分できたが、奥山や足場が悪い山は残されている。残った分割山を初穂さんと父が買わざるを得なかった。父の割り当て山は岩場であって植樹が出来なかったが、初穂さんの山は奥山であっても日当たりが良く、手入れが行き届いていた。
熊谷操と熊谷初穂さん妻は従姉弟同士であるが、初穂さんは全く操を信用していない。当然である。初穂さんは恵那山トンネル工事前に駒場に転居するに50万円を受け取らず、園原財産区と特別な決め事をしていた。「昭和80年までの権利保有」この話に操は全く関与していないのは、操はまだ30そこそこの小僧であったからだ。このような話が園原財産区とできることは、いかに初穂さんの権威があったかと言うことだろう。令和4年4月24日

 昭和80年
当時の山の価値は、一山木を売れば嫁に出せるほどで、実際に、私の叔母が嫁に行った昭和45年は、一山の桧を売って100万を得ている。その様な価値観でこの話を聞けば誰もが納得するであろうし、操もまた、盗れる山は何としても手に入れるということだ。昭和80年は平成17年、その年が来る二年前の平成15年に、初穂さんは園原部落に話を入れた。「昭和80年の約束通り、権利山を園原部落で買い戻していただきたい」移転するに園原財産区の権利を放棄しない代わりに50万円も受け取らない。しかし、園原財産区から買った権利山は買い戻す。買い戻し価格は昭和80年の相場による。が、約束事として有った。父典章はこの時すでに介護を受ける身であったが、その約束事は確認しているとのことであった。しかし、問題は初穂さんにあった。それは、父が介護の身であるがゆえに、この話を訳も知らない園原部落長(田中義幸)にかけてしまったのだ。
 猫に鰹節
初穂さんが処分する権利山は全部で4か所あったが、それぞれの山の合計価格は150万円、決して高額でもない妥当な金額は、飯伊森林組合の山だし価格(山元価格)で見積もられていた。田中義幸部落長は、この話を初穂さんから受けてすぐ操に相談した。水道料金の横領と全く同じように、この二人の魂胆で、初穂さんの権利山は消えてなくなる筋書きが立てられたのであった。昭和80年の約束事など、当時、部落のために権利山を購入した者しか知らず、また、出ていく者に50万円支払ったのも、世代が変われば知る由もない。それを良いことに操の泥棒癖がここでもまた始まったのだが、これを見逃すほど私はやわではない。しかし、この話は全く知らなかったのも事実であった。それが知らされたのは平成16年、熊谷寛部落長からである。それも突然に。
 渋谷章行と操の関係
渋谷章行、長くスクールバスを飲酒運転で過ごした身体障碍者である。教育委員会付けの準公務員でもあった。若いころ、野球のやりすぎで右肩が壊れ、右腕が頭の上からまっすぐに伸びないと言うだけで、障碍者年金を受け取るようになったのは、操が村会議員としてそれを傷害と認めさせたからである。世間では時雄の子分として知られているが、操とはもっと古くからつながっていた。時雄と操との間を蝙蝠のように動き回る姿は、いまでいう、おれおれ詐欺の集金役と同じであって、二人が犯罪を行う上に欠かせない立場にあった。そんな男が、その年の本谷園原財産区の総代長であったのだ。令和4年4月26日

 操の謀略
義幸から聞かされた初穂さんの話、そしてすぐに動いたのは、渋谷章行本谷園原財産区総代長に話をつけさせることであった。章行は操の命令ならすぐ動く、それで何をやったのかと言えば、初穂さんの家に突然出向いたのだ。俺は本谷園原財産区の総代長だから俺が話をつけるとして乗り込んだのは良いが、馬鹿な男であるし、財産区と言うものを何も知らない。長く園原財産区の総代として初穂さんは経験するに、本谷園原財産区など園原財産区には何も関係が無いことで、「本谷財産区の者が園原のことに口を出すな!」と、それはものすごい剣幕で怒鳴りつけたようだ。そのことを、「なんで怒られなきゃならんのだ」と、これも馬鹿な言い訳に終始していた。初穂さんは、操が陰で動いたことを知っていたが、そこは口にしなかった。なぜか、章行は「西の谷から出た者は財産権は消滅する」という、時雄がつくった「本谷・園原財産区保護誓約書」に基づいて、初穂さんにそれを伝えたからだ。(今でも西の三悪人の取り巻きは保護誓約書が昔から続いていると思い込んでいる)
話はこれで終わりではない。一度どんぶりに入れた飯は何としてもは泥棒の本質であって諦めることはない。操はすべての山を取り上げるのを辞めて、一つの山に固有した。その山とは、そう、田中利彦氏からだまし取った権利山に隣接する桧林である。泥棒もここまで来れば大したものであるが、そういうことが今まで続けられたことに、園原水道返還金の横領があって、それもまた岡庭一雄が村長として協力してきたことにある。「操さは昔のことは何でも知っている」そのように、世代の代わった者達は受け止めてしまったのだ。
 操の思惑
操が表立って話をつけることが出来ないとなれば、そこは園原財産区の総代田中友弘を使うことであった。ある日、田中友弘は私を訪ねて来てこう言った。「章文さ、初穂さから権利山を部落で買ってくれとの話があって、四つあるんだけど、一つは操さが菊美の山の隣だからそれを30万で買うので、操さが俺にも一つ買えと言っているので、仕方が無いので20万円の山は買うようにしたんだけど、長平の山が一番大きくて、それが80万円だと、その山は章文さの山の一帯だから章文さが買ったらどうだと操さが言っている」令和4年4月28日

 初穂さは別家
この時点で操の思惑は全て読めたが、まだことを明らかにして遣り合う段階ではなかった。「そうか、いまいち良く分らんのが、初穂さは別家であって、俺に買ってくれと言うのであれば、親父のところに話が来るはずだ」たとえ父が病に伏していたとしても、別家と本家はそれが筋である。
初穂さんの言う昭和80年の約束事は、初穂さんが中心になって進めた権利山の分割がもとになっており、園原を離れる者は権利山を園原部落に返還することを基本とされていた。確かに、裸山を20万30万で買わされて、巻き落とし(雑木を整理すること)をして桧木苗を植えた。それが大きくなる前に権利を手放せとするのであれば、20万30万に植林手間を加えた50万円の買戻しは、決して高い金額ではなかった。阿智村を離れる者は財産区の権利まで放棄するに、50万円であれば、園原財産区は儲け話であることだ。
 操のでたらめ
初穂さんが150万円で権利山を放棄するとの話を、150万円と言う金額で判断することに間違いが有った。集会所の建設や井水の整備のために、園原財産区が権利者に地上権を付けて分割した山につき、昭和80年の約束事がなされただけで、それ以前に取得していた権利山の放棄は全く別の話である。初穂さんは昭和80年の約束事がなされた山を「50万円」と、他の権利者と全く同じ金額を提示していた。他の三つの権利山は、昭和80年の約束事以前に取得していた権利山であった。50万円の山は、田中利彦さんの分割山に隣接していると説明したが、田中利彦さんは操に60万円で権利を売っている。それを操が金を支払わなかっただけのことで、分割山に違いは無い。初穂さんが50万円と言うのに対し、操は30万円として田中友弘財産区総代に話をつけた。ようは、50万円の山を30万円で買うとしたのだ。他の三つの山は分割山でなく権利山であって、それらの合計が100万円であったのだ。
この話、二度も初穂さんからじかに聞いている。なぜ二度も聞いたのかと言えば、私がそれらの山をすべて買ったからである。令和4年4月30日

 盗人猛々しい
操も孝志も盗人である。ここまでくれば血筋だろう。鶴巻荘の支配人の立場で横領と賄賂を繰り返し首になった孝志、マイクロの運転で幾度となく事故を起こしてもいたが、西地区においても幾度も事故を起こしている。やはりどこかに欠陥があるのだろうか? とすれば、盗人猛々しいがまさに言えて妙である。
 騙されるわけ
初穂さんの話を最初に聞いたのは、熊谷寛部落長とともに初雄さんの家に出向いたからである。渋谷章行が操の指示で初雄さんに話をするに、「園原財産区のことに口を出すな!」と一括した。それで困ったのが操であって、その話を田中友弘財産区総代に振った。分割山50万円の山を30万円に引き下げ、権利山をそれぞれ80万・20万・20万と振り分け、80万を私に買え、20万を友弘に買え、このように割り振ったが、私が断ったことでそれは破綻した。こうなれば、もはや操の出番は無い。そこで困ったのが操であって、園原部落に買えと言うならば部落長が話をつければよいとしたのである。熊谷寛部落長は養子であって、財産区のザの字も知らない。だからして私に同行してくれと言うわけだ。私としても会いたくもない初男さんであったが、副部落長であれば仕方なく、そして、知っている話を初穂さんから聞くのであった。
 寡黙な人
あたふたするのは熊谷寛部落長で、何をどうして良いかと話が振られるに、「部落会を開いて相談します」が、初穂さんの怒りを抑えることで、あとは責任を持って対処すると誠意を示すしかない。だが、初穂さんは150万円の内訳を話さなくあった。そこまでの話が聞けなければ、部落会を開いても説明が出来ない。だからして、一人初穂さんの家に出向いたのだが、そこは身内の話が先であって、父の闘病へのお礼も兼ねていた。令和4年5月2日

 こじれた話
初穂さんから詳しく話を聞けば、やはり50万円の分割山を60万円としていた。あとは20万円の共同山の権利(ここでも操は横領をしている)残りの山は10万円の小さな山と、私に買えとした山は60万円であった。やはり操の汚さだ。そして部落会を開くに、操は手を回して反対に回った。
 財産区のザの字
財産区を詳しく知るにはネット検索で十分だが、地方自治法で制約するのは財産への賦課金の免除であって、収益は福祉に還元する、積極的な事業の禁止などがあるが、それぞれの財産区にはそれぞれの決め事がある。園原財産区で決められていたことは、「この地を離れる者は、身内、または園原財産区権利者に権利山を転売、または譲渡すること」が、決められていた。初穂さんの権利山は二つだけであって、あとは共同山と分割山である。この整理が誰もつかないことに、話しのむずかしさが有った。
 分割山
分割山は、集会所や井水の整備資金のために設けられた園原財産区の手段であり、財産区山林の一部をそれぞれ分割して、財産区権利者全員に購入させた山である。権利山の取り扱いとは違い、売ろうが売るまいが勝手であるが、中央道恵那山トンネル工事においてやむなく園原を離れる者に対して、園原部落は50万円で買い戻したのである。しかし、何でもかんでも50万円とはいかないのが、買わせたときのバラバラの値段であった。買わされる裸山を20万30万50万とあれば、誰でも20万の山としたい。売れ残った山は、50万の山と足場の悪い山である。50万の山を買った初穂さんは、50万円での買い上げを拒み、桧が成木となる昭和80年での山の価値で判断していただきたいとしたのが、昭和80年の決め事であったのだ。当然にそれを記した園原部落との書付が見せられたのである。令和4年5月4日

 財産区の権利者
初穂さんも、分割山と権利山を一緒の話として園原部落に買い戻せと言ったのが混乱のもとではあったが、そこまでの話が通用する者はそのとき2,3人しかいなかった。そのような状況でこの話をまとめることは到底できないとして、少し期間を置くことにしたが、昭和80年はすでに始まっていた。
 平成17年
昭和80年は平成17年で、平成17年は、私が部落長であった。操は私が部落長になれば、その話を伏せることにしたようで、また、議員であれば部落会にも出て来れない。それを幸いとして、この話を無かったことと進めていた。「50万円などと言う話は俺は知らん」この話は、中央道恵那山トンネル工事において園原を離れる者に対しては、分割山の放棄に限って部落が50万円で買い取ると言う約束だが、この話を操は知らぬことだと突っぱねた。幾度か役員会を開いて議論するに、操の手は回っており、誰もかも口が重い。その辺りの情けなさが操を増長させるのだが、後ろめたい者ばかしであるは違い無い。
 見識不足
操に逆らえば、何をされるか分からないとの怖さがあったと思うが、頭がついていかないことに多くの原因がある。財産区がどのようなものなのか、園原財産区はどのような歴史をたどってきたのかを、父や祖父から聞いていた者などほとんどいない。なぜか? それは至って簡単な話、財産区の権利者となって日が浅かったからだ。明治になって名字を名乗ることの意味を知らず、集落をまとめて村が構成されるに、氏名をもって不動産登記が行われるようになった。田地田畑に限らず、山林もまたその対象になったが、山林のほとんどは入植者の生活の一部(炭・堆肥落ち葉)に利用する慣習であることから、入会権として集落が管理するとなったのだ。だが、これを先導するが名主(庄屋)の役目であったことに、園原集落は熊谷一族がそれにあたった。熊谷一族以外は入植者であって、入植者にも名字と入会権が与えられたのであるが、財産区(耕地)の管理は熊谷一族が仕切っていた。
 曾祖父の時代
私の祖父熊谷清は明治の生まれであるが、入会権を進めたのは曾祖父熊谷栄太郎である。草薙剣を天皇に献上したくらいであるから、財産区の成立にも惜しげなく山林を分け与えている。欲が無いとかのことではなく、それが天皇に仕える役目だと考えてのことだ。長く三種の神器を熊谷一族で預かるに、それはまさに天皇あっての国であって、至極当たり前のことであったのだ。だからして、園原財産区の一切は、熊谷一族の管理のもと行われてきたのである。令和4年5月6日

 昭和の時代は三代目
熊谷初穂さんは別家の二代目である。初穂さんの父は銀次郎と言い、熊谷栄太郎(曾祖父)の弟である。祖父清と初穂さんは従兄同士となるからして、分割山の件を、父と二人で仕切っているのだ。明治22年ころの曾祖父の時代に財産区は整理されているからして、初穂さんの父銀次郎も別家として、財産区の立ち上げに尽力している。このような経過を見れば、初穂さんは財産区のすべてを仕切るとするは当然で、昭和80年の園原部落との取り決めに操が言えるものは何もないし、権利が与えられた入植達が詳しく知るところにもない。
 無かった話
平成18年、部落長は和美(操の甥)に移った。そして、昭和80年は封印された。私は両親の介護に追われ、その話を続ける状況になかったが、頭の片隅に残っており、どのようにすればよいかを考えあぐねていた。初穂さんから詳しい話を聞きだした以上、このままにすることが出きなかったし、部落会を開くにも権限が無く、改めての話もなかったが、思わぬことがきっかけになった。
毎朝7時半に飯田病院に入院している母を見舞ったが、その日は朝に用事があって昼休みに病院に向かった。母へのお見舞いにと、初雄さんの奥さんがベット脇に居た。身内の見舞いはうれしくあると同時に、初穂さんとの話がそのままであることに気づかされた。奥さんの帰り際、「山の話があのままなので、近いうちに駆りていきますので叔父さんに伝えてください」と、思わず言ってしまった。
忙しいを言い訳にしているのに気づいた。しかし、これからどうしたらよいのかも分からぬのに出向くと言ったが、うっすらと話をまとめる方策も同時に頭に浮かんだのであった。令和4年5月8日

 何もしない部落長
思い起こせば師走のころであった。たしか、餅つきをして、お供え用と鏡餅を持って初穂さんの家に出向いた。母や父へのお見舞いのお礼が挨拶言葉になるのはやるせないが、それでも間を持つには役に立つ。早速ですがと話に入るに、もうどっちでもよいと言いながら、初穂さんは前にもまして活舌であった。一通りの話を聞くに、やはり昭和80年の約束事は、初穂さんと園原部落が決めており、その書付も見せられたのだ。
 立場がない
権利山や分割山は、登記が出来ないために契約事項が存在しない。それを補うためには、双方が書付を交わすことであった。その点、初穂さんはしっかりとその約束事を書面にしていたのだ。この書付は今まで園原部落から出て来ない。部落金庫の中に存在していなかった。初穂さんは執拗に、部落に有るはずだと言い張る。初穂さんの書付が有る限り、園原部落に無いはずがない。「初めて見ました」と受け答えれば、それから続く言葉は出なくあった。なぜ無いのか? その答えを知っているのは操だけである。この話を聞いたとして、これで部落と話し合うのは無理なこと。証拠がない限り、新たなもめ事が起こるだけである。どうしたものかと考えあえぐ前に、すでに答えを用意していた。「良く分りましたが、今は部落長でないので立場が有りません。そこで、身内からとして部落に話をかけてみます。そこでお願いなのですが、150万円をいくらか下げてもらえませんか?」操の手において伏せられてしまった昭和80年の約束事、これを今更持ち出してもまとまる話ではない。150万円で部落に買ってくれとの話が独り歩きしたに、いくらでも金額が下がれば、良い山だから部落が買い戻した方が良いと、そんな交渉が出来ると考えていた。令和4年5月10日

 部落長は和美
平成18年の年末に部落会が開かれたが、それは来年度の役員を決める会議であって、他の議題は含まれていない。この様な話をするには事前に部落長に話をかけるのだが、和美は私の話を聞こうともしない。そして部落会が開かれたが、そこに部落長の和美は居なく、副部落長の孝志が仕切り始めた。これは不味いと思ったが、そそくさと駆け寄り、「話が有るので、最後でよいので時間をください」とお願いした。
 昭和40年の話
昭和80年に清算するとの話をしたのは昭和40年である。40年後にその決着を見るのは確かに困難で、私ですら聞いた話でもなかった。だが、父もしっかり覚えており、初穂さんがなぜ俺のところに来ないんだと、そんな事ばかしを繰り返していた。
部落会の最後に、昭和80年の約束事を一通り話した後に、それぞれの山について、初穂さんから預かったそれぞれの山の写真を見せるに、確かに操が欲しがった山(分割山)は見事な桧山で、桧一本一本がきれいに枝落としされ、いつでも切り出せるほどの状況であった。
写真を一通り見せ回した後に、「それぞれの山が有りますが、その4っつの山を初雄さんは森林組合で見積もりをしており、その合計金額は150万円です」「しかし、初穂さんにもう少し負けていただけないかとお願いしましたら、120万円で話がつきましたので、部落で買っていただくと言うことでどうでしょうか」と、話し切った。
 新旧の堺
財産区そのものを知っている者は、27人中で四人もいない。それほどの代替わりで40年前の話をしてもまとまる話でないからして、現実的な話で進めたのだが、ここで意見を言える者は二人しかいなくあった。その二人が「いい山だなあ」、「部落に金が有るんなら買っておいた方が良い」と、それぞれ口にしてくれた。ホッとすると同時に、それでは初穂さんにそのような返事をしてよろしいですかとはかってみれば、ここで孝志からチャチが入ったのである。令和4年5月12日

 親父に聞く
「その話は親父から聞いているが、…」そのような言い方であったような気がするが、親父の聞いてはいるが詳しいことは何も分からんし、部落長もいないとか何とかで、話の腰を折られてしまった。しかし、ここでまとめなければ駄目だとの思いで、「部落が買うとのことは書付がある」買うとか買わないの話ではなく、150万円の価値がある山を120万円で買えると言うことだと強く言い放った。そこまで言えば孝志はそれ以上口をはさめなく、では、買うことでよろしいでしょうかと周りに振ったが、いつもの風景、誰もそれ以上口を開かなくあった。その様子で孝志は調子に乗り、今のところはそういことで良いんではないですかときたのだ。
 年度末
もう和美の部落長交代はそこまで来ていた。少し延ばせば役員交代だが、次年度は孝志が部落長なら操の圧力は消えはしない。どうしたものかと思案するに、やはりこの場で確実にすべきだと考え、「買うことは了解でよろしいですか?」と念を押し、これからの話は財産区の総代と二人で進めるがよいかと言い放った。
兎にも角にも買うことに決めたが、その話を進めるに部落長の和美や副部落長の孝志では話にならないどころか、反対に回るは目に見えていた。だからして部落長の介入を阻むには、「山の話は財産区だ」で、まとめたのである。
 時期が悪い
正直な話であるが、私はこの時精神状況も含め、めいいっぱいの状況であった。阿智村(岡庭一雄村長)を相手に裁判を起こし、勝てない裁判に奔走していた。この裁判の裏には「園原資料館官製談合」があり、岡庭一雄はもとより、時雄やホテル阿智川の山口会長は虫の息であった。令和4年5月14日

 介護が中心
母は入院し父は自宅介護、毎日毎日神経がピリピリしていたが、それでも事の分別はついていた。初雄さんの山を買うことで話はついたが、孝志が全くそれを無視しており、瞬く間に月日は流れて平成19年も終わりに来ていた。もはや限界としていたが、部落会が開かれなければ話しも出来ない。我慢を重ねて12月の部落会で120万円の支払いを求めたところ、孝志は言葉を濁し会計へ話を振った。「はい分かりました」と返事ぶりは良いが、たいして中身を分かっていない会計に、これ幸いとして支払時期を確認すれば、年度末の役員手当支払いと一緒にしたいと言う。ここまで来れば慌てる必要もないが、何か嫌な予感がしていた。
 親父が血を吐く
その頃の親父は週に三日とデイに通い、時にはショートステーというサイクルで介護をしていた。平成20年2月末、デイで拾ったノロウイルスか、おやじの体調が悪くなった。飯田病院に入院すれば、面会は消毒とビニル製の支度が余儀なくされたが、1週間の入院で家に帰ることが出来た。退院してから数日後、親父はベットの上で血を吐いた。抱える腕の中で泡を吹き、もはやこれまでかと思ったが、呼びかけに応え生がついた。救急車に運ばれるに、それはノロウイルスからくる胃潰瘍だという。そしてまた入院となったが、夜の付き添いがいるという。その日から、妻と交代で病院に泊まることにした。
3月13日、熊谷秀二(副部落長書記)から電話が入る。「初穂さの山の件だけど、操さが買う必要などないと言っており、その話を14日の夜7時半から話すことになった。出てきてくれんか」と言う。また始まったと、操の汚さに嫌気がさすが、この際であるから白黒つけるにはちょうど良いと思ったが、その夜は私が親父の付き添いであるに、妻に詫びて連泊してもらうことになった。令和4年5月17日

 親父の死
操は怒気にあふれていた。一番良い山を安く買うとした目論見が外れた上に、私が仕切って話をまとめたことにその原因は有った。だが、こと財産区については私に逆らえないと知っている。では、どのような言い分なのかを聞いたうえで白黒つけるつもりで出かけたが、全くに他愛もない話に終始した。「買う必要がない!」と声を荒げているだけで、ではなぜ買う必要が無いのかを聞いても答えない。これではただの口喧嘩であって、それは収拾のつく話ではない。そのうちに「元は園原部落の山だ。園原から出て行った者は放棄していくものだ」と言い出した。ほう、では元は園原部落の山だとのことはどうして言えるのか? と問いただせば、分割山の話しじゃないかと、少しは間尺に合った話が出てきた。そこをつつくに、園原部落とは園原財産区のことで、財産区の分割山は初穂さが中心になって進めている。たしかに部落から出ていく者はその権利を置いていくが、出ていく者に関しては、分割山の権利と財産区の権利を放棄するを条件に、部落では50万円支払っていると話せば、「俺はそんな話は知らん」と開き直る。これでは確かに話に余る。こんなやり取りをする中で、突然携帯が鳴りだした。騒ぐ操を横目に携帯を見れば、それは妻からであって、嫌な予感がした。がなる操をそのままに、台所に逃げ込んで携帯に出れば、「お義父さんがもうだめだって」涙声が聞こえてきた。
 始末
病院に駆けつければ、もう父は死んでいた。死に目に会えぬつらさは尋常じゃない。ここで初めて操を恨んだが、操も察したもので、父の葬式に出て来なくあった。
初穂さんの山の話は宙に浮いた。平成19年の部落長は熊谷秀二である。操に言われれば言い返しがが出来ないのは、秀二より妻の理由によるが、どっちにしても無かった話にされてしまった。これでは初穂さんに言い訳が出来ないのは私であって、だからして、私が買うとして頭を下げた。初穂さんの奥さんと操がいとこであるに、ここで操のみの字も言えないが、部落で話が出来なかったとも言えなかった。初穂さんの山は良い山だから、部落に安く売っても悲しい。私に売ってくれないかと頭を下げた。令和4年5月18日

 俺が財産区だ
父が亡くなったことで、操は園原で怖い者が居なくなった。あとは時雄と組んで、私をのけ者にすればよいだけである。そんな折、熊谷義文村会議員の叔父である熊谷里巳さんから相談された。「章文さ、操さの紹介で、財産区に入れるとのことで共有林を50万円で買ったのだが、これからどうしたらよいのか教えてくれんかな」里巳さんがこの話をしたのは、里巳さんが大津屋新聞店の集金で私の家に来た時である。里巳さんは次男坊で別家したが、大した財産は受けておらず、二間程度の小さな家で暮らしてきた。別家には財産権が無いことで、だからして操に騙されたのだ。
 共有林
共有林とはもともとは財産区圏内に有る山を共同で植林して管理しているのだが、権利山や分割山とはまた違う性格を持つもので、財産区権利者とは違う山のことである。それら共有林の権利を購入したとしても財産区権利者にはなれない。里巳さんは別家であるがゆえに園原財産区のことを知らなかったのだ。
どうしたらよいのかと言われても操に騙されたとも言えない。苦渋の末、「どこの共有林を購入したのですか?」と聞けば、そう、私が初穂さんから購入した共有林と同じであった。では、誰の権利を購入したのですか? と聞けば、「田中千徳さんの山」だという。田中千徳? この人は一昔前に園原部落から出て行っているが、出て行ったとして共有林の権利は失うものではない。おかしな話が重なったが、操がだましているなどは聞くまでも無い。
 操の卑劣さ
操と田中千徳氏とは犬猿の仲であるは園原部落の年配者は知っていた。田中氏は山本の二つ山に引っ越していたが、しばらく前に亡くなっている。亡くなったことで、操はこの話を里巳さんに振ったのである。 「千徳の山を買えば園原財産区権利者になれる」この様に持ち掛けて50万円を手に入れたのだが、里巳さんの奥さんは操と確か従姉であったはず、そんな関係でも騙すのだから、相当な悪である。義文もそうだ。自分の叔父がだまされたり、水道返還金を横領されたりしても、操の仲間になって隠蔽する。どう考えたって普通ではない。令和4年5月20日

 後始末
「千徳さんは亡くなっているが、領収書はいただいているのですか?」、「領収書?いいえ」、「え!?息子さんからは?二つ山に居ますよ?」、「……よく知らんのだが…」、「そうですか、ちょっと待ってください」と言って、初穂さんからの領収書と文書を見せた。「権利山とか分割山の売買には、その過程を文書にして、この様に領収書も付けています。これをコピーして森林組合に出して、林班図に権利が移行したと届けておかなければ」と話したが、何のことかまるで分っていなかった。
 盗賊一家
里巳さんがこの話を私に言うくらいだから、甥である義文にも当然話したことだろうが、義文は操と話をつけるような男ではない。操にすり寄るのも勝手だが、身内が騙されるに知らぬふりは、私には分からない。こういう悪循環が操をのさばらせるのだが、泥棒癖は見境なく、よくもまあとあきれるばかしである。里巳さんも、もうこの世にいない。それを良いことに泥棒一家の悪行は一体どこまで続くのであろうか。
 なびく者
操の威力は相当なものなのだろう。何がそうさせるのかと言えば、やはり各自に疚しさがそれなりにあるということだ。どっちにつけばの心持は誰にもあるかもしれないが、損得勘定で犯罪を図れば、やがて自分に振りかかるもので、それが今、回ってきたと気づくべきだ。
裁判での決着は避けたくもあったし、そこに向かえば誹謗もされるが、始めて見ればそれなりで我関せずが多くなった。そこが面白くもあれば、また人のいやらしさも感じられるが、案外本質をつくようである。どちらにしても裁判は順調に進み、答えはもうそこまで来ている。令和4年5月22日

 訴状
村八分とは、ずいぶん時代錯誤な言葉にあるが、その村八分が今現在も行われることに、この地区の異常さがある。具体的な事例を連ねるに、我ながら感心するはいつの間にか訴えるに向かっていたことに有る。たしかに、菊美の一声「章文さが部落会に出てくるなら俺はもう出ん」から記録に残したが、その時点で訴えるなどみじんも無かった。今になって弁護士には相談したが、この様な現状の原因は、操の横領を熊谷秀樹村長が隠蔽したことが前提でのことだ。また、村八分で訴えることで、操の横領を証明できる部分が有るのも事実である。 訴状と証拠を開示します。 訴状村八分     クリックしてご覧ください。
 共同絶交
熊谷操の横領は、もはや知るところにない状況だと言われるが、村民のどなたも、操の単独犯だと考えている。少し思慮していただきたいが、園原部落の会計から横領したのであれば、私は部落内で片を付けた。金の出所が阿智村であって、園原部落の会計に振り込まれていないことで熊谷秀樹村長に相談した。それからあとは熊谷秀樹村長の言うとおり、「熊谷操の横領ではない。熊谷操に管理料を支払っていただけだ」という流れになった。その結果、熊谷秀樹村長に相談した平成28年の4月以降から、私への共同絶交が始まっているのだ。令和4年5月23日

 4月27日口頭弁論
この日、操の裁判と同じくして裁判が開かれた。それは簡単な理由、弁護士も同じなら争いも同じ原資であることで、裁判官が意をくんで同日に行われた結果である。どのような答弁書が相手から出たかは、今月末に開かれる期日が済まないと公開できないが、それより、4月27日に弁論が開かれたのに、たったひと月で次回の期日が開かるのは相当に早い。今までは早くて一カ月半から二か月、盗伐裁判なんかは二月半から三か月であった。なぜこうも早いのかと言えば、まあ、空いていたこともあるかもしれないが、操の裁判がすでに終盤に向かっていることもあり、村八分が操の横領に発することだと、弁護士が理解したことだ。
 村八分の原資
空き缶の不法投棄や井水の遮断は、誰がやったのかが明確でないために訴えの原資とはならないが、村八分の現状としては大いに効果がある。菊美は「不法投棄はやっていない」と否定の反論が有ったが、菊美がやったなどとこちらは言っていない。だが、井水に関しては、菊美は否定して来なかった。被告らの反論は「使用済の通帳を返さなかったからだ」であり、そこにまた、操の個人通帳(園原部落特別会計)の写しが証拠として出され、「この通帳を勝手に解約した」ことが悪いんだと、「村八分になったのは原告に原因が有る」と言い訳を綴っていることが面白いが、これでは、村八分(共同絶交)を否定できていない。
訴えの原資は何であるのか? 「回覧板が回ってこない」と「村道の除雪をやっていない」の二点だけである。
 直球勝負が出来ないわけ
熊谷操の横領を熊谷秀樹村長に告発した時点から村八分は始まった。村八分の原因は、熊谷操の解約済個人通帳の返還に私が応じなかったせいだと被告らは主張したが、この主張は操の横領を認める証言になる。なぜこのような反論をしたのかと疑問に思うが、被告弁護士から見れば村八分などどうでも良いことで、まして回覧板を回さないないことは、すでに敗訴として扱っているだけである。
操の裁判において被告弁護士が反論できるのが“補償金”であること、そしてそれの唯一の裏付けが、この解約された操の個人通帳なのである。原告は部落通帳を勝手に解約した。ここを事実としなければ、操の個人通帳であることが証明されてしまい、ついては、補償金が存在しないことになってしまう。令和4年5月25日

 給水停止との絡み
令和3年10月28日、突然に自宅の量水器が撤去された。そこには、“給水停止執行命令書”なる文書が添えられていた。なぜ量水器が撤去されたのか? 阿智村は、水道料を支払わないのが原因だと言う。まあそれは良い。どちらかと言えば、量水器が撤去されなければ次が始まらないと考えていたのは私である。私はわざわざ阿智交番の所長に立会いを求めた。所長に給水停止執行命令書が本物であるかを確認させたが、それは正直な話どうでもよかった。私は、「量水器の撤去は認めます」を確認させたかっただけで、それは、量水器の撤去しか阿智村は出来ないからだ。
 本管切断
ここで村八分が関係するは、「別の配管が有る」と菊美が井原清人生活環境課長に注進したことに有る。菊美が告げ口したのかがなぜ分かったのかと言えば、熊谷泰人市会議員が、熊谷秀樹村長と井原清人生活環境課長の三人で、この給水停止について話し合ったからだ。そこで熊谷泰人は何を言ったのかは、「園原水道は私の祖父が道路公団と掛け合って敷設した水道だ」「操の横領は園原部落の者はみんな知っていることだ」「章文さんの水道を止めれば私の家の水道が止まるのを村は知らなかった」で、「なぜ本管を切断したんだ」に対して、「通報があった」と答えたようだ。話しぶりに、菊美が通報したと判断したと言う。
熊谷泰人市会議員が何故乗り出したのかは、切断した本管から熊谷泰人邸までを新たに村が敷設すると井原清人生活環境課長が告げたからである。そんな馬鹿なことをやってはいけない。住民監査請求に充と進言したと言うが、「ここまで来たら引くに引けない」と、熊谷秀樹村長が言ったそうである。この話、市会議員の話として重く受け止めなければいけないのは阿智村民であって私ではない。これ以上、何を話し合ったのかは、いずれ表に出てくることだ。それが公人の役目である。令和4年5月27日

 田植えが出来ない
被告熊谷繁の父親熊谷寛が、「重機が不法に置かれて田植えが出来ない」と、阿智村と警察に連絡を入れたようである。田植えの時期だからと思われるだろうが、この重機、昨年の11月から置いてある。なぜ重機を置いてあるのかと言えば、重機が壊れて動かないからだ。なぜ壊れたのかは、見知らぬ黒パイプが私道に隠されるように埋められていたことで、その黒パイプがゴムキャタピラに絡むのを避けようと重機を振り回した結果、キャタピラを回すドラムの油圧が馬鹿になって動かなくなったのである。
黒パイプの正体

20年位前の話になるが、熊谷泰人が章設計の社長であるときに、突然に重機を買ったと話があった。60万だと言う。そして半分出してくれないかと言う。見ればポンコツである。買ってしまったとの話であるに、いやとも言えず買うことにしたが、60万円はすべて私が支払った。泰人は数日使い、もう使うことはしなくあった。有ればあったで何かにつけ利用したが、とにかくあちこちが壊れて、ついにはゴムキャタピラの両方まで交換した。それでも修理屋さんが言うには、もう油圧が気ないのでいずれ動かなくなりますよと、冷たい言葉が投げ枯れられたが、すでに購入金額を超えてしまった修理代に、これ以上の費用はかけられなくあった。
そんな状態であるに、山道の勾配を抜こうと、重機はしばらくの間林の中に置き話し状態でありましたが、冬が来る前に自宅に戻そうと移動したのですが、排土板がさびて固着してしまい、坂道で土を掻くように移動していたのですが、それがいけなかったのか、黒パイプを掘り出してしまったのです。
そのようなことで重機は動かなくなったのdすが、そもそも、黒パイプがなぜ埋められていたのかの方が問題ではないでしょうか。令和4年5月28日

 排水管切断
給水停止執行命令書により量水器は撤去されたが、阿智村の権利は量水器の撤去しか存在しないが、このことが、熊谷秀樹や井原清人のような共産党には分からないようだ。

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