日本一の星空で一躍脚光を浴びたヘブンスそのはらであるが、その星空の下で多くの行政犯罪が発生していたことは、まだ、知る人ぞ知るの領域である。 行政犯罪はどのような犯罪なのかと言っても行政犯罪の言葉は法律用語でないから理解しにくい。 単に、行政が行った犯罪として解釈しても厄介なことに、行政とは法律を実行するための組織であるからして、法律が適用されないことにある。 法律が適用されなければ行政は成立しないことになるが、実際に行政犯罪が実証された場合において、国は、どのような処置をだせるかといえば、対象の行政団体を潰すとなる。 そしてその潰される状況にあるのが、日本一の星空、阿智村なのだ。
このブログにおいて、いくつかの行政犯罪を暴いてきたが、ここに来て、もう一つ大きな行政犯罪が有ることに気づいた。 たった一つの行政犯罪でも阿智村は潰されるが、それが二つも三つもとなれば、もはや何がどうなるのかは誰も想像に及ばないだろう。 しかし、結果を考えることではなく、為すべきことは、その行政犯罪がなんであるかを特定し、直接的な犯罪者が誰であるかを知らしめることだ。 令和4年9月7日
隠れていた行政犯罪
鶴巻荘の積立基金5億円が消えていることで、一般財団法人阿智開発公社の運営に疑問を持ったが、そこはまさに伏魔殿であった。 この団体の理事長は阿智村の副村長とされてきたが、それこそ社団法人から一般財団法人に変更されるに、岡庭一雄村長は羽場睦美を理事長に据えた。 そこにどのような思惑が有ったのかと振り返れば、オリックスからヘブンスそのはらを買い取る準備であった。
積立基金5億円
もともとに、岡庭一雄村長と熊谷時雄が鶴巻荘(昼神温泉:阿智開発公社が運営)を指定管理者扱いにさせるに、その狙いは鶴巻荘の積立基金5億円の使いどころにあった。 財政に組み込む必要のない5億円ともなれば、横領を常とする岡庭一雄と熊谷時雄が放っておくはずがない。 5億円を自由にするには、まず鶴巻荘の経営から阿智開発公社を切り離すことにある。
そうして、鶴巻荘の経営は、降ってわいた共産党の小野に経営が託されているが、それで阿智開発公社を解散するかと言えばそうではない。 これも同じく、共産党の羽場睦美を理事長として、湯ったり~なひるがみ・熊谷元一童画館・園原ビジターセンターなどの指定看視者として残している。 社団法人阿智開発公社を指定管理者とさせて公共施設を運営させるのであれば、一番収益が上がる鶴巻荘を手放すことにどのような理由が有ったのか? これを権力と言うのであれば、それを認める村民も共産党も無い。 この様な馬鹿気たことが普通に行われるに、それを伏魔殿と言わずして何とするかであろう。 令和4年9月9日
偽造定款
羽場睦美理事長は、「経営が苦しいので財団法人にしたい」と説明したと言うが、一般財団法人にして経営が良くなると言う根拠を示していない。 実際に税金面では全くに不利となるが、問題はそこではない。 これは単なる言い訳にすぎず、また、岡庭一雄の息がかかった理事者らであれば、「財団法人にしました」との報告会である。
鶴巻荘の積立基金5億円の話は、岡庭一雄が村長になる前からの話しであって、それら基金の使い道は、常に議会の関心ごとであった。 岡庭一雄が村長になった時、この5億円が智里農事組合の負債に回されるのではないかが議員らの懸念であって、それは常に議会でとり沙汰されてもいた。 このころの議会議員は共産党は一名であったが、やはり隠れ共産党(操・直勝)が居たことで、だんだんに岡庭一雄は本性を現している。
岡庭一雄の二期目ともならば、そこには時雄や原憲治・上原耕平と言った共産党議員が幅を利かせ、やがて時雄が議長になれば、やりたい放題の村政となった。 あとは言わずもがなであるが、さすがに鶴巻荘の積立基金に手は出せなくあったようだ。
因果関係
卵と鶏の話であるが、鶴巻荘の5億円は、必要にして消えたのか、消し去るが目的のどちらが先であったのかと言えば、やはり、岡庭一雄は、この5億円を消し去ることを考えていた。 あからさまでは泥棒であるに、必要にしての5億円となれば、それは大義名分の話しでもある。 岡庭一雄のこと、この5億円の使い道で思いついたのが、吉川建設がオリックスにヘブンスそのはらを売却したことにある。 そのことと鶴巻荘の積立基金5億円とどのような関係性が有るのかと言えば、吉川建設は、阿智村に断りもなくオリックスに転売することは無いからだ。 令和4年9月11日
皮算用
吉川建設がヘブンスそのはらを手放すことの理由に、本社機能(土建業)の経営が芳しくなかったことにある。そして吉川建設は八十二銀行の管理下となったが、ヘブンスそのはらを手放すなどは全くそこに無かった。売り時なのか? は、八十二が判断したことだが、オリックスを連れてくるとなれば、相当なる物件であったことだろう。さて、そこでだ。吉川建設が手放すとしても、当然に地権者組合や本谷園原財産区に話が無ければならぬことであるが、この話を受けるに財産区権利者と地権者組合員である私は話を聞いていない。いったい誰が吉川建設と話をしたのだろうか? 吉川建設は岡庭一雄村長に事情を話すには、当然にして八十二銀行が同席しているが、その場に同席できる者はだれかと言えば、熊谷時雄議員しか居ない。岡庭一雄村長にとっては、時雄は西の代表であって、不正行政の共犯者であったからだ。
オリックスとの契約書
オリックスがヘブンスそのはらを買ったとの話が駆け回るに時間はかからなくあったが、それらの事実はすべてが事後談話であった。そう、知らぬうちに白澤祐次がヘブンスそのはらの支配人になっていた。吉川建設のときは、渋谷吉彦が支配人であるが、「1千万円で株を持て」と言われたので辞めたと言っている。吉彦はプライベートのことは一切口にしない男で、わざわざそのような話をするのが気になっていたが、振り返れば、この時すでに時雄と組んで、契約金2千万円から1千万円横領していたのだ。ヘブンスそのはらを手放す吉川建設が、吉彦に1千万円の株を持てなどの話をするはずがなく、1千万円の不明に気付いた吉川建設が首にしただけのことだ。(この話も西地区ではすでに伝わっている)令和4年9月13日
ジェイマウンテンズグループ
兎にも角にもオリックスとの契約書と契約金が存在していないのに、地権者組合員の誰もが不思議に思わないことが不思議ではないか。オリックスが吉川建設から買い取った経営権、そこに新たな契約書と契約金の有ることは、考えることもない事実である。この件は他のコーナーで詳しく書き出してもいるが、オリックスがこの犯罪にかかわることは無い。この犯罪の首謀者が阿智村行政であることは、やがて鶴巻荘の積立基金の不明までつながることをこのコーナーで明らかとしていく。
社名変更
「平成18年 – 投資ファンドによりスキー場再生事業会社として設立されたジェイ・マウンテンズ・グループ株式会社が買収。」このように、ウィキペディアで紹介されている。投資ファンドとはオリックスのことで、ここで新会社「ジェイ・マウンテンズ・グループ株式会社」が設立された。ジェイのジェイはJPANのJの字であるが、同時にJTBのJでもあるは、JTBがオリックス株式会社の系列会社であることで説明がつく。今この話になぜJTBが登場するのかと言えば、ジェイマウンテンズグループから白澤祐次が経営権を買うに、設立した社名は「ヘブンスそのはら株式会社」であったのに、わずか一年後に社名を「ジェイマウンテンズセントラル株式会社」に改めているからだ。なぜ社名を変えたのか? それは、JTBがヘブンスそのはらの経営に参加したからである。なぜヘブンスそのはらにJTBが参加したのかと言えば、「日本一の星空ヘブンスそのはら」の仕掛人がJTBであったからだ。JTBが経営参加するに、投資無くしてそれはなく、事業再生するに、資金無くしてことは始まらない。それらの複雑な関係に、鶴巻荘の積立基金5億円と、ジェイマウンテンズグループ株式会社の契約金や両財産区と神坂神社の地代が含まれていることは、岡庭一雄村長と西の三悪人が知っている。令和4年9月15日
日本一の星空に隠された疑惑
白澤祐次に5億円を用意する力が無いとは誰でも知っているが、なぜ白澤祐次が社長になれたのかは、犯罪者以外誰も知らない。日本一の星空は白澤佑次の発案だと言う者もいるが、それは全くに違う。日本一の星空は、ホテル恵山とJTBの社員の発想である。(この辺りはネット検索で)昼神温泉の衰退を危惧する二人が発案し、昼神温泉組合が中心になって村に働きかけ、第三セクターの昼神温泉エリアサポートが設立されて日本一の星空が始まったのが平成18年である。
平成18年の出来事
昼神温泉エリアサポートが設立された平成18年には、日本一の星空の構想が出来上がっていることになる。そして順調に日本一の星空が展開していくに、この次点で白澤佑次の立場を顧みれば、白澤佑次は吉川建設が経営するヘブンスそのはらの従業員で、それこそ渋谷吉彦支配人が吉川建設から首が言い渡されたころだ。平成18年にヘブンスそのはらの経営はジェイマウンテンズグループ株式会社となるが、その時点でも白澤佑次は支配人(従業員)でしかない。なのに、白澤佑次はネット(日経XTECH)記事で「私が経営する阿智村のスキー場『ヘブンスそのはらSNOW WORLD』にも当然、影響は及ぶ。」と述べており、平成18年には「白澤佑次はヘブンスそのはらの社長であった」と、自ら語っている。話が合わない。なぜ白澤佑次は嘘を言うのか? いや、なぜ嘘を言う必要があるのか? だ。
ここで平成18年を振り返れば、ヘブンスそのはらの経営が吉川建設からジェイマウンテンズグループ株式会社が変わった年であることに気づく、それから平成23年までの5年間経営している。JTBがジェイマウンテンズグループ株式会社に経営参加していたは説明しているが、だからこそ、JTBの社員が恵山の社員と日本一の星空の構想を立ち上げた話と一致する。しかし、そこに白澤佑次の影は無い。令和4年9月17日
犯罪の境目
白澤佑次がヘブンスそのはらの社長になったのは平成23年であるが、日本一の星空プロジェクトは平成18年から始まっていたことは、それまでの5年間は、ジェイマウンテンズグループ株式会社の支配人として昼神温泉エアポートに参加していたことになる。そしてその5年の間に、白澤佑次がヘブンスそのはらの社長となることが画策されていたと見るのは不自然ではないが、白澤佑次とてヘブンスの社長になると考えていなかっただろう。それが社長になるは、岡庭一雄村長の力しかない。
JTBの動き
オリックスがヘブンスそのはらを買収するに、なぜオリックスなのか? が、長く疑問であった。八十二銀行かとも考えたが、オリックスであれば銀行は及びでないし、スキー場としても規模が小さすぎたからだ。だが、日本一の星空がJTBの仕掛けだと分かれば、オリックスを呼び込んだのはJTBとなる。平成18年の昼神温泉エアサポートの開設と同じく、ジェイマウンテンズグループ株式会社がヘブンスそのはらの経営を始めれば、まさにJTBがすべて仕組んだことになる。
これであらすじは判明したが、一つ腑に落ちないことがある。それは吉川建設のことだ。今までは吉川建設の本社が傾いたことでヘブンスそのはらを手放したと考えてきたが、JTBの仕掛けであればまったく違うことになる。そういえば、吉川建設の本社は不振でもヘブンスそのはらは順調だと言っていたのを思い出す。当時は業界(建設)でもその話題で持ちきりだったが、大概の見方は「コクサイの石田が手を引いたからだ」であった。そんな噂であれば、吉川建設が売りに出したと思われたのもしかたがないことだ。おそらくこれが事実であれば、吉川建設の方からヘブンスそのはらを手放したとはならないに、そうであれば、吉川建設は3億程度で手放すはずがない。令和4年9月19日
売り手市場
もう仮説ではなくなった。吉川建設は売りたくて売ったのではない。手放さなければならない状況に追い込まれたのだ。なぜそうなったのかは、日本一の星空を展開するに、そこはヘブンスそのはらしかなかったからだ。『真っ暗だから』それが理由である。その真っ暗なヘブンスそのはらは吉川建設が経営していた。吉川建設と組むことをなぜ考えなかったのか? といえば、早い話、吉川建設とJTBは何の関係もないどころか資金母体(金融)が違うからだ。たしかに、当時の白澤祐次は吉川建設が経営するヘブンスそのはらの従業員であったが経営に口出しできる状況でもない。それが支配人の澁谷吉彦が首になれば、その後釜とされている。
岡庭一雄の登場
平成18年に、昼神温泉エリアサポートが第三セクターで始まったとある。それは会社であることだが、その始まりが日本一の星空であれば、少なくとも、吉川建設がすでに手を引いた後になるはずだ。ジェイマウンテンズグループ株式会社の設立も同じく平成18年であるから、平成18年の初頭にはこれらの計画が出来上がっていなければならない。(吉川建設と地権者組合の契約日は平成15年1月17日であるから、平成18年12月までは経営を続けていることになる。おそらく、ジェイマウンテンズグループ株式会社と地権者組合の契約日は平成19年1月1日ではないか)
吉川建設に話をかけたのは岡庭一雄村長である。第三セクター昼神温泉エリアサポートを設置した上で、村長から『ヘブンスそのはらを第三セクターの経営に戻してくれないか?』と持ち掛けられれば、吉川光圀社長は嫌と首を振れないところに在るし、第三セクターでは失敗の経験もあることだ。(吉川光圀氏に近いうちに話を聞こうと考えています)令和4年9月21日
契約金が消えた
阿智村で買い戻したいとの話に、それであれば売り手市場である。3億円は聞こえてきた話ではなく、噂の範囲を出ていない。吉川建設がオリックスに買ってくださいと頭を下げるのであれば話は別だが、阿智村からの話しであれば値段も付けられようものだ。そして問題は契約金の取り扱いである。阿智総合開発株式会社からの契約金2千万円を引き継ぐに、その契約期間は最大の30年間であった。吉川建設の都合で手放すのであれば2千万円は置いていくものだが、阿智村からの話しであればそうとはならない。しかし、契約は地権者組合とであって、契約金は地権者組合(財産区の貸金庫)で預かっている。地権者組合に何の話が無くて進められるものではないが、そこに登場するのは当然に西の三悪人であることだ。
行政犯罪の始まり
ヘブンスそのはらの始まりは以前のブログで詳しく書いてきたので省略するが、黒柳村長はヘブンスそのはらが開設する前に去っている。そして始まるに、契約書の類に登場するのは山内村長であった。岡庭一雄は平成10年から村長になるに、なぜかその翌年には多くの書類(行政書類)が書き換わっているが、山内村長時の書類を書き換える理由がどこにあったのかと言えば、やはりヘブンスそのはらにかかわる書面であることで、それも書き換えでなく偽造偽装の類である。行政書類を偽造偽装するに、それが表に出ることを必要とせずであれば、まさに議会対策のために偽装したと考えられる。その様な書類で議員を騙せるのかとの常識的な疑問を持つなかれ、議員も仲間だと解釈すればよい。
そんな中で、偽造偽装でない確認書なる契約書が存在する。その確認書は平成15年1月17日付になっており、地権者組合と吉川建設と岡庭一雄村長が名を連ねているが、問題は何を確認した書面であるのかと言うことだ。重要な内容に『平成6年7月26日付、確認書保証金の積立「保証金は地代の2年分(積立金額2000万円、JAみなみ信州農協)」を、「保証金は地代の半年相当分(400万円)とし、地権者組合に差し入れる」に改定する。』が、「2.保証金積み立ての件」の条項に記されている。令和4年9月23日
保証金の確定
阿智総合開発株式会社と地権者組合との契約に関する保証金は2千万円であったことが確定した。だが、飯田信用金庫駒場支店ではなく、JAみなみ信州農協の口座に入っていたと言うが、この通帳を確認した者は誰もいない。
私は本谷園原財産区の総代で会計役をやっているが、飯田信用金庫内にある貸金庫は確認している。その時に本谷園原財産区の定期預金通帳は確認したが、それは阿智村から振り込まれていた地域振興補助金を積み立てたものである。貸金庫にはJAみなみ信州の通帳ではなく、阿智農協園原支所の通帳は確かにあったが、それは阿智総合開発との契約は平成6年であれば、みなみ信州農協ではなく、まだ阿智農協であったからだ。それが平成15年の確認書において『みなみ信州農協』とあるは、阿智農協が合併したからである。
保証金400万円
2千万円の保証金を400万円にして、それを地権者組合に差し入れる?? この意味不明な内容な何なのだ? それもなぜ平成15年という中途半端な時に変更したのだろうか。その答えはすでに出ているが、この400万円に目を向ける必要はない。問題は、残った1600万円の保証金の行き先である。吉川建設との確認書であるは、他のどこにも関係が無い保証金の取り扱いで、吉川建設には「保証金は400万円で良いですよ」と言っていることだ。元々に保証金は吉川建設の物ではなく、阿智総合開発株式会社が出したものだからして、400万円に減らされようが関係ない話となる。(この確認書は西の三悪人と岡庭一雄、そして地権者組合長である佐々木毅文しか知らないことだ)この400万円は、この時点で換地費用として扱われることになった。令和4年9月25日
保証金1600万円
この時、阿智総合開発株式会社が用意した、保証金2千万円は消えたのだ。そして吉川建設との保証金は400万円となったのだが、吉川建設は残り1600万円の保証金について何も言わなくあったのか? と考えるに、それはやはり、阿智総合開発株式会社が用意した保証金であって、阿智総合開発株式会社が撤退するのであれば地権者組合に置いていくものだと結論すれば、みなみ信州農協に1600万円の預金通帳は残されるはずである。だが、そのような金は一切ない。1600万円の定期預金など聞いたことも無い。1600万円の行き先を知にっている地権者組合員がいるならば、それは泥棒仲間となる。
400万円は置いて行った金
ここで話を戻すに、吉川建設がヘブンスそのはらを売りに出したとの考えは無くなった。そしてオリックスだと騒いでも実際はJTBが糸を引いているからして、オリックスは名前を使われただけでヘブンスそのはらに何も関係していない。(関係していれば信金は融資できない)ジェイマウンテンズグループ株式会社はJTBがつくった会社なのだ。
岡庭一雄村長は、吉川建設に「ヘブンスは第三セクターの経営に戻したい」と話をかけた。嫌と言えない吉川建設は、売り手市場で話をつけたのだ。(阿智総合開発株式会社は解散する前に減資を行っている。その時に、コクサイと吉川建設は6億円以上入れている。)売り手市場となれば、減資でつぎ込んだ金の回収に、利益を上乗せするものである。おそらく、6億から8億円が吉川建設の売値ではなかったのか、そうであれば、400万円の保証金などどうでもよいもので、地権者組合に置いて行ったことになる。だからこそ、「400万円は換地費用として吉川建設が用意した」と、時雄は地権者組合に話をしているのであって、時雄が死んだ今、「400万円は換地費用ですか?」と白澤佑次に聞けば、うつむいて答えられないのである。令和4年9月27日
昼神温泉エリアサポート
岡庭一雄村長は、なぜ昼神温泉エリアサポートという第三セクターの会社をつくったのか? 岡庭一雄のこと、何のたくらみもなく始めはしない。そこに金が動く、おいしい金が有るで為せるのであれば、そこには犯罪の匂いしかしないのだ。金は有る、鶴巻荘の積立基金5億円の金が有る。そして、毎年、(株)鶴巻から900万円にも上る賃貸借料が入るではないか。岡庭一雄のこと、入る金のことは言えたにしても、その使い道については何も話していない。
吉川建設との交渉手段
第三セクターであるとのことは、阿智村が出資していることだ。当然に議会の承認をうけて、村民の税金を用いたのである。それも良いだろう。村民にそれなりの成果が出れば、だが、儲けているのがヘブンスそのはらとJTBでは、それを村民が納得するかとは言えないだろう。そんな金儲けのために、鶴巻荘の積立基金5億円は使われたのである。
ここで具体的な話であるが、吉川建設がヘブンスそのはらを手放すに6億円の資金が必要だになれば、阿智村にそんな金は無いし、阿智村が買うことも出来ない。だからしての第三セクター昼神温泉エリアサポートなのだが、臨時的に、阿智村は5億円の鶴巻荘基金を投げ込んだと思われる。実際に5億円かそれ以上の基金であったのかは分からないが、5億円以上の金が用意できたことは確かな話である。吉川建設がオリックスに売ったのであれば、オリックスとの契約書が有ることで、また、ジェイマウンテンズグループ株式会社が金を用意したのであれば、それもまた契約書が有るはずだ。だが、そんな契約書は一切出て来ないに、また、地権者組合との契約書も存在していない。さて、この犯罪を暴くには、いったいどうしたらよいのであろうか。令和4年9月29日
鶴巻荘の民間委託
鶴巻荘の民間委託は急に始まったことであるに、指定管理者になった(株)鶴巻と、昼神温泉エリアサポートが第三セクターになった時期が同じであることに、大きな疑惑が生じないか? 昼神温泉エリアサポートを設置するに、阿智村は出資金を用意しなければならないが、それを鶴巻荘の積立基金を充てることは十分考えられる。それが悪いとは言わないが、その目的に鶴巻荘を指定管理者とするのであれば、それは謀になる。後ろめたさが無いのであれば、鶴巻荘を運営していた阿智開発公社の定款を偽造する必要はないことだ。
死んでも言えない
村長選前に鶴巻荘の積立基金5億円の不明と、阿智開発公社の定款偽造を表に出したが、その効果はあったようで、心ある地区ではその不審が村会議員に回ったと聞く。そして議員らが、「口が裂けても言えない」と、後援者に話したと言う。議員の資質や共産党議員は置いたにしても、説明できないことがあるようだ。当然として、5億円の行き先である。なぜ言えないのか? 思い出すに、吉川優議員は阿智開発公社の定款を手に入れるに、拠出金の項目が無いことで、それを小林義勝阿智開発公社役員に話を聞けば「死んでも言えない」と言ったそうだ。そして「口が裂けても言えない」である。議員が言うのであるから相当な内容だとはわかるが、それほどのことが今も阿智村行政にはあることになる。
これで5億円が消えていることは確かになった。問題は5億円の行き先だが、死んでも言えないところに行っていることにならないか? それはどこだ? 阿智村内に、言えないところなんて有るのかい? 口が裂けても言えないのではなく、口にしたら大変なことになるから言えないのであって、その言えないことが犯罪であるからして、議員であっても隠さなければならないのだ。令和4年10月1日
議員も知らなかった
鶴巻荘の5億円が不明だとのことを言いだしたのは私である。その金がヘブンスそのはらの買収に使われたと言ってきた。その時点で議員の誰もが、鶴巻荘の積立基金が5億円有るなど知っていなくあった。なぜ議員はその事を知らなかったのかと言えば、鶴巻荘の5億円の基金は、阿智開発公社で管理していたからである。そして、阿智開発公社の理事に就任するは議長だけであって、それも定款など見てもいない。また、外部の理事らに見せる定款は、偽造されたものであるからして、5億円の基金があったことを知らないのである。
もう一つの金
鶴巻荘を指定管理者にして(株)鶴巻に運営させるとしたのは、鶴巻荘の積立基金5億円を使えるようにするためであるが、(株)鶴巻から支払われる賃貸借料は900万円あると聞くが、その金は一体どこに入っているのか? 阿智村の収入と出来ないが、その金がもしかしたら本谷園原財産区に支払われる「地域振興補助金」なのではないか。地域振興補助金の支払いを熊谷秀樹村長が二年に渡って止めたときに、熊谷義文議長はおかしな答弁をしている。「地域振興補助金は特殊な補助金で、阿智村独自のものだ」と。補助金と名打てば、税金が元であることに違いは無い。しかし、税金で毎年補助金を支払われることはあり得ないことで、そこは税金からの支出でないことに気づくし、熊谷秀樹村長も止めることは出来ないことだ。だとすれば税金と関係が無い資金であることになるが、阿智村に鶴巻荘の積立基金5億円以外に金などないし、その5億円もヘブンスそのはらの購入資金に充てていることだ。この様に詰めていけば、毎年本谷園原財産区に支払う地域振興補助金270万円は、(株)鶴巻の家賃から支払われているとみて間違いなさそうだ。令和4年10月3日
時雄の騒ぎ
ひるがみの森旅館の社長を使いこみで首になった時雄は、渋谷秀逸の助けを借りて月川旅館の社長になった。そして始めたのが「払い下げは受けない。月川旅館を改築せよ」であった。なぜそんな強気を言えたのか? それまでの渋谷秀逸も「払い下げを受けたい」と、岡庭一雄村長と決めていたのにだ。叔父も叔父だが、その不思議に昼神温泉エリアサポート第三セクターが絡んでいたとなれば、その不思議は見えてくる。
指定管理者だ
時雄の言い分に「鶴巻荘も月川と同じ指定管理者じゃないか!あっちが一億もかけて改修されるに月川の改修がなぜ出来ないのだ!」と怒鳴っていた。その時はまだ、月川は改築要望でなく改修要求であった。この経過を知れば、時雄は議長として鶴巻荘の指定管理者に邁進していたことでの言い分である。だからして、鶴巻荘から阿智開発公社を切り離しの目的は岡庭一雄と同じであったとうかがえる。ならば、時雄の言い分は「5億円をヘブンスそのはらの買収に使ったことをバラスぞ」が含まれていることになる。月川の払い下げが改築に変わるに、それを熊谷秀樹村長が首をたてに振らなかったのは岡庭一雄の指示であるが、岡庭一雄は月川を改築できないことを知っていた。全額国庫補助で建設された施設であれば、払い下げしか道は無いのである。しかし岡庭一雄の後継者となれなかったことで時雄と岡庭の中は最悪になった、そこで持ち出したのが鶴巻荘の一件である。これが事実だからして、月川の改築と鶴巻荘の指定管理者終了の争いを振り返ればすべてわかることだ。分からぬご仁が居られれば、議員らと不良村民のやり取りが記録された村民説明会がありますのでユーチューブで公開しますよ。令和4年10月5日
地代の振込先
ジェイマウンテンズセントラルの白澤祐次社長は、ヘブンスそのはら山林地代をどこに振り込んでいるのだろうか? そこが分かれば一挙にこの犯罪は表に出てくる。この話は他のコーナーでも書き出していますが、ヘブンスそのはらにかかる金の流れと鶴巻荘の積立基金(5億円)を管理する阿智開発公社の関係性が無くして、この犯罪は解明できないことだ。
目的の無い基金
鶴巻荘の積立基金の目的は、鶴巻荘の維持である。維持はやがて改築となることで、そこでは多額な費用が掛かる。だが、鶴巻荘は改築でなく改修で終わらせた。それも鶴巻荘を阿智開発公社から切り離すと決められてからのことだ。岡庭一雄に言わせれば、「指定管理に金をかけるは不要」で通ることで、阿智村の会計から予算をつければ、5億円はそのまま残る勘定となる。これで鶴巻荘積立基金5億円は阿智開発公社の基金となったと思われるが、ここでつじつまの合わないことに、阿智開発公社が社団法人から一般財団法人に変更された時期と、鶴巻荘が指定管理者になった時期が合わないことにある。一般財団法人化で5億円が阿智開発公社の拠出金として定款に記載されるのであるが、そこに5,6年の開きがあることに不思議が出る。これを解明しなければ、金の流れからこの犯罪を追えなくなる。
糸口
鶴巻荘の積立基金5億円が飯田信用金庫に預けられていたことは確かだが、だからといって、この金を使えないとは限らない。阿智開発公社の一般財団法人化で5億円が拠出金とされたにしても、それは書類上であるだけだ。そのように考えれば、5億円は自由に使えたと見るは当然のことで、自由に使える者が誰であったのかは、岡庭一雄村長しかいない。令和4年10月7日
死に金
自由に使える他人の金が5億円もあったなら、あなたならどうしますか? 唐突であれば思いも浮かばぬが、岡庭一雄には十分すぎる時間があり、村長になる前から勘定しているからして猫に鰹節どころではなかったはずだ。鶴巻荘の5億円、基金と言っても形だけであって、一時的に智里農事組合の負債担保に回されていたが、確かに岡庭一雄の資金源であったことに変わりはない。
回し金
鶴巻荘の5億円を自由に使えるとしても、この金を使いきることは出来ない。鶴巻荘に関係するのであればそれも可能だが、それ以外に使い切れば横流しになる。だからして回し金として利用してきたのだ。
岡庭一雄が村長になってこの5億円がどこに回されたのかと言えば、ひるがみの森増築資金への回しが最初である。リフレ昼神をご存じか? 昼神温泉の給湯権の積み立てを基金として始めた制度であるが、実際には水上宗光と時雄のために始めた貸出制度である。昼神温泉組合の給湯権をかき集めたにしても一億円にはならないが、ひるがみの森増改築資金への貸し出しは2億円弱であって、とても追いつく話ではない。だからしての鶴巻荘の基金から一部をリフレ昼神に回せばことは足りる。何といっても阿智村の指定金融機関は飯田信用金庫駒場支店であることに、リフレ昼神で支店長を追及すれば、あたふたとし、二転三転していることを思い返せば思い当たることだ。(吉川優前議員が支店長との会話を録音しています)令和4年10月9日
集金システム
岡庭一雄は、鶴巻荘の積立基金5億円を使い、集金システムをつくり上げた。その始まりがいつからなのかと言えば、鶴巻荘の改築事業からである。山内村長と原満征清内路村長は、長野県住宅供給公社の事業資金を借り入れて鶴巻荘の改築を決定しているが、それに異を唱えて猛反対したのが岡庭一雄と時雄である。彼らの反対理由に「鶴巻荘の使命は終えた」があるが、それが鶴巻の改築を阻む根拠とすれば乏しい話であるに、ここに鶴巻荘の5億円を当てはめれば、そのたくらみが見えてくる。
改築資金10億円
鶴巻荘の改築事業を議会で承認を受けるに、その事業費は10億円を基本とされており、住宅供給公社からの借り入れは5億円であった。設計はコンペとなり、その審査委員長は住宅供給公社であったが、8億程度を鶴巻荘の建設費とされ、2億円は共同浴場の建設費とされていた。これであれば鶴巻荘の積立基金5億円はすべて事業費に回ることで、そこを許せないのが岡庭一雄と時雄であったのだ。なぜ岡庭一雄と時雄は鶴巻荘の5億円にこだわったのかと言えば、そこに智里東農事組合の5億円の負債があったのだ。時雄はひるがみの森の専務として辣腕を振るっていたようだが、ひるがみの森と智里東農事組合はすべて同じ役員が占めていることで、智里東農事組合の倒産は、まさにひるがみの森の倒産へと進むは目に見えていた。ここを乗り切るには鶴巻荘の5億円を借り担保にするしかないことで、それも岡庭一雄が村長になるしか出来ないことであったのだ。
鶴巻荘の改築にまつわる岡庭一雄と時雄の騒ぎは今までさんざんに書き出しているし、岡庭一雄が村長になるくだりも詳しく書いているが、当時、鶴巻荘の積立基金5億円についての裏話は分からなくあった。令和4年10月11日
倒産しない不思議
岡庭一雄が村長になったが、鶴巻荘はその役目を終えていない。岡庭一雄は鶴巻の不要をうったえていたが、それが選挙戦に影響すると見れば、鶴巻荘は継続しますに方向転換した。結果的に岡庭一雄は村長になったが、鶴巻荘は増改築を行って継続された。
平成11年ごろ、鶴巻荘の増改築で福岡助役は、「積立基金5億円の内、5千万円で増改築せよ」と話されていることと、国道端にある黒柳村長と原武平収入役の土地(鶴巻荘の改築のために用意された土地)の購入に2千万円くらい必要だとの話もあったから、4億円強が残されていたはずだ。信金駒場支店にある鶴巻荘の基金4億円、岡庭一雄村長の指示であれば、智里東農事組合の担保に一時回ることは十分考えられることだ。
岡庭様様
田舎の小規模地場産は5億円の負債があるに、どうしたって潰れると見ていた智里東農事組合が倒産しなくあった。これを七不思議とみるは構わないが、裏事情などそんなものである。これを不正と言わずしてなんとするか? これが権力であれば、許せる村民はいない。この様な話が一切表に出ないことに、智里東農事組合もひるがみの森も、皆さん共産党ばかしであるからだ。
2011年(平成23年)2月、智里東農事組合(智里東農事組合法人)は「株式会社ちさと東」に社名変更した。軌道に乗ったと言うわけだ。5億円の借金をどのように返したかを村民は知らぬでもよいが、これが権力の乱用であるは間違いないことだ。まあ、くんだりはこの程度にして、ここで目を向けるは平成23年度の出来事である。もっと突っ込めば、平成23年前に、鶴巻荘5億円の裏担保は必要が無くなったと言うこだ。
平成23年と言えば、岡庭一雄村長が鶴巻荘を指定管理にした時と重なりますね。5億円が智里東農事組合の担保から外れたのであれば、5億円を自由に使おうとすれば、鶴巻荘と阿智開発公社は引き離さなくてはなりませんね。令和4年10月13日
白澤祐次が社長になった年
ジェイマウンテンズグループ株式会社が撤退し、ヘブンスそのはら株式会社が設立されたのは平成23年でしたよね。そして金の無い白澤佑次がヘブンスそのはらの社長になりましたね。なんか、鶴巻荘の積立基金5億円の動きを調べれば、すべてのことが平成23年に集中しておりますね。やはり、鶴巻荘積立基金5億円を担保にして、飯田信用金庫駒場支店からヘブンスそのはらの購入資金を用立てたことに間違いがないようです。
犯罪ですか?
地方公共団体が特定の目的のために積み立てるのが基金ですが、昼神エリアサポート(第三セクター)がヘブンスそのはらを購入するために、他の団体(阿智開発公社)の基金を運用すれば犯罪でしょう。それも、村長が主導したとなれば行政犯罪にもなりかねません。そこに飯田信用金庫が加われば、とてつもない犯罪となるでしょう。これが事実であるから、「死んでも言えない」とか「口が裂けても言えない」と議員らが言うのです。おかしな議員ですね。本来なら、その事実を知れば村長を追求して是正すべきでことで、是正できないとなれば表に出すことです。なぜそれが出来ないのでしょうか?
ヘブンスそのはらの地代
日本一の星空として多くの観光客が押し寄せて、ヘブンスそのはらは日の出の勢いになった。しかし、白澤佑次は所々で「早く完済したい」と、借り入れが多くあるのを口にしていた。3億円との話であったが、もはやそれを信じる者はいない。多くの収益があがれば、早く返済が出来ると言うことではない。信金であれば、多額を長く貸し出すのが利益であることで、少なくとも20年での返済期間であることだ。営業利益がどこに回るのかと言えば、それは言うまでも無いだろう。令和4年10月15日
社名変更
吉川建設がヘブンスそのはらを手放したのが平成18年であるが、オリックスに売ったと聞いていた。しかし、オリックスはどこにも存在していない。吉川建設からヘブンスそのはらの経営権を購入したのは、「ジェイマウンテンズグループ株式会社」であるが、このジェイマウンテンズグループ株式会社は、この年に設立された新会社である。ここで、昼神温泉エリアサポート(第三セクター)が購入したのであれば話は見えてくるが、なぜわざわざ新会社を設立したのかが最初の疑問点である。日本一の星空としてヘブンスそのはらを全面展開すると決め、第三セクター昼神温泉エリアサポートを設立したのに、なぜ昼神温泉エリアサポートでは駄目なのかといえば、それは、平成6年のこと、阿智村第三セクターで始めたスキー場開発が本決まりになれば、事業会社として「阿智総合開発株式会社」が設立されている。これと全く同じことに、第三セクター昼神温泉エリアサポートからジェイマウンテンズグループ株式会社が設立されたとなる。
ここまでに不審なところは無いとしよう。ただ、気になるは吉川建設の事であるが、吉川建設がヘブンスそのはらを手放す考えは無かったとして、それを買いだすには岡庭一雄村長が動かなくてあり得ないとなる。吉川建設がすんなり応じたのかと言えば、大いに疑問が残る。それは、吉川建設がヘブンスそのはらを手放す考えが無かったことにあるのだが、それを強引におしたとすれば、岡庭一雄村長一人では無理な気がする。
裏事情は金融機関
阿智総合開発株式会社が解体するに、両区が支出した200万円が返されているのか? 阿智村が支出した1千万円はどうなったのか? 不明な点が多くあるに、吉川建設が単独経営するに、第三セクターの出資金の整理が出来なくて法律的な解散はできないことだ。とくに、阿智村は行政であるに、出資金が戻らなくては始末がつかないだろう。また、ヘブンスそのはらが経営困難になるに、吉川建設とコクサイは数億円の減資を行っている。減資を行うには金融機関からの貸し出しをゼロとしなければ、金融機関は減資を認めることは出来ない。令和4年10月17日
残った信用金庫
第三セクターである阿智総合開発株式会社には、八十二銀行も飯田信用金庫も同じように1千万円の出資をしているが、減資後の解散では、八十二銀行は去っている。そして残ったのが飯田信用金庫である。吉川建設のメインバンクは八十二銀行だからして矛盾は残るが、当時の飯田信用金庫はとにかく吉川建設に傾注しており、それは阿智村の指定金融機関であることが大きくあった。
阿智総合開発株式会社と地権者組合は契約をしていたが、吉川建設に経営が移るとしても、そこに新たな契約を必要とせず、地権者組合は確認書を交わしている。そして保証金(契約金)の2千万円はそのまま据え置かれているし、立木補償の支払金4,500万円の年次割も継続されている。ようするに、吉川建設に経営が変わっても、地権者組合は何も困ることや問題も起きていないのである。
地域振興補助金の始まり
平成6年の契約時に本谷園原財産区の総代長渋谷秀逸が契約に立ち会わないことは、当然に本谷園原財産区は存在していなかったことだ。まあ、財産区と呼んだことにおいて多くの誤解を招いているが、西地区は両区がすべてであって、ヘブンスの山林も両区の共有山であるのだが、その両区の山林地代に税金がかかるなどと言い出したのはしばらく後のことである。実際に地代が支払われたのは平成8年であるし、契約の立会人である智里西開発組合はその後も継続していたことで、税金がかかるなどの話が出れば、智里西開発組合が奔走していたはずである。振り返ってみれば、平成10年1月まで山内村長で有り、岡庭一雄が村長になったのは平成10年2月である。そこからの始まりと見れば、税金がかかるとしたのは平成12年であることに不思議はなく、その年に時雄は村会議員になっている。そして何よりの証拠として、ヘブンスそのはらの山林地代(両区共有山)の賃貸借契約書が、岡庭一雄村長と阿智総合開発株式会社石田貞夫とで結ばれていることだ。令和4年10月19日
やはり行政犯罪
この契約書の写しが私の手元にある。それは熊谷秀樹村長から吉川優議員を介して手に入れたものであるが、今まで、なぜこの契約書が有るのかが分からなくあった。地権者組合と阿智総合開発株式会社との間で交わされた契約書(確認書)があれば、それ以上に必要な契約書などないし、なによりも阿智村は立会人であって地主ではない。かりに、税金が掛かるとして進められた話であっても、契約書が存在すれば、不正の証拠になってしまう。本当に税金が掛かればの話しであるが、区にしても財産区にしても、そこに税金が掛かるとの話を行政であれば分らにはずがない。(高森カントリーは区の山を賃貸借していることで、区会議員が会計を行っているが、ヘブンスそのはらと変わることは何もない。松川入り財産区の5億円に税金が掛かると聞いたことは無い)
地域振興補助金の目的
「阿智村長と阿智総合開発株式会社との契約書?」「ヘブンスそのはらの山林地代?」「平成12年12月の契約?」この三つが疑問であるに、そこで考えられるのは地域振興補助金との関係性でしかないが、それであれば、税金対策を口実に、ヘブンスそのはらの山林地代を阿智村に振り込むよう画策されたのが平成12年と言うことになる。
次に来る疑問だが、税金が掛かろうとかからなくとも、阿智村に入った金を区に戻すに、山林地代としなかったのはなぜだろう? まんま山林地代にすれば、迂回にもならないし不正でもない。どちらにしても税金などかからぬことだし、行政であれば知らないはずはない。この疑問の答えは簡単だ。入金される金額と、地域振興補助金とされている金額に違いが有ると言うことだ。令和4年10月21日
行政が横領
さあ、又も大変な展開になってきた。入る金と出る金に違いが有れば、その差額の金はどこにあるのだろうか? 考えられるのは西の三悪人がつくった裏口座であるが、そこに地代が入るとなれば阿智村から地域振興補助金は支払うことが出来ない。だが、裏口座の存在は確かにあって、山林地代以外の金(神坂神社の地代等)が存在しているのが何よりの証拠である。
岡庭一雄と時雄の魂胆
山林地代に税金がかかるとしたのは岡庭一雄と時雄であることはすでに判明している。なによりも、本谷・園原財産区保護誓約書をつくるに、時雄が岡庭一雄の紹介で下平秀弘弁護士に会いに行っているからだ。そして木下司法書士へと廻るに、時雄と岡庭一雄に得が無くてこの様な回りくどいことはしない。山林地代を阿智村に振り込むことに得があるとなれば、時雄と岡庭一雄に個人的な利益があるとなる。時雄が個人的な利益を得ようとすれば、裏口座を設ける以外にその手段はなく、岡庭一雄に利益があるとなれば、それはもう一つのからくりが必要となることだ。どのような利益があったのか? と考えるに、そこに登場するのはコクサイの石田貞夫社長である。石田貞夫社長と岡庭一雄が親しくあるを知る者は多いが、なぜ親しくなったのかを知る者はいない。コクサイの石田社長は共産党でもないし、岡庭一雄と親戚でもない。石田貞夫氏を詳しく知る者は、金で判断すると揶揄するが、事業家であることに違いはない。その事業家である石田貞夫氏が、採算なくしてロープウエーをつくることはなく、一介の観光課長(岡庭)が親しくなるに、そこに金が匂わなくてなにするものぞ。令和4年10月23日
ロープウエーの事実
昼神温泉に目玉事業が無いと、コクサイの石田貞夫がロープウエーの計画を始めたと言うが、それは事実ではない。石田貞夫氏の事業家とは、新規事業を起こし、それを軌道に乗せて売り払うことに目的を持っていた。コクサイは国際であるとき、自動車の販売事業を切り離し別会社とした。分かりやすく言えば、売り渡したのである。これを契機に、世間では石田貞夫氏にいやみとして実業家と呼びだしたのだが、確かに事業課としての才覚は優れていたことだ。その石田氏が昼神温泉に目を向けたのも必然であったのだろうが、「石苔亭いしだ」は昼神温泉唯一の高級旅館として発足している。当時、岡庭一雄は鶴巻荘の事務局長であったことで、石田貞夫氏と親しくなったと思われるが、昼神温泉の誘客に陰りが見え、なにか目玉が必要との考えで、目の前にある網掛け山にロープウエーを掛けることを岡庭一雄と画策していたのである。しかし、自分の金でやらないのが事業家の最たるところで、このころから第三セクターの設置を要望しはじめていた。
飯田放送局
飯田ケーブルテレビが発足したのが昭和61年だと知る人は少ない。また、飯田に第4放送局を立ち上げるに、その様式がケーブルテレビであったと理解していた者は全くいなかった。それが、飯田市内ではなく、阿智村の昼神温泉に設置されるとの話を知る人も今では皆無に等しいが、岡庭一雄と石田貞夫氏、そして吉川光圀氏は詳しく知っている。飯田放送局の経過を経て、ヘブンスそのはらの始まりへとつづくのであるが、そこに時雄が思わぬ状況で登場してくるのだが、この当時の時雄は、父親鷹二郎氏の財産を相続したばかしであった。令和4年10月25日
吉川光圀と石田貞夫
岡庭一雄と石田貞夫氏のつながりと同じく、石田貞夫氏と吉川光圀氏がともに第三セクター阿智総合開発株式会社の社長となるに、その切っ掛けが何であったのか? 土建会社の社長と事業家が結びつくに、そこにお友達関係は無いことだ。どこで二人が結びついたのかと言えば、飯田放送局にそれは有る。吉川建設は飯田ケーブルテレビの創設時からの大株主であって、今でもその状態にある。吉川建設もコクサイも八十二銀行であることは、飯田放送局は両社の共同開発事業であるは言うまでもない。当時、飯田放送局を設立するに、その仮事務所が置かれたのが、時雄が相続した旧丸三の跡地に建てられた熊谷ビルの3階であり、時雄もまた飯田放送局への出資を願ったが無理であった。
昼神温泉に誘致
熊谷ビルの設計は私であるが、しゅん工式に黒柳村長を呼んでいる。黒柳村長は一献もせず30分ほどで席を外しているが、なぜ黒柳村長をしゅん工式に呼んだのかといえば、それは野心以外にないが、なぜ黒柳村長が応じたのかと言えば、時雄の父鷹二郎氏が阿智村に1千万円の寄付をしていたからだ。(黒柳村長は時雄の腹の内を察しており、毛嫌いしていた)時雄はこれで黒柳村長と渡りがついたと喜んでいたが、それには次なる考え、飯田放送局があったようだ。
飯田放送局の基地をどこに設置するのか? それを昼神温泉に呼び込もうと考えたのが岡庭一雄と時雄であるが、飯田放送局の基地にロープウエーを設置すば、昼神温泉の再開発につながるとして石田貞夫氏に近づいたのは岡庭一雄である。これを境に岡庭一雄と石田社長は親しくなるが、石田社長は時雄には目もくれていない。なぜか、それは同じ匂いがするからであろう。令和4年10月27日
疎まれる男
ある日、時雄は私に言った。「阿智村役場へ一緒に行ってくれないか」それは、飯田放送局の基地を昼神温泉につくるとした説明会に同行してくれと言うのである。なぜ私が同行するのかと言えば、教育長の息子であるからだ。そんな説明会に同行しても私は何の役目も果たせないし、時雄の思惑も感じていた。
その日、所長(小平設計事務所)に相談したうえで、時雄との同行を了解してもらった。黒柳村長への挨拶もほどほどに応接室で待たされるに、説明会が始まるとお呼びがかかる。その時、「俺が行っても何も分からないのでここで待っています」と言えば、一瞬戸惑いを見せ「そうか、それでも良いよ」として席を離れたが、正直何が何だか分からなくあった。時雄と私は乗り合わせで来たが、飯田放送局からは誰が来たのかわからなくあった。吉川光圀社長の姿は無かったが、石田社長は居たかもしれない。石田社長か吉川社長のどちらかがいなければ、黒柳村長は出席しないだろう。
それからどれくらいの時間が経ったのか、ガラスの衝立越しに黒柳村長の影が写った。これは黒柳村長のメッセージである。身の入らない会議については、必ず早めに席を立つ。これで時雄がすぐに戻ればそうでもないが、はたして時雄の姿は相当に後であった。
黒柳村長は応接をのぞく、私がいることに不思議感があるように見えたが、「お世話になります」と頭を下げれば、笑顔を見せた割には、一言も発せずすぐに去った。場が持てなくなった私は応接を後にし、時雄が2階から戻るとして階段前で待てば、そこに降りてきた原武平収入役は、「おい熊谷君、設計は熊谷君にやってもらうようにと言っておいたぞ」と、思いもよらぬ言葉が発せられた。なぜなのか不思議であったが、説明会に使われた図面を竹村設計が書いていたことで、原武平収入役が気を利かせたのだ。私を同行させておいて、竹村設計の図面が出てくるとはどういうことかと、回転の速い原武平収入役は、早めに席を立った黒柳村長をみて、察したのであろう。令和4年10月29日
宙に浮く第三セクター
飯田放送局とロープウエーはセットの事業になっており、この時点から第三セクターとして計画されていたようだ。だからして説明会に及んだのであるが、黒柳村長はこの計画に気が乗らなくあったのだ。だいたいにして、熊谷鷹二郎氏が1千万円寄付したことも、その使い道が老人クラブへとの注文であるに、特に老人に手堅くあるものに使い道は無いことで、まして熊谷鷹二郎氏が亡くなったあとに時雄が乗り込んで、「飯田放送局の用地買収に1千万円を充てよ」となれば、誰でも嫌になるではないか。話は聞かねばならないが、かといって寄付された1千万円にまたもや注文がつくとなれば、時雄に嫌悪感を抱くのは当然でもある。この様な状況にあるは父から聞き及んでいたが、すでに「あまり時雄に近づくな」と、くぎを刺されていた。
分離される事業
寄付の1千万円は土地の買収には使えない。それが黒柳村長の答えであった。だが、飯田放送局とロープウエーは新規事業として昼神温泉を希望するに、それを受け入れることは継続されていた。第三セクターとして発足するには地域開発が目的となるに、如何に民間の行動力を期待しても、放送局がその目玉となることは無い。しかし、ロープウエーは十分な魅力であるに違いは無いが、セットで来られればそれなりな困難が予想されたのだ。そこで話を整理すれば、飯田放送局の開設には吉川建設が有ることで、ロープウエーはコクサイの石田社長の考えであることは、それぞれ別の取り組みになることだ。その様な話が頻繁に時雄から知らされるに、時雄とコクサイの石田社長に距離感が感じられた。なぜかと思えば、飯田放送局の仮事務所の大家は時雄であるに、そこにコクサイの石田社長は何も関係が無く、時雄が求めるところの1千万円の寄付で土地を用意するは既に断られていた。役にも立たない時雄を無視したとまで言わないが、計算高いはコクサイの石田社長の方が上手と言うことだ。
石田社長に会う
義理姉とコクサイの石田社長が懇意であるのは、妻の叔母が箕瀬町に居て、石田社長を高校時代に下宿させていたことによる。早くに母を亡くした石田氏は、その叔母さんを母のように慕っていた。石田社長と会うのは「ロープウエーは昼神温泉でなく園原に」であって、スキー場を建設したらどうかの話しである。
当時、時雄と私は消防から続くそれなりの付き合いがあって、なぜ時雄が私をまとめるのかは、やはり将来村長になりたいと言う野心においてであった。親父の遺産(数億円)を姉と二人で相続した時雄は勢いが良く、何でもできると考えていたようだ。そんな時雄から飯田放送局やロープウエーの話を聞けば、「昼神の網掛け山にロープウエーを架けてもそんなに魅力が無いじゃないか」「それより京平にロープウエーを利用したスキー場を建設したらどうか」と話せば、時雄はそれを自分の考えとして、岡庭一雄に話したようだ。まあ、これは石田社長と会ってからの話しで、当然に石田社長との話を時雄の耳には入れていない。
くだらない男
石田社長との話は前のブログに詳しく書いているが、義姉と石田氏と三人ではやふねで一献した。それからの二次会に吉川光圀社長が来て、そして三次会へと進むに、もはやその時点で京平にロープウエーを架けてスキー場を建設するとなったのである。やはり時雄から岡庭一雄に話したようで、石田社長は京平の名前は知らなくもスキー場の建設に前のめりとなっていた。ロープウエイとスキー場がメインとなれば、もはやそこに飯田放送局は影が薄く、第三セクターとしての取り組みは消えていったが、それは同時に時雄の思惑も消え去ったのだが、それで収まらないのが時雄の性格、何としてもイニシアチブを取ろうとし、それは石田社長を向こうに回すことになったのだ。岡庭一雄と石田社長が近づくにつれ、時雄はより石田社長と対立構図を強くしていくのだが、それがやがて叔父、渋谷秀逸を巻き込んだリフレの事業に進んでいくのである。令和4年11月2日
隠せ!
石田社長と吉川社長は、京平にスキー場を建設し、そこまでの移動をロープウエーとした計画で進めることになったのだが、時雄と叔父は「コクサイの石田社長の考えでは西地区が乱開発される」として、西地区の開発は西地区でやるべきだとして、私に西地区の開発計画を作成せよと言う。しかし、多大な費用が掛かることに躊躇すれば、それじゃ秀逸さと相談してみると言い出した。それは、早くもリフレッシュモデル推進事業が始まっており、私を含めて三人は、宿泊施設の運営をすると決めていたことにある。
阿智第三セクターの始まりに併せ、叔父渋谷秀逸と時雄と私は、智里西地区に目玉事業をと考えていた。それは、対案をもって吉川やコクサイの社長と対峙すべきだとの考えからであったが、それは思わぬ進展を見せ、全額国庫補助「リフレッシュモデル推進事業(宿泊施設・体験施設・学習施設)」として始まった。そんな中で、西地区の開発計画はリフレッシュモデル推進事業を示さずに作成せよと、時雄は無理難題を言い出したのだ。
情報を出すな
西地区の開発計画を作成するに、リフレッシュモデル推進事業のことは一切書き出すなと言うのである。その理由は、「みんながその気になったら宿泊施設に殺到する」とのことで、差しさわりが無い計画にせよと言うのだ。そんな程度の開発計画が通用するはずが無いと言えば「ロープウエーの基地を書き込むな」に変わったのであるが、その制作にかかるとしても、詳細な測量図が必要であり、その拡大地図を作成するに、数十万の出費を余儀なくされたのだ。令和4年11月4日
開発計画発表会
「リフレの設計は章設計にやるから」これは岡庭一雄商工観光課長の言葉である。まあこのくだりは幾度か書いているが、世間ではこの辺りが私を非難する的なのだろう。私から言わせてもらえば、私が経営する施設を他の設計事務所がやることの方が不思議な気がしますがね。
経過はともかくも、智里西地区の開発計画図書をひと月余りでつくり上げ、その発表会を開くことになったが、そこで操からちゃちゃが入ったのだ。「第三セクターン件は正式に議会に上がっていない」それは、リフレからのけ者にされているとの操のイライラであって、また、西地区の代表議員だとのプライドである。一度言い出したら聞かない操、それを抑えるには岡庭一雄商工観光課長しかいないと時雄は言う。まあ、園原水道返還金横領を仕組んだ岡庭一雄と操の仲である。それには確かに適役であったようだ。
発表会の目的
両区(区会)の事務所は、みなみ信州農協園原支所の前にあった。そこで発表会が開かれるとのことは、智里西地区は、本谷区・園原区と横川財産区で区分けされていたからで、横川財産区は両区の事務所を借りている形であった。
淡々と説明するに、最大の目玉は現ヘブンスそのはらのロープウェイ基地がある山林をどのように開発するかに有った。ロープウェイ基地がその場所に出来るとの話は、岡庭一雄と私しか知らない。叔父や時雄や操とてそこまで知らされていない秘密の話しであったのだ。叔父や時雄はリフレの事業で宿泊施設をどこに建てるのかに目が向いており、その場所にロープウェイ基地を設置させないための開発計画なのだ。令和4年11月6日
お寺を建てる
智里西地区の開発に、そしてリフレッシュモデル推進事業の計画をどのように当てはめるのか?それは宿泊施設の建設場所から始まっていた。叔父は必然的に戸沢部落内での建設を求めた。それは、叔父の家(釣り堀青木屋)の対岸に恵那山トンネル土捨て場とされた場所の一部にスケート場のため池が有り。それを潰して建設したいと言う。時雄は全くに農間部落の下(ロープウエイ基地手前の駐車場付近)を希望しており、それを叔父に直接言えなくて、私にだけ伝えていた。私は悩むところは何もなく「向かえの下の土捨て場の場所しかない」と、今の月川旅館の場所を指定した。そこに落ち着くに時間は要さず、では、園原には何をつくればよいのかに目が向けられたが、叔父も時雄も消極なのは、園原に何かをつくれば操が黙っちゃいないと言うわけだ。そこにも私の考えはあった。そう、園原資料館の建設である。黒柳村長の村政始まりから資料館を要望したこと、そして、黒柳村長の終わりの一年になるに、このチャンスを逃せないと考えた。だが、そこには思わぬ敵がいたのである。それは「資料館は教育委員会の管轄」だという、岡庭一雄の考えである。しかし、裏を紐解けば、教育長は父であり、資料館を組み込むなら、父との関係性を非難されると言う、時雄の考えであった。
7年待て
そんなチャチを入れられれば、伝説の園原に宿泊施設をつくるわけにもいかず、また、 営業施設もままならぬとなる。それで操が収まるかと言えば、操は宿泊施設をつくりたがっていると言うのだ。園原に宿泊施設をつくるとなれば、リフレの事業自体がとん挫する。そんな馬鹿な話の裏に何が有ったのかと言えば、岡庭一雄は操にリフレの情報をすべて伝えていたのである。共産党同士のこと、また、園原水道返還金の横領を始めた年でもあることで、岡庭一雄と操は切っても切れない仲になっていたのだ。令和4年11月8日
園原ふれあい館
何が何だかまとまらない話になってきた。何かを園原に建設しなければならない状況になったが、それは任せておけと岡庭一雄は言う。何をどう任せればよいのかと言えば、園原一帯を「歴史探索ゾーン」としてぼかせと言うのだ。ほう~、何をつくろうではない。どのように開発するにしても園原は伝説の史跡しかないと言うのだ。開発計画に史跡を落としても何の意味もないが、だからと言って何かをつくろうとすれば伝説にまつわることしかない。それであれば園原資料館は最も適していることになるが、資料館では金にならないとで操が了解しないと言う。なんだ、結局はそういうことかと落ち着いたが、休憩所とトイレを二か所ばかし落とし込んで開発計画とは、少し物足りない気がした。
さて、肝心なロープウエイ基地であるが、そこに何をつくるか決めていた。そう、お寺である。神坂神社の山林であるに、そこにお寺と言うのもおかしな気がするが、元々に、その周辺にはいくつかの墓地があった。お墓が有るからお寺ではないが、お寺をつくるとの構想が必要であって、ロープウエイ基地をそこにつくるとされたとき「ここはお寺を立てる計画が有る」となれば、それこそ開発計画の目的になることだ。お寺がどうのこうのではなく、お寺の建設計画が有るとなれば、その場所はとても大切な場所であると認識される。叔父も時雄もそして岡庭一雄も、「お寺」のキーワードにはまり込んでいった。
完成するに二カ月半と測量会社に下図を作成させるだけでも数十万円かかったが、それは成功報酬で収めろと岡庭一雄は言う。いつもこの調子だが、まあ、開発計画は必要なことで、それこそ智里西地区の将来がかかっている。何もない山奥に人が来るのは園原の歴史だけ、それを根本から変える計画の始まりだとすれば、それは夢の始まりであった。令和4年11月10日
黒柳村長の一声
阿智第三セクターと渡り合うに、まずはこの開発計画を智里西地区の考えであるとしなければならない。そして、両区と横川財産区の役員を集めて発表会が開かれることになったが、その当日、岡庭一雄から突然に電話が入った。「悪いけどなあ、横川の開発計画をつくってくれんか」? 一瞬戸惑ったが、それは、横川集落の周辺に何も計画していなくあったからだ。何しろ、横川は駒場財産区の山守集落であって、地番も阿智村駒となっているが、智里西地区では両区と区別されてきた歴史がある。だからして時雄も叔父も横川を気にしていなかったのだ。岡庭一雄から原案を見せられた操は、横川部落に何も計画されていないのに目をつけ、西地区の開発計画になっていないといちゃもんをつけたようだ。それは叔父と時雄が進めることに、操なりのいら立ちがあったと思われる。たしかに、私も気にしていなくあった。とにもかくにも第三セクターロープウェイ基地ばかしに目が向いており、まったくに横川部落を考えていなかった。
間に合わない
昨日の今日の話ではない。今日の今日での話しであって、夜7時の説明開始まで2,3時間しかなかった。説明資料はすでに製本しており、今更添付修正は出来ないが、かといってこのままでは操につぶされるかもしれないと危機感を感じた。何か良い方法は無いかと思いあぐねたが、それには畳二畳分はある開発計画図そのものに横川の計画を落とし込むしかないとした。
それにしても、横川に何をつくろうと考えても出て来ない。それはリフレッシュモデル推進事業の必要施設やエリアゾーンはすでに割り付けていたからで、その内容を変えてしまえばリフレッシュモデル推進事業の枠を超えてしまう。その場しのぎで付け加えたにしても、この開発計画が承認されればそれは実施しなければならなくなる。令和4年11月12日
エリアからゾーンへ
ここで気が付いたのが、智里西開発計画はエリア開発でなくゾーンとして進めていたことだ。ある一定のエリアに何をつくろうではなく、ゾーンとして区域を固定しなければ説明がつくと考えた。それであれば、横川部落周辺を「自然体験ゾーン」と書き込めばよいし、それでなければ間に合いもしない。開発計画説明書には書き込めなかったが、畳二帖分の開発計画図には書き込めた。それで何とか取り繕いは出来たが、やはり、それが問題となってしまった。
業者扱い
権力をかざすのにはさすがの操であった。区の事務所で説明会が開かれたが、岡庭一雄はその場には出て来ない。西地区の開発計画に役場の職員が関係していればおかしい話になると言うのだ。もっともなことで、岡庭一雄が顔を出せば、開発計画は阿智村も承知だとなることで、ついては、ロープウエイ基地の設置場所まで話は進んでしまう。それを避けたいのは岡庭一雄であるのは、もはやこの時点でコクサイの石田社長の意のままに岡庭一雄は動いていたからだ。叔父や時雄も知らない裏事情、そのはざまに立っての開発計画に、正直純粋なものは見当たらなくあった。
たしかに開発計画図を真ん中に広げ、そして開発計画書を読み上げながら話は進めたが、一通りの説明後に横川部落の林さんから質問が出た。「横川部落のことが何も考えられていない」もっともな質問で、それに返答できることは、「自然体験ゾーンとして、横川部落の人たち地と相談して進めたい」と答えるのが精いっぱいであった。そして出た鶴の一声、「業者の説明はこれまで、帰ってもらって結構だ」強烈な一声であった。それ以上何も言えない状況は、叔父や時雄も面食らっていた。あとの話しだが、「操が潰しに入っている」これが時雄の返事であった。令和4年11月14日
開発計画通り
ロープウエイ基地の設置場所にお寺の計画が有るとのことは、操には強烈に映ったようだ。もしかしたらロープウエイは園原に出来るかもしれないと、それであればイニシアティブを操が握れると考えたようだ。そして「園原部落の意見を取り入れろ」が、開発計画への操の答えになった。
その頃、園原部落では熊谷秀二と田中義幸が中心になって「園原会」というグループをつくっており、毎月の一日をその会に当てていた。この二人は操の子分であって、早い話が操の応援団であった。操が園原部落の意見を取り入れろは、操の考えを園原会の意見とされることにある。
操が言う「園原部落の意見を取り入れろ」にいち早く反応したのが時雄であって、先回りして園原会の意見を聞けないかと言う。馬鹿な事を言う男だが、しかし、ロープウエイがどこに出来るか知っている私は、園原会にある程度のことを話そうと考えていた。
操さの言うことを聞け
その頃の黒柳村長は、「ロープウエイを西につくるなら西の人たちの意見に従え」としており、村長として方向性を示すことは無かったが、だからこその駆け引きが生まれたことだ。園原会にいきなり言って、ロープウエイがどこに出来るのかとの話は出来ない。かといって、園原会が操に利用されることは時雄の言う通りかもしれない。何をどうすればよいのかは、園原会の考えを持つことだ。
事前に秀二の元を訪ね、「次回の園原会に出席させてもらえないか」と話せば、それは構わないが、いったいなんの話かという。そこは正直に「ロープウエイが出来る話は知っていると思うが、園原の人たちも情報を正確に知った方が良いとおもう。先日西地区の開発計画の説明会が有ったが、そのことも含めて説明したい」と話せば、「分かった。義幸が副だから事前に話しておく」と、色よい返事であったが、その話のついでに「お前も園原会に入ってくれんか」令和4年11月16日
三匹の犬
園原会と言ってもただの飲み会である。まあ、それが一番有効な事でもあるが、飲酒運転で帰ることは出来ない。当時の私は飯田市住人であって、それが足かせとなっていたのも確かだが、園原会に入ることはやぶさかでも無かった。そして園原会が開かれるに、そこには思わぬ人が居た。清水屋(屋号:県会議員熊谷元尋父の出所)の熊谷邦彦さんである。清水屋へ養子に入った人であるが、息子佳久の代わりなのか園原会と知って出ていたようだ。優しい人で物分かりも良いし、何しろ楽しそうであった。が、秀二の言葉でその場の雰囲気が一変してしまった。
時期尚早
何人ぐらい居たであろうか、総勢でも十数人で20名も居ない園原会。毎月500円づつ集めて飲み代にしている。早々に500円は徴収され、そして園原会に入ることが了承された。そこまでは良いし、それから飲み会が始まるも、秀二は一向に話を進めない。気になる私は気が気でなく、また、ジュースもなくてお茶だけでは場が持たない。邦彦さんは何かと私に話を向け、「うちの佳久はちゃんとお付き合いは出来ていますか」「若い衆と飲めるのは楽しいよ」に相槌を打つのは良いとしても、7時からの始まりに8時にもなれば、まだ夕食の前には堪えてしまう。そして秀二を促すに、ロープウエイのロの字も出ない。「おい、秀二さ、この間の話しを出してください」と言ってみた。「…、…、ん?」受けごたえが全くない。「ロープウエイの話しをしてくださいよ」我慢ならなくそこまで言えば、「…、その話はまだ早い」、「早い?」、「操さが、まだ何も決まっていない話だと言っている…」、「操さが?なんで操さがこの話に出てくるんだよ」と言い返したが、秀二の態度で分かるのは、すでに操から手が回っていたのである。
結末から言えば、秀二は義幸に話し、義幸はすぐさま操に報告する。そして、操は義幸に、そんな話を聞く必要は無いと指示をした。そして犬の如し、素直に従うは秀二であって、ただ酒が飲みたいだけの男であることだ。令和4年11月18日
部落会を開け
腹が立ったのは言うまでもないが、「園原会としての考えを持つことだ。ロープウエイが出来ると話が来た時には遅いではないか」と、それでも茶碗酒を飲み続ける秀二であったが、そこに三匹目の犬が登場した。義文である。このころの義文は私に否定的であった。園原で頑張っている俺たちに飯田に住んでいるお前がとやかく言うなとの考えである。たしかに、そう言われればそれ以上は言えないが、それでも義文は秀二や義幸と違って率直な意見は言っていた。だからして、そういう話をするのであれば、部落会で話すことではないかと言うのである。もっともな話で、早速にその機会は訪れた。
ロープウェイは蚊帳の外
園原会に話をするのは園原会が考えを持つべきだとする助言であって、それを秀二が操の指示で否定するのであれば、それまでだ。部落会でロープウェイの話は出来ないし、部落会で考えを持つことでもない。だからして部落会で話すとなれば、西地区の開発計画しかそこにはない。畳二帖分の図面はA3に縮小し、開発計画書の末尾に添付した計画書を必要な枚数用意すれば、相当なるデモンストレーションであった。
話は聞いてくれるが、それからが無いことはいつものことである。しかし、今回は少し様子が違っていたのは、西地区にロープウェイが出来るとの話は規制の事実となっていたからだ。だからして、西地区の開発計画だと言うのに、そこにロープウェイが記されていないことは、かえって疑問を抱かせることになったのだ。ロープウェイがどこに架かるのかが最大の関心ごとで、いつしか開発計画の説明より、どこにロープウェイを架けたらよいのかと、話題はそこに集中した。園原の住民であれば、やはり園原に架けたいとするのは当然かもしれないが、すでにどこに架かるのかを知っている私にとっては対応できない話になってしまった。令和4年11月20日
遠水近火
遠くの話しより身近なことが重要ではないか。そのように諭すは出来ないが、リフレッシュモデル推進事業が始まれば、否応なしに対応しなければならない。ロープウェイとリフレの事業を受け入れる智里西地区は、まさに混乱の時代に突入しようとしていた。
もはやリフレッシュモデル推進事業での西地区の開発は先にロープウェイ有りきであって、ロープウェイがどこに出来るかによって何を始めたいのかに変わっていた。それも致し方ないが、やがてロープウェイがどこに出来るかが知らされたとき、園原では何の構想も無いとなる。ロープウェイは遠い話しであって、そこにかかわれないと思うのは仕方ないが、リフレッシュモデル推進事業は、そんな住民への提供であることで、やはり住民を無視して進められなくあった。
募集
全額国庫補助での決定は、遅くともその年度末には事業費を確定せねばならなくあった。岡庭一雄の指示で事業計画書も事業費も策定していたが、何を造るかが後付けとなれば、事業予算は変わってくる。焦るのは岡庭一雄観光課長、何でも良いと指示されてはいたが、それらの受け皿が決まらなくては話にもならない。そこでの発案は「募集をかけろ」なのであるが、何をどのようにして募集をかけるかまでを私につくれとの指示には、さすがに緊張が走った。手を上げていない者や何も知らない者に募集をかけるのは無理なこと、それでもやれと言うのであれば、まずは西地区の開発計画書を住民に認知してもらうことである。それも具体的な計画書でなければ、理解されるところにないだろう。そう、具体的な計画書が必要なのだ。その頃、すでにロープウェイがどこに出来て、京平がスキー場になるとの話は確定していた。そして両区(園原区・本谷区)が200万円出資して第三セクターに参加することも決まっていた。だからして、住民の目は、ロープウェイとスキー場を見据えて、リフレッシュモデル推進事業に取り組もうとする考えがようやく生まれたのである。令和4年11月23日
操の考え
園原部落に操の犬が三匹も居れば、もはや園原住民の意見や考えは操の代弁者であり、操の考えが通らなければ、計画書も当たり前のように否定される。そんなおかしな状況にあったのが園原部落であった。
リフレッシュモデル推進事業の目玉は何と言っても宿泊施設に有り、そこを抑えたい叔父と時雄は宿泊施設を開発計画からぼかせと言う。またもや無理難題がうちわから出たが、そんな都合よく事業計画は作れない。だが、ここで操自らやりたいとして何かの提案があれば、操の考えで計画書がつくれることになる。操の動向は岡庭一雄から知らされていたが、やはりロープウェイを見越しており、リフレッシュモデル推進事業は二の次であった。スキー場にばかし目が行けば、とうぜんに何をやりたいのかはボケており、具体的な考えなどありはしない。そこで岡庭一雄に聞けば、どうも食堂とお土産屋をやりたいようだと言う。この話に便乗しない手はない。また、宿泊施設をぼかすにもそれなりの手は有った。それは、岡庭一雄が言うところの、「都市との交流が目的」という、大きなテーマである。
餅は餅屋
智里西地区に都市部の住民を呼び込む施設、交流人口を増やして地元に金が落ちるようなサービス施設が必要だと言えば、それぞれの部落に目的別の交流施設をつくればよい。操が食堂をやりたければ、それは阿智総合開発との話であって、食堂は交流施設に相応しくないとなる。
これですべてがまとまった。そして計画されるのは、園原部落には園原の伝説をもとにした「語り部の館(2,000万円)」と「公衆便所2箇所(1,000万円)」、戸沢部落には「山川体験広場(3,000万円)」、そして、宿泊施設は食堂を含まない「簡易宿泊施設(8,000万円)」となったのである。令和4年11月24日
事業費の変更
これら三つの施設がリフレッシュモデル推進事業の計画書として挙げるに、元々に岡庭一雄の予算額が1億5千万円に有った。事務費の2000万円が多いと感じたのは、事務費とは何であるのかと言うことだ。岡庭一雄から言わせれば、設計料やその他もろもろだと言う。冗談じゃない。設計料など3%で400万前後が良いところだ。1千万円を超える事務費が一体どこに必要と言うのであるか。1億3千万円で計画せよと言うのであれば、そうせざるを得ない。だが、それはすぐに底をつき、事業計画が決まれば、そして受け皿が決まれば、次々と要求が変わることは目に見えていた。まず最初に文句を言ったのは叔父である。「おい、簡易宿泊施設ってなんだよ」「これでは山小屋と変わらんじゃないか」「宿賃でいくらとれる。こんなのを受けたとて経営できないじゃないか」これは直接岡庭一雄に向いた。たじたじする岡庭は私に矛先を向ける。「章設計に任せればよいじゃないか」「旅館で設計し名前だけは簡易宿泊施設とすればよい」そんな簡単なことを言われても、旅館にするなら収容人員をもとに計画をやり直さなきゃならないし、何よりも8千万円で旅館など出来はしない。
計画変更
「そうか、じゃ一体いくらいる」適当な男は昔から変わっていないが、いくらいるなどの話しでなく、簡易宿泊施設を旅館に出来るのかどうかが問題ではないか。簡易宿泊とは他人数部屋と共同設備を設けることで、まったくに山小屋を想像するものである。旅館であれば個室において、食事を提供するものだ。厨房も要れば、お風呂もいる。それを旅館と称するに、名前だけを簡易宿泊とは、建築基準法にも違反してしまう。そんなことを簡単に口にする岡庭一雄でも、そのとおりにしなければ叔父は納得しない。そんな難題に取り組むに、予算が8千万円ではどうしようもないことだ。令和4年11月26日
増額範囲は三割
事業予算を申請するに、その増額範囲は三割以内とされるは経験から知るところにあるが、行政内では当然のことである。よくとれば、2千万円の事務費は裏金でなければ組み込むことは当然だ。1億3千万円の三割は4,000万円となることで、8千万円に4千万円なら1億2千万円だ。だが、これでも旅館とするは事足りない。せめて1億5千万円は必要とした。そこで練られたのが山川体験広場と語り部の館である。早い話がその予算を削ることだ。早速に手を付けたのが公衆便所である。「園原に便所が二か所もいらないではないか」そして500万円が削られた。「山川体験広場で何をやるのよ」叔父の一言はいつも強烈である。それは受け皿の人たちで決めてくれと言う岡庭一雄の話しにくぎを刺すように、「建物なんか必要ないじゃないか」と、つかみ取りを体験される人工池で十分だと言うのだが、ではその人工池の予算がいくらかと言えば、500万でやれと言う。ここで分かりやすく言えば、「公衆便所500万円」「語り部の館2000万円」「山川体験広場500万円」で3000万円、そして旅館を「1億5千万円」にしろと言うのである。
操は承知しない
岡庭一雄が言う語り部の館をそのまま操が受け入れた訳ではない。2千万円など嘘の嘘っぱちで、5千万円が操の要求であった。その上に、公衆便所は観光用のサービス施設で、収益施設ではないというのである。5千万円で語り部の館をつくるのかと言えばそうではない。それこそ食堂とお土産屋のうえに、宿泊できる施設にせよと言うのが操の要求であった。こんな裏話が有れば、リフレッシュモデル推進事業はどこかに飛んでしまう。
あっちもこっちも勝手なことばかしなのに、あっちにもこっちにも良い顔ばかしの岡庭一雄の尻拭いまでが私の仕事らしい。ここで開き直れるのは、「予算を増やせ」の一言である。具体的にどうやるのかは、それが開発計画に基づくことなのだ。令和4年11月28日
枠と枠外
山川体験広場の受け皿が決まれば、その要求はどんどん増えていった。当然に予算も増やさなければそれは達成できない。つかみ取りをさせるのは良いが、それをどこで食べさせればよいか、当然に屋根の下となる。厨房も必要なら、トイレも要る。そう、3千万円が500万円に減り、そして今度は5千万円に増えた。それでも要求に応えられる金額ではなかった。山川体験広場であるからして、それら体験が建物の中となることはない。岡庭一雄が言うには、「そんな大げさなものでなくてよい。キャンプファイヤとか、ちょっと流しが有ってそこに差し掛けが有ればよい」、「そうは言っても食べる場所に屋根が無くては…」と言えば、「そうだなあ、屋根は要るか。じゃあ、屋根だけで壁も窓もない物をつくったらどうだ」、「予算はどれくらいで?」、「1,000万、いや800万くらいでどうにかならんか」、「分かりましたやってみます」そうして出来上がったのが今ある番傘をイメージした大屋根だけの建物であるが、それを叔父は猛反対した。「だめだ!雨が降って風が吹いて、そんなのにお客はくりゃしない。ちゃんとした食堂をつくらなくちゃだめだ!」それに岡庭一雄はどう対応したのかと言えば、「傘をイメージした案は県が山川体験館として推奨してくれた。これは変えられない」珍しく叔父に反論したが、その代わりに、厨房の予算を増やすことも県が認めたと言うのである。そして予算組するに、笠の大屋根が1千万円、厨房と言っても食堂だが、それに3千5百万円、そしてつかみ取りする人工池(川)に500万円とされた。しかし、ここにトイレを含むことは出来なくあった。そう、すでに5千万円に達していたからである。トイレをどうするかについては、流石に岡庭一雄、園原につくるべき二つの公衆便所の一つをそれに充てると言うのであった。これで山川体験館が決定したが、残るは操の要望である。(ちなみに、トイレはリフレの事業に含まれないとして、翌年の単独事業とされて建設された。)令和4年11月29日
万葉の館
操の要望にどう応えるか? そこにリフレの事業を当てはめるのは不可能であった。要するに、食堂・お土産屋はリフレの目的に適合しないとされたのである。収益が上がらない施設を経営せよなどと言われれば、誰も手を挙げる者はいない。だが、園原に営業施設はつくれないと言う。この矛盾する状況において受け皿組織をつくるなど到底かなわない。ぼかせばぼかすほどわからなくなるに、もはや岡庭一雄の考えは限界であった。
管理施設
この難問を解くカギは有った。それは、運営施設でなく管理施設とすることだ。運営であれば収益施設しか方法はないが、管理施設であれば、収益に関係が無い。また、村の施設にすれば管理費は村から見込めるとなる。これが私と操の腹話であった。そしてその裏の裏は、管理施設としても収益を得ることを考えれば良いし、先を見据えれば払い下げが決まっていることである。ならば、あとは少しでも予算を多く確保することで、また、将来構想に向けての計画施設とすることだ。将来構想とは何かといえば、それはやはり、操が希望する、食堂お土産屋が出来る施設とすることであった。
管理施設と言えば、今でいう指定管理者制度であるが、まだ条例化されていなければ、やはり議会承認が必要であることで、ならば国庫補助の目的から外れてしまう。ここにもまた難題が発生したが、「語り部の館」から「万葉の館」と進んでいたものを、これらの裏目的が達成されるために「園原ふれあい館」との名称に置き換えたのである。そして当面の約束が「厨房を付設させる」であったが、これを続けて行えば食堂と捉えられてしまうと言われ、数年後の増築が約束された。令和4年12月1日
岡庭一雄の多くの約束事
元々に、リフレッシュモデル推進事業は国庫補助施設であることは、その数年後(7年後と言われている)には、管理団体に払い下げされるものだ。だからして、岡庭一雄の約束事も払い下げ前提で行われていた。最初に払い下げを希望したのは「野熊の庄月川」である。そう、叔父が一番早く払い下げを希望した。それは、開業後の状況が良く、すでに部屋が足りないと言う状況になったからだ。観光会社と契約するも観光バス一台分(50名)の収容能力が無くては話にもならない。また、大型バスは仮橋を渡ることも出来なくて、その橋の架け替えを岡庭一雄に求めてもいる。そんな中で50人以上の収容は必要不可欠であって、それは増築を行う方向で決めたのだが、それらについて村はこれ以上の金を出せないと言う。それも当然であるが、そこで目を付けたのが「リフレ事業の受け皿団体は各事業費の一割負担せよ」と議会の決定で預けた2,050万円である。この金を担保に建設資金を信金から用意させたのも岡庭一雄であって、ほどなく増築工事は行われたのである。
しかし、ここで問題が起きた。増築した部分はリフレの事業ではなく、あくまでも月川の施設であって、それを登記するに、本体の払い下げが必要になったのである。「払い下げをしろ」と迫る叔父に対して、「7年過ぎるまで待ってくれ」と、岡庭一雄は頭を下げている。それはやむを得ないことだが、そこには新たな条件が付加されることになった。
払い下げの先延ばし
増築部分を放棄せよと言うのである。施設の増築ならば、本体のように取得税も固定資産税もかからない。その代わり、施設の耐用年数まで村の施設としておけば、払い下げにおいて取得税も固定資産税も安くなると言うわけだ。これに飛びつくは当たり前のことで、では耐用年数はいつまでなのかと岡庭一雄に聞けば「ショウよ、どうなんだ?」と、私に振られている。令和4年12月2日
欲は身を失う
鉄骨造であるから35年だと言えば、それは長すぎると叔父がぐざる。では、増築部分は木造だから28年ではどうかと言えば、それはちょうど良いと岡庭一雄がうなづく、叔父もそこまで行けば納得だが、その結果が28年後に返ってくるとは、この時考えもしなくあったろう。だからして払い下げは叔父の希望であったのだが、いざ約束通りの払い下げが実行されるとなれば、時雄が社長になって欲を出した。「指定管理者のままで続けさせよ」「月川旅館を建て直せ」この騒動を忘れたとは言わせない。村民集会に乗り込んで時雄と叔父のたくらみをあばけば、今度はのれん代を支払えと言う。ここに熊谷秀樹村長が乗らなければならない理由がどこに有ったのか!?それを知らぬして阿智村の行政犯罪は表に出ない。
時雄の開き直り
施設の払い下げを拒否すれば、月川旅館は叔父と時雄の物ではない。欲をかきすぎて、自分たちの財産を失ったのだ。指定管理者のままで月川旅館の改築が不可能となれば、ならば払い下げをしろと言えなくなっていた。どこをどうとっても叔父と時雄は終わりである。そして叔父は亡くなった。もはや時雄は何一つ動けなくなったのだが、そこに目を付けたのが月川旅館の経営黒字と動産資産である。そして3千万円を抜いた。そして「のれん代の請求」をした。そこに含まれるのは、車両・機械器具などの動産である。
6千万円がのれん代の名目で支払われた。これを問題にする議員は吉川優議員だけで、村民も蚊帳の外で決定がなされている。のれん代は3千万円程度であろうが、マイクロバス三台やボイラーなどの機械器具、重機も入っていたようだ。これらの金のほとんどは時雄だけの懐に入っている。そう、月川社長の報酬としてだ。
この話しと阿智村の行政犯罪とどうつながるのかは、この「のれん代」のからくりがあるのだ。令和4年12月4日
時雄が死ぬ間
下平弁護士に断られていた時雄は、のれん代の委託を川島弁護士に依頼した。なのに、阿智村は川島弁護士に弁護士費用200万円を支払っている。おかしな話ではないか、時雄の弁護士に何を依頼したのか? 阿智村の顧問弁護士は下平秀弘弁護士ではないか。下平弁護士を使わずしての川島弁護士、顧問弁護士でもなければスポットで依頼したとなるが、川島弁護士は阿智村からどのような依頼を受けたのかを吉川優議員に何も話していない。議員に話せないことを引き受けようだが、他の議員らは依頼内容を承知していたのか? 知っていたならば、なぜ吉川優議員だけに知らせなくあったのか? これが阿智村議会だとすれば、恐ろしい話ではないか。この頃から、吉川優議員は「僕だけ違う世界に居る」とぼやいていたが、このボヤキが議員使命を失わせる状況となったようだ。心ある村民が居るならば、吉川優議員は川島弁護士との話を録音しているからして、このおかしなのれん代の話しを聞いてみることだ。
三日遂行
のれん代の話が出たのは、村民説明会にの翌々日である。突然に臨時議会が開かれ、そして川島弁護士の弁護料200万円と、のれん代6千万円の支払いが議決された。この事に違和感を持つ村民が誰も居ない。この不思議な村に民主主義は存在していないようだが、川島弁護士はたったの三日で弁護士としての業務を遂行したようである。大したものだ。よほど腕が立つ弁護士なのだろうが、裁判もやってなく3日で200万円とは、あまりに高くないのかな。だいたいにして、のれん代が行政に請求できる案件となるかどうかは、行政法でなく民法において争うことであるに、それがための弁護士依頼なのに、時雄と話しただけで、6千万円を決定できるとは、いったいその法的根拠はどこにあるのか。そして、その法的根拠を阿智村に示すことが必要であるが、それらのことは一切行われていない。
熊谷秀樹村長よ、時雄に脅かされて言うがままになっていたが、その理由が表に出れば、逮捕はもとより、阿智村は潰されてしまうことになる。その辺りを十分認識しておけと忠告する。令和4年12月5日
舞台裏
月川を指定管理者のままで建て替えせよから始まり、嘘がバレれば、今度はのれん代を払えに変わったが、そのどれもを言うがままに熊谷秀樹村長は受けている。時雄に向かい、早く死んでもらわな困るとまで言い切った熊谷秀樹村長が、何故ここまで豹変したのかは、一にも二にも「弱み」を握られていたからだ。その弱みはとんでもない犯罪であって、それは阿智村の存続を左右する一大事件であったのだ。
口が裂ける
時雄や叔父が私に対峙できない大きな理由は『ヘブンスそのはらの山林地代の支払い』にある。たしかに叔父の月川旅館横領犯罪も有るが、その横領の裏に隠されていた月川旅館の払い下げを利用した負担金2050万円の横領と、月川建て替えによる不法な要求もあった。しかし、これらの計画犯罪を暴露して阿智村を救ったのは私であるが、熊谷秀樹村長はその様にとらえていなく、のれん代を時雄に渡すことで収拾を図っている。ここであまりにも理不尽なことに、吉川優議員を除く11名の議員が、熊谷秀樹村長の愚行に協力したことだ。なぜだ? ここに何か理由が無ければ、のれん代など認められることではないし、勝野公人議員や軽い良識の林清子共産党議員らも賛成に向かった異常な状況にあった。なぜ時雄に対して議員らがノーを突きつけられなかったのかと言えば、時雄を排すれば、阿智村の行政犯罪が露呈するからである。時雄の何が怖くあったのかと言えば、それはまさしく、『ヘブンスそのはらの山林地代の支払い』にあった。
岡庭一雄と西の三悪人の犯罪を次々と表に出す私に対して、これら4人の者が何一つ私に対峙できないでいた。なぜ私と面と向かって話が出来ないのかといえば、私が言っていることが真実だからである。では、岡庭一雄と西の三悪人は、何を恐れて私と対峙できないでいたのかと言えば、やはり『ヘブンスそのはらの山林地代の支払い』にあるのだ。令和4年12月7日
死んでも言えない
そして、2020年に村会議員に成った議員ら全員も、「死んでも言えない」と口にしていることは、やはりヘブンスそのはらこと、ジェイマウンテンズセントラル株式会社にかかわる金の動きであることだ。死んでも言えないとは死んでは言えないことだが、生きているに言えない事情があることになる。それほどの重大な事実が何であるのかは、12名の議員らは知っているのだが、それほどの重要事実を言えない議員はありえないことで、まさに村民を裏切ることだが、それにもまして、事実が露呈したときに、死んでも言えないとの言い訳が通用するのかと、死んで償うほどの覚悟がこれらの議員にあるのかと返しておく。
死ななくても言えること
「ヘブンスそのはらを買収する資金に鶴巻荘の積立基金が運用されたのではないか!?」「ヘブンスそのはらの山林地代を阿智村が受領する理由はなんですか!?」「存在しない本谷園原財産区に毎年支払われる地域振興補助金とは何でしょうか!?」この三つの質問を議会に挙げれば、議会はその質問に答えなくてはならない。それであれば、何も死んでまで言わないとする覚悟がどれほどなのか村民に見えるではないか。どうでしょうか? 村民の皆様、この三つの質問に納得されますでしょうか? 正常な村民であれば、誰もが不審に思うところでしょう。この三つの質問はどれも「ヘブンスそのはら」にあることで、ここに、ジェイマウンテンズセントラル株式会社と飯田信用金庫と阿智村の不穏な関連があり、これが解明されれば大変な犯罪が露呈します。大変な犯罪だから死んでも言えないのでしょうが、ここは一つ、死ぬ前に言ってもらうべきではありませんか。令和4年12月8日
村を守る
議員らが口をそろえて「死んでも言えない」は、これら三つの質問にあることです。この三つの質問を駒場自治会は小林義勝議員(共産党)と井原敏喜議員(公明党)に質問したと言う。そしてその返答が「死んでも言えない」であったのだ。たしかに、小林義勝は吉川優議員の質問にも、「死んでも言えない」と、同じ言葉を吐いていることからすれば、なにも、議員にならぬ前から言えないことであったようだ。なぜだ!?小林義勝など曽山の共産党員であるだけで、野人が口にする言葉ではない。なのになぜ言えなくあるのかは、小林義勝は議員でなくとも阿智開発公社の理事であったからだ。阿智開発公社に何も関係が無い小林義勝がなぜ理事になっているのかから疑問を抱かなくては、これから先に話は進まない。
小林義勝の相関図
小林義勝は吉川優の絵の教え子であったと言う。しかし、吉川優が議員になって行政内にある不正を口にするようになってから疎遠になったようだ。吉川優は良人で、小林義勝にも屈託なく接していたが、「阿智開発公社の定款を見せてもらえませんか?」とお願いすれば、それは死んでも出来ないと言われたそうだ。吉川優議員は仕方なく、法務局本部に定款の開示を求めたが、利害関係がなければ開示が出来ないと、懇切丁寧に断られたと言う。吉川議員がなぜ阿智開発公社の定款を必要としたのかは、牛山阿智開発公社理事長から開示された定款が偽造されていたからである。その偽造がなにかといえば、まったくに単純な話、あるべき拠出金の項目が削除されていたかrだ。なぜ拠出金の項目が削除されてたのかと言えば、記すべき金額を他の理事、あるいは村民に見せないとの思惑である。阿智開発公社の理事のうちに議長(当時は熊谷義文議長)が在籍するが、拠出金が何であるかも知らなければ、関心も無いことである。令和4年12月10日
隠せの指示
拠出金を隠すことの必要性を小林義勝は理解していることになるのだが、それは隠すことを目的として小林義勝を理事にしたとなる。では、小林義勝を阿智開発公社の理事にしたのは誰なのか? それが岡庭一雄であることに疑いの余地はない。岡庭一雄は阿智開発公社の理事や監査員を共産党員で独占し、共産党が運営する財団法人としたのであるが、それらの目的がどこに有ったのかと言えば、鶴巻荘の拠出資金5億円を阿智開発公社以外で運用することであった。その5億円は、ヘブンスそのはらの購入資金へと充てられたことで、その様な運用を可能とするには、飯田信用金庫の協力無くしてなりえない。
大がかりな犯罪であるが、これが長く隠されてきたことが、阿智村が潰される結果となるのだろう。この様な考えられない犯罪が隠されてきたことの一つに、議会が全くに岡庭一雄村長の言いなりにあったことだ。岡庭一雄が議会対策として多くの偽造契約書を作成しているが、この程度の偽造に気づかないバカ議員ばかしではなく、隠れ共産党議員が多く協力したことで為しえたことであろうが、死んでも言えない事情が何であるのかが判明しては困るとして、小林義勝を急遽議員へと押し上げたのも岡庭一雄である。言ってみれば、駒場地区住民が協力して、この犯罪を隠蔽したとなる。
吉川優が小林義勝に「開発公社の定款を見せてください」とお願いしたとき、岡庭一雄はこの犯罪が露呈するとの恐怖を覚えたのは、すでに私が鶴巻荘の5億円がヘブンスそのはらの購入資金に充てられたとのことをブログで発信していたからで、吉川優がこのまま議員を続けられては困るとし、早々と小笠原啓二を使って吉川優の再出馬を抑えてい待った。まあ、吉川優は既に嫌気を指しており、再出馬の意思が全くなかったことなのだが、そこまで手を回すとなれば、小笠原啓二もこの犯罪を了承していたと言うことだ。そのように振り返れば、岡庭一雄が村長になっての二期目、小笠原議長の岡庭一雄寄りに納得する。大野の井原職員が自殺したのも、小笠原啓二が岡庭一雄の責任を彼に押し付けたことが思い出される。令和4年12月12日
ヘブンスの売値
吉川建設はヘブンスそのはらをジェイマウンテンズグループ株式会社にいくらで売ったのであろうか? 3億円や5億円でないことに、阿智総合開発株式会社が分裂する前に、6億以上の減資を行っていることにある。コクサイの石田社長が岡庭一雄村長の手前、半分の権利を譲渡したにせよ、吉川建設では半分の権利を有しているからだが、この金額が判明すれば、鶴巻荘の5億円の状況が明らかになると考える。吉川光圀会長に話を聞けば分かることだが、答えが先では誰でも判断できることで、想定において結論付けしなければ、犯罪を立証できない。このあたりは個人の領域ではないが、警察が扱えない行政犯罪に立ち向かうには、監査請求か審査請求しかないことで、この方法しか取れない。
3億円が鍵
白澤祐次社長は、日本一の星空の成功において多くの場所で講演活動を行っているが、その話の中で「借金を早く返したい」として、借金は3億円であると臆すことなく口にしているが、3億円で吉川建設から買ったとは思えない。地権者組合との懇親会でも、「借金を返せば下げた地代を上げることが出来ます」とお上手を言っているが、3億円の借金などとうに返しているはずだ。(地権者組合との懇親会は毎年行われていたが、偽造契約書を突きつけた三年前から行われていない)
白澤祐次社長が言う「借金3億円」は嘘ではないことに、多くの場所で話していることに有るが、それであれば、間違いなく飯田信用金庫駒場支店から3億円を借り入れていることになる。小池理事長に「3億円の担保はあるんですか?」と聞いたときに、「当然ありますよ」と即答された。この会話は録音してあるので、しかるべき時に証拠として提出できるが、3億円の借り入れに担保が有るとしても、それらの事はあくまでも3億円の金額に対しての答えであるだけだ。これであれば、「死んでも言えない」のことは、3億円には関係することではない。令和4年12月14日
阿智総合開発株式会社の分裂
第三セクターである阿智総合開発株式会社が分裂して、吉川建設だけの単独営業となった時点に振り返れば、「なぜ阿智総合開発株式会社は分裂したのだろうか?」の疑問に行きつく。そう、何故分裂したのか? 当時この話題は飯田下伊那を駆け巡っているが、世間の大半は、「コクサイが伊那谷道中を始めたからだ」「伊那谷道中は吉川建設でなくフジタ建設にやらせたからだ」との噂であった。実際のところを吉川建設の従業員に聞いているが、まあ世間の噂と遠からじであるはいがめなかった。まあ、それはそれとしても、コクサイの石田社長は事業家であって一つの事業に固執することはなく、売り払っては次の事業を開発するのが事業家であることで、分裂するは既定路線定であった。だからして、減資を行ったのは分裂を見据えての事であり、また、吉川建設も承知の上で経営を引き継いでいたのだ。
この様に考えれば、吉川建設はヘブンスそのはらを単独経営することも既定路線であったと言うことになる。ふりかえれば、平成8年の開業当時は飯田市の部長東を専務とし、飯田信用金庫の支店長東を常務として始まっている。ここに、コクサイのメインである八十二銀行は参加していない。これらの人事は長く続かず、数年後には吉川建設の事務端から専務を送り込んでおり、常務は廃止されていることからして、吉川建設の単独経営は決められていたことと推察できる。
次の疑問
平成12年の日付において、一つの契約書が存在するが、それもまたヘブンスそのはらの山林地代の契約書である。この契約書は公開できないが、熊谷秀樹村長から渡された一連の契約書に含まれていた。当然として、岡庭一雄村長と石田貞夫阿智総合開発株式会社とが甲と乙とされている不思議な契約書である。平成6年に地権者組合と阿智総合開発株式会社の契約書が存在するに、その6年後になぜ同じ内容の契約書であるのに、地権者組合が岡庭一雄村長に変わり、そして阿智総合開発株式会社には、石田貞夫の名前が付記されたのか、そしてこの契約書を作成した目的は何であったのか? 令和4年12月16日
ジェイマウンテンズグループ株式会社
ヘブンスそのはらを「平成18年に、投資ファンドによりスキー場再生事業会社として設立されたジェイ・マウンテンズ・グループ株式会社が買収」と紹介されているのがジェイマウンテンズグループ株式会社である。いわゆる、ヘブンスそのはらを買収する目的で新たに設立した会社であると説明している。既設の企業が買収したのではなく、ヘブンスそのはらを買収する目的が先にあったと言うことだ。
投資ファンドがヘブンスそのはらに目を付けた? ここに相当なる違和感を感じるが、ヘブンスそのはらを買収する目的が先に有れば、当然として手引きした者が存在することになる。それが誰かとは言うまでも無いが、岡庭一雄村長しかいない。そして吉川建設に話をかけるとして、そこに相当なる利益が無ければ話に乗らないことでもある。それは何か? 吉川建設が岡庭一雄村長の話が聞けるとすれば理由はただ一つ、それは、吉川建設は土建業者と言うことだ。そしてそこには具体的な条件があったのだ。「阿智中学校全面改築事業」の飴である。従来の阿智中学校は今は無い細沢工務店の建設であることで、業者の談合条件にない。岡庭一雄が村長としてお墨付きを与えれば、ほかの業者は何も言えないのだ。まあ、こんなことはどこの行政にもあると世間は言うであろうが、こういう族は図に乗るのであって、行政に不正がはびこるのは、まさに世の中の腐敗であろう。
余談
阿智中学の設計に章設計は指名されてないのは、その時すでに岡庭一雄と西の三悪人の犯罪を口にしていたからであるが、それとは別に、岡庭一雄村長は設計を入札と決めていた。この頃はコンペ(競技設計)が一般的であるのに、これだけの大事業を入札としたのには訳があった。それは、鶴巻荘の建設予定地に、急遽湯ったり~な昼神が建設されることになった時、石田治一郎県会議長から「第一設計もコンペに参加させてくれ」との依頼を受け、第一設計を湯ったり~な昼神のコンペに参加させている。章設計はその第一設計と企業体を組んで湯ったり~な昼神の設計コンペに参加しているが、それは吉川建設の紹介によるものであった。
第一設計のコンペ作品は他を寄せ付けない圧倒的な素晴らしい作品であった。「鈴木設計(時雄と鈴木設計がつながっていた)」と決めていた岡庭一雄村長は、突然に発表会の途中で席を外して投票に参加しなかったのは、万が一鈴木設計に決められない場合に備えてのことであった。案の定、第一設計の案が票数で上回った。そこで岡庭一雄村長と時雄は水上宗光総務課長を呼びつけ、急遽上位二者(第一設計20票に対して鈴木設計11票)の決選投票を行うことにしたのだ。決戦投票に岡庭一雄も水上宗光も投票をしているが、こんなデタラメにおいて鈴木設計が当選したのである。
おまけ
現在の湯ったり~な昼神の施設は鈴木設計のコンペ案でなく、第一設計のコンペ作品を丸写しにして鈴木設計が設計している。このことに、勝野公人観光課長が異を唱えたと言うが、水上宗光は聞く耳を持たなかったと、勝野公人は言っている。令和4年12月18日
外せない第一設計
引き続いて始まった阿智中学の改築事業、それをコンペとすれば第一設計に負けるのは目に見えていた。そして、石田治一郎議長への面目もあることで、それを乗り切るには入札にして、飯田下伊那の設計事務所協会側に匙を預ける形が良いと考えたようである。それに、章設計は飯伊設計事務所協会に参加しておらず、指名を外す理由として最適であったし、飯伊設計事務所協会は鈴木設計が仕切っているからしてすんなりと決まる。それに、入札にすれば「コンペに参加させてくれ」の口利きであるを理由にして、第一設計は外せるのである。
しかし、しくじった。それは、入札になると聞きつけた第一設計が、「長野設計事務所協会として、入札にも参加させていただきたい」と、正面玄関をノックしたのである。「参加させていただくだけで構いません」飯伊設計事務所協会に従いますと言われれば、岡庭一雄村長にとっては石田治一郎議長の手前、それを断れなくあったのだ。
談合破り
設計料の入札は事業費のパーセントでの入札としたようだ。あいまいな話であるに、それは飯田市の入札と大して変わらぬことで、設計事務所協会では通常の事らしい。あきれた話しだが、行政との癒着は当たり前の世の中であれば、それもまた当たり前なのであろう。
「設計料は4.5%ある」この言葉は談合の席での話であるが、談合の会場は桂建築設計事務所で開かれており、たしか議長は白子設計であった。鈴木設計事務所は第一設計の実力を知っており、万が一のために岡庭一雄村長から4%と知らされていたことを4.5%だと知らしめた。そして、大きな事業であるから飯伊設計事務所協会全体で行うと話し、代表が鈴木設計事務所となるを確認させ、1回目の入札を5%で入れ、3回目で4.5%に持っていくと話し合われている。令和4年12月20日
しくじり
この談合の裏話は、「1回目で3.5%にして鈴木設計が落札する」であり、それは第一設計を警戒して、万が一のための作戦であった。だが、第一設計の方が一枚上手であったようだ。それは、第一設計は豊丘村の入札において談合やぶりを経験していたからである。豊丘村の設計入札は桂設計に決まっており、第一設計は飯伊設計事務所協会の談合に従い入札に及んだところ、なんと、小沢設計・梓設計・GA(毛涯)設計の三者企業体の小沢氏が談合を無視し、落札してしまったのである。この経験で、第一設計は鶴巻荘のコンペのうっ憤を晴らそうと、同じく談合やぶりに走ったのである。もともとに、鈴木設計が言うところの4.5%など信用しておらず、飯田下伊那の町村の殆どが3%から3.5%の範囲で落札している状況を熊谷堅(元平谷村助役)営業から聞いており、鈴木設計は3%を割り込んで入札するだろうと警戒して、1.7%で入札した。当然として落札したが、岡庭一雄村長は即決できなかったようだ。
もう一つ、聞こえてきた話がある。それは、吉川建設が予定通り阿智中学校の改築工事を落札するに、第一設計は、設計協力費として3千万円を払えと吉川建設に申し入れようだ。なに!?と思われる方がほとんどであろうが、これは鈴木設計でも同じことで、「3千万円を払えば設計変更してあげますよ」と言う恒例の話しである。吉川光圀社長が怒ったと言うが、それはヘブンスの身売りで得た阿智中学校の工事が、思うような金額で落札できなかったことにあった。
さて本題
余談はここまでであるが、吉川建設がヘブンスそのはらをいくらで売ったかがキーポイントの一つとすれば、当然に利益が出なければ手放すことはない。私は8億から10億程度だと考えているが、当時の吉川建設は本業がアップアップの状況であって、やはり八十二銀行へ10億円程度の差し入れが必要だったと思うからである。10億での売値であれば吉川建設は即答しただろうし、そこに掛け値も無い。では、岡庭一雄村長が10億出せるとなればすんなりだが、たしかに岡庭一雄村長は10億円を想定していたとすれば、10億円が用意できる状況に有ったことになる。令和4年12月22日
10億円
岡庭一雄が動かせる金が当時いくらあったのか? から始めれば、間違いなく鶴巻荘の5億円は残っていた。そして、その5億円が今現在行方不明だとすれば、吉川建設に支払う金額の担保に回された、あるいは使われたとみて間違いないだろう。それが嘘だと言うのであれば、阿智開発公社の定款の本物を開示すればよい。開示できないことは疚しい内容にあるとして、拠出金として5億円の記載があれば開示できることであるし、偽造されていた定款の写しに拠出金の項目が無いことは、5億円が阿智開発公社に無いのを示している。それに、5億円があるのであれば、小林義勝議員やほかの議員らが、死んでも言えないなどと口をそろえる必要もないことだ。
選択
ここにきて二つの選択が出てきているが、それは5億円を使ったのか担保にしたのかである。どちらにしても5億円は阿智開発公社から離れているのは確かになった。まあ、羽が生えて飛んではいないが、飯田信用金庫駒場支店の中で、あっちに行ったりこっちに来たりの状況なのだろう。
さて、ヘブンスそのはらに関しては、吉川建設は飯田信用金庫駒場支店を指定金融機関にしていた。コクサイと八十二銀行が離れても飯田信用金庫駒場支店が阿智村の指定金融機関であれば当然の状況である。このような状況であれば、岡庭一雄村長は、信金から吉川建設に話を持ち掛けさせたと思われるが、そうであれば、鶴巻荘の5億円はヘブンス購入資金に回せるとなり、その場合、担保であれば定款への記載は出来ることだ。だが、偽造されている状況からして、購入資金と見るが道理になる。
この様に、5億円はヘブンス購入資金に充てられたことが判明するが、だからと言って、5億円をそのままにすることは出来ない。少なくとも5億円の埋め合わせが必要となるが、それは信金で言うところの資金回収とされているのだろう。令和4年12月24日
埋め合わせ
それにしても、鶴巻荘の5億円をヘブンスの購入資金に充てるとは、岡庭一雄と言う男、並大抵の悪ではない。村民を騙すと言うより国に背くことを平然とやれる、こんな犯罪を思いつくとは恐れ入ったが、その共犯として、西の三悪人が介在していたことを忘れてはならない。岡庭一雄と西の三悪人、これらの取り巻きと合わせれば、30名くらいの犯罪集団となるが、これら犯罪集団の各それぞれの者が、阿智村行政と議会を牛耳ることで行うことが出来た行政犯罪である。もともとに、この犯罪を思いついたのは岡庭一雄と時雄であるが、その切っ掛けをつくったのは間違いなく日本一の星空である。この辺りは追々に書き出すが、まずは岡庭一雄の資金繰りから攻めてみよう。
10-5
吉川建設の売値を10億円とした場合、鶴巻荘の積立基金5億円がまず用意された。そこで残すところが5億円となれば、その5億円をどのように用意したかである。ここで、白澤祐次社長が「3億円の借金を早く返したい」と、講演先や場所場所において話していたことを思い出せば、白澤祐次社長は3億円の借金が有ったことになる。何の借金か? どこから借りたのか? これは言うまでもない。ヘブンスそのはらの買収資金であることだ。
5億円から3億円を差し引けば、もうすでに2億円の金策しか残っていない。それであれば、この2億円もの金を岡庭一雄がどのようにして用意したのかと言うのが結論ではないか。5億円は鶴巻荘の積立基金、それも飯田信用金庫駒場支店で眠っているだけの金であるに、返さなくとも何も困らない金であるのは確かな事だ。白澤祐次社長が飯田信用金庫駒場支店から3億円を借り出した。そのことは小池理事長が「担保は有りますよ」と、3億円を融資したことを認めている。令和4年12月26日
2億円の唐栗
園原と本谷両区のヘブンス山林、この山林地代がなぜ阿智村に支払われるようになったのか? この当初からある疑問に、すべての答えは眠っている。まあ、眠っているとの表現は適切でないとしても、答えを出すのは簡単であるし、その答えが行政犯罪であることも言っておくが、問題はそこまでのプロセスにあり、そのプロセスが行政で行われたことで行政犯罪に発展している。行政犯罪を刑事訴訟法で裁くことは出来ないが、ここの犯罪を立証すれば、長野県警であったとしても扱うことは出来るであろう。その個々の犯罪を立証するには、やはり裁判が有効な手段であって、裁判へと進むには行政書類がその証拠となることだ。
必要性
税金が掛かるとしての言い訳はたいして役に立たないが、その様な言い訳が通じる事情に、阿智村議会の異常性があった。小笠原啓二が議長の頃か、いやもう少し前であるのは、岡庭一雄が村長になった平成10年の頃で有ると記憶する。「地域振興補助金とは何だ?」が、当然に議会で取り沙汰されている。そこに、税金が掛かるの事情は無いことは、その質問は監査員から出ている話であったからだ。その頃の監査員は、たしか伍和の原忠良氏である。息子である昭幸とは同年であるし、父と忠良氏は団長副団長で亡くなるまで親交があった。それで詳しく知るに、原忠良氏は監査において、地域振興補助金の支払いに疑問を呈している。監査として当然のことで、税金が掛かるなどの事情は通用しない。そこで何を用いたのかと言えば、『岡庭一雄村長と阿智総合開発株式会社石田社長との賃貸借契約書』である。岡庭一雄は村長として、もはやこの時点で偽造契約書を作成していたのである。偽造でも何でも村長との契約書が有り、両区山林地代が阿智村に振り込まれているとなれば、それ以上の口は監査でははさめない。その年の監査は通用したであろうが、それから監査員が変われば、岡庭一雄の息がかかった共産党の監査員となる。令和4年12月28日
移動口座
原忠良氏の指摘において、さすがの岡庭一雄もまずいと考えた。そしてとられた手段が、振込先の変更である。どこに移動したのか? それは当然に村の会計以外となるが、そこがどこかが今まで不明であった。しかし、熊谷秀樹村長が月川旅館で時雄や叔父ともめだしたとき、すかさず私は地域振興補助金の支払いを止めるべきと進言した。その時の話し合いに高坂和男議長も同席したが、その時点では支払いを止めることが出来ていない。それから、半年は経過しただろうか、たしかに地域振興補助金の支払いを止めている。この時点において、阿智村の会計に白澤佑次社長が振り込みを続けていたならば、そうは簡単に止めるわけにはいかない。それに、その頃白澤佑次社長は「契約金が行方不明だと騒いでいる」これらを繋ぎあわせれば、一つの動きとして、平成30年には少なくとも阿智村以外の口座に振り込まれていたことになる。それにもう一つ、水道代を払わぬとして熊谷秀樹村長と話をすれば、「ヘブンスの地代は阿智村に支払われていますか?」との質問に、「いえ、支払われていません!」と、はっきり否定している。これは録音してあるが、まずは嘘ではないだろう。ならば、間違いなく阿智村の会計にはヘブンス山林地代は振り込まれていないことになる。果たしてどの口座に振り込まれているのか? もはや想像に難くないが、もう少しお付き合いを願おうではないか。
誰が得をする
ヘブンスの山林地代を阿智村に振り込まれていたことは事実だが、そしてさんざんに私はその矛盾を指摘して、今日まで来ている。しかし、一向に改まらないのは、いまだ山林地代はどこかの口座に振り込まれており、阿智村はその地代の代わりとして、地域振興補助金を支払い続けている。ここで誰かが得をしているはずだ。そして智里西住民は、とても多くの損をしているのである。令和4年12月30日
村民の損
ヘブンスの山林地代が阿智村の会計に振り込まれていなく、阿智村の会計から地域振興補助金が支払われていれば、まったくに損をしているのは阿智村民である。これが分からぬ村民であるからどうしようもないが、なぜそれを許す状況にあるのか? といえば、そのからくりが分からないことにあるようだ。まあ、からくりが分からなくとも絶対的な事実は、「地域振興補助金」は、村の金であることだ。村の金が、毎年存在しない団体に支払われているだけでもあり得ないではないか。苦し紛れに「地域振興補助金は阿智村独自の特殊な補助金だ」と、議会は回答したが、そもそも、議会が村長に「地域振興補助金とは何だ!?」と質問すべきことで、村長が説明すべきことだ。特殊な補助金独自な補助金、何を言ったにしても阿智村の金である。それが25年も支払い続けられているのに、それを質す議員が誰もいない。たとえ共産党に支配されていたにしても、あり得ない話である。
出金と入金事情
地域振興補助金の支出は阿智村の会計からであるに、その補助金の元になる財務資産が無い。ヘブンスの山林地代を受けていないのは判明しているが、補助金は出っぱなしで、そこに当てる財源は村民の税金であるに、これでは補助金とは言えず、また、特殊な補助金としても、支払う理由も無いとなる。ここまで書き出せば分かると思うが、地域振興補助金の支払いにからくりなど存在していない。支払いにからくりが無ければ、それはヘブンスそのはらの山林地代の入金にからくりがあることになる。「ヘブンスの山林地代は一体どこに支払われているのか?」そう、この疑問が解ければ、からくりのすべてが明らかになる。阿智村に支払われていなければ、阿智村に関係する会計に支払われていることになるが、その外郭団体は一体どこなのであろうか? この外角団体がどこであるかが判明すれば、そう、そこにこの大掛かりな犯罪が存在しているとなる。令和5年1月1日
公社
公社とは、私的な利益を追求するのではなく、公(おおやけ)、つまり社会のために存在している団体で「官と民の中間」のような存在であるが、阿智村には明確な会計を持つ外郭団体として阿智開発公社が存在し、その会計報告は阿智村で行なわれている。阿智村で監査を受けるのは無課税団体と言うことだが、監査が阿智村で行われることは、阿智村が管理している団体だと言うことだ。阿智村が管理をしていれば、阿智開発公社は阿智村の考えにおいて経営されていることになるが、はたして阿智開発公社が存在する意味は一体どこにあるのでしょうか。
鶴巻荘を経営するために設置された阿智開発公社であるが、鶴巻荘を指定管理者にした岡庭一雄村長と熊谷時雄議長は、鶴巻荘の存在すら否定していたはずだ。その鶴巻荘を手放した後に阿智開発公社を残した理由は、はたして5億円の積立基金だけであったのか、それとも他の理由、例えば、ヘブンスそのはらの山林地代を受け取るために、阿智開発公社を残したのではないのか。
ペーパーカンパニー
鶴巻荘の積立基金5億円を拠出金にして、阿智開発公社を一般財団法人にしたことはすでに判明しているし、その5億円を用いてヘブンスそのはらの購入資金に充てたのも疑う余地はないが、そこにきてヘブンスの山林地代を受け取ってきたとしたならば、それは途方もない犯罪公社となってしまう。本当にこんなことが出来るのであろうか? 並の者なら考えもつかない恐ろしい犯罪である。公社が幽霊会社であったなどと、それも行政がその仕組みを作り上げていたとなれば、もはや法律など無用ではないか。ありえない、決してあり得ない、いや、有ってはならないことだ。これが私の想像や妄想であるならば小説の世界で功を成すだろうが、残念ながら、私の想像にはすべて根拠がある。確認できないのはただ一つ、「阿智開発公社の口座番号」だけである。令和5年1月3日
返済金
ここに答えは出ている。ヘブンスの山林地代は「阿智開発公社の口座に振り込まれている」これに反論が出来るのであれば、誰でも構わないから否定してみろ。これが事実であるから議員の誰もが「死んでも言えない」「口が裂けても言えない」などとのたまっているのだ。ふざけた話ではないか、これはとんでもない犯罪である。口が裂けてもと寝ぼけたことを言っているが、議員であるのを忘れて犯罪を隠蔽するならば、刑務所行を覚悟した方がよい。そこまでの覚悟があればまだしも、たんに体制を守ろうの隠ぺいは村民を裏切ることだ。
山林地代の行方
阿智開発公社にヘブンス山林地代が支払われているのは間違いないが、問題はなぜ阿智開発公社へ白澤佑次社長が振り込んでいるのか? ということだ。まあ、阿智村の会計に振り込むわけにはいかないからだが、それにしても阿智開発公社としてその金の使い道が有るのか? と考えるに、やはり、鶴巻荘の5億円と同じ使い道にしか理由はいかない。5億円は何に使われたのか? それはヘブンスそのはらの購入資金である。10億円を購入資金とすれば、5億円が鶴巻その積立基金、3億円が白澤佑次の借入資金、そうなれば残り2億円の資金繰りとなるが、それであればすべてのつじつまが合う。
ここに阿智総合開発株式会社の契約金2千万円をあて、そしてジェイマウンテンズグループの契約金2千万円もある。ならば、2億円から4千万円を引けば、借り入れは1億6千万円だ。これを30年返済(30年は賃貸借契約期間)として利息を加えても275万円を充てれば半分の返済が出来る計算となる。
さあ、どうでしょうか。吉川建設が10億円で売ったとの前提であるが、それが8億円であれば、275万円は白澤佑次社長の返済金となるだけで、10億円以上であれば、白澤佑次社長は3億円の用意が出来ないとして、いまだ吉川建設が経営していたことだろう。令和5年1月5日
時雄はどこだ?
岡庭一雄村長が吉川建設に話を持ち掛け、ジェイマウンテンズグループ株式会社にヘブンスそのはらの経営権を譲渡したのは事実であるが、この謀略に時雄と渋谷秀逸と操が関与していなければ、この話しは成立しない。なぜならば、この三悪人の関与無しにヘブンス山林地代は動かせることが出来ないからだ。そして、その山林地代を動かすことにおいて、この三悪人に金が回らねばこの犯罪は成立しないことである。この三悪人と岡庭一雄が仕組むことで、その発端の理由が「山林地代に税金が掛かる。阿智村名義の山林だから村にいったん地代を入れて、村は地域振興補助金として本谷園原財産区に返済される。こうすれば税金が掛からない」であるからして、村と三悪人の共謀が成立するのである。今になって、「税金が掛かると言っていない」とか、「阿智村に振り込まれていない」とか言っているようだが、地域振興補助金の支払いは、今でも阿智村の会計から存在しない本谷園原財産区に支払われている。その地域振興補助金を受け取っている存在しない本谷園原財産区は、毎年の会計報告に堂々と『ヘブンス山林地代』として収支報告を行っている。
隠された金
阿智村に一旦金が入ることで、そしてその金額と同じ金額が本谷園原財産区に支払われていれば、たしかに税金が掛からぬことだと皆が錯覚してしまう。だが、例え偽の団体であるにしても、そして両区の会計であったにしても、共有財産への収益に税金がかかることはあり得ないが、それを信じ込ませた岡庭一雄と西の三悪人は、どこに目的があったのか? 岡庭一雄にしてみれば、阿智開発公社に毎年275万円が入ることは大きく、だからしてヘブンスそのはらも吉川建設から買うことが出来た。しかし、そこに、西の三悪人が儲かる話が存在していない。西の三悪人に得が無くて、このような複雑な犯罪は思いつかないだろう。令和5年1月7日
賃貸料の減額
吉川建設が身売りする頃か、地権者組合に「地代の値下げをお願いしたい」との話が来て、当時智里西開発組合の専務であった私はその仲介の労を取っている。智里西開発組合の組合長は佐々木徹(亡)さんから村会議員であった田中治彦(亡)さんに代わっており、地権者組合もまた時雄が仕切っていた。確かに身売りをするなどの話は一切聞こえていなくあったし、ここにきて地代を下げるのは経営が苦しいものだと考えていた。しかし、おかしなことに気づいたのは、地代の減額は既成事実だとされ、その話を仕切る時雄の様子に違和感を覚えていた。吉川建設のヘブンス専務が話をする内容であるに、そこには白澤佑次支配人しかいない。地代を下げるとは地主たちにとっては重大な話である。それが役員でもない従業員が頭を下げるでもなく、すべてを時雄が仕切っているのだ。
一割の減額
「ヘブンスではこのところ来場者が減っており、オープンからだと半分くらいだ。そこで地代をしばらくの間減額してほしいと言っている。だが、こっちにとっては冗談じゃないと言う話になるが、ヘブンスが安定して経営できなければそれもこまる。そこで、ヘブンスからのお願いは、一割の減額と支払い時期について今年の支払いを半年遅らせてくれとの話だが、……」ぐだぐだととりとめのない話が続いていたが、そこで今度は智里西開発組合に話を振ってきた。「財産区は300万だから一割切って270万になる、その話を財産区とつけてくれ」その上で、半分ずつの支払いになると言う。270万円の半分は135万円だが、その半分の支払いを半年先に延ばせと言う。そこで個人地主達への支払いの先延ばしと同じくすると言うのだが、どう考えても、一年分がどこかに行ってしまう。「半分ずつは良いが、阿智村から支払われる地代の年度が替われば、前払いでなくなるんでは?」と聞いてみた。この質問に気づかない地主たちにあきれるが、時雄が言っていることは「前払いでなく後払いに切り替える」である。どこの世界に地代の後払いが有るのか? この疑問が解明するのは偽造契約書の存在であった。令和5年1月9日
一割減額は嘘
この時の時雄の考えは地代の減額に目的は無く、地代の横領を計画してのことであった。それは巧妙に、そして岡庭一雄村長と綿密に計画されていた。そしてその企みを示す契約書が存在していたのである。その契約書をご覧ください。ヘブンス最初の偽造契約書 クリックしてご覧ください。
この契約書は、ヘブンス山林地代を横領するに持ちいれられた最初の偽造契約書であるが、ここに三点の重要事項が示されている。
一点目と二点目
まずは、『賃貸人 本谷園原財産区』と、契約日の『平成6年1月1日』であるが、それは、両区代表熊谷茂平氏が区長として、熊谷恵治氏が地権者組合長として、そして田中春彦氏が智里西開発組合長として、阿智総合開発株式会社と契約を交わした『土地賃貸借契約書平成6年1月1日』を基にして、契約者甲の熊谷茂平区長・熊谷恵治地権者組合長から、本谷園原財産区に書き換えられていることにある。平成6年1月1日から熊谷茂平氏が区長になっていることで偽造だとバレた契約書なのであるが、なぜこのような偽造契約書が必要であったのかと言えば、区長と地権者組合長が契約者の甲であれば、ヘブンスの山林地代は両区の口座に振り込むことで、その地代を横領するには、本谷園原財産区を存在させる必要があったからである。西の三悪人と岡庭一雄が共謀して作り上げた本谷園原財産区なのだが、当然に岡庭一雄が村長になった平成10年に行われている。渋谷秀逸が区長となった平成7年1月1日ではつじつまが合わなく、平成6年1月1日からこの契約書が存在していると見せかけたのである。(この契約書は当然阿智村内部の機密文書であったが、時雄憎しの熊谷秀樹村長が私の請求に応えて渡してくれた書面である。)ただし、当然に熊谷茂平区長と阿智総合開発株式会社との、平成6年1月1日の契約書も存在している。令和5年1月11日
三点目
『3,792,663円』これが土地賃貸借料である。ここで「おかしいな?」と思われるのは当然で、ヘブンスの山林地代は300万円ではなかったのか? でしょう。そう、西地区の誰もが300万円と聞いており、一割の減額で270万円になったとされ、地域振興補助金も270万円であります。だったら、あとの792,663円はなんのお金で、その金は一体どこに行ったのでしょうか?
混乱
ここでもう一度ご覧いただきたい契約書が有りますので、「ヘブンス最初の偽造契約書」と照らし合わせてご覧ください。ヘブンス最初の偽造契約書 2 クリックしてご覧ください。
さてさて、これもまた大変な偽造契約書が出てまいりました。平成9年7月18日付の阿智村長山内康治と阿智総合開発株式会社代表取締役石田貞夫の土地賃貸契約書です。この契約金額を見れば、「3,763,813円」が契約金額で28,850円の差額が有りますが、その物件は「ヘブンス山林」でありますので、ヘブンス最初の偽造契約書と同じ内容になっています。本谷園原財産区との偽造契約書を作成したならばそれで良いじゃありませんか? なのに、平成9年になって同じ契約内容を阿智村長とする? ここにどのような理由があったのでしょうか? この疑問を解く一つの鍵は、この偽造契約書2も、平成10年以降に作成されたものだとして考えてみてください。
どちらにしてもびっくりすることばかしですが、ここまでの大それた犯罪を小説でもよろしいがご覧になったり聞かされたりの方がおいででしょうか? 小説より奇なり、は、まさにこの犯罪ではないでしょうか。令和5年1月13日
点から線に
岡庭一雄村長と西の三悪人は、まず、本谷園原財産区と阿智総合開発株式会社が賃貸借契約を交わしていると見せかけた。しかし、これでは本谷園原財産区に山林地代を支払わなければならないが、しかし、本谷園原財産区は時雄の想像団体であって存在はしない。では、どうしようか? が、阿智村と阿智総合開発株式会社の偽造契約書へと結びつくのである。
さて、時雄らの目的はヘブンスそのはらの山林地代を横領することにあるのだが、その山林地代はそれまでは両区に支払うとされており、まず両区に支払われない方法を考えることにあった。それらが「税金がかかる」の伏線であるのだが、それを実行するにしても、山林地代はどのみち両区に戻ってこなければ、横領はバレてしまう。それに同じ金員が戻ってこなければ、税金がかからないの理由が追いつかないとなる。それにしても、同じ金額が戻るとなれば何の意味もないことになるが、それでは、このような複雑な支払いに変える必要がどこにあったのだろうか? その支払い方法が今でも続いていることに、隠された秘密があることになるが、さて、いったい、この二通の契約書に隠されている秘密が何であるのか、それをこれから暴いていこうではないか。
それぞれの契約書
ヘブンズ最初の偽造契約書とその2の二通の契約書は、岡庭一雄が村長になった後、平成10年以降に作成されています。おそらく、平成12年頃の、吉川建設が単独経営となった年に作成されたものと考えられますが、これら二通の契約書は、その契約者甲がそれぞれ違いますので、それぞれの契約者甲の事情において作成されたことになります。本谷園原財産区が甲であれば、本谷園原財産区の都合であり、阿智村が甲の契約書であれば、阿智村がその契約書を必要としたのです。
本谷園原財産区は財産区としては架空の団体でありますが、時雄はそれを事実とするために、「本谷園原財産区保護誓約書」を作成して、本谷園原財産区の規約規則を作成しました。時雄が規約や規則を作成するのは、本谷園原財産区を任意団体として西地区住民に認知させるさせることで、本谷園原財産区の実権を時雄が握るためでした。令和5年1月15日
金融機関が共犯者
地権者組合の地主達には、毎年ヘブンスそのはら株式会社からそれぞれの地主に山林地代が振り込まれています。しかし、地権者組合の地主たちとヘブンスそのはらとの契約書は有りません。地主たちとの契約書が無いのに、本谷園原財産区と阿智総合開発株式会社との契約書が存在します。この不思議をなんと見るのでしょうか? 本谷園原財産区と阿智総合開発株式会社との契約書が有りながら、山林地代は本谷園原財産区の口座に阿智総合開発株式会社は振り込んでおりません。この不思議をなんとみるのでしょうか? 阿智総合開発株式会社と阿智村長との契約書が有りますが、山林地代は阿智村に振り込まれていません。この不思議をなんと見るのでしょうか? 阿智村は地域振興補助金として本谷園原財産区に山林地代を振り込んでいます。この不思議をなんと見るのでしょうか?
思議
犯罪は金の流れを追えば見えてきます。しかし、ヘブンスの山林地代の金の流れは、そうやすやすとその姿を現せてくれません。なぜでしょうか? それは、ヘブンスそのはらから支払われる金は、すべて飯田信用金庫駒場支店が扱っているからです。阿智村の指定金融機関も飯田信用金庫駒場支店ですので、阿智村から出る金も入る金もすべてが飯田信用金庫駒場支店で有りますので、当然に、ヘブンスそのはらから振り込まれる山林地代の振込先は分かることであります。阿智村に入っているのであれば、熊谷秀樹村長は阿智村に振り込まれていますと言いますし、振り込まれていなければ、振り込まれておりませんと話すことです。ですから聞きました。「本谷園原財産区の山林地代は阿智村に振り込まれていますか?」とね、それには「振り込まれていません」と、答えてくれました。そう、ヘブンスの山林地代は阿智村に振り込まれていないのです。そこだけは確定した事実であります。実際に、阿智村に振り込まれているとすれば、行政犯罪になってしまいますからね。
さて、阿智村に振り込まれていないなかで、地域振興補助金として山林地代と同じ金額が本谷園原財産区に支払われていれば、阿智村が損をするだけでありますが、実際に山林地代はどこに振り込まれているのでしょうか? その振込先が阿智開発公社ではないかと私は考えますが、それはともかくとして、この様な支払いにしていったい誰が得をするのでしょうか? 金の亡者である西の三悪人は、この支払方法にしていったいなんの得があるのでしょうか? 令和5年1月17日
契約金額の違い
本谷園原財産区の契約書と阿智村長の契約書で違う内容は有りません。地代も376万円程度であって同じとみてよいでしょう。ですが、地域振興補助金は270万円であって、その差は100万円強有ります。そうなりますと、その100万円はどこに行っているのでしょうか? また、地代の減額がありまして、個人地主たちはその減額に甘んじておりますが、山林地代も30万円の減額としても、まだ、75万円程度が不明で有ります。本当に減額されているのか? 金の行き先はどこなのか? その謎を解くのが次の段階となります。さて、本当に減額されているのかにつきましては、確かに個人地主たちの地代は1割カットされていますが、ここで地代が1割カットされたときのヘブンス経営者はどこであったのでしょうか? そう、吉川建設なんですね。吉川建設が経営が苦しいからと言って1割の減額を申し出たのですが、その地代をそのままにしてジェイマウンテンズグループに経営が変わった時、なぜ地代は元に戻されなかったのでしょうか? まあ、契約も交わしていないのですから個人地主たちのあほさ加減に呆れますが、それはそれとしても、今の経営者、ジェイマウンテンズセントラル株式会社はどうでしょうか? 地代について「元に戻します」とか「1割減のままでよろしいでしょうか」などの話しも契約の話しも出ておりません。なぜでしょう。
白澤祐次が鍵
渋谷吉彦がヘブンスそのはらの支配人を首になったのは、やはり吉川建設が撤退する直前であります。会社の重機を持ち出して自宅の除雪をしただとか、株主になれを断ったとかの噂は有りましたが、今では契約金の件で首になったとの話が事実だと地区では受け止められているようです。散々にブログに書き出しましたけど、思い当たるところが無ければ私の話も信じないと思いますよ。ここで吉彦の話を持ち出したのは、吉彦の後釜で支配人になったのが白澤祐次であったことに、これらの疑問を解くカギが有ります。白澤祐次はジェイマウンテンズグループに経営が変わった時点でも支配人であり、地主との交渉ごとの窓口も白澤祐次でありました。まあ、吉彦を連れまわした時雄が、同じように白澤祐次を窓口にさせていますので、そこにはやはり、時雄との画策が有ったことでしょう。令和5年1月19日
減額を決めたのは時雄
金の流れを追えば、ヘブンスそのはらから支払われる地代は大きく分けて二種類あり、その一つは個人地主たちの地代で有ります。個人地主たちの地代は直接振り込まれるもので、一割減を受け止めていれば、そこに不審を感じることは無いでしょう。そこでもう一つの地代についてですが、その地代も二つに分かれております。一つは山林地代で有りますが、もう一つは神坂神社の山林地代で有ります。神坂神社の地代については、379万円の契約書に含まれておりますが、地域振興補助金の金額270万円に含まれていません。そうなれば、神坂神社の地代が75万円から100万円の金額ではないのかの想定できますが、現状神坂神社の地代は15万円程度であって、少なくとも60万から80万円の金額が合っておりません。ようするに減額されていれば60万円、減額されていなければ80万円の金が消えているのです。
時雄の儲けどころ
白澤佑次社長が山林地代を阿智村に支払うとして、その金額は270万円だとされております。地域振興補助金が270万円ですのでその金額は証明されておりますが、この60万から80万円の金額はどこに支払われているのでしょうか? 本谷園原財産区との契約書には379万円となっておりますので、270万円は到底計算が合うものではなく、また、阿智村長との契約書も376万円ですので、どうしても100万円の相違が出ており、そこに神坂神社の地代を差し引いても80万円程度合いません。??の話しですが、実は、その??が解明できるもう一つの契約書が有ることが判明しました。その契約書も当然偽造された契約書でありますが、その契約書を白澤佑次社長に見せたところ、彼は青ざめ、そして何も語らなくなったのです。その契約書の金額は75万円程度であり、その金が時雄らの懐に入ってきたのでしょう。時雄の儲けはその75万円であり、それが今も続いていますから1800万円を超えておりますね。でも、時雄のこと、その程度の金で満足することは有りません。令和5年1月22日
契約金の搾取
阿智村が吉川建設に十分な支払いをすれば、また、契約金も含まれているとの了解であれば、阿智総合開発株式会社が積み立てた契約金2千万円はそのまま据え置かれたことでしょう。まあそれが無ければ時雄が承知しないでしょうね。吉川建設が撤退するに契約金を引き上げたとするは普通の話で、次に始めるジェイマウンテンズグループが契約金を積み立てることですからね。地権者組合を時雄が仕切れば造作ない話しです。ここで時雄は2千万円の契約金を懐に入れた。そしてそれは渋谷秀逸にも内緒であったかもしれない。まあそれはないか、操には内緒であったのは間違いないけどね。
ここで時雄は契約金2千万円と毎年支払われる地代の一部を搾取したが、それは岡庭一雄の協力無くしてあり得ないことで、岡庭一雄側からすれば、ヘブンス山林地代の300万円が阿智開発公社に入らねば、そんな協力も出来ないことだ。ここまでの話に疑いを持つ読者は居ないと思うが、念のため、もう一つの地代契約書をご覧いただこう。岡庭村長と石田社長の契約書 クリックしてご覧ください。ついでにもう一つ、山内村長と石田社長の契約書
さて、これも偽造契約書なのですが、これらの契約書は同じ目的(横領)で作成されていますが、山内村長との契約書の作成は、岡庭一雄村長との契約書の後に、または、同じ時期に作成されています。金額が746,479円と827,333円で違いが有りますが、それは借りていない地番を減額したもので、その他の土地の地番はすべて共通しております。これらの契約書は何であるのか? それが一番の疑問でしょうね。その疑問を解くカギは、やはり土地の地番にあるでしょう。
同じ契約日
1月13日に掲載した「ヘブンス最初の偽造契約書2」と照らし合わせれば、契約日は「平成9年7月18日」と同じであります。だとすれば、岡庭一雄村長との契約書の日付、平成13年12月20日とおなじく、もう一通の契約書が存在しなければなりませんね。ようするに、山内村長と石田社長の契約書がもう一つ有ることになります。有りますよ、吉川優議員が熊谷秀樹村長からもらっていますからね。
もう一つ重要なヒントを差し上げましょう。それは、阿智村智里3000番台の土地は、園原のエリアを示しています。本谷エリヤや共有山(ヘブンス山林)の多くは4000番台から始まっています。これら契約書の地番が違うことは、別々の契約書と言うことなんですね、別々の契約書となれば、その契約金額の合計は、450万~500万円となります。おかしいですね? 地域振興補助金として本谷園原財産区の口座に振り込まれる金額は270万円なんですよ?? 令和5年1月24日
匿名の手紙
この様な偽造契約書を理解するにはもう少し時間が必要でしょうから、休憩の意味を込めて、ここでひとつ、面白い手紙を紹介します。匿名の手紙 まずはクリックしてご覧ください。
ご覧なられて如何でしょうか。誰が何の目的でこの様な手紙を書かれたのでしょうか? 匿名では想像するしかありませんが、文章を読めば何かが見えてきますね。私が関心を持ったのは、「毎日ブログご苦労様です」と始まるところです。この方も毎日私のブログをご覧いただいているのでしょう。そして、ブログの内容があまり理解できてなく、「本当なのか?」と思慮にあぐねて居られるのでしょうね。次に、「熊谷村長さんが章文さんとの関係について、書かれたことは全く身に覚えのないことで、章文さんの作り話だそうです。」とありますが、熊谷村長と私の関係? 何をもとにおっしゃられるのかと思えば、どうも契約書の件を取り上げているのでしょう。契約書の件については「阿智村を訴えた」のコーナーに関係しておりますので、そちらで詳しく解明しましょう。ここでは、「熊谷村長は契約書を吉川議員に渡していない」と否定していますので、熊谷村長に直接その様な話を聞かれたのでしょう。だとすれば、この人物、熊谷村長に近い者だと想像できるのではないでしょうか。また、村長で済むものを熊谷村長と言い、熊谷村長さんとさん付けをしているところを見れば、相当な敬意を熊谷村長に払っているようです。
「普通の職員が渡すことは無い」? これも意味不明ですが、普通でない職員とは、課長のことを指しているのかと考えられますね。ここまでで判断すれば、職員の誰かが書いたとは思えません。「章文さんか吉川さんが不正な手段で手に入れた章文さんが偽造されたか」これには恐れ入ります。全くの無知な発言で呆れますが、吉川さんは無いでしょう。ここで吉川優の事を書くのであれば、吉川議員さんであるべきで、また、吉川優議員がこれらの契約書について議会質問していますので、その内容を知らないものだとすれば、少なくとも前議員ではないと思われます。令和5年1月27日
共産党
この人物は共産党です。それも熊谷秀樹村長にかなり近い人物で、女性の方ではないかと思われます。みなさん、如何でしょうか、この謎解きは「阿智村を訴えた」のコーナーでどうぞ。
平成13年12月20日の契約書
同日付の契約書は二通あります。そのどちらも岡庭一雄村長と石田貞夫阿智総合開発株式会社の契約書であり、
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